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2018/12/27

コレクターじゃないよ、ぼくは

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こと音楽にかんしては「聴けるか聴けないか」〜 ここだけに強いこだわりがあって、音源が入手できるかあるいはシェアできるかでとにかく耳に入れられることがぼくには超大事。いまのところ、CD を買って聴くほうがちゃんとできるような気がしているので買っているが、最近は Spotify でだけ聴いて書いたりするもの(は増えつつある)も、特になにも変わらないとわかってきたので、そのうち聴けるなら買わない方向へ進むかもしれない。やはり物体かファイルで持っているかどうかは瑣末なことなんだなあ、あくまでぼく的にはね。他人様のことはいっさい言っていない。

部屋のなかには CD がいっぱいあるけれど、コレクトしているだとか自分がコレクターだという自覚はない。実際違うと思う。ちゃんと聴きたいからとか、曲情報やパーソネルなどデータがほしいから CD を買うだけだ。だから一枚に払う値段が高くても安くてもそれでしか聴けなかったら買っている。以前書いたスリー・キャッツ(「黄色いさくらんぼ」入り)の一枚は8000円以上もしたけど、ほぼ躊躇なしだった。

逆にというか、一度買った CD を処分したりもしない。このことは以前書いたね。第一印象が悪くそれがしばらく続くものでも、長いあいだ寝かせておいて聴いてみたらガラリ容貌が変化したという経験をなんどもしている。だから売り払うなんておそろしい真似は到底できそうもない。この CD、ひょっとしたらすごく楽しくおもしろく美しい音楽なんじゃないか、そう感じないのは自分のほうの問題だろうか、と思ったら絶対ムリだね。

このへん、コレクターと呼ばれるみなさん、自覚のあるみなさんは、「コレクション」をきちんとしておきたい、つまりつまらない石のまじらない自分好みのコレクションにして維持しておきたいというお気持ちがおありかも?と感じている。だからおもしろくないと感じた CD とかは売っちゃうんでしょ。コレクション or ライブラリを汚さないために。ちゃんとしておきたいがために。学生時分や若くてお金がないころ、食えなくて、あるいは違うレコードを買いたいがためやむをえず、売る、というのは別な問題だ。

ぼくの場合、自分の持つ CD 群をコレクションとしてちゃんとしたいとか、部屋のなかにあるそんなようなものを自分好みに仕立て上げたいといった考えはこれっぽっちも抱いていない。音楽に対し大それた考えだと思うしなあ。ただ聴きたいものをどんどん買って一方的に増えていくだけだ。玉もあれば石もある。半々くらいかな。でも、ホント、石が玉に化けたりしますから〜、年月を経て。

大切なのは溝や面に記録された音楽の中身だから、パッケージに対するこだわりも薄い。まず、日本盤には必須の帯。あれは高校生の終わりごろに LP レコードを自分のお金で買うようになったはじめのころから現在に至るまで意味がわからず、ずっと捨て続けてきている。いまでもそう。さすがに大学生のころみたいにいきなり指でビリっと破り外すということはしなくなったけど、CD 附属のものでも外れにくくてイラっとしたらやるかも。あんなもん、いら〜ん。即、ゴミ箱。せっかくのきれいなジャケット・デザインが一部隠れちゃうし。

ひとつには中古で売るときに帯の有無で値段が変わるなんていう事情をちっとも知らなかったせいもあるけれど、結局、売らないんだから関係ないぞ。売ったことがないから知らなかったわけだけど。ライナーノーツもくだらないものはむかしは捨てていた。これは、ここ数年、音楽にかんする文章をどんどん書くようになってやめた(どんなものでも参考というか<教師>になると知った)。まあでもだからコレクションとしてはカタワだ。

中古盤 CD しか買えないばあい(もけっこうある過去の名盤)はそれを、主にアマゾンのマーケットプレイスで買っているけれど、ときどきレンタル落ちの商品が出ている。それでこのことは事前に確認できないんだけど、お店のなんらかのシールがド〜ンとジャケット表にだって遠慮なく貼ってあることがあるんだよ。しかし、ホント事前にわからないんだ。届いてみて、最初のころはエ〜ッ、やめてくれ〜!とか思っていたけれど、もう慣れた。平気だ。大切なのはジャケットの清汚じゃない、盤面の清汚も関係ない。唯一大切なのは、盤面に記録された音源が再生できるかどうか。

そう、音が聴けるかどうか、ここだけが勝負。それに付随するメモラビリアとかパッケージのどうこうとか、なにからなにまで、たぶん、ぼくには関係ない。音楽が聴けりゃあそれでオッケー。大学生のころ、普段の自室ではレコードからコビーしたカセットテープで聴いていたけれど、だからジャケットとかパッケージ・デザインはいっさい消える。しかし、聴いての感動に微塵の違いもなかった。

いまはカセットや MD など物体コピーしなくとも、パソコンなりなんなりのデジタル機器にコピー・ファイル化して持っていれば、それで聴けるからそれでもいいんじゃないかな。それでですね、Spotify その他ストリーミング・サーヴィスで聴くのも、それと特に違いはないと思うんだけどね。

結論としては、ぼくは30年以上前の大学生のころからなにも変わっていない。パッケージにまつわる諸々がどうでもいい人間で、パッケージでなくともいいのであって、コレクターでもなく、収集癖もなく、ただただ音楽を聴きたいだけ。コンサートへ行ってもチケット半券やパンフレットなどを思い出として持っておく習慣も、むかしからぜんぜんなし。音の姿のみ、とっても大切に憶えている。

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