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2019/01/11

ヴォイシズ・オヴ・ミシシッピ(1)〜 ブルーズ篇

 

 

ジャケット写真にいるドクロを持った人物は、ブルーズ・マン、ジェイムズ・’サン・フォード’・トーマス。この2018年のダスト・トゥ・デジタル盤『ヴォイシズ・オヴ・ミシシッピ:アーティスツ・アンド・ミュージシャンズ・ドキュメンティッド・バイ・ウィリアム・フェリス』の録音編纂者の長年の友人で、地元ミシシッピのブルーズ・マンにしてスカルプター。

 

 

ウィリアム・フォークナーとボビー・ラッシュが仲良くすわっているようなそんな世界の住人だったウィリアム・フェリス。ミシシッピはヴィックスバーグに1942年に生まれ、人生のすべてをアメリカ南部のフォークロア採取・研究に捧げてきた。フォークロア・リサーチ、オーディオ・レコーディング、文献記録、写真撮影、フィルム・メイクなど、ひたすら南部の声を記録し続けてきたのだった。

 

 

このディケイドで三冊の本も出しているボブ・フェリスだけど、ダスト・トゥ・デジタルからディスク四枚と大部のブックレットで出版された『ヴォイシズ・オヴ・ミシシッピ』は、主に音楽などオーディオ面における彼のサザン・フォークロア採取の集大成と言えるはず。いくら生まれ育った土地と環境であったとはいえ、相当な愛情熱がないと、ここまでのものにはならないはず。すごい、のひとことだ。

 

 

ダスト・トゥ・デジタル盤『ヴォイシズ・オヴ・ミシシッピ』のディスク3はストーリーテリングで、ディスク4はドキュメンタリー・フィルム。それらもおもしろいんだけど、こんなボックス・セットのすべてを扱うのはぼくの能力を超えている。ブックレットの文字情報も写真類も考慮外に置くしかない。だから一枚目のブルーズ篇と二枚目のゴスペル篇の、わかりやすく音楽的な部分だけに絞って、今日、明日の二日で二枚をそれぞれ短く簡単にメモしておきたい。

 

 

『ヴォイシズ・オヴ・ミシシッピ』CD1のブルーズ篇は、おおよそ1960年代末〜70年代半ばの録音で、フレッド・マクダウェルみたいな超有名人もいるにはいるが、アノニマスに近いような存在だって多い。あるいはブルーズ・マン、ウーマンなどと呼ぶのもおかしいのかもしれない。つまり、ミシシッピの黒人のふだんの日常生活にそれがあって、そこいらへんのおっちゃん、おばちゃんがちょろっと(たぶん毎日の生活でそうしているように)ブルーズをやってみただけのものを、ビル・フェリスは録ったのだろう。

 

 

だからまさにフォークロアっていうかフォーク・ブルーズなわけだけど、CD でお持ちでないかたも上のアルバムでちょっと聴いていただきたい。アメリカ黒人ブルーズ、それも商業化されたポピュラー・ブルーズのファンなみなさんなら聴き憶えのあるものがかなり混じっているはずだ。「ブギ・チルン」だったり「スタッカリー」だったり「アイサイト・トゥ・ザ・ブラインド」だったり「ダスト・マイ・ブルーム」だったり「リトル・レッド・ルースター」「ミステリー・トレイン」だったり、まだまだあるが省略。

 

 

それらは必ずしもそういった曲題が記載されていない。そもそもこの CD1に収録されているブルーズ録音が、いったいどういったもので構成されているかをちょっと考えて整理してみたのが、以下のとおり。

 

 

1)過去から受け継がれた南部ミシシッピの口承伝統、それを演者個人がパーソナライズしブルーズとして歌ったもの

 

 

2)同じような伝承レパートリーから、過去に先人ブルーズ・マンが商業録音し、スタンダード化したばあいもあり

 

 

3)過去何十年にもわたりなんども商業録音されていたポピュラー・ブルーズが、ここでひとつのフォーク・ヴァージョンとなっている

 

 

4)ここに収録されている演者のオリジナル・コンポジション

 

 

だいたいこれくらいかな。何曲目がどれみたいな指摘はむずかしいばあいもある。たとえば「スタッカリー」なんかはもちろん口承伝統のお話で、実にさまざまなヴァージョンがあるとみなさんご存知のとおり。ひょっとして「リル・ライザ・ジェイン」も、かのヒューイ・スミスがやったものは、ここに収録されているフォーク・トラディションが土台だったのかも。

 

 

いっぽう「ミステリー・トレイン」として知られているここでの曲名「トレイン・アイ・ライド」なんかは、ぼくの考えでは、もともとポップ・ソングというかポピュラー・ブルーズだったんじゃないだろうか。かなりの有名曲なので、南部のフォークロアのなかにも入り込んだのだと見るべきかと思う。違うかもしれないが、わからない。そのほか、似たような事情かなと推察できるトラックがあり。

 

 

しかしながらロバート・ジョンスン/エルモア・ジェイムズで有名な「ダスト・マイ・ブルーム」とかジョン・リー・フッカーで有名な「ブギ・チルン」であるここでの曲名「アイ・フィール・ソー・グッド」なんかは、どういう経緯でこのボックスにあるのか、ぼくにはよくわからない。「ダスト・マイ・ブルーム」は南部フォークロアからロバート・ジョンスンがピック・アップしたもので、「ブギ・チルン」はポピュラー・ブルーズのフォークロア化かなあ?いやあ、わからない。

 

 

がしかし「トレイン・アイ・ライド」も「アイ・フィール・ソー・グッド」も、演者はどちらもラヴィ・ウィリアムズとなっている。商業的なブルーズ界でも活躍するかの人物とは別人じゃないだろうか?う〜ん、まあそれだけじゃあなんだかわからないよなあ。どうなんだろう?「ブギ・チルン」はやっぱりジョン・リー・フッカーのがオリジナルのポップ・ブルーズで、それをここでラヴィ・ウィリアムズがこんな感じに仕立てているってことかなあ?

 

 

『ヴォイシズ・オヴ・ミシシッピ』一枚目に最もたくさん収録されているブルーズ・マンは、やはりジェイムズ・’サン・フォード’・トーマス。ボブ・フェリスの親友だからなのか、あるいはサン・トーマスの、ここにも収録されているブルーズ演唱が、きわめて南部的にディープで、まさにミシシッピの声、黒人の民俗生活に即したようなできあがりになっているからなのか。まあ両方かな。

 

 

サン・トーマスのブルーズは、「44 ブルーズ」「ケイロ」「ダスト・マイ・ブルーム」「アイ・キャナット・トゥ・ステイ・ヒア」と四曲収録されているが、なんど聴いてもすばらしいと感銘を受けるのが「ケイロ」(カイロ)だ。ここではエレキ・ギターで弾き語っている。声も見事だが、なんたってギター演奏がすばらしいクサさ(褒めことば)。実にディープにブルージーだ。こんなブルーズをいつもそばにおいておきたい、聴いていたいと思わせる日常的な親密さもあり、しかし同時に冷たく突き放されているような近寄りがたいオーラもあり。文句なしだ。

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