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2019/01/17

ひとり書き For No One

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音楽をどんどん聴くのは、もちろんだれのためでもない自分のため、というかためでもなく、ただたんに聴きたいからだ。しかしまあ、ためというか自分にとっての効用みたいなことはあるように感じている。なんだか気分がダウンなとき、肉体的になんらかのつらい状況にあるときなどなど、好きな音楽に聴き入ることで、ある種の救い、とまで言わないまでも強い癒しになっているのは間違いない実感。むろん、べつになにもない平穏で楽しい時間にだってどんどん聴いている。つまり、いつでも音楽といっしょ。

そうやってどんどん聴いて、それについて毎日どんどん文章を書き、公開するというのは、しかしいったいぼくはなんのため or だれのためにやっているのだろうか?まあこれも露出狂趣味のナルシストであるぼくだから、書いて見せるという行為が快感なだけだからっていうのが最大の理由だろうなあ。たんに、楽しいんだ。

最初ぼくはブログをはじめるつもりはなかった。はじめたのは2015年9月3日だけど、その約半年ほど前から音楽について書いてはツイートする、ほぼ毎晩のように、ということを続けていた。あれはいったいどうしてはじまったのか?などという問いを立ててみることも無意味だろう。音楽好き&おしゃべり好き人間だから、どんどん聴いている音楽についてたくさんしゃべりたい、ぼくにとってそのための場は Twitter しかなかったというだけだ。

Twilog というウェブ・サーヴィスがあって、ツイートをぜんぶ記録してくれる。検索も容易だから、ずいぶんと助かっている。2015年の春先あたりから音楽投稿をどんどんやるようになり、しかし Twitter はひとつのツイートが140文字までという制限があるから連続ツイートになる。タイムラインだと次々と流れていってしまうので、あとからさがして読みなおそうと思ったら Twilog が便利なのだ。

それで Twilog で自分の音楽ツイート連投を拾い、一つの話題についてのものを一個のテキスト・ファイルにまとめていた。最初は Twitter に投げっぱなしであとから Twilog で拾うというやりかただったんだけど、そのうち、たくさんのツイートじたいを保存しておいて、そのままテキスト・エディタにまとめて貼り付けてまとめるということをやりだした。ドラッグ&ドロップで。

そうしてできあがり保存してある音楽文章のテキスト・ファイルが、ぜんぶで150個ほど(だったと思う)たまってきて、これをこのまま死蔵したままでいいのだろうか?もったいないんじゃないだろうか?いや、べつにどなたに見せるとかいうんじゃなく、自分自身のために、ブログみたいな、別のなにかでもよかったんだけど、なんらかのものにして公開していけば楽しいかも?と考えるようになった。

これがこのブログをはじめた動機。だから文章を書きはじめてからブログをはじめる2015年9月3日までにすこし時間が経過していた。貯金が150個近くもあって、その上さらに休まず毎日連続ツイートしているんだから心配ないと思い、毎日更新するということを決めた。これにかんしては現在テキスト・ファイルの貯金が28個になっているので、ちょっとがんばらないといけないのかも。

ブログに毎日上げるようになってしばらく経ってからは、そもそもの書きかたが変化して、連続ツイートというより最初からブログ用にと考えて書くようになったけれど、しかしそうなってもやっぱり書くのは Twitter アプリ(Mac用でサード・パーティ製のやつ)のテキスト入力フィールドを使ってだったというありさま(笑)。140字という字数制限があるので、それくらい書いてはエディタに保存し、続きをまた Twitter アプリの文字入力欄で書くっていう、なにやってたんだぼくは(苦笑)?

これをやめ、もちろんいまでは最初からテキスト・エディタ(Jedit Ω)で書いているんだけど、それをもとに、やはり Twitter での連続投稿はやっている。ツイートしたものをそのとき一個一個見ながらが最終校正になるんだよね。これはちょっと不思議なようなそうでもないのか分からないが、エディタ画面で見てわからない細かな書きミスに、ネット投稿済みのものを見れば気づくっていう、ホントこれ、なんで?

そんな連続ツイートに反応があったり、完成品をブログに上げたお知らせをツイートしたものに反応があったりと、なにか目に見えるものや、そうでなくともひそかに感じられるちょっとしたものでもあれば、もちろんうれしく励みになる。この nifty のココログには<いいね>ボタンみたいなものがないんだもんなあ。はじめる際にそこまではまったく思いがおよんでいなかった。

だからつまりこれ、このブログ内に限れば、コメントが付く以外の反応はいっさいわからない仕組みになっている。<いいね>ボタンでもあるようなブログ・サーヴィスを選べばよかったのだろうか?

でもしかし、一時期そんなふうに感じていたものの、最近、そう、ここ半年くらいかな、これはいっさいなにもないほうがぼくにはいいのであるとわかるようになった。Twitter や Facebook にブログ更新のお知らせを書き、それに反応があるときは、もちろんすごくうれしく幸せだ。でも、なにもなくたってかまわない。

つまり、反応がないばかりか、どなたが読んでくださっているだとか、そもそもどんな層が読者であるとか、あるいはそういったもの、つまり読者を想定しながら書くことだとか、そんなこと諸々、ぼくには、いっさい、関係ない。やっていないし、考えすらもしなくなった。読者はまったく想定せずに書いている。

ぼくはだれのためにも書いていない。For No One。だれにも見られていないと自覚するようになっている。それに、そう思えばなんだって書けるし、筆が乗らない日にこんなつまらないものしか書けなかったなと思っても、躊躇なくブログで公開できる。それも正直な記録なんだしね。

すべては自分のためだ。自分ひとりで音楽を聴き、自分が読むために文章を書き、自己満足のために公開する。今日のこの記事だってそうなんだよ。

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