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2019年2月

2019/02/28

戦時中のレコードだったビリー・ホリデイのコモドア録音集

 

 

やっぱりこっちの上掲ジャケットかな。それから、いまでは別テイクも収録したコモドア録音完全集も(フィジカルでも配信でも)あるけれど、今日の話には上のマスター・テイク16曲で充分なはず。

 

 

さて、ビリー・ホリデイのコモドア・レーベル録音集(『奇妙な果実』)の1曲目だった表題曲を聴き、むかしはぼくも義憤にかられてタマシイを燃やしたものでありました。ですが、いまや、そんなもんインチキだったと自分でもわかる。ビリーのコモドア録音集を考える際に最も重要になってくるのは、「奇妙な果実」ほか三曲を録った初回のレコーディングが1939年4月だったのを除き、すべて1944年とアメリカの第二次世界大戦参戦中に録音・発売されたレコードだってことだ。

 

 

歌詞を思い浮かべることのできる、あるいは聴解力のあるかたは、曲目をざっとごらんになっておわかりのはず。「マイ・オールド・フレイム」「アイ・カヴァー・ザ・ウォーターフロント」「アイル・ビー・シーイング・ユー」「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」「ラヴァー、カム・バック・トゥ・ミー」〜〜 こういった曲たちは、どれも失った愛や、遠く離れた恋人、夫などを想い、待つ、帰ってきてね、という内容ばかりなんだよね。

 

 

そういえば思い出すのは、かつて大学生のころに聴いていたビリーのコモドア録音集のレコードは日本盤解説文を油井正一さんがお書きになっていて、B 面トップだった「アイル・ビー・シーイング・ユー」の項で、まるで出征した夫か恋人を待つかのような、どうか無事に帰ってきてねと想い願うような、そんな心境を感じとることができると指摘なさっていたことだ。

 

 

歌の解釈はさまざまであって、「アイル・ビー・シーイング・ユー」にしろ、離れている相手に、きっと帰ってきてくださいね、また逢いましょうと願うような内容は普遍的なものだから、いろんな状況に当てはめていかようにも受け取ることが可能だ。このビリーのコモドア録音集だと、そのほか「アイ・カヴァー・ザ・ウォーターフロント」「ラヴァー、カム・バック・トゥ・ミー」など、すべて同様のことが言える。

 

 

がしかし、それらが1944年に録音されレコード発売されたものだということを踏まえると、それからこんな内容の歌がコモドア時代のビリーにこれだけ多いという事実もあわせると、やはり油井さんのおっしゃったような、出征兵士の帰りを待つ女、という姿をどうしても連想しちゃうよなあ。実際、コモドアのミルト・ゲイブラーもビリー本人も、機を見たという面が確実にあったと考えるのが妥当だと思う。

 

 

ビリーのコモドア録音は、自作の「奇妙な果実」をコロンビアに発売拒否されたのでコモドアに持ち込んだというところからはじまっていて、その点ではたしかにこの人種差別告発歌を重視しないといけないのかもしれないが、このへんのいきさつは以前も詳述したので今日は省略。コモドア盤全体で見れば、愛する相手の帰りを待つというラヴ・ソングのほうが圧倒的に多いし、重要だとも思うんだ。

 

 

そういった<また逢いましょう>系のラヴ・ソングでは、コモドアの前のコロンビア系レーベルで聴けたような軽快なスウィング感はなく、そりゃあ曲が曲だから当然かもだけど、じゃあラヴ・バラード的な雰囲気をたたえているかというとそうでもない。ただ、ふわ〜っと漂いながら一ヶ所にジッとたたずんでいるような、言いかたがあれだけど水たまりの水のような、そんな曲調になっているよねえ。エディ・ヘイウッドのピアノとアレンジもそれに拍車をかけている。

 

 

そういったある種の(音楽的)停滞感が、ビリーのコモドア録音集をおおっているように思うんだ。個人的にはあまり好きな雰囲気じゃないんだけど、戦時中だったから、と考えれば理解しやすい。というかそう考えないとちょっと把握できにくい音楽像だよねえ。つまり、どんな歌詞を持った曲を選んで歌ったかという面でも、サウンドやリズムなどの構成、曲調設定という面でも、ビリーのこのコモドアでのレコードには戦争が大きな影を落としていた。ここを無視しては理解できない一枚じゃないかな。

2019/02/27

ジャケット 9

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お気に入りの音楽アルバム・ジャケット。たくさんあってキリないんだけど、思いつくところを九枚ちゃちゃっと並べてみた。ある一定傾向が見えるかも?見えないかも?テンじゃなく九枚にしておかないと、画像をタイル状にして正方形に組み合わせられないから。並びに意味はない。中身の音楽は、もちろんいいものばかり。そうじゃなくちゃ選ばない。

 

 

上掲画像左上から順に

 

 

トミー・フラナガン『オーヴァーシーズ』

 

ローリング・ストーンズ『エクサイル・オン・メイン・ストリート』

 

プリンス『パレード』

 

ティナリウェン『アマサクル』

 

『イリニウ・ジ・アルメイダ・イ・オ・オフィクレイド、100 アノス・ジポイス』

 

『ヒバ・タワジ 30』

 

岩佐美咲『鯖街道』

 

『ロンギング・フォー・ザ・パスト』

 

キング・サニー・アデ『シンクロ・システム』

 

 

トミー・フラナガンの『オーヴァーシーズ』は、ジャズ好きになってわりと長い時期、そう、いまでもかな、こういったタイポグラフィ・ジャケがかなり好きだったその最初のとっかかりの一枚だった。overseas にひっかけて c の文字をたくさん並べてある。高校生のころに買った。

 

 

ストーンズの『メイン・ストリート』。このジャケットには大きな意味があるんだけど、説明するのは面倒だから省略しちゃえ。中身の音楽をとてもよく表現している。プリンスの『パレード』は音楽も最高だけど、ジャケット・デザインも彼のアルバム中いちばんいいかも。ダブル・ジャケットを開くと一枚の写真になる仕様だった。ティナリウェンの『アマサクル』は(いわゆる)砂漠のブルーズにとってブレイクスルーだったね。

 

 

ショーロのイリニウ曲集とか、ヒバ・タワジとか、かなり最近の作品だけど、ジャケットも抜群にきれいだよね。リリース当時、ヒバの美貌に見惚れていたぼくだけど、イリニウ曲集のほうが、ジャケも中身も、実はもっと好きだ。写っている管楽器、見慣れないなあ〜って思いません?

 

 

美咲の『鯖街道』だけがアルバムじゃなくてシングル CD。いまのシングルは五曲くらい入っているよね。『鯖街道』もそう。そして歌もいいんだが、このジャケットに写るかわいらしさといったらない。伝え聞く話によれば、どうやら美咲本人もお気に入りの一枚なんだそうで、「最高に盛れてる」だとか。いやいや、とんでもない、ふだんからこんな感じの女性です。

 

 

東南アジア SP 音源集の『ロンギング・フォー・ザ・パスト』のジャケがなぜだかとてもお気に入りのぼく。レトロな感じがするからかなあ。中身もリリース当時から愛聴しているんで、そのうちこれについても書くつもり。『オピカ・ペンデ』より好きなんだよ、実は。

 

 

サニー・アデの『シンクロ・システム』だけ、現在持っていない。そりゃそうだよ、このオリジナル・ジャケでは CD 復刻されていないもん。さらにどのジャケのも廃盤のまま。配信もされていないし、アイランドはこの大音楽家のことをどう思っているのだろう??ぜひオリジナル・ジャケでリイシューしてほしいという願望と要求を込めて、ここに載せたい。

2019/02/26

スリム・ゲイラードのドット録音 1959

 

 

 

 

スリム・ゲイラード1959年のドット・レーベル録音を網羅的にすべて収録したアルバムが、中村とうようさん編纂の MCA ジェムズ・シリーズの一枚『スリム・ゲイラード 1959』(1998)。1980年代の復活劇があったとはいえ、1960年代以後は引退同然の状態に追い込まれていたスリムだから、ドット録音はかなり重要と言える。ノーマン・グランツ系への録音は1953年が最後だった。

 

 

スリムのドット録音は、この CD にあるように全20曲。13曲目まではアメリカでのオリジナル LP『スリム・ゲイラード・ライズ・アゲン!』でリリースされていたものをそのままの順で収録したもの。残り七曲のうち、14〜16曲目は日本盤 LP に収録されたことがある。ほかのものの説明は煩雑なので省略。録音は1〜18曲目が1959年4月15日。ラスト二曲が同年3月2日。大編成のその二曲を除き、すべてベーシスト&ドラマー(両名ともだれなのか不明)とのトリオ。スリムはヴォーカルとギターとピアノ(だけじゃないみたいだが)。

 

 

これらのなかには、わりと常識的というかフツーというか抑えたようなジャズ・トリオ演奏もある。スリムがギター or ピアノを弾くインストルメンタル演奏で、たとえば4曲目「スリムズ・シー」、8「トール・アンド・スリム」、17「A列車で行こう」あたり。ギター・トリオ・インストのなかでは、11「ウォーキン・アンド・クッキン・ブルーズ」がかなりすごい。これはふつうじゃない。かなりの実力者だったことがよくわかる名演だ。

 

 

 

がしかし、スリムにしかない持ち味といえば、ナンセンスおふざけ路線、ことば遊び、ラテン系要素の活用によるミクスト・ジャイヴみたいな音楽にあるよね。ドット録音集でもやはりそうだ。『スリム・ゲイラード 1959』のなかで拾うと、たとえば1「オー・レイディ・ビー・グッド」、2「ゴースト・オヴ・ア・チャンス」、3「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」など同傾向のリングイスト系、つまり言語学的おふざけが爆発したもので、これら三曲ともジャズ・スタンダードなんだけど、こんなやりかたはスリムにしかできない。

 

 

これまた(古いけれど)ジャズ・スタンダードだった9「マイ・ブルー・ヘヴン」と、それから13「ドント・ブレイム・ミー」と15「ザ・ダークタウン・ストラターズ・ボール」となんかも楽しい。リングイストの才気煥発だ。スリム自作の6「チキン・リズム」、ファッツ・ウォーラーの16「手紙を書いて自分に出して妄想に耽ろう」、ナット・キング・コールで有名な14「リトル・ガール」なんかも含め、ここまで書いたものすべて、ナンセンス・シラブルでなはなく意味のある単語を使ってはいるものの、文脈無視で速射砲のように次々とアド・リブで繰り出すさまは、まさしくナンセンスの極致。歌詞はメタメタに切り刻まれ、奔放自在に歌いこなされる。楽しいったらありゃしない。

 

 

ドット録音集『スリム・ゲイラード 1959』のなかで格別ぼくの興味を惹くのが、やはりラテン・ジャイヴみたいなやつ。二曲あって、5「3分間のフラメンコ」(One Minute Of Flamenco For Three Minutes)と12「スキヤキ・チャチャ」。どっちもあやしい世界だが、後者は曲題だけでもわかるようにデタラメ日本語をテキトーに乱発しているもの。しかもラテン・リズムが活用されてある。前者はフラメンコふう、闘牛士ふうかと思いきや、やっぱりアヤしくクサいヾ(๑╹◡╹)ノ。

 

 

スリムのばあい、つまりはすべてがおふざけなのであって、音楽とはゲージツなのであるからしてマジメでなくてはならないという考えの対極に位置する音楽芸人だ。真面目芸術であったら悪いなんていうことはない。そういう音楽もあればそうでないエンターテイメントもあるというだけの話で、どっちも楽しい。だがしかし、スリムもいちおうはジャズ・フィールドのなかにいるひとだけど、ジャズ音楽はこういったスリムのような方向性はどんどん切り捨て無視して忘れ去る方法へと進んだ。

 

 

だから、とうようさんにしろどなたにしろ、いちおうぼくもその末端のつもりだけど、声を大にして「おもしろい!」と叫び続けているわけなんだよね。スリム・ゲイラードは、いわゆるジャイヴ系ミュージシャンのなかでも格別クールでニヒルで特異なはみ出しものだったかもしれないしね。キャブ・キャロウェイやルイ・ジョーダンらの明るいハッピーさがスリムにはないじゃないか。徹底してクールでアナーキーで皮肉っぽいというか、だから虚無や孤独を感じるような音楽芸人でもある。

 

 

とうようさんの編んだ『スリム・ゲイラード 1959』では最後の二曲だけ異質で、およそスリムの音楽芸からしてもありえない傾向の録音。それは戦後のフォーク・ソングのパロディなのだ。ピート・シーガーらに代表されるいわゆるフォーク・リヴァイヴァルのさなかにあって、スリムみたいな存在からすれば、それは白人インテリの知的反逆みたいなもので、自分はそこからも疎外・排除されているぞという気持ちがあったかも。公民権運動と関連していたブームだったのにもかかわらずね。

2019/02/25

人生、これカヴァー 〜 ジョアン・ジルベルト

 

 

2007年のオフィス・サンビーニャ盤コンピレイション『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』。これはサンバ聴き、ボサ・ノーヴァ聴き、ジョアン・ジルベルト愛好家の三者にとってたいへん意義深く貴重なアルバムだ。世界最高のボサ・ノーヴァ歌手ともいうべきジョアン・ジルベルトのレパートリーのなかには、自作曲とか彼のために書かれたオリジナル楽曲がほぼなくて、100%近くカヴァーばかりとはよく知られているところ。

 

 

ジョアンが歌うのは、同時代の、たとえばアントニオ・カルロス・ジョビンの書いたものなどもあるけれど、多くがもっと前の1940〜50年代のサンバ・ソングなのだ。キャリア初期からいまでもそう。ジョアンの音楽人生とは、これすなわち、ずっとカヴァー人生。彼ほどの大きな存在にして、これはなかなか珍しい。というか世界でもほかにいないのでは。

 

 

そんなジョアンの歌ったサンバ楽曲のオリジナル・ヴァージョンをどんどん並べて紹介してくださっているのが、アルバム『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』なんだけど、これに収録されている音源は、ブラジル本国でも多くが未復刻のままらしい。復刻先進国なんですよ、ブラジルは。ってことはこのアルバム、ジョアンを知り、ボサ・ノーヴァの本質を探るとともに、サンバ聴きにとっても有意義なものだっていうことなんだよね。

 

 

でもでも、そんな探求側面ではなく、アルバム『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』は、なんたって通して聴いて、だらだら流すだけでも、この上なく楽しいんだ。掛け値なしにハッピーなウキウキ気分になれる。これがあるから、なんどでもこのアルバムを聴けるんだよね。結果的に未復刻音源だったものが多いということで貴重な体験にもなってくるというわけ。

 

 

そんな楽しみの個人的な部分だけをちょちょっとメモしておこう。このアルバム『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』で、最もよく知られている曲は、たぶん1曲目の「ブラジルの水彩画」(Aquarela Do Brasil)と10曲目の「ドラリーシ」(Doralice)だろう。前者はジェフ&マリア・マルダーもやった。後者はジャズ・ファンだって知っている。スタン・ゲッツ参加の例のヴァーヴ盤でもやっているからだ。

 

 

アリ・バローゾの書いた「ブラジルの水彩画」のほうはそうでもないんだけど、ドリヴァール・カイーミの書いた「ドラリーシ」をアンジョス・ド・インフェルノ(Anjos Do Inferno)がやっているヴァージョンは、このアルバムで聴いて大好きになった。アンジョスはヴォーカル・コーラス・グループで、軽妙洒脱な味を持っている。

 

 

そのほか『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』にはヴォーカル・コーラス・グループがかなりたくさん収録されていて、ジョアンはそういったサンバが大好きだったみたい。しかし編纂・解説の田中勝則さんによれば、そのあたりは最も復刻が進んでいない音楽だそうで、そういえばアメリカ合衆国音楽でもジャイヴ・グループとか、ジャイヴでなくともヴォーカル・コーラスは人気ないもんなあ。

 

 

あ、そうそう、以前、カルメン・ミランダのレパートリーばかりを歌ったオリジナリウスのことを書いたでしょ。あのバンドはいまの新人に近いキャリアで若者だけど、ヴォーカル・コーラス・グループだよ。しかもサンバばかり歌っているっていう、あれれ、このオルジナリウスの『Notável』って、ちょっぴりジョアンが好きだった世界に近い?

 

 

 

ともあれ、バンドの一員として歌い録音したキャリアごく初期を除けば、ソロ・デビュー後のジョアンはコーラスで歌うってことはなくなった。多くのばあい自分の弾くギターの伴奏でひとりで歌う。しかしそのオリジナル・ヴァージョンがしばしばコーラス・ソングだったのはなかなか興味深い事実だ。バンドでの演奏スタイルや歌手の歌いかたも、ジョアンのなかにどう吸収されたかを考えるとおもしろい。

 

 

『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』収録曲でも、やはりリズムが典型的なサンバのそれになっているものは、どんな伴奏編成でも単独歌唱でも、ぼくは大好き。2曲目カルメン・ミランダ&ルイス・バルボーザの「バイアーナのお盆には」(No Tabuleiro Da Baiana)、3、シルヴィオ・カルダス「黄金の口を持つモレーナ」(Morena Boca De Ouro)、5と6のオルランド・シルヴァ「はじめての時」(A Primeira Vez)、「十字架のもとで」(Aos Pez Da Cruz)。

 

 

ここから10曲目までがドリヴァール・セクションである(これの前はアリ・バローゾがテーマ)7、バンダ・ジ・ルア「わが故郷のサンバ」(Samba Da Minha Terra)、ジェラルド・ペレイラとジャネー・ジ・アルメイダのセクションを経ての、17、オス・カリオーカス「さよならアメリカ」(Adeus America)ではビ・バップ・スキャットまで聴けて興味深い。18、オス・ナモロードス「サンバが欲しい」(Eu Quero Um Samba)もいいリズムだ。ジョアン・ドナートがアコーディオンで弾くサンバ・シンコペイションには、ジョアンのギター・スタイルの源泉を見出せる。

 

 

19曲目、ガロートス・ダ・ルア「君が思い出すとき」(Quando Voce Recordar)からサンバ・カンソーンに突入しているみたいな感じだけど、これと20曲目はジョアンの処女録音なんだよね。ボサ・ノーヴァをこここに聴きとることはちょっとむずかしいかもしれない。またジョアンの珍しい自作である23、マイーザ・ガタ・マンサ「あなたは私のあの人と一緒にいた」(Voce Esteve Com O Meu Bem)は、カエターノ・ヴェローゾがとりあげた。この曲、大好きなんだ。たしかにここで聴けるマイーザ・ヴァージョンはイマイチだけどね。

 

 

22曲目、ディック・ファーニーの「もう一度」(Outra Vez)なんかも、とてもすぐれたサンバ・カンソーンで、夜の音楽のムード横溢で実にいい。アルバム『ジョアン・ジルベルトが愛したサンバ』の最終盤二曲はジョアンのソロ・デビュー録音で、これもほぼサンバ・カンソーンだけど、歌いかたはオルランド・シルヴァそっくりだ。

2019/02/24

けっこう多彩なスペンサー・ウィギンズの世界

 

 

スペンサー・ウィギンズの『フィード・ザ・フレイム:ザ・フェイム・アンド XL レコーディングズ』は、2010年の Kent / Ace 盤 CD アルバム。このサザン・ソウル歌手のポスト・ゴールドワックス・イヤーズ(1969年10月〜73年)集ともいうべき企画で誕生したものだ。これで、この歌手のシングル盤を蒐集しなくていいんだなとなって(ハナからやる気がないのだが)ありがたかったことこの上ない一枚。神様仏様ケント様だ。母国のアメリカ人はなにをやっている?

 

 

『フィード・ザ・フレイム』は、2010年のこの CD リリースまで未発表のままだった音源を多数含んでいるが、ゴールドワックスは自前のレコーディング・スタジオを持たなかったため、ゴールドワックス時代のスペンサーも、ときにはリック・ホールのフェイム・スタジオで録音することがあったそうだ。たぶんそんな縁で、ゴールドワックスがダメになったあとはフェイムでレコーディングしてシングル盤を出したりすることになったのだろう。

 

 

スペンサーのフェイムへの録音は1969年10月にはじまって1971年初頭まで。三回のセッションで計10曲を録音した。また XL レーベルはサウンズ・オヴ・メンフィスと同じ会社だ。このケント盤『フィード・ザ・フレイム』の全22曲で、フェイム・レーベルの録音が、未発表ものも含め、1、3、4、7、10、11、15、16、18、21曲目。ほかは、前述のとおり(スタジオはフェイムだが)ゴールドワックスの手になる音源が2、8、13、17、20、22曲目。残りが XL とサウンズ・オヴ・メンフィス録音。

 

 

個人的にフェイム時代のスペンサー・ウィギンズというと「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」に決まってしまうというなんとも抜きがたい刷り込み体験があるのだが、『フィード・ザ・フレイム』で聴いても、 一般的にスペンサー・ウィギンズはビートの効いたテンポのいいダンス用のジャンプ・ナンバーか、バラードっぽいミドル・テンポの三連ソウルが多いよね。数の問題だけでなく、実際、得意だったんだろうと思う。

 

 

たとえば幕開けの1「アイム・アット・ザ・ブレイキング・ポイント」、2「ウィ・ガッタ・メイク・アップ、ベイビー」、11「ウー・ビ、ウー・ビ・ドゥー」、13「レッツ・トーク・イット・オーヴァー」、14「アイ・キャント・ゲット・イナフ・オヴ・ユー、ベイビー」(ジャクスン5みたい)、17「ラヴ・アタック」(ジェイムズ・カー)なんかはアップ・ビートのダンサーだし、楽しくていいね。聴いてからだを動かせば気分ウキウキ。

 

 

三連の、いかにもなサザン・ソウル・ナンバーが5「ユア・マイ・カインド・オヴ・ウーマン」 、8「ラヴ・ワークス・ザット・ウェイ」、9「フィード・ザ・フレイム」(やはり傑作)、20「ウォーター」、22「クライ・トゥ・ミー」あたりかな。7「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」をここに入れていいかも。こういったものでスペンサー・ウィギンズが聴かせるディープな味わいも極上だ。さすがのゴスペルで鍛えた喉だとうならされる。

 

 

『フィード・ザ・フレイム』を通して聴いているとオッ!と思うのが、あんがいポップだったりするケースもわりとあるということだ。カントリー・ソングがあるのはサザン・ソウルの世界ではあたりまえだから言わなくていいけれど、ちょっとした軽妙な聴きやすさをまとっているばあいがある。フォーク・ロックっぽさすら感じる。

 

 

たとえば、4「ホールディング・オン・トゥ・ア・ダイイング・ラヴ」の出だしのアクースティック・ギターとフルートのからみもいいし、また、6「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」は『カフーツ』のころのザ・バンドみたい。 8「ラヴ・ワークス・ザット・ウェイ」もイントロがポップ(だけどすぐディープ・ソウルになる)、10「メイク・ミー・ユアーズ」なんかバート・バカラックがアレンジしたみたいなサウンドだ。

 

 

こうして見てみると、典型的な男性サザン・ソウル・シンガーみたいなスペンサー・ウィギンズでも、いや、そうだからこそと言うべきか、多彩な世界を展開していて、濃厚に煮詰めてディープに迫りまくるソウル・ナンバーばかりでもなかったんだなあとわかる。

2019/02/23

いつも周回遅れ

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という思いがぼくをずっともう40年近く駆り立てている。これこそ、音楽にかんするときの最大の原動力なんだよね。ぼくは音楽のなにについても常にすでに遅れている。いつもだれかに教えてもらってばかりだから、一歩も二歩も遅れているというだけじゃない、なにかを知るのが最新流行形じゃなくなってからなのだ。どんな音楽、音楽家についてもずっとそう。いつも常にすでにぜんぶそう。これを巻き返したい、そんな気持ちで熱狂しているんだよね。

 

 

たとえば、ぼくの愛好するマイルズ・デイヴィス。出会ったのは1979年だったので、ちょうどかの一時引退期の真っただ中。ってことはリアルタイムでこのひとのニュー・リリースやライヴに接してきたのは1981年の復帰後だ。これがなんとも歯がゆくてしかたがない、という激しい思いでずっとやってきた。

 

 

だってさ、やっぱりどう聴いたって1975年までのマイルズ・ミュージックのほうが魅力が強いんだもん。いくらリアルタイム体験のせいで思い入れが強いとはいえ、一歩引いて冷静になって聴いて考えれば、1981年復帰後のマイルズは力が落ちた。トランペット吹奏能力だってバンドの統率能力だってリズムやサウンド・メイクについてだって、甘くゆるくなってしまった。

 

 

中山康樹さんはちょうど10歳年上だったんだけど、1973年の来日公演時が生マイルズ初体験だったらしい。なんともうらやましいかぎり。ご本人も、もしかりに73年が初体験じゃなかったらここまでのマイルズ者になっていたかどうか疑わしいとどこかでお書きになっていた。73年の前が64年だから、まさにここしかないっていうベスト・タイミングだよねえ。いいなぁ。ぼくはこんなぐあいに遅れている。巻き返さなくちゃ。

 

 

マイルズだけじゃない、好きな音楽家、歌手、みんな、ぼくが知ったのはいちばんいいときじゃない。ジャンルや分野の流行にしたって、終わりかけに or 終わってから知って好きになる。だから時代のなかでスポットライトを浴びて輝いている瞬間を、知らない。そんなにリアルタイム体験を重視しない人間じゃないかアンタは、と言われそうだけど、結果的にそうなっているだけで、そのおかげでふだんはすっかりあきらめ気味で、ヒットチャートなんか横目で見ながらケッとか思うようになっちゃったヒネクレ者なだけだ。ハナからそうありたいわけじゃない。

 

 

あるいは将来芽吹くかもしれない才能を、つぼみの時期に見出し拾って、応援し、成長を見守りながら聴き続け、大成を見届けるという体験なんかもぜんぜんない。そんな発掘能力もゼロなんですけれども、たとえば岩佐美咲。まだまだこれからの歌手じゃないかと見られていそうだけど、ぼくが聴きはじめたのは2017年の2月だ。みなさん、その数年前から応援し続けてきていた。そんななかのおひとりが手ほどきしてくださったのだ。

 

 

未知の才能を見抜き発掘する才もなければ、時代の流れにリアルタイムで乗る才もないぼく。そんなチャンスがなかったわけじゃないと思うけれど、そもそも向いてないんだね、音楽へのそんな接しかたに。ぼくには無縁な聴きかたなんだろう。できない。どうしたらできるかわからない。するつもりもなくなった。今後のことはわからないけれども。

 

 

だから、あれだなあ、半田健人っていうひとがいるでしょ。まだ若いのに(20代だっけ?)日本の古い歌謡曲の世界に精通しているっていう彼。ぼくの音楽狂ぶりは、そんな半田くんのああった姿に通じるものかもしれない。自分は生きていない時代の、過去の、音楽だからこそ夢中になれているっていう、それでディグしまくって詳しくなってしまい、しまいにウンチクを語りはじめるっていう、そんなありよう。

 

 

半田くんがどうかは知らないんだけど、ぼくは自分のそんなありようをたいへんもどかしく感じ、なんとか遅れを取り戻したい、巻き返したい、先輩がたに追いつき追い抜きたいという、そんなある種の焦燥感にずっと駆られてやってきている。この焦りは、だからコンテンポラリーな流れをつかもうというほうにはちっとも向かわず、ひたすら古い音楽の同時代性みたいなことばかり考える方向へ行っているんだよね。

2019/02/22

アメリカ南部のブルーズと英国トラッド 〜 レッド・ツェッペリンで

 

 

もっともこれはブルーズじゃなくて、ゴスペル・ソングだけどね。でも『プレゼンス』での初演以来、レッド・ツッェペリンはブルーズとして扱ったきたというのが事実。それに実際、第二次世界大戦前のギター・エヴァンジェリストの世界は、弾き語りブルーズと(歌詞内容以外では)差がないんだしね。だから、「ノーバディーズ・フォールト・バット・マイン」もブルーズみたいなもんだろう。

 

 

それをジミー・ペイジ&ロバート・プラント名義のアルバム『ノー・クォーター』(1994)では、お聴きのとおり、ブリティッシュ・フォークの趣でやっている。これはこの CD 発売当初、ちょっとした驚きだった。渋い、渋すぎるとみんな言っていたけれど、これがいったいどういった試みなのか、いまだにちゃんと解明してある文章に出会わないから、ぼくが今日ちょっとやってみる。

 

 

ハーディ・ガーディのクレッシェンドで入ってくるイントロにドラムスが入り、アクースティック・ギター二本とバンジョーがからむというサウンド構成からして、完璧にトラッド・フォークのそれじゃないかな。ロバート・プラントは年齢のせいもあってかつてのようなハード・シャウトは不可能だが、可能だったとしてもここではそんなシンギングを抑えたはず。実際、ここでも落ち着いた表情を見せている。

 

 

こんなサウンド・メイクとシンギングを、さかのぼってレッド・ツェッペリン時代からちょちょっと拾って並べたのが、上のプレイリストだ。初期に集中しているのは当然だけど、意外にも『II』からの曲がない。『III』の B 面はもちろんそのままぜんぶ入れてある。そここそが、こんなトラッド・フォーク・ブルーズみたいな世界の、ツェッペリンにおける、最大の展開だったんだから。

 

 

ツェッペリンにおけるトラッド・フォーク路線は、しばしばケルト神秘主義と結合していた。そんな合体と、さらにそこに、このバンドの特色だったメタリックなハード・ロック傾向を加味して昇華したのが、1971年リリースの四作目だね。やはり A 面ラストだった「天国への階段」で完成を見たと考えていいんだろう。ただし、この名曲はトラッド・フォーク・ブルーズといった趣はやや弱くなっていて、その前の「限りなき戦い」のほうに、個人的には大きな魅力を感じる。

 

 

ファースト・アルバムにあった「ブラック・マウンテン・サイド」は、もちろんバート・ヤンシュが伝承曲「ブラック・ウォーター・サイド」を弾くそのギター・パターンをそのまま拝借してタブラを足しただけ(で自作とのクレジットだったんだよな〜)のものだけど、ヤンシュはアン・ブリッグズからこの曲を教わったらしい。アン・ブリッグズの世界は『レッド・ツェッペリン III』B 面にもかかわっていそうだね。

 

 

『III』B 面に来て、「ギャロウズ・ポール」はやはりトラッド・ナンバーだけど、後半はややロックっぽいハードさもある。プラントもシャウト気味になっているし、そのあたりはややいただけない。最後までじっくり淡々と進んでほしかった。がしかしこの伝承曲(レッドベリーがオリジナルだとか、レッドベリー・ヴァージョンを下敷きにしたとかいう文章も見るが…)をとりあげたということじたいに、ある種の強いアプローチを読み取れる。

 

 

「タンジェリン」「ザッツ・ザ・ウェイ」「ブロン・イ・アー・ストンプ」と自作ナンバーが続くけれど、ソング・ライティングにはあきらかなトラッド・フォーク/バラッドからの影響が聴けるよね。アン・ブリッグズの影みたいなことはこんな部分にもある。ツェッペリンがアンのファンだったことは間違いないんだから。ところで、失恋をテーマにした「タンジェリン」って、本当にいい曲ですねえ。

 

 

『III』のラスト「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」は、最も鮮明にはブッカ・ワイトのやる「シェイク・エム・オン・ダウン」を参照している、というかそのまんま。ブッカはアメリカ南部の弾き語りブルーズ・マン。「ハッツ・オフ」も、基本はブルーズ・ソングなのだ。伴奏はアクースティック・ギターでの(ブルージーでもない)スライド・プレイのみ。

 

 

アメリカ南部のブルーズをとりあげて、それを「ギャロウズ・ポール」「タンジェリン」「ザッツ・ザ・ウェイ」「ブロン・イ・アー・ストンプ」に続けて、サウンド・メイクもまるで UK トラッド・フォークみたいにした「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」のことは、なんだかみんな嫌いらしいんだけど、考えてみたら1994年の「ノーバディーズ・フォールト・バット・マイン」へ続く道が敷かれていたんだね。

 

 

英国の&英国由来の(アメリカにも伝わった)伝承バラッドの世界は、あんがいアメリカ南部産のブルーズの世界と密接な関係がある。かのマディ・ウォーターズのレパートリーのなかにも「ローリン・ストーン」みたいな非黒人ブルーズ的というか、民謡っぽい曲があったりするし、ブルーズ・メン、ウィミンもよくやる「スタッカリー」なんかも伝承の物語歌、つまりバラッドなんだよね。アメリカ南部に伝わったバラッドというかお話は、黒人白人の共有財産だったものも多いし、たいていフォームもリズムも明確でない。

 

 

ブラインド・ウィリー・ジョンスンのやった「ノーバディーズ・フォールト・バット・マイン」は、ブルーズではなくゴスペルだけど、彼が録音する前から代々伝わってきていた民謡的な物語歌であったのは疑いえない。主にアメリカ南部で歌い継がれてきていたものをピック・アップしてレコードにしただけだ。

 

 

そんなことのルーツに英国産バラッド、つまり UK トラッド・フォークの世界があるのかもしれない。「ノーバディーズ・フォールト・バット・マイン」のジミー・ペイジとロバート・プラントがどこまで意図して掘り下げ読み込んで解釈したのかわからないが、一流音楽家ならではの直感的洞察だってあったと言えるのかもしれないよ。

2019/02/21

マイルズ『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』はアルバム・プロダクションがいい

 

 

マイルズ・デイヴィスのオリジナル・クインテット1955年初録音を含むコロンビア盤『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』(1957)を Spotify でさがすと、このレガシー・エディション(2007)しかないようだ。追加分は無視してオリジナルどおりの全六曲で話を進めたい。そうすると、大評判となってマイルズのイメージを決定づけた表題曲だけじゃなく、アルバム全体がかなりよくできているなとわかる。

 

 

コロンビアとしても次世代スターとして目をつけプレスティジから引き抜いたマイルズの、レギュラー・コンボでのコロンビア・デビュー作なんだから、スカウトにしてプロデューサーだったジョージ・アヴァキャンだけでなく、みんな気持ちを入れて制作にあたったんだなあと、全体を通して聴くと鮮明なんだよね。

 

 

この、アルバムとして全体的によく考え抜かれている、トータル・プロダクションがいいということは、アルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』についてはあまり言われたことがないので、今日ぼくが書いている次第。だいたいさ、ジャズ・ミュージックって演奏家の力量やアド・リブ内容ばかり言われて、トータルなサウンド・メイクとかプロダクションとかは大部分のファンも専門家も無視か軽視してきている。よくない傾向だ。

 

 

それでも代名詞的な一曲とコロンビアも考えたセロニアス・モンクの「ラウンド・ミッドナイト」をアルバム・オープナーに持ってきているのは当然だ。その内容について繰り返すことはもはやない。2曲目以後の流れを聴いてほしいんだよね。しかもアナログ・レコード時代の片面三曲づつという構成、曲順だって、ていねいに練りこまれているじゃないか。

 

 

2曲目が「アー・ルー・チャ」。テーマ部が二管ユニゾンでもハーモニーでもマイルズの独奏でもなく、ディキシーランド・ジャズふうにホーンの二名がからみあいながら進むという、モダン・ジャズにしては珍しい手法だけど、マイルズはたぶんジェリー・マリガンのコンボを参照したのだろう。チェット・ベイカー参加でマリガンが似たようなアンサンブルを試みていた。マリガンは『クールの誕生』セッション時からのマイルズの盟友じゃないか。こころなしかフィリー・ジョー・ジョーンズのドラミングもにぎやかで楽しい。

 

 

フィリー・ジョーのドラミングは、というかリズム・セクションの演奏は、次の3曲目「オール・オヴ・ユー」でも典型的にそうだけど、一番手マイルズの背後では2/4拍子のオン・ビートで演奏、しかもドラマーはブラシでおとなしくやって、二番手ジョン・コルトレインのソロになった途端4/4拍子でにぎやかになるっていう、おなじみのやりかた。ボスの指示なのかバンドでの自然発生的なものなのかはわからないが、まず最初マイルズがオン・ビートで吹き出しているのはたしかだ。

 

 

こういったことは、プレスティッジの諸作でもよく聴けるものだけど、録音はこのコロンビア盤のほうが早いんだよね。いつごろこのスタイルをマイルズが、あるいはこのレギュラー・クインテットが、確立したのかは、もっと前の時期の音源からじっくりたどってみないとわからない。音源の絶対数が少ないけれどもね。まぁファースト・クインテット結成前にはあまり聴かれなかったスタイルには違いない。

 

 

三番手レッド・ガーランドのソロでの右手シングル・トーンでの玉もいい「オール・オヴ・ユー」で、レコードでは A 面が終わり。ここで盤をひっくり返して B 面の「バイ・バイ・ブラックバード」になるけれど、その出だしのレッドのピアノ・ブロック・コードによるイントロ部がぼくは本当に好きなんだよね。パッと世界が明るくなったみたいで。

 

 

A 面はやっぱり「真夜中あたり」が代名詞だから、なんだかんだ言って片面通して夜の雰囲気だけど、B 面に来て夜が明けたかのような、なんだか幕が上がって朝になり光が当たったみたいな、なんだかそんなムードがするなあと、むかしからぼくは感じている。つらいこと、悩みごと、暗い気分はさようならといったような「バイ・バイ・ブラックバード」では、マイルズもいいが、やっぱりレッド・ガーランドのソロ内容がとてもすばらしい水を得た魚。

 

 

5曲目、タッド・ダメロンの「タッズ・ディライト」にしたって喜び爆発みたいな明るさで、ここではこの時期に珍しくコルトレインのソロもなかなかいい。たぶんこのアルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』で聴けるトレインのソロのなかではいちばんじゃないかな。また、一曲を通し、フィリー・ジョーがときどきリズムにアクセントを付与しているのもおもしろい。ちょっぴりだけのポリリズム?ただのお遊びだろうけれども。

 

 

続くアルバム・ラスト「ディア・オールド・ストックホルム」は、マイルズ自身1952年にジャッキー・マクリーン参加でブルー・ノートに録音している。そっちはひたすらこの曲の哀愁感を強調したような演奏内容だったのに比し、この1956年コロンビア・ヴァージョンではリズム面での探求に重きが置かれ、湿った情緒を消し、乾いて硬質な感じの演奏に仕上げているのが興味深いところ。

 

 

こんな六曲を、AB 両面に三曲づつ割りふってこの曲順で並べたジョージ・アヴァキャンのプロデュースぶりは、やはり見事だったというしかない。すばらしい仕事だし、マイルズ・デイヴィスというニュー・スターの実質メイジャー・デビュー盤にふさわしいトータリティを持ったアルバムだ。

2019/02/20

一枚一曲

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一日一善じゃないけれど、音楽アルバム一枚につき一曲でも二曲でもいいものがあれば幸いじゃないだろうか。というのがぼく個人の考え。というより信念なんだけどね。きわめて個人的なものだから、この見解をひとさまにあてはめて考えようとか押しつけようなどとは微塵も思っていない。自分のなかでだけ、これをいろんなアルバムに適用している。

 

 

もともといろんなアルバムから一曲単位で抜き出してマイ・フェイヴァリット・コンピレイションを作成する性癖のある人間で、これは高校生のころからずっと変わらずそう。そのまま約40年が経過しているけれど、マイ・ベスト・セレクションを、まず最初カセットテープで(この時代がいちばん長かった)、次いで MD で、それから CD-R で、最近は物体でなく Spotify などのプレイリストとして、もうず〜〜っと作ってきているんだよね。

 

 

ってことはだ、商品としてお店で売っている音楽アルバムは、一枚(とか二枚組とか)全体が完璧ですべてがすぐれた曲とか自分好みのものばかり並んでいるなんてことは少ない、まずありえない(からベスト・セレクションを作る)と、直感的に高校生のころから知っていたということにもなるねえ。

 

 

ちょうどその高校終わりごろか大学生のころか、どなたかジャズ専門家のかたの文章で、一枚のアルバムにちょっとでもこれはいい!と思えるものを一個でも見つけられればもうけものと思わないといけません、とあったのを読み、うんうんそのとおり!と心からうなずけたのだった。そう、まさにこれこそ<アルバム>というものに対する個人的見方なんだよね。

 

 

アルバムを一個のトータリティとしてみなす、たぶんそんな考えが世間で一般的なんじゃないかと思うけど、たかだか1960年代なかごろに実現しはじめた概念だ。レコーディッド・ミュージック全体の歴史からすれば、まぁそれがいつまで続くのか、今後も何千何百年と続くのかわからないが、2019年時点では、かなり歴史の浅い考えかただ。アルバム=トータル・ワークというとらえかたはね。

 

 

ぼくはそんなものをぜんぜん信用していない。アルバム album っていうくらいなんだから、それはもともとかき集めたものっていうことだ。それがトータルで見てダメな曲がひとつもないなんてことのほうがまれじゃないかな。逆に言えば、ちょっとくらい石が混じっていたって、そんな程度のことでそのアルバムを評価できないなんて考えはじめたらオカシイ。本末転倒だよね。

 

 

それにあれだ、ずっと前に書いたけど、音楽は一曲単位の文化だというのがぼくの強い信念なんで、これは片面一曲単位である SP 時代の音楽にのめり込んできたからという理由もさることながら、最初から LP レコード時代にその形式で用意・発売された音楽作品でも曲ごとに抜き出して聴くっていう、そんな発想がぼくの芯奥にしっかりある。

 

 

もうひとつは、LP レコードを買うようになる前の思春期、テレビの歌番組で日本の歌手たちに夢中だった事実も大きいかもしれない。歌番組ではふつう一曲単位で披露されるし、それがきっかけで45回転のドーナツ盤(片面一曲)もわりと買った。モダン・ジャズの LP に没入して人生が激変したけれど、音楽への接しかたの根本は、そのもっと前に土台が築かれていたのだと、最近は思い出すようになっている。

 

 

山本リンダ、ジュリー(沢田研二)、山口百恵、キャンディーズ、ピンク・レディー 、その他 〜〜 こういった歌手たちがジャズにハマる前のぼくの耳を奪い、口と身体をも動かして、脳のなかにも沁み(染み)ついていたんだよね。彼らはアルバムも出すけれど付随的で、シングル盤こそが活動のメインだ。あれっ?なんだかサザン・ソウルの世界?

 

 

ともかく、アルバムはただの集合体、寄せ集めただけのものにすぎない。そこに(本来的に求めるのはおかしい)完成形みたいなもの、トータルでのなんらかの意味を読み取ろうとするから、ムダなものダメなものが含まれていると一枚としては評価できないなんていうおかしな考えに至るのだ。幸い、ぼくはそんな妙なものに取り憑かれてはいない。

 

 

もちろん、偶然に、いや必然でもいいんだけど、結果的にトータルで完璧なアルバムに仕上がっていれば、それは文句なしにすばらしいことなんで、ぼくだってうれしいんだから、そこを否定したい気持ちなんてぜんぜんないよ。それに越したことはない。

2019/02/19

マイクロフォン出現前のアメリカン・ミュージック

 

 

アメリカン・ポピュラー・ミュージック録音史におき、1925年ごろの電気マイクロフォンの登場は決定的転換点だった。それまでのアクースティック録音時代のスター歌手のほぼ全員がこれを乗り切れず姿を消した。生き残ったのはアル・ジョルスンとクリフ・エドワーズくらいなもの。そしてそれ以上に、音楽レコードの歴史が1910年代あたりから語りはじめられることが多く、それ以前のことはまるで歴史に存在しなかったかのような扱いになっている。

 

 

中村とうようさんのオーディブック『アメリカン・ミュージックの原点』(1994)は、そんな現状の打破を試みたものだ。ぼくはこの1994年盤を知らない。親しんでいるのは、改訂版ともいうべき CD 二枚組ライス盤の同題『アメリカン・ミュージックの原点』(American Music in the Beginning)だ。2005年のものを持っているが、2012年にリイシューもされたようだ。

 

 

このアルバム・セットでとうようさんが示そうとしたことは、大きく分けて二点ある。ひとつはマイクロフォンが出現し電気録音が一般化する前の歌手たち 〜 のほぼ全員が忘れられつつあった 〜 の歌とはどんなものだったのかということ。特にビリー・マレイにフォーカスが当たっている。もうひとつは初期のアメリカン・ダンス・ミュージックで、特にワン・ステップ(=ラグ、とその土台たるリールとカリブなど)が重要だということ。この二点がそれぞれ二枚のディスクに割り振られて音源が収録され解説が書かれている。そういうわけで CD1には歌を、CD2には楽器演奏ものを、それぞれ収録してある。

 

 

『アメリカン・ミュージックの原点』CD1と CD2は、そんなに密にからんでいるかどうかぼくにはわからないので、今日は別々に切り離して話を進めることにする。CD1のヴォーカル篇。書いたようにとうようさんはビリー・マレイ(その他)に大きな光を当てている。電気マイクの前で歌うようになってから、アメリカ人歌手はそっとささやくような小さくて細い声での歌唱でも通用するようになったが、それ以前は発声のナチュラルなパワフルさが必要だった。

 

 

しかしビリー・マレイらは、クラシック声楽のオペラ歌手みたいな歌唱法ではなく、もっと自然かつ素直に声を出して、それでなおかつ声がよく響きわたるような、そんな声の出しかた、歌いかたをした。しかもわざとらしさも体裁も気負いもなく、開放的なヴォーカル表現法をとっていた。こういったことは、二曲収録のビリー・マレイだけでなく、『アメリカン・ミュージックの原点』CD1収録の歌手たちみんなに当てはまることだ。レン・スペンサー、エイダ・ジョーンズ、ハリー・マクドーナ、コリーヌ・モーガン、バート・シェパードなどなど。

 

 

なかでもぼくの耳を強く惹くのは、CD1で14曲目、アル・ジョルスン「私の人生をメチャメチャにしたスペイン人」と15曲目、バート・ウィリアムズ「ノーバディ」、17曲目、フランク・ストークス「ノーバディーズ・ビジネス」だ。ジャズ寄りの歌手なら20曲目、クリフ・エドワーズ「魅惑のリズム」なんか、ものすごい。絶賛のことばしか浮かばない。ともかくマイクがないわけで、ヴォーカルの録音も生音をそのまま針に落とすしかないんだから、声の持つナチュラルな魅力がそのまま出る。つまり<つくりもの>ではない 〜 電気マイク出現後のクルーナーたちの歌をつくりものと呼びたいわけじゃないので 〜 ホンモノの存在感がここにある。CD で聴くぼくにも伝わってくる。

 

 

ビリー・マレイだけ、収録の二曲をちょっとご紹介しておこう。

 

 

「ヤンキー・ドゥードル」https://www.youtube.com/watch?v=6mKZes-hAgE

 

「はい、バナナは売り切れです」https://www.youtube.com/watch?v=9mkbYaUh8E8

 

 

また、ぼくをとらえて離さないバート・ウィリアムズの「ノーバディ」も。これはライ・クーダーがアルバム『ジャズ』のなかでとりあげてカヴァーした。バート・ウィリアムズは黒人ヴォードヴィリアン。深い内省をこめたこのバート独自の歌は、いつ聴いても泣きそうになってしまうもの。

 

 

 

サッチモことルイ・アームストロングよりも先にちゃんとスキャット唱法を録音していたクリフ・エドワーズ「魅惑のリズム」(1924)もご紹介。曲はガーシュウィンが書いたスタンダード・ナンバーだけど、ウクレレを弾きながら歌うステージ芸人的なクリフのこのシンギングも絶賛するしかないものだと思う。特にスキャットが炸裂する後半部は苛烈にすんばらしい。圧倒的。

 

 

 

こんなにおもしろい歌手たちがいっぱいいた電気マイク登場以前のアメリカン・ミュージックのレコード界だけど、ディスク2のダンス・ミュージック篇のことも書いておこう。収録の25曲がほぼすべてインストルメンタル・ミュージックで、わかりやすく初期アメリカン・ダンス・ミュージックのありようが示されている。

 

 

とうようさんの論旨は、電気マイク以前のアメリカン・ダンス・ミュージックの最大の流行はワン・ステップで、その土台にアイリッシュ移民が持ち込んだリールのリズムとカリビアン・ビートがあり、それはダンス形式としてはワン・ステップだけど曲としてはラグタイムであると、まあおおざっぱに見てこんな感じにまとめられるかな。

 

 

ラグタイムと書くとピアノ音楽と反射的に思ってしまうけれど、そうではない。スコット・ジョプリンらがああいったたくさんの曲を書く前から、ラグは(主にアメリカ南部に)ひろくあって、それは主にバンジョーなどで演奏されていた。それらの根源は民衆の生活のなかにあるフォーク・ラグだったのだ。フォーク・ラグから各々の演奏家がピック・アップし、最終的にはピアノでやるラグタイムとなって流行したが、それとは別にいろんなラグがあった。ブルーズ・シンガーらがよくやったギター・ラグもそのひとつ。

 

 

ラグのリズム感の土台に、ってことはビートの効いたダンサブルなアメリカン・ミュージックの根底に、19世紀のアイルランド移民が持ち込んだリールがあるというのがとうようさんの説で、これはぼくもほぼ全面的に同意。これは論理とか頭で考える理屈じゃない、音を聴けば皮膚感覚で納得できるものだ。『アメリカン・ミュージックの原点』CD2だと1〜4曲目にヴェス・L・オスマン「ワラの中の七面鳥メドレー」、ブラックフェイス・エディ・ロス「ロスのリール」、マイクル・コールマン「シャスキーン〜ジャガイモ袋」、ウィル・イーゼル「ウェストコースト・ラグ」が連続収録されている。

 

 

このうち、3曲目のマイクル・コールマンはアイリッシュ・フィドラーで、演奏しているのもスライゴー・スタイルのリール。どうです、このスウィング感!アイルランド伝統音楽のリズムなんだけど、そのままアメリカン・ミュージック・ビートの土台になっているのは明白ではないだろうか。19世紀のアメリカにはアイリッシュ移民がとても多かったんだよ。

 

 

 

CD2収録順に、たとえばこのウィル・イーゼルの「ウェストコースト・ラグ」を聴いてみてほしい。これは典型的なピアノ・ラグライムで、しかも自動ピアノのロールの再現とか近年の再録音とかじゃない、1927年の当時のレコードだ。もはやラグタイムの流行は終わっていた時期だけど。

 

 

 

カリビアン〜ラテン・ビートのシンコペイションも、アメリカン・ダンス・ミュージックの大きな屋台骨だ。それはラグタイムが、基本、アメリカ南部の音楽で、近接するカリブ海のリズムと密接な関係を持っていたから。『アメリカン・ミュージックの原点』CD2には、9曲目、スーザ楽団の「ラ・パローマ」や10曲目、ジェリー・ロール・モートンの「ティア・ホァーナ」といったアバネーラや、さらに15曲目、ベニー・モーテン楽団「黒のルンバ」、16曲目、デューク・エリントン楽団「南京豆売り」が収録されている。あんがいなじみが薄いかもしれないスーザの「ラ・パローマ」だけご紹介しておく。

 

 

 

『アメリカン・ミュージックの原点』CD2では、その前後、ブギ・ウギ、ジャグ・バンド、ワルツ、クレツマー、ポルカといった、アメリカン・ダンス・ミュージックの基本となった要素が次々と紹介されながら、オーラスの25曲目にはリングリング・サーカス専属楽団の「サーカス音楽メドレー」(High Ridin' - Jungle Queen - Roses Of Memory - Stop It)が収録されている。これは、マーチ、オリエンタル・トゥー・ステップ、ワルツ、ワン・ステップと、めまぐるしくリズムが変化するメドレーで、19〜20世紀のアメリカ民衆音楽を網羅したような内容。

2019/02/18

岩佐美咲「恋の終わり三軒茶屋」とカップリング四曲を聴く

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去る2019年2月13日に発売された岩佐美咲のニュー・シングル「恋の終わり三軒茶屋」。三種の CD に収録されているものを整理すると、新曲「恋の終わり三軒茶屋」と、カップリングのカヴァー曲が四つ「あなた」「別れの予感」「恋の奴隷」「お久しぶりね」となります。全五曲、ようやくしっかりと CD で聴けましたので、ぼくなりの感想をちょちょっと記しておきます。

 

 

オリジナル楽曲「恋の終わり三軒茶屋」は、いわゆる演歌ではありません。いちおうは演歌歌手という看板で活動している美咲ですが、キャリア初期から、わりと軽めの歌謡曲路線や J-POP テイストな感じはありました。主にカヴァー・ソングでのことですが、オリジナル曲でも「もしも私が空に住んでいたら」みたいな名曲がありましたよね。

 

 

しかし今回の「恋の終わり三軒茶屋」は、いままでのそれらどの美咲とも違っています。演歌ではなく歌謡曲テイストな楽曲というのは美咲自身も言うとおりで、それだけならいままでにもあったんですが、今回の新傾向はラテン・リズムを活用した跳ねるフィーリングを持っていて、しかもそれが快活陽気な雰囲気ではなく恋の切なさ、哀しみを表現するための媒介となっているということです。

 

 

「恋の終わり三軒茶屋」が跳ねる、つまりシンコペイションをともなうラテン・リズムだというのは聴けばわかることなんですが、実はまったく同じリズムを持つものが、いままでの美咲のなかにたったひとつだけありました。2013年のファースト・アルバム『リクエスト・カバーズ』2曲目の「つぐない」です。いうまでもなくテレサ・テンが歌った曲。

 

 

「つぐない」でも「恋の終わり三軒茶屋」でも、表現する楽器こそ違え、ひっかくようにしゃくりあげるこのリズム・シンコペイションのパターンは同じです。ぼくの勝手な想像ですが、今回の新曲プロデュースにあたり、過去の美咲を総ざらいした可能性があるかもしれないです。それで「つぐない」のこのパターンはなかなか魅力的だから同じパターンで新曲をやってみようじゃないかと。

 

 

お持ちのかたは、ぜひちょっと連続再生してみてください。「恋の終わり三軒茶屋」と『リクエスト・カバーズ』の「つぐない」。ねっ、同じでしょ。しかも「三茶」のほうはちょっぴりタンゴっぽくもありますよね。

 

 

あるいは、こういったラテン、というかはっきり言えばキューバ音楽ふうなリズム・ニュアンスを持つ歌謡曲はとっても多く、日本歌謡界の最大潮流といってもさしつかえないほどなんで、だから美咲の新曲がこうなっても特段どうっていうことないとも言えます。まあ実際ホント多いですよね。みなさん意識せずに耳に入れていると思います。

 

 

美咲の新楽曲「恋の終わり三軒茶屋」のぼくにとっての最大の魅力はこういった部分なんですね。テレサ・テン路線で、しかもラテン・テイストな、すなわち「つぐない」と同傾向であるっていう、そんなところです。リズムの色彩感がたまらなく大好きです。またさらに、テレサといえば、今回の美咲の新発売曲のなかには「別れの予感」がありますよね。

 

 

これはラテン・テイストな曲ではありませんが、別な意味でとても新鮮です。というのはさわやか J-POP みたいだなあとぼくは思うんですよ。テレサの歌だから J-POP じゃなく歌謡曲なんですけど、美咲ヴァージョンのフィーリングはきわめて21世紀的な最新 J-POP ソングにしあがっていると感じています。ちょうどあのあたりの歌手たちの…、あ、いや、具体名をあげることはよしておきますが、シンガー・ソングライター系の J-POP 歌手に近い「別れの予感」と言えます。

 

 

「恋の終わり三軒茶屋」と同系の楽曲は、今回、「恋の奴隷」と「お久しぶりね」ですね。二曲ともラテンな跳ねるリズム・シンコペイションを持っていますからね。美咲自身の心性は S じゃないのかと勝手に思っているぼくですが、それで真性ドM 女の告白みたいな「恋の奴隷」を歌うのはなかなかおもしろいですね。いや、リズムのフィーリングがマジでいいんです、この奥村チヨの曲は。

 

 

小柳ルミ子(ぼく好み)の「お久しぶりね」では、リズムの跳ねかた、シンコペイションが一層強調されていますね。美咲の今回の新発売五曲のなかでの白眉、出色の一曲がこれではないでしょうか。ホント〜に魅力的。特にサビに入って「もう一度、もう一度」と歌う部分は、現場ではパパンと手拍子できるもので、そのほか手拍子を裏拍で入れたり休符を入れたりしてリズムに陰影を付けられるのが最高に楽しいのです。

 

 

残る「あなた」はご存知小坂明子の曲。今回の五曲のなかではいちばん傾向の異なる、熱唱歌い上げ系ですよね。この曲、しかし熱愛カップル向けみたいに思われているような気がしますが、よ〜く歌詞を聴いてください。あなたが「いてほしい」「それがわたしの夢だったのよ」「愛しいあなたはいまどこに?」となっていますよ。つまりそこに至るまでの、ハッピー・ライフを綴ったような部分は、女性主人公の(失われて叶うことのない)妄想なんですなぁ。

2019/02/17

抒情的な、どこまでも抒情的な、レー・クエン 2018

 

 

 

(ぜんぶ聴けます)

 

 

ここのところレー・クエン(ヴェトナム人女性歌手)は、ずっとだれかのソング・ブックを歌っている。一枚の新作につき一人といった具合で。いつからそうなったんだっけ?2014年作『Vùng Tóc Nhớ』がヴー・タイン・アン曲集だったあたりから?もう忘れちゃったけど、この路線でほぼずっと来ている。しかもその2014年作を最後に、CD パッケージが豪華なトール・ボックス仕様となった。

 

 

2018年新作『Trịnh Công Sơn』ではさらに、前作同様、一曲につき一枚づつ歌詞が印刷された綺麗なポスト・カードのようなものが封入されていて、それにはレーの美しい姿もプリントされたカラフルさで、(CD パッケージ全体も)豪華で贅沢のひとこと。『Trịnh Công Sơn』は12曲だから12枚。なかにはここで歌われている作家の写真を見上げているショットもある。

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2018年新作『Trịnh Công Sơn』で取りあげられた作家はチン・コン・ソン。そのままアルバム題になっている。このこともずっと続いている傾向だ。続いているといえば最大のものは、レーのこのあまりにも濃厚で抒情的な歌い口だ。これこそレーをレーたらしめている最大の特長。このおかげで、悪く言えばどのアルバムも同じ重苦しさに聴こえ、いっぽうファンにとっては変わらぬ情け深い味わいを楽しめて極楽となる。

 

 

サイゴンで活動したチン・コン・ソンには反戦歌などプロテスト・ソングみたいなものもあるそうだけど、レーがそういった歌をやるわけないので、2018年作『Trịnh Công Sơn』でとりあげているのは、もちろんラヴ・ソングばかりだろう。ヴェトナム語の歌詞の意味は聴いてもわからないが、そうに違いないというフィーリングは、聴けば全世界が納得する。

 

 

2014年作以来ずっと変わらないレーのこの濃厚抒情歌謡路線、ヴェトナムではボレーロと称される種類のもので、必ずしもキューバやスペインのボレーロと関係なさそうだけど、同国の女性歌手がこんな感じのラヴ・ソングを雰囲気を出してやっているのをくくってそんな言いかたになっているのだろう。レーの2018年作『Trịnh Công Sơn』でも同じ。

 

 

この重たく湿度の高い空気感、高域よりも中低域で漂ってひきずるようにフレーズをひっぱりまわす歌いかた。レーはなにも変わっていない一貫性で、ぼくみたいなレーのファンはこれが聴けたら大きく安堵のため息をつき、この世界観にどっぷりと身をひたすことができ、快感だ。反面、苦手とするかたがたは苦手だろうなあ、こういったちあきなおみのような濃厚抒情歌謡世界は。

 

 

このへんはたんなる好みの問題だから、いい悪いなんてない。ぼくはレーのこのハスキーなアルト・ボイスが低音域中心で重たく湿って漂うように歌いまわすのがたまらない好物なんだ。気持ちいいんだよね。でもこの2018年作、軽いラテン・タッチだってなかにはある。たとえば7曲目「Dấu Chân Địa Đàng」はわりと鮮明なラテン・リズムを使ってある。

 

 

それでも軽妙な感じにはつながらず重たいまななのがレーのレーらしさだけど、ぼくは好きだよ、こういった持ち味とフィーリングと表現法。ラテン・リズムはほかにも随所で(隠し味的にでも)活用されていて、はっきり言えばキューバの特にアバネーラと、ブラジルのボサ・ノーヴァのふたつの応用だけど。う〜ん、この二種の全世界的拡散浸透力には驚くねえ。

 

 

全体的には、やはりやや大げさな大映の昼ドラのサウンドトラックみたいなレーの2018年作『Trịnh Công Sơn』なんだけど、「サイゴン暮色とでも言いますか、抒情と憂いが混じり合ったようなチン・コン・ソンのスロー・メロに乗せ、ゆったりと弧を描くような歌声を、いつものあの節まわしを、独特なアルト・ヴォイスで聞かせる」(© エル・スール原田さん)ということになるだろうか。クオリティの高さは安定して維持しているしね。

2019/02/16

すばらしく完璧だった岩佐美咲、新曲発売イヴェント、2 days in 東京

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2月13日に発売されたばかりの岩佐美咲の新作 CD 三種類はもちろん(たくさん)買っています。ですが、まだちっとも聴けていません。なぜならば、発売キャンペーンに馳せ参じるべく、2月12日から都内のホテルにいるので、部屋に再生装置を借りてくるか、聴ける場所に CD を持っていくかしないとダメなんです。でも、キャンペーンの現場 BGM で延々ループ再生状態なので、すでにすっかり聴いちゃったような気分なのがいけませんねえ〜。

 

 

すでに聴いちゃったようなといえば、でも実際そうなんです。それも美咲のなま歌でね。とくに美咲ファンじゃないかたもお読みになる可能性をふまえ、いちおう書いておきます。美咲のニュー・シングル「恋の終わり三軒茶屋」が、ついこないだ2019年2月13日に発売されました。美咲のためのオリジナル新作曲「恋の終わり三軒茶屋」と、カップリングで四曲「別れの予感」「あなた」「お久しぶりね」「恋の奴隷」が収録されています。

 

 

それで発売記念のイヴェントというかキャンペーンがどんどん行われるわけですが、そのうち最初の二日間、四回に参加したというわけです。今回はなにかあるぞと、1月26日のソロ・コンサートで新発売予定の五曲を聴いたときから、なんらかの勘が働いていました。それで急遽参加しなくちゃ!という気持ちになったのです。これに行かずしてどれに行く!?とね。以下は現場におき自分でメモしたセット・リストです。

 

 

2月13日

 

・音のヨーロー堂(浅草)

 

1. 鯖街道

 

2. 瀬戸の花嫁

 

3. お久しぶりね

 

4. 恋の終わり三軒茶屋

 

 

・アキバ・スクエア(秋葉原 UDX)

 

1. 無人駅

 

2. 恋するフォーチュンクッキー(演歌 ver)

 

3. 別れの予感

 

4. 恋の終わり三軒茶屋

 

 

2月14日

 

・音曲堂(小岩)

 

1. 鯖街道

 

2. 東京のバスガール

 

3. あなた

 

4. 恋の終わり三軒茶屋

 

 

・タワー・レコード浦和店

 

1. 初酒

 

2. 虹をわたって

 

3. お久しぶりね

 

4. 恋の終わり三軒茶屋

 

 

まだ聴けていないんだから新作 CD の話はできません。がしかし、新曲発売にあわせ都内や近郊で行われている岩佐美咲のキャンペーンの初動に駆けつけて、実際に美咲のなま歌で、「恋の奴隷」以外をすべて体験できましたので、その姿を記しておくとします。いやあ、マジほ〜んとすんばらしかったんですよ〜。やはり年に一回の(カウントされる)ソロ・コンサートと、それからこれも年一回の新曲発売記念イベントは、美咲自身の気持ちが乗っていますね。すばらしさがまったく違います。

 

 

結論から言って、上記16歌唱はほぼすべて完璧な絶品でした。こないだ1.26のソロ・コンサートのへんから実感していたんですが、美咲は最近グンと大きく成長しました。どこにそれを感じるかというと、なによりもその声の質です。いままではわりとアイドル出身歌手らしい素直なキュートさがメインだったと思うのですが、2.13、2.14に聴いたら、可愛らしさはそのままなんですが、大人らしい落ち着きと色気と艶と張りと伸びがグンと増していました。

 

 

しかも、ナチュラルさはまったく失っていないどころか、そんな自然体歌唱法にいっそう磨きがかかったという印象の二日間でした。特にワン・コーラス終わりで声を伸ばしながらスーッとデクレッシェンドしていくあたり、これ以上ない声の美しさでした。過去楽曲で大きな進歩を聴かせ(だから、いままでのヴァージョンでは物足りなく感じてしまうと、ホテルの部屋で聴きながら思っています)、新発売楽曲ではまだ聴いていないので楽しみがふくらみました。いやあ、ここまでの歌手になっているとはねえ。

 

 

歌唱技巧という点でも、もはや現在の日本歌手のなかでもトップ・ランクにまで到達しているのは間違いないと、これも二日間で実感しました。まず、計16歌唱、音程を外すということが一瞬たりともありませんでした。ライヴでですよ。ふらつきやあいまいさすらぜんぜんなく、あらゆるすべての瞬間でピッチが正確でした。いくら美咲でもなま現場ではいままで揺らぐこともあったのです。それがきれいに消えていました。

 

 

音程がきわめて正確なばかりか、たとえばワン・コーラスの歌い終えで高音部になるとき、あれはファルセットに移行しているときがあると思うんですが、「思うんですが」というのは、一瞬そうとは気づかないんです。これはすごいことですよ。地声とファルセットはふつうの歌手では声の色が異なりますからね。ところがこの二日間の美咲は、ファルセット移行時に声のトーンをほぼ変えずに、きわめてスムースにすっと上昇するのです。最高級の巧さじゃないでしょうか。美咲を聴き慣れていないかたなら、ファルセットだと気づかないと思います。

 

 

2.13、2.14では、フレイジングにも特に誇張も強調もなく、抑揚も大きくなく、ふつうに歌メロをナチュラルに歌っていて、だからわざとらしさがぜんぜん感じられず、きわめて素直で自然なフィーリングで美咲は歌っていました。それなのに、客席にいるぼくたち聴き手のメンタルにこれ以上ないしっかりした印象を残すあざやかさだったんです。こんな芸当ができる歌手が、いま現在の日本で、ほかにいるのでしょうか?美咲こそナンバー・ワンじゃないでしょうか?

 

 

昨年11月の四国での歌唱イヴェントの記事を書いた際、やはりこういったなま歌現場ではアピールしないといけないから気持ちが入って、フレイジングを工夫してやや大きめに抑揚をとったり表情が豊かになるんですね、という意味のことを書きました。しかしこの二日間、2.13、2.14ではまったく違ったイメージです。現場でのなま歌唱であるにもかかわらずナチュラル・メイクな(あるいはすっぴん?)歌表現で、素材(歌)のよさをそのまま活かすように自然に、ある意味軽くすっと声を出し歌っていましたからね。

 

 

そんな軽くすっと出した声に、あんなキラキラした色艶がこもっているのですから、これはもう、岩佐美咲という歌手本来の持ち味がそこまで上昇している、歌手として大きく成長しているというなによりの証拠じゃないでしょうか。ぼくはそう考えています。今2019年に入ったあたりから美咲は変貌しました。成長を遂げました。巧さと表現力に深みをグンと増しました。

 

 

観客の反応からもそれはわかりました。たとえば浦和でのイヴェントは、店内の小スペースでのもので、タワレコさんも営業中で関係ないお客さんもたくさんいるということで、いつものようにレスポンスできず、「わさみん」コールはなし、掛け声もほぼなし、拍手も控えめで、というものでしたが、美咲が歌い終えると、オオォ〜という反応が客席に自然に湧き、思わずという感じで自然発生的に拍手が起こっていましたからね。すなわちいつもの<応援>ではなく、歌があまりにもすばらしすぎたため拍手してしまうという感じだったんです。2.14 タワレコ浦和店での美咲は神がかっていましたねえ。

 

 

こんな美咲の歌の姿、2.13、2.14と二日間で計四回16歌唱聴けた岩佐美咲こそ、この歌手の真の姿、真のすばらしさなのか、しかもそれが普段着なのと思うと、愛媛に住んでいてなかなか足を運べないぼくはなんだか悔しい思いすらありますが、ここまで見事な美咲を聴いちゃったら、またちょくちょく、は無理にしても可能な範囲で上京せざるをえないでしょうね。やはりホーム・グラウンドでの歌はリラックスした状態で声のよさがすっと出せるんでしょうね。そんな気がしました。

 

 

さあ、もうすぐホテルをチェック・アウトしなくてはなりません。自宅に戻って新発売の CD 三枚を聴くのがおおいに楽しみです。特に「恋の奴隷」(奥村チヨ)はなま歌で聴けませんでしたしねヾ(๑╹◡╹)ノ。

2019/02/15

パリのブラウニー(3)〜 歌こそは君

 

 

(今日の文章は定説をなぞっただけになりましたので、お読みいただく価値はありません)

 

 

『ザ・コンプリート・パリ・セッションズ Vol. 3』の聴きどころは、やはりなんたって大半を占めるワン・ホーン・カルテットもの。それを Spotify でさがすと、これまたマスター・テイクしか見つからなかった。がしかしそれでじゅうぶんかもしれないね。ブラウニーほどの天才でも別テイクでさほどの差は聴けないからだ。じゃあチャーリー・パーカーみたいなのは天才というよりやっぱり分裂症?これは関係ない話だった。

 

 

ブラウニー1953年パリ・セッションのハイライトは、おととい書いたようにぼくのなかではビッグ・バンドによる「ブラウン・スキンズ」2テイクスなんだけど、一般的にはこのカルテット演奏六曲こそ白眉だろう。朗々とブラウニーが吹きまくるジャズ・トランペットの醍醐味をこれでもかと満喫できるんだから、ぼくだってこの見方に異論はない。

 

 

1曲目「ブルー・アンド・ブラウン」出だしの無伴奏パートから、はやくもこのブリリアントな音色がきわだっているが、その後リズムが入ってきてからでも、あるいはこのパリ・セッションに限った話じゃないけれどいつでもブラウニーのサウンドは、歯切れいい。きわめてよすぎると言いたいくらいなもんで、ちょうど滑舌良好なアナウンサーの実況でも聴いているような快感。ブラウニーのばあい、たぶん、タンギングが見事だからなんだろうなあ。

 

 

「ブルー・アンド・ブラック」は自作ナンバーだけど、このワン・ホーン・カルテットのセッションでは、このときの一連のパリ・セッションズの音楽監督だったジジ・グライスがいないためコンポジション/アレンジで頼れず、したがって有名スタンダードを選曲しているのもかえってなじみやすいところ。このへんもカルテット・セッションの人気が高い一因だね。

 

 

2曲目「アイ・キャン・ドリーム、キャント・アイ?」も文句なしだが、ぼくが好きなのはその次の「ザ・ソング・イズ・ユー」。これはたんにジェローム・カーンの書いたこの歌のことが大好きだからっていうだけのことかもしれないんだけど。それをブラウニーみたいなトランペット・シンガーがやってくれて、うれしいってだけかもね。でも、すごくいいじゃん、この演奏。まったく一毛の破綻もなし。完璧すぎる。

 

 

ファンが多いのは、その次の二曲「カム・レイン・オア・カム・シャイン」「イット・マイト・アズ・ウェル・ビー・スプリング」だよね。たしかにこのふたつも文句のつけどころがない。特にリチャード・ロジャーズの書いた後者かな、あまりにも見事な歌心の権化ぶり。まさに歌こそは君。これはブラウニーのためにあることば。

2019/02/14

パリのブラウニー(2)〜 あんがいビックス的な

 

 

(『ザ・コンプリート・パリ・セッションズ Vol. 2』をネットで探すと、マスター・テイクしか見つからないです)

 

 

ところで、ジジ・グライスのやわらかいアルト・サックス・サウンドって、クリフォード・ブラウンのトランペット・サウンドとの相性がとてもいいと思う。ブラウニーらのパリ・セッションのお膳立てをしたのは、ライオネル・ハンプトン楽団の公演で彼の輝かしいトランペット・サウンドに感動したアンリ・ルノーだったとのこと。アンリはセッションにも参加し活躍しているが、ジジをくわえたのは大正解だった。音楽監督役をお願いしたということもあったろうけれど。

 

 

そんなことが『Vol. 2』の大半を占めるセクステット録音でもよくわかる。「マイノリティ」でも「サルート・トゥ・ザ・バンド・ボックス」でも、ブラウニー&ジジ・グライスの二管の響きがとてもいい(六人なのはリズム隊が四人なため)。テーマ演奏部のアンサンブルはどうってことない気がするが、ソロ・パートになり、まずジジが出て、二番手でブラウニーが出た瞬間に世界が輝きはじめるのだった。むろん、ジジのソロだっていいよ。

 

 

1953年10月の録音だけど、ブラウニーはすでに文句の付けどころがぜんぜんない。完璧に完成されている。唇や舌を使う技巧にしてもそうだし、音色だってブリリアント、そしてフレイジングはどの曲のソロでも歌心満点で、しかも、前日も書いたようによどみない。スラスラと、あまりになめらかすぎると嘆きたくなるほどスムースかつ自然にソロ・フレーズが組み立てられている。しかも微細な部分までデリケートに神経が行き届いている。

 

 

ここまでのジャズ・トランペッターが史上ほかにいたのか?と問われれば、たったひとり、1920年代後半のサッチモ(ルイ・アームストロング)がその上を行っていた。こっちのほうはいまやほとんどだれも言わなくなってしまったので、声を大にして再度強調しておきたい。1925〜28年のサッチモを超えうるジャズ・トランペッターなど、出現しえない。

 

 

それはいい。パリのブラウニー。『Vol. 2』では、たとえば「マイノリティ」なんかもかなりいいよね。これは曲がいい。というか特にコード進行の流れと、イントロ部のリズムが魅力的。イントロ分でラテン・リズムが使ってあるのは、ブラウニーの初録音、1952年、クリス・パウエル楽団での二曲を思い出すようなところ。でもパリでの「マイノリティ」ではイントロが終わってテーマ演奏部になると4/4拍子になってしまう。

 

 

ところがそうなったら今度は中近東音楽ふうなトーナリティを感じるようなコードとメロディ展開で、それはソロ部において必ずしも活用されていないが、なかなかおもしろいんじゃないだろうか。ジジとブラウニーのソロもよく聴かせる見事なものだ。三つのテイクがあるんだけど、全体的にはやっぱりマスター・テイクがいいかなという気がする。ブラウニーのソロだけに絞ればテイク2のほうがいいかも。

 

 

「サルート・トゥ・ザ・バンド・ボックス」のテーマ演奏部ではジジのアレンジもかなりいい。ブラウニーのソロにはやはりケチの付けどころもまったくなし。「ストリクトリー・ロマンティック」のようなラヴ・バラードふうのもの、やはり急速調の「ベイビー」なんかでもスーパーだ。また、この二曲ではテーマ演奏部におきブラウニーとジジが、二管アンサンブルではなく、からみあいながら進むあたりのアレンジも楽しい。こういうのを聴くと、最初に書いたようにこの二名の音色はよく混ざり合う相性のよさがあるなあと実感する。

 

 

オーケストラでの二曲「クイック・ステップ」「バムズ・ラッシュ」と、ジャム・セッションの「ノー・スタート、ノー、エンド」のことは、具体的には省略するけれど、ここでも聴けるブラウニーのトランペットの味は、ある意味、ビックス・バイダーベック的でもあるなと思うんだよね。音色の面では似ていない(ブラウニーもやはりサッチモ系のマチスモ)が、フレイジングの組み立てや、それからパキパキポキポキっていう、このなんともいえないアタック音、それがビックス(系コルネット奏者)にとてもよく似ている。

 

 

つまりは、ブラウニーって、ジャズ・トランペット界の先輩偉人たちのいいとこ取りだったなあって思うんだ。究極の完成形っていうかね。そんなところも、パリ・セッション二枚目でわかる。

2019/02/13

パリのブラウニー(1)〜 茶褐色のテーマ

 

 

ライオネル・ハンプトン楽団在籍時のクリフォード・ブラウンらが、1953年秋の欧州ツアーの際にパリで行なったセッションのいきさつなどについてはいくらでも文章があるので、ぼくが繰り返す必要などない。もしご存知ないかたもパパッとネット検索してみてほしい。ぼくが現在持っている CD 三枚(バラ売り、なぜセットにしない?)は、1997/98年リリースの BMG France 盤で "original vogue masters” と銘打ってある。一日一枚づつ取りあげてメモしておこう。

 

 

Vo.1 はビッグ・バンド編成のものとセクステットでのものがほぼ半々づつ収録されているが、個人的には前半部を占めるオーケストラ録音のほうが好きだ。っていうか正直に言ってしまえば冒頭の「ブラウン・スキンズ」2テイクスで決まり。ブラウニーのパリ・セッション三枚ぜんぶでこの2トラックスこそが最大の好物で、評価の高いカルテットものよりも断然「ブラウン・スキンズ」なのだ。

 

 

どうしてここまで「ブラウン・スキンズ」が好きなのか。いくつか理由があるように思う。まず曲題がいい。本人の苗字と黒人であることのふたつにひっかけたシャレだけど、なんともいえずすばらしい。このタイトルだけで絶対いいぞ!とおおむかし直感して聴いたらビンゴだったよ。それはそうと関係あるのかないのか「ブラウン」って、カリブ海方面の音楽というか曲にわりと頻用されることばだけど、音楽における<ブラウン・テーマ>とか考えてみたらおもしろそうじゃない?だれかやってくんないかなあ。'Brown Skin Girl' とか 'Brown Street' とか、いっぱいあるよ。'Ebony Eyes' も同系かな。

 

 

それはいい。ブラウニーの「ブラウン・スキンズ」ふたつ。マスターも別テイクもどっちも出来がいい。前半部がスローに漂うような夜のしじま。ここはまるでグレン・ミラー楽団の一連の「セレナーデ」ものによく似た雰囲気だ。こんなことだれも言わないっていうか、グレン・ミラー楽団とか、マトモなジャズ聴きはまず100%スルーする(と村井康司 @cosey さんがおっしゃっていた)から、ピンと来ていただけないはずだけど、間違いない実感。

 

 

この「ブラウン・スキンズ」前半部の<セレナーデ>ふうスローな夜の徘徊部でも、ブラウニーのトランペット・サウンドが輝いている。ブリリアントの一言。まるで暗闇の幕にサッと光が当たるかのよう。しかも中盤でファンファーレみたいなブラス・サウンドが咆哮し、アップ・ビートが効きはじめ急速調になってからは、歌心が全開で、しかも超なめらか。よどみないとは、まさにブラウニーのためにあることば。一音の躊躇もゆるぎもなく、湧き出て止まらない泉の水のごとくブラウニーがソロを吹く。ジジ・グライスのアレンジもいい。それは前半部のセレナーデ・パートでもそうだった。

 

 

こんな完璧な「ブラウン・スキンズ」ふたつがアルバム冒頭にあるもんだから、『ザ・コンプリート・パリ・セッションズ Vol. 1』では残りの曲が、実際かすんでしまうね。ブラウニーをフィーチャーしているかどうかだって、「ブラウン・スキンズ」では全面的にだけど、3曲目以後は部分的にだから、そりゃあどうしたって分が悪いよなあ。ぜんぶ無視したい。

 

 

がそうもいかないので、いままでみなさんが無視してきているか、ばあいによってはこのパリ・セッションのいきさつに関係して嫌悪なさってきているかもしれないことを、一個だけ付言しておく。それは当時のボスだったライオネル・ハンプトンのその楽団は、1953年のほんのちょっと前まではジャンプ・バンドだったということ。それはリズム&ブルーズにも直結していた音楽だった。

 

 

ブラウニーの『ザ・コンプリート・パリ・セッションズ Vol. 1』4、5曲目「キーピング・アップ・ウィズ・ジョンジー」後半部で、リズムがボンボンと大きく跳ねるところをちゃんと聴いてほしい。ぼくに言わせりゃ、その部分こそ、この曲における最大の聴きどころで、前半のブラウニー/アート・ファーマーのかけあい部よりもそこのリズムなんだ。

 

 

特にドラマーのアラン・ドーソンが、特にスネアで表現していると思うんだけど、それに合わせるように管楽器隊も粘っこいうねりを聴かせているじゃないか。そこではソロをジジ・グライスそのほかが吹いているが、ジャンピーなアレンジはもちろんジジの手になるものだ。

 

 

ボスに隠れてこそこそとホテルを抜け出して、ボスの楽団ではできないことをパリのスタジオでやった、というのが定説のブラウニーのパリ・セッションズだけどもさあ、なかなかどうして、ふだん着ている衣装を脱ごうたってそう簡単にはいかない、なんてものじゃなく、そもそもビ・バップとリズム&ブルーズは同じ母親から産まれた音楽じゃないか。母の名とは、すなわちジャンプ・ミュージック。

 

 

たんにブラウニーの見事さに感心していればいい録音集なんだけど、今日後半で書いたことはだれも言っていない重要事項だとぼくは信じている。ジョンジーって、ここに参加しているクインシー・ジョーンズのことなんでしょ〜。

2019/02/12

ジャズ・リスナーたちとヴォーカルもの

Billieholiday

 

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いわゆるジャズ・ファンというと(残念ながら)だいたいモダン・ジャズのファンなので、そこに話を限定すると、ヴォーカルものの聴きかたがすこしおかしいように思うことがある。こんなことは、ぼくが大学生だった30年以上前の、しかも多くのばあい男性ジャズ・ファンに限定されたことで、もうとっくに過去の遺物と化していると信じていたのだが、どうやらそうでもないようなので、ちょこっと短くメモしておきたい。

 

 

ジャズ・ファン(=モダン・ジャズ・ファン、と以下では断らない)の大半は、インストルメンタルものとヴォーカルものを分別して考えている。まあだからこれは、ビ・バップ勃興前までの古典ジャズをいかに聴いていないか、知りもしないかという歴然たる証拠だけど、それでジャズ・ファンと名乗っていいのかといぶかったりするぼくだけど、それはおいておこう。

 

 

ジャズ演奏家がよくやるスタンダード・ソングの数々。なかにはジャズ・オリジナルもあるにはあって、そういったものはジャズ・メンが最初から演奏用にと書いたものだから、歌うにはややそぐわない面もあるけれど、スタンダード・ソング・ブックの八、九割以上は、もともとポップ・ソングなのだ。すなわち、歌。

 

 

だから最初はだれかポップ・シンガーが歌詞のあるそんな歌を歌ったのがオリジナルなんだよね。それはメロディの動きを聴いてもわかることなんじゃないかと思う。いわゆる歌心があるっていうか、有機的な情緒があるメロディ・ラインだよね。楽器演奏のインプロヴィゼイションなんかでも「歌心」ということが言われたりするのは、アド・リブ・ラインがあたかも歌であるように流れているということだ。

 

 

アド・リブ演奏のラインが歌のように流れなくなったのは、ぼくの見るところ、ビ・バップ勃興によってだった。スケールを上下したりなどメカニカルなラインを演奏することが多くなった。これはなにも、歌心礼賛だとか、ビ・バップ以後のモダン・ジャズくたばれだとか、そんなことじゃない。特徴をぼくなりに考えて分析しているだけ。

 

 

あ、そうそう、ビ・バップ以前の、しかもヴォーカリストであるにもかかわらず、ビリー・ホリデイのヴォーカル・ラインはわりかしメカニカルに動くよね。ビリーも歌ったのはポップ・ソングなんだけど、この歌手のばあい、大胆(すぎる?)に原旋律からフェイクして、フェイクっていうより新メロディをアド・リブで生み出しながら、楽器奏者みたいに「歌って」いる。

 

 

このへん、モダン・ジャズのファンにもビリー・ホリデイだけはいまだに大人気であるという、その要因の一端が見えるような気がしてきたなあ。あるいは気のせいかもしれない。当時としては大胆な人種差別告発だった「奇妙な果実」によって、ある種のシンボルとしていまでも敬愛されているというだけのことかもしれないけれども。

 

 

ともあれ、歌とは有機的な、意味のある(まあ意味はどこにでもあるが)旋律を持っているもので、ここもモダン・ジャズ以後、歌心をあえて消して機械的にやるようなジャズ・シンガーたちも出てきはしたが、やはりぼくには魅力が薄い。歌は歌であってほしい。なんというか、ぼくの得意文句だけど、湿り気のあるリリカルさが歌にはほしい。

 

 

歌とは本来そういったものであって、ジャズのなかだけ、アメリカ音楽のなかだけ、で考えているからだんだんと自家中毒を起こしそうになるけれど、ほかの、世界の、いろんな音楽におけるヴォーカルものを聴いてほしい。アラブ歌謡でもオスマン古典歌謡でも、ラテン・アメリカのラヴ・ソングだって、東南アジアの、たとえばヴェトナムのボレーロ歌手たちだって、乾いて硬質なものはあまりない。湿って抒情的であるばあいが多いじゃないか。

 

 

ジャズ・ファンはジャズだけ特異視する傾向があるんだけど、だからそれもよくないと思う。ひろく音楽の世界を見れば、歌と楽器演奏とのバランスがとても大切だとわかるはずだ。どっちかだけにかたよるのはよくないことなんだよねえ。楽器演奏でメカニカルな技術を駆使しつつ歌はしっとりとやる、というのがぼくの理想型。どっちかだけっていうのは、それがいいと思うことがぼくもあるけれど、多くのばあい、おもしろくない。

 

 

だから、ジャズ・ファンの歌手に対する見方は、はなはだおかしいと言わざるをえない。その挙句、<歌姫>という表現に無意味に反感を表明したり、要するにとどのつまり、楽器演奏者こそ偉い、歌手なんてのは、まあしょうもないものだ、なんていうゆがんだ思考におちいってしまうのだろう。だから毎年末の『紅白歌合戦』のことなどもハナクソみたいに言うのだろう。

 

 

おかしいぞ、間違っているぞ、ジャズ・ファン。いろいろおかしいが、ここがいちばん意味不明だ。

2019/02/11

ルンバへようこそ 〜 パリ篇(2)

 

 

この二枚組 CD アルバム『ルンバの神話(パリ篇)』のジャケット写真になっているのがレクオーナ・キューバン・ボーイズ(Orquesta Lecuona Cuban Boys)。といってもヨーロッパ時代の大半はエルネスト・レクオーナと関係なし。その後もずっとそうだった。もちろんエルネストがかかわってキューバで結成されたオーケストラなんだけど、渡欧中の1933年末か34年頭に、このリーダーたるコンポーザー&ピアニストは病気でキューバ本国に帰ってしまった。その後のレクオーナ・キューバン・ボーイズのヨーロッパでの公演、録音活動にエルネストはいない。レパートリーこそ当初はエルネストの書いたものをやっていたようだけど、それもそのうちメンバー作曲のものが中心になる。

 

 

そんなわけで『ルンバの神話(パリ篇)』ディスク2収録の音源(1934〜37)にエルネストはぜんぜんいないわけなのだ。ちょっとややこしい。エスネストのいないパリでのレクオーナ・キューバン・ボーイズの統率者はアルマンド・オレフィチェ(ピアノ)。アレンジはオレフィチェかエルネスト・ハルーコ・バスケス(ギター)が書いたようだ。

 

 

『ルンバの神話(パリ篇)』ディスク2には、エルネストが書いた最大の名曲「シボネイ」や、また「タブー」「マリア・ラ・オー」「ラ・パローマ」といった超有名曲も収録されている。それら以外のルンバもすばらしいばあいが多い。ソンだってある。だけど、ぼくが最も胸ワクワクさせるのは、派手でにぎやかなコンガ(やそれに類するもの)の数々だ。コンガとはこれも楽曲形式のことで、打楽器のコンガのほうはトゥンバドールと呼ぶ。キューバでのカーニバル・コンガみたいなのが、本当に心から好きなんだ。

 

 

『ルンバの神話(パリ篇)』ディスク2では、イタリア出身の美声歌手アルベルト・ラバグリアッティが歌う甘いボレーロみたいなものだって、もちろん聴き惚れる。15曲目「クバカナン」、17「アナカオーナ」(かの有名サルサ・ソングとは異曲)なんか、絶品この上ないよねえ。また、パリにおける黒いヴィーナスだったジョセフィン・ベイカー(米セント・ルイス出身)との共演である18、19曲目なんかも、パリジアン・ルンバのハイライトのひとつだ。ジョセフィンは特に存在感がすごい。

 

 

それでもしかしぼくはにぎやかコンガやそれっぽいルンバのことが好きなのだ。しょうがない、好みの問題なんだから。それらで歌ったのはアグスティーン・ブルゲーラ(ドラムスも担当)であったばあいが多い。甘い美声のラバグリアッティとは好対照。またこの二名がともに歌って競っているような曲もゾクゾクするね。まあでも今日のぼくの話題はコンガやにぎやかルンバだ。

 

 

4曲目に「コンガをお聞き」(Oye la Conga)がまずあるが、これはおよそコンガらしくない、というかコンガじゃないだろう。これじゃなく7曲目「キューバのルンバ・メドレー」(Rumbas Cubanas)がまず最初に来るにぎやかで派手なルンバ・メドレーだ。これはオレフィチェが古い<偽アフロ音楽>としてのルンバをつなげて、しかも1930年代ふうのモダン・コンテンポラリー・ルンバに仕立て上げたワン・トラック。大好き。

 

 

 

9曲目に「ルンバ・タンバ」(Rumba-Tambah)が来る。こ〜れが最高なんだ。これは昨年書いた高橋忠雄さんの『中南米音楽アルバム(改訂版)』に収録されている。といってもそれは田中勝則さんの追加分だったけどね。ティンパニーか、ドラム・セットでいうフロア・タムみたいな音がずっと鳴ってリズムをつくっているが、レクオーナ・キューバン・ボーイズにはドラマーがいるので、やっぱりタムかな。野性的なブルゲーラがすばらしい。レーベルにはルンバ・ネグラ(黒のルンバ)とあり。

 

 

 

続く10曲目「グァヒーラ」は珍しくソンでこれは飛ばし、11「ハバナのコンガ」(Conga de la Havane)。このリズムの快活さは特筆すべき。打楽器群がにぎやかで楽しいったら楽しいな。これはエルネスト・バスケスの書いた曲みたい。思い切りにぎやかで、いいねえ。打楽器コンガ(トゥンバドール)そのほかが大活躍。コンサート・ステージでキューバのカーニバルを模した見せ物があったんだろう。

 

 

 

パリや、あるいはキューバからしてもエキゾティックというか、まあオリエンタリズムだけど、それでも芸能としては楽しい14曲目「モスレム・ルンバ」を経て、16「豚足とモツ」(Patica y Mondonguito)。これまたブルゲーラの独壇場で、楽しにぎやかなアフロクバニスモの体現。ちょっぴりだけサルサを先取りしたみたいなピアノを弾いているのは、曲も書いたモイセース・シモンスのゲスト参加。曲題はソウル・フードだから、まさに黒人系。

 

 

 

ジョセフィン・ベイカー参加のコンガ、19曲目の「ラ・コンガ・ブリコティ」(La Conga Blicoti)や、老いた母と息子の(港での?)別れを歌った、しかしにぎやかで楽しいコンガである22「ヴィーゴへ行く」(Para Vigo Me Voy)などを経て、プエルト・リコの大作曲家ラファエル・エルナンデスが書いた有名曲、24「カチータ」(Cachita)は、コンガというかにぎやか系ルンバなんだけど、珍しくブルゲーラではなくラバグリアッティが歌っている。

 

2019/02/10

ルンバへようこそ 〜 パリ篇(1)

 

 

1930年代の全世界的なルンバの大ブーム。それの重要拠点だったのがパリとニュー・ヨークで、といってもそもそも「ルンバ」ということばの定義からはじめないと、こりゃまたややこしいのだ。2017年に CD 二枚組で二種類リリースされた田中勝則さんのディスコロヒア盤『ルンバの神話(パリ篇)』『同(ニューヨーク篇)』の計四枚が参考音源。ルンバということばがなにを指すかについても、それらに附属の田中さんの解説文を踏まえ、まず書いておく。

 

 

ラテン音楽(だけじゃなくアメリカ合衆国音楽もそうだったのだが)のレコード・レーベルでは、曲のタイトルの横か下に楽曲形式名が記されてある。それがルンバとなっているものが今日の当面の話題なのだが、これはもちろんキューバ音楽の一種。ルンバがなにを指すかがややこしく、しかも時代を経て定義に変遷があったのでめんどくさい。

 

 

ぜんぶ書くとたいへんな長さになってしまうので、田中勝則さんの解説文に読める最新学説を踏まえた上で、ざっと「ルンバ」定義の現状だけ整理しておく。このことばの意味の歴史的変遷などについては『ルンバの神話(パリ篇)』附属のブックレットをご覧ください。

 

 

1)キューバでソンという音楽が流行する前の1920年代に、すでにルンバという形式名があった

 

2)そのルンバとは、のちの1940年代に出現し(ストリート・)ルンバとして知られるようになる、タイコだけで歌われる、かのアフリカ黒人系ダンス・ミュージックではない

 

3)ソンの台頭でいったんは衰退する

 

4)新しく生まれた音楽ソンの影響を多分に受けつつ、1930年代にリニューアルされた新ルンバが、アメリカ合衆国をはじめ全世界的に大流行する

 

5)そんなニュー・ルンバは、決してソンを水で薄めたような薄っぺらい音楽ではない

 

6)つまり、まずルンバあり、あいだにソンをはさみ、新世代ルンバとなり、それが海外で大ヒットした際、同じ「ルンバ」という名称を持った

 

7)その後、今度は本当にキューバの黒人たちがアフリカ音楽のルーツを直接的に受け継いだようなストリート・ミュージックが誕生し、それも「ルンバ」と呼ばれたが、別な音楽だ

 

 

さて、ニュー・ヨークが1930年代ルンバの一大拠点だったのはわかりやすいが、どうしてパリもそうだったのか?しかしこれもあんがいわかりやすい面があると思う。アメリカ合衆国と違ってキューバ人コミュニティなどなかったはずのフランスで、しかもおそらくはスペイン経由でパリに渡ったケースも多かったはずと推察されるけれど、ジャズ受容と評価の歴史をご存知のかたなら、世界で最も早くアメリカ黒人ジャズを評価し庇護したのがパリ人だったことを思い出されるだろう。

 

 

つまり、そんな土地だからってこと。有り体に言ってしまえば、ちょっとしたエキゾティズム、アフリカ系の文化などに興味を示し、促進したいと考えるパリジャンの体質みたいなものがあるかもなあと思うんだ。もっとずっと時代が下っての、かのいわゆる<パリ発ワールド・ミュージック>の時代のことも考えあわせれば、そんな資質をパリという大都市が持っているとわかりやすい。

 

 

実際、パリでキューバ人音楽家が初録音したのは、ニュー・ヨークよりも早かった。ニュー・ヨークでドン・アスピアス楽団が「南京豆売り」を録音したのが1930年5月だけど、パリでエドゥアルド・カステジャーノスのオーケストラが録音したのは、同30年の1月だったんだよ。そんな1930年がパリとニュー・ヨークを震源地とする世界的ルンバ・ブームの発祥年と見ていいだろう。

 

 

ディスコロヒア盤『ルンバの神話(パリ篇)』のディスク2は全面的にレクオーナ・キューバン・ボーイズなので、今日はそれ以前のレコードを紹介したディスク1に話題を絞っている。1曲目はまだそうでもないが、2曲目カスティージャノス楽団「私のタイコ」から俄然グッとわかりやすく明快なキューバン・ルンバになっている。ソンの痕跡も鮮明に聴けるし、エンターテイメント感覚にあふれたポップ・ミュージックとなっているんだよね。

 

 

3曲目、同楽団の「ルンバへの招待」(Invitacion A La Rumba、これが CD アルバム題ともなっている)からは、ポップな芸能感覚も強く打ち出すようになり、また曲題そのものだって、パリでルンバ・ブームを盛り上げよう、そのために…、という意識が鮮明に読みとれる。1932年のレコードだから、初録音から二年で、すっかりそんな機運ができあがっていたんだろうね。

 

 

6曲目ドン・バレット楽団「ベガン・ビギン」は、文字どおりマルティニーク音楽で、これはフランス人オーディエンスを強く意識したんだろう。ビギンはこのディスクにもうひとつ出てくる。キューバ人でありながらこういった音楽もそつなくこなすあたりに実力の高さがうかがえるよね。出来も明るい音楽で、聴いていてウキウキ楽しい。7曲目同楽団「マルタ」は名曲。

 

 

16曲目エリベルト楽団「シーソー」、17曲目オスカル・カジェ楽団「アリ・ババ」(どっちも1933年)あたりからやや雰囲気が変化しつつあるように思う。打楽器群がにぎやかで派手になり、リズムが色彩豊かで快活さを増しているように聴こえる。キューバ本国の政情と関係ありやなしやわからないが、とにかくこの1933年にはヘラルド・マチャード大統領が失脚している。マチャード政権はアフロ系打楽器の使用を禁止していた。

 

 

ともあれ1933年の「アリ・ババ」(ヘティ・クース・エンダンで知られるあの曲)らへんから、ぼくもよく知るいわゆるキューバ音楽になっているみたいだ。この曲のばあい後半部にリズム・ブレイクがあって、そこで派手な打楽器乱れ打ちになっているし、も〜う大好きでたまらない。キューバ本国ではまだまだマチャード派が残っていて反対派との衝突が激しかっただろうけれど、ここパリでは関係ない、パ〜ッとやろうぜ!って感じだったのかな。

 

 

20曲目からリコ楽団のレコードが続いているが、1910年ハバナ生まれで26年に渡仏しドン・バレット楽団に在籍していたフィリベルト・リコみずからが率いるバンドの成熟が、たぶん、この『ルンバの神話(パリ篇)』一枚目のクライマックスじゃないかな。最終盤のエリセオ・グレネ楽団の二曲とあわせ、パリにおけるルンバの成熟を実感する。特にディスク末尾の「夜のコンガ」(La Comparsa De Los Congos)なんか最高の名曲じゃないかな。ルンバというよりコンガだけど、山本リンダ「どうにもとまらない」がもう見えている…、っていっつもそこか〜い!

 

2019/02/09

2019年、いまこの時代に、スティーヴィの「風に吹かれて」〜 ディラン30周年コンサートより

 

 

ボブ・ディランのレコード・デビュー30周年を記念して1992年10月16日にニュー・ヨークはマディソン・スクウェア・ガーデンで行われたライヴ・コンサートの収録盤『ザ 30th アニヴァーサリー・コンサート・セレブレイション』。Spotify にはこれしかないのでリンクしたが、ぼくの持つ CD ヴァージョンで聴ける肝心要の部分がすっぽりカットされている。それは、おそらくボブ・ディランという音楽家、その歌がどれほどの意味を持つのか、この日の実況録音で最もクッキリと描き出した最重要箇所なのに。

 

 

それは4曲目「ブロウイング・イン・ザ・ウィンド」をスティーヴィ・ワンダーが歌いはじめる前のこと。Spotify ヴァージョンではいきなり歌からはじまっているかのように編集されているが、CD で聴ける当日の現場ではそうではなかった。歌の前に約二分間のスピーチがある。それはスティーヴィがピアノを弾きながらそれを BGM にしてみずからしっかり語りかけているものだ。

 

 

 

 

この YouTube 音源にあるフル・ヴァージョンでお聴きいただければ説明不要だけど、いちおう。スティーヴィは、この歌が長い長い時代をとおし同時代的な強い意義と重要性を放ち続けてきたと言い、1960年代、70年代、80年代、90年代と順に具体例をあげながらわかりやすく説明し強調している。公民権運動、ヴェトナム戦争、ウォーターゲイト事件、南アフリカのアパルトヘイトに対する抗議運動、などなど。

 

 

つまり、ボブ・ディランの「ブロウイング・イン・ザ・ウィンド」という曲が、時代と世界を超えた普遍性を持つもので、いまでも重要なのだとスティーヴィはピアノを弾きつつしっかり語ってから、ドラム・ロールが入って、いざ、「♪ハウ・メニー・ロ〜〜ズ♫」と歌いはじめる。だからこそ、その瞬間に鳥肌が立つんだ。中間部のハーモニカ・ソロも絶品。時空を超えた歌であるばかりか、音楽ジャンルをもまたいでいる。

 

 

このコンサートは1992年のものだからスティーヴィも90年代にまでしか言及できないが、いま21世紀、特にここ2010年代後半にぼくたちがリアルタイムで実感している人類の危機、人権軽視問題、それに向けてもボブ・ディランのこの「ブロウイング・イン・ザ・ウィンド」はとっても意義深い重要性を放っているように思うんだよね。いままたもう一度、思い出そうじゃないか。

 

 

いま、地球上のぼくたちがいったいどういった状況に置かれているのか、考えてみよう。そして、ボブ・ディランのこの歌が2019年にもどれほどの強いレレヴァンスを持っているのか、聴いて、かみしめたい。そんな契機には、このスティーヴィの、演奏前のスピーチ付きのヴァージョン「風に吹かれて」が最好適じゃないかなと思う。

 

 

『ザ 30th アニヴァーサリー・コンサート・セレブレイション』全体では、ボブ・ディランのソング・ブックをみんながとりあげたいろんなおもしろく楽しいヴァージョンがあるので、それはそれでまた機会を改めて書いてみたいと思っている。

2019/02/08

あしたはもっとよくなるさ 〜 カーティス・メイフィールド

 

 

結果的にカーティス・メイフィールドの遺作となった1996年のワーナー盤『ニュー・ワールド・オーダー』。不思議な肌ざわりのアルバムだ。諦観や絶望があるかと思えば、前向きの肯定感だってしっかりある。それらがないまぜになって、全体的にしっとり落ち着いたムードのアダルト・オリエンティッド・ソウルとでもいうか、そんなような作品だよね。常にワン・セットである死と再生をこれほどリアルに描きこんでいる音楽もなかなかない。そんなことに、1996年時点では、あるいはカーティスが亡くなっても、気づいていなかった。

 

 

どうしても歌詞の意味を沁み込ませるように味わいながら聴くということになってしまうカーティスの『ニュー・ワールド・オーダー』だから、あえてそこに拘泥しすぎることなく、サウンドやリズムや曲想、曲調のおもしろさ、魅力などについて私的なことをちょこっとメモしておきたい。そうであるからこそ、このアルバムから死と再生のテーマを汲みとることができるんじゃないかと思うし。

 

 

『ニュー・ワールド・オーダー』の全13曲は、基本、版権登録(の年がリーフレットにぜんぶ記載されてあり)されたばかりニュー・ソングだけど、三曲だけ古いレパートリーの再演がある。6「ウィ・ピープル・フー・アー・ダーカー・ザン・ブルー」(1970)、9「イット・ワズ・ラヴ・ザット・ウィ・ニーディッド」(1979)、11「ザ・ガール・アイ・ファインド・ステイズ・オン・マイ・マインド」(1969)。

 

 

これらみっつのうち、「ダーカー・ザン・ブルー」と「ガール・アイ・ファインド」はとてもよく知られているものだからオリジナル・ヴァージョンは云々の説明の必要がない。後者はインプレッションズ時代の曲で、歌詞が、うん、言わないと言ったけれども、マジでいいよ〜。沁みる。「ぼくの見つけた新しい女の子、魅力的、でも去っていっちゃうんじゃないかと心配、いままで全員そうだったんだもん、今度こそ…、本当に気になるなあ」って感じ。

 

 

それはいい。問題は1979年の版権登録と記載のある9曲目「イット・ワズ・ラヴ・ザット・ウィ・ニーディッド」だ。これはそのころ、カーティスかほかのだれかが録音してましたっけ?ないんじゃないの?すくなくともぼくは知らない。たぶんだけど、そのころ書いてカーティスがひそかに持っていたお蔵入りソングだったんじゃないかと思うんだ。新作アルバムのためにひっぱり出してきたのかもなあ。

 

 

その「イット・ワズ・ラヴ・ザット・ウィ・ニーディッド」でもそうだけどザップのロジャーらが参加しているのはこれもいいがそれよりも6曲目「ダーカー・ザン・ブルー」でのロジャーの活躍がめざましい。本当に見事な仕事をしている。「ダーカー・ザン・ブルー」では、カーティスのヴォーカル以外にロジャーしかおらず、すべての楽器をひとりで担当し、トラックをつくりあげている手腕にうなるしかない。

 

 

ここでの「ダーカー・ザン・ブルー」は、基本的に1970年のオリジナルに沿ったアレンジなんだけど、だから中間部でパッと雰囲気がチェンジしてにぎやかなパーティーみたいになっている。そのパートでロジャーはカーティスの声を含め、いろんな音や声をサンプリングしてコラージュし、売りであるトーク・ボックスの音も大胆に交えながら、聴きごたえのある中間部を創っているんだよね。すばらしい仕事だ。

 

 

それが終わってふたたび後半の落ち着いたパートになっても、実に淡々と心境を綴るカーティスのヴォーカルに、前半部同様トーク・ボックスでロジャーがからんでいる。それが実にいいエフェクトだ。ご存知のとおりの歌詞な曲なんで、ロジャーのあのトーク・ボックス・サウンドがいい陰影となっている。大成功じゃないかな。曲の終幕部でカーティスは「あしたはもっとよくなるさ」と歌って閉めるが、1970年のヴァージョンとはことばの意味が大きく異なっているよね。考え込むのはやめておく。

 

 

ぼくにとっての『ニュー・ワールド・オーダー』とは、こんな「ダーカー・ザン・ブルー」と、それから1996年当時はそうでもなかったんだけど「ガール・アイ・ファインド」が、最高に沁みるものだ。この二曲こそ個人的白眉。いやあ、たまりません、こんな二曲。泣いちゃうよ。

 

 

しっとり落ち着いたそれらだけじゃなく、快活でジャンピーなトラック、たとえばアリーサ・フランクリン参加の3曲目「バック・トゥ・リヴィング・アゲン」や、また5「ジャスト・ア・リトル・ビット・オヴ・ラヴ」、10「ザ・ガッド・デン・ソング」には、カリブ〜ラテンな空気がはっきりと漂っているのも、とってもいいね。大好きだ。特に3と10でエレキ・ギターがそこはかとなく3・2クラーベのパターンで刻んでいるのが印象に残るし、曲想もカリブふう。

 

 

最高に沁みる11曲目「ガール・アイ・ファインド」が終わったら、アルバム『ニュー・ワールド・オーダー』にはダークな幕が降りる。12「レッツ・ナット・フォーゲット」も13「オー・ソー・ビューティフル」も重く暗い。ヘヴィ・シリアス・ソウルとでもいったフィーリング。バック・トラックのサウンド・カラーとリズムがヘヴィでダウナーだと思うんだよね。

 

 

つまりさ、1996年の作品だけど、まるで2010年代後半の R&B みたいじゃない。ブルー&ダウナー。むろん、カーティス自身のおかれた状況がそういう音楽を生み出していたわけだけど。ちょっとおそろしい。

2019/02/07

メロディじたいにリズム感覚を内包するアイルランドのリールが好き!〜 ジェリー・オコナー

 

 

アイルランドのフィドル弾き、ジェリー・オコナーの2018年新作『ラスト・ナイツ・ジョイ』。こういった伝統的なアイリッシュ・フィドルが好きなんだとは以前から書いているし、一度はそればっかりを中村とうようさんがコンパイルした MCA ジェムズ盤の話もした。

 

 

 

この記事の出だしでも書いてある「アイリッシュ・フィドルを聴く快感。僕にとってのそれは、一言にすれば、猛烈なスウィング感、いや、ドライヴ感だ」ってこと。これはジェリー・オコナーの『ラスト・ナイツ・ジョイ』を聴いても抱く同感なのだ。そしてジャズ・ファンのぼくにとって、アイリッシュ・フィドルのスウィング感とは4/4拍子のリールのそれに魅力があるということになる。

 

 

ジェリー・オコナーの『ラスト・ナイツ・ジョイ』にあるリール・メドレーは1、3、8、11曲目の四つ。あ、いや、でもジグとかエアとかも魅力的だよなあ。まあ今日のところはリールに話を限定しておこうっと。それから7曲目はポルカだけど、このズンズンとフラットに進む4/4拍子系のスウィング感はリールのそれと共通するものだ。これら五つ、どれをいつどんどん続けて聴いても気持ちいい。大好き。

 

 

ジェリー・オコナーに限った話じゃないがアイリッシュ・フィドルの世界では、伴奏楽器があっても必要最小限で、しかも小さく控えめで地味だし、ばあいによっては独奏のこともあって、つまりあの4ビート・スウィングを生み出しているのはフィドラーひとりの演奏によってなのだ。それ一台で奏でるサウンド、たったそれだけがこの猛烈なドライヴ感を表現しているとは、上でリンクした過去記事でも書いたこと。

 

 

細かな音をズンズンと積み重ねるように、しかし歯切れよく演奏して、フレイジングじたいでスウィンギーさを出しているとわかる。右手に持った弓が弦に当たるそのタイミングや強弱、アタックなど、フィドル一台だけ聴けば、思わず踊り出しそうとなるほどのフィーリングがあると、ジェリー・オコナーのこの一枚でも聴いていただければみなさんご納得のはず。

 

 

実際、リールでもジグでも、アイルランドのこういった伝統音楽はダンス・ミュージックなのだ。現実にどんな踊りをしているのか知らないぼくだって、部屋のなかで思わずからだが動き、足踏みし肘や腕や手も動かしているんだもんね。ぼくのふだんの交通手段は50cc の原付バイクだから、そんなときにうっかり聴かないようにしないと命があぶない。

 

 

ジェリー・オコナーのアルバム『ラスト・ナイツ・ジョイ』ラストのリール・メドレー「オコナー4」。ここではフィドルが二台聴こえるので、クレジットされているドーナル・オコナー(息子さん)との合奏なんだろう。曲の一分過ぎあたりからそのユニゾン・デュオになり、またしばらくしてそこに同姓同名だが別人のジェリー・オコナーのバンジョーが参加、それが抜けてふたたびフィドル二台での合奏になり、そこにアコーディオンもユニゾンで参加して三台のユニゾン合奏になっているが、そのへんからのスリルと快感は、筆舌に尽くしがたい極上さだね。気持ちエエ〜!

2019/02/06

Spotify を活用してストレージ容量を節約だ

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こういったことは、Spotify を本格的に使うようになって約二年、自宅にいても出先でも旅行をしても、結局なにも変わらず同じように音楽が聴けて、しかも CD やインポート/ダウンロードしたファイルで聴くのとなにも違わない、聴きかたも受け止めかたも考えも、結果書く文章も、ぜんぜん変わりない、とわかってきたからなんだよね。だったなら…。

 

 

音楽 CD は相変わらずどんどん買うけれど、聴いていいぞと思っても iTunes にインポートしなくなったというのは2019年1月13日付で書いた。でもそれだけじゃあまだまだなんだよね。ぼくが現在メイン・マシンにしている MacBook Pro 内蔵 SSD のキャパシティは1TB。それの空き容量をちょっとでも増やしたい。だから、現在インポート済みのものでも Spotify で聴けるものはデリートしていきたい。だからたとえばマイルズ・デイヴィスなんかはほぼ全面的にぼくの Mac から消える。

 

 

これを着々と進めつつあるんだけど、だってさ、持っている CD ぜんぶは内蔵ディスクに入らないわけです。ほんの一部しか入らない。だから厳選して入れてあったけど、それでも1TB なんかでは不足なんだよね。困ってしまって、でもノート型 Mac のばあい(ぼくはノートブックにあらずんばパソコンにあらずとの思想の持ち主です)最大の内蔵ディスク容量のオプションにして買っても、1TB が限界だった。

 

 

昨2018年秋に MacBook Pro のニュー・モデルが発売され、最上位機種だと2TB の SSD を選べるようになった。あなうれしやと思ったが、このオプションを選択したばあい、合計金額が40万円を超えてしまうんだよね。40万ですよ。経済的に不可能な数字ではないけれども、やっぱりこれはムリっぽいなあ。

 

 

というのもいま使っている MacBook Pro は2014年10月に買ったものでずっと激しく酷使してきたから、そろそろニュー・マシンがほしいわけ。ところが、上段で書いたとおりな事情なもんで、内蔵ディスク2TB のオプションを行使して高額を払うか、そうでなければいままでどおり1TB か、あるいは512GB ならかなり安価。どうしようかなあ〜と考えているところなのだ。

 

 

そしてその冬12月末ごろから、以前より書いているが iTunes に CD からインポートするものが激減し、入れるのは Spotify にないものだけとなり、音楽生活が一変したんだよね。これがぼくにとっては大きな契機、転換点になりそうな気が、いま、している。iTunes にインポートするものは Spotify にないものだけとなると、内蔵ディスクの使用済み量は微増しかしないとわかった。

 

 

しかしそれでもやはり一定数はインポートする。しかも上で書いたように新しく買う MacBook Pro(Pro でない MacBook でもいいんだけど)の価格が高くなりすぎないようにしたいから、そのためには内蔵ストレージ容量を小さめにおさえるしかないんだよね。となれば、現在のマシンに入っている音楽ファイルのうち、Spotify で聴けるものは削除していけばいい。っていうかそれしかない、ぼくのばあい。

 

 

それにね、実際、最近そういったものは、もはや CD か Spotify でしか聴かないようになっているんだしね。マイルズもプリンスもアリーサ・フランクリンも、メディ・ジェルヴィルもパウロ・フローレスも、ニーナ・ヴィルチもアイオナ・ファイフも、可能な範囲におき Spotify で聴いている。むろんぜんぶ CD だって持っているし、それで聴くケースも多々あるが、 iTunesファイルはデリートして、ディスクの空き容量を増やしたい。

 

 

そうやって準備して、現行ストレージの使用済み量をミニマムにしておけば、いざ新しいマシンを買う際も、小さめのサイズの内蔵ディスクでいいとなるはず。Spotify で聴けるものを全削除しておけば、まだその作業は50%程度しか進行していないが、ひょっとしたら新購入のマシンでは512GB で充分となるかもしれないね。どれくらいになるのかは、作業が完了しないとわからない。

 

 

岩佐美咲をはじめ、Spotify では聴けない、CD で聴くしかないという音楽は、もちろん iTunes にインポートし続けますよ。でも、そうじゃないものはなるたけ Mac に入れないようにしたい。ぼくが音楽を聴くのは、まずもって CD で、だけど、それをどんどんインポートする生活とは、もうそろそろこのへんでおさらばしたい。

 

 

ま、なんだかんだいって、内蔵ストレージ容量に限界があるからしかたないというだけの話かもしれないんだけれども。

2019/02/05

カークを聴くべきロイ・ヘインズ・カルテット

 

 

ロイ・ヘインズ(なんと93歳現役!)の『アウト・オヴ・ジ・アフタヌーン』(1962、インパルス)は、なんてことない普通のモダン・ジャズ・アルバムだ。ローランド・カークが主役であるにもかかわらず、というか、ここは意外に思われるかもしれないが、きれいなメインストリーム・ジャズ作品。カークって、ただきれいに吹く主流派ですからね。それなのに、音を聴かずゲテモノ扱いしてイメージを定着させたのは、某岩浪洋三の罪だ。

 

 

ローランド・カークがあのリード楽器を複数同時にくわえていたり鼻で吹いたりといったああいった容貌とは裏腹に、出てくる音をしっかり聴けば、ふつうにきれいなだけの、だけっていうか、かなりしっかりした守旧派リード奏者なのはあきらかだろう。いまやこの見方が定着しているようで、うれしいかぎり。そんなカークをフィーチャーしたのが、ロイの『アウト・オヴ・ジ・アフタヌーン』なのだ。

 

 

実際、このアルバムの1曲目「ムーン・レイ」(アーティ・ショウ)を聴けば、カークが美に徹した演奏をしているとわかる。ひとり同時多重奏もやっているが、そうすれば音にふくらみが生まれ、きれいな旋律がよりいっそうきれいになるという計算のもとでのこと。曲じたいがもとからきれいなんだけど、それを最大限に活かすべく腐心して吹奏している。

 

 

それからこのアルバムのピアノがこれまたトミー・フラナガン。特に派手さ、きわだった美しさなどをことさらには表現しないひとだけど、ここでもツボを押さえた着実な演奏ぶりで、伴奏にソロにと活躍。ベースのヘンリー・グライムズは、このアルバムではまだまだどうってことない。リーダーのドラマー、ロイ・ヘインズは、ところどころでビートにアクセントやニュアンスをつけ、ふつうのメインストリーム・ジャズ演奏にアクセント、色彩感、躍動感、遊びをもたらしている。

 

 

2曲目が、日本ではアニメ『エヴァンゲリオン』で使われて再ヒットした「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」。ワルツ・タイムにアレンジしてあるが、カークがちょっとだけフリーキー・トーンを発する。ここではややとんがっているのかな。その他、ヘインズのオリジナル楽曲では、カークがすこしアウト気味に吹く場面もあり。それをほかの三人が抑制しているというか、まあカークもそんなにフリーキーな持ち味のひとではないですがゆえ。

 

 

それからカークはなにを吹いても音色がいいよね。エモーショナルで色艶があるように、音だけ聴いて感じることができる。ちょっとたまに情緒過多かも?と感じるときすらあるほどで、そんな強めのエモーションが漂っているところもぼく好みなところ。あくまで美しく美しく、もとの曲の味をこわさないようにていねいに演奏するカークだけど、そこに生々しい艶っぽさが混じるのがイイ。

 

 

アルバム5曲目「イフ・アイ・シュド・ルーズ・ユー」。だ〜いすきな歌だ。この悲哀に満ちた一曲を、やはりカルテットがふつうにきれいにやっているだけなのが好感の持てるところ。饒舌なカークは、ここでも音数多く吹いていて、まるで一時期のジョン・コルトレインを彷彿とさせるシーツ・オヴ・サウンドみたいにちょっとだけ。ガーシュウィンの「サマータイム」などを引用。

2019/02/04

エンリッキ・カゼスが案内するブラジルのカヴァキーニョの歴史

 

 

ぼくの読者さんでショーロやサンバ聴きのかたがたにはまったくもって説明不要の超有名楽器カヴァキーニョ。ところがそこから一歩離れるとまったくもって知られていない超無名のものかもしれないよなあ。やっぱり説明しておいたほうがいいのか。ポルトガルがかつて世界中を船で旅行していた時代に、植民地にした土地土地に(ギターやそれみたいな)弦楽器を持ち込んだのだが、そのうち単弦4コースのものも各地でいろんな名称となって現在まで演奏されている。

 

 

ギターみたいなかたちの単弦4コース楽器というと、たぶんハワイのウクレレが最もよく知られているはずだ。日本でもよく親しまれているので、これは正真正銘どなたにとっても説明不要。そのほか、同族楽器にインドネシアのクロンチョンだとか、またあるいはひょっとしてペルーのチャランゴなんかも同起源かもしれない。ポルトガルはブラジルも支配したので、当地で発展した単弦4コース弦楽器があり、それをカヴァキーニョと呼ぶ。ブラジル独自の音楽であるショーロやサンバでは必須。元来はリズム楽器で、ブラジル音楽のスウィングの源であるとまで言いたい。音域はギターのちょうど1オクターヴ上で、キラキラとした輝きを聴かせる。

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ブラジルにおけるカヴァキーニョは、なんたってショーロの世界で大発展を遂げたので、この楽器のことを考える際には、やはりショーロを念頭におくのが好都合。現在のブラジルにおける最高のカヴァキーニョ名人といえばエンリッキ・カゼス(ぼくの三歳上)だから、エンリッキの案内で分け入るのが好適なのだ。ってなわけで、エンリッキみずからプロデュースし演奏もやった CD アルバム『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』(Uma Historia do Cavaquinho Brasileiro、2012)の話を今日はする。

 

 

兄のベト・カゼスを含む四人編成コンボが基本となって録音されたこのアルバムは、いわく由来があるようで、もとはブラジルの石油会社ペトロブラスが顧客に配布するためにつくった12枚組ボックス・セット『Sons musica brasileira』の「カヴァキーニョ&バンドリン篇」のために録音されていたものらしい。それが市販されないこととなったので、エンリッキが音源の権利を持ち、新録音もくわえてまとめあげたのが『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』とのこと。その際には親交のある(オフィス・サンビーニャの)田中勝則さんもアイデアをお出しになったよう。

 

 

『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』、時系列を飛ばして、1曲目が「ブラジレイリーニョ」であるのはわかりやすい。ヴァルジール・アゼヴェードのこの曲(1949)こそ、カヴァキーニョ奏者にとって最大のシグネチャー・チューンだからだ。これをやったことのないカヴァキーニョ奏者はいないはずで、エンリッキも過去なんども録音している。このアルバムのものはまた気合が入っていて、細かくにぎやかな装飾をくわえながら華麗に弾きまくる。これがウクレレと同系楽器を演奏したものだとは、ご存知ないかたにはにわかに信じていてだけないかも。『カフェ・ブラジル』のも貼っておこう。

 

 

 

このライヴ・ヴァージョンもなかなかすごい。

 

 

 

『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』2曲目以後は、だいたい歴史順にカヴァキーニョ演奏の発展やショーロ史のなかでの役割変化、演奏法の変遷などをたどりながらエンリッキが実演してみせるといった具合に進む。ショーロ史そのものを、カヴァキーニョを通して、概観してみたという側面もあって、ある種のコンパクト・ショーロ・ヒストリーとしても楽しめる内容で、すぐれている。

 

 

2曲目「高い音色を奏でて!」(Cruzes Minha Prima!)は、19世紀後半のショーロ初期の偉人ジョアキン・カラードの曲で、フルート、ギター、カヴァキーニョという例の三つ揃えでの演奏。カヴァキーニョは脇役のリズム刻みに徹しているのが、ショーロ初期におけるこの楽器の本領だった。それでもこの独特の高音のきらめきは、アンサンブルに混じっても鮮明に聴きとることができる。まさにショーロの(ってことはブラジル音楽の)リズム・スウィングの源泉だった。

 

 

そんなリズム伴奏楽器だったカヴァキーニョで最初にソロを弾いたとされているのが、3曲目「田舎娘」(Roceira)のマリオ・アルヴィス。すでに現代ショーロにおけるカヴァキーニョ奏法の原型をここに聴きとることが可能だ。ネルソン・アルヴィスの4曲目「それはありえない!」(Não Pode Ser!)を経て、5曲目「ジンガンド」(Gingando)のカニョート。ベネジート・ラセルダ楽団のカヴァキーニョ奏者で、ここにおいてこそモダンなコンジュント・スタイルにおけるカヴァキーニョ奏法が確立された。「ジンガンド」でのエンリッキは伴奏とソロを多重録音で両方やっているが、伴奏カヴァキーニョのリズムのほうは完璧にカニョートへのオマージュだ。

 

 

6曲目「私のカヴァキーニョ」(Meu Cavaquinho)のガロート。このひとはカルメン・ミランダといっしょにアメリカ合衆国にわたり演奏活動をともにしたから、有名人のはず。それに続き、いよいよショーロ・カヴァキーニョ史上最重要人物かもしれないヴァルジル・アゼヴェードの登場となる。7曲目「デリカード」(Delicado)、8「カヴァキーニョと戯れながら」(Brincando Com o Cavaquinho)、9「永遠のメロディ」(Eterna Melodia)と三曲続く。

 

 

このへんが、ぼくにとっての『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』におけるクライマックス。なかでも、ガロートの「私のカヴァキーニョ」もそうだったが、「永遠のメロディ」とか、あるいはエンリッキの自作曲12「レアル・グランデーザ通り」(Real Grandeza)といった、スロー・テンポでしっとり泣く、まさにこれぞショーロ(泣く)というべきサウダージを聴かせるものが、ぼくは心底ホント〜に!だ〜〜いすき!

 

 

こういった音楽を全世界でさがそうとも、ブラジルのショーロ、あるいは室内楽的サンバ・ショーロ(ショーロふうサンバ)しか、ないと思うんだよね。この情緒。ぼくがショーロに惹かれているのもここなんだ。泣きながらしっとりゆっくりと歌っているような、しかしいっぽうでは楽しく二、三人でスウィングしたりするものもあり、かつそういうものには余裕もあり、さらにコミカルなユーモア感覚だって持ちあわせている。ユーモア・センスはスウィング感と一体化しているしね。

 

 

そんな音楽は、ショーロしかないと思うよ。

2019/02/03

タンボレーラはセンバだ!、いやコンガか! 〜 パナマの歌姫シルビア・デ・グラッセ

 

 

歌姫と書いたが、パナマのシルビア・デ・グラッセは決して歌わされる存在ではなかった。みずからの歌、音楽に自意識や自覚を強く持ってしっかり取り組んだ歌手で、その意味では、大嫌いなことばだけど "アーティスト” と呼ばれることがあっても不思議じゃない。中米の小国パナマは音楽マーケットも貧弱なため、シルビアも海外を移動しながら歌手活動を行なったが、それなのに常に母国パナマの歌をみずからとりあげて歌うということを忘れなかった。ビジネス上なかなかむずかしいことだったはず。パナマ音楽史上、不世出の、最高の歌手だろう。

 

 

そんなシルビアの歌を、昨2018年にディスコロヒアの田中勝則さんが一枚のアンソロジーにまとめてくださったのが『タンボレーラの歌姫』で、全25曲。録音時期が必ずしも判然としないのだが、田中さんの解説文によれば、初期録音を多く収録すべく心がけたとのこと。実際、幕開けの二曲は SP 時代のシルビア初録音で、はっきりしないけれど1930年代末ごろの歌だろう。アルバムの最後のほうは1960年代録音。

 

 

最初にズバリ。このディスコロヒア盤『タンボレーラの歌姫』で聴けるうちの最高傑作は、21曲目の「パナマのトナーダ」(Tonada Panameña)だ。こ〜れがも〜う、すごいんだ。タンボレーラはダンス・ミュージックなんだけど、かつ、この曲もまたメタ・フィクショナル。かねてより繰り返すように、すぐれた作品はメタ特性を帯びるという自説どおりの一曲を書いたのは、このころのシルビアの音楽パートナーにして、もとの LP レコードのプロデューサーだったダミローン(ドミニカ人)。

 

 

 

パナマの音楽タンボレーラは(アフロ系の)激しいダンス・ミュージックなんだけど、それと同時に、お聴きになればおわかりのように、哀愁感が強く漂って、聴くための歌謡音楽としても完成度が高い。まるでブラジル音楽でいうサウダージに通じそうなものかも。曲を書きプロデュースしたダミローンは、パナマ音楽の最も大切な部分を見事に汲みとっているし、歌うシルビアも気持ちが入っていて、両者あいまってここまで完成度の高い一曲に仕上がった。すばらしいことだ。

 

 

ディスコロヒア盤 CD『タンボレーラの歌姫』では、この前後、20〜25曲目が同じ LP からとったもので、どれも見事なものばかり。シルビア+ダミローンのコンビによるパナマ音楽タンボレーラの成熟と完成をここに聴けるし、パナマの全タンボレーラ史上で(といってもなにも知りませんが)これ以上の作品があったかどうか疑わしいと思うほどの輝きだ。特に21曲目「パナマのトナーダ」は最高の宝石。

 

 

アルバム『タンボレーラの歌姫』では、上で書いたようにまずシルビアの最初期レコードから幕開けしているのだが、そのへんを聴くと、アフロ系っていうか、なんというかワイルドで素朴。1曲目の「輪になって踊れ」(Hagan Rueda)なんか、打楽器しか伴奏していないもんね。+シルビアのリード・ヴォーカル&コーラスのコール&レスポンスで、まさしくアフリカン・ミュージックじゃないか。それはタンボリートと呼ぶ民俗音楽で、パナマの人口ではアフリカ系の比率も高いらしい。

 

 

そういうのが続くものの、4曲目「ホローンに上ろう」(Sube Al Joron)から、突如雰囲気が一変する。ここからの多くが大衆音楽タンボレーラなんだけど、まず目立つのがハモンド・オルガンのサウンド。それは13曲目まで一貫してシルビアの音楽を支配している。弾いているのがアベリーノ・ムニョス(パナマ人)。シルビアとの二人三脚で音楽創造にあたった。シルビアがニュー・ヨークに拠点を移すまでコラボが続く。

 

 

 

シルビア+ムニョスの録音は(主に)プエルト・リコで行われたそうだけど、常に母国パナマの音楽に立ち返るようにして、掘り下げて、歌い伴奏していたことは特筆すべき一点だ。いや、むしろ海外生活を続けていたからこそ母国の音楽伝統に素直に自覚的になれたということかもしれない。ともあれムニョスのオルガンがモダンで腕もよく、シルビアの歌も洗練の度を増し、曲全体でモダンなタンボレーラになっているのが見事。

 

 

9曲目「あなたにために」(Por Ti)なんかコロンビア音楽なんだけど、ムニョスのオルガンがビヒャ〜と入るだけでタンボレーラに聴こえるから不思議だ。この時期に来ればシルビアのヴォーカルは完成されていて、かわいくてチャーミングだけど、最高度の技巧を駆使しているし、クラシック声楽を学んだがゆえ身につけたのか、小鳥のさえずりのようなソプラノのハイ・トーン・スキャットも自在に操っている。

 

 

シルビア+ムニョスによるパナマ音楽追求の集大成なのが、ディスコロヒア盤 CD の10〜13曲目の四曲。田中勝則さんの解説文によれば、推定録音時期は1958/59年あたり。すべて内容は極上だけど、なかでも10「コサ・リンダ」(Cosa Linda)とか12「私はモレーナちゃん」(Soy Morenita)など、絶品。ムニョスのオルガン・ソロも一級品で、それがからんでいくシルビアのヴォーカルもチャーミングで迫力もあって、豪華で贅沢。それでいて、庶民派ダンス・ミュージックなんだよね。

 

2019/02/02

ブルーズ・ロックなセロニアス・モンクもいいよ

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ハル・ウィルナー・プロデュースの1984年盤(あれっ?その数年前のような気がしていた)『ザッツ・ザ・ウェイ・アイ・フィール・ナウ 〜 ア・トリビュート・トゥ・セロニアス・モンク』。モンクの死後二年が経過していた。現在 CD リイシューされているものをぼくも持っているんだけど、オリジナルの二枚組アナログ・レコードと比較して、大きく曲目が削られているし、曲順もかなり変更なのが残念だ。だがまあしかしレコードで聴くんじゃないかぎりこれしかないわけだから、ど〜こ〜言ってもしょ〜がないと、あきらめのため息。

 

 

そんなわけで全16曲の現行 CD に沿って話を進める。このうち、ジャズ・オーケストラ(を模した大編成バンド)・ピースがおもしろくないのはやや意外だけど、1984年当時からぼくのなかで変わらない印象。すなわち、7曲目「モンクス・ムード」(シャロン・フリーマン)、11曲目「’ラウンド・ミッドナイト」(ジョー・ジャクスン)、15「ミステリオーソ」(カーラ・ブレイ&ジョニー・グリフィン)。9曲目のワズ(ナット・ワズ)だけはいい。

 

 

ジャズ・マンがやったストレートなジャズ・カヴァーでも、8曲目バリー・ハリスの「パノニカ」はかなりいいと思う。この好印象は、たぶんタック・ピアノを弾いているおかげだろう。かすかにチェンバロっぽいサウンドが香ったりもして、そんなバロックふうな典雅なムードが、かえってモンクの曲のユニークさをきわだたせる結果となっているように感じる。

 

 

またアルバムで演奏しているジャズ・メンといわず演奏家のうち最多参加のスティーヴ・レイシーはかなりいいよね。三曲あるのはどれも上出来だけど、ぼく的にはとくにチャーリー・ラウズとのサックス二重奏でやった「アスク・ミー・ナウ」と、ギル・エヴァンズの異様なフェンダー・ローズとのデュオ「ベムシャ・スウィング」が印象に残るところ。

 

 

がしかしそれでも、このセロニアス・モンク追悼アルバム『ザッツ・ザ・ウェイ・アイ・フィール・ナウ』でぼくの耳をことさら惹くのは、ロック・ミュージックやその周辺にいるとされている音楽家たちの解釈だ。このアルバムでは、曲のチョイスもたぶんそうかなと思うんだけど、アレンジは演奏した本人みずからがやっているとクレジットされている。それが、本当におもしろい。

 

 

たとえば、以前からこれはすごくいいぞと繰り返している3曲目「リフレクションズ」。スティーヴ・カーン(g)と ドナルド・フェイゲン(key) とのデュオ演奏で、主導権はたぶんフェイゲンが握っていたんじゃないかな。曲題どおり、内省的で、むかしを懐かしむ郷愁、ノスタルジーをふたりがこれ以上ないほど実にうまく表現している。それは、失われた青春時代の回顧なのかもしれない。

 

 

 

これに続く4曲目がドクター・ジョンのソロ・ピアノ演奏「ブルー・モンク」だというのもいい。この演奏はわりとストレート・ジャズに近い解釈だけど、それでも随所にニュー・オーリンズ・ピアノのあの独特のころがりかたが聴けて、笑みがこぼれてしまう。ユーモア感覚もあるし、それはもともとモンクが持ち合わせていたものだった。ドクター・ジョンもそれをディグしてくれたんだね。

 

 

 

6曲目、マーク・ビンガムの「ブリリアント・コーナーズ」も好きだけど話を戻し、アルバム・オープナーの「セロニアス」。ブルース・ファウラーらによるホーン・アンサンブルではじまり、途中からリズムも入る。ソロはいっさいなしで、たったの一分もない短尺だけど、なかなかおもしろい。続く2曲目「リトル・ルーティ・トーティ」をやる NRBQ アンド・ザ・ホール・ウィート・ホーンズは逆にソロまわしで聴かせる。ピアニストがモンクのスタイルで弾いているね。テーマ・アンサンブル部はエレキ・ギター中心。

 

 

10曲目「フォー・イン・ワン」は、さすがほぼすべてトッド・ラングレンひとりの密室スタジオ作業というだけある出来で楽しい。そして〜!なんたってこれだよ、これ!大学生のころ一回目に聴いてこれがいちばん好き!と快哉を叫び、いまだに聴くたびに気持ちいいっ!ってなるのが、13曲目「ワーク」。クリス・スペディングとピーター・フランプトンのエレキ・ギター二重奏。たまらない快感だ。たったいま気がついたけど、これ、エレベがマーカス・ミラーなんだね。

 

 

 

そ〜りゃもうこういったブルーズ・ベースのハード・ロック・ギターが好物中の大好物なぼくなんだから当然だよなあ。テーマ演奏部もソロ部も、エレキ・ギターの音色選択、フレジング、ピッキング・ニュアンスの微細な隅々のひとつひとつまで、たまらなく好きだ。なにもかもが、だ〜いすき。もっと長く、せめて五分は演奏してほしかった。このハード・ロックなセロニアス・モンクこそ、このアルバムでの個人的白眉。

2019/02/01

無国籍な青春サウンドトラックとしてのスティーリー・ダン(2)〜 『ガウーチョ』

 

 

『ガウーチョ』でぼくが強い引力を感じるのは、1曲目「バビロン・シスターズ」、4「ガウーチョ」、6「マイ・ライヴァル」、7「サード・ワールド・マン」だけど、ジュヴナイル・ノルタルジーのサウンドトラックみたいな面は、むしろそれら以外の曲にあるように思う。がまあでも書いた四曲はマジすごくいいなあ。

 

 

アルバム・タイトルにもなっている曲「ガウーチョ」(と「バビロン・シスターズ」)が目玉かな、このアルバムは。前作『エイジャ』がインチキ極東イメージのサウンドトラックだったとすれば、こっちはインチキ中南米かなって思うけど、そんな面も含め、やっぱりこっちのほうか、幕開けの「バビロン・シスターズ」こそ、この作品の白眉だ。

 

 

ニュー・ヨーク出身でありながら西海岸でホーム・シックに苦しみながら音楽生活を送るドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーという、こんな彼らの自叙伝的性格をも帯びている「バビロン・シスターズ」は、しかしレゲエでもある。たぶん、スティーリー・ダンでレゲエが出てきた初例かなあ。だからインチキ・カリブふうニュアンスをここでも出しているんだね。しかも、フェイゲンが、あの独特のハーモニカ・ライクな音色のシンセサイザーを弾いているのも耳をひく。

 

 

このレゲエとハーモニカ音色のシンセで内心の葛藤を歌うというのは、『ガウーチョ』の(事実上の)次作であるフェイゲンのソロ作『ザ・ナイトフライ』1曲目「I.G.Y.」を先取りしたものだ。「I.G,Y.」のほうには西海岸で暮らすストレスを歌った歌詞なんかは織り込まれていないが、サウンドとリズム構築手法はほぼ同じ。うん、大好きだ「バビロン・シスターズ」(と「I.G.Y.」)。

 

 

この当時ライヴ活動を行なっていなかったフェイゲン自身、それを1993年に再開するにあたり「バビロン・シスターズ」の生演奏再現に眼目を置いたと伝えられているくらいなんで、やはりこの音楽家のなかでもスペシャルな一曲だったんだろうと思う。軽く薄いレゲエのリズム・ニュアンスは、このジャマイカ音楽の持つ(過剰な?)ヘヴィさ、シリアスさを剥ぎとり、音楽をポップで軽く親しみやすいものとする一助だ。

 

 

アルバム6曲目「マイ・ライヴァル」が好きなのは、ポップなリズム&ブルーズ/ファンクっぽい一曲だから。特に、だれが弾いているのか冒頭からミュート気味のエレキ・ギターがシングル・ノートでショート・パッセージを反復しているのがとてもいい。ティンバレスの入りかたも効果的。ここでもちょっぴりだけ中南米のニセの香りが漂う。

 

 

ラストの「サード・ワールド・マン」。これもラテン・バラードっぽいニュアンスがある一曲で、とても強い哀愁が漂っているあたりの曲想もそうだ。ラリー・カールトンが弾いているらしいエレキ・ギター・ソロが(ぼくには)強い魅力を放っているが、しかしもともと『エイジャ』録音セッションのときに録ってあったものらしい。だからこのちょっとの唐突感があるのかな。でもそれがかなりいい感じだよね。

 

 

また、ここまで書いたうち、「ガウーチョ」と「サード・ワールド・マン」はドラマティックに展開し、前作『エイジャ』のタイトル曲同様、大きなスケール感もあるのがとても好きだ。激しくエモーショナルに大きく展開した次の瞬間に、パッと現実に連れ戻されるような感覚があるのもおもしろい。

 

 

「ヘイ・ナインティーン」「タイム・アウト・オヴ・マインド」みたいなコンパクトにまとまった短編小説的なシティ・ポップスも楽しくて、しかも三名の生活と青春回顧のサウンドトラックとしては、むしろこういったショート・ストーリーズの積み重ねがスケールの大きな傑作曲よりもモノを言うし、やっぱり『ガウーチョ』もかなりいいね。

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