一枚一曲
もともといろんなアルバムから一曲単位で抜き出してマイ・フェイヴァリット・コンピレイションを作成する性癖のある人間で、これは高校生のころからずっと変わらずそう。そのまま約40年が経過しているけれど、マイ・ベスト・セレクションを、まず最初カセットテープで(この時代がいちばん長かった)、次いで MD で、それから CD-R で、最近は物体でなく Spotify などのプレイリストとして、もうず〜〜っと作ってきているんだよね。
ってことはだ、商品としてお店で売っている音楽アルバムは、一枚(とか二枚組とか)全体が完璧ですべてがすぐれた曲とか自分好みのものばかり並んでいるなんてことは少ない、まずありえない(からベスト・セレクションを作る)と、直感的に高校生のころから知っていたということにもなるねえ。
ちょうどその高校終わりごろか大学生のころか、どなたかジャズ専門家のかたの文章で、一枚のアルバムにちょっとでもこれはいい!と思えるものを一個でも見つけられればもうけものと思わないといけません、とあったのを読み、うんうんそのとおり!と心からうなずけたのだった。そう、まさにこれこそ<アルバム>というものに対する個人的見方なんだよね。
アルバムを一個のトータリティとしてみなす、たぶんそんな考えが世間で一般的なんじゃないかと思うけど、たかだか1960年代なかごろに実現しはじめた概念だ。レコーディッド・ミュージック全体の歴史からすれば、まぁそれがいつまで続くのか、今後も何千何百年と続くのかわからないが、2019年時点では、かなり歴史の浅い考えかただ。アルバム=トータル・ワークというとらえかたはね。
ぼくはそんなものをぜんぜん信用していない。アルバム album っていうくらいなんだから、それはもともとかき集めたものっていうことだ。それがトータルで見てダメな曲がひとつもないなんてことのほうがまれじゃないかな。逆に言えば、ちょっとくらい石が混じっていたって、そんな程度のことでそのアルバムを評価できないなんて考えはじめたらオカシイ。本末転倒だよね。
それにあれだ、ずっと前に書いたけど、音楽は一曲単位の文化だというのがぼくの強い信念なんで、これは片面一曲単位である SP 時代の音楽にのめり込んできたからという理由もさることながら、最初から LP レコード時代にその形式で用意・発売された音楽作品でも曲ごとに抜き出して聴くっていう、そんな発想がぼくの芯奥にしっかりある。
もうひとつは、LP レコードを買うようになる前の思春期、テレビの歌番組で日本の歌手たちに夢中だった事実も大きいかもしれない。歌番組ではふつう一曲単位で披露されるし、それがきっかけで45回転のドーナツ盤(片面一曲)もわりと買った。モダン・ジャズの LP に没入して人生が激変したけれど、音楽への接しかたの根本は、そのもっと前に土台が築かれていたのだと、最近は思い出すようになっている。
山本リンダ、ジュリー(沢田研二)、山口百恵、キャンディーズ、ピンク・レディー 、その他 〜〜 こういった歌手たちがジャズにハマる前のぼくの耳を奪い、口と身体をも動かして、脳のなかにも沁み(染み)ついていたんだよね。彼らはアルバムも出すけれど付随的で、シングル盤こそが活動のメインだ。あれっ?なんだかサザン・ソウルの世界?
ともかく、アルバムはただの集合体、寄せ集めただけのものにすぎない。そこに(本来的に求めるのはおかしい)完成形みたいなもの、トータルでのなんらかの意味を読み取ろうとするから、ムダなものダメなものが含まれていると一枚としては評価できないなんていうおかしな考えに至るのだ。幸い、ぼくはそんな妙なものに取り憑かれてはいない。
もちろん、偶然に、いや必然でもいいんだけど、結果的にトータルで完璧なアルバムに仕上がっていれば、それは文句なしにすばらしいことなんで、ぼくだってうれしいんだから、そこを否定したい気持ちなんてぜんぜんないよ。それに越したことはない。
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