戦時中のレコードだったビリー・ホリデイのコモドア録音集
やっぱりこっちの上掲ジャケットかな。それから、いまでは別テイクも収録したコモドア録音完全集も(フィジカルでも配信でも)あるけれど、今日の話には上のマスター・テイク16曲で充分なはず。
さて、ビリー・ホリデイのコモドア・レーベル録音集(『奇妙な果実』)の1曲目だった表題曲を聴き、むかしはぼくも義憤にかられてタマシイを燃やしたものでありました。ですが、いまや、そんなもんインチキだったと自分でもわかる。ビリーのコモドア録音集を考える際に最も重要になってくるのは、「奇妙な果実」ほか三曲を録った初回のレコーディングが1939年4月だったのを除き、すべて1944年とアメリカの第二次世界大戦参戦中に録音・発売されたレコードだってことだ。
歌詞を思い浮かべることのできる、あるいは聴解力のあるかたは、曲目をざっとごらんになっておわかりのはず。「マイ・オールド・フレイム」「アイ・カヴァー・ザ・ウォーターフロント」「アイル・ビー・シーイング・ユー」「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」「ラヴァー、カム・バック・トゥ・ミー」〜〜 こういった曲たちは、どれも失った愛や、遠く離れた恋人、夫などを想い、待つ、帰ってきてね、という内容ばかりなんだよね。
そういえば思い出すのは、かつて大学生のころに聴いていたビリーのコモドア録音集のレコードは日本盤解説文を油井正一さんがお書きになっていて、B 面トップだった「アイル・ビー・シーイング・ユー」の項で、まるで出征した夫か恋人を待つかのような、どうか無事に帰ってきてねと想い願うような、そんな心境を感じとることができると指摘なさっていたことだ。
歌の解釈はさまざまであって、「アイル・ビー・シーイング・ユー」にしろ、離れている相手に、きっと帰ってきてくださいね、また逢いましょうと願うような内容は普遍的なものだから、いろんな状況に当てはめていかようにも受け取ることが可能だ。このビリーのコモドア録音集だと、そのほか「アイ・カヴァー・ザ・ウォーターフロント」「ラヴァー、カム・バック・トゥ・ミー」など、すべて同様のことが言える。
がしかし、それらが1944年に録音されレコード発売されたものだということを踏まえると、それからこんな内容の歌がコモドア時代のビリーにこれだけ多いという事実もあわせると、やはり油井さんのおっしゃったような、出征兵士の帰りを待つ女、という姿をどうしても連想しちゃうよなあ。実際、コモドアのミルト・ゲイブラーもビリー本人も、機を見たという面が確実にあったと考えるのが妥当だと思う。
ビリーのコモドア録音は、自作の「奇妙な果実」をコロンビアに発売拒否されたのでコモドアに持ち込んだというところからはじまっていて、その点ではたしかにこの人種差別告発歌を重視しないといけないのかもしれないが、このへんのいきさつは以前も詳述したので今日は省略。コモドア盤全体で見れば、愛する相手の帰りを待つというラヴ・ソングのほうが圧倒的に多いし、重要だとも思うんだ。
そういった<また逢いましょう>系のラヴ・ソングでは、コモドアの前のコロンビア系レーベルで聴けたような軽快なスウィング感はなく、そりゃあ曲が曲だから当然かもだけど、じゃあラヴ・バラード的な雰囲気をたたえているかというとそうでもない。ただ、ふわ〜っと漂いながら一ヶ所にジッとたたずんでいるような、言いかたがあれだけど水たまりの水のような、そんな曲調になっているよねえ。エディ・ヘイウッドのピアノとアレンジもそれに拍車をかけている。
そういったある種の(音楽的)停滞感が、ビリーのコモドア録音集をおおっているように思うんだ。個人的にはあまり好きな雰囲気じゃないんだけど、戦時中だったから、と考えれば理解しやすい。というかそう考えないとちょっと把握できにくい音楽像だよねえ。つまり、どんな歌詞を持った曲を選んで歌ったかという面でも、サウンドやリズムなどの構成、曲調設定という面でも、ビリーのこのコモドアでのレコードには戦争が大きな影を落としていた。ここを無視しては理解できない一枚じゃないかな。
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