エンリッキ・カゼスが案内するブラジルのカヴァキーニョの歴史
ぼくの読者さんでショーロやサンバ聴きのかたがたにはまったくもって説明不要の超有名楽器カヴァキーニョ。ところがそこから一歩離れるとまったくもって知られていない超無名のものかもしれないよなあ。やっぱり説明しておいたほうがいいのか。ポルトガルがかつて世界中を船で旅行していた時代に、植民地にした土地土地に(ギターやそれみたいな)弦楽器を持ち込んだのだが、そのうち単弦4コースのものも各地でいろんな名称となって現在まで演奏されている。
ギターみたいなかたちの単弦4コース楽器というと、たぶんハワイのウクレレが最もよく知られているはずだ。日本でもよく親しまれているので、これは正真正銘どなたにとっても説明不要。そのほか、同族楽器にインドネシアのクロンチョンだとか、またあるいはひょっとしてペルーのチャランゴなんかも同起源かもしれない。ポルトガルはブラジルも支配したので、当地で発展した単弦4コース弦楽器があり、それをカヴァキーニョと呼ぶ。ブラジル独自の音楽であるショーロやサンバでは必須。元来はリズム楽器で、ブラジル音楽のスウィングの源であるとまで言いたい。音域はギターのちょうど1オクターヴ上で、キラキラとした輝きを聴かせる。
ブラジルにおけるカヴァキーニョは、なんたってショーロの世界で大発展を遂げたので、この楽器のことを考える際には、やはりショーロを念頭におくのが好都合。現在のブラジルにおける最高のカヴァキーニョ名人といえばエンリッキ・カゼス(ぼくの三歳上)だから、エンリッキの案内で分け入るのが好適なのだ。ってなわけで、エンリッキみずからプロデュースし演奏もやった CD アルバム『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』(Uma Historia do Cavaquinho Brasileiro、2012)の話を今日はする。
兄のベト・カゼスを含む四人編成コンボが基本となって録音されたこのアルバムは、いわく由来があるようで、もとはブラジルの石油会社ペトロブラスが顧客に配布するためにつくった12枚組ボックス・セット『Sons musica brasileira』の「カヴァキーニョ&バンドリン篇」のために録音されていたものらしい。それが市販されないこととなったので、エンリッキが音源の権利を持ち、新録音もくわえてまとめあげたのが『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』とのこと。その際には親交のある(オフィス・サンビーニャの)田中勝則さんもアイデアをお出しになったよう。
『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』、時系列を飛ばして、1曲目が「ブラジレイリーニョ」であるのはわかりやすい。ヴァルジール・アゼヴェードのこの曲(1949)こそ、カヴァキーニョ奏者にとって最大のシグネチャー・チューンだからだ。これをやったことのないカヴァキーニョ奏者はいないはずで、エンリッキも過去なんども録音している。このアルバムのものはまた気合が入っていて、細かくにぎやかな装飾をくわえながら華麗に弾きまくる。これがウクレレと同系楽器を演奏したものだとは、ご存知ないかたにはにわかに信じていてだけないかも。『カフェ・ブラジル』のも貼っておこう。
このライヴ・ヴァージョンもなかなかすごい。
『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』2曲目以後は、だいたい歴史順にカヴァキーニョ演奏の発展やショーロ史のなかでの役割変化、演奏法の変遷などをたどりながらエンリッキが実演してみせるといった具合に進む。ショーロ史そのものを、カヴァキーニョを通して、概観してみたという側面もあって、ある種のコンパクト・ショーロ・ヒストリーとしても楽しめる内容で、すぐれている。
2曲目「高い音色を奏でて!」(Cruzes Minha Prima!)は、19世紀後半のショーロ初期の偉人ジョアキン・カラードの曲で、フルート、ギター、カヴァキーニョという例の三つ揃えでの演奏。カヴァキーニョは脇役のリズム刻みに徹しているのが、ショーロ初期におけるこの楽器の本領だった。それでもこの独特の高音のきらめきは、アンサンブルに混じっても鮮明に聴きとることができる。まさにショーロの(ってことはブラジル音楽の)リズム・スウィングの源泉だった。
そんなリズム伴奏楽器だったカヴァキーニョで最初にソロを弾いたとされているのが、3曲目「田舎娘」(Roceira)のマリオ・アルヴィス。すでに現代ショーロにおけるカヴァキーニョ奏法の原型をここに聴きとることが可能だ。ネルソン・アルヴィスの4曲目「それはありえない!」(Não Pode Ser!)を経て、5曲目「ジンガンド」(Gingando)のカニョート。ベネジート・ラセルダ楽団のカヴァキーニョ奏者で、ここにおいてこそモダンなコンジュント・スタイルにおけるカヴァキーニョ奏法が確立された。「ジンガンド」でのエンリッキは伴奏とソロを多重録音で両方やっているが、伴奏カヴァキーニョのリズムのほうは完璧にカニョートへのオマージュだ。
6曲目「私のカヴァキーニョ」(Meu Cavaquinho)のガロート。このひとはカルメン・ミランダといっしょにアメリカ合衆国にわたり演奏活動をともにしたから、有名人のはず。それに続き、いよいよショーロ・カヴァキーニョ史上最重要人物かもしれないヴァルジル・アゼヴェードの登場となる。7曲目「デリカード」(Delicado)、8「カヴァキーニョと戯れながら」(Brincando Com o Cavaquinho)、9「永遠のメロディ」(Eterna Melodia)と三曲続く。
このへんが、ぼくにとっての『ブラジルのカヴァキーニョの歴史』におけるクライマックス。なかでも、ガロートの「私のカヴァキーニョ」もそうだったが、「永遠のメロディ」とか、あるいはエンリッキの自作曲12「レアル・グランデーザ通り」(Real Grandeza)といった、スロー・テンポでしっとり泣く、まさにこれぞショーロ(泣く)というべきサウダージを聴かせるものが、ぼくは心底ホント〜に!だ〜〜いすき!
こういった音楽を全世界でさがそうとも、ブラジルのショーロ、あるいは室内楽的サンバ・ショーロ(ショーロふうサンバ)しか、ないと思うんだよね。この情緒。ぼくがショーロに惹かれているのもここなんだ。泣きながらしっとりゆっくりと歌っているような、しかしいっぽうでは楽しく二、三人でスウィングしたりするものもあり、かつそういうものには余裕もあり、さらにコミカルなユーモア感覚だって持ちあわせている。ユーモア・センスはスウィング感と一体化しているしね。
そんな音楽は、ショーロしかないと思うよ。
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