信ずるは耳のみ
どなたか信用させていただいているかたがこの音楽はいいぞと言っていても、自分で聴いたらそうでもなかったとか、世間の評判がダメでも、とってもすばらしいと感じて愛聴するとか、そんなことはいくらでもある。自分の耳で聴くしかない。それでもって判断するしかないんだ。文書を書くためにとりあげるにせよ、なにをどう扱うかで頼りになるのは自分の耳だけ。他人の耳で音楽聴くことほどバカらしいことはないぞ。
一般に信用されていて人気も高い紹介者・評論家のみなさん(など)の推薦盤はやはりこぞって聴かれるけれど、どうもぼくだけなのか、実際聴いてみたらおもしろくなかったということも多い。逆にこんなにすばらしい音楽作品はないぞと自分で感じても、いっこうに話題にならなかったり低評価、ダメ評価だったりする。
そんなとき、やっぱり自信がなくなっちゃうんだよね。自分の鑑識眼が実にいい加減なものだとわかっているから、やっぱりこっちの見立てが狂っているのか、外れているのか、と気になってしまう。でも結局のところ、音楽を聴くとは個人的享楽体験だから、自分にとってどうなのか、ということにだけ比重を置くしかない。世間でのとらえられかたと一致してもしなくても関係ない。と思うしかない。
このブログの文章にしても、こんな音楽をとりあげていいのかな?恥ずかしくないかな?この文章内容は外しているんじゃないかな?とか、気にしはじめたらキリなくて、まあ要するに自分に自信がないわけなのだ。ふだんこんなにふんぞりかえっているのにもかかわらず、というかそうだからこそそれは虚勢であると、まあもはや見抜かれているだろうなあ。
だから、いつもいつも、この音楽は、ぼくはいいと思うけどみんなはどうかな?とか、この感想でいいのかな?妙な妄想を書き連ねていないかな?などと気にしているのが事実だけど、ちょっとづつそんなことに、本当にちょっとづつ、自信じゃないけれど、結局自分を信じるしかないんだから思ったものをとりあげて思ったことを書けばいいと、それでオッケーと、 すこしは余裕が持てるようになってきたかもしれない。ちょっとだけ。
ひとの言ったことを、高評価も低評価も、そのまま鵜呑みにせず、自分の耳だけを信じて、自分の耳にこれはイイ!と聴こえるものはマジでいいんだと、そう信じて、感じたことを書いておけばいい。自分の耳におもしろくないものは、どんなに信頼しているかたが褒めていようとも、それはつまらないんだから、そういったものは書かないでおこう。
自分の耳で聴こう。それしか頼るものはないんだから。他人のものさしで自分の体験を測らないようにしなくっちゃね。ことに音楽とかの趣味のことや(コーヒーでも料理でもそうだけど)なんかにかんしては、自分の耳と感性を信じて、それでもってだけ聴いていけばいい。
自分のことなんだから、頼れるのは自分の耳だけ。それだけ。
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