ぼくにとってのデジタル・ディヴァイスは、すべてネット端末兼ジューク・ボックス
だというのが1995年以来の変わらぬ実像。ぜんぶインターネットのためなんだ。そもそも95年に Mac を買った動機がそれだから。ネット活動のために文章書いたり写真や音楽ファイルをどうこうするようになったので、結果的にそういった作業もするようになったけれど、もとの動機はすべてネット活動のためだ。
だから、まあいまは iPhone や iPad も活用しているけれども、結局それらは最初からネット端末として使うものだというか、ネット回線常時接続環境が整備されてはじめて商品化が可能となったものなので当然だ。そして音楽好きなので、ネット・ユーザー兼音楽愛好家というこの二面が、いまやピッタリ貼りつくようになっている。
だから、ネットで音楽を聴けるようになって本当によかったと、心の底から思い、感謝している。べつに Spotify や Apple Music みたいなサブスクリプションじゃなくたって YouTube があるでしょ。ストリーミングで音楽を聴くのはイヤだ(とお思いであるように見える)というかただって、YouTube ファイルはどんどんお聴きのようで、Twitter アカウントにどんどんリンクされ、ツイートされている。
ネットにつながっていることはある程度あたりまえのことになったので、そもそも1995年にはじめてパソコンを買った動機がネットをやりたいがためだったぼくにとっては、いまはもう理想郷が実現しているというに近い状況。その上、音楽までそれで聴けて極楽で、もういつ死んでもかまわない(ウソ)。
Mac(しかぼくはパソコンを知りませんが)だってハナからノートブック愛好家で、だから可搬性が高いのでどこにでも持ち歩き、iPhone や iPad はもちろんそれしかありえないわけで、しかし部屋のなかでじっと座っていても同じように使えるもので、そういうばあいたいてい Wi-Fi につながっていりことが多くなったし、交通機関、飛行機のなかですらそうなんだから、ネットをやるのに不自由することはなくなった。むかしはこうだったんですよ…、という話はやめておこう。
ともかく MacBook と iPad と iPhone。これらのなかにぼくのすべてがある。電話機でもある iPhone は一個の電話番号で個体がアイデンティファイされるので一台持ちだけど(二台持ちだとかいうかたもいらっしゃる模様)、Macと iPad はそれぞれ三台づつ持っているぼく。そんなにあったってメイン・マシンはやっぱり一個なんだから不要じゃないか、とはならない。特に iPad がそうだ。
マンションの小さな部屋に住んでいるので、iPad が三台あれば、三つのテーブルにそれぞれ一個づつ置いておいて、ふとしたときにすっと触ってネットでチェックできる。ぼくのばあいだいたいいつも Twitter をやっているけれど、複数ディヴァイスでも同じアプリで未読位置をシンクロできるから、こっちでここまで読んだら別なのでそのまま続きを読めるという便利さ。
Spotify だって、Mac アプリと iPhone、iPad アプリを同時起動しておけば、一個が他方を操作するリモート・コントローラーになるんだよね。だからたとえばぼくの Mac の音は AirPlay でそのまま無線接続でアンプ、経由でスピーカーまでつながっている。それでふだん自室のなかでは Spotify で音楽を流しているけれども、キッチンにいてもモバイル・アプリがコントローラーとなって曲やアルバムの再生を操作できちゃう。
ネットのおかげだ、すべては。1995年にはじめて Mac コンピューターを買ったしょっぱなからネット端末として扱ってきたぼくだけど、いまや iPad や iPhone も含め、ネットを活用した SNS と音楽ストリーミング・サーヴィスで、24年来の願望がフル実現していて、しあわせだ。
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