跳ねる左手 〜 ジェリー・ロール・モートンのソロ・ピアノ
発売年記載のない Retrieval 盤 CD『24 レア・レコーディングズ・オヴ・ピアノ・ソロズ・バイ・ザ・キング・オヴ・ジャズ&ストンプ 1923-1926』。愛聴盤なんだけど、アルバム題どおり、ジェリー・ロール・モートン、1923〜26年のソロ・ピアノ録音を集大成したアルバム。晩年にもソロ演奏のあるモートンだけど、20年代ものはおもしろみが断然上なのだ。
晩年の録音では聴けない1920年代のソロ・ピアノ集にあるモートンの特徴とは、いまのぼくにとって<跳ねる左手>、これがすべてだ。こういうと、ライ・クーダーや中村とうようさんも着目した「ザ・パールズ」「ティア・フアナ」の話だろうと思われそう。それは実際そのとおりだ。この二曲(「ザ・パールズ」は1923年、26年と二つヴァージョンがある)は群を抜いておもしろい。
端的に言って、それら二曲では、部分的にだけど、モートンの左手がキューバのアバネーラふうにシンコペイトしているのが興味大ということになる。しかしモートンの1920年代ソロ・ピアノ集をじっくり通して聴くと、これら二曲だけじゃないんだよね。モートンの跳ねる左手は、ほかにも随所で聴けるものなのだ。
たとえば1923年の「ニュー・オーリンズ・(ブルーズ・)ジョイズ」ふたつ。ここでも部分的にだけど左手が踊るように跳ねるリズムを表現している。踊るというよりこのモートンの20年代録音だとゆるやかに舞うといった優雅な室内楽的フィーリングをかもしだしているよね。いかにも特権階級だったクレオールだけあるというムードかな。
そう、モートンの左手が表現するダンサブルなジャンプ感覚は、決して野卑じゃない。優雅だ。上品で繊細でエレガントなのだ。まあキューバのアバネーラだってそういったものだったし、このへんは旧宗主国のスペインやフランス由来といった文化痕跡なのだろうか。モートンのソロ・ピアノ集のなかには欧州系の室内楽ダンス・ミュージックに通じる感覚もあるよなあ。
上で触れた「ニュー・オーリンズ・(ブルーズ・)ジョイズ」では、2ヴァージョンとも、1928年のブギ・ウギ・ピアノ録音であるクラレンス・パイントップ・スミスが弾いたパターン(「パイン・トップス・ブギ・ウギ」)がすでに出現している。パイントップがモートンのレコードを聴いて…云々というより、こういったリズム・フィギュアはある種の共有財産だったのだろうと思う。
そのほか、モートンの左手はいつもスウィンギーでジャンピー。これは1920年代ソロ録音のだいたいどれでもそうなのだ。スムースにフラットにすーっと進むということがほぼなくて、グルグル回転したり跳ねたり止まったり、とにかくおもしろい。リズム面に最もおもしろみが出ているのがこのひとのソロ・ピアノ録音の魅力なんだよね。
ジャズ・ソロ・ピアノ録音史上、たぶん最も早い時期のひとつだったろうモートンの録音集。その後のジャズ・ピアノは、というかジャズ・バンド演奏もだけど、スウィンギーさをもっと平坦にしてずんずん進むようなフラットなビート感に移行したかのような印象がある。
じゃあモートンの1923〜26年ソロ・ピアノ録音集みたいな音楽はどこへ行ったのか?というと、上でも触れたがブギ・ウギ・ピアノや、それを源流とするジャンプ(・ブルーズ)・ミュージックに流れ込んでいるように思う。決してぜんぜん泥臭くないモートンの音楽なんだけど、リズムの強靭さと跳ねかたを考えると、そっち方向へ行ったのだとみなすことができよう。またもっと時代が下っての(プロフェッサー・ロングヘアなど)ニュー・オーリンズ R&B にも強い影響を与えているのがわかる。
これがぼくの見解。ジャズ・ミュージックという狭い枠だけで見ているとモートンの偉大さに気づかない。
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