泣きたいほどの淋しさだ
https://open.spotify.com/user/21qp3vk3o45zy3ulmo4rgpd3a/playlist/07NylV08v16m8vsrAl3uLH?si=Rn0fY2rOTWOJjmrIwnXhLQ
Hear that lonesome whippoorwill
He sounds too blue to fly
The midnight train is whining low
I'm so lonesome I could cry
Did you ever see a robin weep
When leaves begin to die?
Like me, he's lost the will to live
I'm so lonesome I could cry
The silence of a falling star
Lights up a purple sky
And as I wonder where you are
I'm so lonesome I could cry
ひとりぼっちである、とても淋しい、ということに自分で気づいたのはいつごろだっただろう、ともかくいまはそうだとわかっている。ハンク・ウィリアムズやエルヴィス・プレスリーが歌うロンサムとは、そのまま死のイメージに隣接しているけれど、ぼくのばあいはそうじゃない。ただただ、孤独である、人生に自分ひとりしかいないという、とても強い実感があるだけだ。それは淋しいことなのか。うん、そうでもないような気がちょっとするけれど、ときどき、たまらない気分になってしまうこともあるんだ。
ともあれ、ぼくはひとりだ。だれもいない、なにもない。ただ音楽だけを友としパートナーとしてずっと生きてきたし、今後もずっとそうしていくだろう。ふだんはそれで楽しくやっているから心配いらないんだけど、ま、やっぱりたまには泣きたい気分のときだってあるんだ。自分の人生、結局ぼくひとりだけだったなあって思うとさ。今後もずっとひとりなんだと思うときはさ。
ハンク・ウィリアムズやエルヴィスのヴァージョンが死のイメージに直結しているといっても、表面的にはそれを感じさせないおやだやかさだよね。のんびりのどかなカントリー・ソングで、でもだからこそ一層この男性主人公の孤独感が極まってしまうという、そんな歌だ。ハンクはどうしてこんな歌を書いたんだろう?ハンクが書いて歌わなかったら、エルヴィスも「私の知っているなかで最もかなしい歌だ」と言ってやらなかったと思うしねえ。
ハンクのやエルヴィスのヴァージョンは、人生の、人間の、現実というか本質をえぐりだして、しかしナマナマしくないおだやかさで、それはリアリティの持つ柔和さということだと思うけどそんな衣にくるんで、生と死の本質をぼくたちに聴かせてくれているよね。そんな歌を聴いて、そうだよなあと思いながら、ぼくも自分の孤独を味方につけるべくロンリネスとつきあっていこう。そう、泣きたいほどに淋しいけれどね。
« リー・モーガンの『ザ・ジゴロ』はコルトレインへのオマージュ? | トップページ | サム・クックを聴くとたいていのいやなことは忘れますね »
「自分語り」カテゴリの記事
- ASD(=ぼく)が苦手に感じる人たち(2023.11.16)
- 公営住宅へのアクセスをもっと容易にしてほしい(2023.08.31)
- 現在の体調(8/5土午後2〜3時以後)(2023.08.07)
- 心底くだらないとASDが思ってしまう日本の文化(2023.07.25)
- 偏食と好き嫌いは違う(2023.06.27)
« リー・モーガンの『ザ・ジゴロ』はコルトレインへのオマージュ? | トップページ | サム・クックを聴くとたいていのいやなことは忘れますね »
コメント