ドナルド・バードの「サンキュー」
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ドナルド・バード、1978年のエレクトラ盤『サンキュー…フォー F.U.M.L.(ファンキング・アップ・マイ・ライフ)』は、それまでのあらゆるドナルドの音楽とも明確に異なっている。ジャズから大きく離れ、リズム&ブルーズ/ファンク・ミュージックへと大きくグンと踏み出しているよね。かすかにフュージョン色とディスコ色もあるかなとは思うけど、もはやジャジーさはほんのかすかにしかない。というか、これはもはやジャズ作品じゃないね。
アルバム題は1曲目のタイトルだけど、あるいはスライ&ザ・ファミリー・ストーンを意識したものだったかもしれない。そういえばドナルドのこのアルバムでは、ほぼ全曲にわたってエレキ・ベースのスラップが強調されているが、これもスライ時代のラリー・グレアムを、こっちは間違いなく下敷きにしている。弾いているのはエド・ワトキンス。ドナルドの音楽でエレベのスラップを活用したものはそれまでまったくない。このサウンド・メイクも間違いなくファンク・ミュージック志向だ。
全曲でヴォーカルが大きくフィーチャーされているし、っていうかそもそもこのアルバムではどの曲も歌ものであって、ドナルドのトランペットやバンドの演奏を聴かせるためのものなんかじゃない。ポップス/ファンク界にあるものと同様に、あるのは歌。すべてはそれをどう聴かせるかというところにかかっている。
そんな音楽がドナルドのリーダー作として、しかもだれかポップ界の人材を起用してでなく本人自身のプロデュースで、実現しているという事実ひとつ取っても、いかにこの(ジャズ界出身の)トランペッターが自己の音楽を変容させたか、わかろうというもの。といっても曲はすべて弟子たちバンドのブラックバーズの面々が書いたものだけど。レーベルを移籍したので、ラリー・マイゼルはもういない。
トランペット吹奏も、ほぼ全曲でハーマン・ミュートを付けてのもの。あくまで曲全体のなかに溶け込んでムードをつくるエフェクトとして機能するように、と心がけてのものだったんじゃないかな。それに実際、ドナルドはあまり吹いていない。ソロみたいなものはまったくないし、歌のオブリガートでパラパラやっているだけ。それも思いつくままやっているだけで、構成らしい構成もなし。
構成は、どこまでも曲のリズムやサウンド全体をどう組み立てるかに腐心されていて、リード・ヴォーカルをフィーチャーしても楽器はあくまで伴奏でしかないのだと、このアルバムを聴けばわかるよね。これが(かつては)ハード・バッパーだった楽器奏者のリーダー作なんだから、それも1978年時点でのそれなんだから、ちょっとビックリだよねえ。
アルバムのなかでは、ビートの効いた明るいファンク・チューンと都会の夜の雰囲気を持つメロウ・バラード系が代わる代わる出てくるように思うし、その二種類が並べられているとして間違いないと思う。タイトなドラミング、迫力のあるスラップ・ベース、くちゅくちゅ言うソウルフルなギター・サウンドなど、どこにもジャズがないドナルド・バードの『サンキュー…フォー F.U.M.L.』は、一つの時代の道標ではあったと思うのだ。
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