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2019/06/08

サッチ・ア・ナイト!〜 ドクター・ジョンに会った日

Drjohnobithttps://www.youtube.com/watch?v=50yEQQB2OVE

 

ドナルド・バード・シリーズのまっただなかではありますが、今日だけ急遽予定を変更します。愛するドクター・ジョンの訃報に接し、思い出を記しておきます。

 

ドクター・ジョンに会ったのは、正確に何年と憶えていませんが、1990年代なかばの八月、それもニュー・オーリンズで、でした。なんどめかのアメリカ旅行でその年の夏休みは南部の数都市をまわったのです。ルイジアナ州ニュー・オーリンズはその最後に五日ほど滞在しました。当時は結婚していたので二人旅。

 

ニュー・オーリンズに到着すると、ぼくはすぐに街角で現地音楽情報のフリー・ペーパー(雑誌みたいな感じ)を手にとりました。そういったたぐいのものは、ニュー・オーリンズだとまさしくいたるところに置いてあります。いかにも音楽の街って感じで、ストリート・ミュージシャンもフレンチ・クォーターのいろんなところで演奏していました。ブラス・バンドというか、金管楽器を演奏していることが多かったですかね。

 

フレンチ・クォーターのすみっこのほうにあったホテルの部屋で音楽情報誌をパラパラめくっていましたら、なんと現地のクラブというかライヴ・ハウスみたいなところに、それも明日、ドクター・ジョンが出演するとなっているではありませんか。これを見送る選択肢なんて、あるわけないです。そのまま速攻でそのクラブまで歩いて行って(近くだったから)、明日のことを問い合わせ、前売りみたいな感じでお金を支払って、チケットはないけど覚え書きみたいなものをもらいました。

 

さあどうしよう?ただでさえドクター・ジョンのライヴに接することができればうれしい。日本ででも体験できればハッピーでしょう。それがなんと現地ニュー・オーリンズで観られるんですよ。その日の夜はあらかじめの興奮でよく寝られなかったかもしれません。しかし翌晩はそのライヴ本番なんですからもっと寝られないはず。妻はドクター・ジョンと言われてもピンとこなかったようですが、いっしょに来るとなりました。

 

当日の夜はそのクラブに行くのが早すぎました。開演予定時間を大幅に過ぎてもなにもはじまらず、ようやく出てきたのが前座の無名ブラス・バンドでした。このへんはいかにもニュー・オーリンズっぽいですよね。たぶん、日本にいるぼくらがまったく知らないブラス・バンドがいっぱい活動しているんだろうと思います。その前座バンドの内容については今日は書きません。

 

ドクター・ジョンのバンドが出てきたのはもう真夜中になってからです。その時間にはクラブ内がすし詰め状態。でも小さな場所でしたから、たぶん2、300人程度だったんじゃないでしょうか、オール・スタンディングで椅子席はどこにもなく、立ったままギュウギュウで身動きとれないほどの状態になっていましたね。

 

1990年代半ばのドクター・ジョン・バンドのレギュラー・メンバーが揃っていました。ギターのボビー・ブルームやドラムスのハーマン・アーネスト III など。テナー・サックスでアルヴィン・レッド・タイラーもゲストとしてステージ上手(向かって右)に立っていましたよ。客席のキャパも小さかったけどステージもこじんまりとしたもので、しかもまったく飾り気のないものでした。

 

ドクター・ジョン本人の登場は、最初にリンクを貼った YouTube 動画と同じです。その動画は1995年モントルー・ジャズ・フェスティヴァルでの模様ですが、ぼくがニュー・オーリンズで観たのも同時期。バンド・メンバーもほぼ同じ、オープニングの1曲目も「アイコ・アイコ」で同じです。そのころのドクター・ジョンのライヴは、いつもこんなふうに幕開けしていたのかもしれないですね。

 

バンドが演奏をはじめ、ニュー・オーリンズのクラブで聴いていたぼくたちも、あ、「アイコ・アイコ」だなとわかるのですが、御大はなかなか登場しません。ビートが続き、しばらくしてからダンス・ステップを踏みながらすこしづつピアノのあるところまで歩みよっていくのです。上の動画では下手から出てきていますが、ぼくが観たときは上手から現れました。たぶんそっちに控え室があるんでしょうね。

 

また、上の動画とぼくの現地体験との最大の違いは、ニュー・オーリンズのクラブではマルディ・グラ・インディアンの扮装で登場したことです。ぼくはさすがに初体験でしたので、こんなにも派手派手なんだとちょっと驚きました。写真などでならみなさんご覧になっているでしょう、あの格好でドクター・ジョンが袖からゆっくり歩み出てきて、ピアノの前の椅子にすわり、バンドの演奏する「アイコ・アイコ」のファンク・ビートに乗ってピアノを叩いて歌いだすんです。

 

音楽そのものは、「アイコ・アイコ」だけ同時期のモントルー・ライヴをご紹介しましたが、それと同じようだったと記憶しています。この曲のばあいドクター・ジョンのものは1972年の『ガンボ』ヴァージョンが有名ですが、1990年代なかばにはもっとグッと重心を落とし腰をかがめて、ヘヴィなファンク・チューンに変貌させていましたよ。ヘヴィ・ファンクだったという印象は、2曲目以後も続きました。音楽のファンク化には、ハーマン・アーネストの貢献も大きかったのでは。

 

どの曲をやったと正確にぜんぶを記憶していませんが、自身のヒット・チューンを中心に代表曲を立て続けにやったはずです。1990年代なかばならドクター・ジョンは50歳代なかごろですから、いろんな意味で最充実していたんだなと、いま振り返ると思います。バンドもたぶん生涯でいちばんすぐれたものだったかもしれないし、意欲も気力も体力も演唱技術も円熟の極みにあったから、そんなドクター・ジョンのライヴを、しかもニュー・オーリンズで体験できたなんて、ぼくの一生の宝です。その夜は興奮していてそんなふうには感じませんでしたが、なんという幸運にめぐまれたのでしょう。

 

ほんとうに、なんという夜だったかと、そう思います。終演は深夜25時をまわっていました。いったんメイン・アクトが終わってアンコールで再登場してオーラスにやった曲も、「サッチ・ア・ナイト」だったんですよ。すでに超大物だったドクター・ジョンですから、自身の地元ニュー・オーリンズの、それもファミリアーな小さなクラブで演奏できるのは、レアな機会だったのかもしれないですね。だから、彼にとっても「サッチ・ア・ナイト」だったのかも。

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