ぼくにとってのティナリウェン『アマサクル』
https://open.spotify.com/album/5FPDGVaIIfWVH79NJoslSe?si=kZqojpACR86TSn6VGTlXMA
最近ひさびさにじっくり聴きかえしたティナリウェンの『アマサクル』(2003)。このアルバムがこのバンドとの出会いだったんですけど、どうして知ったかというとその年(翌年?)の『ミュージック・マガジン』の年間ベストテン、ワールド部門で上位に来ていたからなんです(一位だっけ?)。誌面に写るジャケットも魅力的で、当時まだリアルな路面店でしか CD 買っていなかったので、どこかのお店でさがしてゲットしたわけなんです。それで帰って聴いてみて、一発でファンになりました。こんなにぼく向きの音楽があるのかと。
当時好きだったのがアルバム1曲目の「Amassakoul 'N' Ténéré」で、もうこの一曲だけでこのバンドのイメージが決まっていたとして過言ではないです。これ一曲がティナリウェンのすべてでした。それくらい大好きだったし、いまでもそうなんですけど、次のアルバム以後はこういったタイプの曲が少なくなっていると思うんですね。だからこそワン・アンド・オンリーで、ときどきこれを聴くためにだけ『アマサクル』を聴きかえしていたくらいです。
正直言って、『アマサクル』でその一曲しか聴いていなかったんじゃないかという気すらするんですね。ほかになんにも憶えていませんもん。それくらいトップのあの一曲は強烈っていうか印象に非常に強く焼きつく力を持ったものでした、ぼく的にはですね。実を言うと、いま2019年でもティナリウェンの代表的ワン・トラックをあげろと言われたら、瞬時にこれですね。も〜う、好きなんです。
でもいまじっくりアルバム全体を聴きかえしますと、いろんな曲が入っていますよねえ。ワン・アンド・オンリーと言ったように1曲目みたいなのはほかにありませんが、たとえば2曲目「Ouakahila Ar Tesniman」と5曲目「Chet Boghassa」はよく似ています。アップ・ビートが効いて激しくグルーヴするような感じが、同じですよね。こういった急速調の音楽が大好きですから、ティナリウェンのこういったものも好物です。
ぼくにとってティナリウェンとは、どこか醒めたクールな感じ、熱があるものの一歩引いて、表現する世界のなかにひたりきらないところ、冷静さも魅力なので、必ずしも激しさばかり感じているわけではありません。上で書いたようなアップ・テンポのトラックだって、いきり立っているというわけではなさそうですよね。
そういった、表現世界との適度な距離感とほどよいクールネスをちょうどよく感じるのが、『アマサクル』だとまあ1曲目んですけど、ほかにもたとえば3曲目の「Chatma」なんか、すんごくいいですよねえ。書いているように1曲目でぼくのなかでのティナリウェンが決まってしまっていましたが、そうでなかったらこの「Chatma」がこのアルバム『アマサクル』での白眉となったかもしれません。いや、実際みなさんにはそうなんでしょう。
曲「Chatma」みたいに、中庸テンポでジワジワじっくりと熱を入れていくというか、低温調理といいますか、あるいはあまり火を通しすぎないミディアム・レア加減といいましょうか、このジンワリさ加減はなかなか絶妙なものじゃないでしょうかね。サウンド構成は、ヴォーカル、ベース、パーカッション、二台のギターと、それだけ。
6曲目「Amidinin」のリズムはちょっとヨレていて、なんだかハリージ(ペルシャ湾岸ポップス)みたいだなと聴こえたり、8曲目「Aldhechen Manin」はレゲエで、まるでボブ・マーリーそっくりだと思ったりとか、笛が入る終盤9、11曲目での呪術的な感じの音楽展開も、いまとなっては実にティナリウェンらしいなと感じるというか、そのあたりふくめ諸々、最近ようやくわかるようになったことです。むかしは嫌いでしたからねえ、このへんの曲たちのことは。
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