モニターを聴く、わさみんやマイルズや
わさみん(岩佐美咲ちゃん)の歌唱イヴェントに行くと、握手しておしゃべりできる特典会で、その日のモニター・スピーカーの話をよくします。歌手でも楽器奏者でも、ライヴのときの音楽家はモニターがないと伴奏が聴こえない、ってことはないけれど聴こえにくいので、やりにくいはずですよね。大晦日の NHK『紅白歌合戦』なんかをじっくり観ていても、最近は無線型イヤフォン・モニターも増えてきているんだなとわかりますが、やっぱりまだまだケーブル付きスピーカーがほとんどでしょうし。CD 収録などスタジオではヘッドフォン着用が一般的だと思います。
音楽にとても興味があるとか、歌手、演奏家、その関係者であるとか、そういったことじゃないと、ライヴ・ステージ上にあるモニターの存在になかなか目を向けることがないかもですが、いままでお気づきでなかったみなさんも、次回の現場で注目してみてください。上の写真は2018年2月の恵比寿での岩佐美咲ソロ・コンサートで撮った一枚です。わさみんの前に大きな黒いスピーカー様のものが見えるでしょう、それが跳ね返りモニターです。ステージにいる歌手や演奏家は、それで伴奏を聴いて歌ったり演奏するんです。
わさみん現場ではモニターが必ずしも跳ね返り型でないこともあり、こないだ6/30広島祇園の現場では、左右にある観客向けスピーカーの隣にもうワン・セット、ステージ内側を向いたスピーカーがあって、それがわさみん用のモニターでした。その日も特典会でモニターの話をしましたが、その日もそれ以前もわさみん本人いわく、まったくモニターがないこともあるそうで、そんなときはメチャメチャ歌いにくいはずと素人なりに思います。
二月の浅草ヨーロー堂さんだったか小岩音曲堂さんでは、いちおうステージ前方に跳ね返り型モニターがあったものの、通常の左右二個セットではなく一個だけ、しかもなんだかはしっこのほうに置かれていたんですね。わさみんはちょっとだけオケを聴きにくかったかもしれないですけど、あの二日間とも歌は完璧でしたので、もはや問題にしない域にまで達しているのかもしれません。
まったくどこにも、どんなものでも、モニターがないばあい、6/30のわさみんいわく、お客さん向けに音を出しているそのスピーカーから流れる同じ音を自分も聴きながら、あわせて歌うんだとのこと。わさみんはステージ上にいて、観客用のスピーカーはもちろん客席のほうを向いていますから、歌手本人はオケを聴きとりづらいんじゃないかと想像しますが、わさみんも聴きにくいと言っていましたねえ。モニターがなにもないときは、やはりちょっと困ると。
しかし考えてみたら、わさみんのコンサートでは客席をまわりながら(握手したり写メにおさまったりしながら)歌うコーナーがあることも多いですよね。客席にはもちろんモニターなんかありません。無線型イヤフォン・モニターも装着していません。ってことは、ああいったラウンド・コーナーでのわさみんは、ぼくたち観客が聴いているのと同じ音を聴きながら歌っているということです。客席をまわっている時間ですから、モニターがないばあいのステージ上とは違って、歌手もそんなに音が聴こえづらいってことはないのかもしれないですね。今度チャンスがあったら本人に話を聞いてみましょう。すくなくともラウンド・コーナーでのわさみんの歌も見事です。
ともあれ、ステージ上で歌ったり演奏するばあいはモニターがないとやりにくいものなんです。伴奏がちゃんとしたバランスで聴けなかったら演唱できないですから。
この件でぼくがよく思い出すのは1981年復帰後のマイルズ・デイヴィスのことです。くわしいことは省略しますが諸事情あって、復帰に際しマイルズは、トランペットのベルの前にマイクを取り付け音を拾い、それをトランペット本体に付けた小さな装置から電波で飛ばすということになりました。とにかくステージ上を自由に歩きまわりながら吹けるようにしたかったのです。
あの当時、ぼくは意識していなかったんですけど、ステージ上手から下手までくまなく歩きながら吹いていたマイルズは、いったいどうやってバンドの音を聴いていたのでしょう?バンド連中が音を聴くためのモニターはそれぞれの前にありました。でもボスは自由に歩きまわりながらトランペットを吹くわけですので(だいたい袖から吹きながら登場しますから、ある時期以後は)、マイルズ用の据え置き型モニターなぞ無意味です。本人の弾く鍵盤の前か横にはあったかと思いますがね。
たぶんですけど、ステージの左右脇に設置されていた観客用の PA スピーカーから出る音を、マイルズはステージ上でキャッチしていたはずだと思うんです。ステージで演奏される生音を聴いて、なわけありません。ギターやベースはエレクトリックですから。それらの音は、しかしステージ上にあるギター・アンプやベース・アンプが出す音をボスも聴いて、それであわせていたという可能性もありますよね。う〜ん、どうだったんでしょうか。
このあたり、マイルズのインタヴューはかなり読んだと自負しているぼくですけど、だれも触れたことがないんです。すくなくとも読んだことがありません。ぼくの興味の持ちかたが異常なんでしょうか?いや、ぼくもマイルズの存命中はほとんど意識したことのないテーマでした。ホント、どうだったんでしょう?1981年復帰後のマイルズはライヴでステージ上を歩きまわりながらどうやってバンドの出す音を聴いていたのでしょう?
関連で思い出すのは、1983年のマイルズ・バンド大阪公演。この年はギル・エヴァンズ・オーケストラとのジョイント・コンサートでしたが、二部のギルのバンドにはギターのハイラム・ブロックがいました。大阪はハイラム生誕の地。中之島フェスティバル・ホールの客もそれをよく承知していました。気分が上がったのか、ハイラムはぐるぐると観客席を歩きまわりながら(客をいじりつつ)長尺のソロを弾きまくったんですね。あのときのハイラムもやはり観客用の PA スピーカーの音を聴いていたのでしょうか。それしか考えられないですねえ。
音楽ライヴは人類史と同じ歴史があるわけですけど、電気技術などたかだか近年の発明なわけで、ですから長らく人類はモニターだとかスピーカーだとか、イヤフォンやヘッドフォンなども、そんなものがないまま何千年もライヴ・コンサートをやってきたわけですよ。その姿は、いまでも伝統的クラシック音楽(妙な言いかたですが)のコンサートで垣間見ることができます。モーツァルトとかベートーヴェンとかの演奏会では、演奏者も聴衆も、いまでも生音だけを扱っているんですよ、大きなコンサートでも。
クラシックじゃない音楽でも電気発明前の長いあいだ、人類は仲間の演奏するアクースティック・サウンドだけをじかに耳にしながら歌ったり演奏したりしてきたわけです。19世紀の大規模一般市民階級の台頭までは音楽ライヴの規模も小さかったので、小規模な生音演唱だけでじゅうぶんでした。ステージ(というかなんというか)の歌手や演奏家たちも、互いの音を互いに聴きながら、つまりモニタリングしながら、自分の歌や演奏をあわせて(あわせなかったり)乗せていくのは、そんなにむずかしいことではなかったのかもしれないですね。
話をわさみんというか演歌歌手に戻しますと、ベテランの超実力派ともなりますと、ライヴ・ステージ上にいてオーケストラを背後に置き、それが演奏しつつ、跳ね返りのモニター・スピーカーもなしで、完璧な歌を聴かせるひともいるみたいです。八代亜紀さんがそうらしいですよ。そんなにまでなれば、もはやなにがなんやら、凡人には理解できないですよねえ。
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