聴き込んで納得してからレヴュー読み(川柳)
レコード、CD ショップのツイートやウェブ・サイト、または bunboni さんや萩原健太さんのブログなどなどほかにもたくさんあるいわば紹介者のかたがたの文章は出会いのきっかけになるものだから、最初からどんどん読むんですけど、くわしくレヴューしてある論評サイトなどは、最近なるべく読みに行かないようにしています、聴き込む前にはですね。しっかり聴いて自分なりの意見ができてからは積極的に読みますが、それ以前に分析や批評などを読んじゃうと、あまりよくない効果がもたらされてしまうように思うんですね。
上に Twitter アイコンの画像を掲げたピッチフォークと NPR ミュージックは、ぼくがふだんお世話になっている二大音楽評論サイトで、主にアメリカでの新リリース作品についてけっこうくわしくしっかりレヴューしてくれますよね。だから助かりますが、肝心の音楽作品をしっかり聴き込む前にそれを読むと、なんだかその色で染まってしまって、音楽の聴こえかたに影響を受けてしまいそうなんですよね。
やっぱりですね、自分の耳で聴きたいわけですよ。パーソネルや録音データなど、各種基本情報以外はなるべく入れないで音楽を聴きたいんです。それにですね、聴く前にレヴューを読むと、その文章もなんだかあんまりおもしろく読めないですからね。そのレヴューそのものの読みかたがわからない感じがします。自分でしっかり聴き込んでから読めば、ばあいによってはレヴュワーの気持ちの隅々まで文章の機微に読みとることもできて、かなり楽しめます。
自分に自信がないとき、この音楽をどう理解したらいいかよくわからないとき、レヴューは大いに助けになるものですけど、足元がぐらつくような気分におそわれるときもあって、そうか、この音楽はこう聴けばいいのかと自分の気持ちを自分で裏切ってしまうような、そんな体験もあるので、もう最近は、聴く前には読まないです。よくないですから。
自分自身で音楽をしっかり聴き込んで、これは(ぼくにとって)こういう音楽だなというのがしっかり固まってからであれば、くわしいレヴューを読んでも、読みながら一を足したり二を引いたりできるし、レヴューに左右されず自分の耳で聴いた感想で文章が書けるんですね。そういったことが、最近のぼくにはとっても大切なことになってきています。
こういったことは、くわしいライナー・ノーツなんかにも言えることなんですね。ぼくはライナーを事前に、あるいは(第一回目に)聴きながら、読まなくなりました。まずはなんどもしっかり音を聴く、そして自分なりの意見を持つ、それがいちばん大事なことのように思うんです。他人の言うことに左右されたくないんですよね。
端的に言って、自分の耳で聴くということ。自分にとってどういう音楽であるかを判断する、自分なりにしっかりした感想や意見を持つ、と、ここまでの段階でくわしいレヴューやライナーはいらないです。あったらむしろジャマですから。目に触れないようにしておいて、地歩が固まってから読むんですね。聴いてから、読む。そうすれば、いろんなくわしいレヴューの有用性もいっそう高まるんです。うまく活かせるんです、だから。
(written 2019.7.29)
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