わさみんで考える演歌とジェンダー
演歌歌手だから当然というかしょうがないのだとも言えますが、わさみんこと岩佐美咲の歌う世界の男女観はかな〜り古くさいですよねえ。いまはもう2019年なんです。選択的夫婦別姓や同性婚や身体改変なしでの性別移行などがリアルな喫緊の課題となっているような時代に、わさみんワールドはまったくそぐわないかのようにも聴こえます。演歌とは、要はそういった世界なのだ、仕方がないのだ、ということでしょうか。そのへんつきつめて考えてみたことがないんですけどね。
わさみん本人がどんな考えを持つどんな人間なのか、ぼくはなにも知りません。ですが、気付けている範囲の情報をもとに判断すると、いかにも現代の、21世紀の24歳というだけの新しい志向を持ったリベラルな新世代という気がするんですね。旧態依然とするような体質というかジェンダー観は、たぶんひきずっていないように感じます。
もちろん、歌手の人間性と表現する世界とは関係ありません。わさみんのばあいも仕事は仕事と割り切って、ああいった古色蒼然たる男女間の恋愛ワールドを演歌のなかで歌い込んでいるんでしょうね。演歌という歌謡ジャンルそのものが、そもそもそういった世界なのだとも言えるかもしれないですしね。夫婦別姓や同性婚やトランスを歌った演歌なんか、ぼくは一曲たりとも聴いたことがありませんし、そもそも自立する女がいない世界ですしねえ。ひょっとしてもしそういうのがあれば、斬新なリベラル演歌ということになるんでしょう。
演歌というか歌謡曲というか、ひとくくりで大衆歌謡でいいんですが(だってわさみんはいろいろたくさん歌って発売しています)、歌謡界におけるジェンダー観というと、たぶん多くのみなさんが歌詞のなかに読みとれるものを想像なさるだろうと思います。ぼくのばあいはそれだけではなく、あわせてサウンド・イメージがどうなっているかによって、旧いかリベラルかを判断しているんですね。
たとえば、わさみん楽曲(オリジナルもカヴァーもふくめ)で言いますと、「無人駅」「佐渡の鬼太鼓」「風の盆恋歌」などは旧いような気がします。「もしも私が空に住んでいたら」「別れの予感」「お久しぶりね」「涙そうそう」などはリベラルに感じるような気も。「恋の終わり三軒茶屋」「糸」あたりは、関係なくたぶん普遍的ですよね。これらの分類は、もっぱら曲想やサウンド、リズムの印象にもとづくもので、歌詞内容はあまり考慮していません。
すると、全わさみん楽曲(といっても今回「ぜんぶ」は聴きかえしていませんが)で、旧体質な自己抑圧的ジェンダー観のものと、斬新なリベラルなものとで、たぶん半々くらいじゃないかと思うんですね。これは、演歌歌手という看板を出してやっている歌手としてはかなりリベラル寄りと言えるんじゃないでしょうか。
あ、いや、でも歌詞もちゃんと聴いて総合的に判断すれば、たとえば「初酒」「ごめんね東京」「北の螢」「なみだの桟橋」なんかも旧くて、リベラルさからは遠い曲ですね。それになんといっても「恋の奴隷」ですよ。聴きようによっては DV 推奨とも受け止められかねない(「悪いときはそっとぶってね」)歌詞がありますし、はっきり言って男性に支配されたい、あなた色に染まりたいというドMソングですよね。これはかなり自己抑圧的な世界と言えましょう。
ってことは、やっぱり全わさみん楽曲をトータルで考えると、ふるくさ〜いジェンダー観を反映した旧い歌のほうが多いんだという気がしてきました。これは、まあ最初にも書きましたが演歌ワールドだから、歌謡曲も往年の1970年代もののカヴァーが多いからだ、ということに尽きるでしょう。オリジナル曲も、そんな世界観に沿ったつくりになっているように思います。
こういったことは、肝心の歌手がだれであるか、女性か男性かのどっちであるか、若いか熟年か、などもいっさい関係なく、大衆歌謡とはそんな世界なのだ、新しくつくられる楽曲も往年の旧い恋愛観、旧い男女観を反映しているから、ということになるんでしょうね。創り手や製作陣や歌手のみなさんの(実生活での)考えはもはや刷新されてリベラルになっていても、歌謡世界がそのままだから、ということかもしれません。
わさみんのばあい、しかしそんなような世界をかなりうまく表現できているなと思うんです。どのあたりの客層がターゲットとして想定されているか、かなりよくわかるようなイマイチわからないような、ちょっと複雑で不思議ですが、一般の演歌ファンはもはや高齢化しているので、そこから考えればわさみんファンはまだまだ若い層が多いという実感はあります。
ぶっちゃけた話、わさみんは旧い世界を表現する演歌歌手という側面と、新傾向のリベラル・ポップを歌う若い J-POP 歌手という二面を使い分けていて、毎年一月末〜二月頭に前者にしぼったソロ・コンサートを開くものの、一方、秋には恒例の<LOVEライヴ>をやって、ポップ・ソングはそっちで歌うという棲み分けができています。
はたして<真の>岩佐美咲が、歌手として本当にやりたいことや資質が、奈辺にあるのか、それはぼくにはよくわかりません。いっぽうであっけらかんとした新しい若者でありつつ、ふだんは着物姿で旧い(自己抑圧的な?)歌をさらりとこなすという、あのさらりあっさり感、素直なナイーヴさといったそのヴォーカル表現スタイルに、ある種のヒントみたいなものが隠されている…、のかもしれませんね。
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