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2019/09/20

マイルズの1966年ニューポート・ライヴがすごい

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https://open.spotify.com/playlist/52dFiN3YERxekbc06xO0oC?si=wB5CNOcPTAOPOmaGU_KPpA

 

1966年7月4日、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演したマイルズ・デイヴィス・クインテットの演奏を聴きなおしたのはうっかりミスでだったんです。どういうことかと言いますと、こないだ1969年ニューポート・マイルズのことを書いたでしょ、そのとき CD をひっばり出してそっちでも聴きかえそうと思って、レガシーの四枚組ボックス『マイルズ・デイヴィス・アット・ニューポート 1955-1975』をテーブルの上に持ってきたわけです。

 

それで1969年分はディスク3冒頭なんですけど、それを聴こうと思ってボンヤリしていて間違えてディスク2を CDプレイヤーのトレイに乗せて再生ボタンを押しちゃったというわけですよ。二枚目前半は1966年分なんです。マイルズ、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズのバンド。ちょうどスタジオ作『マイルズ・スマイルズ』録音の三ヶ月ほど前にあたります。

 

しっかしこの、聴くつもりなくウッカリ聴いちゃった(だから音が出てアレレッ?と思った)1966年マイルズ・クインテットのライヴが、かな〜りすごいじゃないかと、そう感じたんですよね。それ以来くりかえし再生しては感銘を受けるというハメになっているんで、だからここらへんでちょっとこのマイルズ1966年ニューポートの内容がいかにすごいか、メモしておこうと思います。

 

ところでこの時期マイルズ・バンドはほとんどスタジオ録音もライヴもやってなくて、ウェインを迎えたニュー・クインテットになって以後、1965年の1月にアルバム『E.S.P.』を録音したあとは、かの有名な12月のプラグド・ニッケル・ライヴ(シカゴ)までいっさい活動なし。これは以前も書きましたがマイルズの健康状態が悪かったからです。実は66年に入ってからもスタジオ録音なし、ライヴも五月にポートランドで一回やったのみで、その後が今日話題の七月のニューポートで、なんとこれでぜんぶなんですよ。ようやく十月にスタジオで『マイルズ・スマイルズ』を吹き込んだだけ。

 

1967年になったらスタジオ・セッションもライヴ活動もさかんになってきますので、65年初頭の健康状態悪化が66年もまだ続いていたのかもしれないですね。たんなる個人的憶測で、確証はありません。どこかにそのへんの事情を記してあるドキュメントがあったりするかもですが、見つけていないんです。

 

ともあれまだ壮年期の音楽家が、しかも新進気鋭のサイド・メンをかかえてこんな状態では、フラストレイションがたまるいっぽうだったろうと思うんですね。だから1965年12月のプラグド・ニッケル・ライヴもそうだったように、たまのライヴ・セッションでは一気に引火・爆発してしまうのも当然でしょう。66年7月のニューポート・ライヴだってそうなんです。

 

つまりひとことにして激情的。パッショネイトにスウィング、というかハード・ドライヴをくりひろげているんです。それは冒頭の「ジンジャーブレッド・ボーイ」を聴いても実感できることじゃないですか。このジミー・ヒース・ナンバーは10月のスタジオ・セッションで録音し『マイルズ・スマイルズ』に収録されたものですから、7月のニューポート・ライヴ・ヴァージョンはまだ初期型なんですね。それでもうこんな具合ですから。

 

1966年ニューポートの「ジンジャーブレッド・ボーイ」、ちょっぴり頭が切れちゃってますけど、出だしのトニー・ウィリアムズのドラミングからしてぶっ飛んでいるじゃないですか。トニーはこの66年7月ライヴ全体でキレまくっています。トニーはまだ血気盛んな10代の若者だったんで、ボスが(健康状態のせいとはいえ)なかなか活動しないから不満がつのっていたはずです。だからたまのレギュラー・クインテット・ライヴではエネルギーが暴発しちゃうんでしょうねえ。

 

もちろん自身のリーダー作ふくめ、いわゆる新主流派のレコーディング・セッションでみんな活躍していましたけど、ああいったスタジオ作品の特色は<抑制が効いている>というところにありましたから。ナマナマしい一気の発散放出なんてありえません。だからバンドのライヴでは、トニーにしろ、ここで聴けるような猛演奏ぶりになっているんでしょう。ぼくはそう推測します。

 

「ジンジャーブレッド・ボーイ」では、しかもなんだかよくわからないポリリズムをトニーが叩き出していますよねえ。ちょっぴりラテンな変形8ビートみたいなものです。そしてパートによっては4/4ビートになるんですけど、基本、ハービーの弾くブロック・コード連打といっしょになって8ビートを演奏しています。トニーの演奏する8ビートはこのころからロック・ミュージック的ですね。しかもロックにはないしなやかさも兼ね備えています。

 

マイルズもウェインもハービーもソロでかっ飛ばしていますが(特にマイルズ)、いずれも背後でのトニーの猛プッシュあればこそなんです。これは2曲目の「オール・ブルーズ」でも同じ。『カインド・オヴ・ブルー』に収録されていたこの曲はもともと3/4拍子でしたが、この66年ニューポート・ライヴではときおり4/4拍子に展開したり、ふたたび3拍子に戻ったりします。

 

しかもその3/4拍子パートはかなり速くて細かくて、まるでハチロクのビートに接近しているかのように一瞬聴こえないでもないですよねえ。こういうふうにビートを細分化するのがリズム展開ではおもしろいところなんですけど、そのせいでここでもちょっぴりロック・ビートに似て聴こえたりするんですね。そうでなくともトニーがおかずをガチャガチャとたくさん入れて、かなりにぎやかなドラミングを聴かせていますし、そのせいでハード・スウィンガー、いや、ドライヴァーになっています。4ビート部分ではそうでもないんですけど、3ビート・パートでそうなっていると思うんですね。

 

続く3曲目のバラード「ステラ・バイ・スターライト」も驚くべき演奏内容ですよ。バラードと書きましたが、途中からなんと急速調に展開し、ハードにグルーヴしはじめるんですね。これ、本来はあくまできれいにやるリリカル・バラードなんですよ。ところが一番手マイルズのソロ途中の二分すぎごろからトニーが突然アップ・ビートでシンバル・レガートをやりはじめ、バンド全体で激しくノリはじめてしまっているでしょう。まるで夜空のもと猛ダッシュで駆けているかのような演奏じゃないですか。

 

ハードにドライヴしたままウェインのソロに入り、その途中でいったん落ち着きますが、やはりミドル・テンポで軽快にスウィングしているので、美しいバラードといった雰囲気はないですよね。三番手ハービーのソロ途中で、またもやトニーがアップ・ビートにチェンジし、激しい演奏になったままマイルズに戻り、苛烈な演奏で「ステラ・バイ・スターライト」は終了してしまいます。

 

残り二曲の「R.J」「セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン」もグルーヴ・チューンですし、いったいなんでしょう、この1966年7月のニューポートにおけるマイルズ・クインテットはハードに突き進むばかりの展開で、その中心に(マイルズと)トニーがいて、猛プッシュでみんなをぐいぐいひっぱっているという、そんなステージだったのではないでしょうか。いやあ、すごいなあ。若さゆえってことでしょうかねえ。若くてエネルギーに満ちていたのに、ボスがなかなかライヴをやらないもんだから、たまのこういった機会で自己制御できず爆発しちゃったんでしょうか。

 

(written 2019.8.24)

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