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2019年10月

2019/10/31

曲の長さを把握することは重要

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レンタル・レコード・ショップ全盛のころ、そう、いつごろでしたっけ、1970年代末〜80年代前半あたり?忘れましたが、多くのひとがレンタル・ショップで借りてカセット・テープにダビングしちゃうのでレコード買わなくなって(本当にそうだったのか、個人的な実感はないのですが)、レコードの売り上げが落ちていた時期がありましたね(本当に?)。CD メディア登場前夜あたりの話でしょうか。

 

それでレコード会社側のレンタル対策の一環として(ほかにもいくつかあったけど)レコードのパッケージやライナーノーツなどに曲の長さを記載しなくなっていたことがありました。この時期に日本のレコードを買っていたみなさんであればご記憶のことでしょう。聴いてみるまで曲の長さがわからなければ、何分カセットを買ったらいいかわからなくなるであろうみたいなことだったんでしょうか。

 

実際それでレンタル対策になったかどうかもわからないんですけど、LP レコードで収録曲の長さをいっさい書かないということには、レンタルなどしないであろうリスナーとかプロ評論家のみなさんがかなり反発していました。ぼくが記憶しているのは『スイングジャーナル』誌に載った油井正一さんの文章です。いわく「音楽を楽しむのに曲の長さを知っておくことはたいへん重要なんです」とか、そんな意味のことが書いてあったように思います。

 

つまりですね、こういったことはいまの配信全盛時代やその前の CD 時代に音楽を聴くようになったみなさんには理解しにくい事情だと思うんです。配信だともちろん曲の長さが表示されますし、CD だって書いてなくともプレイヤーに入れたら即時にわかりますもんね。レコード会社もバカバカしくなって、CD の時代になったら(レンタル対策で)曲の長さを書かないなんてことはやめました。無意味ですから。

 

だからこんな問題はアナログ・レコードの世界でしかありえない問題なんですね。そして、油井さんのおっしゃったように、一曲一曲それぞれ何分何秒の長さなのかを知っておくことは、そのアルバムを楽しむ上で必須の情報であるようにぼくも思っていたし、いまも同様に考えています。これをわかりやすく論理的に説明するのはむずかしいんですけど、間違いない実感です。

 

一曲全体で、たとえば25分の曲の、いま聴いているのは何分目あたりであるということを常に把握しながら聴き進むということは、その曲の姿とかありようや演唱状況を把握するのにとっても重要じゃありませんか。もしこの情報がなかったら、という状況を想像してみてください、まるで五里霧中でさまようような感じになってしまうと思いますよ。もちろん、体感できる部分もあるのですけど。

 

アルバム全体でも、何分の曲と何分の曲がどれだけの数並んでいるかみたいなことを知っておかないと、いったいどんな構造のアルバムなのか把握がむずかしいように思うんですね。違いますか?曲の長さ、アルバム全体の長さといったことは、曲名やパーソネルや録音データとあわせ、音楽を楽しむ上で必要不可欠なデータでしょう。

 

そんな大切な情報を、一時期だけのこととはいえ、日本のレコード会社は隠してぼくらに与えようとしなかったんですよ。あのころ、みんな不満をいだいていましたよねえ。だから、油井さんのようなかたの寄稿は、まさにぼくらの気持ちを代弁してくれていたなと感じたんですね。みなさん、当時はどうなさっていたでしょう?買ったレコードでもカセット・テープにダビングする癖のあった(のはステレオ装置のない自室のラジカセで聴きたいがため)ぼくは、まず第一回目に聴くときに時計を見ながら時間を計っていました。それで何分カセットを使ったらいいか判断していたんです。

 

こんなこと諸々、CD が登場しプレイヤーに入れたら即座にアルバムや曲の長さがわかるようになって無意味になりましたから、レコード会社もムダな抵抗をしなくなったのかと思いきや、今度は iTunes など音楽アプリの登場でカンタンに CD をコピー(リッピング)できることとなり、今度はその対策でコピー・コントロール CD(CCCD)なる欠陥品が幅を利かせていた時期だってありました。いまやそれも消えたように思いますけどね。

 

(written 2019.10.4)

2019/10/30

南洋グルーヴ 〜 查勞 巴西瓦里

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https://open.spotify.com/album/08gFdMo1OUGmavOyRpPywW?si=1LxoVB2QRCyqYna4CClwdA

 

チャーロウ・バシワリと読むらしいこのひとは台湾の先住民、アミ族のミュージシャン。今年の新作『Salama』(2019.5.17 )は、チャーロウ自身がマダガスカルに乗り込んで、現地の音楽家たちと全面共演したもののようです。これが気持ちいいんですよ。快感ですね、全編をとおし貫いているこの南洋グルーヴがですね。このアルバムみたいなのを汎南洋音楽と呼んでもいいんじゃないでしょうか。

 

このアルバムで聴くかぎり、チャーロウのこだわりはオーガニック・サウンドですね。音楽が本当に大好きでたまらないんだなというのが全身からあふれ出ているチャーロウのこのアルバムは、全編アクースティック・サウンドに徹しているんですね。アルバム・ラストの9曲目は3曲目のリミックスですから、そこでだけエレクトロニックなサウンド処理が聴けますけど、ほかは電気・電子はいっさいなし。ベースもコントラバスですし、そのほか生音楽器しか使っていません。

 

いかにも自然の、大地の、大海の、ナチュラルなオーガニック志向を明確に打ち出したというようなサウンドで、曲も(たぶんぜんぶチャーロウの自作と思います)広大な大自然を思わせるようなゆったり雄大なグルーヴで貫かれていますよね。しかもなんだか底抜けにとまで言いたいほど明るい曲と演唱ばかり。つらい気持ちになって沈んでいたりする聴き手の心情をもかきたててしまう、しかし無理強いではない、気持ちよさとパワーがありますね。

 

レゲエっぽい曲がふたつ(それらでも裏拍の刻みを入れるのはアクースティック・ギター)ありますが、シリアスさは微塵もなく、徹底的に突き抜けた解放感があるのがチャーロウの音楽の特色ですね。ンゴニ?かあるいは親指ピアノ?か、なんだかそんな音も聴こえますし、アコーディオンも全編で効果的に使われています。控えめながらドラムスやパーカッションや、またコーラス隊、ホーンズも活躍。

 

チャーロウは台湾先住民のアミ族ですが、アミ族の言語は、オーストロネシア語族に属するそうです。オーストロネシア人は、ほかならぬ台湾を起点に、紀元前2000年ぐらいに、現在のフィリピンやインドネシア、マレイ半島に移り住み、そこからまたインド洋を渡って、西暦五世紀ごろにアフリカ沖のマダガスカル島まで到達しました。かたや、南太平洋へ渡り、ポリネシア人やミクロネシア人の祖先になったともされています。

 

つまり、海洋民族だった台湾の先住民たちが、インド洋や南太平洋に渡り世界に拡がったという経緯が、最近の DNA 研究から解明されたそうですが、そんな古代史的物語に想像力をふくらませて音楽の旅を繰り広げるチャーロウ・バシワリの全編マダガスカル録音のこのアルバム『Salama』、実に広大な音楽じゃありませんか。根っこに野太いグルーヴがありましすし、徹底的に人生肯定的ですし、こんな陽光のもとで水浴びしているような解放感に救われることもあるんですね。

 

※最後の二段落はエル・スール HP 記載文を参考にしました。

 

(written 2019.9.30)

2019/10/29

ラテンなプリンス

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https://open.spotify.com/playlist/190KkanGDDJoSOGyyuape6?si=Nkh5znEKQmuTu88O-3xSjA

 

プリンスのラテンものについて、いますぐパッと思いつくものだけパパッと並べてみました。もちろんちゃんとその気でさがせばもっともっとあるはずですけれども、今日はとりあえずこのくらいで。もっとたくさんあったとぼくもなんとなく感じているし、実際軽いラテン・リズムのニュアンスがあるとかいうものなら、もう無数にといっていいほどあるんじゃないかと思います。アメリカ合衆国の音楽においてはラテン要素は最重要で不可欠なものですから。

 

さて、今日のプレイリスト。1曲目「シー・スポーク 2 ミー」、2曲目の「ウェン・ザ・ライツ・ゴー・ダウン」のラテン風味はちょっと薄めですよね。軽いラテン・ジャムとでも言った感じですか。でもこれら、ラテン・テイストがなかったらあまりおもしろく仕上がらなかった曲じゃないかと思うんですね。曲の魅力の重要な部分をこのほんのりラテン香が担っています。

 

3曲目と7曲目の「ジ・エヴァーラスティング・ラヴ」は同じ曲ですが、スタジオ・ヴァージョンかライヴ・ヴァージョンかの違いです。スタジオ録音のほうはまだまだちょっと物足りないですよね。それだけライヴのほうがすぐれているっていうか、なんですかねこの超絶濃厚なラテン・ソロまわしは。中盤の楽器ソロの部分が本当に鬼すごいと思います。その前後はどうってことないような。あ、でも前後も軽いラテン・ノリはありますね。このスタジオ版とライヴ版を比較してみてほしいと思って、前者もいちおう入れておきました。

 

『3121』からとった「チ・アモ・コラソン」。な〜んてきれいなのでしょう。本当に美しい必殺ラテン・バラードでしょう。個人的にはラテンなプリンスのなかでこれがいちばん好きですし、出来もすばらしいと思っています。ストリングスやホーンズのアレンジはクレア・フィッシャー。楽器は多くがプリンスのひとり多重録音です。

 

『3121』の末尾を飾っていた「ゲット・オン・ザ・ボート」。シーラ E がラテン・パーカッションで参加しているこれも大好き。強いビートの効いたラテン・ファンクとでもいったところでしょう。アルト・サックス・ソロはメイシオ・パーカー。強力ですね。ドラムスやパーカッション群も大活躍で、いやあ、これは楽しい。ラテン・ノリの痛快さを思い知る一曲です。

 

ライヴ音源パートに入って「ドロシー・パーカー」(ザ・バラッド・オヴ・ドロシー・パーカー)は、『ワン・ナイト・アローン...ライヴ!』の三枚目『ジ・アフターショウ』から。この曲、『サイン・オ・ザ・タイムズ』収録のオリジナルにはそんなに感じなかったラテン風香を、ライヴでは特に楽器ソロ部分で最大限にまで拡大・強調していますよね。たぶんコンガもピアノもプリンスが演奏しているんじゃないでしょうか。いやあ、この「ドロシー・パーカー」はヤバいですよ。ちょっぴりサルサふう?

 

本日最後は先にも触れたライヴの「エヴァーラスティング・ナウ」。いったん歌が終わって中盤で全員でリフを決めたあと、プリンスのギター、レナート・ネトのピアノ、グレッグ・ボイヤーのトロンボーン、キャンディ・ダルファーのアルト・サックス、ギター、アルトとソロまわしが続くその箇所が、と〜んでもなくかっとんでいるでしょ〜。さらに全員のソロが終わってのキメのリフのカッコよさといったら、も〜うしょんべんチビりそう〜〜。

 

(written 2019.9.29)

2019/10/28

オルジナリウス来日公演に向けて期待が高まる

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https://www.min-on.or.jp/play/detail_170079_.html

 

右 or 下の画像は、つい数日前のこのブログの「このブログの人気記事ランキング」ですが、3位に注目してください。いまはもう違っているとは思いますが、オルジナリウスについて書いた文章がランク・インしていますよね。ちょっと前に5位から来ていました。ランキング内にいままで影も形もなかったのに、急遽これが上昇してきたのには、これだという間違いない理由があります。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-3810.html

 

それはもうすぐ(11月中旬から)オルジナリウスの来日公演があるということなんですね。オルジナリウスとはブラジルの七人組ヴォーカル・コーラス・グループ。男女混成できれいで楽しいハーモニーを聴かせてくれるんですね。ぼくは昨年このグループのアルバムに出会い、聴いて、すっかり大好きになってしまって、上の記事も書いたというわけなんです。

 

オルジナリウスなんて、日本でどれだけ知名度があるかわからないのに、つまり来日公演をやってどれだけお客さんが集まるかはっきりしないのに、それでも日本へ呼ぼうと考えた主催者さんのご判断を称賛したいと思います。オルジナリウスは、実際、とっても楽しいですよ。ぼくもライヴにははじめて接することになるんですが、アルバムどおりのヴォーカル・ハーモニーを聴かせてくれるんなら、文句なしに最高のライヴとなるに違いありません。

 

オルジナリウス来日公演の詳細については、今日、いちばん上でリンクした紹介サイトをごらんください。特筆すべきは公演回数の多さと、数多くの地方都市までくまなくまわるその熱意ですね。オルジナリウスみたいなブラジルのグループが、こんなに二ヶ月近くも日本に滞在し、全国で計20ヶ所以上も、それも小規模な地方都市を中心に、どんどんコンサートをやってまわるというのは、かなりの快挙と言えます。

 

ぼくは愛媛県に住んでいるんですけど、松山でも12月17日に公演が予定されていますよね。ぼくはもうチケットを買いました。松山市民会館大ホールのキャパは2000人なんですけど、松山みたいな田舎街でオルジナリウスに2000人も集まるでしょうか?いささか不安ですが、愛媛のローカル・テレビ局なんかでもどんどん宣伝してほしいと思います。

 

そのほか、あなたのお住まいの、あるいはお近くの街にも行くんじゃないでしょうか、これだけ全国をどんどんたくさんまわればですね。オルジナリウスは現役のヴォーカル・コーラス・グループのなかでは断然トップの実力を持つすばらしい集団です。主にブラジルの、それもスタンダード曲を中心に楽しくやっていますが、来日公演ではアメリカ合衆国の曲などもとりあげるそうです。

 

楽しい一夜となることうけあいのオルジナリウスの来日公演。みなさんの地元へ彼らが行くときには、もし可能だったらちょっと足を運んでみてはいかがでしょうか。きっとすばらしい体験となるにちがいありませんよ。

 

(written 2019.10.27)

2019/10/27

ナマの身体性を取り戻したジャズ・ヴォーカル 〜 アナベラ・アヤ

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https://open.spotify.com/album/6H21dAstKzesF670fTus5E?si=U5OAnY1wSoWcX_FBNaXG_Q

 

Astral さんのブログで読んだのが知ったきっかけです。
https://astral-clave.blog.so-net.ne.jp/2019-09-04

 

アンゴラのアナベラ・アヤ。『Kuameleli』(2018)がデビュー作のようですが、ジャケットを一瞥しただけでなにかこう、予感めいたものが働きますよね。とってもいいジャケットだけに。そう、アルバム『Kuameleli』は中身も傑作です。クレオール・ジャズみたいな作品と思うんですけど、そこにとどまらないスケールの大きな音楽かもしれません。

 

アナベラのこのアルバムを聴いての最大の印象は、なんてナマナマしいセクシーな声で貫かれているのかと、このナマの身体性こそがこの音楽の最大の魅力だなということです。声にいのちが宿っている、それはいつでもどんなものでもヴォーカル・ミュージックのチャームなんですが、ジャズのフィールドでは濾過されて表出されることが多かったんじゃないかと思うんですね。

 

だから声の持つナマの身体性、色気をそのままストレートに活かしたアナベラのばあいは、ジャズ・ヴォーカル作品としてはやや異色というか、新しいなと思うわけです。そもそもヴォーカルに限らず、身体性がナマナマしく活かされているというのは、この作品のばあいアナベラの声だけではありません、バンドのリズムにも生命が宿っていますよね。

 

こんな質感のジャズ作品には、はじめて出会ったような気がします。生唾ゴクリと飲み込むようなリズムとヴォーカルのセクシーさで、思わずのけぞってしまいそうになるほどの迫力に満ちているじゃないですか。ウェザー・リポートみたいなアンサンブルを聴かせるオープニングのアルバム・タイトル曲からはじけていますよね。

 

リズムやサウンドが多彩なのも、このアルバムの特色です。一曲ごとにリズムは変わり、またどの曲もポリリズミックで色彩感・躍動感豊かです。一曲のなかでもリズム・パターンがパッと変化したりします。打楽器群も活用されていますよね。サウンド面ではアコーディオンの多用も目につきます。ちょっとした素朴な泥くささをこの超高度に洗練された音楽に付与する役目を担っているかもしれません。

 

3曲目はアクースティック・ギターと生打楽器の響きを活かした、少人数によるオーガニック・テイストなサウンド・メイク。しなやかに綴るアナベラが見事です。そうかと思うと続く4曲目はビッグ・バンド・ホーンズが使われていて、アナベラは軽くしかし強靭に乗りこなしていますよね。これはアフロ・ジャズ・ホーンズといえばいいのかな、でもちょっぴりサルサっぽいですね。また、9曲目はエレベ一本だけの伴奏です。

 

どんなサウンド、どんなリズムを使ってあっても、アナベラの強くしなやかでセクシー&艶やかな声が全編を貫いているので、それこそが、ナマの身体性を取り戻したジャズ・ヴォーカルこそが、このアルバムの中心にしっかりあるのがわかるから、アルバムの強固な統一性が保たれているんですね。

 

(written 2019.9.24)

2019/10/26

コロゴの魅惑 〜 スティヴォー・アタンビレ

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https://open.spotify.com/album/4HGbWu2NPvcCU2SOH4R8a5?si=jckdZ46GRlWMIe0rVBkPIQ

 

bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-08-23

 

スティヴォー・アタンビレ(ガーナ)のアルバム『ティーチ・ミー』(2017)でいちばんグッと来るのは、17曲目の「マイナス・ミー」ですね。いやあ、こ〜れが、も〜う!超カッコイイのなんのって!しゃべりから出て、次いでホーン陣の咆哮があり、次の瞬間スティヴォーが弾きはじめるコロゴのカッコよさ、スピード感がたまりません。リズム・セクションも入り猛烈にグルーヴしていきますよねえ。いやあ、カッコイイなあ〜!

 

しかしこんな、なんというかややポップなというかファンクな感じもする「マイナス・ミー」は、このアルバムのなかでは例外ですね。だからこそ異様に輝いているとも言えるわけですけど、アルバム全体ではもっと渋く、スティヴォーのコロゴ弾き語りを中心に据え、派手なバンド編成サウンドはあまりありません。しかし地味な音楽かというとそうでもないっていう、不思議な感触のアルバムですね。

 

だいたいコロゴ(楽器名でもあり音楽名でもある)って、シンプルな反復フレーズを延々とくりかえすばかりで、それ自体はモロッコのグナーワに共通するようなものなのに、グナーワみたいな神秘的呪術性みたいなものが、このスティヴォーのアルバムだとほぼ感じられないのは、ポップ・ミュージック仕立てになっているからなんでしょうか?

 

それにしては、17曲目を除くだいたいどの曲もコロゴで同じフレーズをずっと反復しながら歌っていたり、ゲストがラップを聴かせたり、楽器が加わっていたりするだけなんですけどねえ。曲によってそのパターンは変化するものの、一曲のなかではコロゴのパターンはずっと同じです。じゃあ飽きちゃってつまんないかというと、ぜんぜんそんなことない、楽しめるっていう、だからやっぱり不思議な音楽です。

 

これはあれですかねえ、同一パターン反復の快感というものがあると、ぼくは以前からくりかえしていますが、スティヴォーのコロゴのばあいもそれが言えるということなんでしょうか。延々と反復されるコロゴの同一パターンと、その上に乗るスティヴォーの野生的なヴォーカルを聴いているだけで、なんだか気持ちいいっていう、そんなアルバムです。コロゴのこのころころっていう独特の音色も快感に拍車をかけているかもしれません。

 

しかしプロデューサーのワンラヴ・ザ・クボローはそこかしこに工夫はこらしていて、エレクトロニクスを控えめながら随所で効果的に使ったり、重低音ベースを活かしたり、各種打楽器をうまくからめたりして、スティヴォーの持ち味にうまく多彩性を加味しているとは言えるのかも。ゲスト・ヴォーカル(ラッパー?)も活躍しています。

 

それでもスティヴォーのこの『ティーチ・ミー』のキモはあくまで本人のコロゴ弾き語り。その根幹をしっかり維持し前面に出しているプロデュースなので、コロゴ・ミュージックの(スティヴォーの)野性味を失っていません。種々の工夫はあくまで控えめ、聴感上、アルバム全体がコロゴ弾き語りだけでできているじゃないか、それなのに飽きないのはなぜだ?!と思わせるマジックがありますね。いや、ホント、不思議なアルバムです。

 

(written 2019.9.22)

2019/10/25

エチオ歌謡と抑制された哀感 〜アスター・アウェケ

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https://open.spotify.com/album/4EqwBVCtN2frEGyZ7vPVxn?si=wr9vHLJcTUaUUHDSc67EZg

 

bunboni さんの紹介で知りました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-09-18

 

エチオピア歌謡は、日本の演歌、民謡に近いというのがだいたいみなさん感じているところだろうと思うんですけど(だって、どう聴いたって、ねえ)、といってもぼくはエチオピア音楽のことをなにも知りません。いままでにチラッと聴いてきた数枚でそう感じているだけです。ともあれ、またそれを実感する一枚が出ました。アスター・アウェケの新作『Ćhewa』です。

 

この独特の哀感、それを表現するアスターの繊細なこぶしまわし、高音部で微妙に揺れるというか震えるようなヴィブラートなど、実に演歌っぽいですよね。曲の旋律のつくりそのものがそもそも近いのじゃないかと思いますが(音階が共通している)、アスターの今回の新作のばあいは哀感の表現がうまくコントロールされている、抑制が効いているというのも好感度大ですね。

 

声の出しかたも、決して張りすぎずやわらかくそっと、しかし伸びのある強い声をしっかりと、でもソフトに出して、フレーズの表情のつけかたも緩急自在、豊富な陰影で聴き手をトリコにする魅力にあふれています。エチオ歌謡をほとんど聴いたことのないぼくですら、一回聴いてはまってしまったんですから、エチオ云々を言わなくても普遍的な魅力があるっていうことです。

 

『Ćhewa』でも情感豊かな、しかしその表現に抑制の聴いた聴かせる歌が並んでいますが、バックの伴奏もうまくコントロールされた控えめなものであることも成功の一因かと思います。1曲目から大好きなんですが、特にぼくがグッと来るのは3曲目の「Tiwsta」ですね。出だしのピアノ・サウンドが好きなんですが、歌がはじまってからもこの情感を抑えた繊細な表現にうなります。サックスのオブリガートもいいなあ。

 

アルバム中ちょっと異質なのは、7〜9曲目のブルージー・セクションでしょうか。これら三曲だけ、前後の情け深い哀感とはやや異なったフィーリングを出しているように聴こえます。特に8曲目「Ethiopia」、9曲目「Efoy」ではやや不気味なサウンドも聴かれ、ポリリズミックな展開とあいまって、不穏な空気をかもしだしていますね。ぼくはかなり好きな三曲パートです。

 

なんにせよ、エチオ歌謡ってこんなにも演歌好き日本人の感情にフィットするんだなあというのをあらためて強く実感したアスター・アウェケの『Ćhewa』でした。アフリカ音楽とかワールド・ミュージックとかに特に興味のない一般の日本人音楽好きにも聴いてみていただきたいですね。

 

(written 2019.9.20)

2019/10/24

ソニー・クラーク『マイ・コンセプション』の思い出

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https://open.spotify.com/album/4kyXSmqZ7WVTjodTRR4wgZ?si=c0F2Rq1nTHygj0poNDkE7g
(オリジナル・アルバムは6曲目まで)

 

1979年にブルー・ノートの日本法人から日本限定で突如発売されたソニー・クラークのアルバム『マイ・コンセプション』。これはたいへんに思い出深いアルバムなんですよね。ピアノ・トリオ作品『ブルース・イン・ザ・ナイト』(これも79年発売)とならび、はじめて買ったソニー・クラークでしたから。『マイ・コンセプション』のほうは二管コンボ編成です。79年は、ぼくがジャズを聴きはじめた年。

 

同じ日本でだけ、同じソニー・クラークの同じく未発表集で、やはり同様に1979年に発売されたということで、『マイ・コンセプション』と『ブルース・イン・ザ・ナイト』のジャケット・デザインのコンセプトは同じです。グランド・ピアノをモチーフにしたもので、たぶん同じデザイナーの手になるものでしょうが、確認する手だてをいまぼくは持っていません。

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CD だと、同じジャケットで同じ曲目で、となると、二枚ともやはり日本盤でしかリイシューされていないです。でも主にジャケットに目をつぶればアメリカ盤でも CD(やネット配信)があるんですね。待ちきれなかったぼくはそれを買っちゃったんで、その別のデザインのを眺めているわけです。買いなおそうかなあ〜。いや、たぶん買わないな。

 

『マイ・コンセプション』の収録六曲はすべてソニー・クラークのオリジナル・コンポジションで、しかもコンボ編成でとなると初お目見えとなるものばかりでした(1959年の録音)。それらが、も〜うチャーミングで、1979年にジャズ・ファンになったぼくは、それらを聴いて、ソニー・クラークってなんと魅力的な作曲家なのかと、強く印象に刻んだんですね。いまに続く「ソニー・クラークは作編曲家」というぼくの見解は、最初からしっかりあったわけです。

 

『マイ・コンセプション』収録の六曲はどれもとても魅力的なメロディを持っていますよね。それらのうち五曲までは1960年のタイム盤アルバム『ソニー・クラーク・トリオ』に収録されているものだ、ということをずいぶんあとになって知りました(曲名が違いますが「ロイヤル・フラッシュ」と「ニカ」は同じ曲)。

 

しかしぼくがソニー・クラークを知ったころにはタイム盤のトリオ・アルバム LP は松山では入手できず。松山でといわず、当時一般的にこのレコードは買いにくかったんじゃないしょうか。なにを隠そうぼくがタイム盤の『ソニー・クラーク・トリオ』を聴いたのは CD リイシューされてから。それまでは手段がありませんでした(ジャズ喫茶でリクエストすればよかったかもですけど)。

 

でもぼくはそのタイム盤に収録されている魅力的なソニー・クラーク・オリジナルの大半を『マイ・コンセプション』で聴いていたんですから、最初にタイム盤のトリオ CD を聴いても、あぁあらためていい曲だなと思っただけで、曲そのものがチャーミングでビックリしたみたいなことはなかったわけです。もちろんどれもすぐれたいい曲で、ピアノ・トリオでやるソニー・クラークならブルー・ノート盤より断然タイム盤ですね。

 

そんな曲のよさは、実は二管コンボ編成でやった『マイ・コンセプション』でのほうがわかりやすいなと思うのは、そっちに先になじんでいたぼくの欲目でしょうか。いや、そんなことはないでしょう、ピアノでトツトツと弾くよりも二管でば〜っと吹いてもらったほうが、ソニー・クラークのオリジナル楽曲の持つなんともいえない魅力が伝わりやすいように思います。

 

どの曲もそうなんですが、ぼくが大学生のころに最初に聴いて以来いまでも変わらず感銘を受けるのが、オリジナル・アルバムではクローザーだった「マイ・コンセプション」です。ゆっくりしたバラード調なんですけど、ハンク・モブリーにテーマ演奏を任せたのが大正解じゃないでしょうか。この渋い、決して派手な自己主張じゃないけれど確信に満ちたコンポーザーの表情を、モブリーが実に滋味深く表現してくれていますよね。ピアノ・パートを経て終盤はドナルド・バードのトランペットでカデンツァまでやりますが、そこも聴きごたえじゅうぶんです。

 

(written 2019.9.27)

2019/10/23

大好きな『ソニーズ・クリブ』

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https://open.spotify.com/album/469Y1IVCrttWSp2qQYzioA?si=lsIl30ouSwquRW0QSRyd7Q
(オリジナル・アルバムは5曲目まで)

 

初期ソニー・クラークでいちばん好きなアルバムが『ソニーズ・クリブ』(1957年録音58年発売)。この作品のばあい、アルバム・タイトル曲を収録した B 面は個人的にイマイチで、スタンダードばかり三曲で構成された A 面こそがずっと好きで聴いてきました。いちピアニストとしてより作編曲家としての才能が抜きに出ていたと思っているソニー・クラークですが、このアルバムにかぎってはスタンダード曲サイドのほうがいいですね。

 

まずオープニング1曲目の「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」。この急速調にアレンジしたのが大成功ですよね。A 面三曲はいずれもスタンダード・ナンバーなため、ソニー・クラークがどんなアレンジを施すかによって勝負が決まると思うんですけど、三曲ともいい仕事です。なかでもこの「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」のテンポ設定はいいですね。

 

トップ・バッターで出て爽快にかっ飛ばすドナルド・バードのトランペット演奏も見事。さらにもっと見事だなと思うのは、そのドナルドに対位法的にからむジョン・コルトレインとカーティス・フラーのオブリガートです。彼ら二名、テナー・サックスとトロンボーンのフレーズは、あらかじめソニー・クラークが書いて用意していたのか、それとも二名のアド・リブだったのか、そのへんは判然としませんが、きれいに決まりすぎているので、アレンジされていたとみてもいいですね。

 

もちろんそういったからみはテーマ演奏部のあいだだけで、各人のソロに入ればなくなります。ソロまわしとその内容については今日は省略しましょう。まあビ・バップとかハード・バップとかフリー・ジャズとかって、結局ソロを聴くしかない音楽だなと思うんで、音楽作品としての全体的把握みたいなことは薄くなっちゃいますよね。あ、でもぼく、カーティス・フラーのこのちょっとくぐもったような音色は大好きなんで、彼のトロンボーンが出てきただけでいい気分です。

 

とにかく、ふだんはバラード調でやることも多いこの「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」という曲を、こんなアップ・テンポにアレンジしてソロを取らせただけでも大正解。アルバム幕開けにまことにふさわしい雰囲気で、アレンジャー、ソニー・クラークの面目躍如だと言えましょう。最終テーマ終了時の三管でのまわしもいいアイデアです。爽快に幕締めとなっていい気分。

 

2曲目の「スピーク・ロウ」は A メロ部分でラテン・リズムを使ってあるのが特色ですね。以前、ソニー・クラークのふだんのなかにもいっぱいラテンがあるぞという記事を書きましたが、実際多いんですよね。「スピーク・ロウ」はそんな感じにアレンジされることが多い曲であるとはいえ、メインストリーム・ジャズなどアメリカ合衆国音楽のなかにも中南米要素は抜きがたくあるということです。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-4a2c.html

 

3曲目の「カム・レイン・オア・カム・シャイン」。カーティス・フラーがあの音色でテーマを演奏するのがなんともいえず大好きなムード。ぼくはホ〜ントこのトロンボーニストのことが、特に音色が、たまらなく好きなんですね。ここではテンポがとまりそうになるほどのゆっくりした調子でやっていますが、こういったテンポ設定はたぶんボスのソニー・クラークの指示ですね。ソニーのピアノ・ソロも親しみやすくてグッドです。この曲はワン・ホーン・カルテットでやったほうがよかったかも。

 

(written 2019.9.26)

2019/10/22

アンジー・ストーンが心地いい(2)〜『ドリーム』

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https://open.spotify.com/album/2hDF82eJV1l8SQ75qC7U0G?si=8ZgjzztOST2jdFEqfTN4hw

 

アンジー・ストーンの過去作をざっと聴いてみて、いちばんピンと来たのが2015年の『ドリーム』です。まずなんたって出だし1曲目がいいですよ。ビートの効いたアップ・テンポの「ダラー・ビル」。大好き。トラック・メイキングも見事だし、それにこういったソウル・ジャンパーに乗るときのアンジーの声の出しかた、置きかたがすごく好きなんですよね。いいノリじゃないでしょうか。

 

もうこんな「ダラー・ビル」だけでじゅうぶん好きになってしまうアルバムなんですが、その後はやっぱりどっちかというとしっとりめのバラード系のもののほうが中心ですかね。2曲目はデイヴ・ホリスターをゲストに迎えてやるヘヴィなナンバー。ひきずるようなビート感が特色ですね。デイヴが目立っていますが、こういった重たい曲想のものでもアンジーの発声は見事です。

 

3曲目「クローズ・ドント・メイク・ア・マン」は、たぶんこれ、モーニング娘。の「LOVE マシーン」を…、じゃなくてバナナラマの「ヴィーナス」(ショッキング・ブルーのかもしれないけど)のリフをサンプリングして使っていますよね。けっこう派手なワン・ナンバー。ちょっとケバケバしい感じもしますが、派手なソウル・ジャンパーを歌うときのアンジーの発声が大のお気に入りで心地いいぼくには楽しい。

 

その後、4「マグネット」、5「ドリーム」と続くしっとり美しめのバラード・セクションがこのアルバムのハイライトなんでしょう。実際、すばらしい。2019年最新作をふくめ何枚かアンジーのアルバムを聴いていると、こういったおとなしめのしっとりきれいなバラードを歌うのが本領のひとなんですかね。なんだかそんな気がします。表現力があるし、立派に聴かせるできにしあがっていて、アルバム『ドリーム』でも文句なしです。

 

アルバムではその後もどっちかというと落ち着いた曲想のものが続いていますが、9曲目の「シンク・イット・オーヴァー」はバラードでありながらややドラマティックなフィーリングも持ったスケールの大きな曲ですね。淡々としたなかにもりあげるアンジーのヴォーカル・パフォーマンスもすばらしいものです。トラック・メイクも見事ですね。特にバック・コーラス。

 

切なく哀しい9曲目「フォーゲット・アバウト・ミー」を経て、アルバム・クローザーの10「ドント・ブレイク・ミー」はふたたびテンポのいいアップ・ビート・ナンバーで、大好き。やっぱりどうしてもこういったビートの効いた曲を歌うときのアンジーがいちばんのお気に入りなんですよねえ。『フル・サークル』の「セイム・ナンバー」で惚れちゃったせいですかねえ。

 

(written 2019.9.17)

2019/10/21

アンジー・ストーンに癒されて(1)

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https://open.spotify.com/album/6KhoIz4SDYW5zEnl0O9bRB?si=z3n7GbzCSS2SI2Q5h2gcuw

 

bunboni さんのブログで知りました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-09-12

 

ぜんぜん存在に気づいてもいなかったレイディ・ソウル・シンガー、アンジー・ストーン。いやあ、実にいいですねえ。こんなにいい歌手がいたんだなあ。最新作の『フル・サークル』(2019)を聴いてみたら一発でハマっちゃって、過去作もざっと聴きましたが、すばらしいのひとことです。今日は『フル・サークル』のことだけ。

 

アンジー・ストーンって、いままでなにも知らなかったからわかりませんけど、けっこうクラシカルなソウル・シンガーなんですかね。アルバムを聴いているとそんな気がします。近年のヒップ・ホップ R&B シンガーみたいな感じは薄いです。でもしっかりした土台があって、その上で間違いない歌を聴かせてくれていますよね。

 

最新作『フル・サークル』のばあい、ぼくはまず2曲目の「セイム・ナンバー」で KO されちゃいました。このテンポのいいアップ・ビート・ジャンパー、気持ちいいったらありゃしません。バック・トラックのつくりかたも完璧だし、歌うアンジーのリズムへのノリも文句なし。いやあ、こんな気持ちいいソウル・ナンバーはなかなかないですよ。快感というしかないです。

 

アルバムのぜんぶの曲が「セイム・ナンバー」だったらいいのに、と思うほどなんですけど、ちょっと書いておくと、アンジーのこのアルバムをはじめて聴いたとき、ぼくはちょっと個人的に落ち込むことがあって気分が暗く憂鬱だったんですね。ところがこの「セイム・ナンバー」ですっかり癒されて元気になっちゃったんです。ぼくを癒し救ってくれたのがアンジーの歌う「セイム・ナンバー」だったんですよね。

 

しかしアルバムではこの手のアップ・ビート・ナンバーはこれだけ。ほかはもっと重心の低いミドル・グルーヴァーですね。でもそれらも完璧に見事です。1曲目「パーフェクト」から、まるでブラック・コーヒーを飲んでいるかのような味わいのアンジーのヴォーカルは絶好調。3曲目「ダイナソー」もすばらしい。この3曲目はアルバムのなかでも目立ってできがいいかもしれないです。

 

続く4曲目「ゴナ・ハフ・トゥ・ビー・ユー」ではジャハイムとのデュオ歌唱で。ちょっとスティーヴィ・ワンダーが書きそうな曲ですね。特に曲終盤でファズの効いたエレキ・ギターが粘っこいソロを弾きながら終わるっていう展開もなかなかグッド・アイデアで胸に迫ります。

 

アルバム全体ではホント落ち着いた曲調のものばかりなんですけど、それでも終盤の9曲目「ワイル・ウィ・スティル・キャン」、10「レット・ミー・ノウ」ではややラフなサウンド・タッチをわざと施して、ドラマティックにもりあがる感じがありますね。この二曲が、個人的にはこのアルバムで「セイム・ナンバー」の次に好きです。

 

(written 2019.9.16)

2019/10/20

秋の夜長に 〜 ブルチュ・イルディス

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https://open.spotify.com/album/09q2PIt0pjTkX2xjENNsqZ?si=Cukq8AsASZOiz8aKqAP28w

 

トルコのハルク歌手ということなんですけど、Burcu Yildiz というこの名前はどう読めばいいのでしょう、ブルチュ・イルディス?とりあえずそういうことにしておきましょう。2019年の(たぶん)デビュー・アルバム『O Günler』がなかなかいいですよ。しっとりしていて落ち着けて、これからの秋にはピッタリの内容じゃないでしょうか。

 

このアルバムの編成の基本は、アクースティック・ギター+ベース(ときにエレキ)+ドラムスで、これを中心とし曲ごとにゲスト参加のミュージシャンがかわるといった具合。どんな楽器がゲスト参加しているかは本当に曲によってさまざまで、ウードだったりネイだったりストリングスだったり管楽器バンドだったりで、そこに一貫性みたいなものはあまりないみたいです。

 

1曲目「Suskun」でギター・トリオの演奏にウード(アラ・ディンクジアン)がくわわってフォーキーな演奏をはじめ、そこにブルチュのヴォーカルがしっとりとからんでいくあたりから、すでに引き込まれてしまいますよね。実にいい雰囲気じゃないでしょうか。演奏も歌も決して派手に盛り上がらず、ずっと一定の落ち着いたムードをたたえたまま進みますが、そんなところもいい感じです。

 

2曲目のゲストはたぶんチェロ奏者でしょうか。ここではリズムがやや快活、というほどでもないんですけどこのアルバムのなかでは目立つほうでしょう。途中からやや劇的なストリングスも入ります。それに乗ってブルチュのヴォーカルにもすこし力が入っているような。ドラマーもリム・ショットで派手にやります。こういうのもありですね。

 

3曲目の管楽器隊はちょっとバルカンブラスみたいで、だから曲全体もやや東欧的な感じがします。リズムも2曲目よりもっと派手になって、ぐるぐる回転するようなにぎやかなものですよね。バック・ヴォーカルが聴こえますが、これはブルチュの多重録音の可能性があると思います。こんなにぎやかな3曲目はこのアルバムではやや例外的かもしれません。やや大道芸的な音楽?

 

しかし4曲目以後はふたたび1曲目同様のしっとり落ち着いたハルク路線に戻って、秋の夜長をうるおしてくれますよ。夜長などといってもこのアルバムはたったの33分しかありませんけどね。4曲目ではネイやクラリネットがゲストの模様。哀しげ&切なげな演奏と歌の雰囲気でこの曲も貫かれています。でもドラマーは背後でけっこうやってますねえ。

 

5曲目以後もずっとそんな暗くしっとりした陰なムードが一貫しているんですが、ブルチュのヴォーカルは開放的な発声をしていて好感が持てますね。しっとり感を維持しつつ伸びやかさを保っています。アルバム・タイトルになっている5曲目はウードとギターのデュオ演奏で歌い、6曲目はストリングス+ホーンズ入り。ここでもホーンズがちょっぴり東欧的に聴こえますけど、トルコと地理的に近いせいなんでしょうか。6曲目は若干ドラマティックに盛り上がるかもしれません。

 

ウードのアラ・ディンクジアンと男性歌手オニク・ディンクジアンをゲストに迎えた7曲目はウード+ギター・トリオだけの伴奏でどこまでもしっとりと。これを経てアルバム・ラスト8曲目ではアラのウード一台の伴奏だけでブルチュが歌っています。7、8曲目ではブルチュの声の美しさがきわだっていて、特筆すべきできばえですね。ウードだけで歌う8曲目なんか実にすばらしく、個人的にこのアルバムのベスト・トラックです。

 

(written 2019.9.18)

2019/10/19

大は小を兼ねるというけれど

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https://open.spotify.com/album/0Oivkm8f3O3YIIvPEJJr05?si=7Xrk9YWpSJOIEpXRtSe3cw

 

大学生のころ、クラシック音楽マニアだった英文学教授が言うにはですね、「若いころは大規模なシンフォニーとか、そりゃあ好きで、気合を入れてどんどん聴いていたけれど、この歳になるとそういうものはちょっとしんどい、短い小品なんかがちょうど具合いいんだ」と。そのときはへえぇ〜と思っただけでして、ぼくは大学生でジャズに夢中で、レコード二枚組の大作なんかも平気でどんどん聴いていました。

 

むかしはそういった大きな作品を聴くのがしんどいなんて思ったことなかったんですけど、最近ですね、ちょっとそんな感じが出てきているんですね。ひとつには加齢ということがあるでしょう、というかこれがたぶん最大の原因です。体力・気力が徐々に落ちてきているせいで、集中力が持続しにくくなってきていますよね。前段で引用した教授の話もこのたぐいのことです。

 

これはおそらくだれでもそうなっていくんでしょう。ただ BGM としてだらだら流しているだけなら途切れないほうがいいから長大なアルバム(やプレイリスト)がいいんですけど、しっかり向き合って気持ちを入れて集中して聴ける時間の長さには、年齢的な限度の変化があるでしょう。だからぼくも最近短めの小品のほうが、どっちかというと聴きやすいと思うことが多いです。

 

もうひとつには、いままでなんどかくりかえしていますが、最近音楽アルバムの長さが短めになってきているなというのも原因のひとつかもしれないです。CD だと一枚で最長80分が収録できますけどそんなのは最近なくなって、一枚のアルバムで30分とか40分とかが主流になってきているでしょう。なかには25分くらいなのもあったりして、かつての LP 時代よりも短時間になってきているような気がします。

 

音楽アルバムの長さが短くなったのは、どう考えてもネット聴き、それもストリーミングで聴くのが世間の主流になったからですよね。それで CD など物体で聴くときでも同じ短さで、ぼくもそんな傾向にすっかり慣れちゃったというのがあるんじゃないかと思います。聴取習慣というか、一個40分程度までっていう、なんというか心理的な区切り、フレームみたいなものができてしまったかもしれません。

 

そんなわけで二つの理由 〜 年齢的な衰え、アルバムの短時間化 〜 によって、長い収録時間のアルバムを聴くのが、まあ流し聴きなら問題ないんですけど、気持ちを入れて向き合うのはややしんどいと感じるように、最近なっています。集中力を途切れさせず維持したまま一気に聴けるのは、アルバム一枚40分か45分くらいまでじゃないですかね。一時間以上あると、聴く前に「うぇ〜」と感じちゃうようになりました。

 

だからそんな一時間超えの長さのアルバムなどは、途中でいったん休憩したくなっちゃいます。これはだから、長大なアンソロジーとかコレクション(SP 時代の音源集大成とか)なんかだと、実際休憩しやすいですからいいんですよね。そういった長いものはそもそも続けて一気にぜんぶ聴くことは想定されていないと思いますから。ぼくの言っているのはオリジナル・アルバムということです。

 

長いものより短めのもののほうがいいっていうのは一曲単位でも言えることで、最近はシングル曲基準の三分程度が最も心地よくて、五分とか八分とかあると長い、長すぎるとか感じてしまうこともあります。これはむろん例外も多くて、最近だとたとえばヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのウォマド1985ライヴ。1曲目も2曲目も20分を超えていますが、わりとあっという間に聴けてしまいますからね。長いと感じたことがありません。

 

な〜んだ、音楽的にすばらしければ長さを感じない、楽しければあっという間だと、そういう世間のみんなが知っているだけのことなのか、と言われそうですけど、まあそれが事実です。でも曲単位ならそうでも、アルバム単位となると充実作でも長いとちょっと…、と思うことはままありますね。なんというか人間としての生理というか、やっぱりあんまり長い時間は集中できないですよねえ。だから創り手、届け手さん側にもちょっと考えてほしいと思うこともあるんです。

 

(written 2019.9.25)

2019/10/18

気持ちいいスキャットマン・クローザーズ

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この CD のリリースは bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-08-21

 

ジャスミン盤アンソロジーの『ロックンロール・ウィズ・スキャット・マン』(2019)、いやあ、爽快で気持ちよくカッコイイですよねえ、スキャットマン・クローザーズ。ジャズ/ブルーズ/ジャイヴでかっ飛ばすこのシンギングがたまりません。スキャットマンのヴォーカルには、どこか夢中になりきっていない醒めたクールネスもあって、そんなところもジャイヴな味といえましょう。ちょっとキャブ・キャロウェイにも通じるところででしょうか。

 

でもハチャメチャなナンセンス・シラブルを速射砲のように繰り出すスキャットマンの歌で、ぼくのほうはすっかり夢中。ガーシュウィンの「アイ・ガット・リズム」とかファッツ・ウォーラーの「手紙でも書こうか」とか、このヴォーカルのスウィンギーさといったらたまりませんね。軽快で爽快で胸をすく思いです。

 

ぼく個人の感想と断っておきますが、ロックンロール・ヴォーカルに通じるものだって感じました。それは「ビ・バップ・ア・ルーラ」「ハウンド・ドッグ」といったロック・スタンダードを歌っているからというわけでは必ずしもなく、もっとこう、このスキャットマンの持つスピード感とテンションの高さ、リズムのハネといったものがロック・ミュージックに通じる部分もあるなと思うわけなんです。

 

「イグザクトリー・ライク・ユー」「アイ・ガット・リズム」などのこのパワフルさやハチャメチャ、キテレツな破裂ぶり、「マイ・ブルー・ヘヴン」「手紙でも書こうか」などの痛快にハネるスウィング/ドライヴ感、「(アイ・ウォント・トゥ)ロックンロール」「キープ・ザ・コーフィー・ハット」などのこのタメの深い(R&B ふうな)ノリなど、それらはたんにジャズ・ヴォーカル、ジャイヴ・シンギングという枠におさまりきるものではありません。

 

思えば、ジャズとロックは、ジャンプ・ミュージックをあいだにおき、ひとつづきなんです。スキャットマンのすこし前、1940年代に一世を風靡したルイ・ジョーダンは、基本ジャズのひとですけど、ジャンピング・ジャイヴともいうべき独特の芸風で、約10年後のチャック・ベリーの先駆となりました。ジャズ/ブルーズ/ジャイヴのルイ・ジョーダンは、そのままロックンローラーにつながっているんですね。

 

今回ちゃんとしたリイシューがなったスキャットマン・クローザーズは、ジャイヴ/ジャンプ・シンガーでありながら、というかそうであるからこそ、ジャズとロックの中間あたりで、あるいは双方をまたにかけて、歌芸を爆発させたヴォーカリストだったんじゃないか、というのがぼくの見方です。

 

参考プレイリスト。
https://open.spotify.com/playlist/3ALeKbDAMHeESPhYeQYewH?si=YRi9SxzFQRuffgPv8cfr4w

 

(written 2019.9.13)

2019/10/17

ロバート・ランドルフの高揚感が戻ってきた 〜『ブライター・デイズ』

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https://open.spotify.com/album/0O2cq6Qpljvqt4zBas4On2?si=fNSgavWlQLqvorIKx0PFgA

 

実はファミリー・バンドで活動するようになってからのロバート・ランドルフにはイマイチ乗り気でなかったんですね。ペダル・スティール・ギターをぐいぐいとジミ・ヘンドリクスばりに弾きまくるのが大好きだったんですから、歌もやり、ギター・プレイは全体の一部として構成のなかに入れてしまうというのになんだかなじめなくて。でもアルバムが出れば買ってきたし、決してやっている音楽のレベルが下がったとかいうことじゃなかった。セイクリッド・スティールを集中的に聴きたかっただけ。

 

で、ロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンドの今年の新作アルバム『ブライター・デイズ』(2019.8.23)。このアルバム題や収録曲の一部の曲題から、ちょっぴりのルーツ回帰というか宗教的、ゴスペル的な含みもあるのかなと想像して聴いてみましたら、たしかにそんな雰囲気がありますね。この独特の高揚感、ペダル・スティールを弾きまくってぐいぐいともりあがるこれこそ、セイクリッド・スティールの世界ですよ。

 

1曲目の「バプタイズ・ミー」からエネルギー全開でぶっ飛ばすロバート。このアルバムでもやはり歌っていますけど、いままでに比べてややギター演奏に比重が置かれているかなと感じられるのも個人的には大歓迎。ヴォーカルのあいまあいまに入るオブリガート・フレーズも今作ではめっちゃキレているし、ソロに入ればかつての興奮を取り戻したような豪快な弾きっぷりで、すばらしい。

 

2曲目「ドント・ファイト・イット」はファンクとロックの中間みたいな感じでスライ&ザ・ファミリー・ストーンみたいですけど、異様な熱を帯びるのはテンポが止まっての中間部の掛け合いパートです。ヴォーカルとギターのコール&レスポンスがとても熱いですよねえ。沸騰しています。そのパートが終わったらリズムが前半部とはガラリと変化して、ロックンロール・ビートみたいになっていますよね。そうかと思うともとに戻って曲が終わります。

 

これらの曲でも典型的に表現されている(ペダル・スティール・ギター弾きまくりを中心とする)音楽の高揚感、それはまさにゴスペル・ミュージックが持っているものですけどそれをポップ・フィールドに応用転化して表現する異様な盛り上がり、こういったことが今回のアルバム『ブライター・デイズ』を貫く基調なんですね。

 

4曲目の「ハヴ・マーシー」しかり、激アツな5曲目「カット・エム・ルーズ」も同様、ファンクな6曲目「セカンド・ハンド・マン」でもそうなら、スピリチュアルな曲調の7「クライ・オーヴァー・ミー」でも同じです。アルバム終盤の二曲ではロバートのギター・ソロがかなり聴かせる場所をつくっているし、バンド全体としてもどこまでも熱く高揚するような演奏で、なかなかいいです、今回のこの新作。

 

(written 2019.9.15)

2019/10/16

マグレブ・ロックなサブリ・モスバ

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https://open.spotify.com/album/73xyZLpWt7P6n4YirKhKEm?si=i-NQJOfVSm6rdAZMJb2Ypg

 

サブリ・モスバ。30代のチュニジア人だそうです。アコール・クロワゼ盤2017年のデビュー・アルバム『Mes racines』にいまごろようやく気づきました。これ、聴きやすくてなかなかいいんですよね。アルバム題は「マイ・ルーツ」の意なので、チュニジア音楽のルーツへの回帰をもくろんだ作品ということになるんでしょうか。でもなかなかロックっぽい曲もけっこうあったりしますけど。

 

チュニジア音楽のルーツといってもぼくはなにも知りませんのでわかりませんが、汎マグレブ音楽的なものを感じないでもないですね。なかでもこのサブリ・モスバにぼくが強く感じるのはモロッコのグナーワ音楽の痕跡ですね。あの独特の反復パターンが産む呪術的催眠効果が、サブリのこの『マイ・ルーツ』にもあるように思います。

 

それをしかしストレートにではなく、まるでブルーズ・ロックに展開したかのようなサウンドで聴かせてくれているっていう、そんな音楽でしょうか。また、アクースティック・ギターやウードで弾き語る、ややフォーキーなテイストの楽曲もありますよ。ちょっぴりだけスアド・マシっぽい?というのはぼくの勘違いでしょうか、でも独特のあの憂いがサブリのアクースティック・サウンドにもあるんですよね。

 

アルバム『マイ・ルーツ』の全10曲は五曲づつ前半と後半に分けられると思います。5曲目まではファズの効いたエレキ・ギターのサウンドが組み立ての中心になっていて、3曲目のアクースティック・サウンドだけが例外なんですけど、それ以外はちょっとロックっぽい感じがあります。エッジの尖ったハードなサウンドですね。ドラムスの音も派手に目立っています。リズム・パターンがロックではなく、やっぱりマグレブ・ビートかなとは思うんですが。

 

6曲目でしんみりとウードの音が聴こえてきたら、アルバムの後半では様変わり。このパートは基本弾き語りですね。ちょっぴりだけアリジェリアのシャアビっぽい感じがなきにしもあらず。ヴォーカルなんかは多重録音でコーラスにしていますので、必ずしも弾き語り一発録りじゃないんですが。哀感と憂いが強く、こういったフィーリングはマグレブ音楽特有なんですかね。このアルバム前半部のアッパーな感じとはかなり違っています。

 

打楽器も、アルバム後半ではドラム・セットを基本的には排し、北アフリカ地域の伝統パーカッションを使うようにしている工夫が見てとれますね。そんななかで、特に7、8曲目はグナーワ・ディフュジオンにちょっと似たようなものがあったような気がするんですが、気のせいしれません。でもこのサブリ・モスバのほうがもっとローカルな伝統色が強いような。

 

あれっ、と思うと8、9曲目ではエレキ・ギターとドラム・セットが使われていて、曲の仕上がりもややロックっぽい感じがしますね。グナーワ・ディフュジオンっぽいマグレグ・ミクスチャー音楽ということなんでしょう。10曲目だけはサブリひとりでのアクースティック・ギター弾き語りで、伴奏はいっさいなし。暗く沈み込むようなつぶやきヴォーカルが印象的です。

 

(written 2019.9.14)

2019/10/15

なんだって、いちばん最初は手入力(川柳)

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今日はグチしか書いていません。

 

iTunes に CD からインポートする際に出る音楽家名、アルバム名、曲名などは、もちろん iTunes がそのデータを持っているわけじゃなく、ネット上の CD データベースを読みにいってコレだというものを表示しているわけです(だから間違うこともあり)。ぼくの憶測ですけど、たぶん Spotify や Apple Music などの音楽ストリーミング・サーヴィスだって、いちからぜんぶ手入力したわけないと思いますから(あまりにも膨大)、大部分が同様にネットにあるデータベースを参照しているんでしょう。

 

データベースにないものは出ませんので、自分で手入力しないといけませんね、だから。あまり有名でない CD を iTunes にインポートしたことのあるみなさんなら、そんな経験もなさっているでしょう。ぼくもなんどかあって、つい先月もエンリッキ・カゼスの2019年新作が Spotify にないので iTunes に入れようとしたらなにも出ませんでしたので、自分で手入力しました。それをもちろんデータベースに上げています。

 

つまりどんなばあいもおおもとはすべて CD データベースです。これが諸悪の根源なんですね。ハナから存在したわけがありませんので、どんな一般的なデータだっていちばん最初はだれかがしこしこキーボードを叩いて手入力していったわけですよ。考えたら気の遠くなる作業です。いったいああいったデータベースに、有名人気 CD だけでもどれだけあることか。

 

で、問題は、たとえば今日上で貼った画像みたいなのです。ガブリエル・グロッシのライヴ・アルバムですが、アルバム・タイトルに「ライヴ」とあるのに、曲名欄でもぜんぶ同様に「ライヴ」の文字がくっついているでしょう。こういうのがぼくはうっとうしいわけです。ライヴ・アルバムなんだから全曲ライヴ音源に決まっているでしょう、それをいちいち書くのはなぜなのか?ワケわかりませんよねえ。ライヴ盤のなかにスタジオ音源があったら知らせてほしいかもですけど。

 

ライヴ・アルバムでぜんぶの曲名に「ライヴ」と書いてあってウンザリするなんてのはすごく多いわけですけど、似たようなことはたくさんありますよ。たとえばビートルズの『アンソロジー』シリーズ。たとえば『アンソロジー 3』のばあいも、ぜんぶの曲名の次に「アンソロジー 3 ヴァージョン」と併記されています。そんなんいらんちゅ〜ねん。いまぼくが聴いているのは『アンソロジー 3』なんだから!とかって、ちょっとイラっとしちゃいます。

 

この種のことが iTunes に CD をインポートする際も Spotify で見ても完璧に同一なもんで、だから iTunes が読みにいっているデータベースと同じものを Spotify も参照して曲名など表示しているんだなと推測できるわけです。そんで、iTunes では CD からインポートする際、ぼくはぜんぶこういったわずらわしいだけの不要情報を手作業でデリートしていました。

 

だって、ライヴ盤の曲名に「ライヴ」とか「ライヴ・ヴァージョン」とか100%不要ですから。iTunes にインポートする際はだからそうやってカスタマイズできるんですけど、Spotify の曲名表記なんかはいじれませんからねえ。うっとうしくなっているのをそのまま眺めているだけで、最近ぼくは音楽を聴く時間の大半が Spotify で、ということになりましたので、さすがにもうやや慣れたというか、このうっとうしさもあきらめ気味なんですね。

 

この種のことは、もとを正せばすべてネットにある CDデータベースの表記に問題があるせいなんですけど、そのデータベースは、いちばん最初はといえば、個人が手作業で入力していってそれをアップロードしたものです。あの種の(複数ある)データベースの発足時にはまずかなりの量を当事者のかたがたが入力なさってサーヴィスがはじまったということじゃないでしょうか。

 

いずれにせよ、まずいのいちばんは手作業によるコツコツ入力だったわけですよね。ぼくがイラッとくるライヴ盤の曲名ぜんぶに「ライヴ」と入っていたりするのも、だからどなたかが(親切心で??)併記してくださりやがったということなんでしょうか。ああ、つまらんことをしてくださったもんです。いちばん最初の手入力作業で、ちょっとおかしなことをしてくれたわけですねえ。

 

その最初の手入力作業のおかげで(たぶんこの先もずっと末代までも)ライヴ盤の曲目ぜんぶに「ライヴ」と書いてあったりするというおろかな表記を目にし続けないといけないわけですね、ぼくたち音楽好き人類は。Spotify にはもはや無限といってもいいほどの音楽があるわけですから、いまから修正するなんてことは不可能でしょうし、ぼくも求めません。ただただこの状態に慣れていく、それしかないんです。

 

(written 2019.9.8)

2019/10/14

ミシシッピのディープ・ブルーズ 〜 R.L. バーンサイド

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https://open.spotify.com/album/30AT3tYydbsfhO5EDu5UKp?si=MYksOPNKSwa8g-rDLcWo4w

 

昨日ノース・ミシシッピ・オールスターズの新作のことを書きました。そのなかに R.L. バーンサイドの「ピーチズ」があったわけですけど、そうしたら俄然聴きなおしたくなって聴いたんですね、RL の『トゥー・バッド・ジム』(1994)を。そうしたら、そのブルーズ表現にあらためて感銘を受けちゃいました。いやあ、なんてすごいディープさなんでしょうか。

 

今回特に感心したのは RL ひとりでの弾き語りナンバーで、『トゥー・バッド・ジム』のなかには三曲あります。3「ショート・ヘアード・ウーマン」、7「ミス・グローリー・B.」、9「デス・ベル・ブルーズ」。これら以外もほぼドラマーひとりが伴奏につくだけというシンプルなアルバムですけど、本質的にブルーズの歌いかた、ギター奏法が弾き語りナンバーでは異なっていますね。その意味では、ドラマー伴奏が付くとはいえ2曲目の「ウェン・マイ・ファースト・ワイフ・レフト・ミー」も弾き語りみたいなもんです。

 

こういった RL だけでの弾き語りブルーズではギターの味も特徴的で、エグ味があって、まるでとぐろを巻くようにどす黒いですよね。でも本人はあんがい軽〜く弾いています。こういったブルーズ演奏は生活の一部なんで、ミシシッピの深南部ではですね、だからなんてことないふだんの姿ですけど、それがぼくらにはこれ以上ない極上の味わいに聴こえるわけです。

 

ヴォーカルのほうも、うめくような漂うような、叫ばず、こっちも普段着のまま軽くすっと歌っているだけなんですけど、この上なくディープですよね。日常生活のなかにこういったブルーズを歌う姿がどこにでもある、そんなヒル・カントリーの黒人たちの伝統のなかに RL もいて、ただそれを淡々と表現しているだけなのが、こっちにはたまらないディープさになるんです。

 

アメリカ黒人ブルーズ・メンのなかにギター弾き語りを披露するひとは、それこそ無数にいますけど、こんな深南部のディープでコクのあるブルーズを聴かせるとなると限られてきますよね。RL は間違いないホンモノのひとりでした。肩の力の完全に抜けた日常のフィールでこんなにも深い表現ができるんですから、ブルーズがからだの深奥にしみこんでいるということですよね。

 

RL は、1994年の『トゥー・バッド・ジム』のあとはバンドで演奏することばかりになって、しかもロッカーなどとの共演も多くあり、今日話題にしているようなひとりでのギター弾き語りブルーズをやることはなくなりました。いまふりかえると、ちょっともったいなかったなという気もします。複数回の来日といった人気獲得とひきかえに手放したものがあったかもしれないですね。

 

(written 2019.10.12)

2019/10/13

ヒル・カントリーのブルーズ・ロック 〜 ノース・ミシシッピ・オールスターズ

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https://open.spotify.com/album/5jEiXH4G09AiHqBkEm2ZMM?si=Bjyf_APXTX-ObzQHRAdMog

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/10/08/up-and-rolling-north-mississippi-allstars/

 

ジム・ディキンスンの息子、ルーサー・ディキンスン率いるノース・ミシシッピ・オールスターズ。若い世代ながら、往年のアメリカン・ブルーズ・ロック、サザン・ロックがお好きなみなさんにはうれしい存在じゃないでしょうか。今年の新作『アップ・アンド・ローリング』(2019.10.4)も、このジャケットの雰囲気だけで中身の音楽がどんなものかじゅうぶん物語っていますよね。

 

ノース・ミシシッピ・オールスターズの面々は以下。アルバム『アップ・アンド・ローリング』では、これにくわえゲスト参加のある曲がけっこうあります。

 

ルーサー・ディキンスン(ギター&ヴォーカル)
コディ・ディキンスン(ドラムス、キーボード、ちょっとだけヴォーカル&ベース)
カール・ダフリーン(ベース)
シャリース・ノーマン(バック・ヴォーカル)
シャーデー・トーマス(ファイフ&ヴォーカル)

 

アルバムではオープニングの1曲目「コール・ザット・ゴーン」からノース・ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズを土台にしたハード・ロックが炸裂していますよね。もう完璧にぼく好み。ファイフ(笛)が入っているのがいかにもヒル・カントリーっぽいですよね。ヴォーカルはそれを吹いているシャーデーとルーサーとのコール&レスポンスみたいな感じで進んでいます。ルーサーはまたファズの効いたエレキ・ギターを弾きまくってもいて、それも大好き。

 

3曲目、ステイプル・シンガーズの「ワット・ユー・ゴナ・ドゥー」ではなんとご本人メイヴィス・ステイプルズがゲスト参加で歌っていますが、それを通り過ぎて5曲目で、あれれっ?これも知っている曲だけどなんだっけ?と思って曲目欄を見たら、R. L. バーンサイドの「ピーチズ」じゃありませんか。そうだ、あの曲だ、『トゥー・バッド・ジム』でやっていたやつですね。R. L. はヒル・カントリー・ブルーズ(・ロック)の大先輩。

 

ノース・ミシシッピ・オールスターズ・ヴァージョンの「ピーチズ」は、比較的 R. L. のオリジナルに忠実に沿った内容で、それをそのままロック化したような感じですね。ところでここでもギターを弾くルーサーは、楽器のほうはいいんですけど、声のほうはちょっと弱いですよね。そんなわけでやはり女性ヴォーカルとのデュオ形式にしています。自分でもわかっているんでしょうね。

 

続く6曲目がなんと有名曲「ミーン・オールド・ワールド」。ここではドゥエイン・ベッツ(ギター)のゲスト参加が耳を惹くところ。そう、かのオールマン・ブラザーズ・バンドのディッキー・ベッツの息子ですね。この曲後半ではパッとリズム・パターンが変化して、長めのギター・ソロ・ジャム・パートになっていて、ドゥエインが弾きまくります。そこもいいですね。

 

やはりヒル・カントリー・ブルーズの大先輩ジュニア・キンブロウの曲をやったり(8「ロンサム・イン・マイ・ホーム」)、また上述の R. L. バーンサイドの孫セドリック・バーンサイドを二曲で迎えて歌わせていたりなど、そこかしこに北ミシシッピはヒル・カントリーの音楽伝統に敬意を払いながら進みつつ、それを自己流のブルーズ・ロックに転化しているルーサーは、やはりぼくらには頼もしいかぎりです。

 

アルバム・ラストの音質の劣るワン・トラックは、ルーサーとオサ・ターナー(シャーデーの祖父)との共演音源で、たぶんこれは私家録音みたいなものなんでしょう。その前の11曲目はやはりセドリックに歌わせるゴスペル・スタンダードの「テイク・マイ・ハンド、プレシャス・ロード」で、ルーサーはペダル・スティール・ギターをぎゅんぎゅん弾いています。そのせいでちょっぴりセイクリッド・スティールのワン・ナンバーみたいに聴こえるのもおもしろいところ。

 

(written 2019.10.11)

2019/10/12

リンダ・ロンシュタットの再来、ドーリ・フリーマン、マジでいいよ

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https://open.spotify.com/album/3nrtejgwleUGvNPWXMymV2?si=kuW8cVv4Q5uzE3gHAm806g

 

萩原健太さんにご紹介いただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/10/01/every-single-star-dori-freeman/

 

いいですねえ、ドーリ・フリーマン。アメリカ人シンガーですが、まるで往年の、そう1970年代の、リンダ・ロンシュタットそっくりじゃないですか。今年の新作『エヴリ・シングル・スター』(2019.9.27)は三作目だそうですが、これではじめてドーリを知ったぼくはすっかりゾッコン。こんなにチャーミングなポップ・カントリー・シンガーがいまどきほかにいるでしょうか。リンダ・ロンシュタットの再来じゃないのでしょうか。いやあ、好きだぁ、ドーリ!

 

で、本人はヴァージニア生まれで、今回のアルバムもブルックリンで録音したみたいですけど、このサウンドの感じは完璧ウェスト・コーストのそれですよねえ。カントリー・ベースのポップ・ロックで、かすかにラテン香味もあり。ラテンありっていうのがいかにも西海岸的ですよ。こういった明るい陽光のもとで楽しく歌っているような(カリビアン・)カントリー・ロックって、ほ〜んとにいいですよね。曲の歌詞は陰影に富んでいるみたいですけど、サウンドは陽です。

 

曲も書きギターを弾いて歌うドーリを聴いていると、現代のモダン・カントリーが失ってしまったようなナイーヴな素朴さ、ナチュラルなチャーム、簡素な美しさとか、そんなような往年のこの種の音楽の魅力をとことん取り戻しているような、そんな気がします。それはつまるところ1970年代にはリンダ・ロンシュタットが体現していたようなアメリカン・ポップの最も良質な部分でもあって、だからドーリはリンダの再来じゃないかなとまで思っちゃうわけなんですね。

 

アルバム『エヴリ・シングル・スター』でぼくが特に気に入っているのは、ドーリひとりでのアクースティック・ギター弾き語りでしっとり聴かせるしんみりとした4曲目「ユー・ライ・ゼア」、10「アイル・ビー・カミング・ホーム」とかもいいんですけどそれよりも、たとえば幕開け1曲目「ザッツ・ハウ・アイ・フィール」のポップでライトな味付けで歌い出す瞬間とかです。この歌声を聴いてみてくださいよ。

 

その1「ザッツ・ハウ・アイ・フィール」、2「オール・アイ・エヴァー・ワンティッド」、そしてなにより大好きな7「ダーリン・ボーイ」などには、あきらかな中南米風味がありますよね。リズムのハネとかサウンドには間違いないラテン・テイストがあります。三拍子の曲「ダーリン・ボーイ」なんかメキシカンですもんね。

 

だから西海岸的に聴こえるなってぼくは感じるんですけど、実際アメリカ合衆国南部で誕生したカントリー・ミュージックには、南部発祥だからこその近接するメキシコやカリブ地域など中南米音楽要素が抜きがたくあります。ま、アメリカの音楽はなんでもぜんぶそうですけども、カントリー界も例外ではないっていうことですね。

 

そんなカントリー・ミュージックの本質的な部分はしっかり継承しつつ、往年のシンプルでポップな味付けで軽快に歌ってみせるドーリ・フリーマン。まだまだこれから飛躍しそうな気がします。しかしながらいまの時代に「新しい」音楽要素がなにもないっていえばそうなんで、だから2020年代に大人気となったりしないとは思いますが、地道に活動を続けていってほしいですね。応援したいです。

 

(written 2019.10.10)

2019/10/11

ベテランの安定感 〜 ゼカ・パゴジーニョ

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https://open.spotify.com/album/4fN80AnER7ua5DH8U1A7k9?si=QwmBHCYeQxiyJ2xVw3z1cQ

 

ブラジルのサンバ歌手ゼカ・パゴジーニョの2019年新作が届きました。『マイズ・フェリス』(2019.9.17)。これがなかなかいいんですよね。もうベテランのゼカですけど、安定感は変わらず、良質の、そんでもってかなりポップなサンバ・アルバムとなっております。ゼカは歌いかたが、ちょっとこう、投げやりというか乱暴というか、まあそんな感じのひとなんですけど、新作でも人懐こい味はそのままに、伴奏陣は豪華でポップっていう。

 

アルバム『マイズ・フェリス』では、どっちかというと明るく楽しいサンバのほうが多いかなと思います。1曲目のアルバム・タイトル曲をはじめとして、テレーザ・クリスチーナがゲストのカルトーラ作4曲目、瀟洒なストリングス入りの5曲目、ヤクザな感じの6曲目、パーカッションがにぎやかなやや北東部ふうの7曲目、アコーディオン参加の11曲目、コクのある歌の味わいを聴かせる12曲目、大西洋的な明るさのある13曲目と、これらはアレグリア路線ですね。

 

つまりこれら八曲以外はどっちかというとしっとり哀感系、すなわちサウダージ路線がまさっているというか、サウダージがしみ出していると思うんですが、それらも沈んでいる感じはちっともなく、人生とはこういうもんだとでも言いたげな前向きの説得力をもって聴き手に迫ってくるしっとりした情緒があって、いいですねえ。

 

サンバって人生の歌そのものだと思うんですが、生きてりゃいろいろとつらいこともあれば楽しいこともあり、よかったり悪かったり、悲喜こもごも、ないまぜになってぼくたちは生きていると思います。ゼカのようなベテランのサンバ歌手がこの新作でも表現しているのは、そんな人生の機微みたいなものかなぁって思うんですね。

 

アルバム『マイズ・フェリス』では伴奏陣とバック・コーラスを豪華にして、わりと派手めなアレンジをほどこしてあるのも成功ですね。上でも書きましたがゼカはこういった持ち味の歌手なんで、そのまま少人数の地味めな伴奏陣でやると、ちょっと雑な感じに仕上がってしまうかもしれません。今回はどこまでもていねいに装飾をつけたことが、ゼカの投げやりな歌い口をかえってイキイキと聴かせる結果になっていると思いますね。全編でハーモニカも効いています。

 

しかしですね、アルバム・ラストの14曲目「アペロ」(バーデン・パウエル)、これだけはオーケストラ伴奏じゃなくて、アミルトン・ジ・オランダ(バンドリン)+ヤマンドゥ・コスタ(7弦ギター)のデュオだけがバックを務めているんですね。きわめて控えめな伴奏ですよね。この曲での伴奏二名の達人技もすばらしいですが、二本の弦楽器だけに乗って淡々と綴るゼカのヴォーカルがこれまたいいんですよ。ホ〜ント、味ですよね。これぞサンバ。こういうのを聴くと、シンプルな伴奏でゼカの歌をアルバム一枚聴いてみたいという気がしたりもするから、ぼくも勝手なもんです。

 

(written 2019.10.9)

2019/10/10

アクースティック・ビートルズ・セレクション

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https://open.spotify.com/playlist/6TSkSbbLFDuRORn5EHqpwU?si=Kp772WkBR5-DsoOzorsFmw

 

ロック界においてアクースティック・サウンド(電気増幅しない生楽器演奏だけの音)がちょっと特別なものとして注目されるようになったのは、たぶん1990年代の例のアンプラグド・ブームからですよね。MTV の企画番組。テレビ放映され、DVD や CD も作成発売されるのが通例となりました。エリック・クラプトンのやつ(1993)が大ヒットして以後ですかね、人気拡大となったのは。

 

ロック・ミュージックはエレキ・ギターの台頭とともにジャンルそのものが成立したような面がありますので、だからアクースティック(・ギター)・サウンドがややフレッシュに、いつもとはちょっと違った感じに響くというようなことがあるんでしょう。ビートルズのばあいは、しかしけっこうたくさんのアクースティック・ナンバーがありましたよね。

 

そんなビートルズのアクースティック・セレクションのことは、これまた以前このブログで書きました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-92e3.html

 

昨日の『アンソロジー』記事同様、今日のこの文章も、そのプレイリストを Spotify でつくりましたのでみなさんどうぞ聴いてね、というだけの意味しかありません。でもなかなか大きなことでしょ、聴けるか聴けないかはね。昨日の『アンソロジー』セレクションと違って、今日のアクースティック・セレクションは、ぼくの iTunes にあるのと100%同一です。

 

でも iTunes 内プレイリストは最近つくりなおしたんですよ。昨2018年暮れに『ワイト・アルバム』の50周年記念ボックスが出たでしょ、あれにイーシャー・デモがありました。CD ならまるまる一枚分になるイーシャー・デモはオール・アクースティックで、エレベも、それからドラムスも使われていません。複数台のアクギとヴォーカルと手拍子と簡易打楽器だけ。それで『ワイト・アルバム』の曲を中心にたくさんやっているですね。ぼくはけっこう好きなんです。

 

イーシャー・デモからは、しかし二曲しか選びませんでした。やっぱりくりかえしじっくり聴きこむと、完成品のほうが出来がいいんです。だからイーシャー・デモからは、これはとってもおもしろい、どうしても入れておきたいというものだけにしました。また、数年前に iTunes のプレイリストとしてアクースティック・ビートルズ・セレクションをつくった際には外した「イエスタデイ」「ノーウィジアン・ウッド」を今回入れました。せっかく公開するんですから。つまるところ、過去作成のものに四曲が追加されることとなり、その結果、トータルでのプレイリスト再生時間は CD 一枚相当分をちょっと超えるということになりました。

 

さて、アクースティック・ビートルズ・セレクション(といいながらコンプリートに近い面がありますが)は、基本的には年代順・収録順に素直に並べてあります。ただ、聴いて楽しめるようにという効果を考慮したので、そこから大きく or 小さく外れているケースがあるのはごらんのとおりです。また、『リヴォルヴァー』にこんなにたくさんあったとは、自分でもやや意外です。サイケデリック期の一枚だけにですね。

 

「ブラックバード」〜「ジュリア」までは、『ワイト・アルバム』一枚目 B 面の流れをほぼそっくりそのまま持ってきました。正直言って『ワイト・アルバム』でいちばん好きなパートです。すこしエレキ・ギターが入るので「ワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード」を外さなくちゃいけなかったのがやや残念ですが、でもあの二枚組は全体的にビートルズがアクースティック・サイドを表したものだと言えるかもしれません。

 

それに関連して一個おわびを書いておきます。今日のセレクションに入れた『ワイト・アルバム』ヴァージョンの「ハニー・パイ」にはちょっぴりだけ効果音的にエレキ・ギターが使われています。今日はこれ一曲だけが例外です。オール・アクースティックじゃないので基準からしたら選んじゃいけないところ。でもこの(本質的に)アクースティックなサウンドで展開するグッド・オールド・ミュージックを外すことがぼくにはできませんでした。

 

その「ハニー・パイ」が終わったら、たとえば『アンソロジー』ヴァージョンの「アクロス・ザ・ユニヴァース」なども流れてきますが、このヴァージョンではジョージがシタールとタンブーラを弾いていて、サウンド・アイデンティティがやや曖昧(無国籍的?)になっているところが、かえっておもしろく聴こえるんじゃないかと思うんですね。アクースティックなサイケデリック風味もあります。

 

ア・カペラの「ビコーズ」を経て、美しいストリングスと落ち着いた曲想でおだやかな気分にひたれる「グッド・ナイト」で今日の幕引きです。リンゴのヴォーカルもいい味ですし、ジョージ・マーティンのオーケストラ・アレンジもグッド。こんな落ち着いてやわらかい眠りに誘うようなゆっくりしたいい音楽が、ビートルズのなかにもあるんです。

 

(※)「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」もイーシャー・デモ・ヴァージョンに差し替えました。

 

(written 2019.9.3)

2019/10/09

ビートルズ『アンソロジー』ベスト・セレクション

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https://open.spotify.com/playlist/5PSewTdqkZP678KqaZlhH3?si=NJDD1nRNSPeOWEEd0zBYlg

 

三巻にわたるビートルズの『アンソロジー』CD シリーズ。そこからのベスト的なというかハイライト・セレクションを、つまりアンソロジー・オヴ・アンソロジーズを、ずいぶん前につくって楽しんできました。四、五年ほど前からの話でしょうか。そんなプレイリストがいままでずっと自分の iTunes 内にあったんですけど、つい昨日 Spotify で同じもの(100%同じにはなりませんでした、後述)をつくって公開しておきました。それが上のリンクです。みなさん聴けます。

 

『アンソロジー』シリーズのなかに、けっこうちゃんとした、聴ける完成品があるぞ、そういうのだけ抜き出しても CD で一枚程度にはなる、それはかなりいい、という話は、このブログでも三年前に書きました。この過去記事は自分でつくった iTunes プレイリストを聴きながら書いたんですね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-a603.html

 

今日の文章はこれのプレイリストを Spotify でつくりましたよ、みなさん聴けますどうぞ、というだけの意味で、だからここで終わりにしてもいいんですけど、ちょっとだけ付言をば。それはぼくの iTunes 内にある『アンソロジー』ベスト・セレクションは、『アンソロジー』三巻と、シングル EP『フリー・アズ・ア・バード』『リアル・ラヴ』と、全曲これらのなかから選曲したんですけど、二枚の EP は Spotify にありません。その EP でしか聴けないカップリング曲があるため、だから Spotify プレイリストはぼくの iTunes プレイリストと100%同一にはなりえません。

 

それは二曲。「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」と、(今日は入れなかった)「ヒア、ゼア・アンド・エヴリウェア」です。数年前に iTunes でプレイリストを自作したときは、前者が『フリー・アズ・ア・バード』EP 収録のものを、後者は『リアル・ラヴ』EP 収録のものを、それぞれ選びました。ところが、それらはまったく Spotify にはないんですね。

 

その「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」はスタジオ・アウトテイクで、ギター・ソロの内容などがアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』収録のものとは異なっています。また「ヒア、ゼア・アンド・エヴリウェア」もスタジオ・アウトテイク。バック・コーラスほぼなしでエレキ・ギターを弾きながらその伴奏だけでポールが綴る淡々としたもので、実にいいんですけどねえ。どうして Spotify にないの〜?

 

こんな事実からも、アップルが公式にフィジカル・リリースした音源が100%ストリーミングで聴けるわけじゃないとわかりますし、っていうことはまだまだぜんぜんどんなかたちでもリリースしていないビートルズ公式音源がかなりあるんじゃないかと勘ぐりますよねえ。今日はそれを述べるのが主眼ではありませんので、ひろげません。

 

ともあれそんなわけで、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」は『アンソロジー 1』収録のヴァージョンに差し替えました。iTunes プレイリストでは「タックスマン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のあいだに入れていた「ヒア、ゼア・アンド・エヴリウェア」は Spotify にありませんので、消えることとなったわけですね。でも違いはこの二点だけ。

 

また、念のため書いておきます。今日のプレイリスト6曲目の「ベイビーズ・イン・ブラック」は『ライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル』から選んでいます。あれっ?『アンソロジー』シリーズの外じゃないかと言うなかれ。シングル EP『リアル・ラヴ』にそれが収録されていたんですから。ハリウッド・ボウル・ライヴが公式 CD リリースされたのはもっとずっとあとのことです。アップルもちょろちょろと小出しにしていたんですね。

 

まあそれはいいとして。どうです、ちょっとお聴きになってくだされば、『アンソロジー』シリーズのなかにもかなり立派な完成品がたくさんあるとおわかりいただけるはずです。しかも1960年代に公式発表されていたマスター・ヴァージョンよりもひょっとしたらおもしろいかも?と思えるものだって混じっていますよね。

 

公式発表は『レット・イット・ビー』に収録されてでしたけど初期楽曲の「ワン・アフター・909」のこのノリとか、ジョージがひとりでアクースティックやエレキのギターを弾きながらシンミリと語る「ワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「サムシング」や、あるいは「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」「ゲット・バック」「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプリーズ)」の荒削りでワイルドな魅力。

 

ポールの当初の意図どおりに仕上がっている「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」や「レット・イット・ビー」などの素朴で素直な可愛らしさ、さらにオーケストラ伴奏なしのシンプルな「マザー・ネイチャーズ・サン」や「グッド・ナイト」(後者はリンゴがヴォーカルで、終盤ちょっとだけオケも出ます)らのナイーヴなチャームなど、どれもこれもなかなかすばらしいと思うんです。

 

それらはこっそりマスター・ヴァージョンの代わりに差し替えても通用する立派な出来じゃないかと思えます。ビートルズの『アンソロジー』シリーズって、1995/96年に発売されたときは、こんな未完成のデモや断片みたいなものばかり聴かせてどうすんの!?みたいな意見が多かったと記憶していますけど、21世紀になってジックリふりかえったらこんな見事な玉もたくさんあったんですよね。

 

(written 2019.9.2)

2019/10/08

ボサ・ノーヴァっぽいクラウジオ・ジョルジ 70

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https://open.spotify.com/album/0s0snGDig75H8zoIDLoQGU?si=DD9jIWwARjKxJZ3JkjH5VQ

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-09-02

 

70歳記念のクラウジオ・ジョルジ(ブラジル)の『サンバ・ジャズ、ジ・ライス』(2019)。これってボサ・ノーヴァ・アルバムですよね。伝統的サンビスタであるクラウジオがサンバとジャズとの融合みたいなことを試みて、結果、ボサ・ノーヴァっぽい音楽に仕上がったと、そういうことじゃないかと思うんです。っていうか、理屈じゃなく素直にそのまま音楽に耳を傾ければ、クラウジオがどういう音楽家なのか知らなければ知らないほど、このアルバムの音楽はボサ・ノーヴァに聴こえるはず。

 

ボサ・ノーヴァというか MPB っぽくもあるんですけど、音楽性の根っこに伝統サンバを持ちながらもこういった現代性、ポップネスをも兼ね備えたサンビスタってなかなか得がたい人材ですよね。昨日書いた2001年の『コイザ・ジ・シェフィ』は伝統サンバをそのままやって、その上にモダンでポップな MPB 色を加味したような作品でしたが、今年の『サンバ・ジャズ、ジ・ライス』は1曲目の出だしを聴くだけで、あっ、ボサ・ノーヴァだなとわかります。

 

いちばんボサ・ノーヴァっぽいなと感じるのは三点。ギターのリズム・カッティング、ドラマーの叩きかた、特にリム・ショットの入れかた、クラウジオの書いたメロディの動きです。どれをとってもサンバのそれじゃない、というか根底にそれがあっても現代的で、これはほぼボサ・ノーヴァになっているんじゃないでしょうか。楽器編成でジャズ・バンドのそれを模したということとも関係あるかも。

 

もとからポップなソングライティング資質とヴォーカル資質を持つみたいなクラウジオですけど、このアルバムでの、特に曲づくりには、たとえばアントニオ・カルロス・ジョビンを彷彿させる部分が随所にありますよ。半音で動いてヒョイっと飛躍したりするあたりとかですね、「デザフィナード」をジョアン・ジルベルトが歌うのを聴いているような感じがします。

 

ジョアンといえばですね、このアルバムでのアクースティック・ギターの刻みもジョアンのスタイルに似ていますよね。あの独特のリズム感にクラウジオ自身が寄せてきているんじゃないかとすら思えます。ジョアンを意識したというよりジャズっぽくサンバをやろうとしたその結果としてそうなったということかもしれません。

 

全体的にサンバの土着性みたいなものがうすく、都会的でおしゃれな音楽に仕上がっているこのクラウジオの『サンバ・ジャズ、ジ・ライス』、やっぱり土台に伝統サンバがあるひとなんだなとは聴けば納得なんですけど、仕上がりはボサ・ノーヴァ/MPB 色の濃いモダンな音楽になっているなと思います。3曲目とか4曲目、8曲目なんか、マジでジョビンの曲を聴いている気分なんですけどね。

 

(written 2019.9.11)

2019/10/07

明るく喜びに満ちたサンバ 〜 クラウジオ・ジョルジ(1)

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https://open.spotify.com/album/1oXaPKmz0U6c3IuxJ0BVQF?si=WHP1WGLaRBy8Vwkv90HPvQ

 

bunboni さんに教わりました。お書きになっているのは2019年最新作なんですけど、ぼくは知らないひとだったので、紹介されている三枚を2001年作の『Coisa de Chefe』からぜんぶ聴き、すっかりその最初のやつが好きになっちゃいました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2019-09-02

 

いやあ、こんなに明るく楽しいサンバがあったんですねえ。聴いていてうれしいことこの上なしのクラウジオ・ジョルジ『コイザ・ジ・シェフィ』(2011)。ブラジル音楽では一般的な翳り、哀感というか、要はサウダージといったものではなく、明るい喜びに満ち満ちたサンバを書き歌いギターを弾くひとなんですね。

 

リズムも快活、大編成のバンドやマス・クワイアも喜びを全身で表現していて、これはもちろんクラウジオの書く曲がそうなっているからですね。アルバム『コイザ・ジ・シェフィ』でも、聴きはじめの1曲目「O Samba Melhor do Brasil」から楽しげで、聴いているこっちの気分も浮き立ちます。特に中盤ごろからカイーシャ(打楽器)のアンサンブルがにぎやかなビートを刻みはじめ、同時に大編成コーラス隊が歌いだしたら、もうたまりません。楽しいぃ〜っ!打楽器とコーラスだけのパートなんかも最高ですね。

 

こんな具合なので、2曲目以後もこんなアレグリア路線をどんどんまっしぐらに突き進むクラウジオ。ずっとそんな調子なのでモノ・トーンにならないかな?と思うと、不思議と飽かせずアルバム・ラストまで聴かせてくれます。約一時間が楽しいったらありゃしない。いやあ、いままでサンバを聴いてこんなに楽しい喜びの感情に満ちたことってありましたっけ?

 

アルバム中、でもちょっとした変化球がないわけではありません。特に10曲目「Só Você」とラスト14曲目の「Samba pro Luisāo Maia」。この二曲は基本インストルメンタル・ソングで、でも前者では後半しっかりクラウジオの歌が出るんですけど、後者では歌らしい歌はなし。どっちもインストルメンタル・サンバにして、ちょっぴりアメリカ合衆国西海岸のフュージョンを想起させますね。特に14曲目のほう。

 

サンバとジャズ・フュージョンはそこそこ関係があると思っていますけど、ブラジルの本家伝統サンビスタがこうやってお手本を聴かせてくれたらうれしくなります。14曲目のほうはこれでアルバムを締めくくっているわけで、それがかなりフュージョン寄りのインストルメンタル・ミュージックになっているのは、サンバのアルバムなのだと思うとやや意外というか、意表を突かれるおもしろさです。

 

聴くひとだれをも笑顔にしてくれる、そして踊らせてしまう、クラウジオの『コイザ・ジ・シェフィ』、CD とかは日本ではもはや入手困難みたいですけど、聴くだけなら特に問題ありませんから。

 

(written 2019.9.7)

2019/10/06

ニュー・ソウルへのサザン・ソウル側からの回答 〜 1972年のアル・グリーン

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https://open.spotify.com/album/58eMx3QrTkiRmGGbSz2XL0?si=CdR3DTdiRiSbAyeQic1TJQ

 

『レッツ・ステイ・トゥゲザー』ってそういうものかもしれないなって、最近思うことがあります。アル・グリーンのこの名盤は1972年の作品ですし、72年といえばニュー・ソウル最盛期じゃないですか。戦争や差別などを扱った社会派でシリアスな歌詞を、ふわっとやわらかい快適なサウンドに乗せたようなサウンドで、曲も自分で書き、さらにその音楽もソウル・マンが自己管理しセルフ・プロデュースするようになっていた時代に、メンフィスのハイのアル・グリーンらは一種の回答のようなものを出していたと言えるような気がします。

 

『レッツ・ステイ・トゥゲザー』にしても、サウンドやリズムは黄金のハイのそれですけど、歌詞は全編恋愛だけを扱っていますよね。こういった、ニュー・ソウルとは正反対ふうな、社会的に拡散しないかのように一見思えてしまう、パーソナル・アフェアだけをこうやって綴っていくのは、しかし実は普遍的な人間性を獲得しているのかもしれないです。

 

アルのアルバム『レッツ・ステイ・トゥゲザー』だと、1曲目のタイトル・ナンバーが必殺で、それだけですべてが決まってしまいますが、個人的にかなり好きなのが7曲目の「ハウ・キャン・ユー・メンド・ア・ブロークン・ハート」です。おなじみビー・ジーズの曲ですね。そのカヴァーですけど、ここでのアルのヴァージョンはオリジナルとはぜんぜん違います。

 

アルやウィリー・ミッチェルらは、このラヴ・バラードをも三連のサザン・ソウルに仕立てているんですね。このリズムとやわらかいサウンドがたまらなく心地いいですよねえ。曲題どおりそっとやさしくなぐさめているようなそんなソウル・フィールの上に、これまた抑制の効いたアルの羽毛のようなヴォーカルが乗って、えもいわれぬ快感じゃないですか。

 

このカヴァー・ソング以外はこのアルバムのためのオリジナルなんで、カヴァー・ソングでかえってウィリー・ミッチェルやアル・グリーンらハイ・サウンドの特色、特長が目立っているなと思うんですね。こんなヴェルヴェットのような肌ざわりのよい音楽って、なかなかないでですよねえ。デリケートにデリケートに、傷ついた心をソフト・タッチで撫でてくれるような心地がします。

 

こんなようなデリケートな音楽の組み立ては、1970年代前半当時のアメリカのソウル・ミュージックの世界では、アル・グリーンとハイのサウンド・メイカーたちが群を抜いてすばらしかったかもと思うんですね。だから、そのころ台頭していたニュー・ソウル連中に対しメンフィスのみんなは、こんな音楽の創りかただってありますよ、とちょっとした対抗意識があったかもしれないなあって感じることがあるんです。

 

(written 2019.9.1)

2019/10/05

いまどきの必殺スウィート・ソウルふたつ

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https://open.spotify.com/album/07PqTotv8diLUNtKwYFrxd?si=0OuE9kGdT8ysdvtgWiNk1g

https://open.spotify.com/album/5qgjDKdzAt2fTNdOgx0qmK?si=3I-ZyXTNS6S-lzhmN6R1WQ

 

今日の文章は、萩原健太さんのブログの複数の記事にインスパイアされて書きました。
https://kenta45rpm.com

 

さてさて、ソウル〜いまどき R&B 素人のぼくですが、どなたか紹介してくださるかたがいらしてぼくの気分も向けば、こういったいまどきの R&B バラードを聴くこともあります。ふたつといっても一個のほうはまだアルバムになってなくて、一曲だけ先行発売みたいになっているだけなんですけど、それも極上なんですね。

 

まずは、デビュー・アルバム『トゥ・マイセルフ』(2019.8.22)をリリースしたベイビー・ローズのほう。アトランタ生まれのレイディ・ソウル・シンガーなんですが、この声!この声をもって生まれてきた、この声で歌えるということだけで、もう勝負が決まっちゃっているような、そんな天性の素材ですよねえ。まるでニーナ・シモンみたいじゃないですか。

 

曲づくりにも参加しているみたいなんですが、もうこのベイビー・ローズのヴォーカルを聴いているだけでじゅうぶんいい気分です。サウンド・メイクや、またヴォーカル・スタイルは、若干古風というか伝統的なソウル・ミュージックのそれを継承しているかなとも思わせつつ、この暗く沈み込むようなダウナーでブルーなノリは、いかにも2010年代末の R&B 仕様じゃないですか。

 

4曲目「プレッシャー」なんか、だれがこのリズムを考えたのか、ちょっと奇妙な変拍子(5+6)を使ってあって、オッ!と耳を惹きますし、しかし主役歌手の歌はまったくよどみないですよね。ドラムス・サウンドいっさい抜きで、エレピとオルガンだけの伴奏で歌うシグネチャー・ソングの6「オール・トゥ・マイセルフ」もとっても切なくてグッド。サウンド・メイクの成功でもありますね。だれがアレンジャーなんだろう?

 

それが終わったら次の7曲目「イン・ユア・アームズ」でやはりドラム・マシンが鳴るのも気持ちいい。アルバムの曲はどれも恋愛関係を扱った歌(失恋)ですけど、歌詞の内容はともかく、サウンドやリズムやヴォーカルに、このベイビー・ローズならではのスウィートさ、メロウさがあって、暗いブルージーさとうまく混じりあっています。まあ全体的には陰鬱なんですけど、それも時代の空気です。

 

もう一個。上で貼った二番目のリンクのドゥラン・ジョーンズ&ジ・インディケイションズの「クルージン・トゥ・ザ・パーク」(2019..8.28)。この一曲しかいまはまだリリースされていないんですけど、アルバムが発売予定ということなんですかね。これは先行シングル?たぶんそうだと思うんですけどね、どうです、この必殺スウィート・ソウル。むかしのことばでいう甘茶ソウル・バラードですね。

 

いやあ、この曲、最高じゃないですか。こっちもぼくはいままで知らなかった連中なんですけど、この一曲だけですっかりファンになっちゃいました。いまどきこんな古風な甘茶なスウィート・ソウル・バラードを聴かせてくれるなんて、考えてもみませんでした。来たる(であろう)アルバムが楽しみですね。

 

(written 2019.9.12)

2019/10/04

ライヴ・ダンス・バンドとしてのタミクレスト

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2019年10月1日、中央線武蔵境駅すぐの武蔵野スイングホールで行われたタミクレストのライヴに行ってきました。このために上京したわけではなく、翌2日にわさみんこと岩佐美咲ちゃんのコンサート・イベントがあるため前乗りしただけですが、1日にタミクレスト公演があると知り、行かない手はないなと思ったわけです。

 

この写真は開演直前のステージです。演奏中は撮影できませんから。

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武蔵野スイングホールはわりと小さめの会場。午後7時の予定ぴったりにライヴははじまりました。ヴォーカル&ギター、サイド・ギター、ベース&サイド・ヴォーカル、ドラムス、パーカッション&サイド・ヴォーカル(&一曲だけギター&リード・ヴォーカル)という編成。最初、会場の雰囲気をさぐるかのようにじわじわと演奏をはじめた彼らですが、徐々に熱を帯びていきます。

 

その熱は、演奏だけ聴いていると、完璧にダンス・バンドのそれでしたね。ドラマーも大活躍でしたが、リード・ギターリストが延々と反復するシングル・トーンのリフ・パターンにかなりのパッションがあって、リズムもダンサブル。実際、第一部からシートにすわったままからだをゆすっているお客さんも多かったです。自然とからだが反応してしまう、そんなビートを、特にリード・ギターリストが出していましたね。

 

第一部はそれでも様子見といった感じで終わったんですけど、約15分の休憩をはさんだ第二部では演奏にグッと熱が入り、リード・ギターリスト(はフィンガー・ピッキング)のはじきだすフレーズの沸点がかなり高まるというようなことになりました。白人サイド・ギターリストとのからみもよりカラフルに。

 

タミクレストがライヴでこんなにも熱くなるバンドだとは CD だとイマイチわからないことです。またやはり CD ではわかりませんがライヴでは一曲の演奏時間がかなり長くなっていました。ぼくも興奮していましたので長さを感じませんでしたが、CD 収録の何倍もの演奏時間におよんでいましたね。即興でどんどん長尺化していたわけです。

 

実際、CD とかで聴く限りでは、タミクレストの演奏能力の高さが伝わりにくいと思うんですけど(砂漠のブルーズのバンドはどれもそうかな)、現場での生演奏を聴くと相当な実力の持ち主だとわかります。演奏したのは CD 収録曲ばかりでしたが、いい意味で原型をとどめていませんでしたからね。どんどん高い熱を帯び、かなり即興的に大胆に展開していました。

 

そんな熱は第二部の終盤でとうとう爆発。バンド・メンバーにうながされて観客も大部分が椅子から立ち上がり、客席前方の空間にまで一気に詰め寄せて、みんながタミクレストの演奏にあわせて激しく踊りはじめたのです。これには正直ビックリでしたね。タミクレストがここまでのライヴ・ダンス・バンドだとは、ぼくはわかっていませんでしたから。

 

もちろんぼくも立ち上がって、肩を腰を足を手を激しく動かし踊りました。そうしていると、実際の演奏時間はかなり長かったと思うんですけどそれを感じず、あっという間にエンディングということになりました。タミクレストがここまで踊れるバンドだなんて、やっぱり CD だけ聴いていたんじゃわかりませんよね。

 

(written 2019.10.2)

2019/10/03

岩佐美咲と三人の歌仲間 2019.10.2

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2019年10月2日、北区は王子の北とぴあ、つつじホールにて行われた「三人の歌仲間」コンサートに出かけてきました。これは同じ長良事務所(長良グループ)に所属する三組の歌手、岩佐美咲(わさみん)、はやぶさ、辰巳ゆうとのジョイント・コンサートで、伴奏も生バンドによる演奏を使用するとあって、ふだんはカラオケ伴奏で歌うことの多いわさみんのファンのぼくとしても大いに期待していたものです。

 

今日のバンドはドラムス、(コントラバスふくむ)ベース、(アクースティック&エレキの)ギター、グランド・ピアノという必要最小限のもので、幕が開いてこれを知ったぼくは、このリズム・セクションだけというミニマム編成で、あのわさみん楽曲の数々をどうこなすのか、たいへんに興味深く見守っていました。それに乗ってわさみんがどう歌いこなすのかも見ものでしたね。

 

今日のこのコンサートは来2020年2月にチャンネル銀河で放送されますので、ネタバレになってはいけませんから、三組の歌手とも具体的な曲目などは書かずにおきましょう。わさみん歌唱分についていえば、オープニングとクロージングで三組合同で一曲づつ計二曲、後半、はやぶさのヤマトとのコラボで一曲、単独では持ち歌を前半二曲、後半一曲、カヴァー・ソングを後半一曲、歌いました。

 

わさみんの歌の調子というか出来はといえば、まあまあというかイマイチというか、はっきり言って一曲目の「む〜〜〜〜」でちょっとアレッ?と思っちゃいましたが、その後は徐々に立て直していけたかなと思います。まあでもこの日のわさみんは音程がやや不安定だったような気がしないでもないです。特に生バンド伴奏だった曲ではそうです。

 

といいますのは、この日、生バンド伴奏じゃなくカラオケを使用したばあいも(三組とも)あって、そのほうがわさみんもふだん歌い慣れているせいか、やりやすいという面があったんじゃないかと思います。カラオケだと分厚いキーボード・シンセサイザーやストリングスやホーンズも入っているわけで、ところがこの日はリズム・セクションだけという伴奏ですので、ふだん慣れないスカスカ・サウンドでわさみんには難度があったかもしれないですよね。

 

四人による生バンド伴奏はたいへんよく練られたもので、アレンジャーさんも紹介されステージに登場しましたが(名前を忘れましたゴメンナサイ)、「む〜〜〜〜」にしろ「さ〜〜〜〜〜」にしろ、これをリズムだけたった四人の生演奏でどうこなすのか、どんな音をどの楽器にどう担当・配置させるのか、細部まで考え抜かれたものでしたし、演奏もこなれていました。四名とも譜面を見ながらの演奏でしたが、演奏能力も読譜力も高いのだとわかりました。リーダーシップはギターリストのかたがとっていました。リハーサルも重ねていたでしょう。

 

だからこそ、主役であるわさみんがもっと安定した歌いっぷりを聴かせないといけなかったと思いますが、ちょっとリラックスしすぎていたのかもしれないですね。コンサート開演前の本人のツイートなどにもありまように、同じ事務所の気心の知れた三組でのジョイントということで安心感ハンパないとのことで、緊張感がやや失われていたのでしょうか関係ないのでしょうか。

 

それでも前半と比較して後半はわさみんもグッと安定感を増し、聴かせどころでしっかり聴かせる安心の歌唱をみせましたので、計二時間のコンサート全体では及第点をあげていいんじゃないかと思います。なにしろ抜群に調子いいときのわさみんを知っちゃっていますので、どうしても比較すれば採点が辛くなってしまうのですが、いまのわさみんの歌唱力はいまの日本人演歌・歌謡曲歌手たち全体のなかでも上位に入るものですからね。

 

ぼくは生初体験だったはやぶさ、辰巳ゆうとの見事な歌も聴けましたし、終演後には三組のみなさん計四人とも(二回ループで)握手できて、最終的にはたいへん楽しいコンサートになりました。それにやっぱり生バンド演奏はいいです。ふだんはカラオケで歌っているわさみんですが、ときどきこうやって生バンド伴奏で歌える幸せをかみしめてもっと精進してほしいなと思います。リズム・セクションだけとはいえ、バンドの生演奏が聴けたのも、この日の収穫でしたね。

 

(written 2019.10.2)

2019/10/02

おだやかで静かなマダール・アンサンブル

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https://open.spotify.com/album/7IUs2n4N3xesUVzkLnz7Er?si=F_0zZbfRQY6cB1Y09K0vUw

 

ジャケットがいいでしょ。マダール・アンサンブルはパレスチナ人ウード奏者とオランダ人ベーシストを中心に、クラリネット(オランダ)、ヴィオラ・ダモーレ(チュニジア)、パーカッション(ヨルダン)を加えた五人組のバンドというかユニット?プロジェクト?たぶんヨーロッパのどこかで活動しているんだと思いますが、ともかく作品はまだ今年リリースのアルバム『アカマール』(2019.5.10)一枚だけです。

 

しかしその『アカマール』のことをぼくは気に入ってしまったんですね。民族的な音楽要素を土台にしつつジャズ/ネオ・クラシックみたいな展開を聴かせるのは、たとえばブラジルやアルゼンチンにも、特にアルゼンチンにかな、たくさんあると思うんですけど、マダール・アンサンブルのばあいは、そのフォーク・ベースが中近東にあるんだと聴こえます。だからやっぱりウード担当のパレスチナ人ニザール・ロハーナが中心人物でしょうね。

 

中近東地域のアラブ歌謡を聴き慣れている耳であれば、完全インストルメンタル音楽を展開するマダール・アンサンブルのなかにも同様の旋律の動きを聴きとることができるはずです。旋法も同様のものを使っていますしね。しかしときおりそこから離れてフリーなインプロヴィゼイションを展開する時間もあったりなど。即興は決して熱く激しく盛り上がったりはせず、淡々としておだやかで静かなこのユニットの音楽性をどこまでも維持しているんですね。

 

即興と書きましたが、しかしこのマダール・アンサンブルの音楽は、かなりな部分記譜されているものだろうと推測できますね。ウード、クラリネット、ベース、あるいはそこにヴィオラ・ダモーレも参加したりしてアンサンブルを奏でていたりする部分は、アド・リブでは実現不可能なもののように思えるからです。記譜済みアンサンブル部分のほうが、どっちかというとこのユニットの音楽の大きな部分を占めているんじゃないでしょうか。

 

ウードやベースよりも、クラリネットは音も鮮明で大きいですから、目立つといえば目立ちます。オランダ人らしいんですけど、そのクラリネット奏者がソロを吹いている時間にはアラブ色はほぼなしですね。クラシックとか西欧ジャズだとかに近い内容に聴こえます。しかしそれだけじゃないでしょうか。ほかはソロもアンサンブルもアラブ・フォーク・ルーツに根ざしているのは間違いないですよね。

 

マダール・アンサンブルの特色は、そんな民族色を濃ゆい表現にはせずに、どこまでも西洋的に洗練された、おだやかで静かで落ち着いて美しい、まるで夜のしじまにゆったりと漂っているかのような、そんな風景を見せているところです。決して熱情的にはならず、あくまでクール。そこがこのユニットの、このアルバムの音楽の、魅力じゃないでしょうか。

 

だからじっくりと腰を据えて聴き込むというのもいいけれども、それよりも、ちょっとしたナイト・タイムの BGM なんかとして最高にいい雰囲気をつくってくれる作品だなと思いますよ。ちょっと暗いっていうか陰鬱、ダウナー(で、やや幻滅するように退廃的?)な音楽なので、気分を選びますけどね。

 

(written 2019.9.2)

2019/10/01

想像力の涵養

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音楽を聴く効用のひとつに、想像力の涵養ということがあると思います。この音がこう来たら、次はどうなるだろう、たぶんこうだ、とまだ鳴ってもいないサウンドが頭のなかにかきたてられるわけです。こういったことは、たくさん音楽を聴いてきているリスナーのみなさんであれば必ず体験していることだと思うんですね。はじめて聴く曲でも次の音が想像できる、これはわりとふつうのことです。

 

音楽を聴いていて、この音はこの先どうなるのか、次にどんな音が来るのか、あるいはこういったサウンドだったならきれいだなあ〜って頭のなかで思い浮かべることですね。そのとおりに音楽が進むと、よしっ!っていう気分になったりするし、期待が外れると、う〜んこうだったらよかったのに〜とちょっと残念で悔しい気もしたりなど、みなさん体験していますよねえ。

 

これは、こういう音楽ならこういったサウンドの並びになっていくだろうっていう、ある程度のパターンが自分のなかに刻み込まれているからであります。だから裏切られたときに、それが楽しく美しかったら新鮮な驚きで、うれしい気分になったりもしますよね。思ったとおりに次のサウンドが来ても、マンネリなパターンだとつまらないって感じるのも当然です。

 

一種のミュージシャン、あるいはプロデューサー感覚ということに近いことかもしれないですが、音楽を創っていくようなそんな立場に、頭の想像のなかでだけなっているということです。この感覚があるかないかは、ただ聴くだけのファンであるぼくが聴いて楽しむだけのときにも、その享楽感覚の深さを支配する大切なことになっていたりするんですね。

 

音楽をぼくは創造するわけじゃありませんが、音楽を想像するということは毎日どんどんやっているわけです。CD でも配信でもどんどん聴いていて、その聴いている音楽の理想的な姿、目標を思い浮かべることは日常的にやっていますよね。すると、目標が高いせいなのか、その理想レベルに達している作品に出会うことはなかなかありません。でも、たまに出会えると運命の相手だ、人生パートナーだって思えますよね。

 

そんな想像=創造の理想的パートナーともいうべき音楽作品を自分のなかでどんどん増やしていくことが、音楽だけ人生を歩んできているぼくにとってはかなり大切なことで、滋養にもなっているし、いざというときには助けられたりもするし、生活のうるおいになって、生活、人生が充実しますよね。

 

こういったことは、音楽を長年にわたりたくさんどんどん聴いていないとたぶんできないことかもしれません。音楽のある程度のパターンを脳裏に刻み込んでいく、そのストックが増えれば増えるほど、自分のなかでの自在な(音の)想像力もたかまりますから。だから、まったく聴いたことのない新鮮なパターンの音楽に出会って、しかもそれがすばらしいものであったときの感動も、またいっそう大きいんですね。

 

そういった想像力の涵養は、創造というものに(頭のなかでだけであったとしても)姿を変え、それはもの(音楽)をつくりだすだけでなくて、自分の人生をつくりだしていくことにも大きくかかわります。そうです、音楽を聴いて想像力をたかめることは、人生を創造することにつながるんですね。

 

(written 2019.8.24)

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