« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »

2019年11月

2019/11/30

このウェイン・ショーターとアート・ブレイキーは、ものすごくすごい!〜ジャズ・メッセンジャーズ『フリー・フォー・オール』

Dd59888d628c46c481179cca70706dfd_4_5005_

https://open.spotify.com/album/1iYuqmkhvfNCTpo94ZjVuY?si=EYj3zT9EQtyWcZhhsJ439Q

 

これ、いったいどうしちゃったんだ?!アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのアルバム『フリー・フォー・オール』(1964年録音65年発売)、ものすごいじゃないか!こんなジャズ・メッセンジャーズ、聴いたことないですよ。いままでずっと長年このアルバムのことを知らずに来て、ついこないだはじめて聴いたばかりなんですけど、これ、ジャズ・メッセンジャーズ最高傑作じゃないかなあ。いやあ、すごいすごい!!

 

アルバム『フリー・フォー・オール』では1曲目「フリー・フォー・オール」と3曲目「ザ・コア」がアホみたいに鬼すごいので、この二曲だけを聴いたので OK と思います。んでもっていちばんすごいのがウェイン・ショーターのテナー・サックス・ソロ。これ、いったいどうしちゃったんでしょう?まるでジョン・コルトレインそのものじゃないですか。1964年のトレインがジャズ・メッセンジャーズで吹いたらかくありきと思わせる壮絶さ。マジどうなってんのよ、このウェインは?

 

ウェインがあまりにすんごいもんで、引っ張られてかボスのアート・ブレイキーも鬼の形相で叩きまくっているじゃないですか。「フリー・フォー・オール」でも「ザ・コア」でも、これはもうブレイキーのドラミングじゃないです。1964年ならちょうどトニー・ウィリアムズがマイルズ ・デイヴィス・バンドでこんな演奏を展開していましたが、『フリー・フォー・オール』のブレイキーはトニーそっくりなパルス感覚の自在なドラミングを展開しているように聴こえます。

 

「フリー・フォー・オール」も「ザ・コア」もいちおう定常ビートがあるものの、ブレイキーのドラミングはそこにとどまることなく、絶え間なくオカズを入れ続け、というかはみ出すばかりで、もはや4/4拍子を(たとえばハイ・ハットやシンバルで)キープしようなんて気持ちはさらさらないみたいですよね。かなりフリーなドラミング・スタイルに近づいているといえるでしょう。

 

そのほかサイド・メンではフレディ・ハバードは当時の新世代ジャズ・トランペッターなのでこれくらい吹けても不思議じゃありませんが、守旧派トロンボーンニストのカーティス・フラーまでこんなに鋭角に尖ったソロを演奏できちゃうなんて、これが化学反応ってやつですかね。すべては曲を書き音楽監督をやってアホみたいにフリーキーに吹きまくるウェインと(「ザ・コア」はハバードの曲だけど)、それにインパイアされたボス、ブレイキーのぶっ飛んだドラミングのおかげです。

 

いやあ、それにしてもアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの『フリー・フォー・オール』、なんど聴いても1曲目と3曲目がすごい、すごすぎる!こんなのなかなか聴けませんよ〜。なかでも特にウェイン・ショーターがね、このひともっとこうクールなスタイルの持ち主とばかり思っていましたが、とんでもない、ここでは激アツも激アツ、フリーキー・トーン連発で、沸点200℃くらいで煮え立っています。いやいやあ、これはすごい。こんなの聴いたことありませんよ。ビックリ仰天です。

 

(written 2019.11.13)

2019/11/29

マイルズが休んで、新主流派ができあがる

00bf44ddd66a4d6ea80bb3ee30fa8e3b

https://open.spotify.com/playlist/38b3oUWLMqcEaJ6puqlnhZ?si=k_RUVxcFQei0kMogV01Jjw

 

最近は新主流派と言わず、ポスト・バップって呼ぶんですかね、英語圏では。アメリカではむかしまた違った名称があった気がしますが、いまやもうすっかりポスト・バップの呼称で定着したような感のある(ぼく的には)新主流派ジャズ。今日のこの文章ではどうしましょうかね、やはり長年慣れ親しんだ新主流派という呼び名でいくことにしましょうか。ぼくのなかでは新主流派とポスト・バップは同じものです。

 

新主流派(ポスト・バップ)とは、(主に)1965年ごろから60年代後半にかけて、ブルー・ノート・レーベルを舞台に、ハード・バップから一歩進んだ新感覚の若手ジャズ・メンがどんどん録音した(フリー・スタイルではない)メインストリーム・ジャズのこと。一般にハービー・ハンコックやウェイン・ショーターやフレディ・ハバードやマッコイ・タイナーやといったひとたちに代表されるのではないでしょうか。

 

以前も一度チラッと触れたんですが、こういった新主流派ジャズが1960年代なかばに台頭した背景には、65/66年のマイルズ・デイヴィスの休養という事情があったのではないかというのがぼくの見方なんですね。前64年秋にウェイン・ショーターを迎えニュー・クインテットとなり、65年1月にひさびさの本格スタジオ作『E.S.P.』を録音したにもかかわらず、マイルズは股関節痛の悪化で手術などすることになり、同年いっぱいは入退院をくりかえし、年末までいっさいの活動を休止していました。翌66年もあまり活動せず。

 

マイルズのアルバム『E.S.P.』や次作1966年録音の『マイルズ・スマイルズ』を聴けば、いわゆる新主流派ジャズがそこにあるのは明白です。そもそも新主流派とはアイラ・ギトラーが『マイルズ・スマイルズ』に寄せて考案した名称(new mainstream)ですしね。マイルズ個人はビ・バップ時代から活躍しているジャズ・マンですが、その後の時代の変展にあわせてバンドでやる音楽も刷新してきました。

 

そして1963年にハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズという新しいリズム・セクションを雇ったのがさらなる新時代のはじまりでしたよね。63年当時はまだまだハード・バップの枠内にあったかもしれませんが、その後ウェイン・ショーターがくわわって『E.S.P.』を録音したころには、マイルズ・バンドも新感覚の新時代ジャズへと舵を切っていました。

 

そんなスタジオ最新作も完成し、さあこれから!といった1965年冒頭、いきなりボスが休養することとなり、復帰のメドも立たないといった状態におかれてしまいましたので、サイド・メン四人はかなり困ったはずです。なにより四人ともまだ若く、創造意欲にあふれた清新な秀才でしたから、相当な欲求不満がたまったのではないでしょうか。

 

そんな欲求不満を解消する場となったのが、ブルー・ノート・レーベルだったんです。ウェイン、ハービー、ロン、トニーの四人に録音の機会をどんどん与え、むろんマイルズ・バンドのメンバーとしてコロンビアと契約していましたから四人がそっくりそのまま揃って使われることはなかったんですけど、別な(若手新感覚の)ジャズ・マンを混ぜ、フロントにはまた違ったホーン奏者を立てて、それでアルバムをどんどん制作したのが、いわゆる新主流派ジャズというものの実態です。ボスのマイルズが休んでいるあいだにですね。

 

ですから新主流派(ポスト・バップ)とはなにか?という問いに対する端的な答えは、マイルズ・バンドのサイド・メンが、それぞれ別な若手ジャズ・メンと組んで、ブルー・ノート・レーベルを舞台に、1965〜68年ごろに展開した、新感覚ジャズのことだ、ということになるんですね。むろん、ハード・バップとの明確な線引きなどはむずかしいことなんですけど。

 

そんなわけなので、ブルー・ノートにたくさんある新主流派ジャズのアルバムは、例外なくどれも『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』までのマイルズ・ミュージックを敷衍したような内容になっているでしょう。本来であればマイルズが自身のバンドで1965年来どんどん展開すべきものでした。ところが健康状態の悪化で本格復帰までの約二年間活動できなかったがために、ボスの意を汲んだかのようにサイド・メンが(ブルー・ノートで)展開したというわけなんですね。

 

マイルズ・ミュージックのその後の新展開と軌を一にするように、新主流派も短命に終わりました。1968年ごろからマイルズは電気楽器を積極的にとりいれ、ロックやファンク・ミュージックなどからも貪欲に吸収して、ニュー・ミュージックの創造に意欲的になりましたよね。その結果が『キリマンジャロの娘』『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』のトリロジーですけど、ちょうどそのころ新主流派の火もついえました。

 

新主流派ジャズをブルー・ノートで展開していた(マイルズ・バンド所属であろうとなかろうと)若手ジャズ・メンも、あたかもマイルズ・ミュージックの変化にあわせたかのように、1960年代末からジャズ以外の他ジャンルの音楽との融合・横断を試みるようになり、そのまま1970年代があんな時代となったわけですね。

 

今日は新主流派ジャズへのジョン・コルトレイン・ミュージックからの流れをしゃべる余裕がなくなってしまいました。また機会をあらためます。

 

(written 2019.11.9)

2019/11/28

わさみんと歌の距離感

Cb578d4a78f34296998bf54797e9365b

2019年11月21日に代々木上原のけやきホール(古賀政男音楽博物館)で開催された「ザ・令和ライブ」。わさみんこと岩佐美咲も出演するので出かけてきたんですけど、司会の湯浅明さんがわさみんのときにちょっとおもしろいことをおっしゃっていました。「津軽海峡・冬景色」を歌い終えてのトークの際、わさみんは歌の世界に入り込んで歌うのではなく、歌の世界を「風景画」として眺めるようにして歌っていますね、と湯浅さんは指摘なさったのです。

 

そのときは湯浅さんが「岩佐さんのなかでこの曲では世界に雪が積もっていますか、それともハラハラと舞い落ちている感じですか?」とお聞きになって、するとわさみんはかなりドギマギした感じになって、え〜っとえ〜っと…と言いながら前傾姿勢になってなにも答えられず、思わず客席から助け舟が出ましたから、あのとき、わさみんは要するになにも意識せず本能的に歌っているだけだとバレちゃいましたよね。

 

それはいいんですけど、そんな本能的歌唱法でやっているわさみんのばあい、湯浅さんのご指摘による、まるで風景画を眺めているように歌の世界をとらえて、それで歌っているのだというのは、わさみんと歌の世界の距離感を的確に表現したものだと思うんですね。歌の世界の中にすっぽりと没入せず、まるで外から眺めているような、そんな歌いかたをたしかにわさみんはしていますよね。

 

歌の世界に没入しないというのは、一見、よくないことのように思われるかもしれません。集中していないというか入り込んでいないのではないか、と考えられてしまうかもしれないですよね。でも、ぼくの考えでは逆なんです。歌の世界と一定の距離感、ちょうどいい適度な合間を取ってあったほうが歌の世界を聴き手にうまく伝達できると思うんです。

 

ずいぶん前にテレビ番組で知った八代亜紀さんのことばに「歌手は歌に感情を込めないほうがいい」というのがありまして、八代さんのご体験によれば若いころのキャバレー歌手時代に、歌に感情を込めずに歌ってみたらホステスさんたちがわんわん泣き出したということがあったそうです。それ以来八代さんは、歌の世界に入り込みすぎずスッとストレート&ナチュラルに歌うように心がけていらっしゃるんだそうですよ。

 

ぼくの言いたいことは、この八代亜紀さんのことばですべて表現されています。歌の世界に入り込み感情を強く込めて歌うと、たしかに歌はその歌手のものになります。しかしそのばあい表出されるのは歌の世界ではなくその歌手の世界じゃないかと思うんですね。その歌手のファンのみなさんにはそれでいいでしょうけど、ひろくみんなに訴えかけるという部分からはやや遠ざかってしまうかも。

 

前からくりかえしているように、わさみんの歌唱法はそういったやりかたとは逆ですよね。自覚的にしっかり熟慮の上練習を重ねて、選んで学びとったものというより(もちろんそれもあるんですよ、程度の問題です)、なにも考えず本能的にやっているだけかもしれないですけど、わさみんは歌手としての自分の色をなるべく消しています。強く個性的なところがないですよね(いい意味で)。

 

個性を強く打ち出すと、歌はその歌手のものになって、みんなのものにはならないんじゃないでしょうか。逆にまるで無色透明容器のようなものになって歌えば、楽曲の魅力をいっそうよりよく聴き手に伝えることができますよね。無色透明なら中身がよく見えますから。生得的、本能的であったとしても、わさみんはそういった方法を選んで実践しているんですよね。

 

ザ・令和ライブでの司会の湯浅さんがご指摘なさった「岩佐さんはまるで歌の世界を(他人事のように)絵を眺めながら歌っていますよね」というのは、まさに的を射ていらっしゃったと感心しちゃったというわけです。そう、わさみんのナチュラルでナイーヴで素直な発声と歌唱法はそういうことなんです。歌の世界に入り込まず、適切なちょうどいい距離感を保ちつつ、冷静にそれを歌って表現することができている、だからこそ聴き手には歌の世界がよりよく伝わって大きな感動につながっていく 〜 これがわさみんのやりかたなんですよね。

 

しかしそれを一貫して実践できるというのもまた得がたい個性なんじゃないかと思います。

 

(written 2019.11.27)

2019/11/27

岩佐美咲、秋LOVEライブ 2019.11.23 私感

E9d068bc2b524207a4d6fb50a996f932

(写真は岩佐美咲オフィシャルブログより)

 

2019年11月23日、浜松町の文化放送メディアプラスホールで開催された、わさみんこと岩佐美咲のコンサート「秋LOVEライブ」に行ってきましたので、簡単に私的な感想を書いておくことにします。毎年わさみんの誕生日近辺に開催されることの多いソロ・コンサートが演歌中心なのに対し、○LOVEライブのシリーズは歌謡曲やポップスだけで構成されています。ぼくは今年が初体験でした。12曲+アンコール1曲をやるというのが通例のようで、今年もそうでした。

 

1 風立ちぬ
2 楓(弾き語り)
3 君はロックを聴かない(弾き語り)
4 水の星へ愛をこめて
5 愛にできることはまだあるかい
6 20歳のめぐり逢い
7 色づく街
8 M
9 茜色の約束(弾き語り)
10 秋桜(弾き語り)
11 夜空ノムコウ(弾き語り)
12 変わらないもの
EN1 恋の終わり三軒茶屋

 

上記のうち弾き語りと書いてあるものはわさみんがアクースティック・ギターを弾きながら歌ったものですが、ほかにせんべいさんのアクースティック・ピアノ(の音色を出すデジタル・ピアノでした)伴奏もついています。弾き語りと書いていないものはピアノ一台の伴奏だけで歌われたものです。わさみんのギター演奏技術は、2018年2月に恵比寿で観聴きしたときよりも格段に上達していました。

 

指のつりそうな難度の高いコード・フォームの押弦やコード間の移動も目視なくきわめてスムースで(プロ・ギターリストだったならあたりまえですが)、それだけでなく右手のピッキングもはるかに上手くなっています。ピックを使ってのピッキング・アタックのニュアンス変化のつけかた、フィンガー・ピッキングでのアルペジオ弾きのうまさなど、目立ちました。とにかくギター・プレイ技術が向上しているなというのがこの日のとても大きな印象です。

 

松田聖子の「風立ちぬ」で幕が開いたときは、今日は100%の本調子じゃないかもと感じたんですが、それはオープニング特有の緊張感からまだすこしかたくなっていただけだと次第に気づきました。熱を帯びてきたのは、ぼくの記憶では3曲目の「君はロックを聴かない」(あいみょん)からです。この曲では歌に力がこもり、温度が上がって声に張りや伸びがグンと増しました。これ以降はラストまでずっと好調を維持できたと思います。

 

4、5曲目のアニメ・ソング・パートを経て、6曲目の「20歳のめぐり逢い」(シグナル)でぼくは感極まってしまいましたね。これは初披露の曲ではなく、ずっと前にシングル CD に収録していますし、ソロ・コンサートでも歌った年がありました。わさみんの歌う「20歳のめぐり逢い」は、本当に切なくて哀しくて最高なんですけど、この日のアクースティック・ヴァージョンはいっそうそれがきわまっていましたよね。

 

もちろん CD 収録などされている「20歳のめぐり逢い」とは伴奏がまったく異なっています。この日はピアノ伴奏だけで歌ったわけですから、もちろんなんどもリハーサルをくりかえしたでしょうけど、それでもこんな出来具合まで持ってきたのには称賛のことばしか浮かんできませんね。CD などヴァージョンに比しややテンポを落とし、落ち着いた暗めの陰な情緒をうまく表現することに成功していたと思います。いやあ、マジすばらしかった。

 

コンサート全体の個人的クライマックスは、ピアノ伴奏といっしょにわさみんがギターを弾きながら歌った10「秋桜」(山口百恵)、11「夜空ノムコウ」(SMAP)でしたね。こういった曲はギター&ピアノだけっていうミニマル編成でのアクースティック伴奏でやるとグンと魅力を増すものだと思うんですね。わさみんのギターもアルペジオでしっとりした雰囲気だったし、ヴォーカルのほうも安定していました。

 

これらはなんたって曲そのものがいいし、ふたりだけのアクースティック伴奏も似合っているし、かつわさみんのナチュラルな歌唱法は円熟味を増し、デビュー期のようなアイドルっぽい高音のキンキンさは影を潜め、しかし本来持っているキュートさはそのまま維持しつつ、スムースに発声し声に色艶を出すっていう、そんな歌手としての成熟を聴かせてくれました。

 

この日のわさみん歌唱、最大の着目点は、ふだんの演歌(系のもの)を歌うときとで歌いかたを変えてきていたというところでしょうね。コンサートや歌唱イベントなど演歌などを歌うときはわさみんも強く声を張りグググ〜ッと伸ばしたりしているんですが、この日はそれを抑えて、よりいっそう曲そのものに寄りそうようにナチュラルかつナイーヴな発声を意識してしているのが聴きとれました。レパートリーの違いで歌唱法を変化させられるんですね。

 

またピアノ担当のせんべいさんとの息もピッタリ。せんべいさんはどの曲でだったか忘れましたがエレクトリック・ピアノの音色にチェンジして弾いた曲もありましたね。コンサート全編を通じ、わさみんとふたりでかなりリハーサルしたんだなとうかがえる、阿吽の呼吸で合わせていました。阿吽の呼吸というか練習のたまものですけれど、わさみんのギター演奏技術が上がっているおかげで合わせやすくなっていたと思います。

 

アンコールで歌った最新シングル曲「恋の終わり三軒茶屋」だってもちろんアクースティック・ヴァージョンに生まれ変わっていましたし、それもおもしろかったです。もともとこの曲は歌謡曲・ポップスに近い雰囲気を持っているということで、アクースティック・アレンジでやってピッタリ似合っていましたよね。ワイン・レッドのドレスであの振り付けをそのままやるのも一興でした。

 

演歌なのか、歌謡曲か、はたまた J-POP なのか、わさみん本来の資質や願望がどこらへんにあるのか、どういうものを歌うと実力をフル発揮できるのか、そういったことは軽々には言えませんが、ふだん着物姿で演歌やそれに近い古い歌謡曲を歌っていることが多いだけに、ぼくにはかなり新鮮な驚きで、しかも岩佐美咲の真の実力の一端を垣間見たような気がした一時間半でした。

 

(written 2019.11.26)

2019/11/26

ケニー・ドーハム『アフロ・キューバン』

026e4e7fc7164bf5be42ee2ec7a74d6e_4_5005_

https://open.spotify.com/album/6sfAnBHbBbI8Z4NEDpXycZ?si=SoCFgjNjSZy_DnOv5kZvNA

 

ケニー・ドーハム『アフロ・キューバン』のオリジナル10インチ LP は1955年。その後拡充を二度ほどくりかえし、詳細を説明しなくてもネットで調べればすぐわかると思うので省略しますが、とにかく現在では2007年のルディ・ヴァン・ゲルダー・エディションが標準ということになっているんじゃないでしょうか。しかしそれでもやっぱり10インチ盤に収録だった最初の四曲だけ聴けば(アフロ・キューバン視点からは)オッケーだという気がします。その10インチ・ジャケットはこれ↓

7a60993db9ea4caaabb68d3a0b495bd3_4_5005_

2007年 RVG 盤だと(Spotify にあるのもそれ)ラスト9曲目も同日録音でメンツも同じですが、それは3曲目「マイナーズ・ホリデイ」の別テイクにすぎないので省略してもいいでしょう。最初の四曲にしぼって話を進めたのでだいじょうぶ。5〜8曲目はなんらアフロ・キューバンではないごくふつうのモダン・ジャズですしね。要するに肝心なのは 1「アフロディジア」、2「ロータス・フラワー」、3「マイナーズ・ホリデイ」、4「バシアーズ・ドリーム」。

 

それでこの四曲を今日ここでは『アフロ・キューバン』と呼びますが、このアルバムほどモダン・ジャズがラテン・ミュージックに直截的に接近・合体せんとしたものはないのかもと思います。それほどすごい。ジャズにおけるラテン要素はこのジャンルの誕生の瞬間からしっかりあったものですけど、モダン・ジャズで、となると、ビ・バップ時代にしばしばキューバの音楽家と合体していたのを除けば、ケニーの『アフロ・キューバン』以上のものはないのでは。ジャズもその後1970年代になってようやく本格的にラテンやアフロ要素と融合するようになりましたけれども、1950年代にここまでのものはありません。

 

ケニーの『アフロ・キューバン』は四管編成でモダン・ジャズ・コンボとしては大きいですが、そのアレンジをだれがやっているのか、というかそもそもアルバム全体をここまでキューバン・ミュージックに寄せていこうとしたのはだれだったのか、ケニー自身かなとは思いますが、ピアノで参加しているホレス・シルヴァーや1955年時点ならホレスの盟友だったドラムスで参加のアート・ブレイキー(二名ともアフロ・キューバン好き)も貢献していたかもという気がします。

 

また、『アフロ・キューバン』にはブレイキーだけでなく、ラテン・パーカッショニストが二名参加しているんですね。コンガのカルロス・パタート・バルデスとカウベルなど金物のリッチー・ゴールドバーグ。この二名がブレイキーと三位一体となって表現するリズムの躍動感にこそ、このアルバムの醍醐味、聴きどころがあるなと思います。それに比すれば、管楽器ソロなどどうってことはありません。ついでにいえばテーマ演奏部のホーン・アンサンブルも放っておいていいでしょう。

 

1曲目「アフロディジア」が聴こえただけでラテン好きの血が踊りますが、実際この、特にコンガの音色と打楽器三名によるリズム・パターン(にはピアノのホレスも貢献)には降参です。ソロ・パートをふくめ一曲全体がこのアフロ・キューバン・リズムで貫かれているのがきわめてポイント高し。打楽器奏者三名はくんずほぐれつしながらこのマンボっぽいリズムをうまく表現しています。いやあ、キッモチエエ〜!トロンボーンの J.J. ジョンスンのソロが終わった瞬間にパーカッション群乱れ打ちになるのもすばらしい。

 

2曲目「ロータス・フラワー」はキューバン・ボレーロのモダン・ジャズふう解釈みたいなものと聴くこともできますね。コンガの定常ビートが心地いいです。このバラードではホーン・アンサンブルやケニーのソロなどもかなりの聴きもの。ソロのあいだ折々にはさまるホーンズも美しいですが、ホントだれのアレンジなんだろう?やっぱりホレスですかねえ。かなりの腕前だと思いますが、ひょっとしてジジ・グライスのアレンジなんじゃないかとも響きます。そんなスタイルのような気も…(ちなみに4曲目がジジの曲ですから)。

 

3曲目「マイナーズ・ホリデイ」は、ソロ・パートで4/4拍子のメインストリーム・ビートになっちゃいますからイマイチあれですけど、それでもコンガがずっと入り続けていてラテン香味なスパイスをまぶしてくれていますよね。まるでルー・ドナルドスンのアルバムでレイ・バレットが叩くのを聴いているような気分で、快感じゃないですか。最初と最後のテーマ演奏部は完全なるラテン・ジャズ・ミュージック。

 

4曲目「バシアーズ・ドリーム」でのリッチーは金物ではなく、聴こえるクラベスを叩いているんでしょう。この曲もソロ・パートは4/4拍子ですけど、3曲目に比べラテン色が濃厚で、リズムの多彩さ、陰影も見事ですよね。コンガやドラムスが表現するリズムの躍動感も強力ですし、跳ねも大きいです。特にブレイキーのシンバルがとても印象的に響きます。クラベスを中心にクラーベのパターンが潜在的に織り込まれていて、まごうかたなき完璧ラテン・ジャズだと言えましょう。

 

(written 2019.11.6)

2019/11/25

ジョー・ヘンダスン『ページ・ワン』

D3c9b601859b4e1db49cdfe5fa653f49

https://open.spotify.com/album/7mQGTuvmdp56DNz0AmMwWi?si=nmb_KNZhQv-3mYoHcYM_QQ

 

ぼくのなかで勝手に名脇役のイメージができあがっているジョー・ヘンダスンの初リーダー・ソロ・アルバムが『ページ・ワン』(1963)。このなかにはラテン・ナンバーが二曲ありますね。どっちもジャズ・ボッサみたいなもので、1曲目「ブルー・ボッサ」と4曲目「リコーダ・ミー」。ジャズ・ボッサみたいなのはモダン・ジャズのなかにとても多いので、ことさらラテンふうと言い立てることはないのかもしれませんが、この二曲のおかげで『ページ・ワン』というアルバムの印象がぼくのなかでよくなっているのはたしかです。

 

「ブルー・ボッサ」は、でもトランペットで参加のケニー・ドーハムが書いた曲ですよね。ケニーってふつうのハード・バッパーという感じで、特にラテンとかブラジルとかと関係なさそうなのに(でもアルバム『アフロ・キューバン』がありますが)、こういった曲を用意できるんですね。「リコーダ・ミー」はジョーの曲です。どっちもドラマーのピート・ラ・ロッカがリム・ショットを混ぜながら印象的なボサ・ノーヴァ・ドラミングを聴かせているのもグッド。

 

各人のソロは無難にまとめているなと思いますが、なかでもぼくの気持ちに残るのはマッコイ・タイナーのピアノ・ソロですね。実はアルバム『ページ・ワン』の隠れた主人公はマッコイじゃないかと思うほどハツラツとした鮮烈な演奏ぶりで、イントロもソロもバッキングも大好き。1963年録音ですから、マッコイはちょうどグングン勢いに乗っていた時期ですよね。だから納得のプレイです。もちろんボスのジョーのソロもいかにも1960年代的といえる新感覚に満ちていて、好印象。

 

「ブルー・ボッサ」も「リコーダ・ミー」も、作曲者が違っているとはいえ、独特の哀感というかブラジルでいうサウダージがあって、そんなしっとり情緒が漂っているのがとってもいいですよねえ。ほ〜んと大好き。また二曲とも演奏後半でホーン二管のセカンド・リフ(テーマ部のヴァリエイションみたいな)が入るところも共通しています。演奏全体に統一感をもたらすことに寄与していますね。

 

これら二曲以外はふつうのモダン・ジャズ、ハード・バップ・ナンバーかなと思います。個人的にオッと思うのは、ちょっぴりジョン・コルトレイン・ジャズの香りがするところ。2曲目のバラード「ラ・メシャ」は「ナイーマ」みたいですし、5曲目のなぜか曲題が「ジンリキシャ」もちょっとコルトレインがやっているみたいに聴こえませんか。ピアノがマッコイなせいかなあ。いや、それだけではなく、1963年ならトレインの影響力が大きくなっていたということかもしれません。

 

全体的に新感覚を持った新しめのモダン・ジャズに聴こえるこのアルバム『ページ・ワン』のなかで、ラスト6曲目の「アウト・オヴ・ザ・ナイト」だけは従来路線っぽいです。これはふつうのブルーズなんですね。だからかなあ。曲が古い気がしますが、実はこれだけ1957年に書いたものだそうですから、さもありなん。でもジョーのソロ・パートだけは新世代に聴こえなくもないような。マッコイがあんがいふつうの(旧来からのハード・バップっぽい)演奏ぶりです。

 

(written 2019.11.5)

2019/11/24

ソニー・クラーク『リーピン・アンド・ローピン』

2398bf76dbea4f2db17f995eba980ee8

https://open.spotify.com/album/2akec72Ypln9yScfhHo8rm?si=klseKXqGSiyPeMBrQ0yEJQ

 

ソニー・クラークのラスト・アルバム『リーピン・アンド・ローピン』(1961年録音62年発売)は、なかなか雰囲気のあるいいハード・バップ作品ですよね。ラテン好きなぼくにとっては、ラスト6曲目が「ミッドナイト・マンボ」であることがポイント高し。いやあ、好きですね。これはソニー作ではなくトランペットで参加しているトミー・タレンタインの曲です。しかしアレンジはかなりソニーが貢献しているんじゃないでしょうか。

 

といっても各人のソロ・パートはふつうの4/4拍子のなんでもないモダン・ジャズになっちゃうっていうよくあるパターンですけど、でもこの最初と最後のテーマ演奏部のラテン・リズムは強力ですよ。1961年録音だから、アメリカ合衆国でもマンボはもちろん認知されていたでしょう。この曲がマンボと言えるかどうかはむずかしいですけれども。あ、そうそう、ソロ・パートでもビリー・ヒギンズのドラミングとソニーのピアノ・バッキングにラテン香味がちょっぴりありますね。

 

その前の5曲目が「ヴードゥー」というタイトルで、これまた南洋というか中米カリブ風味かという感じですが、ソニーのこの曲にハイチふうなところはありません。なんとなくおどろおどろしい不気味なアトモスフィアをヴードゥーと表現しているだけのことでしょう。ドクター・ジョンなどニュー・オーリンズの音楽家がこのことばを使うときとは用法が違っているなと思います。でもそれなりにソニーの「ヴードゥー」もお化けが出てきそうなハロウィンっぽい雰囲気で、いいですよね。

 

ってな感じでぼく的にはアルバム終盤の二曲が『リーピン・アンド・ローピン』のハイライトなんですが、一般的にはここじゃないですね。幕開けの変型ブルーズ「サムシン・スペシャル」の早足で歩く感じがちょっと「クール・ストラティン」(これもブルーズ)っぽいなとかソロも内容がいいとか、ホーン二管がおやすみして代わりにテナーのアイク・ケベックのワン・ホーン・カルテットでやる2曲目のバラード「ディープ・イン・ア・ドリーム」のゆったり感とかが聴きどころですよね。もちろんぼくもそれらは大好き。

 

特にバラードの2「ディープ・イン・ア・ドリーム」はかなりできがいいと思うんですね。しかしここでだけどうしてアイク・ケベックを起用しているんでしょうか。同じときのセッションなんですけどねえ。ほかの曲のテナーはチャーリー・ラウズ。そのへんの人選理由はわかりませんが、録音数の全体が少ないアイクのテナーがここでは実にいいです。こんなふうにバラードを演奏されると、思わずベン・ウェブスターを連想しちゃいますよ。褒めすぎ?

 

その「ディープ・イン・ア・ドリーム」はワン・ホーン・カルテット演奏ですが、アイクのテナーが出るまでのすこしのあいだ、ソニーがピアノ・ソロを弾いていますよね。たんなるイントロというのとも違います。そのソニーのピアノ演奏がいつになくいいですね。前々からくりかえすように、ぼくのなかではジャズ・ピアニストというよりコンポーザー/アレンジャーとして評価しているひとなんですけど、アルバム『リーピン・アンド・ローピン』でのピアノ・ソロは聴きごたえあります。後ノリでプレイして粘っこいフレイジングをするソニーの特徴がよくわかりますよね。

 

(written 2019.11.4)

2019/11/23

わさみんタイムはあっという間に終わってしまう

0e16d57177b646c4ba21b5b8fe27377d

こないだ2019年11月6日に発売されたばかりのわさみんこと岩佐美咲ちゃんの新作アルバム『美咲めぐり 〜第2章〜』は、トータルで約55分あります(初回限定盤のほう)。最近のぼくの嗜好・志向からしたら「長い」と感じておかしくないんですけど(近頃30〜40分程度のアルバムを聴いていることが多い)、ところがこのわさみんアルバムにかぎっては「あっという間に終わってしまう」と感じちゃうんですね。

 

そりゃそんなもんだろう、好きなこと楽しいことをしていると時間はあっという間に過ぎてしまうもんだと、それが世の常だと、そうおっしゃられるでしょうね。そう、そうなんです、ぼくはわさみんのことがそれだけ大好きなんですよね。好きで好きで、どう〜しようもないほど大好きでたまらないんですよね。

 

時間が短く感じるというのはアルバムやプレイリストを聴いているときだけでなく、わさみんと会って姿を眺めながら生歌を聴き握手したりおしゃべりしている歌唱イベント体験のときもそうなんですよね。もちろんすっごく楽しいから何時間でも、なんだったら何日間でもこれが続けばいいのに、しかしそれでもあっという間だぞと思っちゃいます。なにかが、だれかが好き、ファンだ、というみなさんならどなたでも同じように感じることがあるでしょう。

 

わさみんのばあいアルバムがまだ三枚と少ないんですけど、シングル CD がかなりたくさんあって、シングル盤中心の活動というのはやはり演歌・歌謡曲歌手らしいなと思うんですね。だからアルバムは少ないけれど、いままでに CD 発売されているわさみん歌唱曲はかなり多いです。それらからぼくなりに作成したマイ・ベスト・プレイリストでふだんは楽しんでいるんですね。

 

そのうちいちばん再生時間が長いプレイリストは、もちろん「岩佐美咲全曲集」ですが、これはあまり聴かないので。デビュー期のカヴァー・ソングのなかには物足りないものもありますからね。この次に再生時間が長いのが「岩佐美咲トータル・ベスト 2019」で、これは全八曲のわさみんオリジナルと、ぼくが選んだカヴァー・ソング・ベストで構成されています。これをふだんから実に頻繁に聴くんですね。

 

その「岩佐美咲トータル・ベスト」は、新しい CD が発売されるたびにいい曲を追加していってどんどん長くなっていますが、2019年11月時点で約1時間59分。つまりほぼ二時間近いわけです。二時間あっても、これだって聴いていればあっという間に時間が過ぎていきますからね。瞬時に終わってしまう、というとちょっと言いすぎですけど、それに近い感覚がありますよ。

 

つまりそれくらい現在のぼくにとってわさみんこと岩佐美咲ちゃんの歌を楽しんでいる時間は幸せで、ハッピー・タイムだから瞬く間に過ぎ去って、またもう一度さらに二度、となってしまうわけですね。わさみんファンのみなさんのなかには CD や DVD よりも生体験を重視なさっているかたも大勢いらっしゃるかもと思いますが、四国は愛媛県に住んでいるぼくにとってそれは頻繁にはできません。

 

だからふだんの日常生活では、超楽しいわさみん生体験を追想しながら CD で歌を聴くということになるわけですね。しかしそれもあっという間に終わってしまうので、ホントどうしたらいいんでしょう。そもそも定期的(月一、二月一程度?)に生わさ注入しないと元気が出ないっていうからだになってしまったし、わさみん聴いてりゃ楽しくて幸せで、ほかのことが色褪せるように思えてしまうし、困ったな〜。

 

(written 2019.11.11)

2019/11/22

マヌ・ディバンゴ『ワカ・ジュジュ』

9253e49482d443b6b047f6f9347794db

https://open.spotify.com/album/30gLt6nQcs5kTTU1n9zoZh?si=4YIOo82CTrOnz1fOKQCdeg

 

マヌ・ディバンゴ1982年の『Waka Juju』がアナログ・リイシューされたそうです。アナログだからぼくは買わないですけど、Spotify で聴けますので。これを知ったのは先日某ショップのツイートで発売のアナウンスがあったからで、それで早速さがして聴いてみました。ぼくは存在すら知らなかった一枚で、ひょっとして名盤なんですかね。うん、中身はかなりいいです。

 

マヌってアフロ・ジャズの音楽家と呼んでいいと思うんですけど、でもアフロ云々といわなくなっていわゆる1970〜80年代的ジャズ・フュージョンとしてもさしつかえないですよね。実際、ジャズ・フュージョンのなかにはアフリカ/ラテン音楽要素がたくさん入り込んでいたんだし、それをアメリカ人が取り入れるかアフリカ人側がそのまま活かすかの違いだけでしょう。結果的には似たような内容に仕上がっていると思います。

 

だからマヌの『ワカ・ジュジュ』もフュージョンっぽいのですね。特にそれを実感するのはアルバム2曲目の「ドゥアラ・セレナーデ」ですね。これはもろアメリカ西海岸的なさわやかフュージョンの香りがします。1982年ならちょうど当時の渡辺貞夫さんがやっていてもおかしくない曲ですね。曲想やマヌがサックスで吹くメロディなどなど。

 

また、この曲でもほかのすべての曲もそうなんですが、エレキ・ギターの弾くリフが印象的ですね。エレキ・ギターは実際このアルバムのサウンド・メイクの中心になっているなと思います。ときにはシングル・トーン、ときにはコード・ワークで、曲の根幹を成すビートを生み出していますよね。3曲目の「アフリカ・ブギ」なんかでも冒頭からコードで弾かれるパターンが気持ちいいです。

 

さらにピアニストはわりとラテン・ミュージック(サルサ?)を思わせる弾きかたをしているのも印象に残ります。1曲目の「ワカ・ジュジュ」でも中盤でそうだし、4曲目の「モウナ・ポーラ」なんか完璧ラテン・ミュージックじゃないですか。そこにエレキ・ギターがグチョグチョとからんでいき、マヌが吹くという。5曲目「マ・マリ」はエレキ・ベースのリフとクールなヴァイブラフォンが印象的な、これもフュージョンっぽい一曲です。アルバム・ラスト6曲目の「マンガ・ボロ」はアフロ・ファンクと呼んでいい内容で、たった33分間のこの『ワカ・ジュジュ』はあっという間に終わります。

 

(written 2019.11.10)

2019/11/21

続々アンジー・ストーン(3)〜『カヴァード・イン・ソウル』

5d9d15e0a6e44b9da80d48a7f954cd00

https://open.spotify.com/album/4HGEXvjkZ7KrlsHTaF6xkn?si=6zRMnE1KSiaw9OC28Bjqeg

 

すっかりアンジー・ストーンのファンになってしまいました。だからいろいろと聴きまくっていますが、過去の有名ソウル・ナンバーのカヴァー集『カヴァード・イン・ソウル』(2016)も好きです。一般的にはイマイチとされるアルバムなんですかね?わかりませんが、とにかくぼくには心地いいです。知っている曲が多かったからですかねえ。古典落語ファンやジャズ・スタンダード好きと同じ心境?

 

といってもアンジーの『カヴァード・イン・ソウル』のなかでぼくが知っていた曲は、スティーヴィー・ワンダーの4「アイ・ビリーヴ(ウェン・アイ・フォール・イン・ラヴ・イット・ウィル・ビー・フォーエヴァー)」、ボブ・マーリーの8「イズ・ディス・ラヴ」、キャロル・キングの9「イッツ・トゥー・レイト」の三つだけですけどね。その後の10〜12曲目はアンジーのセルフ・カヴァーみたいなので、外して考えてもいいでしょう。

 

それら三曲はいずれもぼく好みのサウンドと歌いかたで、実にいいですねえ。でもこのアルバムでいちばんグッと来たのは、実は6曲目の「エヴリ・1ズ・ア・ウィナー」なんです。初演はホット・チョコレート…、って、みなさんご存知です?えっ?知らないのはぼくだけ?そうですか、そうですねきっと。ソウル無知なぼくでありますからゆえ。

 

でもこの「エヴリ・ワンズ・ア・ウィナー」は本当にいいですよ。しかもなんだかデジャヴ感まであるっていう、不思議ですねえ。むかしから知っているおなじみの曲のように聴こえるのはどうしてなんでしょう?たぶん、このずんずんリズムと、それからゲスト参加でファズの効いたハード・ロックっぽいエレキ・ギターを弾きまくるエリック・ゲイルズのおかげかもしれません。いやあ、心地いい。

 

このアルバムは、アンジーが歌う以外のバック・トラックはすべてコンピューターでつくっているみたいなんですけど、だからできあがったリズム・トラックを聴きながらアンジーが歌いエリックが弾いたんでしょう。人力パフォーマーは6曲目のエリック・ゲイルズだけかも。そのエリックのギター・プレイも最高ですが、バック・トラックもよくできているなとぼくは思います。ちょっと雑にやや投げやりというかワイルドに歌うアンジーもここではグッド。曲の持つ高揚感をよく表現できていますよねえ。

 

そのほか、コンピューターでつくった打ち込みバック・トラックは、アルバム全体でわりといいなと思っています。ドラムス、ベース(的低音)、キーボードのサウンドがメインですが、プログラマーがだれだったのか知りたいくらい、いい仕事です。個人的にはベース・ドラム(のような低音)のお腹に響くサウンドが強調されているのが好みです。ベース音はいかにも鍵盤ベースだというような音色で、あんがい好きなんです、そういうのも。

 

レゲエ・ナンバーも二曲まじえつつ、全体的にはやはりソウルフルに迫るアンジーの、ていねいに声を置いていくというか乗せていくようなヴォーカル・マナーは、もはや完全にマイ・フェイヴァリット。曲調にあわせてわざとラフに歌ってみたり、キャロル・キングの曲がここまで濃厚なブラック・ナンバーに仕上がるかと思う「イッツ・トゥー・レイト」(もちろんキャロルはもともと黒人のために書いていたソングライターでしたが)などもスウィートで、グッド。バック・トラックのリズムがねえ、特にいいですよ。ほんと、だれがプログラマーなんです?

 

(written 2019.11.3)

2019/11/20

けっこう好みのさわやかめアブッシュ・ゼレケ

3a540e09662e4180853515b1b0178ab8

https://open.spotify.com/album/73pv6PONDf4FZT5leTS6PC?si=RpBwSDg7S-egn6Xb9n8nYw

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-24

 

エチオピアの歌手、アブッシュ・ゼレケの2019年作『Hid Zeyerat』がけっこうぼく好み。聴きやすくていいですよ。エチオピア歌謡というと、日本の(古式な)演歌歌手みたいにコブシをグリグリまわして濃厚にやるというイメージがあって、それゆえちょっと敬遠しがちなんですけど、アブッシュはちょうどいい適度さがあります。アッサリさっぱりとまでではないし、濃厚すぎもしないっていう加減が気に入りました。

 

また、個人的にはアルジェリア/フランスのグナーワ・ディフュジオン(アマジーグ・カテブ)にちょっぴりだけ似て聴こえるあたりも気に入りました。それはだからアブッシュもレゲエ・ベースの音楽構築をやっているからだと思うんですけど、同じレゲエ・ベースといってもアマジーグみたいな深刻さや社会性はアブッシュには感じられないのがこれまたぼく好み。あ、いや、アマジーグも大好きだから似て聴こえるのが楽しいんですけど、アブッシュのほうはもっと気楽にやっている印象です。

 

アルバムでいえば、たとえば3曲目「Tamenal」。これなんかぼく的にはほぼグナーワ・ディフュジオンに聴こえます。やはりレゲエ・リズムですけど、特にホーン・セクションが演奏するリフなんか、なんだっけな、GDの『バブ・エル・ウェド・キングストン』に同じような曲があったと思います。それにとてもよく似ていますが、似ているのは偶然というよりレゲエ・ベースの音楽構築に共通性があるからでしょうね。

 

アマジーグのばあいは政治的スタンスもあってボブ・マーリーに強く共感して、ある世代以後のアフリカの音楽家に多いパターンなんですけど、自分の主張を強くおしだす推進力としてレゲエのビートや音構築法をとりいれたんだと思います。そこには深刻とまで言えるほどの一直線できまじめなシリアスさがありましたね。強く濃い暗い影もサウンドにあり、日常的に聴いて楽しむにはややヘヴィと感じられたりもしました。

 

エチオピアのアブッシュのばあいは、もっと気持ちを楽に持って、レゲエのこのビートが楽しいから使ってみているというような軽みが音楽に感じられるのが、ぼくは好きなんです。だからこのアルバムでもレゲエ・ビートを直截的に活用したどの曲も聴いて楽しいですよね。いちおう社会的な意見も音楽家として持っているらしいのですが、音楽を聴くかぎりではそれがストレートにシリアスなかたちでは出ていないのがエンタメとして好印象です。

 

その結果、アブッシュの音楽とヴォーカルにはさわやかなイメージがあって、聴いたあとくちがサッパリしているんです。そういったあたりがこのアルバムを聴いてぼくの持った最大の印象ですね。さっぱりしていて聴きやすい、歌いくちも濃厚すぎないし、かといって適度な粘り気はしっかりあって、ちょうどいいなあって感じです。

 

アルバムでは後半というか、7曲目あたりからラストに向けて、ぐんぐん充実してくるという印象ですね。出だし1曲目の、最初テンポ・ルパートでやってその後ずんずんビートが効いてくる、そこの感じも実は大好きですが、6曲目でアクースティック・ギターを使ったあとの7曲目「Wub Nesh」や8曲目「Kunoo」なんか、特に8曲目ですかね、さわやかでとってもいいですね。これがあのしつこいグリグリ濃厚コブシ演歌で押すエチオピア歌謡とは到底思えません。それがゆえにアブッシュにかなりの好感を持ちました。ノン・ヴィブラートでストレート、ナイーヴで素直な歌唱や演奏のほうが好きですから。

 

(written 2019.11.1)

2019/11/19

アナベラ・アヤでウェザー・リポートを思い出した

66a537ff7c324109b26e004c60a0fb9c

https://open.spotify.com/album/297vP5Fa2Zox6ZNb5zWOuG?si=VOQxGUntQIyeLtJsB1PLpQ
(オリジナル・アルバムは8曲目まで)

 

以前アンゴラのアナベラ・アヤのことを書きましたが、そのときウェザー・リポートに似ているなとつけくわえておきました。これは間違いない実感なんです。特にアナベラのアルバム1曲目で歌が出るまでのイントロ部分なんか、まるでウェザーそのもの。そのほかあのアルバムは、ある意味、ウェザー(ジョー・ザヴィヌル・アレンジ)の音楽を21世紀的なクレオール・ジャズに還元したようなものだったようにも感じます。おもしろいですね、そもそもウェザーが中南米やアフリカなどの(クレオール)音楽に大きく影響されてできあがったアメリカン・ミュージックでしたのに。

 

そんなわけで、ちょっと気分だったのでウェザー・リポートを一枚聴きかえしてみたわけなんですね。選んだのが1980年の『ナイト・パッセージ』。ぼくの直感ではこのアルバムがいちばんアナベラ・アヤ的な感じがしたからです。特にオープナーのアルバム・タイトル曲でそう感じます。曲「ナイト・パッセージ」は個人のソロはあまりなく、ほぼ全編アンサンブルで進むというものですね。

 

そのアンサンブル、特にジョーの弾くポリフォニック・シンセサイザーとウェイン・ショーターの吹くテナー・サックスとの合奏が、実におもしろいというか楽しいというか、気持ちいいです、ぼくには。2曲目以後は個人のソロもたくさん出てくるんですけど、アンサンブル部分では、やはりこのウェザー・リポート独自の乾いた、情緒性のない、それでいてコンクリートなメロディ・ラインを合奏で実現しています。

 

そんなところ、つまりアンサンブルとソロとの比率、バランス、全体はバンドの合奏で進むけれどもソロをそのなかの一歯車としてうまくはめ合わせるアレンジ技術、マナーとか、モダン・ジャズはソロ中心の音楽だったのをうまくアンサンブルとの比重をとったこと、言い換えればソロを重視しすぎない方向へ進んだこととか、書かれたメロディでもソロでもリリカルさ、別な言いかたで歌心を排したことやなどなど、21世紀的なジャズのありようをウェザー・リポートは予言していたかもしれないです。

 

アンゴラのアナベラ・アヤはきわめて現代的なというか、2010年代末に出現した新世代のジャズ・シンガー、ミュージシャンに違いありませんが、そのアルバムを聴いてぼくが真っ先に連想したのが1980年のウェザー・リポートのアルバム『ナイト・パッセージ』であったというのは、なんとも示唆的じゃないでしょうか。ウェザーなんて、いまどきだれからも相手にされなくなっているような気がしますが、いま一度聴きかえし、その21世紀的現代性を再評価してもいいんじゃないでしょうか。

 

(written 2019.10.31)

2019/11/18

痛快なヴァイブラフォン・ジャズ 〜 ボビー・ハッチャースン『ハプニングズ』

992ad6940acd4db8845890f032d345b9

https://open.spotify.com/album/4TbWPn2fJUrQc924iTylFi?si=rG4F2ntHS6uh6T7EsLOCVg

 

ボビー・ハッチャースンのアルバム『ハプニングズ』(1966年録音67年発売)。これを最近聴きなおすきっかけがありました。それは、とあるブルー・ノート公式配信プレイリストを流していて、ふとこのアルバムからの「ヘッド・スタート」が来たんですね。それがカッコよくって。こんなに痛快なメインストリーム・ジャズだっけ?と自分の記憶のあやふやさがなさけなくなりました。それでアルバムを聴きかえしてみたわけなんです。

 

ボビーの『ハプニングズ』、メンバーはボスのヴァイブラフォン、ハービー・ハンコックのピアノ、ボブ・クランショウのベース、ジョー・チェインバーズのドラムスですが、アルバム・ラスト7曲目の「ジ・オーメン」だけは担当楽器がいろいろと入れ替わっています。音楽としてもかなり感じの異なるものだから、今日の話題からは外してもいいでしょう。注目は当時マイルズ ・デイヴィス・クインテットで活躍中だったハービーの参加でしょうか。

 

ハービーの曲「処女航海」もやっているし、だから『ハプニングズ』も当時のいわゆる新主流派、いまでいうポスト・バップの一枚と位置付けられるでしょう。実際、聴いてそんな印象がありますよね。上で書きましたようにぼくが再注目したのは、ふと流れきた「ヘッド・スタート」があまりにもカッコイイということでしたし、アルバムを聴いてもこの印象は変わりません。

 

「ヘッド・スタート」はメインストリームの4/4拍子で会心の走りを聴かせるアップ・ビート・ナンバー。こ〜れがもう最高に気持ちいいじゃありませんか。個人的にはボビーやハービーもいいけどそれよりも、ジョー・チェインバーズのこのドラミングが大好きですね。なんらスペシャルなことはやっていませんが、爽快痛快で、聴いていて快感ですよ、この4ビート・ラニング。この「ヘッド・スタート」がどうしてアルバム・オープナーじゃないのかと思うほど。

 

現実にアルバムの幕開けとなっている1曲目「アクエイリアン・ムーン」も、もちろん痛快に走るアップ・ビーターですが、「ヘッド・スタート」みたいに一直線ではなく、リズムにやや工夫がされていますよね。新傾向のジャズとしてはこっちのほうがおもしろがられそうな気はします、1967年当時であればですね。ハーモニー的にも斬新だし、特にハービーのソロ、バッキングともに興味深いフレーズです。

 

アルバム『ハプニングズ』全体で爽快に走るアップ・テンポな4ビート・ナンバーはこれら二曲だけと、やや意外な感じもします。それは「ヘッド・スタート」のメインストリーマーな感じで惚れなおしたぼくだけの特異な感想でしょうか。3曲目の「ロホ」は曲題どおりラテン・ナンバーで、しかし曲じたいはスペイン系ではなくボサ・ノーヴァふうですね。ジョー・チェインバーズがリム・ショットも多用しながらそんなドラミングをやっています。これも好印象。ジャケットが紅色で塗られていますけど、この曲(「赤」の意)と関係あるんでしょうか?

 

「処女航海」も、いま聴きなおしてみれば各人のソロとも(特にボビー)充実しているし、バラードな6曲目「ウェン・ユー・アー・ニア」の哀感あふれるプレイぶりも見事。ヴァイブラフォンって、いろんな楽器のなかでもこういったサウダージをかなりうまく表現できる音色を持っているなあと思うのはぼくだけでしょうか。

 

特別とりたてて傑作というほどのアルバムじゃないでしょうけど、ヴァイブラフォンが好きで、奇を衒わないメインストリームなモダン・ジャズをちょっとなにか、というときには格好の好盤です。

 

(written 2019.10.29)

2019/11/17

これもマイルズ、ロスト・クインテットのブート・ライヴ

762cdbb46adf4e398c75f25d2c16ab6f

https://open.spotify.com/album/2IQwM81ZpSyo3Xp32y8VRd?si=l_hkFVmuS5ugHllq40JeCQ

 

つい最近発売されたばかりかな、なんだかエエ加減なジャケット・デザイン、きわめてテキトーなアルバム題、録音年月日などいっさいのデータが不明と、こりゃいったいどうなんだ?!と思わざるをえないマイルズ ・デイヴィスの発掘ライヴ盤『ザ・ロスト・クインテット』。ブートレグなんですけど、ディスクユニオンで売っているし Spotify でも聴けるということで、話題にしておきます。Spotify のほうで見る4曲目はもちろん「Masqualero」の間違い。

 

このアルバム、1969年のいわゆるロスト・クインテットのライヴであることは間違いありません。でもホントいつどこでのライヴなんだろうなあ?ディスクユニオンのサイト担当者のかたは11月3日のパリ・ライヴとの推測ですが、違うんじゃないかと思います。信頼できるディスコグラフィで見る11月3日のパリ・ライヴとは演奏曲目がかなり違います。じゃあいつのライヴなんだ?と言われても、ぼくにもわからないんです。1969年のロスト・クインテット・ライヴ、それも秋〜冬のヨーロッパ・ツアーの一幕であろうことは言えるんですけど。

 

それから Spotify で見るのだと四曲になっていますけど、実は3曲目「サンクチュアリ」となっているその後半は(8:23 から)「イッツ・アバウト・ザット・タイム」ですね。はっきりマイルズがそのモチーフを吹いているのに、どうして発売元はトラックを切らなかったんでしょうか。「サンクチュアリ」になってからも 1:49 までは「ビッチズ・ブルー」ですし、そこから 4:28 までは「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」です。

 

ロスト・クインテットのことを書くのはひさしぶりですから、ちょっと再説明しておきましょう。1969年のマイルズ・バンド、正確には前68年暮れに誕生していたんですけれど、ボスのマイルズ以下、ウェイン・ショーター、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットの五人編成を、ぼくたちはロスト・クインテットと呼びます。なぜ lost かというと正規録音がひとつもないから。

 

正規録音がないとはいえ、1969年にこのバンドは活発に活動していて、グループとしての実態があったんです。年間とおしライヴには実にたくさん出演していますし、またスタジオ録音でも、同年二月の『イン・ア・サイレント・ウェイ』、八月の『ビッチズ・ブルー』ともに、ロスト・クインテットを軸に据えて参加メンバーを大幅に拡充したものなんですね。「サイレント」のときだけはドラムスがトニー・ウィリアムズですけれども。

 

1969年というマイルズにとって非常に重要な一年を、ともに充実して過ごしたのがこのバンドであったにもかかわらず、どうしてなのか正式ライヴ録音を一度も行わなかったことを、後年マイルズ はたいへんに悔いたといいます。実際、各種ブートレグで聴けるこのロスト・クインテットのライヴのなかには、かなりぶっ飛んだすごいものがありますので、記憶力のかなりいいマイルズのこと、正式録音しておくべきだったと追想するのも当然です。

 

そんなわけで今日話題にしたい『ザ・ロスト・クインテット』も、そんなライヴ・ブートの一つなんですね。そして、このアルバム、なかなかテンションの高いすばらしい演奏を繰り広げている箇所もあります。それはぼくの聴くかぎりふたつ。一個は1曲目「ディレクションズ」。もう一個は(「サンクチュアリ」となっているトラックの後半 8:23 からの実質3曲目)「イッツ・アバウト・ザット・タイム」です。

 

「ディレクションズ」は例によっていつものようにチックのフェンダー・ローズむずむずによってはじまりますが、一番手マイルズ、二番手ウェインともにソロ内容がたいへん充実していますよね。マイルズも短いながら実に荒々しくというか猛々しいソロを吹きますし、テナーのウェインもフリーキーにかっ飛んでいて見事です。惜しむらくはこの「ディレクションズ」、完全収録じゃありません。ウェインのソロ終盤からフェイド・アウトして切れちゃっていますよね。ウェインはもっと長く演奏したかもですし、チックのソロだって聴きたかったところです。

 

3曲目の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」(「サンクチュアリ」8:23 から)は、その点、完璧です。一番手マイルズのソロは平均的な出来かなと思うんですけど、ソプラノを吹く二番手ウェインのソロが超絶的ですよ。ソプラノでここまでアグレッシヴに攻めるウェインはほかでは聴いたことがありません。フリーキーに細かいフレイジングをくりかえしながらどんどん異様にもりあがるさまは、聴いているこっちまで興奮しますね。

 

そしてそんなウェインのソプラノ・ソロ背後のチックの伴奏ぶりにも注目してください。過激にフェンダー・ローズを叩きつけるように弾きまくるその様子は、手に汗握るよう。チックってこんなにも攻撃的で先鋭的なエレピ奏者だったんですよね。同様にハードに迫るジャックのドラミングもあいまって、三者一体でいったいどこまで行くの〜?という激しい世界を展開していますよね。

 

チックは、そんなウェインのソロ背後でのアグレッシヴな伴奏の雰囲気をそのまま自身のエレピ・ソロ(ではほぼジャックが休んで、デイヴとのデュオ演奏)に持ち込んでいます。一般に1969年ロスト・クインテット時代のチックの演奏はこんな過激さに満ちているんですが、このブート・アルバムの「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でのソロほどとんがった内容のものはなかなかありませんよ。こりゃ完璧にフリー・ミュージック。いやあ、ウェインもチックも、すごいなあ。

 

(written 2019.11.15)

2019/11/16

コペンハーゲン発のアフロ・ジャズ、クティマンゴーズがカッコいい

6a4648ae97d043e4b3f2caa305f41252

https://open.spotify.com/album/2Af3s3gQ70cTALCmRFwSkr?si=OT9TISrTQT2FSSoKbPTzdw

 

bunboni さんにご教示いただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-08

 

クティマンゴーズはデンマークはコペンハーゲンのアフロ・ジャズ・バンド。ホーン三管(トロンボーン、2サックス)をふくむ六人編成です。その最新作『アフロトロピズム』(2019)がもう超カッコイイんですよね。大傑作と言えるのではないでしょうか。アフロビートをとりいれたアフロ・ジャズ・バンドはあまたあれど、ここまでの作品はなかなかなかったでしょう。

 

ジャズ・バンドでありながら個人の楽器ソロはほとんどなく、もっぱらアンサンブルで突き進むクティマンゴーズの特色は、ぼくに感じられるところ、さわやかさですね。特にホーン・アンサンブルの響きにそれを聴きとっているんですけど、これって北欧的ってことになるんでしょうか。トロンボーン+2サックスという編成で、ちょっとヒンヤリした涼感のあるサウンドを奏でているなと思います。

 

そんなさわやかさは、実はクティマンゴーズの演奏するアフリカン・ビートにも感じられ、どこか熱くなりすぎない、入り込みすぎず客観視するバンドのクールな自我を感じます。しかしかなり込み入った激しいビートを演奏していることはたしかですよ。でも、アフリカン・ビートをそのまま持ってきたというんじゃなく、全員が欧州白人であるという一種のフィルターみたいなものをいったん通過しているような気がします。

 

そんなビートと(ホーン・)サウンドのさわやかさがぼくにとってはクティマンゴーズ最大の魅力ですね。それと同時にかなりのスリルを感じるのもたしかなことで、たとえば3曲目「コール・オヴ・ザ・ブルブル・バード」なんかたまらないですよね。この曲の中盤でホーン・アンサンブルがいったん止まってリズム・セクションというか打楽器だけになるパートがありますが、そこへ入る瞬間のこのゾックゾクするフィーリングがやみつきになります。ホーンズがふたたび出たら、やっぱり同様にスリリング。

 

1曲目の「ストレッチ・トゥワーズ・ザ・サン」なんかでの細かいビートの重なり合いと積み上げで産み出す独自のグルーヴも心地いいし、細かいビートの重なり合いというのはリズム・セクションだけでなく、ホーン・アンサンブルもそうなっているなと思うんですね。ゆったり大きくうねる箇所はすくなくて、細切れのフレーズの連続・反復をリズムもホーン・セクションも演奏しています。

 

かと思うと4曲目「キープ・ユー・セイフ」なんかでは大きくノル感じでホーンズは演奏していますから、多彩ですよね。ところでこの曲はリズムよりもホーン・アンサンブルを聴かせるワン・ナンバーということなんでしょうか。アルバム中特にこの曲でホーン演奏の北欧性みたいなことを強く感じます。こういった曲は、ありきたりのアフロ・ジャズ・バンドでは聴かれませんね。

 

そういった独自のホーン・アンサンブルは、実はアルバム全体で活用されていて、このクティマンゴーズというバンドのオリジナリティになっているんですね。5曲目以後もアフリカンなビートを存分に活用しながら、その上にうまくホーンズを重ねています。しかもそれらが一つになって溶け合っていて、決してバラバラではないんですね。

 

6曲目「マニー・イズ・ザ・カース」もすごくカッコいいし、アルバム中いちばん長い八分以上あるラスト7曲目「サンド・トゥ・ソイル」なんか、細分化されたビートをすこしづつ重ねていきながらそこにトロンボーンが乗ってくる瞬間の快感とか、ドラマーがバンと来てアンサンブルがなだれ込む刹那も超気持ちいいし、またリズムだけになったりしながらサックス・ソロが来て、ふたたびアンサンブルになったりなど、展開が多彩で聴きものですね。しかもやっぱりどこかさわやかでクール。

 

(written 2019.10.28)

2019/11/15

跳ねるビートと親しみやすい旋律 〜 アルバニアのポニー

734d222ca35e433c914f1e2070597991

https://open.spotify.com/album/54toJAtcZwEQlghZfagXpF?si=fnwPx5XNSqKrqZAgzsFbHg

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-04

 

なぜなのか、取り憑かれたようになんども聴いてしまうポニーの2019年作『Identitet』。アルバニアのポップ・フォーク歌手みたいです。アルバニアの音楽をなにも知りませんが(たぶんこれではじめて聴いた)、いったいこのアルバムのどこにそんなに魅力を感じているんでしょう?垢抜けない感じなのに、どうしてかクセになってしまいます。

 

アルバニアのことをなにも知らず、周囲のバルカン諸国のことだってほぼ無知なぼくですけど、ポニーのこのアルバムで感じる魅力は、大きく言って二点です。この跳ねるリズム、つまりシンコペイションと、旋律というかそれをつくる音階ですね。またバルカン的哀感とでもいいますか、独自の情緒を感じることもできますね。

 

ポップ・フォークなんですから、収録されている全6曲7トラックは、すべてアルバニアの民謡なんでしょう。民謡ならではといいますか、この独自のメロディ展開、それはバルカンとか東欧的とだけいうよりも、なんだか東洋的なといえますかどうか、あるいはひょっとして日本の民謡の旋律づくりにも相通ずるような動きがあるかもしれません。なんだか垢抜けず田舎くさいと感じるのも、そこらへんが理由かも。

 

素朴、純朴というか、このクッサ〜い感じがいかにも民謡的だなと思うわけですが、ぼくがポニーのこのアルバムを聴いていて感じる親近感、なんだか他所の世界の歌だという気がしないとでもいいますか、身近なフィーリングがあるのも、そんな旋律、音階の類似性があるからかもしれないですね。気のせいかもしれません。たんにフォーク歌手だから親しみやすい衣をまとっているだけかもしれません。

 

また、どの曲もリズムが強く跳ねているのもこのポニーのアルバムの大きな特徴ですよね。シンコペイションのかたちは曲によって異なりますし、またリズムが複雑というか変拍子(バルカン、東欧的?)を使っているものだってありますが、個人的にはビートの効いた音楽が好きなもんで、だからこのアルバムも好みであるという、そんな面だってありますよね。

 

アルバニアの民謡が、ポップ化しないばあいどんなリズムを持っているのか、ぼくにはなにもわかりません。そもそもポニーのこのアルバムだって、どんな素材にどんなアレンジを施しているのか、わかるわけもなく、ただ聴ける完成品を楽しんでいるだけですけど、ノリやすくダンサブルだし、全体をとおしリズムの跳ねはとってもチャーミングですね。

 

また、アルバムに2ヴァージョン収録されている(4、7)「Kolazh Dasme」は、どっちもどんどん調子が変化します。それにともなってリズムのかたちもどんどんチェンジするので目まぐるしい感じですが、しかしフォーク・ミュージックってわりとどんな世界のものでもそうだったりしますよね。アルバニアでもそうなのかもしれないです。

 

いずれにしても(アルバニアのことをなにも知らない)ぼくのような日本人音楽好きが、いっさいの予備知識なしで聴いてもけっこう楽しめるというかクセになりリピートしてしまう魅力を持ったアルバムなのは間違いありません。それだけの聴かせる魅力を持っているのがアルバニア民謡なのか、ポップ化した際のアレンジなのか、ポニーのヴォーカルなのか、そこらへんはぼくにはまだよくわかりませんけれども。

 

(written 2019.10.24)

2019/11/14

イナタいジャズ・オルガン 〜 ベイビー・フェイス・ウィレット

897c6ef81a0f43039b8c3d6099381377

https://open.spotify.com/album/5eaTwFVFo3DLYwcD7cHCPu?si=emPmzynYRH-UI08BgGJEuQ

 

これは偶然の出会いでした。ブルー・ノート公式の、とある配信プレイリストを流していて、おっ、これいいじゃん!だれ?ってなったんですね。それがベイビー・フェイス・ウィレットの『フェイス・トゥ・フェイス』(1961)収録の「ゴーイン・ダウン」。スロー・ブルーズなんですけど、いやあ、なんてイナタいんでしょうか。あんまりジャズの形容にイナタいってことば使わないでしょうけど、思わずそう言いたくなりますね。

 

その「ゴーイン・ダウン」でもそうですけど、このアルバムのメンツはカルテット。ギターのグラント・グリーンだけがぼくの知っていたひとで、ほかのボスのオルガン、テナー・サックス、ドラムスともに無知にして知りませんでした。でも、アルバムを聴くと四人ともなかなかの実力者だとわかります。1961年ですから、アメリカにはこれくらいのジャズ・メンはごろごろいたということでしょうね。

 

とにかく2曲目の「ゴーイン・ダウン」の印象があまりにも強いんですけど、これ、1961年のハード・バップ・ナンバーというにしてはかなりくっさ〜くブルージーですよねえ。ジャズ・ナンバーというよりもリズム&ブルーズ・インストと呼んだほうが適切かと思うくらいです。61年当時で言えばファンキーということばで形容できるいちスタイルでしょうね。

 

だからほかにもいっぱいあったのはたしかですし、さらにオルガンだからいっそうイナタく聴こえるということもあるでしょう。テナー・サックスのひとは知らないんですけど、ギターのグラント・グリーンもまたブラック・ルーツに根ざしたアーシーな演奏を得意とする人物なんで、だから「ゴーイン・ダウン」みたいなこんなフィーリングにはぴったりの好人材ですよね。

 

「ゴーイン・ダウン」がジャズというよりリズム&ブルーズ・フィールに近いなと思うのは、曲のリズムのおかげもあります。ハチロク(6/8拍子)の三連ですよね。それもファンキー・ジャズのスロー・ナンバーのなかにはけっこうあるとはいえ、この「スロー・ダウン」ほど見事にくさく決まっているものはなかなかないですよ。曲はベイビー・フェイス・ウィレットの自作ですから(このアルバム収録曲はほぼぜんぶそう)、こんな持ち味のひとなのかもしれないですね。

 

そのベイビー・フェイス・ウィレットのオルガンも、「ゴーイン・ダウン」ではハモンド・オルガンの特徴を最大限にまで活かしてグリグリやっているのがぼくには快感です。フレイジングもファンキーさ、アーシーさ、ブルージーさ満点。ボスのソロは二回出ますけど、どっちも最高ですね。あいだに入るテナー・サックス・ソロもギター・ソロも、これでもかとばかり下世話に盛り立てて、言うことなしですよ。

 

こんなにもイナタい「ゴーイン・ダウン」が2曲目にあるもんで、アルバムのほかの収録曲がかすんでしまいますが、でも本当はなかなか悪くないです。一聴、ふつうのメイン・ストリームなハード・バップのオルガン・カルテット演奏かと思わせておいて、実は4/4ビートの底に8ビート・シャッフルの感覚を持っていますよね、数曲で。テーマ部でラテン調になる他作曲の「ワットエヴァー・ローラ・ワンツ」もあって楽しいし、だれも言及しない隠れた作品のような気がしますが(ぼくだって知らなかった)、『フェイス・トゥ・フェイス』っていいアルバムですね。

 

ハード・バップ全盛期にはこんなのが山ほどあったんでしょう。

 

(written 2019.10.23)

2019/11/13

スアド・マシの2019年新作はアクースティック路線に回帰して、いい感じ

Aeb584a00fb34d19b96df3299b1ead5b_4_5005_

https://open.spotify.com/album/4hu42nNoG5DCRahtvY77NP?si=g5tFQmlYTuiT21hXS5kGXA

 

アルジェリア/フランスのスアド・マシ。リリースされたばかりの新作『Oumniya』(2019.10.11)がとってもいいですよ。エレクトリック楽器は極力おさえ、控えめに弾かれるベースだけ。ほかはアクースティック・ギターやウードと打楽器(ドラム・セットのこともあり)だけっていう、かつての路線に回帰したようなサウンドで、しかもアルジェリアのルーツ音楽にも還ったような内容なんですね。これなら大歓迎です。

 

アクースティック&アルジェリア・ルーツに回帰したっていうのは、アルバム1曲目「Oumniya」のイントロを聴いただけでわかりますよね。この雰囲気、しかもメランコリーに満ちたスアドらしいこの感じ、これですよ。歌のサビに入ってリズムが入ってきてからも実にすばらしいフィーリングです。軽いビートが効いていて、しかし沈み込むように暗く重い、このスアドがスアドであるというレゾン・デートルみたいな曲調。

 

もうこの1曲目を聴いただけで、今回の新作がなかなかいい内容なんだなと納得できちゃうくらいですけど、スアドって歌が決して上手いとかいうタイプじゃないですよね。アラブ圏の歌謡界にたくさんいる強く張った声で朗々とコブシをまわしたりはしないです。ボソボソっとしゃべるようにというかつぶやくように声を落としていくような歌いかたですよね。スアドのばあいはそんなトーキング・ヴォーカルがかえっていい効果をもたらしているなと感じます。

 

3曲目「Ban Koulchi」はややシャアビっぽい曲。ウードが華麗なめくるめく旋律を奏でる導入部からしてオオッと思わせます。こんな路線の曲、いままでのスアドにありましたっけ?忘れているだけかもしれませんが、これ、かなりいいなあ。っていうか今回の新作でぼくのいちばんのお気に入りがこれです。北アフリカの打楽器がビートを刻みはじめスアドらが歌いだしたら、ぼくはもう最高。ヴァイオリンも聴こえます。マジ、この3曲目は白眉じゃないですか。

 

完璧アルジェリア音楽みたいなそんな3曲目のことが忘れられませんが、そのほかギターを中心とするやっぱりフォーキーなテイストの曲が並んでいたりするのも従来のスアドっぽいですね。アクースティック・ギターはスアド自身の演奏なんでしょう。必ずしもアルジェリアとか(彼女のルーツである)ベルベル系歌謡とあまり関係なさそうなものも並んでいますが、アメリカ音楽好きにも聴きやすくていいですね。

 

5曲目「Salam」はいかにもメランコリックなスアドらしい曲で、どうしてここまで沈んでいるのか?と思っちゃいますが(といっても歌詞のことはアラビア語だからわかりません、曲調のことです)、スアドのメランコリーは聴いていてもこちらの気分は落ち込みませんね。むしろ、そのなかにぼくも身を置いて漂って、それでなかなかいい気分にひたったりできるから、ちょっと不思議です。

 

フランス語で歌う二曲(7曲目も仏語題ですが中身はアラビア語)をふくむ、アルバムの全10曲で約42分間。あっという間に過ぎていきます。完璧なスアドの世界がここにはありますね。後半は必ずしも憂鬱で暗く漂っているだけでもなく、もっと強くはっきりしたものを表現しているようにも思います。男性ヴォーカルをまじえている8曲目「Fi Bali」もアルジェリア音楽っぽく、またアルバム・ラストの10「Je chante」はスアドの歌手宣言みたいな内容でしょうか。

 

(written 2019.11.12)

2019/11/12

クラシック・ロックは金持ち中高年の愛玩品となったのか?

C49b6d4c6fae4f56b58df8aa60ddf774

大きなボックス・セットばかり出るのはもういいかげんウンザリなんです、クラシック・ロック界。ビートルズにしたって今2019年は『アビイ・ロード』50周年記念ということで、数枚組サイズのでかい、つまり価格も高いボックスがリリースされました。ぼくはもはやおつきあいする気が失せていますので、Spotify で聴いて済ませています。CD を買う気はまったくなし。

 

ビートルズは昨年も『ワイト・アルバム』の50周年記念ボックスがありましたよね(来年は『レット・イット・ビー』の箱が出る?)。そこまではぼくも買っていたんですけど、もうなんか、古い(評価の定まった)ロック・ミュージシャンの再発ものって、こんなのばっかりになりましたよね、最近。いつごろからでしたっけ?10年くらいはこんな状態が続いていると思います。

 

だからもちろんビートルズだけでなく、エルヴィス・プレスリーをはじめとして1950/60/70年代に活躍したロック・ミュージシャン、バンドの再発ものはぜんぶそう。高価なボックスものばかりになって、それがまたどんどん次から次へと出るもんですから、ぼくなんかもう完全に息切れしていてギヴ・アップ状態なんですね。

 

ひとつには経済的事情もあります。お金をどんどん使うのはわさみん(岩佐美咲ちゃん)関係でということになりました。わさみん歌唱イベントがぼくの日帰りできる地元で開催されるなんてことはないので、生歌を聴きに会いに行くばあいは必ず往復の交通費とホテル代が必要です。その上イベント現場にいけば握手券目当てでどんどん CD を買うので、だからお金がかかるんですね。

 

わさみん関係でお金をどんどん使うようになりましたので、そのほかのことはなるべく緊縮財政でいかないとお財布が持ちません。クラシック・ロックではないほかの音楽の新作 CD やリイシューものだって(特に Spotify で聴けないばあいは)買いたいのに、内容がほぼ知れている古いロック・ミュージシャンの大部なボックスなんて遠慮しちゃうんですよ。万円単位がふつうですもん。

 

もうひとつ、ロックでもなんでもそうですけど大衆音楽は身近で親しみやすい、近づきやすいという点が大きなメリットで、もともとが金持ち特権階級の趣味だったクラシック音楽なんかとはそこが根本的に違うのに、一巻数万円もするような高価なボックス・セットをどんどん売るという商売はいったいどうなんだ?という大きな疑問だってあるんですよね。

 

なかでも特にロック・ミュージックは庶民性、卑近さがウリだったはずでしょう。近付きがたい高貴な人物が特別なことをやっているんじゃなくて、そこらへんの近所のおにいちゃんたちが安い楽器を持ってわかりやすいことをやっているという、なんというか原初的動機がロックのばあいとても大きなものでした。ボブ・ディランだってビートルズだってローリング・ストーンズだって、もともとはそんな連中でした。

 

彼らが現役で大活躍していた(ディランとストーンズはいまだ現役だけど)時代に青春時代を過ごし、知って聴くようになってファンになった世代が、いまちょうど還暦ちょい(だいぶ?)過ぎあたりになると思うんですよね。若い時分にはお金がなくて、一枚のレコードを舐め尽くすようにくりかえし味わっていたそんなみなさんもすっかりエスタブリッシュメントになって、お金と生活にゆとりができるようになっているかもしれません。

 

レコード会社はそんな世代を狙い撃ちしているんですよね。一巻で軽く一万円を超えるような大くて高価なクラシック・ロックのボックス・セットを、後追いで彼らを知った若いファンが買っているとはあまり思えません。なかには買っているひともいるでしょうが、そんなボックス・セット購買層の大半が50歳過ぎの中高年に違いありません。

 

つまり要するにぼくの言いたいことは、ロック・ミュージックの存在理由・価値観が薄れているんじゃないかと思うわけですよ。失せてはいなくても確実に変質はしています。大部なボックス・セットの相次ぐ発売に象徴されるように、1970年代くらいまでのクラシック・ロックは、いまや金持ち中高年層のための趣味となってしまいました。そこにヤング・ジェネレイションや若くてナイーヴな感性が共感できるような内容はもうないんです。

 

(written 2019.10.22)

2019/11/11

「私は(北米も中南米も)アメリカという一つの大陸として見ている」 〜 ガビー・モレーノ&ヴァン・ダイク・パークス

023c5ef78582467bb1a82c974f2a46aa

https://open.spotify.com/album/5fJPmkm2zrCmEFyxkADcri?si=dpijWLVvTkaAaoJc4dfRdw

 

うわあ、これはかなりの傑作ですね、『スパングルド!』(2019)。グアテマラ人歌手ガビー・モレーノとアメリカ合衆国のヴァン・ダイク・パークスのコラボレイション・アルバムです。ガビーもヴァン・ダイクも、いまはロス・アンジェルスで活動していますよね。そこにいながらにして、中南北を俯瞰したような汎アメリカン・ミュージックをこの作品では指向したと言えます。

 

この『スパングルド!』でぼくがいちばん感動したのはヴァン・ダイクのアレンジですね。実に見事なオーケストレイションじゃないでしょうか。ガビーも素直な発声できれいにスムースに歌っていて、好感が持てます。ガビーのヴォーカルには特にこう、ひっかかりというか、大きな強い特色みたいなものがないと思うんですけど、そのナチュラルさがこのアルバムではかえって楽曲やアルバム全体での普遍性をきわだたせることになっていて、大成功です。

 

そんなガビーとヴァン・ダイクがたぶん共同で曲を選んでいったんんじゃないかと思いますが、楽曲はアメリカ合衆国のものもあれば中南米のものもあって、わりとまんべんなくチョイスされているなといった印象です。英語圏の歌は英語で、ラテン系の曲はスペイン語かポルトガル語でガビーは歌っていますね。グアテマラの歌手だからといって、ラテン系楽曲ばかりにはしたくなかったとのガビーのことばがありますが、汎アメリカ性みたいなことに配慮した結果なのでしょう。

 

さらに、楽曲の選択もさることながら、このアルバムに統一感をもたらしているのは、なんといってもヴァン・ダイクのオーケストレイションでしょう。北米の曲も中南米の曲も自然な感じでスーッとつながるように、なんというかラテン系の曲でもエキゾティズムや国の音楽アイデンティティを出さず、極力それは消して、スムースにというか <アメリカの>音楽として一つに聴こえるよう、アレンジに腐心したのがうかがえます。

 

そんなヴァン・ダイクの尽力のおかげで、『スパングルド!』を聴いているぼくは、どの曲がどこの国のものだみたいなことをほとんど意識せず、アルバム全体をひとつながりのものとしてスーッとスムースに聴けるんですね。じっくりたどってみると多様な曲が並んでいるのに、どの曲も同じ<アメリカ>の音楽に聴こえるからすごいです。ガビーとヴァン・ダイクがつとめてそうなるようにしたというのがわかります。

 

そんな<アメリカ>とは、だから実はどこにもないものです。架空のというか仮想のもの、ファンタジーですよね。でも音楽の世界では、南中北アメリカ一体となった統一感、一体感をガビーとヴァン・ダイクは表現することに成功していて、それこそがこのアルバムの勝利であり、実は国境なんかないんだよ、そんなもの越えていこう、ひとつになろう、というのがこのアルバムの意図なんじゃないかなと思えてきます。

 

ってことは、いまガビーもアメリカ合衆国に住んでいるわけですし、この国の大統領が実行している国境分断政策やらといった政情に強くアピールする色濃い時事性、政治性をも帯びた作品であるとも言えますね。トランプ時代になって、音楽の世界でもライ・クーダーやメイヴィス・ステイプルズなど、音楽を使った発言が増えていますが、ガビーとヴァン・ダイクの『スパングルド!』もまたそんなひとつと言えましょう。

 

(written 2019.10.17)

2019/11/10

リベリアのアフロ・ジャズ・ファンク、カピンジーがかっこいい

F05abe8bc64f47e4a0d2479bc5c7d23f

https://open.spotify.com/album/2g2XdoOf0PLsR9i23L7Jcn?si=k-hNXVqnRhS8naI4ijYHow

 

bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-12

 

カピンジーと読むらしい Kapingbdi。リベリアのバンドです。その編集盤『ボーン・イン・ザ・ナイト』(2019)はこのバンドの三枚のレコードからの抜粋みたいで、しっかしこ〜れが!カァ〜ッコイイんですよ。リベリア音楽のことをまったく知りませんが、このアルバムで聴くかぎり、1970年代のアメリカにけっこうあったアフロ・ジャズ・ファンクですね。

 

アルバムの全10曲、テンポのいい快速グルーヴ・チューンばかり続くのはコンピレイションだからなんでしょう。このバンドの魅力をギュッと凝縮して届けたいという編纂者の意図が伝わります。実際、カピンジーの『ボーン・イン・ザ・ナイト』を聴くと、猛烈にグルーヴするカッコいいバンドだって納得しますよね。リーダーはサックス(&たぶんフルートも)のコジョ・サミュエル。編成はコジョのほか、たぶんギター、キーボード、ベース、ドラムス、パーカッションっていう感じでしょう。

 

とにかくアルバム1曲目の「ドント・エスケイプ」。この曲の出だしから三分すぎまでのテンポ・ルパートな導入部はぼくにはどうってことないですが、その後ドラマーが激しく叩きはじめ、強いビートが効きだしてからが本番ですよ。もうそこがなんといっても超カッコイイんでシビレます。グルーヴがね、生きていますよね。コジョのサックスはもちろんいいんですけど、個人的にはこのギターリストが大の好みです。伴奏で刻んでいるときもソロでも、実にカッコいい弾きかたですねえ。どの収録曲でもそう。

 

アルバムは全体的に似たような感じで進みますが、曲によってコジョはフルートを吹いたり、また歌ったり、あるいは男声バック・コーラスみたいなのも頻繁に聴こえるのはバンド・メンバーによるものでしょうか。1曲だけ女声リード・ヴォーカルの曲もありますね。でもどの収録曲もつくりの根本は同じです。手数の多いドラマーの叩きかたも好みですねえ。

 

4曲目の「アワ・ヘリティッジ」もすごいグルーヴだし、この曲ではコジョはフルートですけど、吹きまくるテナー・サックスで聴いてみたかったと思わせるいい曲です。コジョのサックスの吹きかたはちょっとジョン・コルトレインとかそのフォロワーみたいな感じで、1960〜70年代にはたくさんいたあのスタイルですね。それがアフロ・ジャズ・ファンクとこんなに相性いいんだから、トレインだってもっと長く生きていれば…。

 

8曲目の「マリ・フィーリング」でもギターリストがとてもいいですが(まるでギターを弾くトレインみたい)、このリズム、ビート感こそ命ですよね。アフロ・グルーヴに乗って、ここではコジョがサックスを吹いてくれます。そのソロが実に聴かせる内容で感心しますよね。リベリアにこんなにすばらしいサックス奏者がいたんだなあ。しかもこんなにもカッコいいアフロ・ジャズ・ファンクをやってくれていて、こんなにもグルーヴィだっていう。はっきり言って降参しちゃいました。

 

(written 2019.10.16)

2019/11/09

岩佐美咲『美咲めぐり 〜 第2章 〜』を聴く

Ea337270da6a4609af9fd38790af0782

こちら愛媛県大洲市という超ど田舎にも、発売日翌日の11月7日に岩佐美咲(わさみん)のニュー・アルバム『美咲めぐり 〜第2章〜』が届きました。もうなんども聴いていますので、ちょっとした感想を記しておきたいと思います。通常盤と初回限定盤の二種ありますが、上に写真を出したのは初回限定盤。そっちには通常盤の全曲を収録してなおかつ独自にオリジナル曲の近年ライヴ・ヴァージョン三曲があります。

 

『美咲めぐり 〜第2章〜』の目玉は、一般的には「魂のルフラン」と「千本桜」ということになるのかもしれませんが、個人的には「雨」と「秋桜」ですね。それからライヴ・ヴァージョンの「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」、特に「もし空」です。これらは本当に絶賛すべきできばえに違いありません。すばらしいのひとこと。

 

「雨」(森高千里)と「秋桜」(山口百恵)はちょっと似たような傾向の曲です。歌詞内容はかなり違いますが、曲調が似ていますよね。しっとりと落ち着いた大人のおだやかな情緒を表現したもので、それを歌い込むわさみんのヴォーカルは以前よりもぐんとセクシーさを増しています。ここまでとは正直言って予想していましたが、それでもやはり驚きの完成度ですよね。

 

セクシーさ、言い換えれば色艶を声のトーンそのものに持てるようになったということで、わさみん個人の人間的成長もさることながら、ソロ歌手として10年近いキャリアを持ちいろんなタイプの楽曲をどんどん(ほぼ毎日)歌い込み続けてきているという経験が、ヴォーカルにこれだけの大人の色艶をもたらしているのではないかと推測します。

 

声が丸くなっておだやかさを増し、しかも落ち着いてきていますよね。「雨」はつらい失恋を歌った曲ですが、このまま濡れておきたい、雨が気持ちを流してくれるからという、そんな歌詞を表現するわさみんの歌声に聴きとれるのは、決して切なさや哀しさではありません。この恋を流して、さぁ前を向いて歩んでいきたいという肯定感こそがそこにあると思うんですね。

 

「秋桜」は、はっきり言って山口百恵の名唱がありますから、わさみんでもそれを凌駕できているかどうかわからないのですけど、それでもわさみんなりのしっとり情緒をうまく出せているなと思います。楽曲そのもののよさ、アレンジ、主役歌手の表現力など諸要素をトータルで考えれば、この「秋桜」が、今回の新作アルバムで個人的にはベスト・トラックです。エンディング部の演奏というか音量変化がちょっと妙ですけど(最初 CD の再生不良かと思った) 、それでも、いやあ、すんばらしい。

 

いやいや、ちょっと待ってくださいよ。初回限定盤の末尾にボーナス・トラックとして収録されている近年ライヴ・ヴァージョンのオリジナル曲三つのうち、「初酒」「もし空」の二曲は、もっといい出来の歌唱を聴かせているかもしれませんねえ。なんどもなんどもそれこそ無数に歌い込んできている持ち歌だけにそのことによって、またわさみんのここ二年ほどの大幅な急成長によって、曲そのものが違って聴こえるほど大充実しているのではないでしょうか。

 

「初酒」にしろ「もし空」にしろ、わさみんは(シングル CD とは違う)ライヴならではの独自フレイジングを聴かせてくれているんですが、それ以上に声そのものの色がぐっと丸くて太くなっています。張りと伸びと幅が出てきているというか、余裕と艶を増しています。特にアルバム・ラストの「もし空」ですね。これはわさみんオリジナル曲のいままで発売されたヴァージョンのなかでも絶頂を記録したものと言ってさしつかえないと思います。

 

「もし空」はわさみんファンのみなさんが声をそろえるように名曲だとぼくも思うんですが、この新作アルバム・ヴァージョンはすごみに満ちていますよね。迫力があるというか壮絶さすら感じます。こんな「もし空」はいままで聴いたことがありません。2018年2月の恵比寿でのコンサートで収録したものだからぼくも現場で聴いたはずですが、ここまでの見事なものだったとは失念していました。特に終盤部での歌唱の節まわしと発声なんか、なめらかさにおいて絶品ですよねえ。

 

全体的に見てわさみんのニュー・アルバム『美咲めぐり 〜第2章〜』は、楽曲のすばらしさ、堅実なアレンジ、そして主役歌手のヴォーカル・トーンと表現力の大幅な充実によって、三年前の「第1章」を大きく超える傑作に仕上がったものと言えましょう。いまの日本で、演歌、歌謡曲、J-POP、アニソン、ヴォーカロイド曲など、ここまで多彩な楽曲の数々を自分の土俵にひきつけて、均一かつ着実にこなせる歌唱能力を持った歌手がほかにいるのなら、ぜひ教えていただきたいものです。

 

(written 2019.10.8)

2019/11/08

ディランとキャッシュのロカビリー・セッション 〜『トラヴェリン・スルー』

89f909a4c77247c1938518ee46b459a8

https://open.spotify.com/album/1euXUeJobzra05wyBIrdtH?si=qxttU0cHRsuUNGxdPW2yyQ

 

ボブ・ディランのブートレグ・シリーズ、最近のものはちょっとやりすぎだとぼくは思っています。未発表音源集の CD で10枚組近いとか以上というようなサイズを、それもやつぎばやにポンポンと立て続けにリリースされたってお財布事情が許さないし、追いつけたって味わう時間もないっちゅ〜ねん。そんなわけでここのところの同シリーズは買わずにスルーを決め込んでいました。どうしてだか Spotify では抜粋のサンプラーしか聴けませんしね。

 

ところが今2019年11月の頭に発売された Vol.15はそうはいかないですよねえ。なんたってジョニー・キャッシュとの共演をふくむ1967〜69年の音源集で、そりゃあもう『ジョン・ウェズリー・ハーディング』と『ナッシュヴィル・スカイライン』が最愛のディランであるぼくなんかには、そこをメインとする未発表録音集で、しかも今回は CD 三枚組とあまり大きすぎないサイズですからね、もう感涙。

 

それで三枚組の CD を買いましたが、それでもやはり今日は Spotify で聴けるそこからの抜粋サンプラーに沿って話を進めたいと思います。やっぱりなんといっても聴けるかどうか、みんなでシェアできるかどうかは大きな違いですからね。ボブ・ディランとコロンビア側にも、ブートレグ・シリーズぜんぶをフルにストリーミングで聴けるようにしてもらいたいと強く願っておきます。

 

さて、その『トラヴェリン・スルー』(サンプラー)。中心は(CD でもそうですが)ジョニー・キャッシュとの共演音源でしょうね。サンプラーのほうでは7〜12曲目がそれと、やはり中核を成しています。既発アルバムだと『ナッシュヴィル・スカイライン』に「北国の少女」一曲があったのみですが、やはりかなりたくさんのセッション音源があったんですね(CD だと25トラック)。

 

ディランとキャッシュの共演最大の特色は、ロカビリー/ロックンロール色を強く帯びているということじゃないでしょうか。キャッシュとの共演でありながら、カントリーというよりエルヴィス・プレスリー的なロカビリー・ミュージックに近づいていると思います。そんな部分は『ナッシュヴィル・スカイライン』ではわからなかったことですよね。ロック・ミュージックの持つ(黒人ブルーズ的以外の)白人音楽要素を前面に出したとでもいいましょうか。

 

たとえばサンプラーにはカール・パーキンスの「マッチボックス」が収録されていますよね。たしかにカントリーに寄ったような色彩もありますが、これはほぼロックでしょう。CD だとほかにも「ザッツ・オールライト」や「ミステリー・トレイン」といったエルヴィスのレパートリーだった曲での共演が収録されているんですね。どうせだったらそれらをサンプラーにも入れてくれたらこのセッションの特色がもっとハッキリしたのになぁと思うんです。

 

がしかしそれをせずロック・スタンダードは「マッチボックス」一曲だけをサンプラーに収録したのは、サンプラーゆえの制限と、もうひとつあまり(ブルーズ的な)ロック・サイドに寄りすぎないようにとの配慮があったかもしれません。『ジョン・ウェズリー・ハーディング』『ナッシュヴィル・スカイライン』といったあたりのディランの音楽は、かなり鮮明にカントリー(・ロック)に傾いていましたから。そうはいってもサンプラー9曲目「ビッグ・リヴァー」や11「ゲス・シングス・ハプン・ディス・ウェイ」もロック・ナンバーっぽいのではありますが。

 

サンプラー10曲目の「北国の少女」(リハーサル・テイク)。大好きな曲なんですが、ディランもキャッシュもまだ手探りといった状態で、『ナッシュヴィル・スカイライン』で聴けるような、冬の冷たくて引き締まった空気がピンと張るような清廉なアトモスフィアはありません。しかしキャッシュのほうはそれでもしっかり歌っていると言えるのではないでしょうか。

 

『ナッシュヴィル・スカイライン』の録音期に行われたジョニー・キャッシュとの共演セッションからの曲群の前後は、サンプラーだとそのアルバムと『ジョン・ウェズリー・ハーディング』からの未発表テイクが中心です。それらではディランもしっかり歌っているし、曲としても完成に近づいている、あるいはこっちをアルバム収録してもよかったと思えるほどのいい出来のものだってありますよね。

 

なにしろカントリー色を濃厚に出して少人数のアクースティック編成でこじんまりと歌うそれらの時期のディランがぼくの大好物なもんですから、未発表音源でも聴けばただただ楽しいのひとことです。なかにはサンプラー3曲目の「トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー」のように本テイクとかなり様子の異なるものだってありますが、それもまた一興です。

 

サンプラーのラストに「見張り塔からずっと」が収録されています。これは『ジョン・ウェズリー・ハーディング』セッションのときの曲ということで、三枚組 CD では一枚目に入っているものです。しかしそれをくつがえしてサンプラーではラストに持ってきたというあたりには、発売側のこのテイクにかける自信のようなものがうかがえますね。実際、本テイク以上といってもいい迫真の歌唱じゃないでしょうか。今回の『トラヴェリン・スルー』収録のもののなかで最高のワン・トラックでしょうね。

 

(written 2019.11.7)

2019/11/07

くつろぎのジャズ・ボッサ 〜 ルイス・ロイ・キンテート

D37a6af571d2476ca583ecbd07e64d7d

https://open.spotify.com/album/3O1G4pumjlwgHymvNjnPsm?si=2pAezMYpT8OOyBqcmro7zQ

 

ルイス・ロイ・キンテートといえばエリス・レジーナの伴奏バンドとして名を成したんでしたね。ぼくはあまり知らないんですけど、そのルイス・ロイ・キンテートのアルバム『ルイス・ロイ・キンテート(1966)』が、ついこないだ CD リイシューされました。例のジスコベルタスのシリーズのおかげです。このアルバムがあるということも知らず、リイシューがあってはじめて存在を知り、聴いてみました。

 

そうしたらなかなか心地いい演奏ぶりじゃないですか。ぜんぶで35分もありませんけど、ちょっとした休憩時に、カフェか自室かどこかで流し聴きしてくつろげる、良質のイージー・リスニング、BGM だと思うんですね。そう、どこか特にひっかかるというかグッと来るところのない音楽で、このバンドの演奏を集中して聴くとかいうようなものじゃないですけど、肩肘こらない内容でなかなかいいですよ。

 

全編歌はなしでインストルメンタル・オンリーな『ルイス・ロイ・キンテート(1966)』。ちょっと覗いてみていただけないでしょうか。軽いというかソフト・タッチのジャズ・ボッサみたいなものじゃないですかね。たとえば9曲目のスタンダード「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」が有名曲かなと思いますが、だからそれを聴けば、ルイス・ロイ・キンテートのスタイルがよくわかります。

 

ボサ・ノーヴァのリズムを効かせ、軽いノリでふんわりと、決してリキを込めずさらりと流すように、演奏していますよね。ドラマーの叩きかたなんかはだいたいどの曲でもこんな感じでリム・ショットを多用しているのがいかにもボッサふうですね。ピアノで伴奏をつけながらホーン二管のアンサンブルが走るっていう。

 

いちおうホーンズやピアノのアド・リブ・ソロも入るんですけど、その内容に特筆すべきものはありません。このルイス・ロイ・キンテートのつくりだすふわっとした雰囲気を味わって、なんとなくいい気分でカフェや部屋でリラックスしてたたずむとか、読書でもするとか友人とおしゃべりを楽しむとか、そんなこと向けの BGM にすぎません。でもそのためだったらフルに機能しますし、これだけぜいたくな音楽もないもんだなと思いますよ。

 

(written 2019.10.15)

2019/11/06

アート・ブレイキー生誕100周年にあたり

23d1a666c367480dbad2d858838e5456

https://open.spotify.com/album/00kSJu1snceWGZ0yYkTZXr?si=F5hhXBwMSBK88wNacEobYQ

 

ついこないだ、10月の10日すぎにアート・ブレイキー生誕100周年になったということで、ブルー・ノート・レコーズの公式 Twitter がなにか称賛のことばを送っていました。そうです、ブレイキーと、ジャズ・メッセンジャーズはまさにブルー・ノートの鼓動を打つ心臓みたいなものでしたもんね。そして生誕100年記念でブルー・ノートは "Art Blakey : The Finest" というストリーミング・プレイリストを公開したんです。

 

そのプレイリスト1、2曲目が予想どおり1954年のバードランド・ライヴ幕開けでして、ピー・ウィー・マーケットのイントロダクションと「スプリット・キック」をひさしぶりに聴きかえしたんですね。そうしたら、これ、完璧なワン・ナンバーじゃないかということに気がついちゃいました。しかも爽快ですし。いやあ、ここまですばらしい一曲だったとは、むかしから知っていたつもりでしたが認識をあらたにしたんですね。

 

それでブレイキーの『バードランドの夜 Vol. 1』を丸ごと聴きかえしました。やっぱりなんど聴いてもオープニングの「スプリット・キック」(ホレス・シルヴァー)が完璧だとしか思えないですよねえ。しかもブレイキーのドラミングだって非の打ちどころが一分もないですよ。テーマ合奏部〜三人のソロ〜ルー・ドナルドスン&クリフォード・ブラウンのかけあい〜ブレイキーのソロ〜最終テーマ合奏と、見事に完成されています。

 

ホレスによって徹底的にアレンジされている「スプリット・キック」でぼくが特に感心するのは、オープニング・テーマ演奏時のブレイキーのドラミングです。ラテン・リズムを使ってある曲なんですけど(ホレスに多し)、まず最初はがが〜っとスネア・ロールで出てホーン二名の合奏に。その後ラテン・ビートを叩きだし、メイン・テーマの演奏に入ります。

 

そのラテン・ビート・パートに入るときのブレイキーのドラミングのタイミングがまた絶妙だと思うんですね。シンバルを中心とする叩きかた全体もいいです。ホレスがピアノでラテン・リフを奏でているのとピッタリ合致して、フロントの管二名のリフをがっちりバッキングしています。あいまあいまにスネア・ロールを入れて装飾しながら、緩急自在、オープニング・テーマ演奏をブレイキーはこれ以上ない完璧なものに仕立て上げていますよね。

 

こういった演奏こそグループのリーダーたるドラマーのとるべきまさにお手本というようなドラミングじゃないでしょうか。ソロ・パートに入ってからも要所要所で手綱をとってみんなをしっかり盛り立てたり引っ張っていったりしていますよね。ただたんに4ビートを刻んでいるだけではありません。バンドの心臓部となって、グルーヴを牽引しています。

 

そうして「スプリット・キック」という曲ができあがっているわけですけど、このバードランド・ライヴは1954年の2月なんですね。というとハード・バップの夜明け直前といった時期じゃないでしょうか。ハード・バップは1955年か、あるいはモダン・ジャズ界全体がしっかりその方向を向いたのは名盤がこぞって録音された56年と見るべきでしょうね。

 

でもその前の1954年の「スプリット・キック」で、もはやブレイキー(やホレス・シルヴァーたち)は完璧にハード・バップをつくりあげています。実際、二枚の『バードランドの夜』ライヴ盤はハード・バップの夜明けを告げたものと位置付けられることも多いと思うんですけど、今回「スプリット・キック」をじっくり聴きかえし、その完成度の高さにびっくりしちゃいました。

 

それをもたらしているのは、むろん曲を書きアレンジしたホレス・シルヴァーや立派なソロを吹くクリフォード・ブラウンらの力量もありますが、ぼくの見るところバンド・リーダーのアート・ブレイキーの牽引統率力にほからならないです。この1954年バードランド・ライヴのときのバンドは、実質的にジャズ・メッセンジャーズの前身ですが、このライヴのあとそれを結成したら、ブレイキーはまさにハード・バップの、ブルー・ノートの、ハートビートとなっていくのでした。

 

(written 2019.10.14)

2019/11/05

「バスタブの太っちょさん」〜 リトル・フィート『ディキシー・チキン』

A8c3e37da22949ce92c67ab3ba7fcba2

https://open.spotify.com/album/4xtCtXkGuTbHQwTaVd5FCF?si=FWgPJdCyTS-Ry8wjMMQlJw

 

リトル・フィートのアルバムを発売順に聴いていくと、三作目の『ディキシー・チキン』(1972年録音73年発売)でいきなり大化けしたように思えます。ウェスト・コーストのバンドでありながら大胆に米南部ニュー・オーリンズの音楽要素をとりいれて、そしてずいぶんと都会的に洗練されたサウンドになって、ときどきジャジーにも響くっていう、しかも全般的にビートが強化されているという、そんなバンドになりましたよね、突然変異的に。

 

ベースがロイ・エストラーダからケニー・グラッドニーに交代、さらにポール・バレーア(ギター)とサム・クレイトン(パーカッション)の二名があらたに参加したというバンドのメンバー変更も、音楽性の激変に寄与したのでしょうか。でもロウエル・ジョージ自身以前からニュー・オーリンズ音楽には興味を持っていたようですけどね。リッチー・ヘイワードのドラミングまで根本から変化しているのはなぜなんでしょうか。

 

そのへんのラディカルな音楽性の変化の原因はぼくにはわからないのですけど、ともあれアルバム『ディキシー・チキン』では、まず出だし1曲目のタイトル曲こそシグネチャーですよね。ロウエル亡きあと再結成されたフィートでも現在に至るまでライヴで必ず演奏される、このバンド最大の代表曲になりました。こんな曲をロウエルが書いたという事実に、それまでのフィートのことを考えたら、驚きます。

 

しかし、ことニュー・オーリンズのセカンド・ライン・ファンクという面にフォーカスを当てると、むしろ8曲目の「ファット・マン・イン・ザ・バスタブ」のほうが直截的でわかりやすいと思うんです。みなさん曲「ディキシー・チキン」のことばかりおっしゃいますが、どっちかというと「ファット・マン・イン・ザ・バスタブ」のほうでしょ。わりとタイトな曲「ディキシー・チキン」に対し、「太っちょさん」ではもっとルーズでゆるい、スキマのあいた、そしてそのあいた空間で大きく跳ねるような、いかにもニュー・オーリンズのセカンド・ライン・ビートというものが表現されていますよね。アクースティック&エレキのギター・カッティングも3・2クラーベのパターンです。

 

ところでこの「太っちょさん」でもそうなんですが、ロウエルがスライド・ギターを弾いていますよね。しかしこのひとがこのバンドで弾くばあい、あまり目立ってソロで弾きまくるとかはせず、あくまでバンド・アンサンブルの一部としてうまく溶け込むようになっていますよね。だからいちスライド・ギターリストとして聴いたらイマイチに響くかもしれず、実際、ロウエル・フォロワーはほとんどいないというのが事実です。フィートのロウエルのばあい、アルバム・プロデュースもやってバンド全体のサウンド・メイクに気を配っていたからかもしれません。

 

さて、ニュー・オーリンズ・ビートのフィート流活用ですけど、あんがいかなり好きなのが、アルバム2曲目の「トゥー・トレインズ」ですね。歌詞も大好きなんですけどそれよりも、このリズムですね。こんな躍動的なビート感は最初の二枚目までのフィートにはありませんでした。いかにも米南部的と言えるイキイキとした肉感的なリズムですよね。リッチー・ヘイワードもいい仕事をしています。

 

アルバム4曲目の「オン・ユア・ウェイ・ダウン」はアラン・トゥーサンの曲。いかにもアランが書きそうなややエキゾティックなメロディ・ラインでぼくは大好き。しかも都会的に洗練されていて、このフィートの演奏にもジャジーさをぼくは感じます。この意味ではロウエルの曲ですけど続く5曲目「キス・イット・オフ」もなんだかアランっぽい感じのメロディじゃないですか。それをロウエルが書いたという事実がニュー・オーリンズどっぷりぶりを表しているなと思うんです。

 

アルバム最終盤の二曲はかなりジャジーというかフュージョンっぽいですよね。特に10曲目の「ラファイエット・レイルロード」は歌なしのインストルメンタル・ナンバーで、ロウエルのスライド・ギターをフィーチャーしているとはいえ、実のところ共作者のビル・ベイン(キーボード)がかなり貢献していそうな気がします。こんなジャズ・フュージョン路線は、この後フィートのなかで比率が大きくなっていくのでした。

 

(written 2019.10.13)

2019/11/04

ブルー・ノート 50

9b23f110f480420f9678fe68f890e60f_1_105_c

https://www.udiscovermusic.com/stories/the-50-greatest-blue-note-albums/

 

疑いなく史上最もアイコニックなジャズ・レーベルであるブルー・ノート。1939年の創設以来、今年でちょうど80年。その長きにわたる歴史のなかでリリースしてきたレコードは1200枚近く。そのなかからベスト50というものを uDiscovermusic が選び掲載したのが上にリンクした記事です。ちょこっと簡単に感想を記しておきましょう。

 

このブルー・ノートの50作品という記事は、ただ単なる好事家の楽しみというだけでなく、初心者向けの格好のディスク・ガイド、ジャズ入門のためのガイダンスにもなっているなと思うんですね。モダン・ジャズへの道案内としてはこれ以上ないセレクションじゃないでしょうか。その意味でも幅広いみなさんにご一読願いたいところです。

 

50作品のチョイスと順位は妥当なところじゃないかと思います。第1位がキャノンボール・アダリー名義のマイルズ・デイヴィス『サムシン・エルス』なのは納得ですよね。これ以上の名盤はなかなかありませんから。だいたいだれが選んでもこれがトップに来そうな気がしますね。

 

2位以下やはり名盤の数々が並んでいますが、なかには個人的にイマイチなものもあります。たとえば3位のウェイン・ショーター『スピーク・ノー・イーヴル』ですけど、ぼくのなかではそんなに評価は高くありません。あくまで個人的な趣味ですけどね。だいたいぼくは1960年代のショーターがやや苦手といった側面があって…。エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』が生理的にムリという話は以前しました(ドルフィーは好きだけど)。

 

あと、10位のアンドルー・ヒル『ポイント・オヴ・ディパーチャー』は、今回のセレクション50のなかで唯一 CD で持っていない作品です。たぶんいままで聴いたこともなかったものです。苦手だとかなんだとか、なにか理由があるわけじゃありません。なんとなくヒルと縁遠かっただけなんで、これを機にちょっと…と思い Spotify で聴いてみたらかなりいいですよねえ。どうしていままで聴いてこなかったんでしょう?不思議です。

 

でもこれら以外はあまのじゃくのぼくが見ても黄金の選盤といった感じで、選者がどなたであれ、こんなような50作品になるのではないでしょうか。ブルー・ノートですからハード・バップとそれ以後のものが中心で、そのあたりのジャズを味わうには持ってこいの選盤ができるレーベルですよね。ここに名前があがっている50作品を聴いていけば、だいたいモダン・ジャズのおおまかな見取り図が描けるのではないかと思うほどです。

 

50セレクションのなかに二枚だけ、21世紀的新世代ジャズがふくまれていますね。42位のカサンドラ・ウィルスンと45位のロバート・グラスパー。ふたりとも最近のジャズ界を引っ張っている存在なので、ここに名前があるのは納得です。彼らと48位のシドニー・ベシェ(は古いひと)以外は、すべていわゆるモダン・ジャズのアルバムで占められていますよね。

 

こうしたセレクション50を眺め、あれが入っていないとか、これは外すべきだとか、順位付けに不満があるとか、いろいろ言うのはカンタンです。ですけれど、ちょっとした概観とガイダンスとして活用・応用すればいいのであって、従来からのブルー・ノート・ジャズのマニアはただ微笑んでいればいいし、ジャズの世界にあまり縁がなかった向きにはピッタリの入門選だし、特に文句なしだとぼくは思いますよ。

 

(written 2019.10.8)

2019/11/03

アシュリー・ヘンリーが心地いい

Dc16eaa36b7242e7945d923b3da68f54

https://open.spotify.com/album/0vgHCgQXFyO6z7OCZKSu52?si=aMrJ7e_CTDyat2OUteaaBA

 

bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-09-28

 

どうしてだかなんどもくりかえし聴いてしまう『ビューティフル・ヴァイナル・ハンター』(2019)。ロンドンのジャズ・ピアニスト、アシュリー・ヘンリーのデビュー・アルバムです。これが第一作目かと思うと、おそろしい完成度ですね。なんども聴いてしまうのは気持ちいいからだと思うんですけど、ぼくの感じているこの気持ちよさの原因がこの音楽のどこにあるのか、それはまだちょっとよくわからないです。

 

いちおうジャズ音楽作品には違いありませんが、ネオ・ソウル、今様 R&B、ヒップ・ホップなどを自在に横断してみせているところも好感度高し。ピアノを弾くタッチは端正で古典的ですけど、音楽的には冒険的、野心的ですね。しかしできあがった音楽はそれを感じさせないスムースさで、すーっと聴くがわのなかに入り込んでくる心地よい肌ざわりがあるのがこのアルバムの大きな特長です。

 

おかげで約一時間、聴いていて引っかかったりすることもなく、そのままスッと時間が経っていくのを感じます。ぼくが個人的に特に好きなのはヴォーカル曲や管楽器をフィーチャーしたのではないピアノ・トリオ中心の演奏で、たとえば6曲目「クレインズ(イン・ザ・スカイ)」とか11「プレッシャー」とかで聴かせるパッションですね。パッションはドラマーの演奏にも強く感じます。

 

熱く燃えあがるような激情的なジャズ・ピアノ・トリオ演奏なんですけど、でもどこか完璧にはのめり込んでいないような、一歩引いて演奏者自身が自己を外側から客観視しているような、そんなクールさも感じられ、つまり適度に抑制が効いているあたりも心地よさの原因になっているかもしれません。そんなクールネスはヴォーカル・ナンバーだといっそう際立っていますけどね。

 

とにかくこのビート感が気持ちいい、聴いていて心地よく、スムースにぼくのなかにすべりこんでくるような音楽であるアシュリー・ヘンリーの『ビューティフル・ヴァイナル・ハンター』、もうすでにヘヴィ・ローテイション盤になっていますし、今年はこれからもくりかえし聴くと思います。と〜にかく聴いていてなめらかで快感なんですよ、このサウンドの質感とビートが。

 

(written 2019.10.7)

2019/11/02

ロックにおけるラテン・シンコペイション(2)〜 ツェッペリン『プレゼンス』篇

B5d38aea9b47475b8b3de746a0db3aff_1_105_c

https://open.spotify.com/album/3uhD8hNpb0m3iIZ18RHH5u?si=isxC4ClLToaLoxaXN_QIqA

 

いまごろようやく明文化しているのかとあきれられそうですけど、レッド・ツェッペリンのアルバム『プレゼンス』(1975年録音76年発売)ではかなりはっきりした跳ねるラテン・リズムが聴けますよね。それも、このバンドのこのアルバムのばあい、たぶんアメリカ南部のニュー・オーリンズ経由でということじゃないかと思います。カギは間違いなくミーターズ。ジョン・ボーナムがジガブー・モデリステのファンで、よく研究していたことは知られていますよね。

 

アルバム・ラストの「ティー・フォー・ワン」はないことにぼくはしている『プレゼンス』だと、1曲目の「アキレス・ラスト・スタンド」はそうでもないと思いますが(どっちかというとフラットにずんずん進むビート)、2曲目以後はどの曲のリズムも強く跳ねていますよね。その跳ねかたはあきらかにラテン系のシンコペイションだと思うんですね。

 

特にそれを強く感じるのが3曲目「ロイヤル・オーリンズ」、5「キャンディ・ストア・ロック」、6「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」です。「ロイヤル・オーリンズ」だとサビの部分でコンガが多重録音されているのもラテン香を強く漂わせる効果をもたらしていますよね。しかもそのサビ部分でのリズムの跳ねがかなり強いんです。「キャンディ・ストア・ロック」でもサビで、「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」では一曲全体で、リズムに強いシンコペイションがかかっていますよね。

 

またアルバム2曲目以後はブレイク、ストップ・タイム、空間、スキマが異様に頻用されているのも、このアルバムのとても大きな特色です。ツェッペリンでこんな作品はほかにありませんからね。しかもストップ・タイムを使った部分でビートの跳ねが強調され、大きくジャンプしたり、突っかかってヨレたり跳ねたりしているでしょう。

 

こんなところはツェッペリンだと『プレゼンス』だけの特異現象なんですが、こんなアイデアがジミー・ペイジ由来だったのかジョン・ボーナムの発案だったのかわかりませんが、興味深いところです。でもできあがりを聴いて判断する限りでは、ミーターズのあのスキマの多いひょこひょことユニークに跳ねるビート感に近づいているように聴こえますから、ボンゾの着案というかリーダーシップでこんなリズムを多用したのだとも考えられますね。

 

そう、ツェッペリン『プレゼンス』で聴けるラテンなリズム・シンコペイションは、あきらかにニュー・オーリンズのミーターズ由来なんですね。ジミー・ペイジもジョン・ボーナムも、どっちかというとビッチリと空間を音で敷き詰めていくタイプの音楽家であるにもかかわらず、このアルバムでは空間を、スキマを、活用して、タメやハネを強調しているのも、ミーターズ系です。

 

こういったことは、煎じ詰めればファンク・ビートとはラテン由来ということにたどりつくと思うんですけど、そのテーマは大きいので今日は追いません。ですけれども、ツェッペリンの連中、特にボンゾがアメリカのファンク・ビートを研究した結果、『プレゼンス』で聴けるようなリズムのラテン・シンコペイションを活かすことにつながっているのは、たいへんに興味深いことです。

 

(written 2019.10.6)

2019/11/01

ジョニー・ホッジズの至芸 〜『ホッジ・ポッジ』

21b4dd696a144ed9b9c062d27bc5a6d9_4_5005_

https://www.amazon.co.jp//dp/B00GXEY0G2/

 

ぜんぶで六枚ある「エピック・イン・ジャズ」のシリーズ。いままでに四枚をそれぞれとりあげて書きました。このシリーズは LP レコードでエピック(コロンビア系)から第二次大戦後に発売されたものですけど、中身はすべて戦前の SP レコードで発売された音源です。一枚づつ(ほぼ)すべてひとりのジャズ・マンに焦点を当て、そのひとをフィーチャーした録音集となっているわけです。くどいようですが中身の音源は一曲単位の古い SP 音源です。

 

それで、まだとりあげていないものはジョニー・ホッジズの『ホッジ・ポッジ』と『ザ・デュークス・メン』だけということになりました。後者はひとりのジャズ・マンにフォーカスしたものではない異色の一枚で、しかもかなりの名作ですから最後にとっておくことにして、今日はジョニー・ホッジズ名義の『ホッジ・ポッジ』のことをちょこっと書いておきましょう。

 

<名義>と書きましたが、実際、『ホッジ・ポッジ』に収録されている全16曲の SP 音源も当時からホッジズ名義のレコードだったものですけど、一聴してわかるようにこれは実質デューク・エリントンがリーダーシップをとったセッション音源なんですね。1936〜41年にかけて、コロンビア系レーベルに、エリントンは自楽団のピック・アップ・メンバーで構成されるコンボで、しかも名目のリーダーはそれぞれのサイド・メン名義で録音しています。SP も当時発売されました。

 

『ザ・デュークス・メン』もそんな音源集なのですが、今日は『ホッジ・ポッジ』の話。このアルバムのばあい、録音は1938/39年。ジョニー・ホッジズはもちろん、やはりクーティ・ウィリアムズ、ローレンス・ブラウン、ハリー・カーニー、ソニー・グリーアなど、セッションを行なったメンツは全員当時のエリントン楽団員。もちろん御大デュークもピアノで参加しているばかりでなく、作編曲もこなしていますので、ホッジズ名義といえど、どうしたってエリントン・サウンドに聴こえてしまうというわけなんです。

 

それでもいちおうはホッジズ名義のセッション&レコードでしたので、やはりホッジズがいちばん多くソロを吹いているのは間違いありません。そんなわけでエリントニアン・コンボにおけるホッジズの特長がよくわかる一枚といえましょう。また『ホッジ・ポッジ』ならではのこととして、ホッジズがアルトではなくソプラノ・サックスをたくさん吹いているということもあげられますね。

 

アルバムに四曲収録されているそんなホッジズのソプラノ吹奏を聴きますと、彼がいかにシドニー・ベシェ直系であったかよくわかります。実際、キャリア初期はソプラノ・サックスからはじめたホッジズの直接の師匠にして最大の影響源がベシェだったんですね。その後ホッジズはその影響をアルトに移植したとでもいうようなスタイルを確立し、ジャズ・アルト界の No. 1的存在となりました。

 

特にこのアルバムにおけるホッジズのソプラノ吹奏の見事さを示すものとして、5曲目の「アイム・イン・アナザー・ワールド」をあげておきたいと思います。どうです、この美しさ。アルトを吹くときのホッジズの美はみなさんご存知でしょうけど、そのルーツはこういったシドニー・ベシェからもらった豊穣な表現にあるのです。
https://www.youtube.com/watch?v=74x7B1f9QOI

 

アルトのほうでいいますと、このアルバムでは、ぼくはいつも13曲目の「フィネス」に感動のためいきをもらしてしまいます。なんて美しいのでしょうか。この「フィネス」というデュークの曲は、かのジャンゴ・ラインハルトがエリントニアンたちとパリでやったセッションでも演奏されていてそれも極上ですけど、『ホッジ・ポッジ』のものは、なんと実質デュークのピアノとホッジズのアルトだけのデュオ演奏なんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=f4l9veZJjeI

 

ああ、なんてきれいな世界なのでしょうか。ジャズにもいろんなものがありますが、こういったバラードにおけるアルト・サックスの嫋嫋たる表現でホッジズの上をいく存在は、いまだ出現していないと断言できます。かのチャーリー・パーカーですら敗北を認めていたんですから。パーカーのサウンドも丸いですが(硬質だけど)、ホッジズのこのなめらかでやわらかくとことん丸い色艶に勝るものではありませんね。

 

(written 2019.10.5)

« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »

フォト
2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ