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2019/11/29

マイルズが休んで、新主流派ができあがる

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https://open.spotify.com/playlist/38b3oUWLMqcEaJ6puqlnhZ?si=k_RUVxcFQei0kMogV01Jjw

 

最近は新主流派と言わず、ポスト・バップって呼ぶんですかね、英語圏では。アメリカではむかしまた違った名称があった気がしますが、いまやもうすっかりポスト・バップの呼称で定着したような感のある(ぼく的には)新主流派ジャズ。今日のこの文章ではどうしましょうかね、やはり長年慣れ親しんだ新主流派という呼び名でいくことにしましょうか。ぼくのなかでは新主流派とポスト・バップは同じものです。

 

新主流派(ポスト・バップ)とは、(主に)1965年ごろから60年代後半にかけて、ブルー・ノート・レーベルを舞台に、ハード・バップから一歩進んだ新感覚の若手ジャズ・メンがどんどん録音した(フリー・スタイルではない)メインストリーム・ジャズのこと。一般にハービー・ハンコックやウェイン・ショーターやフレディ・ハバードやマッコイ・タイナーやといったひとたちに代表されるのではないでしょうか。

 

以前も一度チラッと触れたんですが、こういった新主流派ジャズが1960年代なかばに台頭した背景には、65/66年のマイルズ・デイヴィスの休養という事情があったのではないかというのがぼくの見方なんですね。前64年秋にウェイン・ショーターを迎えニュー・クインテットとなり、65年1月にひさびさの本格スタジオ作『E.S.P.』を録音したにもかかわらず、マイルズは股関節痛の悪化で手術などすることになり、同年いっぱいは入退院をくりかえし、年末までいっさいの活動を休止していました。翌66年もあまり活動せず。

 

マイルズのアルバム『E.S.P.』や次作1966年録音の『マイルズ・スマイルズ』を聴けば、いわゆる新主流派ジャズがそこにあるのは明白です。そもそも新主流派とはアイラ・ギトラーが『マイルズ・スマイルズ』に寄せて考案した名称(new mainstream)ですしね。マイルズ個人はビ・バップ時代から活躍しているジャズ・マンですが、その後の時代の変展にあわせてバンドでやる音楽も刷新してきました。

 

そして1963年にハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズという新しいリズム・セクションを雇ったのがさらなる新時代のはじまりでしたよね。63年当時はまだまだハード・バップの枠内にあったかもしれませんが、その後ウェイン・ショーターがくわわって『E.S.P.』を録音したころには、マイルズ・バンドも新感覚の新時代ジャズへと舵を切っていました。

 

そんなスタジオ最新作も完成し、さあこれから!といった1965年冒頭、いきなりボスが休養することとなり、復帰のメドも立たないといった状態におかれてしまいましたので、サイド・メン四人はかなり困ったはずです。なにより四人ともまだ若く、創造意欲にあふれた清新な秀才でしたから、相当な欲求不満がたまったのではないでしょうか。

 

そんな欲求不満を解消する場となったのが、ブルー・ノート・レーベルだったんです。ウェイン、ハービー、ロン、トニーの四人に録音の機会をどんどん与え、むろんマイルズ・バンドのメンバーとしてコロンビアと契約していましたから四人がそっくりそのまま揃って使われることはなかったんですけど、別な(若手新感覚の)ジャズ・マンを混ぜ、フロントにはまた違ったホーン奏者を立てて、それでアルバムをどんどん制作したのが、いわゆる新主流派ジャズというものの実態です。ボスのマイルズが休んでいるあいだにですね。

 

ですから新主流派(ポスト・バップ)とはなにか?という問いに対する端的な答えは、マイルズ・バンドのサイド・メンが、それぞれ別な若手ジャズ・メンと組んで、ブルー・ノート・レーベルを舞台に、1965〜68年ごろに展開した、新感覚ジャズのことだ、ということになるんですね。むろん、ハード・バップとの明確な線引きなどはむずかしいことなんですけど。

 

そんなわけなので、ブルー・ノートにたくさんある新主流派ジャズのアルバムは、例外なくどれも『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』までのマイルズ・ミュージックを敷衍したような内容になっているでしょう。本来であればマイルズが自身のバンドで1965年来どんどん展開すべきものでした。ところが健康状態の悪化で本格復帰までの約二年間活動できなかったがために、ボスの意を汲んだかのようにサイド・メンが(ブルー・ノートで)展開したというわけなんですね。

 

マイルズ・ミュージックのその後の新展開と軌を一にするように、新主流派も短命に終わりました。1968年ごろからマイルズは電気楽器を積極的にとりいれ、ロックやファンク・ミュージックなどからも貪欲に吸収して、ニュー・ミュージックの創造に意欲的になりましたよね。その結果が『キリマンジャロの娘』『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』のトリロジーですけど、ちょうどそのころ新主流派の火もついえました。

 

新主流派ジャズをブルー・ノートで展開していた(マイルズ・バンド所属であろうとなかろうと)若手ジャズ・メンも、あたかもマイルズ・ミュージックの変化にあわせたかのように、1960年代末からジャズ以外の他ジャンルの音楽との融合・横断を試みるようになり、そのまま1970年代があんな時代となったわけですね。

 

今日は新主流派ジャズへのジョン・コルトレイン・ミュージックからの流れをしゃべる余裕がなくなってしまいました。また機会をあらためます。

 

(written 2019.11.9)

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