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2019年12月

2019/12/31

2019年ベスト10

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毎年12月25日に発表し続けていたぼくの年間ベストテンですが、今年から大晦日に移動しました。特に理由はないんです。ただ一年の音楽ライフのしめくくりというだけですかね。音楽だけ人間なので、大晦日にその年どんな音楽作品をよく聴いたかをまとめておこうかなと思うようになりました。

 

さて、昨日も書きましたが今年は岩佐美咲の生歌をかなりたくさん聴きました。岩佐美咲のことはだから別格扱いにして、今年から年間ベストにはふくめないことにします。キリがないですからね。いつでも岩佐美咲はぼくのなかではベスト1なんです。これは今後もたぶん変わりませんので、毎年岩佐美咲がトップに来るベストテンなんておもしろくないでしょう。

 

ってなわけで、岩佐美咲以外で、とてもよく聴いた音楽アルバムの2019年ベストテンです。以下、新作篇とリイシュー・発掘篇に分けて10枚づつ。

 

 

<新作篇>

1) Angham / Hala Khasa Gedan(エジプト)

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これはもう文句なしでしょう。アンガームはいま絶頂期にあるのです。歌手として、人間として、女性として。こんなにも美しくとろける音楽がこの世にほかにあるでしょうか。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-d491ab.html

 

2) Dudu Tassa & The Kuwaitis / El Hajar(イスラエル)

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アラブ歌謡をやるイスラエル人。この国ではこういう人が最近わりといるらしいですね。これも美しい音楽だと思います。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-d104.html

 

3) 坂本冬美 / ENKA III 〜 偲歌(日本、2018)

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これもきれい。伴奏アレンジも見事で、冬美もいま歌手人生でいちばんいい時期を過ごしているんじゃないですか。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-179fad.html

 

4) Àbáse / Invocation(ハンガリー)

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ブダペスト出身のアフロ・ジャズ・ユニット。カッコよくグルーヴィでした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-1ff32f.html

 

5) Gaby Moreno, Van Dyke Parks / ¡Spangled!(アメリカ)

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汎アメリカン・ミュージックを目指すガビー・モレーノと、見事なアレンジを施したヴァン・ダイク・パークスの手腕が光っています。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-411f3c.html

 

6) Salomão Soares / Colorido Urbano(ブラジル)

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アクースティックなストレート・ジャズ・インストルメンタル作品では、今年いちばん聴きました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-cd8abd.html

 

7) Anabela Aya / Kuameleli(アンゴラ、2018)

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アナベラの生々しい躍動感のある声にゾクゾクするクレオール・ジャズの秀作。ジャズは完全に身体性を取り戻しましたね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-c8feb3.html

 

8) Alfred Del Penho / Samba Só(ブラジル、2018)

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ブラジルにはギター弾き語りシンガー・ソングライターがとても多いわけですけど、今年聴いたもののなかではこの一枚が抜きに出ていたような気がします。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-1bbf.html

 

9) KutiMangoes / Afrotropism(デンマーク)

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ひとひねりしたアフロビート・ジャズがめちゃめちゃカッコいい。彼らにしかできないオリジナルな音楽性がありますね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-146c22.html

 

10) Souad Massi / Oumniya(アルジェリア)

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スアド・マシひさびさの原点回帰作で、この人のいちばん豊潤な音楽を取り戻したように思います。これなら文句なし。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-963066.html

 


<リイシュー・発掘篇>

1) Nusrat Fateh Ali Khan / Live at WOMAD 1985(パキスタン)

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どう考えても一位はこれしかありえません。なにも言うことはない傑作。大事件でした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-a46b09.html

 

2) Maria Teresa de Noronha / Integral(ポルトガル、2018)

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ややあっさりめのファドで聴きやすく、明るさもあるし、ファド入門にももってこいでしょう。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/09/post-c474c2.html

 

3) Early Congo Music 1946-1962: first rumba, to the real rumba(コンゴ)

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深沢美樹さん入魂の二枚組第二弾。ぼくなんかが特に言うことはありませんが、できれば来年書きたいと思っています。

 

4) 嘉手苅林昌 / 島唄黄金時代の嘉手苅林昌(沖縄)

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沖縄の嘉手苅林昌。三線と歌が本当に心に沁みますねえ。女性とのデュオものもよし。

 

5) ナット・キング・コール / キング・コールと行くラテンアメリカの旅(アメリカ)

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今年はナット・キング・コール生誕100周年にあたります。ラテン好き&ナット好きのぼくにとってはうれしい企画ものリイシューでした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-a0c12d.html

 

6) Kapingbdi / Born In The Night(リベリア)

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リベリアのアフロ・ジャズ・ファンク・バンドをいままで聴いたことなかったんですけど、これはすばらしくグルーヴィでした。スピリチュアル・ジャズみたいなボスのテナー・サックスもよし。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-51e77e.html

 

7) Bob Dylan / Travelin' Thru: The Bootleg Series Vol. 15 1967-1969(アメリカ合衆国)

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ボブ・ディランの全キャリアで、この時期のこのスタイルがいちばん好き!だって心地いいんですもん。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-f13b49.html

 

8) Kinshasa 1978(コンゴ)

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特にコノノ No.1がすごい、すごすぎる。未発表オリジナル音源もマルタン・メソニエの再構築も超絶グルーヴィ。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-51d19d.html

 

9) Linda Ronstadt / Live in Hollywood(アメリカ合衆国)

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病気で歌えなくなったリンダですけど、現役時代のよかったころは本当にこんなにもチャーミングだったんですよねえ。意外にもキャリア初のライヴ・アルバムで、真骨頂を聴かせています。バンド・メンも腕利きぞろい。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-93f0.html

 

10) Stella Chiweshe / Kasahwa: Early Singles(ジンバブウェ、2018)

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ステーラ・チウェーシェは親指ピアノ弾き語り奏者。その初期シングル盤音源が、はじめてちゃんとしたかたちでリイシューされました。強く鋭い音楽です。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-568c.html

 

(written 2019.12.20)

2019/12/30

2019年のわさ活をふりかえる

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(今年二月に浅草で撮ったこの2ショット写真がいちばん気に入っています)

 

2019年も終わりかけています。昨年までと違う今年の生活最大の個人的特色は、歌手であるわさみんこと岩佐美咲ちゃんの生歌唱現場にどんどん出かけていったことですね。きっかけは2018年11月の四国イベントでした。今治と高知の二日間。これですっかり楽しさを憶えてしまったぼくは、その後わさみん歌唱イベントにどんどん出かけていくことになったのです。

 

思えばぼくの生わさみん初体験は2018年2月の恵比寿。これはふつうのソロ・コンサートです。すごく思い出深いライヴとなりましたが、いままで数十年間で体験し感銘を受けたコンサートの数々と比較して、そんなに大きく違うのだろうか?と思っていたのです。音楽のライヴに接し感動することを続けてきている人生なので、わさみんコンサートが格別スペシャルだとは思えなかったんですね。

 

それが小規模の歌唱イベントですっかり生わさみんにはまってしまうことになったのは、やはりすごく近づきやすいからでしょう。歌唱イベントは、たいていどこかのショッピング・センター、モール内のイベント・スペースや、レコード・ショップのなかで行われることが多いです。わさみんは四曲歌い、その後握手&2ショット写真撮影会となります。本人とおしゃべりもできます。

 

そんなわさみん歌唱イベント(&コンサート)で今2019年に体験したものといえば、

 

1月末(東京でのソロ・コンサート)
2月中旬(東京での新曲発売記念イベント二日間)
3月末(大阪イベント)
6月頭(大阪イベント&コンサート二日間)
6月末(広島イベント)
8月上旬(東京での特別盤発売記念イベント三日間&公開収録)
10月頭(東京での三人の歌仲間コンサート)
10月中旬(大阪イベント二日間)
11月下旬(東京でのコンサート&イベント三日間)
12月上旬(広島イベント二日間)

 

以上となります。けっこう行きましたねえ。一年間で東京にこれだけ行くことになるとは。また、ひとりの歌手の生現場に一年間でこれだけ出かけていくようになるなんて、昨年までまったく想像していませんでした。もう完璧にわさみんにハマってしまった一年でした。それくらい、リピートしてしまうくらい、わさみん歌唱イベントは楽しいんですよ。

 

歌唱イベントではやっぱりなんといっても歌唱後に握手しておしゃべりできることが、つまり接触があることが、楽しさの最大の理由なんですよねえ。一年間で写真もたくさん撮りました。相手はプロ歌手です。スターなんです(本人にどこまで自覚があるでしょう?)。そんなわさみんと至近距離に接近し、握手し、たいした内容ではないとはいえ親しげにおしゃべりできるというのは、至福の時間なんですね。

 

すっかりわさみんに顔も憶えてもらいました。こんなうれしいことはないでしょう。12月の広島イベントの最後、タワーレコード広島店での特典会では「今年はこれで終わりだと思う」と言うと、わさみんが「一年間ほんとうにどうもありがとう」と返してくれ、手をぎゅっと強く握ってくれました。そんなこんなの他愛のない会話が多いんですけど、あんなにうまく歌える一流歌手のわさみんと直接こうやっておしゃべりできるんですから、そりゃあハマりますって。

 

さあ、来年はどれだけわさみん歌唱現場に行けるでしょうか。いまのところまだぜんぜんわかりませんが、今年は平均して約一ヶ月に一回は会っていた計算になりますので、来年はそこまではむずかしいのではないでしょうか。でも可能な範囲で、それも西日本エリアで開催される際には、できるだけ参加するようにしたいなと思っています。

 

(written 2019.12.17)

2019/12/29

マイルズ『カインド・オヴ・ブルー』は今年でちょうど60歳

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https://open.spotify.com/album/1weenld61qoidwYuZ1GESA?si=o4zjrLP8R9CWT1A-72gl1A

 

残り少なくなりましたが、今2019年はマイルズ・デイヴィス『カインド・オヴ・ブルー』の60周年にあたります。今年は『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』からちょうど50周年でもあるということで、60より50のほうがピッタリ半世紀と区切りがいいということと、1969年という意義深いあの時代に新しい時代の新しい音楽のフィールドを切り拓いたという意味でも、そっちのほうが(主に夏場に)盛り上がりましたよね。ぼくもそれに乗じて複数の文章を書きアップしました。

 

しかし『カインド・オヴ・ブルー』60周年のほうは、今年たぶんだれも言っていないと思うんですよ。こりゃちょっと扱いが不当じゃありませんか。ぼくも今年いままでこの1959年作のことを言わないできましたが、2019年も終わってしまうということで、やはりなにかちょっとだけでも書いておこうかなという気になりました。

 

でも『カインド・オヴ・ブルー』について特に斬新なことは言えない、もはや残っていないという気がしますし、60周年という区切りにもこれといった意義、意味はないように思えます。だから困っちゃうというか、みなさんそれでなにも言っていらっしゃらないんだろうと推測します。だからいままでも書いてきたことのくりかえしになってしまいますけれども、それでも記しておいて、2019年という60周年の節目にこのアルバムのことをもう一回思い出しておきたいんですね。

 

最近『カインド・オヴ・ブルー』を聴くといつも思うのは、なんて静かでおだやかな音楽なんだろうということです。そして全体的にとても整っています。あるいは整いすぎている、あまりに均整がとれすぎているという見方もできるのではないでしょうか。それはこの作品の長所でありますけれども、ばあいによってはだからつまらない、スリルがないとみなされてしまうかもしれません。

 

このアルバムにおける、それでもちょっとはハードなグルーヴ・ナンバーといいますと、たぶん2曲目の「フレディ・フリーローダー」ですよね。これは12小節の定型ブルーズです。ややファンキーに跳ねるフィーリングも持っているということで、アルバム中この曲でだけピアノはウィントン・ケリーが起用されています。といいますか1959年時点でのマイルズ・バンド・レギュラーはウィントンで、ほかの曲で弾いているビル・エヴァンズはすでに脱退していたのにセッションのときだけ呼び戻されたわけです。

 

このビルを呼び戻したというところにも、このアルバムを静的志向のものとしたいというマイルズの意図が見えますよね。ビルの和音の使いかたをかなり気に入っていたマイルズですけれど、そもそもこのピアニストに対してボスが持っていた最大の不満は「(ハードに)スウィングしない」ということでしたから。それでも『カインド・オヴ・ブルー』ではビルを使いたいと思えるだけの理由があったということです。

 

同じブルーズでも B 面の「オール・ブルーズ」はやっぱり落ち着いたフィーリングです。けれどもこのアルバムでビルが弾いている曲のなかでは、それでもちょっとは激しさが聴きとれるものかもしれません。ボスはテーマ部分だけハーマン・ミュートでやってソロ部ではオープン・ホーンですが、そのソロ部で強い音を吹くとビルが呼応して鍵盤をガンと激しく叩く場面もあります。

 

また『カインド・オヴ・ブルー』ではジョン・コルトレイン、キャノンボール・アダリーの二名のサックス奏者がそこそこハードなプレイ側面を担っていると聴くこともできます。それでもかなり抑制が効いているのはやはりボスの統率下にあるからで、このアルバムの音楽志向を如実に物語るものですけど、テナー、アルトのサックス・ソロは饒舌ですし、ボスやビルの控えめなソロ内容といいコントラストを形成しているかなと思います。

 

なんだかんだ言っても、やっぱり全体的にこのアルバムは静かにたたずむような夜の音楽といった面が非常に強いですね。だからこそ聴いていて心がなごみますし、ジャズ史に残る一大傑作には違いありませんが、ふだんはそんなことまったく意識しません。ただ聴いていて心地いいな、リラックスできるイージー・リスニングだなと思って、ただのんびり流しているだけなんですね。オーネット・コールマンの『ジャズ来るべきもの』もそうなんですけど、歴史に残る一大傑作、問題作とは、しばしばそういったおだやかな表情を見せているものなんです。

 

(written 2019.12.16)

2019/12/28

冬にも似合うニーナ・ベケール『ミーニャ・ドローレス』

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https://open.spotify.com/album/4KKDLia9xJT8NM98jPfRvM?si=SytbIQDdScGUEKHfikIUtA

 

以前、2018年の夏でしたか、ニーナ・ベケールの『ミーニャ・ドローレス:ニーナ・ベケール・カンタ・ドローレス・ドゥラン』(2014)は夏にピッタリという話をしましたよね。独特の冷感があってヒンヤリした音感で、聴くだけで体感温度がちょっと下がりそうっていうようなことでした。その記事を書いてブログを更新したのがちょうど真夏でしたから、だからそんな感想を持ったのかもしれません。

 

それはそれで間違いないといまでも思っていますが、最近実感しているのはこのアルバム、寒い季節に聴いても実にピッタリの温感があるなということなんです。冷感があると言ったり温感と言ったり、一貫性がないぞ、ええ加減なやつめ、どっちなんや?!とのご指摘もあろうかと思いますが、すぐれた作品とはさまざまな容貌を見せ、種々多様に変化し、幅のひろい受け止めのできるものでしょう。

 

ニーナ・ベケールの『ミーニャ・ドローレス』もまたそんな傑作のひとつに違いありません。このアルバムが暖かい感じがする、だから冬に聴いたらピッタリだなと思うのは、主に曲のよさ、ショーロふうな伴奏、ニーナのちょっぴりかすれたハスキー・ヴォイスのおかげなんですね(ぜんぶやないか)。特に伴奏と声ですね、それが理由でこんなぬくもりみがあるんじゃないでしょうか。

 

なかでもニーナのこの声、これがいいですよ。そっと優しく、決して張らずささやくように、ていねいにことばを並べていくこの歌唱法が、あたたかみを感じさせるんですよねえ。こういった歌いかたこそぼくにとっては最高の声なんです。いや、最高だと感じさせる歌いかたはいくつもありますが、ニーナのこのアルバムでのこのヴォーカル表現こそ、温感をもたらすものじゃないでしょうか。

 

収録されているどの曲でもそうなんですけど、特に注目していただきたいのは6曲目の「Vou Chorar」です。この親密で(聴き手との)距離の近い声の出しかたは実にすばらしいですよねえ。曲がいいんですけど、それにくわえニーナのこの発声がそれを最大限に活かすことにつながっています。まるで狭い部屋のなかでふたりっきりになって目の前でニーナが耳元で小さな声でささやくように歌ってくれているような、そんな気分になりませんか。そのおかげで人間の肌のぬくもりすら(じかに)感じられると思うんですね。この曲ではウーリッツァーの電気ピアノが使われているのもそんないい感じに拍車をかけていますねえ。

 

そう、人間味のあるあたたかさ、これこそぼくが今日いちばん言いたいことなんです。このアルバム最大の特長がそれでしょう。基本的には7弦ギターとバンドリンの二名デュオだけっていう伴奏がショーロふうなのも、オーガニックな音楽の質感構築に寄与しています。サンバ・カンソーン歌手だったドローレス・ドゥランの書いた曲も暖かみがあって、アルバム全体として真冬に聴いたら気持ちがほっこりとぬくもっていくような、そんな音楽じゃないでしょうか。

 

(written 2019.12.15)

2019/12/27

メロウな AOR っぽいレア・ソウル 〜 ポジティヴ・フォース

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https://open.spotify.com/album/0YSz3eDpByYw4AiD8PaYJa?si=M5P9KFeXRvaWzW3CIY2miA

 

これはアナログだけでのリイシューっていうことでしょうか、そもそも CD 化されたことがあるんでしょうか、ポジティヴ・フォースというバンド唯一のアルバム『ポジティヴ・フォース・フィーチャリング・デニス・ヴァリン』(1983)。ポジティヴ・フォースという存在じたいほとんど知られていないかもと思うんですけど、アメリカ西海岸で活動したソウル・バンドのようです。ネットで検索すると同名のペンシルヴェイニアのバンドが出ますけど、たぶん別者。

 

ぼくが今日話題にしたいポジティヴ・フォースはほぼ無名の存在で、唯一のアルバム『ポジティヴ・フォース・フィーチャリング・デニス・ヴァリン』ですら激レア盤だったんだそう。それが Spotify だとなんの苦もなく見つかって聴けてしまうんだからありがたいことですね。ここをありがたいと思うかつまらないと思うかは分かれ道ですよ。ぼくは前者です。

 

ともあれ『ポジティヴ・フォース・フィーチャリング・デニス・ヴァリン』。このアルバムではソウル/ディスコっぽい音楽をメインとしながらも、ジャズ・フュージョン的 AOR のニュアンスも濃く漂っていますよね。まず1曲目「ユー・トールド・ユー・ラヴド・ミー」、これはなかなかの名曲です。これを聴くとヴォーカル部分は完璧なソウル・チューンですけど、中間部のギター・ソロはフュージョンっぽいでしょう。そして全体的にとってもメロウ。それがいいんですよねえ。

 

メロウネスはこのアルバムを貫いている基調で、ポジティヴ・フォース最大の特色といえますね。3曲目「エヴリシング・ユー・ドゥー」なんかもそれがすばらしい聴きもので、曲も歌も演奏もいいです。4曲目「ユー・ガタ・ノウ」では男声歌手が歌っていますが、これもメロウ・ソウルの名曲かもしれません。しかもどの曲も、ホーン陣の使いかたにはどこかアース、ウィンド&ファイア的なマナーも聴きとれます。

 

アルバム全体の音楽が落ち着いたしっとり系で、演奏形態や楽器ソロなどにはあきらかなジャズ・フュージョンっぽさがあって、だから AOR 的っていうか、ソウルだから AOS ですか、そんな感じに聴こえますよね。西海岸で1980年前後にアクティヴだったとなれば、ソウル・バンドでも当然のようにフュージョン色があって不思議じゃないです。そんな時代でした。随所で入るサックス・ソロなんかでもそれがよくわかります。

 

ファンキーな8曲目「プット・イット・イン・ザ・グルーヴ」もノリがいいし(ちょっぴりエピック移籍後のマイケル・ジャクスンを連想させる)、このバンドの本領ともいうべきメロウネスを最大限に発揮した9曲目「ナウ・イズ・ナット・ザ・タイム」なんかグッと来ますよねえ。ラスト10曲目「アイ・シンク・オヴ・ユー」はやっぱりアダルト・オリエンティッドなフュージョン・ソウルに聴こえます。

 

(written 2019.12.14)

2019/12/26

明瞭な歌 〜 ジャネット・エヴラがとてもいい

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https://open.spotify.com/album/4dE6czaEnJONr6vwQY0VHh?si=3gom32BIRRmXatOuE1RJvA

 

bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-11-23

 

ジャネット・エヴラ。英国出身で、いまはアメリカのセント・ルイスに拠点を置いて活動するシンガー・ソングライターみたいです。そのデビュー作『アスク・ハー・トゥ・ダンス』(2019)がとってもいいですよ。ジャネットはやっぱりジャズ歌手なのかな、楽器はコントラバスをやるらしく、このアルバムのベースもたぶんジャネット自身でしょう。

 

ジャネットの最大の長所はその明瞭な発声にありますね。ハキハキしていて歯切れよく、滑舌がすばらしくいいし、鮮明で一個一個のことばの発音がクッキリしていて、聴いていてこんなにも気持ちいい歌手はなかなかめずらしいと思います。近年まれじゃないでしょうか。

 

さらに bunboni さんも書いていらっしゃいますけど、低音域から高音域まで声質をまったく変えずに、特に高音で張らず、全体をスムースにムラなく同質に歌える歌手ですよね。これはかなりの才能だと思います。ふつう高い音を出すときは声が立ちますからね。ジャネットのばあい、どんな音域でも同じ発声ができるという、これは訓練でなんとかなるような気がしませんから、天賦の才じゃないでしょうか。

 

そんなわけですから、アルバムを聴いていて実に心地いいんですよね。曲もジャネットの自作みたいですけど、軽いジャズ・ボッサ・テイストをうまく活かしたモダンなものが多く、とても聴きやすく気分いいです。バックはギター入りのリズム・セクション+(曲によって)複数の管楽器といったところ。伴奏はあくまで脇役に徹していて、決してジャネットのヴォーカルの前に出たりはしません。目立つソロもあまりなしで歌伴としては理想的。

 

ジャズといわず、聴いていてこんなにも心地いいヴォーカル・アルバムはひさしぶりに出会ったような気がしますよ。オススメです。この快感な肌ざわりを味わってほしいです。1曲目「パリ」とか9「アスク・ハー・トゥ・ダンス」なんか、極上ですよ。ぼくはアルバム出だしの "I still wonder" 三語で惚れました。

 

(written 2019.12.11)

2019/12/25

マイルズ『ザ・ロスト・クインテット』は1969年のライヴ最終日

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https://open.spotify.com/album/2IQwM81ZpSyo3Xp32y8VRd?si=i20gMnoUR-a1kg73OjFK1g

 

今日の文章はこの記事の追補です。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-fe6b42.html

 

このリンク先で書いたマイルズ・デイヴィスのライヴ盤『ザ・ロスト・クインテット』は、録音日時と場所が不明だったんですけど、最近、1969年11月9日のロッテルダム(オランダ)公演だと判明しました。この11月の文章を書いた時点では、日本で販売しているディスクユニオンのサイトに11月3日のパリ・ライヴじゃないかとの推測が記載されていて、それは違うだろうとぼくは書きましたが、最近はそれも修正されているんですね。
https://diskunion.net/portal/ct/detail/1008011076

 

1969年11月9日のロッテルダム公演は、だいぶ前からブートレグ CD-R がでまわっていて、ぼくも以前から持っています(だからディスクユニオンの「初出」音源との記載は誤り)。それは約十数年以上前の mixi 時代におともだちだったマイルズ・ブート・コレクターのかたとのトレードで手に入れたもの。そのかたは青森県在住でしたが、かなりのコレクターだったのでぼくは恩恵にあずかりました。感謝しています。

 

ディスクユニオンで売っていて Spotify でも聴ける『ザ・ロスト・クインテット』がなぜ11月9日公演だと判明したのかといいますと、たまたまなんの気なしにディスクユニオンのそのページをふたたび見にいったら、そういうふうに修正されていたからなんですね。それで、えっ、その日のライヴだったら前から流通しているやつじゃん、ぼくも持ってるよとなって手持ちのブート CD-R を聴きなおしてみて、同じだと判明したわけです。

 

でも違いもありますよ。二点。手持ちの CD-R のほうでは演奏前に司会者のメンバー紹介があることと、1曲目「ディレクションズ」が約二分ほど長いです。メンバー紹介はあってもなくてもいいようなものですけど、演奏の長さ二分の違いはめっちゃ大きいですよねえ。どうして二分も違うかと言いますと、『ザ・ロスト・クインテット』のほうの「ディクレションズ」は完奏じゃないでしょう、ウェイン・ショーターのテナー・サックス・ソロの最後のほうでスッとフェイド・アウトしてしまいます。

 

ところがぼくの持つブート CD-R の1969.11.9公演分の「ディレクションズ」ではウェインが最後まで吹き、その後(チック・コリアじゃなくて)デイヴ・ホランドのベース・ソロがあるんですね。それが二分近いんです。「ディレクションズ」でベース・ソロとは相当めずらしいなと思います。ほかの日のライヴで聴いたような記憶もありませんからねえ。このロッテルダム公演だけじゃないでしょうか。

 

これ以外の演奏内容は同一だと思います。

 

さて、マイルズの11月9日ロッテルダム公演というと、実は1969年のロスト・クインテットのラスト・ライヴになるんですね。すくなくとも現在記録に残っているかぎりではこれが1969年のライヴ最終日です。その日までマイルズ・バンドはヨーロッパを数ヶ月間ツアーしてまわっていました。

 

ロスト・クインテットのライヴは、その日によって演奏曲目が違ったり演奏の出来も差がありますけれど、基本的には同じことをくりかえしていたとしていいんじゃないでしょうか。1960年代的フリー・ジャズ総決算とでもいうような内容で、69年だとすでに『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』でふみこんでいたロック/ファンクへのアプローチはスタジオだけでのもの。ライヴではまだまだ完全にジャズでした。

 

これが翌1970年のライヴになりますと、メンバーもほぼ変わらないのにどうしてだかリズムがタイトでシャープになって斬れ味を増し、バンド全体もファンキーな演奏をくりひろげるようになります。スタジオ録音でも70年には『ジャック・ジョンスン』がありますね。ライヴでもそんな内容に近づいているかなと思わないでもない展開を聴かせるようになるんです。

 

最終的にはそれが1974/75年のああいった一連のライヴ傑作群(『ダーク・メイガス』『アガルタ』『パンゲア』、その他ブートなら無数)に結実することになるわけですが、1969年だと11月9日のラスト・ライヴでもまだピュアなジャズ・ミュージックの枠内にとどまっているのが興味深いところですね。かつて油井正一さんがマイルズはスタジオでは先鋭的、ライヴでは保守的と書いたことがありましたが、69年の音楽についてもこれが言えるのでしょう。

 

(written 2019.12.12)

2019/12/24

ヒバ・タワジでクリスマス

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https://open.spotify.com/album/1XaS1MuxlxF1UJFpQLMym2?si=VXDmbirhT2CHoVZjVaIbdQ

 

キリスト教は中近東地域発祥です。現在アラビア語がひろく通用しているエリアでは全体的にイスラム教徒ばかりかというとそんなこともないんです。少数とはいえキリスト教徒だって現在でもいますよね。レバノンの歌手ヒバ・タワジが2017年にクリスマス・アルバム『ハレルヤ』をリリースしたのには、たぶんそんな文化背景と、もうひとつは世界的に活躍しているヒバだからマーケットのことを考慮したという面もあったんじゃないでしょうか。さらに、いまやクリスマスは宗教の枠を超えた大きなイベントになっているからでもありましょうね。

 

ヒバ・タワジの『ハレルヤ』、現地では2017年に CD が発売されていて、それと同時に日本でも Spotify などストリーミングで聴けるようになっていましたのでぼくも親しんでいましたが、エル・スールさんに入荷したのは今2019年初頭。そのころぼくはまだフィジカルをどんどん買っていたので、ヒバのこれも買いました。それでようやく今年のクリスマスにあわせてこの文章を書いているというわけです。

 

ヒバの『ハレルヤ』、全12曲(Spotify のでは11曲)のなかには欧米などキリスト教世界で人気のクリスマス・キャロルが多くあります。2「ジングル・ベルズ」、4「サイレント・ナイト」などは日本でも知らぬひとはいませんが、ほかにも5「ガッド・レスト・イェ・メリー・ジェントルメン」、6「オ・カム・オール・イェ・フェイスフル」、7「ハーク!ザ・ヘラルド・エンジェルズ・シング/グローリア」もキリスト教会ではスタンダードです。

 

ちょっとした変わり種は Spotify のには収録がない(なぜ?)8曲目でしょうか。CD の裏ジャケットにはアラビア語題の下に「オ・モスト・ワンダフル・クリスマス」などと英語題の記載がありますが、これはジャズ・サックス奏者ジョン・コルトレインなども得意とした世俗のポップ・スタンダード曲「マイ・フェイヴァリット・シングズ」にほかなりません。ウサマ・ラハバーニとヒバはクリスマス体裁にしてここに収録しているというわけですね。といってもぼくにアラビア語はわかりませんからピンときていないんですけど、どうして「マイ・フェイヴァリット・シングズ」が選ばれたのでしょう。

 

たぶんそれはヒバの資質をウサマも考慮したということかもしれないですね。ヒバはオペレッタみたいなのが得意中の得意で、ドラマティックな歌唱がサマになる歌手です。「マイ・フェイヴァリット・シングズ」の初出はみなさんご存知のとおりロジャーズ&ハマーシュタイン作のミュージカル『サウンド・オヴ・ミュージック』。ジュリー・アンドルーズ主演で映画にもなりました(たぶんこれが最有名)。ミュージカル、つまりオペレッタですよね。

 

そういえばアルバム『ハレルヤ』のなかでも、この8曲目ではけっこう大きくもりあがる劇的な歌いかたをヒバはしているなと思うんです。もとがミュージカル・ナンバーなだけに、クリスマス・ソング仕立てになってはいても、ここは本領発揮とばかりにグイグイ迫る迫力の歌唱でヒバは歌い込みます。ウサマのオーケストレイションも派手な感じになっていますよね。

 

言いかえれば、このアルバムにある8曲目以外のものでは、ヒバはふだんの持ち味をグッと抑え、控えめで抑制の効いた落ち着いた静かめのフィーリングで歌っているなと感じるんですね。ウサマのアレンジも同様で、両者ともふだんアラブ歌謡をやるときとはやや様子が違っていますよね。たぶんクリスマス・アルバムだからでしょう、派手さよりも宗教的な敬虔さ、厳かさを前面に出すことを意識したんじゃないでしょうか。

 

おかげで、ヒバやアラブ歌謡の(ばあいによってはトゥー・マッチと感じるかもしれない)あの濃厚でグリグリとした派手な世界から少し距離を置いているなと感じないでもないです。それでもヒバの声に常時漂っている微妙な震え、振動、揺れはアラブ歌手特有のものですけれども、だからやっぱりアラブの歌手だなとはわかるんですけれども、それでもアルバム『ハレルヤ』では聴きやすい身近なフィーリングを獲得できているととらえることができますね。

 

なお、このアルバムに収録の、上で書いたキリスト教世界で知られているクリスマス・キャロルでは、ヒバは一部の歌詞を英語でも歌っていますね。そのほかの曲をふくめ大部分はアラビア語で歌っていると思います。有名クリスマス・キャロルやスタンダード・ナンバー以外は、このアルバムのための書き下ろしかもしれません。

 

(written 2019.12.16)

2019/12/23

どんどん増える YouTube サブスクライバー

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https://www.youtube.com/user/hisashitoshima/videos

 

なにも知らなくて、YouTube チャンネルのサブスクライバー(日本語でなんと言います?登録者?購読者?)が1000人を越したとき、今年の晩夏ごろでしたか、オフィシャルにお祝いのメッセージが届きました。そういうもんなんですね。現在約1100人程度ですけど、毎日のようにどんどん増えています。新しい登録者ができるとメールでお知らせしてくれるのでわかります。

 

ぼくが YouTube にアップしているのは、もちろん音楽(に関係するしゃべりなどもふくむ)だけですけど、いうまでもなくすべて権利者には無断でやっていることです。なかにはグレー・ゾーンにあるというか、たぶん許諾の必要はないと思えるものだってあるんですけど、たとえばかなり時期が古い音源などはですね、そのままみんなが使えると思うんです。でもそれら以外は法的にはヤバイわけですよ、ブートレグ音源以外は。

 

もっとも、YouTube にあがっている音楽の多くがそんな感じで、無関係の第三者が勝手にアップロードしているだけなんで、だから事実上無法地帯になっていますよね。そんなのをむかしから見てきて便利に利用してきたからなのか(未知音源を試聴できるのはありがたかった)、自分でこれは紹介したい、ぜひ!と思うものはファイルを作ってあげてしまうようになりました。

 

以前も書きましたが、著作権者に発見されクレームされたらもちろん強制削除となります。現在アカウントというかチャンネルの残りライフが一個となっていて、もう一回同じことがあるとこのアカウントは使えなくなるぞとオフィシャルから警告を受けているので、もうそれ以後はなにもアップしないようにしているんですね。そうなってからでもサブスクライバーは継続的に増えています。過去の遺産ということでしょうか。

 

なかには Spotify などで聴けない、フィジカルでも発売されていないというものだってぼくのチャンネルにはちょっとだけならあるんで、そういうのは値打ちあるんじゃないかと自負していますけれど、大半は CD 買うか Spotify などでさがせば聴けるものです、ぼくが YouTube にあげているものはですね。でも大部なボックスのなかの一曲だったりするんで買ってほしいとは言いにくく、ぜひ紹介したいという一心でやっていたことなんです。

 

ここ数年は日本でもストリーミング・サーヴィスが普及したので、そういった大きなボックスものでも一曲単位で聴きやすくなりました。だからもはやぼくのチャンネルの価値は減じているなと思うんですよ。それでもなぜサブスクライバーが増え続けるのかは、端的に言ってタダで聴けるということに尽きるのではないでしょうか。YouTube も広告を消したりできるプレミアム・プランは些少額ですけど有料ですが、ふつうは無料のままで無限に聴けます。

 

無限に聴くならひと月980円なりを払わないといけない Spotify などとはここが大きな違いですよね。月に980円くらい払ったらどうなのか?とぼくなんか思うんですけど、そんな少額でもお金のかかることは遠慮したいという向きが多いんでしょうね。そうかと思うと、YouTube で試聴してそれをきっかけに数千円の CD を買うというひともいるみたいですから不思議です。

 

とにかく、今後も増え続けるのかはわからないぼくの YouTube チャンネルのサブスクライバー数。インターネットなので世界各地のかたがたにご登録いただいているようです。あきらかな日本語名と思える登録者は現在一名だけ。なかにはどこの国のかたなのか名前では判断できないばあいもあって、いずれにしてもありがたいことです。好意的なコメントをいただけることがほとんどで、うれしいかぎりです。

 

(written 2019.12.10)

2019/12/22

エピック・イン・ジャズ、最終回は『ザ・デュークス・メン』

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https://www.amazon.co.jp//dp/B00005ULFO/

 

エピック・イン・ジャズのシリーズ(全六枚)のことをいままで散発的に書いてきましたが、いよいよ今日で最終回であります。名盤『ザ・デュークス・メン』をとりあげます。いままでもこのシリーズのことを書く際には付記してきたことをくりかえしておきますと、エピック・イン・ジャズのシリーズは、第二次世界大戦後にエピックというレコード会社(コロンビア系)が LP 形式で発売した戦前ジャズ音源(もとは SP 盤で発売されたもの)の編集盤。編集盤といいましても、一人のジャズ・マンを特集していたり、一個のテーマのもと蒐集されたものですから、アルバムとして整った体裁があります。

 

ちょっとふりかえっておきましょう。まず最初ぼくがこのシリーズのことを書いた文章はこれ。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-c36a.html

 

一個一個の単独記事のリンクも貼っておきます。参考にしてください。


『チュー』チュー・ベリー https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/post-f6efb1.html


『レスター・リープス・イン』レスター・ヤング https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-31f4.html


『ホッジ・ポッジ』ジョニー・ホッジズ https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-ba6c1f.html


『テイク・イット、バニー!』バニー・ベリガン https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-790b.html


『ザ・ハケット・ホーン』ボビー・ハケット https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-4f6c.html

 

さて『ザ・デュークス・メン』ですけど、エピック・イン・ジャズのシリーズでこの一枚だけが単独の演奏家をフィーチャーしたアルバムではありません。アルバム題で推察できますように、デューク・エリントンが彼の楽団のサイド・メンたちを使って実施したスモール・コンボ録音を集めたものなんです。

 

主に1930年代にデュークは自楽団からのピック・アップ・メンバーでスモール・コンボを組み、主にコロンビア系レーベルにたくさん録音を残し、当時からレコード発売(もちろん SP 盤)されました。その多くが楽団サイド・メンのリーダー名義のもので、ぜんぶかきあつめれば100曲以上もあるはずです。いまだ全貌はリイシューされていません。

 

『ザ・デュークス・メン』はそんななかから四人、レックス・スチュワート(コルネット)、バーニー・ビガード(クラリネット)、ジョニー・ホッジズ(アルト・サックス)、クーティ・ウィリアムズ(トランペット)名義のレコード音源をそれぞれ四曲づつの計16曲収録したもの。録音は1936〜39年。

 

もちろんデュークの楽団員でどのコンボも編成され、だいたい六〜七人程度のばあいが多いです。こまかいことはネットにあるディスコグラフィなどくってみてください。すぐわかります。大切なことは、これらぜんぶ「デュークの音楽」であるということです。名義こそサイド・メンのリーダー・レコードのようになっていますが、編成も全員デュークの楽団員、御大もピアノと作編曲で全面的に参加しています。できあがりの音を聴けば瞭然としていますよね。

 

さて、『ザ・デュークス・メン』収録の全16曲のうち、個人的に特に好きなのは1「レクシェイシャス」(レックス・スチュワート)、5「クラウズ・イン・マイ・ハート」、7「キャラヴァン」、8「ストンピー・ジョーンズ」(以上バーニー・ビガード)、14「ブルー・レヴァリー」、15「エコーズ・オヴ・ハーレム」(以上クーティ・ウィリアムズ)なんですね。

 

これらはいずれの曲もデュークのアレンジメントが冴えていて、このひとにしか出せないデューク・カラーがスモール・コンボ編成のなかにもくっきりと横溢しているでしょう。聴けば、エリントン楽団をそのまま縮小化したような見事なサウンドを表現できていると、万人が納得できるはずです。ピアノ・スタイルだっていかにもデューク。

 

さらに、デュークの楽団をデュークの楽団たらしてめていたのは、サイド・メンたちの色とりどりの個性、独自の音色でもありましたね。上記の曲たちではそれもフル発揮されているがため、コンボ録音でありながら、一聴してデュークがそこにいるなと強く実感できるものです。また個々のサイド・メンの実力のほどを思い知ったりもしますね。

 

ことに「キャラヴァン」はこの『デュークス・メン』に収録されているヴァージョンが初演なんです。冒頭からまるでヴァイオリンみたいな音色で吹くファン・ティゾルが魅惑的でしょう。次いで出るプランジャー・ミュートをつけたクーティ・ウィリアムズも見事。ハリー・カーニー、バーニー・ビガードと名演が続きます。いやあ、たまりませんね。御大のアレンジも絶品。
https://www.youtube.com/watch?v=mKF2qlzdwlY

 

また、続く「ストンピー・ジョーンズ」はバーニー・ビガード畢竟の名演であります。この技巧のすばらしさ、疾走するスピード感、迫力、チャームなど、どこをとってもこれ以上のジャズ・クラリネット・ソロをさがすのがむずかしいと思うほどです。エリントン楽団ヴァージョンよりも出来はいいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=m09rAlyAYlI

 

クーティ・ウィリアムズ名義の「ブルー・レヴァリー」は、ベニー・グッドマンが1938年のカーネギー・ホール・コンサートで再現したほどの名演。これぞジャングル・サウンドともいうべきこのムードは、なんともいえず味わいがありますね。クーティとトリッキー・サム・ナントンのプランジャー・ミュートが冴えています。同様に「エコーズ・オヴ・ハーレム」も見事なジャングル・サウンドでしょうね。
https://www.youtube.com/watch?v=WHtEJxXpMIY
https://www.youtube.com/watch?v=ebjol82zTf4

 

(written 2019.12.5)

2019/12/21

猛烈なグルーヴ、すごいぞ、コノノ No.1 〜『キンシャサ 1978』

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https://open.spotify.com/album/7qhnWEhHl9uuNQUbSlSjVq?si=Tfcb3goZTcG37IOSC6M5Dw

 

今2019年にリリースされたアルバム『キンシャサ 1978』。フィジカルだと CD と LP が合体しているみたいですね。発掘&リミックス音源といっていいんでしょうか。Spotify で見るのをエル・スールのホーム・ページ記載の情報とつきあわせますと、1〜4曲目のマルタン・メソニエによる再構築が LP に収録されていて、5曲目以後の未発表音源は CD に収録ということですね。

 

それで CD 分と LP 分、どっちも四曲づつで、それぞれ一曲づつやっている音楽家もピッタリ同じ、聴いてみても…、ということであるいはぼくの推測が当たっているとするならば、『キンシャサ 1978』、LP 収録分でマルタン・メソニエが再構築しているその元の音源が CD 収録分であるということなのかもしれません。どうでしょうか?

 

ともあれ、『キンシャサ 1978』、ハイライトはどう聴いてもコノノ No.1でしょう。Spotify でこのアルバムを流していて、最初はお風呂につかりながらボンヤリと聞いていたんですけど、いきなりものすごい音楽が、それも長尺の、なんだかビリビリいうし、ナンジャコリャ〜!となったのがほかならぬこのアルバム5曲目のコノノ No.1の未発音源だったのです。いやあ、こりゃまったくもってものすごい!としか言いようがない!!

 

なにを隠そう、このときがぼくにとってのコノノ No.1初体験でした(えっ?)。そりゃあもうビックリしましたねえ。これ、親指ピアノでしょう、しかも電気アンプリファイドされていますよねえ、それがもうビリビリに歪んでいて、ノイズ寸前というか、こりゃもうほぼ(楽しい意味での)ノイズ・ミュージックでしょう。いやあ、やかましいったらありゃあしないヾ(๑╹◡╹)ノ。最高に楽しいじゃないですか。

 

背後で打楽器も聴こえますし、メンバーは(コール&レスポンスで)歌ってもいますよね。笛も入っています。でもあくまでメインはこのビリビリいう親指ピアノですね。彼らの弾くそれは同じフレーズを延々と反復しながらちょっとづつ変化させていくっていう、つまりアフリカ音楽に多いミニマル・ミュージックの手法をとっていますよね。同一フレーズの反復も、まずなんたってこの歪んだ音色が心地いいのでそれだけで延々と聴いていて快感だし、ちょっとづつズレていくことでこれまた違ったグルーヴを編み出しています。

 

親指ピアノの演奏がいったん止まって、打楽器と歌だけになり、ふたたび入ってくるあたりのスリルには本当に背筋がゾックゾクする思いです。この5曲目は28分間以上もあるんですけど、まさしくあっという間に終わってしまうような、そんな気持ちになってしまいます。もっと長く、一時間でも二時間でも、オールナイト・ロッキンしてほしいっていう、そんな感じですね。いやあ、最高にキモチええ〜!

 

同じコノノ No.1。2曲目のマルタン・メソニエによる再構築も楽しいですよね。ややテンポを落とし重心を低くしてグルーヴ・タイプを変え、そこにエレキ・ギター(?)やビート・ボックスというかデジタルなコンピューター・ビートを付与しています。そのことでやや混沌としている感もある(そこがいいんだけど)コノノ No.1の音楽を聴きやすく整理していますよね。それがいいかどうかは賛否あるでしょうけど、ぼくにはうれしかったですね。

 

5曲目のオリジナルも2曲目の再構築(いや、同じ音源であるかは不明ですけど)も、コノノ No.1の音楽は最高に激しくダンサブルで、クラブ・ミュージックとしてもカッコイイですよね。実際、世界の DJ 連中が使っているんじゃないでしょうか。名前だけは前々からよく見ていて、実は CD も持っているのに積んでいるだけになっていたコノノ No.1。完全にノックアウトされちゃいましたから、今後はどんどん聴いていきます。

 

(written 2019.12.13)

2019/12/20

オス・ノーヴォス・バイアーノスとの出会い

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https://open.spotify.com/album/5pIlMNPZh4D9iJSoCfMzGi?si=P_GHVXe6QoCudhewW7VUUA

 

オス・ノーヴォス・バイアーノス1972年の『Acabou Chorare』。これ、傑作ですよねえ。バイアーノスっていうくらいだからバイーア出身者で編成されたバンドかと思いきや、そうでもないみたいです。ブラジル各地から集まってきて、ヒッピー的なコミューンを形成していたんだそうですね。でもオス・ノーヴォス・バイアーノスについてはぼくはなにも知りません。Twitter をぶらついていて(だいたいいつもそうですけど)偶然このバンドとこのアルバムのことを知って、ちょっと聴いてみたらいいなと思っただけです。

 

アルバム『アカボウ・ショラーレ』では、どっちかというとアクースティック・サウンドのほうが多いですよね。なかには3曲目みたいにエレキ・ギターが派手に鳴るロック調のものもありますけど、例外的なように思えます。ほかの曲はほとんどアクースティック・ギターをサウンドの中心に据えたものばかりですから。

 

それで全体的にはかなり落ち着いていて、サンバ、ボサ・ノーヴァなどを基軸としながらも彼らにしかできない独自の MPB を生み出しているという感じでしょうか。アルバム中ぼくが特に気に入っているのがサンバっぽいリズムを部分的に活用した1曲目(でもサンバ楽曲じゃない)、これまた落ち着いたナイロン弦ギターの響きがいい2曲目(弾き語り?)、アルバム・タイトルになっている5曲目(ちょっぴりボサ・ノーヴァっぽいリズム?)。

 

さらにアルバム後半に来て、同語反復が楽しい8曲目(これはサンバだよね、間違いなく)、エレキ・ギターも使いやや派手なリズムがバイーアっぽいインストルメンタルな9曲目(アルバム全体はクールに落ち着いているので例外的かも、でもかなりおもしろい)、これまたバイーアっぽい跳ねるリズムのラスト10曲目(これもちょっぴりにぎやか)なども好きですね。

 

オス・ノーヴォス・バイアーノスというバンドが均質性をよしとしない雑種な集団だったように、アルバム『アカボウ・ショラーレ』も雑多な音楽で満たされていて、一個の焦点を結ばないっていうかひろがりのあるまぜこぜなところ、そのあたりもぼくはかなり気に入っています。

 

(written 2019.12.4)

2019/12/19

オルジナリウス松山公演 2019.12.17

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開演ブザーが鳴ったとき、客席はまばら。キャパ2000人の松山市民会館大ホールは半分くらいしか埋まってなかったんじゃないでしょうか。やはり松山でのオルジナリウス公演はなかなかたいへんだよなあと思ったんですけど、それでもメンバーたちは全力を尽くしてエンターテイメントに徹してくれました。CD で聴くこのヴォーカル・グループのハーモニーの楽しさがそのままステージにあったんですね。いやあ、実に楽しかったです。

 

幕が開くと、そこにはまず映画館のスクリーンのようなものがあって、ブラジル音楽、特にヴォーカル・グループの歴史が簡単に紹介されました。個人的には知っている内容でしたが、一般のお客さん向けにオルジナリウスを楽しむための必要知識として映し出されたのでしょう。それが二、三分ほどあったでしょうか、終わるとスクリーンが上がり、そこにオルジナリウスのメンバーが立っていました。

 

オルジナリウスのステージは二部構成。一部ではいままでに発売されているもののなかから、それもカルメン・ミランダのレパートリーや彼女に関連した曲を中心に、やったように思います。ブラジル音楽、それもヴォーカル・ハーモニーの楽しさをまず知ってほしいという意味でそういった構成にしたのかもしれないですね。CD で親しんでいる曲がどんどん並ぶので、おなじみの世界をあらためて味わっているような、そんな親しみがありました。ほかのお客さんたちはどうだったでしょうか。

 

どの曲のアレンジも CD ヴァージョンどおりでしたが、随所にライヴ・ステージならではというパートもふくまれていて、ライヴ・パフォーマンスで観客にアピールするという意味での、ヴィジュアル面あわせ、強調や緩急や激しさも聴けました。そういったところは CD では味わえないところですよね。特に見た目の演出、ダンスやちょっとした動作など、ステージ・パフォーマンスも考え抜かれているなと感じました。

 

日本公演ははじめてだったとはいえ、ブラジル国内外でライヴ経験を積み重ねているオルジナリウスですから、ヴォーカル面やヴィジュアル面での演出もすっかりお手のものなのかもしれないです。歌っているのは六人(男女三人づつ)。計七人のメンバーのうち一人、マテウスははパーカッション専門で歌いませんでした。そのマテウスのパーカッションなんですけど、実にうまかったですね。正確無比のひとこと。しかも柔軟で多彩、一曲のなかでも自在にリズムを変化させていました。しかもそれとわからないくらい微妙に。そのおかげで、聴き手が意識しなくても曲に陰影が生まれていましたね。

 

ライヴならではといえば、一部で「アデウス・バトゥカーダ」をやったんですけど、それへの導入部として、二名によるパンデイロ妙技のかけあいインストルメンタル・パートがありました。一名はマテウス、もう一名は歌やカヴァキーニョもやったファビアーノがパンデイロを持ちました(ファビアーノは歌のあいまあいまに打楽器を演奏していた)。バトゥカーダということで、打楽器合奏パートをくっつけたんでしょうね。

 

一部で歌った曲のなかには CD に収録されていないものだって少しありましたよ。イヴォーニ・ララの「Alguém Me Avisou」や、ジャコー・ド・バンドリンの「Santa Morena」(アンダルシアふう)、さらに一部のラストではカルメン・ミランダに提供されながら彼女は歌わなかった「Brasil Pandeiro」もやりましたね。全体的に一部は(ぼくには)親しみやすさが前面に出ていたように思います。

 

二部の出だしではちょっとビックリしました。プロテスト・ソングをやったからです。シコ・ブアルキとジルベルト・ジルの「Cálice」。1970年代のブラジル軍政下でつくられ歌われた曲ですよね。オルジナリウスもこんな社会派な曲を歌うんですね。コンサート全体をとおし、この曲でだけシリアスさが際立っていました。ここではハーモニーの楽しさよりも、リーダーのアウグストがひとりでギターで弾き語るのがメインでした。歌詞も重要ということで、一曲ぜんぶの和訳がスクリーンに映し出されました。

 

そうそう、スクリーンに映し出されといえば、ステージ背後にどの曲もぜんぶ曲紹介が出ていたんですね。だれの書いたどんな曲かという説明が日本語で出ていました。さらにいえば、メンバーがポルトガル語でしゃべる内容も大意が和訳され映し出されていたんです。盛り上げどころ(「さあみなさんもいっしょに手拍子を!」など)も出ていたし、つまりこのオルジナリウスのライヴ・ステージは全曲セット・リストが固定されていて、しゃべる内容もあらかじめ決められていたということです。

 

二部のステージではおなじみのボサ・ノーヴァ・ナンバー(「Wave」「Garota de Ipanema」)が続けざまに歌われるパートがあって、「イパネマの娘」では歓声が上がりましたから、オルジナリウス側の目論見は成功したといえるでしょう。レゲエのジョニー・ナッシュの曲をやったり、日本向けのサービスとして松任谷由美の「ルージュの伝言」をオルジナリウスふうにアレンジして日本語で歌ったり、最後のほうでは有名曲「Mas Que Nada」を客席といっしょに合唱したりなど、とことんファン・サービスに徹していましたねえ。

 

一部開幕の最初のほうではかたかった客席の反応も、二部になりどんどんほぐれてきて、最後は立ち上がって踊り出すことになりましたから、ホールの半分しかお客さんが入っていなかったとはいえ、結局はオルジナリウスの音楽の楽しさが伝わったと言えるでしょう。その意味でも大成功のライヴでした。なによりぼくはたいへんに楽しかったし、前後左右に座ったお客さんの反応から同様に感じていることが伝わってきました。

 

音楽的は聴きやすい洗練されたハーモニー・ワーク、微妙に変化して曲にダイナミズムをもたらす陰影に富むリズム表現など、意識しないとわからない程度ですけど、たんにわかりやすく底抜けに楽しいヴォーカル・グループというだけでなく、いや、その魅力を最大限に発揮するために凝らされた工夫も聴きとれて、なかなかうなる場面もあって、収穫がありましたよ。ステージのラストのほうでは、もうすぐ次のアルバムがリリースされることも言われましたので、楽しみです。

 


セット・リスト
(一部)
・South American Way
・Na Baixa do Sapateiro
・Tico Tico No Fuba
・Linda Flor
・Disseram Que Eu Voltei Americanizada
・O Samba E O Tango
・Adeus Batucada
・Auguém Me Avisou
・Um Chorinho Em Cochabamba
・Santa Morena
・Brasil Pandeiro

(二部)
・Cálice
・A Rã
・Estrada do Sol
・Wave
・Garota de Ipanema
・André de Sapato Novo
・Baião de Quatro Toques
・I Can See Clearly Now
・ルージュの伝言
・Cantar
・Mas Que Nada
・Feminina
・O Que É Que A Bahiana Tem

 

(written 2019.12.18)

2019/12/18

ミナスなシルヴァーナ・マルタが最高に心地いい

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https://open.spotify.com/album/6GeWlySIuLs478aEfKRIrE?si=lo6LZkcjRmSzhiVaqD3C9Q

 

いやあ、こりゃあいい音楽です!傑作でしょう。最高に気持ちいい、デンマーク在住のブラジル人歌手シルヴァーナ・マルタの『Céu De Brasilia』(2005)。プロデュースがトニーニョ・オルタで、演奏にもギター(と一部ヴォーカルでも)で全面参加(打楽器はアイアート・モレイラ)。それを知らなくたって聴けばミナス音楽だなとよくわかります。

 

ミナス嫌いなぼくでも、このシルヴァーナのアルバムには完全降参なんですね。なんたって気持ちいいんだも〜ん。アルバムはいかにもミナス派らしい、フワ〜っと漂うアンビエンスみたいな曲と、ビートの効いたグルーヴ・ナンバーに大別できると思いますが、どっちもすばらしく、ミナス音楽の(ぼくにもわかる)美点が完璧100%表出され、結晶化したような、奇跡の宝石ですね、これは。

 

1曲目のナイロン弦ギター刻みからしてたまらない快感ですが、そうかトニーニョってこういうギターを弾くんですね。それにスキャットでシルヴァーナがからんでいくあたりから最高のムード。ミナスらしくこのアルバムでのシルヴァーナは歌詞をあまり歌わず音だけでハミングのようにして乗っかっていることが多いんですね。それが心地いいんです。

 

アイアートも入ってきて1曲目はかなり強くグルーヴするようになりますが、そうなってからはまるで夢心地ですよ。こんなオープニングだけで傑作アルバムだとわかりますが、ミナス派らしいアンビエンスの2、4曲目だって気持ちいいですよ。たぶん個人的にはウェイン・ショーター+ミルトン・ナシメントの『ネイティヴ・ダンサー』で聴き慣れているおかげなんでしょうね。もっとも2曲目は途中から軽めのビートが快活に効きはじめます。そんなところもいかにもミナス。

 

3曲目なんかファンキーですらあって、いいなあこりゃ。個人的にこのアルバムでいちばんのお気に入りがこれです。シルヴァーナのスキャットも歯切れよく快調、ビートも跳ねているし、いやあ最高に気持ちエエ〜。途中から叫び声のように入ってくるのはたぶんアイアートでしょう。その部分では本当にビートが強く効いていて、打楽器群がにぎやかで、もうたまりません。ミナス音楽もこんなのばかりなら大好きなジャンルなんだけどな〜。

 

4曲目でのトニーニョのエレキ・ギター・ソロはまるでパット・マシーニーみたいで大好きですねえ。って順序が逆ですけども、トニーニョのギター・スタイルがパットに大きな影響を与えているんでしょう。それにしてもこの盛り上がるセンティメント、最高のフィーリングじゃないでしょうか。箱物ギターじゃないと出せないこのサウンドがいい。ブラシでバッキングするアイアートもうまいです。

 

ナイロン弦ギター一台だけの伴奏でシルヴァーナがしっとりと歌うバラードの7曲目もすばらしいし、こういったのはミナスうんぬんじゃなくて普遍的な美ですね。これが終わると、ふたたびビートが軽く効いている8曲目が来るし、ラスト9曲目は典型的なミナス・ミュージックみたいな曲で、これも快感。シルヴァーナの声質がぼくにはピッタリくるせいなのか、大傑作アルバムだとしか思えないですね。トニーニョのプロデュースも完璧でしょう。

 

(written 2019.12.3)

2019/12/17

アラブ歌謡を歌うイスラエル人歌手 〜 ディクラ

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https://open.spotify.com/album/07ueGqxIoWBae75gO1KIgE?si=wF6kOi_-Rim8KJS5TRt_9g
(11、12曲目はリミックスの模様)

 

どうもこのディクラ(Dikla) というひとはイスラエルの歌手らしいんですが、やっているのはアラブ歌謡ですね。母がエジプト出身、父がイラク出身ということで、そんなルーツも関係あるのかないのか、でも最近イスラエルではアラブ音楽をやるのが流行っていうか、けっこうやっているひといますよね。そんな流れのなかにディクラもいるのかも。イスラエルでは人気の歌手なんだそう。

 

そんなディクラの2014年盤、Spotify ので見ると(一部の英語を除き)チンプンカンプンですが、ぼくがこのアルバムを発見したエル・スールのホーム・ページ情報によればライスから日本盤も出ているそうで、そのタイトルが『別れの予感』。エル・スールの HP には曲目の日本語題も掲載されています。ディクラが歌っているのはイスラエルということでヘブライ語のようで、一部は英語ですね。
http://elsurrecords.com/2019/11/11/dikla-if-we-should-part/

 

つまりなんだか別れの歌、愛の歌ばかりということみたいです。聴いてみると、たしかにそんな哀感が流れているように聴こえますが、しかしアラブ歌謡の世界によくある濃厚で強い情緒をグリグリと表現するという感じではないですね、このディクラは。もっとあっさりというか、ときにフォーキーさすら漂わせ、サラリと流すように歌っています。こういったスタイルの持ち主なんでしょうかね。

 

伴奏もアクースティック・ギターやあっさりめのエレキ・ギターがわりと使われていて、ちょっぴりアメリカンなロックっぽい雰囲気もあります。リズム・セクションも米英ポップスのそれ。その上にシンセサイザーなのか生演奏か、ストリングスも乗っかっています。伴奏陣のアレンジも決して濃すぎず、流れるようなシンプルさで(アラブ歌謡にありがちな)おおげささがないのがかえっていいです。

 

そしてディクラの濃くないあっさりヴォーカルが乗っているというわけです。ディクラはコブシもほとんどまわしませんし、ヴィブラートもつけませんし、声も揺れていません。アラブ歌謡という世界のなかでは珍しいんじゃないかと思わないでもないですけど、こういうひともいるんでしょう。ちょっぴりジャジーで、ときたまラテン・テイストも聴けますね。10曲目なんかはいかにもなオリエンタルなエキゾ風味で、ぼくは好きですね。

 

(written 2019.12.2)

2019/12/16

岩佐美咲杯少年サッカー大会(夢)

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またもや今朝見た夢の話です。その夢のなかでぼくは少年サッカーの大会に出場していました。プレイイング・マネージャーとして。監督としてなら問題ないとして、少年サッカーの試合なのに中年のぼくが選手として出場するなんてオカシイですけど、そこは夢だから。見た夢のなかでやった試合は一つだけですが、なにかの大会だったように思いますので、たくさん試合があったでしょう。

 

その少年サッカーの大会は、なんと<岩佐美咲杯>と銘打たれていたんですね。ここが音楽と結びつくところなんですけど、サッカーの世界では、たとえばスペインの国王杯とか日本の天皇杯とか、個人名を冠した大会はよくあるんです。でも岩佐美咲杯とか、いち歌手名を冠したカップ戦なんて、たぶん聞いたことないですよねえ。

 

ところでいまでこそ音楽ひとすじでやっているようなぼくですけど、若いころサッカー選手だった経験があるんですね。だからこそサッカーをプレイする場面が夢に出てきたわけですけど、実は指導者としての経験もあります、というとちょっとおおげさですけど、東京での大学教員時代にサッカー・サークルの顧問を長らくやっていました。練習(内試合も)を見にいってアドヴァイスしたりなんてことがよくあったんです。いっしょにボールを蹴ったりもしていましたよ。

 

それにくわえ、いまは熱心な岩佐美咲ファンですから、それで今朝方見た夢のような内容になったんだと思います。ぼくがプレイイング・マネージャーとして出場した試合では、なぜだか岩佐美咲の歌が BGM としてずっと試合会場に流れていました。笑っちゃうでしょう、そんなこと、現実のサッカーの試合ではありえないことです(サポーターが応援のチャントをずっと歌っているのは日常ですけど)。でもそこは夢だから。

 

しかもですよ、その BGM として流れていた岩佐美咲の歌は、なんと新曲だったんですよね。聴いたこともないのにどうして新曲とわかるのか不思議な気もしますが、カヴァー・ソングじゃないし発売されているオリジナルでもないしということで、来2020年に発売されるであろう新曲なんだなと判断しました。

 

出場したサッカーの試合会場で流れていた岩佐美咲の新曲は、かなりハッキリと鮮明に流れていましたねえ。どんな感じの曲だったのか?それはもうだいぶ忘れてしまいました、が、おぼろな記憶をたぐって書いておきますと、たぶん演歌というより歌謡曲 or ポップスみたいな軽い曲調で、しかしながらズンドコのマーチ調で(ヘンですよねえ)、親しみやすいメロディと歌詞だったように思います。決して激烈濃厚演歌ではなかったです。もっとポップなフィーリングでした。

 

これはあれでしょうか、岩佐美咲の新曲がそろそろ来年二月あたりに発売されるであろうことが予想されているわけで、だから水面下でもう活動はしているはずでしょうし、ってなことが岩佐美咲ファンのみなさんのあいだでも話題になっているしぼくも最近ふだんから気にしているし、というようなことがあるので、夢に出てきたんでしょうかねえ。

 

しかし起きているあいだに聴いたことのない新曲が夢のなかで鮮明に鳴るというのも不思議な話です。ぼくのばあい、そんな感じで未知の音楽を夢で聴くということがときたまあるんですね。たいていは知っている音楽に類似したものが聴こえる、既知の音源要素を組み合わせて未知が鳴るということなんですけど、今朝夢で聴いた岩佐美咲の新曲は、なんだかかなり新鮮な、つまりまったく聴いたことのないものでした。

 

そんな岩佐美咲の(仮想)新曲を耳にしながらチームの少年たちやぼくはサッカーの試合を戦ったんです。一試合だけ。ぼくはけっこう活躍しましたよ。ポジションは(現役時代そのままの)右サイド FW。これはもう体が憶えている、刻み込まれている動きの記憶なんで、そのまま夢に出たんでしょうね。少年たちに混じって、監督だから指揮もしながら、けっこうオジサンがんばりました。

 

大会が終わったら、優勝チームに、振袖姿の岩佐美咲から優勝杯(岩佐美咲杯)の贈呈とことばがありました。ぼくらは負けちゃったんで、もらえませんでしたけれども。終わってロッカー・ルームへ帰る会場内の道すがら相手チームのメンバーから「あんたがいちばんすごかったよ」となぜか英語で褒めてもらいました。うれしかったなあ。

 

(written 2019.12.15)

2019/12/15

仮想コルトレイン・カルテット? 〜『ザ・リアル・マッコイ』

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https://open.spotify.com/album/22HoIP0ai6Wikh4R8yM0AX?si=B-q0t7QCSLGBZdF6eNXVwA

 

マッコイ・タイナーのブルー・ノート盤『ザ・リアル・マッコイ』(1967)。マッコイ、ジョー・ヘンダスン、ロン・カーター、エルヴィン・ジョーンズという鉄壁の布陣です。このアルバムでは1曲目の「パッション・ダンス」と3「フォー・バイ・ファイヴ」がなかでも抜きに出てすんばらしいと思うんですね。特にマッコイとエルヴィン。ふたりともすでにジョン・コルトレインのバンドを離れていましたが、ここでは本当に息ピッタリの超絶プレイぶり。

 

そんな二名にあおられてかテナー・サックスで参加のジョー・ヘンダスンがまるでコルトレインばりの吹きっぷりですから、ワン・ホーン・カルテット編成のこのアルバムは、さながら仮想ジョン・コルトレイン・カルテットとでもいうような内容といえるでしょうね。1967年といえば夏にトレインは亡くなりますが、もしもフリーというかアトーナルな世界に踏み込まずメインストリーマーのままでいたらトレインはこんな感じになった、というようなものとして聴けるのかも。

 

ともあれ1曲目の「パッション・ダンス」。曲題どおりの激しい演奏で、パッショネイトで、これはなかなかの聴きものです。四人ともすばらしい演奏ぶりですが、特にドラムスのエルヴィンのかっとびぶりが目立ちます。テーマ演奏部でのこの複雑に入り組んだリズム表現など、どうでしょう、すごいじゃないですか。シンバルやリム・ショットの使いかたなど、目を見張るものがありますね。

 

もうそのエルヴィン爆発のテーマ演奏部を聴いただけでこの「パッション・ダンス」のトリコとなってしまうほどですが、アド・リブ・ソロ部になるとエルヴィンはいったん落ち着いてやや定常表現にいたります。しかしそこからはマッコイとジョーヘンが熱い演奏をくりひろげているので、熱は冷めないですね。マッコイはトレインのバンドでこれくらい演奏していたと思いますが、二番手で出るジョーヘンもかなりのものですよ。

 

ほぼトレインが(死ぬ前だけど)乗り移ったようなそんなテナーの吹きっぷりをジョーヘンは聴かせてくれているなと思うんですね。ときどきフリーキーに音がかすれたりしている部分など、まるでソックリ。三番手でエルヴィンのドラムス・ソロもありますが、マッコイ、ジョーヘン二名の激アツなソロ内容と、テーマ演奏部でのエルヴィンの複雑な叩きっぷりで、この曲「パッション・ダンス」は決まりです。最終テーマ演奏後のマッコイとジョーヘンの掛け合いも熱いし、いやあ、見事な8分47秒です。

 

ちょっとひょうきんなテーマを持つ3曲目「フォー・バイ・ファイヴ」でのマッコイとジョーヘンもソロがすばらしく熱いですが、ハービー・ハンコックっぽい新感覚のバラードである4曲目「サーチ・フォー・ピース」も完璧なる新主流派スタイル。また、ちょっぴり古めの題材というふうに聴こえるほかの二曲でも、演奏内容は新世代のものとなっていて、特にラスト5曲目なんかただのブルーズなんですけど、こういう感じにやるのが1967年当時の新世代的ジャズ・ブルーズ表現だったんでしょうね。

 

(written 2019.12.1)

2019/12/14

音楽系サブスクは流し聴きになりがち??

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という意見をネット上でいくつも見ています。Spotify や Apple Music などストリーミング・サーヴィスのことですね。だからしっかり聴くにはフィジカルに向かいがちなんだそう。でもこれ、はたして真実でしょうか?すくなくともぼくには当てはまりませんので、普遍的な真実とは言えないでしょう。

 

主に経済的理由によって、今年の七月末ごろからぼくはもうほとんど CD を買わなくなっています。こんな作品があるんだと知ったばあい、すぐに Spotify でさがす癖がすっかり身につきました。あればそのまま聴き、なければ CD がないかどうか見てみますけど、見つかってもあまり買わなくなりましたね。習慣とはおそろしいものです。

 

で、それまで CD か、そこからインポートした iTunes ファイルで舐め尽くすようにしっかり聴いていた音楽作品を、いまは Spotify で聴いていて、同じことができているという自覚がぼくにはあります。ブログでとりあげて書いているアルバムなどだって、もうフィジカルではぜんぜん買ってないんですよ。サブスクで聴いて感想を書いているだけです。

 

それでもたんなる流し聴きしかできないとか向き合えないとか、そんなことはないです、ぼくのばあいはですね。もちろん試聴機みたいな使いかたもしているんですけれど。これはどんなもんかなとちょっと覗いてみるということですけど、それでなかなかよかったから CD を、とはもはやいまのぼくはなっていないです。そのままもう一回しっかりと Spotify で聴きなおすだけです。

 

音楽をしっかり聴いて、なんらかの感想を持つとか文章を書くとか、そういったことがサブスクではやりにくいというのは、だから幻想だと思うんですよね。世代っていうか、いや、ぼくも高齢、ではないにせよそこそこいい歳です。レコード、CD 世代なんですけど、いまやすっかりサブスクに移行してしまいました。

 

部屋のなかで、外出・旅行先で、移動の交通機関のなかで、ただ BGM 的にだらだら流し聴きにするのも Spotify ですけど、さぁ聴くぞ!と気合を入れてというか腰を据えてしっかり向き合うのも Spotify なんですね、ぼくはね。みなさんのことはわかりませんし、ぼくのこの態度というか習慣はどうだなんていうつもりもさらさらないんです。個人的にはこうなっているよというだけの話です。

 

でも最低でも一人、あるいはたぶん何人もいるでしょうから、サブスクというかストリーミングがしっかり聴きに向かないとか、フィジカルじゃないと聴き込めないとか、そんなことはないんだぞということだけは言えるなと思うんですね。ネットで見つからないものはフィジカル買えばいいよねと思うんですけれど、いったんネット聴きの習慣が身に染みてしまうとそうならなくなるのは、ちょっと考えないとなとは思っています。

 

とにかく、音楽系サブスクは流し聴き、試聴しかできないとか、しっかり聴きはできないとか、そういった言い分は、そういうひともいればそうでないひともいるっていうだけのことだとは確実に言えます。たんなる習慣とか癖の問題でしかないでしょう。ぼくもしばらく時間がかかったのではありますけれども。

 

(written 2019.12.1)

2019/12/13

中近東ふうなステファン・ツァピス

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https://open.spotify.com/album/7EOcJa8Qt7t6I69fZkx9cy?si=XmIzzcfBQqKaPdSn0lr2Dg

 

ギリシアとフランスにルーツを持つらしいステファン・ツァピス(Stéphane Tsapis)は、パリ在住の新世代ジャズ・ピアニスト。しかしその2019年作『ル・ツァピス・ヴォラン』で印象に残るのはピアノ演奏ではなく、女性ヴォーカル陣ですよね。もちろんピアノ演奏を聴かせるインストルメンタル・ナンバーだっていくつもありますよ。それらだって楽しいんですけれども。

 

そんでもってインスト・ナンバーでもヴォーカル・ナンバーでもこのステファンのアルバムで一貫して感じるのはアラブというか中近東風味ですね。このピアニストの出自とか現在の活動地とか見ていると、中近東の音楽と関係あるのかないのかよくわかりませんけど、このアルバムではわりとはっきりしたアラブ音楽の音階と旋律つくりを聴きとることができるなと思います。

 

そんなところがぼくのお気に入りになっているところなんですけど、曲によって哀感を持ちながらふわっとヴェールのように漂ったりするものもあれば、強く鮮明にグルーヴィなものだってありますね。グルーヴ・ナンバーではそのリズム・タイプも中近東音楽ふうにぼくには聴こえ、これ、いったいどこが新世代ジャズ・ピアニストなんですかね。

 

いや、けなしているわけじゃなくて、このアルバムみたいな音楽やそれをやる音楽家なら好きです。曲はもちろんぜんぶステファンの自作でしょうし、女性ヴォーカルのアレンジもやっているはず。ヴォーカルにしっかりした歌詞らしいことばはないばあいが多く「あぁ〜」「うぅ〜」とか言っているだけで、まるで立ち込める幕とか霧みたいなヴォイス活用法ですね。ちょっとアンビエンスっぽい?6曲目は日本語が使われています。どう聴いてもネイティヴの日本語話者ですね。

 

そういえば、ステファンのピアノ演奏によるメロディ・ラインも、無国籍ふうと思わせながら、やっぱり中近東のアラブふうなところが漂っていますし、それに<オリエンタル・ピアノ>とクレジットされているものも弾いているみたいで、それはどの音でしょう、この(アメリカでいえば)ホンキー・トンクなタック・ピアノみたいな音がそうなんでしょうか?アルバムではエレピも使われています。

 

オリエンタル・ピアノ(というのがなんなのかイマイチわかりきりませんが)だけでなく、ふつうのアクースティック・ピアノでも、ステファンはわりと中近東音楽ふうなフレイジングをしていますから、女性ヴォーカルのラインもそれにあわせて同趣向にアレンジしているというわけで、全体的にミステリアスなムードも漂わせ、なかなか雰囲気のある好作品だと思います。

 

(written 2019.11.30)

2019/12/12

モダン・ジャズがいいなと思うとき

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それはあからさまに楽しげでもあからさまに哀しげでもなく、ニュートラルっていうか情緒感が中間的っていうか曖昧っていうか、乾いているのが助かると思うときなんですね。聴き手であるぼくのフィーリングがなにか特定のネガティヴな落ち込み傾向にあるときに、聴く音楽が共振を起こすような暗いものでもダメだし、あまり明るく楽しげでもシラけてしまうっていう、そういうときモダン・ジャズだと助かります。

 

だからそういった情緒感をモダン・ジャズは消していると思うんですね。一般にジャズはそうかもしれませんけど、ビ・バップ勃興前までの古典ジャズだとすこし違うような気がぼくはします。もっとこう、はっきりした感情表現があったと思うんですね。ふだん、ぼくはそういった音楽のほうが好みです。ジャズだって古典ジャズのほうがどっちかというと好きですからね。あまり抽象的じゃありませんし。

 

ビ・バップ革命によってジャズはそうした感情表現を、失ったというと語弊があるかもですけど、消す方向へ進んだなあと思うわけです。チャーリー・パーカーがラヴ・バラードを演奏するのを聴いて、ああすばらしい表現だとは思うものの、うれしいとかかなしいとか、そういった特定の情緒を感じることはないでしょう。パーカーだけじゃありません、一般にモダン・ジャズとはそういったものです。

 

それは決して悪いことじゃないんですね。ジャズ・ミュージックが、ある一定の表現領域に踏み込むためには必然的な展開でした。そして、そういったモダン・ジャズの無情緒感が、聴くときの心境によってはこっちの気持ちに寄り添ってくれるなと思うときが確実にあるんです。楽しいときうれしいときは、だれだってそれを増幅したいでしょう、だからそうなる音楽を聴けばいい。ですけれど、暗く哀しいとき、あるいはつらい気分のときは、それを癒してくれる音楽がいいです。

 

ぼくのばあいもその癒しを与えてくれる音楽がいろいろとありますが、モダン・ジャズの、あたかも一見聴き手の心境を撫でてくれたりはしないような乾いた硬質でニュートラルな感じが、かえってこっちの心境にピッタリくるなと感じることも多いんです。もちろん鄧麗君(テレサ・テン)とか原田知世とか、あるいは岩佐美咲など、それなりにぼくも癒しの音楽を持っていますけど、モダン・ジャズもいいんですよね。

 

(written 2019.11.30)

2019/12/11

ルンバ・コンゴレーズが楽しすぎる 〜『コンゴ・レヴォルーション』

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https://open.spotify.com/album/3Sepc0LPMxIfShjWQ31B9G?si=Dw9g0mvqSPWj-kYy2OUcCg

 

コンピレイション盤『コンゴ・レヴォルーション:レヴォルーショナリー・アンド・エヴォルーショナリー・サウンズ・フロム・ザ・トゥー・コンゴズ 1955-62』(2019)。1955〜62年のシングル盤録音集で、これ、かなり楽しいですよ。コンゴの独立は1960年。だからちょうどその直前直後の音源集ということになりますね。収録されているのは、ほぼすべてが(コンゴのいわゆる)ルンバみたいです。そ〜れが!もうどれもこれも楽しいんですよ。

 

アルバム『コンゴ・レヴォルーション』を聴いていって最初に、いや、どれもいいんですけど特にオオッ!ってなるのが4曲目、Edo et O.K. Jazz の演奏です。こりゃ最高じゃないですか。このグルーヴがですね、超キモチエエ〜!ところでこのコンピレイションにはフランコのバンドの演奏がわりと入っていると思うんですけど、Edo et O.K. Jazz っていうのはどうなんでしょう?O.K. Jazz となっているのはぜんぶフランコのバンドですか?なにもわかっていません。

 

そういえば以前 Astral さんもおっしゃっていましたね、フランコのバンドはストリーミングで見ると名義がさまざまだから探しにくいと。ぼくもこれを実感しています。『コンゴ・レヴォルーション』だと、フランコの名前が出ているのは一曲だけですけれども(8曲目)、ほかも O.K. Jazz となっているのは同じバンドなんじゃないかと思えないでもないです。

 

そのフランコの名前の出ている8曲目なんかも、たいへんまろやかな味わいで、これぞルンバ・コンゴレーズ、いやすばらしいですね。これを聴き、ほかの(フランコとの記載なくとも)O.K. Jazz となっている曲を聴けば、やはりこりゃ同じフランコのバンドですよねえ?違います?とにかくどれもコクのあるいい味わいで、グルーヴィだし、こんなにも楽しめる音楽って世界でほかにはすくないでしょう。

 

そのほか『コンゴ・レヴォルーション』だと、たとえば African Jazz と書いてあるものもすんごく楽しいですよね。11曲目とか17曲目、20曲目など、文句なしの極上グルーヴ。楽しいったらありゃしない。フランコのバンドでもそうですけど、エレキ・ギターの弾きかたがまろやかで、たいへんぼく好みです。ルンバ・コンゴレーズはどれを聴いてもそうですけどね。

 

12曲目の Dewayon, Conga Jazz だってエレキ・ギターと打楽器の使いかたが最高で、グルーヴィだし、15、18曲目の Rock-A-Mambo もすばらしい。いやホント、このコンピレイション・アルバム『コンゴ・レヴォルーション』は楽しすぎますよ。時期としてはコンゴ独立前後にあたるということで、音楽的にはルンバ円熟期じゃないでしょうか。キューバ音楽からの影響もよくわかります。

 

(written 2019.11.29)

2019/12/10

倦怠期ブログ Black Beauty?

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2015年9月3日にはじめてからの数年間はこのブログの記事用の文章を書くときに、書きながらハイになって脳が興奮状態で、どんどん書きまくっていたぼくも、最近、いつごろからかな、今年の夏くらいからかな、(よく言えば)落ち着いてきて(わるく言えば)気分が萎え気味で、文章を書き終えても、なんらの達成感、到達感もありません。

 

これはこんなもんなんでしょうか?こんなにどんどん文章を書きまくる数年間というのは人生初で、だからよくわかっていないんですけど、音楽関係の文章を書いて自分で楽しいとかおもしろいとかいうような感覚がやや失せ気味になってきているような気がします、ここ数ヶ月間は。はじめの三年ほどあんなに充実していたのが、まるでちょっとウソのような感じに、いまなってきているんですね。

 

それでも取り組めばいちおうなにがしか書き上がりますし、内容的にちょっと落ちたかな?と思わないでもないですけど、それでも以前とそんなに大きくは変わらない一定水準は保持できているかなという気がします。しかし夢中でキーボードを叩いていたあの感覚はもはやなく、ある種醒めているというか、のめり込みが弱くはなっているんですけれども。

 

あと、執筆時間が短くなっています。それと並行するように文章も短めになってきていますよね。以前は一個の記事を書くのに一時間半くらいかかっていましたが、いまは約30分ですね。文章が短めになっていることも一因ですが、なんだか熱心に取り組めないのでもうこのへんでいいや、と思って終わらせてしまうことが多いんですね。

 

短めといいましても、以前のぼくに比べてということですから、みなさんのブログを拝見しているとぼくの文章はまだまだ長いようです。書きはじめれば一定の長さを書かずには終われないという、一種のこう(無意識の)強迫観念みたいなものがぼくのなかにあるかもしれないですね。もうちょっと気を楽に持って、もっとドラスティックにグッと短い文章でもいいんだぞ、と自分に言い聞かせたいところです。ホントもっと短くてもいいんですよねえ?

 

音楽を聴いての感動、興奮、感銘は変わらずなんですけど、そこからブログ用に文章を書く際に、もはや熱意がない、ってことはないけれどやや冷めているだとか、書きながら(特に書きはじめで)ちょっと気分が萎えてしまうこともあるだとか、それでも柳美里さんのおっしゃる「ダメだと思ってもあきらめずに書き続け」るのがコツだということばを支えになんとかやっていますけど(途中から気分が乗ってくることも多いし)、こんなこと書いてもなぁという気分に襲われることだってしばしばです、最近は。

 

しかしですね、過去のぼくのブログ記事をたまに読みなおしますと、まさに「こんなこと書いてもなぁ」といったようなことが満載で(苦笑)、よくこれで書いていてイヤにならなかったもんだ、恥ずかしくなかったのかと思いますが、若かったというか青かったというか、なにもわかっていなかったんでしょうね。そう考えれば、いまはちょうど成長途上、そのさなかだというような、そんな一種のプラトー状態にあるんでしょうか?

 

(written 2019.11.29)

2019/12/09

カリブふう?ギリシア歌謡 〜 エレフテリア・アルバニタキ

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https://open.spotify.com/album/1imoPbwErKi20kI9JfJ4EM?si=7DK8MrczRjKuNEiOrxrhGA

 

エレフテリア・アルバニタキという読みでいいんでしょうか、ギリシアの歌手 Eleftheria Arvanitaki の2019年作『Ta Megala Taxidia』がなかなかいいですよ。紹介してくださっているエル・スールのホーム・ページになにも記載がないですからくわしいことはわかりませんけど、現代ギリシア・ポップスですかね。歌声を聴くとそんなに若い歌手じゃなさそうに思えます。

 

このアルバムでまず惹かれるのは、1曲目にアバネーラのリズムを使ってあるというところですね。カリブふうギリシア・ポップス?おかげで汎地中海的なニュアンスも感じられます。とにかくアバネーラが好きで好きでたまらないもんですから(ぼくは「ラ・パローマ」の熱狂的愛好家)、このリズムが使ってさえあればどんな音楽でも好きになれそうな気がします。

 

エレフテリアのこの1曲目のばあい、ギリシアふうな哀感こもる情緒よりも、陽光のもと青い海に臨んでいるような、そんなカラッとさわやかなフィーリングが漂っていますよね。これはリズムにアバネーラが使われているせいなだけでなく、メロディ・ライン、和音構成やアクースティックな弦楽器をうまく活用したサウンド・メイクにも理由がありそうです。

 

エレフテリアのヴォーカルもさっぱりしていて、かといって乾きすぎずちょうどいいリリカルさもあって、しっかりしているし、聴きやすくていいですね。そんなに強く声を張ったりはしない歌手のようで、スムースにスッと歌っているみたいなんですね。軽く舞っているような、しかし地に足を下ろした、フレイジングも感じられ、いい感じですね。

 

カリブふうとか汎地中海的という点でいえば、アルバム・ラストの9曲目もそんなフィーリングをぼくは感じます。それよりはギリシア的哀感のほうが強い曲かもしれませんが、2〜8曲目とはあきらかに違っていますよね。そんなには明るくもないけれど、ちょっとさっぱりしてさわやかな雰囲気が漂っているでしょう。この曲もかなり好きですね。エレフテリアがふわっと軽く歌っているのが印象に残ります。

 

こんなカリブふうな地中海歌謡にはさまれた2〜8曲目はいかにもギリシア歌謡といった趣で、おなじみの路線です。ところでギリシア音楽って、それにしかない音階使用があるんですかね。なんだか歌のメロディ・ラインを聴いていると、世界のほかのどこの音楽でも聴けない、すぐにこれはギリシアだなと判別できる動きがあるように思うんですけど、それがこの独自の哀感とか濃い情緒表現に結びついているのでしょうか。どなたか楽理にくわしいかた、教えてください。

 

たったの31分間とこじんまりしたアルバムですし(だからといってミニ・アルバムとか EP とかっていうわけじゃない)音楽的に特筆すべきものじゃないのかもしれないですけど、1曲目のアバネーラが印象的ですし、全体的にもきれいにまとまって、歌手の歌いかたもしっとりしていて好感が持てるいい内容だと思います。

 

(written 2019.11.28)

2019/12/08

日本盤の帯ってなんのためにあるの?

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洋楽でも邦楽でも日本盤のレコード、CD には必ずついてくる帯。あれってなんのためにくっついているんでしょう?個人的にはせっかくのジャケット・デザインが一部見えなくなってしまうのでちょっとイヤなんですけどね。だからぼくは自分でレコードを買いはじめたころからずっとあれは外して捨てています。帯がないと困ると思った経験もありません。

 

帯がついていると中古で売るときに価格が高めになるということを知ったのはずいぶんあとのことで、そもそもぼくはレコードや CD を売った経験がほとんどないし、そのごくわずかな経験でも輸入盤しか売ったことがないので、価格差のことがまったくわかっていなかったんですね。

 

ついているものをなにもわざわざ外すことはないじゃないかと思われるかもしれないですけど、最大の理由は上でも書きましたように帯のせいでジャケットが一部隠れてしまうということです。あれは帯の欠点だと思うんですよね。その欠点がぼくにとってはとても大きなものに思えたので、外して、しかも取っておかず捨てるようになりました。

 

だからぼくのばあい、ジャケットを(フルに)眺めながら中身の音楽が聴ければそれで満足な人間で、所有欲とかコレクター気質とかのない人間なんですよ、きっと。帯に書いてあることばも、たいていはおおげさなセールス・トークみたいなもんで、見るとちょっとウンザリしていましたからねえ。

 

でも世間一般的には帯を含めて「ジャケット」だという認識のかたが多いかもしれません。帯に価値を見出すかたも大勢いらっしゃるみたいですしね。じゃなきゃあこんなに帯情報や帯画像がネットにあふれているわけありませんから。う〜ん、そうなんですか、う〜ん、ぼくのばあい、いまでも日本盤 CD を買うとくっついている帯は、速攻でゴミ箱行きなんですね。

 

でも捨てられない帯もあるにはあります。格別デザインが秀逸であるばあいとか、それから輸入盤日本仕様とかいうやつで(オフィス・サンビーニャなんかがよくやっているやつ)、帯にしか(解説に類する)日本語情報が書かれていないものとかですね。特に後者かな、帯を外しても捨てずに、折りたたんでジャケットの内側にしまって取っておくのは。

 

つまり、帯にしか日本語情報を書かないというほど、日本の販売元は帯を重視しているわけでしょう。あるいは日本人購買者はみんな帯を大切にするから(日本語ブックレットなしでも)そこに記載しておけばいいのだとか、そういうことですよね。う〜ん、やっぱりそういうことなんですねえ、やっぱりそれでもぼくはなじめない商習慣です、帯って。正方形のジャケットをはしからはしまでじっくり味わいたいですから。

 

(written 2019.11.28)

2019/12/07

集団行動が苦手なぼくだから 〜 わさみんイベントでのみなさんとの距離感が心地いい

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約一年以上、わさみんこと岩佐美咲ちゃんの歌唱イベントやライヴ・コンサートなど生現場にどんどん出かけていくようになっています。いちばんはやっぱりわさみん本人に会えて歌を聴ける、握手して写真も撮れるというのが喜びなんですけど、それと同時に実感しているのはわさ民(わさみんファンのこと)さんのみなさんとの距離感が心地いいということなんですね。

 

ぼくはとにかく協調性がなくて、集団行動が苦手な人間で、ひとの気持ちがわからず、他人との関係が取れないんで、もう高校くらいまでの学校生活なんか苦痛でしかなかったんですね。ひととのコミュニケーションに大欠陥があるわけです。たぶんなにかの病気なんだと思います。アスペルガー症候群とか自閉症とか発達障害とか ADHD とか。自分以外の人間とうまくやっていくなんてことは絶望的にダメなんですよね。

 

だからいままで散々な思いをしてきた人生だったんですけど、わさみん現場で実感するわさ民さんとの関係では、そんな気持ちにぜんぜんなりません。人がたくさん集まる現場なのに、やりにくいと感じたこともないし、たぶんみなさんからもさほどは不快なやつと思われていないのではという気がします(気がするだけ?)。50年以上にわたる人生でこんなに快適な対外環境ははじめてです。

 

ひとつにはみんなが岩佐美咲という方向を向いているから、というのもあるでしょうね。わさ民さん同士が向き合うのではなく、わさみんのほうを、同じほうをみんなで見ていて横並びに精神状態がなっているから、おたがいに入り込まないといったことになっているんじゃないかと思います。だから相互干渉しないし、ぼくもなにか発言すると失敗する人間なんですけど、ずっとわさみんのことを考えていますので、わさ民のみなさんに特になにも言わないですし、おしゃべりもほとんどしません。

 

各地での歌唱イベントみたいなアット・ホームでファミリアーな空間ででも、もちろん仲良し同士のみなさんがおしゃべりしていますけれど、ぼくはそこへ入っていかないです。コミュニケーションが苦手で失敗しやすいからというのが理由ですけど、もっと大きなことは「わさみんに会いにきたわけだから、それだけでオーケー」と思っているからなんですね。

 

だからわさ民の顔見知りさんのみなさんに会っておしゃべりしたりするために現場に足を運んでいるわけじゃないので、いやもちろん挨拶くらいはすることが多いですけど、みなさんもそこはいい距離感を保ってくださっていると実感しています。近づきすぎず、かといってぜんぜん知らん顔でもないっていう、ちょうどいい塩梅ができあがっているなと思うんです。

 

それにぼくはスキマ時間スキマ時間でたいてい音楽を聴きながらスマートフォンでネットをしていますよね。自分がダメ人間であるという自覚があるから他人に接近しないようにしているんですけど、それくらいがちょうどいいのかもしれません。なにか必要があるときはぼくも話しかけるし話しかけられます。その程度であればぼくもだいじょうぶなんですね。それ以上近づこうとすると失敗しますけど、いまのところそうなっていません。

 

岩佐美咲というひとりの歌手&芸能人&元アイドルのファンであるという一点でつながっているわさ民さんたちとの関係性、現場で味わうこのちょうどいい距離感、心地よさ、いっしょにお茶したり食事したりお酒飲んだりはせず、ぼくは常に単独行動で、必要なばあいだけちょちょっと会話するという、ちっとも寂しくないし、それで結果的にはわさみんの姿と歌を味わっておおいに楽しむという、この絶妙な頃合い 〜〜 こういった人間関係のありようを人生でいまごろようやく学んでいるのかもしれません。

 

(written 2019.11.27)

2019/12/06

とあるジャズ・ファンク・ライヴ(夢)

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現実に存在しない音楽の話をときたましますけど、今日もまた今朝方の夢のなかに出てきた音楽のことを書いておきます。そうせずにはおれないほど鮮烈な内容でした。それはなにかのライヴ盤で、夢のなかでぼくはその CD ジャケットを眺めながらそれをかけて、すさまじい内容に感動しきりだったんですね。その夢の音楽は、なにかソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンクっぽいライヴでした。

 

編成はたぶんトランペットとテナー・サックス入りのクインテット。ストレート・ジャズとジャズ・ファンクの中間のような内容だったと思いますから、たとえばリー・モーガンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』(のラストの「ザ・サイドワインダー」とか)みたいな、そんな演奏でした。とにかくトランペットとサックスのソロが長尺で、しかもめっちゃ熱く盛り上がり、さらに(特にサックスのほうかな)トグロを巻くようにまがまがしいソロだったんですね。
https://open.spotify.com/track/7lA14iZss8k35hAllPl3LK?si=ATu5zDmiRWSWgkGuwI5x7A

 

その夢で見た音楽はこの世のものではありませんから、いまぼくはとりあえずリー・モーガンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』を聴きながらこれを書いているんですけど、これのサックスはベニー・モウピンですね。でもぼくが見た夢のなかのサックス奏者は、たぶんローランド・カークが演奏するような、そんな内容に近いものだったように思います。

 

夢に出てきた CD ジャケットがこりゃまた印象的だったんですが、こまかいことはもう忘れてしまいました。まるでジャズ喫茶がそうするように、ぼくもそのジャケットを掲げて眺めながら聴いていたんですね。1970年代にはあんな音楽がジャズのなかにたくさんあったなと思うんですけど、ホントどうして今朝の夢にあんなファンキーで熱い演奏が出てきたんでしょう?

 

それどほまでにぼくはあんなふうなジャズ・ファンクのライヴが好きなんでしょうか?夢のなかでは特にサックスですね、延々とまるでジョン・コルトレインがライヴ演奏でそうだったように長尺の激しいソロを吹きまくり、しかしフリー・ジャズではなくリズムはファンキーでタイトでした。ジャズ・ロックにも近いようなそんなビートに乗って、そのサックス奏者がすばらしくファンキーなソロをくりひろげるのを、ぼくは興奮しながら聴いていたんですね。

 

とにかく目の覚めるような(といっても寝ていたんですけど)音楽で、夢のなかではぼくだけでなくその場で耳にしたみんなが(ということはぼくはどこにいた?)「このすごいのはなんだ?!」といった顔でジャケットを見つめたり手にとったりしていたんですね。あんなにも激しく熱いソロ演奏を聴かせるジャズ・ファンクのライヴ盤って、この世に現実に存在するのでしょうか?一度聴いてみたいという(コルトレインがやるようなものを)強い願望が夢となって出現したんでしょうか?

 

(written 2019.11.26)

2019/12/05

ウィルソン・モレイラの遺作は、みんなで歌うサンバ

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https://open.spotify.com/album/5id4Bt8NzmFc97giLv9S36?si=npeLeuxeQ7KgzB8EWOOMlg

 

ブラジルのサンバ歌手、ウィルソン・モレイラの『Tá Com Medo Tabaréu』(2018)。遺作だとのことです。ウィルソンはこんな感じで、はっきり言ってヨボヨボで力もなく、声に張りもありません。だから主役のヴォーカルに集中すると、聴けない作品ということになってしまいますが、約35分のこのアルバムを通してあんがい悪くないなと思えるから不思議です。

 

あんがい悪くないと思える理由ははっきりしているでしょう。それはなるべくウィルソンの歌に耳が行かないようにアレンジされているから。特にヴォーカル面では大編成コーラス隊がかなり活躍していて、ウィルソンがちょっと歌うとコーラス(ぜんぶユニゾンかな、これは)が出るとか、そもそもコーラス・メインでアルバムが進むように工夫されていますよね。

 

おかげでヨボヨボなウィルソンの声だけ聴いてがっかりするという結果になりにくいと思うんですね。こうした「みんなで歌う」サンバというのは、この音楽ジャンルの伝統のひとつでもあるわけで、特にカーニヴァル・サンバですかね、こうやってほぼ全編が大編成ユニゾン・コーラスで進むという具合なのは。だから、ウィルソンのこの遺作でも、その伝統にのっとっただけという見方もできます。

 

伴奏のアレンジもいいですよ。弦楽器+パーカッション(&ときおり管楽器)という編成ですが、弦楽器ではカヴァキーニョがサウンド形成の中核を担っていますよね。この小型のウクレレみたいな楽器の奏でるちょっぴり甲高い音色での刻みがなんともいえず心地いいです。打楽器はパンデイロとスルドと、たまにクイーカかな、それもサンバの伝統マナーですね。

 

どこまでも土くさい伝統サンバなんですが、この遺作は、年老いてもう声に力のなくなったウィルソンを囲むみんなが力を合わせて主役を盛り立てて、パワー不足を補って、みんなで歌いみんなで演奏するコミュニティの芸能を聴かせてくれるところ、この作品にサンバ・コミュニティの真髄を聴くような気がします。

 

(written 2019.11.18)

2019/12/04

フェラ・クティとロイ・エアーズの共演盤

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https://open.spotify.com/album/0MBoCqtaNMo5av80u0YqqT?si=LeQhfO_xQjCUzQcvep97Og

 

フェラ・クティとロイ・エアーズ1979年の共演盤『ミュージック・オヴ・メニー・カラーズ』。これ、Spotify のだと1曲目が「2000 ブラックス・ガット・トゥ・ビー・フリー」ですけど、ナイジェリア盤レコードだとどうやらこれが逆なのかもしれないですよね。レコードでは「アフリカ - センター・オヴ・ザ・ワールド」が A 面だったんじゃないでしょうか。どうしてひっくりかえしちゃったんでしょう。

 

それはいいとして、このアルバム、1990年代的レア・グルーヴの香りもプンプンと立ち込めていますよねえ。ぼくは Spotify のでしか聴いていませんから、A 面 B 面のことが(ひっくりかえっているのか?とかも)わかりませんので、Spotify にあるのにそのまま沿って話をしますが、まず1曲目の「2000 ブラックス・ガット・トゥ・ビー・フリー」ではロイ・エアーズが主役のようで、歌っているのもロイです。

 

フェラが自身の名前を冠したアルバムで、ここまでゲストを立てているのはなかなか珍しいことじゃないでしょうか。そもそもこのときロイはフェラのライヴの前座をやるべく自分のバンドを引き連れてアメリカから飛んできたわけで、1979年といえばロイも立派に自身のキャリアを築いていましたし、フェラもそんなことでここまでロイをフィーチャーしているのかもしれないですね。

 

この1曲目はロイのバンドとフェラのバンドの合体演奏で、しかもなんだかディスコ調に近いですよね。ロイはちょうどこのころそんな音楽に接近していたし、この曲はロイ主導ということでこういった感じになっているんでしょう。テナー・サックス・ソロはフェラではなく、ロイのバンドのハロルド・ランドみたいです。1曲目ではフェラの音楽っぽいところが薄いかもしれません。同じフレーズをくりかえすコーラス隊はフェラのバンドのひとたちでしょうけど。ぼくとしてはジャズ・ファンクと言いたいところ。

 

そこいくと、2曲目に来てフェラが主導の「アフリカ - センター・オヴ・ザ・ワールド」になればおなじみのアフロビートになるので安心というか、フェラの音楽としては落ち着く感じです。2曲目では歌もサックス・ソロもフェラのものでしょう。ロイのバンドからはボスのヴァイブラフォンとハロルド・ランドのサックスだけ参加している模様。そしてフェラはここでもロイにどんどん弾かせていますよね。

 

これはなかなか珍しいことだと思います。ふだんどおりのアフロビートをやるフェラのバンドの演奏でヴァイブラフォンがこんなに目立つのは、ぼくはこのアルバムでしか聴いたことがありません。アフロビート+ヴァイブ、このおかげでかなりジャジーな雰囲気も漂っていますし、ふだん聴けないフェラということで、かなり異色ですね。

 

歌詞は二曲とも黒人とアフリカを賛美したみたいな内容で、音楽的には1曲目がディスコ調だったりはしますが、延々と反復されて次第にアフロビートに傾くというか融合していって、聴き手の感覚が麻痺していくような感じに聴こえなくもないし、2曲目もテナー・ギターのヒプノティックな響きを背景にロイのヴァイブがクールに決まっていて、こんなアフロビートもほかでは聴けないっていう、なかなかおもしろい一枚じゃないでしょうか。

 

(written 2019.11.19)

2019/12/03

ジャズって小粋で洒落たポップ・ミュージックなのだ 〜 ジェフ・ゴールドブラム

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https://open.spotify.com/album/1EMMlBhECxqCcuEjSvMw0N?si=UnGpM9aKRlW1oZO4iVIDqQ

 

萩原健太さんの紹介で知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/11/06/i-shouldnt-be-telling-you-this-jeff-goldblum/

 

ジェフ・ゴールドブラムといえばみなさんご存知の有名俳優ですが、なんとジャズ・ピアノの腕前のほうも一流だったとは、ぼくはついこないだまで知りませんでした。二作目になるらしい『アイ・シュドゥント・ビー・テリング・ユー・ディス』(2019.11.1)がすっかりお気に入りになっています。ミルドレッド・スニッツァー・オーケストラとの共演。ジェフはお父さんがエロール・ガーナーの大ファンだったそうで、幼少時分からジャズに接してきたらしいです。

 

アルバム『アイ・シュドゥント・ビー・テリング・ユー・ディス』にはインストルメンタル・ナンバーも三曲あります。ハービー・ハンコックの「ドリフティン」、ジョー・ヘンダスンの「ザ・キッカー」、ジミー・スミスの「ザ・キャット」。ジェフは決して弾きまくらず、どっちかというと脇役にまわっているような感じで、短いソロもとるんですけど、ほかの楽器奏者が演奏している時間がずっと長いです。

 

しかしこれらはこのアルバムのなかでは例外かも。ほかの曲はすべてヴォーカリストをフィーチャーしていますから。ラスト11曲目ではジェフみずから歌っていますがそれはいいとして、ほかは名のある歌手を招いていますよね。個人的な印象としてはヴォーカル・ナンバーで小粋にまとめるスウィンギーさが、このアルバムやジェフの持ち味なんじゃないかと思えます。

 

なかでも器楽曲と歌ものの合体が三つあるでしょう。「ザ・サイドワインダー/ザ・ビート・ゴーズ・オン」「ジャンゴ/ザ・スリル・イズ・ゴーン」「フォー・オン・シックス/ブロークン・イングリッシュ」。これら三つこそこのアルバムの目玉ですね。なんて楽しいのでしょうか。しかも小粋で小洒落てて、(アルバム全体も)ラウンジ・ミュージックふうですけど、かつてのジャズとはそんなものだったことを思い出させてくれます。

 

これらの合体曲、器楽演奏部分はいずれも超有名ジャズ・オリジナル、歌のほうはそうでもないポップ・ナンバーというところに注目したいです。この合体のアイデアとアレンジがジェフのものなのか、それともプロデューサーやアレンジャーの発案なのかはわかりませんが、実にスムースにつながっていて、違和感ゼロですよね。ジャズ・オリジナルとポップ・ナンバーがこんなふうに合体できるのは、考えてみたらあたりまえですけど、しばしば忘れられがちだったり、あるいは否定されたりすることだってあるんじゃないですか。

 

ジェフらがやっているこうした合体は、ジャズもポップスも本当は違いなんてない、ひとつながりのものであって、こうやって工夫すればなんの違和感もなく融合できちゃうよという、ジャズ・ミュージックのかつてのというか(ロックが出現する前までの?)本来の姿を思い出させてくれているんじゃないかと、ぼくは考えています。そう、ジャズってアメリカン・ポップ・ミュージックの保守本道を歩んでいた音楽だったんですよね。

 

(written 2019.11.17)

2019/12/02

アメリカの音 〜 バンダ・ブラック・リオ

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https://open.spotify.com/album/0VHDhU0LmpSaikzQZZHEX2?si=84Oi0EPKRrentRi2IynN0g

 

これは今年夏ごろのリリースでしたっけ、バンダ・ブラック・リオ(ブラジル)の新作『O Som Das Américas』(2019)。アルバム題を直訳すれば「アメリカの音」となりますけど、このばあいのアメリカとはアメリカ合衆国のことではなく、南中北米を総合した意味での「アメリカ」ということなんでしょう。つまり汎アメリカンなサウンドを目指したということでしょうか。Américas と複数形になっていますからね。

 

しかしながら実際にこのアルバムを聴くと、かなりアメリカ合衆国のブラック・ミュージック寄りの音楽だなとわかります。そこにすこしブラジル成分を足したという、そんな感じではないでしょうかね。だからここでいうアメリカズとはアメリカ合衆国とブラジルということで、それ以外のアメリカン・ミュージック要素はとくに見当たりません。

 

でもこれは、だからな〜んだ、っていうことじゃなくて、聴くとけっこう楽しい音楽なんですよ、このアルバム。豪華なゲストを大勢迎えてやっていますけど(いちばんの大物はジルベルト・ジルとカエターノ・ヴェローゾか)、そんなにぎやかさもいいし、腰が動きそうなボトムスに支えられたファンキー・ビートも愉快です。

 

このアルバムを聴いていちばんこれがあるなと思うのは、ちょっと古くさいんですけど、アメリカ合衆国でかつて人気だった(1980年代ごろだっけ?)ブラック・コンテンポラリーのサウンドです。アルバムの全編がほぼそれで貫かれていると言いたいくらい、はっきりと聴けますよね。だから、2019年にリリースするにしては時代のレレヴァンスがないんですけど、それはそれこれはこれとして、聴いたら楽しいからいいんじゃないかっていうのがぼくの考えです。

 

けっこうジャジーな要素もありますよ。たとえばレオ・ガンデルマン(サックス)を加えてやっている4曲目がそう。これはインストルメンタル・ナンバーですが、冒頭からのピアノとエレベのユニゾンで突き進むアレンジはなかなか聴かせますよ。スティール・パンみたいな音も聴けます。ジャジーというかフュージョンっぽいんですけど、こんなところもアメリカ合衆国音楽的。

 

そうかと思うと、続く5、6曲目はそれぞれジルとカエターノを迎えてブラジル音楽をポップに展開しているし、特にカエターノが歌う6曲目とセサール・カマルゴ・マリアーノが歌う17曲目がボサ・ノーヴァふう MPB でブラジル要素が濃く出ています。さらにサンバ・ルーツの MPB 的なものだってあるし、でも全体的にはブラック・コンテンポラリーっぽいっていう、ちょっとおもしろいアルバムです。

 

(written 2019.11.16)

2019/12/01

シカゴ・ブルーズなビッグ・ママ・ソーントン

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https://open.spotify.com/album/2lpWAoHgTroLmD8eCeF6l5?si=luHmkef9R3qSgOZyygXacA
(オリジナル・アルバムは10曲目まで)

 

ビッグ・ママ・ソーントンは1950年代がピークだったと思いますが、ここにマディ・ウォーターズ・ブルーズ・バンドをしたがえて歌った1966年の録音があります。アルバム題はなんの変哲もない『ビッグ・ママ・ソーントン・ウィズ・ザ・マディ・ウォーターズ・ブルーズ・バンド』。これがなかなか悪くないんですね。ちょこっとだけ感想を書いておくことにします。

 

ブルーズ聴きにはもちろんマディのほうが認知度高いでしょうけど、先にヒットしたのはジョニー・オーティス楽団時代のビッグ・ママ・ソーントンのほう。だからマディのバンドをしたがえて歌うっていうセッションが実現したんでしょうね。といっても1966年といえばビッグ・ママもマディも人気が落ちていた時期。だからその両者で組んで、またもう一発みたいな願望があったかもしれません。

 

この両者の1966年共演、ビッグ・ママが歌っているのは大半が自分で書いた曲のようですが、それでも伴奏のマディ・バンドの演奏は66年当時の完璧なシカゴ・ブルーズ・スタイルですよね。ブギ・ウギ・ビートの効いたアップ・テンポ・ジャンパーや、ゆったりとたたずむようなスロー・ナンバーはまるでとぐろを巻くような、黒い水たまりのようです。主役の歌も実にいい。

 

そしてビッグ・ママの歌は、ときどきソウルフルにも響きますよね。ソウル・ナンバーに近づいているものがこのアルバムには数曲あるように思えます。たとえば三連のストップ・タイムが使ってあるせいか4曲目の「ライフ・ゴーズ・オン」とか、またこれもバンドの演奏するリズムのためなのか7曲目の「ギミー・ア・ペニー」なんかもソウルっぽいですね。

 

こういったことは、ビッグ・ママがもともとピュア・ブルーズというというよりもリズム&ブルーズの歌手だったことにも起因するかもしれませんが、ぼくの聴くところそれ以上に時代が関係しているんじゃないかと思うんです。1966年でしょ、新興音楽ジャンルであるソウルが人気を獲得しつつありました。シカゴ・ブルーズ・シーンでも新世代はソウル寄りの音楽性を発揮しはじめていたころですからね。

 

とはいえ、このアルバムを聴いて、いちばん目立っているのはたとえばオーティス・スパンのピアノでしょうけどそれを聴くと、やはりまごうかたなき完璧なシカゴ・ブルーズに違いない、ビッグ・ママのヴォーカルもそれに接近しているなとは感じるんですけどね。それにくわえ、ジェイムズ・コットンのアンプリファイド・ハープが聴こえますから、もう文句なしのシカゴ・ムードです。

 

ビッグ・ママ・ソーントンは、戦後にシカゴ・ブルーズが確固たるスタイルを確立していくのとは関係なく歌い、人気となり、曲も有名になった歌手ですけど、このアルバム『ビッグ・ママ・ソーントン・ウィズ・ザ・マディ・ウォーターズ・ブルーズ・バンド』を聴けば、そんな歌手でも包摂してしまうほどの魔力を1960年代のシカゴ・ブルーズは持っていたんだなと納得します。

 

なおバンドのボス、マディ・ウォーターズもギターで参加とのクレジットはありますが、そんなには目立っていませんね。

 

(written 2019.11.14)

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