モダン・ジャズがいいなと思うとき
それはあからさまに楽しげでもあからさまに哀しげでもなく、ニュートラルっていうか情緒感が中間的っていうか曖昧っていうか、乾いているのが助かると思うときなんですね。聴き手であるぼくのフィーリングがなにか特定のネガティヴな落ち込み傾向にあるときに、聴く音楽が共振を起こすような暗いものでもダメだし、あまり明るく楽しげでもシラけてしまうっていう、そういうときモダン・ジャズだと助かります。
だからそういった情緒感をモダン・ジャズは消していると思うんですね。一般にジャズはそうかもしれませんけど、ビ・バップ勃興前までの古典ジャズだとすこし違うような気がぼくはします。もっとこう、はっきりした感情表現があったと思うんですね。ふだん、ぼくはそういった音楽のほうが好みです。ジャズだって古典ジャズのほうがどっちかというと好きですからね。あまり抽象的じゃありませんし。
ビ・バップ革命によってジャズはそうした感情表現を、失ったというと語弊があるかもですけど、消す方向へ進んだなあと思うわけです。チャーリー・パーカーがラヴ・バラードを演奏するのを聴いて、ああすばらしい表現だとは思うものの、うれしいとかかなしいとか、そういった特定の情緒を感じることはないでしょう。パーカーだけじゃありません、一般にモダン・ジャズとはそういったものです。
それは決して悪いことじゃないんですね。ジャズ・ミュージックが、ある一定の表現領域に踏み込むためには必然的な展開でした。そして、そういったモダン・ジャズの無情緒感が、聴くときの心境によってはこっちの気持ちに寄り添ってくれるなと思うときが確実にあるんです。楽しいときうれしいときは、だれだってそれを増幅したいでしょう、だからそうなる音楽を聴けばいい。ですけれど、暗く哀しいとき、あるいはつらい気分のときは、それを癒してくれる音楽がいいです。
ぼくのばあいもその癒しを与えてくれる音楽がいろいろとありますが、モダン・ジャズの、あたかも一見聴き手の心境を撫でてくれたりはしないような乾いた硬質でニュートラルな感じが、かえってこっちの心境にピッタリくるなと感じることも多いんです。もちろん鄧麗君(テレサ・テン)とか原田知世とか、あるいは岩佐美咲など、それなりにぼくも癒しの音楽を持っていますけど、モダン・ジャズもいいんですよね。
(written 2019.11.30)
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