大友直人さんのいうオタク的とはマニア的ってこと?
https://president.jp/articles/-/32168
この、プレジデント・オンラインが2020年1月29日付で掲載した大友直人(クラシック音楽指揮者)さんの文章。「日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある」と題されています。これは2月5日発売予定の『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)からプレジデント・オンラインが抜粋・編集したもので、ぼくたちはまだその本を読めませんから、現時点ではこのネット記事だけで判断するしかありません。
全5ページのこのネット記事、しかし「オタク」ということばは2ページ目後半部にしか出てきません。全体を読めば、大友さんの文章(からプレジデント・オンラインが編集したもの)の趣旨はオタク批判にあるのじゃないとわかります。クラシック、にかぎらないと思いますが音楽家、音楽の届け手、さらに聴き手とのあいだを媒介するジャーナリストや評論家たちは、なにをどう自覚し、どういった態度で社会に向かわなければならないかといった一般的な心構えと現状認識を述べているものだと読めますね。
もちろん大友さんがそのような文章をお書きになる背景には、いま(クラシック)音楽界が残念ながら低迷しているという危機感があるのは間違いなく、このことは文章でもはっきり述べられています。その音楽業界低迷は大友さんのおっしゃるところによれば、だいたい1990年代以後からで、原因のひとつに「オタク的」な聴きかた、評論があるのだということが、この文章の前半部で書かれていることなんです。
くりかえしますが大友さんの著書『クラシックへの挑戦状』はまだ発売されていませんので、大友さんがどのように論を展開なさっているのかわかりません。つまりプレジデント・オンラインがどのように編集したのかもわからず。しかし「日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある」という見出しのつけかたといい、画面下部に #オタク のハッシュタグが見えることといい、大友さんのもとの文章からやや恣意的に編集され、逸脱し、ネット読者に扇情的にアピールしようとしたのではないかという疑念が拭いきれないんですね。
プレジデント・オンライン(たぶん大友さんご自身もオタク、オタク的という表現を著書でお使いなのだとは思いますが)のこうした編集方針の、そのメンタリティの根底には、オタク蔑視がドンと横たわっているのは間違いないとぼくは感じました。記事2ページ目の最後のほうで(大友さんのお考えになる)オタク定義、オタク観のようなものが出てきます。「自分の好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなものは認めない。排他的な感性を持つ人」ということになっています。
しかしですね、ぼくが直接的・間接的に接しているオタクのなかに、そんな人物はいませんよ。主に岩佐美咲オタク、AKB 系タレント・オタク、さらにいえば熱心な音楽オタク、がぼくの知るすべてですけれども、ぼくの知るオタクのみなさんは、自分とは異なる嗜好、異なる感性、異なる聴きかたをも柔軟に受けれてて、他者は他者として(嫌いでも、相容れなくとも)是認し、みんなで音楽の世界トータルをなかよくもりあげていこうという、そういったひとたちばかりです。
大友さんの文章、からプレジデント・オンラインが編集したところによれば、(クラシック)音楽評論家の世界は、広い知識を持ち、適切な評論を発表する書き手もまったくいないとは言わないけれども、アマチュアのそれこそオタクのような人か、音楽家志望だった中途半端な人たちや自称音楽ジャーナリストやライターがあるときから増えてしまい、その結果、初心者や一般のリスナーに適切な情報が届けられなくなってしまい、それで一般市民のあいだで(クラシック)音楽のすばらしさが認識されにくくなって、結果的に(クラシック)音楽が低迷・衰退の道を辿っているのであると、そういうことになっています。
しかしこういったことを「オタク」「オタク的」とのキー・ワードでまとめてしまっていいものでしょうか。大友さんのおっしゃるような排他的な発信、聴きかた、情報共有、評論は、オタクというより「マニア」と呼ぶべきひとたちのあいだで、それも1990年代以後拡大したものではなく大昔から、存在したものです。クラシック音楽界とも、日本とも、現代とも限らない普遍的な問題のようにぼくは認識しているんですね。
以前2017年にぼくはこんな文章を書きました。題して「マニアなんか全員死んでしまえ!」:
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-6f6b.html
このなかでぼくはマニアだ、通だと自認している人間たちの鼻持ちならない排他的攻撃性を厳しく批判しました。こういったことは、たとえば音楽の世界だけに限定してもむかしからよくあることで、熱心なマニアとなればだれでもこんな態度をとりがちになってしまう傾向があるのは否定できないでしょう。
もちろんそれは批判されるべきもので、(音楽)愛好家は感性と態度を広くゆったりと持ち、初心者ふくめ一般のファンのあいだに大きく門戸を開いたほうがいいし、一流の音楽なのに自分の嗜好とあわないというだけで攻撃・排斥したりするようなことがもしあれば(よくあるんですけども)、そのような言説は厳しく否定されなければなりません。
こういったようなことは、どんな分野でもどんな時代でもありうることで、現にいままでたくさんあったし、それでどれだけの音楽ブームがつぶされてきたことかとふりかえります。あってはならないことですけれども、ファン、いやマニアの愛好度が増し詳しくなれば人間だれしもそうなりがちなので、常日頃から自戒の気持ちを持っておかなくてはなりませんね。
大友さんがご指摘なさっているようなことは、したがって「オタク」的な態度とは言えないものだと、そう呼ぶのは不適切だと思うんですね。用語のチョイスが曖昧であっただけで、文章全体の趣旨にはおおいに納得しそのとおりとぼくも首肯しています。実態をよく知らないまま、オタクと呼ばれる人たちに首をかしげたり否定したりする熱心な音楽ファンも多いのは事実ですけれどもね。
くどいですけれども大友さんの著書はまだ未発売です。ぼくの偽らざる実感というか想像としては、プレジデント・オンラインの編集に問題があるだけだという気がしています。オタク的排他性ということをメインの論旨にしているわけじゃないのに、タイトルに大きく出しているわけですから、きわめてミスリーディングで扇情的と言わざるをえません。
さらには Twitter 上はじめ脊髄反射的にこの記事に、肯定的にであれ否定的にであれ、反応なさっているネット民のみなさんのことも、ぼくは感心しませんね。あるいはこのプレジデント・オンラインの記事すら全文をお読みになっていないのではありませんか?
正確に把握したいので、大友直人さんの来る著書『クラシックへの挑戦状』をアマゾンで予約購入しました。そのときにまた改めて。
(written 2020.1.30)
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