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2020年1月

2020/01/31

大友直人さんのいうオタク的とはマニア的ってこと?

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https://president.jp/articles/-/32168

 

この、プレジデント・オンラインが2020年1月29日付で掲載した大友直人(クラシック音楽指揮者)さんの文章。「日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある」と題されています。これは2月5日発売予定の『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)からプレジデント・オンラインが抜粋・編集したもので、ぼくたちはまだその本を読めませんから、現時点ではこのネット記事だけで判断するしかありません。

 

全5ページのこのネット記事、しかし「オタク」ということばは2ページ目後半部にしか出てきません。全体を読めば、大友さんの文章(からプレジデント・オンラインが編集したもの)の趣旨はオタク批判にあるのじゃないとわかります。クラシック、にかぎらないと思いますが音楽家、音楽の届け手、さらに聴き手とのあいだを媒介するジャーナリストや評論家たちは、なにをどう自覚し、どういった態度で社会に向かわなければならないかといった一般的な心構えと現状認識を述べているものだと読めますね。

 

もちろん大友さんがそのような文章をお書きになる背景には、いま(クラシック)音楽界が残念ながら低迷しているという危機感があるのは間違いなく、このことは文章でもはっきり述べられています。その音楽業界低迷は大友さんのおっしゃるところによれば、だいたい1990年代以後からで、原因のひとつに「オタク的」な聴きかた、評論があるのだということが、この文章の前半部で書かれていることなんです。

 

くりかえしますが大友さんの著書『クラシックへの挑戦状』はまだ発売されていませんので、大友さんがどのように論を展開なさっているのかわかりません。つまりプレジデント・オンラインがどのように編集したのかもわからず。しかし「日本のクラシックは「オタク」に殺されつつある」という見出しのつけかたといい、画面下部に #オタク のハッシュタグが見えることといい、大友さんのもとの文章からやや恣意的に編集され、逸脱し、ネット読者に扇情的にアピールしようとしたのではないかという疑念が拭いきれないんですね。

 

プレジデント・オンライン(たぶん大友さんご自身もオタク、オタク的という表現を著書でお使いなのだとは思いますが)のこうした編集方針の、そのメンタリティの根底には、オタク蔑視がドンと横たわっているのは間違いないとぼくは感じました。記事2ページ目の最後のほうで(大友さんのお考えになる)オタク定義、オタク観のようなものが出てきます。「自分の好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなものは認めない。排他的な感性を持つ人」ということになっています。

 

しかしですね、ぼくが直接的・間接的に接しているオタクのなかに、そんな人物はいませんよ。主に岩佐美咲オタク、AKB 系タレント・オタク、さらにいえば熱心な音楽オタク、がぼくの知るすべてですけれども、ぼくの知るオタクのみなさんは、自分とは異なる嗜好、異なる感性、異なる聴きかたをも柔軟に受けれてて、他者は他者として(嫌いでも、相容れなくとも)是認し、みんなで音楽の世界トータルをなかよくもりあげていこうという、そういったひとたちばかりです。

 

大友さんの文章、からプレジデント・オンラインが編集したところによれば、(クラシック)音楽評論家の世界は、広い知識を持ち、適切な評論を発表する書き手もまったくいないとは言わないけれども、アマチュアのそれこそオタクのような人か、音楽家志望だった中途半端な人たちや自称音楽ジャーナリストやライターがあるときから増えてしまい、その結果、初心者や一般のリスナーに適切な情報が届けられなくなってしまい、それで一般市民のあいだで(クラシック)音楽のすばらしさが認識されにくくなって、結果的に(クラシック)音楽が低迷・衰退の道を辿っているのであると、そういうことになっています。

 

しかしこういったことを「オタク」「オタク的」とのキー・ワードでまとめてしまっていいものでしょうか。大友さんのおっしゃるような排他的な発信、聴きかた、情報共有、評論は、オタクというより「マニア」と呼ぶべきひとたちのあいだで、それも1990年代以後拡大したものではなく大昔から、存在したものです。クラシック音楽界とも、日本とも、現代とも限らない普遍的な問題のようにぼくは認識しているんですね。

 

以前2017年にぼくはこんな文章を書きました。題して「マニアなんか全員死んでしまえ!」:
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-6f6b.html

 

このなかでぼくはマニアだ、通だと自認している人間たちの鼻持ちならない排他的攻撃性を厳しく批判しました。こういったことは、たとえば音楽の世界だけに限定してもむかしからよくあることで、熱心なマニアとなればだれでもこんな態度をとりがちになってしまう傾向があるのは否定できないでしょう。

 

もちろんそれは批判されるべきもので、(音楽)愛好家は感性と態度を広くゆったりと持ち、初心者ふくめ一般のファンのあいだに大きく門戸を開いたほうがいいし、一流の音楽なのに自分の嗜好とあわないというだけで攻撃・排斥したりするようなことがもしあれば(よくあるんですけども)、そのような言説は厳しく否定されなければなりません。

 

こういったようなことは、どんな分野でもどんな時代でもありうることで、現にいままでたくさんあったし、それでどれだけの音楽ブームがつぶされてきたことかとふりかえります。あってはならないことですけれども、ファン、いやマニアの愛好度が増し詳しくなれば人間だれしもそうなりがちなので、常日頃から自戒の気持ちを持っておかなくてはなりませんね。

 

大友さんがご指摘なさっているようなことは、したがって「オタク」的な態度とは言えないものだと、そう呼ぶのは不適切だと思うんですね。用語のチョイスが曖昧であっただけで、文章全体の趣旨にはおおいに納得しそのとおりとぼくも首肯しています。実態をよく知らないまま、オタクと呼ばれる人たちに首をかしげたり否定したりする熱心な音楽ファンも多いのは事実ですけれどもね。

 

くどいですけれども大友さんの著書はまだ未発売です。ぼくの偽らざる実感というか想像としては、プレジデント・オンラインの編集に問題があるだけだという気がしています。オタク的排他性ということをメインの論旨にしているわけじゃないのに、タイトルに大きく出しているわけですから、きわめてミスリーディングで扇情的と言わざるをえません。

 

さらには Twitter 上はじめ脊髄反射的にこの記事に、肯定的にであれ否定的にであれ、反応なさっているネット民のみなさんのことも、ぼくは感心しませんね。あるいはこのプレジデント・オンラインの記事すら全文をお読みになっていないのではありませんか?

 

正確に把握したいので、大友直人さんの来る著書『クラシックへの挑戦状』をアマゾンで予約購入しました。そのときにまた改めて。

 

(written 2020.1.30)

2020/01/30

極上の心地よさ 〜 森保まどかのヒップホップ・クラシック『私の中の私』

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https://open.spotify.com/album/4Mb3jzZvDu2wsVtwL6RCd3?si=tfvmdDMaQU-ZTVBkNNKc_A

 

発売日前日の2020年1月28日に届いた森保まどか(HKT48)のソロ・ピアノ・アルバム『私の中の私』(2020)。六歳から弾いている森保のピアノのうまさはみなさんご存知のとおり。元 AKB48の松井咲子と並び、このアイドル・グループ系の在籍・元メンバーのなかでは断然トップの演奏力を誇っていて、その姿はフジテレビの番組『TEPPEN』でのピアノ対決でお茶の間をうならせてきていますからね。

 

そんな森保がソロ・ピアノ・デビュー・アルバムを録音しリリースするというのを知ったのは昨年初冬ごろのことでしたか。まどかファンとしては心待ちにしていたものなので、早速予約したってわけですよ。これをしかし素人の発表会的な腕前見せ、アイドル・タレントの余興、といったレベルのものだろうと想像なさっていたら大間違いですよ。本格クラブ・ミュージック仕立てのクラシック・アルバム、いわばヒップホップ・クラシックの傑作ですから。

 

以下、まずアルバム収録曲の一覧と、その右にそれぞれの作曲者名とサウンド・プロデューサー名を記しておきます。

 

1 Introduction - 森保まどか
2 ジムノペディ (D&B Version) - エリック・サティ / 鳥山雄司
3 TEMPEST (Latin Club Mix) - ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン / 伊藤修平
4 幻想即興曲 - フレデリク・フランソワ・ショパン / 武部聡志
5 トロイメライ (Dub Mix Version) - ロベルト・アレクサンドル・シューマン / 本間昭光
6 悲愴 (Album Mix) - ベートーヴェン / 松任谷正隆
7 No Diggity!! - 伊藤修平 / 同
8 Lotus - 武部聡志 / 同
9 Beyond The Line - 鳥山雄司 / 同
10 17END - 本間昭光 / 同
11 即興曲#727 - 松任谷正隆 / 同

 

森保みずからのピアノ&ナレイションによる49秒の「イントロダクション」に続き、アルバムは大きくいって2パートに分かれていると言えるでしょう。前半のスタンダード・クラシック曲セクション、後半のジャジーな書き下ろしオリジナル曲セクションです。でも聴けば全体的に違和感はないですね。2パートに分かれているということすらわからないかも。それくらい自然です。

 

さてこのアルバム、「イントロダクション」に続き、2曲目の「ジムノペディ」でびっくりしますよね。森保が弾いているのはたしかにエリック・サティの書いたクラシカルなラインですが、それにエレクトロニックなビートが付与されているんです。D&B っていうのはドラムンベースということでしょう。クラブ・ミュージックっぽいビート感で、ちょっぴりヒップ・ホップふうにも聴こえますね。ブックレットには一曲づつプログラマー名も明記されています。

 

いやあ、こんなクラシック・ピアノ作品は聴いたことがないですよねえ。ミックスされているエレクトロニックなビートのおかげで、クラシックなのにダンサブルに感じますからね。すごいすごい。アルバム・プロデューサー松任谷正隆のアイデアだったのでしょうか。しかしそんなビート感にちっとも負けないピアノを弾いている森保はもっとすごいです。録音はピアノとビートとどっちが先だったんでしょう。森保はあきらかにビートに乗せるように弾いていますけどね。サウンド・メイクも抜群です。

 

感心するのは、こういった強いデジタル・ビートを付与したクラブ・ミュージック仕立てにするならば、肝心のピアニストの音の粒立ちがしっかりしていないと聴きものにならないんじゃないかと思うのに、森保のピアノ演奏は音が太くて立って生きているということです。丁寧でよく考え抜かれているし、先鋭的なビート感とぴったり合致し、それでいてしかもクラシカルな典雅さを存分に表現できています。松任谷や一曲ごとのサウンド・プロデューサーの仕事も見事ですが、森保まどかというピアニストの存在感がきわだっていますよね。

 

そんなことがアルバム全体について一貫して言えることなんです。ベートーヴェンやショパンなどにコンピューター・ビートをまぜるなんて、いままでだれも考えつかなかったことでしょう。森保の一流のピアノ演奏力とあいまって、聴き慣れたクラシック・ナンバーが斬新な容貌と化し新たに出現します。シューマンがダブふうに仕上がっているし、ダブのトラック・メイク・マナーはヒップ・ホップのルーツでもあるのでした。ぼくなんか感性もオジサンだから、もうこのアルバム『私の中の私』を聴きながら驚いちゃって興奮しきり。もう今日はこの一枚ばかりなんどもリピートしています。「テンペスト」なんかサルサっぽく仕上がっていますしねえ。

 

そのままスムースにアルバム後半のオリジナル・ナンバー・セクションへと流れていきますが、その後半はジャズ演奏っぽいフィーリングですね。だからヒップ・ホップふうなデジタル・ビートとの融和はいっそう進んでいます。なめらかに弾く森保と快活で陽気なエレクトロニック・ビートの合体で、聴いているぼくの気分も極上のリラクシング。本当に快感なんです。ちょっぴりチルホップ(ローファイ・ヒップ・ホップ)っぽいですね、この後半部は。幕開けとなる7曲目「No Diggity!!」の出だしでアナログ・レコードに針をおろすサウンドが入っていますから、いっそう。

かなりおもしろいのが、大城美佐子の「片想い」をサンプリングしてある10曲目「17END」。沖縄の島唄(サンプリング部以外は三線だけ)と森保のジャジーなピアノとエレクトロニック・ビートと、これら三者合体で、ちょっと体験したことのないサウンドスケープを見せてくれています。レゲエっぽいリズムのノリがあるし、この曲のプロデューサーは本間昭光ですが、楽しいアイデアで降参しました。

 

全体的に生演奏のピアノとプログラミングによる現代的デジタル・ビートが5対5で向き合い有機的に溶け合っているなと思う森保まどかの『私の中の私』ですが、アルバム・ラストの松任谷作「即興曲#727」だけはクラシカルなピアノ独奏で、ビートの付与はなし。ここでは森保のピアノ・ヴァーチュオーゾぶりがよくわかる壮絶な演奏で、ときおりデューク・エリントンふうの豊穣で不協和なブロック・コード叩きもみせながら、聴き手を魅了します。これ、松任谷が倍速にして渡したデモを森保はその速さのまま弾いちゃったんだそうですよ。

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(written 2020.1.28)

2020/01/29

ウェインの『ジュジュ』はコルトレイン・ライクでかなり好き

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https://open.spotify.com/album/46VoobaZCtFPReElOHFEqq?si=EV5dI8YqTECbwAnYDaISzA

 

ウェイン・ショーター特集をやるつもりはなかったんですが、「フットプリンツ」つながりで芋づる式に昨日まで来ました。もともとは1960年代ショーターが苦手なのを克服したいということで聴きかえしていたのが出発点でしたから、今日はそこへ戻って『ジュジュ』(1964年録音65年発売)はわりと好きだという話をしたいと思います。ジャケットだけはいまだイマイチに感じますけど、中身はいいですよね。

 

ひとことにしてウェインの『ジュジュ』はほぼ同時期のジョン・コルトレイン・カルテットによく似ています。実際、ウェインのこれにもマッコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズが参加していますしね(ベースはレジー・ワークマン)。それでその二名ともコルトレイン・バンドでの演奏と遜色ない充実ぶりを聴かせてくれているし、そのせいかもとからなのかウェインのテナー・サックスまでトレインによく似たブロウぶりだなと思うんですね。

 

そういえばこのアルバムの曲はすべてウェインの自作ですが、それもトレインが書きそうな感じによく似ていますよねえ。ホント演奏全体がここまで似ているとなにか意識したのでは?と思わないでもないほどです。それで結果的にアルバム『ジュジュ』はよくこなれた、あまり新主流派っぽくないかもですけど新世代感覚のある、できあがりのいいハード・バップ、いやポスト・バップかな、そんな作品になっています。

 

個人的には1曲目の「ジュジュ」で決まりといいたいくらいこの曲が好きで、テーマ・メロディもいいし、それになんたってここではエルヴィンの爆発ぶりがたまりません。2曲目以後は比較的おとなしいドラミングですから、いっそうこの1曲目での猛烈な叩きっぷりが目立ちますよね。冒頭マッコイの演奏するリフに乗せて、ウェインが出る前からエルヴィンは大活躍。特にシンバル・ワークとリム・ショットで表現する複雑なリズムが快感です。

 

「ジュジュ」でのソロはマッコイ、ウェイン、エルヴィンの順。いずれも充実していますね。テーマ吹奏後まずピアニストにソロを弾かせ場があたたまってからボスみずからいざサックス・ソロで出るというのはコルトレインがよくやっていた手法でもあります。その一番手マッコイのソロもトレインのバンドでのやりかたそのままだし、二番手ウェインも音色までトレインに似ているような気がします。ややフリーキー気味にかすれるところまでソックリ。エルヴィンのポリリズムも見事です。

 

アルバムでは2曲目以後落ち着いたフィーリングになっているかなと思いますが、内容は充実しています。1曲目が頭抜けてすばらしいもんですから地味に聴こえちゃうだけなんですね。4曲目「マージャン」とか5曲目「イエス・オア・ノー」とか、曲も演奏もすぐれています。3曲目「ハウス・オヴ・ジェイド」も好きですが、これはどう聴いてもコルトレインをかなり強く意識したとしか思えないですね。似ているという点を除けば及第点でしょう。

 

(written 2020.1.13)

2020/01/28

即興の激情 〜 ウェイン『フットプリンツ・ライヴ!』

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https://open.spotify.com/album/77hBFKuRXGV6kgHsG2c034?si=u0wlF24BSVOwyBYvF7lUqg

 

ウェイン・ショーター2001年夏の欧州ライヴ・ツアーから収録されたアルバム『フットプリンツ・ライヴ!』(2002)は、過去の有名レパートリーばかりやっているというのがひとつの売りでしょうね。マイルズ・デイヴィスとやった「サンクチュアリ」「マスクァレロ」「フットプリンツ」をはじめ、「アトランティス」や「ジュジュ」といった有名曲も、それから「アウンサンスーチー」「ゴー」もあります。ジャン・シベリウスの「ヴァルス・トリステ」だけが他作で、そしてこれらすべてマイルズやウェインの過去の作品で聴けるもの(「悲しきワルツも」)。だからこのアルバム題なんでしょうか。

 

しかしそのむかし2002年にこのライヴ・アルバムを買って聴いたときはずいぶんむずかしく感じて、ちょっと気を抜くとなにをやっているのかわからなくなってしまい、だからうっかり聴けないなと思うとだんだんいやになって、次第に CD もラックのなかに入りっぱなしになって年月が過ぎていました。今回いろんな「フットプリンツ」を聴きかえそうと思って気を取りなおしてアルバムを聴いたら感動しちゃったので、ぼくの耳もちょっとだけなら進歩しているのかも。

 

いちばん感動したのはウェインの聴かせるパッションですね。そういった部分がこのライヴ・アルバム最大の特色なんじゃないかと思うんです。オープニングの「サンクチュアリ」ではまだ様子をさぐっているような演奏ですが、2曲目の「マスクァレロ」ではやくも激情爆発。四人とも、特に演奏後半で、まるでなにかを思い切りぶつけるような激しい演奏を聴かせていますよね。マイルズ・ヴァージョンで聴けたようなラテンなリズム展開はないんですけれど、ウェインと三人(特にピアノのダニーロ・ペレスとドラムスのブライアン・ブレイド)がここまでアツイ演奏をしていれば大満足です。

 

激情がほとばしっているというのは『フットプリンツ・ライヴ!』全体をとおして言えることで、しかもそれは全面的な即興によって成り立っていますよね。過去の有名曲をたくさんやっていますが、このアルバムではよく知られたそんなメロディは断片的にしか出てきません。演奏の際の短いモチーフみたいな、あるいはフックとして、使われているだけで、「曲」によりかかった演奏になっておらず、アルバムの最初から最後までカルテットによる全面即興がくりひろげられているというのが真実です。

 

それでここまでのものができあがるわけですから、四人の実力のほどがわかろうというもの。ジャズにおける即興の素晴らしさを実感する一枚ですね。2曲目「マスクァレロ」に次いでアツイ演奏を展開しているのが、5「アウンサンスーチー」(これも後半がものすごい)、6「フットプリンツ」、7「アトランティス」あたりでしょうか。激しいパッションをぶつけもりあがる場面で思わず叫び声をあげているのはブライアン・ブレイドですかね。さもありなんと思えるだけのウェインの熱をぼくら聴き手だって感じます。

 

ラスト8曲目の「ジュジュ」では、最初ベーラ・バルトークの室内楽を聴いているようなそんな演奏にはじまって、ドラムスが入ってからはやはりジャジーに熱く燃えあがり、バルトーク成分を担っていたアルコ弾きのジョン・パティトゥッチがピチカート弾きにチェンジ、ウェインがまずテナー・サックスで出ると、青白い炎のように揺れる音色で魅了します。ピアノのダニーロも特筆すべきできばえですね。

 

(written 2020.1.12)

2020/01/27

曲「フットプリンツ」をちょっと

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https://open.spotify.com/playlist/3PmelfwG2WIYWNAK0RT7qB?si=UaynEplDTbWbj9DcZlJ1PA

 

楽曲形式は定型の12小節ブルーズなのに、ちっともブルーズっぽくないフィーリングの曲「フットプリンツ」。作者ウェイン・ショーターのスタジオ・ヴァージョンとライヴ・ヴァージョン、それからこの曲を世に広めたマイルズ・デイヴィスの同様に二つのヴァージョンと、合計四つを録音年順にプレイリストにしておきました。マイルズのライヴ・ヴァージョンはたくさんあるんですけど、Spotify で聴けるものをと思ったらあんがい絞られます。1967年冬のコペンハーゲン公演を選びました。

 

これら四つを聴き比べるのもなかなか興味深いんじゃないかと思い立ったんですね。まずオリジナル・ヴァージョンであるウェインのスタジオ録音はわりとふつうのハード・バップですよね。といってもハード・バップのなかにたくさんあるファンキー・ブルーズにはなっていなくて、まったくブルージーじゃないブルーズ演奏なんですけど。リズム面ではごく平凡な3/4拍子。はっきり言ってこのヴァージョンはイマイチかもしれません。

 

ところが同じ年に録音されたマイルズのスタジオ・ヴァージョンでは大きく様変わりしています。最大の違いはリズム・アプローチで、6/8拍子の変型ラテン・リズムみたいになっていますよね。作曲者である同じテナー・サックス奏者が参加しているわけなので、この違いはボスか、あるいはたぶんドラマーのトニー・ウィリアムズがもたらしたものだったかもしれません。しかも一番手でソロを吹くマイルズのそのソロのあいだにも一回リズム・パターンがチェンジします。

 

大方の見方と違って『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』期のマイルズ ・クインテット最大の功績はリズムの多彩な表現にあったというのが最近のぼくの考えなんですが(そのうちまとめます)、『マイルズ・スマイルズ』はそこへ一歩も二歩も大きく踏み出したアルバムだったんじゃないでしょうか。本格的には変型ラテン・リズムがいくつも聴ける『ソーサラー』(1967)まで待たなくてはなりませんが、前作『マイルズ・スマイルズ』のなかにもこの「フットプリンツ」みたいなのがあったわけです。

 

そんな新時代のリズム実験を、しかしマイルズはサイド・マンの書いた、それも12小節定型ブルーズでまずやったというのがこのひとらしいと思うんですね。保守と革新の入り混じるというか、なにか一個新しいことをやるときには、別な部分はそのまま旧来的なものを使ってやる、というのが生涯にわたるマイルズの傾向でした。なにもかも一度にぜんぶを新しくはしない音楽家だったんですね。漸進的なアプローチのひとだったわけです。

 

1967年冬のマイルズ・クインテットのヨーロッパ・ライヴでは、そんなリズム・アプローチがさらに一歩進んでいるのを聴きとることができるはず。曲の演奏冒頭からトニーがかっ飛ばしていますよね。さらにこのコペンハーゲン・ヴァージョンではハービー・ハンコックのブロック・コード弾きもトニーのドラミングと一体化してリズムの躍動感を表現しています。それにしてもライヴのときのトニーはぶち切れるとものすごいことになりますよねえ。この「フットプリンツ」でもその一端が聴けます。

 

マイルズはその後1970年までこの曲をライヴで演奏しておりまして、69年以後はもちろん鍵盤奏者がエレクトリック・ピアノを弾いていますが、それでも、アクースティックなこの1967年コペンハーゲン・ヴァージョンがいちばん聴きごたえあるように思います。いちばんはやはりトニーのおかげです。なかでもシンバルとリム・ショットの使いかたに注目して聴いていただきたいと思います。

 

ラスト、ウェインの2001年ライヴ・ヴァージョンは、2002年リリースのライヴ・アルバム『フットプリンツ・ライヴ!』から。もちろんポスト・ウェザー・リポート期で、ウェインはいまだ2020年時点でも現役なんですからビックリですよねえ。アルバム『フットプリンツ・ライヴ!』はかなり充実した傑作のように思います。過去のウェインの代表作ばかりたくさんやっているアルバムです。

 

この2001年ライヴのウェインの「フットプリンツ」は、ウェインがまずソプラノ・サックスで出ます。背後でブライアン・ブレイド(ドラムス)とダニーロ・ペレス(ピアノ)がやはり躍動的なリズムを表現していますが、過去のマイルズ・ヴァージョンみたいにラテンやファンクに接近しているような部分は聴きとれません。マイルズやジョー・ザヴィヌルなしだと、ウェインはやっぱりジャズのひとなんですよね。

 

このウェインのライヴの「フットプリンツ」では、終始ウェインとダニーロの、つまりサックスとピアノの対話形式で演奏が進むのもおもしろいところです。両者ともパッショネイトな演奏ぶりで、しかも対話形式ですから、特にウェインはまとまったパッセージを吹くよりもフラグメンタリーにフレーズを展開するのも特徴でしょう。ダニーロはややハービーを意識したようなフレーズを連発しています。テナーに持ち替えてからのウェインの熱いもりあがりかたがとてもすばらしいですね。最終的にはクールに落ち着いたムードになって終わります。

 

(written 2020.1.11)

2020/01/26

ウェインの『アダムズ・アップル』は聴きやすい

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https://open.spotify.com/album/4sxvTow8IffB0lisGJWb6Z?si=2XshWKChSvKb4hBfKzMXEA

 

ずっと苦手にしてきた1960年代ウェイン・ショーターのブルー・ノートへのリーダー諸作。でも最近ちょっと気を取りなおして聴きかえしているんですね。最近自分でも音楽に対する嗜好がやや変化しているかもと自覚していますから、いま聴けばそれらのウェインだっていい感じに聴こえるかもしれません。実際、『アダムズ・アップル』(1966年録音67年発売)なんかは聴きやすくて、いまはかなり好きになってきています。

 

1966年というとウェインはマイルズ・デイヴィス・バンドで活動しているさなかで、同年には『マイルズ・スマイルズ』をいっしょに録音していますね。でも『アダムズ・アップル』だとそんなに新主流派的な音楽になりきっていない感じもします。従来からのハード・バップ路線上にある一枚かもしれませんね。もっと前の作品、たとえば『ジュジュ』『スピーク・ノー・イーヴル』なんかでは完璧に新世代ジャズ、つまりポスト・バップを表現していたのに、ちょっと意外な気もします。

 

サイド・メンはピアノがやっぱりハービー・ハンコックなんですけど、ベースとドラムスがレジー・ワークマンとジョー・チェインバーズで、アルバム『アダムズ・アップル』がやや保守的に聴こえるのは彼らのおかげでもあるんでしょうか。でもぼくがウェインを苦手としてきたのはそんな部分じゃなくて、たぶんひとえにあのもっさりしたテナー・サックスの音色ゆえだと思うんですけどね。作品によっては聴きやすく思うこともあります。

 

1曲目のブルーズ「アダムズ・アップル」はちょっとファンキー・ジャズというか、いわゆる #BlueNoteBoogaloo 的なフィーリングもあるので、実はかなり好きです。そうなっている原因は曲そのものというよりピアノのハービー・ハンコックのブロック・コードの弾きかたにあると思うんですね。テーマ演奏〜ウェインのソロのパートと続けてずっと一定のファンキー・リフを叩いているでしょう、それがちょうど「ウォーターメロン・マン」にやや似て聴こえないでもないんですよね。好きなんです、こういったハービー。クラシカルな資質も色濃く持つピアニストですけど、同時にファンキーですよね。

 

ウェインのソロ部でずっとハービーは同じブーガルー・リフを叩いていますが、ウェインが吹き終えたらそのままのブロック・コード弾きで自身のピアノ・ソロに入ります。もうひとえにこのハービーのファンキーなブロック・コード・リフのおかげですね、この曲「アダムズ・アップル」が好きなのは。ジョー・チェインバーズもブルー・ノート・ブーガルー的なドラミングで快感です。

 

こういった感じで幕開けするのでアルバム『アダムズ・アップル』は印象がよくなるんですね。でも2曲目以後にこんなファンキー・ジャズ(つまりハード・バップっぽいんだけど)はないんじゃないですか。3曲目「エル・ガウチョ」はこんな曲題にもかかわらずボサ・ノーヴァ・テイストです。いわゆる(スペイン語圏の)ラテンなフィーリングとはちょっと違います。これもいいですね。

 

ラテン・テイストといえば、アルバム6曲目の「チーフ・クレイジー・ホース」にちょっぴりそれを感じます。特にジョー・チェインバーズのやや複雑なリズム表現にそれが聴けるんじゃないでしょうか。あ、この曲はちょっとポリリズミックですかね、何拍子なのか数えてみようと思ったらちょっとむずかしそう。この曲はだからかなりおもしろいです。いわゆるふつうのハード・バップじゃないし、これには新世代のポスト・バップ的な感覚があるように思います。

 

さて、4曲目の「フットプリンツ」。当時のボスだったマイルズが『マイルズ・スマイルズ』でとりあげ、その後のライヴでもしばしば演奏されたので有名化しましたが、初演はここで聴けるウェイン自身のヴァージョンなんですね。マイルズがやったようなリズム面での斬新な展開はなく、ごくあたりまえな3/4拍子の定型ブルーズでやっています。だからマイルズ・ヴァージョンを先に知っている(というひとが多いはず)と、イマイチに感じないでもないですね。

 

アルバム『アダムズ・アップル』では、そんな感じで全体的に先立つウェインのポスト・バップ的諸作よりも、なぜかやや後退したような保守的路線、ごくふつうのハード・バップに接近しているのがかえって聴きやすさに転じていて、ブルー・ノート・ブーガルーな感じもあり、そのせいか関係ないのかぼくの苦手なウェインのテナーのもっさりした音色感もやや薄まっているように聴こえるので(あの感じはウェイン独自の新感覚曲でフル発揮されるものかも)、個人的には愛聴盤になりうる一枚ですね。

 

(written 2020.1.10)

2020/01/25

サンバ・ジ・エンレード 2020

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https://open.spotify.com/album/1JaziyQu8J8mFQc0ikKaDb?si=Fr6jbkWyTHq_W4t9gvzS1g

 

毎年恒例のこのサンバ・アルバム。今2020年のリオのカーニヴァルは2月21日から。それにさきがけて昨年暮れに公式アルバムが発売されています。『サンバス・ジ・エンレード 2020』。ぜんぶで13曲収録なのは、13のエスコーラのオフィシャル・サンバ・エンレードを一曲づつ収録しているからなんでしょう、きっと。エスコーラごとにそれぞれ趣向を凝らし…、と思って聴いてみたら、なんだか共通する特色がありますよね。

 

それはひとことにしてスピード感です。歌謡サンバみたいなのとカーニヴァル・サンバとは違うというのはそうなんでしょうが、それにしても『サンバス・ジ・エンレード 2020』で聴ける13のサンバはものすごいスピード感じゃありませんか。しかもリズムをとても細かく刻んでいるし(特にカイーシャが)、タイトでシャープなノリを感じます。ここまでとはねえ。

 

カーニヴァル・サンバでも、むかしのものはこうじゃなかったように思うんですけど、ぼくの勘違いでしょうか。ゆったりと大きく乗るような部分があまりなく、悪く言えば余裕がなく性急な感じがしますよね。セカセカしているといいますか、こういうのがいまどきのカーニヴァル・サンバなんですね。これも時代のフィーリングの変化ということなんでしょう。

 

社会性、時代性を反映してそんなふうに音楽も変わってきているんだと思いますが、世界で、日本でも、もちろんブラジルでも、ものごとの流転の速度を増すばかりの世相。音楽アルバム『サンバス・ジ・エンレード 2020』を聴いてもそれを感じとれます。いいのかよくないのか、好きか嫌いかは意見が分かれるところでしょうね。実はぼくもイマイチな感は否めません。サンバでもゆったりとした繊細なノリのフィーリングのものがもっと好きです。

 

でもこれはこれでいまの時代の音楽ということなんでしょうから、いいもよくないもないです。リズム感覚って、音楽のなかでもいちばん時代を反映するものだと思いますから、変化の速い2010年代にサンバがこんな感覚になるのも当然なのかもしれないですね。和声感やメロディの動きかたなどはむかしのサンバと違いはありません。スピード感あふれるこういったカーニヴァル・サンバでいまは踊りパレードするのでしょう。

 

(written 2020.1.9)

2020/01/24

岩佐美咲『美咲めぐり〜第2章〜』のライヴ・テイクがすばらしすぎる

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https://www.amazon.co.jp//dp/B07X3QG47M/

 

昨2019年11月に発売された岩佐美咲のニュー・アルバム『美咲めぐり〜第2章〜』。通常盤と初回特別盤の二種類ありますが、どう考えても初回特別盤を買う以外の選択肢はありません。そっちにだけライヴ収録の三曲が収録されていて、それらがあまりにもすばらしすぎるからなんです。ぼくはもう発売以来毎日聴いているんですね。初回などと銘打っていますが、たぶんずっと買えます。

 

ライヴ収録の三曲「ごめんね東京」「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」のうち、「ごめんね東京」は標準的な出来じゃないかなと思います。美咲についてぼくが「標準的」と言うときは、それはなかなかいいぞという意味なんですけどね。抜群なとき(がいつ来るか分からないからライヴ通いがやめられない)があまりにもずば抜けてすばらしすぎるから、なかなかいいよ程度だと標準的という形容になるんですね。それくらい現在の美咲はふだんからレベルが高いです。

 

がしかし『美咲めぐり〜第2章〜』に収録のライヴ・ヴァージョンの「初酒」「もしも私が空に住んでいたら」はとんでもない出来ですよ。こんなにも絶品な美咲をいままで CD ではほとんど聴いたことがないかも。二曲とも美咲初期のシングル・ナンバーで、スタジオ録音はそれなりに練り込まれて完成されていますが、それでもこれらライヴ・ヴァージョンを聴いたら、もうまったく比較になりませんね。だんぜんライヴのほうがいいです。

 

「初酒」は2017年、「もし空」は2018年のソロ・コンサートでの収録ですが、たとえば「初酒」でも声の色艶がグンと増していて、しかもこの人生の応援歌みたいな歌を、いっそう前向きに肯定的に歌い込むことに成功しているんです。美咲の声に、なんというか丸みや成熟が聴けますよね。そう思うと、カラオケだから変わりはない伴奏まで違って聴こえる気がするから歌の力とはおそろしいものです。

 

近年のライヴでの「初酒」では、特に緩急が自在なのも特徴です。なかでもぼくがいつも感心しているのは、ファースト・コーラスの「我慢しなくていいんだよ」部とツー・コーラス目の「カッコ悪くていいんだよ」部なんです。いずれも声を強く張って出し、強く説得するようにグイッと発声しているんですが、最後の「よ」の部分に来たらスッと軽く声を抜いてふわっとやさしくやわらかく声を置いているでしょう、そこでぼくなんかはほだされてしまうんです。なんという説得力のある大人な歌いかたでしょうか。

 

ライヴ収録の「初酒」全体にエネルギーがみなぎっているし、余裕を感じるし、しかもミキシングだって効果的に考えられています。この曲(と「鯖街道」)では観客がリズムに合わせて手拍子をするんですけど、CD を聴きますとファースト・コーラスから小さくその音が入っています。でもツー・コーラス目になってはじめて大きめに手拍子の音が入るようにミックスされているんですね。それでこの曲、この歌のもりあがり感、臨場感、ライヴなんだという空気感がいっそう効果的に高まっているんですね。ミキシング・エンジニアは二名が CD ブックレットにクレジットされていますが、どなたのアイデアだったんでしょう、見事な仕事です。

 

もっとすごいのがアルバム・ラストのライヴ「もしも私が空に住んでいたら」です。もはや壮絶とまで言いたいほどの迫力に満ち満ちているじゃありませんか。ここの美咲はいったいどうしちゃったんでしょうか、声の伸び、張りも最上級。このときのライヴ・コンサートはぼくも現場で聴いたんですが、CD でなんども聴くとビックリしちゃいますね。なんなんですか、この美咲の声の美しさは。ベスト of ベストですよ。

 

このライヴの「もし空」を聴くと、美咲がいまの日本の歌謡界最高の歌手のひとりであることは間違いないと思えます。たとえば声の色艶。ファースト・コーラスの出だしからふだんとはちょっと違うぞ、この「もし空」は尋常じゃない、どうしたんだ?と思わせる緊迫感、迫力、説得力がありますが、「そっと見送る」の「る〜〜」部。ここの声の美しい伸びは、いままでの美咲のなかでも聴いたことのない最上の絶品じゃないでしょうか。

 

ツー・コーラス目でも「ため息になる」の「る〜〜」部が同様です。それらでは声に、それとはわからない程度の軽いほんのりヴィブラートがかかり、そのおかげで声に独特の伸びやかさとまろやかさが出ているんですね。しかもその声じたいが丸くて太くて、しかも隠で暗いんです。「もし空」というこのしっとり系の曲の曲想にこれ以上なくピッタリする声の色と質なんですね。

 

ツー・コーラス目の「偽名と孤独」部、サビでの「出逢ったこと、愛したこと」の「こと」部での、そっと隠に声をポンポンと置くタイミングの絶妙さ、軽いヴィブラートで強く声を張る部分とのコントラストのすばらしさ、「愛し合ってはいけないあなたと」「月に一度の合瀬を重ねて」部での歌詞に説得力を持たせる繊細なフレイジングと声そのものにこもる迫真の見事さなど、もう言うことない完璧な完成度じゃないでしょうか。

 

「頬の涙は触れられないけど、自分のその指で拭う日が来る」「ひとはだれでもすぶ濡れになって、いつかの青空を思い出すでしょう」なんていう歌詞を、ここまで迫力と説得力を持って歌い込むことのできる歌手が、いまの日本にはたして何人いるのでしょうか。すくなくともこの2018年ライヴ・ヴァージョンでの美咲以上に美しく歌える歌手はまずいないのではないでしょうか。

 

「もし空」は、「初酒」もそうですけど、長く歌い続けることのできる普遍的な内容を持った歌です。今後も何十年とどんどん歌い込んでいくことで、また美咲の人間的な、あるいは歌手としての、成長にともなって、どこまでものすごい歌唱に化けていくか、出かかり(by 山本譲二)の色艶がどこまで成熟するのか、考えただけでおそろしい気分です。20代前半は歌手として音楽家としてじゅうぶん成熟できる年齢で、それでここまで壮絶な、特に「もし空」が、そうなっているわけですけど、美咲はいったいどこまでの深みをこの名曲に込めることができるようになるのか、想像することすら今はできないですね。

 

(written 2020.1.14)

2020/01/23

多すぎるアフロビート・ジャズだけど 〜 ダニエル・ジゾヌ

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https://open.spotify.com/album/63IOjGDbHot5fIIzjh5ZIf?si=btWI8YY7Q7Ohw5NSsYtRwA

 

ところでいまアフロビートは大流行しているんですよねえ。そう思います。特にジャズ界隈でかなりもてはやされているのは間違いありません。ここ数年もう次々とそんな作品に出会いますから。今日話題にしたいアルバムもそんな一枚。調べてみても西アフリカのトランペット奏者ということしかわからないダニエル・ジゾヌ(Daniel Dzidzonu)の『Walls of Wonder』(2019)です。

 

同じアフリカのトランペッターということで、ダニエルはヒュー・マセケラの流れを汲む音楽家なのかもしれません、このアルバムには「リメンバー・マセケラ」という曲もあるくらいなんで。ダニエルがやっているのもアフロ・ジャズで、しかもそのアフロ要素は完全にフェラ・クティのアフロビートを持ってきているという、そんな音楽でしょうね。アフロビート・ジャズ、多いですね最近、多すぎるくらい多いです。

 

ダニエルの『ウォールズ・オヴ・ワンダー』だと、最後の三曲だけちょっと編成と様子が異なっていますが(そのうち二つは前作にあった曲のリミックスだし)、それらの前まではたぶんパーカッション+ドラムス+ベース+エレキ・ギターがリズムで、鍵盤楽器は控えめ。その上に管楽器群とヴォーカルが乗るというやりかたですが、管楽器はサックスなしのブラスだけかもしれません。曲によってはストリングスも入ります。

 

このアルバムでぼくがいちばん感心したのはダニエル自身のトランペットやヴォーカルではなくて、エレキ・ギターリストなんですね。いやあ、カァ〜ッコイイです。もちろんホーン・アンサンブルもカッコイイんですけど、こんなエレキ・ギターの弾きかたができるのはすばらしいと思うんですね。曲によってはひょっとしてギターリストが二名同時演奏しているのかと思わないでもないですが、いずれも見事なサウンドです。

 

だいたいこんなジャケットだし主役がばりばりとファンク・トランペットを吹きまくっている音楽なのかと思いきや、そうでもないんですね。トランペット・ソロが聴こえる時間はそんなに長くありません。そしてトランペットが鳴っているあいだもそうでない時間も、このエレキ・ギターのコード・カッティングが創り出す空間があまりにも心地いいんで、それにばかり耳が行ってしまいます。

 

たとえばアルバムで唯一これだけなぜかライヴ収録の5曲目「E.I.A. (Emergency In Africa)」。ここでは鮮明に二本のエレキ・ギターが聴こえますね。一人がコード・ワーク、もう一人がシングル・ノート・リフ反復で、まるで1960年代後半のジェイムズ・ブラウン・バンドみたいです。そしてダニエルのこの二名のギターリストがからんで生み出しているサウンドが極上のグルーヴなんですよねえ。

 

そのツイン・ギター・サウンドの心地よさに比べたら、やはり見事だと思うホーン・アンサンブルやヴォーカル・パフォーマンスはどうってことないように思えてしまうんですね。とにかくほかの曲もぜんぶふくめて、ダニエルのこのアフロビート・ジャズではエレキ・ギターが主役のようで、ぼくは Spotify で聴いているだけだからだれが弾いているのかわかりませんが、名前をチェックして憶えておきたいです。

 

5曲目と並ぶ、このアルバムでの個人的ベスト・トラックは、続く6曲目「アフロ・ドリーム」。この曲ではエレキ・ギターのコード・ワークもいいんですけど、それよりもいきなり出だしから鳴るホーン・アンサンブルが超カッコイイですね。続くダニエルのトランペット・ソロもかなりの聴きもの。と思っていると、やはりエレキ・ギターが目立つようになり、そうしたらいきなりカルロス・サンタナみたいな濃厚ソロが出ます。いやあ、こりゃいいなあ。コードを弾いているひとの多重録音か別人か、ホントだれが弾いているんです?

 

(written 2020.1.8)

2020/01/22

奄美の島唄をやる平田まりな『跡(アシアト)』がとってもいいぞ

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http://elsurrecords.com/2019/12/14/%e5%b9%b3%e7%94%b0%e3%81%be%e3%82%8a%e3%81%aa-%e8%b7%a1/

 

エル・スールのホーム・ページでジャケットを見て、なにかピンとくるものがあって、その勘を信じて買ってみた、平田まりなの『跡(アシアト)』。大正解でした。これはとてもいい音楽です。奄美大島の民謡弾き語りで、平田は三味線+歌。たった25分ほどのデビュー・ミニ・アルバムですけど、すっかり平田のファンになっちゃいました。唯一の残念な点は収録時間が短くて、気持ちよさにひたっていてもあっという間に終わってしまうことだけ。一時間くらいずっと聴いていたいと思わせる音楽ですね。

 

ぼくは奄美の島唄についてはなんにも知らないんで、ただジャケットの雰囲気だけで買って聴いてみたらいいなと思っただけなんで、見当はずれなことも多いと思います。『跡(アシアト)』で平田まりなが弾き語っているのは全六曲。これらは奄美島唄のスタンダード・ナンバーなんですかね。YouTube でいろいろとさがしているとよく出てくるものだから、そんな気がします。平田自身がしゃべっているものも見つかりました。

 

このアルバムでは平田まりなの三味線と歌と、それしか入っていないんですけど、ぼくがまず惚れたのは三味線の音色ですね。音が立っています。立ち上がり(アタック)や粒立ちがとてもいいですよね。これはどんな楽器でも一流奏者に共通する特色なんです。平田自身によれば、奄美ではむかし女性は三味線を弾いてはいけなかった、男だけのものだったそうで、平田のおばあちゃんも三味線はまったく弾かないそうなんですね。だから平田は新世代なんでしょうか。奄美の民謡の世界はなにも知りません。

 

でもアルバムを聴いていたらそんなことは信じられないくらいの三味線の腕前だと思います。YouTube で平田まりなの動画を見ると、外見が沖縄の三線にそっくりなんですけど、三線ではなくあくまで奄美三味線であるとのこと。たしかに音色もちょっと違いますね。とにかく平田の奄美三味線はとても上手いです。一音一音鮮明で、クリアに聴こえ、独特のゆったりしたリズムで心地よく、聴いている側をリラックスさせる癒し効果がありますよね。

 

それは歌についても言えることで、落ち着いたフィーリングのしっとりした歌いかたが心に沁みます。声の色に独特の憂いや哀感があって、平田まりな本人がどんなひとなのかはわかりませんが、歌声には翳りというか、ある種の暗さみたいなものがありますよね。深みというか憂いというか哀感というか。ぼくはそう聴きました。でも YouTube とかで見るふだんしゃべっている平田の姿は正反対のようにも見えるので、音楽っておもしろいというかおそろしいですよね。

 

三味線で細かくフレーズを弾きながら大きくゆったりと乗って、平田まりなはどの曲でも低く歌い出します。まるでさぐっているかのようにはじめると、その後も落ち着いた大人のフィーリングでしっとりと歌い、高音部で声を張る箇所もまじえながら、全体的には島唄それじたいの持つ味を活かすように丁寧につむぎながら声を重ねていくその姿に、ぼくはとても好印象を持ちました。

 

しかもなんだか近寄りがたいイメージじゃなく、身近な普段着感、親近感を持てる音楽で、上で書きましたように平田まりなの『跡(アシアト)』を聴いていると、とてもリラックスできてくつろげるまったりタイムを与えてくれる、そんな快感音楽で、だから25分なんていわず、もっとずっとこの心地よさにひたっていたいと思うんですよね。いやあ、いい音楽です。一時間くらいのアルバムで聴きたい!

 

(written 2020.1.7)

2020/01/21

猫のジョアンのペット・プレイリスト

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https://open.spotify.com/playlist/2omoRRrA3SPgfIAtdiTYH2?si=Q3vi9TekS4yowiDWkjyGFQ

 

今日2020年1月16日付けでかな、Spotify がはじめたサービス「Pet Playlists by Spotify」。猫とか犬とか鳥とか、ペットのいるかたはこれをつくることができます。飼い主とペットがともに楽しむことのできる音楽プレイリストを、飼い主のふだんの聴取傾向とペットの種類や状態から判断して自動生成してくれるというもの。早速やってみました。その結果が上のリンク。

 

詳細は以下のリンクからどうぞ。このリンクからそのまま自分のペット・プレイリストを作成できます。ペットの種類(猫、犬、鳥、ハムスター、イグアナ)を選び、性格や状態(リラックスしているかエネルギッシュか、シャイかフレンドリーか、など)を入力、最後にペットの写真と名前を入れてボタンを押すと、Spotify 独自のアルゴリズムで楽曲がキュレイションされ、プレイリストができあがります。
https://pets.byspotify.com

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ぼくんちにはジョアンという猫さんがいます。というのは正確には間違いで、ペット不可物件なんで、いくら猫好きのぼくでもいっしょに暮らすことはできません。それでもぼくの部屋は一階なんで、ベランダがそのままマンションの駐車場につながっていて、そこからよく外猫さんが部屋に入ってくるんですね。そのなかでいちばん仲のいいのがジョアンくんなんです。ぼくと遊ぶようになって約一年半くらいかな、もうほぼ一日中ぼくの部屋に入りびたっていると言ってもいいくらい。飼い猫同然なんですね。外猫(野良猫)さんだからちょこちょこ入ったり帰ったりしますけどね。毎晩どこで寝ているのかなあ。

 

ジョアンを駐車場で見かけるようになったのはずいぶん前です。いまのマンションには2011年の5月末に入居しましたが、そのときすでにいたのかもしれません。猫好きのぼくですけど、ペット不可物件ということもあって、最初は部屋のなかから眺めているだけだったんです。駐車場に出て撫でたりごはんをあげたりもしなかったですね、最初は。

 

転機は2017年の6月に iPhone を買ったことです。それでジョアンくん(やその他地域にうろうろしているいろんな外猫さんたち)の写真を撮ってはネットに上げるようになりました。ネット友人から反応があったりしてそれも楽しくて、どんどん撮って上げていました。そして2018年の秋、ベランダに面した窓を開けていると、ジョアンくんが部屋のなかに入ってきたんですね。最初はちょっと驚きました。しかもなんだかすでに馴れている様子。もとはどなたかの飼い猫だったんでしょうか。

 

様子を見ていると、しばらくうろうろしたのち、キッチンに置いてあったカツオ節の袋をパッとくわえてササッと部屋を出ていったんです。な〜んだ、ごはんだったのか。そのまま見ていると、駐車場のわきでそのカツオ節を食べているじゃありませんか。おなかが空いていたんですね。それを見てぼくはすぐに猫用のごはんを買いにスーパーに走りました。2018年の10月のことです。

 

帰宅して、駐車場にいるジョアンくんに向けてその煮干しの袋をカシャカシャ振ってみたら、一目散に飛んできたんですね。部屋のなかで袋をあけて出すと、夢中でジョアンくんは食べました。そのうちキャット・フードも買うようになり、2018年の10月末ごろからジョアンとぼくのおつきあいがはじまったというわけなんですね。そのころジョアンという名前はまだありませんでした。

 

ペット不可物件ですから、ちょっと部屋のなかに入れるくらいなら OK との大家さんのことばはいただいていますが、いっしょに住むわけにはいきません。だから共同生活とは言えませんね。でも毎日ジョアンくんはぼくんちに入ってきて、ごはんを食べ水を飲み、しばらくゆっくりくつろいで、フローリングやカーペットの上でゴロゴロし、ゆっくりしてから帰っていくという、そういう日常が訪れました。

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ジョアンという名前がついたのは2018年の11月のこと。ジョアンくんとぼくの2ショット写真をどんどん撮ってはこれまたネットに上げているんですけど、膝に乗ったり肩に乗ったりするようになったので、それをご覧になったあるフレンドさんが「お名前が必要ではないでしょうか?」と言ってくださって、それでたまたまそのときジョアン・ジルベルト(ブラジル)を聴いていたから、雄猫の彼をジョアンと命名しました。

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そのまま2020年1月にいたり、いまではすっかり仲よしのジョアンくんとぼく。いまではどちらも声を出さずとも表情や仕草だけで互いにコミュニケーションができるようになっているんですね。自宅マンションの駐車場にはほかにも外猫さんがいて、ぼくんちに遊びにくる、ごはんを食べにくる猫さんはいます。でもジョアンくんはもとの性格がフレンドリーなのか警戒心が薄いのか、こんなに仲よくしてくれるのは彼だけなんです。

 

Spotify プレイリスト「ジョアンズ・ペット・プレイリスト」ですけれど、これってぼくがふだんからよく聴いている好みの音楽とか聴取傾向から読みとって、ジョアンくんに聴かせるための、楽しみのための音楽をキュレイションしてくれたということなんでしょう。たしかにぼくのよく聴く音楽やそれに似たものが並んでいます。2、4ビートのストレート・ジャズとかジャジーなポップス、ブラジル音楽、ラテン系などなど。

 

しかしぜんぜん聴いたことのないもの、ふだん聴く傾向や好みから外れているなと思うものだってありますね。たとえばクイーン(UK ロック)が一曲入っていますが、ぼくはクイーン嫌いなんで、たぶんいままで一度も Spotify で聴いたことないです。カルメン・ソウザも聴いたことないけどやっているのはホレス・シルヴァーの「セニョール・ブルーズ」なんでこれは納得です。だれなんだかわからないひともいますね。

 

でも全体的にはこのプレイリストを聴いていてぼくはリラックスできるし、ジョアンくんがこれでリラックスしてくれるかどうかは、う〜ん、いまこのプレイリストを流していたらたまたまジョアンくんが入ってきてぼくのベッドの上でくつろいでいますねえ。なんだこりゃ(笑)。ジョアンくんの性格や特徴なんかも入力したけれど、どう反映されているのかはまだわかりません。

 

プレイリストにあるシルヴァーナ・マルタはミナス(ブラジル)だけどぼくは大好きだから、入っているのは納得。サブリ・モスバ(チュニジア)はよくわかんないな〜。コノシエンド・ルシア(アルゼンチン)もそうでもないけど、ドーリ・フリーマン(アメリカ合衆国)は好きなカントリー系ポップ・シンガーだから理解できます。

 

バディ・コレットとかアーマッド・ジャマルといったアメリカ合衆国のジャズ・メンはぼくも好きだし、音楽としてもリラクシングだし、ゆったりしているし、おだやかでのんびりおっとりした性格のジョアンくんにはよく似合っているような気がします。この「ジョアンズ・ペット・プレイリスト」全体でそんなフィーリングですかね。あ、いま、ベッドの上でジョアンくんは寝はじめました。

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(written 2020.1.16)

2020/01/20

音楽とぼくのアスペルガー

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上でベーラ・バルトークとエリック・サティの写真を出しましたけど、ほかにも有名音楽家ではヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとかそうだったんじゃないかと推測されていますし、大衆音楽界ではたとえば自分でそうかもしれないと告白している Gackt やロビー・ウィリアムズ、あるいはスーザン・ボイルやクレイグ・ニコルズや堀川ひとみ(この三名はそうかもしれないと医者から言われたそう)など、これらの人物に共通するのはアスペルガー症候群だということです。一説によれば人口の約2.5%がこの障害を持つんだそう。クラスに一人いるかいないか程度ですね。

 

ぼくもアスペルガーなんじゃないかと最近疑うというかもはや確信するようになって、このあいだ専門医の診察を受け、間違いなくそうであると明確に診断されました。最新の学説ではアスペルガー症候群は自閉スペクトラム障害(ASD)に包括されているようですので(DSM-5)、自閉スペクトラムと言うのがふさわしいかもしれませんが、ぼくの症状というか特徴はアスペルガーというほうがぴったり来るような気がしています。だから医学的には自閉スペクトラム症と本来なら言うべきところを今日はアスペルガーと書くことにします。

 

アスペルガー症候群の特徴は、端的に言って社会性・コミュニケーション・対人関係能力の欠如と、限定的な強いこだわり、反復行動です。以下箇条書きに具体的な特徴を列挙しておきます。あくまでアスペルガー症候群で知られている一般的特徴ですが、ぼくのことを記述している(ようなもんですから)と思ってご覧ください。

 

・言語や知的な遅れはない、むしろ高い
・視線があいにくく、表情が乏しい
・相手の発言、行動の真意を理解できない
・相手の言動にふくまれる裏の意、皮肉、冗談に気づかない
・相手の発言を文字通りに、ストレートに受けとる
・婉曲表現、遠回しな表現がわからない
・他者の気持ちが理解できない、気づかない
・共感できない
・人に対しての関心をあまり持たない
・察するのが苦手
・空気を読めない
・会話のキャッチボールができず、一方的にしゃべり、演説のようになる
・流れに関係ない自分の話をする
・「仮に」相手の立場だったらと考えることがむずかしい、できない
・相手や周囲との距離がとれない、計れない、わからない
・自分の感情の気付きや理解が苦手
・「適当に」や「もう少し」「多めに」など、日常や仕事上でよく使われる、幅のある表現を受けての判断や対応がむずかしい
・決まったパターンで行動しようとする
・常に予定どおり、ルーティンどおりに行動したい
・そういかないとき、予定外、予想外のことが起きたとき、パニックになったりイライラしたり怒りをおぼえる
・いつもと違う状況に対応できない
・自分なりのやりかたやルールにこだわる
・反復的な動きが多い
・手先が不器用である
・強迫的なところがある
・感覚の過敏さ、鈍感さがある(うるさい場所にいるとイライラしやすい、洋服のタグはチクチクするから切ってしまうなど)
・細部にとらわれてしまい、最後まで物事を遂行することができない
・過去の嫌な場面のことを再体験してイライラしやすい
・かなり年上の人、もしくは年下とつきあい、同年代の友達は少ない、いない
・親しい友人関係を築けない
・興味の対象が限定的
・狭い分野を深く掘り下げる
・好きなことには時間を忘れて没頭する
・記憶力、集中力が高い場合が多い

 

ぼくのばあい、これらがすべてピッタリあてはまり(まるでぼくのことを見ながらだれかが書いたんだというような気分です)、専門医には「戸嶋さんのばあい、かなりひどいかなと思います」と言われました。結果としては社会生活に非常な困難を感じ、対人関係、人間関係がすべてうまくいきませんので、職場でダメ、私生活でもダメで、とても生きづらく感じるんですね。

 

アスペルガー症候群は病気ではなく脳の機能障害で、感情や認知といった部分に関与する脳の異常を生まれつき持っているのが原因とされています。ですから親や教師や周囲の接しかた、育てかたに原因があるんじゃないんです。持って生まれた障害なんですね。アスペルガーは治るようなものじゃないので、生涯にわたりつきあい続けていくもののようですよ。

 

治療できず適切な対処法もなく、ただ理解してもらうしかないアスペルガー症候群ですが、いまでは幼少期(幼稚園に入る前くらい)に親など周囲の大人が気付くことが多いんだそうです。ぼくが生まれたのは1962年。そのころまだアスペルガーやその他近接する発達障害の概念はありませんでした。ぼくのばあい、なんだか変人奇人、かなりやりにくいイヤなやつヘンなやつ、近づかず逃げておこう、といった対応をされることばかりでしたかね。

 

それで友人も恋人もできず、みんながぼくから離れていく、その理由はわからない、と長年ずっとつらい思いをしてきたんですけれども、本格的に精神障害じゃないかと考えるようになったのは2018年9月末のあることがきっかけでした。2019年に入ってから具体的にいろいろ読んだり調べたりするようになって、その後19年12月初旬の広島のホテルの一室でアスペルガー症候群に違いないと確信するにいたり、20年に入ってから専門医のもとを訪れたわけなんですね。

 

上記箇条書きのような特徴を持つ障害ですから、アスペルガー症候群の人間は会社勤めなど通常の職業で生きることはかなりむずかしいでしょう。通常の人間生活を営むだけでも困難があるわけですから。ぼくもいわゆるサラリーマン生活は体験したことがありません。しかしいっぽう音楽や芸能、芸術、スポーツなど、非日常的な特殊能力を軸とする働き、職種であれば、かなり高い成功をおさめることができるばあいもあるようです。ぼくは大学に在籍する英文学の研究者でした。

 

さらに、音楽が好きで、音楽を集中的に聴き(というかだらだら日常的にも聴いていますけど)それについて調べたり考えたりして、整理して、文章を書くということに、自分で言うのもなんですが異常に高い能力を発揮しているのかもしれません。ネット上でおつきあいのある音楽好き、それもかなりのひとでも、ぼくと比較してここまで執着してはいませんからね。プロは除きます。

 

要するにひとりで部屋のなかで取り組むような仕事や趣味であればとても高い能力を発揮することもあるのがアスペルガー症候群の人間です。そのいっぽうで他者との人間関係を築いたり維持したりは不可能で、自分でそうとは気づかないうちに、そのつもりはぜんぜんないのに、人間関係を破壊します。人生をふりかえれば、思い当たることがあまりにも多すぎます。友達もできず異性とも恋愛できず、結婚生活も破綻しました。

 

本を読むのは部屋でひとりでできることだから読書家になったし、そのせいで文章を読んだり書いたりが得意になりました。学校の勉強もひとりでできるので成績はとてもよく学歴も高いです。音楽を聴くのも(たとえコンサート・ホールのような場所ですらも)ひとりで楽しむ趣味ですから、アスペルガーなぼくでも存分に不足なく味わい楽しむことができて、そのおかげで耳が肥え知識が増え、結果、現在に至っているというわけなんですね。

 

この Black Beauty 音楽ブログをはじめたころはこんなことに気付いていなくて、ただ音楽が好きでどんどん聴いては感想をメモしているうちにそのテキスト・ファイルがたくさんたまったので、そのままにしておくのはもったいないかなと思い公開してみようとなっただけです。でもいま考えてみれば、ぼくに向いている趣味行動かもしれないですよね。

 

音楽のことについても、他者と関わりあう部分(ほかのかたのブログのコメントや SNS でのやりとりなど)では失敗しそうになったり実際失敗したりすることがあるんですけど、自分で聴いて書いて公開するだけであればその心配はありません。最近はアスペルガー症候群であるという気づきもあるし診断も受け、そのちょっと前ごろから他者との関係性もちょっぴりマシになってきているかなと思わないでもありません。

 

こういう障害があるんだから、だれとも他人とはうまくやれないんだから、と思って、強く意識し(自へも他へも)心配心、警戒心が働くようになって、あらかじめなにもしない、だれにもなにも言わないように心がけるようになっただけかもしれないですけどね。部屋で音楽を聴くだけ、感想を抱くだけであればどなたにも迷惑はかけないはず。人間関係がどうのこうのといったことはありません。その感想を記した文章をネットで公開するのはちょっとした社会的行為かもしれませんけれども。

 

ともあれだれともかかわりにならないように、だれにも近づかないようにしておかなくちゃいけません、ぼくは。親、兄弟をふくめ他者との関係が持てない人間なんですから。ひとりぼっちだというのはこういった意味なんですね。人間関係はダメです。音楽や文学などフィクション作品で癒されている毎日です。

 

(written 2020.1.17)

2020/01/19

オールド・ジャズ・サンプル&ヒップ・ホップ・ビート 〜 ジャジナフ

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https://open.spotify.com/album/6vegq6LL9m04TDg4QyS06Q?si=IltFh_jCSO63Z3tRMmK9uA

 

タイトルでぜんぶ言っちゃっていますけれども、何者なのかはいまだ知らないジャジナフ(Jazzinuf)、個人?ユニット?プロジェクト?わかりませんが、2016年リリースとなっているアルバム『コーヒー・アンド・シガレッツ』のことを好きになっちゃいました。もうすっかり愛聴中。Spotify でジャジナフをさがすとほかにもたくさんあって、聴いてみたらどれも同趣向。ハード・バップ・ジャズとヒップ・ホップ・ビートを合体させているんですね。

 

21世紀の新世代ジャズでヒップ・ホップ・ビートを使っているものはたくさんあって、もはやあたりまえになっていますが、ジャジナフならではの着眼点は古いハード・バップを持ってこようと思ったところにあります。たぶんそのトラックはぜんぶサンプリングなんでしょう。聴いたことある(ような)ものがそのまま流れてきますからね。1950〜60年代のジャズ・レコードで聴ける演奏をそっくり使っているんだと思います。

 

それにヒップ・ホップ・ビートを混ぜているっていう、このビートはたぶんジャジナフが(コンピューターで)つくっているんでしょうね。それで古いものと新しいものを折衷させているんだと思います。ジャズ演奏そのものはぜんぶサンプリングでまかなうというのはおもしろい発想ですよね。でも聴き慣れた音楽が新しい容貌で出現するので、なかなかの快感ですよ。ひとによっては「名演を冒涜するな!」とか言いそうですけど。

 

サンプリングしてある演奏トラックのサウンドは、ミキシングの際にわざとちょっぴりロー・ファイにし、しかも遠景においているような、そんな感じで小さめの音量で聴こえるように混ぜているのもいいアイデア、いい雰囲気で、ジャジナフの音楽が気持ちよく聴こえる大きな要因ですね。古いジャズ演奏をサンプリングし、ヒップ・ホップ・ビートをつくって付与し、ヴォイスとかほかにもあらたに録音してくっつけてあるかもしれませんが、くわしいことはわかりません。

 

とにかく雰囲気一発の音楽で、真剣に向き合って聴き込むというよりは、なにかの、カフェでとか、バックグラウンド・ミュージックとしてこそうまく気持ちよく聴こえるジャジナフの『コーヒー・アンド・シガレッツ』。軽〜い音楽ですけど、ときどきこういうものもいいんじゃないでしょうか。こういった軽薄な新旧折衷に抵抗のない向きにはちょっとしたオススメかもしれません。

 

(written 2020.1.6)

 

※(1.15 追記)こういう音楽をここ二、三年ほどでローファイ・ヒップ・ホップ、チルホップと呼ぶようになっているようです。今日知りました。

 

※※(1.16 追記)ジャジナフはソウル在住の韓国人のようです。個人のプロジェクト名なのかもしれません。

2020/01/18

フランス人歌手のやるタンゴ・デカダンス 〜 ノエミ・ウェイズフェルド

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https://open.spotify.com/album/43tUHhhMcJSy0FQiOIiCSk?si=Ckn53kq-SLS4hJpq3Mdvig

 

ノエミ・ウェイズフェルド(Noemi Waysfeld)はフランス人歌手で、その2019年作『Zimlya』でやっているのはタンゴですね。それもアストール・ピアソーラみたいなモダン・タンゴ。好き嫌いが分かれると思いますが、個人的には決してきらいじゃありません。なんだかジャジーですしね。アルバム『Zimlya』ではいきなりビリー・ホリデイの「奇妙な果実」を英語で歌って幕開け。アメリカ南部における黒人差別を告発したこの歌をノエミはどうしてとりあげたのでしょう?これもモダン・タンゴにアレンジされてあるんですね。

 

そうかと思うと2曲目では突如クレズマーを展開。しかもこれ、ノエミは何語で歌っているんでしょう?ロシア語?わからないんですけど、アルバム中この曲でだけバス・クラリネット奏者が参加して、ややアヴァンギャルドな演奏を聴かせているのもおもしろいところです。かなりジャジーですね。しかしこんな路線はアルバム中この曲だけなんで、必然性みたいなことは弱いような。

 

3曲目「アブサンス」で、このアルバムでのメイン路線であろうピアソーラふうモダン・タンゴを全面展開。ヨーロッパ的デカダンスを感じさせる演奏と歌で、もともとタンゴにはそういったものがありましたね。欧州的退廃はアルゼンチンはブエノス・アイレスにも濃いものでしたし、コンチネンタル・タンゴだってあります。ノエミのこの2019年作はだいたいこんな感じで貫かれていると見ていいでしょう。

 

ところでタンゴといえばバンドネオンがつきものですが、このアルバムではアコーディオンが使われています。聴いた感じ、ひょっとしたら鍵盤型じゃなくてボタン式のアコーディオンなのかもしれません。ぼんやり聴いていると、あれっ、バンドネオン?と思えたりもするくらい、ちょっと音色や音の粒立ちが似ています。3曲目では特にそんなタンゴ・スタイルのアコーディオンがいい味を出しています。間奏ソロなんか、好きですね。コンチネンタル・タンゴではアコーディオン使用がふつうでした。

 

アルバム・タイトルになっている4曲目ではまずいきなりウードかきならしが出て、あれっ、ちょっぴりアラビアン?と思わせておいて、すぐにアコーディオンとアクースティック・ギター・カッティングが入ります。曲に中近東ふうなところは聴きとれず、やはりヨーロッパ的な退廃ムードが横溢していますね。しばらくやってコントラバスと打楽器が出てからが本番で、本格モダン・タンゴになっています。そこからはなかなか聴ける感じになって、ジャジーなアコーディオン・ソロもいい感じ。ジャジーというか、あまりにもピアソーラそっくり(アルバム全体でそう)ですけどね。

 

ノエミのヴォーカルはフランス語で歌っているばあいが多いんでしょう。かなり強く激しく発声して声を張り、かと思うとときにささやくようなウィスパリングも聴かせたり、曲ごとに、また一曲のなかでも曲想の変化にともなって声をチェンジしていますね。歌手として特にすぐれているとか目立つ特徴はあまりないかもと思うんですが、このアルバムではわりといい印象です。シャンソンっぽいしゃべるような歌いかたをしているばあいもあります。

 

ここまで書いてきたことでこのアルバムの内容はだいたいぜんぶそろったかなと思います。5曲目以後も似たような感じが続くんですね。やや一本調子というか単調かもしれないので、後半ちょっと退屈しますけど、それでも全体的に好内容であることに変わりはないですね。ノエミはスラブ系の出自らしく、そのこととクレズマーをやったりタンゴに入れ込んだりするのは関係あるんでしょうか。

 

(written 2020.1.6)

2020/01/17

ニコスの仕事が光るアスパシアの『Filachto』

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https://open.spotify.com/album/6YZZAAceS7ChodoLfvVUym?si=m4gbx9AsSQaK6vRcdzXWDw

 

いやあ、それにしてもいいジャケットです。これまたいかにもギリシア歌謡というような、哀感あふるるニコス・サマラスとアスパシア・ストラティゴウのコラボ作『Filachto』(2019)。渋くて、こりゃ実にいいですね。エル・スール界隈とかでは大人気のはず。エル・スールといえばその HP でこのアルバムはアスパシア中心のコラボ作であるような書かれかたになっていますけど、本当はたぶんニコス中心なんじゃないかとぼくは思います。主役歌手であるアスパシアのほうに肩入れするのはじゅうぶん理解できますけれども。

 

いずれにせよ、このアルバム『Filachto』はかなりの充実作ですね。ジャケット絵がすべてを物語っていますが、この地味さ、落ち着き、渋さ、哀感など、ギリシア人でないと出せないもので、しかもそれは遠いレンベーティカ全盛時代からの遺産をいまでもしっかりと持っているからこそのものでもあります。このアルバムでは特に曲がいいですね。大半ニコスが書いているんじゃないかと思います。

 

ソング・ライティングのこのなんともいえない情緒感、たまりませんねえ。アスパシアの声もすばらしいんですけど、これはたぶんだれが歌ってもこんなフィーリングにしあがったであろうような、そんな曲づくり、アレンジのすばらしさを感じます。伴奏陣の演奏ぶりも充実しています。特に弦楽器アンサンブルの見事さなんかきわだっていますよね。

 

3曲目では打楽器の音が目立ちますし、その地中海的な?リズムもいいです。ちょっぴり北アフリカのセンスをこのリズムには感じないでもないですね。ギリシアと北アフリカ地域は地中海をはさんでいるだけでとなりあっているとも言えるわけで、文化的に相互影響があったことは歴史的に疑いえませんから。いままでもギリシア音楽に、たとえばヨルゴス・ダラーラスにアルジェリア音楽の痕跡が鮮明にあることを指摘してきました。

 

アルバム・タイトルになっている5曲目はオールド・レンベーティカからの流れをストレートに感じさせる曲で、これまたコンポージングがすばらしいんですね。アスパシアのヴォーカルもいいし、ニコスが弾いているであろう弦楽器のオブリガートもソロも見事です。曲のリズムもいい。この5曲目が個人的にはこのアルバムでの白眉で、大のお気に入り。やっぱりニコスのプロデュースぶりが光ります。

 

ニコスのプロデュースぶりが光っているのはこのアルバム全体で言えることなんで、曲づくりからアレンジ、伴奏陣の人選や起用法、演奏の際の指示、アスパシアへのヴォーカル指導など、なにからなにまで徹底していて、その結果あってのこの歌の出来具合なんでしょう。アスパシア個人が云々というより、そこにこそ賞賛を贈りたいと思います。

 

(written 2020.1.5)

2020/01/16

コノシエンド・ルシアの最新作が好き

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https://open.spotify.com/album/5N3ahntioMGhMCkEOuNJUn?si=I3OKYX-OQYSxUWAF0GbL6w

 

アルゼンチンのグループみたいです、コノシエンド・ルシア(Conociendo Rusia)。その2019年作『Cabildo y Juramento』がわりといいので、好きになっちゃいましたよ。ポップなラテン・ロックと言っていいんでしょう、アルゼンチンならではという音楽要素は聴きとれませんが、楽しくカッコいい音楽です。ちょっと日本のサザン・オールスターズに似たような感じにも思えますね。ギターとヴォーカルを中心に音楽を組み立てて、コノシエンド・ルシアのこの作品ではそれにくわえブラス・バンドが彩りを添えています。

 

なかでも好きなのは1曲目、2曲目の流れです。ハーモニカの音が出る1曲目は哀感が強いミドル・テンポで、おもわずグッと惹きつけられますが、2曲目になったらパッと風景がひろがるみたいな明るく大きなグルーヴを感じますよね。このアルバムの特色であるブラス・バンドも活躍。曲全体がちょっとブラス・ロックふうなポップさで、これ最高じゃないですか。やはりアルゼンチン色はなしです。

 

ここまでの二曲はやや濃ゆい感じでしたが、3曲目以後はちょっと軽いフィーリングのものもあります。アメリカ合衆国でいえばフォーキーなカントリー・ロックみたいな感じのものだって混じっているんですね。コノシエンド・ルシアというのがいったいどんな集団なのか、調べてもよくわからないんですが、(国の)ロシアと関係あるのか、Rusia ということばを使っているからやはり命名の際には意識したんでしょうね、でもアルゼンチンのバンドなんですけど。ロシアン・テイストもゼロだなあと思います。

 

楽しいフィーリングで、曲によってはロック・ギターも派手で聴かせるものがあるし、曲がなんといってもいいですよね。ちょっとクセのあるこのヴォーカリストもなかなかの味でしょう。バンドのキャリアなどがぜんぜんわからないもんだからなんともいえませんが、まだ若そうですね。なんでもない感じのアルバムで、こじんまりしてますけど、個人的には好感触です。

 

(written 2020.1.3)

2020/01/15

聴き専とプレイヤーの違い

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思い出話です。

 

かつてネットのパソコン通信をやっていたころ(1995〜2000年代初頭)、ぼくは主に音楽リスナーズ・フォーラム(FROCKL)に生息していたんですけど、おもしろそうだからと思ってプレイヤーズ・フォーラム(FROCKP)にも登録してログを読んでいましたし、書き込みもしていました。プレイヤーといってもたぶんプロのかたはあまりいなかったんじゃないでしょうか(吾妻さんくらいかな、ぼくが認識していたのは、でも彼も専業ギターリストじゃない)。アマチュア・プレイヤーで、リスナーだけどどっちかというとみんなでわいわいセッションするのが好きっていう、そんな腕利き連中の巣窟でした。

 

歌ったり演奏したりせず聴くのだけ(聴き専)というひとも、実はリスナーズ・フォーラムにも少なくて、そっちにもっぱら所属している会員でも過去にバンド経験はあるというひとが多かったんですね。だからリスナーズ・フォーラム、プレイヤーズ・フォーラムといっても根本的な違いはなくて(そりゃそうだ)、比重をどっちに置いているかというだけの話でした。どっちでも活動しているひとはわりといたし、リスナーじゃないプレイヤーはいませんからね。

 

でもフォーラムの会議室での話題はかなり違っていました。リスナーズ・フォーラムでは、聴く際の参考になるようにと楽理や演奏技巧の話をしたりするばあいもなかにはありましたがそれはもちろん余興みたいなもんで、CD やレコードを聴いての感想や論議などがほとんどでした。プレイヤーズ・フォーラムでは楽器演奏や歌唱についてのもっと専門的・技巧的な話題が中心でしたからね。

 

いちばんここが違うなと感じたのはオフ会での様子です。リスナーズ・フォーラムのオフ会は、とにかくレコード・ショップをどんどんまわるんです。1995年にぼくはパソ通をはじめたので、CD 全盛期ですよね。なによりも CD を見ればテンションが上がる、三度の飯より CD が好きという連中の集団ですから、お店でも〜う大騒ぎなんですよ(笑)。何時間でも、そりゃ半日でも、レコード・ショップにい続けてまったく飽きないわけです。おわかりですよね。

 

そんで晩ごはんの時間くらいになってくるとさすがにレコード・ショップ街を離れて、飲み食いできる場所に移動しますが、話題はもっぱらその日の収穫物、つまりどんな CD やレコードを買ったかの報告とウンチクとツッコミみたいなことばかりです。お酒もあまり飲まず(だいたい下戸が多かった)、そりゃもう買った音盤の話でこれまた延々といつまでも、終電近くになるまで飽きもせず、ず〜っとおしゃべりを楽しんでいるんですね。

 

プレイヤーズ・フォーラムのオフ会では、まず集合時の風景がまったく違いました。ギターやベースなど楽器をみんな抱えているんですね。だから一瞥して、あっ、この集団だなとわかります。いちおうレコード・ショップまわりからはじめるんですけど、しばらくするとみんな飽きちゃって(これがぼくには信じがたかった)、お店を離れてお酒を飲めるお店に移動し、食べたり飲んだりをはじめちゃうんですね。

 

ぼくなんかもちろん聴き専の人間ですから、こんなおもしろい CD があるよとみんなに言いたい気分がずっと続いているんですけど、リスナーズ・フォーラムのオフ会ではそれで盛り上がっても、プレイヤーズ・フォーラムのオフ会ではそれが通用しないんですね。ふ〜んってな顔をしてあっちに行っちゃいます。酒飲みの比率が高いというのもプレイヤーズ・フォーラムの特色だったかもしれません。

 

そんなことでレコード・ショップからは早々に退散せざるをえなくなってしまい、日の高いうちから飲食となり、CD 関連でぼくは消化不良のままだったんですけど、日暮れて飲食を済ませるともちろんスタジオに移動してセッションとなります。リスナーズ・フォーラムのオフ会では音盤論議に花が咲くわけですけど、プレイヤーズ・フォーラムのオフ会ではセッションをやるのがメイン・イベント。

 

そうなるとメンバーの目の色が変わっちゃうんですね。俄然みんな輝きはじめます。パッと即興でその場でできるものということで、定型ブルーズのスタンダード・ナンバーなどがとりあげられるんですけれども、ただのジャム・セッションですから、一曲(というかモチーフというか)で延々とやっているんですね。ぼくはといえば歌う側になって、いろんなブルーズ・リリックを借りてきて即興でフレーズをつむいでいました。

 

聴き専フォーラムのメンバーでセッション・オフ会をやることもありましたが、例外的だったと思います。いっぽうプレイヤーズ・フォーラムのオフ会ではセッションは毎回必ずやっていたし、セッション・オンリーのオフ会も多かったんです。そっちで音盤論議みたいなことにはならなかったと記憶していますよ。ゴチャゴチャ言うならちょっとやってみようじゃないかというのが彼らのスタンスで、飲食の場での会話も「としまさんはギターとかやらないの?」とか、そんな感じのものが多かったですかねえ。

 

リスナーズ・フォーラムとプレイヤーズ・フォーラム、ふだんのオンラインでの会話風景も違っていましたが、でも根本的には同じ連中の集まりだなという印象がふだんはあったわけです。でも実際にオフ会などでしゃべったりしていると、なにかやはり質の違う集団なのだろうかと思うことも多かったんですね。

 

(written 2020.1.3)

2020/01/14

似ている三人 〜 アンナ・セットン、ルシアーナ・アラウージョ、ジャネット・エヴラ

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https://open.spotify.com/playlist/14sdJUNSrCNUAFZTP18PXp?si=K_wCDDa0QPaR1vx2VbNOYw

 

この三人のそれぞれのアルバム、上のリンクで一個のプレイリストにまとめてみましたので、ご覧ください。なんだかちょっと似ているような気がしているんですよね。アンナ・セットンとルシアーナ・アラウージョはブラジル、ジャネット・エブラはイギリス出身のアメリカ、という違いはあるんですけど、音楽の種類もちょっと異なっているとは思いますけど、なんだかヴォーカルと伴奏のサウンド質感、肌ざわり、トータルでの音楽性に共通するものがあるんじゃないですか。

 

このなんとなくのフィーリングを言語化するのはむずかしいんです。う〜んなんというかアメリカ合衆国のジャズっぽいところのあるブラジル音楽というか、ひっくりかえしてブラジルふうなテイストのあるアメリカン・ジャズというか、少人数編成のシンプルな伴奏で、スーッと素直にストレートに歌う若手女性歌手ということですかねえ、共通しているのは。

 

でもブラジル特有色のやや薄いアンナとジャネットに比べ、ルシアーナのアルバム『サウダージ』ではブラジルのローカル色がちょっぴり濃いめに出ていますよね。サンバを基調として、そこにバイオーンなどブラジル北東部の音楽をすこし混ぜたみたいな、そんな感じの音楽を展開しています。それでもってやっぱりジャジーというかジャズ・ヴォーカルっぽいという点ではほか二名と同じなんですけど。

 

これら三人のなかでいちばんニュートラルというかローカル色がなく普遍的な音楽に聴こえるのはアンナのアルバムじゃないでしょうか。ブラジル人ながらその色はほぼなしとして過言ではありません。比較したらブラジル人じゃないのにジャネットの『アスク・ハー・トゥ・ダンス』のほうがボサ・ノーヴァ・テイストがあってブラジル的ですよね。それもほんのり薄いのではありますが。

 

つまり三人ともほんのり薄く感じる(あるいはほぼ感じない)ブラジリアン・ジャズ・ヴォーカル、しかも若い女性ということで、そういったあたりに共通するフィーリングというか肌ざわりをぼくは嗅ぎとっているのかもしれません。また三人とも発声、歌いかたにも共通する部分がありますね。軽くソフト&スムースに歌っているでしょう、そんなところも似ているんです。

 

アメリカ合衆国とブラジルが交差する周辺の女性ジャズ・ポップ・ヴォーカルに、新世代の共通する資質を持った一定の歌手たちが登場していて、一つのシーンを形成しつつあるのだという見方ができるのかもしれないですね。いまのところぼくが見つけているのはアンナ・セットン、ルシアーナ・アラウージョ、ジャネット・エヴラの三人だけですけど、もっと出てくればひとまとまりのムーヴメントとして記述することができるでしょう。

 

(written 2020.1.2)

2020/01/13

アンナ・ナリック、 100年間のアメリカを歌う

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https://open.spotify.com/album/4Y1pJXJlrvNxSdk0vaLmNp?si=DCuglSzuQdSC7B6R4bZtMQ

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/12/09/the-blackest-crow-anna-nalick/

 

アンナ・ナリックっていう歌手、ぼくはいままで知らなかったんですが、ロス・アンジェルス出身のシンガー・ソングライターで、15年ほど前にプチ大ヒットを飛ばしたことがあるそうです。「ブリーズ」という曲なんですって。ちっとも気づきませんでした。その後やや不活発になっていたんでしょうか、いままで名前を聞くこともなかったんですけれど、健太さんの紹介でアルバム『ザ・ブラッケスト・クロウ』(2019)を聴いてみたら、とってもいいじゃないですか。びっくりしちゃいました。

 

このアンナ・ナリックの『ザ・ブラッケスト・クロウ』は、しかし全曲カヴァー・ソングなんです。かなりの有名曲もあるし、なんたって新旧とりまぜジャンルも横断して、幅広い楽曲の数々をとりあげているのが目を引きます。伴奏はアクースティック・ギター、コントラバス、パーカッションの三人だけ。曲によってはこれにチェロ奏者がくわわりますし、またギターだけの伴奏とかベースだけといったものだってあるんですね。要はアンプラグドというか全編アクースティック・サウンドで貫かれています。

 

というわけでスタンダード集みたいな側面もありますから、下にこのアルバム収録曲の作者と初リリース年を一覧にしておきます。この作品を理解するには重要なことだと思うからです。一瞥してなんらかの傾向を嗅ぎとることができるでしょうか。

 

1「アズ・タイム・ドロウズ・ニア(ザ・ブラッケスト・クロウ)」(トラディショナル、南北戦争ごろにはあったらしい)
2「マイ・ラフ・アンド・ラウディ・ウェイズ」(ジミー・ロジャーズ、1929)
3「サム・オヴ・ジーズ・デイズ」(シェルトン・ブルックス、1910)
4「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニイモア」(デューク・エリントン、1940)
5「ウォータールー・サンセット」(キンクス、1967)
6「ヘルプレスリー・ホーピング」(CSN、1969)
7「アイル・ビー・シーイング・ユー」(サミー・フェイン、1938)
8「トゥルー・ラヴ・ウェイズ」(バディ・ホリー、1960)
9「マイ・バック・ペイジズ」(ボブ・ディラン、1964)
10「ザッツ・オール」(ボブ・ヘイムズ、1952)
11「ライト・ヒア、ライト・ナウ」(ジーザス・ジョーンズ、1990)
12「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」(ハーマン・ハップフェルド、1931)

 

かなり古い曲から1990年のものまで約100年間近くのアメリカン・ソングを(英国のものも一曲だけあり)ジャンルを問わずチョイスしていますよね。1990年のジーザス・ジョーンズの曲はでも例外で、基本的にアンナ・ナリックを形成したやや古めの曲の数々、また本人と直接の縁はなさそうな第二次大戦前のものが中心になっています。

 

カントリーのジミー・ロジャーズの曲もあるし(アンナもブルー・ヨーデルを披露する)、ジャズのデューク・エリントンとか、やはりジャズ歌手がやることの多いスタンダードである「サム・オヴ・ジーズ・デイズ」「アイル・ビー・シーイング・ユー」「ザッツ・オール」「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」があります。かと思うとロック寄りの CSN やボブ・ディランの歌だってありますよね。

 

それらがシンプルなトリオ編成(+1)の伴奏でいい感じに仕上がっているなと思うんですよ。特にぼくの耳を惹いたのはジャズ系の曲。たとえばデュークの「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニイモア」。間奏のギター・ソロがジャジーじゃないのがかえっていい感じに聴こえるし、なんだかヴァースがついているし(そんなのあったっけ、この曲)、アンナもうまく歌っていますよね。

 

ビリー・ホリデイがコモドア盤で歌った二曲「アイル・ビー・シーイング・ユー」「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」なんかもステキです。前者では間奏でチェロ・ソロが入るのがなんともすばらしく、曲の持つムードをもりあげていますよね。アルバム・ラストにある後者はギター一台だけの伴奏で淡々とシンプルにアンナが心境をつづっているのが沁みます。

 

ジャズ・ソングじゃないもののなかでは、個人的にディランの9曲目「マイ・バック・ページズ」が特に印象に残りました。このギター・アレンジがいいですよね。この曲での伴奏もまたギターだけです。颯爽としているし、アンナの歌いかたもカッコイイです。この歌はディランが過去の自分と一線を引く内容なんですけど、アンナもまたヒットを飛ばして15年経って、その間試行錯誤があったみたいで、過去をふりかえり決別し、前に進みたいという気持ちがあるのでしょうか、「あのころの自分よりもいまはもっと若い」のだと。それにしても各種ヴァージョンと比較して、格別カッコいい「マイ・バック・ページズ」ですね。

 

(written 2020.1.1)

2020/01/12

ワイアット・マイケルという新人がちょっといい

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https://open.spotify.com/album/409Oa29NsXy6FMcj1Mub4r?si=QrQo0JZsSQ-xqe28uP2yxw

 

萩原健太さんに紹介していただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/12/11/renaissance-wyatt-michael/

 

ワイアット・マイケルなる若者をはじめて聴いたときは、びっくりしたというよりも笑っちゃいました。あまりにもフランク・シナトラそっくり。完璧にその世界を追いかけていて、ワイアットはいまはまだシナトラに憧れてフル尊敬していて、そのまま完全コピー、真似っこしている真っ最中です。声の出しかたやフレイジングなど、なにからなにまでシナトラをそのまま忠実になぞったような新人ジャズ歌手なんですね。

 

いまどきシナトラをこんな熱心に追いかけるなんて、ちょっとめずらしいというか時代錯誤というか、読者さんのなかにはここまでお読みになっただけでワイアット・マイケルというのは遠慮したいという向きもおありではないでしょうか。でもちょっと待ってください。自主制作盤だという彼のデビュー・ミニ・アルバム『ルネサンス』(2019)はなかなか雰囲気のある、好感を持てる作品なんですよ。

 

アルバム『ルネサンス』でワイアットのシナトラ完コピぶりがいちばんよくわかるのは、やはり4曲目の「イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ・オヴ・ザ・モーニング」でしょうね。言うまでもないシナトラが1955年に歌った代表作のひとつです。シナトラはネルスン・リドル・アレンジの瀟洒なストリングスを従えてじっくり歌っていましたね。都会的な孤独感を強くたたえたその歌唱は、そりゃあ見事なものでしたし、そもそもアルバム『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』が孤独や喪失をテーマにしたコンセプト・アルバムでした。

 

ワイアットはそれをふまえた上で、アルバム全体がそうですけど、ずっといっしょにインディ活動している相棒のギターリスト、クリス・ワイトマンだけをしたがえて、たったギター一本だけの伴奏で、実に切々と「イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ」を歌っているんですね。ギターだけ、多重録音もギター・ソロ部だけ、つまり歌の部分は完全一発録り(マイクを一本しか使わなかったらしい)というシンプルさで、深夜にたたずむ人間の孤独な哀切感を、ワイアットなりにこれ以上ないフィーリングで表現しているんじゃないでしょうか。

 

アルバム『ルネサンス』全体がギター一本だけでの伴奏で歌ったものというのは、とても大きなポイントだろうと思えます。ワイアットが憧れるシナトラは、だいたい常にオーケストラをしたがえて歌っていました。もちろんワイアットはまだブレイク前なんでお金も名前もなく、自主制作盤で相棒ギターリスト以外やってくれるひとがいないという事情はありましょう。しかしここではそれが結果として音楽的に功を奏しているといえるサウンドなんですね。

 

つまり親密さ、プライヴェイトな感触、アット・ホームなフィーリングを、たったギター一本の伴奏で歌うことで表現できていると感じるんです。マイク一本で録ったというこの音響もそうですよね。シナトラに憧れて追いかけて、フル・コピー状態のままのワイアットですけれど、シナトラが近寄りがたいケレン味を強く(強すぎるほど)まとっていたのとは正反対な素朴さ、ナチュラルさを、このアルバムでは出しているように、ぼくには聴こえます。

 

シナトラをどこまでも追求し、発声から節まわしからなにからなにまでそっくりに似せているワイアットなのに、結果はちょうど真逆なシンプルなナイーヴさを表現することになっているのは、それもまたシナトラ的ヴォーカルの持ちうる可能性だったのか、それともワイアットならではの独自個性なのか、どっちなんでしょう?

 

そんなワイアットの姿、これまたシナトラのアルバム・ジャケットを意識したようなイラストで飾られた『ルネサンス』のジャケットでは、ギターリストだけを脇においての、これはたぶんパリのセーヌ川にかかるどれかの橋の上という設定ですよね。これもインティミットさをかもしだすことに成功しています。パリであるというのはこのアルバム1曲目、ムード満点な「パリ・イズ・ザ・セイム・オールド・パリ」(「イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ」を書いたデイヴィッド・マンの未発表作品を遺族の許可のもとワイアットが発掘したもの)を下敷きにしています。

 

(written 2019.12.31)

2020/01/11

マイケル・ネスミスの1973年インストア・ライヴが楽しい

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https://open.spotify.com/album/1qKFWOAhRKluokVpeLE0Xc?si=kLO_IfhwR1GGuZTFw_rMVg

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/12/04/cosmic-partners-michael-nesmith/

 

2019年の初冬にリリースされたマイケル・ネスミスの未発表ライヴ・アルバム『コズミック・パートナーズ〜ザ・マッケイブズ・テープス』が文句なしに楽しいですよ。マイク・ネスミスはもちろん元モンキーズのメンバーですけど、アイドルあがりだろうとバカにするひとなどいないのでは。実力のほどは中村とうようさんも認めていましたね。本格カントリー・ロッカーと呼んでいいはず。

 

『コズミック・パートナーズ』は1973年8月18日にカリフォルニアはサンタ・モニカのギター・ショップ「マッケイブズ」で行われたライヴ。アルバム題のマッケイブズはここから。マイクのギター&ヴォーカルのほかは、ペダル・スティール・ギター、ベース、ドラムスというシンプルなカルテット編成で、和気あいあいとしたごきげんなライヴを聴かせてくれているんです。

 

このアルバムには演奏や歌のないおしゃべりだけのトラックもけっこうあるし、演唱トラックでも前後にたいていおしゃべりがくっついています。観客の反応もよく入っているし、親密でのんびりしたインストア・ライヴの様子が伝わってきて、録音されたものを自宅で聴いているだけのぼくでも気分がなごみますね。アメリカのカントリー・ロッカーって、こういった雰囲気をかもしだすのも持ち味ですよ。

 

ただたんに雰囲気がいいっていうだけじゃありません、演奏と歌の内容も見事なものなんです。特にアクースティック・ギターでカッティングを聴かせるマイクと、ペダル・スティールで極上の味わいを出す O.J.・レッド・ローズの熟練ぶりが目立ちます。ベースとドラムスはサポートに徹していますかね。レッド・ローズはマイク・ネスミスのソロ・キャリアの初期からずっと付き合ってきていますので、息はピッタリ、阿吽の呼吸です。

 

ジミー・ロジャーズ・ナンバーのカヴァーでは、マイクがやはりブルー・ヨーデルを披露するし、自作曲でも既存のものや当時の発売予定のものなど新旧とりまぜて、また歌のないインストルメンタル・ナンバーも二曲あり、それらでのマイクのソツのないギター・カッティングぶりとレッド・ローズの絶妙に入るペダル・スティールのオブリガートやソロなど、楽しさ満載です。リラックスできて、流し聴きしてよし聴き込んでよしと、カントリー・ロックの小規模インストア・ライヴとして文句なしのできばえですね。

 

ところでギター・インストルメンタルといえば、このアルバム10曲目の「ポインシアーナ」。第二次世界大戦前からある古い有名曲ですけど、お聴きになって日本人なら感じることがあるでしょう、そう、美空ひばりが歌った「川の流れのように」のメロディそっくりなんですよね。ひょっとしてそれを作曲した見岳章は「ポインシアーナ」を参考にしたのではないでしょうか。これだけソックリなんだからだれかが言っているはずとネット検索してもあまり出てこないのが不思議です。ひばりの有名曲なので、みなさん遠慮なさっているのでしょうか?

 

それはそれとして、マイク・ネスミス。『コズミック・パートナーズ』のなかで個人的にぼくがいちばんグッときたのは、長いエピソードをしゃべったあと最後にやる二曲「ジョアンヌ」と「シルヴァー・ムーン」です。特に「シルヴァー・ムーン」かな、これは本当に絶品と言っていいすばらしいヴァージョンだと思います。

 

「シルヴァー・ムーン」はマイク・ネスミス最大の代表曲のひとつなんですけど、ここに収録されているヴァージョンはテンポ設定といい、ギター・カッティングのうまさといい全体のアレンジといい、レッド・ローズのからみ具合、ベースとドラムスのサポートの堅実さといい、もうどこをとっても100%完璧ですね。オリジナルやいくつかあるライヴ・ヴァージョンと比較しても、ここまで見事な「シルヴァー・ムーン」はありません。

 

このマッケイブズ・ヴァージョンの「シルヴァー・ムーン」には、しかもカリブ風味があるでしょう。これが特筆すべきことがらです。ぼくははっきりとそれを感じますよ。カントリー・ソングなのに、というかそうだからこそ、こういったリズムは付与されうるものだと思うんですね。特にマイクのギター・カッティングのリズム・ニュアンスを聴いてみてください。ふりかえればもともとカリビアン・ニュアンスのある曲想を持つものだったのかもしれないですね。レッド・ローズのペダル・スティールも南洋ムードに聴こえます。

 

こんなにも心地いい「シルヴァー・ムーン」はないなあ、こんなにも心地いいアメリカン・ポップ・ソングもなかなかない、と思いながらすっかりいい気分にひたりきってリラックスして聴いていると、このライヴを収録したテープが突然ヒュルヒュルって止まってしまい、「シルヴァー・ムーン」が終了しないまま、途中で突如夢から現実に引き戻されたみたいな気分で、なんだかぼくはこ

 

(written 2019.12.30)

2020/01/10

ボサ・ノーヴァのせいよ 〜 イーディー・ゴーメ

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https://open.spotify.com/album/2ZEGjN8ahDXR1mrFvwJaOh?si=62lD-UG3Rjaj2WU8JkSi5w

 

昨日ハンク・モブリーのアルバム『ディッピン』にある「リカード・ボサ・ノーヴァ」(「ザ・ギフト」)のことを書いて、イーディー・ゴーメ・ヴァージョンに言及したでしょ。そうしたらやっぱり聴きなおしたくなって、Spotify でさがしたらあったので聴いたんですよ、「ザ・ギフト」が収録されているイーディーのアルバム『ブレイム・イット・オン・ザ・ボサ・ノーヴァ』(1963)を。なかなか悪くない作品じゃないですか。

 

昨日書いたような思い出のある曲、アルバム、歌手ではあるんですが、実はいままで歯牙にもかけていなかったんですよね。ところが長いときを経て、特にごく最近かな、ぼくの趣味も変わってきているんでしょう、イーディー・ゴーメの『ブレイム・イット・オン・ザ・ボサ・ノーヴァ』みたいな軽いジャズ・ボッサ・ヴォーカル作品が心地いいと感じるように心境がというか好みが変化しています。むかし大学生〜大学院生のころはケッ!とか思っていたのになあ。

 

その背景として、ひとつには最近ブラジルの会社ジスコベルタスがどんどんリイシューしている過去のブラジル音楽アルバムのシリーズがあります。あのシリーズのなかにはサンバ・カンソーンや軽めのボサ・ノーヴァ、ジャズ・ボッサみたいなものがありますよね。そういうのを次々と耳にしているうちに、そういう音楽の楽しみかたが自分なりに身についてきたのかもしれません。

 

それに今回イーディー・ゴーメの『ブレイム・イット・オン・ザ・ボサ・ノーヴァ』を耳にしてみたら、なかなかよくできた秀作じゃないかなとも感じたんですね。最大の理由は、イーディーのなめらかなヴォーカルの味もさることながら、なにより伴奏のアレンジと演奏です。アレンジャーは曲によってニック・ペリート、メアリオン・エヴァンズ、ビリー・メイの三名がそれぞれ分担。このアルバムでこの三名のアレンジを聴き分けることは(判明していますが)むずかしいと思います。

 

それくらいアルバム全体が軽快なアメリカン・ジャズ・ボサ・ノーヴァで統一されていますよね。コロンビアのプロデューサーだったアル・ケイシャの仕事が徹底していたということでしょう。選曲もいいですよ、「ワン・ノート・サンバ」「ザ・ギフト」「ディザフィナード」などは当然のできあがりでしょうけど、「オールモスト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ」「ムーン・リヴァー」といったボサ・ノーヴァとは縁もゆかりもない曲だってとりあげて、それを100%完璧なジャズ・ボッサに仕立て上げているんですから。

 

プレイヤーの具体的なパーソネルは一部しかわかりませんが(マンデル・ロウやクラーク・テリーがいます)、それも手練れの演奏ぶりで感心します。かなりの部分が譜面になっていたんだなと聴けばわかりますが、練習とリハーサルをくりかえしたということもあるでしょうし、そもそもこれくらいこなれた演奏のできるメンツをそろえていたんでしょうね。

 

1963年にこれだけこなれたスムースなジャズ・ボッサをすいすいと難なく(と聴こえる)演奏し、主役のイーディー・ゴーメの歌を寸分も邪魔せずもりたてて、アルバム全体を軽いポップな、つまりヒットするようなできあがり感満載にしあげる、当時のコロンビア製作陣と演奏者たちの仕事ぶりに、いまさらながらあらためて感心しちゃいました。

 

これだけお膳立てがちゃんとしていればどんな歌手だってそこそこの作品ができると思うほどですが、それにくわえてイーディー・ゴーメのようなチャーミングなポップ/ジャズ歌手がノリよくボサ・ノーヴァ・スタイルをものにしたヴォーカリングで歌いこなしているんですから、そりゃあ結果アルバム『ブレイム・イット・オン・ザ・ボサ・ノーヴァ』が好作になるわけです。ヒットしたのも当然ですよね。

 

1963年というと同じジャズ・フィールドにはエリック・ドルフィーやオーネット・コールマンやジョン・コルトレインやアルバート・アイラーなどがいましたが、比較するのは無意味です。イーディー・ゴーメのアルバムのほうもこれはこれで立派な作品なんです。硬派なリスナーのみなさんはいまだに相手にしていらっしゃらないかもですけど、これだけのこなれた伴奏と、イーディーのような、重さのないポップでソフトな歌い口があわされば、いまのぼくなんかはもう文句なしに楽しいんです。

 

(written 2019.12.29)

2020/01/09

ハンク・モブリー『ディッピン』では最初の二曲を

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https://open.spotify.com/album/3mx9Te2p8koxBI9oe1341j?si=9zQ-bsPfQF6gUr5lHTyeUw

 

長年軽視してきたハンク・モブリーの魅力を、最近ようやく発見しつつありますが、アルバム『ディッピン』(1965年録音66年発売)もいいですよね。最初の二曲「ザ・ディップ」「リカード・ボサ・ノーヴァ」で決まり、としてもいいくらいこのふたつが魅力的じゃないですか。ぼくなんかこの二曲しかアルバムで聴いていないかもと思うくらいですよ。

 

これら二曲、どっちもいわゆる(2018年にぼくが夢中だった)ブルー・ノート・ブーガルー #BlueNoteBoogaloo の系列にあるものとして間違いないでしょう。特に1曲目の「ザ・ディップ」はそうです。な〜んてカッコイイイ曲なんでしょうか。曲のテーマ演奏部を聴いているだけで快感ですが、リズムもいいですよね。8ビートで、いやあ実にいいです。ドラムスはこのアルバムでもやはりビリー・ヒギンズ。なるほどなあ。

 

しかも「ザ・ディップ」はハンク・モブリーの書いた曲なんですよね。こんなにもカッコいい曲を書くひとだったなんてねえ、見直さなくちゃいけません。そのあまりにもカッコいいテーマ部は二管で演奏されますが、トランペットはリー・モーガンなんですね。リーは「ザ・サイドワインダー」みたいなものをやっているので、まったく不思議じゃありません。ソロもいいです。

 

ソロがいいといえば、「ザ・ディップ」ではハンク・モブリーのテナー・サックス・ソロの内容も見事ですよね。こんなに吹けるひとだったんですね。ソング・ライティングといいアレンジといいテーマ〜ソロ内容といい、いやあ、ハンクって実にすばらしいジャズ・マンじゃないですか。いまさらなのかと言われそうですけど、ここまで聴かされたら文句なしですよ。ピアノのハロルド・メイバーンもいつものようにファンキーで言うことなし。

 

「ザ・ディップ」がオリジナル・ナンバーでカッコいいのに対し、2曲目の「リカード・ボサ・ノーヴァ」は(ブラジル生まれの)スタンダード・ナンバーですね。別の英語題は「ザ・ギフト」。「ザ・ギフト」題でおなじみのかたも大勢いらっしゃるかもしれません。この「リカード」がスタンダードになったそのきっかけが、ハンク・モブリーのこのアルバムのヴァージョンだったのかもしれませんよね。

 

実際、これを聴いたら自分もやりたいって思うほどハンクの「リカード」はすばらしくチャーミング。こんなジャズ・ボッサ・ナンバーをこんなふうにやれるジャズ・マンだったんですねえ。テナー・ソロもいいし、もうびっくりです。しかもこの曲がまだそんなには知られていないころでしたから。これをとりあげようというのはいったいだれのアイデアだったんでしょう?ハンクだったとしたら降参です。

 

ところでこの曲「リカード」が「ザ・ギフト」題で日本でもよく知られているのは、実はイーディー・ゴーメの歌でじゃないかと思うんですね。たしか1980年代ごろでしたか、日本のテレビ CM で使われていませんでしたっけ。それでこの曲のこんな魅惑的なメロディが知れわたったんじゃないかと思うんですね。イーディー・ゴーメはそれなりに人気のジャズ歌手ですしね。

 

ちょっと思い出話をしますと、そのテレビ CM が流れていたらしい時期にぼくはすでに東京に出てきていたんですけど、夏に帰省した際、松山でずっと通っていたジャズ喫茶のマスターがこんな曲を耳にしたんだけど、おまえ知らないか、レコードがあるならほしいんだと言うんですね。なんの話だろうと思ってよくよく聞いてみたら、イーディー・ゴーメの歌う「ザ・ギフト」のことでした。

 

当時、それが収録されているイーディー・ゴーメのレコードは入手がやや簡単じゃなくて、松山では買えなかったんです。それで話だけ聞いておいて、東京に戻ってからいろんなレコード・ショップでさがして見つけて買っておいたんですね。次回の帰省のときにそのマスターに持っていってプレゼンントしたら喜ばれました。すぐにその場で「ザ・ギフト」をかけていましたね。

 

それにしてもそのジャズ喫茶マスターは、そんなイーディー・ゴーメの「ザ・ギフト」がハンク・モブリーの「リカード・ボサ・ノーヴァ」と同じ曲であることに気がついていたんでしょうか。そのへんよくわかりませんが、でもぼくだって、そんな思い出のある曲なのに、最近ハンクのアルバム『ザ・ディップ』を聴いてその2曲目を初発見したような、そんな新鮮な感動を得ましたから、あまり言えないですね。

 

※ 2018年7月にこのアルバムのことを一度とりあげて当ブログで書いていることに、いまごろ気付きましたが、予約投稿済みのこの文章はこのままにしておきます。すみません。

 

(written 2019.12.28)

2020/01/08

グナーワを借りてきたミスティックなモロッコ人歌手、オウム

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https://open.spotify.com/album/0sC0RjNpcsUjzI9le1yyh0?si=SQ84VuP6TSKCEEhtzApPFA

 

オウムという読みでいいんでしょうか、Oum。モロッコ出身の歌手です。いまはたぶんフランスで活動しているんですかね、わかりませんけど、このアルバム『Daba』はフランスでリリースされた2019年作です。モロッコ出身ということで、実際聴いてみてもその地の音楽ルーツに根ざした一作じゃないかと思えます。

 

特にグナーワでしょうか、このアルバムで顕著なモロッコ音楽要素は。しかしグナーワと言ってもあの音楽のあんな神秘性、呪術性は引き継いでおらず、たんに音楽形式、音の重ねかただけ拝借して(ゲンブリやカルカベではない)別の楽器で表現しているといったやりかたです。プラス、ジャジーな要素もかなり聴きとれますね。

 

楽器で特徴的なのは(ゲンブリではなく)ウードで、アルバムで全面的に聴こえるし、グナーワにおけるゲンブリ的な使われかたをしているみたいですね。リズムは手拍子も多用され、そのへんはグナーワっぽいですが、そのほかはダルブッカなど北アフリカ系のパーカッションと、それからドラム・セットも使われています。ウード+ダルブッカとなると、モロッコというよりアルジェリアを連想しますよね。でもこのアルバムにアルジェリア音楽要素はありません。

 

それから管楽器が多用されているのが目立ちます。全曲でなんらかの管楽器、特にトランペットですね、ばあいによっては複数本使われていて(多重録音?)、それがグナーワ的な反復形式にのっとって、たとえばミュートをつけて吹いたりしますので、それがオウムのこのミスティックなヴォーカルと重なって、なかなかほかでは聴けない特異なムードをかもしだしています。

 

オウムのヴォーカル・スタイルはちょっとつかみどころのないもので、フワ〜っとヴェールのように漂う感じ。個人的にはもっとこう、ガツンとくる濃ゆい発声のほうが好みなんですけど、これはこれでこの音楽に似合っていて雰囲気があります。不思議とクセになる味を持った歌手ですね。気づいたらなんども聴いちゃっていますから、ぼく自身なにか魅力を感じているんでしょう。

 

ジャズの手法も取り入れつつ、自身のルーツであろうモロッコ音楽の手法を土台において、その反復形式で音を重ねつつ、その上でフワッとヴェールのようにヴォーカルと管楽器を載せるという、そんな音楽だといえるでしょうかね、オウムの『Daba』。なかには個人的にかなり気に入っている曲もあります。たとえばダルブッカが中盤で活発する9曲目とか。

 

もりあがる曲でのそのもりあがりかたは、あきらかにグナーワのマナーですし、グナーワに聴こえませんけど、サウンド構築の手法、リズムの反復形式は共通しているんですよね。オウムのヴォーカルも音楽全体も、もっとクールですけどね。

 

(written 2019.12.27)

2020/01/07

やさぐれていない爽やかなトム・ウェイツ 〜 ウィミン・シング・ウェイツ

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https://open.spotify.com/album/4xyavB5BZ4HZeAFwmothzx?si=DLHQ4TZzStyb1F3Zjep2xg

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2019/11/28/come-on-up-to-the-house-women-sing-waits/

 

2019年でトム・ウェイツは70歳になったんですって。そのトリビュートみたいな意味で製作・リリースされたらしい『カム・オン・アップ・トゥ・ザ・ハウス:ウィミン・シング・ウェイツ』(2019)は、副題どおり女性が歌ったトム・ウェイツ・オリジナルばかりをピック・アップして一個のアルバムにしたもの。新録ではなくて、既存の作品から選ばれています。このアルバム、かなりいいですよ。

 

トム・ウェイツ自身の世界というとあんな感じですから。やさぐれているというか、ひとによってはとっつきにくいものだと思います。なにを隠そうぼくもトム・ウェイツの、曲は好きだけど、彼自身のヴァージョンは苦手なんですね。芝居がかりすぎているというか、ちょっとわざとらしいでしょう、そんな部分で、聴いていてちょっとシラケちゃうんですね。

 

でも書きましたようにウェイツの書く曲はいいなと思っているんで、だからもっとストレートにそのよさを活かすような歌手がどんどんカヴァーすればいいのになというのが本音です。いままでもそんな清新なヴァージョンに多少接してきましたが、今日話題にしている『ウィミン・シング・ウェイツ』は、いままでウェイツのあんな世界を遠ざけていたような(ぼくもそうだけど)ひとたちにも推薦できる一枚で、曲のよさを理解させ、とっつきにくさを解消してくれる格好のアルバムじゃないかと思うんですね。

 

『ウィミン・シング・ウェイツ』では、トム・ウェイツの曲をどの歌手もストレートに歌い、ウェイツ自身のヴァージョンが持つわざとらしさ、芝居がかったこけおどしを消しています。これが大成功なんですね。彼女たちのヴァージョンはキリッとしていて、凛として、清廉なさわやかさすら感じますから、ウェイツ自身のヴァージョンからガラリと世界が変化していますよね。

 

ぼくの見方では、こんなさわやかな感じに姿を変えたウェイツ・ソングの数々こそ、もとの曲のよさを引き立てた最上の解釈だと思うんですね。これでこそトム・ウェイツの曲の真のよさ、真の魅力が伝わろうというものです。収録されている曲をトム・ウェイツ自演ヴァージョンと比較すれば、だんぜん彼女たちのカヴァーのほうがいい曲に聴こえますから。

 

『ウィミン・シング・ウェイツ』に収録の女性たちによるウェイツ・カヴァーの数々は、決してきどらずストレートに曲を伝えようとしているし、パフォーマーとしての素直で正直なアティテュードが聴きとれます。どの曲も透明感があるし、清新で、ものによってはさわやかな明るさ、前向きに進む肯定感だってあるんですね。アルバムを聴いている最中や聴き終えて、後口がさっぱりと心地いいです。

 

トム・ウェイツはもうああいったひとなんでしょう。だから彼の書いた深みのあるすぐれた曲の数々を自演で聴くのはもうやめて、この『ウィミン・シング・ウェイツ』や、そのほかいままで散発的に女性でも男性でもカヴァーしているヴァージョンで、その世界を味わえばいいじゃないですか。聴けば、どんなヴァージョンがウェイツ・ソングをいきいきと聴かせてくれているか、曲が生きているか、よりよい音楽に聴こえるか、明白なんですもん。

 

(written 2019.12.26)

2020/01/06

古き良きセンバの味わい 〜 パトリシア・ファリア

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https://open.spotify.com/album/0QU9B9gqhUTyqMKcB8elAV?si=fGkAxawbR0a1Zi3d0sb-_Q

 

アンゴラのパトリシア・ファリア。2019年の『De Caxexe』は、エル・スール入荷のもの(左 or 上)と Spotify にあるものとでジャケットが違いますが、それはままあることとして。中身はぼく大好きですね。かなりストレートなトラディショナル・スタイルのセンバで、もはや古き良きといってもいいくらいなもんですけど、こういうの好きなんです。エレキ・ギターの弾きかたなんか、完全に好みですね。打ち込みなしの人力演奏で組み立てられているところもオールド・スタイル・センバで、好ましいです。

 

1曲目から二本のエレキ・ギターのからみが心地いいですが、こんな感じでアルバム全体も続くんですね。いかにもポルトガル系というようなサウダージも随所に感じさせつつ、しかし全体的にはどっちかというと明るさ、陽気さのほうが目立つパトリシアのセンバ、聴いていて楽しくていいですね。ポルトガル系といいましたが、音楽的にはフレンチ・カリブを感じさせる(マラヴォワっぽい)曲もあったり、キューバン・ボレーロがあったりと、なかなかヴァラエティに富んでいるのもこのアルバムの特色です。

 

アルバム・タイトルになっている3曲目がもろストレートな典型的オールド・スタイル・センバで、ホーン陣も炸裂、かなり聴かせます。それになんたってこのリズムですね。も〜う、大好き、たまら〜ん!続く4、5曲目もそのままのスタイルですが、6曲目になってちょっと雰囲気が変わります。これがマラヴォワっぽいと上で書いたフレンチ・カリブふうな曲なんですね。まあ音楽的に関連はあるだろうというか、センバとそれは似てますけれど、これはおもしろい試みです。

 

こういったマラヴォワ・プレイズ・センバみたいな曲はほかにもあって、アルバム後半ではひとつの特徴になっているんですね。パトリシアも豪球で押すばかりでなく、そういった曲ではややゆるめに力を抜きながら歌っているのがわかり、曲想によって歌いかたを変えているんだなと思うと、それも好感触なんですね。

 

そうかと思うと、7曲目はなんとボレーロなんですね。こういうのがアンゴラの音楽家の、それも伝統的スタイルのセンバ・アルバムのなかで聴けるとは思っていませんでした。なかなかの変化球ですよね。ヴァイオリンも使われていたりしてそれが哀愁感をいっそう強めていたりして、工夫されています。この7曲目にセンバとかアンゴラふうとかいう部分は聴きとれない完璧なキューバン・ボレーロで、ボレーロ好きのぼくとしては頬がゆるみます。

 

アルバムはその後ふたたびセンバ一直線スタイルに戻り(といってもマラヴォワっぽいものやさわやか系バラードなどはあるけれど)、あ、そうですね、ヴァイオリンといえば17曲目のこれもストレート・センバなんですけどそれでヴァイオリンが使われています。センバでこんな感じのヴァイオリンが聴けるのはおもしろいですね。ここまで書いてきたもの以外は、どなたがお聴きになってもまごうかたなき直球センバ・アンゴラーノを感じるものだと思います。

 

(written 2020.1.4)

2020/01/05

ネオ・ソウル・ミュージック

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https://open.spotify.com/playlist/78RRvktrPMSqAoCI21mNOe?si=DAcdNu_HSnKU2ZVUfnK-uA

 

これも Spotify プレイリストなんですけど ”Neo Soul Music”。どういうわけか最近よく聴いているんですね。ぼくはソウル〜R&B 音痴なんで、ネオ・ソウルという言いかたがあるというのはずいぶん前から知ってはいたものの、どんな音楽がそこに当てはまるのかはぜんぜんわかっていなかったんです。でもちょっと前に意識する小さなきっかけがあって、それでネットで調べたりしてもイマイチだから、とりあえず聴いてみるのが早いだろうと Spotify で検索したらこのプレイリストが出てきました。

 

それで、ネオ・ソウルというものがなんなのか、やはりいまだよくわかってないんですけど、ディアンジェロの『ブラウン・シュガー』が1995年のリリースですよね。プレイリスト『ネオ・ソウル・ミュージック』(これは私家製)をダラダラ流していて、感じる共通の音楽性のルーツを、ジャンル名のことはわからないまま、いままでに聴いてきた既知のアルバムのなかでさがすと『ブラウン・シュガー』あたりになるんじゃないかと。

 

ネットで解説記事を読むと、その1995年時点ではまだネオ・ソウルの呼称はなかったみたいですね。いつの時代でもどんなジャンルでもそうですけど、具体的な音楽作品が出はじめてひとつの潮流になりかけたころに名称ってつけられるわけなんで、この事実は納得です。具体的には1996年にキダー・マッセンバーグが考案したのが "Neo Soul" という名前なんですってね。

 

ネオ・ソウルといわれてぼくなんかが真っ先に連想するのはニュー・ソウルです。ネオはニューの意ですから、事実上同じ意味のことば。命名者だって意識したはず。実際、プレイリスト『ネオ・ソウル・ミュージック』を聴いてみると、1970年代ニュー・ソウルからの流れは間違いなく聴きとれるように思うんですね。あの時代のマーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、カーティス・メイフィールド、スティーヴィ・ワンダーらのつくりだしていたあのサウンドがネオ・ソウルにもありますよね。

 

特にぼくがネオ・ソウルに感じるのはカーティス・メイフィールドの遺伝子ですかね。あのやわらかいフワッとしたサウンド・テクスチャーの手ごたえ、肌ざわりなどが1990年代後半〜末〜21世紀に蘇ったかのような、そういったものが聴きとれます。歌手たちの歌いかた、ヴォーカル・スタイルだってソフトで、カーティスのあんな感じによく似ているじゃないですか。

 

また、ネオ・ソウルにヒップ・ホップの影響があることは疑えないと思いますが、ジャズから流れ込んでいるものもかなりありそうですよね。この点でも1970年代ニュー・ソウルにもジャズの流入はあったので、やはり共通するところでしょうか。流れ込んでいるジャズの世代が異なっているのはいうまでもないんですけどね。ネオ・ソウルだと特に楽器ソロ、特にギター・ソロなんかになると俄然ジャジーになりますよね。

 

あ、そういえばディアンジェロはジャズ・ミュージシャンやジャズ畑出身の演奏家をよく起用しているんでした。プログラミングより演奏行為重視というか。彼が起用しているジャズ演奏家自身もジャズだけじゃなくコンテンポラリー R&B との境界線とまたいでいたりしていて。そんなわけで1995年のディアンジェロあたりからはじまって、その後、たとえばエリカ・バドゥ、マックスウェル、エリック・ベネイとか、そういった流れを<ネオ・ソウル>っていうんでしょうか。ローリン・ヒルとかミシェル・ンデゲオチェロとかも(ぼくのいままで聴いている範囲では)ふくめるんですかね。

 

いずれにしても、ここ一ヶ月ほどかな、プレイリスト『ネオ・ソウル・ミュージック』を流していて、とても心地いいっていうのはたしかです。ぼくの好きな音楽がここにはあります。いままでじゅうぶん聴いてきたものだと言えるんですけど、これをネオ・ソウルと呼ぶということは意識したことがありませんでした。このプレイリストにはマーカス・ミラーとかロバート・グラスパーみたいな(一般的には)ジャズの枠内で把握されるひとたちもふくまれているんですよね。ジャミロクワイもいるし、マイルズ・デイヴィスとヴァーチャル共演したレディシの曲もあります。

 

(written 2019.12.25)

2020/01/04

日曜の昼下がりに 〜 アクースティック・カフェ・インターナショナル

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https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DX571ttkrxAeN?si=AZOnA5yNR96rN9--O1E4Og

 

2019年11月に Spotify をブラブラしていて偶然出逢ったプレイリスト "Acoustic Café International"。この出逢いにはきっかけがあって、それは昨年11月初旬にスアド・マシの新作のことを書いたでしょ、そのときにあのアルバムをなんども聴いていたんですよ。あるときやっぱりそれを聴こうと思って Spotify の画面ですぐとなりにプレイリスト『アクースティック・カフェ・インターナショナル』が表示されたってわけです。

 

実際このプレイリストのカヴァーもスアド・マシですし、スアドのあの2019年作で聴けるようなあんなアクースティック・ミュージックをいろいろ集めてみたというような、そんなプレイリストなんでしょうね。といってもこのプレイリストにはほんのかすかなエレクトリック&エレクトロニック・サウンドも、あくまでサイド・エフェクト的にですけど、使われている曲があります。目立たないですけどね。

 

それで、この『アクースティック・カフェ・インターナショナル』のいうアクースティックというのは、たぶんギターのことを指しているなと思います。MTV アンプラグドのブーム以後、アクースティック・サウンドといえば生ギターをメインに据えたものっていう認識ができあがったような気がしますし、このプレイリストを流していてもずっとそんなサウンドが流れくるし、間違いないと思うんですね。

 

しかもこのプレイリスト、ただたんに生音の(ギター・)サウンドを集めたというだけでなく、似通った雰囲気というかムードというか、一定の音楽性で貫かれているなと感じます。それはひとことにしてメランコリーとか哀愁とか、さびしさ、わびしさ、また言い換えれば落ち着きとか静けさといったようなものなんですね。ずっとこれを流していると、まるで日曜の午後のちょっと気怠いムードにひたってカフェでコーヒーを飲んでいるような、そんな気分になりますね。

 

そう、気怠さ、物憂さ、これですね、このプレイリストにいちばん似合うことばは。アクースティックでそんな曲ばかり選んで一個にまとめたみたいな、そんな感じがします。このプレイリストのカヴァーになっているスアド・マシの最新作『Oumniya』から二曲も選ばれているし(二曲入っているのはスアドだけのはず)、だからスアドのあんな雰囲気を三時間超にわたって聴いているっていうようなムードなんですね。

 

スアドが二曲と言いましたが、彼女以外でぼくがこのプレイリストで知っていた名前はナターリア・ラフォルカデだけです。ほかは無知にしてぜんぜん知らなかったひとたちばかり。でも見事に雰囲気が揃っている、統一されているんで、この Spotify 公式プレイリスト、選曲者がわかりませんが、音楽のプロってすごいんだなあって思っちゃいますね、真剣に。

 

Spotify やレーベルなど公式のものでも、私製のものでも、こういったプレイリストってマジになって向き合ってしっかり聴き込むとかいうようなものじゃなくって、部屋のなかやどこかでただ流しながらなんとなくのムードにひたっていればそれでいいものだなと思うんですね。硬派な音楽通のみなさんには受け入れられない聴きかたかもしれないですけど、そういうのも音楽の効用なんですね。

 

いま北半球では真冬で、日が短くて低くて、暗かったりドンヨリしている時間が長く、だからぼくらの気分までなんとなく沈みがちになってしまうかもしれません(そんなことありません?)。でも音楽でこういったプレイリストを流し聴きして、たとえば日曜の昼下がりになんとなくの雰囲気にひたってブラブラしていれば、かえっていい気分になっていくこともありますよ。

 

(written 2019.12.24)

2020/01/03

万華鏡のようなセインムーター2014年盤

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http://elsurrecords.com/2019/07/19/sein-moot-tar-auspicious-and-ceremonial-myanmar-orchestra-tunes/

 

エル・スールに入荷して買ったのが2019年のことだったセインムーター(ミャンマー)の CD アルバム(2014)。これ、アルバム題や曲題がいっさいわからないんですね。だからセインムーターの2014年盤と今日呼びますが、中身はかなりすごいですよ。傑作でしょう。エル・スール HP 記載の原田さんの文章がやや興奮気味なのも納得です。

 

原田さんによれば、このアルバムが入荷する数年前に YouTube で発見したセインムーターの音楽がとてもすばらしかったそうで、それが収録されたアルバムがあるならぜひほしい、いや売りたい!と強く思ったみたいです。それがひょんなことから叶うことになって今2019年の入荷となったわけですね。その原田さんがお聴きになって惚れちゃったという YouTube 音源がこれ↓
https://www.youtube.com/watch?v=V5rGwGJPCw0&fbclid=IwAR0ckJe5ZvmNsG39CcveZc_na3dTlYAliNavzsqmhHSeVwDNn54E159cSQ8

 

たしかにこりゃすごいですよね。これは2014年盤の6曲目。いちばん大活躍しているのがやはりセインムーターのパッ・ワインです。パッ・ワインとはミャンマーの環状連太鼓で、音階を演奏できるものです。これホント二つの手で演奏しているとは思えないほどめまぐるしい幻惑的な演奏じゃないですか。高速フレーズを正確無比に叩きこなしていますよね。

 

この6曲目でセインムーターのパッ・ワイン聴きどころは二回出てきます。中間部でサイン・ワイン(パッ・ワインを中心とするミャンマーの楽団のこと)合奏パートがありますが、その前後ということです。ぼくはセインムーターの CD アルバムをぜんぶで三、四枚持っているんですけど、いつもいつも万華鏡のようなそのめくるめく世界に降参しちゃっています。なかでもこの2014年盤の6曲目は最高じゃないですか。

 

セインムーターのパッ・ワイン(これがサイン・ワインと呼ばれることも多いので、ややこしいですね)妙技を聴けるという意味では、3曲目もなかなかすごいです。フネー(笛)が大きく聴こえるサイン・ワイン・アンサンブルに引き続き、セインムーターのパッ・ワイン演奏がフィーチャーされていますね。これもかなりの聴きものですよ。

 

サイン・ワイン楽団のアンサンブルの響きもゴージャスでいいし、パッ・ワインの、セインムーターが超絶技巧を駆使してくりだす音色は、しかしどこかのどかで落ち着けるフィーリング。一度その世界にはまるとなかなか抜け出せないような麻薬のような心地よさがありますね。ものすごい技巧でものすごい演奏を、それとはわからない程度のやわらかいサウンドで聴かせてくれるセインムーターとそのサイン・ワイン楽団。今日話題にした2014年盤はエル・スールでいま再入荷待ちになっていますけど、また入ったらぜひ買って聴いてみてください。トリコになりますよ。

 

(written 2019.12.23)

2020/01/02

軽快にスウィングするアンクル・ウォルツ・バンド

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https://open.spotify.com/album/27eFjGLnpr1gRb2C59rkmJ?si=h2kP01sHRK2qKO17ydq3Uw

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2019/11/07/an-american-in-texas-uncle-walts-band/

 

アンクル・ウォルツ・バンドというひとたちがいるらしいです。ギター二名+コントラバスの三人組。アクースティック・スウィングというか、ブルーグラス/カントリー系のバンドといっていいでしょうか。軽快にスウィングするジャジーなストリング・バンドであるという点では、かのジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリらのフランス・ホット・クラブ五重奏団以来の伝統に連なっているのかもしれません。

 

健太さんのブログによれば(経歴からなにからくわしいことはぜんぶ書かれてあるので、ぜひご一読ください)、アンクル・ウォルツ・バンドは結局テキサスの地元クラブ界隈でだけ知られていたごくごくマイナーな存在だそうで、レコードだって直接そこへ行って買う以外にむかしは手がなかったそうですよ。それがいまや(CD もあるけど)Spotify できわめて手軽&気軽に自室にいながらにしてポンと聴けるんですから、いい時代になりました。マジで。

 

ぼくはまず二作目の『アン・アメリカン・イン・テキサス』(1980)から聴きましたので、今日はその話です。といっても一作目を聴いても音楽性は100%同一でしたから違う話はできなさそうですけどね。ともあれ『アン・アメリカン・イン・テキサス』では、まずオープニングの「アズ・ザ・クロウ・フライズ」で降参しちゃいます。な〜んてスウィンギーなのでしょうか。もうこれ一曲を聴いただけでアルバム全体の楽しさがわかってしまうくらい、いいですよねえ。

 

しかもギターリストは二名ともかなりうまいです。特にソロを弾くほう、どっちが弾いているのか知らないんですけど、これは感心しちゃいますよ。アルバム全体でソロが聴ける時間はそんなにたくさんはないんです。それだけに1曲目でのこの流暢なギター・ソロは目立ちます。サイドにまわってカッティングに徹しているほうも腕達者ですね。

 

さらにどの曲もメンバー三人のコーラス・ワークが聴きものです。ちょっとビートルズの三声ハーモニーを思い出しますよね。実際影響を受けたんじゃないでしょうか。アンクル・ウォルツ・バンドは活動期間が1970年代後半〜80年代初頭だったみたいですからね。曲つくりにもビートルズっぽいところが聴きとれます。特に1968年の『ワイト・アルバム』に収録されていたような曲に似たものがアンクル・ウォルツ・バンドにはたくさんあります。

 

ところでアルバム『アン・アメリカン・イン・テキサス』でもそうですが、メンバー三人だけじゃなく、けっこうフィドルが聴こえますよね。専門のフィドラーがゲスト参加しているんでしょうか。そんな気がします。まず4曲目の「ラスト・ワン・トゥ・ノウ」で聴こえ、その後もときおり入ります。そのフィドルの演奏スタイルは、完璧にカントリー・ミュージックのそれですね。

 

フィドラー参加といえば、9曲目のアルバム・タイトル曲でもそうです。これに歌はなくインストルメンタル・ナンバー。そういうのはこのアルバムではこれだけのはず。三人+1の演奏のうまさで聴かせる内容ですね。ミドル・テンポで軽く乗るこのスウィンギーなアクースティック・サウンド、かなり見事なものじゃないですか。

 

ボーナス・トラックがたくさんありますが、そのなかではライヴ・テイクの四曲が特にいいですね。素のアンクル・ウォルツ・バンドの姿を垣間見ることができるし、生演奏で間違いない三人の演奏技術の上質さが聴きとれて、いい気分です。そこから推し量るに、スタジオ録音でもほぼ一発録りといってもいいスポンティニアスな演奏だったんだなとわかります。

 

(written 2019.12.22)

2020/01/01

プリンスの1982年デトロイト・ライヴがいい 〜『1999』拡大盤

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https://open.spotify.com/album/1rVZhQOyV33ZKRNXTnrjTM?si=1Kv0XH13RgSF4CpbsR-wGA

 

2019年11月末に発売されたプリンス『1999』のスーパー・デラックス・エディション5CD+1DVD。DVD に収録の音楽は聴いていませんが、五枚の CD に収録のうちでは五枚目にある1982年11月30日のデトロイト・ライヴ(レイト・ショウ)が抜きに出てすばらしいのではないでしょうか。ぼくはもうこればかりくりかえし聴いています。

 

このデトロイト・ライヴ、当時の新作アルバム『1999』が10月に発売になったばかりということで、そのキャンペーンということだったんじゃないでしょうか。この新作アルバムでプリンス史上はじめてバンド、ザ・レヴォルーションがクレジットされていたわけですけど、ライヴ・ツアーをやっているのもその同じバンドということなんでしょう。といってもアルバムのほうは名義だけで、実質的にはやはりプリンスのひとり多重録音が多いんですけど、ライヴではそうはいきませんよね。

 

デトロイト・ライヴを聴いてみると、バンドは相当よくやっているなと感じます。スタジオではプリンスがなんでも完璧にこなしてしまいそれと同じレベルをライヴでは生バンドに要求するらしく、なかなかたいへんだったみたいですけど、聴いた感じスタジオ・ヴァージョンと遜色ないし、ライヴならではのキメやソロもバッチリで、文句なしじゃないですか。

 

演奏されているのはやはり『1999』からの曲が中心で、そこに『コントロヴァーシー』『ダーティ・マインド』からのものを混ぜているという感じです。それら以前からのレパートリーも、『1999』の音楽性にあわせた新時代のというか、当時のプリンス最新のサウンドに更新されているのは、当然とはいえさすがですね。

 

たとえばオープニングの「コントロヴァーシー」からしてもうスタジオ・ヴァージョンとは様子が違っています。冒頭に曲「1999」で使われていた低音男声ナレイションを入れて P ファンクふうに仕立ててあるのもそうですし、曲のグルーヴも新しくなっているなと感じます。ノリが違うんですよね。1982年のプリンス・ミュージックになっています。これをこの日のレイト・ショウ幕開けにもってきたのは正解。

 

ほかにもたとえば「ドゥー・ミー、ベイビー」「ヘッド」「アップタウン」といった以前のポップ・ナンバーも様変わりしています。後者二曲なんかファンク・チューンに近づいているし、最初の官能セクシー・ソングも軽いビートが効いて変態的なエロさが薄まり、ある意味ライヴでも聴きやすい親しみを感じさせる内容になっていますよね。またプリンスの演奏する(右チャンネル)エレキ・ギターのコード・ワークも見事です。

 

そう、全体的に聴きやすくノリやすい、これがこのデトロイト・ライヴの大きな特色なんですね。以前のナンバーだけじゃありません、最新アルバム『1999』からの曲でも、そのスタジオ・ヴァージョンよりも親しみを増すように工夫されています。これはやはりライヴだからでしょう。プリンスといえどまだ大ブレイク前、すでにツアーは一万人規模の会場でやるようになっていたとはいえ、まだまだ唯我独尊的世界には踏み込んでいなかったんでしょうね、生の観客の前では生の親しみやすさ、盛り上がり感を重視したんだと思うんです。

 

特にぼくの耳を特に惹いたのは8曲目の「ハウ・カム U ドント・コール・ミー・エニイモア」です。これはアルバム未収録曲で、シングル「1999」の B 面となって発売されたものです。大好きなトーチ・ソング(失恋歌)なんですよね。スタジオ・ヴァージョンではプリンスみずから弾くアクースティック・ピアノだけの伴奏で歌われていました。それが実に沁みる哀切でいい感じでしたよね。

 

このライヴの「ハウ・カム〜」では、やはりこのピアノはプリンス自身の演奏でしょう。1982年ごろみんなライヴでは使っていたヤマハのエレクトリック・グランド・ピアノの音色がします。また、ここでは背後でタンバリンの音とヴォーカル・コーラスが聴こえますね。指を鳴らす音も入っていますよね。それらのおかげで、もとからちょっぴりゴスペルちっくだったこの曲のそのゴスペル要素がきわだっているなと思うんです。ドゥー・ワップ・ソング的にも聴こえますしね。実にいいなあ。

 

ライヴの本編ラストは「1999」(「D.M.S.R.」はアンコールだと思います)。スタジオ・ヴァージョン冒頭に入っていた低音ナレイションはライヴ幕開けで使ったのでここではなし。いきなり本演奏に入ります。いかにもライヴ・バンド、ツアー・バンドだっていうだけのマイク・リレーやノリのよさ、ギター・ソロのライヴ感、バンドの演奏の生々しさ、あいまあいまに入るプリンスの掛け声など、どこをとっても文句なしのキレのよさで、ライヴのよさを実感します。

 

(written 2019.12.21)

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