« 槇原敬之を焚書するのなら、ビートルズやストーンズやマイルズも焚書しろ | トップページ | ダメだと思ってもあきらめずに、アイデアのメモを持ち続け、書くこと »

2020/02/20

仮想の愛(「至上の愛」みたいに)

Cb2b64b4f81047a5ace59f2080288d7f_4_5005_

https://open.spotify.com/playlist/59P34UAJ5eMh7uWq02ebHM?si=17yzhggcScWfpunQZGN0JA

 

(おととい書いた)エラ・フィッツジェラルドがヴァーヴのソングブック・シリーズでどんどん歌うティン・パン・アリーのラヴ・ソングの数々を矢継ぎばやに聴いていると、なんだかとってもいい気分です。音楽として上質だから、というのが最大の理由で、いままでもおとといも記事にしたのはそのため。でも気分いいのはそれだけじゃないんです。あたかも自分がヴァーチャル恋愛しているような、そんな気分にひたることができるからでもあるんですね。

 

ヴァーチャル恋愛、だから仮想の愛ですけど、ティン・パン・アリーのソングライターたちが書いたラヴ・ソングの特に歌詞は浮世離れしていて、歯の浮くようなものですよね。とうてい現実世界でだれもこんなこと言わないし思いすらもしないであろうような、そういった、美しすぎてまあアホみたいなもんですよ。でもぼくにはちょうどいいんです。なぜならそれは仮想の愛だから。想像しているだけ、頭のなかでだけ完結しているものだから。

 

非現実的に美しく、夢のように楽しく、現実の恋愛なんてなかなかそんなわけにはいきませんけど、ぼくは現実の人生でだれかを好きになったり、はするかもしれなくても、だれかを(本当の意味で)愛したりはしないわけです。人間というか他人に興味がないし、自己愛が激しすぎる人間ですからね。性欲はあるしロマンティックなことやそういう関係を持つことは大好きだけど、現実にだれかと恋愛することはありえません、ぼくのばあい。

 

だから恋愛ごとではすべてヴァーチャルな世界に生きているぼく。そんなぼくにとって、自分の頭のなかでの妄想恋愛ごっこをふくらませるのに、ティン・パン・アリーのラヴ・ソング以上にもってこいのものはないんですね。それらを聴いていると、現実世界では口にできないであろうような歯の浮く恋愛文句が次々と出てきますが、それが妄想にはちょうどいいんですね。ただただ気持ちよさにひたることできます。

 

そんなティン・パン・アリーのラヴ・ソング(の特に歌詞)が一般大衆の日常感覚からかけ離れているのはたしかなことで、だからこそアメリカなら1940年代のルイ・ジョーダンはじめもっと卑近な庶民生活に根差したポップで身近な歌詞内容を、グッとわかりやすいノリのいいリズムとメロディに乗せて届ける音楽が人気になり一般的になり、それがひいてはロック・ミュージックを産む母胎ともなりました。ビートルズのあんな爆発的な人気の背景にはそんなこともあります。

 

しかしぼくのばあい、恋愛とは常にヴァーチャルなもので妄想ですから、生活感覚から遠ければ遠いほどいいんです。それでこそ美しく楽しく、気分がいいわけですよ。おかしいでしょう、こんな人間。しかも歌詞が英語であるというのも好ましい大きな要素で、日本語詞みたいに一聴即解じゃないというその距離感が、これまたヴァーチャル恋愛のそのヴァーチャル度、非現実性、非日常感を醸成してくれて、だからいわばセレブ気分を味わせてくれて、都会の高級ホテルのグレードの高い部屋でくつろいでいるような心持ちで、好ましく思えるわけなんですね。こんなやつ、ヘンだ。ふつうみんな恋愛は現実なのに、ぼくにとってはそうじゃないんです。

 

ルイ・ジョーダンやチャック・ベリーやビートルズやといった音楽家たちの書き歌うラヴ・ソングで、そういったセレブ気分にひたれないってことはないんですけれど、ティン・パン・アリーのラヴ・ソングはあまりにも現実離れしていますから、だからつまりこの世のものとは思えないわけで、日常感覚がないわけで、そこがいいんです。ぼくにとって恋愛は妄想でこの世の現実のできごとではありませんから、だからそれにフィットするためには音楽も現実離れしているほうが似合うし都合がいいんです。

 

それで、ティン・パン・アリーの歌を聴きながら部屋でくつろいで、嗚呼こんな台詞…と思って、実に気分いいんですね。ハリウッド映画のアカデミー賞のレッド・カーペットの上を着飾ったセレブ俳優たちが歩いているでしょう、ちょうどそんなことを自分もしているという、そういう妄想にひたれるのが、音楽だとたとえばエラ・フィッツジェラルドの歌うティン・パン・アリーのラヴ・ソングの数々なんですね。ぼくにとっての恋愛とは、それを思い浮かべることとは、これすなわちそういった非現実なんですね。

 

たとえばガーシュウィンだったら「ラヴ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」や「エンブレイサブル・ユー」とか、コール・ポーターだったら「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」とか、そのほかエラ・フィッツジェラルドが歌うたくさんあるスタンダードのラヴ・ソングの、そういったかなり背伸びしたというか、庶民の恋愛感覚じゃないなと思える高踏的な世界にひたり、部屋のなかでなんというか悦に入る、きれいなそういった音楽を聴きながらなんとなく気持ちいい、それは現実をいっとき忘れて逃避しているだけですけれども、そんな時間を過ごすこともぼくには必要なんですね。

 

現実の人間関係は、恋愛ふくめぜんぜんダメなぼくだから、せめてきれいな音楽を聴いて、妄想の、ヴァーチャルなロマンティシズム、ヴァーチャルな恋愛にひたっていたいわけです。それで癒されるんだからいいじゃないですか。

 

(written 2020.1.26)

« 槇原敬之を焚書するのなら、ビートルズやストーンズやマイルズも焚書しろ | トップページ | ダメだと思ってもあきらめずに、アイデアのメモを持ち続け、書くこと »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 槇原敬之を焚書するのなら、ビートルズやストーンズやマイルズも焚書しろ | トップページ | ダメだと思ってもあきらめずに、アイデアのメモを持ち続け、書くこと »

フォト
2020年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ