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2020/02/25

演歌、特にご当地ソングの歌詞はむずかしい 〜 岩佐美咲篇

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https://www.youtube.com/watch?v=xoXVLx1DtpU

 

わさみんのばあい特に難解なのが「鞆の浦慕情」と「鯖街道」で、ふつうになんとなく歌を聴いているだけだとなにを言っているのかわからない部分がけっこうありますからね。ひとえにぼくが広島県福山市と福井県小浜市の地名などにうといのが理由ですが、そうじゃなくてもだいたい演歌は歌詞がむずかしいんですよねえ、歌いこなすのもむずかしいですけどね。

 

それでわさみんのいままでの全シングル曲計八曲は、すべて『美咲めぐり〜第2章』(2019.11)初回特別盤を買えば残さず聴けます。それを聴きかえしていても、やっぱり「鞆の浦慕情」と「鯖街道」はむずかしいですね。演歌や歌謡曲 CD の常道としてこれも歌詞カードが付属していますから、それをながめながら聴いて、はじめてなんと歌っているのか理解できるというありさまです。嗚呼なんと情けないぼく。

 

そもそも歌でなくとも固有名詞って人名でも地名でもむずかしいものですけれどね。わさみんの「鞆の浦慕情」だと、2017年2月にわさみんを知ってこの曲と出会ったときは、全体的に歌詞がチンプンカンプンだったというのが真実です。たとえば一番の「雲を筆にして」。上手い表現ですけど(歌詞は秋元康)、聴きとれなかったです。続く仙酔島(せんすいじま)。これなんか、知らなかったからなんのことやら?ですよ。

 

やはり一番の歌詞にある「雁木へ焚場へ」(がんぎへたでばへ)。超難解。これも福山市鞆の浦の港湾・船舶にちなむ名詞ですが、焚場(たでば)なんかぼくのパソコンで変換できなかったですよ。意味は漢字を見ればなんとなく想像できるような気もしますが、歌を聴いているとき漢字なんか見ませんからね。歌詞カードで確認するまでの長いあいだ、ぼくはワケわからないまま、なんと歌っているのだろう?と思いつつ五里霧中で聴いていました。いまは調べて意味を把握していますけどね。

 

「雁木へ焚場へ」からそのまま「船番所」(ふなばんしょ)と続きますが、これも慣れていないとむずかしいはず。「雁木へ焚場へ、船番所」ですからね。やすっさん、難度高すぎですよ〜。しかもこの連のなかには最後に「ああ燈籠塔」(とうろとう)が出てきますのでね。これも知らなかったぼくは聴きとれませんでした、ってあたりまえだちゅ〜ねん、やすっさん、なんでこんなむずかしい歌詞書くの?歌わせるの?ドS気質なん?

 

出だしの「雲を筆にして」が聴きとれなかったのはぼくの実力不足ですけど、ほかの部分、自分のことを棚上げすると、当時わさみんはまだデビュー三年目で成熟しておらず、歌詞の発音もやや不鮮明だったというか、勘繰ってしまうと、読解困難な地名など固有名詞ふくめ、たぶん秋元康からもらった歌詞をわさみん本人も最初わからず、読みも教えてもらった上で手さぐりでというか、ふられたルビを見ながらスタジオ録音したのではないかとぼくは想像しています。雁木をがんぎ、焚場をたでばなど、当時わさみんが知っていたでしょうか。

 

「鞆の浦慕情」だと、二番に入って「冬の強情っ張り」。これをわさみんは「ごじょっぱり」と歌っていますが、「ごじょっぱり」という音ではなんのことかわらなかったですね。歌詞カードで確認すればなんでもない言葉ですけど、音だけだとですね。しかしですね、歌でも音楽って音(サウンド)ですから、文字じゃありませんから。そう、ここは音楽を聴く際にとっても重要になってくることです。歌詞もあくまで「サウンド」なんですから。ことばが「音」として耳に入ってくるから音楽になるんであって、歌詞カードなど文字で見て理解するのは音楽じゃありません。

 

それにしても港湾とか船舶関係の用語が素人にはむずかしいんだというのはたぶん世界共通ですよね。わさみんの歌で聴く「鞆の浦慕情」は日本語でもこんなに難度高いんです。ぼくの40年ほど前の大学生のころ、英文学の指導教官だった教授の専門が『白鯨』で有名なハーマン・メルヴィルで、メルヴィルの作品をさんざん英語で読みましたが、船の各部名称などを英語で知るわけもなく、も〜う辞書を引きまくって、それでもわからないものが一部あるっていう、当時もいま思い出しても地獄のような思い出があるんです。

 

わさみん。「鞆の浦慕情」に比べれば、やはりむずかしいと思う「鯖街道」はまださほどでもないのかもしれないですね(それほど「鞆の浦慕情」の歌詞は難解)。鯖街道というものがある、福井県はサバの名産地であるというのは無知なぼくでも知っていましたが、それでも曲「鯖街道」のなかにはやはり耳慣れないことばが出現します。

https://www.youtube.com/watch?v=MUpDeozfdig

 

一番冒頭の「小浜の港に鯖が揚るころ〜」は一聴で理解できますが、第二連に「根来坂、越える〜」(ねごりざか)っていうのがあります。根来坂は聴いてもわかんないっしょ〜。2017年のシングル曲ですからさすがにわさみんも発音や歌唱の成熟度が上がっていて、しっかり「ねごりざか、こえ〜る〜」と歌っているのが聴きとれていましたが、その「ねごりざか」がなんのことやらわかりませんでしたからね。小浜のことをなにも知らないもので、ゴメンチャイ。

 

続く第三連でわさみんの歌う「今日はとっても十八里」って、なんのこっちゃ?どういう意味や?とずっと思っていたアホなぼく。歌詞カードを見れば、「今日はとっても」じゃなくて「京は遠ても十八里」なんですよね。そういえば鯖街道は京都へと続いているのでした。いやあ、われながら無知っぷりにはあきれるしかありません。

 

二番へ来ても「小入谷あたり」。おにゅうだに、なんですけど、その読みではパソコンで漢字変換できませんでしたよ。三連目でふたたび「京は遠ても十八里」が出てきますが、調べてみたらこのフレーズは小浜市でみなさんがよく言う鯖街道のキー・フレーズのようです。若狭から運ばれたサバも京の都へ到着するころにはちょうどいい塩加減になるぞという常套句だとのこと。京都の食文化には若狭の魚が息づいているんですね。さすがはやすっさん、教養が光っとるでぇ〜。

 

で、魚の塩加減とかっていうようなことは、わさみんの曲「鯖街道」の歌詞ではメタファーとして頻用されているんですね。これも作詞家秋元康が腕を見せたということなんですけど、2019年11月21日の代々木上原でのザ・令和ライヴの際も、歌いはじめる前の曲紹介で「歌詞がおもしろいので」とわさみん本人が言っていました。

 

つまり一番にある「終わった恋を塩漬けにして」とか、二番にある「人の気持ちは腐りやすくて、山道を急ぐ」とか「運んだ愛もいい塩梅に」(「はこんだあいもうやまいに」に聴こえるけどね)とか、恋に破れた女性がそれを忘れよう傷心を癒そうと鯖街道を旅する心情を、運ばれるサバの塩加減に喩えて歌詞にしているわけですよ。やすっさん、さすがや、教養人や。

 

ともあれ旅などを歌って地名を歌詞のなかに練り込むというのは、世界中の音楽で行われているごくふつうのことです。アメリカン・ポップスなんかでもたくさんあって、最有名どころで言えばたとえば「ルート 66」などありますね。だから日本の演歌のご当地ソングがこんな感じになっているのも不思議なことではありません。せめてぼくにもうちょっと知識と教養があれば…、というのが真相ですが、でも上で書きましたように、音楽や歌は「音を聴く」ものであって、歌詞カードを「読む」ものじゃないですけどね〜。

 

(written 2020.1.27)

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