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2020年3月

2020/03/31

ちょっぴりロックっぽいジョー・ビアード(2)〜『ディーリン』

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(3 min read)

 

Joe Beard / Dealin'

https://open.spotify.com/album/1Pv6aKqqKqopOQUqBGTWFO?si=-u83ay9BS2OeEpUJC0JYIg

 

ブルーズ・マン、ジョー・ビアード2000年のアルバム『ディーリン』でハーモニカを吹いているのはジェリー・ポートノイ。マディ・ウォーターズのバンドでやっていた、かの強者ですね。エリック・クラプトンのブルーズ・アルバムにも参加していましたし、シカゴ・ブルーズ黄金時代のサウンドを現代に具現化している最良のひとりでしょう。ジェリーはこのジョーのアルバム全曲で吹いているわけじゃありませんが、参加しているものは濃厚なシカゴ・ブルーズの香りがします。

 

たとえば1、3曲目など、間違いなくストレートな王道シカゴ・ブルーズそのまんまで、ジェリーのハーモニカも実にいい感じ。ジョー・ビアードがここまでやるなんてねえ。バンドは白人が中心の編成みたいですけど、こういったブルーズ・ワールドはもはや伝統芸能になっているともいえますから、ある種の「型」みたいなものになっていて、学べばだれでも継承できるんでしょう。ましてや彼らはアメリカ人ですし。

 

このアルバムで個人的に印象に強く刻まれるのがピアノ、エレピ、オルガンといった鍵盤楽器です。弾いているのはやはり白人のブルース・キャッツ(Bruce Katz)。バッキングでいいサウンドを出しているばかりか、ソロではたぶんどの楽器よりも多くの時間を与えられているんじゃないですか。主役ジョーのヴォーカルの次に目立つのがこのアルバムでは鍵盤ですよ。ブルースはどの楽器を弾かせてもうまいですが、特に4曲目のスロー・ブルーズでのハモンド・オルガン・プレイなんか、うなります。ジャジーでもありますしね。

 

ピュア・ブルーズというよりリズム&ブルーズというか、もっとさらにロックンロールに近いなと思えるものだってアルバムにはいくつかあります。2曲目で早くもそんな感じが出ていますが、本格的には7曲目の「ギヴ・アップ・アンド・レット・ミー・ゴー」。やはりジェリーがハーモニカを吹いているにもかかわらず、これはロック調です。「ハイ・ヒール・スニーカーズ」みたいですよね。シャッフル・ビートもロックっぽいですし。

 

10曲目の「ロング・トール・ショーティ」もそんな「ハイ・ヒール・スニーカーズ」調のロック・ナンバーでしょう。これらの曲では主役のジョーも粘っこくないアッサリした歌いかたに終始していて、ギター・ソロがジョーなのかデューク・ロビラードなのか判別できませんがそれもブルージーな感じを消していますよね。12曲目「ユード・ベター・ビー・シュア」もロック・ナンバーに近いフィーリングですね。

 

そうかと思うと11曲目「ザット・ソー・コールド・フレンド・オヴ・マイン」はジャズ・(ブルーズ・)ナンバーと言いたいほどの内容で、これもなかなかいい味です。アルバムの中盤6曲目とラスト13曲目には、やはり伴奏なしのジョー・ビアードのエレキ弾き語りが収録されていて、それらではジョン・リー・フッカーか R. L. バーンサイドかっていうようなブルーズのエグ味を聴かせてくれているのが個人的にはうれしいです。

 

(written 2020.2.21)

2020/03/30

ビッチズ・ブルー 50

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(6 min read)

 

Miles Davis / Bitches Brew

https://open.spotify.com/album/3Q0zkOZEOC855ErOOJ1AdO?si=5syXE6dyQNuSN4LopT3UdA

 

2020年3月30日にちょうど50歳になった『ビッチズ・ブルー』。マイルズ・デイヴィスの代表作ですが、そう、1970年3月30日にアメリカで LP 二枚組が発売されたわけですね。そういえば昨年、特に夏には、『ビッチズ・ブルー』録音からぴったり50年ということで、なんだかそんなアニヴァーサリーをやったばかりじゃないかという気もしますが、今年は今年でなにかちょっと書いておきたいと思います。

 

この世に出てからぴったり半世紀ということで、『ビッチズ・ブルー』のいまだに続く影響力みたいなことが言われるわけですけど、こないだ来たマイルズ公式アカウントからのメール(はレガシーが運営しているからレガシーからも同一文面が来た)では、「マイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』ほど影響力が持続しているアルバムはほとんどない」とのことでした。これはしかし50年が経過した現在でも言えることなんですか。

 

いま、『ビッチズ・ブルー』を聴きかえし、2020年でも強い影響を音楽界におよぼしているかということを簡単に言うことはできないのかもというのが正直な気持ちです。ジャズやその周辺界隈でのこのアルバムの影響力は、ある時期に終息しているような、そんな気がするんですね。それでも聴いたらやはりすごい音楽だと感動しますけれども、それは影響云々じゃなくてこの音楽そのものが持っているパワーということでしょう。

 

ジャズとロックやファンクなど他ジャンルとのクロス・オーヴァー、フュージョンという点でみれば、やはりいまだに『ビッチズ・ブルー』が大きな力を発揮しているのだとも言えなくもないんですけどね。2010年代のジャズも、他ジャンルとの横断・接合をさかんに試みて成果を出していますが、そもそも混ざっていいんだ、OK なんだ、どんどんやれといったことを、それも大胆な完成品として提示したジャズ史上初の本格作品が『ビッチズ・ブルー』だったかもしれませんからね。

 

その後の1970年代ジャズ(やその周辺界隈)などは、完全に『ビッチズ・ブルー』が描いた見取り図にのっとって進んだのは間違いないことですし、一大ヒットになってハービー・ハンコックをスターにした『ヘッド・ハンターズ』だってマイルズ・ミュージックの延長線上にあったものです。当時の聴衆はそうは思っていなかったでしょうけど。その後もヒップ・ホップ系のものとも接合できるハービーの音楽性やアイデアの源泉は、もちろんマイルズが与えたもののなかにありました。特に『ビッチズ・ブルー』が示した可能性のなかに。

 

ヒップ・ホップ系ビートとの接合は、現代ジャズのひとつの大きな特色ですから、そう考えると、やはり21世紀にあっても『ビッチズ・ブルー』のおよぼす力が大きいのだとみることもできますね。あれっ、前言撤回かな。ファンク、ヒップ・ホップとビートを細かく割っていく手法は「直截的には」マイルズのこの70年リリース作で聴けませんけどね。

 

以前からなんどもくりかえしていますが、『ビッチズ・ブルー』の録音は1969年の夏、それも8月19〜21日の三日間で行われたということをふまえても、かの<サマー・オヴ・1969>との連動性、あの時代の、ロックとの、ヒッピー・カルチャーとの、サイケデリック・ムーヴメントとの、強い関連を考えざるをえないのですが、実際、ジャズ界にあってかのサマー・オヴ・1969の空気感を最も的確に表現したのがマイルズの『ビッチズ・ブルー』だったとも言えましょう。

 

ブラック・ミュージックとして聴けば、『ビッチズ・ブルー』でぼくが最も感銘を受けるのが「ファラオズ・ダンス」「スパニッシュ・キー」「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」の三曲です。ファンキーですよね。「ファラオズ・ダンス」はジョー・ザヴィヌルの用意した曲ですけど、ジョーの黒い感性が、特にベース・ラインや後半リピートされるマイルズの吹く反復ラインによく表れているなと思います。

 

「スパニッシュ・キー」はロック調、それも後期リターン・トゥ・フォーエヴァーを予見したような内容で、『ビッチズ・ブルー』でもキー・パーソンであるチック・コリアの大活躍が目立ちます。このずんずん来るビート感がロックっぽくてノリがよく、快感ですよね。スパニッシュ・スケールを使ったあざやかなアド・リブ展開もみごとです。

 

一転、「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」は、曲題も暗示するように(ミーターズふうの)クールなニュー・オーリンズ・ファンクに接近した一曲で、個人的にはこれをこのアルバムのクライマックス、白眉の一曲としたいです。このスロー・ミディアム・テンポに設定したバンド全体のグルーヴが、もうたまりませんよね。マイルズのソロでホットな沸点に達するその瞬間には聴き手も絶頂を迎えます。

 

各人のソロまわしを組み立ての中心に置くというのは従来的なジャズの手法でありながら、実はそれらソロも全体のピースの一個としてはめこまれるようになっていて、伴奏もふくめてのトータル・アンサンブルが即興できているという、いわばインプロヴィゼイショナル・アンサンブルとでもいうべき音楽構築は、1968年あたりからマイルズも実験的に試みてきたことです。それが『ビッチズ・ブルー』ではみごとに結実、開花していますよね。

 

ソロとインプロヴィゼイショナル・アンサンブルのバランス、有機的一体化とか、ソロをはめこんだ上でのアンサンブルのトータル・ワークで聴かせるという音楽の構成とか提示みたいなことをみても、マイルズの『ビッチズ・ブルー』が示したやりかたは、やはり2010年代以後の最新ジャズのなかにも引き継がれ生きている、50年前に音として具現化されていたとなれば、やはりものすごいアルバムだったのだ、レガシーがいうようにこれほどいまだ影響力が持続しているアルバムは滅多にないということになるのかもしれませんね。

 

(written 2020.3.29)

2020/03/29

Spotify、コロナ危機に際し、音楽業界支援プロジェクトを開始

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(4 min read)

 

https://artists.spotify.com/blog/spotify-covid-19-music-relief

 

きのうもアイオナ・ファイフ関連で書きましたが、コロナウィルス感染拡大とそれにともなうソーシャル・ディスタンシングの徹底で、世界の音楽家、音楽業界をとりまく状況はたいへん厳しいものになっています。レコードや CD や配信、あるいはグッズなどの売り上げから得られる収入しかなくなっているんですし、それらだってライヴ現場でどんどんさばけたりもするもんなんですから。もちろんいっさいのイベントやコンサートなど人前に出てのパフォーマンスは、事実上まったくできないという状態に陥っていますよね。

 

はっきりいって音楽業界にとってはまれにみる大ピンチだと思うんですが、ぼくは自室でふだん音楽を Spotify で聴いています。たぶん総聴取時間の九割以上が Spotify アプリを使ってのものなんですね。もう本当にお世話になっているんですが、このコロナ危機に際しなにかできないかということを、もちろん Spotify も考えているようなんですね。

 

それで「Spotify COVID-19 Music Relief」というプロジェクトが立ち上がりました。正確にはこれから音楽家や業界への支援がはじまるといったところみたいなんですが、はっきりいってふだんぼくらが月額980円を支払って Spotify で音楽を楽しんでいるそのお金が音楽家にどう分配されているのか、わかりにくいですよね。もっとシステムを透明化してくれたらいいのにというか、bandcamp みたいに「ダイレクトに」音楽家へお金が届く仕組みを示してくれたらいいのにという思いがぼくにはありました。

 

そういうのは平時であればあまり考え込まないことですけど、いまはコロナ危機で大勢の音楽家がたいへんに困難な状況にある非常時といえるわけですから、それでいっそう、ぼくたち音楽ファンは愛する音楽家のためになにかできないかという気持ちが強くなっているんじゃないかと、これは間違いなくぼくだけではないという実感が、ここ日本にいてもここ一週間/十日ほどで、あります。

 

Spotify の COVID-19 Music Relief プロジェクトは、新型コロナウイルスの影響を受け困窮している音楽家、音楽業界で働くひとびとへ経済的支援を提供するもので、くわしいことは(英文ですが)上のリンク先をご一読ください。このプロジェクトの一環として、近日中に Spotify 上で音楽家がファンから直接募金を集めることができる機能のリリースを予定しているそうです。

 

たぶんこの、ファンから音楽家が直接お金を集めることのできる機能こそ、今回のプロジェクト最大の目玉なんじゃないかと思うんですね。音楽家は自身の Spotify プロフィール・ページで寄付のためのリンクを貼ることが可能になりますし、自分用、支援を必要とする別の音楽家用、音楽業界支援のための機関用など、音楽家が選択した資金調達先にリスナーを誘導できるようになるみたいです。

 

このほか(Spotify 社からの寄付もふくめ)いくつもの種類のプロジェクトが展開される様子ですが、ふだん Spotify で便利に、そう事実上無料でというに近いような状態で(たったの月額980円だから)高音質で無制限にどんどん音楽を聴きまくっているぼくたちも、今回のような大規模なコロナ危機に際しては、やはり好きな、愛する、音楽家やその関係者になにかしたいという気持ちになりますよね。

 

社会事業者としての自覚とともに、そこらへんを Spotify としても汲んでくれたということなんでしょう。ライヴ・イベントやコンサートなどがなにもかもいっさい消えてなくなっていますから、そういった支援は現状できません。だから外出自粛中のぼくたち在宅民にできるのは、せめて CD や関連商品を買うこと、(昨日書いたようなオンラインの)パトロン・システムを利用して音楽家への直接の経済支援を行うこと、そして今回はじまることがアナウンスされた Spotify COVID-19 Music Relief プロジェクトを通じて寄付をすること、などしかないじゃないですか。

 

(written 2020.3.28)

2020/03/28

アイオナの3ポンド・パトロンになりました

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(6 min read)

 

https://open.spotify.com/album/324FKjzNz20DnQw2HNzAx8?si=dRsmpb6JTJeXmpJrym0t9g

 

歌手、音楽家のみなさん、お元気ですか。今2020年になってからの最近のみなさんを取り巻く状況はたいへんに厳しいものだとぼくにもわかっています。コロナウィルスのせいで、音楽のイベントやコンサートなど続々ととりやめになり、収入のみちがとだえてしまったというひとも多いはずです。事務所などに所属し月給のようなものをもらっているのであれば、それでもまだ凌いでいけるかもしれませんが、フリーランスなら絶望的な状況に、特に三月に入って以後、なっているんじゃないでしょうか。

 

音楽家にとってのそんなタフでハードな状況は、日本でもそうですし、国外でもまったく同じです。ぼくの愛するアイオナ・ファイフ(スコットランド)もそのひとり。アイオナはスコットランドのバラッドなどを歌うフォーク・シンガーですが、フリーランスゆえ、やはり昨今かなり厳しい状況におかれてしまっているということが彼女の Twitter を読んでいると伝わってきます。

 

アイオナの2020年3月26日夜(日本時間)のツイートによれば、自営のフリーランス・フォーク歌手である彼女は、いっさいの収入がなくなったままになってしまっているんだそう。独立して活動している歌手、音楽家であれば、世界のみなさん同じですよね。アイオナもそう書いています。アイオナのばあい、スコットランドや UK を中心にヨーロッパ各地を頻繁にライヴ・ツアーしてまわっていたのが、現在ゼロになってしまっているようなんです。

 

CD などもすこしはリリースしているアイオナですが、それらはふつうそれぞれ一回買ったらおしまいとなるものでしょう。彼女のアルバムがどれくらい売れているのかわかりませんが、やはり主たる収入源は日々の(ラジオ出演などもふくむ)ライヴ活動だったんじゃないでしょうか。それがコロナのせいで完全にすべてなくなってしまっているんですよね。"have lost all of my income” と書いてあったりしますから、CD 売り上げもさほどの収入になっていないのかもしれません。

 

そこで、アイオナはこう提案しています。もしもわたしの歌を気に入ってくださるならば、ちょっとでもサポートしていただけたら助かりますと、二つの方法を示しているんですね。
https://twitter.com/ionafyfe/status/1243108647930036224

 

いまリンクを書いた彼女のツイートをお読みになればわかりますが、いちおう日本語で整理して示しておきますね。

 

(1)bandcamp でアイオナの CD を買うこと。
https://ionafyfe.bandcamp.com

 

(2)アイオナの Patreon に参加し、パトロンとなること。
https://www.patreon.com/ionafyfe

 

ぼくの目をひいたのは(2)のパトリオンのほうでした。アイオナの CD のほうはぼくもいままでバンドキャンプで買ってきましたから。パトリオンのような、こういったサイトというかサービスのことを今回までぼくは知りませんでしたが、アイオナ自身、コロナ危機に直面して初めて登録・作成したんじゃないですかね。

 

Patreon は音楽家などをサポートするオンラインのパトロン・システムで、ほかのひとのケースも同様なのか知らないんですが、アイオナは毎月3ポンド、10ポンド、20ポンド、40ポンド、100ポンド、175ポンドの六つのコースを用意しています。それぞれ特典などが違っているんですね。オンラインのカード決済でだれでも簡単に、思い立ったらすぐに、アイオナのパトロンとなることができます。

 

そこでぼくは即決で3ポンド・パトロンになったんです。毎月3ポンドがぼくのカードからアイオナのために引き落とされますが、たったの3ポンド(日本円で約390円程度)ですからお財布的にも痛みません。本当だったらもっと額の大きなパトロン・コースを選んだらよかったかもですが、毎月の支払いになりますので、そこは自分の経済状況と相談して決めたわけです。

 

たったの月3ポンドぽっちで、現在無収入状態のアイオナを支援しているとは言えないかもしれませんが、些少額でも実感のあるサポートを、それもダイレクトに、やっているという手ごたえがほしかったんですね。それほどぼくはアイオナの声と歌に惚れちゃっているわけなんです。Twitter なんかでふだんやりとりしてわかっているアイオナの飾らない実直な人間味にも好感を持っています。

 

また、バンドキャンプのアイオナのページでは、CD アルバムを買うだけでなく、寄付もできるように現在なっています。これはたぶん今回のコロナ危機に直面してアイオナが急遽設定したものでしょう。CD ももう一回買って、寄付もしようとぼくは思いますが、それらは一回性のものだと思うんですね。パトリオンでのパトロン・システムは継続的な支援ですから、それがいいなと思っています。

 

サイトによれば、現在のアイオナのパトロンはぼくをふくめて21人。まだまだといった感じですが、これからも、応援している歌手や音楽家をほんのちょっとづつちょっとづつサポートしていけたらいいなと思います。むろん(バンドキャンプのような、音楽家へのダイレクトな収入が大きいサイトで)どんどん CD やデジタル・アルバムを買えればそれがいいのですが、ぼくにはぼくの事情もあります。

 

ともあれ、これでぼくも、スコットランドから遠く離れた日本にいる、アイオナ・ファイフのちいさなちいさなパトロンです。だいたいずっと前からいつもインドア派で、いつも部屋のなかにこもりっきりでずっと音楽聴いているぼくですから、コロナウィルスのせいで外出自粛の波がひろがっても生活に大きな影響はありません。むしろ部屋で音楽をスピーカーからどんどん鳴らすという最も好きな行為は助長されているようなものです。

 

そんなわけでこれ幸い、でもないけれど、自宅の部屋のなかにずっといながら、コロナウィルス感染の波がおさまってくれる終息の日を待ちながら、ぼくは音楽をどんどん聴き続けていきたいと思います。そして、ライヴ・イベントやコンサートなどがなるべくはやく再開されますように。それでフリーランスの歌手、音楽家、関係者のみなさんにとっての正常な日々がはやく取り戻せますように。

 

(written 2020.3.27)

2020/03/27

ジョー・ビアードの世界(1)〜『ブルーズ・ユニオン』

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(3 min read)

 

Joe Beard / Blues Union

https://open.spotify.com/album/6tA0yH29YBZrr2OlIGTXSh?si=erfuOohoSHuQpBeSAUYlcA

 

以前マーク・ハメルの記事で言及したブルーズ・マン、ジョー・ビアード(Joe Beard)。ニュー・ヨーク州ロチェスターのベテランです。マークのあのアルバム『ウェイバック・マシーン』終盤にあった三曲はジョーのアクースティック・ギター弾き語りで、ドロドロしたエグ味のあるカントリー・スタイルのダウンホーム・ブルーズを聴かせてくれるものでした。
https://open.spotify.com/album/1huxK2YKWWMbh9NFmmi32q?si=tMhUicegRWWbK0lAYI5b4g

 

こういうのが本当にいいなぁとしみじみ感じて、ドバーっとまとめて聴きたいと思って Spotify で検索しても、ジョーのアルバムはモダン・エレクトリック・ブルーズばかりが、しかもちょっとだけ。アクースティックな弾き語りブルーズでジョン・リー・フッカーみたいなのはぜんぜんないんです。YouTube でさがすとテレビ出演なんかがほんのすこしだけ見つかりましたが。
https://www.youtube.com/watch?v=_sIJ6LquoVk
https://www.youtube.com/watch?v=D4cGjA6c6l8

 

それはそれでいいやと気を取りなおして Spotify でジョー・ビアード1996年の『ブルーズ・ユニオン』を聴きました。ギターリスト、ロニー・アールとの共演盤ですね。内容はほぼ全面的にバンド編成でのエレクトリックなモダン・シカゴ・ブルーズのスタイルだと言えましょう。でもぼくがジョー・ビアードに惚れたジョン・リー・フッカーみたいな(エレキだけど)ギター弾き語りが一つもないわけじゃありません。

 

アルバム『ブルーズ・ユニオン』だと、5曲目の「サリー・メイ」、10曲目の「レイト・イン・ジ・イヴニング」が伴奏なしジョーひとりでのギター弾き語り。前者はフッカーの曲ですね。ジョーが使っているのはエレキなんですけど、ドロドロの泥臭いエグ味を発揮していて、聴き惚れます。これですよ、こういうのが聴きたかったんです。全体的にバンド編成でやっているアルバムのなかにもこうやって二曲あるんだから、制作側としてもジョーをそういったブルーズ・マンとみなしているんでしょう。

 

個人的にはアルバムまるごとぜんぶがこういったのならいいのにと思うほどですが、ふつう一般的にはそれじゃあウケないっていう判断なんでしょうね。好みはそれぞれですが、一枚くらいそんなアルバムがあってもよかったんじゃないかと、しつこいですがぼくは思います。それが制作できないのは時代もあるんでしょうか。ジョン・リー・フッカーみたいなひとですら晩年はバンドでやっていました。

 

ブルーズ・マンの表現するブルージーさ、エグ味、ドロドロしたとぐろを巻くような世界、それをギター一台だけでの弾き語りで表現するときの孤独感、そういったものこそブルーズの世界の醍醐味のひとつだと思うんですけど、でもバンドで楽しくやって歌い、ソロを弾き、ほかの楽器にかこまれてにぎやかにやる、またそれもひとつのリアル・ブルーズですね。

 

アルバム『ブルーズ・ユニオン』では、またサックス(デイヴッド・ファットヘッド・ニューマン)がソロを吹く二つ(4、8曲目)では、ピュア・ブルーズというよりリズム&ブルーズ/ソウル・ミュージック寄りのサウンドになっていて、それもおもしろいところです。それでふりかえってみれば、サックスが入らないものでも、すこし B. B. キングっぽいモダンなファンキー感覚もあるような気がしてきました。

 

(written 2020.2.20)

2020/03/26

ブライアン・リンチの豊穣

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(4 min read)

 

Brian Lynch Big Band / The Omni-American Book Club: My Journey Through Literature In Music

https://open.spotify.com/album/3iKVjeZNhe9tTkf3K958bD?si=h2wszgDYT2SmVH0u3hU8Ww

 

Astral さんのブログで教えていただきました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2020-01-28-1

 

ブライアン・リンチ・ビッグ・バンドの『ジ・オムニ-アメリカン・ブック・クラブ:マイ・ジャーニー・スルー・リタラチャー・イン・ミュージック』(2019)。昨年度のグラミー賞でジャズ・ラージ・アンサンブル部門を受賞したアルバムだそうです。Astral さんに教えていただくまでなにも知りませんでした。でもジャケットがなかなか雰囲気ですよね。きっと中身もこれはいいぞと直感して耳に入れてみたら大正解。これは傑作でしょう。

 

フロリダ大学のフロスト・スクール・オヴ・ミュージックで教えるブライアン・リンチの同僚や学生たちを中心に編成されたビッグ・バンド+多数の著名ゲスト・ソロイストたちで録音されたこの『ジ・オムニ-アメリカン・ブック・クラブ』は、アフロ・カリビアン・ジャズとストレート・アヘッドなジャズとのブレンドと言えるでしょうね。はっきりとしたアフロ・キューバン・ナンバー、メインストリーム・ジャズ・ナンバー、両者合体のナンバーと、三種並んでいるように思います。

 

ラテン・ミュージックのある意味象徴的な管楽器ともいえるフルートがなめらかにすべりこんでくる1曲目「クルーシブル・フォー・クライシス」からグイグイとこのアルバムの音楽世界にひきずりこまれます。この1曲目はラテンとメインストリームの合体といえるスケールの大きなナンバーで、コンポーザー/アレンジャーとしてのブライアン・リンチの優秀で豊穣な才能を見せつけたスケールの大きな一曲ですね。跳ねるリズムもカリビアンながら、ストレート・ジャズのフィーリングもあります。

 

全体的にアンサンブルとソロのバランスがとてもうまくとれているのが大きな好印象のこのアルバム、続く2曲目もラテンふうなストレート・ジャズですが、3曲目「アフェクティヴ・アフィニティーズ」ではっきりとアフロ・キューバンに舵を切ります。これはボレーロで、後半がチャチャチャ。ヴァイオリンがなんともいえず実にいい感じで響きますよね。パーカッションの響きも上品でコクがあります。リズムの上に乗るアンサンブルも極上のエレガンスで、ラテン・ボレーロ/チャチャチャならではの官能を引き立てていますね。

 

すべての曲でブライアン・リンチはホーン・アンサンブルを書いているだけでなくリズムもアレンジしていると思うんですけど、全体にわたりそれがきわだってすばらしく、どの曲でも有機的に一体化していて、スムースに流れるところ、ドラマティックにもりあがるところと、それぞれみごとで、計算され尽くしているようでいてスポンティニアスななめらかさがあり、ヴィヴィッドで、も〜うこのペンの前には降参ですね。ラテン・ジャズ・トランペッターとしてはぼくもいままでちょっとだけなら聴いてきたひとですけど、作編曲でこれだけあざやかな仕事ができるとはビックリです。

 

アルバム後半の6曲目「トリビュート・トゥ・ブルー(・ミッチェル)」からは主にストレート・ジャズで構成されていてリズムも4/4拍子ばかりですが、聴きごたえがあります。8曲目「アフリカ・マイ・ランド」だけは曲題どおりアフロ・ラテン方向へ向いた一曲。パーカッションが西アフリカ系のリズムを刻みはじめてから、その後そこに徐々に音が加わっていきます。アフリカン・リズムはこの曲全体をずっと貫いていますし、ホーン・アンサンブルは点描的に折り重なります。ピアノはちょっぴりサルサっぽくもあり。

 

ストレート・ジャズ・ナンバーのなかでは9曲目の「ウディ・ショウ」の出来が出色だなと思いますし、それ以上にやはり1、3、8曲目などアフロ・カリビアン方向にあるものがかなりの充実を感じさせるし、ゲスト・ソロイストの演奏内容もいいけど、バンドのリズムやアンサンブルがそれにも増してゴージャスで、全者あいまってブライアン・リンチというジャズ作編曲家&バンド・リーダーの最高度の豊穣を見せつけたマスターピースに違いありません。

 

(written 2020.2.17)

2020/03/25

ラテン・ジャズ好きにオススメ 〜 ハービー・マンとチック・コリアのラテン・セッション集

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(4 min read)

 

Herbie Mann, Chick Corea / The Complete Latin Band Sessions

https://open.spotify.com/album/7x7smkzgMF67qfRLHXDrND?si=ZGQ2MxPFREeAaYfwpnKT-A

 

これはなに?Spotify でチック・コリアの『コンプリート・"イズ”・セッションズ』をまた聴こうと思って検索窓に "Chick Corea complete" まで入れたらこれも出た『ザ・コンプリート・ラテン・バンド・セッションズ』。これホントなんですか?ハービー・マンとの共同名義になっているけれど?リリース年が2007年。聴いてみたら1960年代のサウンドだし、チックというよりハービー・マンのセッション集なんですよね、たぶんチック修行時代の録音じゃないかなあ。ブートレグくさいですね。

 

なんにせよ結果OK。ラテン好き、それもチックのラテンとくれば大歓迎。それでぼくはチック・コリア好きだからその関連で見つけましたけど、調べてみたらこれは完璧にすべてハービー・マンのリーダー録音集なんですね。1965年のマンのバンドにチックが在籍していたみたいで、『コンプリート・ラテン・バンド・セッションズ』は、その65年録音の三枚のアルバム『マンデイ・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ゲイト』『スタンディング・オヴェイション・アット・ニューポート』『ラテン・マン - アフロ・トゥ・ボサ・トゥ・ブルーズ』を集大成したものみたいです。

 

1965年のハービー・マンのバンドにチックがいたなんて、無知なぼくはぜんぜん知りませんでしたが、マンがこんだけラテン・ミュージックに傾倒していたこともわかっていなかったんですね。ぼくだけ?ですよねえ。それでこういった音楽を展開したいがためにラテンが得意なチックを招き入れたんでしょうか?モンゴ・サンタマリアやウィリー・ボボといっしょにやっていましたからね。そのへんの事情はどなたかくわしいかたにおまかせします。

 

『コンプリート・ラテン・バンド・セッションズ』は、だから1965年のハービー・マンのバンドの録音集で、メンツはマン、チック、デイヴ・パイク(ヴァイブラフォン)、ブルーノ・カー(ドラムス)、パタート・カルロス・バルデス(パーカッション)+ベーシスト、にくわえセッションによってホーン陣などが参加します。二枚目前半にはオリヴァー・ネルスン編曲指揮のオーケストラも参加。

 

さて、このアルバム、わりとふつうのハード・バップみたいな演奏もまじっていますが、それ以外はラテン・ジャズ路線まっしぐらと言っていい内容でしょうね。チックに期待して聴くとたいしたことないしそもそも出番もあまりないしでガッカリしますけど、ハービー・マンのフルート演奏がすばらしいのと、それからなんといってもこのリズムですよね。アフロ・キューバンなこのリズムを聴いているだけで心地いいです。

 

特にドラマーのブルーノ・カーとパーカッションのパタート・カルロス・バルデス両名の叩き出すこの躍動感がたまりません。一枚目ではトロンボーン二本も参加、いい味のリフを演奏していますし、デイヴ・パイクのヴァイブもあざやかで聴きごたえあります。チックも決して目立たないとはいえ(ソロ時間なんかはあまりなし)、バッキングでラテンなリフを弾いていたりします。

 

アルバム一枚目で最もグッと来るのは7曲目の「パタート」でしょう。そこまではさわやかラテンみたいな感じでやっていたのに、この曲ではリズムが熱く大爆発。6曲目の「ムシ・ムシ」からすでに熱いんですが、続く「パタート」の熱量はハンパじゃないです。曲題どおりパタートのパーカッションが大活躍、チックもファンキー・リフを叩き続けていて、いやあ、これはすごいラテン・ジャム・セッションですねえ。

 

二枚目のほうではわりと知られたスタンダードを多くやっているのが目立ちます。レイ・チャールズの「ワッド・アイ・セイ」、ホレス・シルヴァーの「セニョール・ブルーズ」、ハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」など、いずれもオリジナルからしてラテンっぽい調子の楽曲ですが、ここでのハービー・マンらはよりリズムを強化してやっているのがグッドですね。オリヴァー・ネルスンのオーケストラ・アレンジも効いています。

 

オリヴァー・ネルスン・アレンジの妙といえば、この二枚目でぼくがいちばん感動するのが7曲目のボレーロ「インタールード」なんですね。主役のマンのフルートにからみつくブラス・アンサンブルのたゆたうようなゴージャスな響きがたまらないでしょう。メロウでスウィート、これぞジャズ・ボレーロの傑作と呼びたいできばえです。この曲はアレンジの勝利だと言えますね。二枚目後半はボサ・ノーヴァが多くなります。

 

(written 2020.2.15)

2020/03/24

作曲と即興のはざまに 〜 ルイージ・ウーリィ

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(4 min read)

Louise Woolley / Rascunhos

https://open.spotify.com/album/7saPl35wPLf6w6PLiKTei5?si=sLwWlr93RVuVCArCaPvX_g

 

ところで関係ないことですが、「〜〜嬢」「〜〜女史」「女流〜〜」「才媛」「紅一点」などといった表現って、女性はしませんよね。する男性の心理のなかには女性差別意識があると思います。関係ありやなしや、この手の表現にむかしからなんとなく感覚的に違和感があったぼくは、使ったことがないんですね。

 

ルイージ・ウーリィ(Louise Woolley)。ブラジルのジャズ・ピアニストですが、その最新作『Rascunhos』(2020)では、収録曲にほぼタイトルが付いていません。ラスト8曲目だけ「Primeiro Dan」と題されていますが、それ以外は「Rascunho」に番号が振ってあるだけなんですね。なんだか愛想ないなあ。おかげで曲題で指し示せませんが、ちょっと番号で管理するクラシック音楽みたいですね。

 

基本ジャズだけど MPB(特にミナス派)にも交差しているこのアルバムの特色は、どこまでが作曲されたラインでどこからが即興なのか区別がつきにくいというところにあるかもしれません。曲はすべてルイージの自作のようですが、用意されたコンポジションとくりひろげられるインプロヴィゼイションの境目がわかりにくい、というかこれ、ほぼ区別がなしと言ってもいいくらいじゃないですか。

 

作曲も即興も全体が渾然一体となっていて、しかもそれを聴いていると心地いいです。ルイージのピアノ演奏や、作曲もそうかな、かつてのビル・エヴァンズを思わせるタッチを感じます。リリカルにメロディをつむぐときのピアノ演奏に特にそれがあるように思うんですが、ビル・エヴァンズの影響はいまでも全世界のジャズ・ピアノ界におよんでいますし、ブラジルのジャズでも多いということで、むべなるかなと。しかしエヴァンズふうに弾いているのが作曲されたラインなのか即興ラインなのかはよくわかりません。

 

あ、いや、でもコンポジションは主にヴォーカル(ハミングだけ、ルイージではない)と管楽器二本で表現されていることが多いかもしれませんので、ピアノ演奏のほうはアド・リブなのかもしれないですね。ホーンやスキャットによるメロディ・ラインは、オーソドックスなジャズのようにテーマ提示みたいなことだけで使われているのではなく、曲中でどんどん出ます(特にスキャット)が、それもたぶんコンポジションです。

 

ってことは、ピアノや管楽器がアド・リブ・ソロをくりひろげている最中にもスキャット・ヴォーカルでコンポーズド・ラインがどんどん歌われているということで、やはり作曲と即興が複雑に交差し入り混じり、一体となって作品が進んでいっているんだなとわかります。2010年代以後の新世代ジャズの特色のひとつとしてアンサンブルとソロの渾然一体化、不可分化があるとぼくは感じていますが、このルイージのアルバムでも同様のことが言えるんでしょう。

 

リヴィア・ネストロフスキのスキャットの次に印象に強く残るのは、ダニエル・ジ・パウラのドラミングですね。どの曲でも強く激しく刻んでいて、しかも一筋縄ではいかない複雑でモダンなビートを表現しています。パッショネイトでもあるし、いいなあ、このドラマー。ルデーリでも叩いているひとですよね。シンバルの使いかたが個人的にはお気に入り。スネア・ワークもいいです。特に5曲目「Rascunho No. 9」では本当にみごとです。

 

アルバムではその5曲目で強く激しく盛り上がり、ここがクライマックスに違いないと思うんですけど、続く6曲目「Rascunho No. 7」はさわやかボサ・ノーヴァ調。MPB ふうで、これもなかなかいいトラックですね。ダニエルのリム・ショットを中心とするドラミングも調子よく、サックス・ソロ、フリューゲル・ホーン・ソロともにいいフィーリングですね。軽みがいいと思うんですよ。快適です。

 

(written 2020.2.19)

2020/03/23

夢で逢えたら

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(4 min read)

https://www.youtube.com/watch?v=GOpyfEWXaTA

 

お元気ですか。今朝、夢のなかにあなたが出ていらっしゃいました。ときどきあるんです、そういうこと、あなたを夢に見るということが。今朝の夢のなかでぼくたちはなにか音楽のライヴ会場みたいなところにいました。ライヴ会場ですからもちろんほかにもたくさんひとがいて、みんなで音楽を聴き、そしてその会場はカフェ&レストランみたいなところで音楽ライヴ+ワン・フード&ワン・ドリンクが必須ですから、みんなで食事をしてコーヒーを飲みました。

 

現実にあなたにお会いしたのは2018年の2月が最後になっていますね。そもそもの出会いは、音楽趣味の共通性みたいなことで、ネットであなたがぼくのことを見つけてくださったのでした。わたしの好きな音楽と同じような音楽がお好きなんですねと声をかけてくださって、それでお友達になり、やりとりするようになりました。何年のことだったか忘れましたが、ぼくの書いた年間ベスト10の日記だったと思います。

 

それで、音楽趣味でお話ができる仲のよいお友達ということで、その後も(主に)ネット上でお付き合いするようになったのです。しばらくのあいだは mixi で、2009年の暮れごろからは Twitter で。mixi 時代にぼくが音楽についてしゃべっていた大学の講義日記を書いていたら興味を持ってくださって、教室まで遊びにきてくださったことがありました。そのときはじめてお会いしたのでしたね。その後2011年2月浅草でのマレウレウ・ライヴでもご挨拶いただきました。

 

ぼくのなかであなたは音楽や芸能全般にかんしてくわしいマニアックな趣味人ということになっていて、それはたぶん間違っていないと思います。ぼくも基本(ほぼ音楽だけとはいえ)そうだから、それでどんどんお話していたのでした。ネット上で最も仲のいい友人があなたでした。ネット上にしか友人のいないぼくですから、つまりあらゆる意味で最親友があなたということになっていたんです。

 

それらはすべてもとは音楽趣味が共通しているというところから来ているものでした。あなたはジャズ・ファンだったことは一度もないということなんですけれど、米英ロックやサザン・ソウル(はぼくはちょっとうといけれど)、ブルーズなどのブラック・ミュージック、それからワールド・ミュージックなど、CD 買ったり聴いたりする範囲が共通していて、それでふだんから楽しく(主に Twitter 上で)おしゃべりしていたのでした。

 

あなたはぼくよりもずっと音楽についてもくわしいですから、ぼくは教わったり学んだりすることばかりで、ずいぶんとお世話になりました。本当に感謝しています。2000年代のなかごろ、あなたに mixi で出会わなかったら、あなたがぼくのことを見つけてくださらなかったら、その後のぼくの人生はぜんぜん違うものとなっていたでしょう。人生がより楽しくより充実したものとなったのです。

 

Twitter を主な居場所にしているというのはいまでも同じですけれど、いつごろからか、あなたはあまり音楽のことをおっしゃらなくなりました。さびしく感じていたんですけど、その後しばらくしてぼくは音楽について自分の意見をまとめた文章をブログに上げるようになって、それでこの Black Beauty があります。ぼくのほうはそれ以後のほうが音楽へののめり込みが強くなっているように思います。

 

あなたも音楽はずっとふだんから熱心に聴いていらっしゃるのでしょう。日常的にあまりおっしゃらないだけで。ふだんほとんど発言なさらなくなったことをぼくはさびしく感じていましたが、それはいまもちょっとさびしいんですけれども、ぼくはぼくで勝手に音楽関係で充実するようになっていますから、それでいいんじゃないかと思います。

 

かつては共通の趣味や考えかたを持つ友人として、同じ道路を仲よく歩んでいたような感触もありましたが、いまは別な方向を向いているんだなという実感があります。でもあなたのことを大切に思ったり慕ったりする気持ちはずっと変わらず持ち続けているんで、毎日ふだんから意識しているというのはずっと同じです。だからいまでも夢のなかに登場なさったりするんだと思います。

 

せめてときどきは夢でお会いできたら。それでじゅうぶんだと思っています。現実にどこかでお会いして顔を見ておしゃべりしたりできなくてもいいです。ぼくはあなたを失ったのでしょうか。そうかもしれません。でも、それでもせめて、夢で逢えたら。

 

(written 2020.2.12)

2020/03/22

ストーンズ『ストリップト』をちょこっと

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(5 min read)

https://open.spotify.com/album/0uzoKrr1YgLd6yhNQEmu9f?si=ULXds5yKQsyeY-n3z_rUkg

 

以前書いたテニール・タウンズ関連でどうしてだか思い出し聴きたくなったザ・ローリング・ストーンズの『ストリップト』(1995)。アクースティック・サウンドつながりっていうことかなあ、わかりませんが、とにかく今日はストーンズのこれを。さて『ストリップト』は全編アンプラグドで、しかもライヴ・アルバムであると思われているようにも思いますが、正確には違います。エレキ・サウンドもわりとあるし、スタジオ・セッションで収録したものがたくさんありますよね。

 

そんななかから今日はアクースティック・セクションのことをちょっと思い出したので聴きなおしています。数え上げると、1「ストリート・ファイティング・マン」(ライヴ)、5「蜘蛛とハエ」、7「ワイルド・ホーシズ」、8「レット・イット・ブリード」(スタジオ)、11「アンジー」(ライヴ)、12「ラヴ・イン・ヴェイン」、13「スウィート・ヴァージニア」(スタジオ)。

 

1995年にストーンズがこういったアクースティック・サウンド中心のアルバムを制作・リリースしたのには、やはり90年代当時の MTV アンプラグド・ブームがあったとみて間違いなさそうですね。古参ロッカーたちもどんどん出演し CD や DVD も出し、人気になっていました。だからストーンズとしてもちょっとやってみようかなという気になったのかも。『ストリップト』はストーンズ流アンプラグドってことだったんでしょう。

 

それで、ぼくの記憶ではたぶん1994〜95年のブードゥー・ラウンジ・ツアーからコンサートにアクースティック・コーナーが設けられるようになったと思うんですね。メイン・ステージからちょっと離れたこじんまりした小島のようなコージー・スクエアにメンバーが移動して、アクースティック・ギターを手に、親密なライヴ・パフォーマンスを数曲くりひろげたのでした。このアクースティック・コーナーはその後も(ある程度は)存続しているんじゃないでしょうか。

 

ライヴ・ツアーでのそういったアクースティック・セクションがなかなか好評なので、そんな感じで一枚アルバムをということで『ストリップト』の制作につながったのかもしれません。ストーンズは大規模なツアーをやるとそこから一枚ライヴ・アルバムを出すというのが通例ですが、ヴードゥー・ラウンジ・ツアーからはアクースティックな、しかもスタジオ・セッションも混ぜるというちょっと変則的な感じになりました。生音をしっかり録音しようと思ったらスタジオのほうがいいっていう判断だったのでしょうか。

 

個人的に『ストリップト』のアクースティック・セクションでグッと来るのは、中盤5曲目「蜘蛛とハエ」〜8「レット・イット・ブリード」までのパートです。特に「蜘蛛とハエ」、それから7曲目の「ワイルド・ホーシズ」が断然すばらしいと思うんです。前者は定型12小節ブルーズですが、オリジナルよりもテンポと雰囲気を落とし、グンと中年のセクシーさを出したようなアレンジと演奏に聴き入ります。特にキースのギターが色っぽくていいですね。

 

キースのギターがいいといえば「ワイルド・ホーシズ」でもそうなんです。この『ストリップト』ヴァージョンの「ワイルド・ホーシズ」におけるキースのギターは絶品と呼んでさしつかえないと思うんですね。東京の東芝 EMI スタジオで録音したというこのエンジニアリングもいいっていうことなんでしょう、音がいいし、それでこんなにキースのアクースティック・ギターが粒立ちよく聴こえるという面があるかも。イントロに歌のオブリガートにと、もう文句なしのすばらしさ。曲想にもピッタリ似合っています。

 

アクースティック・セクションの、というだけでなくこのアルバム全体のなかでも抜群の出来であると思う「ワイルド・ホーシズ」ですが、そこにはベース奏者の存在もあります。ダリル・ジョーンズの弾くエレベがしっかりと効いているでしょう。マイルズ・デイヴィス・バンドでも活躍したダリルがストーンズに参加したのは前作の『ヴードゥー・ラウンジ』からですが、本領発揮となったのは『ストリップト』からじゃないかと思うんですね。

 

アルバム終盤のアクースティック・セクションもいいし、なんども熱心に聴き込んだストーンズのアルバムという意味では、個人的にいまのところこの『ストリップト』が最後になっています。1995年発売作ということで、いろいろと当時の(買ったばかりのパソコンやパソコン通信関係の)思い出がからみついているアルバムなんですが、そんなこと諸々、今日は省略します。

 

(written 2020.2.14)

2020/03/21

ビートだけまとめて聴きたい

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(6 min read)

https://open.spotify.com/playlist/7bA1MVYbqLPFqiyIdQ2sam?si=yhJL18hHRm6EgE1RWw-2_g

 

とにかくビートが好きなぼく。ラップとかのしゃべり系ヴォーカルがイマイチに感じるので、それをフロントに置いてある音楽はそんなに聴きません。(ヒップ・ホップ系の)ビートだけまとめてどど〜っと聴きたいっていう、そうしている時間はリラックスできて心地いいっていう、そういう人間なんですね。そういったぼくにピッタリな音楽がこの世にはあります。同好の士が多いってことなんでしょうか。

 

それはジャジー・ヒップ・ホップとかローファイ・ヒップ・ホップ、チルホップとちまたで言われているジャンルです。要するにヴォーカルを抜いたインストルメンタルなヒップ・ホップ・ビート・ミュージックってことなんですけど、ぼく的にはビートだけでもいいぞって思います。でもそこに(サンプリングしてわざとロー・ファイにした)ジャズ・サウンドなどが混じっていればさらに極上の心地よさなんですね。

 

それでもローファイ・ヒップ・ホップ(チルホップ )ばかり続けてだとだんだんアレなんで、というのもこの種の音楽はレイドバックしていることが決定打なんですね。そんな気だるいフィーリングのビートは、心地いいですけどそればっかりじゃなあって思いませんか。すくなくともぼくはだんだん別なものが聴きたくなってきます。ビートはヒップ・ホップ系で、しかも快活でグルーヴィなやつも混じっていればいい、ビートだけでもいいけど、なにか上物を載せてあるともっといいっていう。

 

それでさがして最近ぼくがかなりよく聴いているプレイリストが "Groovy Beats | instrumental hip hop, soul, funk & bossa nova” ってやつ。今日いちばん上でリンクしたのがこれです。これのなかにもかなりチルホップがありますが、そうじゃないものだって多いですよね。快活なグルーヴだってたくさんあって、聴いていて、というか流していて心地いいです。それとリラックスできるものとがバランスよく混ざっているんで、ぼくにとっては、楽しく陽気にグルーヴしているものとチルホップ系のゆったりグルーヴと、ぜんぶがいい塩梅で出てきてくれないと、同じようなものばっかりではだんだんつまらなくなってくるんですね。

 

そもそも長時間のプレイリストで聴くっていうのが対峙するように真剣に耳に入れるという行為じゃない証拠で、部屋の BGM としてながら聴きっていうかダラダラ流しなんですけど、そうじゃなくてもこういったヒップ・ホップ系の(コンピューターでつくった)ビート・ミュージックってリラクシング効果が強いと思いませんか。だから聴いてなんとなくくつろいだり、なにか仕事をしたり勉強したりする際のバックグラウンド・ミュージックとしては最適です。

 

実際、チルホップ系のプレイリストでは "to study/relax to" と付記されてあることが多いです。チルホップ系でなくともこんなビートはそういうのに向いているなと思うんですね。今日リンクを貼った『グルーヴィ・ビーツ』のプレイリストでも、やっぱりぼくはなにかしながら、集中するでもなくこの音楽を耳に入れ、心地いい気分にひたっているということが多いですね。そう、ヒップ・ホップ・ビートって、リラクゼイションが最大の効用、特長ですよね。

 

あ、そうそう、以前書いたジャジナフ(Jazzinuf)の『コーヒー&シガレッツ』。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-7c99a4.html

 

これを見つけたのもこのプレイリスト『グルーヴィ・ビーツ』でのことだったんですよ。ジャジナフは典型的なローファイ・ヒップ・ホップ、チルホップ系の音楽家だと思いますが、そもそもこのジャンルに気づいたのが、ぼくのばあいこのプレイリスト『グルーヴィ・ビーツ』でのことでしたから。なにかビート・ミュージックを浴びるようにどば〜っと聴きたいぞ、という気分のときに Spotify で検索してたどりついたわけです。"beats" とか "hip hip beats" "instrumental hip hop" とか、そんなキー・ワードでさがしたと思います。

 

だからみなさんも同様になされば楽しいプレイリストがやっぱり見つかるはずと思うんですね。ぼくはぼくでいままでに見つけてあるビート系、それもたいていはチルホップ系かな、の音楽プレイリストをいくつかご紹介だけしておきますね。

 

(1)『Jazzy HipHop & Smooth Beats』
https://open.spotify.com/playlist/3mvLkzrSwcDdQSsRL1eulA?si=E4LpazX-RD6KK-rIJeRoSw

ローファイ・ヒップ・ホップが台頭する前にジャジー ・ヒップホップのブームがあったようです。いまでは下火の分野かもですけど、それでも聴けば心地いいです。

 

(2)『lofi hip hop beats - music to study/relax to (lo-fi chill hop)』
https://open.spotify.com/playlist/74sUjcvpGfdOvCHvgzNEDO?si=MC9V4p8HQkSZ1WXNOC0TKA

このプレイリストを作成しているチルホップ・ミュージックさんは、ここ数年のローファイ・ヒップ・ホップ〜チルホップ界における主要人物の一人みたいです。あらいぐまを使ったこのカヴァー・イラストがトレードマークで、ほかにもたくさんありますのでさがしてみてください。

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(3)『Chill Hip Hop Beats』
https://open.spotify.com/playlist/0DZfWCmXdtnrhZtuYzz363?si=f_afaIrLSVi9IsfSX-3f1A

これもチルホップのプレイリスト。心地いいレイドバック感がありますし、説明文でやはり "to relax/study to" とあります。勉強などに集中したいひと向け BGM or ちょっとしたリラックス・ブレイクがほしいというひと向けっていう、そんな音楽です。

 

(written 2020.2.6)

2020/03/20

歌春到来!〜 岩佐美咲、新曲2020、発売決定!「右手と左手のブルース」!

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https://www.tkma.co.jp/enka_top/iwasa.html

 

いやあ、待ちましたね。わさみんこと岩佐美咲の今2020年新曲。ようやく今日3月19日に、徳間ジャパンさんから、それが発売されると発表がありました。まず徳間ジャパン演歌歌謡曲の Twitter アカウントが正午ごろにツイートしてくれ、その後わさみん本人や所属する長良プロダクションさんのアカウントからも発表があったというわけです。
https://twitter.com/TOKUMA_ENKA/status/1240473144789331974

 

全カップリング曲など詳細はこちら。
https://ameblo.jp/wasaminnn/entry-12583236346.html

 

これらによれば、わさみんの2020年新曲は、タイトル「右手と左手のブルース」。4月22日発売。初回生産限定盤、通常盤、海物語コラボ盤の三種類。これがわさみん九枚目のオリジナル新曲になります。今回は発表がちょっと遅かったので、ヤキモキしたファンが多かったはず。わさみんのばあい、通例、二月ごろの新曲発売で告知が前年12月ごろということが多いですから、三月告知で四月下旬発売というのはやや異例です。以前は「初酒」も遅かったそうですが。

 

待ちわびた理由のひとつには、やはりコロナウィルス騒動のせいで、いっさいのイベントなどが消えてしまっているということもあるでしょう。通常であれば毎週末に日本のどこかで歌唱イベントをやっていたはずのわさみん。実際、当初はそういう予定が組まれアナウンスもされていました。が、それがなにもかもなくなって、現状、4月8日に開催予定だった長良グループ総出演の夜桜演歌祭りすら中止になっていますからね。

 

生わさみんに会えず、新曲リリースの告知もなく、毎年1月30日のわさみん誕生日近辺に開催されていたソロ・コンサートもなし、こんな状況ではぼくらファンは手足をもがれたような気分でした。息苦しくて気分が滅入り、希望もない、次はわさみんにいつ会えるのか、あたらしい歌をいつ聴けるのか、まったく見通しが立たないという苦境におちいっていましたからね。

 

だから、今日の新曲リリース発表には、たぶんみんなが大喜びしたと思うんです。ぼくだって Twitter 見ながらおもわず飛び上がり小躍りしました。それにしても「右手と左手のブルース」っていうこのなんだかふざけたようなよくわからない(笑)タイトル、どんな曲なんでしょう?演歌や歌謡曲の世界にも多い「ブルース」ということばが付いていますので、なにかこうメランコリックな曲調なのかな?と想像したりしますね。

 

メランコリックといえば、浅草の老舗演歌ショップ「ヨーロー堂」さんが今日ツイートなさっていました、ひと足先にわさみんの新曲「右手と左手のブルース」をお聴きになったそうです。めっちゃメランコリックとおっしゃっています。曲の内容についてはいまのところこれくらいしか情報がありません。昨日3月18日にわさみんは浅草に行ったようですから(そうツイートしていました、浅草寺雷門の提灯がなかったと)、その際にヨーロー堂さんにも寄ったのでしょう。
https://twitter.com/yorodo/status/1240523931301249024

 

今回の新曲ならではの新機軸は海物語コラボ盤でしょうね。パチンコ海物語とのコラボで、それのジャケットもこんな感じ↓。これは初の試みですよね。どんな感じになるんでしょうね。はっきり言ってしまうと演歌とか歌謡曲とかの CD は売れなくなっていますから、あの手この手、パチンコとのコラボでまたもりかえしたいという、どなたのアイデアだったのかわかりませんが、ちょっとあざとい気がしないでもありません。でもわさみんの歌で「ふたりの海物語」を聴けるのはちょっと楽しみですね。

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そのほかのカップリング曲三つはコンサートや各地の歌唱イベントなどで聴き慣れたものばかり。やや新鮮味に欠けるというのが難点といえば難点ですが、わさみん生歌唱ヴァージョンでぼくらもすっかりおなじみのそれらを、あらためて CD で聴けるというのは、もちろんスタジオで歌いなおしたものでしょうから、その意味ではやはりうれしいことです。

 

また今回の新曲のばあい、発売日二日前の4月20日に「インターネット・サイン会」というのを実施する模様。その日19:00から生配信でぼくらのために CD ジャケットにサインを書いてお届けしてくれるんだそう。ネット・サイン会ですから、そのときどこにいても参加できるリリース・イベントになっているみたいですね。詳細はまだ発表されていません。

 

個人的にはそのインターネット・サイン会に申し込むかどうか微妙なのですが、それよりもやはり発売日当日に、わさみん本人の顔と姿をこの目で見て、新曲を聴きたいという気持ちが強いです。昨2019年も浅草まで駆けつけて、発売日に「恋の終わり三軒茶屋」を聴きましたからね。今年の「右手と左手のブルース」のばあいも、またおそらく浅草ヨーロー堂さんや小岩音曲堂さんあたりでやるのかもしれませんし。わかりませんけれども、発売記念キャンペーンの情報が出てくるのを首を長くして待つことになるでしょうね。

 

そのころにはコロナ騒動もすこし落ち着いていてくれると、歌春到来を願いつつ。

 

(written 2020.3.19)

2020/03/19

ネオ・ソウルを通過したからこそのアフロビーツ 〜 ツェディ

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(3 min read)

https://open.spotify.com/album/2JIm2qIZggKkU1LS5PRjJn?si=8fXQ7UUZQs-FKg7Vh6qiEQ

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-30

 

ケニア生まれエチオピア育ちでいまはアメリカに住むというアフリカン・ディアスポラの歌手ツェディ(Tsedi)。その2019年作『Sew』は、聴いていてとにかく心地いいっていうのが最大の特長ですね。洗練されていて都会的なサウンドとヴォーカル。エチオピアの歌手では以前もチェリナのことを書きましたが、こういったソフィスティケイティッドな音楽がどんどん出てきているのかもしれないですね。そういうタイプが好みであるぼくは大歓迎です。

 

チェリナにマジぞっこんなんで、いまだにですね、だから(ディアスポラであるとはいえ)同じエチオピア歌手ということで比較しちゃうんですけれども、そうするとぼくにはチェリナのほうがグンと心地よく響きます。アメリカ在住なのにツェディのほうが若干垢抜けていないような…。ぼくの勘違いですかね。ちょっとアフリカン・ローカル色がチェリナよりも濃いめに出ているような気もするんですね。

 

レゲエが基調になっているという点は二人に共通するところですね。ただツェディのほうはチェリナほど明確なレゲエ・ビートを刻んでいるわけじゃありません。もっとアフリカナイズされたというか、これがいわゆるアフロビーツの特色にもなるんですよね、きっと。世間でアフロビーツに分類されている音楽を聴くと、ぼくは抽象化されたレゲエ・ビートを感じるんです。ツェディのばあいもそう。

 

リズム・トラックなんかはプログラミングでつくってあるかもしれませんが、それ以外は基本人力演奏者がいるんじゃないですかね、ツェディのばあいも。鍵盤やエレキ・ギターのやわらかいサウンドが心地よく響き、その上に主役のふわりとした声がそっと乗る、決して張ったりはせず、スーッとナチュラルに歌う、といった点はチェリナと同じで、ネオ・ソウル通過後の新世代ならではといった音楽性でしょう。

 

その意味でもツェディのこのアルバムでいちばんのお気に入りは10曲目の「Halo」。アクースティック・ピアノ一台だけというに近い伴奏で歌われるのがいいですね。要するにこういった生でも電気でもピアノやエレキ・ギターやなんかの raw でオーガニックなサウンドがぼくは大好きなのかもしれません。それに乗せてやわらかくナチュラル&スムースにヴォーカリストが歌うっていう、そういった音楽が癒しになるんです。サウンド的には直截なネオ・ソウルの影響があまりなく、アフロビーツ寄りですけれども、ツェディのこういった手法や感性はあきらかにネオ・ソウル由来ですね。

 

(written 2020.2.16)

2020/03/18

ヴェニューが音楽を変えた 〜 フィルモアとマイルズ

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(8 min read)

https://open.spotify.com/playlist/7A2RZqr5MdzBPJqEsYiqSu?si=c2Iy2bVKRlOCuPx2gJf-WQ

 

ライヴにおけるマイルズ・デイヴィス・バンドが1969年はああだったのに、レパートリーもバンド人員もほとんど変わっていない70年バンドになると突然こうなったのは、どう考えてもフィルモア出演が続いたからだというのがぼくの最近の見方です。だから音楽家の内からくる音楽的な必然的変化によるものではなくて、外的プレッシャーというか、どんな会場(ヴェニュー)でやるかにより展開する音楽も違っちゃうということだったんじゃないかと。そんなことってたぶんあると思うんですね。

 

ニュー・ヨーク・シティとサン・フランシスコの東西フィルモアはロック・ミュージックの殿堂です。ぼくなんかがくどくど説明する必要はないでしょう。マイルズが東西とものフィルモアに出演したのは1970年のほぼ一年間だけですけども、そのたった一年間で、フィルモアというヴェニューが、マイルズを、変えたんです、根本から、ぼくにとってはいいほうに、ストレートなロック/ファンク・ミュージック方向に、そして永遠に。

 

1970年の一年間でマイルズ・バンドがどれだけ東西フィルモアに出演しているかというのを一覧にしたのがこれです。公式盤で聴けるものの右には * 印を、ブートでなら聴けるものの右には + 印をつけました。日付の下の括弧内はメイン・アクトです。

 

East

3/6
3/7 * Live At The Fillmore East (March 7, 1970): It's About That Time (2001)
(ニール・ヤング&クレイジー・ホース、スティーヴ・ミラー・バンド)

 

West

4/9
4/10 * Black Beauty (1973)
4/11 * (partially) Miles At The Fillmore: Miles Davis 1970: The Bootleg Series, Vol. 3 (2014)
4/12
(グレイトフル・デッド、ストーン・ザ・クロウズ)

 

East

6/17 *+
6/18 *+
6/19 *+
6/20 *+
Miles At The Fillmore: Miles Davis 1970: The Bootleg Series, Vol. 3
(ローラ・ニーロ)

 

West

10/15 +
10/16
10/17 +
10/18 +
(リオン・ラッセル、シー・トレイン)

 

1971年

West
5/6
5/7 +
5/8
5/9
(エルヴィン・ビショップ・グループ、マンドリル)

 

けっこうたくさん出演していますよね。マイルズがフィルモアにどんどん出演したのはコロンビアの社長クライヴ・デイヴィスの差し金で、1969年8月に録音し翌70年4月発売だったレコード二枚組『ビッチズ・ブルー』のプロモーションのためでした。販売促進のために会社がとったキャンペーン方策がフィルモア連続出演だったということで、クライヴがフィルモアのビル・グレアムに話をもちかけ、マイルズのことも説得したんですね。

 

1970年当時の東西フィルモアが、ジャズではなくロック界にとってどんなヴェニューだったのか、それまでマイルズが出演してきたジャズ・ライヴ系の会場とは根本的に意味の異なる場所だということや、客層だってぜんぜん違っているし、くりひろげられる音楽の種類も(たぶん)違う、 そんなフィルモアのことを、もちろんマイルズだって理解していたはずです。

 

理解した上で、クライヴ・デイヴィスの説得に応じフィルモア出演(しかもかなり多数)にイエスを言ったわけですから、1969年まで自分のバンドで展開していたような音楽では通用しないともわかっていたはず。マイルズという人物は自分をどう見せるか聴かせるか、どうアピールしたらいいか、人気獲得のためにはどうしたらいいか、こういったことをずっと以前から常に考え抜いて実行してきた音楽家なんですよね。

 

スタジオ録音でたどるかぎり、マイルズ・ミュージックが明快なロック/ファンク方向に舵を切ったのは1968年の『キリマンジャロの娘』からで、その後69年の『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』とずっとその方向を推し進めてきましたが、それはスタジオ録音だけでのこと。ライヴではまだまだジャズ・ミュージックを展開していたというのが事実です。

 

といっても1968年にはマイルズ・バンドのライヴ記録はなし。69年に入りいわゆるロスト・クインテットでアメリカとヨーロッパの各地をツアーしてまわっていますが、このバンドのライヴ音楽は60年代的フリー・ジャズの総決算みたいなものでした。スタジオではすでに『ビッチズ・ブルー』も完成済みだったのに、と思うと意外ですけれど、マイルズってそんな音楽家なんですね。保守的な面も強かったというか奥手だったんです。

 

1969年のロスト・クインテット最終公演は11月9日のロッテルダム・ライヴ。これの次が上でも書いた70年3月のフィルモア・イースト出演になります。だからそのあいだにコロンビアのクライヴ・デイヴィスがフィルモア出演の話を持っていき、それを了承したマイルズは、さあどんな音楽をやったらいいのか、フィルモアだぞ、と思案したんじゃないかと思うんですね。

 

その結果が1969年までのフリー・ジャズ色の濃い音楽ではなく、もっと明快でタイトにグルーヴするロック系のものへ移行しないとダメだろうということで、まずドラムズのジャック・ディジョネットに(ジャズ的なものではなく)もっと明快でシャープな8ビートの定常リズムを刻ませ、さらにここが最大のポイントだったかもしれませんがコントラバス奏者のデイヴ・ホランドにエレクトリック・ベース(フェンダー・ベース)を弾くよう指示しました。

 

猛々しさ、荒々しさは1969年バンドのライヴからありましたが、それをもっとストレートにわかりやすいかたちでビートに乗せるように工夫したんですね。それで聴いた感じ8ビート・ロックと変わらないような音楽に仕立て上げることに成功したと思います。ヴォーカルが入るか入らないかの違いこそあれ、本質的に似たような音楽になっていったんですね。それにいわゆるロック系の音楽だって1970年前後のライヴでは長尺なインプロヴィゼイションがあたりまえでしたしね。

 

結果的に1970年にフィルモアでマイルズ・バンドがくりひろげた音楽は、同時期に同じヴェニューでやったグレイトフル・デッドやフランク・ザッパ (マザーズ)やオールマン・ブラザーズ・バンドやサンタナなどにかなり近いものになっていたと言えるんじゃないでしょうか。そうなった最大の要因が、マイルズという音楽家の内なる欲求というよりは、フィルモアで観客にアピールしないと!と思う外的なプレッシャー、端的に言えばウケ狙い、売れ線狙いだったんじゃないかと。

 

まず最初クライヴ・デイヴィスからフィルモアでやってくれと言われたマイルズは、乗り気じゃなかったかもしれません。でもやると決めた以上、全力を尽くして自分のバンド、自分の音楽をアピールしたい、それもフィルモアに来るような若者、サイケデリック・カルチャーのまっただなかにあったヤング・ヒッピー・ジェネレイションにウケたい、結果的にはそれでアルバム『ビッチズ・ブルー』が売れてほしい、と思ったはずです。

 

クライヴ・デイヴィスの目論見どおり、1970年にフィルモア出演をくりかえしたマイルズのその年の最新作『ビッチズ・ブルー』はバカ売れして、ジャズ系のレコードとしてはありえないほどのメガ・ヒットとなったのです。この事実がマイルズを変えました。時代は、若者は、こういう音楽を、フィルモアでやったようなそんな音楽を求めているんだ、だから今後はそれをやっていけばいいと判断したでしょう。

 

そんなことで1970年以後のマイルズ・ミュージックははっきりとロック/ファンク系の、特に明快なリズム採用に、踏み出したというよりモロにそんな世界に身を染めることとなったんじゃないかと思うんですね。ジャズの持つうまあじはそのままに音楽の基底部をグルーヴィなものに変革したマイルズ。ぼくらグルーヴ・キッズにとってはうれしいものでした。1970年代以後のマイルズ・ミュージックはこの上ない贈りもののように思えますからね。

 

(written 2020.2.12)

2020/03/17

もしもあの日に戻れたら 〜 ツェッペリン・コピー・バンド体験の思い出

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(7 min read)

https://open.spotify.com/playlist/6m5yWDQ2IMRmkJdxXtSl30?si=4zDurQJkRFGv_MflND1vSQ

 

レッド・ツェッペリンのコピーを歌っていたころ、そのバンドはギターリスト中心の4ピース・バンドでしたから、とりあげるものもやりやすいギター・ロックばかりで、だからジョン・ポール・ジョーンズがオルガンやメロトロンやシンセサイザーなど鍵盤楽器を派手に弾いているものは敬遠していました。敬遠というか、ムリですよね、素人高校生には、4ピース・バンドじゃあ。

 

最初に言っときますけど、そのバンドにぼくがヴォーカルで誘われたのは歌えるからじゃなくて、UK ロック・バンドで英語詞だからそれがマトモに聴こえるようにということで、戸嶋おまえ英語の発音いいんだからちょっとやってくんないかとなっただけです。歌うことじたいはその前から好きだったですけどね。

 

それでいちばん頻繁にやっていたのがやっぱり「ロックンロール」で、そのほか「コミュニケイション・ブレイクダウン」「胸いっぱいの愛を」(これはメドレーつきの『永遠の詩』ライヴ・ヴァージョンをコピーした、テルミンなしで)、「ハートブレイカー」「移民の歌」「貴女を愛し続けて」(オルガンは無視)、「天国への階段」(ギターだけでもなんとかなるし、やらないバンドはなかった)、「カスタード・パイ」「ザ・ワントン・ソング」などですね。

 

意外にやりやすくて、ぼくもバンドも好きだったのがアルバム『プレゼンス』の曲です。これの前まで鍵盤楽器をたくさん使って多彩なサウンド・メイクを聴かせていたツェッペリンですけど、このアルバムではギター・バンドという原点に立ち返ったようなシンプルなロック・サウンドで、といってもギターをめっちゃ多重録音しまくっている再現不能な曲もあり(「アキレス最後の戦い」)それはムリでしたけどほかの曲は真似しやすかったんですね。「キャンディー・ストア・ロック」とか「ホッツ・オン・フォー・ノーウェア」とか、楽しかったなあ、特に後者。

 

そのへんの『プレゼンス』ナンバーは参考になるツェッペリンのライヴ・ヴァージョンとか聴いたことなかったですけど、ぼくたちはとにかく文化祭などの要するにライヴでやりたいわけなので、あたりまえですスタジオ録音なんかやらないんですから、やっぱりツェッペリンのライヴ・ヴァージョンが、つまり1970年代末だとたった一個しか、二枚組だけど、なくて、すなわち『永遠の詩』。これに入っている曲はコピーしやすかったですよね。アマチュア・コピー・バンドはみなさんそうだったんじゃないですか。

 

いまでこそツェッペリンの公式ライヴ・アルバムはそこそこ出ています。といっても『DVD』と『ハウ・ザ・ウェスト・ワズ・ウォン』だけかな、でも前者には二枚にたっぷりあるし、後者は CD 三枚組ですしね。だからコピー・バンドのレパートリーも増えているかもしれません…、って、いまどきツェッペリンを真似しようっていう高校生なんていないのか…。

 

それでツェッペリンのライヴでもベースのジョン・ポール・ジョーンズがわりと鍵盤楽器を弾いていますが、鍵盤奏者ってアマチュア・ロッカー界隈ではかなりレアなんですね。滅多にいません見つかりません。たまにいてもクラシックかジャズをやっていて、ツェッペリンなんかに見向きもしませんから。それにだいたいみんながフロントで歌いたいかギター弾きたいかなんですからね。

 

ジョンジーが派手に鍵盤を弾いている曲のなかでは、『フィジカル・グラフィティ』収録の「カシミール」。これは(まだワールド・ミュージックなどなにも知らない)高校生のぼくでもなぜか大好きで、どうしてだったんでしょうねえ、ドラマティックな感じがするからなのか、なんとなくのエキゾティック(これのばあいアラブ音楽趣味)な香りをかぎとって好きだったのか、なんとかバンドでやりたかったんですけど、エレキ・ギターだけではどうにもサマにならず断念。だいたいスタジオ版では大規模管弦楽が参加していますし。

 

「カシミール」はツェッペリンのライヴでもジョンジーが派手にメロトロン(後年はシンセ)を弾きまくっているからこそのあのサウンド・カラーリングなんで、鍵盤抜きの高校生にできるわけないですよね。メロトロンってなに??状態だったんですからなおさらですよ。そもそも愛媛でメロトロンなんて入手できたんでしょうか?楽器本体が入手できてもメロトロンは録音テープがいるんだけど?演奏しているひといたんですかねえ?

 

ギターだってツェッペリンのスタジオ・ヴァージョンはどれもこれもめっちゃ多重録音してあって、だからこそ当時唯一のライヴ・アルバム『永遠の詩』が貴重な参照源だったんですけどそれだって実はライヴ収録後の発売前にスタジオで加工してあります。高校生当時これに気付いていたかというとあやしいですね。でも真似しやすかったのは事実。ブートレグのレコードを買っていた仲間(や弟も買っていた)がたくさんいたのはこういったことも理由です。ライヴ・ブートならそのまま真似できますからね。

 

ツェッペリンにめっちゃあるアクースティック・ギターものに当時興味を示さなかったのは、やっぱりライヴ会場で音を増幅してお届けしにくいかもと思っていたからなのと、な〜んかカッコよくないな、ロックじゃないとか、そんなふうに考えていたかもしれません。アホでした。ゼップは1970年代当時からライヴでもアクースティック・コーナーをやっていたくらいだったのに。それを知っていましたのにねえ。

 

特に『III』収録のアクースティック・ナンバーの数々やそのほか、もしいま2020年に高校生に戻れてあのころのあの声が取り戻せるならば、ぜひ歌ってみたいと思える曲がかなりあります。当時はエレクトリックなブルーズ・ロックにしか興味がなかったからムリもなかったんですけど、トラッドやフォークの世界の楽しさを知ったいまとなってはですね、たとえば「ギャロウズ・ポール」「ザッツ・ザ・ウェイ」「限りなき戦い」(サンディ・デニー役を見つけないといけませんけど)、「ゴーイング・トゥ・カリフォルニア」なんか楽しそうじゃないですか。

 

いまふりかえるとこれもやりたいという意味では、『聖なる館』A 面ラストの「ザ・クランジ」。変態的変拍子ファンクで、しかもシンセぎんぎんだからやっぱりムリだったんですけど、これ、歌詞の発音がおもしろいんですよね。ロバート・プラントがなにをしゃべっているのか高校生のころはサッパリでしたが、わざとなまらせてあるんですね。ロンドンのコックニーなまりでトーキング・スタイルのヴォーカルを披露していて、う〜ん、歌ってみたいなあ、楽しそう。もうこんな声は出ないからそこは高校生当時に戻って、英語の知識は57歳現在のものをもってきて…、ってムチャクチャやんけ。

 

そうそう、『聖なる館』といえばですね、レコードひっくりかえしての B 面トップ「ダンシング・デイズ」はやりやすいギター・ロックなので好きでした。この曲も楽しいんですよ。歌詞だってちょっと猥雑でおもしろいです。サウンドはシンプルなリフ中心ですしね。そう、シンプルな組み立ての(ブルーズ・)ギター・ロックばかりやっていたんですね。ツェッペリンにはわりとプログレ要素もありますけど演奏力が必要なのでそういった部分は無視していました。

 

それで上のほうで書いたような曲を中心にやっていたわけです。あ、そうだ、よくやった「ブラック・ドッグ」は曲の途中で変拍子をちょっとだけしかし何度も使ってありますよね。ちょっとのあいだのことですぐ8ビートに戻るんですけど、その9+5拍子部分はめんどくさいな〜とか最初思っていましたが、みんなでやってみたらポンポンポンポンと四つ数えればいいだけ、それで合わせられるとわかって、それからは9+5じゃなくて4でラクチンにやってました。試しにちょっと4で数えながら聴いてみてください。

 

(written 2020.2.5)

2020/03/16

洋楽にはまって邦楽がよくみえるようになった

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(7 min read)

 

レッド・ツェッペリンのコピー・バンドで歌っていた高校生のころはまだそんなにツェッペリンやブルーズ・ロックにどハマりしていというわけじゃありません。題材にしていたツェッペリンにしてからがぼくはまだそんなにレコードを持ってなくて、仲間や友人から借りたり、弟のを聴いたり、レコード買うにしてもくわしいクラスメートに授業終わりにレコード屋までついてきてもらって、これがいいよとか推薦してもらってじゃあっていうんで買っていたりしたんですね。

 

どんどんレコードを、まるで蛇口の栓をひねったら水が出るかのごとくジャバジャバ買いまくるようになったのはやっぱり17歳の高三(ぼくは三月生まれ)のときにジャズに触れ、正確にはモダン・ジャズ・カルテットの曲「ジャンゴ」を聴き背筋に電流が走ってからで、そっからはもうアホみたいにどんどん買ってしまうようになって、57歳の現在にいたるまで慢性的金欠病が続いているわけです。

 

言い換えればそれ以前のぼくにはレコードを買うという習慣がありませんでした。歌謡曲や演歌、特にアイドル系歌謡曲かな、沢田研二とか山口百恵とかキャンディーズとかピンク・レディーとか、そういったひとたちの45回転のシングル盤はときどき買っていましたけど、LP アルバムってはたしていつはじめて買ったんだっけなぁ?小六のときに布施明の「シクラメンのかほり」が収録された LP を聴いていたと思いますからそれが最初でしたっけねえ?

 

あれっ、でもいまネットで調べてみたら布施のシングル「シクラメンのかほり」(小椋佳作)は1975年の発売だったとなっています。75年だとぼくは13歳で中二でした。う〜ん、なんか記憶がだいぶごちゃまぜというか曖昧というか、間違っていますねえ。「シクラメンのかほり」ってそんなに最近の曲だったっけなぁ、おかしいなあ、でもぼくのほうがおかしいんでしょう。とにかくそれが入った布施のレコード・アルバムが人生初 LP だったというのはたぶん間違いないと思うんですけど。

 

布施の「シクラメンのかほり」はドーナツ盤シングルでまず発売されたはずなのに、どうしてそれを買わずに LP だったのかはもはやぜんぜんわかりません。いずれにせよいまでも鮮明に憶えているのは、そのレコード・アルバム(小椋佳曲集だったような)を買ったきっかけは、その前年末のテレビの歌番組で布施がそれを歌いなにかの賞をもらったことなんですよ。日本レコード大賞だったかもしれませんが忘れました。それで、なんていい曲なんだろうと思って、翌年になってからレコードを買いました。聴いたアルバムでは「傾いた道しるべ」がいちばん好きになりましたけど。

 

つまりですね、洋楽にハマってみずから情報収集しレコードをさがして買うようになる前のぼくは、テレビの歌番組で観聴きしてこりゃいいなと思ったもののレコードをちょこっと買っていただけだったということなんです。ぼくの人生初レコードである山本リンダの「どうにもとまらない」にせよ、リンダの翌年の「狙いうち」にせよ、まずテレビ番組で触れました。ジュリーだって百恵ちゃんだってだれだって、ぜんぶそうでした。

 

それが洋楽にハマるようになって一変したんですよね。本格的には17歳でジャズに目覚めたことによってですけれども、そのちょっと前からツェッペリンとか、それからビリー・ジョエルとかの英米ロック/ポップスをポツポツ買っていたんですね。不思議なことにジャズに目覚めてからは、それが洋楽全体へのとびらを開いてくれたかのように、ジャズより前から触れていた UK ブルーズ・ロックにせよアメリカン・ポップスにせよ、のめり込みが激しくなりましたからね。

 

だからジャズへの傾倒はぼくにとって一種のブレイクスルーみたいなもんでした。ジャズだけっていうんじゃなくいろんな音楽を熱心に聴きあさる大きなきっかけになったということです。ここがほかのジャズ・ファンのみなさんとはちょっと違っていたところかもしれません。ジャズを聴きはじめる前にツェッペリンを歌っていたりした前歴が反映したということなんでしょうか。

 

要するに「音楽」というものに対して興味が深まったということですよね。それでずっといままで来ているんですけれども、おもしろいのはジャズそのほかにどっぷりハマりはじめていたころにはむしろかなり遠ざけるようになっていた日本の歌謡曲や演歌などジャパニーズ・ポップスの世界が、いったん洋楽を経過することでかえっていっそうよく見えいっそうよく聴こえるように、ある時期以後、なったということです。

 

どうしてなのか、いまではよくわかります。歌謡曲とか演歌とか J-POP とかは、完全に洋楽、特にアメリカの大衆音楽や(オーケストレイションは西洋クラシック音楽も)なんかの影響下に存立しているからですよね。だから歌謡曲や演歌ばかり聴いていても歌謡曲や演歌のことはわかりません。洋楽をどんどん聴かないとわからないんです、ってこともないでしょうが、理解のしかたが変わります。このことをぼくは皮膚感覚で痛感しました。

 

山本リンダの「どうにもとまらない」みたいなアクション歌謡が、ラテンというかキューバン・ソング由来だとか、ジュリーのばあいだったならローリング・ストーンズやビートルズやまた1960年代末〜70年代前半ごろのブルーズ・ロック勢からかなり拝借しているだとか、ピンク・レディー全盛期の曲をぜんぶ書いた都倉俊一&阿久悠コンビのことや、筒美京平や松本隆のこととか、要は「曲」がどのようにできあがっているか、よくわかるようになったんですね。

 

小中学生〜高校生のはじめごろまでのように日本のポップスをどんどんテレビで観聴きするということはなくなりましたが(そもそもいまのぼくんちにはテレビ受像機がない)、それでも原田知世や岩佐美咲などのやるオリジナルやカヴァー曲を聴いて、あっ、ここはこうできているなとか、歌詞だってここからひっぱってきているじゃないかとかこれに似せているだとかの秋元康の手腕だとか、上で書いた布施明の歌う、布施じゃなくても小椋佳などの曲づくりとか、さまざまな部分が洋楽、特にアメリカの大衆音楽を知らなかったらみえなかったと思うんです。

 

だから、実際、ぼくは1999年に宇多田ヒカル(正確には98年にテレビで「Automatic」の MV を見て衝撃を受けた)のデビュー・アルバムを渋谷のタワーレコードで出勤前の朝10時に CD 買って聴いたとき、これがなんなのか、どんな音楽なのか、すごい才能だと思ったけどビックリ摩訶不思議でもなかったのはそういうわけです。

 

洋楽の人気がいまどんどん落ちていて、邦楽ばっかりみんな聴くようになっているらしいですけど、そんな内向きなばっかりではダメだな〜って思う、いろいろ聴かないと一個のこと、国内のことだってわかんないよね〜っていう、そういうことが今日言いたかったのでした。曲を書いたり演奏したり歌ったりするひとたちは、海外のさまざまな音楽を参考にしているんだからついていかないといけませんよね。

 

(written 2020.2.5)

2020/03/15

ブルーバード・サウンドへのウェイバック 〜 マーク・ハメル

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(4 min read)

https://open.spotify.com/album/1huxK2YKWWMbh9NFmmi32q?si=U86K3RthSg2zwMH2j20UGA

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/01/29/wayback-machine-mark-hummel/

 

マーク・ハメルは1955年生まれの白人ブルーズ・ハープ奏者。その最新作『ウェイバック・マシーン』(2020)はタイトルどおり過去へとまっしぐらのタイム・マシーン的ブルーズ・アルバムで、ジャケットに描かれたクルマがその象徴というかこれに乗ってかつてのオールド・グッド・ブルーズの世界へと向かいましょうって感じですかね。実際、中身は第二次大戦後のエレクトリック・シカゴ・ブルーズ、というよりそのちょっと前のブルーバード・サウンドに酷似しています。

 

こんな音楽って、もはや時代遅れというか、本当タイム・マシーンにでも乗らないと聴けないようなものかもしれませんけど、このマークのアルバムではそんな世界がそっくりそのまま最新録音で聴けちゃうっていう、それが2020年作だっていう、そんなおもしろさ。音楽も進化しなきゃとか新しくなっていかないととか、そういった考えを金科玉条のように掲げるみなさんにとっては鼻をつまむものかもしれないです。でも時代を経てもかわらないよさっていうものだってあると思いますよ。

 

どうであれ、たとえ時代遅れの古くさいジジイ趣味と言われようがぼくはブルーズ・ミュージックが大好きなんで、このまま死ぬまで行きますね。マーク・ハメルの『ウェイバック・マシーン』では、たしかに戦後の全盛期シカゴ・ブルーズ的だなと思える部分もたっぷりありますが、ぼくの耳にはもっと前、1930〜40年代のブルーバード・サウンドのほうにグッと近づいているように聴こえます。主役のブルーズ・ハープ(&ヴォーカル)がまずなんたってサニー・ボーイ・ウィリアムスン一世みたいですし、バック・バンドの演奏スタイルもそうです。

 

特にバレルハウス系のピアノを弾くアーロン・ハマーマンと、ちょっとジャグ・バンドの打楽器っぽいサウンドを中心にやっているパーカッション担当のデイヴ・イーグル、この二名でなんだかバンドをやっているらしいのですが、それはともかく、このマークのアルバムではそんなちょっとしたおふざけテイスト、お遊びジューク・ジョイント・ブルーズ的なユーモア感覚が感じられるのは彼らのおかげもあるのかも。

 

ちょうどメンフィスらへんで第二次大戦の直前あたりの時期にやられていたような、そんなブルーバード・レーベルのブルーズをいま2020年に復活させたようなマーク・ハメルの『ウェイバック・マシーン』、いやあ楽しいです。こういう音楽こそ聴いてくつろげる、リラックスできるもので、時代の最先端からは何十年も置いていかれていますけど、そんなこと関係ないんだな、いい音楽はいい、それだけ。自分がそれに共感できるんだから、それを信じればいいと思います。

 

さて、そんなマークの『ウェイバック・マシーン』では、ラスト三曲だけがジョー・ビアードをフィーチャーしたかなり毛色の異なるブルーズになっています。ジョーがアクースティック・ギターを弾き、マークがハーモニカ。おなじみエディ・ボイドの「ファイヴ・ロング・イヤーズ」がこんなドロドロのエグいカントリー・ブルーズっぽい感じに仕上がって、こりゃあいいですねえ。実を言うと、アルバム本編よりもこのジョーの三曲のほうが気に入っちゃったので、それはまた別な機会に書こうと思っています。

 

(written 2020.2.11)

2020/03/14

イージー・リスニング、BGM というとバカにされそうだけれども

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(6 min read)

https://open.spotify.com/album/4Mb3jzZvDu2wsVtwL6RCd3?si=V87ScyYfRW-0wY2h5s-8xQ

 

そんなことないんですよ。極上のリラクゼーションになるのがイージー・リスニングですからね。なにかをしているとき背景で流れていて聴いていてジャマにならない、心地いいというのはすぐれた音楽である証拠です。真剣に向き合って聴き込むことのできるものが一流の音楽で、BGM だイージー・リスニングだなんてのは何段も落ちる下等音楽だ、なんていうある種の蔑視がこの世にはびこっている気がしますが、ちょっとおかしな発想じゃないかと思います。

 

逆に言えば BGM にすらならない音楽なんて、心地よくないんだからそっちのほうが音楽としては劣っているかもしれないぞというのがぼくの考えで、どれがそうだなどとは具体的に指摘できませんがけっこうあります。それも世間一般で名盤だ重要作だとされているもののなかにあるように思うんですね。世評じゃなくて自分の耳や自分の快感を最優先して聴いていますから、そういったものはだんだん遠ざけていくようになります。

 

世間でシリアス・ミュージックの名盤、しっかり聴き込むべき傑作とされているなかにも、本当はイージー・リスニングとしての効用が大きいだろうと思えるものがあって、ぼくのなかではその意味でも評価が高い作品があります。こっちは具体例を出しますがマイルズ・デイヴィスの『マイルズ・アヘッド』(1957)や『カインド・オヴ・ブルー』(59)などがそうですよ。前者はともかく後者をイージー・リスニングと言うと反発くらいそうですけどね。

 

しかしそれで反発するかたがたは「イージー・リスニング」などランクが下のものだとみなしているからでしょ。ぼくのなかではイージー・リスニングとは褒めことばなんですから。極上の快感とリラクゼーションをもたらしてくれるシルキー&メロウなムードあふるる傑作のことですからね。そう考えると一流の音楽はこれすべて一流の BGM、イージー・リスニングになりうるんだとも言えますね。それが真実だろうと思います。いや、ちょっと言いすぎですねゴメンチャイ。

 

だからシリアス聴き vs イージー聴きみたいな対立思考をもうやめたらいいと思うんです。共存しうるものですから。聴き込んでよし流してよし、っていうような音楽こそ真の一流のあかしかもですよね。あ、そうなればクラシック音楽はこれに最もあてはまるものかもしれないですね。いちばんのイージー・リスニングはクラシック音楽だっていう、同時に向き合って真剣に聴いてもいいっていう。クラシック喫茶って居心地よかったですもんねえ、ジャズ喫茶ではみんなマジだったけど。

 

それで思い出しましたが、こないだ一月末にリリースされた森保まどか(HKT48)の『私の中の私』(2020)。傑作だと思っていますが、この CD を Music アプリに取り込もうとした際のジャンル名表示が "Easy Listening" になったんです。実際にはクラシック&ジャズですけれども、示唆深いなと感じました。クラシックやジャズのピアノ生演奏にヒップ・ホップふうのエレクトロ・ビートをまぜているんですけど、要するにチルホップみたいなものじゃないですか。

 

チルホップとかローファイ・ヒップ・ホップって、真剣にマジになってむずかしい顔して対峙するように聴き込むものじゃなくって、それを BGM にして勉強するとかリラクシング・タイムをすごすとか、そういったための背景音楽なんですね。ご存知ないかたはネットでちょっと調べてみてください、Spotify プレイリストなんかでも "music to study/relax to” となっていたりしますから。

 

そもそもヒップ・ホップ・ビートって、ビートだけ抜き出すとリラクシングなイージー・リスニングじゃないかとぼくは感じていますし、それを活用した近年の現代ジャズなんかもリラックス・ミュージックじゃないですかね。真剣に向き合って聴いてもいいけど、本質的には聴いてなごむような、リラックスできるような心地いい音楽。それが最近の音楽。特にビート。

 

これを踏まえると、森保まどかの『私の中の私』は、もともとクラシックの名曲だったものをとりあげてピアノで演奏し、それにプログラマーが制作したデジタル・ビートをミックスすることで、クラシック音楽の持つリラクシング性、つまりイージー・リスニング・ミュージックとしての本質とか効用といったものを最大限にまで高めるのに成功しているという、そんなアルバムかもしれないです。かなり褒めています。

 

もちろん聴き手の心にわざとさざなみを立てたり不快にしたり緊張感を高めて、考えさせるのもまたすぐれた一流の音楽ですけれども、ただぶらぶら流し聴きして快感になる音楽こそぼくのなかでは最もすばらしいものなんですね。言うまでもなくたとえば街を歩いていてイケメンや美人を見かけたときに立ち止まってふりかえってしまうように、BGM として流しているだけでもなにかの瞬間にオッ!となって、やっている手を止め注目してしまう、そんなこともよくありますけどね。

 

どっちにでもできる音楽、たとえばクラシック音楽の演奏会に出かけていってホールの椅子にすわって演奏がはじまっても読書していたりスマホでネットしたりして生演奏を BGM にするようなひとはいないはず。みんな対峙して聴きますよね。でもそんな現場で奏でられる音楽でも会場を離れれば TPO 次第で雰囲気重視のイージー・リスニングとしてうまく機能することがあるんですね。この二つは矛盾しないです。ひとつの真実の両面なんですね。

 

だから今後はイージー・リスニングという表現を蔑視や下等視に使わないでほしいと、ぼくは心から願っています。

 

(written 2020.2.2)

2020/03/13

美咲を配信せよ

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(6 min read)

 

今日の文章は、わいるどさんがお書きになった3月11日付けの以下のブログ記事に触発されたものです。
「ネットでの出し惜しみ感がハンパない」
https://ameblo.jp/saku1125/entry-12581444656.html

 

三月のわさみんこと岩佐美咲ちゃんの歌唱イベントはとうとう全滅してしまいました。コロナウィルスのせいで。個人的には通常どおりの開催でも行けたかどうかあやしかったのですが、なんというかどんどんどんどんなにもかもが中止や延期になっているという自粛の嵐で、もう息が詰まりそうというか気が滅入りそうですよね。もちろん首都圏わさ民さんだってわさロスまっただなかでつらい思いをなさっているはず。

 

そこでわいるどさんは、わさみんも YouTube 配信したらどうかと提案されていますよね(上掲リンク先の記事をご一読ください)。実際、ライブ・コンサートなどがとりやめになった音楽家たちがネット配信を行なっています。せっかくチケット買ったのに実現しなかったというファンのみなさんのためにということで YouTube などでバーチャル・ライブを行なって配信しているというわけで、わいるどさんは aiko の例をあげていらっしゃいますが、 そんな配信ライブを大勢が見るようになっていますよね。

 

ぼくもわいるどさんの意見に全面賛成なんです。これを機にわさみん(というか運営サイドに言いたいわけですけれど)も YouTube かなにかで歌唱配信すべきと強く思います。長尺のコンサート系のものはなかなかたいへんでしょうが、わさみんはほぼ毎週末、歌唱イベントをやってきています。それは一回四曲で約30分ほど。その程度のネット配信で OK なんですよね。ぜひ、やってほしい!YouTube で四曲歌ってあいまにちょこっとおしゃべり、それをネットで観聴きしたいですよね。

 

ネット配信のよさは、そのときのライブ一回性とはかぎらないことです。ずっと残りますから、忙しいファンのかたも時間のあるときに自分の都合にあわせて視聴できます。いつごろまでか見通せませんがライブ・イベントなどが再開されるまではわさみんの生歌生姿に触れられませんから、そのあいだの癒しとしてせめてネットでそれを味わいたいです。

 

さて、わさみんの歌を YouTube 配信するのにはメリットが何点もあります。

 

(1)上で書きましたが、現場に出かけなくても自宅などで、それも都合のいい時間にいつでも観られる。
 歌唱イベント同様の一回四曲約20〜30分程度のわさみん YouTube 配信で、歌と姿に触れ、コロナ禍でイベントもないあいだのせめてもの癒しになりうると思います。YouTube なら歌っている姿も観られますからね。それを一週間に一本程度でどんどん定期配信したらいいと思います。

 

(2)わさみんの CD などを持ってない一般のみなさんに聴いていただける大きなチャンスになる。
 現状、CD などを持っているひとだけがふだんわさみんの歌を聴けるということになっていますが、わさみんの歌の魅力をアピールして、多くのかたに知っていただき、ファンが拡大する可能性があるという点でも、公開ネット配信はやるべきでしょう。

 

 やはりなんといってもなかなか聴いてもらえないというのが大きなネックになっているなとふだんから感じています。なにかきっかけがないといけません。YouTube での歌唱配信は、いままでわさみんに縁がなかった一般のみなさん、音楽ファンのかたがたがちょちょっとその歌に触れ、魅力にめざめる大きなチャンスかもしれませんよ。


 
 昨日ニュースで流れましたが、もはや広告費だってテレビよりネットのほうが上回っている時代です。音楽だって CD 買って云々もいいですけど、ふだんはネット配信でどんどん宣伝したほうがいいとぼくも思うんです。

 

 いまや歌手、音楽家、芸能人がどんどんと YouTube の世界に進出している時代、最終的にはライブに来てもらったり CD 買ってもらったりするのが目標かもしれませんが、ふだんの活動は YouTube で、というひとも増えていますよね。わさみんもやらなくちゃ。

 

 わさみんほどの歌唱力と美貌の持ち主なら、週に一回四曲程度を定期的に配信するだけで、大きな話題を呼ぶこと間違いなしだと思うんですけどね。

 

(3)首都圏/地方の格差解消になる。
 わさみんの歌唱イベントは、やはり首都圏、関東地方で開催されるばあいが圧倒的に多いです。だからぼくたち地方わさ民は悔しい思いをしたりしますが、ネット配信であれば日本中、いや世界中どこにいても、だれでも、問題なく観られますからね。これで一気にお悩み解消ですよ。YouTube で歌唱配信されたその瞬間に、どこにいてもみんなが同時に、観られるんですからね。

 

(4)ですから、こういったわさみん YouTube 配信は、特にコロナウィルス感染拡大の昨今に限ってやるべきというだけでなく、日常の平時からどんどんやればいいとぼくは思うんですね。
 いまはちょうどそんなネット配信でもしないと、リアルにみんなが集まってみたいなことは避けなければならない時期ですから必要性が高まっていますが、そうじゃないふだんの時期もわさみんの魅力をより多くのひとたちに伝え、活動の幅を拡大し、ぼくたちファンにとっても現場に行けないときに触れられるっていう 〜 だから(平時の日常からの)YouTube 配信をやらない理由が一個も見つかりませんよね。

 

(5)わさみんのレパートリーを増やすいいきっかけにもなるんじゃないかと思うんですよね。
 いままで初挑戦のカバー・ソングは千葉県柏市でのチャレンジ・キャンペーンなどで初お披露目になったりしていましたが、ここまで書いてきましたように、リアル現場チャンスにこだわることはありません。週一で定期配信をやるそのなかで初カバー曲とかも解禁していけばいいんです。それでその後のレパートリーに組み込んでいってほしいと思いますよ。

 

観客のいないスタジオとかライブ・スペースとかで、カメラ(とスタッフだけ)を前に擬似イベント様のものをやるというのがどんなものなのか、素人のぼくにはまったくわかりません。が、いままでもスタジオで CD 収録はどんどんやってきているわさみんです。バーチャル・ライブだって問題なくこなせますよね。

 

現状、徳間ジャパンの公式 YouTube チャンネルが配信しているわさみんはといえば、シングル曲の MV をちょちょっとだけ、それもショート・バージョンだったり、なんていう程度しかありません。いまの時代、こんなことでいいんでしょうか?もっとどんどん本格的に定期配信すべきじゃないんでしょうか。それがわさみんのファン層をひろげ、従来ファンのふだんの渇きを癒すことになるんですからね。

 

(written 2020.3.12)

2020/03/12

チック・コリアみたいなワールド・ジャズ・フュージョン 〜 セドリック・デュシュマン

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4 min read)

https://open.spotify.com/album/5C1dzVKRROiOQLSVvSeUv7?si=ePHsliRyQ-m7-Mz18dI56A

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-01-20

 

レユニオンのジャズ・ピアニスト、セドリック・デュッシュマン(Cédric Duchemann)の『トロピカリズム』(2019)は、端的に言ってチック・コリア・ライクなフュージョン作品と呼んでさしつかえないでしょうね。ジャズをやるときのじゃなくてフュージョンをやっているときのチックにこのアルバムはそっくりなように思います。

 

ぼくはそういった音楽が大好きなんですね。ピアノやエレピの弾きかた、鍵盤への指のタッチ、フレイジング、バンドのサウンド・メイク、適度なスパニッシュ・スケール(アンダルシアふう)の使用、ノリやすい躍動的なリズムなど、セドリックの音楽はなにからなにまでチック・コリアのフュージョンにそっくり。いちおうレユニオンのミュージシャンらしい特色というかリズムも一部聴けますが、あまり表に出てはいません。

 

このアルバムで特に気に入っているのは、たとえばグエン・レーのギターをフィーチャーした2曲目「What Did He Say ?」や、テナー・サックス奏者のハード・ブロウが聴ける5曲目「Ségalougarou」、中盤からアクースティック・ピアノでのサルサふうな演奏が聴ける7「Roul dann' touf bambou」などですが、いずれもさほど硬派な感触はなく、聴きやすい気楽な感じに仕上がっているのが個人的にはナイスと思っています。

 

ジャズ・フュージョンのなかでスパニッシュ・スケールを効果的に使うのはチック・コリアの得意技ですけれども、セドリックもわりとそれをやっていますよね。たとえば5曲目でもときおりアンダルシアふうになります。この曲は冒頭からピアノ左手低音部とエレベがユニゾンで合奏するリフが持ち味というか基盤になっていて、アンダルシアふうになるのはサビ部分だけ。そのコントラストがなかなかいいんです。セドリックはチックのやるフュージョンをよく聴いてよく学んだのではないかと思えるフシが存分にありますね。

 

曲づくりもアレンジやバンドでの演奏スタイル、ピアノのタッチのすみずみにいたるまで、セドリックのスタイルにはチック・コリア・フュージョンの影響が聴け、個人的印象としては間違いなくセドリックはチック・フォロワーだと言える気がします。カリブ〜ラテン色の強さもあいまって、このセドリックのワールド・ジャズ・フュージョンみたいな音楽がいい感じに仕上がっている最大の理由がチック・コリアの影響消化にありそうです。

 

ギターやサックスがソロで炸裂すると(このアルバムではエレキ・ギター・ソロが多い)カッコイイなと思ったり、マロヤなどレユニオン由来の音楽要素が聴けると楽しいと感じたりもしますが、セドリックのこのアルバムでの持ち味はむしろわかりやすく聴きやすいフュージョン路線にあって、それこそが味わいどころ。ですから硬派なリスナーのみなさんにはやや食い足りないと感じられたりするでしょう。

 

個人的にはこのセドリックの音楽のハードすぎない中庸的適切さ、乾いた感じと湿り気のちょうどいいバランスなど、聴きやすい要素満載で、リズムはカリブ/ラテンふうに躍動的ですし、複数の曲でところどころスパニッシュ・タッチが聴けるし、バンド演奏のよくアレンジされた熟練や調和も心地よく、聴いていてリラックスできて気分上々です。

 

(written 2020.2.10)

2020/03/11

リー・モーガン『コーンブレッド』

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3 min read)

https://open.spotify.com/album/5aY4PliFxsCd55sgU5A2KQ?si=V-IopJDPT826p2RTY3d-YQ

 

リー・モーガンのアルバム『コーンブレッド』(1965年録音67年発売)では、収録の全五曲中4曲目の「イル・ウィンド」以外はぜんぶリーのオリジナルで構成されています。そのうちオープナーになっているアルバム・タイトル曲は、完璧なる #BlueNoteBoogaloo と言えるでしょうね。この一曲だけですけど、アルバム全体がブルー・ノート・ブーガルーなんてありえないので。

 

曲「コーンブレッド」ではリズムが完璧なる8ビート・ブーガルーで、こりゃ快感ですね。リー・モーガン自身「ザ・サイドワインダー」(1963)ですっかりやりなれているもののはず。1970年代に入ったらこのファンキー・ジャズ路線がいっそう強まっていくのでした。といってもすぐに死んじゃいますけど、本当に残念なことでした。せめてあと三年生きてほしかったところです。

 

このアルバムのドラムスもまたビリー・ヒギンズで、この聴き間違えようのないスタイルですから。曲「コーンブレッド」でも冒頭からの8ビートを刻むシンバルが気持ちエエです。と同時にホーン・アンサンブルのあいだを縫って聴こえくるこのピアノの弾きかたもまた特徴的だなと思って、見てみたらやっぱりハービー・ハンコックですよ。リーに先んじること1962年に「ウォーターメロン・マン」みたいなのをやっていますからね。

 

そんなヒギンズとハービーに支えられ、「コーンブレッド」のテーマ・リフがカッコよく鳴りわたります。もうそれを聴いているだけでその時間は至福なんですね。いままでも散々くりかえしてきましたが、ぼくはこういったファンキーなジャズ・ロック系の音楽が、そりゃあも〜う、大好物なんですよね。ソウル・ジャズと呼んでもいい、どっちも同じです。同じブルー・ノートならルー・ドナルドスンの「アリゲイター・ブーガルー」とか、あのへんぜんぶ好き。

 

各人のソロとも見事ですが、左チャンネルから出るアルト・サックスのジャッキー・マクリーンの音色がひとり異彩を放つ艶やかさ。これも大した聴きものですね。続くハービーのピアノ・ソロもレベル高いです。ハービーのばあいこの1965年当時ちょうどマイルズ ・デイヴィス・クインテットの一員だったわけですけど、マイルズの音楽に当時こんなカッコいいファンキー・チューンはありませんでした。やっぱりマイルズは奥手だったんですね。

 

ジャッキー・マクリーンついでに書いておきますと、アルバム『コーンブレッド』2曲目の「アワ・マン・ヒギンズ」。リーの作曲ということなんですけど、ぼくの耳にはジャッキーが書いたものなんじゃないかというふうに聴こえるんですね。特にこの特異な和声感とその進行。ジャッキー自身のアルバムでたくさん聴ける彼のオリジナルには酷似する曲がいっぱいありますよ。いっぽうリーの曲にはこんなのないですからね。ソロでもジャッキーが一番手で目立っていますしね。どうなんでしょうか?

 

3曲目「シオーラ」はボサ・ノーヴァふう、リーがハーマン・ミュートで吹く4「イル・ウィンド」を経て、5「モースト・ライク・リー」は、テーマ演奏のサビ部だけヒギンズがアフロ・ラテン・リズムを叩くふつうのハード・バップ・ナンバー。ストレートなジャズ演奏で、ハンク・モブリーと、やはりジャッキーがいいですね。

 

(written 2020.2.9)

2020/03/10

聴いて、オッ!と思ってからはじめてデータを見てみる程度でいい

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https://open.spotify.com/playlist/6xKlUyiXfTZgRtWBXqslA1?si=3XIBxv9gQQ2Hpy_NpwdFEw

 

アンジー・ストーンにしろクリス・デイヴィスにしろ Soggy Cheerios にしろどれにしろすべて、ぼくのばあい音楽はまずとりあえず聴いてみるわけです。それでオッこの声は、このソロは、だれ?!ってなって、知りたくなったからはじめて調べたり CD 買ったりするわけで、第一回目に聴きながら読んだりはしません。ましてや聴く前からパーソネルを確認したりなんてありえないですね。

 

音による感慨や感想、感動がまず第一にあるものだというのがぼくの考えで、っていうかぼくだけでなくみなさん同様でしょう。しかしたとえばパーソネルや録音年月日などのデータを重視していると、ややもすれば音そのものを聴いてというより、このミュージシャンだから云々…、といった「データで音を判断する」傾向が生じる可能性だってあります。これは我が身をふりかえって言っていることなんです。

 

特にレコードや CD などがてもとにあれば、いっそうそうなりやすいんじゃないかという気がするんですね。見えちゃいますからね、人間、見られるとなれば見てしまうものです。だから、まずサウンド・ファーストの態度を徹底するならば、見られないようにしてしまえばいいんですね。CD を買わないこと、これがいちばんです。CD 買ったらそれにいろいろと書いてあるでしょう、それがいけません。

 

すみませんちょっと言いすぎました。音楽 CD はどんどん買えばいいんですけど、まず何回か聴いてみてからはじめてジャケット裏やブックレットに目を通す程度にしたらどうかと思うんですね。ぼくはそうしています。さらにいえば、最近ぼくはどんどん CD から離れつつありますからね。CD をほとんど買わなくなっているんです、Spotify で聴けるものは。これがかえって音そのものだけに集中できる結果になっていますから、なにが幸いするかわからないですね。

 

Spotify などストリーミングで聴くのだと、主役の歌手名音楽家名、アルバム名、曲名といった程度しかだいたいわかりません。それくらいだったらまず第一回目に聴く際に見えてもいいんじゃないでしょうか。だからほぼデータなし、の状態ですよね。先入観なしで音だけに向き合えるのがストリーミング聴きのよさで、その意味でもメリットはあります。

 

先入観なしで「音」に向き合えるということはとっても大切なことだと確信していますからね。それで聴いてみて、感動したり感心したり、逆にちょっとガッカリしたり、など体験した上でなら、各種録音データも冷静にながめ考え考慮に入れることができます。この順序が逆だと、名前、ブランドで音を判断するというような事態にならないともかぎらないでしょう。

 

とまあでもここまで今日書いてきたことはすべて後付けの屁理屈で、正直な事情としては経済的な理由で CD などをあまり買えなくなっているからです。だから買わずに Spotify でどんどん聴いている毎日だから、ということがあります。Spotify で聴いて、いくらこのギター・ソロはいい!だれ?と思っても、どうにもわかりませんからね。二名のヴォーカリストがいるばあい、いまどっちが歌ってるの?みたいなことだって見当つきません。

 

そんなことでソギー・チェリオスについては CD を二枚だけ買いました(彼らの作品は三枚あるけれど、最初の一枚は個人的にイマイチ)。このユニットは鈴木惣一朗と直枝政広のデュオ・ユニットで、だいたいの楽器をこの二名で多重録音してあるらしいというのはネットで調べてわかっていましたが、やっぱりちゃんとどんな楽器をどう、だれが、担当しているのか、正確に知りたかったんですね。

 

それで CD ブックレットにしっかりぜんぶ載っていたのを見て、なにかわかったか or とくに変化なしか、それはまた聴きなおし考えて文章にしたいと思います。しかしこんなことそんなこと諸々すべて、まず「音」だけにくりかえししっかり向き合って一定の感想をいだけるようになったあとだから可能だったことなんです。

 

まず第一に音、データ類は二の次です。

 

(written 2020.1.31)

2020/03/09

ひそやかな愛の世界 〜 ゼ・レナート

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https://open.spotify.com/album/0jdtilr4ow2LiQXW0A6ecm?si=X_bHGgsQR8m2nMw6di7Qzw

 

ゼ・レナート(ブラジル)の新作『O Amor é um Segredo - Zé Renato Canta Paulinho da Viola』(2019)は、副題どおりパウリーニョ・ダ・ヴィオーラ曲集。これがやわらかでたおやかで、とってもいいんです。曲はサンバ・ソングばかりですけど、ゼはどれもボサ・ノーヴァにアレンジしてやっていると言っていいできばえで、それも聴いていて心地いいんですね。

 

このアルバム、ちょこっと管楽器が入る曲もありますが、基本ゼのナイロン弦ギター弾き語りでできています。+シェイカーだけとか、その他ちょっとの打楽器とか、その程度なんですね。管楽器が入る曲でも実にシンプルな使われかたで、あくまで主役はゼのギターと歌。このふたつだけでアルバムが進行するといってさしつかえないほどなんです。

 

そういったシンプルな落ち着きがパウリーニョの曲をあざやかに描き出していて、好感が持てますね。ボサ・ノーヴァ・スタイルのアレンジにも静けさがあります。まず1曲目の歌い出し部分、まだリズムが入ってきていないテンポ・ルパート部でのやわらかさに惹かれますが、しばらくやってすっとシェイカーが入ってきてギターといっしょにおだやかなリズムを刻みはじめてからも、この表情にかわりはありません。むしろ落ち着きを増したかのよう。

 

こういった(ギターと歌だけみたいな)シンプルすぎる音楽では、演者の力量と、それから楽曲そのものが持つ本来の力、魅力がむきだしになるなと思います。ゼのこの新作ではどっちもきわだってすばらしく、聴いていて心地よく、あっという間にアルバムが終了しての後味もさっぱり快感なんですね。ひそやかな個人的な愛の世界を、こうやって淡々とつづるサンバ〜ボサ・ノーヴァの世界の滋味深さをあらためて思い知るアルバムです。

 

(written 2020.2.8)

2020/03/08

名曲「シスター・シェリル」

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https://open.spotify.com/playlist/5t6cuMEqvQwDK7ufd4oW6P?si=l_rA47q2TFutQMhJVkDD1w

 

ジャズの名曲「シスター・シェリル」。作曲者は1981年のトニー・ウィリアムズで、その初演は翌82年発売のアルバム『ウィントン・マルサリスの肖像』に収録されています。しかしこれ、なぜだかいままで名曲・名演扱いしている文章にあまり出会いません。理由はたぶんウィントンのむずかしいというか微妙な評価と立ち位置にあるのでしょう。たしかにぼくも好きなジャズ・マンじゃありませんが、そんなことおいといて、それはそれこれはこれ、いいものはいいと素直に認め評価する姿勢が大切なんじゃないですか。

 

『ウィントン・マルサリスの肖像』に入っている「シスター・シェリル」その他数曲は、実はウィントンのリーダー録音ではありません。実質的リーダーはハービー・ハンコック。+ロン・カーター&トニー・ウィリアムズというかの黄金のリズム・セクションが主体となった東京でのレコーディング・セッションで、サックスにウィントンの兄ブランフォードをくわえてやっているんですね。1981年当時、ウィントンはハービー率いるこのカルテットのメンバーで、ライヴで各地をまわっていました。

 

さて B 面1曲目だった「シスター・シェリル」(これがだれのことだかはわかりませんでした)。トニーがまず叩く、これはスネアじゃなくてタムかな、トトンっていう三音に導かれロンのぶんぶんベースも入りますね。タムのトトンは一曲通しずっとトニーはやっています。リズムがちょっぴりネオ・ラテン調ともいうべき変則で、それもいいですね。ハービーがちょっぴり東洋的な雰囲気の装飾を弾くのもあざやか。東洋というか中国ふうの香りをハービーはこの曲の演奏全体でまぶしています。

 

そしてさわやかな主旋律。こんなにもキリリとひきしまったきれいな冬の晴れわたった澄んだ空気を思わせるメロディを持つジャズ楽曲って、ほかにないのではないでしょうか。もうそれを聴いているだけで気分がいいですが、この初演ヴァージョンではウィントンのトランペット&ブランフォードのソプラノ・サックスの二管ユニゾンで演奏されているのがふくらみをもたらしていて、特にソプラノのあの塩辛い音色がアンサンブルにからむことで、とてもいい味を出していますよね。ハービーの指示だったと思います。

 

そんな主旋律が本当に聴いていて快感&魅惑的で、これしかし和声構成がどうなっているのか(そこからソロも展開しているわけだから)知りたいんですけど、調べてみるのがちょっとめんどくさいので今日はやめときます。トニーが書いた生涯最高曲なのは疑いません。ウィントン+ブランフォードの二管アンサンブルによるテーマ吹奏にハービーが美しくからんでいくあたりのあざやかさも特筆すべきですね。この「シスター・シェリル」でのハービーは本当にみごとで、ふだんからすごいピアニストですけど、これホントちょっとどうしちゃったんだ?と思うほどすばらしい演奏じゃないですか。

 

一番手でソロを吹くウィントンのきれいによく歌うトランペットも文句なしですね。私見ではこのソロこそウィントンのデビューにして生涯最高名演ではないかと(まだ活躍中だけど)。音色だってよく抜けていて輝かしく、蓮の花がパッと開くようなそんなこの曲の持つムードにぴったり合致したあざやかなトランペット・ソロです。ウィントンのことをぼくもふだんは辛口にみていますが、このソロにはケチがつけられません。掛け値なしの名演でしょう。

 

ソロ全体にわたり構成もとても考え抜かれていて、こりゃあらかじめ譜面があって練習したんじゃないかといぶかりたくなるほどすばらしいウィントンのトランペット・ソロですが、二番手ハービーのピアノ・ソロは余裕ですね。トニーとロンのつくりだすラテンふうなリズムに乗せ中国的なラインを弾くという、なんだかちょっとミステリアスな内容で魅力的。1981年ですからもはやベテランが軽々とシンプルにやっているという普段着姿ですけど、さすがというしかないみごとなピアノ・ソロです。タッチの強靭さはいまさらいうまでもなく。

 

ハービーのピアノ・ソロ終盤のアド・リブ・フレーズからそのまま拝借して三番手ブランフォードのソプラノ・ソロになりますが、このソロまわしの順序だって絶妙。この「シスター・シェリル」という曲の持つ雰囲気を最大限にまで高める効果をもたらしていて、さすがはハービーのアレンジと構成だとうなります。シャープでエッジの効いたブランフォードのソロはそこそこ標準的な内容でしょう。リラックスしたムードがいいですね。弟ウィントンのソロが緊張度マックスですからね。この兄弟はそういったキャラの対比もあります。

 

それで最後ふたたびテーマ演奏に戻りますが、なんど聴いてもそのあざやかさに KO されちゃうこのメロとリズムですから、終わったらさらにまたもう一回とリピートしたくなる名曲名演ですよね。実際何回聴いても飽きないんですね、このヴァージョンは。1982年に出会って以後2020年でも聴けばため息が出ます。それほど颯爽とした美しいヴァージョンだと信じています。

 

今日はいちばん上のリンクで、この曲「シスター・シェリル」のさまざまなヴァージョンをプレイリストにしておきました。参考にちょっと聴いてみてください。1981年録音のウィントン・ヴァージョンがいかに飛び抜けているのか、実感できると思いますよ。

 

(written 2020.2.5)

2020/03/07

音楽なんか「不要不急」だって??!

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https://digital.asahi.com/articles/ASN345KNDN33ULZU016.html

 

新型コロナ・ウィルスの感染拡大で音楽などエンタメ系イベントは自粛の嵐が続いておりますが、みなさんお元気でお過ごしでしょうか。ぼくはお芝居も落語会もなにも行かないし、もっぱら音楽ライヴだけに通っていますが、それがもうなにもかもなくなってしまい、ついこないだ3月2日には坂本冬美コンサート昼夜二回公演が岡山で開催されることになっていたのでチケット買って楽しみにしていたのがやっぱり延期になってしまいました。

 

わさみんこと岩佐美咲ちゃん関係も三月前半のライヴ・イベントは全滅状態。月下旬のイベント予定はまだ中止の告知がありませんが、このままでは時間の問題のような気がしないでもありません。3月24日に渋谷で開催される予定の Soggy Cheerios(鈴木惣一朗&直枝政広)のライヴ・コンサートもぼくはチケット買ってあるし、だから往復の航空機チケットとホテルも予約してありますが、これもどうなることやら心配でたまりません。

 

ともかく音楽イベントも自粛自粛、中止中止、延期延期の連続ですよね。とりやめにする歌手、音楽家、関係者のみなさんのつらいお気持ちはぼくなりに理解しているつもりです。そのひとたちに対しどうのこうのっていうのはないんです。開催場所になるはずだったところのみなさんのこともかわいそうだなと感じるばかりで。もちろん生活から潤いがなくなったぼくたちだってつらいですが、客になるこちらの健康と感染防止を考えてのことですから納得しています。

 

だからそういった部分じゃなくって、今回のコロナ騒ぎに関連してぼくが言いたいのは、日本政府やその関係者、またそれを支持している世間のみなさんが、音楽など(エンタメ系の)イベントなんかは「不要不急」のものなんだから、なくなってもどうってことないだろう、いまは自宅にこもってゆっくりしていればいいんだ、みたいなことをどんどん発信なさるその圧力に違和感があるなということなんです。

 

端的にいって音楽好き人間のことなんかなにも理解されていないと実感します。ぼくらにとって音楽イベントは「要で急」なものかもしれませんよ。音楽ライヴ(お芝居とか、その他同じ)とかやっている場合か!などとの声が大きくなっていますが、音楽ライヴ・イベントはぼくらにとって食事みたいなもんですから。必須の栄養源であり、享楽であり潤滑油で、ないと生きていけないようなものですよ。

 

もうね、「(音楽ライヴなど)やっている場合か!」などという同調圧力にはうんざりします。今回は人間同士の接触がまずい感染症が問題になっていますからしょうがないんですけど、それをきっかけに世間の、政府の、音楽などエンタメに対する無知無理解が一気に噴出しているぞと感じていて、音楽なんてそんな「余計なもの」「無駄なもの」、後回しでいいだろう、なくなったって生活になんの影響もないぞ、病気のほうがこわいんだからいまは中止だ中止、っていうような調子の大合唱になっているのがおそろしいと感じるんです。

 

「イベント・ライヴ、やったらディスる、やらなくてもディスられる」っていう状況だと山下達郎は言っていますが、世間のこの風潮にはもう息が詰まりそう。はっきり言ってぼくらには音楽が絶対必要です。音楽がなかったら生きていけないんです。もちろんイベント系がなくとも CD やら配信やらで自宅で音楽は聴けます。しかしそれだけじゃあつらいこともあるんですね。生現場で歌手や音楽家本人に会って、顔や姿を見て眺めつつ歌や演奏を聴いて、そのライヴ演唱で癒される満たされる、っていうことがあるんですよ。生歌生演奏にはヴァイブがあるんですよ。

 

コロナ・ウィルスの感染拡大を防ぐため音楽関係者、当事者たちが「自発的に」開催をとりやめるのはしょうがないと思います、というか納得できます。しかしふだん音楽なんか聴いていないであろうような世間一般のみなさんが音楽家や関係者を追い込んだり、聴きたい行きたいと思うぼくら音楽好きにやめろとプレッシャーをかけたりっていうのは本当にオカシイと思いますよ。官邸の出した自粛要請がこの傾向にいっそう拍車をかけていますが、自粛要請ってことは自発的に決めてくれという意味ですから、ライヴやイベントやってもいいんです、そう判断すれば。

 

もうホント二月末ごろ以来ぼくたち音楽好きの生活からは潤いがすっかり失われていて精神的にカスカスの状態になりつつあり、このまま放置するとヤバいかもしれませんよ。そりゃあ音楽が必須栄養素で水分・空気みたいなもんでもあるという人間からそれを(なかば無理やり、世間的な圧力で)奪っているわけですからね。息苦しい、呼吸ができないっていうようなそんな気分に近いです。強い渇きを感じます。音楽、そのライヴ・コンサートやイベントなどは決して「不要不急」なんかじゃありません。人生に絶対に必要なもので、しかも応急手当をしなくちゃならんばあいだってあるんです。

 

同じことをくりかえすようですが、今回の新型コロナ・ウィルス感染拡大じたいはだれの責任でもありませんし、落ち着くまでは拡大防止策をとっていかなくてはならないでしょう。だから一ヶ所に人間が大勢集合するような音楽系ライヴ・イベントが開催されなくてもしかたがありません。音楽好きのぼくたちだって感染はしたくないから予防します。現場へ行かない選択肢もありです。ですが、無関係の他者が、一般世間が、無理やりの同調圧力をかけて、音楽イベントなんかやめてしまえ!の大合唱になっているのは納得いかないですね。

 

あなたがたに音楽好きの、ライヴ通い好きの、気持ちなんかわかるもんですか。

 

(written 2020.3.5)

2020/03/06

3月4日はなんでこんなにアクセス多かったのか

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2020年3月4日のぼくのブログ Black Beauty へのアクセス数は異常でした。夕方にちょっと一瞬覗いてみたら、一日のページ・ヴューが1200を超えていて、ユニーク・ユーザー数も1000超え。多すぎる、なにごと?と思って、二年ぶりくらいにアクセス解析を見たんですけど、アクセスの九割がたが3月3日更新の「Mac の Music アプリで困ること」に来ています。しかもそのほとんどが hatena 経由。

 

最終的には3/4の23時過ぎごろ確認したら、PV が1800以上、UU が1500以上っていう異常な数字を示しておりました。こんなに一日のアクセス数が多かったのって、たぶんこのブログをはじめて初ですよ。ふだんは一日の PV が多くても500〜600程度ですから。昨日はその倍以上来ていたわけですからねえ。ところで一日の PV が5、600って多いのか少ないのかぼくにはわかりません。みなさんどれくらいなんですか?

 

ともかく3月3日更新の「Mac の Music アプリで困ること」をどなたかが(bot が自動で?)hatena ブックマークに紹介してくださったんですよね、たぶん。それでみんながそれを見てそのリンクを踏んでぼくのそのブログ記事をご覧になっていたわけでしょう。ありがたいことです、感謝いたします。hatena ブックマーク(かどうかわからないけどとにかく hatena)の威力ってすごいんですねえ、はじめて実感しました。ところで hatena ブックマークってなんでしたっけ?

 

そんなにアクセスが多かった「Mac の Music アプリで困ること」という記事については、しかし書いた本人であるぼくは内容にあまり自信を持ってなくて、だってパソコンのアプリ関係のことだから、各人の環境にもよるだろうし、あんな症状が出ているのはひょっとしたらぼくだけかもしれないし、みんなが同じようになっていて困っているのだとしても、それで Apple に対してどうのこうのっていうのはぼくのなかにはあまりないんです。

 

それにいまや Mac の Music(その前から iTunes)アプリをあまり使わない生活になっています。音楽を聴く主な手段は Spotify であって、一日に音楽を聴く総時間の八割九割はそうなんですね。だって便利なんだもん。だいたいなんでも揃っているし。CD で聴くのは Mac をシャットダウンしているときだけで、そんなの寝ている時間を除けばほんの30分ほどでしかありません。Music アプリは CD からインポートしたものを聴くというのがぼくの使いかたで、だからあまり起動もさせないんです。

 

演歌とか歌謡曲とか民謡とか、この手の日本の音楽はまだまだ Spotify で聴けるものが多くないんで CD 買うしかありません。だからぼくも CD で聴いているんですが、それを Music アプリにインポートするかどうかは、その音楽の良し悪しもさることながら、これは分析的にじっくり聴き込みたい、それで文章を書きたいと思ったかどうかが最大のポイントなんです。あと、岩佐美咲ちゃんの CD は問答無用でぜんぶインポートしていますね、ネットにありませんし。


それでいざじっくりしっかり聴き込むぞ、文章化するために、と思ったときだけ Music アプリで音楽を聴くのであって、しっかりじっくり聴き込みたいときでもそれが Spotify にあればそっちで聴いています。つまりですね、聴き込みたいときはアプリで聴く、CD ではムリっていうのがぼくです。だってさ、いま何曲目のなんという曲を再生しているかなんてことも CD だと気になったその瞬間にパッとはわからないでしょ。Spotify とか Music とかのアプリならそれがわかりやすいんですよね。ディスプレイに表示される情報量が違いますから。

 

まとめれば、
(1)ぼくは音楽を聴く際 CD でもいいけどたいていはアプリで聴く
(2)書くために聴き込むときは100%アプリで
(3)そのアプリとはぼくにとって Spotify か Music だけど、後者を使うのは Spotify にない音楽で CD からインポートしたというものだけ
(4)だからほとんどの時間 Spotify で音楽を聴いている
(5)Music アプリで聴く時間は実は CD で聴くのより少ない
(6)Spotify 万歳

 

っていうのがぼくの近年の音楽ライフの実態です。だから「Mac の Music アプリで困ること」という記事にめちゃくちゃアクセスが殺到して大勢のかたがたに読んでいただけてうれしかったんですが、書いた本人としてはちょっとした軽い感想、日々の雑感、グチといった程度のことであって、そんなシリアスに問題提起したとかいうことじゃなかったんですよね。これをきっかけに真剣かつ熱心に書いた音楽記事のアクセスも増えたらうれしいなというのが正直な気持ちです。

 

(written 2020.3.5)

2020/03/05

すべては美咲のおかげです(2)

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わさみんこと岩佐美咲ちゃんのおかげでできるようになったことがいくつもあるんですけど、自分の耳で音楽を聴き自分の頭で考え自分のことばで書けるようになったというのもその一つですね。わさみん関係のことでは特に頼りになるようなというか参考にできるような解説、分析、評論などがなくて、だからイチから自力で取り組むしかなかったから、でありますけれどもね。

 

もちろんわさみん本人の Twitter や Instagram やブログ、長良プロダクションや徳間ジャパンのオフィシャル・ページや公式 Twitter などからどんどん情報が発信されていますけれども、たいていが今後の予定やイベント告知、リリース・ニュース、わさみん個人の生活雑感などで、歌唱内容についての解説が読めるわけじゃありません。わさ友であるわいるどさんのブログがほぼ唯一参考になるものじゃないでしょうか。
http://ameblo.jp/saku1125/

 

つまり、下敷きにできる分析や評論や解説文などがすでにある音楽については、ぼくは常にそれを読みつつこのブログの文章を書いてきたんです。だれしもゼロからなにかを生み出すことなどできません。先人の仕事の上に自分のやることも成立しているんで、利用できるものはどんどん利用させてもらってきました、ぼくは。

 

たとえば最近ネオ・ソウルのことをなんどか書きましたが、ネオ・ソウルについてはネット上にいくつも解説・紹介記事があります。名盤紹介だって読めます。そういうのを見ながら音楽を聴き、その上で自分なりに考えたことを自分のことばでつづっているんですね。2015年9月にこのブログをはじめて以来、ずっとそんな感じで、これについて書こうと思ったらまず参考文献を(ネットで)さがすというのがぼくのやりかただったんです。

 

わさみんについて最初に書いたのは2017年の3月の三日間だったんですが、はじめて書く歌手だということもあってネットでいろいろ探しても、わさみんの歌、歌いかた、特徴などについて参考になるような解説文はどこにもありませんでした。これは100%イチから自力でやるしかないぞと覚悟して、CD をこれでもかというほど聴き込んだんですね。

 

それで感動を信じそれを頼りになんとか三つ絞り出したんですけど、このときの経験がぼくにとっては大きな糧になりました。その後ちゃんとしたかたちでは2018年の夏ごろからですか、どなたのコピーもせず、というかそもそもなにも読みすらもせず参考にせず、独力で音楽のことを書けるようになったのは、わさみんに取り組んだのが財産になっているおかげなんだと思うんです。

 

わさみんについて2017年3月にあの三本書いた経験がなかったら、ぼくの自立はもっとずっと遅れていたに違いありません。わさみんについて、その後もどんどん聴いてはどんどん書き、その他なにも情報や参考文がない音楽についても音源さえ聴ければ書ける、というようになっていますが、わさみんのおかげなんですよ。わさみんに取り組まなかったら、その経験がなかったら、いまでもかなり苦労していたか不可能だったんじゃないでしょうか。

 

CD が届いたりサブスク解禁になったその当日に聴いてそのまま書けたりなんて、最近だと森保まどかちゃんのソロ・ピアノ・アルバムなどもそうですけど、そのほかそういったものがたくさんあり、過去の名作などについても最近は(データ面以外)なにも見たり読んだりしないで書いていますが、そんなことこんなことのすべての源泉があの2017年3月のわさみん書き体験だったんですね。原田知世ちゃんのことについても同様です。なにも参考になる分析・解説などはありませんので、自力で書いています。

 

なにがきっかけで人間どうなるかわかりません。わさみんに出会わなかったらいまのぼくの人生も生活もないし、厳しいおことばやなにかきっかけがなかったら自覚・目覚めがもっと遅れていただろうし、いろいろとみなさんに助けていただいて支えられて、ぼくは特にどなたのことも支えていないと思いますが、それでもぼくのこのブログの文章がなんらかのほんのちょっとでもの楽しみにでもなっていればうれしいなと思って、毎日書いては更新しています。

 

(written 2020.1.31)

2020/03/04

尼僧の色気 1977 〜 ギル「プリースティス」

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https://www.youtube.com/watch?v=eTrLU88HCNE

 

ギル・エヴァンズ・オーケストラ1977年5月13日のニュー・ヨーク・ライヴから収録したアルバム『プリースティス』(1983)では、もうなんといってもレコードの A 面全体を占めていた曲「プリースティス」(ビリー・ハーパー作)があまりにもすばらしすぎますよね。以前一度書いたのではありますが、余計なこともたくさん言っていたり肝心の演奏については書き足りなくて、自分で不満が強いですから、今日あらためてもう一回書いておくことにします。

 

鍵盤シンセサイザーの地を這うような重低音に続き、同じ音程・同じフレーズをチューバがなぞり、二名合体で重厚な雰囲気のあるイントロを演奏していますが、もうこの部分からしてなんだか尋常じゃないぞと感じることができますね。そのパートではパーカッション兼ドラムスもいろどりを添え、定常ビートが刻まれはじめるとエレキ・ギターも入ってきます。

 

ところでキース・ラヴィングの弾く右チャンネルのエレキ・ギターはこの「プリースティス」全体をとおしてよく効いているなと思うんですね。目立つのは最初と最後のテーマ合奏部のオブリガートと、三番手アーサー・ブライスのアルト・サックス・ソロの伴奏でといった、ほぼそんな程度ですけれども、この艶やかな音色と斬り込みの鋭角的なフレーズで、曲の演奏全体に深みをもたらしていますよね。

 

最初のテーマ合奏を聴いただけで心地いいですが、そのまま切れ目なくアンサンブルの一角を形成していたデイヴィッド・サンボーンのアルト・ソロへとなだれこみ。サンボーンがとてもあのサンボーンと同一人物だとは思えないほどのこの大活躍ぶりで、ぼくなんか1983年にこれを聴いて「あ、軟弱フュージョンのひとじゃないんだ、しっかり吹けるんだ」と見なおしましたからねえ。1977年の演奏です。

 

サンボーンのソロはリズムへのノリもいいし、色っぽい湿ったサックスの音色で(それはこのひといつもそうだけど)聴き惚れちゃいます。ソロ前半部で小節数をカウントしまちがえ、ちょっと立ち止まってやりなおす箇所もぼくはあんがい好きですね。勢いがある証拠だし、これだけの音色でこんなに艶やかに吹きまくられたらだれだって降参ですよ。いやあ、このサンボーンのソロは実にいい。ソロ後半で伴奏のホーン・アンサンブルが入るところでのソロのリズム感のいいフレイジングなんかも絶品じゃないですか。

 

二番手でトランペット・ソロを吹くルー・ソロフは、ボスのピアノはじめバックの音をとてもよく聴いています。それで反応も上々なんですね。実を言うとぼくはルー・ソロフの音色があまり好きじゃないのですが、この演奏ではとてもよく聴こえるので不思議です。バンド全体のサウンドがいいっていうことなんでしょう。特にしばらく吹いてからドラムスのスー・エヴァンズがスネアでアフター・ビートを強調するようになるでしょう、そこからが大好きです、跳ねていて。

 

ルー・ソロフのソロ部分では、だからバンド全体のサウンドがいいっていうか躍動しているな、相互反応が活発で演奏が生きているなと感じるんですね。スー・エヴァンズもボスのピアノをよく聴き、それに即応して叩きリズムを編み出しているし、そういったことはオーケストラ全体について言えることなんです。トランペット・ソロ終盤で、サビに入ると突如ラテン・リズムになるところもいいですね。ルーもそのリズムに合わせて吹いているのが好印象。

 

次の三番手アーサー・ブライスのアルト・ソロになると、さっとオーケストラが引いてサウンドがおとなしく静かになるのもおもしろいところです。ほぼアルト独奏というに近い状態となっていますが、そんなスカスカ・サウンドに乗ってくりひろげられるそのアルト・ソロがこれまた絶品で、耳を奪われますね。同じアルトでもソロ一番手のサンボーンとは音色からなにからぜんぶタイプが異なっているのがいいコントラストで聴きどころです。

 

サンボーンのアルト・ソロは(ルー・ソロフのトランペット・ソロもかな)、ビリー・ハーパー作のこのパッショネイトな曲「プリースティス」の雰囲気をそのままストレートに表現したような演奏で、メラメラと燃える炎の輝きを表に出している感じがしますよね。三番手ブライスのアルト・ソロは反対に、炎の煌めきをぐっと内側に折り込んで、内に秘めた情熱を静かにおだやかに表出しているという印象を受けます。

 

だからこそ、ぼくにはそんなブライスのアルト・ソロのほうがパッションやセクシーさはより深いように感じられて、このソロのことを大学生だった1983年当時からずっと愛聴しています。聴くたびになんて色っぽいんだろうとため息をもらすほどなんですね。背後にはほとんど伴奏がありませんが、エレキ・ギターとパーカッションとベースがほんのかすかに、遠慮するかのようにとぎれとぎれに音を入れているのも印象的で、ブライスもそれにうまく反応しながらソロを展開していますよね。

 

ブライスのソロ部ではいまにもバンドの演奏が止まりそうなほどなんですが、そんなスリルも聴いていて楽しいし、なんたってブライスのアルト・ソロ部でのこの音色やフレイジングの色艶に聴き惚れちゃいますね。ときおりフリーキーな音色に展開するあたりも美しく、スケール・アウトしてもすぐ戻る節度もみごとです。

 

最終テーマは最初のテーマ演奏回よりもアンサンブルの和音カラーを増し、トランペット・セクションも活用して(って三名だけど)派手に終わるかと思いきやスーッと静かになって、サックス・セクションがフルートに持ち替え、まるで風が吹き抜けるかのごとくさわやかにフェイド・アウトします。

 

(written 2020.2.7)

2020/03/03

Mac の Music アプリで困ること

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昨2019年10月、Mac コンピュター用の基本ソフト macOS が10.15になったとき iTunes が廃止され、音楽系の機能は Music というアプリになりました。iTunes はほかにも動画やポッドキャストなど機能を持っていましたがそれらもそれぞれ別個のアプリになったわけです。ぼくが頻用しているのは音楽機能だけなのでその話なんですが、iTunes 時代にはできたことが Music アプリではできなくなっているものがいくつかあり、ぼくは不満をかかえているんですね。仕様変更はしかたがないんですけど、やっぱり何点か記しておきます。

 

(1)まずもって昨年10月の macOS 10.15インストール直後は Music アプリがすぐに落ちて、それも毎回必ず起動後数分で落ちてしまいもう本当に困り果てていましたが、これはどうやらジャケット画像関係のトラブルだったようです。初期設定でこの「Automatically update artworks」のチェックを外したらアプリは落ちなくなりました。だからこれについては一安心。ジャケット画像を自動取得しないわけですから、問題といえば問題ではありますけれども。

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(2)ジャケット画像といえば、iTunes 時代に手作業で貼り付けた膨大な数のジャケット・ワークを、更新時に Music アプリはぜんぶ忘れてしまいました。これはも〜う!はっきり言って大泣きしましたね。 iTunes のアートワーク自動取得機能で持ってきてくれるジャケット画像なんて、ぼくが CD からインポートするもののなかのほんの一部にすぎません。大半が白紙のままなんで、それじゃあいやだから自分でネットでジャケットを拾って、それで手動でいちいち貼り付けていたわけですよ。ひとつひとつ CD をインポートするたびにシコシコと。

 

それが OS アップデートの際にアプリ移行にともなって一度に「ぜんぶ」消えちゃったんですから。回復機能もないので、またイチからやりなおすしかないんですが、もはやそんな気力も時間もありません。いったい何年かけて、総計でどんだけの手間をかけて、この作業をやったと思っているんでしょうか。腹立たしいことこの上なしですよ。こんなことなら Music アプリなんて新設しなければよかったのに。

 

はぁ〜、でも消えちゃったものをいくら言ってもしょうがないことです。以下はトラブルではなく、新しい Music アプリになったことでの仕様上の問題点です。問題点というか、一般のみなさんの通常使用であればとくになんでもないことかもしれませんが、熱心な音楽ファン、音楽をしっかり聴いて考えたいというような人間にとってはちょっと困ることことがあるかもしれません。

 

(3)いま何分何秒目かわからない。
 iTunes 時代には再生中にいま曲の何分何秒目を再生しているかの時間表示がプログレス・バーに出ていましたが、それが Music アプリではなくなりました。出す必要がないとの判断でしょうか。しかしですね、どこで転調したとかどこまでがサックス・ソロでピアノ・ソロはここから出るだとか、曲中の細かい変化を文章で把握し書き記す際には、この時間把握は必要です。どうしてなくしちゃったのか?CD プレイヤーのディスプレイ部にだってこれが出ますのに。

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(4)何曲目との表示がなくなった。
 たとえばこの林寶の『上海歌姬』。Spotify で聴けますけど好きだからどうしてかこっちにも残してあって、全10曲。iTunes 時代には曲名の左に通し番号がついていて、アルバム・トータルで何曲あるか、これは全体の何曲目か、一目で把握できました。しかしこれも Music アプリでなくなりました。わりと必須の情報ですよ。何曲目か?で把握したい記述したい、そうするしかないケースはわりとあります。それがわからなくなったので、いまは手動で勘定しているんですね。面倒くさいったらありゃしません。

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(5)曲名欄でしかスクロールできない。
 アルバムやプレイリストが長めのばあい、下のほうの曲名を見るにはスクロールしなくちゃいけません。iTunes 時代にはアルバムやプレイリストのどこをつまんでもスクロールできました。あ、ぼくは MacBook Pro だからトラックパッドを使っているんですね。Music アプリではこのスクロールが、ジャケット画像(は大半白紙になったけど)下方のあたりでいくらやってもできないんですね。皮膚感覚としてかなり違和感があります。曲名が記載されてあるあたりにカーソルを持っていってやらないとスクロールしないんです。不便ですよね。

 

ともかく全体的に iPhone の Music アプリに、全体の外見やユーザー・インターフェイス、使用感なども一致させたという印象のある Mac の Music アプリ。そんなことする必要なかったでしょう。iPhone と Mac とでは内臓ストレージ容量に大きな違いがあるし、iPhone にはそのまま直接 CD からインポートすることはできないしで、音楽ファンがふだん使っているのは Mac のほうですよ。

 

一般の音楽ファンもプロの音楽関係者もとにかくみんながハードに Mac を使いまくっていると思うのに、macOS 10.15の Music アプリを設計した Apple のデザイナー、プログラマーは、熱心に音楽を聴いたりする人間のことをあまり知らないのかも?と思いますね。仕様変更なので受け入れるしかないんでしょうけど、これらちょっとしたことでグンと格段に便利になり、音楽聴きが楽しくなるんですよね。

 

Apple 関係者のかたがた、どうかご一考を。
@Apple @AppleSupport

 

(written 2020.1.30)

2020/03/02

アヴァンのちポップ

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https://open.spotify.com/album/0S0KGZnfBGSIssfF54WSJh?si=C4dC8OwqRMyrba-eyc3mcw

 

昨日はクリス・デイヴィスをかなりしっかりと複数回聴き、その次にビリー・アイリッシュを聴きました。シリアスでハードなインストルメンタル・ジャズのあとにはポップなヴォーカルものを聴きたくなるのがぼくのいつもの傾向で、そしてしばらくヴォーカルものが続くとやはりその後ジャズとかがいいっていう、つまりこれはバランスみたいなものを自分なりにとっているということなんでしょうね。

 

必ずしもインストルメンタル vs ヴォーカルっていうわけでもなくて、たとえばブラジルのショーロなんかも楽器演奏中心の音楽ですけど、どれだけ続けて聴いても飽きたような気分にならないですからね。ジャズでも、聴いていてこのあとポップなヴォーカルものを聴きた〜い!とは感じないものだってたくさんありますから、自分でもなんだか基準がよくわかりません。

 

たぶんですね、ジャズのなかでもフリーにハードにアヴァンギャルドに、ソロでブロウしまくっているようなものをどんどん聴くと、その後はポップ・ヴォーカルがいいという気分になっていそうな気がします。複雑な変拍子とかもヤバイな。だからつまり、クリス・デイヴィスってそんな感じじゃないですか。ああいったハード・ボイルドなジャズのあとにはビリー・アイリッシュみたいなのが聴きたいんですよ。

 

ビリー・アイリッシュを選んだのはとくに理由とかなかったんですけど、そのときの気分というか、ほら、こないだグラミー賞をたくさん獲ったでしょ、それでじゃあどんな歌をやるのかな?とちょっぴり興味があったんですよね。そんなときにパパッとすぐ聴けるサブスクで覗いてみたわけです。ビリー・アイリッシュがどうこうってことはないです、ただなんとなくの中和剤がほしかっただけですから。ビーチ・ボーイズとかでもよかったんです。

 

こういったあたり、一個のアルバムなどでインストルメンタルとヴォーカルがちょうどいいバランスで出てくるものだと助かります。たとえばフランク・ザッパ 。楽器演奏部分はかなりハードでむずかしい面もあり、アヴァンギャルドなジャズや現代音楽に接近したりしていますが、そのいっぽうでドゥー・ワップ・ヴォーカルみたいなポップなものだってまじって出てきますからね。

 

そのへんがザッパ(や戦前ジャズ)が麻薬になる理由の一つで、バランスが実にいいんですね。楽器演奏部分はちょっとプログレっぽいような面も持ちつつ、反面とことんキュートでポップでわかりやすい歌ものがあって、それが一個のアルバムのなかにまじって聴こえてくるというのがこれらのスペシャルなところです。なかなかここまでの多彩な音楽性ってないですからね。

 

じゃあザッパ(とか戦前ジャズ)だけをずっと聴いていればいいかっていうとそうでもないから、自分でもよくわかりません。しばらくザッパとかを聴くと、そのあとたとえばジェイムズ・ブラウンとかマディ・ウォーターズみたいなのを聴きたくなります。なにもかもを満たすという一人の音楽家がいればラクチンかもしれないですけど、世のなかそんなイージーにはできていないですね。

 

要するに「歌って」いるかどうか、ということがぼくにとっての大きなポイントなんでしょう。この「歌って」いるかどうかはヴォーカルものということでも必ずしもなくて、楽器演奏のもでもよく歌っているものならどんどん聴いて気持ちいいっていう、そんなことかなあって思いますよ。上で書きましたようにショーロならいくらでも聴いていられるというのもここに原因があるという気がするんですね。クラシックでもジャズでもいわゆる歌心がある演奏だとポップに感じます。

 

だからヴォーカルものでも「歌」が聴こえないやつだと、そんなにどんどん続けては聴かないですね。

 

そんないわゆる歌心のない、というかそういったのとは別の世界にジャズも最近行っているような気がするんで、クリス・デイヴィスなんかもそうだし、いわゆる21世紀型最新ジャズとかですね、そうじゃないですか。なかにはかなりグッとくるいいもの、おもしろいものだってあると思うんですけど、いつもいつもずっと聴いていようと思わないのは、ここまで書いてきたようなぼくの嗜好によるものじゃないかという気がします。

 

個人的には歌心とペンタトニック・スケール(ブルーズでよく使うやつ)とラテン・リズムかな、やっぱり。この三つが揃う音楽が快感なんです。それがあるからこそ、ときたまアヴァンでフリーな現代ジャズとかもまぜて聴けるっていう。

 

(written 2020.2.2)

2020/03/01

即興系クリス・デイヴィスの2019年作がけっこういい

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https://open.spotify.com/album/0iUC4DRrYWNZfxs93ynYzZ?si=epXlGExXQXuyNt4e3tUOww

 

岡崎 凛さんのこのツイートで知ったアルバムです。
https://twitter.com/okazakiring/status/1217250513760092160

 

ジャズ・ピアニスト、クリス・デイヴィス(Kris Davis)の2019年作『Diatom Ribbons』がなかなかいいですよね。多彩なゲストを、それも一曲ごとにさまざまにチェンジしながら、起用しているのも特色のひとつで、そのなかでも二名のテナー・サックス奏者、J.D. アレンとトニー・マラビー、それからギターリストのネルス・クライン(ウィルコ)が印象に残りました。ネルスのことは以前 bunboni さんもビックリされていましたよね。

 

ドラマーのテリ・リン・キャリントンもすごくいい感じに聴こえるけど、じゃあそのネルスのギターの話からすれば、まず3曲目の「Rhizomes」。ネルスの即興系ギターをフィーチャーした一曲で、いやあすごいなあ、ネルス。がんがん弾きまくるパッショネイトな演奏ぶりでもりあがり、聴いていて興奮します。この一曲だけでもクリス・デイヴィスのこのアルバムにネルスが参加した意味があろうというものです。

 

リーダーのクリス・デイヴィスはふだんトリオで活動しているんでしたっけ?、でもピアニスト中心のトリオ編成がイマイチなぼくですから、こうやってギターリストやサックス奏者やヴォーカリスト、さらにターンテーブル奏者などとどんどんいっしょにやっている音楽のほうがグッときます。実際『Diatom Ribbons』はなかなかの即興系マスターピースじゃないでしょうか。

 

それにしても3曲目でのネルス・クラインのエレキ・ギター・ソロは情熱的で聴きごたえありますが、アルバムにはもうひとり、マーク・リボーも参加しているんですね。たとえば8曲目「Golgi Complex (The Sequel)」でのギター・ソロはマークひとりで、さらに続く9曲目「Golgi Complex」でネルスとマークの二名共演が聴けるというわけです。聴き分ける耳をぼくは持っていませんので、9曲目のほうではそのピアノ・トリオ+2ギターの完全フリー即興に、ただただすごいと感心して、口あんぐりで聴いているだけ。

 

7曲目「Certian Cells」にもネルスが参加していますが、ここではネルスの浮遊するギターではなくて、テリ・リン・キャリントンのドラミングが聴きもの。複雑な変拍子を難なく叩きこなしグルーヴするのがすごいです。特に前半部でのリム・ショットの使いかたなんか聴きものじゃないですか。+ハイ・ハット&ベース・ドラムで、後半はスネアでも打面に移行しますが、曲全体でテリしかぼくは聴いてないですね、この7曲目のばあい。いやあ、手練れドラマーです。

 

そしてアルバムのハイライトはどう聴いてもラスト10曲目の「Reflections」でしょう。ここではギターなし、J.D. アレンとトニー・マラビーのテナー・サックス奏者二名がフィーチャーされています。とても綿密によくコンポーズされた(?)あるいは全面即興の(?)一曲で、最初ふわっとした感じではじまりますが、前半は一人が(どっち?)淡々としたサックス・ソロを展開。

 

しかし中盤でのクリスのブロック・コードがんがんで雰囲気が一変します。がんがんのあとドラマーの強いビートが入ってきて敢然とリズムを刻みはじめてからが個人的には本番ですね。まずサックス・アンサンブルに続き、前半とは異なるサックス(音色が違うから、でもどっちがどっち?)奏者がパッショネイトなソロで魅了します。その激しい熱量に完全にノック・アウトされちゃうんですね。この10曲目後半でのテナー・サックス・ソロこそ、このクリス・デイヴィスの2019年作で最ものめり込める時間です。

 

(written 2020.2.1)

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