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2020年4月

2020/04/30

岩佐美咲「右手と左手のブルース」&カップリング曲を聴く

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(6 min read)

 

https://www.youtube.com/watch?v=HIzCwy1X7Kg

 

岩佐美咲の新曲「右手と左手のブルース」CD が発売されたのは2020年4月22日。ぼくのところに届いたのは25日でした。そこからカップリングの五曲とあわせくりかえし聴きましたので、ここらへんでちょっとした個人的感想を手短に書いておきましょう。今回の全六曲を通して聴く最大の印象は、完全に演歌路線から出て歌謡曲の世界にシフトしたなということです。

 

もちろんカップリング曲のなかには「ふたりの海物語」のようなド演歌に聴こえるものもありはするんですけれどもこれだけの例外ですし、それにだいたいこの「ふたりの海物語」という曲は演歌そのものとは言えないですよね。この曲はむしろ演歌というジャンルに対するカリカチュア、あるいは(ポップ・サイドからの)ミミックでしょう。

 

つまり演歌とはなにか?どんなものか?どんな感じなのか?どんなメロディ、歌詞、曲調、アレンジなのか?を総合的に勘案して、こういったものがみんなの考える演歌というものだろうと、要素を誇張して提示してみせた一曲です。だから濃厚な演歌節に聴こえるんですね。わかりにくかったら、歌手の真似をやるものまね芸人のことを考えてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=BIp9t9q9sGY&feature=emb_title

 

この一曲を除き、今回発売されたもののなかに演歌にかするものすらまったくありません。オリジナルの表題曲「右手と左手のブルース」はもちろん、カップリングのカヴァー曲「虹をわたって」(天地真理)「年下の男の子」(キャンディーズ)「元気を出して」(薬師丸ひろ子)「ルージュの伝言」(荒井由美)いずれもポップな歌謡曲ですよね。いままでの美咲の新曲発表で、全体がここまで明確な歌謡曲サイドに寄ることはなかったんじゃないですか。

 

ふりかえってみれば、昨年の新曲「恋の終わり三軒茶屋」も歌謡曲でしたし、カヴァー曲でもいままで美咲の超絶名唱と言われるものは、たとえば「20歳のめぐり逢い」(シグナル)「糸」(中島みゆき)みたいなものであって、やはりポップスなんですよね。演歌レパートリーのなかにもみごとなものがありましたが、そろそろ美咲や運営サイドとしてもこの歌手が本領を発揮できるフィールドをじっくり見つめてみたということでしょうか。

 

ともあれ「右手と左手のブルース」。この曲も完璧なるポップ歌謡曲で、しかもリズムというかビートに跳ねる(ちょっとラテンな)フィーリングが感じられるのがたいへんに好ましいですよね。ちょっとグルグルと一カ所で回転しているような感触もあって、過去のわさみん楽曲ではたとえば「20歳のめぐり逢い」で聴けるのと似たようなリズム感覚じゃないでしょうか。

 

以前ぼくはわさみんヴァージョンの「20歳のめぐり逢い」のリズムを "シェイク" と呼んだことがあります。そう、ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」なんかと相通ずるあのノリですよね。跳ねながら一ヶ所で回転して前には進まないあのリズム・フィール、ぼくは大好きなんですね。跳ねながら回転しゆさぶっているような、そんな感じではないでしょうかね。

 

そういうのはラテンっぽいリズム感覚だなと思っていますが、アバネーラ・タイプ(は日本の歌謡曲に実に多い、多すぎるくらい)とあわせいままでの美咲の楽曲のなかにも複数ありました。テレサ・テンのレパートリーを歌ったものなんかはアバネーラ・リズムでしたし、シェイクはなんといっても「20歳のめぐり逢い」、そして前作「恋の終わり三軒茶屋」もちょっとそれに近いものがありました。

 

「右手と左手のブルース」のばあいは、スネアがはっきりバンバンと一曲通して叩かれていて、それがしゃくるような鮮明なシェイク・ビートを表現していますが、ラテンっぽいぐるぐると一ヶ所で回転するリズム感覚を出しているのは、この曲がどんな内容なのかを考えるとなかなか興味深いところです。前に向いて進まない、悩み深い不倫の歌ですから、前進しないとどまる回転ビートを持っているのはなんだか示唆深いなと思うんです。

 

こんなリズムを持った曲のため、美咲が歌う不倫愛のつらい内容がいっそう身に染みて実感できるような気がしますが、背後の伴奏リズムやサウンドはけっこう細かく刻まれている上で、美咲の歌うメロディ・ラインは大きくゆったりと動くのもおもしろいところです。メロディを形成する旋律は哀愁のラテン歌謡ともいうような独特のあの音階ですが(作曲は井上トモノリ)、細かいビートと大きなメロディとの二種混交は音楽をおいしくする不変法則ですからね。

 

サビ部分での美咲多重録音によるハモリがもたらすふくらみもいい感じですし、間奏のナイロン弦ギターのソロにくればこの曲の持つラテンな哀愁性がいっそうきわだっています。右手でわたし左手で家庭を、というこの切なさきわまる不倫悲恋歌のフィーリングがよく伝わります。それにそもそもこの曲のメロディはとても魅惑的ですよね。名作じゃないでしょうか、井上さん。

 

美咲のヴォーカル表現は、といえば、この「右手と左手のブルース」では曲の内容をふまえてのことか、かわいらしさやキュートさ、派手さをぐっとおさえ、大人の切ないつらい心情を深くたたえたような落ち着いた発声に終始しているのが目立ちます。高音部でキンと立つこともなく、っていうかそもそも曲じたい全体的に高い音の少ない低音メロディですが、たなびくようにうごめく感情をうまく表現できている抑制の効いたヴォーカルだなと聴きました。

 

「ふたりの海物語」以外のカップリング曲は、しっとり系で静かなフィーリングの「元気を出して」(この曲では伴奏楽器が必要最小限)を除き、ほかは恋愛成就中とでもいうような楽しいラヴ・ソングですよね。「虹をわたって」「年下の男の子」はぼくも美咲歌唱イベント現場で聴いてきました。快活なリズムの上にキャピキャピ乗るっていう、そんな感じになっていますし、美咲の声にも楽しげなキュートさが聴きとれます。また、秋葉系アイドル・ソングっぽいズン、タタン、ズン、タタンのビートを持つ「ルージュの伝言」のこのビートのルーツは、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」(1963)なんです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZV5tgZlTEkQ

 

(written 2020.4.29)

2020/04/29

新世代女性ブラジリアン・ジャズ・シンガーズの潮流

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3A0Tv2c8W1VH1dMttVuhVM?si=fqZstrYeQXGku9rGTbO-Dw

 

・ニーナ・ヴィルチ『ジョアナ・ジ・タル』2012
・ルイーザ・ソブラル『Lu-Pu-I-Pi-Sa-Pa』2014
・アンナ・セットン『アンナ・セットン』2018
・ジャネット・エヴラ『アスク・ハー・トゥ・ダンス』2018
・ルシアーナ・アラウージョ『サウダージ』2019

 

以前「似ている三人 〜 アンナ・セットン、ルシアーナ・アラウージョ、ジャネット・エヴラ」と題する記事を書きました。これら三人がある種の共通資質を持っているように思えるということでひとくくりにしてみたわけですが、それはボサ・ノーヴァなどブラジル的な要素も加味しながらのジャジー・ポップスをやる新世代シンガー・ソングライター、しかも若手女性ということだったんです。ひょっとしたらこういった一個のムーヴメント、新潮流みたいなものがあったりするのかも?と思ったんですね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-57fc41.html

 

これら三人にくわえ、最近、同じく若手のルイーザ・ソブラルも見つけました。ルイーザも新世代ジャズ・シンガーと呼んでさしつかえない資質の持ち主で、ジャズやジャジー・ポップ、あるいはその周辺を基底としながら、軽くふわっと歌うような曲を書くという、この点で、アンナ・セットン、ルシアーナ・アラウージョ、ジャネット・エヴラに相通ずる資質の持ち主と言っていいでしょう。

 

やはりこれ、なんらかの新潮流みたいなものになってきているとみていいんじゃないかという気がしてきているんですね。個人的には、これら四人に出会う前からお気に入りのニーナ・ヴィルチ(ブラジル)もちょっぴり持ち味が共通しているような気もして、だからニーナも入れて女性五人で一個の集団というか動き、流れとしてとらえたいところなんですね。ニーナはソングライターじゃないですけどね。

 

それで彼女たち五人の個人的お気に入りアルバムを一枚づつ計五個、リリース順に並べて一個のプレイリストにしておいたのが今日のいちばん上のリンクです。五人ともポルトガル語圏にいるか、あるいはブラジル音楽要素が加味された部分も持っているというのが最大の共通項かもしれないですね。念のため書いておきますと、ニーナ・ヴィルチはブラジル人、ルイーザ・ソブラルはポルトガル、アンナ・セットンはブラジル、ジャネット・エヴラはイギリス/アメリカ、ルシアーナ・アラウージョはブラジルです。

 

これら五人は大きく分けて、ニーナとルシアーナのブラジル色濃厚勢とそれ以外のジャズ勢との二つになるでしょう。ニーナもルシアーナもブラジル人にしてサンバなどローカルな音楽要素も色濃く持っていて、それを活かしながらキュートでコケティッシュに、そんでもって最終的には(ブラジル・ローカルとは限定されない)普遍的なポップネスを獲得しているとぼくには聴こえます。

 

ニーナの『ジョアナ・ジ・タル』は既存の有名サンバ楽曲のカヴァー集で、ルシアーナの『サウダージ』には書き下ろしの新曲が並んでいますが、どちらも土着色はさほど濃くもなく、もっとあっさりさっぱりした味つけで料理してあるのがいいですよね。リリース年でいえばニーナのそのアルバムが2012年とすこし前ですが、2010年代以後的な、世界に通用する普遍性を獲得できているなと思うんです。

 

それから、これはルイーザやアンナやジャネットにも言えることなんですが、彼女たちは声がいい。かわいくてチャーミングですよね。なかではジャネットの声の資質だけがちょっと違うっていうか深い落ち着きをともなっているなと思いますが、だいたい五人とも声や歌いかたにおだやかさ、+ユーモラスな味をも持っていて、それでいてその味はしつこくなく、さっぱり乾いていると感じられるところが好感度大です。

 

ジャネットの書き歌う曲にブラジルのボサ・ノーヴァ色がかなりあるというのはお聴きいただければわかると思うんですが、あくまでイギリス/アメリカ人のやるボサ・ノーヴァなんで、サウダージみたいなセンティミエントはほとんど感じられないですね。このことはルシアーナみたいなブラジル人歌手についても実は言えることで、土着色はどこまでも薄いんです。そういったところが彼女たちをひとくくりにできる新世代感覚かもしれません。

 

アンナあたりになれば、ブラジル人歌手だけどローカル色なんてほとんどないですよね。なにも知らせずにアルバム『アンナ・セットン』を聴かせれば、ポルトガル語で歌っているという部分以外にブラジル色は感じられない、皆無だ言うひとが多いはず。しかしですね、ぼくが聴くと、あたかも裏ごしされたかのようなとでもいうか、ほぼわからない程度にまで換骨奪胎されたというか、ブラジリアン・ポップスの味がほんのり漂っているように思うんですよね。

 

つまりだから、これら五人の女性歌手の全員がポルトガル語圏の音楽にベースを置きながらも普遍的なジャズ・テイストとそれを土台にしたポップネスに至っていると思うんです。きわめて聴きやすくスムースに響きますしね。21世紀的な新世代の音楽性、新感覚のソング・ライティングとシンギング、新世代ブラジリアン・ジャズというかアメリカン・ブラジリアン・ポップスとでもいうか、そんな音楽性に彼女たち五人はたどりついているんじゃないですかね。

 

(written 2020.3.15)

2020/04/28

ルイーザ・ソブラルがお気に入り(2)

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(3 min read)

 

Luísa Sobral / Luísa

https://open.spotify.com/album/1vlZcCzcgYbfF4JPmFwml4?si=0PP5tgQwRhO8o3faFwMwhg

 

すっかり気に入ってしまったポルトガルの歌手ルイーザ・ソブラル(Luísa Sobral)。昨日も書きましたように快活で歯切れよくリズミカルにというより、ふわっと漂うような雰囲気、それからおだやかさ、芯の強さ、しなやかさといったあたりが声に聴きとれるのがこのひとの大きな特色でしょう。2010年代以後の新世代女性ジャズ・シンガーと呼んでさしつかえないと思います。

 

今日はこれも好きな2016年作『ルイーザ』の話題ですが、やはり前作『Lu-Pu-I-Pi-Sa-Pa』同様アクースティックな楽器演奏サウンドが中心です。レトロでノスタルジックな香りが強くただよっていた前作に比すれば、『ルイーザ』のほうはまだちょっとだけモダンなのかも。それでもやはりオールド・ジャジーなポップ・ソング・スタイルだというのは同じですね。こういった古風でジャジーな感じでちょっとキュート&ユーモラスにやるのがいまの流行なんでしょうか。

 

前作と大きく異なり英語で歌うものがわりとあるアルバム『ルイーザ』にもストレート・ジャズみたいな曲が複数あります。4曲目、8曲目なんかはメインストリームのジャズ・ビートを持っていて、曲、演奏、ヴォーカル・スタイルもジャジー。後者ではヴァイブラフォンが控えめに聴こえるのも効果的にムードをかもしていますよね。アクースティック・ギター(マーク・リボー)が効いているのは今作ならではの特徴でしょう。

 

そうかと思うと9曲目はなぜだか三連のサザン・ソウルふうバラードで、こういったのはルイーザの前作には聴けませんでした。むろんこんな音楽だってじゅうぶん古風ですけどね。エレキ・ギターの三連リフ反復と、間奏ソロもレトロなオルガンで、というこの曲は、アルバム中それでもやはり異色。そういえばアメリカのダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズの初期アルバムもそんな感じで、全体的にはオールド・ジャズっぽいレトロ・ポップスを志向しながらそのなかにちょっぴりサザン・ソウル・バラードがまじりこんでいましたよね。

 

アルバム『ルイーザ』では、しかしそんなのはこれだけ。10曲目からまたふたたびレトロ・ジャズ路線に戻ります。その10曲目もクラリネット(とギター)が活躍するもので、ビートもストレートな2/4拍子。これもこのアルバムにあるメインストリーム・ジャズ・ソングのなかの一曲でしょうね。ここで(だけ?)は、ふだんと違ってルイーザもなかなか小気味よく歌っているのが印象に残ります。

 

その後はまたジャズ・ベースのキュート・バラードみたいなものに戻り、そういうのがルイーザの本領だろうなと思うんですね。やさしくやわらかく声を乗せていくルイーザのヴォーカルのおだやかさと、それからなんといってもこんな歌を書けるっていうソング・ライティングに好感が持てます。アルバム・ラストの12曲目は、3曲目同様ほぼマーク・リボーのギターとのデュエットで。

 

(written 2020.3.14)

2020/04/27

大好き!ルイーザ・ソブラル(1)

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(4 min read)

 

Luísa Sobral / Lu-Pu-I-Pi-Sa-Pa

https://open.spotify.com/album/3UG1xR8LLitXZrLbaoJAVK?si=tkjxVnQ3QRuLjXXtfZLZKg

 

大好きな歌手を見つけました。といっても前から活動しているみたいですが、ポルトガルのルイーザ・ソブラル(Luísa Sobral)。2011年作を皮切りにいままでにアルバムが五つあり、うち最初の二つはどうしてだか Spotify にありません。だから近作三つをくりかえし聴いているんですが、もう完全にぼく好みの新世代女性ジャズ系シンガー・ソングライターですね。二日に分けて書いてみたいと思います。今日は2014年作『Lu-Pu-I-Pi-Sa-Pa』について。

 

ルイーザの経歴とかはネットで調べれば読めますのでぼくは省略します。音楽の話をしますけど、2014年作『Lu-Pu-I-Pi-Sa-Pa』はたったの27分しかないんですね。このこじんまりしたたたずまいも好感触。ジャケットの印象(と中身の音楽もそうなんですが)もあいまって、まるで可愛い切手をながめているみたいな、そんな親近感のあるほっこり気分になれますよ。

 

アルバム題は 'Luísa' という自分の名前の綴りをちりばめたものだと思いますが、まず1曲目でやわらかいホーン陣の響きが入ってきただけでいい気分になります。それがわりとジャジーですよね。曲のリズムも4/4拍子で、生楽器演奏のアクースティックな響きをメインにルイーザがことばを乗せていきます。この歌手は必ずしも歯切れよくリズミカルに歌うタイプじゃなく、もっとこう、悪く言えばモッサリしていますが、ひるがえればソフトでおだやかな表情を見せていて、それが個人的には悪くない感触です。

 

2曲目は曲題どおりコンピューターがテーマになっているのかもしれません。でもデジタル・サウンドはあくまで効果音的なものにとどまり、やっぱりあくまで演奏楽器の音で組み立ているのがルイーザの特色なんでしょうね。デジタルなサウンド・エフェクトはユーモラスな響きももたらしていてなかなかおもしろいところです。息抜き的な一曲かなと思いますが、それでもやはりジャジーです。

 

3曲目以後はほぼ完全にルイーザ流のジャズ・ポップ・ソングが並んでいます。生音(アクースティック・サウンド)の楽器演奏を中心に組み立てられたバックの演奏もいいし、曲をルイーザが書いていますけどそれもキュートでセンチメンタル。ポップな味でジャジーにやるソング・ライティングとヴォーカルがとってもチャーミングだと感じます。やっぱりところどころでオモチャっぽいサウンド・エフェクトを使ってあるのも楽しいですね。

 

上でも書きましたが快活なリズムに乗って歯切れよく歌うタイプじゃないっていうそんな発声のルイーザだからなのか、自分の持ち味をちゃんと理解しているということか、曲はバラード調の落ち着いたものが多いのもこのアルバムの特色でしょうね。そんななかでも7曲目と10曲目は特筆すべきジャジーなできばえですよ。どちらも古き良きディキシーランド・ジャズのスタイルなんですね。

 

どっちの曲もチューバがベース・ラインを吹き、リズムは2/4拍子。それで7曲目ではホーン・アンサンブルが全曲とおし鳴りわたっていますがそれがもう完全にディキシーなんです。わざとこういったオールド・スタイルに忠実な超レトロ・アレンジをほどこしていますよね。10曲目でもディキシーふうのクラリネットがオブリガートで大活躍。やっぱりユーモア味もあって、これら二曲が個人的にはこのアルバムのクライマックスかもしれません。

 

いや、ちょっと待ってください。アルバム・ラスト11曲目。全体的にこじんまりと地味におさまっている印象のこのルイーザの2014作のなかでは、しかしこの曲だけ華麗で瀟洒なストリング・アンサンブルが起用されているのが耳を惹きます。だれがアレンジしているのか(ちょっぴりジャキス・モレレンバウムっぽい)その弦楽の響きがこりゃもうありえないほど美しいでしょう。ルイーザもていねいにことばをおいていて、歌唱資質に曲想とアレンジがよくフィットしているし、このラスト・ナンバーはマジ絶品ですね。

 

(written 2020.3.13)

2020/04/26

これもラテン・ジャズの快作 〜 キューバン・ジャズ・リポート

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Cuban Jazz Report / Cuban Jazz Report

https://open.spotify.com/album/4VF03CGZpochdSchYSNtO7?si=CAnOFExtQf-f6tvfGi5N_w

 

キューバン・ジャズ・リポートのアルバム『キューバン・ジャズ・リポート』(2019)、っていうこの名称はやっぱりウェザー・リポートを意識したんでしょう。四人組で、カラメロ・デ・クーバことハビエル・グティエレス・マッソ(ピアノ)、ヤーセル・モレホン・ピノ(ベース)、ラウル・ピネダ(ドラムス)、エリエル・ラソ(パーカッション)。リーダーはヴォーカルも兼任のエリエルで、他の三人もコーラスを担当しています。だから、ヴォーカル+ピアノ・トリオ&打楽器強化、みたいなバンドというかユニットでしょうね。

 

ってことはちょっとモダン・ジャズ・コンボっぽい部分もあるわけで、実際アルバム『キューバン・ジャズ・リポート』ではそういった要素がわりと聴きとれます。なかにはビル・エヴァンズ・トリオそのまんまじゃんみたいな演奏だってあり、ピアノ・トリオ編成を中心にしていますからムリもないです。それでも全体的にはやっぱりキューバン・ジャズ、ラテン・ジャズだと言える内容でしょう。

 

いちばんモダン・ジャズっぽさを感じさせるのはベーシストの弾きかたで、それ以外はピアノにせよ打楽器にせよ、ラテンっぽいなと感じます。それにこんなふうにヴォーカルを活用してあるのはオーソドックスなジャズ・ミュージックのなかにないですよね。その意味ではあまりジャジーじゃありません。1曲目「アバーナ・チャンツ」からそんなヴォーカル活用が全開で、同じような声の使いかたはほかの曲でもどんどん聴けます。

 

ヴォーカルなしで器楽演奏のみの曲だと、リズムはキューバンというかラテンで打楽器も大胆活用してそれを強化してあるなとは思うんですけど、本質的なフォーマットとしてジャズの枠内にとどまっているような気もします。それが悪いっていうんじゃなく、ビートを強靭にしたラテン・ジャズとして聴けば極上なんで、それでいいと思うんですね。たとえば2曲目「クロマソン」なんかもラテン・ジャズでしょう。ここではヴォーカルはなし。

 

3曲目「ラ・カミナドーラ」はラテン・バラード調ですが、1曲目のような、激しいラテン・ビートと咆哮するヴォーカル・コーラスというかチャントが聴ける曲もたくさんあって、たとえば4曲目「ア・キューバン・ブルーズ」もそう。この曲での打楽器の派手な活用は特に聴きものです。前半はスコット・ラファーロみたいなベース・ソロだからあれですけど、ピアノ・ソロが出はじめてからはずいぶんいいですね。カラメロのラテンなピアノ・スタイルは本当に好きです。パーカッション群のソロも聴きごたえあり。ところでこの曲はいわゆるブルーズじゃないですよね、どんな意味でも。

 

7曲目「ワン・ナイト・ワン・ソング」もコンガ・ソロを中心とする打楽器群から入るダンス・ナンバー。気持ちいいですね。ピアノがガン!と入ってきた瞬間にドラマーも激しく叩きはじめ、そしてこれはたぶんオーヴァー・ダブのシンセサイザーですかね、それからやっぱりスキャットみたいなヴォイスがにぎやかに活用されていて、楽しく快活でいい気分。カラメロは強靭だけどなめらかで色っぽいピアノを弾いていて、それもラテンの味ですよね、最高。

 

その7曲目終盤でのドラムス+パーカッション(特にティンバレス)の激しい応酬もすばらしく、鳥肌ものですが、そこからは怒涛のラテン・グルーヴの嵐。7曲目がドラムスの音で終わりますから、ドラムスの音ではじまる8曲目「マンデイ・イヴニング」とまるで切れ目のないメドレー状態。一曲とおし(ヴォーカルふくめ)壮絶なラテン・アンサンブルの雪崩で、いやあこりゃあカッコイイ。この8曲目がアルバム『キューバン・ジャズ・リポート』のクライマックスでしょう。

 

そのまま9曲目、10曲目と続く激烈ラテン・グルーヴ。アルバム終盤は怒涛の四連発で、ラテン・ジャズ好きの脳天をノック・アウトします。近年ラテン・ジャズの快作はいくつもありますが、この『キューバン・ジャズ・リポート』もなかなかの内容じゃないですか。特にアルバム終盤では快哉を叫びたくなる音楽ですよね。

 

(written 2020.3.11)

2020/04/25

コロナ時代のポピュラー・ミュージック

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https://www.youtube.com/watch?v=LNNPNweSbp8

 

とうとう寝入りばなに「こーゔぃっど・ないんてぃーん、こーゔぃっど・ないんてぃーん、、、」というフレーズが頭のなかでぐるぐる回転して寝つけない、熟睡できないという事態をこの能天気なぼくでも招いてしまっていますが、どうなんですかね、このコロナウィルス感染症の拡大と、それに悪戦苦闘する人間たち。

 

もちろん大衆音楽の世界も大打撃をこうむっています。ポピュラー・ミュージック界はじまって以来の大ピンチなんじゃないかと思うんですよね。この世界の成立はたぶん19世紀末ごろとみていいでしょうけど、その後これほどの大規模感染症流行があったか?というと、いわゆるスペイン風邪の流行が1918〜20年、たぶんこれだけですよね。音楽産業が大規模化して以後と考えるなら、やはり2020年のコロナウィルス感染症流行が史上初の危機的事態です。

 

もちろんポピュラー・ミュージックの世界はレコードや CD や配信やといった二次メディアで成り立っているものなんで、そこの部分は感染症の流行でもさほど大きな影響を受けないのかもしれません。っていうかもうこんな事態におちいって、せめてそこだけは正常に機能してくれていないと、気持ちが持ちませんよねえ。ライヴ・イベントやコンサートなどは壊滅状態ですから。

 

あ、CD やらのメディア販売は正常どおりに機能している、と書きましたが、これもしかしなかなか厳しいというか、見方によってはやはり今回大きな危機に瀕しているんだという気もします。と言いますのは、お店がどんどん休業しているでしょう、なかには廃業してしまうレコード(CD)ショップだってあるんじゃないですか。

 

そりゃそうですよね、お客さんが来ないんですから。だれも買ってくれなかったら、通販でも売り上げが見込めるお店以外は閉めるしかないのかもしれません、路面店はですね。するとその巻き添えを食って通販事業までやめなくちゃなんない、というようなことがあるかもしれませんし。日本のというより特に海外の CD ショップで閉店傾向が出てきているような気がします。

 

いままでに買って持っている CD を部屋のなかでどんどん聴いて時をすごすしかないんだなと、だから思います。いちおう日本盤であれば新発売の CD だって買えない届かないっていうことにはまだなっていませんからちょっとマシかもですが、輸入盤は日本国内での販売量がかなり減ってきているなという実感があります。海外からの出荷制限措置がコロナ以後とられていますから、ショップに入荷しないんでしょう。

 

ですから Spotify などのストリーミング・サービスその他ネット配信を活用するひとがもっと増えるのでは。

 

さて、今後新曲だの新作アルバムだのを制作できる、それが再開できるのがいつになるのか、現時点でまったく見通しが立たないのも大きな打撃です。音楽作品を制作するには、曲を書くひと、演奏するひと、歌うひと、録音製作陣などなど、人間が集まらなくちゃできないわけですけれども、それをいまは避けなければならないという情勢ですからね。

 

バンドでもセッション・ミュージシャンでもオーケストラでも、一堂に会してのレコーディングということがいまはできませんので、こういうときに力を発揮するのがリモート・ワークとか独り密室作業タイプとかですよね。それもしかしスキルを持った一部の音楽家、音楽関係者に限定されるのかもしれませんけど。ある程度は感染覚悟で(少人数で)集まってやるしかない部分だってあるのかも。それで制作したのをベースに持ち回りで音を重ねるとか。

 

また、ライヴ・イベントやコンサートなどがいっさいできない、機会がゼロになってしまっているというのも全世界で言える真実でしょう。今回のコロナ感染症が終息するまで、一部の専門家の見方では最低でも一年以上はかかるということで、最短でも半年とか長ければ二年とか、そんなことで、興業をとりおこなうシステムが経済的にたえられずつぶれてしまうのではないか?という危機感もあります。

 

個人的にはいつも自室のなかのオーディオ装置から音楽をばんばん鳴らして楽しむっていうのが音楽生活の、っていうより人生の、メインなんで、だから表面的には大きな混乱は生じていないんですけれども、毎日接する音楽業界関連のニュースでだいぶ心が痛んできているのも事実です。たまのチャンスでおでかけしてっていうのも絶えてないわけで。

 

※ 今日のカヴァー・フォトは、こないだの配信イベント「One World: Together At Home」に出演した際のローリング・ストーンズのライヴの模様。ストーンズの四人はそれぞれ離れた場所から映像をつなぎ、リモート・ワークによるバンド演奏で、「無情の世界」を届けてくれました。

 

※※ そして上の YouTubeリンクは、2020年4月24日早朝(日本時間)にリリースされた、やはりストーンズの新曲で、タイトルも「Living In A Ghost Town」!大阪も出てきます(なぜかストーンズ公式は「Kyoto」と言っているけど)。曲は一年前にできていたものだそうですが、いかにもコロナ時代の歌ですね。最終的にはやはりリモート・ワークで完成させたみたいです。

 

(written 2020.4.24)

2020/04/24

ひさびさにわさみんの生歌を聴いた

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https://www.youtube.com/watch?v=HIzCwy1X7Kg

 

と言いましても、もちろん実際に会ってのチャンスはとうぶんありえませんのでネット配信ですけれど、昨日4/22の Showroom 配信でわさみんこと岩佐美咲ちゃんはカラオケ・アプリを使った歌唱を届けてくれたんですね。Showroom というのは AKB 系の(元)アイドルのみなさんがときおりやっている配信番組で、ふだんはなんでもないおしゃべりみたいなのが多いんですけど、さすがに歌唱チャンスが絶滅しているということに昨晩のわさみんは配慮したんでしょう。

 

歌ったのは五曲。ふだんの歌唱イベントが一回四曲ですから、お得感がありました。

 

1 Pretender(Official髭男dism)
2 紅蓮華(LiSA)
3 元気を出して(薬師丸ひろ子)
4 プレイバック Part 2(山口百恵)
5 たばこ(コレサワ)

 

いやあ、わさみんの生歌(とは言えないかもだけど)というかライヴ歌唱を聴いたのって、ぼくは昨年12月の広島シリーズ以来ですからね。そこまでじゃなくとも、歌唱イベント系のものだって二月末でパッタリ止まってしまっていますから、昨夜はひさびさの感涙にひたったというファンのかたも多かったんじゃないでしょうか。

 

これでひとつはっきりしたことがあります。スマホのアプリを使った個人のカラオケ配信であれば、権利上問題なくネットに流せる、有料化などすれば問題が発生するかもしれないけれど個人とファンの楽しみということだけであれば、ネット配信番組でカラオケをやっても OK であると判明したということです。

 

ネットで(日本の)歌を流したりする際には著作権関係がややこしい、めんどくさいっていう知識はぼくも読みかじっておりましたから、これは一般的にはやはりまだまだ進んでいない分野だと思うんですけど、昨夜のわさみんカラオケ配信は OK だったんですからね。これでだいぶ安心しました。今後もどんどんカラオケ配信すればいいじゃないですか。

 

わさみんは歌手なんです。歌を歌っていないと、歌うところを観たり聴いたりできないと、本人もファンもつらい気持ちがどんどん上積みされていくばかりだと思うんですね。ちょっと前にわさみんも「思いっきり歌いた〜い!」とツイートで叫んでいましたが、歌手本人としてもそうでしょうし、ぼくらファンからしても「聴きた〜い!」と乞い願うばかりで、コロナ自粛のせいで実現不可能でした。

 

昨夜は、世代的に言ってもファン心理からしても、山口百恵の「プレイバック Part 2」に感激しました。わさみんがじゃあこれを歌ってみようかなと言い出したときは、よっしゃ!それや!それを歌うんや!と心で叫び、アプリから「プレイバック Part 2」のイントロが流れてきたときはガッツポーズをハートで強く握りましたからね。わさみんは21世紀の山口百恵や〜!しかも振りつきでやってくれました。

 

ともかくこんなことで、いまはネット配信でのカラオケ・アプリとかでわさみん歌唱を楽しむしかありませんよね。実際にわさみんに会って顔を合わせて生歌を聴ける機会がいつになるのか、現状まったく見通しが立たないですけど、いまは我慢するしかないないです。六月の明治座公演も中止が発表されまして、公演がやれないんですからその間各地での歌唱イベントなども不可能でしょう。七月の新歌舞伎座だってあぶないかも。八月もひょっとしてムリ。

 

そんなつらいわさみん自粛期間には、せいぜいネット配信で、それも歌を、聴きたいですよね。以前も言いましたが、ネット配信に全国の地域差はありません。ネット回線さえあればどんなひなびた地方でも楽しむことができますから、歌手であるわさみんは今後も Showroom でカラオケ配信をやればいいじゃないですか。コロナ自粛はたぶん一年くらいは最短でもかかるんですから、そのあいだはネットでのカラオケ配信しかないと思います。

 

そんなわけで、わさみんもカラオケ配信で歌ってほしい曲を募集すればいいし、ぼくらファンもリクエストを送ればいいんじゃないかと思うんですね。現在25歳のわさみんですけど、山口百恵のレパートリーを歌いこなすのでもわかるように、古めの歌謡曲や演歌などもたくさん知っています、歌えます。百恵とかキャンディーズとかピンク・レディーとかは、わさみん歌唱でもっと聴いてみたいです(世代がモロバレ)。

 

そう考えれば、お先真っ暗なコロナ自粛のまっただなかにあって、昨夜のわさみん Showroom はほんのかすかなひとすじの希望の光というか、楽しさも垣間見えたものでしたね。

 

(written 2020.4.23)

2020/04/23

冬にぴったりな『コルトレイン』

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(6 min read)

 

John Coltrane / Coltrane (1957)

https://open.spotify.com/album/012Zmc4xCOiJaR4wlnbtWg?si=sEY16y_nRuGZ5ejUEJnEYA

 

「冬にぴったり」と言いましても、この文章をブログに上げるのはたぶん春になってしまいます。でも思い出して聴きなおしたのは二月だったんで、なんとか許してください。

 

1957年録音・発売のジョン・コルトレインのプレスティジ盤『コルトレイン』。これがソロ・デビュー作ですが、57年ということで、すでにトレインは立派に成長していると言っていいと思います。もちろんその後のアトランティック時代やインパルス時代と比べることはできないのですが、なかなかどうしてこのアルバムもいいとぼくは思いますね。ぼくだけでなく、あんがいファンの多い一枚じゃないでしょうか。

 

マイルズ・デイヴィスがファースト・クインテットを解散したのが1957年の春。そのときトレインも解雇されています。トレインのばあいドラッグ中毒癖もあったということで、それもボスの気に入らないところだったかもしれません。それでトレインは故郷フィラデルフィアへ一時戻り、薬を抜いてから五月にニュー・ヨーク・シティを再訪。それで同月末のファースト・リーダー録音となったんですね。

 

1957年のトレインといえばセロニアス・モンクのバンドでの修行が知られていますが、トレインがモンク・コンボの一員となったのは同年夏ごろ。ですからプレスティジ盤『コルトレイン』はその前に収録されたリーダー作品ということになります。その後モンクのもとでメキメキ実力を上げ、58年からはマイルズ・バンドでもリーダーでもめざましい活躍をみせるようになりました。57年の『コルトレイン』はそれに一歩及ばないものの、すでに充実期の入り口に立っているとしていいアルバムでしょうね。

 

1957年のアルバム『コルトレイン』は基本コルトレインのワン・ホーン・カルテットですが、全六曲のうち三曲でほかの二管が参加して三管編成になっています。1「バカイ」、4「ストレイト・ストリート」、6「クローニック・ブルーズ」。だれがホーン・アンサンブルを書いたのかちょっとわかりませんが、なかなか分厚い響きで、ビッグ・アンサンブル好きのぼくにはもってこいのサウンドですね。

 

特にエキゾティックな響きを持つ1曲目「バカイ」なんか、とっても魅惑的です。作者はトレインの友人カルヴィン・マッシー。バカイとはバングラデシュの地名ですが、エキゾティックな旋律を持っていることとやはりちょっと関係があるんでしょうね。といってもリズムはアフロ・キューバンですけれども。サビに入るとやっぱり4/4拍子のストレート・ジャズになってしまいます。この曲ではトレインのソロもいいんですが、サヒブ・シハブのバリトン・サックスの響きもエキゾティックな素材によく合致していて、好きですね。

 

サヒブ・シハブのバリトンはこのアルバムでのひとつの特色になっていて、ある意味カラーを決めていると言えるのかもしれません。たった三曲しか参加していないのは残念。そもそも全六曲を三曲の三管編成と一曲の二管と二曲のワン・ホーンに割りふるという発想はだれのものだったんでしょう?プレスティジのボブ・ワインストック?トレインはまだ初リーダー作ですからそこまで発言力大きくなかったでしょうしねえ。

 

三管編成ものではアルバム・ラストの「クローニック・ブルーズ」もかなりいいです。この曲では各人のソロ内容が充実しているんですね。やはり素材がシンプルな定型12小節ブルーズだからやりやすかったという面があったかもしれませんが、サヒブ・シハブのソロもトレインのソロも極上です。特に二番手トレインのソロがとても聴かせる充実ぶりで、このアルバムにおける主役のソロのなかでは二番目の出来じゃないかと思います。

 

じゃあ一番の出来はどれか?というと、なんといっても2曲目の「コートにすみれを」。こ〜れは!もう絶品じゃないですか。マイルズのファースト・クインテットではリリカルなバラードでほとんど吹かせてもらえなかったトレインですが、1957年の5月ともなればここまで立派になっていたわけです。マット・デニスの書いた美しいメロディをこれでもかというほどきれいで抒情的につづるこのテナー・サックスには降参です。

 

そもそもこの「コートにすみれを」ではイントロを弾くレッド・ガーランドも文句なしですし、それに続いてトレインが出たら音色にも惚れ惚れしちゃうし、間奏のピアノ・ソロがまたいいしで、この曲のすべての器楽演奏ヴァージョンのなかでも二番目の出来になったと思います。一番はこの前年1956年録音・発売の『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』ヴァージョン。2曲目です。
https://open.spotify.com/album/3Caef1zBtNTPEIg5C3XZI2?si=W0jc4qmmT0S_GYP_KlDGpw

 

で、ぼくは前から思っているんですけど、このズート・シムズ・ヴァージョンは1956年にレコードが出ていますから、57年の5月にスタジオ録音に臨んだトレインらだって聴いていたんじゃないかと。どうです?間違いないですよね。だってなにからなにまであまりにもそっくりでしょう。トレインらもズート・シムズがきれいに吹くこの「コートにすみれを」を聴いて、あ、これはいいなあ、自分も同じテナー・サックスだし、ちょっとやってみたい!と考えたに違いないと思うんです。

 

それでズート・シムズ・ヴァージョンを意識しつつトレインらも「コートにすみれを」をやって、それでこんなできばえになったんじゃないかと推測しているんですね。曲全体の演奏構成、調子、リリカルなピアノ・イントロに続きテナー・サックスがワン・コーラス吹いてそのまままたピアノ・ソロ、が終わったらサックスがブワブワ〜ッと入ってくるとか、どう考えてもトレインはズートを参考にしているんでしょう。

 

(written 2020.3.10)

2020/04/22

アーリー・ジャズは Spotify で聴きにくい、かも?

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3mlZIEPzdEg5H0CoIhoeBd?si=rqE508d4S3aVYWTI_Bu94w

 

ビ・バップ以前のアーリー・ジャズのことを書く機会がめっきり減って、ジャズといえばモダン・ジャズのことばかり書くようになったのは、ふだん音楽を CD(やそこからインポートした Music アプリ)ではなく Spotify で聴いているせいだと思うんですよね。モダン・ジャズだと、ビ・バップ時代はまだ SP ですがすぐ LP に移行したし、ハード・バップ以後は完璧に LP がメディア。だからレコードや CD で見るのと同じアルバムがそのまま Spotify にあります。

 

ところがこれが戦前の古典ジャズ(や古いブルーズも)の世界となると、ほぼ100% SP の時代だったわけですよ。片面一曲づつの両面二曲の単位でリアルタイムでは売買されていたんで、それがオリジナル・フォーマットです。ってことはその後のどんな LP / CD アルバムも再発の「編集盤」でしかありません。実際リイシューを担当するレコード・プロデューサーがどんな曲を選択するか考えて、これを入れようこれは外そうとあれこれやって、アルバム体裁を整えていたわけです。

 

LP から CD へと移行したことで、古典ジャズや古典ブルーズのアルバム(=編集盤)の世界も変わりました。むかし LP で発売されていたフォーマットそのまま CD リイシューされるばあいだってありますが、多くは編集しなおされ新たにリリースされた新編集盤となっていましたよね。もとが一曲単位の存在なんですから、どんなアルバムにも「正統性」なんかありません。編集・発売されるそのときそのときの方針と都合があるだけです。

 

そんなわけで戦前古典ジャズ(やブルーズ)の音源リイシューが LP と CD で食い違うことになっているわけですが、配信の時代になってまたもう一回この事態が発生しているんじゃないかと思えるんです。Spotify にある1920〜30年代のルイ・アームストロングのオーケー録音にしろテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションにしろライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッション集も、それからジャンゴ・ラインハルトのスウィング・セッションだって、どのリイシュー CD を参照したのかソースにしたのか、わからないんですよね。

 

Spotify にあるそれらは、どれをソースにどこから持ってきたのかもわからないまま、ただズラ〜っと並んでいるだけで、そこにはかつての LP 再発、CD 再発の名盤で聴けたような明快な編集方針もなくただなんとなく並べてあるだけだから、きわめて聴きにくいんですよ。クロノロジカルな全集で聴けるようにするんじゃないかぎりすべてがコンピレイションなんですから、「こう並べてこう聴かせよう」みたいなポリシーがないとどうにもとっつきにくくて、だからそれで音楽ライフのほとんどが Spotify でということになっているぼくは、いくら戦前古典ジャズが好きでも、無意識のうちにだんだんと疎遠になっていたかもしれません。

 

そんなわけで戦前古典ジャズ音源にかんしては、よくプレイリストを自作します。Spotify にあるままだととても聴きにくいんですから、かつてぼくも親しんでいた LPリイシュー名盤の選曲・曲順に則して一曲づつピック・アップして並べなおしたコンピレ・プレイリストをつくって、ふだんそれで聴いているんですね。そうやってプレイリストを作成した戦前古典ジャズについてはいままで記事にしています。

 

こんなことがすべてなもんですから、オリジナル・アルバムがそのまま Spotify にもあるというモダン・ジャズの世界とは事情がかなり異なっているんですよね。個人的な願望としては LP レコード時代にあんなにたくさん戦前古典ジャズ名盤(つまり編集盤)アルバムがあったんですから、Spotify でもそれに準じて曲を並べてアルバムとし聴けるようにしてくれたらうれしいんですけど、実現可能性は0%ですよねえ。

 

サッチモことルイ・アームストロングの1920年代音源という最大最高の至宝ですら、なんだかよくわからないアルバム、だかなんだかもわからないものでダラ〜っと Spotify には存在しちゃっているんですから。だからほかのジャズ・ミュージシャンの戦前音源なんて、こりゃいったいなんだ?というようなアルバム?だかなんだかでしか並んでいないんです。

 

こりゃあ〜、ダメだ。ぼくも CD しかないものはそこからインポートした Music アプリで聴きますが、その比率をもっと増やさないといけないのかもしれないですね。

 

(written 2020.3.9)

2020/04/21

スティーヴィの効用

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(3 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3dHNsT4RfTLhkbfu1FjbsR?si=w1D_tUXFSqG_7uSUsbMIag

 

上のリンクはスティーヴィ・ワンダーの四作品『トーキング・ブック』(1972)『インナーヴィジョンズ』(73)『フルフィリングネス・ファースト・フィナーレ』(74)『ソングズ・イン・ザ・キー・オヴ・ライフ』(76)を一個のプレイリストにしたものです。これらでスティーヴィのグレイト4っていうかひとつの大きな組曲を形成していると考えることができるんじゃないでしょうか。

 

このプレイリストにはぼくなりの効用があります。それはつらいとき、苦しくしんどいとき、気分が沈んでいるとき聴くのにもってこいだということなんですね。そんなフィーリングのことがときどきあるんですけど、それでも朝や昼間はなにを聴こうか?と戸惑ったり困ったりすることってそんなにありません。問題は夜お風呂に入るとき。

 

ぼくのお風呂タイムは一時間かかりますからね、だからそれで防水ポータブル・スピーカーを持って入り(お風呂場の外に置いた iPhone から Bluetooth で電波を飛ばして)音楽をずっと聴いているんですけど、一時間でしょう、前後もふくめればもっとですけど、そのあいだ外の iPhone は触れませんから長さのあるアルバムとかプレイリストじゃないとダメなんですよね。だからお風呂タイム用の長尺プレイリストをぼくはたくさん作って持っています。

 

気分上々のときはなにを聴いてもいいんですけど、とにかくいったん鳴らしはじめたらお風呂のなかでは変更できないので、やっぱりちょっと考えますよね。気分が落ち込んでいるときは、聴くものによって「つまんない」とお風呂で感じはじめたらまずいんですよ。変更できないんですから。かといってあんまりアガるやつでもしらけちゃう。だからその日の気分気分で、沈んでいるときは、お風呂でなにを聴くか、迷うときがあります。

 

そんなときにスティーヴィがぴったりなんですね。なんだかやさしくやわらかく、つらい失恋や喪失の歌も多いけど、それらだって聴いていて激しく共振して気分の落ち込みが激しくなったりはしないし、それはつらさ極まってカタルシスを得るとかいう感じでもないし、なんだかこっちの気分にやさしくそっと寄り添ってくれているような、そんな心持ちがするんですね。

 

たぶんこのフェンダー・ローズとコンガとハーモニカがつくりだすやわらかいサウンドのおかげもあるんじゃないかと感じるんですが、スティーヴィのあたたかみがそのままスーッとサウンドに反映されているように感じて、お風呂の湯船につかりながら聴いていて、ささくれだった気分も実にいい感じになごもっていきます。人間味があるというか人肌のぬくもり、質感があるんじゃないですかね、スティーヴィの音楽には。

 

だからつらく苦しいとき、沈んで落ち込み気味の気分の日のお風呂タイムでは、ぼくはスティーヴィの「グレイト 4」をよく聴いていますね。

 

(written 2020.3.9)

2020/04/20

ときにはシャーデーを

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Sade / The Best of Sade

https://open.spotify.com/album/5eLHiRRgWKHtzEbQCew8pK?si=RaxxsSHRTPqZ8QNLIwgdjQ

 

ときおり無性に聴きたくなるシャーデー。Sade は本当はシャーデイだけど、今日は日本で流通しているシャーデー表記でいきますね。女性歌手個人のことだと勘違いされることもありますが、シャーデーというのはバンドの名前ですよね。1980年代後半から90年代前半にかけてだったかな FM ラジオとかでとてもよく聴いて、その都会的なサウンドのファンにぼくもなって、いちおう一枚だけ CD を買いました。それが94年の『ザ・ベスト・オヴ・シャーデー』。いまだにこれしか持っていません。

 

ジャジー・ポップなサウンドも心地いいんですけど、個人的に感じるシャーデーの魅力は曲のよさですね。たとえば「ハング・オン・トゥ・ユア・ラヴ」でも「スムース・オペレイター」でも「パラダイス」でも「ナシング・キャン・カム・ビトゥウィーン・アス」でも「ザ・スウィーテスト・タブー」でも「キス・オヴ・ライフ」でも、ビートの効いたノリのいい曲調にスムースなサウンド・メイクやメロディ・ラインがよく似合っているなと思います。

 

ぼくにとってのシャーデーの魅力はこういったビートの効いた曲の数々にあって、しかも主役歌手の歌うちょっぴりエキゾティックで影のあるメロディも大好きでした。バンドでのリズムやサウンドのつくりかたも実にうまいなと、いま聴きなおすと思いますが、当時はなにもわからずただカッコイイ、都会的に洗練されていてオシャレだといった程度に思っていたんですよね。1980年代後半ごろあたりからの UK ジャズとその周辺が好きだったみなさんならシャーデーは好物だったんじゃないでしょうか。

 

そのころのああいった UK ジャズとかクラブ関連の音楽の動き、そう、たとえばこのシャーデーもそうですし、Us 3もそうかな、ソウル II ソウルなんかもぼくのなかでは同じような、が言いすぎならちょっと似ているというか関係あるように思えていたんですけど、もうホントどれもこれも好きでした。同じお皿の上に並べて盛りつけてぼくは聴いていたんですよね。シャーデーはたぶんこれ生演奏ビートですよね(人力演奏ドラマーがゲストで参加しているはず)、だからその点ではちょっと違うかもなんですけど。

 

反復の多いちょっぴりメカニカルだけどニュアンスのあるビートとエキゾティックなサウンドの上に、シャーデー・アデュのセクシーでかすれたような陰なヴォーカルがふわっと乗っていたシャーデー。サックスのサウンドもムーディだったし、いまのシャーデーのことはなにも知らないんですけど、当時東京に住んでいたぼくは、都会の夜景がよく似合うキャッチーでオシャレな音楽として20世紀のあいだは愛聴していました。

 

アルバム『ザ・ベスト・オヴ・シャーデー』には、ベターデイズもカヴァーしたパーシー・メイフィールドの「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」が収録されていますが(映画『フィラデルフィア』のサウンドトラックからで、オリジナル・アルバムには未収録)、どうってことない出来のよう思います。やはりこのバンドは魅惑的なオリジナル・ソングのほうがいいですね。

 

(written 2020.3.8)

2020/04/19

いい音には慣れてしまう

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(4 min read)

 

いいオーディオ装置でいい録音の CD なりなんなりをいい音質で聴くというのは、人間の健康みたいなもので、慣れちゃうんですよね。慣れちゃってふだんは忘れていて感謝すらしていないよう感じになるんじゃないかと思うんです。だから再生不良になったときにはじめてハッ!と気がついて、人間だって健康のありがたみを病気になったときにはじめて感じるように、音の不調のときになってはじめて良音質のありがたみに気が付くということじゃないかと。

 

個人的にはそんなに高価で高性能のオーディオ装置は買ったことがありませんが、それでもそこそこ満足できる音質で聴いてきたつもりです。オーディオ装置の刷新はいままでの人生でなんどかありました。大学院進学のため上京した際、就職してある程度お金を出して装置を買ったとき、1999年12月に JBL のそこそこいいスピーカーを買ったとき、そのスピーカーを愛用していましたがダメになったので2017年にふたたび JBL の新型スピーカーを、それも四台、それと同時に DENON のいいアンプも買ったとき。

 

そのたびごとに、新しい装置を買って音を出すとオォ〜って思うんですよね。びっくりするっていうか、こんないい音を自宅で聴けるなんて…、って感動しちゃうわけです。そんな高揚気分がしばらく続くんですけど、時間が経つにつれ、それに慣れちゃってあたりまえになって、なにも感じなくなってしまうというのが常です。それで長い時間が経過して、いざ故障したのなんだので再生具合が悪くなると、途端にそれまでの健康状態があたりまえじゃなかったんだなって気づくんですね。

 

いい音っていうのは自然な音ってことですから、そのこともあって慣れちゃってあたりまえになってしまうんでしょう。いつもいつも自然なサウンドを自室で再生できるのは本当にありがたいことで感謝しなくちゃいけないことなんですけれども、ふだん毎日浴びるようにどんどん聴いていますから不可視化されちゃって、その存在を、ありがたみを、忘れているというようなことがあるように思うんですね。

 

で、故障したとか断線したとか具合が悪いとかで良好音質での再生がプツッと(一時的に)不可能になって、それではじめて自覚できるということなんです。こういったたぐいのことは音楽ストリーミング・サービスのありがたみについても言えることでしょう。電波でどんどん流れてきていますから、そもそも音源も(物体に入っていないし)見えないから意識しないですよね、ふだんは。切れ目なくどんどん流れきて、それがあたりまえになっていますが、電波でつなぐネット再生ですから、ときどき音が途切れたりしてそれではじめてサービスの存在、ありがたさに気がつきます。

 

オーディオ装置のばあいは、上で書きましたように四回大きな刷新があって(それ以外でもちょこちょこ交換していますが)、そのたびに音がよくなったとそのときは実感して、しばらくのあいだは感動が持続していますが、長くはもちません。毎日毎日それで聴くわけですから次第に無味無臭透明の空気みたいになってしまって、存在すら忘れてしまうんですね。何年か経って装置を一新するとまた同じことのくりかえしで。

 

いちばん最近のオーディオ装置大刷新だった2017年夏には、わりといいアンプとスピーカーを買ったんですよ。出てくる音のすばらしさ、自然なバランスにそりゃもう感動しきりで、でも約二年半ほどが経過した現在ではなんとも感じていませんからね。たまに高音質盤とかをかけるとオォ〜と思う程度で、ふだんどんどん聴いている音楽については音質で感動するなんてことはほぼないです。

 

充分満足はしているんで、なにごともなくこのまま死ぬまで現在の装置がもってくれたらいいなあと思っています。いまはオーディオ的にちょうどいい健康状態にあるんで、だからこそふだんは忘れていてありがたいとも感じていないわけですけど、つまり裏返せばいまがいちばんのオーディオ的には幸せな状態にあるということです。どうかこのままこのオーディオ・ハピネスが続きますように。

 

(written 2020.3.6)

2020/04/18

夢を見る 〜 キャット・エドモンスン

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(4 min read)

 

Kat Edmonson / Dreamers Do

https://open.spotify.com/album/48vMJyoBaAUs7mRtVnENwh?si=DPbIx5b8Q2O8s40OkVv4Aw

 

萩原健太さんのブログで教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/02/10/dreamers-do-kat-edmonson/

 

アメリカ人歌手、キャット・エドモンスン(Kat Edmonson)。知らないひとだったんですけど、2020年作『ドリーマーズ・ドゥー』があまりにもすばらしいのでビックリしちゃいました。アルバム題どおり「夢を見る」ということをテーマにしたアルバムで、それに沿って選曲され、特にディズニーのレパートリーが多く収録されていますが、なにより驚くのは伴奏の楽器チョイスとアレンジですね。ドリームとのことばどおり、まさに音楽で世界旅行の夢を見せてくれているような作品なんですね。

 

トップとクロージングに置かれているのは『シンデレラ』からの「ア・ドリーム・イズ・ア・ウィッシュ・ユア・ハート・メイクス」(夢はひそかに)。どっちもストレートなメインストリーム・ジャズのスタイルでのアレンジで、それも大好き。このアルバムのテーマを冒頭と締めくくりでしっかり示してくれていますよね。サウンドも、キュートっていうかアイドルっぽいかわいらしい声のキャット・エドモンスンのヴォーカルも、いい。

 

アルバムにはこういった路線の曲が多いというのが事実です。ですけれどもたとえば2曲目「ゴー・トゥ・スリープ」(『おもちゃの王国』)をちょっと聴いてみてください。これは中国音楽ふうにアレンジされているでしょう。おもしろいじゃないですか。楽器もこれ、琵琶かな、ちょっとウードっぽいような音色で、琵琶とウードは同源なんですよね。キャットが歌う主旋律も中国ふうにアダプトされてあるし、伴奏の楽器やアレンジなど、二胡だって聴こえるし、オリエンタルですよね。こんな感じに仕上がるなんて。

 

アルバムで最もグッと来たのは5曲目の「ウェン・ユー・ウィッシュ・アポン・ア・スター」(星に願いを、『ピノキオ』)です。以前から書いていますように「シボネイ」とならぶぼくの最愛の曲なんですけど、このキャットの「星に願いを」は特筆すべきできばえです。プレリュードの役目を果たしている4曲目「ナイト・ウォーク」から同趣向ですが、西アフリカの弦楽器であるコラが大胆活用されているんですね。その背後に浮遊感満点の(たぶん)シンセサイザー?(あるいは)パーカッション?

 

コラのさわやかで幽玄なサウンドに導かれ、5曲目に入ってその演奏がリズムに乗りはじめると俄然ムード満点。特に西アフリカを想起させるエキゾティック・テイストはありませんし、途中からビートを刻むタブラにもインド風味はなし。もっと普遍的でひろく世界に訴えかけられるドリーミング・サウンドで、それに乗ってキャットがあまり聴いたことのない旋律と歌詞を歌います。そう、この「星に願いを」はあらゆる面でかなり改変されています。新たな歌詞とメロディが付与され、全体を短調にリアレンジし、それでも「星に願いを」だということだけはギリギリわかる線を行っているんです。

 

いやあ、こんなすごい「星に願いを」は聴いたことなかったですよ。最愛曲ですけど、このキャット・エドモンスン・ヴァージョンがたったいま No. 1になりました。音楽的に多国籍というか無国籍で、多彩多様な要素をさまざまに溶け込ませ、しかしどこかへ飛んで行ったりはしないアイデンティティ、一体感はしっかり保持しつつ、dreaming というテーマをこれ以上なく効果的に表現したこのキャットの「星に願いを」。最高の音楽果実じゃないですか。

 

7曲目「チム・チム・チュル・イー」(『メリー・ポピンズ』)ではスティール・パンが大活躍。しかしこれもことさらにカリブふうでもなく、もっとひろい意味でのドリーミング・サウンドに仕上がっているし、14曲目「オール・アイ・ドゥー・イズ・ドリーム・オヴ・ユー」はプレリュード的な13曲目からずっとドラムス&パーカッション大活躍の濃厚で快活なサンバで、これも楽しいです。現代先端ジャズふうな15、17曲目も聴きごたえありますね。

 

現時点で、チェリナ(エチオピア)とならび、2020年のベスト・ワン作品です。

 

(written 2020.3.4)

2020/04/17

岩佐美咲で考える、生演奏音楽と録音複製音楽(2)

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(7 min read)

 

以前こういう記事を書きました。「生演奏音楽と複製録音音楽」
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-37af.html

 

この文章の主旨は、現代のぼくたちにとってレコードなど録音複製音楽がまず第一の体験になっていて、だから生歌生演奏があたかも録音品の代理体験のようになってしまう逆転現象があるんじゃないかということでした。レコード(カセットでも CD でも配信でも)は歌や演奏を録音してポンポン複製して大量販売しているものですから、音楽本来のというか大元のありようとしてはやっぱり生歌生演奏こそが第一義的に来るもののはず。

 

ところがそれが20世紀以後奇妙な倒置というか逆転現象を起こしていて、生演唱に触れる機会が減り、もともとその代理品でしかなかったはずのレコードで聴くというのが第一優先というか、どこにいても簡単に買って聴けるわけですから当然そうなってしまいますよね。代理品(レコード)が本来品(生演唱)にとってかわってしまっているわけです。逆転しているんですね。いまの2020年のぼくたちだって、たとえばだれかの新曲、新作を聴くといった際、その「聴く」とはまずもって CD とか配信で、という意味でしょう。

 

もちろんぼくもそうなんですけど、ことわさみんこと岩佐美咲(には2017年に出会った)にかんしてだけはちょっと事情が異なっているんです。たとえばわさみん2019年の新曲「恋の終わり三軒茶屋」を、ぼくはまず第一回目に生歌で聴きました。浅草の老舗演歌ショップ「ヨーロー堂」での歌唱イベントでです。2019年2月13日の CD 発売日に行われた記念キャンペーンの一環でしたから、まず生歌で…、といってもそれは新曲 CD 発売記念イベントだという点においてはやっぱり CD 優先の倒置現象のなかにいるのかもしれませんが。

 

わさみんが歌うオリジナル曲でもカヴァー曲でも、こうしてイベントやコンサート現場での生歌で「はじめて」触れ、その後に CD 収録されている同じものを聴く、くりかえし、といったことは、実はよくあるんです。もうどの曲がそうだなどと思い出すのもめんどくさいほどぼくだって多いですよ。愛媛県に住んでいますから、そんなにどんどんとわさみん生現場に足を運んでいるわけじゃないのにこうなんですから、首都圏わさ民(わさみんファンのこと)さんであればなおさらじゃないでしょうか。

 

わさみんのばあいそもそもあまり CD を出さないっていうか、現場でどんどん歌っても、そのなかからあらためてスタジオで録音して CD に収録するのはごく一部ですよね。いいかたを換えればわさみん歌唱やレパートリーのことは CD だけ買ってそれだけ聴いているんじゃわからない、現場にちょっとは足を運んで生歌で味わわないとダメだっていうことでもあります。真の岩佐美咲の姿は現場にしかないっていう、それが真実だという気がします。

 

これはわさみんだけじゃなくて AKB 系、坂道系もそうかな、のアイドル界全体について言えるのかもしれませんが、「現場主義」、これがあると思うんですね。現場に出向いて本人に会って(わさみんのばあいは)歌を聴く、なにを歌ったか、どんな曲をとりあげたか、どういう歌いかたをしたか、などなど、イベントやコンサートの現場でしか知りえない情報が多いです。CD となって届けられるのは、そういったなかの氷山の一角で、わさみんの姿をちょろっとだけ垣間見ているにすぎないわけです。

 

CD に収録するためスタジオで録音されたわさみんの歌は、やっぱりそれなりにつくりこまれていて完成度が高いというのが事実ではあります。ぶっちゃけて書いちゃいますが、生歌ではやや揺るぐこともある音程をコンピューターで補正してありますし、コンサートを収録した DVD を観聴きしていても、現場で聴いた音程の微妙な外しがすべてきれいに修正されています。そんなこともあってスタジオ作業を経た CD や DVD わさみんは完成品としてはとてもいいということになるんです。

 

ですが、やっぱりイベントやコンサート現場でわさみんは初披露の曲を多く歌いますし、定番曲も歌うけど久々のレパートリーであったり、さまざまな工夫でぼくたちリスナーを楽しませてくれるんですね。実物わさみんじゃないと、微妙な音程外し(のことは言いましたが)だけじゃなく、声にこもるかすかな情緒や繊細な色艶など、わかりにくいと思うんですね。なんたってどの曲を歌ったのか、初披露の曲があったのか、みたいなこともわからないでしょう。

 

もちろんいまや Twitter(をわさみん本人やわさ民さんたちも活用している)などネットがありますから、そういった情報もわりとすぐ流通するんですけど、曲目がわかっても歌唱の出来具合なんかは自分の耳で聴いて確かめていないとわかりませんからね。ましてやそれがオリジナルの新曲だったならそもそもどんな曲なのかすらもわかりません。

 

わさみんは「恋の終わり三軒茶屋」を、そのシングル CD 発売日の前の2019年1月に池袋サンシャイン広場で歌っています。ぼくはそれに行けなかったんですけど、察して地方から駆けつけたわさ民さんもいらっしゃいました。つまりですね、上でも現場主義と書きましたが、やはりそこへ行って本人を目にして生歌で聴く 〜 これがぼくらわさ民にとってのわさみん最優先事項なんですよね。CD やなんかは二の次なんです。まず第一には生歌なんです、わさみん界隈はですね。生歌で聴いたものをその後 CD で聴き「ああ、これだよ」と生歌を思い出しながら味わうんですよ。

 

こういったことが、上のほうで書いた20世紀来の生演唱/録音レコードの逆転現象、つまり現場での生歌にレコードと同じものを求めてしまうだとか、生歌がレコードの代用品であるかのように感じるだとか、こういった倒置現象を、ある意味是正しているといったことがあると思いますね。音楽は本当は現場での生歌で聴くものなんですよ、それがなんといっても第一義的なことなんですよという、録音技術の発明まで人類史で何千年も続いていた本来の音楽の姿を取り戻しているんじゃないかと、そう思えるんです。

 

ぼくが(わさみんだけじゃなく)音楽のライヴにどんどん出かけていくようになったのも、こういった実感をわさみん体験から得ているからです。頭のなかではそうだと意識的に理解していなくても、皮膚感覚でぼんやりとでも納得しているからなんですよ。わさみんにどんどん触れることで、音楽はやっぱり現場へ行って生で触れなきゃわからないことがあるんだと、そう感じるようになりました。

 

レコードや CD などで聴いた感動をライヴでもう一回味わいたいとかいうんじゃなくて、ライヴは一回性のチャンスなんだからそれでしかわからない聴けない音楽を、歌を、聴きたいということなんです。

 

(written 2020.3.3.)

2020/04/16

なぜ岩佐美咲の歌をネット配信しないのか

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https://www.youtube.com/watch?v=-T4Avb8W-XE&t=1561s

 

上のリンクは4月8日に公開された長良 TV の YouTube 配信番組で、この日もともと長良グループの歌手のみなさん総出演で「夜桜演歌祭り」というコンサートが開催される予定であったのがコロナ禍のせいでなくなってしまいましたから、その埋め合わせみたいなものとして制作・配信されたものです。もちろん長良グループ所属の岩佐美咲も出演しています。

 

しかし歌にかんしては MV しか流れませんよね。これは番組に出演している長良グループ所属の歌手のみなさん全員について同じです。こういったところ、ネットで歌唱シーンを配信しないっていうのが長良グループの方針なのかもしれませんが、しかしそれもちょっとどうなのでしょうかねえ、ちょっと長良さんには考えなおしてもらいらいと思うところがあるんです。

 

もう(日本では二月末ごろから)ずっと続くコロナ騒動のなか、いっさいの生イベントやコンサートがなくなっているでしょう。しかもこの状況がいつまで続くかわからないんですよ。夏ごろまで?甘いでしょう、今年いっぱいはなにも開催できないのかも。アメリカの医療専門家の見解では、来2021年秋までコンサートなどは不可能だとの推測も出ています。

 

そうなったら、長良さんはいつまで所属歌手に歌わせないままでいるつもりなんでしょうか?ほかの歌手のみなさんのことはともかく、ぼくは岩佐美咲ファンなんでわさみんのことに限定しますけど、そんな今年いっぱいもわさみんの歌うところがまったく視聴できなかったら、たぶん餓死、あるいは発狂死すると思うんですよね、いやホントおおげさではなく、そういうファン、多いと思いますよ。

 

とにかく生イベントやコンサートが当面できないんですから、ネットで配信するしかないとぼくなんかは思うんですけど、長良さん、徳間さん、そのへんはどのようにお考えなのでしょうか?今後短くても半年、あるいは一年間ほど、所属歌手がまったく歌えなくてもさしつかえないのでしょうか。やっぱり「歌を忘れたカナリア」状態になったまま所属歌手を捨て置くのは、飼い殺しみたいなものじゃないでしょうか。まずいですよ。

 

それを解消できる、コロナ騒動下で唯一の方法がネット歌唱配信でしょう。わさみんのことに限定しますけど、コンサート系のものは年に一回か二回ほどしか開催していないですが、一回四曲30分の歌唱イベントをどんどん毎週末にやってきているじゃないですか。それでいいんですよ、それをスタジオはムリでもどこかの場所で収録して配信すればいいだけなんですから。自宅でわさみんひとりにやらせて録画して、それを流すだけでもいいと思います。

 

ネットで歌を配信する際には、たぶん権利関係がややこしいことになるのかもしれません。素人ゆえくわしいことはわかりませんが、たぶんイベントやコンサートなどの生歌唱現場で発生する権利(金銭)よりもめんどくさいことになっているんじゃないかという気がします。そこはなにも言えませんが、なんとかクリアしてもらうしかないですよね。

 

権利関係さえクリアされれば、技術的にはノー・プロブレムのはず。カラオケを用意して、それとわさみんの歌とおしゃべりを録画録音し、それを YouTube とかで配信するっていう一連の技術はまったくどうということもないでしょう。夜桜演歌祭りの代替配信を上でリンクしたとおりやっているじゃないですか。わさみん歌唱イベントと同様の四曲30分の動画配信なんて、カンタンですよね。わさみんのひとり作業でもいいんですから。

 

有料にしたって OK なんですよ。ぼくはべつに歌唱イベント様のものにこだわっているわけではありません。なんだっていいんです、長良さんと徳間さんとわさみん本人がやりやすいやりかたで、歌をちょこっと一回数曲届けてほしいと思っているだけで、その際、有料化のメソッドがむずかしかったら、いわゆる投げ銭システムだってあります。も〜うこれだけわさみんに会う機会が絶滅しているんですから、ぼくらファンはその姿と歌を聴けるなら、一回1000円2000円程度は払います。

 

それにですね、なんたって半年とか一年とかものあいだ、歌手がファンに向けてずっと歌わない、歌を届けないままの状態が続くなんてのは、もはや<引退>同然だと言わざるをえないです。わさみんはじめ歌手本人は常日頃から鍛錬を怠らず喉の状態をキープしているだろうと思いますが、スポーツ選手でいう試合勘みたいなものが歌手にもあります。生歌現場に出ていないと維持できない感覚がありますよね。以前わさみん本人も「久しぶりの現場だとちょっと…」みたいなことを言っていました。

 

歌手本人の歌唱感覚を殺さず維持するという目的、ファンのぼくらの枯渇をちょっとでも癒すという目的、岩佐美咲という歌手の認知度を一般世間に上げていけるという目的、長良グループ&徳間ジャパンにとっても多少の収入確保手段になりうるであろうという目的、なにより歌手とファンのあいだのつながりをキープしておくという目的 〜〜 などさまざまな理由でわさみん(だけじゃなく所属歌手全員そうだけど)の歌唱ネット配信はやらなくてはなりません。

 

長良さんや徳間さんがどう見通していらっしゃるかわかりませんが、この目下のコロナ禍は、日本でもたぶんあと半年、いや、一年ほどもおさまりそうにもありませんよ。そんなにも長期間にわたって、わさみんや所属歌手のみんなを沈黙させたまま、歌唱関係をなにも届けないままでいいのですか?

 

わさみんのファン層の大半はネット世代ですから。

 

(written 2020.4.14)

2020/04/15

こんなときだから、エル・スールから通販で CD を買おう

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http://elsurrecords.com

 

ここのところのコロナ危機で、対面販売を中心とするお店のたぐいは大きな損失をこうむっていると思いますが、東京は渋谷にあるワールド・ミュージック・ショップ、エル・スールも例外ではないはず。通販もやっていますけど、やっぱり公園通りのお店に足を運んで買うというのがエル・スール顧客の中心層でしょうからね。ところがそれがいまやコロナのせいで人と会ったり接触したりはなるべく避けましょうということになっていますから、たぶんお店で原田さんはずっとひとり、お客さんはだれも来ないという事態になっているでしょう。

 

お客さんが来ないから商品が売れないということと同時に、エル・スールのばあい外国から商品が入荷しなくなっているという点も大きいんじゃないでしょうか。エル・スールが扱う商品には、日本製のもので日本の取引先から入荷するものもあるとはいえ、大部分が外国からの輸入品です。ところが多くの国が日本向けには発送しないということに、コロナウィルスの感染拡大以後なっていますから、売る商品が入ってこないんじゃ、原田さんもお手上げ状態だと思います。

 

国によってばあいによっては代金支払い済みの商品に発送制限がかかっているというようなことがあるでしょうから、原田さんもかなりツラいところでしょう。そんなわけで新規入荷は目下一部、いや大部分、滞っているんだろうと推測しますので、コロナ終息まで当面は在庫品で商売するしかありません。それを売らなくちゃいけないわけですけど、ぼくたちコロナ禍の下の客としては、お店に足を運ぶことは避けなければならないわけです。

 

ということは通販で買うしかないと思うんですね。個人的にはもうずっと10年ほどですか、愛媛県住まいのぼくはエル・スールから通販で CD を買い続けてきておりまして、すっかり慣れていますが、ふだんはお店に実際に足を運んで買っているというみなさんであれば「エル・スールから通販で買う」ってどうすればいいの?!といぶかしむ向きもおありなんじゃないかと推察します。

 

べつに変わったことをするわけじゃありません。ホームページなどでエル・スールで売っている商品をチェックして、なにを買いたいか確認、それをメールなどでお店へ知らせます。その際、希望の発送手段と支払い方法も伝えておきます。ぼくはいつも代引きクレジット・カード払いにして佐川急便の宅配で送ってもらっているんですね。支払いを銀行振り込みや郵便振替などにするならば郵送でも可能かもと思います。
http://elsurrecords.com/how-to-order/

 

銀行振り込みや郵便振替の際は、発送商品の総額の振り込みなどを原田さんが確認したら CD 商品が送られてきます。クレジット・カード払いにしたばあいには佐川急便の配達員さんが玄関口でその操作をしますので、代引きということになるんですね。

 

たったこれだけ。これだけでエル・スールから CD など音楽商品を通販で買うことができるんです。お店の常連さんであれば(でなくとも?)電話でもオーダーを受け付けてくれるんじゃないでしょうか。とにかくいまは路面店に実際に足を運び顔を合わせるということを避けなければならない社会情勢ですから、通販で買うしかないんじゃないですか。

 

ええ、そうです。ぼくはただたんに現在苦境におちいっているんじゃないかと思うエル・スール原田さんを助けたいだけなんです。ただそれだけの理由で今日こんな文章を書いているんです。いままでさんざんお世話になっていて、それは CD をチェックして買ったりっていうことだけでも大きな心の支え、潤い、人生の生き甲斐になっているから、ということもあるし、こうやって毎日書いている音楽ブログの情報源も多くをエル・スールのホームページに負っているわけだからです。

 

だから、みなさん、ふだんはエル・スールの実店舗に足を運んでいるみなさんも、現在進行形で少しでも原田さんやお店が経済的に立ちいくように、いまは通販でどんどん CD を買ってみたらどうでしょうか、とぼくは提案します。お店にふだんから足を運ばれている常連さんであれば、通販なんてあじけないよと思われるかもしれませんが、コロナ危機が終息するまでのあいだですよ。

 

どうか、みなさん、ちょっと考えてみてください。通販でのオーダー方法や支払い手段など詳細は以下のエル・スールのページをご覧ください。一枚でも多く、エル・スールから通販で CD などが売れますように。思い立ったら善は急げ、ぼくは早速今日一万円ほど買いました。
http://elsurrecords.com/how-to-order/

 

(written 2020.4.13)

2020/04/14

『アン・イノセント・マン』がビリー・ジョエルの最高傑作

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Billy Joel / An Innocent Man

https://open.spotify.com/album/3R3x4zIabsvpD3yxqLaUpc?si=2cm1SpBGTAS2UyrFatQekQ

 

いまいちばん好きでいちばんよく聴くビリー・ジョエルのアルバムは『アン・イノセント・マン』(1983)で、最高傑作じゃないかとも思っています。どこがいいって、ビリーがエンターテイメントに徹しているところ。前作『ザ・ナイロン・カーテン』(82)はヴェトナム戦争や労働問題など(ビリーが青春を過ごした)1960年代からアメリカの社会に巣食う病巣をえぐってみせたシリアスなアルバムで、重い手ごたえを感じるものでした。

 

対して一転次作の『アン・イノセント・マン』は音楽トリビュート作品。ビリーは1950〜60年代にこども〜青春時代をすごしていますが、その時期に耳にしたアメリカン・ポップス、それも主にブラック・ミュージックへのオマージュ・アルバムとなっているんですね。とことん楽しもうという考えと態度に満ちた作品で、聴いていてこちらの気分もウキウキ。ここにはシリアスな社会問題もないし複雑な人間関係もない、ただただ心わくシンプルで楽しいサウンドがあるだけです。

 

『アン・イノセント・マン』では曲がとてもいいっていうのもすばらしいところですね。丸くてコクのあるソング・ライティングで、ビリーのいっそうの成熟を感じます。1曲目「イージー・マニー」からそれは感じとることができますが、これはソウル・レヴューのスタイルにのっとった曲なんですね。2曲目の「アン・イノセント・マン」はベン・E・キングへ捧げた感じでしょうか。「スパニッシュ・ハーレム」とかあのへんのレパートリーを意識したんでしょう。

 

ソングライターとしても歌手としても最高度の成熟をみせているのが続く3曲目「ザ・ロンゲスト・タイム」と4「ディス・ナイト」です。後者ではサビにベートーヴェンを引用していますが、それがそうとはわからないほどすんなりハマっているのもみごとです。二曲とも歌詞もメロディもいいし、そのまろやかな音楽の世界に酔いしれます。いやあ、すばらしいですね。どっちもドゥー・ワップなど黒人ヴォーカル・グループのスタイルを下敷きにしています。

 

ビリーがひとりでオーヴァー・ダブで多重唱したこれら二曲はアルバムのなかでも特筆すべき傑作曲で、こういったすぐれたメロディを書けるようになったということがたいへんに大きな成長・成熟なんです。アルバムではその後やや小粒なものが並んでいるかなと個人的には感じますが、それでもキュートでポップないい曲が続いていますよね。黒人音楽というよりオールド・ポップス / ロックンロール寄りでしょうか。

 

そしてアルバム最終盤の二曲はふたたび傑作が続きます。メロウでスウィートなバラードである9「リーヴ・ア・テンダー・モーメント・アローン」と、クラーベのリズムを最大限に活用したカリビビアン・ソング10「キーピング・ザ・フェイス」。前者ではどこまでも徹底的に甘く、ゲスト参加のトゥーツ・シールマンスもこれでもかともりあげます。後者はダンサブル。跳ねる強いビートに乗った乾いた質感のサウンドが心地いいですね。

 

(written 2020.3.7)

2020/04/13

ビリー・ジョエルは『ターンズタイルズ』で完成した

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Billy Joel / Turnstiles

https://open.spotify.com/playlist/0QQMmq4WVbIpu6OgnAskwD?si=a-j-1vUBTj6hpnEFNpRm_Q

 

このリンクはアルバムではありません。ぼくのつくったプレイリストです。それがビリー・ジョエルの『ターンズタイルズ』(1976)なんですね。どうしてこんなことをしているかというと、Spotify にあるビリー・ジョエルの『ターンズタイルズ』アルバムはオリジナルどおりじゃないからなんです。4曲目「ニュー・ヨーク・ステイト・オヴ・マインド」のサックスがさしかえられていて、オリジナルのリッチー・カナータじゃなくてフィル・ウッズになっているんですね。どうしてこんなことをするのか、コロンビア。

 

だから自分でさがしてオリジナルの「ニュー・ヨークの想い」に入れ替えておいたわけです。これでスッキリ…、とはいきませんけど、なんとかとりあえず。調べてみたら1985年リリースのベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』製作時にプロデューサーのフィル・ラモーンがフィル・ウッズに依頼して吹き替えたそうなんですね。それをその後アルバム『ターンズタイルズ』にもさかのぼって収録するようになったんでしょう。ぼくの持つ CD はオリジナルどおりですが、近年リリースのものはさしかわっている可能性があります。ああ、なんということをするのか…。

 

アルバム『ターンズタイルズ』は1976年の作品ですよ。その当時から現在にいたるまでレコード、CD でずっと愛聴してきているファンに対する裏切り行為ですよね。Spotify でしらみつぶしに聴いたら、2004年リリースのベスト盤『ピアノ・マン』収録の「ニュー・ヨークの想い」はオリジナルどおりなんです。これが2004年なんだったらその後のアルバム『ターンズタイルズ』もオリジナルに則したものにすればいいのに、Spotify にあるアルバムはどうしてそうなっていないんでしょうか。

 

さて、ビリー・ジョエルの1976年作『ターンズタイルズ』。ビリーがビッグ・スターになったのは次作77年の『ザ・ストレンジャー』の大ヒットによってだったので、『ターンズタイルズ』も初期作、無名時代のマイナー・アルバムとして扱われることが多いんですが、ぼくの認識はちょっと違います。 すでにこの作品から(西海岸を離れ)ニュー・ヨーク・シティに戻ってきているし、バンドも後年のレギュラー・メンバーが揃いつつあるしで、ビリー・ジョエル充実期の幕開けを告げるものだと個人的には考えています。

 

歌も演奏も充実しているということのほかに、曲がいいというのも大きな要因です。全八曲ではビリーの故郷ニュー・ヨークに題材を取ったものが多く、1「セイ・グッドバイ・トゥ・ハリウッド」、2「サマー、ハイランド・フォールズ」、4「ニュー・ヨークの想い」、8「マイアミ 2017」がすべてそうですね。これらはソングライターとしてのビリーの成長や充実を如実に表したもので、また3曲目「オール・ユー・ワナ・ドゥー・イズ・ダンス」の鮮明なラテン調も、ニュー・ヨーク・シティにヒスパニック系住人が多いことの反映かもしれません。

 

いずれの曲にも前作『ストリートライフ・セレナーデ』までではあまり聴けなかったまろやかなコクがあって、ソングライターとして完熟したんだなと納得できるできばえじゃないでしょうか。なかでも1「セイ・グッドバイ・トゥ・ハリウッド」4「ニュー・ヨークの想い」7「アイヴ・ラヴド・ジーズ・デイズ」の三曲は飛び抜けてすばらしく、ビッグ・スターになっていく『ザ・ストレンジャー』以後に誕生した名曲の数々と比較してなんら遜色ありません。特に「ニュー・ヨークの想い」はビリーの生涯を代表するナンバー・ワンの大傑作でしょう。

 

実際これらの曲はライヴで1977年以後も有名ヒット・ソングに混じってどんどん歌っていて、同じようにすばらしく響くということをぼくたちは実感しているんですね。『ザ・ストレンジャー』での商業的成功はそれで大きなことですけど、それとはちょっと違った事情として、音楽家としてのビリー・ジョエルはブレイク前夜の1976年『ターンズタイルズ』で一足先に完成したとぼくはみていますね。

 

惜しむらくはアルバム・トータルでみたときの構成、片面のつくりとか曲の並びとか、そういった点でやや不満が残るかもしれないといったことがあるかもしれません。そういった点、次作以後プロデューサーにフィル・ラモーンを起用するようになりますが、『ターンズタイルズ』はビリー自身のプロデュース。A 面 B 面の構成、つくり分けなど、イマイチに感じないでもないです。『ザ・ストレンジャー』や『ニュー・ヨーク52番街』など、その点完璧ですからね。

 

(written 2020.3.2)

2020/04/12

I've Loved These Days 〜 ビリー・ジョエル『ソングズ・イン・ジ・アティック』

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Billy Joel / Songs In The Attic

https://open.spotify.com/album/2Vf4bohoWVk1YlPR2uNOFd?si=rbvYHEwXTk-m6EeuyV18qg

 

『グラス・ハウジズ』(1980)のリリースにともなう全米ツアーから収録されたビリー・ジョエルのライヴ・アルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック』(1981)。屋根裏部屋の曲たちとなっているのでもわかるように、このアルバムに収録されているのはビリーが『ザ・ストレンジャー』(77)でブレイクするその前に発表された初期曲ばかりです。

 

1977年の『ザ・ストレンジャー』ではじめてプロデューサーにフィル・ラモーンを迎えたビリー・ジョエル。このアルバムはなんでも1000万枚以上も売れたんだそうで、まさしくビリーがビッグ・スターになっていくブレイクスルーでしたよね。それまでの彼は売れないピアノ・マン兼シンガー・ソングライターでしかなかったわけで、しかし曲はいいものを書いていましたから、だから大ブレイクして功成り名遂げた1980年にキャリア初のライヴ・アルバムを制作するとなって、無名時代の曲々に焦点を当てたいと思ったのはある意味当然です。

 

それはソングライターとしてのビリーのプライドみたいなものだったでしょうし、売れなかった時代の埋もれてしまった曲たちを、いま現在の自分の人気と名声でもって蘇らせたいという願望の反映でもあったでしょう。人気が出る前にもぼくはこれだけいい曲を書き歌っていたんですよと(レコードを買う)大聴衆に向かってアピールしたかった、そんな思いもあったのではないですか。ライヴではそれまでも歌ってきたものですけれども、いざ初のライヴ・アルバムを出そうとなったときのそのビリーの気持ちをぼくは考えます。

 

そう、つまり1980年の『グラス・ハウジズ』全米ツアーに限らずその前からキャリア初期の曲をビリーはライヴでたくさん歌ってきていました。彼がレギュラーのツアー・バンドを持ったのは1977年。その後ライヴ・ツアーではもちろん当時の有名ヒット曲もたくさん歌っていて、ぜんぶひっくるめたそんななかからあえて無名の初期曲ばかりをピック・アップして、自身初のライヴ・アルバムをそれで構成することにしたんですよね。

 

アルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック』収録曲のオリジナル・スタジオ作品を、以下に一覧にしておきました。こうやって整理してある文章に出会ったことがありませんから。

 

1) Miami 2017 (Turnstiles)
2) Summer, Highland Falls (Turnstiles)
3) Streetlife Serenader (Streetlife Serenade)
4) Los Angelinos (Streetlife Serenade)
5) She's Got A Way (Cold Spring Harbor)
6) Everybody Loves You Now (Cold Spring Harbor)
7) Say Goodbye to Hollywood (Turnstiles)
8) Captain Jack (Piano Man)
9) You're My Home (Piano Man)
10) The Ballad of Billy The Kid (Piano Man)
11) I've Loved These Days (Turnstiles)

 

・Cold Spring Harbor 1971
・Piano Man 1973
・Streetlife Serenade 1974
・Turnstiles 1976

 

無名時代の初期曲といいましても、アルバム『ターンズタイルズ』は(西海岸から)ニュー・ヨークへ帰還しての録音ですし、翌年にレギュラー・バンドを結成する録音パーソネルだってもうかなり揃っています。ソングライティング・クラフトも向上しているし、声だって円熟期に入ってきているんですね。ビリーが世界的大スターになったのはあくまで『ザ・ストレンジャー』以後ということで、『ターンズタイルズ』の曲もここには収録されているというわけでしょう。

 

その『ターンズタイルズ』はもちろんのことその前の『ストリートライフ・セレナーデ』『ピアノ・マン』も、ぼくがビリー・ジョエルを知った1977年ごろふうつにレコードが買えました。松山市内の小さなレコード・ショップでも問題なく流通していたんです。だからそれらを買って聴いていてどんな曲があるのか知っていたぼくとしては、1981年の『ソングズ・イン・ジ・アティック』で聴いての驚きみたいなことはありませんでした。

 

初聴だったのはデビュー作『コールド・スプリング・ハーバー』の収録曲ですよ。コロンビアと関係のある小さなインディ・レーベルから発売されたアルバムで、ほとんど売れずすぐに廃盤になってそれっきり。ぼくがビリーのことを知ったころは『ピアノ・マン』がデビュー作であるかのような扱いで、読みかじる情報ではなんだかそれ以前に一個あるらしいぞ、まぼろしの処女作が、でもだれも聴いたことがないっていう、そんな感じで、もちろん『コールド・スプリング・ハーバー』のレコードなんか買えません。東京でもニュー・ヨークでも買えなかったんじゃないですか。

 

これがいきわたるようになったのはコロンビアが音源の権利を買いとって1983年にリイシューしてからのこと。83年ですからビリーは大スター。そのまぼろしのデビュー作ということで、そのときはじめてぼくは『コールド・スプリング・ハーバー』のレコードを買ったんです。ってことは81年の『ソングズ・イン・ジ・アティック』収録のうち、「シーズ・ガット・ア・ウェイ」と「エヴリバディ・ラヴズ・ユー・ナウ」は、このライヴ盤で初めて聴いたことになりますね。

 

また、上で書きましたように『ターンズタイルズ』を録音したメンバーはすでにバンド・レギュラーになりつつあったひとたちですが、それ以前の西海岸録音の三作ではビリーはスタジオ・セッション・ミュージシャンを起用しています。だから、ツアー・バンドでやったらどうなるかみたいな楽しみだって(ビリー自身もぼくたちも)あったんじゃないかと思うんですね。基本的にはスタジオ・メンでやったオリジナル・ヴァージョンに即していますが、ライヴでは演奏に生硬さがなくこなれていて、ライヴならではの抑揚やメリハリはやや強めにつけて、いっそう聴きやすくなっていますよね。

 

ブレイク前の無名時代にもこれだけ優秀な曲をたっぷり持っていたビリー・ジョエル。音楽的な面での未熟さ、若さゆえにブレイクしなかったとは、これらを聴くと考えにくいと思います。プロデューサーの選択はじめ、ちょっとしたきっかけさえあればいつでもヒットしたというだけの充実をみせていたようにぼくには聴こえるんですね。ブレイク後の歌と演奏で聴くからという面があるかもしれませんが、無名時代にソングライターとしてのビリー・ジョエルはすでに完成していたと思います。

 

修行時代、無名時代といっても、書きましたように『コールド・スプリング・ハーバー』以外は問題なくレコードが買えたんですから、曲も知っていたし、実力のほどを個人的には知っていたつもりでした。だから本当のことを言うと、ビリーのキャリア初のライヴ・アルバムが出るとなったとき、ぼくは「ザ・ストレンジャー」「素顔のままで」「ニュー・ヨーク・ステイト・オヴ・マインド」など有名曲のライヴ・ヴァージョンが聴けるんじゃないかと、それを聴きたいぞと思っていましたから、ちょっぴりガッカリしたというのが事実でした。

 

それでもレコードを買って聴いてみたら、やっぱりソングライターとして初期からビリーは充実していた、いい曲を書いていた、有名になってからのたくさんのヒット曲と並んでもそれら初期曲、つまり屋根裏部屋に置きっぱなしになっていた曲たちだって、歌いなおせば輝けるじゃないかと、そう実感したのも間違いないことだったんですよね。

 

アルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック』に有名ヒット曲は一つもありません。でもだからこそかえってビリー・ジョエルというソングライターの若き日からずっとの充実を聴きとることができるように思いますし、アルバム『ザ・ストレンジャー』『ニュー・ヨーク52番街』などに収録の品々と比較してなんら遜色のないいい曲が揃っているのはおわかりいただけるはずです。それらを最充実期の歌と演奏で聴けるんですから。

 

(written 2020.3.1)

2020/04/11

ロックにおけるラテン・シンコペイション(3)〜 ビリー・ジョエル篇

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Billy Joel / Glass Houses

https://open.spotify.com/album/5sztejERqpktXEdemlUvU5?si=uWSbrQwpReiNNonFK8_e1w

 

ビリー・ジョエルのアルバム『グラス・ハウジズ』は1979年録音80年発売。ちょうどそのころのパンクやニュー・ウェイヴの隆盛にあわせたように、ハードにとんがったロック・サウンドを指向している一枚で、それまでピアノ中心の洗練されたおしゃれなシティ・ポップみたいなだったビリーのカタログのなかでは異色作なんですね。シンプルなロック・サウンドを目指すということで、ゲスト・ミュージシャンを迎えずレギュラー・バンドだけで録音されたアルバムでもあります。

 

しかしついこのあいだ聴きかえしていたら、この『グラス・ハウジズ」のなかにはけっこうなラテン要素が混じり込んでいるぞということに気がつきました。1曲目「ユー・メイ・ビー・ライト」2曲目「サムタイムズ・ア・ファンタシー」はやっぱりふつうのストレート・ロックでしょうけど、ラテン香が鮮明になっているのはその次3曲目の「ドント・アスク・ミー・ワイ」からですよね。なんなんですか、このモロ完璧なラテン・ソングは。

 

カリビアンというかキューバ音楽に完全に入り込んでいるし、クラベスその他のラテン・パーカッションも大胆に活用、サビ部分では3・2クラーベが鮮明じゃないですか。いや、クラーベ感覚はこの曲全体をとおし(潜在的にしろ)流れているものなんですね。曲調も明るいし、まるでカリブの陽光のもと輝いているような、そんな雰囲気ですよね。乾いた感触の間奏のピアノ・ソロなんかもう。曲「ドント・アスク・ミー・ワイ」では一曲全体でリズムが跳ねているし、カラリと乾いたこのサウンドの質感、音色もカリビアンですね。

 

音色がカラリと乾いている、リズムが跳ねているという観点でラテン要素をさがすと、実はこのアルバム『グラス・ハウジズ』のなかにはたくさん見つかります。4曲目「イッツ・スティル・ロック・アンド・ロール・トゥ・ミー」は、新傾向だニュー・ウェイヴだなんだかんだ言ってもぼくにはやっぱり(オールド・)ロックンロールだよっていうマニフェストみたいな歌ですけど、サウンド的には実はあまりストレート・ロックっぽくなくて、むしろこのカラッと乾いたシングル・ノート弾きエレキ・ギターの音色もカリブふうですよね。

 

5曲目の「オール・フォー・レイナ」を経てアルバム B 面に入ると、そこはかとなきラテン・テイストはもっと出てきます。6曲目「アイ・ドント・ワント・トゥ・ビー・アローン」でも、なんですかこの出だしのつっかかるように跳ねているリズムは。主にドラマーがそれを表現していますが、コードを刻むギターリストのリズムがずれてレイヤーしていますから、まるでポリリズム。跳ねかたはラテンふうだけど、ポリリズミックなスタイルはアフリカンですね。サビ以後整理されてスッキリしちゃいますけど、サックス・ソロの乾きかたはやっぱりカリビアン。

 

7曲目「スリーピング・ウィズ・ザ・テレビジョン・オン」もリズムに跳ねが感じられますが、これはそれでもストレート・ロックの部類ですかね。でも続く8曲目「セテ・トワ(ユー・ワー・ザ・ワン)」ではこのアクースティック・ギターの乾いた音色とそれが表現するビートの跳ね感、さらにアコーディオンまで入っているし、フランス語でも歌っていることもあり、まるでクレオール・ミュージックみたいですよ。

 

9曲目「クロース・トゥ・ザ・ボーダーライン」でもエレキ・ギターのカッティングが中心になっているリズムの表現には跳ねたシンコペイションがあるように感じられますし、でも全体的にはストレート・ロックに近いなとは思うものの、アルバム全体でみてもロック・サウンドをまっすぐに追求してここまでラテン要素が出ているのはおもしろいところです。つまり、ビリー・ジョエルが意識せずとも、アメリカン・ロック・サウンドの血肉となって溶け込んでいるから、ラテン・テイストは自然にそのまま表れるものなんだなあと実感します。

 

(written 2020.2.29)

2020/04/10

ビリー・ジョエル『ザ・ストレンジャー』の B 面がなかなか沁みる

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Billy Joel / The Stranger

https://open.spotify.com/album/3IILMjMMnoN2sKzgesX8KV?si=cLIoFv7HThGawfPHUMA-9A

 

ビリー・ジョエルの全カタログを集中的に聴きかえす機会がありました。いくつか発見もあったので、数度に分けて書くことにします。今日はアルバム『ザ・ストレンジャー』(1977)の B 面がなかなかいいぞっていう話。このアルバム、ぼくは長年 A 面しか聴いてこなかったような気がします。だからアルバムを買って以来約40年目にしてようやく B面のことを知ったんじゃないでしょうか。遅すぎますけど、曲「ザ・ストレンジャー」や「素顔のままで」など A 面があまりにもきらびやかであることも事実です。

 

アルバム『ザ・ストレンジャー』では4曲目の「シーンズ・フロム・アン・イタリアン・レストラン」までが A 面。B 面は5曲目「ヴィエナ」(ウィーン)からなんですね。その B 面トップの「ヴィエナ」がかなりいいんじゃないですか。A 面ラストの「イタリアン・レストラン」が派手でドラマティックな展開の曲ですから、続く「ヴィエナ」の淡々とした表情がいっそう心に沁みます。

 

「ヴィエナ」についても歌詞内容のことを今日は省略して書きますが、ぼくが好きなのはこのシンプルで哀感あふるるメロディとサウンドですね。派手さはまったくありませんが、聴き手の心を打つ誠実さに満ちているような、そんなメロディ・ラインですよね。ビリーの弾くピアノも地味で味わい深いものです。ピアノ・イントロに続きリズムが出てビリーが歌い出したら、その哀感メロディに聴き入ってしまいます。ピアノ・オブリガートも効いていますね。

 

間奏ソロをアコーディオンが弾くのもいい感じ。どうしてアコーディオンなのかはわかりませんが(ウィーンを意識した?)、そのアコーディオン・ソロがこりゃまた泣けるものなんです。どういう曲なのか、たぶん人生そんなにセカセカすんな、ゆっくり歩いていけばいいみたいな内容なんでしょうか、年配者が若者に言い聞かせるような、そんな(歌詞と)人生の渋味と滋味に満ちたメロディとサウンドのこの「ヴィエナ」のその曲調に、アコーディオンの音色がとってもよく似合っていますよね。

 

正直言ってぼくは長年この「ヴィエナ」という曲のことがキライで、これが B 面トップなもんだから面の印象が悪くなって、ずっと聴かないままだったんですよね。A 面のキラキラしたフィーリングとはなんて違うのか!と、耳にするたびにケッって感じていたんです。ところがついこのあいだ A 面分に続けて「ヴィエナ」ではじまる B 面分が流れてきて、特に1曲目の「ヴィエナ」がなんですけど、なんていい曲なんだろう、小品集だけど面としてもすぐれていると、感心しちゃったんですね。「ヴィエナ」には深い感動を受けたと言ってもいいくらいです。

 

A 面が四曲なのに対し B 面は五曲ですから、その意味でも小粒揃いとも言えるんですが、一曲一曲の内容はいいです。そんなことにずっと気づいてもおらず、そもそも嫌って聴きもしなかったんですね。『ザ・ストレンジャー』では A 面分の再生が終わったらそこで止めていましたからね。なんてバカだったんでしょう。B 面2曲目「オンリー・ザ・グッド・ダイ・ヤング」以後もいいですよ。この曲「善人若死」はテンポのいい快調なナンバーですけど、続く3曲目「シーズ・オールウィズ・ア・ウーマン」はしんみりしたアクースティック・バラード。

 

そう、ビリーのアルバム『ザ・ストレンジャー』、A 面では大勢にウケそうなわかりやすいポップなヒット・チューンが並んでいるのに対し、B 面はしんみりした地味な曲が多いんですね。だからぼくは長年この B 面が好きじゃなかったんでしょうか。「シーズ・オールウィズ・ア・ウーマン」だっていま聴けばなんていい曲なんだと感銘を受けます。メロディ・ラインがオネストで心に響きますね。

 

4曲目「ゲット・イット・ライト・ザ・ファースト・タイム」はファンキーなソウル・チューンで、これなんか最高じゃないですか。ちょっぴり、いや、かなりスティーヴィ・ワンダーっぽいですし、ビートとサウンドの強靭さとファンクネスがたまりませんよね。そうかと思うとアウトロでは(地中海から)ギリシアに上陸するのでビックリします。そのギリシアふうのキラキラした高音の弦楽器サウンドは、たぶんスティーヴ・カーンが弾くハイ・ストリング・ギターとなっているものでしょう。

 

B 面ラストの「エヴリバディ・ハズ・ア・ドリーム」はパティ・オースティンやフィービー・スノウらもいる大編成コーラス隊をともなったゴスペル・ライクな一曲で、大きくもりあがります。

 

(written 2020.2.28)

2020/04/09

歩くように 〜『ブルー・ノート・スワガー』

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(3 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/4FEsmFcKSVSxv3xlcjyaVB?si=0W3b4hGsRgG1qGfzUs7Kmw

 

ブルー・ノート・レーベル公式配信プレイリスト "Cool Struttin': Blue Note Swagger"。ときどき聴いているんですけれども、これってスワガー、つまりトントンと早足で歩くような調子のモダン・ジャズ・ナンバーばかり集めたっていうことなんでしょうか?プレイリスト題になって収録もされカヴァーにもなっているソニー・クラークの曲「クール・ストラティン」ってそういう歩く意味ですもんね。なかなかテンポのいい曲が並んでいて調子いい感じです。

 

しかしこれ、歩くようなということで合わせて歩こうとすると面食らいますよね。「クール・ストラティン」にしてからが、その4ビートで一歩づつ足を出そうとするとテンポが早くてむずかしいです。ちょっと早足すぎるというか、走っているとまでじゃないけどついていくのがちょっとたいへんです。アメリカ人、っていうかニュー・ヨーカーたちはこれくらいのテンポで歩いているんでしょうか?

 

そういえば都会はだいたい歩くテンポが速くなりがちな気がしますね。ぼくは愛媛生まれで22歳まで愛媛育ち。その後長年東京に住んでいましたが、最初出てきたときみんな歩くの速いなあ〜ってビックリしましたもんね。それでも自然にその速いリズムに慣れちゃって、自分ではなにも変わっていないつもりでも、たまに愛媛に帰ると周囲に驚かれるのでそれではじめて自分の歩く速度が上がったということに気がついたりしていました。

 

音楽にしたって地域差というか、ビート感覚、リズムの速さみたいなことに都会か地方かが影響していそうな気がしますよね。ジャズはだいたいが都会の音楽で、発祥地のニュー・オーリンズもかなりの都会、その後シカゴ、カンザス・シティ、ニュー・ヨークとメッカが移動してもそれらすべて大都会です。都会の生活のテンポ、リズム感みたいなものがジャズのビートにもなにかを与えているような気がします。

 

だからプレイリスト『ブルー・ノート・スワガー』は、これで歩くような感じといわれても速すぎると感じるのは、いまのぼくが地方暮らしですっかりのんびりペースに慣れちゃったという証拠かもしれません。ただ部屋のなかで聴いているだけで合わせて歩かないならば、かなりいいフィーリングで、テンションとリラクゼイションのちょうど中間くらいのいい感じに聴こえますね。

 

こういった長時間のプレイリストは集中してというか対峙するように聴き込むものじゃなくって、部屋のなかとかでただバ〜ッと流して雰囲気を味わっていれば上々といったものですけど、『ブルー・ノート・スワガー』もテンポのちょうどいいハード・バップばかり並んでいることで、都会の夜のくつろぎを与えてくれて、気分いいですね。特にサックスですね、モダン・ジャズのある意味象徴的楽器で、いいテンポに乗ったそのサウンドを聴いているだけで快感です。

 

だからスワガーだけど必ずしも歩くっていうことじゃなく(これらで歩こうとしたら早足だから疲れちゃう)、ちょうどいい気持ちいい中庸の快速テンポでスウィングしている調子のジャズが並んでいるっていう、そんな認識なんです。

 

(written 2020.2.27)

2020/04/08

6 フィート・カヴァーズ

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(5 min read)

 

https://6feetcovers.wixsite.com/6feetcovers?utm_source=postup&utm_medium=email&utm_campaign=FirstThingsFirst_Newsletter_200324054959&recip_id=1214504&lyt_id=1214504

 

このサイトはだれが作成したものなんでしょうか?くわしいことはわかりませんが「6 フィート・カヴァーズ」。いまはコロナウィルス感染拡大とその防止で世界中がてんやわんやになっていますけれど、そんななか、人と接触する際はあいだに6フィートの距離をおけというのが感染防止のための定石、合言葉としてひろまっていますよね。

 

6フィートとは2メーター弱。欧米で撮影された写真を見ますと、スーパーやドラッグストアなどの入店待ちやレジ待ちなんかの列でも、みんなあいだに6フィートの距離をおいて立っているのがわかります。日本ではこの定石がまだ流布していないんじゃないかと思いますが、たぶん時間の問題でしょうね。コロナ感染拡大防止のために人とのあいだに6フィート(約2メーター)の距離を、というのがですね。いまは「三密」を避けるという言いかたがそれに相当するでしょうか。

 

音楽レコードのアルバム・ジャケットでも、たとえばバンド・メンバーなんかが至近距離で一堂に会しているデザインはむかしからたくさん見られます。そんなジャケットも、こんなご時世ですから、デザインされなおして、というか6フィートの法則をみんなに徹底させたいとのことで、どなたがおやりになったのかいちばん上のリンク先のサイト「6 フィート・カヴァーズ」、有名ジャケットを6フィート法則でリ・デザインしたものなんです。

 

たとえばビートルズの『アビイ・ロード』(1969)。四人が一列で横断歩道をわたっている様子の写真ですが、これも6フィートの法則に反するということで、上のようになりました。笑っちゃいますよね。いや、笑っているばあいではないとのことでこういったリデザインがなされたわけですけれども。音楽ファン、レコード・アルバム好きとしてはこんなやりかたで6フィート法則を認識できたら一興かもしれないです。

 

そのほか、上でリンクしたサイトにいくつもリデザインされた6フィート・ジャケットが掲載されていますので、どれもロック・アルバムですけれども、ご興味がおありのかたはぜひご覧ください。クイーン、ブロンディ、U2、ラモーンズ、キッス、フリートウッド・マック、AC/DC、フージーズ、ラン-D.M.C、クラッシュ、ビーチ・ボーイズ、ペット・ショップ・ボーイズ、ジャクスン5、クラフトワーク、オエイシス(オアシス)、ローリング・ストーンズなどなど。

 

個人的に傑作と思った6フィート・カヴァーだけちょっと転載しておきましょう。まず U2の『ヨシュア・トゥリー』。なかなかいいですよね。6フィートになっても雰囲気はそのままです。

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フリートウッド・マック『噂』。なんだかケンカしているみたいに見えて、笑えます。

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ビーチ・ボーイズ『サーファー・ガール』。サーフ・ボードはひとりで抱えていることになっていて、これも笑えます。

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ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。オリジナル・ジャケットが持っていた意味が木っ端微塵に吹き飛んじゃっていますね。

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ローリング・ストーンズ『ザ・ローリング・ストーンズ』。デビュー・アルバムですが、彼らのばあい、6フィートになってもなんだか堂々としているように見えますね。

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「6 フィート・カヴァーズ」のサイトで、それぞれのジャケットの画像部を横にスライドすればオリジナル・デザインが見られますので、比較してみてください。

 

どうかみなさん、外に出たり人と会ったりする際は6フィート、つまり2メーターの距離をおくようにしましょう。それでコロナウィルスをうつしたりうつされたりしないようにこころがけましょうね。

 

(written 2020.4.7)

2020/04/07

たかが音楽、だけど好き!

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(6 min read)

 

https://www.youtube.com/watch?v=62xJvFGtvFI

 

If I could stick my pen in my heart
And spill it all over the stage
Would it satisfy you? Would it slide on by you?
Would you think the boy is strange? Ain't he strange?
If I could win you, if I could sing you
A love song so divine
Would it be enough for your cheating heart
If I broke down and cried? If I cried

I said, I know it's only rock and roll, but I like it
I know it's only rock and roll, but I like it, like it, yes, I do
Oh, well, I like it, I like it, I like it
I said, can't you see that this old boy has been a-lonely?

If I could stick a knife in my heart, suicide right on stage
Would it be enough for your teenage lust
Would it help to ease the pain? Ease your brain
If I could dig down deep in my heart
Feelings would flood on the page
Would it satisfy you? Would it slide on by you?
Would you think the boy's insane? He is insane

I said, I know it's only rock and roll, but I like it
I said, I know it's only rock and roll, but I like it, like it, yes, I do
Oh, well, I like it, yeah, I like it, I like it
I said, can't you see that this old boy has been a-lonely

And do you think that you're the only girl around?
I bet you think that you're the only woman in town

I said, I know it's only rock and roll, but I like it
I said, I know it's only rock and roll, but I like it
I know it's only rock and roll, but I like it, yeah
I know it's only rock and roll, but I like it, like it, yes, I do
Oh, well, I like it, I like it, I like it, I like it
I like it, I like it
(Only rock and roll, but) I like it
(Only rock and roll, but) I like it
(Only rock and roll, but) Ooh, I like that
(Only rock and roll, but) Ooh yeah, I like it
(Only rock and roll, but) Yeah, I like it
(Only rock and roll, but) Oh yeah, I like it
(Only rock and roll, but) Oh yeah, but I like it
(Only rock and roll, but) Yeah, I like it
(Only rock and roll, but) Oh yeah, but I like it
(Only rock and roll, but) Oh I, I like it
(Only rock and roll, but) Oh yeah, I like it
Yeah, I like it
Oh, I like it
Oh, I like it
Ooh yeah, I like that

('It's Only Rock 'n Roll' written by Mick Jagger and Keith Richards)

 

今朝方見た夢のなかにローリング・ストーンズの曲「イッツ・オンリー・ロックンロール」がありました。音だけ鳴っていたんですけど、夢のなかでそれをリピートして聴きながらぼくは「ロックンロール」を「音楽」に言い換えていたんですね。そう歌詞のリフレイン「it's Only Rock 'n' Roll, But I LIke It」をそのままぼくは「たかが音楽、でも好きなんだ」と解釈していました。そんな夢でした。

 

そう、ぼくらにとってはまさにそうですよね。音楽聴いたってなにになるわけでもない。素人音楽リスナーのぼくにとっていくら熱心に音楽を聴いたってお金になるわけじゃありません。一円も入ってこないです。ばかりかお金は出ていく一方で、ホ〜ントなにやってんだとハタから見ればなりますよね。ただ聴きたい、聴いて楽しい、幸せだと感じるから聴くだけで、なにかの目的のために聴いたりなんかはしていませんよね。

 

この、なんのクソの役にも立たない音楽聴きの趣味ということは、あんがいぼく(ら)にとって大切なことなんじゃないかと思うんです。ただ好きだから聴く、それだけっていう音楽リスナーのこのメンタリティーは部外者にはまったく理解してもらえないものだと思いますが、しかし同好の士のあいだではとても強く共感されうるものです。

 

音楽聴いてなんになる?なんにもならんだろう?お金の無駄づかいだろう?なんてたぐいのことばは、ぼくもいままでの人生でさんざん浴びせられてきました。そのたびに自分はこのひと(たち)になにも理解されていないと強く感じ、いままでそれで立腹したりもしましたが、いまとなってはわからないみなさんには永遠にわからないものなんだなとあきらめるようになりました。

 

実際、音楽聴いてもなんにもなりません。心が豊かになるのはかなり大きなことですが、実利主義、功利主義的な考えをとるみなさんからすればアホみたいなことかもしれません。だからそんな観点に立てば、音楽を聴くのになんの意味もありません。そうです、それだけのことでしかないんです、音楽を聴くというのは。無意味なことなんです。

 

たかがそんなもんですけど、音楽聴くのは。意味のないバカバカしい無駄づかいかもしれませんが、でもでもぼくらは心から音楽が好きなんです。ただそれだけのことなんですよ。好きだから聴く、聴きたいから聴くというだけのことで、結果自分の心にいいことが起きるなんていうのは副次的なことです。ただたんに好きだから聴くだけですよね、音楽好き人間は。それだけ。

 

「たかが音楽、だけど好きなんだ」、このことばを自分のなかで反復し(実際今朝の夢のなかでは「But I like it」がリピートされていました)言い聞かせるようにしながら、今後も生きていきたいと思います。たかが音楽、だけど好きだ、好きだ、本当に好きなんだと。

 

(written 2020.2.18)

2020/04/06

誠実さとカリスマ性をあわせ持つリアノン・ギドゥンズ『フリーダム・ハイウェイ』

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(5 min read)

 

Rhiannon Giddens / Freedom Highway

https://open.spotify.com/album/1CVuPxNHwY5ORJ8MhjD0UB?si=9XIlUH2PSyqXk9os0XYyRQ

 

おととい書いたアワ・ネイティヴ・ドーターズの中心人物リアノン・ギドゥンズ。といってもキャロライナ・チョコレート・ドロップスふくめぼくは初邂逅の音楽家でしたので、すこし調べたり Spotify でさがしていろいろと聴いたりして、結局ソロ名義の2017年作『フリーダム・ハイウェイ』がいちばんぼくの好みピッタリどまんなかなであると知りました。

 

今日の記事タイトルは、ネットで見つけたピーター・バラカンさんのリアノンにかんする文章から拝借したもので、バラカンさんおっしゃるには「リアノン・ギデンズは珍しくルーツ・ミュージックに必要な誠実さとエンタテイナーに不可欠なカリスマ性を両方兼ね備えている歌手」とのことです。ぼくがこの音楽家に感じとっている魅力をまさしく言い当てた表現なので、いただきました。『トゥモロウ・イズ・マイ・ターン』(2015)についての文章ですけどね。
https://www.arban-mag.com/article/30938

 

だいたいがアメリカーナの音楽家って誠実さっていうか真面目さが先行しすぎているような印象がぼくにはあって、理知的なのはいいんだけど、もうちょっと娯楽性というか、音楽なんだから聴いて楽しくないと、一途に探求するばかりではおもしろい音楽作品が仕上がらないよと感じることもあるんですね。リアノンの、特に『フリーダム・ハイウェイ』はみごとにそこをクリアしているなと聴きました。知的で真面目でありかつ、一級品のエンターテイメントとして充実しているんですね。

 

知的にというか観念的な次元で再構築された種々のルーツ音楽統合、という印象があるアメリカーナですが、リアノンの音楽には肉感的なナマナマしさをもぼくは感じとっていて、『フリーダム・ハイウェイ』ではそれら両者が高度に昇華されているんじゃないでしょうか。このアルバムでいちばんぼく的にグッと来たのはリアノンの声のセクシーさとホーン・セクションの使いかた、それから黒人問題に題材をとった選曲や曲づくりです。

 

アルバム・ラストに収録されているタイトル曲「フリーダム・ハイウェイ」はローバック・パップス・ステイプルズが書きステイプル・シンガーズで歌った1965年の曲。人種差別に対する NO を歌い込んだ公民権運動まっただなかの音楽でしたよね。この一曲をやってアルバム題にもしようと思ったところに、この作品でリアノンがなにを目論んだのか、よくわかるんじゃないでしょうか。

 

つまりアルバムのテーマとなっているものは、1800年代の奴隷時代にはじまり、1960年代の人権運動や、さらに今日でもメディアをにぎわせている(ファーガスンやボルティモアの)人種差別に対する抗議運動などといった、アメリカで黒人たちが200年ほどにわたって体験してきていることがらなんですね。そういった意図に沿った曲が並んでいるなと思います。

 

しかしアルバム『フリーダム・ハイウェイ』で特筆すべきは、そういったテーマの深刻さと並び、サウンドだけでもじゅうぶん訴えかけるものを持っているということです。その点、このアルバムからそのままテーマを引き継いだような(事実上の次作にあたる)アワ・ネイティヴ・ドーターズの作品(2019)はイマイチ物足りない部分もありました。理念先行型で、音楽的な中身がややついてきていなかったかも?と思うんです。

 

『フリーダム・ハイウェイ』でもリアノンの弾くバンジョーがサウンドの軸になっていますが、それだけでなくヴォーカルが生々しくセクシーで、それゆえにこそ音楽好きにアピールできる要素があるなと感じます。またホーン・セクションというか管楽器の使いかたがジャジーで楽しいっていうのも大きなメリットで、たとえば5曲目「ベター・ゲット・イット・ライト・ザ・ファースト・タイム」でもホーン・リフが効果的に使われています。この曲ではヴォーカルも力強くていいですね。

 

さらに7曲目の「ヘイ・ベーベー」ではプランジャー・ミュートをつけたトランペットが大活躍していて、これもなかなかの聴きものです。かなりジャジーですし。ミュート・トランペットはこのアルバムの随所で活躍しているし、ある種サウンドの肝になっているような気もするんですね。その激しくえぐるようなジャジー なサウンドが、このシリアスなリアノンの音楽に実に巧妙な娯楽性を与えているんじゃないでしょうか。ジャズということもアルバムのひとつのキーになっているかも。

 

それがいちばんよくわかるのが、タイトルになっているアルバム・ラストの「フリーダム・ハイウェイ」で、11曲目のバンジョー・インストルメンタルに続くこの曲ではバンジョーなし、ホーン・アンサンブルがサウンドの主役なんですね。それもぐいぐいともりあがる反復で、聴いているこっちの気分も高揚します。リズムやヴォーカル・コーラスやオルガンなど、黒人ゴスペル・ミュージック・スタイルで昂まっていくなかにホーンズ(特にトランペット)も活きていて、リアノンやコーラスのヴォーカルの躍動感とあわせ、こりゃあ最高です。

 

すばらしい傑作です。愛聴作になると思います。

 

(written 2020.2.26)

2020/04/05

レイラ・マキャーラの社会派エンターテイメント 〜『ザ・キャピタリスト・ブルーズ』

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(4 min read)

 

Leyla McCalla / The Capitalist Blues

https://open.spotify.com/album/24ZcXwoLdmjsrXTYWPsaXJ?si=JXz_KGGdTJ29C3nlVQbMVA

 

bunboni さんの紹介で知りました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-02-13

 

昨日書いたアワ・ネイティヴ・ドーターズにも参加しているレイラ・マキャーラ。両親ともハイチの出身で、レイラ本人はニュー・ヨーク・シティ生まれです。楽器はテナー・バンジョーやチェロやギターなどをやり、歌も歌います。ニュー・ヨーク大学でクラシカルな音楽教育を受けたのちソロ音楽家として活動するようになったようで、現在はクレオール首都たるルイジアナ州ニュー・オーリンズに住んでいるんだとのこと。レイラのやる音楽もそんな出自や教育や環境を色濃く反映していますよね。

 

そんなレイラの2019年作『ザ・キャピタリスト・ブルーズ』、傑作でしょう。けっこう重たいっていうかシリアスなテーマが全編で歌われていますけど、音楽として聴いて楽しいエンターテイメントになっているというのが最高なんです。レイラはどの曲でもアメリカ合衆国の音楽にいままであった既存の表現様式をそのまま借用していて、深刻な社会派メッセージを明快でわかりやすい聴きやすいサウンドに乗せるのに成功していると思います。

 

その意味では1970年代のニュー・ソウルにも通じる本質を持っているアルバムと言えますね。しかもレイラの持ち味であるフォークやアメリカーナの要素はあまり感じられず、ぼくの聴くところではアメリカ黒人音楽の集大成みたいな作品に思えます。出だし1曲目のアルバム・タイトル曲は1920年代ふうのフィーメイル・ジャズ・ブルーズ(誤解の源だからぼくは使わないことばですがいわゆるクラシック・ブルーズ)で、それをしかも北部の都会スタイルではなくニュー・オーリンズ・ジャズのテイストにくるんでいるのがおもしろいところです。

 

ホンキー・トンク・ブルーズみたいなのがあったり(ちょっとカントリーっぽい)、三連ノリの典型的サザン・ソウルもあり(オルガンがソロをとるし)、そうかと思うとシリア問題をとりあげた「アレッポ」はファズの効いた轟音エレキ・ギターが炸裂するハード・ロック・ナンバーに仕上がっていて、ほかにもカリプソありラテンありザディコありと、一曲ごとに趣向を変えさまざまな音楽の衣をまとい、あたかもテンポのいい衣装替えを見せてくれているみたいで、登場するたびに違う服を着るファッション・モデルのショーを見ているような気分です。

 

経済や社会の問題を掘り下げるレイラの意識は、やはりハイチ系の出自を持つ黒人ならではだと思いますし、いままでもハーレム・ルネサンス期の作家ラングストン・ヒューズをとりあげたりしていたんですから、問題意識は一貫していると思います。しかしいままでと異なる今作『ザ・キャピタリスト・ブルーズ』での大きな果実は、エンターテイメントとしてグンと成長・成熟していること、決して社会派アクティヴィストじゃない、ミュージシャンなんだという部分、聴いて楽しめる音楽作品として完成させられるだけの懐の深さを獲得したことですね。

 

そのことには今作でプロデューサーをつとめ、多くの曲で演奏もしている(ギター、ベース、パーカッション)キング・ジェイムズの存在が大きかったようですね。アメリカ民衆のディアスポラとでもいうようなレイラの立ち位置から来る問題意識を音楽的に高度に充実したエンターテイメントに昇華するためのうまい媒介役を果たしてくれているように思います。チェロを一曲も弾いていないことにも関係したかもしれません。

 

(written 2020.2.25)

2020/04/04

黒人であり女性であるアメリカ人とは 〜 アワ・ネイティヴ・ドーターズ

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(5 min read)

 

Our Native Daughters / Songs of Our Native Daughters

https://open.spotify.com/album/4h2VDUKuFcJ0cJTQFcNc3A?si=ozu_0ryORc6ulNaWkh3Nsw

 

アフリカ系アメリカ人女性四人で結成されたアワ・ネイティヴ・ドーターズ。リアノン・ギドゥンズ、アミジスト・キア、レイラ・マキャーラ、アリスン・ラッセルの四人です。このプロジェクトの発起人でリーダー格にして音楽のアイデアを牽引したのはリアノン(キャロライナ・チョコレート・ドロップス)で、アメリカ合衆国社会で黒人でありかつ女性であるという二重の立場からの発信を行いたいという気持ちがあったみたいです。

 

その一作目(というか続編があるのか?)『ソングズ・オヴ・アワ・ネイティヴ・ドーターズ』(2019)は、歌詞にもかなり重心を置いていると思いますから英語が苦手なぼくなんかはツラいんですけど、日本人としてはあまりそこを考えすぎず、サウンドやリズム、メロディなどの音楽性から聴きとれることをメモしておきたいと思います。収録曲は8曲目の「スレイヴ・ドライヴァー」がボブ・マーリーのカヴァーであるのと3曲目「バルバドス」でウィリアム・クーパーの詩を引用しているほかは彼女たちのオリジナルのようです。

 

どの曲もアメリカ社会における(奴隷時代からの)黒人問題、女性の権利問題などを扱っていますが、音楽的にはアメリカーナのことばでくくってもいいんじゃないでしょうか。フォーク、カントリー、ブルーズ、ゴスペルなどアメリカ音楽のルーツ要素が渾然一体となって溶けているように感じます。リアノンの目論見はそれをバンジョーという楽器で象徴させたいというところにもあったようで、実際アルバム・ジャケットでは全員がバンジョーを持っていますよね。

 

バンジョーという最もアメリカンな楽器の歴史はなかなか複雑で、いまでこそカントリーなど白人系の音楽で多用されるアメリカ白人的な楽器と見なされている気がしますが、ルーツをたどるとこの楽器はアフリカにあるんですね。アメリカ合衆国音楽でも最初は黒人が持ち黒人が演奏する楽器でした。あのツンタカ・サウンドでなじんでいますから意外ですよね。ブラック・ミンストレルで頻用されるのがバンジョーだったんです。

 

そんなバンジョーはアルバムの全曲で活用されていますが、アルバム1曲目「ブラック・マイセルフ」からテーマが全開。黒人の歴史、黒人としてアメリカ社会で生きるとはどういうことかといったことが、力強いサウンドに乗せてつづられています。その後5曲目の「アイ・ニュー・アイ・クド・フライ」あたりまではやや暗いというか陰鬱な調子の音楽が続いているんですが、アメリカ社会で黒人たちがどんな思いをして生きてきたか、それをつぶさに耳に入れるような心持ちがしますね。

 

しかし続く6曲目「ポーリー・アンズ・ハマー」からは一転明るく快活な調子が聴きとれて、個人的には安心します。この6曲目は完璧なるカントリー・ナンバーのようにも聴こえますが、実際にはカントリーというよりアメリカーナと呼ぶほうが正しいのでしょう。黒人/白人と音楽がアメリカ大陸で二分化される前の時代の遺産を現代に蘇らせているのだと考えられましょう。そこにこんな感じでバンジョーが入っていますから、このアフリカ由来のアメリカン・インストルメントの持つ意味が拡大しているというか、歴史の根源に立ち返って考えられているんだなとわかります。

 

打楽器と手拍子だけでチャントが入る7曲目「ママズ・クライング・ロング」に続き、8曲目ボブ・マーリーの「スレイヴ・ドライヴァー」に入ります。ここでもバンジョーが大活躍。イントロのテンポ・ルバート部からただならぬ雰囲気を表現していますが、リズムが入ってきてからもそのレゲエ・ビートを刻むのはバンジョー(とアクースティック・ギター)なんですね。バンジョー・ソロはだれが弾いているんでしょう?奴隷問題を歌った曲ですけど、カリブ地域のこんな歌をとりあげてバンジョー・サウンドに乗せて歌うのはかなり興味深いです。

 

カリブといえば10曲目「ラヴィ・ディフィシル」はレイラ・マキャーラがフィーチャーされていますが、これもカリビアン・ナンバーですね。レイラは両親ともハイチ出身なのでした。ここで聴けるテナー・バンジョーはこれもレイラの演奏でしょうし、それに(たぶんリアノンの弾く)フィドルがからんだりして、楽しいですね。曲全体の調子やサウンド、リズムはカリビアンです。

 

アルバム終盤では明るい未来を展望しているというか希望を歌い込んでいるのも好感度大ですね。12曲目「ミュージック・アンド・ジョイ」もそうですし、共感と連帯をつづるラスト13曲目「ユア・ナット・アローン」では歌詞だけでなくサウンドもポジティヴで、ズンズン来るリズム・ヴィーヒクルに乗せ複数のバンジョーがからみあいながら進みつつ、リアノンのヴォーカルにレイラのチェロもオブリガートで入り、ドラム・セットが強いビートを叩き出し、アコーディオン・ソロがぶわ〜っと入ってくるあたりで絶頂に達し、感極まってしまいます。

 

これに先行するリアノンのアルバムからプロデューサーをつとめているダーク・パウエルがこのアワ・ネイティヴ・ドーターズもプロデュースしています。マンドリン、ギター、フィドル、アコーディオンなど各種楽器も担当し、随所でキラリと光っているし、アルバム全体をこういった方向へ持っていきたいというリアノンと相談を重ね、創りあげたみたいですね。

 

(written 2020.2.24)

2020/04/03

パール・ジャンゴっていうバンドがあるみたい

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(4 min read)

 

Pearl Django / With Friends Like These

https://open.spotify.com/album/4XqersXIbYirDr5Op6Sofa?si=Y4khX7uJS3S-Y0Bxbn3okQ

 

以前「猫のジョアンのペット・プレイリスト」っていう文章を書いたでしょ。Spotify のサービスで、猫とか犬とかのペットにあわせたプレイリストを自動生成してくれるというものです。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-0a0737.html

 

これを書いたときからずっと頭にあったんですけど、このプレイリストの1曲目、パール・ジャンゴ(Pearl Django)という音楽家の名前も初見にしてずいぶん気になって、実際聴いてみたらジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリのフランス・ホット・クラブ五重奏団の音楽ソックリなんですよね。音は最新のものですから現代のバンドかなにかに違いないわけで、こりゃなんだ?だれだ?と思ってクリックしてみたら、パール・ジャンゴの『ウィズ・フレンズ・ライク・ジーズ』(2017)というアルバムが出ました。

 

これの話を今日はちょっとしたいんです。パール・ジャンゴはアメリカはワシントン州タコマで1994年に結成されたバンド。現在はシアトルに拠点を置いて、アメリカやヨーロッパで活動しているんだそう。当初三人だったのがいまはクインテット編成(アコーディオン、ヴァイオリン、ギター、ギター、ベース)で、やはりジャンゴ・ラインハルトらがやっていたああいった古き良きスウィング・ジャズ・ミュージックの再現を目指しているんだそうですよ。

 

パール・ジャンゴ、1994年結成で、CD アルバムもすでに10枚以上あるということで、もはやベテランというに近いバンドなのかもしれないですね。ジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペリらがやったああいう音楽は彼ら亡きあとも受け継がれていて、折々に世界でひょっこり顔を出していますけど、パール・ジャンゴみたいなストレートなバンドがあったことをぼくは今年になるまで知りませんでした。「猫のジョアンのペット・プレイリスト」、Spotify の自動生成によるものですけど、教えていただけてありがたいことですね。

 

アルバム『ウィズ・フレンズ・ライク・ジーズ』でもそんな彼らの音楽性が全開。レトロで古くさいものかもしれませんが、この種の音楽は現在でも一定数の愛好家が存在し続けています。ぼくもそんなひとり。1曲目「フロイド・ホイト・ライズ・アゲン」のイントロ〜テーマ演奏を聴いただけで頬がゆるみますよね。テーマ部はヴァイオリンとギターの二重ユニゾンで、これがもうえもいわれぬ1930年代っぽさをかもしだしているのがうれしいです。ソロはアコーディオンから。それもなつかしい音色でなごませてくれます。

 

それになんたってこのスウィング感、リズムへの軽快なノリですよ。主にベースとリズム・ギターのカッティングがそれを表現していますけど、ジャッジャッジャッって、これが快感なんです。つっかかるところなどなく、なめらかにスーッと一直線に流れスウィングするこのビート、まさにジャンゴらがやっていたマヌーシュ・スウィングのフィーリングそのまんまじゃないですか。アコーディオンが入るのがパール・ジャンゴならではのオリジナリティですね。

 

アルバム全体がこの感じで進み、独特のあのムードを表現してくれているのが楽しくうれしいですね。なかにはちょっぴりのエキゾティック・ニュアンスもあったりして、それもいい味付け。フランスやヨーロッパのサロンで気楽にちょっとくつろいでいるときの、そんな雰囲気の音楽をムード満点に聴かせてくれるパール・ジャンゴ。メンバー各人の腕前は確かだし、アンサンブルもよく練られていて、ソロも上々、文句なしじゃないですか。今2020年の2月に新作『シンプリシティ』をリリースしたばかりみたいですよ。

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https://open.spotify.com/album/0IGfBfqyo64uzNnciM2xp5?si=B9-Rd4WmRI-JX9hfZ9nZ8g

 

(written 2020.2.23)

2020/04/02

岩佐美咲、新曲「右手と左手のブルース」公開さる

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(3 min read)

 

https://www.youtube.com/watch?v=HIzCwy1X7Kg&feature=youtu.be

 

本日4月1日、とうとう予告公開されました、岩佐美咲の2020年新曲「右手と左手のブルース」MV。CD の発売は今月22日なんですけど、いやあ、待ちましたね。新曲が今年も発売されるという発表があったのが三月。それも遅かったんですけど、そこから曲が(一部)公開されるまでがまた長かったです。それもこれも COVID-19のせいですよ。

 

いちばん上に MV の YouTube リンクを書いておきましたので、みなさんこれで聴きましょう。いきなり浅草の浅草寺雷門前からはじまりますが、本編も浅草の商店街みたいな通りをずっと歩いて行っている感じでしょうか。屋台の金魚すくいみたいな光景も見えますね。はっきり言ってしまえば、あまりお金のかかっていない省エネ MV だなという印象です。予算がないのかなあ。

 

肝心なのは曲と歌です。まだ予告編ですからたったの1分54秒しか聴けませんが、路線としては前作「恋の終わり三軒茶屋」に引き続き歌謡曲テイストが濃厚です。哀しげというかメランコリーを強くたたえたフィーリングですね。歌詞を聴けば、なんだかこれは不倫の歌なんですね。「他人のものを盗もうなんて思ったこともなかった」「あなたは右手でわたしを抱きしめ左手で家庭を絶対守ろうとするのね」なんていうフレーズが散見されます。

 

美咲もこういった大人の歌をこなせるような、そんなところにまでやってきたということでしょうね。曲の調子というかメロディ・ラインやサウンド、リズムなどを聴けば、たしかにこれは「ブルース」だなと言えるだけのメランコリー、哀愁をたたえたものだとわかります。家庭を持つ男性との許されざる関係を歌い込んだものですからね、そりゃそうでしょう。

 

作曲者や編曲者がまだわからないんですけど、いままでの日本の歌謡曲に多い、しっとり系でありながら同時にリズムはややにぎやかめに(ラテンっぽく)跳ねているという、そんな曲ですよね。美咲はいちおう演歌歌手という看板を背負っているわけですけど、2019年来、こういったライト・テイストな歌謡曲調のものを提供されるようになっています。

 

歌を聴けて、いままで不思議だった「右手と左手のブルース」というこの曲題の意味もようやくわかるようになりました。さあ、フル・コーラス聴けるようになるのはいつになるでしょう?COVID-19のせいでいっさいの対面イベントが実施できない状況ですから、そのメドが立たないのはツラいところです。4/22の発売日にはなにかやりたいと、美咲本人も徳間ジャパンも思っているはずですけど、どうなりますか?

 

ともあれ、岩佐美咲「右手と左手のブルース」、本日公開された MV はもう20回くらい聴きました。

 

(written 2020.4.1)

2020/04/01

ブルーズが好き

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(6 min read)

 

https://open.spotify.com/album/3QSRtkfas8Gr0vDByhFvkE?si=H2HObY29SCud0D1f956gvA

 

ぼくはとにかくブルーズという音楽が好き、大好きなんです。これはもう生理的なものなんで、どうしようもないんですね。だから高橋健太郎さんみたいなプロの音楽評論家のみなさんがいまの時代にブルーズなんてどうか?みたいなそんなたぐいのことをおっしゃってぼくの音楽趣味生活に影を投げかけても、うんだからちょっと恨みに思っていますけど(聴くのに申し訳なさを感じるようになってしまった)、そんなブルーズ否定論者のことはどうでもいいわけです。ぼくはただのアマチュア音楽リスナーなんで、自分が心底楽しい美しいと思えるものを聴いていけばいいんであって、新しさとか時代の要請なんてことは関係ないわけです。ぼくはブルーズが好き。

 

ブルーズが好き、これはあらゆる意味でそうで、だからいわゆるブルーズ・ミュージックも好きだけどブルーズ・スケールやそれにもとづいて展開されるフレイジングも好きで、ジャズやカントリーやロックやファンクやなどのなかにあるブルーズ(要素)も当然大好きです。もっといえばブルーズ・フィールが好きなんで、必ずしもフォーマット的な意味でブルーズ楽曲じゃなくてもいいんです。

 

こんなふうにいうと話が大きくなってしまって、今日ぼくの言いたいことからちょっと離れてしまうように思いますけどね。つまりかなり乱暴に言って20世紀のアメリカ(産、発祥の)大衆音楽はブルーズ・ベースだったのかもしれません。いや、ジャズはそうではない、アメリカにおけるジャズの誕生時にブルーズは存在しないというのはたしかにそのとおりで間違いないんですけれども、その後かなり早い時期にかなり根っこからブルーズを吸収し不可分一体化したとは言えるんじゃないですか。

 

すくなくともジャズの商業録音が1917年にはじまったとき、すでにジャズのなかには抜きがたいものとしてブルーズがありました。カントリー・ミュージックの先祖たるヒルビリーは白人版ブルーズとして録音がはじまったわけですし、当初はアメリカ南部で黒人も白人も共有するコモンウェルス的なものとしてのレパートリーがあって、同じものを黒人がやればブルーズ、白人がやればヒルビリーと呼ばれただけのことです。というかレコード会社がショップでレコードを売り分ける際のビジネス慣習的区分でしかなかったわけで、音楽的にはブルーズとヒルビリー(カントリー)は一体です。

 

ジャズはその後ブルーズ成分を濃くする方向に進み、ブルーズの一形態であるブギ・ウギもふまえながらのジャンプ・ミュージックや、ひいてはリズム&ブルーズの誕生につながり、同時にそれと不可分一体のものとしてビ・バップを産み、それ以後のモダン・ジャズが発展していくこととなったわけですね。モダン・ジャズのなかにはものすご〜くブルーズ・ナンバーが多いじゃないですか。しかも同じ時代に展開されていた(ブルーズ・ベースの)ロックやソウルなどと本質的に祖先は同じです。ファンクも同系で、だから1960年代末〜70年代にジャズ・ファンクやソウル・ジャズがあれだけ流行したのは一種の先祖帰り、本質奪還でしたね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-2a1c25.html

 

まったくブルーズと関係ないようなジャズやロックやポップスもたくさんあって、ぼくもあんがい好きですけど、ひもをたぐっていくとどこかでブルーズをはじめとするアメリカの黒人音楽のルーツにちょっとだけでも結びついていたりするのかもしれません。ブルーズやアメリカ黒人音楽そのものでなくとも、それ関連でそこから発展した音楽要素がちょっぴりでも混じり込んでいたりするんじゃないですか。アメリカみたいな国の音楽が、どんなものでも「混じり気のないピュア」であるなんてありえないわけですし。

 

こういったことは歴史的事実なんで、なかったことにしよう、切り離そうっていうのはムリな話です。南京大虐殺はなかったとかそういうたぐいの主張をしているみなさんと同類とみなされてもしかたがないんですよ。アメリカ音楽にブルーズがある、抜きがたくいろんなところに染み込んでいて、つまり日本の文化に中国大陸や朝鮮半島由来のものが抜きがたく一体化して日本のものとして存在しているのと同じようなことだ思います。

 

いや、こんなことが言いたくて今日書きはじめたのではありません。ぼくが書きたかったことは、個人的にとにかくブルーズが好きなんだ、だれがなんと言おうとブルーズが好きでたまらないんで、そのことはだれも否定できないし、ぼくがふだん聴いている音楽のなかにはブルーズがたっぷりあるし、ブルーズ・ミュージックの新作アルバムだって定期的にリリースされているし、ブルーズ成分を濃厚に持ったジャズやロックの新作アルバムだっていまだコンスタントに発売されているんだし、2010年代以後のジャズをはじめとする「進化した」「新しい時代の」音楽にブルーズはないんだとみなさんがおっしゃっても、ぼくにはなんの関係もないっていうことでです。

 

ぼくら素人音楽愛好家ブロガーにとって、時代の先端、新しさ、進化なんてどうでもいいんで、好きな音楽を聴き続けていけば、死ぬまでそうしていれば、それでいいでしょう。プロ音楽評論の見地を押し付けないでもらえますか。とにかくぼくはブルーズが好き、心底好きなんで、ただそれだけのことなんで、ブルーズ・ミュージックやブルーズ成分を濃く持つ音楽をこれからも好きで聴き続けていけばいいだけの話で、だれに遠慮することもなく堂々とブルーズを聴き愛し書き続けていればいいんであって、ブルーズは時代遅れだみたいな指図をされるいわれはないです。

 

(written 2020.2.22)

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