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2020/04/17

岩佐美咲で考える、生演奏音楽と録音複製音楽(2)

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(7 min read)

 

以前こういう記事を書きました。「生演奏音楽と複製録音音楽」
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-37af.html

 

この文章の主旨は、現代のぼくたちにとってレコードなど録音複製音楽がまず第一の体験になっていて、だから生歌生演奏があたかも録音品の代理体験のようになってしまう逆転現象があるんじゃないかということでした。レコード(カセットでも CD でも配信でも)は歌や演奏を録音してポンポン複製して大量販売しているものですから、音楽本来のというか大元のありようとしてはやっぱり生歌生演奏こそが第一義的に来るもののはず。

 

ところがそれが20世紀以後奇妙な倒置というか逆転現象を起こしていて、生演唱に触れる機会が減り、もともとその代理品でしかなかったはずのレコードで聴くというのが第一優先というか、どこにいても簡単に買って聴けるわけですから当然そうなってしまいますよね。代理品(レコード)が本来品(生演唱)にとってかわってしまっているわけです。逆転しているんですね。いまの2020年のぼくたちだって、たとえばだれかの新曲、新作を聴くといった際、その「聴く」とはまずもって CD とか配信で、という意味でしょう。

 

もちろんぼくもそうなんですけど、ことわさみんこと岩佐美咲(には2017年に出会った)にかんしてだけはちょっと事情が異なっているんです。たとえばわさみん2019年の新曲「恋の終わり三軒茶屋」を、ぼくはまず第一回目に生歌で聴きました。浅草の老舗演歌ショップ「ヨーロー堂」での歌唱イベントでです。2019年2月13日の CD 発売日に行われた記念キャンペーンの一環でしたから、まず生歌で…、といってもそれは新曲 CD 発売記念イベントだという点においてはやっぱり CD 優先の倒置現象のなかにいるのかもしれませんが。

 

わさみんが歌うオリジナル曲でもカヴァー曲でも、こうしてイベントやコンサート現場での生歌で「はじめて」触れ、その後に CD 収録されている同じものを聴く、くりかえし、といったことは、実はよくあるんです。もうどの曲がそうだなどと思い出すのもめんどくさいほどぼくだって多いですよ。愛媛県に住んでいますから、そんなにどんどんとわさみん生現場に足を運んでいるわけじゃないのにこうなんですから、首都圏わさ民(わさみんファンのこと)さんであればなおさらじゃないでしょうか。

 

わさみんのばあいそもそもあまり CD を出さないっていうか、現場でどんどん歌っても、そのなかからあらためてスタジオで録音して CD に収録するのはごく一部ですよね。いいかたを換えればわさみん歌唱やレパートリーのことは CD だけ買ってそれだけ聴いているんじゃわからない、現場にちょっとは足を運んで生歌で味わわないとダメだっていうことでもあります。真の岩佐美咲の姿は現場にしかないっていう、それが真実だという気がします。

 

これはわさみんだけじゃなくて AKB 系、坂道系もそうかな、のアイドル界全体について言えるのかもしれませんが、「現場主義」、これがあると思うんですね。現場に出向いて本人に会って(わさみんのばあいは)歌を聴く、なにを歌ったか、どんな曲をとりあげたか、どういう歌いかたをしたか、などなど、イベントやコンサートの現場でしか知りえない情報が多いです。CD となって届けられるのは、そういったなかの氷山の一角で、わさみんの姿をちょろっとだけ垣間見ているにすぎないわけです。

 

CD に収録するためスタジオで録音されたわさみんの歌は、やっぱりそれなりにつくりこまれていて完成度が高いというのが事実ではあります。ぶっちゃけて書いちゃいますが、生歌ではやや揺るぐこともある音程をコンピューターで補正してありますし、コンサートを収録した DVD を観聴きしていても、現場で聴いた音程の微妙な外しがすべてきれいに修正されています。そんなこともあってスタジオ作業を経た CD や DVD わさみんは完成品としてはとてもいいということになるんです。

 

ですが、やっぱりイベントやコンサート現場でわさみんは初披露の曲を多く歌いますし、定番曲も歌うけど久々のレパートリーであったり、さまざまな工夫でぼくたちリスナーを楽しませてくれるんですね。実物わさみんじゃないと、微妙な音程外し(のことは言いましたが)だけじゃなく、声にこもるかすかな情緒や繊細な色艶など、わかりにくいと思うんですね。なんたってどの曲を歌ったのか、初披露の曲があったのか、みたいなこともわからないでしょう。

 

もちろんいまや Twitter(をわさみん本人やわさ民さんたちも活用している)などネットがありますから、そういった情報もわりとすぐ流通するんですけど、曲目がわかっても歌唱の出来具合なんかは自分の耳で聴いて確かめていないとわかりませんからね。ましてやそれがオリジナルの新曲だったならそもそもどんな曲なのかすらもわかりません。

 

わさみんは「恋の終わり三軒茶屋」を、そのシングル CD 発売日の前の2019年1月に池袋サンシャイン広場で歌っています。ぼくはそれに行けなかったんですけど、察して地方から駆けつけたわさ民さんもいらっしゃいました。つまりですね、上でも現場主義と書きましたが、やはりそこへ行って本人を目にして生歌で聴く 〜 これがぼくらわさ民にとってのわさみん最優先事項なんですよね。CD やなんかは二の次なんです。まず第一には生歌なんです、わさみん界隈はですね。生歌で聴いたものをその後 CD で聴き「ああ、これだよ」と生歌を思い出しながら味わうんですよ。

 

こういったことが、上のほうで書いた20世紀来の生演唱/録音レコードの逆転現象、つまり現場での生歌にレコードと同じものを求めてしまうだとか、生歌がレコードの代用品であるかのように感じるだとか、こういった倒置現象を、ある意味是正しているといったことがあると思いますね。音楽は本当は現場での生歌で聴くものなんですよ、それがなんといっても第一義的なことなんですよという、録音技術の発明まで人類史で何千年も続いていた本来の音楽の姿を取り戻しているんじゃないかと、そう思えるんです。

 

ぼくが(わさみんだけじゃなく)音楽のライヴにどんどん出かけていくようになったのも、こういった実感をわさみん体験から得ているからです。頭のなかではそうだと意識的に理解していなくても、皮膚感覚でぼんやりとでも納得しているからなんですよ。わさみんにどんどん触れることで、音楽はやっぱり現場へ行って生で触れなきゃわからないことがあるんだと、そう感じるようになりました。

 

レコードや CD などで聴いた感動をライヴでもう一回味わいたいとかいうんじゃなくて、ライヴは一回性のチャンスなんだからそれでしかわからない聴けない音楽を、歌を、聴きたいということなんです。

 

(written 2020.3.3.)

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