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2020年6月

2020/06/30

コロナ時代のコンサートはハイブリッドで

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(写真は日経新聞デジタルの記事より、岸田鉄平撮影)

 

(5 min read)

 

6月25日にサザンオールスターズの有料配信ライヴがありました。パフォーマンスの場所は横浜アリーナでしたが、コロナ対策のため観客はいっさい入れず、その代わり複数のネット配信サーヴィスでライヴの模様が中継されたんですね。約18万人もが3600円のチケットを買い、さらに主催者発表によれば総視聴者数は推定約50万人にもなったそうです。もちろんサザンほどの国民的人気を誇る音楽家だからこの数字になるわけですけど、ウィズ・コロナ、ポスト・コロナ時代のコンサートのありようを考える際には示唆深い内容だったんじゃないかなと思います。

 

横浜アリーナは、もし客を入れればそのキャパは18000人です。ところが3600円の有料配信で18万人もがチケットを買ったわけですよ。実客の10倍じゃないですか。ってことは実客を横浜アリーナにフルに入れたと仮定すれば、その全員が3万6千円のチケットを買ったという計算になるんです。興業としては大成功ですよね。

 

以前も岩佐美咲関連で言いましたが、ネットのよさはだれでもどこにいても体験できるということです。リアルなコンサートなどであればその現場に行かないと観られません。しばしば東京とか首都圏とかでしか大きなライヴ・コンサートは実施されないがため、地方在住民はいつも悔しい思いをしてきています。涙を飲んできているんですよね。しかしこれがネット配信コンサートとなれば、パソコンやスマホがあれば日本中どこででも視聴できます。

 

コロナのせいで実際の会場にお客さんを入れられないという状況が続いているのは、もちろん音楽界にとって好ましいことではないでしょう。しかしそんなありようをある意味逆手にとって、ネット配信で充実したコンサートを届けてくれて、たぶん視聴者の大半を満足させたであろうサザンオールスターズの例は、今後、コロナ時代にコンサートはどうあるべきかのひとつのかたちを示してくれたといえるかもしれないですよね。

 

もちろん観客を実際に会場に入れるという試みも徐々にではありますが戻ってきはじめています。ここで大切なことは、実客を会場に入れる/ネット配信をする、というのを、どっちかじゃないといけないっていう二項対立のように考える必要はないはずだいうことです。実客を入れてなおかつネット配信もやればいいじゃないですか。いわばハイブリッド・コンサートですよ。

 

ハイブリッド・コンサートということばは、演歌・歌謡曲歌手の中澤卓也のホームページから拝借したものなんですね(情報をくださったわいるどさんに感謝)。来る7月23日に中澤は王子の北とぴあ、さくらホールでそういったものを実施するんだそうです。コンサート会場に実客を入れますが、それはソーシャル・ディスタンスに配慮して前後左右を開け、キャパの1/4程度。そして実演と同時にそのコンサートを有料ネット配信するんだそうですよ。
https://www.nakazawatakuya.com/news/6605/

 

この実客+配信のハイブリッド・コンサートというのはなかなか秀逸なアイデアだと思うんですね。もちろん第一義的には現場の会場で密を避け1/4しかお客さんを入れられないから、その分の穴埋めを有料ネット配信でやろうということです。ですけれども、今後、以前みたいにフルに客席を埋めることができるようになっても、やっぱりネット配信もやればいいじゃないですか。

 

日本中にファンを持つ歌手やバンドはたくさんあります。いや世界中にファンを持つ音楽家だって多いです。実客フル入場の状況が戻ってくれば、もちろんそれはすばらしい。でもそのいっぽうで、どうあってもコンサート現場へ出かけることなど容易にはかなわない地方在住民だってたくさんいるんですよね。いままでは指をくわえて我慢するか、お金を貯めて一大決心で都会へ遠征していくしかなかったんです。

 

それが、ネット配信で、当日のそのコンサートがそのまま観られるようになるなんて、すばらしいことじゃないですか。興業主にとってだって、会場に実客が入ればそれで儲けになる上に、同時に有料ネット配信もやれば実客キャパの何倍、十倍ものチケット販売が見込めるんですからね。有料ネット配信は、上でも書きましたが、会場のキャパをはるかに上回る大量のチケットがさばけることが多いんですよね。サザンが証明してくれました。

 

これからのウィズ・コロナ、あるいはポスト・コロナの時代には、音楽コンサートはハイブリッド形式でやりましょうよ。実客/配信のダブル体制でやれば、興行的にもはじける可能性があるし、だから歌手や音楽家にとっても成功といえるようになるし、コンサート現場に足を運べないファンだって大喜びですよ。

 

(written 2020.6.29)

2020/06/29

もしもギターが弾けたなら(その2)〜 ジョアン・カマレーロ

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(4 min read)

 

João Camarero / Vento Brando

https://open.spotify.com/album/2cdUpZDv2oaZOecRilf45A?si=w4bi13UhTBig_0_5wuj-Ow

 

どうして男性ショーロ・ミュージシャンってみんな(でもないけど)ヒゲを生やしたがるのでしょう?アキレス・モラエス(トランペット)なんかすごいんですよ、と、体毛が生えない体質のぼくなんかはうらやましく感じたりもしますが、音楽になんの関係もないどうでもいい話ですたゴメンニャサイ。

 

ブラジルの七弦ショーロ・ギターリスト、ジョアン・カマレーロの新作『Vento Brando』(2019)が今日の話題です。聴いた感じ、クラシックのソロ・ギター作品と区別つかないなあと思うんですけど、たしかにこのジョアンのソロ・アルバムにもシリアスな雰囲気が漂っています。ギター一本でのソロ作品となれば、どんなジャンルのひとがやってもクラシックに接近するのかなという気もしますね。

 

ジョアンのギターはいままでもちょこちょこと聴いてきたんですけど、どれもバンドのなかの一員として弾いているものばかりで、ソロとして全面的にフィーチャーされているのは『Vento Brando』ではじめて知りました。最大の印象は音のアタックがとても強いなということです。そのおかげで輪郭が鮮明でシャープなサウンドに聴こえます。

 

しかも速弾きっていうか、難度の高い細かいフレーズを弾きこなす技巧もあざやかで、さらにどの演奏にもなんらの揺らぎも破綻もありません。細速フレーズの弾きこなしがあまりにもなめらかでスムースであるがゆえ、聴き手の耳にひっかからず流れていってしまうかも?という印象すらあって、流麗のひとことですよね。技巧の粋を極めたナイロン弦ギター独奏と言えるでしょう。

 

高速パッセージでもゆったりしたフレージングでも、音のすみずみにまで配慮が行き届いているのがよくわかりますし、どの音にも意味がありますよね。その音の意味をよりよく聴き手に届けるためなのか、演奏の緩急というかメリハリにも気を遣っているのも聴けばわかります。メロディやフレイジングの美しさがおかげでわかりやすくなっているんじゃないでしょうか。

 

アルバムの曲のなかでは、個人的に、たとえば5曲目の「エニグマ」。ちょっとエキゾティックというかスペインふうなメロディとリズムを持った曲で、これなんかにも強く惹かれます。どんな音楽でもぼくがアンダルシア香味に弱いのはマイルズ・デイヴィス体験のせいなんでしょうか。ジョアンのこの演奏は、ロック・ギター界で言うところのトゥワンギーな感じがして、たいへんに好みですね。

 

続く6「パウリスターノ」、7「ヴェント・ブランド」と本当に聴き惚れる演奏が続きますが、静かで落ち着いた雰囲気のなかにパッションをも表現しているのが好きですね。そんなところは、続く8、9曲目でさらにわかると思います。この二曲にはジョアン・カマレーロの師匠ジョアン・リラがゲスト参加、9曲目にはカヴァキーニョ奏者も加わっています。

 

リラとのデュオ演奏である8「マカラス」にはカリブ音楽ふうなリズム・ニュアンスもあって楽しくてニンマリしますし、最後は情熱的にもりあがるところもグッド。この二人にカヴァキーニョが追加された9「カンドラジーニョ」はポップなキュート・ショーロで、全体がクラシカルな感じに寄ったこのアルバムのなかではいちばん親近感があって聴きやすいかも。明るく楽しい雰囲気で実にいいですね。


(written 2020.5.4)

2020/06/28

絶滅危惧種みたいなローリー・ブロックのブルーズ・ギター

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Rory Block / Prove It On Me

https://open.spotify.com/album/6TpFifpdTjpq979yvYcPqK?si=kC3OfhatTCGXcWMABGNSaQ

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/03/27/prove-it-on-me-rory-block/

 

現代最高のアクースティック・ブルーズ・ギターリスト兼シンガーのひとりらしいローリー・ブロック(Rory Block)の2020年新作『プルーヴ・イット・オン・ミー』は、一曲のオリジナル・ソングを除き、すべて先人の女性ブルーズ歌手が歌ったもののカヴァーで構成されています。といってもぼくが知っていたのは 1「ヒー・メイ・ビー・ユア・マン」のヘレン・ヒュームズ、4「プルーヴ・イット・オン・ミー」のマ・レイニー、7「ウェイワード・ガール・ブルーズ」のロッティ・キンブロウ、8「イン・マイ・ガーリッシュ・デイズ」のメンフィス・ミニーだけ。

 

それ以外は、たとえばマドリン・デイヴィス、ロゼッタ・ハワード、アリゾナ・ドレインズ、マーリン・ジョンソン、エルヴィ・トーマス…、ってみなさん知ってます?ぼくは健太さんの上のブログ記事で読んでそうなんだと思って書き写してみただけで、ちっともわからないです。どうやら1920〜30年代のブルーズ・ウィミンばかりなんでしょうかね。

 

ともかくローリーの『プルーヴ・イット・オン・ミー』ではそういった先達ブルーズ・ウィミンの曲をとりあげて、アクースティック・ギター(+ベース+ドラムス)というきわめてシンプルな編成で弾き語っているんですが、ぼくの印象に残ったのはギターですね。はじめて聴いたギターリストですが、本当にうまいと思います。

 

アクースティック・ギター弾き語りの戦前ブルーズ・ギターリストを思い起こすんですけど、ローリーも同様に中低音弦でリズムをはじきながら高音弦でのスライド(などの)プレイで音を装飾してメロディを奏でているんですよね。そんな弾きかたをするブルーズ・ギターリストはもはや絶滅危惧種でしょう。古い録音などでしか聴けないんじゃないですか。

 

その意味ではローリーは生ける伝説、天然記念物のようなブルーズ・ギター・スタイルを持っていると言えます。全曲でそんなローリーの技巧が輝いていて、たとえば1曲目ヘレン・ヒュームズの「ヒー・メイ・ビー・ユア・マン」は、オリジナルにちょっと則してブギ・ウギのパターンをふまえているんですが、ギター・ブギですからかなり調子は異なっています。

 

そしてブギ・ウギのパターンを弾くと同時に1弦でシングル・トーンの装飾フレーズを入れているのが印象に残りますね。そのほかどの曲でもローリーは(リズムを刻む)中低音弦と(メロディを弾く)高音弦を同時に鳴らしていて、なかなかむずかしいことじゃないかと思うんです。できあがりがこれも戦前ブルーズ・ギターリスト同様あっさりさっぱりしていますからなんでもないように聴こえますが、かなりのテクニシャンに違いありません。

 

ブルーズと女性というと、ぼくはどうしても1920年代の(しばしばジャズ演奏家が伴奏した)都会派女性ブルーズ・シンガーたちのことを思い出しますが、実際今回のローリーのアルバムでもそこそことりあげられているみたいです。ローリーはジャズ・ミュージックっぽさを消し、というかアクギ一本だからそれは無理なんでやめて、もっとさらりと軽いフォーキーなテイストでカヴァーしていて、それもいい味ですね。

 

ところでこのローリー・ブロックの『プルーヴ・イット・オン・ミー』、国内盤も出たらしいというのでアマゾンでチェックして、そのページの説明文を読んでひっくり返りました。「パワー・ウーメン・オブ・ザ・ブルース」って…。ウーメンとはウィミン(women)のことかと思いますが、こんな音の英単語はありませんよね。
https://www.amazon.co.jp//dp/B085F46B7N/

 

(written 2020.5.2)

2020/06/27

プリンスとマイルズの共演、ついに公式発売へ

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(10 min read)

 

https://twitter.com/prince/status/1276176365406965764
(スレッドでご覧ください)

 

プリンス・エステートとワーナーは、来る2020年9月25日に『サイン・オ・ザ・タイムズ』をリイシューするとアナウンスしましたが、そのうち CD 八枚組+DVD のスーパー・デラックス・エディションに、マイルズ・デイヴィスとの共演が二つ収録されることとなりました。これら天才二名の関係はひろく知られているところですが、共演音源が公式リリースされるのは初のことです。

 

プリンス・ファンでもあるぼくとしては、マイルズ関係なく、今回アナウンスされた『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディションの内容がおおいに気になるところですが、きょうはマイルズ関係の話だけにします。発売されるのは、共演曲「キャン・アイ・プレイ・ウィズ U?」と、プリンス・バンド1987年12月31日のペイズリー・パークでのライヴ・ステージでマイルズが数分間共演しているもの。

 

「キャン・アイ・プレイ・ウィズ U?」は、プリンス・サイドが1985年12月26日に録音したもので、27日にエリック・リーズがサックスをオーヴァー・ダブしています。そのテープが翌86年1月にマイルズのもとに送られました。これはマイルズのワーナー移籍にともなってファースト・アルバムをプリンスとの共演作にしたいという意向を受けてのプロデュースの一環でした。

 

マイルズは86年の3月1日にトランペットをオーヴァー・ダビング。それを送り返し、プリンスがさらに音を重ねたりしてトラックを完成させた模様なんですが、予定されていたマイルズのアルバムには合わないということと、両者とも曲の出来に満足できなかったとのことで、「キャン・アイ・プレイ・ウィズ・ユー?」はお蔵入りとなりました。ワーナーでのマイルズのファースト・アルバムも予定を大幅に変更してマーカス・ミラーとの全面共演作となりましたね。

 

「キャン・アイ・プレイ・ウィズ U?」には何種類かミックスが存在しますので、今回『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディションにどれが収録されるのかは、いまだ不明です。ロング・ヴァージョンだったらいいなと個人的には思うんですけどね。このプリンス&マイルズ共演曲はいままでもなんどか発売されそうになった機会があったんですがポシャってきたのは、たぶんプリンスの意向だったんでしょう。亡くなったので、発売できることになったんだと思います。

 

いちおうロング・ヴァージョンが聴けます↓これと同じものが発売されるんでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=BYbLvZGDB3U

 

なお、プリンスとマイルズのスタジオ共演曲は、「キャン・アイ・プレイ・ウィズ・ユー?」のほかにも、「ペネトレイション」「ジェイル・ベイト」「ア・ガール・アンド・ハー・パピー」とあって、いずれも未発表のまま(「ペネトレイション」だけはマイルズがライヴでやっていましたが)。今後の展開に期待したいですね。

 

次に、プリンス『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディションの DVD に収録される、プリンス・バンド、ペイズリー・パークでの1987年12月31日のコンプリート・ライヴですが、一部にマイルズがちょっとだけ参加してトランペットを吹いている様子は、20年ほど以上も前からブートレグ DVD が出まわっていたようですし、ネットにも(たぶんそこから)上がっていたので、ぼくもなんどか視聴したことがあります。

 

たとえばこれ↓この YouTubeファイルは、この日のステージ中盤のシーラ E による「ドラム・ソロ」からはじまっていますね。
https://www.youtube.com/watch?v=c6pTSXMaOwo

 

マイルズが登場するのは、1:00:08 からはじまる「イッツ・ゴナ・ビー・ア・ビューティフル・ナイト」でのこと。曲が進んだ 1:05:21ごろに、パープルの(!)衣装を着たマイルズが登場、1:05:50 からバンドの演奏に乗せてオープン・ホーンで吹きはじめます。バンドは、マイルズも自身のバンドで借用した例の華麗なブレイク・リックもはさみながら演奏、マイルズは歩き回りながら自由にフレーズをつづっていますよね。1:09:00 過ぎまで吹き、最後はプリンスの "Mr. Miles Davis!" という紹介のことばに送られてステージ上手に消えていきます。

 

さてさて、そんな二者の共演を収録した9月25日発売のプリンス『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディション。プリンス・オフィシャル・ストアでは159.98ドルという価格になっています(CD ヴァージョン)が、アマゾンあたりでどれくらいで売るんですかね。Spotify などストリーミングで聴けるようになることは公式アナウンスされているんで、だから CD 分についてはそれでいいんですけど、問題は DVD 分ですよねえ。マイルズがプリンス・バンドと共演する様子をちゃんと観たいし、それ以前にこのコンサートをフルに聴きたいでしょう。う〜ん。

 

以下、トラック・リストです。CD1と2は『サイン・オ・ザ・タイムズ』オリジナル・アルバムの2020リマスター。

 

<CD1>
Sign O' The Times
Play In The Sunshine
Housequake
The Ballad Of Dorothy Parker
It
Starfish And Coffee
Slow Love
Hot Thing
Forever In My Life

<CD2>
U Got The Look
If I Was Your Girlfriend
Strange Relationship
I Could Never Take The Place Of Your Man
The Cross
It's Gonna Be A Beautiful Night
Adore

<CD3 (Single Mixes & Edits)>
Sign O' The Times (Edit)
La, La, La, He, He, Hee (Edit)
La, La, La, He, He, Hee (Highly Explosive)
If I Was Your Girlfriend (Edit)
Shockadelica
Shockadelica (12" Long Version)
U Got the Look (Long Look)
Housequake (Edit)
Housequake (7 Minutes MoQuake)
I Could Never Take the Place of Your Man (Fade)
Hot Thing (Edit)
Hot Thing (Extended Remix)
Hot Thing (Dub Version)

<CD4 (Vault, Part 1)>
Teacher Teacher (1985 Version)
All My Dreams
Can I Play With U? (feat. Miles Davis)
Wonderful Day
Strange Relationship
Visions
The Ballad Of Dorothy Parker (With Horns)
Witness 4 The Prosecution (Version 1)
Power Fantastic (Live in Studio)
And That Says What?
Love And Sex
A Place In Heaven (Prince Vocal)
Colors
Crystal Ball (7" Mix)
Big Tall Wall (Version 1)
Nevaeh Ni Ecalp A
In A Large Room With No Light

<CD5 (Vault, Part 2)>
Train
It Ain't Over 'Til The Fat Lady Sings
Eggplant (Original Prince Vocal)
Everybody Want What They Don't Got
Blanche
Soul Psychodelicide (1986 Master)
The Ball
Adonis And Bathsheba
Forever In My Life (Early Vocal Run-Through)
Crucial (Alternate Lyrics)
The Cocoa Boys
When The Dawn Of The Morning Comes
Witness 4 The Prosecution (Version 2)
It Be's Like That Sometimes

<CD6 (Vault, Part 3)>
Emotional Pump
Rebirth Of The Flesh (Original Outro)
Cosmic Day
Walkin' In Glory
Wally
I Need A Man
Promise To Be True
Jealous Girl (Version 2)
There's Something I Like About Being Your Fool
Big Tall Wall (Version 2)
A Place In Heaven (Lisa Vocal)
Wonderful Day (12" Mix)
Strange Relationship (1987 Shep Pettibone Club Mix)

<CD7 (Live In Utrecht )>
Intro/Sign O' The Times
Play In The Sunshine
Little Red Corvette
Housequake
Girls & Boys
Slow Love
Take The "A" Train / Pacemaker / I Could Never Take The Place Of Your Man
Hot Thing
Four (Includes Sheila E. Drum Solo)
If I Was Your Girlfriend

<CD8 (Live In Utrecht, part 2)>
Let's Go Crazy
When Doves Cry
Purple Rain
1999
Forever In My Life
Kiss
The Cross
It's Gonna Be A Beautiful Night

<DVD (Live at Paisley Park, Minneapolis, MN, 12/31/1987)>
Sign O' The Times
Play In The Sunshine
Little Red Corvette
Erotic City
Housequake
Slow Love
Do Me, Baby
Adore
I Could Never Take The Place Of Your Man
What's Your Name Jam
Let's Pretend We're Married
Delirious
Jack U Off
Drum Solo
Twelve
Hot Thing
If I Was Your Girlfriend
Let's Go Crazy
When Doves Cry
Purple Rain
1999
U Got The Look
It's Gonna Be A Beautiful Night (feat. Miles Davis)

(written 2020.6.26)

2020/06/26

ロバート・クレイの新作はゴスペル・アルバムかな

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(3 min read)

 

Robert Cray Band / That's What I Heard

https://open.spotify.com/album/5MHALMDVXq4S7Ad6pNVl8I?si=pt8aSmqsT5am7O07nqJuBw

 

もとからブルーズ一本槍のひとでもなかったロバート・クレイ(Robert Cray) だけに、今2020年の新作『ザッツ・ワット・アイ・ハード』がこういったゴスペル仕立てになっているのもむべなるかなと思います。オープニング1曲目の「エニイシング・ユー・ウォント」はそれでもオリジナル新曲のロック・ブルーズですけど、2曲目「ベリイング・グラウンド」はセンセショナル・ナイティンゲイルズが歌ったトラディショナル・ゴスペルですもんね。

 

ロバート・クレイ・ヴァージョンの「ベリイング・グラウンド」にはブルーズふうなところもまったくなく、ストレートなゴスペル解釈になっているのがかえって聴きものなんですね。ビートもトラディショナル・ゴスペルのボン、ボン、っていうあれで、クレイはギターは弾かずにヴォーカルに徹しているのがまた好感度大。カルテットみたいなバック・コーラスをだれが務めたのか知りたいところです。

 

ここまでストレートなゴスペル・チューンはこれだけとはいえ、今回のアルバムではゴスペル・ソングのカヴァーが数多く収録され、アルバムの色調の基本を形成しているんですね。3曲目「ユア・ザ・ワン」(ボビー・ブランド)、5「ユール・ウォント・ミー・バック」(カーティス・メイフィールド)。また7「プロミシズ・ユー・キャント・キープ」(キム・ウィルスン)も曲調はゴスペル・バラードですよね。

 

故トニー・ジョー・ワイトに捧げたという8「トゥー・ビー・ウィズ・ユー」も敬虔なスピリチュアル・ムードが漂っていますし、これら一連の曲でのクレイはきわめて真摯に歌い尽くしているのがわかって、この音楽家の姿勢が胸に迫ります。いつもと同じおなじみのギター・トーンにも慈しみがあふれているじゃないですか。ヴォーカルやギターのサウンドそのものにこもるそんな空気感をぼくは聴きとっているんですね。簡潔にいえばマジメでストレート。それが音に出ています。

 

それだからこそ、強烈なトランプ大統領批判の4「ディス・マン」(オリジナル)なんかがこれまた響いてくるんですね。もっとも個人的には歌詞の意味をあまり考慮しない聴きかたをするほうなんで、サウンドのファンキーさやギター・リフ、ソロの楽しさを感じて、いい気分です。そう、政治的メッセージじゃなく音楽として聴きごたえのある曲ですよね。この曲のギター・ソロはかなり聴けると思います。

 

愉快なダンス・ナンバーである9「マイ・ベイビー・ライクス・トゥ・ブーガルー」(ドン・ガードナー)のファンキー・ビートも楽しいし(ギター・ソロはなし)、さらにアルバム中特に耳を惹いたのは節目の6曲目「ホット」とクローザーの「ドゥー・イット」です。どっちもアップ・テンポのファンキー・ブルーズなんですけど、楽しさが爆発しています。くわえてギター・ソロも弾きまくりで爆裂、最高ですね。後者にはレイ・パーカー Jr が参加しているらしいですが、この音色はクレイですよね?

 

(written 2020.5.1)

2020/06/25

なんてかわいい古典ショーロ 〜 オス・マトゥトス

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(4 min read)

 

Os Matutos / De Volta Pra Casa

https://open.spotify.com/album/4oNIR1hnxTo6GtGvI11TFO?si=b2Ixuu2qS_-XNxQKH4g7CQ

 

bunboni さんに教えてもらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-04-05

 

1曲目、ホーンズがからみはじめ、しばらくして弦楽器も入ってきた瞬間にとってもいい気分。それはまさしくかわいい古典ショーロの趣だからですけど、こんなショーロ・アルバムって、あるようでいまやなかなかないと思うんですよね。オス・マトゥトス(Os Matutos)の2019年作『De Volta Pra Casa』のことなんですが、もうすっかり大の好物になって愛聴しています。

 

このアルバムでは出だしいきなりやわらかくふくらんだ低音管楽器が聴こえますが、それがほかならぬオフィクレイドなんですね。吹くひともいなくなったこの古典的管楽器を現代に再興したのはエヴェルソン・モラエス。オス・マトゥトスのメンバーですが、エヴェルソンとオフィクレイドといえば2016年の大傑作だったイリニウ・ジ・アルメイダ集が思い出されます。あのときいっしょだったトランペットのアキレス・モラエスもオス・マトゥトスのメンバーなんですね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/100-a16f.html
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/2-ccb1.html

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このイリニウ曲集をやっていた管楽器編成に+トリオ・ジューリオのメンバーも参加しているということで、由緒正しき庶民派エンタメ古典ショーロをやるにはいまのブラジルでもこれ以上のメンツはないといったひとたちで結成されたバンドみたいなんです。うれしいかぎりですね。しかも今回ぜんぶメンバーの書き下ろし新曲とのこと。

 

アルバムを聴くかぎり、イリニウ曲集などで味わう100年前の古典ショーロ楽曲との差はなにもなく、まるでモラエス兄弟らみんなはこっそりと知られざる楽譜を発掘してきたのではないか?と思えるほどオールド・ファッションド。いや、オールド・ファッションドというもおろか、こういったショーロの古典的な曲は不変の美を持っていますから、いつの時代でも、現代でも、同じように輝けるエンターテイメントということなんでしょう。

 

とにかく聴けばその可愛らしいキュートなメロディに魅了されること間違いなしの曲が並んでいて、アレンジや演奏は微細な部分まで綿密な注意が払われていますけど、聴いた感じナチュラル&スムースに響くというのが彼らの熟達のあかしでしょうね。小難しいことをなにも考えず、ただただその娯楽にひたっていればいい音楽で、なんてかわいいんだと聴き惚れているうちにアルバムは終わってしまいます。

 

(written 2020.4.30)

2020/06/24

この世の名はすべて仮のもの 〜 SNS での匿名はダメなことなのか

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(6 min read)

 

主に Twitter で、だと思うんですけど、ここのところ匿名アカウントに対する批判が強まっていますよね。非難に近いものすらあるなと散見するんですが、たぶんプロレスラーの木村花が自殺してしまったあたりからこの風潮が強まっています。木村はテレビ番組『テラスハウス』出演関連で大量の誹謗中傷を Twitter で受け心を痛めてしまっていたそうで、そんな心ないコメントの多くが匿名アカウントから発信されたものだったとのことです。

 

匿名というか仮名というか、でも Twitter アカウントを作成するにあたりなんらかの認識名みたいなものは設定しないといけないので(記号でもいい)、完全匿名にはなりませんが、どうなんでしょうかね、卑劣なのは SNS で他人に対して延々と誹謗中傷や差別を投げ続けたりする発信者とその行為じたいであって、発信名が匿名であるかどうかは実は本質的に無関係であるというのがぼくの見解です。

 

それがなんだか誹謗中傷を投稿するアカウントの多くが匿名(というか仮名ですけどね、Twitter のばあい)であるということで、木村花のばあいだけでなく、いろんなみなさんの例をぼくが見ていてもたしかにそうかもなと思えるケースも多く、それで結果、匿名=誹謗中傷主すなわち卑劣、という同一視が成立してしまっているような気がします。

 

逆に言えば、実名、本名で活動すれば、そうそう無責任なことは言えない、他人への根拠のない攻撃発言や粘着などはなくなる、とまで言わなくてもかなり減る、という認識でいらっしゃるかたが多いということでしょう。でもぼくの考えは違います。匿名・仮名で活動していてなおかつ真摯な発言を行っている人物も多いし、実名(であろうもの)でも誹謗中傷をどんどん投げるひともいます。

 

そこに実名/匿名による行為パターンの抑制や線引きなんかは、実はないんだと思うんですね。たまたま Twitter とかヴァーチャルなコミュニケーションの場だからこんなことになっていますが、SNS も実社会もなんら違いはないというのがぼくの経験から得ている間違いない実感で、実社会で実名で攻撃をくりかえす人物ってけっこういますよね。

 

そんな人物は実名で SNS をはじめても同じことをやってしまうのだというのはたぶん間違いないことです。反対に匿名、ではないにせよ仮名というか、芸名・筆名というものがあるでしょう、作家がペン・ネームで活動したり、歌手や音楽家なんかでも実名をそのまま使っているひとのほうが少ないんじゃないですか、みんな大なり小なりステージ・ネームで活動していると思うんです。大相撲力士や、落語家や歌舞伎役者は全員そうですよね。

 

じゃあ、それらの芸名や筆名で活動している音楽家や芸能人やスポーツ選手や作家の発言は、実名じゃないから無責任である、本名で発言しろ!ということが言えるんですか?まったく的を外していると思いますね。音楽家や作家などは Twitter アカウントもその活動している仕事上の仮名でやっていて、それで社会や人間の問題についてしっかりした真剣なツイートをしています。本名じゃないから無責任な誹謗中傷を投げやすいだろうなんてことはありません。

 

だいたい人間の名前なんて、しょせんは<仮>のものでしかないんです。実名・本名ってなんですか?(日本だと)戸籍に記されている名前がそれですか?それはたんに出生時に親なりだれかなりが命名して届け出ただけのものでしょう。実だとか本だとかいう言いかたをするならそこに客観的に絶対揺るがない根拠が必要なんじゃないかと思いますが、戸籍に記されているというだけでそんな証明はできません。だれにとっても不可能です。

 

そもそもぼくだって「戸嶋 久」という名前であらゆるネット活動をやっていますが、これが実名であるかどうか、みなさん証明できますか?どなたのどんな名前だってそうなんですよ。実名制が原則とされている Facebook でだって、その名前がそのひとの戸籍名であるかどうか、フレンドさんのだれひとりとして確たる証拠は得られません。

 

そもそも実名を使えない、あるいは存在しない、というひとだっているんですよ。出生届記入時の書きミスで当人がその後混乱したりはよくあるし、たとえばトランス・ジェンダーは、出生時に与えられた女性的/男性的な名前を使うのに苦痛と困難を感じ、それなりの名前に通常生活で移行しているケースが多いです。また難民で幼少時になにもかも失われて実名がわからなくなっていて、親も関係者も全員この世にいないといったケースで、その後を生きる名前を保護施設などで与えられたケースもあります。これらのケース、そもそも実名が存在しないんですから。

 

こういったことはせんじつめれば実名なんてものがこの世にあるのか?実名とはなんぞや?いや、そもそも<名前>とはなにか?という問いに行き着くわけですが、そうです、つまりそんなものはないんだと、たまたまそのときの活動名があるだけで、この世の人生もたまたまそのときの一回性の活動にすぎず、それを過ごす仮の名をわれわれは与えられているだけなんだ、というのがぼくの考えです。

 

だから、実名と仮名(芸名や筆名や SNS 名など)とのあいだになんらの差異もない、匿名であろうが責任のある発言をするひとはするし、実名でも卑劣なひとは卑劣っていう、それだけのことでしかないなと思うんですね。だから SNS 実名制だとか、そうなってもぼくはなにも違いませんが、あまり意味のない提案じゃないですかね。

 

差別発言や誹謗中傷はなぜダメなのか、やめましょう、という教育に注力すべきであって、匿名か実名かはそのテーマの本質に関係がないように思います。実名で言え!というのは在日韓国・朝鮮人に通名はやめろ!とおどす差別主義者みたいですよ。

 

(written 2020.6.23)

2020/06/23

躍動的で多彩なポリリズムが魅惑的な、ルデーリの二作目

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(4 min read)

 

Ludere / Retratos

https://open.spotify.com/album/0euRMvP3PMJYHTdfK1PI1H?si=luzNnK39TPujtEBpNUIG9w

 

ブラジルのというだけでなく現代最高のジャズ・ユニット、ルデーリ(Ludere)の二作目、2017年の『Retratos』ではゲストがけっこういるっていうのも特徴ですよね。1曲目のヴァネッサ・モレーノ(vo)、2&3曲目のヴィニシウス・ゴメス(gui)、そして1、3、4曲目で弦楽四重奏団も参加…、ということになっていますけど、1曲目で声みたいなものは聴こえませんよねえ?どうなってんの?喉を使ってなにか違う音を出しているのかなあ?それもわからないですけど。

 

どうしても声は聴こえないので、ゲスト参加はギターとストリング・カルテットだけということにして、アルバム『Retratos』の前半でゲスト・ミュージシャンたちは演奏しています。そのパートはどっちかというとスムースな感じのするジャズなんじゃないでしょうか。聴きやすく、つっかからないサウンドとビート。ドラムスのダニエル・ジ・パウラはそれでもやはり細かい先鋭的なリズムを叩き出しているのが印象に残りますけれどね。

 

個人的にグッとくるのは後半5曲目からです。5曲目は「アフロ・タンバ」と題されているのでもわかるようにアフロ・ラテンなリズムを採用した一曲。こりゃあいいですねえ。ちょっとサンバ的であり、同時に汎ラテン・アメリカンな躍動的ビートを持ったこの曲では、リム・ショットも多用してやはりダニエルが大活躍。いやあ、いいドラマーです。

 

このアルバムでは、5曲目以後、こんな感じでリズムに躍動感と(ブラジルからみたときの)エキゾティックな香りがただよっているのが大きな特徴にして、聴きどころ、個人的愛好ポイントになっているんです。リズムの躍動感に満ちた表現は、前半部とはあきらかに異なるもので、ゲスト参加を中心とする前半とリズム表現に重きを置く後半とでアルバムははっきり二分割されています。

 

6曲目「エスパソ-テンポ」でもピアノの弾くかたまりの反復のようなリズム表現が目立っていますし、そうかと思うとストップ&ゴーで色彩感に富む表現を聴かせたりしておもしろいですね。それから7曲目「レトラトス」でもそうなんですが、四人はそれぞれ異なるリズム・パターンを同時に演奏していますよね。6曲目でも、特にトランペットのルビーニョ・アントネスは大きくゆったり乗っていますが、背後のブロック・リズムは細かいです。

 

ポリリズミックな演奏という意味では7曲目「レトラトス」がいちばんでしょうね。ここでは四人が並びながらそれぞれ異なるパターンを演奏し同時進行させているじゃないですか。これは作曲段階でかなり意識的にそう組み立てられているんだなとわかります。ピアノのフィリップ・バーデン・パウエルがリズムを牽引していると思いますが、フィリップの演奏するパターンにドラムスもトランペットも合わせないんですよね。異なるリズムを同時並行で演奏していっています。

 

8曲目「インディカ」でも大きくゆるやかに乗るトランペットと細かくガンガン弾くピアノとのコントラストが印象に残りますが、フィリップのピアノ・ソロになってからは完全にフィリップが主導権を握ります。そうなって以後、今度は(ピアノに合わせながら)ダニエルがかなり激しくパッショネイトなドラミングを聴かせるようになり、四者合同でアツくなってアルバムはおしまいです。

 

(written 2020.4.28)

2020/06/22

わさみんはオリジナル曲がとてもいい

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(5 min read)

 

2017年2月にわさみんこと岩佐美咲にはじめて出会って以後しばらくは、カヴァー・ソングのことばかり書いていたような気がします。考えてみたらそれは曲を知っているということだけが理由でした。それまで聴いたことのない歌手でしたから、考察するにあたりせめて曲だけは知っているものをとっかかりにしないとやりにくいっていう、たぶんそれだけでしたよね。オリジナル曲をすっ飛ばしてカヴァー曲ばかり聴いていたような気がします。

 

それがどうでしょう、いまではどう聴いたってオリジナル・ソングのほうが好きだし、すばらしく聴こえるんですからね。わさみんは(も)カヴァー・ソングより彼女のために用意されたオリジナル曲のほうが歌がすばらしく聴こえます。そこで、いままでに発売されているわさみんオリジナルをいちおう下に列挙しておくことにします。デビュー曲の「無人駅」が2012年リリース。その後一年一曲のペースで発売されています。

 

1 無人駅
2 もしも私が空に住んでいたら
3 鞆の浦慕情
4 初酒
5 ごめんね東京
6 鯖街道
7 佐渡の鬼太鼓
8 恋の終わり三軒茶屋
9 右手と左手のブルース

 

こういったオリジナル曲のほうが(カヴァー曲より)いいぞと感じるのには、たぶん大きな理由が二つあると思うんです。(1)わざわざわさみんのためにと、彼女が歌うためにと、あつらえられた曲であるということ。(2)くりかえしくりかえし、特に歌唱イベントなど生歌現場で、なんども聴いてきていること。これらが最大の理由なんじゃないかと思えます。

 

カヴァー曲のばあい、優秀な名曲であればだれが歌ってもいい感じに仕上がるだけの柔軟性、解釈可能性、幅の広さを持っていると思うんですけれども、それでも最初もともとはだれか特定の歌手のためにと考えられて用意された曲です。その歌手の持ち味にぴったりフィットするようにとあれこれ工夫されているものですよね。だからほかの歌手がカヴァーする際にはその曲のよさを100%発揮しきれないケースもあるかもしれないです。

 

つまり、オリジナル曲ならばその歌手向けにとつくられた、いわばオーダー・メイドな歌なわけですから、似合うというのはある意味当然ですよね。わさみんのばあいだって、たとえば「もしも私が空に住んでいたら」とか「鞆の浦慕情」とか「初酒」とか「鯖街道」とか、こういった曲以上にわさみんに似合う曲って、いままでのカヴァー・ソングのなかにないようにに思いますからね。

 

言ってみればオートクチュール(注文を受けてつくる仕立て服)とプレタポルテ(できあがったのを売っている既製服)との違いといいますか、岩佐美咲という歌手の寸法からなにからぜんぶしっかり測って100%フィットするように一針一針ていねいにつくられたのがオリジナル曲ですから。そんなわけでオリジナル曲を歌うときのわさみんのほうがカヴァー曲を歌うときより輝いているように思える、曲が似合っているように思えるんですよね。

 

現場で、CD で、くりかえしいままで聴いてきているからというのももちろん大きな理由です。わさみん CD 収録曲全体数の78からすれば、オリジナル曲はたったの9ですから、少ないんですけど、ぼくがいつも聴いている私製わさみんベスト・プレイリストではその九曲がまとめてトップに来るように並べてありますからね。聴くたびにまずそのオリジナルの九曲が来るというわけですよ。

 

それに歌唱イベントなどでも、たとえば通常四曲のところ、1曲目と4曲目がオリジナル・ソングで構成されています。なかでもラスト4曲目はその年の新曲を例外なく持ってくることになっていて、2019年にあんなにたくさん参加したわさみん歌唱イベントで2019年の新曲「恋の終わり三軒茶屋」はこれでもかというほど聴きました。現場で30回以上は聴いたんじゃないかなあ。

 

そのほか「無人駅」〜「佐渡の鬼太鼓」までも歌唱イベント現場でなんども聴きました。「佐渡の鬼太鼓」はそれでも回数が少なかったんですけど、それ以前の六曲は刷り込むようになんども聴きましたよね。どんな曲でもなんどもなんども聴けばいい曲だと思えてくるというのは事実です。なかでも「初酒」と「鯖街道」はテンポがよくてイベント幕開けにぴったりということで多く歌われますので、ぼくのなかにも沁みついているし、佳曲だと思えるようになっています。

 

その点、2020年の最新曲「右手と左手のブルース」だけがですね、う〜ん、まだ一度も生歌唱を聴いていません。しょうがないんですよね、発売されたのが4月22日で、ちょうどコロナ禍のまっただなか。わさみんイベントも二月末からずっと自粛でおやすみ中で、現在も再開されておりません。事実、わさみんはまだ一度もこの新曲をファンの前で歌ってないんですね。

 

ソロ歌手として独立してからは、年間100回以上の歌唱イベントをこなしてきているわさみん。一度の歌唱イベントで必ず一回その年の新曲を歌いますから、つまりそれだけ歌い込んでいるわけです。ところがそれが「右手と左手のブルース」のばあい、いまだ皆無ということで、ぼくらファンとしてもさびしいかぎり。早く生歌イベントが再開して(っていつのことになるのか?)、なかなかの曲であると思う「右手と左手のブルース」も、現場で生で、どんどん聴きたいものです。

 

(written 2020.6.13)

2020/06/21

2020年6月、ここのところ聴いているもの by ミック・ジャガー

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(4 min read)

 

Mick Jagger / Currently Listening To - June 2020

https://open.spotify.com/playlist/4r3aUpdoQEKdQ9WXdsWwQT?si=3fQvvrK2QO6VmRNUpPcqrg

 

2020年6月10日にミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)が公開した Spotify プレイリスト『カレントリー・リスニング・トゥ - ジューン 2020』。端的に言ってこれは5月25日の米ミネアポリスでの白人警官による黒人ジョージ・フロイド殺害事件と、それ以後アメリカだけでなく世界中に巻き起こっている Black Lives Matter 運動へのミックなりの反応、連帯を示したものでしょう。このプレイリストが公開された6月10日は、デモが激しさを増していた時期です。

 

ミックは自身の Facebook でこのプレイリストの各曲ごとに短くコメントも記しています。そこには Black Lives Matter 運動にインスパイアされたみたいなことは特に書かれていないんですけれども、それでもラスト・ナンバー、プリンスの「ボルティモア」の項で、ミネアポリスのことについてだったら彼はどんな曲を書いただろうとは触れていますね。
https://www.facebook.com/mickjaggerofficial/posts/3289625687737924

 

プレイリストは、そもそも1曲目がサム・クックの「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」じゃないですか。これは黒人解放運動のアンセムのようなものなんですからね。ジョージ・フロイド殺害事件以後、各種音楽ストリーミング・サービスは Black Lives Matter 関連プレイリストを公式に発表していますが、サム・クックの「チェインジ」とプリンスの「ボルティモア」の二曲はどれにも必ず入っていると言っていいくらいです。

 

ミックのプレイリストはそれらをトップとラストに持ってきているんですから。なかにはオーケストラ・バオバブの一曲とか、ソマリアの『スウィート・アズ・ブロークン・デイツ』からの一曲とかもあったり、あるいはまたなぜかモーツァルトのピアノ・ソナタがあったりもしますが、全体的には世界のブラック・ミュージックが立て続けに流れてくるといって間違いありません。

 

ストーンズのミックですけど、プレイリストに(白人)ロック・ミュージックがまったく一個もないというのも特徴かもしれないですね。ミックとストーンズは米英の白人ポップ音楽家としては最も真摯かつ熱心&継続的にアメリカ黒人音楽の理解と吸収にとりくんできたとして間違いないわけで、その結果アメリカだけでなく世界で起こってきた黒人差別事件などにも鋭敏に反応してきました。

 

今回、ミネアポリスでのジョージ・フロイド殺害事件に端を発する全世界的な Black Lives Matter 運動には音楽界からもさまざまの積極的な共感と支援が示されています。Bandcamp がある日の収益の100%を NAACP(全米黒人地位向上協会)に寄付したり、そのおかげでこのプラットフォームを利用する音楽家たちがものすごい勢いで音源をカタログに加えて売り上げに貢献したりしました。

 

ミックとストーンズはそういった直接的な経済活動は今回いまだ示していないものの、『カレントリー・リスニング・トゥ』みたいな音楽エンターテイメント・プレイリストをたくさんのファンに聴いてもらうことで、自分たちが傾注してきた黒人音楽の魅力を伝え、それを生み出してきた黒人たちが社会でどんな扱いを受け続けてきているのか、本来どういった社会であるべきなのか、ちょっとでも考えてみてほしい、そんなことをインスパイアできればといったことだったかもしれないですね。

 

(written 2020.6.20)

2020/06/20

書くことで理解する

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(5 min read)

 

この文章が書き上がったら、ブログ用の文章ストックが42個になります。そんなにためこまなくていいんですけど、なんだか最近書けちゃうんですね。ストックは20個強もあればじゅうぶん心おだやかでいられるんでその程度でいいと思うものの、一月末ごろから一日二つ三つと書けるようになり、そういうことが断続的にあって、結果ストックが42個ということになりました。

 

ブログなんで、そもそもその日の感想とか気持ちとかを書いてそのままその日のうちにアップするというのが本来の姿かもしれません。はじめたころからずっと音楽を聴いての感想を上げていましたから、CD やファイル、最近では配信で、聴いて、そこから頭のなかに浮かんだ思いというか、感想、論考というか、そんなものを書いてはためこむようになったんですね。

 

感想とか論考とかいっても、あらかじめ書く前から頭のなかに鮮明にそれがある、こうこうこういうことを書こうとはっきりしている、なんていうことはぼくのばあいあまりありません。書く前から構成なんかがくっきりしているということが皆無ではないんですけどまずなくて、ゼロに近い状態からノー・プランでいきなり闇雲に書きはじめる、あとは成り行きまかせの即興っていうケースばっかりですね。

 

書き上がったものを時間をおいて(アップしてからでも)読みなおすと、全体がよく構成されているだとか起承転結があるだとかって感じるばあいもあって、しかし執筆前にプランを練ったりしませんしメモもあまりしていないですから、考えなしの場当たり即興だけど頭のなかで無意識裡に組み立てつつ書き進んでいるということなんでしょうね。マイルズ・デイヴィスのことばを借りれば「インスタント・コンポジション」っていうか。

 

書く前からあらかじめわかっていることを書くというのではなく、書きながらちょっとづつわかってくる、書くことによって対象をだんだん理解するようになるというのが本当のところで、ぼくのブログも多くのばあいなんらかのディスク・レヴューだったりしますけどそのアルバムのことを本当にちゃんと聴けるようになるのは書いたあとのことです。特にはじめて聴く新作や、旧作でもあまり知らなかったもののときはそうです。

 

とりあげようと思って、書いて、(時間をおいて)アップして、それではじめてその音楽アルバムのことを理解したような気分になれるということですね。文章を書くひとのばあい、対象物をよく理解してから書く、ということもあるでしょうがたいていはそうじゃなく、書きながら、そのプロセスで、理解していくということが多いというのをご納得いただけるんじゃないかという気がします。みなさん大なり小なりそうなんじゃないかと思うからです。

 

音楽アルバムをとりあげる際は、執筆前にくりかえしなんども聴き、もちろん書いている最中の BGM もそのアルバムですけれど、書き終えて時間をおいて推敲しているときにもう一回聴いたり、ブログに上げてからそれを読みつつ再度聴いたりしたときのほうが、その音楽がもっとよりよく聴こえてくる、耳にしっかり入ってくるというのがたしかなことなんですね。書いてから聴く、すると前よりもっといい音楽に思えるから不思議です。愛着が増すという面がありますね。

 

また、聴いて、とてもいい音楽だと感じ、しかしどこがどういいと思うのか感想の輪郭が不鮮明だったり曖昧だったりするばあいには、書くという行為にとっても意味があります。書くことによってはっきりした感想を持てる、ぼやけていた輪郭がくっきり姿を現したりするというのはよくあることですから。長年聴き続けていて知っている音楽だとこのプロセスはないんですけど、はじめての音楽作品だと、自分の感想をはっきり自覚し対象を鮮明にとらえる行為に、書くということがなるんです。書くことで整理されますよね。

 

だからぼくにとって、音楽を理解する上で「書く」ということはとても大切なことになっています。ブログをはじめるまで特に書いたりしていなかったんじゃないの?と思われるかもしれませんが、なんらかのかたちで若い時分から、それこそ熱心に音楽を聴きはじめた当初から、ずっと書いてきたというのが真実だったのかもしれません。はじめは日記や個人的なエッセイで(それを紙のノートに)。雑誌なんかに寄稿するようになるとその原稿を書き、ネットの出現とその後の SNS の普及で今度はそれに書くようにずっとなっていました。

 

それがぼくのばあいたまたま2015年からブログというかたちに変わっただけなんですね。書いてみる、文章にしてみるというのは、たぶんどなたにとっても有効なプロセスで、愛する対象をよりよく深くしっかりと知る、理解する、愛が増す、そんな大切な行為であるような気がします。書き記すことによって、書き進みながら、音楽のことでも(なんでも)いっそう理解が進むというのがこの世の常じゃないでしょうか。

 

(written 2020.4.24)

2020/06/19

迫力のソウル・クイーン 〜 シエラ・グリーン&ザ・ソウル・マシーン

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(4 min read)

 

Sierra Green & the Soul Machine / Sierra Green & the Soul Machine

https://open.spotify.com/album/3h2inyBKPE7hQQXPd3VA86?si=TVdIorLjQ7iF2scmt-lzCA

 

ニュー・オーリンズのバンドみたいです、シエラ・グリーン&ザ・ソウル・マシーン(Sierra Green & the Soul Machine)。そのデビュー・アルバムだと思うんですけど『Sierra Green & the Soul Machine』(2019)を聴きました。このバンド、音楽はたぶんリズム&ブルーズ/ソウルのフィールドにあるとしてさしつかえないでしょうね。それもわりとオールド・ファッションドなっていうか1960〜70年代的なブラック・ミュージックに聴こえます。

 

オールド・ファッションドな、っていう言いかたをすることも実はないんでしょう、こういったものはオーソドックスなソウル・マナーですから不朽のスタイルというべきで、時代を超えて幅広く聴かれ支持される音楽なんだと思います。カヴァー・ジャケットに写っている女性が主役歌手のシエラ・グリーンってことでしょうか、そんな音楽を彼女もまた志向しているんでしょうね。カヴァー・デザインもわざとレトロな古めかしい感じに寄せてきています。

 

アルバムはたったの31分間で、しかもシエラとバンドがぐいぐい押すアップ・テンポの調子のいい曲ばかり。迫力ありますね。バンドはたぶんギター、鍵盤、ベース、ドラムス、ホーンズかな、演奏はよく練りこまれているし、熟達の味わいがします。たぶん地元ニュー・オーリンズや、あるいは全米各地でも?ライヴを重ねてきているんでしょうね。

 

だから、録音はたぶんこれ全員合同の一発録りでやったんじゃないですか、オーヴァー・ダブなどのギミックも、コンピューターを使った打ち込みなどもいっさいなしだったんじゃないかと聴けば想像できます。そういったあたりも、オールド・ファッションドというより、ライヴ・バンドならではの実力を発揮したといったところなんでしょう。生演奏じゃないと出せないグルーヴが満載です。

 

フロントで歌うシエラが曲も書いているのか、バンド・メンバーかだれかが手伝っているのか、そのあたりは不明ですが、オーセンティックなソウル・マナーでのソング・ライティングで、ヴォーカルのスタイルとあわせ、ちょっとアリーサ・フランクリンを思い出したりもします。歌はアーマ・トーマスっぽくもありますね。シエラは発声もかなり鍛えられているに違いないという声質です。

 

ぐいぐい押すノリノリ迫力のアップ・ビート・ナンバーばかりで、ぜんぶで八曲ですからちょっとだけチェンジ・アップを混ぜたら、そう二曲程度あれば、メリハリがついてよかったんじゃないかと思わないでもないですが、アルバムは31分間しかないので、あっという間に駆け抜けてしまうフィーリングで、飽かずに最後まで聴けますね。シエラのつばが飛んできそうな迫力(はバンドの演奏にもある)にけおされるというか。

 

アルバムでは、しかしラスト・ナンバー「ピーシズ・オヴ・ユー」だけが実は三連のソウル・バラード。締めくくりにもってきたのには意図があるんでしょう。ファッツ・ドミノっぽいニュー・オーリンズ・テイストも濃厚に漂っているし、切ない歌詞を濃ゆい感じで歌い上げるシエラのヴォーカルにも泣けて、ムーディな幕引きでいい感じです。

 

(written 2020.4.27)

2020/06/18

ディーノ・ディサンティアーゴの点描画法 〜『Mundu Nôbu』

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(5 min read)

 

Dino D’Santiago / Mundu Nôbu

https://open.spotify.com/album/2lNJ5yRhrfNmLgVWR7TGtw?si=e801j_kXR-iV_a_-LvZziQ

 

bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-03-26

 

傑作でしょう。いいジャケットですよね、見た瞬間になにか直感するものがあって聴いたディーノ・ディサンティアーゴ(Dino D’Santiago、ポルトガル)の2018年作『Mundu Nôbu』。はじめて聴いた音楽家でしたが、すっかり気に入ってしまいました。音の質感というかテクスチャーがたいへんぼく好みなんですね。サウンドの組み立てはほぼコンピューターで出す打楽器音が中心で、+ギターとか鍵盤とかも聴こえますけど、いちばん好ましく思うのはデジタルな打楽器音です。

 

デジタルなんですけど、まるで生楽器のように生きているみたいでしょう。呼吸して躍動しているように聴こえます。そして乾いていて、同時にしっとり暗いダウナーなフィーリングもありますよね。ことにちょっとダブふうに音が漂うこのスネアみたいなサウンド、シェイカーというかはさみでチョキチョキやっているようなサウンド、ブラシでドラム・セットを演奏しているみたいなシュッシュッっていうサウンドなど、それがまばらにミックスされている1曲目のアルバム・タイトル曲のサウンド・プロダクションですっかりトリコになりました。

 

たしかにギターとか鍵盤楽器などみたいに鮮明な旋律や和音を演奏できる楽器も一部で、しかもかなり控えめに入っているんですけど、このアルバムのサウンドの主役はあくまでデジタル・パーカッションだと思うんですね。それにくわえディーノの(多重録音)ヴォーカルが乗っかっているという。スカスカな、しかもダウナーなフィーリングの強い音の組み立ては、ぼくにはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの『暴動』やサラ・タヴァレスの『FItxadu』を連想させます。

 

スライやサラのああいった音楽は絶望をベースにしていたわけですが、ディーノになにがあるのかはまったく知りません。むしろ音楽的にはハッピーというか充実しているみたいですよね。リスボンに住むカーボ・ヴェルデ系のポルトガル人である2018年のディーノに、ことさら強い人間的落ち込みがあるのかわかりませんが、このアルバムの音楽はそういった部分から生まれてきているわけじゃないんだなと思います。

 

『Mundu Nôbu』全編で感じるこのしっとり感というかダウナーでヘヴィなサウンドやリズムのフィーリングは、2018年ともなればこういった音楽性がすっかり時代の空気となって定着しているからかもしれないですね。現代のアフロビアン・ミュージックを構築するのにこんなサウンドは不可欠なのだと。楽しく跳ねるような感触はまるでなく、落ち込みというか暗くたたずむ落ち着きが聴けるなと思います。

 

このアルバムでは、そんなフィーリングを表現するために用いられているどんな楽器も集団では鳴らさず(ギターや鍵盤などはあまりコードを弾かずシングル・トーン中心)、モノ・トーンを点描的に折り重ねるようにしてアンサンブル、というかバック・トラックができていますよね。ぼくがいちばん気に入っているのはそこなんです。(デジタル・)パーカッションでもどんな楽器でもちょっとづつシングル・ノートを演奏して、一音づつ、しかもすこしづつずらして、その結果多層性を獲得するように、重ねられているところ。

 

そんな手法を採用した結果、点描画法が独自のグルーヴを産むことになっているし、ビートは躍動的でありつつナマナマしい肉感性をムキだしにしているなと感じます。そうかと思うと曲のメロディは聴きやすく親しみやすいもので、サウンドの地味で暗い印象とある意味よくブレンドして、アルバム全体の印象をぐっと向上させています。こういったダウナーで点描的なサウンドそれじたいはとっつきにくいものかもしれないんですけど。

 

デジタル・パーカッション+ヴォーカルで構成されていると言ってもいいくらいなこのアルバム『Mundu Nôbu』ですけれど、主役の歌も決して歌い上げ系ではなく、低くたなびき静かに落ち着いて漂っているような感じ。それもこういったサウンドによくマッチしていますね。

 

(written 2020.4.26)

2020/06/17

ファンキー・ジャズの演歌ノリ

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https://open.spotify.com/album/5PzlTnVafjgt5RtjTdIKoC?si=60SQRSuhTzGxSdUQ0EOE5g

 

1960年前後ごろのファンキー・ジャズ、たとえばアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの曲「モーニン」(1959)なんかを聴いてカッコイイな〜って思うのは、そのちょっとあとの時期の日本の演歌ソング、たとえば都はるみの「アンコ椿は恋の花」(1964)を聴いてエエナ〜って思うのと、同じようなことじゃないでしょうか。おかしな考えでしょうか。ちょっとノリに共通したものがあるように感じるんですけどね。

 

ファンキー・ジャズ、そう、「モーニン」の名前をあげましたが、ほかにも「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」(カーティス・フラー、1960)とか「ワーク・ソング」(ナット・アダリー、60)とか「ソング・フォー・マイ・ファーザー」(ホレス・シルヴァー、65)とか、ああいったジャズ・ソングに共通するある種のノリがあると思うんですよね。

 

その共通性をぼくなりに抜き出して、どうしてあの手のジャズは日本でこんなにもてはやされてきたのかを考えるとき、ひょっとしたらそれは演歌ノリに相通ずるからだ、似通ったフィーリングがあるからだという結論に達するんですね。あの手のファンキー・ジャズ作品は、当時もあまり間をおかずに日本にアルバムが入ってきていたでしょうし、なんたって大流行したそうじゃないですか、特に音楽やジャズと関係なさそうなひとびとのあいだでも。

 

となれば、そのちょっとあとになって演歌というジャンルが日本で成立したころ、その作曲・編曲をする音楽家たちだって耳にしていたはずだと思うんですね。アート・ブレイキーやホレス・シルヴァーを、たとえば市川昭介がまったく聴いたことがなかったとは、ちょっと考えにくいですよ。ヨーロッパのクラシック音楽やアメリカのジャズなんかは日本のコンポーザーのあいだでもお手本だったんですからね。

 

ファンキー・ジャズと演歌の両方に流れている共通のノリ、それがなんなのかをことばで明言するのはとてもむずかしいことです。あえて言えば<よっこらせ・どっこいしょ>のノリとでも言いますか。それは2ビート感覚ですけれども、ファンキー・ジャズだって1、2でポーン、ポーンと刻みながらフィーリング的には8ビートを表現していましたよね。う〜ん、うまく言えてないなあ。

 

ボーン、ボーンとかズン・タタ、ズン・タタとか、ああいった演歌調のノリ、リズム・フィールは、たしかに演歌独自のものかもしれませんが、ファンキー・ジャズの曲を聴いているときにぼくのなかでなんらかの相通ずる琴線を刺激されるというのが間違いないところなんですね。ファンキー・ジャズの流行が1960年前後、日本クラウンが発足した(ので演歌ジャンルが確定するようになった)のが1963年ですからね。都はるみのレコード・デビューが64年。

 

時期的にこれだけシンクロしていて、聴いた感じも似たようなノリがあるとわかるんですからね。もちろんそれはたんなる偶然、たまたまのもの、であるとも言えます。ファンキー・ジャズの成立にはアメリカのブルーズや教会ゴスペルが深くかかわっていますが、日本の演歌はそこまでディープ・ルーツを持つものじゃありません。むしろ洋楽の影響からある意味ちょっとだけ離れ、一定傾向の流行歌を(商略上)囲い込もうという動きのなかにジャンルの成立がありました。

 

そんな事情もあるので、ファンキー・ジャズと演歌は似ていないということに、考えてみればなりそうですけど。それであっても個人的に感じるこのノリ、フィーリングの共通性はなんとも否定しがたいものがあります。ズンズンと泥くさくクッサ〜イ感じで盛り上がるこのフィーリング、過剰な感情表現、強調・誇張が多く使われること、派手な高揚 〜〜 両者を聴いていて感じるこの共通性は疑えないんですね。

 

(written 2020.4.25)

2020/06/16

ナット・キング・コールのラテン・ポップとジェイムズ・ボンドとの関係

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/7GlR8e592Xomud4vjHrN9h?si=1ex-ke2bQyS6dP8BzcBX1Q

 

ジャズに夢中になる直前に映画のサウンドトラックにはまっていた時期がちょっとだけあるんだという話は以前しましたね。映画音楽に夢中になることで、レコードを買う習慣ができて、音楽、特に器楽演奏音楽を好きになっていったわけですが、高校生のころの話で、いちばんのめり込んでいたのが映画『007』シリーズだったんです。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-e8c0.html

 

このシリーズをたくさん見たあげく、なかでも好きだったのはやっぱりショーン・コネリー時代で、『ロシアより愛をこめて』(1963年英国公開)や『ゴールドフィンガー』(同64年)などですかね。あのころの007映画にはなんともいえない雰囲気があって、本当によく観ていました。レコードを愛聴していた印象的な主題歌のことだってよく憶えています、っていうかいまでは音楽のことがいちばん強い残像です。

 

ちょっと聴いていただきましょう。まず『ロシアより愛をこめて』主題歌。この007シリーズ第二作のテーマ・ソングはインストルメンタルで(この映画シリーズには散見します)、でもマット・モンローがそのメロディを歌ったものがエンディング・クレジットで流れるんですね。メロを書いたのはライオネル・バート。
https://www.youtube.com/watch?v=Lcdmq07u2T8

 

次作『ゴールドフィンガー』では主題歌をシャーリー・バッシーが歌っています。シャーリーは007映画シリーズのトータルで(といってもシリーズもシャーリーも存命ですが)なんと三作品も主題歌を歌い、そんなのはシャーリーだけなんですね。007シンガーとも言えましょう。「ゴールドフィンガー」はジョン・バリー作。
https://www.youtube.com/watch?v=6D1nK7q2i8I

 

今日ぼくが言いたいことは、こういった全盛期の007映画シリーズの主題歌は、その数年前にナット・キング・コールが歌ってレコード・リリースしているラテン・ソングに酷似しているんじゃないかということです。007シリーズ主題歌のことは青春の記憶ですから薄れることはないんですけど、ナットのラテン・ソング集をなんども聴きかえしていて、なにかに似ている、なんだろう?とずっと思っていたんですね。それでこないだ、ハッ!と思い当たったわけです。

 

たとえばナットの『モア・コール・エスパニョール』(1962)に収録されている「トレス・パラブラス」。いちばん上で Spotifyプレイリストにリンクしておきましたが、いちおう YouTube 音源も貼っておきましょう。オズバルド・ファレス作。
https://www.youtube.com/watch?v=RX2lY9Z5LJI

 

あるいは『ア・ミス・アミーゴス』(1959)に収録されている「ナディエ・メ・アマ」もちょっと聴いてみてください。アントニオ・マリア作。
https://www.youtube.com/watch?v=3zcxU-TM6_Q

 

ナット・キング・コールに三枚あるラテン・ソング集アルバムにはこういう雰囲気のものが実に多いんでキリがないから二つだけにしておきます。もちろんこういったことはナットの資質ではありません。もとの曲を書いた作曲家、オーケストラのアレンジをして雰囲気をつくったアレンジャーらの貢献なんですね。

 

ナットは1950年代には世界的大スターだったし、英語圏の歌手であるということでイギリスでもひろく聴かれていたことはいうまでもありません。主にスペイン語で歌った三枚あるラテン・アルバムのレコード発売年は、それぞれ1958年、59年、62年。すぐにイギリスでも流通したでしょう。なんたって日本でもフル・オーケストラ伴奏でナットの歌うラテンは大人気だったんですからね。

 

007映画の第一作『ドクター・ノオ』が本国イギリスで公開されたのは1962年。ですからその前年かその前あたりから制作がはじまっていたでしょう。この第一作はジャマイカが舞台になっているということで、カリプソはじめカリビアン/ラテン・ソングがわりと使われているんですね。主題歌は例のインストルメンタルですが、挿入される劇中歌がいくつかあります。

 

大英帝国植民地主義の反映なんだとは思うんですが、たとえば「キングストン・カリプソ」↓
https://www.youtube.com/watch?v=mJR_yDtuyQs

 

またこれもわざと舌足らずのなまりを出して歌っているあたり、いかにもでクサイですが、「アンダーニース・ザ・マンゴ・トゥリー」↓
https://www.youtube.com/watch?v=XFUlC5fnhws

 

音楽的に007映画シリーズは第一作からこんな調子で、ラテン・フレイヴァー満載だったんですね。それと関係ありやなしや第二作『ロシアより愛をこめて』以後に提供された主題歌は、はっきりしたエキゾティズム(それも英国根性ですけれど)、セクシーな雰囲気、魅惑的な歌手、ドラマティックなオーケストラ・アレンジをともなって、ある種の香りを濃厚に、一時期は、放っていたんです。

 

その魅力をぼくなりにつきつめれば、ラテン音楽、ラテン・ソングで聴けるあのテイストであるということになり、007映画の音楽のそういった部分に特にナット・キング・コールは関係ないかもしれませんが、ナットのああいったアルバムもフル・オーケストラを起用して雰囲気を出しているし、主役歌手はポップ・スターであるといった点も考えあわせれば、そんなには突飛すぎない連想かもな、と思います。

 

(written 2020.4.23)

2020/06/15

バート・バカラックの新曲がとってもいい

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(3 min read)

 

Burt Bacharach & Daniel Tashian / Bells of St. Augustine

https://www.youtube.com/watch?v=UyRvMeC89Oo&feature=youtu.be

 

92歳バート・バカラックが15年ぶりに新曲を届けてくれました。6月12日にリリースされた「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」。これが甘くて切なくて、とってもいいんです。共作・共演のダニエル・タシアンはナッシュヴィルのシンガー・ソングライターみたいで、その声もいいけど、もうなんといってもバカラックのソング・ライティングがすばらしく、このコロナ禍の梅雨どきにとても気持ちのいい癒しとなってくれています。

 

「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」は都会的で繊細されたジャジー ・ポップ。物憂げでありながら同時に明るい雰囲気もあります。物憂いフィーリングは、まさにバカラックお得意の官能美ということで、こういった彼の書くメロディにはなにかの秘密のチャームがあるなぁと前々からぼくは感じています。今回、曲づくりのどの程度にまでダニエル・タシアンがかかわったのかわからないんですけど、このメロディのセクシーさ、コード展開、転調の入りかたなど、まぎれもないバカラック節ですよね。

 

「ザ・ルック・オヴ・ラヴ」「イン・ザ・ダーケスト・プレイス」といった、うっとりするような恍惚の名曲の系譜に完璧に乗っていると思うバカラックの新曲「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」ですけど、バカラックの名曲の数々は、いままでもいつだってぼくらの困難な時期に救いになってきたと思います。洗練されたそのバロック・メロディは他に比類するものがほとんどなく、ポピュラー・ミュージック界の文字通りのクラシックとして、21世紀でもひろく愛されています。

 

新曲「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」は、来るべきニュー EP アルバムの先行リリースで、その EP『ブルー・アンブレラ』は7月31日に発売予定。五曲が収録される見込みで、いずれもバカラックとダニエル・タシアンとのコラボ・ワークだとのこと。ダニエルをヴォーカルに、バカラックをピアノにおき、ナッシュヴィルで現地のミュージシャンたちとともに録音されたその新作 EP、本当に楽しみですね。収録予定曲は以下のとおり。

 

1. Bells of St. Augustine
2. Whistling in the Dark
3. Blue Umbrella
4. Midnight Watch
5. We Go Way Back

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(written 2020.6.14)

2020/06/14

ブルー・ノートの有名ヒットに聴く8ビート

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(6 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/03v08073YFtriJYto8uO1K?si=b91V_LaCQmqKpEksZZwaDQ

 

以前から言いますようにブルー・ノートはレーベル公式でよく配信プレイリストをつくってくれるのが楽しいんですが、今2020年にも『ブルー・ノート:クラシック・ヒッツ』というのをリリースしてくれました。タイトルどおり有名曲ばかり、もうあまりにも古典的すぎるものばかりどんどん流れてくるんで、目新しいことはなにもありませんが、ただ BGM にして軽いモダン・ジャズ気分にひたりたいというときは最適です。

 

これを流していて気がついたのが、8ビート・ナンバーがかなりあるぞということです。このプレイリストはべつにジャズ・ロックとかソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクのそれではありません。きわめて正統的なハード・バップを中心に収録したオーソドックスなアンソロジーであって、しかもそのなかにこれだけ8ビート調があるとなれば、なにかちょっと考えざるをえませんよね。

 

特にいわゆるファンキー・ジャズのなかに8ビートが多いと思うんですけど、このレーベル公式配信プレイリスト『ブルー・ノート:クラシック・ヒッツ』で聴ける8ビート・ナンバーを以下に抜き書きしておきました。

 

・Moanin' (Art Blakey and the Jazz Messengers)
・Song For My Father (Horace Silver)
・The Sidewinder (Lee Morgan)
・Watermelon Man (Herbie Hancock)
・Señor Blues (Horace Silver)
・Dat Dere (Art Blakey and the Jazz Messengers)
・Blues Walk (Lou Donaldson)
・Cantaloup Island (Herbie Hancock)
・Back At The Chicken Shack (Jimmy Smith)
・Chitlins Con Came (Kenny Burrell)
・Alligator Bogaloo (Lou Donaldson)
・Blue Bossa (Joe Henderson)
・Ceora (Lee Morgan)

 

鮮明な8ビート・リズムが中心ですけど、なかには4ビートのなかにフィーリングだけ8ビートの跳ね、バックビートっぽいノリをあわせもっているかなと思うものもふくめました。たぶんジャズ・メッセンジャーズの「ダット・デア」やルー・ドナルドスンの「ブルーズ・ウォーク」なんかは感覚だけですね、8ビートっぽいちょっぴりそんな感じがするというだけです。また、6/8拍子の曲もあります。

 

この事実、保守的なモダン・ジャズ・ファン(ってむかしながらのっていうか旧態依然たるジャズ・ファンがまだ残っているのかわからないんですけど)のみなさんには「エエ〜ッ!」って言われそうですよね。ジャズのビートは4拍子と決まっているじゃないかと、そう思われるかたがいまだおられるかもしれません。

 

でもあらゆるジャズ・ソング中最も有名かもしれない「モーニン」だって8ビートなんですよ。しゃくりあげるようなアフター・ビートが効いているでしょう、特にアート・ブレイキーがそれを叩き出していますけど、でもこういうのはロックの8ビートというのとは違うかも?と思うんです。ゴスペル・ジャズのルーツにもなったアメリカ黒人教会のダンス・ミュージックにあるリズムだと思うんですね。

 

そう、ゴスペルとかブルーズとかそういったものを、特に1950年代後半ごろから、特に黒人ジャズが積極的に取り入れるようになり、その結果いわゆるファンキー・ジャズの勃興につながったわけで、もちろんそのころの同時代のロック・ミュージックや、そのルーツたるリズム&ブルーズなどが流入した部分だってあるんでしょう。

 

ジャズだけがあたかも他の音楽の要素の混入なしに試験管のなかで純粋培養されるように成長してきていたなんていうことは、もちろんありえません。社会のなかで生きている音楽だったんですからね、だから時代や社会の傾向、流行や有名ヒットや、あるいはミュージシャンならではの鋭い感性で受けとる同時代的共振・共感といった現象だってあったでしょう。

 

それにそもそもモダン時代以前からジャズ・ナンバーのなかに8ビートはわりとありました。指摘なさるかたは指摘なさっていたわけですが、たとえばカウント・ベイシー楽団がやる泥くさいブルーズ・ソングのリズムが8ビート・ノリになったり、デューク・エリントン楽団がやるシャッフル・ブルーズ楽曲も8ビートの衣をまとっていることがままありましたよね。両者とも1930年代からそうです。

 

もっと前のジャズ揺籃時代(19世紀末〜20世紀初頭)のことを考えれば、ニュー・オーリンズなどアメリカ南部で2拍子系、4拍子系だけがぽこっと抽出されるようにジャズ・ビートとして採用されたなんてことはたいへんに考えにくいんですから、出現期のジャズのなかにだって8ビートはじめ種々の快活なリズム形態が混在していたはずです。ラテン要素も濃いんですからね。

 

音楽でもなんでもジャンルとして確立し発展をとげれば、ある特定要素を強調する、煮詰めるように進むということがあるわけで、ジャズのばあいそれが4ビートの採用ということにつながったかもしれません。でも8ビートやそれっぽい複雑で跳ねるリズム表現が消えてなくなったわけでもなく、ブルーズやゴスペルなど黒人音楽要素を前面に打ち出すときは表面化していたわけです。

 

「モーニン」「ザ・サイドワインダー」「ウォーターメロン・マン」などなど、モダン・ジャズ・クラシックと呼ばれるこうしたブルー・ノート・ヒッツのなかで8ビート・リズムがこれだけ鮮明なかたちをとって現れているのも、もとをただせばジャズだってそんな音楽だったということですし、モダン・ジャズの時代になって表現の幅、自由度が高まったがため(人種解放意識の高揚とも関係があったと思います)にこうなったのだと考えることができますね。

 

いずれにしても、ジャズのビートを4/4拍子と限定するのはおかしなことです。(ロックにも似た感じの)8ビートはたくさんあるんです。それも有名な代表曲のなかに。

 

(written 2020.4.22)

2020/06/13

梅雨どきだから「あじさい橋」を聴こう

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(4 min read)

 

城之内早苗1986年のデビュー曲「あじさい橋」。いい曲なんですよねえ。これをわれらがわさみんこと岩佐美咲が歌っています。それがもう本当に沁みる出来で、なんともいえずすばらしいんですね。わさみんの「あじさい橋」は、2013年1月発売のセカンド・シングル「もしも私が空に住んでいたら」のカップリングとして収録・発売されたものです。

 

その後ライヴでは2017年7月のサード・コンサートで歌っているので、DVD にも収録されています。実を言いますとわさみんの、というより早苗のヴァージョンもなにもかもふくめ、「あじさい橋」という曲を意識するきっかけになったのが、そのサード・コンサート DVD で、こないだ先月わさみん DVD シリーズを書いたでしょう、そのとき聴きなおしてことだったんです。

 

それまでも聴いていたものだったのに、先月サード DVD をじっくり聴いて、その夜寝たら夢のなかにわさみんの「あじさい橋」が出てきたんですね。目が覚めてそれを鮮明に憶えていたぼくは、あぁそんなにも「あじさい橋」が印象深かったのか、それほどと思っていなかったけど、きっとこの曲になにかあるんだよね、と思い至ったというわけです。

 

それで CD 収録のものを聴きかえしたり、早苗ヴァージョンもいくつか YouTube で聴いたりしていましたが、「あじさい橋」というのはもうなんといっても曲そのものがすばらしいですよね。本当にいい曲です。早苗が最初おニャン子クラブ時代に歌ったもので、作詞が秋元康ですから、秋元つながりということで AKB48時代のわさみんが歌うことになったんでしょうね。

 

秋元の書いた歌詞も絶品ですし、見岳章の曲もみごとですし、それにアレンジがですね、どなたがアレンジャーなのか早苗ヴァージョンはわからないんですけど(わさみんのは伊戸のりお)それもすばらしく、三位一体で非の打ちどころのない名曲になっています。あとは歌手のヴォーカルだけですが、早苗のオリジナル・シングルだとちょっと物足りないなという気がしないでもないです。

 

早苗の「あじさい橋」も、おニャン子解散後のソロ演歌歌手時代のものにはすばらしいものが多くあります。といってもぼくは YouTube でちょちょっと聴いただけですけど、なかなかオォ!と思わせる歌唱もありますね。たとえば、この令和ヴァージョンと銘打っているもの(2019)は伴奏アレンジも刷新されているし、歌も円熟の境地、しっとり落ち着いたフィーリングで、実にいいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=fXd9CeGoFfU

 

坂本冬美と共演したこういうヴァージョンも見つかりました。冬美のことをぼくはたいへんに高く評価しているわけですけど、早苗の歌とならぶと違いが鮮明になりますね。ふわっとやわらかく、やや線が細い早苗にくらべ、冬美の声には強さと張りがあります。この曲の歌詞の扱いかたは早苗のやりかたのほうが好きですが。
https://www.youtube.com/watch?v=y87Ua4sWbRE

 

こういうのに比べたらわさみんは25歳とまだ若く、しかもその「あじさい橋」は CD か DVDでしか聴けないのでご紹介することができません。それでも言えることは、早苗の若いころと比較していまのわさみんのヴォーカルはすでに完成されているということですね。特に2017年のライヴ・ヴァージョン「あじさい橋」について言えることなんですが、声に丸みと艶が出てきていて、それでも若干キンと耳につく感じも残ってはいますが、キュートでかわいらしい声質を維持しつつ落ち着いたフィーリングを獲得、たいへんに好感の持てるものです。

 

特にグッと来るのはサビに入っての「渡れる、渡れない」部分ですね。ここで(早苗のでもそうですが)ぼくは感極まってしまうんです。歌詞とメロがいいからという、つまりそういうつくりの曲だからという、そういうことなんですけど、わさみんのことばの乗せかたも絶妙にすんばらしいですね。そのままサビを歌って「あじさいばし〜〜」に至るあたり、なんど聴いてもため息が出ます。その「渡れる、渡れない」のサビ部分に入ると、俄然リズムが跳ねはじめシンコペイションが効くようになるのも好物です。

 

こんなにもすばらしい曲である「あじさい橋」。YouTube でどう探しても城之内早苗ヴァージョンしか見つからず、ほかにはぼくにとって至高である岩佐美咲ヴァージョンしかないなんて、不思議です。こんな名曲なのにねえ。たぶん見つからないだけで、演歌歌手のみなさんはライヴなどでは歌っていらっしゃるのでしょう。CD や DVD にも収録されているかもしれません、いやきっとそうでしょう。

 

(written 2020.6.12)

2020/06/12

音楽はクルマかごはんか

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(4 min read)

 

https://open.spotify.com/album/63T19joqs65Ep3LcE74SY6?si=hVrTiysrSum_XAceIesakg

 

昨日、ルームフル・オヴ・ブルーズのことを書いてリンクした萩原健太さんのブログ記事。マクラでおもしろいことが書いてありますよね。いわく「音楽はクルマかごはんか」論争(笑)。
https://kenta45rpm.com/2020/03/18/in-a-roomful-of-blues/

 

健太さんと近田春夫さんがやりとりすると、ポップ音楽は新しくあるべきかどうかという話になるそうで、そりゃあ近田さんはああいったひとですから〜、音楽は常に新しくあらねばならない、つまりクルマみたいなもんで、最新型に乗っていないとダメなんだと。いっぽう健太さんからすれば、音楽はクルマっていうより毎日のごはんだから、いつも白飯と味噌汁でそれで飽きないし、むかしながらのいつも変わらぬ美味しい味があることが大切っていう発想になるそうです。

 

近田春夫さんの生みだす音楽はぼくも好きで聴いていますけど、音楽は常に新しくなければならないか否かといった話になるならば、そりゃあもう完璧に健太さんに共感するわけですよ。だからといって近田さんに対してどうこうっていうことにはなりませんけどね、彼の音楽は楽しいんだからそれはそれで楽しめばいいんで、音楽進化論にはくみしないよというだけの話です。

 

それで今日たまたまブルーズ(・ロック・)・ギターリストのジョー・ボナマッサを聴いていたんですけど、こういった音楽って本当に100%時代遅れですよね。いまの時代、21世紀に、こんな『ブルーズ・デラックス』(2003)のようなアルバムって、時代へのレレヴァンスみたいなことはゼロなわけです。だから、音楽はクルマであって最新型のに乗ってなくちゃいけないっていう考えのみなさんからすれば、どこにもとりえのない音楽に聴こえるかもしれません。

 

でもぼくなんかにとっては聴いて最高に気分いい、楽しめる音楽であることも事実なんで、こんな古くさいブルーズ・ミュージックを聴いて楽しい時間を過ごせる、ハッピーな気分になれるっていうのが、まさにグッド・オールド・ブルーズという音楽が持っている毎食のごはんのような変わらぬ魅力、不変・普遍の味わいということになるんだと思うんですね。

 

ブルーズやブルーズ・ロックだけでなく、オールド・ファッションドな、つまりハード・バップみたいなスタイルのジャズもそうだと思うんですけど、こういった音楽にはいまの新しい時代になってもひとびとを惹きつけるチャームがあるとぼくだったら思うんですね。クルマや電化製品だったら型落ちになればおもしろくなくなるかもなんですけど、音楽はごはんですから毎日同じものを食べていても美味しければ OK ですよね。

 

健太さんはご自分のブログだけでなく、朝日新聞デジタルなんかでも、折に触れて「音楽は新しくなくちゃならない」「進化しなくちゃ」「新しい音楽こそがすばらしい」みたいな、一部のかたがたが持つ発想に異を唱える文章をずっと書いていて、いつもぼくは頼もしく読んでいるんですね。長年周囲の音楽好きや音楽評論家に対し抱いていた強い違和感をことばにしてくれていると、うれしく思っています。

 

健太さんとは音楽について考えが違っている点も多々ありますが、音楽進化論はフィーリングに合わないと思っているという意味においてはぼくもピッタリおんなじなんです。そう、ぼくにとっても音楽はクルマとか電化製品みたいなものじゃなくて、毎度の食事みたいなもんですから、毎日ずっと白飯と味噌汁で変わらぬ美味だと思うように、ブルーズや(古くさい)ジャズを今後も死ぬまで聴き続け、愛し続けていこうと思います。

 

(written 2020.4.21)

2020/06/11

ジャズやラテンなブルーズもいい 〜『イン・ア・ルームフル・オヴ・ブルーズ』

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(4 min read)

 

Roomful of Blues / In A Roomful of Blues

https://open.spotify.com/album/035KBtKfNPmzg4nR6Ab13w?si=-yXr59m3Tnmj6N5kgGgosg

 

萩原健太さんのブログで教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/03/18/in-a-roomful-of-blues/

 

1977年レコード・デビューのベテラン白人ブルーズ・バンド、ルームフル・オヴ・ブルーズの2020年新作『イン・ア・ルームフル・オヴ・ブルーズ』に、いまの時代の音はありません。2020年ならではっていう新しさ、革新性などはまったく聴きとれませんよね。当然です、ブルーズ・バンドなんですから。むかしから変わらない路線をずっとひた走っているんですね。前から言いますように、ぼくもこういった相変わらずのブルーズ・ミュージックのことが大好き。

 

健太さんに言わせれば白飯と味噌汁の味わいということで、まさにそうですよね。むかしからなにひとつとして変わらない、というところにこういった音楽の美点があるんで、一部の音楽評論家のみなさんはそこんところ勘違いなさっているのでは?という気がしますよ。ぼく自身は自分の好きな音楽、自分が楽しいと感じる音楽だけをひたすら聴き続けていきたいと思います。

 

アルバム『イン・ア・ルームフル・オヴ・ブルーズ』ですと、前半はわりとストレートなモダン・ブルーズだなと思うんですけど、ちょっと感じが変わるのは6曲目「シー・クイット・ミー・アゲン」からですね。ムーディなジャズ・ブルーズなんです。ちょっと古めかしい、しかし心地いい、こんな雰囲気がやっぱり好きですね。ジャズ・テイストのブルーズはこのアルバムにほかにもあります。

 

7曲目「シーズ・トゥー・マッチ」も、なんだか1930年代後半のスウィング・ジャズ系ビッグ・バンドがよくこんな感じの曲をやっていたと思いますし(ベニー・グッドマン楽団の「シング、シング、シング」にちょい似)、っていうかブギ・ウギを土台にしているということなんでしょうけどね。ブギ・ウギはこのアルバムのなかでも血肉となっていたるところに溶け込んでおります。

 

タイトルもそのまんまの11曲目「トゥー・マッチ・ブギ」なんかもそんな一曲で、完璧なブギ・ウギ・ベースのジャンプ・ミュージックとなっていますよね。バンドのホーン陣もいきいきと活躍していて聴きものです。この曲もビッグ・バンド・スウィング〜ジャンプ系のジャズ・ブルーズ・チューンだとしてさしつかえないでしょう。

 

アルバム・ラスト13曲目「アイ・キャント・ウェイト」もジャズ・チューンですが、これはどっちかというと「ルート 66」みたいなポップ・ソングに寄っていっているものだとするべきかもしれません。それも楽しいですね。そうかと思うと、このアルバム後半にはジャズ・ブルーズだけでなく、アメリカ南部や中南米ふうのラテン調ブルーズだってけっこうあるんですね。

 

8曲目「ハヴ・ユー・ハード」がなんとザディコですし、アコーディオンまで使ってあります。ピアノの弾きかただってルイジアナ調に合わせてあるんですね。9曲目「ウィード・ハヴ・ア・ラヴ・サブライム」もリズムの跳ねる感じやホーン・リフの入りかたがラテンっぽいですが、ド直球のストレート・ブルーズである10曲目「カーシノーマ・ブルーズ」(アルバート・キングっぽい)を通過した、12曲目「レット・ザ・スリーピング・ドッグ・ライ」がこれまたラテン・ブルーズなんです。

 

やはりアルバート・キングの、「クロスカット・ソー」に似ていると思うんですけど、このリズム・パターンといい、ホーンズのリフもラテン・タッチでスタッカート気味に入りますし、いいですよね、こういったラテン・ブルーズ。今日話題にしたアルバム『イン・ア・ルームフル・オヴ・ブルーズ』では、後半にあるこんな要素も楽しく聴けました。

 

(written 2020.4.20)

2020/06/10

1970年ごろのロック・バンドのように 〜 グリーン・リーフ・ラスラーズ

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(5 min read)

 

Green Leaf Rustlers / From Within Marin

https://open.spotify.com/album/5finVnezb29t3beWwuZOSJ?si=SFzIMUHtQnKhGcFKVgoBYw

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2020/03/13/from-within-marin-green-leaf-rustlers/

 

知らない音楽なのに、聴きはじめた瞬間「好き!」と思えることってありますね。グリーン・リーフ・ラスラーズのデビュー・ライヴ・アルバム『フロム・ウィズイン・マリーン』(2020)もそう。編成はギター&ヴォーカル、ギター&ヴォーカル、ベース、ドラムス、(ペダル・スティール・)ギターで、あのころの、いちばん勢いがあったころの、カントリー・ロックを、サイケデリックなギター・インプロ満載で聴かせてくれるっていう、こりゃまたこたえられない音楽なんです。

 

メンバーは新人ではないそうで、各人それぞれキャリアを積んできているひとたちみたい。ギター&ヴォーカルでフロントに出るクリス・ロビンスンの発案で2017年に結成されたとのこと。クリスはブラック・クロウズ、クリス・ロビンスン・ブラザーフッドのひとですね。グリーン・リーフ・ラスラーズとしてカリフォルニアでライヴ活動を地道に重ね、今年デビュー・ライヴ・アルバムを届けてくれたというわけです。健太さん、本来領域とはいえ、こういうの見つけてくるのがうまいですね。

 

新しいオリジナル・ソングを用意するバンドじゃないようですから、アルバムでとりあげているのは2曲目を除きどれもカヴァー曲。しかもいずれも<あのころの>、つまり1970年前後の、ロック・バンドがやっていたレパートリーばかりで、こんなところにも彼らの嗜好・志向がうかがえますね。演奏スタイルだっていかにもな当時のグレイトフル・デッドそっくりのアシッド感。

 

いずれも知名度のある曲の数々は彼らにとって素材でしかなくて、とりあげかた、演奏のしかたで聴かせる、そこにオリジナリティがあるというバンドなんでしょう。長尺ギター・インプロでどの曲も構成されていますし、ヴォーカリストが曲を歌っている時間は全体のほんのちょっとです。三名いるギターリストのだれがどこのソロ?みたいなことを聴き分ける耳はないので、ただ流れてくるソロに、気持ちいいなぁ、いいサウンドだなぁと感じているだけです。

 

1曲目、グラム・パースンズの「ビッグ・マウス・ブルーズ」でブギ・ウギ・カントリーみたいな爽快な演奏がはじまっただけで気持ちよく感極まってしまいますが、特にギターですね、アンサンブルでは複数台のエレキ・ギターがからんでいて、ソロも、これだれが弾いているんでしょう、本当に好きです。しかも弾きかたというかスタイル、ギター・フレイジングのつくりかただってなんだかレトロというか、2曲目以後もそうなんですけど個人的にはドゥエイン・オールマンを思い出す部分もちょっとあり。

 

3曲目、ローリング・ストーンズの「ノー・エクスペクテイションズ」は、オリジナルとは違ってかすかなビートを効かせているのが妙味。それも印象いいですね。ペダル・スティール・ギター、ついでギターのソロも、ストーンズ・ヴァージョンとはまた異なる種類のアメリカ南部感を強くかもしだしています。ブルーズ寄りだったのをカントリー・サイドにぐっと近づけた感じですかね。

 

アルバムのクライマックスは、たぶん中盤の4「ジャム」〜5「フォルサム・プリズン」〜6「ザッツ・オールライト・ママ」のメドレーでしょう。「ジャム」は歌のないギター・インストルメンタル・ジャムで、しかしこのバンドの本領がどこにあるかを考えたら聴き逃せないものですよね。レゲエ、というか鮮明なダブ・テイストもいい味です。

 

ジョニー・キャッシュの「フォルサム・プリズン」では前半がほぼギター・インストルメンタル・ジャム。そこのパートは1990年代〜21世紀のいわゆるジャム・バンドのスタイルにも似ています。っていうかこのグリーン・リーフ・ラスラーズも(遅れてきた)ジャム・バンドなんでしょうけど。この曲はブルーズ楽曲ですけども、ブルージーさはほぼなし、もっとアシッド・カントリー色が濃厚ですね。長いですけど複数回出るギター・ソロの内容はかなりいいと思います。

 

そのままアーサー・クルダップ/エルヴィス・プレスリーの「ザッツ・オールライト・ママ」へなだれこみ。ここで聴けるギター・ソロはかなりポップですね。この曲は演奏時間約三分と、あまりジャム・バンドっぽくない短さですが、ギター・ソロに傾いている時間が長いこのアルバムのなかでは比較的ヴォーカルのほうにも配慮していてバランスがとれているかなと思います。

 

3・2クラーベのパターン(エリック・クラプトンがやったジョニー・オーティスの「ウィリー・アンド・ザ・ハンド・ジャイヴのあれ)を使った7「スタンディン」(タウンズ・ヴァン・ザント)をはさみ、ボブ・ディランの8「ポジティヴリー・4th・ストリート」では、これはもうなんといっても曲のメロディのよさが目立ちます。やっぱりディランの曲は違いますね。曲の持つ情緒がしっとりと沁みます。

 

(written 2020.4.19)

2020/06/09

ぼくの好みは2018年 〜 ディレク・チュルカンの新旧古典歌謡

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(4 min read)

 

Dilek Türkan / An

https://open.spotify.com/album/2JPi563PQa2U98d0rRcssP?si=wL78L8L_TkGivShyd6d79A

 

bunboni さんのブログで知りました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-03-14

 

トルコの歌手ディレク・チュルカンの2018年作『An』はたいへんな力作・充実作でしょう。オスマン/トルコ古典歌謡を真正面から扱った二枚組で、「2018」と題された一枚目では現代に再興されたトルコ古典歌謡を現代的な楽器伴奏をしたがえて歌っています。いっぽう二枚目の「1918」にはその時代のオスマン古典楽曲を当時のままの弦楽伴奏で歌ったものを収録。二枚で100年をまたぐという壮大なプロジェクトは、みごとに成功しています。

 

個人的には2018年の一枚目がたいへんな好み。オーセンティックに古典を歌いこなす二枚目1918年の引き締まった痩身、節度、キリッとした厳しい表情もすばらしいし、ムダとスキのないオスマン古典歌謡もさることながら、一枚目2018年の現代トルコ古典歌謡で聴かせるやわらかく丸くおだやかでふくらみのある伴奏と歌唱は真にすばらしいと、こういう音楽を聴きたかったと、グッと胸に迫ってくるものがあります。

 

一枚目では、まずプロローグと本編の「Ah Istanbul」に続き、3曲目が流れてきた瞬間に、うわ〜、もうこれは好きだ!と感じ入ちゃいます。ドラム・セットの奏でる軽いビートに乗るウードを中心とするアンサンブルがえもいわれぬいい心地で、そこにふわっとリキまず軽くヴォーカルをおくディレクもみごとです。特にこの雰囲気ですね、トルコの都会の夜を想わせるこの絶妙にやわらかいアンサンブルのニュアンスに酔ってしまうんです。

 

その後アルバムはアバネーラなどのリズムも取り入れながら進みますが、チェロを中心とする弦楽アンサンブルには、ヴェトナムのいわゆるボレーロと呼ばれる現代バラード歌謡を想起させる雰囲気もあります。たぶんリズムがこういったラテン調で、その上に午後のまどろみのようなたゆたうストリングスが乗っかっているからですよね。でもディレクのヴォーカルはまったく違っています。ヴェトナムのバラディアーたちみたいに力を込めて歌ったりせず、ナチュラルな自然体でそのまますっとスムースに歌っているんですね。

 

それが古典の持つエレガンスをより強調することにつながっているし、一枚目ではモダンにひろがりのあるアンサンブルとアレンジ、二枚目ではオーセンティックなスタイルそのままですけど、そんな100年というトルコ、オスマンの二つの時代の古典をディレクの歌唱がうまくつないでいますよね。曲や伴奏は違っても、1918年と2018年の世界を一望にしているんだなとわかります。

 

2018年分のほうにはアバネーラだけでなく、ひろくラテン・タッチがあるし、タンゴもあればシャンソンふうもあります。伴奏アレンジにキメも多く、トルコ古典としてはかなり現代的で多彩でポップな曲とアンサンブルなんですけど、1918年分とあわせ同じようにみごとに歌いこなすディレクのヴォーカルを聴いていると、オスマン/トルコ古典が本来的に持っていた音楽的な広がりを感じざるをえません。

 

(written 2020.4.16)

2020/06/08

ストーンズの『ブリッジズ・トゥ・バビロン』を思い出していた

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(4 min read)

 

The Rolling Stones / Bridges to Babylon

https://open.spotify.com/album/6lbQFxYqubkf4GbEtXARE7?si=_LsUtcbjQOyVdnwMQsRmFQ

 

ローリング・ストーンズ1997年のアルバム『ブリッジズ・トゥ・バビロン』。ジャケットが当時から嫌いで、なんなんですかこのデザインは。そのせいで音楽までなかなか聴く気にならなかったりしますけど、中身はいいんですよね、かなりいいです。そのことは発売当時聴いてネットに投稿しまくっていましたからわかっていたはずですけど、近年ずっと忘れていました。

 

思い出したのは、昨日書いたキース・リチャーズが歌うストーンズ・ナンバーのことを聴いたからです。『ブリッジズ・トゥ・バビロン』には三曲もありますからね。それらは出来もいいし、ふとアルバム全体はどんなんだったかな〜?となにげなく聴きなおしてみて、なんだか20年以上ぶりくらいにビックリしちゃいました。いやあ、いい音楽です。

 

1曲目「フリップ・ザ・スウィッチ」から快調にぶっ飛ばすストーンズ・スタイル全開で、こ〜りゃ気持ちいいですね。ふつうのロックンロール・ナンバーですけど、こういうのをやらせたら実力を発揮するバンドです。チャーリーのドラミングもみごとだし、キースのギターもミックのヴォーカルも絶好調に聴こえます。だいたい曲がいいですよね。

 

2曲目「エニイバディ・シーン・マイ・ベイビー」以後は、曲によってブラック・ミュージックに寄っている、それも1990年代当時の最新のそれ(ふくむヒップ・ホップ)に、と思えるものがあって、この2曲目もそうだし、5曲目「ガンフェイス」、それからなかでも特に7曲目「アウト・オヴ・コントロール」、8曲目「セイント・オヴ・ミー」、9曲目「マイト・アズ・ウェル・ゲット・ジュースト」なんかはすばらしいです。当時の R&B の香りが強くしますよね。

 

1997年のリリース当時個人的にいちばん好きだったのは「セイント・オヴ・ミー」で、このノリというかグルーヴ感がとてもいいなと思っていたんです。ネットでずいぶん騒いで、たしなめられたりもしましたが、いま聴いてもこの曲のこの演奏はみごとです。特にドラムスとベース+ギターでつくるこのリズムをいつも聴いてしまいます。これ、本当にストーンズなのか?と思ってクレジットを見たら、なんとベースはミシェル・ンデゲオチェロじゃないですか。へえ〜。

 

ミックのブルージーなハーモニカを大きくフィーチャーした9「マイト・アズ・ウェル・ゲット・ジュースト」は、従来的なブルーズ楽曲ととらえることもできますが、ダグ・ウィンビッシュがベースを弾いているし、もっとこうコンテンポラリーな意味合いをサウンドのなかにあわせ持ったブラック・ミュージック寄りの曲なんじゃないかと、いまでも思います。そう考えるとミックのハーモニカもちょっと違って響いてきますね。7「アウト・オヴ・コントロール」でもそうです。

 

2020年に聴きかえしてみて、ストーンズのこの『ブリッジズ・トゥ・バビロン』ではやはりそんな7〜9曲目のあたりがいちばんすばらしく聴こえます。もともとアメリカ黒人音楽への全面的なオマージュで1960年代からずっと進んできたバンドですけど、1990年代半ばにあってもコンテンポラリーなそれをチェックし吸収することを怠っていなかったんだなとよくわかりました。二曲でアップライト・ベースを使っているのだって、そんな意識の反映でしょう。

 

1997年当時のブラック・ミュージック・シーンを意識したような曲がいくつもあって、古参バンドの作品でありながら時代に訴えかける力を持ったアルバムだなと当時から感じていたんですけど、2020年に聴くと同時代性みたいなことは消えていますから、たんに音楽として聴いて楽しいなと思いますね。やはり R&B とかヒップ・ホップとかジャズだとかに寄ったようなゲスト人選と演奏ですよね、それがいいです。

 

ジャケットだけがねぇ、もうちょっとマトモだったらなと、いつもそれを思いますけどね。

 

(written 2020.4.13)

2020/06/07

ストーンズの近作でキースが歌うもの

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(6 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/6sy6EEBWZ5QZOzYKW7eqOE?si=sxbE8UgVRouc64cPCLJD3Q

 

ローリング・ストーンズでキース・リチャーズが歌うものの話は、以前一度したことがあります。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-0452.html

 

しかしこのときの文章はキースがストーンズを離れてソロ活動で歌ったものの話から入り、その後ストーンズでのキース・ヴォーカル・ナンバーへと移っていったのでした。しかもなんだか「スリッピング・アウェイ」(『スティール・ウィールズ』)で実質的にしめくくってしまっていますよね。いちおうアルバム『ヴードゥー・ラウンジ』からの曲もとりあげていますけど、オマケみたいな扱いでしかありません。

 

実は最近なんとなく聴きたくなって、ストーンズの『ヴードゥー・ラウンジ』(1995)『ブリッジズ・トゥ・バビロン(97)『ア・ビガー・バン』(2005)と、近作三つをじっくり聴きなおしたのでした。ストーンズにはこのあともう一個『ブルー・アンド・ロンサム』(2016)がありますが、ブルーズ・カヴァー集ということで、しかもキースは歌っていませんから、除外します。

 

それでストーンズでキースが歌った曲だけぜんぶまとめて、プレイリストをつくっておきました。それがいちばん上の Spotify リンクです。

 

というわけで、それら『ヴードゥー・ラウンジ』『ブリッジズ・トゥ・バビロン』『ア・ビガー・バン』に収録されているキース・ヴォーカル曲の話を今日はしたいのです。計七曲。本当はもう一曲、2002年リリースのベスト盤『フォーティ・リックス』にもキースの歌う新曲があるのですが、Spotify だと聴けません。だいたいベスト盤で99%は必要ないもののなかにちょっとだけ新曲を混ぜるとかそんなあこぎなフィジカル商売はやめてほしいです。

 

『ヴードゥー・ラウンジ』にある「ザ・ワースト」「スルー・アンド・スルー」の話は上でリンクした過去記事でもしていますが、そのときは断然「ザ・ワースト」がいいぞということでした。この感想はいまでも同じなんですけれども(「おれは最低」みたいな歌詞にはまったく共感できませんが)、聴きなおすと「スルー・アンド・スルー」もかなり聴けますよね。しかも「ザ・ワースト」のほうがキースお得意のヨレヨレ・バラード系であるのに対し、「スルー・アンド・スルー」はもっとしっかりしています。

 

アクースティック・ギターも混ぜながらサウンドをナチュラルかつカントリー・テイストな雰囲気でまとめるというのは二曲に共通する部分ですね。「スルー・アンド・スルー」のほうではドラマティックな展開も聴け、チャーリーのドラミングも強力、ロック・ナンバーっぽい曲調ですし、次作『ブリッジズ・トゥ・バビロン』以降につながっていくのは、むしろこっちのほうかもしれません。

 

その『ブリッジズ・トゥ・バビロン』はやや異例な作品。一作のなかになんとキースの歌うものが三曲もあるという、これはストーンズ史上初でいまでも唯一です。うち一曲「ユー・ドント・ハフ・トゥ・ミーン・イット」はレゲエ、というよりダブ・ナンバーで、以前もキースには「トゥー・ルード」というレゲエ・ナンバーがありましたから(『ダーティ・ワーク』1986)、得意なのかもしれないです。

 

ダブ・ナンバーでありかつヨレヨレ系じゃないちゃんとしたヴォーカルをキースも聴かせていますし、曲のサウンドもリズムもしっかりしています。もうこの1997年時期になると、どっちかというとキースにとっては例外的な曲想だったかもしれないですけどね。アルバムにあるほかの二曲「シーフ・イン・ザ・ナイト」「ハウ・キャン・アイ・ストップ」はやっぱりおなじみのユルユルなロッカバラード。

 

しかもそれら二曲はこのアルバムをしめくくるメドレーになっているんですね。メドレーといってもバラバラに録音されたものでしょうけど、ポスト・プロダクションで曲間なしにしてくっつけたんだと思います。それがもう絶妙な、えも言われぬいい感じを演出していますよね。本当に大好きな瞬間です、この二曲のあいだの移行の瞬間が。

 

「シーフ・イン・ザ・ナイト」は、サウンドもとても印象に残る一曲で、これはいったいなんでしょうか曲を通じてずっと聴こえるザラ〜ッとした音、スネアをブラシでなでているような、あるいはなにかの金属音か、ずーっとシャ〜〜ッッて鳴っているでしょう、それもまるで垂れ込める幕のように聴こえ、曲の歌詞や調子などを効果的に響かせるいいサウンド・エフェクトになっていますよね。ちょっと心がざわつきますけど。

 

「ハウ・キャン・アイ・ストップ」もなかなかおもしろい一曲で、典型的なキース節のヨレヨレ系ですけど、ヴォーカルが終了したあとの曲終盤の展開に耳をそば立ててしまいます。だれがアレンジとプロデュースをやったのか、ジャジーなソプラノ・サックスが出ます。それがなんとウェイン・ショーターなんですね。過去にソニー・ロリンズを起用したこともあるストーンズですけど(『タトゥー・ユー』1981)、なかなかやりますね。

 

しかも演奏終了後だってなかなか音が消えず、たぶんこれはガムラン(青銅)の音ですよね、パーカッシヴなサウンドが残り、余韻を演出します。そのガムラン・エピローグのパートは、特にこれといった必然性が本演唱から感じられないものですけど、なかなかおもしろいですよ。だれの発案だったんでしょう?演奏しているのはパーカッションとなっているジム・ケルトナーでしょうね、おそらく。

 

そんな感じで、キース・ヴォーカル曲が三つもあって、アルバム全体としてもなかなかおもしろい『ブリッジズ・トゥ・バビロン』の七年後の次作『ア・ビガー・バン』には、「ディス・プレイス・イズ・エンプティ」「インファミー」と二曲、キースの歌う曲があります。前者はやっぱりバラードですけど、後者はミドル・テンポで進むブルージーな一曲。ライヴでもよく歌っています。

 

こう見てくると、ストーンズでキースが歌うものに調子のいいロックンロールがなくなっているのがわかります。かつては「ハッピー」(『エクサイル・オン・メイン・ストリート』)「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」(『サム・ガールズ』)と、ある意味キースを象徴するものだっただけに、ちょっぴりさびしい気がしないでもないですね。

 

(written 2020.4.10)

2020/06/06

アフロビート祭り囃子 〜 アジャテ

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(3 min read)

 

Ajate / Alo

https://open.spotify.com/album/1iDroKjCkOMrap4NQWNW4s?si=kEuGyYmZQKW139jkpBgezQ

 

このアジャテ(Ajate)っていうのは日本のバンドみたいですね。なんでも2013年に東秩父で結成され東京都内を中心に活動しているらしく、メンバーが日本人かどうかは知りませんが(たぶん日本人かな)、ヨーロッパ、特にフランスでライヴをやれば熱狂的に支持されるんだそう。そんなアジャテの三作目らしいアルバム『Alo』(2020)を聴きました。

 

こういったちょっと目先の変わったというか珍奇なワールド系ミクスチャーにわりと弱いという傾向があるぼくですから、アジャテのこの日本の祭り囃子とアフロビートの合体みたいな音楽も悪い気がしません。1曲目出だしのバラフォン(竹製シロフォン?)のサウンドに続いて篠笛の音が来て、それが強烈に日本くささをかもしだしているんですけど、直後から入るビートはアフロ・グルーヴなんですね。

 

このアルバムで前面に出ているのはヴォーカル、エレキ・ギター、笛の三種類だと思いますが、その背後というかボトムスを支えるリズムはどの曲でもアフロビート系の、あるいはフェラ・クティ直系のそれだと言えないばあいでも鮮明にアフリカンな、グルーヴを形成しているなと思うんです。そこに日本の祭り囃子のあの音階でメロやインプロが乗りますから、ちょっと特異ですね。

 

それでヴォーカルはどれもぜんぶたぶん日本語です。「たぶん」っていうのは聴きとれない部分があるからなんですが、はっきり日本語だとわかる部分でも発音をリズミカルに曲げてあって、それはこの(アフロな)グルーヴにフィットするようにフェイクしてあるということでしょう。そんなような部分から推し量って、聴きとれない部分も日本語なんだろうと推測できます。

 

エレキ・ギター、エレベ、ドラムス、パーカッションで形成されるこのバンドのサウンドの中核はたしかにアフロビートでありながらそこにあの音階で乗る歌や笛の即興はぼくにはなかなか新鮮で、楽しいです。たぶんフランスで人気があるというのとちょっと似通ったメンタリティですよね。ある種のオリエンタリズムっていうか、風変わりでエキゾティックで東洋的な、それでいてアフリカンでもあるっていう、フランス人ってそういうの好きみたいですからね。ぼくもそうかも。

 

なんだかやっぱりイロモノかもなとは思いますが、それでも踊れる、ダンス・ミュージックとして楽しいというのは間違いないことです。1970年代もので90年代に発掘された的なダンス・フロアなレア・グルーヴ的ノリもある(特にエレキ・ギター・リフに)5曲目がいちばんいいかもしれません。

 

(written 2020.4.15)

2020/06/05

Spotify に殺意を抱くとき

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(5 min read)

 

それは長年レコードや CD で聴いてきたおなじみのアルバムを Spotify で聴き、特にライヴ作品なんですけど、一部トリミングされているのに気づいたときです。ちょうど最近マイルズ・デイヴィスを集中的に聴いていましたから、それで遅ればせながら気づいちゃったんですよね。たとえば1964年録音のライヴ・アルバム『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』(65)。1曲目のアルバム・タイトル曲本演奏のイントロをハービー・ハンコックが弾きはじめる前が違うんです。
https://open.spotify.com/album/4RvpKDJOaZviOSomNRyob4?si=jh-EGr4JQr2qFwSWMBLdPw

 

この本演奏のイントロがはじまる前のピアノ・プレリュードは実はもっと長いんです。この Spotify ヴァージョンはもとの半分くらいになっています。レコードや CD にはちゃんと入っているんですけど、Spotify はどうしてこんな編集というか短縮をするんでしょう?曲の(ネット上での)権利にも関係なさそうですし、まったく意味がわからないっていうか、Spotify ってこういうところ、いいかげんですよね。レコードなどで聴ける本来の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=3hnjrGvXddo

 

本演奏に関係ないパートじゃないか、だからいいじゃないかという声が聞こえてきそうですが、そうじゃありません。ぼくらはむかしっからレコードに刻まれた音の、それこそ些細な、ごくごく細部に至るまで、ばあいによっては細かなノイズまでの「すべて」を鮮明に記憶しているんですからね。そうなるようにレコードや CD でくりかえしくりかえし集中して聴き続けてきました。ほんの一瞬の音、ノイズですら鮮明に刻印されているんであって、それもこれもふくめての「アルバム」であり「音楽」なんですよ。

 

ところが、たまに Spotify でこうやって気が向いて聴いてみたら、本来の姿が無残に短縮されて、つまり改悪されてしまっているわけですよ。こりゃあもう強い怒りをおぼえます。Spotify にあるマイルズの『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』は欠陥品と呼ぶしかありません。ぼくなんかからしたら Spotify には『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』というマイルズのアルバムは存在しないとまで言いたいほど。

 

推測するに『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』の現行 CD は Spotify にあるのと同様の短縮欠陥品なんじゃないかという気がします。と言いますのはぼくのてもとにある CD アルバムでも2004年の七枚組ボックス『セヴン・ステップス:ザ・コンプリート・コロンビア・レコーディングズ・オヴ・マイルズ・デイヴィス 1963-1964』では同じ短縮ヴァージョンになっていますからね。だからこの後の単独盤でも変更されたかもしれず、Spotify はその音源をそのまま提出されたかもしれません。そのソニーのデータが間違っているわけですけど。

 

もっとおかしい、狂っていると思うのは1996年に CD がリリースされたマイルズのこれもライヴ盤『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』(1988〜91年録音)です。CD で聴くと1曲目「イン・ア・サイレント・ウェイ」と2曲目「イントゥルーダー」は切れ目なくつながっています。当然ですよ、この日のニュー・ヨーク・ライヴの開幕演目としてメドレーで連続していたんですから。

 

ところが Spotify でこのアルバムを聴くと、1曲目「イン・ア・サイレント・ウェイ」終盤でなんとフェイド・アウトしちゃうんです!フェイド・アウトして、曲間の無音があってからフェイド・インで2曲目「イントゥルーダー」がはじまるんですよ。ああ、なんということをするのか!これってメドレーなんですよ。しかもこれのばあいは、すべての CD はつながった状態のものしかないと思いますから、いったいぜんたい Spotify はなにを参照したのでしょう?
https://open.spotify.com/album/0YBvNUUwBf23f5hKhk8xLj?si=tMt4HApkQvedaH4yi_JDGA

 

この『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』のばあいは、まったく途切れないひとつながりの演奏をフェイド・アウト、無音、フェイド・イン処理にしちゃっているわけですから、これはもはや本演奏そのもの、音楽の姿じたいが改竄されてしまっているわけなんですね。許されざる暴挙じゃないですか。YouTube などでさがしても見つかりませんので、CD どおりのオリジナルはどういうかたちなのか確かめていただけないのが残念です。

 

ネット上で権利関係をちゃんとして音楽など著作物を閲覧可能状態におくというのがなかなか厄介なことらしいということはなんとなく想像がついています。だからなんらかの制限がかかったり、ばあいによっては変更修正されたりもするんでしょう。ふだんはぼくも目をつぶって妥協して Spotify で聴いていますが、やっぱりときどき殺意がこみ上げてくることもあるんですね。それくらいまでレコードや CD でイヤというほどくりかえし聴いてきていて脳裏に刷り込まれているんですから、いっそうていねいな仕事をお願いしたいところですね。

 

(written 2020.4.18)

2020/06/04

マイルズのバラード名演 11

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(6 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/5Glz0ueQaOi0rXs3c1WFGQ?si=5B01R6VEQJyp_coDOFn1XQ

 

こないだ「マイルズのベスト 9(ver. 2020)」という文章を書きましたが、聴きながらいまさらながらに実感したのは、マイルズ・デイヴィスのバラード演奏は実に魅力的だということ。時代を超えて変わらなかった彼のチャームだったなということです。いつの時代のマイルズのアルバムを聴いても、そこには美しいバラード演奏があったんですね。通してキャリア全体を俯瞰し、あらためて感心しちゃいました。

 

それでマイルズの生涯にわたるバラード演奏の代表作をピック・アップして、まとめて、ちょちょっと書き記しておこうと思います。まず Spotify でプレイリストをつくるに際しては注意して、とにかく数が多いから厳選しなくちゃキリがないということで、本当に外せないなと思うものだけにしぼりました。それでも1時間54分となったのは、一曲の演奏時間の長いものが散見するからです。曲数の11はこんなもんでしょうね。

 

また独立から死去までを見わたすように心がけました。(初期を除く)ほぼどの時代も網羅できたのは、やはりこのジャズ・トランペッターが生涯にわたり絶えずバラードを演奏していたことのあかしですね。曲は録音順に並べました(曲名の右)。以下、ちょちょっとコメント。

 

1)In Your Own Sweet Way (Collectors' Items) 1956/3
2)You're My Everything (Relaxin') 56/5

1956年の録音ですが、マイルズがバラディアーとしてスタイルを真に確立したのはそのあたりからだったろうと思います。「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」は知名度のある『ワーキン』ヴァージョンではなく、ソニー・ロリンズ&トミー・フラナガン参加のものを。こっちのほうがきれいですもん。

 

3) Blue In Green (Kind of Blue) 1959

バラードといったばあい、たいていはポップ・バラードのことだろうと思いますし、マイルズもそれをこそ得意にして死ぬまで演奏したわけです。このビル・エヴァンズ作の曲はそうじゃなくオリジナルですけれども、こういったものはジャズ・バラードとして数えてもいいんじゃないかと。それに凍りつきそうなほど美しいじゃありませんか。

 

4) Old Folks (Someday My Prince Will Come) 1961
5) My Funny Valentine (My Funny Valentine) 1964

これらは二曲とも古いポップ・バラードですが、そういうのをたくさんやっていたプレスティジ時代などと比較してマイルズの解釈や表現の幅が広がり深くなっているのがわかると思います。それでも「オールド・フォークス」のほうはあたたかみのあるオーセンティックな吹奏ですね。

プレスティジ時代にも録音した「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は定番中の定番ですけれど、比べて特にリズム・ニュアンスの豊かさやトランペットで出す音の丸さ・豊穣さ、音域・音程の幅・正確さなど、同じ曲なのか?!とビックリするほどだと思います。リズム・セクションの緩急を統率するのもみごと。

 

6) Mademoiselle Mabry (Filles de Kilimanjaro) 1968

オリジナルですが、ジミ・ヘンドリクス「ウィンド・クライズ・メアリー」の下降和音パターンを使った一種のロッカバラードですから。乾いているようにも聴こえますが、その一方ほどよい雰囲気、湿った情緒がこもっているようにも思います。演奏全体に雰囲気がありますね。

 

7) Sanctury (Bitches Brew) 1969

ウェイン・ショーターの曲で、ジャズ・バラードでもありませんが、この、特に中間部のテンポ・ルバートになっているところで聴かせるマイルズとチック・コリア(フェンダー・ローズ)のデュエット演奏にはなかなかみごとなバラード感がありますよね。正真正銘のバラード・スタンダード「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」の引用も聴かれますし、この時期でもマイルズのなかでひとつながりだったのだなとわかります。

 

8) Maiysha (Get Up With It) 1974

ミドル・スローのテンポで女性への愛を表現していますから、これもオリジナル・バラードと言えるでしょう。なかなか甘い曲想もバラードっぽいです。マイルズの表情にはそれでもやっぱり冷静で透徹した厳しさがあると感じますが、二番手で出るソニー・フォーチュンのフルートがポップでメロウで、ちょうどいいコントラストになっていますね。メイジャー7のコードを刻むレジー・ルーカスのスウィートさもグッド。

 

9) My Man's Gone Now (We Want Miles) 1981

1958年にギル・エヴァンズと組んでやったガーシュウィンの『ポーギー・アンド・ベス』からの一曲を、復帰後のギター・バンドで再演したもの。時代を経て同じ曲をやれば二度と同じ演奏にはならなかったひとですが、ここでも真骨頂を発揮しています。バンド・メンバーが最高のサポートを尽くし好演となりました。サビでリズム・パターンがパッと変化するのは「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の応用でしょうね。

 

10) Amandla (Live Around the World) 1988
11) Time After Time ((Live Around the World) 89

『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』からの二曲。以前書きましたようにバラード・アルバムともいえるライヴ集ですが、「アマンドラ」はマーカス・ミラーのオリジナル、「タイム・アフター・タイム」はごぞんじシンディ・ローパーが書き歌った哀切ポップ・バラード。晩年はかつて1950〜60年代前半に展開していたようなこういった世界に回帰していたような面がありました。若さと強さを失って、自分のことをじっくりふりかえり、なにが持ち味なのか再考したのかもしれません。

 

(written 2020.4.17)

2020/06/03

わさみんにこれを歌ってほしい(3/3)〜 ヌエボ演歌へ向けて

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(9 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/4S7XAEg40aIYaI8tiIZdyp?si=LS7-k_llQEOPO5Q6Mi0N5w

 

わさみんリクエスト・シリーズの最終回は演歌篇です。わさみんこと岩佐美咲はいちおう演歌歌手という看板を背負っているし、いままでもたくさん演歌を歌ってきていますので、そのフィールドにある過去の名曲の数々からカヴァーしてみてほしいと思うものをちょちょっと選んでみました。もちろんいままで CD や DVD で歌っていないもの限定です。

 

それでおとといもきのうもそうなんですが、なにもないところから素手で過去の名曲を思い出して書いていくということはぼくにはむずかしいことですので、参考にした曲集、アルバム、プレイリストがあるわけです。今日の演歌篇は Spotify で見つけた『昭和演歌ベストヒット100』というプレイリスト↓を下敷きにしながら書きました。
https://open.spotify.com/playlist/7aA2H0o8H37cJeyXu9GUI1?si=XHuFydW2QdO_aP8orZ77kQ

 

しかしこういった演歌の名曲群をつぶさに聴いていくのは、なかなかつらいばあいもあります。どうしてかといいますと、恋愛観、家族観、男女観など、ジェンダー問題関連でどうにも古すぎるというか、あまりにも旧態依然とした時代錯誤の考えに立脚した歌詞が多く、聴いていて腹が立ったりするんですね。耐えて忍ぶ女、世のなかは男性主導で女は従順にそれにつき従っていればいい、娘は結婚させたくないと思う父親、などなど、耳をふさぎたくなる時間もありました。「女子供」なんていうことばを疑問なしに使うかたには理解できないでしょうけど。

 

ですから、この曲はわさみん向けに推薦できない、とうてい歌ってほしくないと思うものがけっこうありました。演歌の世界だからしかたがない面もあるとはいえ、慎重に熟慮して、ジェンダー問題、人権関係でひっかからないもの、歌詞の世界が時代錯誤すぎないものというリミットをかけて選曲しました。ある程度古色ただよう恋愛模様や心理がつづられているのにはちょっと目をつぶったとしてもですね。

 

今日のプレイリストもオリジナルの発売順に並べました。

 

・アカシアの雨がやむとき(西田佐知子、1960、水木かおる&藤原秀行)
https://www.youtube.com/watch?v=ttyL7DcfcJM

 

・骨まで愛して(城卓矢、1966、川内康範&北原じゅん)
https://www.youtube.com/watch?v=wLtwSGTAkxg

 

・ラブユー東京 (黒沢明とロス・プリモス、1966、上原尚&中川博之)
https://www.youtube.com/watch?v=QV78dQsYSvo

 

・君こそわが命(水原弘、1967、川内康範&猪俣公章)
https://www.youtube.com/watch?v=BJr5KRC0ztE

 

・星降る街角(敏いとうとハッピー&ブルー、1972、日高仁)
https://www.youtube.com/watch?v=QPi5Q5x0jCw

 

・釜山港に帰れ(チョー・ヨンピル、1972、ファン・ソヌ)
https://www.youtube.com/watch?v=mXIue9a20bg

 

・喝采(ちあきなおみ、1972、吉田旺&中村泰士)
https://www.youtube.com/watch?v=hg34c1TBao8

 

・雨(三善英史、1972、千家和也&浜圭介)
https://www.youtube.com/watch?v=3mIbWMIGkMM

 

・夜空(五木ひろし、1973、山口洋子&平尾昌晃)
https://www.youtube.com/watch?v=oqJ4xKKQdek

 

・うそ(中条きよし、1974、山口洋子&平尾昌晃)
https://www.youtube.com/watch?v=qBWn48tOaTw

 

・東京砂漠(内山田洋とクール・ファイブ、1976、吉田旺&内山田洋)
https://www.youtube.com/watch?v=q_q6INQnEYs

 

・氷雨(佳山明生、1977、とまりれん)
https://www.youtube.com/watch?v=3VMVxDQW1zY

 

・舟唄(八代亜紀、1979、阿久悠&浜圭介)
https://www.youtube.com/watch?v=fp5XK18sRco

 

・大阪しぐれ(都はるみ、1980、吉岡治&市川昭介)
https://www.youtube.com/watch?v=VguFePgXLYw

 

・もしかして Part II(小林幸子&美樹克彦、1984、榊みちこ&美樹克彦)
https://www.youtube.com/watch?v=3avS6__451c

 

・居酒屋 (五木ひろし&木の実ナナ、1982、阿久悠&大野克夫)
https://www.youtube.com/watch?v=f6xKFm97YGE

 

・ふりむけば横浜(マルシア、1989、たきのえいじ&猪俣公章)
https://www.youtube.com/watch?v=Q60SZyvwpec

 

けっこう古い曲も混じっていますが、現代に再演されているものばかりです。そういう現代再演を聴くと、いい曲は時代を超える、たとえ流行歌でも、と痛感しますね。そうでありながらいっぽうでオリジナルをまた聴けばあらたな発見もあったりして、再解釈の余地と可能性を見出すというのも事実です。わさみんにはそういった観点からもとりくんでほしいですね。

 

ラテンなリズムをとりいれた曲が多いっていうのも(歌謡曲フィールドよりもいっそう)演歌界の特色を強く打ち出している部分かもしれません。今日のプレイリストを聴いていただければ、鮮明なラテン歌謡(「ラブユー東京」「星降る街角」など)ばかりでなく、ほぼどの曲にも跳ねるリズム・フィールがあって、演歌界は骨の髄までラテン色に染まっているんだなとの印象を強くします。わさみんだってテレサ・テン楽曲や「恋の終わり三軒茶屋」「右手と左手のブルース」でラテン・リズムをうまく歌いこなしていますから、そのへん問題ないと思いますね。

 

このことと関係あるかどうかわかりませんが、演歌/歌謡曲という線引きもかなり曖昧で、明確に区別できるものじゃないんだなというのもおととい来実感しています。わさみんだってどっちも分けへだてなくいっしょに歌ってきていますし、そもそも演歌も歌謡曲も実態は同じものですね。おとといの歌謡曲リストにもきょうの演歌リストにも、演歌・歌謡曲どっちも入っています。

 

たとえばおととい入れておいた欧陽菲菲(「雨の御堂筋」)やテレサ・テン(「愛人」)なんかは演歌でもいいし、きょうのちあきなおみ(「喝采」)を演歌に入れるのであればいっそう、との思いが強くなってきますよね。「アカシアの雨がやむとき」とか「夜空」とかだって歌謡曲でもいけると思いますし。おととい・きょうといちおう分けてはいますが、演歌と歌謡曲の線引きは実はできないものです。マルシアの「ふりむけば横浜」も歌謡曲っぽいかな。

 

アレンジ次第、歌いかた次第で古い演歌も現代的なやわらかい(歌謡曲的な)感じに響くということもありますしね。その点着目すべきは近年の坂本冬美です。以前もしっかり書いたつもりですが、冬美のここ数年の『ENKA』シリーズは、聴きやすいソフトでマイルドなサウンド・アレンジを施され、歌手も過剰な表現を抑えてふわっと歌い、演歌スタンダードの世界に斬新な相貌をもたらしています。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-0cb23c.html

 

このへんの冬美歌唱については、ずいぶん前にベスト・ソング・プレイリストを作成してありますので、ぜひご参考になさってください。いちばん上でリンクを書いたきょうの Spotify セレクションにもこの冬美 ENKA シリーズから三曲選んであります。
https://open.spotify.com/playlist/4QQsmZVXDK2HtrgVJpfKuy?si=V1eNFZ9dRkqh6k1SKR8y5Q

 

大切なことは、わさみんってそういったヌエボ演歌の申し子みたいなもんだということです。サウンド・アレンジこそ従来的な演歌のそれをそのまま採用してあっても、発声法、歌いこなしかたなんかは完璧に新世代のさわやかフィーリングでこなしていますからね。誇張したり持ってまわった声の出しかたをせず、すっとナイーヴに発音し、コブシもガナリもヴィブラートもなし、感情移入だってなしで、ナチュラル&ストレートに歌うさまは、冬美が最近ようやく身につけたネオ演歌唱法を生まれながらにして獲得しているといえ、わさみん=天才との感を強くします。

 

(written 2020.6.1)

2020/06/02

わさみんにこれを歌ってほしい(2/3)〜 弾き語り篇

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/5DlYaafh1vJ6fKiS6L0NWD?si=Qc5CIo8FQW2VfrfKUh-VMA

 

わさみんこと岩佐美咲にこれを歌ってほしいというリクエスト特集、二日目のきょうはギター弾き語り篇です。選んだどの曲もオリジナルは弾き語りじゃありませんが、ギター一本(+α)でやったらかなりいい感じになるに違いないと確信するものをピック・アップしたつもりです。もちろんきのう同様思いつくままなので、ほかにもいいものがたくさんあるはずですから、みなさんも考えてみてくださいね。

 

それできのうの歌謡曲篇と比較して大きな違いが一個あることにお気づきでしょう。そう、きょうの弾き語り篇に選んだものはシンガー・ソングライターの曲がほとんどだということです。「いい日旅立ち」を除き、すべて曲を書いたひとがそのまま歌ってもいます。これは選んだぼくが意図したことじゃありません。これが弾き語りに似合うかなと感じるものを入れていったら自然にそうなりましたが、なんらかの傾向はたしかに示しているでしょう。

 

今日のプレイリストも発売順に並べました。

 

・あの日にかえりたい(荒井由美、1975、荒井由美)
https://www.youtube.com/watch?v=e_YEUlxC680

 

・いい日旅立ち(山口百恵、1978、谷村新司)
https://www.youtube.com/watch?v=dQ_4Jmqf2eU

 

・いとしのエリー(サザンオールスターズ、1979、桑田佳祐)
https://www.youtube.com/watch?v=htMGeeLObNM

 

・ルビーの指環(寺尾聰、1981、松本隆&寺尾聰)
https://www.youtube.com/watch?v=4O-Y1VIM74I

 

・情熱(UA、1996、UA&朝本浩文)
https://www.youtube.com/watch?v=6DjfYxIAon0

 

・メロディー(玉置浩二、1996、玉置浩二)
https://www.youtube.com/watch?v=_COv6lAnREU

 

・Automatic(宇多田ヒカル、1998、宇多田ヒカル)
https://www.youtube.com/watch?v=JSb_x5lJ5DQ

 

・三日月(絢香、2006、絢香&西尾芳彦)
https://www.youtube.com/watch?v=2LcnEuHQdKE

 

・蕾(コブクロ、2007、小渕健太郎)
https://www.youtube.com/watch?v=WPH1BLHKOJE

 

このままじゃあギター弾き語りになりにくいんじゃないかと思われるかたもいらっしゃるはずです。実を言いますと今日のこの記事を書くきっかけになったことがあって、それは森恵というギター弾き語りシンガー・ソングライターを最近知ったことです。ソングライターでありながら森は四作のカヴァー・アルバムをリリースしているんですね。それをここのところ愛聴しています。

 

森がカヴァーしているのは往年の歌謡曲が多いので、それであぁ、こういった曲もこうやれば(ギター)弾き語りでできちゃうなあというのがわかり、納得できた次第です。きょうのわさみん向けプレイリストに選んだ曲は「いとしのエリー」を除きすべて森が弾き語りでカヴァーしているものなんです。これが種明かし。以下、その森恵弾き語りカヴァーのプレイリストです。

 

・「森恵 for わさみん」
https://open.spotify.com/playlist/7J87e10rSTkpjGrblPuzcj?si=NjzE1eJUR2qIrktZzZQw3A

 

これならわさみんもギター弾き語りでカヴァーしやすいと思えるんじゃないでしょうか。森ヴァージョンではギターではなくピアノ一台でやっているものもありますが、バンド形式ではないので、下敷きとして参考にしやすいでしょう。コンガやチェロなど若干の伴奏が入っている曲もありますが、同様です。わさみんだってそれくらいの伴奏は入れてもいいですよね。

 

なお、わさみんのギター弾き語りはコンサート DVD にそこそこ収録されていますが、CD には『美咲めぐり〜第1章』の「涙そうそう」と、シングル「鯖街道」通常盤の「なごり雪」と、たったこれだけです。これは今後もっと拡大していくべきだと思うんですね。あるいは弾き語りコンサートを DVD 化するとか、徳間ジャパンは考えることがあるんじゃないかという気がしますよ。

 

弾き語り+シンプルな伴奏でわさみんに上記のような数々のポップス名曲をスタジオ収録してもらって、ぜひ CD にたくさん収録して発売してほしいというのがぼくの気持ちです。ひょっとしたら CD 一枚フルで弾き語りアルバムということにしてもいいんですから。上でリンクを貼った「森恵 for わさみん」をぜひ聴いてみてください。「あの日にかえりたい」とか「メロディー」とか「三日月」とか、切なくてもう泣きそうですよ。わさみんの演奏と歌で聴きたいですね。

 

(written 2020.5.31)

2020/06/01

わさみんにこれを歌ってほしい(1/3)〜 歌謡曲ヒッツ篇

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/1CoOOwHSAREy7tDSvgdqmI?si=PS51r6bMS_anFjMuYKShhQ

 

名曲揃いの1970年代80年代の歌謡曲ヒッツのなかから、これはわさみんこと岩佐美咲にピッタリじゃないかな、ぜひ歌ってほしいなと思うものをちょちょっとピック・アップしてみました。どの曲を選んだかは思いつくままなので、偏りがあるかもしれませんし、もちろんほかにもいい曲はたっぷりあります。だからみなさんもこういったリクエストを書いてみてください。もちろんいままでにわさみんが CD でも DVD でも歌っていないものという基準です。

 

今日のリクエスト、以下、シングル・リリース年順に並べました。いやあ、どれもこれもいい曲ばっかりですねえ。まさしくぼくの思春期を形成した歌の数々といえましょう。わさみんは往年の歌謡曲&演歌ヒッツを現代によみがえらせるディーヴァという側面があるように思いますから(aka 人間ジュークボックス)、徳間ジャパンの担当者のみなさん、ちょっとご一考願えませんか。わさみんが歌って実に映えること間違いなしですよ。

 

演歌系リクエストもそのうち書こうと思っておりますが、きょうは歌謡曲分野に限定しました(欧陽菲菲とテレサ・テンがあるけど)。あすはギター弾き語りソング(こっちには現代曲もあり)のリクエストをアップする予定です。

 

・雨の御堂筋(ヴェンチャーズ、欧陽菲菲、1971、林春生&ヴェンチャーズ)
https://www.youtube.com/watch?v=9_--wboyBVE

 

・さらば恋人(堺正章、1971、北山修&筒美京平)
https://www.youtube.com/watch?v=F0XNndRcIAY

 

・北国行きで(朱里エイコ、1972、山上路夫&鈴木邦彦)
https://www.youtube.com/watch?v=uvunIzKj_bg

 

・ジョニィへの伝言(ペドロ&カプリシャス、1973、阿久悠&都倉俊一)
https://www.youtube.com/watch?v=JcSbTMLcryA

 

・積木の部屋(布施明、1973、有馬三恵子&川口真)
https://www.youtube.com/watch?v=nczh-BupAHU

 

・危険なふたり(沢田研二、1973、安井かずみ&加瀬邦彦)
https://www.youtube.com/watch?v=zKgIZOduV6E

 

・私鉄沿線(野口五郎、1975、山上路夫&佐藤寛)
https://www.youtube.com/watch?v=zdvd0aCUanU

 

・あずさ2号(狩人、1977、竜真知子&都倉俊一)
https://www.youtube.com/watch?v=1rtBYO083BM

 

・みずいろの雨(八神純子、1978、八神純子)
https://www.youtube.com/watch?v=J3Y5uWdVvYI

 

・魅せられて(ジュディ・オング、1979、阿木燿子&筒美京平)
https://www.youtube.com/watch?v=jdEk-jShUe8

 

・不思議なピーチパイ(竹内まりや、1980、安井かずみ&加藤和彦)
https://www.youtube.com/watch?v=6nvlUJjtg2Y

 

・夢の途中(来生たかお、1981、来生えつこ&来生たかお)
https://www.youtube.com/watch?v=XunJKwrtGOA

 

・SWEET MEMORIES(松田聖子、1983、松本隆&大村雅朗)
https://www.youtube.com/watch?v=yS0EiakSsrs

 

・愛人(テレサ・テン、1985、荒木とよひさ&三木たかし)
https://www.youtube.com/watch?v=trwOLExEDpU

 

女性歌手も男性歌手もいますが、そのへんはこだわりなくとりあげてほしいと思うんですね。男性が歌っているばあいは、歌詞に「君が」とかってなっていることが多いですけど、そういうのって AKB48や HKT48の楽曲にわりとありますしね。以前もくわしく書きましたが、女性歌手が男性詞をそのまま歌う(その逆も)のは日本歌謡ではあたりまえで、違和感はありません。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c90d.html

 

いままでのわさみん楽曲の中にはなかった傾向の歌もかなり混じっていますよね。「雨の御堂筋」はそれでも「大阪ラプソディー」とちょっと同系かなと思わないでもないですが、「さらば恋人」「北国行きで」などは珍しい曲調かもしれません。「危険なふたり」「みずいろの雨」みたいなグルーヴ・チューンもすくなかったのではないでしょうか。

 

そういったものもふくめ、新規カヴァー・ソングはいままでにない新しい境地を開拓するのにもってこいですし、実際いままでわさみんもそうしてきました。薬師丸ひろ子が初演ともいえる「夢の途中」なんかも哀感というかサウダージあふるる曲ですが、このリズム・フィールはいままでのわさみん楽曲のなかにありませんね。チャレンジですよ。

 

また、「魅せられて」「不思議なピーチパイ」「SWEET MEMORIES」「愛人」などはすっかり歌い慣れているおなじみの路線といえるでしょうね。いまのわさみんの実力ならオリジナルに比してもそれを超えていく歌唱を披露できる可能性があるんじゃないかと思うんですね。

 

いずれにしても上で書いた歌謡曲ヒッツは名曲揃い。歌いがいのあるすぐれた楽曲ばかりですし、いまのわさみんの歌唱力と魅力でもってあたらしい相貌を見せる可能性だってあります。いままで歌い慣れないものを歌い込んでいくことでわさみん自身さらにまた一段グッと成長できるチャンスでもありますね。歌えば歌うほど味わいが増すものですから、ぜひご検討いただけますようにお願いします。

 

(written 2020.5.30)

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