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2020/06/24

この世の名はすべて仮のもの 〜 SNS での匿名はダメなことなのか

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(6 min read)

 

主に Twitter で、だと思うんですけど、ここのところ匿名アカウントに対する批判が強まっていますよね。非難に近いものすらあるなと散見するんですが、たぶんプロレスラーの木村花が自殺してしまったあたりからこの風潮が強まっています。木村はテレビ番組『テラスハウス』出演関連で大量の誹謗中傷を Twitter で受け心を痛めてしまっていたそうで、そんな心ないコメントの多くが匿名アカウントから発信されたものだったとのことです。

 

匿名というか仮名というか、でも Twitter アカウントを作成するにあたりなんらかの認識名みたいなものは設定しないといけないので(記号でもいい)、完全匿名にはなりませんが、どうなんでしょうかね、卑劣なのは SNS で他人に対して延々と誹謗中傷や差別を投げ続けたりする発信者とその行為じたいであって、発信名が匿名であるかどうかは実は本質的に無関係であるというのがぼくの見解です。

 

それがなんだか誹謗中傷を投稿するアカウントの多くが匿名(というか仮名ですけどね、Twitter のばあい)であるということで、木村花のばあいだけでなく、いろんなみなさんの例をぼくが見ていてもたしかにそうかもなと思えるケースも多く、それで結果、匿名=誹謗中傷主すなわち卑劣、という同一視が成立してしまっているような気がします。

 

逆に言えば、実名、本名で活動すれば、そうそう無責任なことは言えない、他人への根拠のない攻撃発言や粘着などはなくなる、とまで言わなくてもかなり減る、という認識でいらっしゃるかたが多いということでしょう。でもぼくの考えは違います。匿名・仮名で活動していてなおかつ真摯な発言を行っている人物も多いし、実名(であろうもの)でも誹謗中傷をどんどん投げるひともいます。

 

そこに実名/匿名による行為パターンの抑制や線引きなんかは、実はないんだと思うんですね。たまたま Twitter とかヴァーチャルなコミュニケーションの場だからこんなことになっていますが、SNS も実社会もなんら違いはないというのがぼくの経験から得ている間違いない実感で、実社会で実名で攻撃をくりかえす人物ってけっこういますよね。

 

そんな人物は実名で SNS をはじめても同じことをやってしまうのだというのはたぶん間違いないことです。反対に匿名、ではないにせよ仮名というか、芸名・筆名というものがあるでしょう、作家がペン・ネームで活動したり、歌手や音楽家なんかでも実名をそのまま使っているひとのほうが少ないんじゃないですか、みんな大なり小なりステージ・ネームで活動していると思うんです。大相撲力士や、落語家や歌舞伎役者は全員そうですよね。

 

じゃあ、それらの芸名や筆名で活動している音楽家や芸能人やスポーツ選手や作家の発言は、実名じゃないから無責任である、本名で発言しろ!ということが言えるんですか?まったく的を外していると思いますね。音楽家や作家などは Twitter アカウントもその活動している仕事上の仮名でやっていて、それで社会や人間の問題についてしっかりした真剣なツイートをしています。本名じゃないから無責任な誹謗中傷を投げやすいだろうなんてことはありません。

 

だいたい人間の名前なんて、しょせんは<仮>のものでしかないんです。実名・本名ってなんですか?(日本だと)戸籍に記されている名前がそれですか?それはたんに出生時に親なりだれかなりが命名して届け出ただけのものでしょう。実だとか本だとかいう言いかたをするならそこに客観的に絶対揺るがない根拠が必要なんじゃないかと思いますが、戸籍に記されているというだけでそんな証明はできません。だれにとっても不可能です。

 

そもそもぼくだって「戸嶋 久」という名前であらゆるネット活動をやっていますが、これが実名であるかどうか、みなさん証明できますか?どなたのどんな名前だってそうなんですよ。実名制が原則とされている Facebook でだって、その名前がそのひとの戸籍名であるかどうか、フレンドさんのだれひとりとして確たる証拠は得られません。

 

そもそも実名を使えない、あるいは存在しない、というひとだっているんですよ。出生届記入時の書きミスで当人がその後混乱したりはよくあるし、たとえばトランス・ジェンダーは、出生時に与えられた女性的/男性的な名前を使うのに苦痛と困難を感じ、それなりの名前に通常生活で移行しているケースが多いです。また難民で幼少時になにもかも失われて実名がわからなくなっていて、親も関係者も全員この世にいないといったケースで、その後を生きる名前を保護施設などで与えられたケースもあります。これらのケース、そもそも実名が存在しないんですから。

 

こういったことはせんじつめれば実名なんてものがこの世にあるのか?実名とはなんぞや?いや、そもそも<名前>とはなにか?という問いに行き着くわけですが、そうです、つまりそんなものはないんだと、たまたまそのときの活動名があるだけで、この世の人生もたまたまそのときの一回性の活動にすぎず、それを過ごす仮の名をわれわれは与えられているだけなんだ、というのがぼくの考えです。

 

だから、実名と仮名(芸名や筆名や SNS 名など)とのあいだになんらの差異もない、匿名であろうが責任のある発言をするひとはするし、実名でも卑劣なひとは卑劣っていう、それだけのことでしかないなと思うんですね。だから SNS 実名制だとか、そうなってもぼくはなにも違いませんが、あまり意味のない提案じゃないですかね。

 

差別発言や誹謗中傷はなぜダメなのか、やめましょう、という教育に注力すべきであって、匿名か実名かはそのテーマの本質に関係がないように思います。実名で言え!というのは在日韓国・朝鮮人に通名はやめろ!とおどす差別主義者みたいですよ。

 

(written 2020.6.23)

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