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2020年7月

2020/07/31

ブライアン・オーガーがカ〜ッコイイ

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(4 min read)

 

Brian Auger / Introspection

https://open.spotify.com/album/7c0rR7yx3JGnOTM9O8VYQr?si=6tG0vrmpTmi-kuiGTH6LLA

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2020/04/30/introspection-brian-auger/

 

いままでずっと知らずに来ましたが、ブライアン・オーガー、な〜んてカッコイイんでしょうか。英国のソウル・ジャズ鍵盤奏者で、1960年代からやっているそうです。オルガンだったりエレピだったりアクースティック・ピアノだったり、どれもグルーヴィで、ノリがよくて、こりゃいいなあ。こんなにすばらしい鍵盤奏者を人生でずっと知らずに来たなんて。でも健太さんの紹介で聴くことができたからうれしいですね。

 

そんなブライアン・オーガーの『イントロスペクション』(2020)はベスト盤で、いままでの50年以上にもわたるブライアンのキャリアのなかから全体を俯瞰するように35曲をピック・アップし、CD だと三枚に収録したものですね。ぼくは CD 買わずに Spotify で聴いていますから、ディスク一枚ごとの区切りがわからず、全体がつながっているのがあれですけど。データもないからブライアン・オーガー 初体験者にはどの曲が何年のどのアルバムにあるんだなんてこともさっぱりわからず。

 

でもカッコイイ曲はまじカッコよくて、しびれます。1曲目の「フレディーズ・フライト」からごきげんですが、このままの調子で最後まで三時間以上を突っ走っていますから感心しますよね。ブライアンの音楽はたぶんジャズ・ベースだなとは思うんですけど、そこにブルーズ、リズム&ブルーズ、ロック、ソウル、ファンクなどが渾然一体となって溶け込んでいて、これ以上ないうまあじを聴かせてくれます。まさに文字どおりの意味での「フュージョン」!

 

よく知っている曲もけっこう入っています。3曲目「バタフライ」(ハービー・ハンコック)、6「ミッドナイト・サン」(ライオネル・ハンプトン)、8「インナー・シティ・ブルーズ」(マーヴィン・ゲイ)、などなど。ほかにもニンマリとする瞬間が随所にあって、聴いていてなごめますし、うれしいですね。ジャズ・ファンクになった11「ファンファーレ・フォー・ザ・コモン・マン」(アーロン・コープランド)からそのままファンクな「ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク」(デイヴ・ブルーベック)になだれこんだり、ジェイムズ・ブラウンの「ゼア・ワズ・ア・タイム」が出てきたりジョン・コルトレインの「至上の愛」のリフが入ったり(そういう曲名にはなっていない)。

 

アルバムはブライアンの極上の鍵盤プレイをフィーチャーしたインストルメンタル演奏が主体だと思うんですけど、ヴォーカルが入って歌をやる瞬間もかなりあり。ヴォーカルが入ると俄然リズム&ブルーズ/ソウル色が強まりますね。楽器演奏曲はソウル・ジャズみたいな感じのものが多いと思います。スタジオ録音もライヴ収録もあり。

 

ブライアン・オーガーは1960年代からずっと来て、現在でも現役ということですけど、60/70年代にこういった音楽をやっていたのなら、さしづめいっときのレア・グルーヴ界隈でさかんにとりあげられたんじゃないかという気がします。しかしそれと同時に本人はずっとそんなクールな音楽を現役でやってきているわけで、さかんにサンプリングもされるらしく、さもありなんと思えるだけの超絶グルーヴィな鍵盤プレイ、ファンキーな音楽がここにはありますね。

 

(written 2020.6.6)

 

2020/07/30

プロテスト・ソングの先駆け二曲

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(4 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/4PElyZ7BOxpUT5saCRhRmB?si=BrZfVfWQThirN20HEsRcaQ

 

このまえ、サッチモことルイ・アームストロングの公式 Instagram を眺めていて、ふとあることに気付きました。それはサッチモがオーケー時代の1929年7月22日に録音したファッツ・ウォラーの「ブラック・アンド・ブルー」は、実は最も初期のプロテスト・ソングだったんじゃないかという、キャプションでの記述を読んだことです。そう、そうですよね。黒人であることがなぜ悪いのだ?と問いかける内容の歌ですからね。

 

それで、ぼくがもう一曲思い当たったのは、デューク・エリントン楽団の「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」です。こっちは初演が1927年4月7日のブランズウィック録音で、戦前だけでもその後たびたび各種レーベルに録音されています。上掲 Spotify プレイリストには、それら二曲のそれぞれの初演ヴァージョン(エリントンのほうは初演がなかったので同年の再演)と、両方の戦後の再演ヴァージョン(1955、1966)との計四つを収録しておきました。

 

サッチモの公式 Instagram アカウントがそんな投稿をしたのは、もちろんここのところもりあがりをみせているブラック・ライヴズ・マター運動を背景にしたものでしょう。音楽の世界でも、こないだ日本の『ミュージック・マガジン』が同問題を特集しましたが、実際、特にアメリカ音楽の世界でも黒人差別問題をとりあげた音楽を強く見直したり再評価する動きが目立っています。

 

そんななか、人種差別を問題視するプロテスト・ソングの歴史を、アメリカン・ポピュラー・ミュージックの歴史をさかのぼってさぐってみれば、やはりエリントンの「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」やサッチモの(ファッツは未録音)「ブラック・アンド・ブルー」にたどりつくということになるんじゃないでしょうか。

 

「ブラック・アンド・ブルー」のほうは歌詞がありますから理解しやすいと思いますが、エリントンの「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」は、ブラック(黒人)とタン(混血)が、白人中心のアメリカ社会で蔑視され虐げられ滅びゆく運命の人間なのであるという悲哀をつづったジャズ幻想曲です。末尾にショパンの「葬送行進曲」が引用されていることにも注目してください。われわれ黒人とはそんなにも哀れな人種なのであるという、1920年代当時としては精一杯のプロテストだったでしょう。

 

きょうの Spotify プレイリスト、これら二曲とも両者自身による戦後の再演ヴァージョンも収録しておいたのは、やはり時代を経てのフィーリングの違いが聴きとれるんじゃないかと思ったからです。二曲とも、悲哀一色の1920年代の初演に比べ、1950〜60年代での再演にはコブシを突き上げ人権解放を強くアピールしようというような、そんなムードだってあるんじゃないでしょうか。特に1966年という公民権運動まっただなかに録音されたエリントンの「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」再演はパワフルです。

 

こういった古い曲が21世紀のブラック・ライヴズ・マター運動とどう結びついているかは、みなさんでも考えてみてほしいのですが、アメリカ社会で黒人が置かれた状況が、様相や曲想、曲調など違えど、どんな時代でもプロテスト・ソングを生み出してきたということは間違いないことで、1960年代あたりから急にもりあがりをみせはじめたというものではなく、古く戦前からあったのだということは確認しておきたいと思います。

 

(written 2020.7.26)

 

2020/07/29

セシル・コルベルと岩佐美咲の「さよならの夏」が沁みる

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(3 min read)

 

Cécile Corbel、岩佐美咲/ さよならの夏

https://open.spotify.com/album/4YhbMECxM6LbGMuTLbV7gD?si=QrcL6W4bRH-hyuKkHT9gHQ

 

最近気づいて日々実感しているんですけど、岩佐美咲+セシル・コルベル(Cécile Corbel)のデュオによる曲「さよならの夏」(2018)がとっても切なくていいんですよね。これは CD などでは発売されていません。配信オンリーのリリースで2018年に出たものです。同年七月、フランスはパリで開催された「Japan Expo 2018」出演のため美咲が渡仏した際に録音されたものでしょう。

 

「さよならの夏」という曲は、ジブリ映画『コクリコ坂から』の主題歌で、ぼくは聴いたことなかったんですけど(ジブリ映画にも興味ないし)、2018年の秋か冬ごろだったかな美咲+セシルの共演ヴァージョンが Spotify で聴けるようになった際、そのお知らせがあったので、ちょっと聴くだけは聴いてみました。でもそのときはあまりピンとこず。

 

いいなと思ったきっかけは、こないだ七月頭に美咲のシングル表題曲全九曲が Spotify で解禁になったということで、それらをぜんぶ一個に集めたプレイリストを作成、その際末尾にいちおうと思って「さよならの夏」もくっつけておいたんですね。九曲ぜんぶ聴き終えると「さよならの夏」が続けてそのまま流れてきますので、それで自然と耳にしていたんですよ。それで感心するようになりました。

 

セシル・コルベルはフランスのハープ奏者&歌手で、音楽家としてのキャリアは美咲より上です。「さよならの夏」ではほぼ対等にヴォーカル・パートを分けあっていますよね。セシルはハープも弾いている模様。美咲は日本語で、セシルはフランス語でそれぞれすこしづつ歌い、最終的には日本語詞を二人でハモりながらデュオするといった体裁。二人とも声がナイーヴでチャーミングで、それだけでもなかなか惹かれるものがあります。

 

それ以上にこれはたぶんこの「さよならの夏」という曲のメロディが切なくてチャーミングだから、ということなんだろうと思うんですね。哀感のただようマイナー調のこの旋律が本当に胸に沁みて、泣きそうになっちゃいます。こんなにも心に響くメロディだということにまったく気づいてもいなかったんですけど、たぶんプレイリストのラストに置いたから、というのも一因ですよね。

 

そこまで美咲のオリジナル・ソングが九つ続けて流れてきて、それらはもう相当数くりかえし聴いてきているなじみのものなんですけど、「右手と左手のブルース」が終わって、すっと「さよならの夏」 のイントロが流れてきた瞬間に、あぁなんてこじんまりとしたチャーミングな音楽なのかと感心しちゃい、歌が出てきたらもっとグッと胸に迫ります。このメロディですよ、それが本当にいい。

 

ラストもかなりすんなりというかあっさり、アウトロもなし、歌でそのままスッと終わってしまうのが、なんとも後ろ髪を引かれる思いで、あまりにも切なすぎる曲の終わりだと、これぞさようならだと、感に入ってしまうんですね。

 

(written 2020.7.25)

 

2020/07/28

高橋真梨子の「夢の途中」がすばらしすぎる

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(4 min read)

 

高橋真梨子 / ClaChic

https://open.spotify.com/album/35WRFkDQbjYiAv44bRQ5re?si=yvZwqlUqRz-KvuZpVlzy5w

 

高橋真梨子にはカヴァー・アルバムがわりとあるみたいですけど、2015年の『ClaChic』に偶然行き着き、このなかの4曲目「夢の途中」のあまりの哀切感(サウダージ)にノック・アウトされてしまいました。こ〜れは最高じゃないですか。おなじみ来生たかお&えつこコンビが書き、たかおと薬師丸ひろ子が1981年に(別々に)歌ったヴァージョンが初演の名曲です。

 

高橋の「夢の途中」を聴くまで、実を言うとこの曲がここまでサウダージきわまっているすばらしい名曲だと気づいていなかったような気がぼくはします。高橋ヴァージョンに行き着いたのは、森恵がこの曲をカヴァーしているのを聴き、それでちょっと気になって Spotify で曲検索してみたわけなんです。そうしたら高橋ヴァージョンが出たのでなんの気なしにふらっと聴いてみて、やられちゃったんですね。

 

高橋の「夢の途中」はボサ・ノーヴァにアレンジされています。それも大成功。アレンジャーがだれだったのかすごく知りたい気持ちですけど、ふわっとやわらかいソフトでおだやかな風のようなサウンドとリズムで、まるでフィーリンみたいでもあるし、ギターとピアノを中心とするリズム・セクションの軽い演奏にくわえ、丸くてやわからいフルート+ハーマン・ミューティッド・トランペットでリフを演奏し、ストリングスがふわっとただよっているという、なんだか極上の雰囲気なんですね。

 

そんなボサ・ノーヴァ・フィーリンな伴奏に乗って、「夢の途中」の高橋は歌詞の意味をひとことひとこと噛みしめて、聴き手にじっくり語りかけ伝えようとするように、きわめてていねいにていねいに、つづっていますよね。その解釈と発音・歌唱のていねいさにぼくは感服するわけです。声質もおだやかで、年齢を重ねてやや衰えたという面がかえってこの曲の意味とフィーリングをよりよく、深みを増して表現できることにつながっていると思うんです。

 

も〜う、こんなにも最高に切なさが沁みてくる「夢の途中」は聴いたことがないんですけど、これをふくむ『ClaChic』というアルバムは、高橋が2015年にいままで触れてきた歌謡曲の歴史をふりかえり、自身の選曲でこれをカヴァーしたいという名曲をとりあげて、熟年なりの枯れて丸い味わいで歌ってみた、伴奏のアレンジはジャジーにしっとりした感じでまとめながら、といったものです。

 

そしてボサ・ノーヴァな「夢の途中」だけでなく、このアルバムのなかにはけっこうなラテン・テイスト、それも軽いフィーリンふうなラテン・テイストがわりとあるんですね。アルバム前半はそうでもないですが、4曲目「夢の途中」の極上さを経て、6曲目「バス・ストップ」(平浩二)でグッと来ますよね。(ほかの曲でも聴ける)このエイモス・ギャレットみたいな星屑エレキ・ギターはだれなんでしょう?

 

軽いデジタル・ビートが味な7「黄昏のビギン」(水原弘)は完璧なボレーロ/フィーリンですし、このサウンドが極上なのにくわえ、高橋のやわらかいヴォーカルがまた聴かせます。以前のペドロ&カプリシャス時代と比べても、やはり年齢を重ねたことによるちょうどよい枯れ具合で、声も丸くなって聴きやすくなっているし、落ち着いた雰囲気で(衰えたからこそ)淡々と歌をつづっていくこの経験のなせる境地に感嘆します。

 

やはり鮮明なボレーロに仕上がっている8「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)や、薄味フィーリン・テイストのこれも切なさきわまる9「明日になれば」(ザ・ピーナッツ)などもすばらしい味です。サウンドがいい、極上だということで、本当にアレンジャーだれなんでしょうね?高橋のヴォーカルも切なさ爆発ですよ。10「ふれあい」(中村雅俊)もボサ・ノーヴァです。やはり軽くてソフトでおだやかな12「家へ帰ろう」(髙橋真梨子)や、レゲエな「Pocketful of Rainbows」(エルヴィス・プレスリー)もグッドですね。

 

(written 2020.6.5)

 

2020/07/27

往年の歌謡曲 in ナマ、リヴィジティッド 〜 野口五郎

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(3 min read)

 

野口五郎 / GORO Prize Years, Prize Songs 〜 五郎と生きた昭和の歌たち〜

https://open.spotify.com/album/4JZzMSsIsn3LclCkObnsau?si=8RHsY8pCTbijTsTdjP3EeA

 

野口五郎の『GORO Prize Years, Prize Songs 〜 五郎と生きた昭和の歌たち〜』(2010)。ちょっとアルバム題長いですよね。もっとシンプルなほうがよかったような気もしますが、それはさておき、このタイトルはかつての音楽賞全盛時代の歌謡曲ヒッツの数々という意味ですよね。それを五郎のデビュー40周年記念の2010年に歌いなおしたカヴァー集ということでしょう。だれのいつごろの曲ということを注釈しておく必要のないものばかりです。

 

昭和だとか音楽賞だとかいったことがどうでもいいぼくですけれども、ともかく往年の名曲揃いであることは間違いないです。プレイリスト『山口百恵 やまぐちももえ』で五郎の歌う「横須賀ストーリー」がいいなと思い、ひもをたぐってこのアルバム『プライズ・イヤーズ』にたどりついて以来、もうすっかり愛聴しているヘヴィ・ローテイションになっているんですね。

 

そうなっている最大の理由は、やっぱり曲になじみがある、よく知っているものばかりだからということにあるでしょう。ジャズにはまる前の時代にテレビの歌番組で頻繁に聴いたものばかりで、ここでの2010年の五郎の歌で聴いてなつかしいと思うかどうかより、曲がいいですよ、なんといっても。だれも音楽の新曲を発表しなくなるなんてことはありませんが、それでも歌謡曲全盛時代の、あのころの、曲の秀逸さといった事情はあるんじゃないかと思わざるをえないです。

 

さらに五郎のこのアルバムで際立っているのは、演奏がナマナマしく生きているということです。だから上に乗る歌手のヴォーカルも躍動しているわけですが、三原綱木&ザ・ニューブリードの生演奏一発収録なんですね。どうりでたまにほんのかすかにテンポがゆれたりするわけですよ。でも人間のナマの身体性が刻み込まれたこのオーケストラ演奏には、それでしか聴けないグルーヴ、コク、うまあじがあります。

 

ひょっとしたら五郎の歌もニューブリードの演奏との同時一発収録だったんじゃないかと思えるほどなんですけど、もはやいまどきありえないライヴな収録方法で演奏と歌のナマの息吹をパッケージングしようとした製作陣の目論見はみごとに成功しています。演奏にも歌にも艶と色気があって、これだよこれ、こういった音楽を聴きたかったんだよ、と膝を打つような心地よさがこのアルバムにはあります。五郎の声も甘くていいですね。

 

収録曲について解説する必要などないと思います。アルバム出だしの「また逢う日まで」「さらば恋人」「魅せられて」の三連発で序盤からノックアウト。中盤でじっくり歌いこむように聴かせたかと思うと、後半ふたたびのグルーヴァー「雨の御堂筋」「危険なふたり」「横須賀ストーリー」で魅了します。全曲のアレンジはいずれもオリジナルにほぼ忠実で、オーケストラも生演奏で一発収録したことといい、なにもかもあいまって黄金時代の、ナマの、歌謡曲世界の再現を試みた充実作です。

 

(written 2020.6.4)

 

2020/07/26

森恵(2)〜『Grace of the Guitar』シリーズ

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(5 min read)

 

森恵 / Grace of the Guitar
/ COVERS Grace of the Guitar+
/ COVERS2 Grace of the Guitar+

https://open.spotify.com/playlist/6ZaFQz6bTzjRSBvd71i1Dz?si=i7zEvNkURDufk9-sqbNGnw

 

森恵のギター弾き語りによる名曲カヴァー集三作、『Grace of the Guitar』(2013)、『COVERS Grace of the Guitar+』(2016)、『COVERS2 Grace of the Guitar+』(2020)。ぼくが森恵を知り好きになったのは一作目に収録されている「プレイバック Part 2」をプレイリスト『山口百恵 やまぐちももえ』で聴いたからでした。だからこれらの弾き語りカヴァー集もぜんぶ聴いてみたんです。

 

これら三作はシリーズ・タイトルどおりギター、それもアクースティック・ギターに焦点を当てフィーチャーしているものですし、聴いてみてもやっぱり森のギターの腕前にうなります。森はフェンダーとアーティスト契約を結んでいる日本人四人のうちの一人で、さらにギルドとは日本人初のエンドースメント契約も結んでいます。これら老舗ギター・ブランドもギターリストとしての森の実力を認めているわけですね。

 

『Grace of the Guitar』シリーズでもわかりますが、森のギターは一音一音がくっきりと粒立ちよく立っている、際立ちがいいというのが大きな特徴ですね。エッジの立ったようなといいますか、輪郭が鮮明ですよね。右手のピックング・アタックがしっかりしているせいなんじゃないかと思いますが、左手の押弦も揺るがないものであるがゆえにどんな音も、コードも、音がぼやけないです。クリアですよね。だから森のギターを聴いていると気持ちいいんです。

 

さらにカヴァー・ソングばかりということで、オリジナルやすぐれたカヴァー・ヴァージョンが存在する世界ですから、森がどんなふうに歌っているかといったことも着目されると思うんですけど、この声の存在感の強烈さには降参します。きのうも書いたんですけど森の声には強さ、鮮明なカラーリング、艶があって、声がポンと前に出てきます。ひとことにして迫力のあるヴォーカルといいますか、歌のほうもなかなか得がたい魅力を持った存在だと思うんですね。

 

きょうのこのシリーズだと、たとえば一作目にある「木蘭の涙」(スターダストレビュー)なんかこんなにもいい曲なんだと森にはじめて教えてもらったような気がしますし、「グッド・バイ・マイ・ラブ」(アン・ルイス)も「涙そうそう」(BEGIN)もしっとりしていて、ギター中心のアレンジもいいけど、ヴォーカルもふくめ全体的に曲のよさを聴き手に伝えることのできる強いパワーを備えているなと感じます。なお、一作目でも若干の(ギターやウクレレなど)弦楽器ゲストがいるみたいです。

 

二作目になればピアノなどが伴奏に入る曲も増え、サウンドに幅とヴァラエティを持たせようという意図が伝わってきますが、それでも「異邦人」(久保田早紀)や「落陽」(吉田拓郎)、「残酷な天使のテーゼ」(高橋洋子)などで聴ける森のアクースティック・ギターのサウンドはあざやかで、はっと目を見張るような驚きもあり、かなりの聴きものです。ヴォーカルはいつもどおり強力ですし。

 

曲がいい、ギターもヴォーカルもみごと、伴奏アレンジだってきれい、という意味では「真夜中のドア〜Stay With Me〜」(松原みき)がシリーズ二作目のなかでも白眉でしょうね。森のヴォーカル&ギターのほかにはやわらかいエレピ・サウンドだけということにしたアレンジもすばらしいですし、なんたってこれは曲がいいんですね。それを存分に活かせる森の資質にも着目です。

 

三作目の『COVERS2』になると派手なバンド・サウンドが増えて、アクギ弾き語りという森の原点からやや離れている面もありますが、ふだんこういった音楽もどんどんやっているのでしょう。「氷の世界」(井上陽水)なんかかなりいいです。アルバム中盤以後の「三日月」(絢香)、「メロディー 」(玉置浩二)あたりの弾き語りは本当にグッと来ますよね。特に「メロディー 」、曲が切なくてとてもいいからっていうことではあるんですが、この哀しい曲をしっとり弾き語りでここまでやれる森も文句なしでしょう。チェロ伴奏も沁みます。

 

そしてこの三作目でかなりいいぞと感じたのは、実はラストに収録されている森のオリジナル曲「そばに」です。森はカヴァー・ソング集四作のすべて、末尾に一曲づつオリジナルを収録しているんですけど、このギター弾き語りによる「そばに」は絶品じゃないでしょうか。このヴァージョンでは声もいいんですけど、なんたってギター演奏がすばらしいと耳をそばだてました。サウンドがまろやかで、しかも同時にくっきりとした粒立ちのよさが目立ちます。しかも徹底的にていねいな弾きかたで、こんなアクースティック・ギターの音はなかなか聴けないように思います。

 

(written 2020.6.3)

 

2020/07/25

衝撃の森恵「みずいろの雨」〜『リメイク one』

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(4 min read)

 

森恵 / Megumi Mori Soul Song's Book Re:Make 1

https://open.spotify.com/album/4omLjoj1R2mXYgNmLBcTld?si=_gzfLETNSbKQJ-V-dx1ZXQ

 

ウォ〜〜!なんだこの「みずいろの雨」は!!やっているのは森恵。もうびっくりしちゃいましたよ。ものすごいグルーヴィじゃないですか。ラテンというかサルサですよね、これは。サルサ歌謡曲。それを収録しているのは森のアルバム『Megumi Mori Soul Song's Book Re:Make 1』で、2013年のリリースです。森にとって初のカヴァー・アルバムになったもので、その後三つリリースして、いままでに計四作のカヴァー・アルバムがあることになります。

 

森は広島出身のギター弾き語り系シンガー・ソングライターで、にもかかわらず往年の歌謡曲などをどんどんカヴァーすることにある意味本領がある歌手なのかもしれません。オリジナル曲も聴いてみましたが、やっぱり曲の魅力という点では1970、80、90年代の過去の名曲にかなうものじゃないなと(森には悪いんですけど)思いました。そんなわけで四作のカヴァー・アルバムで森恵という歌手を堪能しています。

 

で、カヴァー・アルバム・シリーズの第一作になった『リメイク one』2曲目に収録されている「みずいろの雨」でぼくはぶっ飛んでしまって、こんなにすごい曲だったのか、これは超絶ラテン・グルーヴ歌謡じゃないか、八神純子のオリジナルはどうだっけ?と思ってそっちも聴きなおしてみたら同じようだったので二度ビックリ。そうか、八神のオリジナルからして最初からこんなにぶっ飛んでいたんだなあと、ソングライターとしての八神の実力にあたらめて感服しました。

 

それでもこの森ヴァージョンはそれを超えてものすごいんじゃないですか。打楽器は三名かな、ドラムス、ティンバレス、コンガ。+ベース+ピアノ+ギター&ヴォーカルでしょう。ぜんぶアクースティック編成。もう打楽器群の乱れ打ちにからだも心もしびれてしまい、口あんぐりで身動きとれませんが、スティーヴィ・ワンダーの「アナザー・スター」から借用したようなサルサなピアノ・リフも快感ですね。アクースティック・ギター・ソロは森本人かもしれません。違うかもしれません。

 

歌が出て、さらにびっくりしますね。森の声は張りがあって、しかも太く丸く強力で、艶やかですよね。音程も正確ですし、歌いこなしもみごとです。アーティキュレイションにもディクションにも文句つけるところがありません。実にうまい歌手です。ギターの腕前も一級品だし、こりゃすごい人物を発見しましたねえ。松山の大学を卒業後広島市内でストリート・ミュージシャンをやっていたところ、歩行者がみんな足を止めて聴き入ってしまうので評判になってスカウトされたんだそうですよ。

 

いやあ、「みずいろの雨」があまりにもものすごくってあまりにも強烈で、それだけでアルバム『リメイク 1』の印象がいいほうに決まってしまうような気がしますけど、ほかの曲だってとてもいいんですよね。5曲目「北国行きで」(朱里エイコ)、11「飾りじゃないのよ涙は」(中森明菜)もグルーヴ・チューンで超キモチエエ〜。前者はやはりラテン・リズムが使ってありますし、後者は4ビート・ジャズですね。

 

これら三曲とは対照的なしっとりバラード系だって、森のギター&ヴォーカルのうまあじ(とアレンジのよさ)が目立ちます。特に強く印象に残ったのは6「いい日旅立ち」(山口百恵)と8「あの日にかえりたい」(荒井由美)、特に後者ですね。この森ヴァージョンはピアノ一台が使ってあるんですけど、最初無伴奏で歌われるパート「泣きながらちぎった写真を、手のひらにつなげてみるの」部分の切な系感情がきわまっているあたりで、泣きそうになってしまいます。ピアノ伴奏もチェロもいいけど、ここでは歌詞の意味をかみしめるようにていねいにつづる森の哀切ヴォーカルに降参です。

 

往年の歌謡曲の名曲群を、全編オール・アクースティック編成のオーガニック・サウンドでとりあげ強烈に演奏し強烈に歌う森恵の『Megumi Mori Soul Song's Book Re:Make 1』、個人的には傑作、名作と呼びたいほど、現時点ではゾッコンでヘヴィ・ローテイション中。こんなすごい歌謡曲アルバム、なかなか聴けないと思いますよ。

 

(written 2020.6.2)

 

2020/07/24

メタル&ラテンなさわやか山口百恵 〜 三浦祐太郎

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(3 min read)

 

三浦祐太郎 / I'm HOME

https://open.spotify.com/album/2NA1sEVFdpyI0UukxL2Msr?si=TFJknDlOTy-6VRvINvL5Mw

 

おとといのプレイリスト『山口百恵 やまぐちももえ』にも一曲収録されていた三浦祐太郎。山口百恵の子です。祐太郎はずっと音楽活動をしていますが、最初百恵の子であることを伏せていたんだそうですね。それでもライヴでときどき百恵のレパートリーを歌うこともあったみたいですけど、「百恵の子として歌手をやっている以上逃れられない宿命であり使命だ」といよいよ覚悟を決めて、百恵ソングブック・アルバムをつくろうと決心して臨んでできあがったのが2017年の『I'm HOME』です。

 

祐太郎のこのアルバムを聴いての最大の印象は、清心ということです。サウンドも歌声にも邪心がなくて、素直にストレートに歌っているのが好印象です。百恵の声というか歌にはかなり翳があったといいますか、言ってみればスレたような大人のフィーリングが常にこもっていたと思いますし、そういった(落ち着きはらったような)暗い翳が百恵の歌の大きな魅力でもあったわけですけど、祐太郎の声にはもったいぶったような印象がなくさわやかなのがぼくは好きですね。

 

そんなところ、1曲目の「さよならの向こう側」から聴きとることができます。宮永治郎の手がけたアレンジもいいですけど、最大の美点だと思えるのは祐太郎のストレートで伸びやかな声です。歌いかたというか節まわしにもナイーヴでさわやかな感性が生きていて、聴きやすいし、とてもいいですね。2曲目「秋桜」も同じような感じがします。そして、これら二曲ともロック・サウンドですね。

 

ロック・サウンド、それもややハードな、というかヘヴィ・メタルっぽい要素も聴きとれるというのもこのアルバムの特色でしょうか。4曲目「イミテイション・ゴールド」、7曲目「曼珠沙華」などは特にそうです。「曼珠沙華」なんかちょっとメタリカ感ありますしね。百恵オリジナルから大きく離れ独自発展を遂げているといえましょう。それでも祐太郎のヴォーカルにはソフトな感触があったりするのもおもしろいところです。

 

やわらかいというか柔軟な歌いかたができる祐太郎のさわやかなヴォーカル資質は、ラテンなアレンジを施された曲でも生きています。3「謝肉祭」、6「プレイバック Part 2」がそうです。前者はややフラメンコなノリ、後者はサルサっぽいでしょうか。個人的には「プレイバック Part 2」のこの超絶グルーヴィな感じがとても気に入りました。ピアノとギターを活かした宮永治郎のアレンジも最高ですし、ノリがいいし、いやあ、こりゃみごとです。

 

(written 2020.5.30)

 

2020/07/23

わさみん配信ライヴ決定!

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(4 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=uY7Cj3eTQvm_pzlPCotiOA

 

とうとう決まりました、わさみんこと岩佐美咲の配信ライヴ開催。これをどれほど待ったことか。8月14日(金)の午後8時から約60分間。くわしいことはわさみん公式ブログにも記載されましたので、そちらをご覧ください。

 

・「わさみん配信ライブの件」
https://ameblo.jp/wasaminnn/entry-12612449087.html

 

有料配信で、視聴するだけであれば2500円。応援権をつけると、あと500円、1000円とくわわりますが、まずもっては2500円ということで、それで60分のストリーミング・ライヴですから、まずまずといったところじゃないでしょうか。有料配信はイープラスの視聴チケット制のストリーミング・サービス「Streaming+」を使ってのものになります。

 

もうきょう7/22の12時から販売開始になっているということで、すでにチケットを購入された熱心なファンのかたがたもいらっしゃるようです。ぼくもそろそろ買わなくちゃ。配信日二日前(8/12(水)AM0:00)からはカード決済のみでの販売となりますので、ご注意ください。

 

ぼくら歌手としてのわさみんをこそ愛しているというファンにとっては、本当に首を長くして待ち望んでいた配信ライヴ。本来であれば、毎週末のように全国どこかで歌唱イベントを開催していたはずでありました、コロナの影響がなかったらですね。しかし、それが中断したままとなってもう約半年近く、ファンの渇望感は絶大なものとなっていたんですね。

 

ちょこちょことネット配信番組をやったり、そのなかでカラオケ歌唱を披露したりなどすることはありましたが、ちゃんとした歌唱系イベントは、だから二月以来じゃないですか。ネット配信であるとはいえ、わさみんのライヴ・コンサートが聴ける観られるというのは本当にうれしいことです。これ以上に楽しみな出来事は最近ないですね。

 

さあ、わさみんはなにを歌うのでしょう?60分ですから、そんなにたくさんは歌えません。あいまあいまにおしゃべりもいつものようにはさんでいくと思いますから、たぶんぜんぶで10曲前後といったあたりでしょうね。今年四月に発売された最新楽曲「右手と左手のブルース」はもちろん歌われるでしょう。

 

その「右手と左手のブルース」は、いまだ一度もファンの前で歌ったことがないんですね。こんなことはいままでなかったことです。だからわさみん自身歌い込んでいない、聴衆の前で歌ってきていないということで、できあがりに若干の不安もありましょうが、これからがチャンスですよね。ぼくらも歌う姿を観ながらこの最新楽曲を聴くのは初の体験になります。

 

ヴァーチャルなというか、ネット配信で、現場は無観客での開催になるわさみんストリーミング・ライヴ。いまは現場に実客を入れてイベントを開催することができない状況なので、こういう手段で行うしかありませんが、またとない機会です。おおいに楽しみましょう。成功すれば、二度目三度目があるかもしれません。

 

8月14日、早く来い!

 

(written 2020.7.22)

2020/07/22

Created by 山口百恵

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(4 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/2DjbKs5GNVWVlxxYYBFtFS?si=13wKShCnRQusNWjKXUxTeA

 

山口百恵は2020年5月28日まで Spotify などストリーミングで一曲も聴けませんでした。29日の午前0時に解禁になったんですね。聴けなかったからしょうがないなあと、でもなにかないのか?と、そう思って Spotify でぶらぶらしていて発見したのが、このプレイリスト『山口百恵 やまぐちももえ』なんです。いまこのプレイリストを見ますと、まず百恵の歌がずらりと並んでいますが、きのうまでなかったものです。存在しなかったんですから。5月29日に追加されたものなんですね。

 

だから本来このプレイリストは谷村新司の「いい日旅立ち」ではじまっていたものなんで、百恵カヴァー集として楽しむものだったんですね。ところで、このプレイリスト、作成者が「山口百恵」になっていますけど、こりゃいったいどういうことなんでしょう?百恵個人というか本人であるとはちょっと考えにくいから、この名前を使える(レコード会社)関係者かだれかなんでしょうか?

 

そのへん、このプレイリストを見つけた最初、ちょっと興奮したりもしたんですけど、たぶん百恵本人ではないだろうということで、このカヴァー集を聴き進み、かなり愛聴できるものもできてきました。冒頭、谷村の「いい日旅立ち」、さだまさしの「秋桜」、宇崎竜童の「さよならの向こう側」と並んでいますが、シンガー・ソングライター・コーナーということでしょう。聴きごたえありますね。曲を知っているなという印象です。

 

その後、ぼくがこのプレイリストで本当にオォ〜ッ!と思ったものがちょこちょこ出てきます。まず森恵の「プレイバック Part 2」。森恵というギター弾き語り歌手のことをぼくは今回初めて知りましたが、ギターも歌もうまいので惚れてしまいましたね。この「プレイバック Part 2」は完全ひとりでの多重録音なし弾き語りでしょうね。すごい。

 

「横須賀ストーリー」を歌う野口五郎も今回みなおした歌手です。本当にいいですよね。五郎は声がスウィートで、艶と張り、伸びがあって、歌が生きます。アレンジはだいたい百恵オリジナルに忠実で、それをフル・バンドの一発生演奏で収録したそうですよ。いまやなかなかまれになったやりかたですが、さすが演奏も歌も呼吸しているなと感じることができて、気持ちいいです。

 

そして、今回このプレイリストでいちばんグッと来た大発見が、工藤静香の「曼珠沙華」です。なんなんですか、この軽快で巧妙なラテン・アレンジは。だれがアレンジしたのかすごく知りたいですね。演奏も一級品。静香は声が細いですが、独特の色香を持っていて、こういう曲とアレンジがよく似合います。ほんと、このラテン・アレンジ、最高じゃないでしょうか。そう、「曼珠沙華」はこういう歌なんですよね。このヴァージョン、大のお気に入りになりました。

 

EPO の「乙女座 宮」も声がキュートでグッド。こういったかわいくてさわやかな曲にはよく似合っている声質ですよね。アレンジも歌も雰囲気があるし、この「乙女座 宮」という曲の持つ魅力をよく引き出しているなと思うんですね。ここではなんといっても EPO の声です、すばらしいのは。工藤静香とか EPO とか、いままでちっとも聴いたことなかったんですが(正直言ってバカにしていた)、なかなかあなどれないなと感じるものがあります。

 

ここまでがこのプレイリストの第一クライマックスですが、個人的には次にいいなと思うのがサーカスの歌う「しなやかに歌って」なんですね。その後、インストルメンタル(ストリング・アンサンブル)でやる音登夢(おととむ)の「愛染橋」をはさみ、歌詞をかなり書き換えてある鬼束ちひろの「いい日旅立ち・西へ」でふたたびグッと来ます。

 

八神純子の「さよならの向こう側」もオーガニックな質感でやわらかくていいし、同じ曲を鈴木雅之が歌うのも声が太くて丸くて、聴きごたえがあってとてもいいと思います。はっきり言うとこのへんからは同じ曲がどんどん出てくるので、ちょっとなんというか、どれか一個でいいんじゃないか、やや飽きたという気持ちにならないでもないですね。

 

それでもいままであまり or ぜんぜん、聴いたことのなかった、あるいは名前すら知らなかった、歌手をこういったプレイリストでじっくり聴いてみて、曲は百恵の有名レパートリーばかりだからよく知っているし、だから未知の歌手でもとっつきやすく、なにかのそういった入り口にしていくのにはもってこいですよね。

 

(written 2020.5.29)

2020/07/21

山口百恵(2)〜 1976/77年を転機とする飛躍

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(5 min read)

 

山口百恵 / GOLDEN☆BEST コンプリート・シングルコレクション

https://open.spotify.com/album/15yDDm4mfFi2jfVtZhuJ97?si=oVXkbUOEQ2K-MjhpzBH__Q

 

きのう書いた記事は CD アルバム『GOLDEN☆BEST コンプリート・シングルコレクション』のディスク1収録曲のことなんですけど、その序盤は山口百恵の声がまだまだ幼くて、その意味でもちょっと聴けないなと思っていました。百恵の声が歌手として成熟したのは、たぶんデビュー三年後の「横須賀ストーリー」(1976)のあたりからでしょうね。百恵の自我を確立した一曲で、歌わされるアイドル歌手、男性のために従順に尽くす女性といった旧来の日本的被抑圧型女性像から脱却したきっかけでした。

 

「横須賀ストーリー」は阿木燿子・宇崎竜童コンビによる曲で、それは百恵にとって初チャレンジでした。メガ・ヒットしましたし(たしか百恵の全シングル曲中第二位の売り上げ)、またその後の「イミテイション・ゴールド」「プレイバック part 2」「絶体絶命」「ロックンロール・ウィドウ」など、一定の路線に踏み出す最初のきっかけでした。「横須賀ストーリー」がなかったらその後の百恵もないということで、大きな意味を持つ一曲でしたね。

 

アルバム『GOLDEN☆BEST コンプリート・シングルコレクション』を聴いていきますと、ディスク1で「横須賀ストーリー」のすこしあとに「初恋草紙」(1977)が収録されています。これが個人的にはたいへんに印象深い佳曲です。書いたのはやはり阿木宇崎なんですけど、特に B メロの動きがまるで小椋佳の書くような感じなんですね。ぼくは小椋佳ファンなんで、この百恵のシングル曲、すっかり忘れていましたが、いいなぁと思って聴き入りました。
https://www.youtube.com/watch?v=mXmXWSmSVY0

 

この「初恋草紙」はヒットできるような曲じゃありませんけれども、こんな哀感、寂寥感のこもるしっとりメロディをすんなりきれいに歌いこなせるだけの実力が百恵に備わってきたという大きなあかしでした。百恵の全シングル曲を順番にたどりなおしてみますと、こういったバラード路線はその後百恵の大きな武器のひとつになっていったからです。「秋桜」しかり「いい日 旅立ち」しかり「さよならの向う側」しかりです。

 

ということは、ハードなロック路線(当時は<ツッパリ路線>と呼ばれていた)もしっとりバラード路線も、百恵はほぼ同時期に開花させたというわけで、やはり1976/77年ごろが百恵にとっての転機だったのでしょう。歌手として(女性蔑視のセクハラ歌謡を押しつけられるような世界から脱却し)成熟し、自立した立派な大人の世界を表現できるだけの歌手としての幅も、そして環境も、整ってきたのだということなんでしょうね。その媒介を果たしたのが阿木宇崎コンビです。

 

そして「初恋草紙」の次に「夢先案内人」(77)が収録されていますが、こ〜れが!も〜う!チャーミングなんてもんじゃないんですね。百恵の歌がいいというのもありますが、なんといっても曲とアレンジが絶品です。これもやはり阿木宇崎の手になるものですが、アレンジが萩田光雄。萩田はこれの前から百恵楽曲をアレンジしていましたが、「夢先案内人」ではいったいなにがあったのか?!と思うほどのペンの冴えなんです。
https://www.youtube.com/watch?v=mgNpy2rtR2w

 

特にバリトン・サックスがずっと同じリフを演奏しているでしょう、それが軽快なリズムを編み出していますし、全体的にサウンドもさわやかでノリがよく、ストリングスも効果的。エレキ・ギターがはじきだすフレーズもきらめいていますし、全体的にこの「夢先案内人」という名曲の持つドリーミーでさわやかな調子を最高にもりたてる絶品アレンジです。ここでの萩田の仕事は天才的。百恵の声も落ち着いて伸び伸びしたフィーリングで、いよいよ歌手として大きくなったなということがわかります。

 

この後アルバム『GOLDEN☆BEST コンプリート・シングルコレクション』はディスク2へと入っていきますが、「秋桜」「プレイバック part 2」「いい日 旅立ち」「美・サイレント」「しなやかに歌って」「ロックンロール・ウィドウ」「さよならの向う側」など、いまさらぼくが言を重ねる必要などなにもない名曲・名歌唱が続いています。

 

ちょっと意外な印象に残ったのは「乙女座 宮」(78)と「曼珠沙華」(79) ですね。「乙女座 宮」は「夢先案内人」と同じ傾向のドリーミー&さわやか楽曲で、こういった路線は百恵に少なかったんですけど、今回アルバムを通して聴いてみて、あんがいかなり資質に合致していたかもなという気がしたんですね。原田知世が「夢先案内人」をカヴァーしていますが、「乙女座 宮」も似合いそうですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=Mk5OumfQM40

 

「曼珠沙華」は一見フォーキーな切な系歌謡曲のように思えますけど、たぶんこの曲の本質はちょっと違うと思うんですね。アレンジ次第で化ける可能性を持つ、ポップで派手な曲想を持っているんじゃないでしょうか。百恵引退コンサートでのしっとり系名唱が YouTube に上がっていましたが(↓)、もっと軽快に楽しくやれるポテンシャルを秘めた、隠れた名曲でしょう。アレンジは大切です。でもこのヴァージョンもちょっとファンカデリックみたいでいいなぁ。
https://www.youtube.com/watch?v=O3p96LPoI9g

 

(written 2020.5.27)

 

2020/07/20

山口百恵(1)〜 千家和也時代と性抑圧の構造

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(6 min read)

 

山口百恵 / GOLDEN☆BEST コンプリート・シングルコレクション

https://open.spotify.com/album/15yDDm4mfFi2jfVtZhuJ97?si=oVXkbUOEQ2K-MjhpzBH__Q

 

だいぶ前に買った山口百恵の『GOLDEN☆BEST コンプリート・シングルコレクション』(2009)。CD 二枚組で全38曲。引退後リリースの三曲や若干の B 面曲をふくめ百恵のシングル盤 A 面曲(31曲)の全集です。これをついこないだふと思い出してじっくり聴きかえしたら思うところがあったので、二日間にわたりちょちょっと記しておきます。

 

山口百恵にかんしては、レコード・デビュー(1973)から、っていうよりもその前のオーディション番組『スター誕生!』出演(72)から、引退曲「一恵」(80)まで、ちょうどぼくがテレビの歌番組に夢中だった時期とピッタリ一致していますので、番組で歌われていたシングル・ナンバーはすべて憶えています。アルバムを聴いていても、かなりなつかしいという気分がこみあげてきましたね。いまでも歌詞もメロディも頭にあります。

 

しかし、いま聴きかえすと、デビューから1976年の「赤い運命」(「愛に走って」B 面) あたりまでははっきり言って聴くに耐えないといった印象すらありますね。なにがダメといって歌詞です。すべて千家和也。千家の歌詞がもうどうしようもないと思うんです。男尊女卑の極みで、女性はひたすら耐えて男性のために尽くすのが愛のかたち、幸せであるという古色蒼然たる女性蔑視のセクハラ的恋愛観に貫かれているんですね。

 

たとえば「青い果実」(73)。「あなたが望むなら私なにをされてもいいわ」という出だしの歌詞だけでヘドが出そうじゃないですか。男性優位の価値観に完全に立脚したフレーズで、女性は黙って男性の言うことを従順に聞いていればいい、それが女性のつとめ、幸せなのであるというセクハラ的考えに沿った歌詞ですよね。

 

このフレーズが有名になった百恵の「青い果実」は大ヒットして、この路線がその後もずっと続けられることになったのでたちが悪いですね。たとえばこれも大ヒットした「ひと夏の経験」(74)。「あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ」と出てきます。このフレーズは曲のなかでなんども反復されるキー・フレーズになっているんですけど、まったくもってなんというか、こう、ウゲェ〜と思っちゃいますよね。

 

百恵のこの手の(世間で言うところの)<青い性>路線には、中学生だった当時からぼくは個人的に違和感を持っていて、こんな歌詞を歌わせていいのかなぁ、だって歌手もまだ中学生でしょう、どんな曲をもらい歌うか自分で選択できないだろうし、だいいち大人、それもどうしようもない男がまだ十代前半の女性歌手に押しつけてこんな歌を歌わせるのはどうなんだ?嫌だなあと、テレビで聴きながら思っていましたね。

 

今回知ったことですけど、百恵本人もこういった路線はちょっとどうかと思っていたみたいで、歌で形成される歌手としてのイメージと自己との乖離に悩んでいたようです。「ひと夏の経験」の「女の子のいちばん大切なもの」とはなんですか?みたいな質問をマスコミから散々浴びせられウンザリしていたそうで、後年「処女とでも言えばよかったのか」と発言しているくらいです。

 

リアルタイムでは個人的にこれら「青い果実」と「ひと夏の経験」がかなり強烈な(ある意味ネガティヴな)印象となって残っているものなんですけど、千家和也の書いた男尊女卑セクハラ的な歌詞はほかにもひどいのがたくさんあるんだということを今回 CD で聴きなおし知りました。

 

「ひとつだけ教えてください、倖せになれるでしょうか」(「湖の決心」75)、「あとどのくらい愛されますか、あとどのくらい生きられますか」(「ありがとう あなた」75)、「ねえ、綺麗なまま生きることは無理なのかしら、ねえ、私たちも愛し合うといつかは汚れてしまうのかしら」(「白い約束」75)、などなど枚挙にいとまがないです。

 

これらの(当時も現代的視点からも)堪えがたい歌詞はすべて千家和也の書いたものなんですけど、上でも暗示しましたように、ここには力を持っている製作陣や男性ソングライターとそれを無理に歌わせられる十代の女性歌手という、典型的性抑圧の構図があったのです。中学生当時から歌を聴いて「なにかおかしい」「これでいいのか?」「嫌いだ」とぼんやり感じていたぼくのフィーリングは、いまではそれがなんなのかこのように明言することができます。

 

大切なことは、歌手としての百恵自身、これらの<青い性>路線の曲を歌っていた時期にはまだ成熟していなかったということです。声質も幼いし歌いかただって未熟です。さらに曲やアレンジだっていま聴くとダサくて聴いていられないと思うほどじゃないですか。メロディは暗く陰鬱で、まるで陽の差し込まない部屋のなかでうつむいているような、そんな雰囲気です。

 

アレンジ面では管楽器、特にトランペット・セクションの頻用が目立ちますが、ダサいのひとこと。特に歌メロとユニゾンでパラパラッと合奏するあたりでゲンナリしてしまいます。時代のものかもしれないっていうか、1970年代までの歌謡曲では常套のアレンジ手法だったかもしれませんが、いまやとても聴いていられない、耳に入れているだけでどうしようもないと思うようなアレンジだと思います(この時期百恵のアレンジをやったのは馬飼野康二が多い)。

 

いちばんの問題は、百恵の歌うあきらかに性をテーマに扱った曲のメロディやアレンジが陰鬱で、明るさ、楽しさ、健全さがないということです。セックスの問題は隠さなければならないのだという間違った性意識にもとづいたものであったのだと明言できます。時代だった、そういう社会だった(日本だから?)ということかもしれませんけれどもね。

 

上で書きましたように、こんな世界に強い違和感を抱いていた百恵本人の発案で、1976年の初夏に阿木燿子・宇崎竜童コンビをソングライター・チームに起用、できあがった「横須賀ストーリー」で百恵はイメージを一変します。男性に従属する抑圧された少女という姿を脱ぎ捨て、自立した女性像を歌で確立していくことになるのです。この話は明日。

 

(written 2020.5.26)

 

2020/07/19

オニパではルンバが好き

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(4 min read)

 

Onipa / We No Be Machine

https://open.spotify.com/album/2KXDWUZQQ0CMxPjfJwWzqo?si=d3GD9XFgSJWjThF5mqYN1Q

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-03-30

 

ロンドンで活動しているらしいガーナなど出身の四人組(?)アフログルーヴ・バンド、オニパ(Onipa)のデビュー・アルバム『ウィ・ノー・ビー・マシン』(2020)。なかなか楽しいですよね。くわしいこと、ちゃんとしたことは bunboni さんのブログ(上掲)やディスクユニオンのサイトに書かれてあるので、個人的な印象だけ手短に記しておくことにします。

 

このアルバムを聴いていっていちばんグッと来るのは8曲目「Makoma」と15曲目「Waters of Congo」なんですけど、ほ〜んとノリがよくてグイグイ来るし、最高ですよね。こういうのは西アフリカで言うところのルンバというやつなんでしょうか、二曲とも同じリズムを持っているなと思います。

 

「Waters of Congo」のほうはたった1分と曲間のつなぎみたいなものなので(このアルバムにはそういうトラックが多い)あまり歯ごたえありませんが、でもこのパーカッション群とヴォーカル・コーラスだけで簡素に組み立てているようでいて、極上のノリを表現するあたり、マジで大好きです。

 

「Makoma」のほうは本格トラックですね。一番気に入っているのがやっぱりこのリズムなんですけど、この曲ではエレキ・ギターも最高ですよね。オープニングでダダダダ〜ン、ダン、ダン!ってアンサンブルでキメているところも快感で、それが終わると猛然とグルーヴしはじめます。いやあ、ションベンちびりますよ、あまりにカッコよくて。これ、ビートは打ち込みじゃなくて生演奏ですかね。

 

この「Makoma」にはゲスト参加として Wiyaala という名前が記載されてあるんですけど、この名前はアルバムだと16曲目「Onipa」18曲目「Kon Kon Sa」でもクレジットされています。なにするひとなんでしょうね?歌手?ギターリスト?「Onipa」と「Kon Kon Sa」も好みだから、ひょっとしたらこの Wiyaala というひとが好きなのかもしれないんですけど?

 

曲「Onipa」では濃厚な感じのエレキ・ギターが聴こえるのもいいですね。ちょっとカルロス・サンタナみたいで。かと思うとプリミティヴなサウンドの笛が聴こえるし(生演奏かな?)、曲のつくり、リズム・パターンも好きですね。音階がちょっと日本の演歌っぽく響くのもなかなかグッド。エチオピアふうってことかなあ?「Kon Kon Sa」で聴ける電化リケンベみたいな音も快感です。

 

で、たぶんこのアルバムはそのあたり、15曲目の「Waters of Congo」をプレリュードとして終盤の 「Onipa」「Kukuru」「Kon Kon Sa」でグッと盛り上がりクライマックスを形成しているんだなとみえています。次のアルバム・ラスト「Promised Land」はエピローグじゃないかと。その前、7「Fire」10「Nipa Bi」11「Free Up」も楽しいですね。

 

(written 2020.5.25)

 

2020/07/18

初期ヘイリー・タックをひとまとめ

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(4 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/2HLkLwvsZXJDzvi1RDntCZ?si=lvAcVhzzRy2gFQY1bgQJlw

 

きのう書いたアルバム『ジャンク』(2018)に至るまでにヘイリー・タックが発売していたシングルや EP などを一個にまとめてみたのが上のプレイリストです。もうすっかりお気に入りの歌手になっていますし、ヘイリーの歌と音楽性が好みにぴったり合致するんです。こういった初期ヘイリー・タックもかなりいいですよね。

 

アルバムで本格デビューする前の作品ですけれど、聴けば音楽性はすでに同じものがあって、しかも完成されています。カヴァー曲を中心にしながらいろんな過去の(ジャズとは関係ない)楽曲を幅広くとりあげ、それをレトロでヴィンテージなジャジー ・ポップスに仕立て上げているというわけですね。しかしそれでもアルバム・デビュー後にはほぼなくなってしまった傾向だって読みとれます。

 

それはジャズ歌手やジャズ演奏家もよくやるスタンード曲がそこそこ混じっているということ。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「ポルカドッツ&ムーンビームズ」「ソー・イン・ラヴ」「ウェン・イッツ・スリーピータイム・ダウン・サウス」「マイ・ハート・ビロングズ・トゥ・ダディ」がそうです。さらに(ジャズじゃないけど)「クロース・トゥ・ユー」(カーペンターズ)「ワッツ・ラヴ・ガット・トゥ・ドゥ・ウィズ・イット」(ティナ・ターナー)も有名曲で、スタンダード化していると言えるでしょう。

 

こういったスタンダード・ナンバーを歌うときのヘイリーは、しかし必ずしもジャジーなアレンジを施しているわけじゃないのかもしれません。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」なんかにはジャジーな雰囲気が聴きとれないし(むしろロックっぽいポップさ)、「ポルカドッツ&ムーンビームズ」はジャジーというよりリズム&ブルーズ系のブルージーなムードが漂っています(特にこのエレピ)。

 

ところでこのヘイリー・タック・ヴァージョンの「ポルカドッツ&ムーンビームズ」がぼくはかなり好きなんですけど、いいですよねえ。上でも触れましたがエレピのやわらかいサウンドでブルージーな演奏をしているのにマジでグッときてしまいます。三連ノリのリズム&ブルーズふうのリズムもいいですよね。ドラマーはここでもブラシです。このエレピはほんとだれが弾いているんでしょう?ムーディなテナー・サックスもグッド。

 

「ソー・イン・ラヴ」なんかもジャズ系の音楽家がよくやりますが、これも強いビートを付しロックっぽい感じにアレンジしてあります。と思えばジャジーに聴こえる瞬間もあって、ヘイリーのヴォーカルはどの曲でも一貫してふんわりとドリーミーだからジャズ歌手っぽい響きをかもしだしてはいます。「ウェン・イッツ・スリーピータイム・ダウン・サウス」なんかは、いまや演奏するひともいなくなったニュー・オーリンズ・ジャズ・スタンダードで、ヘイリーはチェレスタ伴奏で歌っています。

 

エラ・フィッツジェラルドの歌でも知られている「マイ・ハート・ビロングズ・トゥ・ダディ」ではラテンな味付けが鮮明で、これもかなりいいですね。レトロなヴィンテージ・ジャズふうのサウンドはほぼなし。ドラマーががちゃがちゃとにぎやかなラテン・リズムを叩き入れているのがこの曲の最大の特徴で、ピアノはじめほかの楽器もそれにあわせてリズミカルに演奏して、ラテンなムードをもりあげています。ちょっぴりタンゴっぽいかもですかね。

 

おととい、きのうと書いてきたことも踏まえると、どうもヘイリー・タックはジャズとは関係ないような、ジャズのフィールドにはなかったような、そんな曲をとりあげるときはヴィンテージ・ジャズふうに料理して、ジャズ歌手もたくさん歌ってきているような曲だとジャジーなアレンジを施さないという、そういった傾向があるのかもしれないですね。スタンダードですけど「クロース・トゥ・ユー」「ワッツ・ラヴ・ガット・トゥ・ドゥ・ウィズ・イット」ではジャズ・ナンバーふうに料理してありますからね。

 

(written 2020.5.24)

 

2020/07/17

ヘイリー・タック(2)〜『ジャンク』

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(3 min read)

 

Hailey Tuck / Junk

https://open.spotify.com/album/18FJHVg2pQUU4x2pxuVQ1A?si=7P3w2SuwSKa5vhDjK7ANew

 

ヘイリー・タック(Hailey Tuck)がすっかりお気に入りになりましたので、Spotify でさがして、いままでの作品を根こそぎ聴いています。現在のところ唯一のフル・アルバムである2018年の『ジャンク』もいいですね。プロデューサーがラリー・クラインだったそうなこれもやはりカヴァー・ソング中心で、ヘイリーのオリジナルは7曲目の「ラスト・イン・ライン」だけみたいです。

 

カヴァー・ソングも、しかしぼくはあまり知らず、たぶん2「クライ・トゥ・ミー」(ソロモン・バーク)、3「カクタス・トゥリー」(ジョニ・ミッチェル)、4「サム・アザー・タイム」(レナード・バーンシュタイン)、5「セイ・ユー・ドント・マインド」(コリン・ブランストーン)、6「アルコホール」(キンクス)、12「ジャンク」(ポール・マッカートニー)だけですね、聴き知っていた曲は。

 

それらもそれら以外の曲も、アルバム全編がもちろんレトロなヴィンテージ・ジャズの衣にくるまれるように再解釈されているわけです。ヘイリーの特徴は、とりあげる曲にジャズ楽曲が非常に少ない、ほとんどないのに、解釈と仕上がりがこんなふうになるといったところにあるでしょう。ジャズ、特にヴィンテージ・ジャズとはなんの関係もなさそうな曲ばかりなんですけど、なにも知らずに聴けばもとからそんな感じのジャズ・ナンバーなのかと思ってしまいそうですよね。

 

だからそのへんがヘイリー・タックの(ラリー・クラインの、というわけじゃなさそう)資質、持ち味ですよね。このアルバム『ジャンク』では、バーンシュタインの「サム・アザー・タイム」とポール・マッカートニーの「ジャンク」が特にぼくの耳を惹きました。前者は(ジャズ界では)ビル・エヴァンズがとりあげたのでも有名ですけど、ここでのヘイリー・タック・ヴァージョンでもエヴァンズふうのピアノ(だれが弾いている?)に乗せてヘイリーのドリーミーなヴォーカルが漂います。

 

ポール・マッカートニーの「ジャンク」にしても、オリジナル・ヴァージョンに濃厚だった退廃的雰囲気をヘイリーは維持しながらもやや薄め、もっとキュートでリラックスしたムードにくるんでいるのが聴きとれますよね。スウィング・ジャズ・スタイルのクラリネットが入るのもいい感じ。ヘイリーのヴォーカルにガツンと来るものはありませんが、いつもおだやかでくつろいでいて、ジャジーでポップで、なおかつキュートでドリーミー。心地いいですね。

 

それにこのアルバムでは出だしの1曲目「ザット・ドント・メイク・イット・ジャンク」でエレキ・ギターが軽くソフトに4/4拍子を刻むのも快感で、そこにオルガンがからんだり、ドラマーはブラシだし、もうこたえられない極上のジャジー ・フィーリングですね。これ、レナード・コーエンの曲なんですけど、もう最初からこのヘイリー・タック・ヴァージョンがオリジナルだったのかと勘違いしてしまうほど、みごとです。2「クライ・トゥ・ミー」でニュー・オーリンズふうのリズム・シンコペイションを効かせることも忘れていません。

 

(written 2020.5.23)

 

2020/07/16

フラッパーのように 〜 ヘイリー・タック

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(3 min read)

 

Hailey Tuck / Coquette

https://open.spotify.com/album/4XsNaO8N9ImIaSO1ijyjnK?si=AybDeeKnQ2yKw2fxHzQUyg

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/04/15/coquette-hailey-tuck/

 

このジャケット、まるで1920年代のフラッパーを彷彿させるこの姿を見ただけで、ヘイリー・タック(Hailey Tuck)という歌手がどんな音楽をやっているのか、想像がつきますよね。EP『コケット』(2020)ではまったくその予想を裏切らない音が出てきます。レトロなジャズ風味が個人的好みにピッタリ。

 

とりあげられている曲は一つのオリジナルを除きカヴァー。だれの何年ごろの曲かということは上掲健太さんのブログ記事に書かれてあるので、どうかご参照ください。ぼくが知っている曲は一個もなかったです。必ずしもジャズとかジャジー ・ポップスと関係ないもののようですけど、アルバムでのヘイリーの料理は完璧なレトロ・ジャズ手法ですね。

 

プロデュースもヘイリー自身でやっているとのことだし、いままでのキャリアを読んでも、たぶんこの音楽家はずっとこんな路線を歩み続けているみたいですよね。アレンジャーが別個にいるのかどうか知りたい気もしますが、たぶんだいたいの音楽的方向性は自分で決めていて、選曲もやっているんだろうと思えます。

 

健太さんのご紹介で、ぼくもいままで現代歌手のやるレトロ・ジャジー なポップス作品をいくつも聴いてきましたが、そう、サマンサ・シドリーとかキャット・エドモンスンとかですね、もっと前から数えればブロッサム・ディアリーとかステイシー・ケントみたいな歌手も入れていいんでしょうか、これらのひとたちはほぼ同趣向とみていいと思うんです。

 

もうそれらの歌手たちは大の好みで、ドリーミーな雰囲気で軽くふわりと、しかしときには辛辣な空気も混ぜながら、1910〜20年代の古いジャズやヴィンテージ・ジャジー・ポップスの衣をキュート&軽快にまとってみせているのが本当に気分いいです。なんたって聴いていて心地いいんですもんね。新しさ、2020年代というこの時代に即した意味を、みたいなことは、これらの歌手を聴いているあいだは考えないです。

 

ヘイリーの『コケット』で特にお気に入りになったのは2曲目の「シーバード」。この軽いスウィング感が大好きなんですね。ブラシでやるドラマーのサウンドもとても快感で、バンド(のメンツを知りたいところですが)の軽快な演奏が、上物であるヘイリーのドリーミーでチャーミングな声によく似合っています。ピアノの伴奏オブリガートもとてもいいですね。曲出だしと終盤のスライド・ギターも妙味。

 

テキサス州オースティン出身のアメリカ人でありながら、音楽性にヨーロッパ的な(甘暗い退廃の)ムードがただよっているところも好きですね。

 

(written 2020.5.22)

2020/07/15

ホレス・パーランのマンボ・ブルーズ

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(3 min read)

 

Horace Parlan / Headin’ South

https://open.spotify.com/album/3zLWpN31cZL0isbgDtdcXy?si=Yi_ZpX7DQmGVrvZLk30Jww

 

ホレス・パーランといえばファンキー&アーシーに攻めまくるゴスペル・ジャズのピアニストという印象ですが、このアルバム『ヘッディン・サウス』(1961)1曲目の「ヘディン・サウス」はいったいどうしたことでしょう?コンガにレイ・バレットをむかえ、ラテン・ジャズ路線まっしぐら。こんなホレス・パーランは聴いたことないですね。

 

このアルバムの編成は基本ピアノ・トリオなんですが、全八曲中六曲でレイ・バレットが参加して四人になっています。レイはもちろんプエルト・リコ系のコンガ奏者で、しばらく経ってファニア・オール・スターズで活躍するようになったので、特にジャズに興味のないラテン音楽ファンもみなさん周知の有名人です。1950〜60年代初頭はルー・ドナルドスンのアルバムなどこういったモダン・ジャズ・セッションで活動することがありました。

 

それにしても1曲目「ヘディン・サウス」のこのラテン調というかアフロ・キューバンな、もっといえばこれはマンボだと思うんですけど、このリズム感はすごいですよねえ。ホレスってそれまで特にこういった傾向の曲や演奏を残していなかったはずで、突如どうしたんでしょうかねえ。しかもベースのジョージ・タッカー、ドラムスのアル・ヘアウッドと全員が完璧なラテン乗りをこなしています。

 

なかでもやはりホレスのピアノが聴きものなのはいうまでもありませんが、アルのドラミング、特にシンバル・ワークもなかなかすごいですね。こういったパターンはモダン・ジャズ・ドラマーが(アート・ブレイキーでもそうだけど)アフロ・キューバン・ジャズに取り組むときの典型的なものであるとはいえ、それにしてもかなり聴けます、乗れます。

 

しかも曲「ヘディン・サウス」は12小節ブルーズですから、そこはホレスの自家薬籠中のものですね。ファンキーに、ブルージーに、そしてラテンに攻めるこのジャズ・ピアノ、それをホレス・パーランが弾いているという事実、に感動します。ゲスト参加みたいなレイ・バレットのコンガはこの曲では堅実なサポート役ですが、確実な推進力になっていますよね。

 

アルバムではまた、5曲目の「コンガレグレ」もなかなかですよ。曲題どおりレイのコンガ演奏をフィーチャーしたこれもラテン・ジャズ。ドラムスのアル・ヘアウッドが終始3・2クラーベのパターンを叩きます。アド・リブ・ソロの部分は4/4ビートなんですけど、そこにラテンなフィーリングも混ぜ込まれていますね。打楽器デュオ・パートになったらもう興奮のるつぼで、快哉を叫びます。

 

これら二曲以外は、このアルバムでもいつものホレスのブロック・コードをがんがん弾くアーシー路線なんですけれども、このジャズ・ピアニストがここまでラテン・ミュージック方向に振れた作品ってこれだけじゃないですかね。録音された1960年にはすでにアメリカ合衆国のジャズ界でもマンボはじめラテン・ミュージックはブーム。そこでちょっと本格的な感じを出してやってみようとなったのかもしれません。

 

(written 2020.5.21)

2020/07/14

大好き!ライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッション名演選 on Spotify

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/1DhNhvS7sizXcxXaRJYs7Y?si=ryNCecOGSBiy3u6jnEI_Mg

 

わぁ、なんだこれは〜〜!?このあいだ、そう、四月ごろだったかの Spotify 徘徊で見つけたアルバム、ライオネル・ハンプトンの『ザ・コンプリート・ヴィクター・ライオネル・ハンプトン・セッションズ』の Vol. 1〜Vol. 3。これってあれでしょう、1930年代後半のハンプトンのコンボ・セッションを集大成したものでしょう!!えぇ〜っ、いつの間に。リリース元が SME で(ヴィクター音源だけど)、2007年となっています。

 

このときは自分のパソコンには入っていて以前から愛聴しているハンプトンのヴィクター音源セレクションの Spotify ヴァージョンをつくろうと思ってですね、そうすればみなさんとシェアできますからね、一曲づつさがして拾っていけば音源そのものは(バラバラでも)Spotify にぜんぶあるはずと思って、それをやっていたんですよ。その最中に『ザ・コンプリート・ヴィクター・ライオネル・ハンプトン・セッションズ』三巻が見つかったのでビックリしたやらうれしいやらで飛び上がりました。

 

眺めてみたら、ぼくが iTunes セレクションに入れている曲は、コンプリートなんだから当然ですけどぜんぶ Spotify の『ザ・コンプリート・ヴィクター・ライオネル・ハンプトン・セッションズ』の全三巻にあります。こんなうれしいことは最近なかったですね。だからさっそくこのアルバムからのチョイスということでプレイリストをつくりなおしました。いやあ、マジ、うれしかった。できたプレイリストがこれ↓
https://open.spotify.com/playlist/1DhNhvS7sizXcxXaRJYs7Y?si=ryNCecOGSBiy3u6jnEI_Mg

 

1. Buzzin' Around with the Bee
2. Hampton Stomp
3. On the Sunny Side of the Street
4. I Know That You Know
5. I’m Confessin' (That I Love You)
6. I Surrender, Dear
7. After You've Gone
8. You're My Ideal
9. Ring Dem Bells
10. Don't Be That Way
11. Shoe Shiner's Drag
12. Muskrat Ramble
13. High Society
14. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)
15. Sweethearts On Parade
16. Memories Of You
17. The Jumpin' Jive
18. Twelfth Street Rag
19. I’ve Found A New Baby
20. Dinah
21. Singin' The Blues
22. Shades Of Jade
23. Flyin' Home
24. Tempo And Swing
25. The Sheik Of Araby
26. Dough-Ra-Me
27. Jivin' With Jarvis

 

ライオネル・ハンプトンが1930年代後半にヴィクター・レーベルでくりひろげたスウィング・コンボ・セッションの数々は稀代の名演集で、同時期のテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッション集、渡仏した米ジャズ・ミュージシャンたちがジャンゴ・ラインハルトと行った<アンド・アメリカン・フレンズ>セッション集とならぶ、スウィング・ジャズ期の三大名コンボ・セッションと考えることのできるものなんです。

 

くわしいことは、以前しっかり書いたつもりですので、ぜひご一読ください。1930年代後半のスウィング・ジャズはビッグ・バンド全盛期でしたが、テディ・ウィルスンもライオネル・ハンプトンも時間を見つけてはアフター・アワーのセッションを行うがごとく、腕利きのジャズ・ミュージシャンたちをスタジオに集めてコンボ・レコーディングをくりかえしていたのです。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-34ef.html

 

セッションのことや、個々の曲目解説についてはこの過去記事にしっかり書いてありますので、くりかえしません。ライオネル・ハンプトンのヴィクター・セッションは、テディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションと比較して大きな違いが二点あります。(1)ハンプトンの録音はそこそこアレンジされている。(2)専業ヴォーカリストが参加せず、歌はぜんぶハンプがやっている。

 

ハンプトンの歌は、ヴァイブやドラムスなどの演奏に比べればはるかに素人であるとはいえ、なかなかアット・ホームな味がありますしユニークで、ポップ・ミュージックにおけるヴォーカルとはそういったものじゃないかという気もしますね。セッションにアレンジャーがいて、リズムや多ホーンのリフを整理しているのでグッと聴きやすいというのも特徴です。

 

そういったことの結果、「オン・ザ・サニー・サイド・オヴ・ザ・ストリート」「リング・デム・ベルズ」(絶品!)「スウィートハーツ・オン・パレード」のような胸をすく名演、快演も誕生したのでした。ほかの数曲とあわせこれらの名演は、全ジャズ史上に誇る大きな遺産でありますね。1930年代後半のスウィング・ジャズ・コンボってこんなにも楽しかったんだという、聴けばいまでも楽しくて、時代を超える魅力があるという、はっきりとしたあかしであります。

 

(written 2020.5.20)

2020/07/13

「LPをエルスールで何回か触らしていただいた」

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(4 min read)

 

という、あるかたのツイートを読み、ウゲェ〜となりました。もうバカバカしくて。まるで宝石とか女性のアソコとかを触らせていただいたとか、そういう感覚なんですよねえ、たぶん。ぼくとは姿勢が180度違います。ぼくにとっての音楽レコード(CD)は消耗品みたいなもんで、大切なのは聴ける音楽、つまりかたちになっておらず物体的に触ることすらもできない「音」であって、レコード(CD)は容れ物にすぎないからと思っています。

 

CD の時代になってからいっそうこの物体レコード崇拝みたいなことが進んでしまったような気がしますね。CD は大量生産大量消費の品であるけれども、いっぽうアナログ・レコードは稀覯な貴重品で、なんというか見たら触ったら減るとか、大切なものを慎重に扱うような、そう、美術品とか骨董とかって現物になかなか触れませんよね。展示会なんかでも「お手を触れないようにお願いします」とか注意書きがしてあったりして。

 

実を言うと貴重な美術品や稀覯本なんかでも触るなという考えがぼくは理解できない人間なんですけど、紙質など年数が経過してもろくなっている状態のものにはなるべく刺激を与えないようにするというのは理にかなっているんだとは思います。それに見るだけで価値のわかるものだし。いっぽう音楽レコードは見ることに価値がありますか?見れば音が聴こえてきますか?なんだったら触ったって音楽は聴こえないですよ。針でガリガリやらないと(あぁオソロシイ)音楽が再生できないんですからね。

 

あるいは CD に対してだってこの物体観賞信仰みたいな発想がはびこっているかもしれません。なんというバカバカしい発想でしょう。肝心なのは物体を眺めたり触ったりすることじゃなくて、それを再生装置にかけて音楽を聴くことじゃないんですか。聴こえてくる音楽こそ至高の美で、それをこそぼくは崇拝しますけどね。目にも見えず触れもしないものですから、音楽って、だから信仰・崇拝といっても実体がないことですけれども。

 

そう、だから空気の振動である音楽そのもののことを言うのなら、ぼくは「聴かせていただいた」というようなスタイルのことばを発してもいいという気分があります。このへんがですね、宗教信仰なんかとおんなじで、音とか神だとか信仰心だとかは目に見えないし触れもしないわけです。だからなんだかそれじゃあ頼りなくて、なんらかの具現物体化した表象をとっかかりとするというのは理解できないでもないですけどね。壺だとか絵画だとか写真だとか、なんらかの具象物を宗教関係者や信者はよく使いますよね。

 

音楽信仰もそれに似て、音そのものは見えないから、実体がないから、それを収納した(本来的に音楽とは関係なんかない)レコードや CD といったフィジカルを崇め奉る、目に入れさせていただく、触らせていただく、ことである種の代償行為というか、一定の納得感、満足感を得るといったことがあるんでしょうかね。納得できない発想だとぼくだったら思いますけど。

 

物体を信仰観賞収集する趣味のないぼくが(コンサート・チケット半券もすぐ捨てるしメモラビリアも買わない)、だからすんなり(でもなかったんだけど)配信、ストリーミング聴きの世界に移行できたのは、ある意味わかりやすいことです。音が好き、音楽が好きなだけであって、それを入れてある容器はどうでもいいんですよ。レコードでもカセットテープでも CD でもスティック型メモリーでも、ディスクじゃなければ管でも紙でも、なんでもいいんです。それをあがめたり、触らせていただいたなんていうたぐいの発言が出てくるような、そんな気質はぼくには1ミリもありません。

 

(written 2020.5.18)

2020/07/12

ニュ・クインをちょこっと

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(3 min read)

 

Nhu Quynh / Duyȇn Phận

https://open.spotify.com/album/7xiRl4KVQphXRIg3caX438?si=NYH9EPTXTTyWnSEiHZCsWQ

 

エル・スールのホームページでこないだ見つけたばかりのニュ・クイン(Nhu Quynh、ヴェトナム、在アメリカ)の2010年作『Duyȇn Phận』。なんとなくジャケットが気になって、ダメモトと思って Spotify で検索かけたら簡単に見つかったので聴いてみました。そう、ジャケットの印象というのは大きいですよね、未知のアルバムを聴こうか聴くまいかと分ける基準の九割方はぼくのばあいジャケットがいいと思うか否かですから。

 

このアルバムはたぶんどうってことはない、でも質の高い、歌謡作品だなと思うんですけど、こういうのを聴くと、いつもながらヴェトナム歌謡のそこにしかない世界にぼくはひたっているわけです。音階、メロディ・ライン、楽器チョイス、サウンド・メイク、リズム・フィールなど、ヴェトナム大衆歌謡独特の世界というものがありますよね。聴きながらそれに酔っているわけです。

 

ニュ・クインのこの声もいいですよね。ねっとりと粘りつくようでありながら、いっぽうで重くなりすぎないさわやかさをもともなっている、そんな声質で揺れる旋律を細やかにつづる様子に、あぁいいなぁと思ってしまいます。ニュ・クインは歌うまいですし、独特の情緒感をヴォーカルに込めるすべを知っている一流歌手だと言えましょう。ヴェトナムの、特にバラディアーと呼ばれる一連の歌手のみなさんには同様に降参しているぼくなんで、やはりバラードばかり歌ったこのアルバムも大好物なんです。

 

レー・クエンにしてもそうなんですが、こういった音楽を聴いていると、なんだか日本の歌謡曲/演歌の世界を思い浮かべるというか、たぶんおんなじようなもんだという気もしますけど、でもあきらかに質が違っていると思える部分もあります。こういったヴェトナム歌謡は暗く、陰鬱で、短調の曲ばかりで、実際にはそんなこともないんでしょうが、なんだか世界があまりにもしっとりしているなという感じですかね。

 

だからマイナー・キーで進むそんなメロディ展開のなかで、サビで転調してメイジャー・キーになったりすると(たとえばこのアルバムだと3曲目もそう)、そこでぼくはある種の感動というか、おぉ!と思ってとても気分いいわけです。転調に弱いのか、メイジャーのなかのマイナー、マイナーのなかのメイジャーとか、そういった一瞬の影とか光とか、それに心動かされる部分があるのかもしれないです。

 

ニュ・クインにしろだれにしろ、ヴェトナム歌謡にはそういった人心をつかむメロディ展開がたくさんあると思いますね。歌手とか演奏陣とかじゃなくてコンポーザーの才能なんでしょうが、ヴェトナム歌謡ほどこちらの心のひだをゆする音楽もなかなかないもんです。それを歌いこなす歌手にも恵まれているんじゃないですかね。

 

(written 2020.5.19)

2020/07/11

超カッコいいヒップ・ホップ・ジャズ・トランペットを夢で聴いたんだけど

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(4 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/1X0wExTEOjoxzvhirtge6q?si=n9tpOYXxRw2RnhiCQk5K6Q

 

今朝方の夢は楽しかったですねえ。以前から言いますように夢のなかでよく音楽を聴くんですけど、今朝のぼくはどこかのタワーレコード店内にいました。どこかのというか、たぶん渋谷店でしょう、東京時代の職場が渋谷にありましたから、渋谷のタワレコに入りびたっていたんですよね。その店内光景は、なんどか様変わりしているとはいえ、すべてしっかり脳裏に焼き込まれています。

 

それで、夢のなかでのタワレコ店内で、なにかものすごくカッコいい、超クールなヒップ・ホップ・ジャズを聴いたんですよ。そのヒップ・ホップ・ジャズではトランペットがフィーチャーされていて吹きまくり。ヒップ・ホップ・ビートを叩き出しながら細かく&猛烈にドライヴするドラミングに乗って、本当にカッコよすぎるジャズ・トランペットのサウンドが店内に鳴り響いていたんですね。

 

あまりのカッコよさにびっくりしちゃったぼくは、東京時代にレコ屋でいつもそうしていたように、いまなにをかけているか Now Playing の掲示をレジ横に確認しにいきました。そうしたらジャケットも壮絶にクールだったんです。残念ながらというか当然というべきか、そのトランペットをフィーチャーしたヒップ・ホップ・ジャズがだれのなんというアルバムなのかは、夢のなかに消えてしまっていまは憶えていません。

 

でもたぶんなにか架空の作品だったんじゃないですかね、夢なんですから。それにしてはサウンドの残像があまりにも鮮明に耳裏に焼き付いていていまでも離れませんが、おもしろいのはいままでぼくはヒップ・ホップ・ジャズがトランペットをフィーチャーしているという音楽を聴いたことがなかったんですよね、起きているあいだには。だからどうしてあんな音楽が夢のなかで鳴ったのか、理解できません。(ロイ・ハーグローヴのジ RH ファクターを忘れているの?)

 

でもこれかな?と思える一個のきっかけはあったんです。それは昨夜寝る前の数時間ずっとシオ・クローカーを聴いていたことです。シオ・クローカー(Theo Croker)、ネットで検索すると「セオ・クロッカー」表記が多く見つかりますが、まだまだこれからの音楽家なんで、いまのうちに表記を正しておいてほしいです。Theo は Theodore で、カナ書きではシオドアですよ。

 

シオ・クローカーは、かのドク・チーサムを祖父に持つ、1985年生まれのこれまたジャズ・トランペッター。でも昨夜までまったくその存在を知りませんでした。友人が Instagram のストーリーにシオのアルバム『アフロフィジシスト』(2014)のジャケットを上げて紹介してくれていて、それを見てはじめて興味を持って、ちょっとどんなもんか?と Spotify で聴いてみたわけです。まきちゃん、ありがと〜。

 

試聴だけするつもりで聴きはじめたのに、シオの、R&B、ヒップ・ホップ、ファンク、アフロ、ラテン、そしてジャズといったさまざまなジャンルを軽々と越境するボーダーレス・ミュージックに、ぼくはすっかり惚れてしまい聴きびたりました。いやあ、カッコいいんんですよね。カマシ・ワシントンにも通じるような、スピリチュアルで内省的な色彩も濃いです。

 

でもなんたってビートですね。ビートがカッコよすぎるんです。すっかり大好きになっちゃったので、シオのアルバムを昨夜のうちにぜんぶ聴いちゃったんですよ、立て続けに五時間ほどで。なかには2009年の『イン・ザ・トラディション』みたいに古いスタンダードをストレートにやっているという、なんでこんな作品があるの?と思えるものも混じっていますが、それ以外はカッコいい2020年型コンテンポラリー・ジャズですね。

 

コンピューターではなく人力演奏でヒップ・ホップ・ビートを奏でるリズム・セクションに乗せ、シオはきわめてノリのいい、しかし折り目正しくマジメでカッチリしたトランペット演奏を繰りひろげます。ブラック・アメリカンとしての自己を見つめ音楽的に再構築したみたいなシオのヒップ・ホップ・ジャズ・トランペット、いやあ、カッコいい!マジで、カッコいい!

 

そんなシオ・クローカーを寝るまでずっと聴いていたおかげで、今朝方の夢のなかでのタワレコ店内でそんな音楽が登場してくれたんでしょう。夢のなかでのその音楽はもちろん架空のもの、イマジナリーなものだったかもしれませんが、ぼくのなかにしっかりとしたひとつのきっかけを構築したと言えるんじゃないでしょうか。

 

(written 2020.7.10)

2020/07/10

ビリー・ホリデイのおだやかな孤独 〜『ソリチュード』

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Billie Holiday / Solitude

https://open.spotify.com/album/4izD3SCRElbkO06i8yf4Zp?si=CTI1v79VSo6HX-j4Xj0pHQ

 

ビリー・ホリデイの1956年クレフ盤アルバム『ソリチュード』。けっこう好きで、むかしから愛聴してきていますが、56年の12インチはリイシュー。もとは52年に10インチで同社から『ビリー・ホリデイ・シングズ』というタイトルのもと発売されていたものです。10インチ・フォーマットが廃れ12インチで再発するとなったときに曲数も8から12と増えました。12インチ(や CD や配信)で追加されたのはラスト四曲「エヴリシング・アイ・ハヴ・イズ・ユアーズ」「ラヴ・フォー・セール」「ムーングロウ」「テンダリー」。

 

このアルバム『ソリチュード』でのビリー・ホリデイはとてもリラックスしているというのが大きな印象ですね。バック・バンドもそんな演奏ぶりで、オスカー・ピータースンを中心にトランペットとテナー・サックスの二管をくわえたジャズ・バンド。言ってみれば、やはりジャズ・コンボがスウィンギーな伴奏をつけた1930年代後半のコロンビア系レーベル時代を彷彿させるセッションで、ぼくはヴァーヴ系レーベル時代のビリーもなかなか悪くないと思っておりますね。

 

そんな雰囲気は1曲目「イースト・オヴ・ザ・サン」2曲目「ブルー・ムーン」あたりを聴くだけで納得していただけるのではないでしょうか。ビリーのヴォーカルだけをフィーチャーしたというわけでなく、バンド・メンバーにもソロのチャンスを与えて、演唱全体がジャジーに仕上がるように工夫されています。工夫というか、聴いた感じなんの変哲もないリラクシング・セッションといった趣で、ビリーとバンドの持ち味を活かすには申し分ないプロデュースでしょう。

 

このレコードをむかし大学生のころはじめて聴いたときは、B 面の「ラヴ・フォー・セール」が衝撃でした。ジャズ楽器奏者も歌手もわりとビートを効かせてアップ・テンポで快活に料理することの多いこのコール・ポーター・ナンバーを、ここでのビリーはオスカーのピアノ一台だけの伴奏にして、しかも全編テンポ・ルバートに設定しています。深みと暗みと翳をとても濃く感じる表現で、愛を売りますというこの曲のテーマをこれ以上哀しく歌ったヴァージョンはないのではないでしょうか。胸に迫るというか、突き刺さる人間味を感じますね。

 

ふりかえってみれば、このアルバムにはピアノだけ伴奏というに近いアレンジでしっとりと歌ったものがそこそこあります。6曲目「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」8「ソリチュード」などもそうですね。管楽器もほぼお休みで、ふだんのピアノ・トリオでの演奏はどうにも好きになれないオスカー・ピータースンが、これ以上ない的確で美しい歌伴を聴かせてくれているのもグッド。歌伴のオスカーは好きですね。

 

しかもビリーの歌も落ち着いたフィーリングで、「ラヴ・フォー・セール」ではおそろしさすら感じる出来なんですけど、いっぽうそれ以外のこういったピアノだけ(に近い)で歌ったトーチ・ソングにはむしろ暗さはなく、おだやかで落ち着いた心境がヴォーカルの味ににじみ出ているところが実にいいですね。聴いていて落ち着けて快適です。ホーンが参加するアルバム終盤の「ムーングロウ」「テンダリー」も同様です。

 

「エヴリシング・アイ・ハヴ・イズ・ユアーズ」も同趣向。このアルバムで聴ける歌と演奏はおだやかさ、静けさといったあたりが大きな特色なのでしょう。そうかと思うと7曲目「アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー」は歌の内容にあわせたようにハッピーで楽しいスウィング感を打ち出しているのにも好感をいだきますね。この曲では(やや派手めの)バンドの演奏とアレンジも聴きものです。

 

(written 2020.5.17)

2020/07/09

蒸し暑い梅雨時期にぴったりな涼感ジャズ・ボッサ 〜 ジョアン・ドナート

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Joâo Donato e Seu Trio / A Bossa Muito Moderna

https://open.spotify.com/album/3bMhQFrrDwcoNb1SS0rEUk?si=TRb6kM5sR_ypXLvx6MaQLA

 

ブラジルのジョアン・ドナート(Joâo Donato)。最近 2 in 1で CD リイシューされたらしい片方の『A Bossa Muito Moderna』を最近聴きました。Spotify の表記では1965となっていますけど、63年のアルバムかもしれません。ジャズ・ボッサ時代の軽快な名作で、ピアノ・トリオ以外にパーカッショニストも参加しているはずです。蒸し暑いジメジメする季節にはこれ以上ピッタリ来るものはないだろうっていうようなさわやかな涼感があって、聴きやすいし、なかなかいいですよ。

 

このアルバムは趣味のいいジャズ・ボッサで、ジョアンはどの曲もテーマを弾き終えるとアド・リブ・パートに入っていきます。決して逸脱したり過剰な表現をすることはなく、あくまで曲の雰囲気を重視してそれをそのまま維持するように、そっとソフトに指を鍵盤に乗せていくのが印象に残りますね。ちょうどいい快適なラウンジ・ミュージックみたいで、聴いていて心地いいです。

 

それでもちょっぴりハードな感じがするかもなと思える演奏も混じってはいて、特にリズムですね、ドラマーとパーカッショニスト(というかこれはボンゴ奏者か)が激しいビートを刻むのに乗せ、ジョアンが弾きまくっているというに近いものだってあります。数曲そういうのがあるんですけど、なかでも特に5曲目「Sambongo」とか7「Silk Stop」なんかはそうじゃないですか。

 

ジョアンのばあい、そういった激しい感じの曲でも決して野卑な演奏にならないところが持ち味で、小粋でおしゃれなフィーリングはまったく失いません。リズムがボサ・ノーヴァっぽかったりサンバっぽかったりしても持ち味を変えず、ジョアンはそのまま軽快にソフトに鍵盤を叩き、この室内楽的といいますかサロン・ミュージック的なくつろぎを最高度に演出してくれるのが美点ですね。

 

隠し味というよりあんがい主役級というに近い活躍でこのアルバムの味を特徴づけているのがボンゴ奏者ですね。名前がわからないんですけど、ビートを下支えしているだけでなくサウンド・テクスチャー的にもいい色になっているし、もはやこれ、このトリオ、じゃなくてカルテットの演奏では中心的な要素になっているとしていいくらいだと思いますね。

 

(written 2020.7.6)

2020/07/08

トロピカルなところはないブラジル人ジャズ歌手 〜 カリーナ・リバーニオ

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Karina Libânio / Nua Face

https://open.spotify.com/album/4GzHqmeInNAGigflphmiss?si=UjilWudQR5WaCqB4zr6FsA

 

ブラジルはミナスのベロ・オリゾンチ出身らしい歌手カリーナ・リバーニオ(Karina Libânio)。その2020年作『Nua Face』がなかなかいいです。ミナスということばには、ある種の(否定的?)イメージというか固定観念が染みついてどうしようもなく離れないぼくですが、このカリーナの音楽は、そこからしたら到底ミナス出身の歌手とは思えない内容で、聴きやすく、印象いいですね。もちろんミナス出身といってもいろんなタイプがいるんでしょう。

 

なんだかジャケットの雰囲気といい、あるいはカリーナ名義の Instagram にたくさん上がっている写真でも、多くが熱帯の大自然のなかでカリーナが野生的に(半裸で)のびのびしているものばかりなんですけど、そんなトロピカルな色調とは裏腹に、アルバムの中身はしっとり落ち着いていて、ある意味暗く、ムーディなジャズ・ソング集といった趣ですね。

 

ブラジルの歌手であるということすら音だけ聴けばわからないくらいですが、アルバム『Nua Face』全体では、なんというかちょっぴりラテンなシャンソン系ジャズみたいな、そんな雰囲気が濃厚にただよっています。1曲目を聴いただけで、それはわかりますよね。これはジャズのビート&サウンドじゃないですか。そこに香る欧州ふうの毛だるい退廃ムード。歌声もマイルドというか落ち着いたムードです。

 

2曲目でいきなりキューバ/ラテンに展開、リズムが跳ねていますが、こういったラテン・リズムの活用はジャズ・ミュージックに多いもの。アルバム中ほかの曲でもラテン・リズムが活用されていますが、このカリーナのばあいは欧州ふうの暗さもともなっているのが大きな特色でしょうね。ビートは跳ねていても、楽しく快活な調子にはならず、かえって退廃の濃度を強める方向に作用しているんですね。

 

だから、カリーナのこのアルバムは、基本ジャズ歌手がやるジャズ・ミュージックでありながら、そこにシャンソンふうなムードと軽いラテン・ビートを混ぜているっていう、そういった音楽でしょうかね。Spotify で聴いていますからバンド・メンバーの編成がわからないんですけど、たぶんドラムス、パーカッション、ベース、ギター、キーボードといった感じでしょうね。そのほか曲によって若干の出入りがある模様。(曲と)ギターはひょっとしてカリーナ本人かも。

 

アルバムでかなりいいなと思ったのは、やはりアルバム題になっている8曲目。そこまでもずっとしっとりしたジャズ・ソングが並んでいますが、この8曲目もこれまたラテン・リズムを使ってあって、それを奏でるパーカッションがいいですね。曲調はやはり退廃的で暗く、ヨーロッパ的というか(ブエノス・アイレスみたいな)南米の大都市ふうというか。パーカッションとアクースティック・ギター&チェロをメインに据えた曲のサウンドがいいですね。

 

そしてラストの9曲目、これが相当いいですよ。アルバム中これだけが、やはりジャジーながら、翳のない明るい陽気な調子のビート・ナンバーで、カリーナも男性ヴォーカルとともに歌いスキャットで快活に刻んで、なかなか快調に乗っていますね。ブラシで演奏するドラマーもとてもいい。特に曲が終わる間際のスキャットでの「ちゅっちゅる、ちゅっちゅる」は聴いていてもとても楽しくて、アルバム・クローザーだからぐっと後味がよくなります。

 

(written 2020.5.10)

2020/07/07

ジャズ・ロック?クロスオーヴァー?フュージョン?

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(5 min read)

 

「マイルス・デイヴィスのエレクトリック・ジャズはクロスオーバーを経て、後年フュージョンへと変質した」なんていうウィキペディアの文章を読むと、もうゲンナリしちゃうわけですが、そう、つまりぼくはジャズ・ロック(エレクトリック・ジャズ)、クロスオーヴァー、フュージョンといったものをあまり区別していないからなんですね。ひとによってはこれらをわりとカッチリ分けて考えていらっしゃるかもしれませんが。

 

そもそも個人的にあまりジャンル分けを細かくやりすぎないといった傾向のリスナーで、ジャズならジャズ、ロックならロックなどのなかをあんまり分割するとかえって実態から遠ざかってしまうんじゃないかという気持ちがあるのと、聴いた個人的印象としてもそんなに違わないだろうというのが実感だからですね。

 

ジャズ・ロックが1960年代後半〜末ごろ、クロスオーヴァーが70年前半、フュージョンが70年代後半〜80年代といった見方が支配的かもしれませんが、これに当てはまらない作品も多く、またこれら三つのどれに入れてもいいだろう、どれでもさほどの違いはない、と思えるばあいだってかなりあります。いままでぼくが音楽人生でこれら三つを区別してこなかった、ごっちゃ混ぜのままやってきたからいまさらムリというのが大きいんですけどね。

 

たとえばトニー・ウィリアムズのライフタイム。『イマージェンシー!』が1969年の作品ですけど、これなんかもジャズ・ロック?クロスオーヴァー?フュージョン?どれでもいいような気がしますよね。フュージョンはちょっと違うかな?と思わないでもないですが。というのはぼくのなかでフュージョンはもっとポップで聴きやすく、ある意味わかりやすい感じの音楽だったからという認識があります。

 

マイルズ・デイヴィスなんかはどうなるんですかね。『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969)『ビッチズ・ブルー』(70)あたりはジャズ・ロック?、というのもちょっと違う気がするからエレクトリック・ジャズ?でもこの二つは同じことを指しているような気もしますが、なんとなくのことばの感じで使い分けたくなります。

 

そうなんですよ、ほかのみなさんのことは知りませんがぼくのなかでは、こういった(ジャズ・ベースの)ジャンル融合の音楽をどう呼ぶか?は、たんなるそのときそのときの気分だとか、ことばの感じ、印象だとか、その程度の使い分けしかないんです。時代とか音楽性とかの変遷はほとんど考慮していません。というかそんな違いは聴いた感じありません。

 

マイルズのばあいだと、しかし『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』はクロスオーヴァーとも呼ばれるし、ばあいによってはフュージョンの先駆と評価されることも多いですよね。いっぽうで次作の『ジャック・ジョンスン』はジャズ・ロック、というよりかインストルメンタル・ロックと呼びたいくらいな印象です。そう、感じとか印象とか、そんなもんでしかないです、こういったジャンル用語の使い分けは、ぼくにとっては。

 

インストルメンタル・ロックとくれば、たとえばサンタナやジェフ・ベック。彼らの音楽はフュージョンと呼ぶのもやや違う気がしますね(でも入れている文章はかなり多し)。フランク・ザッパにもインストルメンタル・ロックがかなり多いですが、ザッパのばあいは現代音楽やジャズから流入しているものだってかなりあるから一概に言えないですよね。ザッパはあまりジャズ・ロックとかクロスオーヴァーとかフュージョンと呼ばれないんじゃないですか?やっぱりインストルメンタル・ロック?しかし『ホット・ラッツ』(1969)なんかはジャズ・ロックの傑作とよく呼ばれていますけどね。

 

さらに言えば、1970年前後の、特にライヴでの、ロック・バンドは、たとえばオールマン・ブラザーズ・バンドのフィルモア・ライヴなんかもそうであるように、しばしば長尺の楽器インプロを中心に音楽を組み立てていました。グレイトフル・デッドなどもそうですね。オールマンズやデッドに(クロスオーヴァーなど)ジャズ系融合音楽のタームは当てはめられません。クリームもそうですね。ジャズ的な即興演奏を意識していたとは思うんですけど。

 

オールマンズやデッドは、1990年代以後シーンに台頭したジャム・バンドの先駆ともみなされるわけで、現代のジャム・バンドにもジャズ・ミュージックからの影響はかなりありそうですね。ロック系のジャム・バンドだけじゃなく、ストリング・チーズ・インシデント(ジャズ・ナンバーをよくやる)みたいなブルーグラス系とか、ソウライヴやメデスキ、マーティン&ウッドみたいなジャズ系ジャム・バンドだってあります。

 

1990年代以後のそういったジャム・バンド・シーンに登場するバンドを、ジャズ・ロックとかクロスオーヴァーとかフュージョンとかあまり呼ばないように思いますが、ジャム・バンドという用語があるからなんでしょうかね。音楽性でいえば1970年代的なものがかなりあるように思いますから、なにか当てはめてもおかしくはないんです。フュージョンでもいいと思うんですよ。

 

ともかく、いちおうこういったひとたちはおおざっぱにジャズ系とロック系(とクラシック系)に分かれるかなとは思いますが、それでも両者が1960年代からずっと連動・連携していますし、ジャズ・ロックでもクロスオーヴァーでもフュージョンでもどれでもいい、どれに入れてもたいした違いはないんだからあまり峻別しすぎずに、ほどほどに、曖昧に行こう、とぼくは思っていますね。そのほうが音楽の実態に則しているように思いますし。

 

(written 2020.5.9)

2020/07/06

マイク・スターンの近作をちょっと

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(4 min read)

 

Mike Stern / Trip

https://open.spotify.com/album/2zVZlh1IBR7lDs4gZF802g?si=n7mWrzRsS6yr15MJjk_2IQ

 

きのう書いたウェイン・クランツのギターでマイク・スターンのことを思い出し、Spotify でいくつか聴いていました。そのなかから『トリップ』(2017)の話を今日はしたいと思います。2016年の大怪我以後初の作品ですけれども、その影響は音楽には出ていないですね。10曲目のタイトルが「スコッチ・テープ・アンド・グルー」になっているのがかすかな痕跡でしょうか。

 

アルバム『トリップ』は、まずジャジーなフュージョンで幕開け。1曲目「トリップ」は曲も演奏もいかにもなマイク・スターン節でニンマリします。マイクの曲や演奏には一種の、こう、熱みたいなものがあると思うんですけど、ちょっとうまく言えていませんが、なんというかクール・ヒートみたいな、じわじわとしかしメタリックに暖かいみたいな、う〜ん日本語がヘタだ、とにかくぼくはそこにマイクならではの味を1981年のマイルズ ・デイヴィス・バンド時代から感じているわけです。それをこの曲「トリップ」でも感じます。

 

アルバムは前半、スタイルはフュージョンながらジャジーな雰囲気で展開。二曲ほどマイルズ・ミュージックっぽい曲もあり、っていうかあきらかにかつてのボスの影響が聴けますよね。インプロヴィゼイション中心に展開するあたりはジャジーです。3曲目「ハーフ・クレイジー」はなんか聴いたことあるようなおなじみのメロディだなと思ったら、たぶんこれちょっとセロニアス・モンクっぽいんですよね、特に「ウェル・ユー・ニードゥント」によく似ています。

 

マイクがアクースティックなナイロン弦ギターを弾く5曲目「ゴーン」でぱっと場面転換というかチェンジ・オヴ・ペースになっていて、そのあとの後半部は前半とはやや傾向が異なっています。後半はジャズからちょっとだけ遠ざかり、もっと幅広いというか世界視野のフュージョン・ミュージックを志向しているように思います。

 

しかもアルバム後半はアド・リブ・ソロよりも、どっちかというとコンポジションやアレンジメントに比重が置かれているんじゃないでしょうか。ソロのスリルや快感よりもトータル・ミュージックとしての完成度を考えて、こういったプロデュースにしたのかもしれません。個人的には歓迎です。6曲目「ワッチャコーリット」ではそれでもスリリングなソロが聴けますが、やはり用意されたラインやアレンジ、キメが魅力的。

 

顕著なのは7曲目の「エミリア」です。これはマイク・スターンというよりパット・マシーニーの名前をかぶせたほうがふさわしいと思うくらいのトータル・ミュージックで、ヴォーカルというかミナス派みたいなヴォイスが全面的に活用され、かっちりしたアレンジで演奏全体が構成されています。この曲にはジャジーなソロがあまりありませんが、曲は本当に美しく楽しいですね。

 

やはりパット・マシーニーふうワールド・フュージョンみたいな8曲目「ホープ・フォー・ザット」もトータル・サウンド志向で聴かせるスケールの大きな曲。マイクのソロも決して逸脱せず、またギターの音色を工夫してありますが(ひょっとしてギター・シンセ?)あくまで曲のなかの構成要素としてハマるように弾かれているのがわかります。

 

9曲目「アイ・ビリーヴ・ユー」もさわやか。アレンジ重視で、ソロではみ出さない落ち着いたフィーリングに終始します。フュージョンもこういった組み立てを尊重するものと、ジャジーでスリリングなソロ・フォーマットをかなり残してあるものとに二分されますよね。今日話題にしているマイクのアルバム『トリップ』だと前半がソロ中心のジャズ路線、後半はトータル・サウンド志向のフュージョン路線みたいな感じです。

 

その後アルバム終盤の二曲、10「スコッチ・テープ・アンド・グルー」11「B トレイン」ではふたたび4ビートに戻り、前半部同様のジャズ路線でアド・リブ・ソロをまわしています。ハードだったりスリリングだったりはしませんけど。なお、アルバム後半の二曲でパートナーのレニ・スターンがンゴニを弾いているとなっていますが、聴くかぎり存在感はありません。

 

(written 2020.5.8)

2020/07/05

おっそろしく速いフレーズを弾きまくってあっという間に終わってしまう 〜 ウェイン・クランツ

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(4 min read)

 

Wayne Krantz / 2 Drink Minimum

https://open.spotify.com/album/77L8UnIoDodjHTaSM5GAC6?si=KTaCT3tUTduob_ppQtr0Yw

 

この音楽家のことは bunboni さんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-04-09

 

いやあ、もう惚れちゃいました。あまりにもカッコイイ。ギターリスト、ウェイン・クランツ(Wayne Krantz)のことで、1995年録音・発売のライヴ・アルバム『2 ドリンク・ミニマム』があまりにすばらしく、大好きになっちゃいましたね。ニュー・ヨーク・シティにあるウェインの拠点 55・バーが舞台で、リンカーン・ゴインズ(ベース)、ザック・ダンジガー(ドラムス)とのトリオ編成。ウェインはギター・トリオでわりと作品を出しているみたいですね。

 

このアルバムでは、なんといっても1曲目の「ウィッパースナッパー」があまりにもカッコよすぎて、ウェインのことをそれまでまったく聴いたことなかったぼくが、一発でこのギターリストに惚れちゃったくらいの魅力的な弾きっぷりじゃないかと思うんですね。とにかくちょっと聴いてみてください。かっ飛ばす爽快感にノック・アウトされるんじゃないですかね。
https://www.youtube.com/watch?v=i2jaRZ_OzcY

 

「ウィッパースナッパー」では(ほかの曲でも)主役のギター演奏だけをフィーチャーしていて、ベースとドラムスのソロみたいな時間はありません。けれども特にドラムスのザック・ダンジガーはかなり活躍していると言っていいんじゃないですか。手数の多いにぎやかなドラミング、大のぼく好みです。シンバルの使いかた、スネア・ワークなどカッコイイし、そのほかドラミング全体で演奏を牽引しています。ファンキーですよね。

 

そんなドラミングに乗ってウェインが超快調に弾きまくり爽快感をふりまいています。とにかくぼくが惚れちゃった「ウィッパースナッパー」では高速で難度の高いフレーズをいともたやすく弾きこなし、弾きこなしすぎるからどのパッセージもあっという間に通り過ぎてしまい、流れはスムース。しかしギターならではのフレイジング、演奏だなということはとてもよくわかります。骨の髄までギターリストなんでしょうね。

 

「ウィッパースナッパー」では、出だしから中盤、終盤と快調すぎるほど快調にかっ飛ばすウェイン。なめらかな弾きこなしながら、強調するところはそれでもちゃんと聴かせどころをつくりアピールしています。アウトバーンを高速でぶっ飛ばしているような、全体的にこの曲はそんな演奏ぶりですけど、たとえば終盤の 5:00 〜 5:08 あたりでは客席から思わずの歓声が漏れるのでもわかるようにションベンちびりそうな快感ですね。な〜んてカッコイイんだ!
https://www.youtube.com/watch?v=i2jaRZ_OzcY

 

6分48秒の演奏ですけど、気持ちよすぎて、目が点になりながら聴き惚れているあいだに、あっという間に終わってしまう、まるで一陣の風のように吹き抜けて、聴き手の耳をとらえたままさわやかに行き過ぎる、それで絶対に忘れられない強い、香り高い印象を残す、そんなギター演奏ぶりじゃないですかね、この「ウィッパースナッパー」は。

 

ウェインのギターには、ジャズだとかロックだとか、なにか特定のジャンルの色を感じるようなところがあまりありません。こういったギター・トリオ編成でのインプロ・プレイは、あえて言えば「ジャズ・ロック」ということになるんでしょうが、どこにも分類できない、はまらない、ウェインだけの無色透明感、クリスタルのような輝きをぼくは感じます。ギター・インプロという一個のジャンルなんじゃないかと思えますね。

 

(written 2020.5.7)

2020/07/04

さわやかな午後に聴くボサ・ノーヴァ 〜 アントニオ・アドルフォ&レイラ・ピニェイロ

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(3 min read)

 

Antonio Adolfo & Leila Pinheiro / Vamos Partir Pro Mundo - a Música de Antonio Adolfo e Tibério Gaspar

https://open.spotify.com/album/7cUhVVnTCLut3xdKKRkCFa?si=FIUY1aXDRFmjbqPGMciIEg

 

ブラジル人歌手レイラ・ピニェイロがアントニオ・アドルフォのピアノ伴奏をともなってアントニオ&チベリオ・ガスパールの曲を歌った一枚『Vamos Partir Pro Mundo - a Música de Antonio Adolfo e Tibério Gaspar』(2020)。これがさわやかでやわらかで、とってもいいです。もちろんボサ・ノーヴァ作品ですけど、この春風のようなさわやかな手ごたえ、気持ちいいですね。(7/3付記)いま梅雨どきですけど。

 

1曲目「Dono do Mundo」でも最初のテンポ・ルバートの部分を経て本編みたいなパートに入りビートが効いてきた瞬間に実にいい気分。ふんわり軽いボサ・ノーヴァのこのビート、すばらしいです。エレキ・ギターがかなり控えめな音でそれを刻んでいて、背後にベースとドラムス。(アントニオの)ピアノがオブリガートでからみ、も〜う極上。ほんのかすかにミナス派っぽい空気感もありますね。

 

2曲目以後もこんな感じで、ふわっと軽いボサ・ノーヴァと、それをやわらかく刻むリズム、強すぎないアクセントや、とにかくサウンドがほどよく中庸的で、疲れていたり落ち込んでいたりするときでもこちらのメンタルをそっとやさしく撫でてくれます。いやあ、いいですね。レイラのヴォーカルもベテランならではのこなれたナチュラルさ。言うことなしです。どの曲もボサ・ノーヴァ仕立てなのはレイラの音楽性でしょう。

 

2曲目「Glória, Glorinha」では間奏でトランペットのソロが入りますが、それも心地いいですよね。そう、このアルバムではなにもかもがこちらを刺激しない程度のちょうどいい加減の中庸さ、やわらかさ、やさしさを極めていて、こういうのはアントニオ&チベリオの書いた楽曲の持つ資質なのか、アレンジの勝利か、主役歌手のタイプなのか、それらがあいまってのことなのか、とにかくみごとなんです。

 

4曲目「Sá Marina」はなかでも群を抜いてすばらしい出来でしょう。これもライト・タッチのボサ・ノーヴァなんですが、ハーモニカが使われていますよね。だれなんでしょう、とてもいい感じに響きます。曲もとてもいい。なんでも聞きかじった話ではこの曲、スティーヴィ・ワンダーがとりあげて有名にしたそうで、ぼくはそのことをちっとも知りませんでした。だからそれは聴いていないんですけど、スティーヴィが魅力を感じるのはよくわかりますよね。

 

そのほかアルバムは好曲ぞろいで、激しいサウンドはちっともなく、ひたすらさわやかにやわらかに、まるで五月の春風のように吹き抜ける気持ちのいい音楽。聴き込んでよし流してよし、部屋でいい雰囲気になるし極上の BGM にもなるリラクシング・ミュージックですね。春の午後にピッタリなアルバムです。(7/3付記)ブログに上げるのは梅雨どきになってしまいましたが。

 

(written 2020.5.6)

2020/07/03

岩佐美咲、配信スタート!

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(4 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=KPut_H6IQyKczARUjyZGQQ

 

いやあ、きのう7月1日の夕方には大きなニュースが飛び込んできました。われらがわさみんこと岩佐美咲の楽曲配信がスタートしたのです。これを快挙と言わずしてなんと言いましょう?こんなうれしいことは最近なかったですね。楽曲配信といっても、全九曲(+1)のオリジナル・ナンバーだけなんですけど、大きな一歩に違いありません。

 

わさみんはオリジナル曲がかなりいいという話は以前しました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-e4eeca.html

 

わさみんのオリジナル曲を配信するサービス一覧は以下のとおり。

 

(ストリーミング)
Spotify
Apple Music
amazon music
AWA
LINE MUSIC
うたパス
kkbox
Rakutenmusic

 

(ダウンロード)
iTunes Store
レコチョク
mora
ドワンゴジェイピー
music.jp
オリコンミュージックストア

 

だいたい網羅されているといっていいでしょう。やはり活用すべきはストリーミング(サブスクリプション)・サービスですよね。ダウンロードは一曲何円で購入するものですが、ストリーミングなら毎月の定額で聴き放題ですからね。しかもダウンロードは一回買えば終わりですが、ストリーミングなら再生されればされるほどそれに応じて音楽家や制作サイドへの分配金も増えます。一回の金額はきわめて些少ですけどね。

 

それで早速ですが、ぼくは Spotify を主に使っているので、わさみんの全オリジナル楽曲9+1でプレイリストを作成しておきました。これさえあれば、いつでもどこに出かけていても、スマホ一台あればわさみんのオリジナル曲を聴くことができますよ。
https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=KPut_H6IQyKczARUjyZGQQ

 

いままでわさみんの歌は CD なりを買わないと聴けませんでした。いまどき CD を買うというのがなかなかハードルの高いばあいもあるんだということをぼくはよく知っているつもりです。もちろんぼくたち熱心なわさみんファンはみんな CD を買ってきているんで、配信で聴けるようになっても特に変化はありませんが、わざわざ CD を買ってみようという気にならないかたがたには、サブスクで聴けるようになったというのはとてもいいことなんじゃないですかね。

 

わさみんの歌は本当にすばらしいのであるということを、ぼくもいままで散々書いてきました。しかし肝心の音を手軽に聴いてもらえないというのがたぶんネックになって、なかなか意見が浸透しなかったり人気が拡散したりしなかったんじゃないかという思いがぼくにはあります。だから、今後は(オリジナル曲だけとはいえ)気軽にネットでちょこちょこっと聴けるようになって、わさみんの歌のすばらしさを一人でも多くのみなさんに知っていただくいいきっかけになるんじゃないでしょうか。

 

さあ次はカヴァー曲です。現状全九曲(+1)のオリジナル・シングル表題曲しか配信されていませんが、カヴァー曲がわさみんには70曲ほどもあります。それらのなかにもすばらしいものがたくさんありますし、この調子で今後はわさみんカヴァー曲もどば〜っと配信してほしいですね。そうすれば、偉大なる資質を持つ歌手、岩佐美咲の全貌が理解されやすくなるんじゃないかと思うんですね。

 

とりあえずいまはオリジナル曲の全九曲(+1)を配信で堪能しましょう!

 

(written 2020.7.2)

2020/07/02

フリー・ジャズなマイルズ69年コペンハーゲン・ライヴ

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(5 min read)

 

https://www.youtube.com/watch?v=YHx1-BPgkkM&list=PL1RJCGLa8Ni1-67ptN_E8-uSKnf-Vt0Kn&index=1

 

公式 YouTube チャンネルで2020年3月に一日一曲づつ公開されたマイルズ・デイヴィスの1969年コペンハーゲン・ライヴ。ライヴの日付がどこにも記されていませんが、69年のコペンハーゲンなら11月4日です。バンドはもちろんロスト・クインテット(マイルズ、ウェイン・ショーター、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネット)。

 

その1969/11/4コペンハーゲン・ライヴの計7トラックをいまでは続けて楽しむことができます。このコペンハーゲン・ライヴは以前から高音質のブートレグ CD-R が出まわっていてぼくも聴いてきましたが、やはりオフィシャルはさらに音がいいですね。さらに今回は上質のカラー映像付きということで、視覚面での享楽もあって言うことなしです。

 

1969年秋冬のヨーロッパ・ツアーは、ほんの数ヶ月前にスタジオで『ビッチズ・ブルー』を録音したばかりとあって、このランドマーク・アルバムと結び付けて語られることが多いですし、レガシー公式の見方としてもそうです。けれどもそのライヴ音楽をそのまま素直に聴けば、むしろ1960年代的フリー・ジャズとの関連が強いんじゃないかと思えるんですよね。

 

『ビッチズ・ブルー』(やそれに先行する『イン・ア・サイレント・ウェイ』)があきらかに1970年代を射程にとらえていたのとは、この点で大きく違います。やはりかねてより言われているようにスタジオでのマイルズは先駆的だけどライヴ・シーンでは保守的だったとの意見は的を射ているんじゃないでしょうか。スタジオではすでにロック/ファンクに踏み出していましたけど、ライヴではまだまだストレート・ジャズをやっていました。

 

映像で見るとこの1969年コペンハーゲン・ライヴでの五人は、特にボスがそうですが、カラフルでサイケデリックな衣装を着て演奏していますよね。ステージ映えを意識したとかいうよりも、当時の自分たちの音楽がどんな方向を向いていたのかの自己主張というかアイデンティティの反映として自然にこういう格好をするようになったんだろうと思います。

 

しかしながらそうであっても、ステージでくりひろげられている音楽は、といえば、1960年代後半的なサイケデリック/ヒッピー・カルチャーとは特に縁のなさそうな、欧州白人観客層にウケそうな、そんなフリー・ジャズを展開しているんだからおもしろいところです。ライヴでのマイルズ・バンドがロック・カルチャーの領域に踏み込んだのは1970年にフィルモアにどんどん出演するようになってからで、衣装も音楽も一致してヤング・ヒッピー・ジェネレイションに向くようになっていました。

 

1969年バンドは(音楽的に)その一歩手前ということで、スタジオで完成させていたファンク・マテリアル(「マイルズ・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」「ビッチズ・ブルー」「イッツ・アバウト・ザット・タイム」など)をとりあげてはいても、アプローチはまだまだジャズのものでした。こんな衣装を着てステージを展開していてもそうなんです。タキシードで演奏してもよかったくらいですよね。

 

それでもボスの吹いているあいだはいつも定常ビートに乗っているし、ロック/ファンクっぽいノリがあるんですけれども、二番手ウェインのサックス・ソロの後半〜終盤にかけてからアヴァンギャルドな手法を見せはじめ、そのままチックのエレピ・ソロになるとトリオ演奏で完全なるフリー即興の世界に入っていってしまいますよね。

 

たとえばこのコペンハーゲン・ライヴでもラストで演奏している「イッツ・アバウト・ザット・タイム」。もともとノリのいいファンク・チューンで、このライヴでもボスのソロのあいだはそうなのに、特に三番手チックのソロになると突如がらりと変貌しますよね。ポロ〜ン、ポロ〜ン、(デイヴが弓で)ギ〜、グゲ〜〜、ジャックもチーン、チーン、ってなんですかぁこれぇ?ビートも消えて原曲の面影は微塵もありません。

 

ジャズですからどのように展開してどのように姿が変わろうとも OK なんですけれども、個人的にはファンキーにグルーヴする音楽のほうが好きです。こういった演奏内容を聴くと、マイルズのロスト・クインテットが1969年ライヴでしばしばフリー&アヴァンギャルドに走っていたのはチックの主導だったのだろうか?と思っちゃいますよね。

 

「ビッチズ・ブルー」にしろ「イッツ・アバウト・ザット・タイム」にしろ、もとのスタジオ録音ヴァージョンを聴けばわかりますようにファンキーあるいはアーシーとすら言っていいノリのいいベース・ラインを持つグルーヴ・ナンバーなのに、1969年バンドだとだれもそれを演奏しないんですね。いっさい無視したまま進んでいます。同じ曲か?と思うほど。

 

70年に入ると、さすがにフィルモアに出演しなくちゃなんないということで(おそらくボスの指示で)レコード録音を聴きかえして、ファンクなベース・ヴァンプを再確認し、特にチックと(エレベに持ち替えた)デイヴが一体となってノリよくファンキーにそれを演奏し、ジャックにもタイトな定常ビート を叩かせて、バンドをグルーヴさせるようになります。そこからがぼくの大好きなロック/ファンク・マイルズなんですが。

 

でもその前のフリー・ジャズなアプローチが濃厚な1969年マイルズも、ジャズ・ミュージックとして聴けばこれはこれで楽しいですよね。ノリのよさ、グルーヴィな感じはないんですけれども、各人のソロ内容やリズム・セクションとの丁々発止のやりとり、テンションの高さなど、聴きどころも多いです。65年の「アジテイション」みたいな曲が(日付によっては「ラウンド・ミッドナイト」とかも)まじっても違和感がありませんね。

 

(written 2020.5.3)

2020/07/01

アンゴラのキゾンバ

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(4 min read)

 

v.a. / Kizomba de Angola, vol. 2

https://open.spotify.com/album/3KnrpXu7M8KDNUwdUVzowI?si=TfDk6TeWTqSrZ__mPJzbDA

 

いいジャケットですね。キゾンバのアンソロジーということなんでしょう、『キゾンバ・ジ・アンゴラ、vol. 2』(2012)。見かけたのはつい最近で、日本で CD なりが買えるようになったのは昨年あたりからじゃないでしょうか。ポルトガル産の編集盤ということみたいです。「Vol. 1」もあるんでしょう、そっちはチラ見したらジャケットがイマイチでした。

 

キゾンバといってもぼくはいまだよくわかっていないんですけど、それでも三年くらい前までに比べたらちょっとだけは聴いてきていて、ある程度特徴をつかみつつあるつもりです。同じアンゴラのダンス・ミュージックということで、歴史の長いセンバと比較してどうか?といったこともちょっとだけですね、わかりかけてくるようになりました。

 

ぼくがアンゴラのそういったダンス・ミュージックになんだかこだわっているようにみえるのは、ひとえにパウロ・フローレスのおかげというかせいです。Astral さんのブログで知りエル・スールで CD を買ったパウロの『O País Que Nasceu Meu Pai』(2013)がすばらしすぎる大ショックで、2017年は一年間この大傑作ばっかり聴いていたと言ってもいいくらい。

 

パウロはセンバの音楽家ということになっていて、しかし作品を聴くとかなりモダンな感じもするから、最初ぼくはセンバというのをモダン・ミュージック、アンゴラの最新流行だみたいに考えていました。その後キゾンバということばも知り、そう、ヨラ・セメードとかで、でしょうか、しかし聴いてみて、パウロとどっちが新感覚?とか音楽としてどっちが歴史が古い?みたいなこともわからなかったんですね。

 

そのへんの解説がどこにもないような気がしますからね(実はちょっとだけあるけど)。だから五里霧中なままセンバとされるものやキゾンバとされるものを自己流に聴いてきました。実際、あんまり差がないなあと思えることだってあり、でもちょっとづつ耳と知識が増えるにつれ、どうやらセンバのほうが歴史が長い、キゾンバは新しめの流行だとわかってきたんですね。どっちもアンゴラのダンス・ミュージックですが、センバは土着的、キゾンバはクラブ発祥みたいなところもあるでしょうか。

 

センバのほうが個人的にはややハードな感じがしていて、キゾンバはもっとこう軽いフィーリングをぼくは感じます。それからアンゴラ産リズムであるとはいえキゾンバにはズークの影響がかなり濃いですよね。曲によったらズークそのものじゃんと思えるものすらあるように感じます。ズークはフレンチ・カリブの音楽ですが、主に1980年代以後かな、大流行しました。

 

だからそれをとりいれたキゾンバも1980年代というか、もっとあと、80年代末や90年代に入ってからかな、アンゴラでかたちを整えるようになったんでしょう。ズークだけでなく、同国の伝統音楽であるセンバも吸収、それを簡易な打ち込み系打楽器中心でトラックを組み立てるみたいなことになったんじゃないですかね。

 

センバのほうがハードに思えると書きましたが、それは辛口ということで、対してぼくがキゾンバに感じる大きな要素はメロウネスです。センティメンタルな感じもするし、そのフィーリングはブラジルだったらサウダージと呼ばれるものかもしれないですけど、甘く切なく哀しい美しさ、その感覚をぼくはキゾンバに強く感じます。

 

デジタル・パーカッションでバック・トラックを組み立てるというのもキゾンバの大きな特色でしょうね。時代の古い音楽だったら不可能だった手法ですけれど、キゾンバのころにはコンピューターが出てきていた、しかもクラブなどを中心に展開した、ということで打ち込み系の打楽器音がメインなんでしょう。そのチープでスカスカなトラック感覚は、たしかにキゾンバを活かしたディーノ・ディサンティアーゴ(カーボ・ヴェルデ/ポルトガル)の最新作にも活かされているものです。

 

そう、ディーノ・サンティアーゴはアンゴラの音楽家じゃありませんが、パウロ・フローレスとも共演しているし、アンゴラ産の(センバや)キゾンバは汎ポルトガル語圏でひろく参照されるダンス・ミュージック、その構築手法となっているんでしょう。

 

(written 2020.5.5)

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