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2020年8月

2020/08/31

聴きやすいチャック・ブラウン『バスティン・ルース』

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(5 min read)

 

Chuck Brown and the Soul Searchers / Bustin’ Loose

https://open.spotify.com/album/4nphFPujtiSkWJhL0zXzub?si=VTKFKonVSXuXklXwsxAegQ

 

ひさしぶりにチャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズのアルバム『バスティン・ルース』(1979)を聴きました。思い出したきっかけは、六月にミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)が「最近聴いているもの」というプレイリストにこれのアルバム・タイトル曲を選んで入れていたからで、あのプレイリストを聴いていて曲「バスティン・ルース」が流れてきて、あぁこれはやっぱりいいなと感じ入りました。
https://open.spotify.com/playlist/4r3aUpdoQEKdQ9WXdsWwQT?si=CW0YkkNrQ7mgOPdO7EohBQ

 

もちろんワシントンDCのいわゆるゴー・ゴー・ミュージックの代表作なわけですけど、1979年ですからね、まだゴー・ゴーが世間的にはブレイクする前の作品です。ゴー・ゴーの流行ってたぶん1980年代半ば〜後半だったと思いますから、その数年前にそれがすでに確立されていたという見方ができますね。チャック・ブラウンはもちろんゴー・ゴーのキングで、アルバム『バスティン・ルース』もその代表的傑作とされるものです。

 

ですが、今回聴きなおしてみて、いわゆるゴー・ゴーの枠内には決して収まらない幅の広いアルバムでもあるなとの感想を持ちました。1曲目「バスティン・ルース」が典型的にそうであるように、ゴー・ゴーはとにかくダンス・ビートで、BPM100くらいのテンポで、延々とリズムを強調しながら、クラブなんかでは一晩中演奏しているという、そういったものですが、レコード収録ということで短めに刈り込まれています。

 

これがしかしのちのゴー・ゴー・バンドとかになると、レコードなどでも一曲10分超えもあたりまえで、そりゃあダンスのための音楽なんだからそのほうがいいわけで、スローでメロウなフィーリングの曲もあまりなく、っていう感じになっていったんですが、チャック・ブラウンのアルバム『バスティン・ルース』だとジャンルの先駆にして、聴きやすい音楽としてまとまっているなとの印象も強いです。

 

ゴー・ゴー・ビートの1曲目「バスティン・ルース」も、ダンスにいいけど聴いても楽しくて、このビート感としゃべるように歌うチャックのヴォーカルとバンドの演奏が、ダンス・ビートばかり強調しすぎない中庸なというか、部屋で聴くのにもちょうどいい感じの曲として完成されていますよね。しかもなんだかジャジーでもあります(アルバム全体に言えることですけど)。

 

2曲目はジェリー・バトラーの曲で、メロウなラヴ・バラード「ネヴァー・ゴナ・ギヴ・ユー・アップ」。これなんかきれいなソウル・ナンバーですよね。ゴー・ゴー・バンドの本拠地だったライヴ・クラブなんかでは息抜きとして作用したのかもしれません。スロー・ナンバーはもう一曲あって、5曲目の「クッド・イット・ビー・ラヴ」。これもきれいなラヴ・バラードですね。

 

これら二曲以外はやっぱりダンス・ナンバーですけど、曲が長すぎないし、アルバム全体でも39分と、集中して聴くのにちょうどいい頃合い。ゴー・ゴーがどうとかいうんじゃなく、聴きやすいソウル/ファンク・ミュージック作品として、部屋のなかでちょっと膝をゆすったりするものとして、適切なアルバムじゃないかと思いますね。

 

アルバム・ラストの7曲目「ベロ・イ・ソンバロ」にはラテンな香味もただよっていて、なかなか味なファンク・ナンバーです。なお、このアルバムで、というか当時のチャック・ブラウンのバンドでドラムスを叩いていたリカード・ウェルマンとは、すなわちマイルズ・デイヴィスが1987年に雇い、マイルズのラスト・ドラマーになったリッキー・ウェルマンそのひとです。

 

(written 2020.7.14)

 

2020/08/30

テキスト書きアプリをJeditからBearへ移行する理由

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(6 min read)

 

ブログ用などテキスト書き・編集作業のためのアプリを、JeditからBearへ完全移行させることを考えていて、すでにかなり移行が進んでいます。理由はiPhoneやiPadでもストレスなく快適に作業したい 〜〜 この一点、これのみです。

 

Jeditには本当にすばらしいテキスト・エディタなんですけどMac用しかなくモバイル・アプリが存在しないんですね。それでも方法を見つけていままでなんとかシンクロさせながらどうにかやってはきましたが…。

 

モバイル・ディヴァイスでもの書きするには、大きな障壁が二つありました。(1)ソフトウェア・キーボードでは満足に入力できない 。(2)充実した優秀なテキスト・エディタがモバイル用には、特にMac、iPad、iPhoneの三者でシンクロさせながら使えるものが、あまりない。

 

しかしこれらもすでに解決しつつあります。

 

現状、Macというかパソコンは(オフィスなどでの事務作業を除き)すでに一部の限られた人のためのものになりつつあり、ネットなんかはもはやだれもパソコンでやっていないかもしれませんし、そのほかほぼすべてのデジタル作業をモバイル・ディヴァイスで完結できるようになっています。現実、世界のたくさんのみんながそうしているはず。

 

ぼくなんかも世代的にはMacパソコンから使いはじめた人間ですけれども、これからもずっと使い続けるとは思いますけれども、iPhoneやiPad(特にテキスト書き・編集のときはiPadが便利)へと環境がだいぶ移行しつつあります。

 

ネットで調べものをしたりSNSで遊んだり写真を写して整理をしたり音楽を聴いたりなどなど、ほぼすべてのことがモバイルでできるし、そっちのほうが便利ですし、現実にそうなりつつあるいま、テキストを書くとき「だけ」MacでJeditを使う、というのは、非効率的なんですね。テキスト書き以外の作業ともシームレスにつながりません。

 

事実、ぼくにとってMacでしかできない作業はテキスト書きだけだったんですけど、だからそうしていたんですけれど、もう最近はモバイルでものを考え書くようにしたいし、そうなりつつあります。iPad、特にiPad Proなんか、専用の物理的キーボード(Magic Keyboardなど)につなげれば、もはやこれがモバイルだと意識すらさせません。一台の小さな、そして完璧なMac以上なのです。でありながらしかし取り外せばそれはモバイルなんです。

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ぼくはもう、そういうテキストの書きかたをしたいんです。Mac、iPad、iPhoneの三つでシームレスにシンクロさせながら、いつでもどこででも、思いついたときにすっと快適に書きたい。基本的にはMacで書くにしても。

 

さらにモバイルでも充実した優秀なテキスト・エディタがいくつも登場してきています。その代表二つがBearとUlyssesでしょう。BearもUlyssesもMac、iPad、iPhoneの全ディヴァイスでシームレスに自動シンクロさせながら使えるんですね。しかもテキスト・アプリとして優秀で便利ですし、充実していて不足ありません。メモ、ノートだけでなく、本格的な長文もストレスなく書けます。

 

テキスト・エディタとしてはUlyssesのほうが高機能なのかもしれませんが、買い切り型ではなくサブスクリプション型で、しかも年間5400円という金額。これはちょっと払えないですね、毎年毎年5400円はですね。すでに愛用しているBearもサブスク型ですけど、年額1500円ですから、現実的です。それにBearはとにかくUIが美麗で、使っていて快感なんですね。シンプルな使い勝手もベスト。

 

Bearを知り、サブスクリプションをはじめてBear Proへ移行したのは三年ほど前のこと。メモ、ノート・アプリとして便利に使ってきましたが、すこし前から長文書きもふくめ、ほとんどすべての執筆活動をこれで行うようになっています。iPadやiPhoneも多用しながら。

 

1995年の初登場以来25年間ずっとJedit系を愛用し続けてきた身としては、ちょっと後ろ髪を引かれる思いなんですけれども、べつにJeditとの縁が切れちゃうわけじゃありません。メイン・エディタでなくなるだけで。でも時代はいまやネット&モバイル時代。それでディヴァイス間をシンクロさせながら全作業をシームレスにこなせなかったら、取り残されていってしまうかもなと思います。

 

ぼくにとってテキスト書きは「日常」なんですよ。

 

(written 2020.8.25)

 

2020/08/29

ハンク・モブリー『ポッピン』ではバリサクが好き

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(6 min read)

 

Hank Mobley / Poppin'

https://open.spotify.com/album/0fGG4NXcCWzTcpYGrcyCtc?si=LAUpCKn5Qwi-yVBACmlDjQ

 

ハンク・モブリーのブルー・ノート作『ポッピン』。1957年10月20日録音ながら、この世にはじめて出たのが1980年、しかも日本でのことだったみたいですね。当時このことをちっとも知らず、っていうかごくごく最近までこんなアルバムがあることに気がついてすらいなかったです。ついこないだのことですよ、いつものSpotify徘徊でこのアルバムのジャケット(上掲、オリジナルじゃないみたい)が目にとまり、あ、いいな、ちょっと聴いてみようかなとなったんです。

 

しかもそのジャケットにはバリトン・サックスが写っているでしょう。これが大きかったですね、バリトン・サックスの音色が大好きなんで。きっとバリサクが入っているんだろう、それなら、となったんですね。はたせるかな、このモブリーのアルバムにはペッパー・アダムズが参加していて(アート・ファーマーもいる三管)、バリバリ吹きまくってくれているんですね。そこが個人的にポイント高しです。

 

全五曲のこのアルバム、レコードもCDも知らないんですが、調べてみたら4、5曲目がB面だったらしく、そのB面分のほうがそれまでのA面分三曲よりいいんじゃないかと思います。二曲とも10分越えという、標準的なハード・バップ・チューンとしては長尺。4曲目がマイルズ・デイヴィスの「チューン・アップ」で、これが快調でみごとですよね。主役のテナー・サックス演奏はこんなもんかなと思います。

 

ちょっとよりみちしますが、マイルズ作となっている「チューン・アップ」は、実はマイルズではなくサックス奏者のエディ・クリーンヘッド・ヴィンスンが書いた曲であるというのは、わりと知られていることじゃないでしょうか。たぶんヴィンスンはマイルズのために書いたんだと思います。初録音が1953年の5月19日ですけど(プレスティジ盤『ブルー・ヘイズ』)、同年の1月か2月ごろマイルズはすでにライヴで演奏したという記録が残っています。『クッキン』収録の56年ヴァージョンが有名でしょうね。

 

マイルズ関連でもっと脇へ行くと、モブリーのこの話題にしている『ポッピン』、「チューン・アップ」に続く5曲目「イースト・オヴ・ブルックリン」(モブリー作)では、テーマ演奏部でだけラテン・リズムが使ってありますね。そういえばマイルズっていわゆるハード・バップ時代にラテン調リズムの曲をやったことがないんじゃないですか。

 

1960年代後半〜70年代以後はあんなに中南米リズムを追求したマイルズなのに、それ以前のハード・バップ時代にまったくやったことがない(かどうか、ともかくいまぱっと一つも思い出せない、「フラメンコ・スケッチズ」もスケールだけ)というのは不思議だったような気もします。ジャンル成立当初からジャズとラテン音楽の縁は深いし、なんでもない通常のハード・バップのなかにあんなにアフロ・キューバン・リズムがあるのにねえ。典型的ハード・バッパーのソニー・クラークだってたくさんやっていますよねえ。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-4a2c.html

 

あ、ソニー・クラークといえば、きょう話題にしているモブリー『ポッピン』のピアノもソニーなのでした。ソニーは作編曲能力に長けたひとなんで、だからリーダー作のほうがおもしろいんじゃないかというのがぼくの見解ですけど、こうやってセッション・ピアニストとしてもブルー・ノートでたくさんの作品に登場します。録音のせいもありますが、このゴロンとした決してなめらかではないピアノ・サウンドが、ソニーのばあいだとイイネと感じたりイマイチに思ったり。

 

さて、『ポッピン』に参加している注目のバリトン・サックス奏者ペッパー・アダムズですが、べつにアダムズじゃなくてもバリサクであればだれでもよかったんです。この低音サックスのことがなぜかずっとむかしからぼくは大好きで、そう、大学生のころにジェリー・マリガンとか(デューク・エリントン楽団の)ハリー・カーニーとか、もうホントどんどん聴いていました。ビッグ・バンドだと必ず一名いるんで、うれしいですね。

 

音域のこともさることながら、たぶん(エキゾティックな感じがする?)独特のその音色が好きなんだと思うんですよね。しかもバリサクだけを大々的にフィーチャーしているものよりも、このモブリーの『ポッピン』みたいにメンバーの一員としてときおりそのサウンドが聴こえてきたその瞬間に、あぁいいな〜!って感じちゃいます。ゴリゴリ、バリバリ、しかもなんだか都会の夜のメロウネスを感じる音色で、バリトン・サックスってほ〜んと魅力的。

 

(written 2020.7.13)

 

2020/08/28

ナターリア・ラフォルカデのメキシコ古謡集

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Natalia Lafourcade / Un Canto por México, vol. 1

https://open.spotify.com/album/6yDcHjoEqNkkl9UC6KSlFE?si=vCJvte8ERuO_Yx0FZmV3gw

 

メキシコのナターリア・ラフォルカデ(Natalia Lafourcade)。いままでに二作出しているラテン・アメリカン古謡シリーズのことはこのブログでもとりあげました。今2020年の新作は、汎ラテン・アメリカというわけではなく、出身地のメキシコに限定しての、やはりルーツ探訪シリーズなんですね。メキシコに焦点を絞ったのには理由があったそう。

 

実はこれ、2017年にメキシコ中央部で起きたプエブラ地震で大きな被害をこうむったソン・ハローチョ・ドキュメンテーション・センターを再建するプロジェクトの一環として制作されたアルバムだということなんですね。ナターリアは昨2019年の11月、このドキュメンテーション・センター再建のためのベネフィット・コンサート『ウン・カント・ポル・メヒコ』、英語でいえば “A Song for Mexico” を多数のゲストを迎えながらロス・アンジェルスで行なったようで、そのコンサートのタイトルをそのまま流用して制作されたのが今回の新作アルバムというわけです。

 

アルバムはやはりメキシコの古い歌の数々に焦点が当てられた作品ということで、実際聴いてみてもわりとストレートにメキシカン・フォークロアをとりあげているなという印象です。いかにもなフォークロアから、それでもモダンなアレンジをほどこしたものまで様相はさまざま。だれがプロデューサー/アレンジャーなのかわかりませんが、ナターリアのばあい、多少はみずから手がけていそうな気もしますよね。ゲスト参加も多彩で豪華で、ナターリアのヴォーカルはかなり落ち着いたムードで、アルバムの音楽に深みを与えています。

 

ドキュメンテーション・センターの創設者でもあるソン・ハローチョ・グループ、ロス・コホリーテスをはじめ、カルロス・リヴェラ、レオネル・ガルシア、ホルヘ・ドレクスレル、エマニュエル・デル・レアル、パンテオン・ロココらが曲ごとに入れ替わりながらゲスト参加。「パラ・ケ・スフリール」とか「ヌンカ・エス・スフィシエンテ」とか過去のレパートリーをゲストたちと新鮮に再演したり、いきいきと聴かせてくれるのもいいですね。

 

なかでも特にウルグアイのホルヘ・ドレクスレルをゲストに迎えた8曲目「パラ・ケ・スフリール」なんか、本当にキラキラしていてみごとです。ブラスのアレンジも曲想もまるでバート・バカラックを彷彿させる洗練された内容で、ブラジル音楽っぽさもあって、魅力的ですよね。カエターノ・ヴェローゾも歌ったラスト14曲目の大スタンダード「ククルクク・パローマ」(トマス・メンデス作)はアルバム・エピローグで、ナターリアひとりでのギター弾き語りです。

 

(written 2020.7.16)

 

2020/08/27

暑さで弱った心に 〜 サンバとボサ・ノーヴァの中間あたりで、エドゥアルド・グジンとレラ・シモーイス

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(3 min read)

 

Eduardo Gudin, Léla Simōes / Eduardo Gudin e Léla Simōes

https://open.spotify.com/album/0sVwj8ke98uf0W47syvFsc?si=IALJ5wzTSe6BLjIyydFdhw

 

きれいでいいジャケットでしょう、それだけでちょっと聴いてみようという気になったアルバムです。ブラジルのエドゥアルド・グジンがレラ・シモーイスと全面共演した『Eduardo Gudin e Léla Simöes』(2019)。こ〜れがいいんですよね。真夏の灼熱猛暑もなんだかちょっとピークを越えつつあるのかなと思わないでもないここ数日ですけれど、今年のひどい暑さにバテている心をそっとやさしく癒してくれる、そんな音楽じゃないかなと感じています。

 

このアルバム、エドゥアルドが牽引しての作品に違いありません。エドゥアルドはプロデューサー/シンガー・ソングライターにしてギターリスト。音楽的には軽めのサンバからボサ・ノーヴァにかかるあたりのテイストを持っていると言えるんじゃないでしょうか。レラはゲスト・ヴォーカルですけど、曲によってはヴァイオリンも弾いているようです。さらにゲストといっても、全面的に歌でフィーチャーされていますよね。エドゥアルドも歌っています。

 

まずなんといってもエドゥアルド(とほかのひととの共作も多いみたい)の書いた曲がいいし、サンバの香りを残しつつボサ・ノーヴァに寄ったようなギター演奏の刻みも心地いい。エドゥアルドもレラもヴォーカルのほうはほぼ完璧なボサ・ノーヴァ・スタイルじゃないでしょうか。伴奏はエドゥアルドのギターのほか、コントラバス、ほんの小さな音でのドラムスの三者がメイン。ちょこっとだけほかの楽器が入ることもあり。ドラマーはほとんどの曲でまるでシェイカーみたいなシンプルで控えめな演奏に徹しています。ギターは多重録音してあるかゲスト・ギターリストがいるかで、とにかく二本聴こえる時間もありますね。

 

そんな感じのサウンドで、この軽いサンバ/ボサ・ノーヴァのやわらかいノリとヴォーカルが、やさしい涼感をともなってぼくら聴き手の心を癒してくれるように思うんですね。どこまでも激しさはゼロで、軽く、控えめに、ソフトに、そよ風のようにふわりとただよってくるギターとヴォーカルが本当に心地よくて、真夏のあいだ毎日のように聴いていました。体感温度がちょっと下がりますね。

 

心地いいギターのリズムに乗るソフトなヴォーカル、特にアルバム前半の2〜5曲目あたりはこりゃもうなんど聴いてもため息が出る至福の時間です。サウダージ一色のアルバムですけど、聴いていてとても幸せな気分で満たされていく作品です。

 

(written 2020.8.22)

 

2020/08/26

渡辺貞夫さんが歌手を使いはじめたころ

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https://open.spotify.com/playlist/4L5Wby2qUywvh0K87RudDq?si=08rCS-LaS_6ZwWn2BnXoXw

 

渡辺貞夫さんが自身のリーダー・アルバムでヴォーカリストを起用するようになったのは、1983年の『フィル・アップ・ザ・ナイト』からでした。続く84年の『ランデブー』、85年『マイシャ』と連続起用。ストレート・ジャズな作品をはさみ86年の『グッド・タイム・フォー・ラヴ』でも使っています。それまでは歌手をフィーチャーしたことなどありませんでした。

 

いまだから正直に言いますが、ぼくはあのへんの貞夫さん+歌手の作品がキライでした。だれにも言わなかったけど、ケッ!とかって内心思っていたんですよね。いま考えたら意味のわからないことです。ですが、ぼくは当時ジャズのなかに(っていうかフュージョンと呼ぶべきか)ポップなヴォーカルが入るのをあまり好ましく思っていなかったんですよね。それは事実だったんで、はっきり認めておかなくちゃいけません。

 

1983年の『フィル・アップ・ザ・ナイト』のレコードを買い、一曲ヴォーカルが入っているのを聴いて、「なんだこれは!?」と思ったんでですから。しかもそれが「フィル・アップ・ザ・ナイト」というアルバム・タイトル曲だったから、いわばアルバムの目玉のようなものとして歌手がフィーチャーされているんだなあと知って、なんだかガッカリしたのを憶えています。そう、ガッカリしたんですよ、アホでしょう。

 

アルバムのほかの曲はそれまでの貞夫さんのイメージから外れない従来的なポップ・フュージョンで、だから歓迎だったんですけど、そう、期待のなかにおさまっているか従来イメージから外れているかみたいなことが当時のぼくにとって大切なことだったのかもしれません。バカバカしいことです、貞夫さんの音楽は貞夫さんのやりたいようにやればいいのに、どうしてファンのぼくがイメージを決めつけることができると考えたのでしょう?いまとなってはさっぱり理解できませんが、当時はそうだったんです。

 

しかもですよ、ここが当時たいへん重要なことだったんですけど、ぼくが貞夫さんのレコードを、発売されたリアルタイムではじめて買ったのが、その『フィル・アップ・ザ・ナイト』だったんですよ。ずっと前にこのブログで書いたことがありますが、ぼくは貞夫さんのレコードをほとんど買ったことがなく、超高名な『カリフォルニア・シャワー』と次作の『モーニング・アイランド』だけ持っていて、それ以外は知らん顔をしていた、というよりかラジオとライヴでぜんぶ聴けたんですよねえ、だから。

 

松山で開催されるコンサートにも毎回必ず行っていたし、FM 番組『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』も毎週欠かさず録音しながら聴いていました。それで、大学生活の四年間ですっかり貞夫さんへの期待値が高まっていたところで、じゃあ、っていうんでいざ発売されるとなった新作『フィル・アップ・ザ・ナイト』をワクワクしながら買ったんですよ。そうしたらヴォーカル・ナンバーがフィーチャーされていて。

 

それでもめげずにその次作1984年の『ランデブー』も買ったんですけど(ジャケットは大好きだった)、今度はヴォーカル・ナンバーが二曲もあったんですね。もうそれですっかりイヤになったぼくは、ラジオ番組を聴いたりライヴに行ったりはやめなかったけど、貞夫さんのレコードを買うのをやめちゃったんです。だから『マイシャ』とか『グッド・タイム・フォー・ラヴ』のことは、収録曲をライヴでやるのを生で、または録音されたライヴ・ヴァージョンをラジオで、耳にしていただけです。

 

40年近くが経過していまふりかえってみるに、やっぱり自分のなかに身勝手に組み上げたイメージから外れているのがイヤだったんでしょうね。貞夫さんの音楽はインストルメンタル・フュージョンであるっていう、しかもそれはかなりの部分、体験したライヴ・コンサートでぼくのなかにできあがったような、そんな強固な印象があって、だから歌が入るなんて…、とか思ったんでしょうね。

 

ぼくが決してフュージョン・ヴォーカル嫌いの人間なんかじゃないことは、このブログを継続的にお読みくださっているみなさんはおわかりいただいていることだと思うんですけど、むかしはこんなこともあったんです。ヴォーカルがどうこうっていうんじゃなく、貞夫さんがそれをやるのが意外だったんですよね。いまではそれら『フィル・アップ・ザ・ナイト』も『ランデブー』も、アルバム全体が好きで、聴いて楽しめます。

 

貞夫さんはといえば、その後、もちろんストレート・ジャズ作品をやったりするときはヴォーカリストは使いませんが、フュージョン・アルバムではやっぱり継続的に歌手を起用し、またブラジル人ミュージシャン、たとえばトッキーニョと共演したアルバムをつくったとき(『メイド・イン・コラソン』1988)なんかは、もちろん全面的にトッキーニョの歌をフィーチャーしているのをぼくも心から楽しく聴いています。

 

(written 2020.7.7)

 

2020/08/25

ストーンズは不良なんかじゃない

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(4 min read)

 

ザ・ローリング・ストーンズが不良連中であるというパブリック・イメージというか固定観念がいまだにはびこりついていて、ぼくなんかはもうウンザリです。ストーンズは音楽家でしょ、音楽家の評価というか印象はあくまでどんな音楽をやっているかで決めたらどうなんですか。ストーンズのみんなは1962年のデビュー以来、もう何年ですか、今2020年になってもいまだ現役なんですけど、ここまで継続してやれているのはかれらがマジメだからにほかなりません。ストーンズは決して不良なんかじゃありません。音楽についてはマジメ集団です。

 

ストーンズがどんな音楽を、どんな態度で、ずっとやってきたかを考えるとき、そしてどんな成果をあげてきたのかを考えるとき、彼らが一途にアメリカ黒人音楽を(もちろん白人カントリー・ミュージックをもなんですけど)真摯に追求してきて、熱心に、真剣に、それこそクソ真面目に、つまりまったく不良なんかではないやりかたで、みずからのロック・ミュージックのなかに活かしてきたことは明白じゃないですか。

 

それをなんですか、不良、不良って。それでストーンズの音楽のことについてなにか語った気になっているのなら大間違いですよ。ストーンズは不良じゃありません、真面目バンド、真面目連中ですよ。ぼくがこう言うのは音楽に関して、ということなんですけど、ストーンズは音楽家なんだから音楽に対してどういう姿勢で接してきたかで評価すべきでしょ。

 

ストーンズがここまで何十年間も現役第一線で活躍でき続けているのは、とりもなおせば彼らが真剣に音楽に取り組んできたからにほかならないんですよ。不良な態度でここまで続けられるわけないじゃないですか。それともストーンズが不良であるというイメージを執拗に持ち続けたいかたがたは、ストーンズのいったいどこを見て彼らが不良であると判断しているのでしょうか。たぶん音楽関連のことじゃないですよね。

 

音楽家に対して、音楽以外のことでなんだかんだ言うのはそれは意味があることなんですかね。音楽家はあくまで音楽のことだけでものを言われるべき存在じゃないんですか。音楽が真摯ならその音楽家がどんな私生活を送っていようとそのひとは真摯な音楽家だし、どんな聖人君子のような生活を送っていようとも生み出す音楽がだらしなかったら、そのときはじめてその音楽家は不良と呼ばれるべきなんですよ。

 

ひるがえってストーンズの音楽はどうですか。だらしない、情けない、つまらない音楽をやっていますか?逆でしょう。ストーンズの音楽はきわめてマトモで多くのひとたちを魅了する(されないひともいるかもだけど)すばらしいものじゃないですか。ストーンズの音楽を聴くとき、ぼくは彼らが音楽に対しとことん真摯な姿勢で取り組んできている、それも何十年も継続して真摯であり続けてきている、との気持ちを強く持ちます。

 

それが間違いないストーンズの(音楽)イメージなんですよ。彼らは(音楽に対し)きわめて誠実で真摯で真剣に真面目に取り組んできている、このことはみなさんおわかりなんでしょ?それなのにどうしてストーンズを「不良」のイメージで語るんですか?そろそろやめていただけませんか?ストーンズを不良と呼ぶのは、ある種のパブリック・イメージに沿っているかもしれないけど、彼らの(音楽の)実態からはかけ離れています。

 

(written 2020.7.5)

 

2020/08/24

(元)アイドルのライヴは客席がちょっとやかましい (^^)

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(4 min read)

 

はじめてわさみんこと岩佐美咲のコンサートを体験した2018年2月4日の恵比寿ガーデンホール。いまだから言えるぼくの偽らざる第一印象は、お客さんがなんてにぎやかなんだろうということでした。とにかくですね、「わっさみ〜〜ん!」「わっさみ〜〜ん!」とかなりデカい声でみんなが叫ぶというか、怒号みたいなものが飛びまくるわけですよ。お客さんはオッサンばっかりだからかなり野太い声で、そりゃあもうやかましいんです。

 

ぼくは慣れていなくて、そりゃあそうですよ、あのときがわさみん初体験というか、元アイドル歌手のコンサート初体験だったんですから、それがいったいどんなものなのか、いっさい知らなかったんですからね。もうビックリしちゃって、かなり引いちゃったというのが真相です。どうしてみんなこんなに叫ぶのだろうと、音楽のコンサートなんだからイントロがはじまって〜歌〜アウトロが消えるまでのあいだ、もっとじっと聴き入ればいいのにと思ったというのが事実です。イントロも間奏もアウトロも聴くべき音楽なんだぞと。

 

それまでぼくが体験してきたコンサートはジャズ系が多かったですからね、みんな客席で静かにすわって黙ってじっと音楽に聴き入っているんですよね。演奏が終われば熱狂的に拍手が起きたりしますけれども、演奏中に、もちろんイントロ中にでも、音や声を出すひとはまったくいないんですよね。その静寂と音楽の興奮とのギャップがこりゃまた楽しいもんだったんです。

 

ところがわさみんコンサートのばあい、まだ歌いはじめる前、イントロに乗ってわさみんが姿を現しただけで「わっさみ〜ん!」と爆大なる歓声が飛ぶじゃないですか。なんてうるさいんだろうと。だってイントロがもう鳴っている最中なんですよ。イントロも音楽なんですけどね。イントロだけじゃありません、ワン・コーラス歌い終えては「わっさみ〜ん!」、全コーラス歌い終えては「わっさみ〜ん!」と、そのあいだずっと音楽が鳴っているのに。

 

ぼくはといえば、その2018年わさみんコンサートのとき、「音楽を聴く」という目的で恵比寿ガーデンホールに来たつもりでしたから、客席から飛ぶものすごくデカい音量の声援で歌の前後の伴奏がかき消されてしまうのが実はあのときちょっとイヤで、なんだよみんな静かに聴いたらどうなんだ?!と実は本音では思ったというのが真相だったんですよね。

 

わさみんだけじゃなく(元)アイドルのコンサートはそんな静かに聴くもんじゃない、どんどん声援を送るものなんだということがわかるようになったのは、しばらく経ってのことでした。あの2018年2月4日恵比寿ガーデンホールは昼夜二回公演でしたが、昼の部で客席の盛大な歓声にすっかりけおされてしまっていたぼくも、夜の部のころにはこういうものなんだとなじんでおりましたね。

 

みずからも激しい声援を飛ばすようになったのは2018年11月の歌唱イベント初体験以後ですが、それに慣れてしまうとすっかり快感になって、声を出せない状況(というのが現場によってたまにある)だったりすると物足りなく欲求不満におちいるようになってしまいましたね。翌2019年1月26日のわさみんコンサートのときは叫びまくりしゃべりまくりました。

 

わさみん歌唱イベントなんかでも、2019年8月の笠間(都心のホテルから実に遠かった)でのときは、大きな声を出し終えると(特にわさみんファンではないであろう)地元のお客さんがぼくのほうをふりかえり、なんだこのひとは!?という不思議そうな、怪訝そうな、変態を見るような、目つきでにらみましたから。ぼくはそれがかえって快感で、そうですわさみんファンとはこういったものなんです、どうですか、と開き直るような心持ちでしたね。

 

2019年に二回体験した原田知世ちゃんのコンサートでも似たようなものでしたし、やっぱり(元)アイドルのライヴってそういったものなんでしょうね。ステージと客席のやりとり、ファンからの応援・声援がさかんであるっていう。いまや(元)アイドルではない歌手や音楽家のコンサートでもどんどん叫んだり歓声を飛ばすようになっているぼくです。

 

(written 2020.7.3)

 

2020/08/23

アメリカン・クラシックを歌うウィリー・ネルスンが好き

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Willie Nelson / American Classic

https://open.spotify.com/album/3a6KzdXSmRbx5EAhYkSA6p?si=jv7mlEchR8-NLto1AGWmjA

 

カントリー・ミュージック界の大御所でありながら、ぼくのなかではスタンダード・ソングを歌うアメリカン・クラシック・シンガーとの印象も強いウィリー・ネルスン。なんたってウィリーのばあいは最近はじめたことじゃありません。多くの歌手が歳とって衰えてから安直に臨むそんな世界に、ウィリーはまだ若くて元気だった1978年にはやくも取りくんで、その『スターダスト』を成功させているんですからね。個人的にはウィリーに出会ったのがこのアルバムでだったんで、いっそうイメージが強くなっちゃいました。

 

その後もウィリーは一貫して同様の作品を世に送り出し続けているんであって、クロスオーヴァー・スタンダード・ポップとでもいいますか、そんなジャンルがもしあるとするならば、それはウィリーが道を拓いたものだ、ウィリーこそが第一人者だと言えましょう。もちろんカントリー・シンガーとして偉大な存在ですけど、声に独自の甘みと渋みが同居する彼は、スタンダード・ポップスを扱うのに資質的に向いているんですよね。カントリー界の人間らしく「愛国保守」っていうことでもあるんでしょうね、アメリカン・クラシックを歌うのは。

 

そんなウィリーの2009年リリース作『アメリカン・クラシック』。これのことを思い出したのは、きのう書いた B.B.キング&エリック・クラプトンの共演作『ライディング・ウィズ・ザ・キング』がきっかけでした。アルバム末尾に「カム・レイン・オア・カム・シャイン」があったわけですけど、ちょっとこの曲のいろんなヴァージョンを聴きなおしたくなって Spotify で曲検索をかけたら、ウィリーの『アメリカン・クラシック』が出てきたわけです。

 

そう、アメリカン・クラシック、まさにそんなスタンダード・ソングブックをこのアルバムでもまたウィリーは歌っているんですけど、この作品はなんとブルー・ノートからリリースされているんですね。プロデューサーがかのトミー・リプーマ。ウィリーとトミーと、それからピアニストのジョー・サンプルと、この三名で2008年にテキサスはオースティンにあるウィリー邸で話し合いが持たれ、選曲もされたそうです。

 

そう、ジョー・サンプルもこのアルバムではとても重要な役割を果たしているんですね。プリ・プロダクションの初期段階からかかわって、選曲にも関与し、さらにレコーディング・セッションでピアノを弾いてサウンドのキーになっているばかりか、アレンジャーまでも務めています。アルバムを聴けば、あぁジョーだ、とわかるあの特徴的なサウンドが鳴っていて、ウィリーとジョーの共作としていいかも?と思うほど。

 

アルバムには二曲だけジョーがピアノじゃないものがあって、4曲目「イフ・アイ・ハッド・ユー」、8「ベイビー、イッツ・コールド・アウトサイド」。これらは、前者にダイアナ・クラール、後者にノラ・ジョーンズがゲストとして迎えられていて、ウィリーとデュオで歌い、ピアノも弾いているんですね。これら二曲以外はジョーのピアノです。

 

それにしても「イフ・アイ・ハッド・ユー」とは古い曲を持ってきたもんです。第二次大戦前のスウィング・ジャズの時代にはよく歌われたスタンダードですが、モダン時代になって以後はかなり機会が減ったんじゃないですか。歌うひとはいますけど、ステイシー・ケントみたいな意図的にレトロなムードを演出したい歌手が中心じゃないでしょうか。

 

そう考えてみれば、このアルバムにはほかにも(すたれてしまったような)古い曲がちょっとあります。ファッツ・ウォラーの5曲目「エイント・ミスビヘイヴン」なんか、故意のレトロ・チャンス以外ではほぼだれも歌わなくなったものでしょう。1930年代まではみんなやっていましたが。「イフ・アイ・ハッド・ユー」「エイント・ミスビヘイヴン」のほかにもこのウィリーのアルバムにはそんな曲があるかもしれません。

 

いつもながらのカクテル・ジャズふうなソフィスティケイッティド・ムードといいますか、たぶん批判もされているんでしょうね、ウィリーのこういった路線の音楽は。しかしぼくはここにも(カントリー・フィールドでいい作品をつくるときと同様の)誠実で真摯で厳しい姿勢がヴォーカル・トーンのなかに聴きとれて、かなり好きですね。クリスチャン・マクブライドやルイス・ナッシュなど腕利き連中が伴奏についた熟練のジャズ・サウンドもみごとです。

 

それになんたってリラクシング。上質なバック・グラウンド・ミュージックといいますか、部屋のなかで、あるいは都会の夜景でも眺めながらで、とてもくつろげるクォリティの高さがあるんじゃないかなと思います。上で触れましたように、もともとウィリーの声の資質にはこういったクラシック・スタンダード・ポップスをこなすのに向いている部分があるんですからね。自分の世界を知っている歌手でしょう。

 

(written 2020.7.12)

 

2020/08/22

キングと相乗りクラプトン

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(5 min read)

 

B.B. King, Eric Clapton / Riding With The King

https://open.spotify.com/album/7b0Ysbudh2BH9A853EfxEu?si=IYUzsG6dQWWaiLuXw1UK9w

 

今年、発売20周年記念ということでデラックス・エディションがリリースされた B.B.キングとエリック・クラプトンの共演作『ライディング・ウィズ・ザ・キング』(2000)。そのデラックス・エディションとはオリジナル・アルバムのおしりにボーナス・トラックを二曲くっつけただけの貧相な内容で、作品としてはラストにスタンダード「カム・レイン・オア・カム・シャイン」を置いたほうがきれいに締まるので、上はオリジナルをリンクしておきました。

 

さて、エリック・クラプトンのほうからしたら B.B.キングは正真正銘の「ザ・キング」なわけでして、さかのぼることはるかむかし、あんな英国の白人のガキにホンモノのブルーズがやれるわけない、猿真似だ猿真似と揶揄された時代から、研鑽に研鑽を重ね、それまで共演歴があったとはいえ、とうとう本物中の本物である超大物黒人ブルーズ・ミュージシャンとの全面コラボ作をつくるとなったときの心境をおもんばかるに、無関係のぼくですら涙が出てくるような気持ちがします。

 

そのキングたる BB ですけれど、その名前にあやかったようなアルバム1曲目のタイトル・チューン「ライディング・ウィズ・ザ・キング」は、もともとジョン・ハイアットがエルヴィス・プレスリーのことを想いながら書き歌った曲だったんですよね。2000年にこの BB&クラプトンのアルバム CD を買ったばかりのときのぼくはそれを知らず、てっきり B.B.キングのことをクラプトンが考えて書いたオリジナルなんだろうと想像していました。

 

しかしこれがまさにどハマりしているじゃありませんか。ポピュラー・ミュージックの世界ではカヴァーがオリジナルを超えるなんてまずないんですけど、この BB+クラプトンの「ライディング・ウィズ・ザ・キング」は、BB の名前にひっかけることもできているし、この曲はこの二人にこうカヴァーされるのを待っていたのだと、そう言えるほど上出来です。ブルーズ・ナンバーじゃありませんけど、このアルバムのテーマにこれ以上ピッタリくる曲はなかったなと思います。

 

2曲目以下の収録曲もセレクトしたのはたぶんクラプトン側だったんじゃないかという気がしますが、メインは BB サイドのレパートリーで、五つ。2「テン・ロング・イヤーズ」、5「スリー・オクロック・ブルース」、6「ヘルプ・ザ・プア」、9「デイズ・オヴ・オールド」、10「ウェン・マイ・ハート・ビーツ・ライク・ア・ハンマー」。

 

これらを中心軸に据えながら、ほかは両者ともがアクースティック・ギターを弾くブルーズ定番二曲(3「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」、8「ウォリード・ライフ・ブルーズ」)。さらにサム&デイヴの11「ホールド・オン・アイム・カミング」に、ポップ・スタンダードの12「カム・レイン・オア・カム・シャイン」。二つだけこのアルバムのためにクラプトン・サイドが用意したオリジナル新曲(4「マリー・ユー」、7「アイ・ワナ・ビー」)もあります。

 

演奏は当時のクラプトンのセッション・バンドが中心になっていて、そこに BB が客演したような格好にパーソネル表をみると思えますが、アルバムを聴くと印象は逆ですね。BB が主役で、クラプトンは脇。BB にどんどん歌わせ弾かせています。やはりいまだ現役バリバリだった師匠とその弟子格ですから、アルバムをどう創ればいいか、いかな自己顕示欲の強いクラプトンでも心得ていたわけでしょう。

 

そんな姿勢は、クラプトンのヴォーカルとギター・プレイにもはっきりと聴きとることができます。BB の存在を意識してでしょう、ふだんとは違う謙虚で真摯な演唱で、うまいぐあいに抑制が効いています。この2000年前後のクラプトンのふだんの姿をライヴ録音などで聴いても、違いは鮮明です。アルバム『ライディング・ウィズ・ザ・キング』ではヴォーカルもギターもていねいなんですね。決してクリシェにおちいらず、全面共演作をつくるだなんてふたたびはないであろうこの機会を本当に大切に思いながらセッションに臨んでいるなというのが、聴いているとよくわかります。

 

だから、ぼくはいつも1990年代以後のクラプトンはおもしろくなくなったとくりかえしていますけど、このアルバムだけは例外的に内容がいいんじゃないかと思っているんですね。それでもクラプトンが歌い弾いたその次の瞬間に BB が出ると「あぁ、やっぱり違うな」と存在感の差に唖然とするんですけれど、クラプトンだってなかなかどうして大健闘ですよ。ここまでやれれば文句なしじゃないですか。

 

ヴォーカルでもギターでも二名がからみあいながら進むパート、特にギター・ソロですね、ソロじゃなくてデュオか、BB とクラプトンが同時に弾きながらからみあって進行する部分がたくさんあって、そんなところを聴くと、クラプトンは師匠である BB に対し堂々としかも謙虚に向き合いながら、誠実に自分のプレイを貫いていて、決して劣ってなんかもいないし、ここまで来たんだと感慨もひとしおですね。

 

オリジナル・アルバムのラストに収録されているスタンダード「カム・レイン・オア・カム・シャイン」。どんなときだって、どんなことに直面しようとも、あなたのことを愛しますというラヴ・バラードなんですけど、BB とクラプトンの師弟愛に置き換えて聴くこともできるという、なかなかグッドな選曲じゃないでしょうか。演唱内容だって光っています。

 

(written 2020.7.11)

 

2020/08/21

サバハットとサズの音色

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(3 min read)

 

Sabahat Akkiraz / Sabahat Akkiraz ile 50 Yıl

https://open.spotify.com/album/19aEw6sXrFpDaILgMGZGOf?si=InS4H4NjToeXBk1DgqmBqQ

 

トルコのハルク(民謡)歌手ということなんですけど、サバハット・アクキラズ(Sabahat Akkiraz)。このジャンルのことをなにも知らないですが、大スターらしいですね。エル・スール HP 記載文によれば「世界で最も偉大な声の持ち主」とまで言われるそうで、載っていた2020年リリースのアルバム『Sabahat Akkiraz ile 50 Yıl』を Spotify で聴いてみて、なるほどと納得したんです。

 

このアルバム、副題が「1970 - 2020」となっていますし、「ile 50 Yıl」というのがおそらく50年間にわたるみたいな意味でしょうから、サバハットが活躍してきたこの期間、歌手活動50周年を記念して編まれたベスト・アルバム、コンピレイションなんじゃないかと思いますね。それにしてはアルバムを一貫するオリジナル・ムードがあって、寄せ集めとの印象がほとんどないのはさすがです。

 

歌手サバハットを今回はじめて聴いたんですけど、ヴォーカル以上にぼくの印象に非常に強く刻まれたのは伴奏を務める(たぶん)サズの音色ですね。サズはトルコとかその他周辺各地で用いられるネックの長い弦楽器で、このサバハットのアルバムではどの曲でもずっとそのザラザラした音色が聴こえますから、この弦楽器、で、この音色だとサズだと思うんですね。それがとってもいい雰囲気です。

 

このザラッとした舌触りの音色ですね、サズでしか出せないこの独自の音色、本当にヤミツキになる快感で、サバハットのこのアルバムをとおしずっと聴こえますから、ぼくなんかサバハットのヴォーカルもさることながら伴奏のサズにばかり耳が行ってしまいます。マジでぼく好み。サズの音をこれだけまとめて一定時間聴いたのは初体験でしたが、気持ちいいことこの上ないですね。

 

サズと、なにか簡易な伝統パーカッション(とバック・コーラス)だけ、みたいなシンプルな編成の伴奏に乗せてサバハットが歌うそのヴォーカルはパワフルで、しかも繊細。サバハットの声には耳につくイヤなところが微塵もないですよね。なかなか豊潤&華麗にコブシをまわしているなと思うんですけど、わざとらしい感じがまったくなく、きわめてスムース&ナチュラルに響いてくるのが心地いいです。

 

サバハットの声のまろやかな聴きやすさと、サズのざらっとした濁りみ成分のある音色とリズム、その両者あいまって、こんなに豊かな世界も滅多にないよなと実感できるだけの貴重な時間を楽しめるコンピレイションですね。ダイジェスト・アルバムではありますが、これ一枚でじゅうぶんサバハットとサズの魅力がわかる好内容。収録のどの曲も魅力的でため息が出ます。ラストの一曲だけはライヴ録音でしょうか、ドラム・セット、エレベ、エレキ・ギターなども参加している実験的ミクスチャー・ミュージックとなっています。

 

(written 2020.7.9)

 

2020/08/20

カッコよすぎる UK ホーン・ファンク 〜 ザ・ハギズ・ホーンズ

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(3 min read)

 

The Haggis Horns / Stand Up For Love

https://open.spotify.com/album/0B95klwEoReHDRfMYqQEi1?si=S6thsiFJR-GBhzYIH6uUfg

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2020/05/27/stand-up-for-love-the-haggis-horns/

 

UK ホーン・ファンク・バンドであるザ・ハギズ・ホーンズ(The Haggis Horns)。編成はパーカッション、ドラムス、ベース、ギター、キーボードのリズム・セクションに、トランペット、サックス、サックスのホーンズが加わり、さらにヴォーカリストがフィーチャーされるという布陣。その2020年作『スタンド・アップ・フォー・ラヴ』が快調でかなりいいですよね。

 

今回はじめてこのバンドを聴いたんですけど、もうカッコイイのなんのって、このグルーヴですよ。アメリカにこの手の管楽器をフィーチャーしたジャズ・ファンク・バンドは数多くあります(ありました)が、ザ・ハギズ・ホーンズは英国のバンド。UK バンドならではの特色みたいなものは特に感じませんが、これだけバリバリやれたら文句なしじゃないですか。いま現在2020年にアメリカでもこれだけカッコイイ、ノリのいい管楽器バンドってあるんですかね。

 

アルバムの全九曲中七曲でジョン・マッカラムのヴォーカルをフィーチャーしているということで、しかしその歌声になにかスペシャルなものは感じないですね。ぼくが本当にいいなと思ったのはリズム・セクションのこのグルーヴィな演奏で、特にエレキ・ギターですかね、伴奏コード・カッティングに単音弾きのソロにと大活躍。カッティングではこのバンドのグルーヴを決める決定的な要因になっているなと感じます。

 

インストルメンタルが二曲。4曲目「ハギズ・エクスプレス」なんか、もう疾走感がすごくって、こんなにもカッコいいホーン・ファンクがあるのかとビックリしちゃいますよ。それでこのバンド、3ホーンズ編成なわけですけど、必ずしも管楽器ソロの時間は長くないですね。あまりなしとしていいんじゃないですか。ソロはギターが弾く時間が長く、というかそもそもどの楽器でもソロはあまりないです。

 

ソロよりもカッコいいアンサンブル全体で攻めている時間が大半だなと思います。ホーンズもファンキーなリフをずっと演奏しているし、それを下支えする、というかある意味主役なリズム・セクションの極上のグルーヴもみごとで、ここまでのノリを出せるリズム隊ってなかなかすごいことですよ。

 

アメリカなんかでも JBズとかミーターズとかタワー・オヴ・パワーとか、こういったカッコよすぎるホーン・ファンク・バンドはあったと思いますが、このザ・ハギズ・ホーンズもなかなかのものです。1970年代的 US ファンク・バンドへのリスペクトも随所に感じられ、印象いいですね。6曲目のアルバム・タイトル曲だけはレゲエっぽいフィーリングでやや異色。

 

(written 2020.7.8)

 

2020/08/19

音楽の残り香

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(3 min read)

 

音楽についてはすこし遅れてきたなという実感がぼくにはあります。時代の流行や先鋭的な音楽のその最盛期にはそれを知らず、そのかけらを拾い残り香を嗅いできただけなんじゃないかという気持ちがあるんですね。ジャズの昂揚を知り、ロックの受容を肌身で体験し、ワールド・ミュージックの熱気を我が事として感じていた、一世代上の先輩たちがうらやましくてたまりません。

 

たとえばぼくはマイルズ・デイヴィス・マニアを自認していますけど、ハマりはじめたのは1979年。マイルズの一時隠遁中です。新作レコードも出なかったけど、来日公演に接する機会を得たのは1981年が最初でした。その前1975年のあの来日公演を生で体験できなかったのはなんとも痛恨事なんですよね。73年とかも。あのマイルズの、あの時代の、あの音楽を実体験できなかったんです。

 

ぼくよりちょうど10歳年上の中山康樹さんとなれば、1973年の来日が初生マイルズだったそうで、もうそんなうらやましいことってないですよね。73年とか75年が初体験だった人間と復帰後の81年が初体験だった人間とでは、マイルズに接する態度や気持ち、マイルズ観もおのずと違ってくるはずでしょうからね。

 

ロックだって1960年代後半〜70年代のあの隆盛をぼくは肌身で感じていませんから。すべてが完璧なる後追いで、その時代が終わってからレコードで聴いたというだけです。ビートルズは知らないし、ストーンズだって勢いがあった時代のことは後追いです。レゲエにかんしてもそう。ずっとあとになって1980年代半ばにボブ・マーリーのレコードを買いました。レゲエのあの時代をぼくは知らないんです。

 

日本におけるワールド・ミュージック・ブームは、たぶんおおよそバブル景気とともにあったんじゃないかという気がいまではしますが、そのころもぼくはようやくリアルタイムで接することができるようになったマイルズに夢中で、ワールド・ミュージックのレコード、というか CD ですかねこのばあい、を積極的に買って情報を集めライヴなどに出かけていくようになったのは、ネットをはじめた1995年以後のことです。ネットでどんどん情報が入るようになりましたからね。ユッスー・ンドゥールのライヴ初体験は1999年のブルーノート東京だったんですから。ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのライヴは一度も生体験していないし。

 

そんな感じで、常にみんなが去りかけたあとに遅れて入ってきては残り香をクンクン必死で嗅いでいるだけのぼく。世代的なこともありますが、本格的に音楽にハマったのが17歳と遅かったんですよねえ。しかしですね、だからこそ現在ここまで必死で追いかけられているのかもしれません。遅れてきた後追いでしか感じられない断片やかすかな匂い、それがえもいわれぬセクシーさを放って迫ってくる、夢を見させてくれるみたいなことだってあるのかもしれません。

 

(written 2020.7.1)

 

2020/08/18

キーボードということば

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(5 min read)

 

自分が大学生のころ、当時高校生でアマチュア・ギターリストだった下の弟と軽く言い合いになったことがあるんですけど、楽器でいう「キーボード」っていうことば、そもそもは鍵盤楽器の鍵盤を指すものなんだとぼくは思っていましたから、鍵盤のついた楽器、特に電子楽器はなんでもキーボードと呼べるはずと思い、実際そういう使いかたをしていたら、弟の顔に「?」マークが出て、キーボードとシンセサイザーは違うのだ、キーボードはキーボードという種類の楽器なのである、と言うんですね。

 

鍵盤はすべてキーボードなのであるというのはもちろん(ことば的には)間違いのないことなので(keyboard は鍵盤の意)、だから極論すればピアノもオルガンもチェンバロもその他もキーボードです。フェンダー・ローズだってキーボード。でもそういう言いかたをしているひとはたぶんいません。キーボードとはポータブルな電子鍵盤楽器で、使えるサウンドがプリ・セットされてあらかじめ入っていて演奏に使える楽器、そういう意味で使うんじゃないでしょうか。

 

シンセサイザーには、もちろん鍵盤型じゃないものだってあるわけですけど、たぶん鍵盤型が最もポピュラーなんでしょう、たぶん。シンセサイザー というくらいだから音を合成して新しく作ることのできるもので、電子的に音を組み合わせて合成して独自のサウンドを作ることができるという機能は、<いわゆる>キーボードにはないですよね。もちろんエレピや(電子ふくめ)ピアノやオルガンなどもそんなことはできません。

 

ここが最大の違いになってくるかなとは思います。鍵盤という定義はシンセサイザーということばにはないので、鍵盤型であってもいいけどギター型とか、いろんなのがあるというのはもちろんです。だから鍵盤シンセサイザーという意味でキーボード・シンセサイザーという言いかたをすることもあって、だからなんだかやっぱりちょっとまぎらわしいですよね。

 

っていうか鍵盤付きのシンセサイザーであれば、それはキーボードと呼んでもさしつかえないように、いまでもぼくはちょっとだけ思っていますけどね。逆も真で、いわゆるキーボードも(音色がプリ・セットされた)一種のシンセサイザーだろうと。いわゆるキーボードは音を合成することなどできずプリ・セット音で弾くしかないわけですけれども、いわゆるシンセサイザーだってあらかじめ音が何種類か付属していますからねえ。やっぱり区別は曖昧ですよね。

 

ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌル。ピアノやエレピも弾くし、シンセサイザーの名手でもあったわけですけど、あるときのアルバム(『ナイト・パッセージ』だったかな?)のパーソネル・クレジットで、ザヴィヌルの項に「keyboards」としか書かれていなかったこともあります。もちろんこのばあいのキーボードとは鍵盤楽器全般という意味であって、そのアルバムでザヴィヌルはシンセもピアノも弾いているんです。そういった使いかたもできることばなんですよ。

 

ピアノだってデジタル・ピアノなんかは、フル・アクースティック・ピアノの音をサンプリングして電子的に合成してそれを組み込んでいるわけですから、やっぱりいわゆるキーボードの一種であり、音を合成できないけどちょっぴりシンセサイザー的でもあるなとぼくなんかは思います。オルガンだって電子オルガンのたぐいはやっぱりいわゆるキーボードと言ってもいいですよね。言わないですけど。

 

シンセサイザーは、近年パソコンなどをつなげて使用して音楽を制作・演奏することができるようになっていますし、演奏をするというよりも、どちらかというと音作り、音楽制作という目的で使用されることが多くなっているんじゃないかという気もしますね。そういった部分はいわゆるキーボード、デジタル・ピアノなどにはできないことです。音色波形を加工して新たな音を創り出すのがシンセサイザーですよね。

 

そのほか細かいこと、たとえばデジタル・ピアノの鍵盤はボックス型でアクースティク・ピアノのタッチに近い(重く深い)ものが採用されていますけど、キーボードやシンセサイザーの鍵盤は薄くて軽いとか、鍵盤数の違いとか(多くのキーボードは61鍵、シンセはもっと少なかったり)、シンセサイザーはスピーカーを内蔵していないだとか、違いがあるにはありますね。

 

現実的に、音を作らずプリ・セット音で決められた曲をちょろちょっろっと弾いて遊んでみるといった程度だったら、やっぱりデジタル・ピアノもキーボードもシンセサイザーも大差ないんじゃないかというのが、いまでもぼくの本音だったりします。ピアノのサウンドなんか、どれでも出せますしねえ。シンセの鍵盤は、あくまで音源を操作するスイッチという位置づけですけれどもね。

 

(written 2020.6.30)

 

2020/08/17

#BlackLivesMatter 〜 シャンダ・ルール

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(4 min read)

 

Chanda Rule + Sweet Emma Band / Hold On

https://open.spotify.com/album/7aV3SMdZRBhHPYnedxpz4E?si=fMP3LgUAQLmZOx1IIdzK7A

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/05/25/hold-on-chanda-rule/

 

アメリカ人歌手、シャンダ・ルール(Chanda Rule)。新作『ホールド・オン』(2020)をリリースしている名義のスウィート・エマ・バンドというのは、もちろんニュー・オーリンズのジャズ・レジェンド、スウィート・エマ・バレットにちなんで命名されたものでしょう。シャンダ自身の音楽スタイルがニュー・オーリンズ・ジャズと関係あるかどうかわかりませんが、南部的黒人音楽のルーツに根ざした活動をしているのは間違いありません。シカゴ生まれワシントン DC 育ちですけどね。

 

アルバム『ホールド・オン』は、たぶんゴスペル・ベースのソウル・ジャズ作品と呼んでいいだろうと思えます。それも1960年代的なフィーリングが濃く、黒人としての人権意識の高揚や、生活感覚に根ざしたアメリカン・ブラック・ルーツをさぐってよみがえらせたような感覚が横溢、ちょうど21世紀のブラック・ライヴズ・マター運動と強く共振しているような音楽じゃないでしょうか。音楽的にもアティチュード的にも公民権運動のころのジャズ・ヴォーカル作品みたいな空気を感じます。

 

歌われている曲はトラディショナルやゴスペル・ソングが多く、バンド編成はシャンダのヴォーカルに、ハモンド・オルガン、三管(トランペット、トロンボーン、サックス)+ドラムスと、いたってシンプル。ゲスト的にパーカッショニストやハーモニカ奏者も一部いますが、全編アクースティックなオーガニック・サウンドで構成されています。スカスカで、しかも土くさ〜い音楽で、アメリカン・ブラック・ルーツを生のままよみがえらせ現代化したようなアルバムですね。

 

1曲目「アナザー・マン・ダン・ゴーン」でタブラの音が聴こえますが、エスニックな響きはしていないようにぼくには聴えました。もっと普遍的というかユニヴァーサルな打楽器効果音として活用されているなと思うんです。タブラは4「サン・ゴーズ・ダウン」でも同じような活用のされかたをしていますね。タブラが、もはや民族楽器との枠を超えたパーカッションになったんだなとわかるサウンドです。

 

アルバムで個人的に特にグッと来るのは、ストレート・ジャジーな2「アイル・フライ・アウェイ」とやはりジャジーにニーナ・シモンを展開した8「シナーマン」、ミディアム・スローでグルーヴィなソウル・ジャズである3「ロザリー」(ルー・ドナルドスンの「アリゲイター・ブーガルー」にちょい似)、ホーンズのそれもふくめリズムがいい4「サン・ゴーズ・ダウン」、教会ゴスペルなハモンド・オルガンが鳥肌な5「マザーレス・チャイルド」あたりでしょうか。

 

シャンダの声もディープで、1960年代の、あの時代のあのフィーリングを持ちつつ、そこから遠い過去のルーツにまでさかのぼるパワーと2020年代に訴えかける時代のレレヴァンスの双方向の視野を同時に獲得しているようなひろがりとふくらみがあって、デューク・エリントン・サウンドを軸に据えつつアメリカ黒人400年の歴史を凝縮したようなバンド・アンサンブルともあいまって、このアルバムの音楽に説得力を与えています。

 

偉大なマヘリア・ジャクスンが歌ったデュークの「カム・サンデイ」(『ブラック、ブラウン・アンド・ベージュ』)をアルバム・ラストにもってきていますが、シャンダがこのアルバムでなにを目論んだのか、音楽的な意図や構図も鮮明になっているなと思います。黒人教会やコミュニティ・ベースのアフリカン・アメリカン・カルチャーに根差した音楽を再解釈していまの時代に届けることが、現代に黒人としてアメリカで生きる意味をも表現するんだという覚悟ですね。

 

ナイーヴに古いスタイルの音楽であるように思えて、同時にストレートに2020年的な現代の先鋭的なサウンド・スタイルにも聴こえるという、ちょっと不思議な肌ざわりの音楽です。リアノン・ギドゥンズあたりとも響きあう部分多し。

 

(written 2020.6.25)

 

2020/08/16

8.14 生わさみんはすべてを超えた 〜 岩佐美咲ファーストストリーミングライブ~離れていても繋がっている~

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(9 min read)

 

最後にわさみんこと岩佐美咲に会ったのは、昨2019年12月初旬の広島シリーズ二日間でのことでした。二日目のラストで美咲と握手してしゃべったとき「今年はこれで最後になると思う、また来年会いましょう」と言って、実際来年またすぐ会えると思って軽い気持ちで別れちゃったんですけど、その結果がこれですよ。コロナや、すべてはコロナが悪いんや。

 

コロナ禍ゆえ、美咲の歌唱イベントも二月下旬ごろから中止になりはじめ、三月に入ったら予定が完全白紙状態になって、そのままなにもなしで八月まできているわけですよ。その間、実際に客と対面してのリアル・イベントができないんだから、早くネット配信ライヴをやるべきだと、ぼくも三月ごろから(美咲所属の)長良プロダクションと徳間ジャパンにも直接言い続けてきました。

 

がしかし、これがいつまで経っても実現せず。ほかの事務所やレコード会社の歌手のみなさんがどんどん配信ライヴをやっているというのに、いったい長良+徳間はなにをやっとるんや?!と、憤りすら感じていましたね。大幅に遅れること七月になって、8月14日に美咲の有料ストリーミング・ライヴを開催するとの告知があって、あぁようやくだと、しかし飛び上がるほどうれしかったですね。美咲の(ネット越しとはいえ)ナマ歌を聴けるのは超ひさびさなわけですから。

 

それで、きのう8/14、20時から『岩佐美咲ファーストストリーミングライブ~離れていても繋がっている~』が eplus の Streaming+ で配信されたというわけです。時間ピッタリにはじまって、21時15分ごろまで。予定では一時間程度とのことでしたが、1時間15分になりましたね。チケットを購入したかたは、アーカイヴで17日深夜までなんどでもくりかえし楽しめます。

 

歌われた曲目は以下のとおり。

1 無人駅
2 元気を出して
3 ふたりの海物語
4 年下の男の子
5 虹をわたって
6 初酒
7 千本桜
8 魂のルフラン
9 マリーゴールド(ギター弾き語り)
10 365日の紙飛行機(ギター弾き語り)
11 右手と左手のブルース

 

美咲のネット・ライヴは初めてということで、制作側、美咲ともにまだ慣れていない面もあるというか、ぼくからしたらやや不満に感じる点もありましたので、そこからまずメモしておきたいと思います。

 

・60分はちょっと短い、90分ほしかった
・設定で最大にしても音量がやや小さい
・しゃべりすぎ
・無観客なのに、どうしてカメラが三台しかないのか
・やや暗かった照明の問題
・総花的になったかも

 

60分という短めの時間尺しかないんですから、あまりしゃべりすぎずポンポン次々と歌ってほしいというのが個人的な願望で、11曲というのは事前の予想どおりですが、あんなに曲間でしゃべらなければさらに数曲歌えたはずです。美咲は歌手なんですからね。二時間くらいあるふだんのリアル・コンサートなどではいいでしょうが、いままで半年以上もまったくファンの前で歌っていなかったんですから、なによりもまず第一に(しゃべりよりも)歌を!もっと聴きたかったですね。

 

カメラ台数の不足もちょっぴり不可解でした。無観客なんですから、カメラはもっとたくさん用意してさまざまなアングルから多様な美咲の姿を撮影できたはずです。会場や音楽家や予算の規模の違いもあって比較はできませんが、サザンオールスターズの配信ライヴでは40台のカメラが使われたんですよね。それが昨夜の美咲ネット・ライヴでは、正面、斜め左、右横と三つしかありませんでしたので、一時間にわたってほぼ同じような三種類の絵を見続けることとなりました。

 

照明もやや暗かったというか、もっと派手な明るめのライティングの演出を考えたらよかったんじゃないかと思いましたが、それ以上に、たった一時間ほどのライヴであれもこれも詰め込もうとした結果(その気持ちはよくわかるんですが)、総花的になってしまって要点がしぼられなかった点はイマイチだったかもしれません。その象徴がギター弾き語り。出来はよかったんですが、限られた時間枠内でさまざまな姿を見せよう聴かせようとしたから、全体的に焦点がボケたかもしれません。歌唱一本でやったほうが内容は整理されたんじゃないでしょうか。弾き語りはそれに専念したネット・ライヴをまた開催するとか、方法はあります。

 

さてさて、ここまで不満に感じた点を書いてきましたが、しかしなんといってもぼくらファンにとってはナマわさみん不足、わさみんロス状態がずっと続いていましたので、ネット越しであるとはいえ、ライヴ・コンサートを観られた聴けたというのは大きな幸せでありました。日常のつらく苦しい、しんどい気持ちのすべてを吹き飛ばす、すべてを超えていくパワーが美咲のネット・ライヴにはありました。ようやく生わさみんが帰ってきた!というヨロコビで胸がいっぱいでしたね。ぼくなんかちょっと泣いちゃったもんね。

 

きのうのネット・ライヴで歌われた美咲の持ち歌は、結局「無人駅」「初酒」「右手と左手のブルース」と三曲だけでしたが、そのうちデビュー・シングル「無人駅」でライヴをはじめたのは、最初意外に感じました。「初酒」か「鯖街道」が常道どおり来るんじゃないかと踏んでいましたからね。でもこれは最も回数多く歌い込んできている曲を、慣れない無観客ライヴのオープニングに持ってきて、歌手の緊張をほぐそうという制作側の意図だったのでしょう。歌の出来も無難だったと思います。

 

続けて最新シングル「右手と左手のブルース」のカップリングから二曲「元気を出して」「ふたりの海物語」。この二曲は、この日のコンサートで(弾き語りパートとあわせ)いちばん内容がよかったかもと思うほど上出来でしたね。特に竹内まりやが書いた「元気を出して」は印象に残りました。その晩の夢のなかにまで出てきましたからね。ぼくは前から言っていますが、美咲は(演歌というより)こういったライト・タッチの歌謡曲テイストがよく似合うんです。

 

でも「ふたりの海物語」もよかったですよ。これは4月22日に発売されただけということで、ライヴで歌うのは美咲自身はじめてだったと思いますが、ど演歌というか、このブログでも以前指摘したように演歌そのものというより演歌カリカチュアなんですね。反面、その意味では演歌とはなにか、どういうのが演歌なのか、といった特徴をギュッと凝縮したような一曲ですから、演歌というジャンルを味わいたいときにはもってこいなんですね。こなれた歌唱だったなと感じました。

 

「年下の男の子」「虹をわたって」はいままでに歌唱イベントでたくさん歌ってきているものですから、新曲シングルのカップリングであるとはいえ、ぼくも生わさみんで聴き慣れているし、だからわざわざ貴重なネット・ライヴで選ぶ必然性があったのかな?と思います。続く「初酒」は順当な選曲で(なんといっても代表曲です)、しかも今年のこのコロナ禍で苦しむぼくたちの心境をなぐさめてくれるような歌詞と曲調なので、これはよかったですね。

 

次いで歌われた二曲「千本桜」「魂のルフラン」にはちょっと驚きました。無観客のネット配信ライヴでこれをやるのかと。オタク観客いてこそ映えるレパートリーであるとも言えるわけで、このへんはやっぱりセット・リストにヴァラエティを持たせようとした制作側の意図がみえますね。「千本桜」ではライティングとカメラ・ワークもかなり凝ったものを披露して映像をつくっていましたからね。

 

ギター弾き語りの二曲「マリーゴールド」(あいみょん)「365日の紙飛行機」(AKB48)は、ギターよりも歌の出来がすばらしかったと感じました。逆にいえばギター演奏面では、おそらく緊張ゆえか、左手の押弦が若干曖昧になってしまう瞬間もありましたが、歌唱はみごとでしたね。弾き語りは演奏に気を取られて歌が淡白になってしまうということは、美咲にはあてはまりません。

 

そもそも美咲の歌唱法がどういったものなのか、ちょっと考えてみてください。素直というか歌のメロディをそのままストレートに、ナイーヴ&ナチュラルに、スッとスムースに歌う、ことさら特別な技巧を凝らさない、といったものじゃないですか。あっさりクールなフィーリングというか、だから歌オンリーのときも弾き語りのときも、差が生じないんですよね。いい曲はそのままきれいなメロディのまま率直に発声する美咲であればこそ、弾き語りでも歌一本のときとそのまま同じように歌いこなせるんです。

 

きのうのギター弾き語り、上のほうではセット・リストが総花的になってしまった最大の原因であるようなことを言いましたが、「マリーゴールド」と「365日の紙飛行機」の出来そのものはすばらしかったんです。特に歌がですね、よかったと思います。後者は昨今のコロナ情勢下で沁みる内容の歌詞を持っていることもあり、本当にグッときましたね。

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ラストに最新曲「右手と左手のブルース」を持ってきたのは、おそらく全員の予想どおりだったでしょう。なにしろこの曲の CD 発売が4月22日というコロナ禍まっただなかだったということで、ファンの前、観客の前で披露することができないまま現在まで来ていました。どんな振り付けで、どんな様子で、(生歌だと)どんな歌唱法で、歌うのか、ほとんどわからないままでしたから、やはりこのラスト・ナンバーがいちばん感銘深いものでしたね。

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歌唱そのものは、この「右手と左手のブルース」、いままでのシングル表題曲のようにキャンペーンで毎週末どんどん歌い、回数をこなし、熟練の度を上げていくということができていませんから、きのうのネット・ライヴ時点ではいまだイマイチと感じざるをえない面もありました。がしかしまずは一回聴けた、観られたというだけでぼくらはじゅうぶん満足なんですね。

 

美咲ストリーミング・ライヴ、まだ一度目です。歌手も制作側も、そしてぼくら視聴者側も慣れていなかったかもしれません。それでもいくつかの不満を払拭するだけの魅力を美咲が歌う姿と歌唱は放っていたんじゃないかと、そう思いますね。ほぼ成功だったと言えるでしょうから、二度目、三度目を期待したいですし、実際、あるでしょう。

 

(written 2020.8.15)

 

2020/08/15

ホレス・シルヴァーのスピリチュアル・ジャズ

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(4 min read)

 

Horace Silver / Silver 'N Percussion

https://open.spotify.com/album/1OFkdxR9N6lBxNyx5lJSCd?si=JFbqerVbTomAYT5mU88dFw

 

ホレス・シルヴァー1977年の『シルヴァー・ン・パーカッション』。こういうアルバム題ですし、実際ドラマー(アル・フォスター)以外に三名のパーカッショニストが参加しているということで、リズム面に重きを置いたアルバムなんだろうなとは思いますが、聴いた感じ強く印象に残るのはむしろヴォーカル・コーラスですね。全編スキャットなのか、歌詞のないクワイアで、作品の色彩感を決定しています。

 

曲題は「ヨルバの神」とか「マサイの太陽神」とか「ズールーの魂」とかアフリカ志向で、パーカッション群の起用もそれに沿ったものなんだろうと思います。四曲目以後は「インカ」「アズテック」「モヒカン」なんてことばが使われていますからアメリカン・インディアンがテーマなんでしょうね。レコードではそれが両面に分かれていたみたいですけど、続けて聴いてアルバムが二分されているといった印象はないです。テーマが連続的なのかもしれません。

 

それで、アフリカとかアメリカン・インディアンとかが作品のテーマになっているとはいえ、この『シルヴァー・ン・パーカッション』、そんな味がそこまで濃厚に出ているわけでもありません。曲題がなんだか大仰なので身構えてしまいますが、聴くとアクの薄いあっさり感に拍子抜けすらしますよね。パーカッション群とコーラス陣を起用してのアフリカン・ジャズ、アメリカン・インディアン・ジャズといった趣は(音楽的には)弱い、というかほぼなしとしてもいいくらいです。

 

むしろこのアルバムは1960〜70年代的な意味でのいわゆるスピリチュアル・ジャズといった感触で、そうとらえれば理解しやすいし親しめる好作品なんじゃないでしょうか。ヴォーカル・コーラスが大きく聴こえサウンド・テクスチャーを支配していますが、打楽器群はどうなんでしょう、これ、ミックスの際に小さめの音量に抑えたということなんでしょうか、そんなに積極的に聴こえないっていうかアピールしてこないですよね。

 

クワイアでムードをつくっておいて、リズムはファンキーでダンサブルなものを使ってあって(60年代ジャズふうでもある)、しかし音楽そのものにアフリカンだとかアメリカン・インディアンな要素は直接的にはなく、もっとこう姿勢というかアティテュード、取り組みかたとしてのアフリカ志向みたいなものがこのホレスのアルバムにはあるんじゃないかなと、ぼくはそう聴くんですね。ジョン・コルトレインやそのフォロワーたちがやっていた、ああいった音楽をここでホレスはやっているのかなと。

 

あんまり使いたくないことばなんですけど、精神性、みたいなものが強くこのホレスのアルバムでは打ち出されているなというふうに聴こえます(特にヴォーカル・コーラス部分でそれがかもしだされている)。ホーンズにしろクワイアにしろ、両者が溶け合うアンサンブルとして使われている時間が長いんですが、なんだかヴェールみたいなふわっとしたオーラみたいなものを表現しているなという印象ですね。

 

そんなわけなんで、1977年のレコード・リリース当時このアルバムがどれだけ聴かれ評価されたかわからないですけど、90年代以後現在まで続くスピリチュアル・ジャズ再評価の機運のなかに置けば、じゅうぶんイケる作品じゃないかなと思うんです。ホレスのピアノ・ソロがアルバム全編で大きくフィーチャーされているのも特色です(だれのソロよりもホレスが弾く時間が長い、というかホレスしかソロを取っていないかと思うほど)。また、ベースのロン・カーターがかなり弾きまくっていて内容もすごいぞとは思うものの、そのベース・サウンドがこの時期特有の例のピック・アップ直付ぺらぺらサウンドなんで、減点です。

 

(written 2020.6.24)

 

2020/08/14

ホレス・シルヴァーのブラス・ロック

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(4 min read)

 

Horace Silver / Silver 'N Brass

https://open.spotify.com/album/5ldUPXu3D1G2A3Tgn39mZY?si=hGnrRA5HS26uo7MTmeI_vw

 

ホレス・シルヴァー1975年の『シルヴァー・ン・ブラス』。これはたぶんブラス・ロック作品と呼んでいいでしょう。といってもアルバムの全六曲中、(ブラス・)ロックかなと思えるのは1、4、6曲目と三つだけですけど、ジャズ・ミュージシャンのつくったアルバムで半分あればじゅうぶん。しかもそれらのうち、1と4曲目はドラマーがバーナード・パーディなんですね(それ以外はアル・フォスター)。

 

アル・フォスターといえば、このホレスの作品、録音が1975年の1月なんですけども、アルはちょうどマイルズ・デイヴィス・バンドのレギュラー・メンバーでした。同月末から怒涛の来日公演もやった(なかで大阪公演は録音され『アガルタ』『パンゲア』となった)というような時期で、しかしこのホレスのアルバムではわりと穏当なジャズ・ドラミングに徹しているなという印象ですかね。もともとファンクというよりジャズ・ドラマーではありますが。

 

そのアルが叩いているブラス・ロックの話からしますと、ラスト6曲目の「ミスティシズム」。これはしかし8ビートではありますが、ロックというよりラテン・ナンバーですね。アルもがちゃがちゃとにぎやかなシンバル・ワークで雰囲気を出していますが、さすがはラテン好きのホレス、こういった曲は得意です。バンド人員のソロもよし。ホレスのピアノも光っていますが、なんといってもアルを中心とするリズムがいいですね。

 

んでもって、アルバム題どおり大編成ブラス(金管楽器)陣が演奏に参加しているわけですけど、それはホレスではなくウェイド・マーカスがアレンジを書いていて、しかも録音も別で、オーヴァー・ダビングしてあるものなんですね。だからブラス・ロックといってもちょっとあれなんですけれども。1、4、6曲目以外はストレートなビッグ・バンド・ジャズといったおもむきです。

 

アルバム1曲目の「キシン・カズンズ」。幕開けがいきなりこれなんで、保守的なジャズ・リスナーなら出だしでけっこうなパンチを喰らうようなフィーリングですね。冒頭からビッグ・サウンドが鳴りますし、それが8ビート・ロックのリズムに乗って演奏しますからね。1975年ですからいわゆるブラス・ロックなどは下火になっていた時期で、だから流行に乗ったわけじゃなかったのかもしれません。遅れただけ?ボグ・バーグのテナー・サックス・ソロはコルトレイン・ライクでかなり聴けますね。

 

ここでまたマイルズ関連の話ですが、ボブ・バーグって1984年から数年間マイルズ・バンドで吹いていました。カム・バック・バンドのビル・エヴァンズの後任で。マイルズのところでは音楽性の違いというか、どうもパッとしなかったような印象がありますが、このホレスのアルバムではかなり出来がいいと思えます。1975年ですからまだ新人だったんじゃないでしょうか。4拍子のジャズ・ナンバーでも聴かせます。

 

4曲目「ザ・ソフィスティケイティッド・ヒッピー」。この曲題はデューク・エリントンへのオマージュでしょうね。しかし曲想にエリントンふうなところはまったくなく(3曲目「ダムロンズ・ダンス」もタッド・ダムロンへの言及でしょうけど、音楽的には関係なさそう)、ホレス独自のファンキー路線ですね。こういったリズムでブラス陣が炸裂すると本当に快感です。やはりボブ・バーグのテナー・ソロがかなりよし。ボスのピアノ・ソロがいいのはもちろんです。やや哀愁をともなった曲のメロとコード展開も魅力です。

 

(written 2020.6.22)

 

2020/08/13

ホレス・シルヴァーの、これは完璧ラテン・アルバム

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(4 min read)

 

Horace Silver/ In Pursuit of The 27th Man

https://open.spotify.com/album/1jSn14NPxq3RfopCPluTyp?si=uAI7oWC7SEiVLRhpPvlFQA

 

ホレス・シルヴァーの『イン・パースート・オヴ・ザ 27th マン』(1972年録音73年発売)は、全七曲のうち四曲がラテン・ナンバーなんで、これはもうラテン・アルバムだとしていいでしょうね。1、2、3、6曲目。これら以外はなんでもないジャズ・チューンでしょうが、四曲の印象があまりにも強いんです。このアルバム、当時まだ新人の部類だったブレッカー・ブラザーズをトランペットとサックスに起用しています。

 

1曲目「リベレイティッド・ブラザー」はウェルダン・アーヴィンの名曲。これはもうどこから聴いても完璧ラテン。ホレスはしかも1972年当時最新の音楽だったサルサをとりいれたピアノを弾きアレンジを施しています。出だしのエレベに続いてピアノのブロック・コード・リフが鳴りはじめただけで快感じゃないですか。ホレスはそのパターンをずっと弾き続けています。ランディのソロもよし、マイクルのほうはまだもうひとつといったところでしょうか。三番手ボスのピアノ・ソロがやっぱりいちばん聴きごたえありますね。

 

モアシル・サントスのペンによるブラジリアン・ワルツの2曲目「キャシー」もグッド。ミッキー・ローカーのドラミングも文句なしですが、ここで参加しているデイヴィッド・フリードマンのヴァイブラフォンがクールで、なんともみごとなラテン香味をかもしだしてくれていて、くぅ〜たまらん。ヴァイブはこのアルバム、ほかにも三曲で入ります。ホレスはこの曲、ちょっぴりボサ・ノーヴァふうなブロック・コードをずっと叩き続けていますね。そのままピアノ・ソロへ。ホーン陣はおやすみです。

 

3曲目「グレゴリー・イズ・ヒア」に来てようやくボスのオリジナル・コンポジションとなりますが、ここまでの他作二曲のラテン・ナンバーと比較してなんらの遜色もないんですね。もともとホレスはラテンなジャズ・ソングを書くのが得意でしたし、それでもこのアルバムほどのものはそれまでなかったとはいえ、もともと領域内のものです。三曲目ではマイクルのテナー・ソロがかなりいいですね。ホレスがずっとラテン・リズムを弾き続けています。ミッキー・ローカーも大活躍。

 

ストレートなジャズ・チューンは飛ばして、アルバムのクライマックスである6曲目「イン・パースート・オヴ・ザ 27th マン」。陰影に富むラテン名曲のこれでもヴァイブが参加、リズム・セクションと(特にミッキーのシンバル・ワークがすごい)ともに完璧なアフロ・キューバン・サウンドを形成しています。まずヴァイブ・ソロが出て、それも雰囲気満点ですけど、サビ部分は4ビートに移行しますね。二番手でボスのピアノ・ソロ。

 

このアルバムではホーン陣二名とヴァイブラフォン奏者は曲によって入れ替わり参加して重なっていませんので、この6曲目でもブレッカー・ブラザーズはおやすみ。ヴァイブ、ピアノ、エレベ、ドラムスのカルテット編成です。二名のソロが順番に終わった演奏後半は、ピアノとヴァイブがかけあいながらの四人合同集団即興みたいになって、超絶ラテンでありかつアヴァンギャルドなコレクティヴ・インプロヴィゼイションを展開。カッコよすぎてしょんべんチビりそう。

 

このアルバム、21世紀の近年流行のいわゆるラテン・ジャズのなかにもここまでの作品はなかなかないぞと思えるだけの内容で、1970年代もラテンが一大ムーヴメントだったとはいえ、もともと50年代からラテンの得意だったホレスが本腰据えたらどうなるか?みたいな傑作にしあがっていて、なんど聴いても感動しますね。

 

(written 2020.6.21)

 

2020/08/12

ホレス・シルヴァーの、これはソウル・ミュージックかな

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(3 min read)

 

Horace Silver / Total Response (The United States of Mind - Phaae 2)

https://open.spotify.com/album/6qkOJlPfAdb01Oe1w09zGg?si=dPmK0CsmTt22K-Zet1p0lg

 

ホレス・シルヴァー1972年(録音は70、71年)の『トータル・リスポンス(ザ・ユナイティッド・ステイツ・オヴ・マインド、フェイズ 2』、これはいったいどうしたんでしょう?それまでのホレスの音楽とはなにもかも違います。ガラリと変貌していて、1970年代前半当時のソウル/ファンク・ミュージック、に寄っていっているジャズ、じゃなくて、ソウル、ファンクそのものと言ってもさしつかえない内容になっています。

 

管楽器隊も参加しているもののアンサンブルだけで、アルバムをとおして(ジャジーな意味でもどんな意味でも)ホーン・ソロはまったくなし。ベーシストはエレベをファンキーに弾き、エレキ・ギターリストがぐちゅぐちゅとエフェクターをかませて(特にワウかな)ひずんだ音を出しまくっています。さらにホレスも全編エレピのみを弾き、それにもエフェクターをかませてあるんですね。さらにどの曲でもソウル・ヴォーカルをフィーチャーしています。

 

音楽がどれだけ変貌したかは、1曲目「アシッド、ポット・オア・ピルズ」の出だしをちょろっと聴いてみるだけでわかるんじゃないでしょうか。これはいったいどうしたことか?とビックリするようなサウンドですよね。スネアとエレベがぶんと鳴ったかと思うとすぐに思い切りワウをかませたエレキ・ギターのカッティングが鳴りだし、ホーンが背景に入りますが、すぐにヴォーカルが出ます。

 

しかもビートはファンキーな16ビートですもんねえ。これ、この1曲目を聴いて、これがジャズだと言えるひとはどこにもいないはず。でもやっているのはホレス・シルヴァーのバンドなんですから。ソロはリッチー・レスニコフ(ってだれ?)のぐちゅぐちゅいうエレキ・ギターのみ。それも短くて、だいたいの時間、歌が聴こえるというポップさ加減。

 

そもそもこのアルバム『トータル・リスポンス』ではソロの時間が、従来的なジャズ・マナーと比較すれば極端に少ないんです。ほとんど歌とギター、ちょっとのエレピだけっていう、そんなところもホレスが時代の音楽潮流の変化を感じとって自分の音楽にとりいれたところなんでしょうね。ジャズというよりポップ寄りのロックとかソウル、ファンクとかに大胆に接近している、というよりそれそのものをやっていると言えます。

 

ラテンなリズムを使ってある4曲目「アイヴ・ハッド・ア・リトル・トーク」のカッコよさとか(ミッキー・ローカー最高)、ポップなソウル・テイストの5曲目「ソウル・サーチン」なんか1980年代のブラック・コンテンポラリーを先取りしたようなサウンドで(エレピの音色に注目)、ファンク・ミュージックそのものと言いたい6曲目「ビッグ・ビジネス」のタイトさとか、もうこのアルバムはなにもかもがカッコよく、どこもぜんぜんジャズではなく、ここまでの音楽をジャズ・ミュージシャンとされている人物がつくりあげたとは大きな驚きです。

 

(written 2020.6.19)

 

2020/08/11

ホレス・シルヴァーのジャズ・ロック(1)〜『ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ』

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(4 min read)

 

Horace Silver / You Gotta Take A Little Love

https://open.spotify.com/album/2kJDQ8OaEInm5FJRkczmNe?si=L-iPe0Q7SGKMYzCUszTnzw

 

なにしろぼくのホレス・シルヴァー歴は、二年前にはじめて聴いてぶっ飛んで書いた『ザ・ケープ・ヴァーディアン・ブルーズ』までも長年届いていなかったくらいで、それは1965年の作品。たぶんその前作の『ソング・フォー・マイ・ファーザー』くらいまでしか聴いていなかったんじゃないですかね、ずっと。あぁ、なんてこった!どう考えても1960年代末ごろからのホレスにはカッコいいファンキーなアルバムがあるに違いないと踏んで、CD は持ってないので Spotify で洗いざらい聴きました。

 

そうしたら、もう次々と、あるなんてもんじゃないくらいある!ぜんぶファンキーでカッコいいアルバムばっかりなんですよねえ。ちょっと数回にわたってとりあげてみたいと思います。きょうは1969年の『ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ』。このへんからじゃないですかね、ホレスがファンキーなジャズ・ロック、ジャズ・ファンク領域に踏み込むようになったのは。これのあとにはどんどんあるみたいです。

 

アルバム『ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ』、1曲目のタイトル曲からしてすでにカッコいいファンキーなジャズ・ロックです。ちょうど1963年の「ザ・サイドワインダー」(リー・モーガン)の直系遺伝子みたいな曲ですね。タイトでファンキーなビートを叩き出しているのがビリー・コバム(コブハム)。ホレスもお得意のブロック・コード連打でキメています。ランディ・ブレッカー、ベニー・モウピンと続くソロもよし。

 

いやあ、もうこんなのまできたら、69年ですからちょっと遅かったなと思わないでもないですが、それでもじゅうぶんみごとなファンキーさですよねえ。いや、ロックっぽいかな。このアルバム『ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ』でキモになっているのはやっぱりビリー・コバムのドラミングだと思うんですね。細かい8ビートを刻むシンバル・ワーク、跳ねるアフター・ビートを効かせるスネアなど、感覚的にも当時の新世代ジャズ・ロック・ドラマーといった感じがします。

 

ふつうのジャズ・ナンバーのことは飛ばしますが、2曲目「ザ・ライジング・サン」も1曲目同様のジャズ・ロック。3曲目の「イッツ・タイム」はラテン8ビートを使ってあって、こういうのはこの1960年代当時よく聴けたパターンですね。ビリー・コバムはスネアでそれを表現しています。二管のたゆたうようなアンサンブルもラテンな雰囲気満点。でもそのまますっと4ビートに移行しちゃいますけどね。ベニー・モウピンのテナー・ソロはそれでも新感覚派と言えるでしょう。

 

モウピンがフルートを吹く美しいバラードの4「ラヴリーズ・ドーター」なんかも、従来的なハード・バップ路線では聴けなかった曲想です。1970年代に入ろうとしているこの時代の感覚をホレスがしっかりつかんでいたというあかしになる一曲ですね。全体的にジャジーな5「ダウン・アンド・アウト」でも、モウピンのソロが出るところでパッとロック・ビートが効きはじめます。ここではソロはモウピンだけ。

 

そして6「ザ・ベリー・ダンサー」。これこそこのアルバム最大のクライマックスでしょう。曲題どおり中近東ふうを意識したんでしょうエキゾティックな一曲で、しかしメロディもリズムもアフロ・キューバンっていう、ちょっとおもしろいものなんですね。各人のソロ・フレイジングもラテンで楽しいですが(モウピンはフルート)、そのあいだリズムが止まったり進んだりとヴァラエティを持たせているのもホレスのアレンジの妙味でしょうね。ビリー・コバムの表現する快活な8ビートはこの曲がアルバム中いちばんでしょう。

 

アルバム・ラストの7「ブレイン・ウェイヴ」はジョン・コルトレイン・ジャズによく似た一曲。

 

(written 2020.6.18)

 

2020/08/10

サミー・エリッキの才能

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(4 min read)

 

Samy Erick / Rebento

https://open.spotify.com/album/7FtbQpQ8WLLHiXlAphpn4i?si=4o8l4YmhTvWGBMzSftJs8g

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-05-07

 

サミー・エリッキ(Samy Erick)はブラジルのギターリスト&コンポーザー/アレンジャーということで、2017年作『Rebento』がデビュー・アルバムみたいです。ジャズかショーロかっていうようなインストルメンタルなブラジリアン・ミュージックをやっているんですけども、編成はリズム・セクション(ギター、鍵盤、ベース、ドラムス、パーカッション)+四管(サックス、サックス兼クラリネット、フルート、トランペット)の計九人。

 

聴いた感じ、サミーはエレキとアクースティックの両方を弾くギターの腕前もさることながら、譜面を書く才能のほうがまさっているなという印象で、実際このアルバム最大の聴きどころもそこにあるんじゃないでしょうか。アルバム冒頭1曲目「Devaneio」でもいきなりアクギの音でアンサンブルがはじまりますが、その後サックスが出て、そのソロが進むにつれリズム・セクションも盛り上がってくるといった感じです。トランペット(の音がやわらかいのでフリューゲル・ホーンみたい)が出て管楽器アンサンブルが鳴る演奏後半が聴きものなんですね。

 

個人的に耳を惹いたのは2曲目の、ショーロというよりサンバ・ジャズな「Choro de Maria」、冒頭ビリンバウなどパーカッションの音色が印象的な、でもその後はミナス的なアンサンブル・ハーモニーを聴かせる3「Sol e Lua」、フルートのサウンドとその背後のエレピ・ヴォイシングが心地いい4「Roditi」、アフロ系のリズムがおもしろいしソロも聴こごたえある9「Lampião e Maria Bonita」あたりです。

 

それらではサミーのギターも聴けるけどホーン陣のソロがよくて、さらにソロ背後なんかでも聴こえる伴奏アンサンブルが本当に秀逸なんですね。かなりアレンジされているなとわかるんですけど、これがデビュー作だというサミーって何者なんでしょうね、正式な音楽教育を受けたような譜面を書くなあと思うんです。ミナス新世代らしい洗練されたハーモニーだと感じますよ。特にフルートの使いかたがいいなあ。

 

それでも、アルバムでぼくがことさら聴き入ったのは7曲目「Outro Lugar」とラスト10曲目「Lagoa Negra」ですね。これら二曲ではナイロール・プロヴェタをフィーチャーしていて、前者ではアルト・サックス、後者ではクラリネットと、それぞれサミーの前者はエレキ、後者はアクーティックなギターとの、ほぼデュオで演奏が進みます。

 

7曲目のほうではそれでもリズム・セクションや、背後に伴奏のホーン・アンサンブルが入って、ギター&サックスの情緒をもりたてているんですけど、後者は文字どおりの完全デュオ演奏。サミーの弾くナイロン弦ギターのうまあじに乗せてナイロールのしっとりしたクラリネットが切なげに感情をつづっていくさまは、まるでピシンギーニャが書きそうな(「ラメント」「カリニョーゾ」とか)ショーロ・バラードみたいで、聴き惚れますね。

 

(written 2020.6.17)

 

2020/08/09

夏の成分 〜 ジャズ・セレブレイション・オヴ・スティーヴィ

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(3 min read)

 

v.a. / Tales of Wonder - A Jazz Celebration of Stevie

https://open.spotify.com/album/3ooyAWAJArRdEYb1UGO2lS?si=XTiKOxUnTLGE5urzS2XA7Q

 

ポジ・トーンっていうアメリカ西海岸のジャズ・レーベルがありまして、そこが、スティーヴィ・ワンダー生誕70周年にあたる今年、それを記念して同レーベルのジャズ・ミュージシャンたちによるスティーヴィ・カヴァー集をリリースしました。アルバムのための新録じゃなくて、基本、既発音源からの寄せ集めコンピレイション(レーベル・サンプラー?)なんですけど、その『テイルズ・オヴ・ワンダー:ア・ジャズ・セレブレイション・オヴ・スティーヴィ』(2020)、中身はけっこういいです。

 

なにがいいって、梅雨明けして猛烈な暑さが到来したいまの真夏時期にピッタリくるような清涼感があるところですね。ジャズ・ミュージシャンたちがジャズふうに解釈したスティーヴィ集ということで、多くがややフュージョン(融合)に寄ったような演奏になっていますけど、なかにはストレート・アヘッドなジャズに展開したものもあり、さらにどの演奏もスティーヴィの原曲の持つメロディの美しさをそのまま活かしたようなフィーリングなのに好感が持てますね。

 

とりあげられている曲は、だいたい多くが1970年代のスティーヴィ・ナンバーということになっていますけど、そりゃあいちばんスティーヴィが充実していたのがその時期だったんだから当然ですよね。アルバム収録曲のなかで特に印象に残ったものをあげていくと、まず2曲目「マイ・シェリ・アモール」。ジョン・デイヴィス率いるピアノ・トリオもので、ストレートにジャジーな展開が気持ちいいですね。

 

テオ・ヒルのやわらかいフェンダー・ローズが印象的な3「スーパーウーマン」を経ての4曲目「ユー・アンド・アイ」。これ、かなり好きです。軽めのボッサ・フュージョンみたいな仕上がりで、演奏はアイドル・ハンズ。ウィル・バーナード(g)、ベーン・ギリース(vib)、アート・ヒラハラ(p)らによるコンボですね。これぞ西海岸フュージョンといった出来で、ぼくはこういうの、かなり好きなんですよね。

 

ファンキー&ブルージーなオルガン・ジャズになった5「ユー・ハヴント・ダン・ナシン」もゴキゲンでカッコいいですね。デイヴ・ストライカー(g)をふくむジャレッド・ゴールドのオルガン・トリオの演奏です。デイヴのギター・カッティングもぐちゅぐちゅ言ってソウルフルで快感ですよ。同じようにソウルフルなオルガン・ジャズになったのが7「オール・イン・ラヴ・イズ・フェア」。トランペットはファーネル・ニュートンで、オルガンがブライアン・シャレット。ゴスペル風味だってありますね。

 

そしてなんといってもラスト8曲目の「ヴィジョンズ」。これがこのアルバムで最大の好物なんですけど、ベーン・ギリースのヴァイブラフォンをフィーチャーしたアクースティック・ジャズなんですね。バンドはアウト・トゥ・ディナーというクインテット名義になっていますが、ここでの伴奏はボリス・コズロフのコントラバスのみ。こ〜れが、もう美しいのなんのって!もちろんスティーヴィが書いたメロディがあまりにもすぐれているからということなんで、やはりとんでもないソングライターだったなと、こういうふうにジャズに再解釈された演奏を聴いても再確認できますね。

 

(written 2020.7.31)

 

2020/08/08

エディ・コンドンが二位だなんて

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※ Astralさん、これをご覧になっていたら、ほかに接点がありませんので、コメントでも、右サイド・バーのリンクにあるメールでも、どっちでもいいので、連絡を下さい。伝えたいことがあるんですけど、Asral Clave に長期間コメントできなくなっています。

 

(5 min read)

 

https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-bc0cd0.html

 

奇跡が起きました。8月6日付の「このブログの人気記事ランキング」で、エディ・コンドンの記事がなんと二位に入りました!こんなことってあるのでしょうか。上掲リンクがその記事ですけど、エディ・コンドンですよエディ・コンドン。ディキシーランド・ジャズですよ。それが人気ランキング二位だなんて。

 

ぼくが1979年にジャズに夢中になりはじめたとき、すでにニュー・オーリンズ・ジャズ、ディキシーランド・ジャズ・スウィング・ジャズといった古典的なスタイルを好んで聴くというファンは皆無となりつつありました。周囲に(ごくごく少数の例外を除いて)まったくいなかったんじゃないですかね。その傾向がどんどん進み、現在に至るというわけです。

 

ぼくだってジャズを聴きはじめたいちばん最初はモダン・ジャズ(とフュージョン系)ばかりでしたからねえ。リアルタイム的に思い入れがあったのはもちろんフュージョンですけれど、レコードを聴く回数はハード・バップ、特にファンキー・ジャズなんかのほうが多かったと思います。ジャズ喫茶でメインでしたし、雑誌などジャズ・ジャーナリズムでもそれ中心でしたからね。

 

ぼくが第二次大戦前の古典ジャズにはまるようになったのは、ひとえに松山にたった一軒だけあったアーリー・ジャズばかりかけるジャズ喫茶「ケリー」(その後一回閉店して、「マーヴィー」として別の場所で再開も、また閉じる)のおかげです。マスターだった荒井さんの趣味だけで成り立っていたお店でしたけど、そこはアーリー・ジャズのレコードしかかけなかったんですよね。

 

どうしてケリーに足を踏み入れたのかは、たぶんなにかの間違いだったんでしょう。1980年初頭ごろ、ぼくはジャズ(と映画と推理小説)好きの大学生で、自転車で市内をブラブラしていて、「ジャズ」の看板が出ていたから気になって、それだけでたぶんケリーに入ってみたんでしょうね。そうしたらそこは異空間でした。

 

ケリーの荒井さんはモダン・ジャズのレコードもたくさん持っているし、渡辺貞夫さんなんかのフュージョンなんかも聴いていると知ったのはずいぶんあとになって個人的に親しくなってからで、最初は、うん、店内でも頑固オヤジといったイメージじゃなくほがらかでにこやかでしたけど(ぼくよりひとまわり年上なだけだった)、ケリーで聴けるジャズは戦前の古典ものばかりでした。それがどうしてだかぼくの琴線に触れたんですよね。

 

だから、ぼくのなかにもなにか古典ジャズ向きの資質があったということかもしれませんし、あるいはまんまと荒井さんの策略にしてやられただけだったのかもですけど、とにかく古典ジャズばかりかけるケリーに入りびたるようになり、それでもほかの(モダン・ジャズをかける)ジャズ喫茶にだってそこそこ行っていたんですけど。とにかく古典ジャズのトリコとなって、マスターの荒井さんとも親しくお話するようになりました。

 

荒井さんのご自宅にも頻繁に遊びに行くようになって、いっしょに街を歩いてレコード屋あさりをしたりなど、それはお店を完全にやめてしまってからのことですけど、ご自宅にあるレコードを聴きながらしゃべり、ぼくは知らないこと、わからないことを質問してはどのレコードを買ったらいいのか相談したりするようになりました。東京の大学院に進学するとなったときは、餞別として好きなレコードを棚から抜いて持っていっていいよと言われました。

 

あとはですね、1980年ごろというと、古典ジャズもたくさん紹介されている粟村政昭さんの『ジャズ・レコード・ブック』なんかが本屋で新刊で買えましたし、古いジャズもどんどん解説している油井正一さんの複数の著書だって並んでいました。それからあの『スイングジャーナル』だって、別冊ムック本みたいな特集号で古典ジャズをふくめた名盤選をやったりすることだってあったんですよ。たぶんその最後の時代くらいでしたよね。デューク・エリントン楽団の『アット・ファーゴ 1940』はそんな特集号で知りました。

 

こないだも記事を書いたエディ・コンドンの『ジャム・セッション・コースト・トゥ・コースト』もそんな時代に、大学生時分に、松山のレコード・ショップで見つけて買って愛聴するようになった一枚だったんですね。それ以来大好きなアルバムで、40年ほどが経過したいまでも大好きなままずっときているっていう、そういうことなんですね。

 

でも周囲を見わたし世間の空気を感じてみれば、ディキシーランド・ジャズなんかを愛好する人間は、日本では絶無に近いというような状態で(ディズニーランドで聴けるだけ?)、ディキシーだけじゃなくニュー・オーリンズもスウィングも好きなぼくとしては、いくら好きでも仲間がぜんぜんいないなあと思って、いささかさびしい思いに暮れたりすることもある41年間なんですね。

 

だからごくたまにこうやって、いっときとはいえブログのアクセス人気記事のランキング上位にそれが入ったりすれば、本当に飛び上がるほどうれしいんです。

 

(written 2020.8.6)

 

2020/08/07

ロリンズ&MJQ、かなりいいんだなあ

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(4 min read)

 

Sonny Rollins / With The Modern Jazz Quartet

https://open.spotify.com/album/1Vnn90iSXyOn5jCh0l9Usl?si=U0FKPKRATYGT1xF_9vZvoQ

 

『ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・カルテット』(1956)というアルバム題でありながら、ソニーと MJQ が共演しているのはアルバム全13曲中冒頭の四曲だけで、1953年録音。残り九曲は51年録音で、最後の一曲(はピアノがマイルズ・デイヴィス)を除き、ケニー・ドゥルー(p)、パーシー・ヒース(b)、アート・ブレイキー(dms)の伴奏なんですね。MJQ をタイトルに出したのはプレスティジのボブ・ワインストックの趣味でしょう、お気に入りだったみたいですからね。

 

ともあれこのアルバムがソニー・ロリンズのファースト・リーダー録音です。1951、53年というとハード・バップはまだ勃興前といったあたりでしょう。このアルバム、ぼくは長年なぜだか乗り気がせず、レコードを買ってはあったもののほとんど聴かず、CD でも同様で、ついこないだ Spotify でぶらっとかけてみたというのが真相なんですね。ずーっと知っていながら58歳のジャズ歴41年目にしてはじめてちゃんとこのアルバムを聴いたんです。なんてこった!

 

そうしたら内容がかなりいいのでびっくり。理由もなしになんとなく聴かなかったというか、録音が1950年代初頭ということで、ひょっとして50年代半ばにロリンズは完成したというあたまがあったせいなのか、遠ざけていて、バカでした。かなりすぐれたアルバムです。1951年録音の初リーダー録音でここまで流暢に吹けているロリンズには驚きますね。いまごろおまえはなにを言っているんだ?!と思われるでしょうけどね。

 

特に感心したというか感動したのはスタンダード・バラードの演奏ですね。1953年に MJQ とやったのも51年のケニー・ドゥルーらとのセッションも差がないと思いますからひっくるめて語りますが、まず4曲目「イン・ア・センティメンタル・ムード」(デューク・エリントン)、そして6「ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」(リチャード・ロジャーズ)、8「タイム・オン・マイ・ハンズ」(ヴィンセント・ユーマンス)。

 

フランク・シナトラがトミー・ドーシー楽団時代に歌った9「ディス・ラヴ・オヴ・マイン」もきれいなラヴ・バラードですけど、これらの曲でのロリンズはまったくよどみなくすらすらとチャーミングなフレーズが湧き出てきて止まらないといったおもむき。しかもそのアド・リブ・フレーズが実によく歌っています。アド・リブでここまで歌えるジャズ器楽奏者はほとんどいないんじゃないでしょうか。50年代半ばにロリンズは完成したなんてとんでもない、デビュー作にしてすでに一級品じゃないですか。

 

それらの演奏の印象がさらにアップする要因は、アルバムの収録曲がいずれも SP サイズの約三分前後におさまっていることです。テーマ吹奏から適度な長さのインプロヴィゼイションまで、整っていて破綻なく、冗長になったり聴き飽きしたりすることのないこのサイズは、ポピュラー・ミュージックを聴かせるのに最適な時間尺かもしれません。ロリンズのチャーミングな演奏がチャーミングなまま終わってくれます。

 

2曲目「オールモスト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ」、7「ニュークス・フェイドアウェイ」、11「オン・ア・スロー・ボート・トゥ・チャイナ」みたいなミドル・テンポのスウィング・チューンも心地いいことこの上なく、このアルバムはだれが共演者であろうと関係なく朗々と吹ける実力の持ち主(である点ではルイ・アームストロングやチャーリー・パーカーやクリフォード・ブラウンと同資質)であるロリンズひとりにスポットライトが当たっている独壇場で、文句なしの一作です。

 

(written 2020.6.16)

 

2020/08/06

涼風のようなグスタヴォ・ボンボナートの洗練にノックアウトされちゃった

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(3 min read)

 

Gustavo Bombonato / Um Respiro

https://open.spotify.com/album/1dmR5Vcl22V9fWPlYGVo0u?si=Oy-yyMpPQn-a_Kv1SyOP3A

 

bunboni さんに教えてもらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-05-05

 

ブラジルのピアニスト&コンポーザー、グスタヴォ・ボンボナートの2018年作『Um Respiro』がさわやかな涼風のようで、本当に気持ちいいです。1曲目「Finda à Dor」にマジックが働いているとしか思えないんですけど、グスタヴォのピアノ音四つでのイントロだけで「あぁ、これは好きだ、とてもいい」と感心してしびれちゃいました。タチアーナ・パーラが奇妙に上下するメロディ・ラインを歌いはじめたらもう降参ですね。こんなにも心地のいいジャジー MPB ソング、いままでありましたっけ。

 

そんな1曲目「Finda à Dor」だけでアルバムの印象がいいほうに決まってしまうなと思うほどすばらしいと思うんですけど、3曲目「Sapateiro Benevolente」のスキャットなんかも粋で気持ちいし、ボサ・ノーヴァ・リズムがいいし、グスタヴォのエレピ・ヴォイシングといい、佳演ですね。5「Salutar」も清涼感たっぷり。6曲目「Samba Contenção」のリズムも最高です。

 

伴奏は基本アクースティックなピアノ・トリオかな、曲によってグスタヴォはエレピを弾いたり、またちょっぴり木管が入ったり、ハーモニカが参加している曲もあったりします。ヴォーカル・アルバムなんですが、歌手はタチアーナ・パーラ(1)、マヌ・カヴァラーロ(2、5)、フィロー・マシャード(3、7)、アドリアーナ・カヴァルカンチ(4、6)の四人が一曲ごとに入れ替わっています。

 

それらヴォーカリストはいずれもジャズ資質の歌手たちで、グスタヴォの書く洗練された抽象的に上下するジャジー ・ポップをみごとに歌いこなしています。そのメロディ・ラインそのものがさわやかでとてもチャーミングだなと思うんです。だからコンポーザーとしてのグスタヴォの才能を感じますが、歌手たちもストレートにすっとつづっているのが好印象。

 

バンドのサウンドもまるで湿度の低い過ごしやすい春風に吹かれているかのようなジャジーさで、ヴォーカリストの歌うメロディ・ラインの聴きやすさと歌の印象のよさもあいまって、こんなにも気持ちい音楽ってなかなかないよねえと、なんど聴いてもトリコになっちゃいます。しかもあと口がとてもさっぱりしていていいんですね。洗練の極みのような音楽です。涼感、冷感があって、いまの真夏に聴くのにもピッタリ。

 

なお、ハーモニカのガブリエル・グロッシは6、7と二曲で参加しているように思います。

 

(written 2020.6.15)

 

2020/08/05

なんてことない作品だけど 〜 グラント・グリーン『ナイジェリア』

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(4 min read)

 

Grant Green / Nigeria

https://open.spotify.com/album/0Y6W91kVInjDUUluGVDHej?si=Z4LiB5GKT2OGuX5dM7-7Nw

 

1980年になって発売されたグラント・グリーンのアルバム『ナイジェリア』。録音されたのは1962年の1月13日のワン・セッションでのことでした。以下のジャケットもあります↓。この手のジャケット、わりとありますよね、マイケル・カスクーナによる発掘ものシリーズということでしょうか。じゃあ上の緑色のカヴァー・デザインはいったいなんでしょう?リイシュー時のもの?わかりませんが、こりゃもうどう見ても上の緑色カヴァーのほうが魅力的ですよね。

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だからぼくも上の緑色ジャケットで親しんでいるというか、それで見てはじめて聴いてみようという気になったくらいですね。アルバム『ナイジェリア』は全五曲中、1曲目の「エアジン」(ナイジェリアの逆綴り)だけがソニー・ロリンズの手になるジャズ・オリジナルで、ほかはすべてティン・パン・アリーのポップ・ソングがスタンダード化したものです(2「イット・エイント・ネセサラリー・ソー」はオペラ・チューンだけど)。「エアジン」もジャズ・スタンダードになっていますから、要はすべておなじみの曲ばかりということですね。

 

編成はグラント・グリーンのギターにくわえ、ソニー・クラーク(p)、サム・ジョーンズ(b)、アート・ブレイキー(d)のカルテット。これでなんてことのないモダン・ジャズを展開していると思うんですけど、アルバムの短さとあいまってなんだかこじんまりと整った小品といったおもむきがぼくは好きなんですね。主役のギターリストもふくめ四人は特に主張せず、淡々とプレイをこなしているのが好印象です。

 

個人的には若いころからずいぶん長いあいだ、こういった地味で特徴のないアルバムはきらいでした。どこにもひっかかるところがないっていうか、ここが聴かせどころだっていうもりあがり、クライマックスもなく、ただ全編なにげなくやっているだけのモダン・ジャズなんて、どう聴いたらいいんだろう?という気分で、たしかに新奇でめずらしいもの、時代をかたちづくった名盤なんかを中心にずっと聴いてきた音楽ライフだったかもしれません。

 

ところが最近この『ナイジェリア』みたいななんでもないアルバムも楽しめるようになってきて、たぶんそれも一種の加齢現象ですよねえ。雰囲気中心に、部屋のなかでこういった音楽を流しながらなんとなくいい気分にひたって、といっても40分もないんですぐ終わっちゃいますけど、ひとときのリラックス・タイムを過ごすというのが好きになってきましたね。モダン・ジャズでなくてもくつろげる音楽であればなんでもいいんです。

 

それでもアルバム『ナイジェリア』では、ブルーズに解釈して10分以上もやっているガーシュウィンの「イット・エイント・ネセサラリー・ソー」なんかはなかなか聴きごたえのある演奏じゃないでしょうか。全体的にクールに淡々とやっているなという印象のあるこのアルバムのなかではちょっと熱く燃え上がり、グラントはお得意の定型フレーズ延々反復も繰りだしています。続く3曲目コール・ポーターの「アイ・コンセントレイト・オン・ユー」やラストのジェローム・カーン「ソング・イズ・ユー」は原曲のメロディがいいので、リラックスしてストレートに演奏するだけでじゅうぶん聴けますね。

 

1962年のワン・セッションで録音されたこれらを当時アルフレッド・ライオンがお蔵入りにしたのは、たぶん(オルガンもまじえたりなどして)ファンキー&ソウルフルにやっているいつものグラント・グリーン節ではなく、ちょっとイメージの異なる穏当なハード・バップだったからじゃないでしょうか。

 

(written 2020.6.11)

 

2020/08/04

ストーンズ『ゲット・ヤー・ヤヤズ・アウト』で聴けるダサカッコよさ

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(4 min read)

 

The Rolling Stones - Get Yer Ya-Ya's Out

https://open.spotify.com/album/4suYsHGYvk6fnJPHiODljd?si=EHMmofRaQl61UIuNFJnQ6g

 

1969年の全米ツアーから収録し70年に発売されたローリング・ストーンズのライヴ・アルバム『ゲット・ヤー・ヤヤズ・アウト』。ストーンズのライヴ盤はだいたいどれも好きですが、この『ゲット・ヤー』はこのバンドの実質的初ライヴ作品となったものですね。以前から読みかじる情報ではブートレグ対策としてリリースされたという側面もあったそう。

 

1972/73年以後のストーンズ・ライヴと比較すればまだまだ物足りない面もある1969年の『ゲット・ヤー』ですが、それでもぼくがけっこう好きなのは、後年のライヴにはない(カッコいい意味での)野暮ったさがあるからなんです。野暮ったさ、ダサさというと誤解されそうですけど、1曲目「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のこのノリを聴いてみてください。ズンズン進みながらも、ちょっともさっとした感じがあるでしょう。

 

2曲目「キャロル」(チャック・ベリー)なんかには典型的にそういったもっさり感が出ていますよね。シャープに切れ込む感じではなく、ズンズン、ゴロゴロと丸っこく乗っていく感じとでも言ったらいいのか、なんともいえない田舎くささ、垢抜けない野暮ったさをぼくはこのノリに感じるんですね。特にギター・カッティングにそれが顕著です。

 

ところで、「キャロル」でもリズム・ギターを刻んでいるのはやはりキース・リチャーズですが、ソロはミック・テイラーとどっちが弾いているんでしょうね。右チャンネルでカッティングしていてそのままソロに移行しますし、ソロ内容からしても、やっぱりソロもキースですかね。このバンドでソロがあるときはミック・テイラーが弾くというのが約束なんですけども、こういう曲もあるわけです。アルバムではこのほか「リトル・クイニー」「ホンキー・トンク・ウィミン」のソロもキースですね。これら以外のソロはミック・テイラーということで。

 

話戻ってこのアルバムで聴ける主にリズム・ギターのカッティングが表現している野暮ったいノリですけれども、もちろんビートの効いた曲で、ということなんで、だから「ストレイ・キャット・ブルーズ」「ラヴ・イン・ヴェイン」なんかにはありません。しかしアルバム後半でも「シンパシー・フォー・ザ・デヴル」「リヴ・ウィズ・ミー」「リトル・クイニー」などにも明確なもっさりノリがありますよね。

 

ダサいとか野暮ったいとかいっても、このリズム感が悪いとかノレないとかカッコ悪いという意味ではないので誤解なさらないでほしいんですけど、音を聴いていただければだいたいのみなさんにぼくの言いたいことは伝わるんじゃないでしょうか。明快でわかりやすく親しみやすいノリというか、1969年ということで、ストーンズ最大の影響源であったチャック・ベリー的なブギ・ウギ・フィーリングをかなり残していたということかもしれません。奇しくもチャックの曲を複数とりあげていますからね。

 

ぼくの聴くところ、このライヴ・アルバムではそういったダサ(カッコい)いノリがある意味スケール感をうまく表現できることにもつながっているなという気もします。2曲目の「キャロル」では特に強くこのことを感じるんですね。大物感、ズンズンと乗っていくフィーリングでロックンロールの歴史につながっているんだぞ、それを1969年のアメリカン・ライヴでイギリス人が表現しているぞというような、なんともいえない壮大なリズム感だなと思うわけです。

 

食べものなんかでもおいしい香りや味に混じるちょっとした臭みというか、そういったことが妙味を増して美味しさが格段に向上するということがあると思いますが、ストーンズの『ゲット・ヤー』で聴けるこの野暮ったいノリはそんな感じでロック・ミュージックのうまみをぐっとアップさせるなかなかグッドなものなんですね。チャーリーのドラミングもミック・ジャガーのヴォーカルもキースのダサカッコいい刻みに合わせてもっさりやっているし、ぼく的にはこの臭みそのものが美味しさ、カッコよさだなと感じています。

 

(written 2020.6.10)

 

2020/08/03

クンバ・ガウロの2018年作

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(3 min read)

 

Coumba Gawlo / Terrou Waar

https://open.spotify.com/album/4zAjxWZ1w59L7Bc6Ue0M55?si=KROPiI6oQp2M0SexWjDNRQ

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-02-04

 

セネガルの歌手クンバ・ガウロ(Coumba Gawlo)。初耳だったぼくはちょっとのあいだグンバ・ガウロだと思っていて、だって買って自宅に届いたこのアルバム『Terrou Waar』(2018)のカヴァー・ジャケットに大きな文字で書いてある名前、G の字が姓でも名でも頭に来ている感じのデザインじゃないですか、それですっかり勘違いしていたんですね。でも Goumba Gawlo ではネットでぜんぜんひっかからないからつまんないの〜と思っていました(アホ)。

 

ともあれクンバ・ガウロの『Terrou Warr』。いままでのクンバの集大成的な作品かもしれないとのことで、といってもぼくはこれではじめてクンバを聴いたわけですからなんとも言えませんが、セネガルのいろんな音楽の総見取り図みたいな作品かもしれないんだなということはなんとなくわかります。セネガルのというより汎アフリカ的っていうか、そんな音楽ですよね。

 

セネガル各地のさまざまな伝統音楽をクンバならではの作法で紹介したトータル・アルバムみたいで、軽快なンバラもあったりして、力強いパワフルな歌とサウンドで全編占められています。なかで異色は10曲目「Tekk Gui」でしょうか。クンバはまるで泣いているような声で歌い、なにかを切々と訴えかけてくるようなヴォーカルです。bunboni さんによれば「17年に亡くなった父親のレイ・バンバ・セックに捧げたレクイエム」ということですね。こういった曲調はこのアルバムではこれだけでしょう。

 

また続く11曲目「Naby」は全編テンポ・ルバート、ちょっとイスラムふうの詠唱で、実を言うとこのアルバムでぼくがいちばん気に入ったトラックがこれ(と続く12曲目の「Allez Africa」)なんです。そんなヤツいないですよねえ。やっぱりぼくはアラブ音楽が好きなのかなあ。クンバの声もよく張って伸びていて艶もあるし、とてもいいなと思うんですけどね。こういったイスラム詠唱が好きなだけかもしれません。

 

アルバム・ラスト12曲目「Allez Africa」はダーラ J のファーダ・フレディとのコラボ・コンポジションで、製作にダーラ J ファミリーが参加しています。11曲目とならぶぼくのお気に入りがこれ。打ち込み主体のサウンドですけれども、11曲目までの人力生演奏トラックのあとに来ても違和感がないですね。イキイキとした躍動感に満ちたリズム、サウンド、ヴォーカルで、ダーラ J がかなり貢献したなとも思いますし、高揚感があってなんど聴いても楽しいんですよね。

 

(written 2020.6.9)

 

2020/08/02

The Finest Dixieland Band of All Time 〜 エディ・コンドン

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(5 min read)

 

Eddie Condon / Jam Session Coast To Coast

https://open.spotify.com/album/7AG4Cw4RDYvgmmYS66Xc5o?si=gpEJEHtHQguLTAwYLb4O6w

 

これについて書くのは二回目?三回目?とにかく大好きなんですよね。いつも聴いているし、聴くたびにこんなに楽しい音楽はないなぁってため息が出るほどなんですね。エディ・コンドンの『ジャム・セッション・コースト・トゥ・コースト』(1954)。エディ・コンドンはもちろんシカゴ出身でニュー・ヨークで活躍したディキシーランド・ジャズのバンド・リーダー&ギターリストです。やっている音楽もこんな感じの(いまからしたら)古くさ〜いオールド・スタイルのジャズなんで、2020年にもなってこういう音楽が大好きだっていう人間もあまりいないかもなんですけど。

 

でもでも、以前数年前に YouTube にこのアルバムの冒頭の三曲をアップロードしたのはいまでも評判がいいんですよね。イイネもいっぱいつきますが、好意的なコメントが多くて、名前のつづりと内容からしてたぶんアメリカ人のかたがたかなと思うんですけど、いまだにディキシーランド・ジャズが好きだっていうような同好の志が(ごく少数でしょうが)いるにはいるんですね。もの好きというか、でも仲間がいると実感するとちょっとほっこりした気分になったりしています。

 

ぼくのばあい大学生のときにこのエディ・コンドンの『ジャム・セッション・コースト・トゥ・コースト』レコードに出会い、こんなにすばらしい音楽はない!と一目惚れ、その後現在までずっと愛聴してきています。最初に聴いたのはだからたぶん1980年前後あたりのこと。もちろんその当時ディキシーランド・ジャズなんか聴いているヤツは周囲にほぼいません。頭ではぼくもとっくに廃れた古くさい音楽で時代遅れもいいところと理解してはいても、身体感覚、皮膚感覚でこれは楽しい、膝が動く、ワクワクしてノレるというフィーリングを否定することはできませんでした。

 

こんな音楽、全盛期は1920年代で、30年代のスウィング黄金時代にビッグ・バンドが主流になったらもう(流行としては)終わっていたもので、その後40年代のビ・バップ勃興、50年代のモダン・ジャズときたジャズのメインストリームの波からはとうのむかしにおいてけぼりをくらっているようなものですけれどもね。コンドンの『ジャム・セッション・コースト・トゥ・コースト』が録音されたのは1950年代ですから、当時としても時代遅れでした。

 

でもちょっと聴いてみてください。1曲目「ビール・ストリート・ブルーズ」のスウィング感。この愉快なリズム感、スウィンギーさ、ワクワクするノリこそ、ぼくがいちばんジャズに求めるものなんですね。ソロまわしも楽しくて、最初ピアノが出ますけど、二番手のトロンボーン、三番手のコルネット、四番手のクラリネットと、それぞれのソロ後半で残りのホーン陣がバッキング・リフを演奏しはじめるあたりからの痛快なドライヴがもうなんともいえずたまらない快感なんです。
https://www.youtube.com/watch?v=Dnxb3XD2Rvo

 

その後ベース・ソロが出て、それが終わったらふたたびのアンサンブルでテーマを合奏しますけど、それが、も〜う、本当になんて気持ちいいのでしょうか。その後半のテーマ演奏後半でトゥッティになだれこむあたりなんか、爽快のひとことですよ。短いドラムス・ソロがあって最終盤のアンサンブルで終わり。あぁなんという至福の時間でしょうか。

 

こんなようなスウィング感は3曲目「リヴァーボート・シャッフル」でも聴くことができます。この曲のこの演奏でのスウィング感もなかなかみごとですよね。YouTube コメンテイターのなかには "the finest Dixieland band of all time" とおっしゃるかたもいるくらいで、ぼくも同感です。戦後録音でサウンドがクリアに聴こえるせいでもありますけどね。ここでも演奏後半のノリのよさ、スウィング感が痛快です。
https://www.youtube.com/watch?v=CFpTayaG-i8

 

アルバム2曲目のバラード・メドレーも絶品ですし、本当に美しいんですよね。1、3曲目のスウィンガーふくめミュージシャンたちは軽い気分でリラックスしてやっているだけだと思いますが、こんなにも秀逸でこんなにもきれいな音楽が、ただスタイルが古いというだけで聴かれず忘れ去られていくのは、なんとも残念でくやしい思いです。細々とでも聴き継がれ生き残っていってほしいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=0zQmuASLPso

 

ぼくはこういったジャズ・ミュージックが心の底から大好きなんですよ。

 

なお、アルバムの5曲目以後(B 面)はエディ・コンドンらの演奏ではありません。くわしいことは以下の過去記事に書きました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-e180.html

 

(written 2020.6.8)

 

2020/08/01

タミクレストの低温調理 〜『Tamotaït』

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(3 min read)

 

Tamikrest / Tamotaït

https://open.spotify.com/album/4BQzQk1C37UOLCnYko29Gd?si=wFJPe6XGR5-9CGXg3Opkxg

 

昨2019年の来日公演にきっかけがあって出かけていってライヴで聴いたタミクレスト。その2020年新作『Tamotaït』がずっと気になっていたので、ここらへんでちょっと簡単にメモしておきたいと思います。このバンドにぐっと親近感が増したのはやはりライヴを体験したからです。そのとき、砂漠のブルーズだとか抵抗の音楽だとかいうようなこととはいっさい無関係に、シンプルに踊れるグルーヴを強力に推進できるダンス・バンドなんだなということを痛感して、ニンマリしたんですね。

 

だからどうしてもそういった方向から新作も聴いてしまいましたが、そうするとちょっと肩透かしをくらう感じです。もっとゆったりしたビート感でじっくりじわじわ低温調理するような、そんな音楽で占められているんですよね。それでもアルバム1曲目「Awnafin」はしょっぱなからけっこう熱くもりあがり、ビートもそこそこ効いています。出だしがこれですからアルバムも期待したんですけど、実はもっとじんわりした曲のほうが多いんですね。

 

2、3曲目とゆるいテンポのゆったりナンバーが続き、砂漠のブルーズは抵抗と反逆の社会派音楽だなんてわからないぼくは(歌詞聞いてもわからないし、背景を文章で読むだけじゃねえ)、たんに聴いて楽しい、踊れるグルーヴ・ミュージックとして聴いているわけですから、タミクレストの今回のこういった2、3曲目みたいなのはイマイチなんですね。複数のエレキ・ギターのシングル・トーン弾きで重なるサウンド・テクスチャーのカラフルさは好きなんですけれども。

 

そう思って聴いていたら、4曲目「Amidinin Tad Adouniya」がまあまあのグルーヴァーです。これは好きですね。ハンド・クラップも効果的に入り、ビートも効いているし。しかもエレキ・ギターのスライド・プレイが聴こえるんですけど、これ、だれが弾いているんでしょう?しかもそのスライドはなんだかちょっと UK ブルーズ・ロックっぽい響きで、そういうのが大好きなぼくにはちょうどいい味つけです。トゥアレグ・ミュージック特有の女声コーラスの例の感じも入って、いいですね。あっという間に終わってしまいましたが。

 

こういった1、4曲目みたいな感じでどんどん攻めてくれればいいのに、と思って聴き進むと、ほかになく、唯一8曲目「Anha Achal Wad Namda」がかなりの激熱グルーヴ・チューンで、これは最高です。それで気づいたんですけど、ここまでドラムスの音がさほどには目立っていないんですね。これは意外。昨年の来日公演ではドラマーの激しいビートが効いていましたから。この8曲目では派手に叩いていて、これはいいですねえ。テンポ設定もちょうどノリやすい感じだし、ぐるぐる回って、これならノレます。

 

もうホントこういう激しいビートの効いたダンス・チューンをどんどんやってくれたらよかったのになあ、実際8曲目くらいしかないし、と実は思わざるをえないタミクレストの2020年新作でした。7曲目での坂田淳とアルバム・ラスト曲での OKI の参加は特にどうってことないかなと感じますが、6曲目でのヒンディ・ザハラ(モロッコ)との共演はちょっとした聴きものですね。

 

(written 2020.6.7)

 

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