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2020年9月

2020/09/30

プリンスの1987年ユトレヒト・ライヴが楽しい

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(9 min read)

 

Prince - Sign O The Times (Super Deluxe Edition) disc 7&8

https://open.spotify.com/album/2Uv3zad993qvBkrOcIqdgq?si=4eLJL8IfQja_tpHkk175Ag
(ユトレヒト・ライヴは、これをパソコンで見たときの7&8枚目)

 

ーーー
プリンス(ヴォーカル、ギター、キーボード、ドラムス、パーカッション)
シーラ・E(ドラムス、ヴォーカル)
ミコ・ウィーヴァー(ギター、ヴォーカル)
Dr. フィンク(キーボード)
ボニ・ボイヤー(キーボード、ヴォーカル)
リーヴァイ・シーサー(ベース、ヴォーカル)
エリック・リーズ(サックス、フルート)
アトランタ・ブリス(トランペット)
キャット(ダンス、ヴォーカル、パーカッション)
ワリー・サルフォード(ダンス、ヴォーカル)
グレッグ・ブルックス(ダンス、ヴォーカル)
ーーー

 

2020年9月25日に発売されたばかりのプリンス『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディション、(CDでいうところの)七、八枚目に、1987年6月20日のユトレヒト・ライヴが収録されています(ユトレヒトはオランダの都市)。とにかく聴けば楽しいですね。

 

といいますのも、そもそもプリンスの公式ライヴ音源というのはめずらしく、あまり発売したがらない音楽家だったんで(生涯通じてほとんどなし)、ましてや1987年のライヴがCDに公式収録されて発売されるのは、初のことです。ちょこっと感想を書いておきましょう。

 

Spotifyで聴いているからバンド・メンバーがわからないなあと思って、それでもあきらめずネットで検索したら、やはりユトレヒトでの前日6月19日の情報が出ましたので、上のほうに記しておきました。たぶん同じでしょう。ユトレヒトではほぼ変わらないセット・リストで三日間ほど連続でやったみたい。

 

さてさて、生前のプリンスがライヴ音源を出したがらなかったのは、バンドの一回性の生演奏だから不確定要素も多くやや雑になって完成度が下がってしまう、それを商品化するのを嫌ったということじゃなかったかと思います。

 

そもそも生涯にわたり(一部を除いて)バンドでスタジオ録音するということのほとんどなかったひとで、ホーンズやストリングスなどは専門奏者に任せますが、ほぼすべての楽器を自分ひとりで完璧にこなしてしまうプリンス。その緻密な多重録音スタジオ作業で音楽の完成度を上げ、発売。それと同じレベルをライヴではバンド・メンバーに要求したといいますから、どだいムリな話です。それが発売されるようになったのは本人が死んだからに違いなく、ちょっと複雑な気分にならないでもなく。

 

1987年6月20日ユトレヒト・ライヴ。曲目をみるとやはり当時の最新作『サイン・オ・ザ・タイムズ』発売記念ワールド・ツアーの一環だったことがよくわかります。ライヴ冒頭の4曲目までが、この最新アルバムA面1〜3曲目で占められていますよね。バンド・メンバーは生演奏でかなり健闘しているんじゃないですか。厳しいトレーニングの成果でしょうか。

 

そのほか古いというか以前の曲はほとんどなく(「リトル・レッド・コルヴェット」「レッツ・ゴー・クレイジー」「ウェン・ダヴズ・クライ」「パープル・レイン」「1999」だけ)、すべて『パレード』『サイン・オ・ザ・タイムズ』収録曲で構成されているのは、やはり販売促進キャンペーンとの意図があってのことでしょう。

 

ですから、生演奏でもバンドがファンク寄りの音楽を展開しているのは必然的です。ジャジーな色彩感も出ているのはライヴならではですね。楽器ソロやボスのヴォーカル・フェイクなんかはアド・リブ満載ですけど、それでも曲の構成としては(一部を除き)おおむね公式発売されたスタジオ・ヴァージョンにそのまま準じているのというのも印象深いといいいますか、ある意味しめつけがきつかったんだろうなあと想像したりもします。

 

また、「リトル・レッド・コルヴェット」「レッツ・ゴー・クレイジー」「ウェン・ダヴズ・クライ」「パープル・レイン」「1999」といった以前の曲も、いかにも1987年プリンスだけあるっていう、当時のコンテンポラリーなファンク・アレンジメントを施されているのだって聴きどころですね。このあたりもライヴ・ツアーにあたりバンドでリハーサルを積んだのでしょう。

 

「レッツ・ゴー・クレイジー」「ウェン・ダヴズ・クライ」「パープル・レイン」「1999」の四曲はメドレーになって間断なく連続的に演奏されるのもソウル/ファンクのライヴ・マナー。ちょっと間を置いて、続く「フォーエヴァー・イン・マイ・ライフ」で、プリンス(だろうと思う)はアクースティック・ギターに持ち替え。後半はジャムみたいになります。

 

やはりそのままボスの掛け声で間を置かずそのまま「キス」になだれこみ。『パレード』収録のオリジナルからしてファンク・ブルーズ・チューンでしたが、それにないホーン・リフ反復などもここでは入って、いっそうファンク色が濃くなっていますね。

 

その終盤で「サンキュー、バイバイ!」とプリンスが言うけれど終わらず、そのまま次の「ザ・クロス」へ突入。やはりゴスペル・バラード調ですが、後半ぐいぐいともりあがるさまは、いかにもライヴだけあるなといった趣きですね。演奏が終わって「オランダ大好き!グッバイ!」とボスが叫んで、メイン・アクトは終了します。

 

がしかし「アンコール!」と叫んでからはじまる「イッツ・ゴナ・ビー・ア・ビューティフル・ナイト」こそが、この日のライヴ・コンサートのクライマックスに違いありません。バンドもボスもハンパじゃない熱量で迫ります。シーラ・Eのラップ・ヴォーカルが入ったあと、ホーン・リフ。その後のドラムス・ソロはツイン・ベース・ドラムのキック・スタイルに特徴がありますから、おそらくプリンス本人じゃないでしょうか。

 

そのまま長尺のサックス・ソロへ。かなり聴ける内容だと思っていたらパッと止めて「サンキュー、グッドナイト」と言うけれど一瞬置いてすぐ演奏は再開。ドラムス・ソロのあと、プリンスが「コールド・スウェット・オン・ザ・ホーン!ライト・ナウ!」と叫ぶと、ホーン二管がジェイムズ・ブラウンの曲「コールド・スウェット」のリフを(ヴァリエイション付きで)演奏しはじめるのも楽しいですね。

 

そしてその後ホーン陣は、おそらくプリンス・アレンジのかなりうねうねとした(ビ・バップふうの)二管リフの種々のパターンを次々と披露。途中でデューク・エリントン「A列車で行こう」のテーマまで出てきてニンマリ。その後も二管でうねうねリフをどんどん演奏。バンド一体となって熱いジャズ・ファンク・ライヴを展開するのが、ほんとうに楽しいったら楽しいな。「サンキュー!」で今度こそほんとうに終わり。

 

全体的にジャズ・ファンク色を濃く帯びていることもあり(マッドハウスの曲も一つやっているし)、個人的にこんなに楽しいライヴ・コンサートを聴いたことは少ないと思うほど。終盤のもりあがりかたもすごいし、本人がどうしてこういうものを生前リリースしなかったのか不思議に思えてくるっていうか、やっぱりそこまで徹底した完璧主義者だったんでしょうね。

 

(written 2020.9.27)

 

2020/09/29

『カミーユ』とはなんだったのか 〜 80年代中期プリンスの豊穣

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(9 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/4CG8he8Rzm1mtpj3F35BPT?si=__GjNsqmTCeV3mNqjk4KWA

 

プリンスまぼろしのアルバム『カミーユ』(Camilleはカミールじゃなくてカミーユ)については、以前詳述したことがあります↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-51d7.html

 

もう一回整理しますと、

 

ーーー
(1)『パレード』(1986年3月発売)に続き、『ドリーム・ファクトリー』というLPを計画。86年7月ごろに二枚組として完成した模様。しかしこれをプリンス本人が破棄。

 

(2)直後あたりにレギュラー・バンドのザ・リヴォルーションを解散。

 

(3)1986年10月末ごろからスーザン・ロジャーズとともに『カミーユ』の制作にとりかかる。「ハウスクエイク」から開始し、約10日ほどでアルバム一枚分を完成させる。

 

(4)1986年11月5日には『カミーユ』のマスタリングも終了。多数のテスト盤もカットされた模様だが、発売前に中止を決める。

 

(5)『カミーユ』発売中止を決めたあと、それに収録予定だった曲と、その他の未発表曲(『ドリーム・ファクトリー』のものなど)などもふくめ、LP三枚組の『クリスタル・ボール』を計画。しかし三枚組という規模をワーナーに反対され、発売は断念せざるをえず。

 

(6)破棄したLP三枚組『クリスタル・ボール』からサイズ・ダウンして二枚組にして、1987年3月に『サイン・オ・ザ・タイムズ』がワーナーから公式発売される。

 

(7)『カミーユ』収録予定だった曲は、『ドリーム・ファクトリー』にも存在した。リアルタイムでの公式リリースでは数曲が『サイン・オ・ザ・タイムズ』に入り、またシングルB面になったり(「フィール・U・アップ」「ショカデリカ」ほか)などした。

 

(8)ワーナーが1994年に発売した『ザ・ブラック・アルバム』に、一曲、『カミーユ』セッションから入っている。

 

(8)1998年1月にNPGレーベルからリリースされたCD三枚組『クリスタル・ボール』にも『カミーユ』セッションから少し収録されている。この公式発売された『クリスタル・ボール』は、1986年に予定され未発のまま破棄された『クリスタル・ボール』とは別物。

 

(9)その後21世紀になってネット配信オンリーかなにかで、『カミーユ』からの一曲「リバース・オヴ・ザ・フレッシュ」がリリースされたらしいが、おそらくはもはや入手不可能なのではないだろうか?
ーーー

 

しかしこの、いまや入手不可能なのではないか?と書いた、『カミーユ』収録の「リバース・オヴ・ザ・フレッシュ」が、なんと、2020年9月25日に発売されたばかりの『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディションに公式収録され発売されたのです。

 

っていうことは、『カミーユ』の曲はすべて公式発売された、ぜんぶ聴けるということなんですね。めでたいめでたい。それで、しかし『ザ・ブラック・アルバム』だけがどうしてだかSpotifyにないので(ほんとなんで?)そこは残念なんですけど、それ以外のカミーユ・ソングを一堂に並べプレイリストを作成しておきました。これが『カミーユ』です。一曲足りないけど。
https://open.spotify.com/playlist/4CG8he8Rzm1mtpj3F35BPT?si=JK_Sx51USBu7T0KQ3cm86w

 

さて、カミーユとはなにか?というのは上のほうでリンクした過去記事にくわしく書きましたのでお読みいただくとして、なにが通常のプリンスとカミーユを分つものなのか?というと、端的にいえばテープの回転速度を上げたかピッチ・シフターを用いて高い音程にした女声的なヴォーカルが(一部でも)歌っているように仕上げたものが、それすなわちカミーユです。

 

カミーユはプリンスの音楽的オルター・エゴ(別人格)であって、聴いてみますと、コンピューターでビート・メイクしたゴリゴリのファンク・チューンが多いなという印象です。1986〜88年ごろのプリンスがファンク・ミュージックに強く傾いていたのは間違いないところ。

 

もちろん『カミーユ』のなかには「U・ガット・ザ・ルック」「イフ・アイ・ワズ・ユア・ガールフレンド」みたいなポップなロック・ソングもありますが、全体的にはファンク寄りの色彩が濃いなという印象です。

 

『ドリーム・ファクトリー』を破棄したあと、いやその前からか、プリンスはファンク・チューンを産み出すための母胎としてカミーユという女声音楽自我を編み出したのだという見方もできますね。

 

リアルタイム発売のもので、順番としてぼくたちがいちばん最初にカミーユに触れたのは、『サイン・オ・ザ・タイムズ』A面3曲目の「ハウスクエイク」だったわけですが、これは完璧なるジェイムズ・ブラウン流のファンク・チューンですからね。当時のぼくは、これってモロJBじゃん、でもなんでピッチの高い女声に加工してあるの?プリンスが歌っているんじゃないの?ひょっとして女性ゲスト・ヴォーカル?とかって感じていました。

 

また『サイン・オ・ザ・タイムズ』二枚目A面は全四曲中1〜3曲目がすべてカミーユ・ソングですから、当時リアルタイムで発売されたオリジナル・アルバムではこのサイドにもっとも強く『カミーユ』の痕跡が表出していたわけですね。やはり女性ゲスト・ヴォーカルなのかも?という疑問を当時のぼくは持っていて、この面にはシーナ・イーストンが迎えられている曲がありますから、いっそう混乱していましたねえ。

 

アルバム『カミーユ』の完成→破棄にもっとも近接する時期の公式リリースだったのが『サイン・オ・ザ・タイムズ』ですからね。結局、上記四曲だけで、ほかはシングルB面とか『クリスタル・ボール』に入ったとはいえ、それらはあくまで蔵出し音源集でしたから。

 

ですので、いまだそのかたちでは未発の『カミーユ』ですけど、『サイン・オ・ザ・タイムズ』がそれにいちばん近い作品だった、多くの音源が流用された、ということが今2020年9月25日にリリースされたスーパー・デラックス・エディションでいっそうあらわになったように思えます。

 

特にベース・ドラム音に特徴的な一定パターンが共通する「リバース・オヴ・ザ・フレッシュ」とか「ハウスクエイク」とか「ショッカデリカ」とか「グッド・ラヴ」みたいな、コンピューターでビート・メイクした(当時のプリンスはFairlight CMIを愛用していた)ハードなストレート・ファンクにこそ、『カミーユ』の色彩感が出ているなと感じます。それ+ピッチの高い女声ヴォーカル。

 

どうして女声の音楽的オルター・エゴを思いつく必要があったのか?ピッチの高い声に加工したのはなぜか?通常のプリンス声ではダメだったのか?など、やはりいまでも解けない謎は残りますが、『カミーユ』はプリンス流デジタル・シンセ・ファンクの誕生を告げるものだったと、そう言えると思います。

 

ありとあらゆるタイプの音楽がどんどん産まれ出て止まらなかった1980年代中期の豊穣すぎるプリンス・ミュージックだったからこそ、あえて一個のスタイルとしてああいったファンク・チューンを分類・整理しておく必要があった、それゆえカミーユを誕生させたのだという、そんな気もします。

 

『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディションのリリースで『カミーユ』が完成し、さらに未発のまま破棄された『ドリーム・ファクトリー』『クリスタル・ボール』(レコード三枚組のほう)もだいぶ姿を現すようになった2020年9月だからこそ、きょうみたいなこんな記事が書けました。

 

(written 2020.9.26)

 

2020/09/28

プリンス『サイン・オ・ザ・タイムズ』未発表曲を聴く

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(7 min read)

 

Prince / Sign O The Times (Super Deluxe Edition)

https://open.spotify.com/album/2Uv3zad993qvBkrOcIqdgq?si=ZyoFBAkGTES4DVRHZfRkvA

 

9月25日に発売になったばかりのプリンス『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディション(2020)。CDでいう1&2枚目のオリジナル・アルバムの話はしました。CD3収録の既発曲シングル・エディット&別ヴァージョンとかにはさほどの興味はないので、今回のスーパー・デラックス・エディションではじめて世に出た4〜6枚目の未発表曲のことについて、ちょちょっとメモしておきましょう。

 

4〜6枚目までの三枚に相当するとなれば、けっこう大量にありますよね。CD4収録分でいえば、マイルズ・デイヴィス狂のぼくとしてはどうしても4曲目のマイルズとの共演「キャン・アイ・プレイ・ウィズ・U?」が気になるところ。これ、こうして公式発売されたものを聴いてみると、いままでブートで聴けたものとはやはり内容が違いますね。

 

曲のできばえとしては、う〜ん…、と言わざるをえない「キャン・アイ・プレイ・ウィズ・U?」。お蔵入りにしただけのことはあったと、ようやく納得できた次第です。マイルズがトランペットをオーヴァー・ダブして送り返してきたテープにさらに音を重ね、プリンスは苦心してマイルズ色を薄めようとしたのがうかがえます。

 

シタール(エレキ・シタールじゃなくて本物の生シタールに聴こえる)&タブラを使ってエキゾティックに仕上げたCD4-6「ストレインジ・リレイションシップ」なんかはおもしろいですが、曲そのものはオリジナル・アルバムで聴けました。様子がだいぶ違いますけど。

 

続くCD4-7の「ヴィジョンズ」。これは美しいですね。ヴォーカルなしのインストルメンタルなピアノ独奏で、うん、こりゃきれい。プリンスはときどきこういう演奏をピアノで、スタジオでもライヴででも、やりますよね。聴き惚れます。

 

さわやか涼やかでジャジーなホーン・リフ(といってもシンセ・ホーンだけど)が終始からむ「ザ・バラッド・オヴ・ドロシー・パーカー:ウィズ・ホーンズ」も印象的ですが、続く「ウィットネス・4・ザ・プロセキューション(ヴァージョン 1)」が、これはカッコいい。タイトなファンク・チューンです。

 

そう、『サイン・オ・ザ・タイムズ』期(前後ふくむ)のプリンスの音楽はファンク・ミュージックに傾いていたと思いますし、そうなっている曲のほうがポップなロック・チューンみたいなのより魅力的に響くなあというのが個人的感慨です。

 

だから、このファンク寄りっていう視点で、その後の収録曲をひろっていくと、CD4-11「アンド・ザット・セイズ・ワット?」(ジャジーでもある)、12「ラヴ・アンド・セックス」、16「ビッグ・トール・ウォール(ヴァージョン 1)」(ポップス寄り、タブラ&シタール入り)、18「イン・ア・ラージ・ルーム・ウィズ・ノー・ライト」。

 

CDでいう五枚目分に入り引き続きファンク・チューンをひろうと、CD5-2「イット・エイント・オーヴァー・ティル・ザ・ファット・レイディ・シングズ」(インストルメンタル)、3「エッグプラント」(ヘヴィ)、5「ブランチ」(ギター印象的)、6「ソウル・サイコデリサイド」(かっちょええ〜!JBみたい)。

 

CD5-9「フォーエヴァー・イン・マイ・ライフ」と10「クルーシャル(別歌詞)」はファンク・チューンじゃないし、既発のものだけど、むかしから大好き。とにかく好きです。聴きやすいポップ・バラードですね。「クルーシャル」のほうは『クリスタル・ボール』収録のものと歌詞が違っているだけでなく、ピアノが伴奏に入るというサウンドも異なります。

 

ファンク・チューンを引き続き。CD5-11「ザ・ココア・ボーイズ」(タイトでシャープ、これもJB流)、13「ウィットネス・4・ザ・プロセキューション(ヴァージョン 2)」はディスク4にもあったやつの別ヴァージョン。

 

ファンク・チューンをひろってCDでいう最終六枚目に入ります。CD6-1「イモーショナル・パンプ」(軽め)、2「リバース・オヴ・ザ・フレッシュ」(カミーユ声、カミーユについては別途詳述予定)、5「ワーリー」(ファンク・バラード)、6「アイ・ニード・ア・マン」(他者への提供曲だったらしい、軽め)。

 

CD6 -8「ジェラス・ガール」(曲題はジョン・レノンのもじり?、これも女性歌手が歌う予定だったっぽい)、9「ゼアズ・サムシング・アイ・ライク・アバウト・ビーイング・ユア・フール」はファンクじゃないけど、プリンスにめずらしいレゲエ・チューン。プリンスのこれだけ鮮明なレゲエって生涯これだけでは?

 

CD6-10「ビッグ・トール・ウォール(ヴァージョン 2)」は、ヴァージョン1がディスク4にあったもの。12「ワンダフル・デイ」(まさしくプリンスにしかできないプリンス流ファンク)、13でふたたび「ストレインジ・リレイションシップ」の別ミックス。このミックスは打楽器パートが特色ですが、この曲、好きだったんでしょうかねえ。

 

七枚目以下は1987年ユトレヒト・ライヴなので、稿をあらためます。

 

(written 2020.9.26)

 

2020/09/27

トレインの「マイ・フェイヴァリット・シングズ」ならこれ 〜 『セルフレスネス』

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(4 min read)

 

John Coltrane / Selflessness Featuring My Favorite Things

https://open.spotify.com/album/6TmkM0K2k52kGdvJGdq29H?si=M7aFoZn6ThOMYhaW3p5RFA

 

ちょっぴりジョン・コルトレインづいているので、もう一個だけ、インパルス時代でぼくの好きなトレインのアルバムのことを書いておきます。『セルフレスネス・フィーチャリング・マイ・フェイヴァリット・シングズ』(1969)。これも死後発売で、録音は1、2曲目が63年7月のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ。3曲目だけスタジオでの65年10月録音です。

 

アルバム題にはその3曲目のタイトルである「セルフレスネス」が選ばれていますが、「フィーチャリング〜」とのことばどおり、このアルバムの目玉はだれがどう聴いても1963年のライヴ演奏である1曲目の「マイ・フェイヴァリット・シングズ」ですよね。ぼくなんか最初に聴いたとき、あまりのものすごさに3メーターくらい空中を飛んだんですから。

 

「マイ・フェイヴァリット・シングズ」はトレーン生涯の愛奏曲で、1960年アトランティックへの初録音以後ライヴではくりかえし演奏していました。公式に録音され発売されているものだけでも数があるわけですが、『セルフレスネス』収録の63年ニューポート・ライヴ・ヴァージョンこそ No.1である、間違いない、という評価は、たぶん八〜九割のジャズ・ファン、トレイン・ファンのみなさんも同意なのではないでしょうか。

 

『セルフレスネス』での「マイ・フェイヴァリット・シングズ」は、まずトレインが最初テナーでイントロをちょろっと吹きます。この曲はソプラノとの印象しかないのでオッ!と感じますが、やっぱりすぐにソプラノにチェインジしますね。テーマを演奏したらソロ一番手がマッコイ・タイナーのピアノっていうのはいつものパターン。マッコイはトレイン・カルテット四人のなかではいちばんの守旧派みたいなもんなんで、わりと聴きやすいメインストリームなソロ内容と言えるんじゃないでしょうか。

 

そしていよいよトレインのソプラノ・サックス・ソロが登場。激情ほとばしるといった感じで、フレーズが次々と湧いて止まらず、シーツ・オヴ・サウンズ手法もここに極まっています。ときどきフリーキー・トーンも織り交ぜつつ、トレインは音数多く吹きまくります。このサックス・ソロ内容があまりにも超絶的でアグレッシヴなので、そのためにここまでの名演になりえたのだと、だれもが納得できる内容ですよね。本来テナー奏者であるトレインのソプラノ吹奏技術も完璧の域に達しています。

 

ここまでトレインがアグレッシヴに吹きまくった一因として、この1963年7月のニューポート・ライヴではドラムスがエルヴィン・ジョーンズじゃなくてロイ・ヘインズであったこともあげなくてはなりません。エルヴィンは事情があっていっときバンドを離れていて、このニューポート・ライヴのときのピンチ・ヒッターでロイが起用されたんですね。

 

そのロイのドラミングがかなり攻めていますよね。シンバル・ワーク中心のエルヴィンに対し、ロイはスネアでのプッシュがメイン。どんどん前のめりに突っ込むようなスネア・ドラミングでフロントのトレインをあおりまくっています。たぶんロイの生涯最高名演に数えられるであろう演奏で、このドラマーこそこのときの「マイ・フェイヴァリット・シングズ」をここまで高みに追い込んだ大きな功労者だったかもしれません。

 

(written 2020.8.11)

 

2020/09/26

プリンス『サイン・オ・ザ・タイムズ』2020年リマスターの音質がかなりいい

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(6 min read)

 

Prince / Sign O The Times (Remastered)

https://open.spotify.com/album/2z1LzgfxxN3E5dkVUNfN6H?si=VBk8u6STRxiq7QRWPgBDEA

 

本日2020年9月25日、待ちに待ったプリンスの『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディション(8CD+1DVD)がリリースされました。予告どおり、CD収録分は残さずSpotifyなどストリーミングでも聴けるようになっています。
https://open.spotify.com/album/2Uv3zad993qvBkrOcIqdgq?si=QfERGeN2TcG3j1Do5wPZ5g

 

さらに、DVD収録だからストリーミング配信にはふくまれない(のでフィジカル買わなくちゃいけないかと思っていた)1987年12月31日の、マイルズ ・デイヴィスが客演した、ペイズリー・パーク・コンサートがYouTubeで無料フル公開されていますね。
https://www.youtube.com/watch?v=v_aAug_PpUM&t=4s

 

もううれしいのなんのって。つまりは今回の『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディション、なにもかもすべてネットで聴けるようになっているということで、これですよ、これ、これこそ2020年型の音楽商品リリースの理想型でしょう。これで貧乏人のぼくでも不足なく今回のスーパー・デラックス・エディションを存分に楽しむことができます。

 

YouTube配信のライヴは二時間以上、Spotifyでぼくは聴く『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディションはトータルで八時間以上と、かなり規模が大きいし、はっきり言ってシングル・エディットだとか既発曲の別ヴァージョンだとかにはさほどの興味はないんです。

 

今回のいちばんの個人的関心事は、未発表曲などもさることながら、『サイン・オ・ザ・タイムズ』オリジナル・アルバムの音質が、2020年リマスターでどんだけ向上しているかということでした。こ〜れが、もう!目覚ましい変貌を遂げていると言っていい音質向上ぶりで、ほんとうにうれしくなりました。

 

1987年にリリースされた『サイン・オ・ザ・タイムズ』は、プリンスの諸作品のなかで、もっとも音質が悪いというかショボいものとしてファンのあいだでもその評価が定着していました。音量レベルだって低いし、これ、どうしてこのアルバムはこんなんだろう?音楽内容が最高なだけに、なんともくやしい、もったいないという思いを強く抱くファンも多かったのです。

 

それが今回の2020年リマスターで全面解決したと言っていいできばえになっているんですね。音量も適切なレベルにまでしっかり持ち上がっていて、曲によってかなりバラツキがあった音質も均等に調整され、アルバム全体を通して聴いて違和感ない内容になっていますね。

 

なかでもこれはあまりにもショボすぎると思っていたのが一枚目の「プレイ・イン・ザ・サンシャイン」と二枚目のライヴ収録「イッツ・ゴナ・ビー・ア・ビューティフル・ナイト」。前後の曲に比べて音量も小さいから、そこでだけヴォリュームつまみをまわさないといけなかったし、なんだかも〜う!ってずっと感じていたんですよね。

 

それがきっちり修正されていますからね。一枚目の「プレイ・イン・ザ・サンシャイン」なんか、大好きな曲ですから、アルバム一枚目を通して聴くとここだけガクンと落ちるのがずっと何十年間も悩みだったんですけど、解決しました。音量もこの曲だけ小さかっのが、前後の曲と比較しても問題ないところまで修正されています。

 

ライヴ収録だから音質面での差異はとうぜんあるだろう二枚目の「イッツ・ゴナ・ビー・ア・ビューティフル・ナイト」だって、それでもかなりな程度にまでスタジオ録音と同質なレベルにまでリマスターされています。

 

そのほかの部分でも、この二枚組は、くわしい経緯はややこしすぎるので省略しますけど、この1980年代中盤の多産すぎたプリンスの種々の多様なスタジオ作業の数年間を経てできあがった雑多なマテリアルの寄せ集めなんで、やっぱり曲によって音質面でのバラツキがあったのは否めないところだったんです。くわしくは以下の過去記事冒頭をご一読ください↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-51d7.html

 

音楽内容的には最高だからですね、この作品は(ぼくはプリンスの最高傑作と思っている)、だから音質・音量面がショボい、ショボすぎるというのだけが玉に瑕だったんですよ。でもそれがなくなって、Spotifyで聴いても著しい音質向上がよくわかるんですから、CDでお買い求めのみなさんならいっそう体感できるんじゃないでしょうか。

 

いやあ、ほんとうにうれしいなあ。

 

CDでいう三枚目以後の、既発曲のシングル・エディットと別ヴァージョン、未発表曲、二枚にわたるユトレヒト・ライヴ、それからYouTubeにアップされている1987/12/31のペイズリー・パーク・コンサートなど、まだまだ全貌は聴けていないので、ちゃんと聴いてそれなりの感想があったら、また追って記すことにしましょう。

 

(written 2020.9.25)

 

2020/09/25

従来型での臨界点 〜 コルトレイン「トランジション」

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(5 min read)

 

John Coltrane / Transition

https://open.spotify.com/album/1WnG3kQDxaTxcr1UkBPxV8?si=nx73i8puTiuvlqNctbKGfg

 

死後1970年になって発売された(つまり未発表集だった)ジョン・コルトレインのアルバム『トランジション』。1965年の5&6月録音です。Spotifyにあるのはオリジナル・レコードどおりの収録曲と曲順ですね。これ、たしかCDリイシューの際にインパルスがなぜだか収録曲をだいぶ入れ替えちゃったんですよ。その後、日本盤CDで元に戻ったりもしていて、ぼくはその日本盤を持っています。ともあれ、やはりオリジナルLPどおりのほうが好きですね。

 

1曲目の「トランジション」と3曲目の「スウィート」が1965年の6月10日のセッションで、ちょうどこの時期は同年同月28日に『アセンション』を録音したあたりになるんですね。だから曲題&アルバム題のとおり、その直前の「移行」期ということで、従来的なモダン・ジャズからアトーナル(無調)なフリー・ジャズへと踏み込む直前ということになります。

 

ぼくは特に1曲目のその「トランジション」がむかしから大好きで、適度に保守的、適度に過激で、聴きやすく、それにアトーナル&フリー・リズムな音楽がどうしても好きになれない、生理的にムリっていう(例外はあるけど)嗜好の持ち主なんで、かといってあたりまえなメインストリーム・ジャズではつまらないという、そんな気分のときに曲「トランジション」が本当にピッタリ来るんですね。

 

もうひとつ、曲「トランジション」が聴きやすく大好きだと思える理由として、ブルーズだからというのもあると思います。もちろん3コード12小節といった定型ではないんですけれども、これは間違いなく変形ブルーズで、ちょっと修飾がついているだけのものなんです。大のブルーズ好きという個人的趣味もあいまって、曲「トランジション」のことがお気に入りなんですよね、たぶん皮膚感覚で。

 

言えることとして、実験とか新表現に踏み込むときって、一方で従来的なフォーマットの枠を借りて、それを抽象化したりして行うっていうことが、音楽でもそのほかの表現領域でもあると思うんですけど、トレインも過激でフリーキーな演奏を行う素材として(もはや気持ちはフリー・フォーマットに向いていた時期だと思うし)ブルーズを借りてきたということじゃないかと、ぼくは考えています。

 

それでリズムも定常的なビートの刻みを残しつつ(といってもここでもエルヴィンはポリリズミックに叩いていますけど)、上物たるトレインのテナー・サックス・ソロは従来的なブルーズ・モードの範囲内ではもはやこれが限界とまで言えるほどの過激で実験的な表現を行なっているんじゃないでしょうか。フリーキー・トーンも連発していますしね。

 

それからこの「トランジション」は、トレインお得意のいわゆるシーツ・オヴ・サウンズの臨界点とも言える演奏だなと思うんです。無数の音で空間をビッチリと敷きつめるような超饒舌さがここに極まっているなと、そう聴こえますよね。トレインのシーツ・オヴ・サウンズは、まだマイルズ・デイヴィス・バンドのメンバーだった1960年ごろに一回ピークに達したわけですが、そこからさらに数歩進んだ表現を聴かせているでしょう。

 

そんなこんなで、メインストリーム・ジャズの枠にある従来的な演奏といった部分も残しつつ、トレイン・カルテットにしかできない表現で、しかも過激でフリーキーで、ある意味フリー・フォーマットなジャズをも予告しつつそこまでは踏み込まないっていう、そんなギリギリの臨界点に1965年6月10日時点で到達したっていう 〜〜 そんな記録であろうと思いますね、曲「トランジション」。

 

むずかしいことを言わなくたって聴けば快感だし、ちょうどいい程度に刺激的で、聴きやすいんですけど、トレイン自身はこのときのセッション内容に不満で、アリス・コルトレインに「自分が死んでも発売するな」と言いわたしたそうです。ぼくらとしては聴けてよかったなと思えますよね。

 

(written 2020.8.10)

 

2020/09/24

聴きやすく楽しいからこそ『至上の愛』〜 ジョン・コルトレイン

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(8 min read)

 

John Coltrane / A Love Supreme

https://open.spotify.com/album/7Eoz7hJvaX1eFkbpQxC5PA?si=7Q12L9oSSpO33KUv-d7ucw

 

きのう書いたSpotifyプレイリスト『ポール・サイモン:インフルエンサーズ』の末尾にアルバムまるごとぜんぶ収録されていたので、それでふたたび聴いたジョン・コルトレインのアルバム『至上の愛』(1964年録音65年発売)。大好きなアルバムですが、なぜ好きかというとポップで聴きやすいからなんですね。このことはだいぶ前にも一度書きましたが、時間が経ちましたし、またもう一度いまの気分を記しておこうと思います。以前の記事はこれ↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-02e1.html

 

それで、コルトレイン1964年の名盤だからといって、精神性とか神とか苦闘とか求道とか聖者とか、そんなことが頭にあっては『至上の愛』の音楽を楽しむことはできません。日本でもかつて1960年代後半〜70年代前半に、主にたぶん(一部の)ジャズ喫茶界隈を中心に、くりひろげられていたらしいそんな言説は、もはや時代が経過して意味を失ったんですから、2020年にもなっていつまでもそんなことにこだわる必要なんてありませんし、言われてもうっとうしいだけです。

 

それにそんなことが念頭にあると、音楽をストレートに楽しむことができなくなるでしょう。シンプルに音に耳を傾ければ、コルトレインの『至上の愛』は聴きやすく、ポップで、楽しくて、しかもとてもわかりやすいイージーな作品であることに気がつくはず。大上段に構えたような四曲の曲題なんかはあまり意識せず、楽な気持ちでリラックスして聴いてみましょう。

 

1曲目「パート1:承認」では、まずカデンツァみたいなイントロ部からはじまりますがそれは短くて、すぐにジミー・ギャリスンの弾くベース・リフが入ってきます。明快なメロディ・パターンを持つこのベース・リフはずっと反復されていて、しかもその音列は、あとになってバンドで合唱する「あ、ら〜ゔ、さぷり〜む」というヴォーカル・コーラス・パートと同じものです。あらかじめかっちり構成されていたことがわかりますね。

 

「パート1:承認」では、サックスが演奏するテーマみたいなものはなくて、そのベース・パターンの反復の上にすべてが成り立っているという、つまりちょっとマイルズ・デイヴィスの「ソー・ワット」みたいな、あるいはもっと言えばファンク・ミュージックみたいな、つくりなわけです。コルトレインのソロも決して逸脱せず、きっちり整然とした一定範囲のなかにおさまった美しいものですよね。聴いていてリラックスできます。

 

注目したいのは背後でエルヴィン・ジョーンズが一曲ずっとポリリズムを叩き出していることです。ちょっとラテン〜アフリカ音楽のそれっぽいなと感じますが、オスティナートになっているベース・リフとあわせ、この曲の推進力となり、上に乗るトレインのきれいに整ったソロを支えているんですね。同じ音列であるベース・リフと「あ、ら〜ゔ、さぷり〜む」という合唱のメロディは、とっつきやすく聴きやすい、明快でポップな感じに聴こえるんじゃないでしょうか。

 

2曲目「パート2:決意」でも、ベースに続きまず出るトレイン吹奏のテーマ部が聴きやすい楽しいメロディじゃないですか。歌えるようなはっきりしたわかりやすいラインです。そのままトレインのソロになだれ込むかと思いきや、今度はマッコイ・タイナーのピアノ・ソロ。これは従来的なモダン・ジャズの範疇から決して出ない常套的なソロ内容だなと思えます。この2曲目でのエルヴィンはわりとおとなしいですね。ビートも4/4拍子のメインストリーマー。二番手でトレインのソロが出ます。1曲目でもそうなんですが、テーマの変奏というに近い内容ですよね。

 

つまりここまで破壊や逸脱などなにもない、聴きやすい王道ジャズの楽しさがあるっていうわけなんです。最近ぼくがハマっているのは3曲目「パート3:追求」ですね。レコードではここからB面でした。 エルヴィンのテンポ・ルバートのドラムス・ソロからはじまりますからいきなりオッ!と思わせますが、トレインがビートを効かせながら入ってくると、そのままマッコイのピアノ・ソロへとなだれこみます。

 

そのマッコイのソロ、かなり内容がかなりいいんじゃないでしょうか。右手のアグレッシヴなタッチでぐいぐい攻めています。たぶんこのアルバムで聴けるピアノ・ソロのなかではいちばんの出来ですね。そしてこのことは、続く二番手トレインのソロについてもいえるんですね。アルバム中いちばんすぐれたサックス・ソロで、熱く燃え上がり、ときどき音色もフリーキーになりかけたりなどしながら、かなり攻めています。スケール・アウトせんばかりの勢いの瞬間もあり、そうとうな聴きごたえのあるすばらしいサックス・ソロだなと思います。

 

そんなマッコイとトレインのぐいぐい乗りまくる熱く激しいソロが聴けるおかげで、最近はこのアルバムで3曲目がいちばん好きになってきましたね。トレインとバンドの情熱をいちばん如実に反映した演奏だと思います。以前は整然とかっちりきれいにまとまったA面のほうが好きでしたけどね。3曲目はトレインのソロ後、テンポがなくなってギャリスンのベース・ソロになっていきます。このアルバムで終始一貫スピリチュアルなムードをぼくが感じるのはギャリスンのベースですね。

 

そのままピアノ音が入り4曲目「パート4:賛美」になりますが、この最後の曲は終始テンポ・ルバートなんですね。四人ともまるで祈りを捧げているかのような演奏で、はっきり言って定常ビートの効いている音楽のほうが好みなぼくにはピンとこない部分もありますが、トレインの吹奏内容は本当に美しいものです。そう、このアルバム『至上の愛』は全編にわたって美しいのです。そして聴いていて楽しい気分、愉快な気分にひたれます。だからぼくは好きなんですね。

 

ところで、4曲目最終盤でサックスの音をオーヴァー・ダビングしてあるんじゃないかと聴こえる箇所がちょろっとあるんですが、気のせいですかね?多層的に折り重なっているかのように聴こえる箇所があるでしょう、6:31〜6:38 あたりです。一回性の演奏で不可能な内容でもありませんが、ちょっとみなさん聴きなおしてみてください。

 

(written 2020.8.9)

 

2020/09/23

ポール・サイモン:インフルエンサーズ

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(7 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3fcyzVbfnIauW88q5milmR?si=U5dLY0r2RE2RYfW83ZwgqA

 

ちょっと前に『ポール・サイモン:インフルエンサーズ』というSpotifyプレイリストを見つけました。それが上掲リンク。レガシー公式の制作となっていますが、ポール・サイモン自身のキュレイションによるものだそうです。つまりはオーソライズド・プレイリストということで、だれのどんな音楽がポール・サイモンの音楽に影響を与えたのか、自身でつまびらかにするといったものでしょう。二時間半とやや長いですが、楽しんで聴きました。

 

と言いましてもぼくはポール・サイモンの音楽をなにも知らないので(サイモン&ガーファンクル以外には『グレイスランド』『ザ・リズム・オヴ・ザ・セインツ』くらいしか聴いていない)、だからポールの音楽形成にどんなふうに作用しているのかなんてことはまったくわかりません。ただただ、このプレイリストじたいのおもしろさをしゃべることしかできないんで、そこはご了承ください。

 

いきなりサン時代のエルヴィス・プレスリー二曲ではじまるのはいいですね。ロック・ミュージックの出発点あたりということで(ロックの兆しはもっと前からあったわけですけれども)、ここが新しい時代の幕開けだったという、そんな青春をポール・サイモンも過ごしたわけでしょう。エルヴィスはポールの、いや、あらゆるロック系ポピュラー歌手の、アイドルだったかもしれませんね。

 

続いてなんとリトル・ウォルターの代表曲が来ているのはなかなか新鮮です。エルヴィスと深い関係もありましょうが、そういうこと以上にこういったシカゴ・ブルーズのミュージシャンがプレイリストに入って、白人音楽と黒人音楽が混じり合いながらプレイリストが進むのには思わずなごみます。アメリカン・ミュージック提示のありようとしては、当然ではあるんですけど、理想形ですよね。

 

リトル・ウォルターみたいなシカゴ・ブルーズがポール・サイモンの音楽形成にどんな役割を果たしていたかなんてことはやはりぼくにはサッパリわかりませんので、ご勘弁を。そういえば、このポール自身の選曲による公式プレイリスト、けっこうたくさんの黒人ブルーズが登場するんです。サイモン&ガーファンクルなんかを聴いていても痕跡がわかりにくいですよね。しかしもちろんポールだって聴いていたでしょう。

 

このプレイリストにある黒人ブルーズは、ほかにもハウリン・ウルフ、ボ・ディドリーやチャック・ベリーやリトル・リチャード(らはロックンローラー?)、ジミー・リード、マディ・ウォータズ。なかなかおもしろいですね。それらはまとめて出てくるのではなく、さまざまな種類やタイプの曲に混じって登場するので、オッ!と思わせるものがあり、なかなかみごとな効果を生んでいるなと思います。

 

そう、ブラック・ミュージックがかなりたくさん収録されているというのがこのプレイリストの大きな特色で、ポール・サイモン自身がそれらを選曲したことを思えば、感慨深いものがあります。上記ブルーズばかりでなく、ファッツ・ドミノといったリズム&ブルーズ、スワン・シルヴァートーンズ、サム・クック時代のザ・ソウル・スターラーズのようなゴスペル・カルテットであるとか、アリーサ・フランクリンやマーサ・リーヴズ&ザ・ヴァンデラスやミラクルズのソウル・ナンバーだったり、あるいはドゥー・バップ曲だってあるし、目配せが利いているなと感じます。

 

フォークやフォーク・ロック、カントリー、初期ロックンロールであるとかいった白人音楽もまんべんなく収録されているし、このポール自身の選曲によるプレイリスト『ポール・サイモン:インフルエンサーズ』は、彼の青春時代(1950年代?)をいろどったアメリカン・ミュージック総ざらえといったおもむきがありますね。

 

ビートルズのようなイギリス人もいます。ビートルズのばあいレコード・デビューが1962年でしたから、1941年生まれのポール・サイモンにとっては形成期の音楽ではなく、活躍時期がほぼ同じだったという気がするんですが、それでもビートルズがポール・サイモンの音楽形成に果たした役割があったということなんでしょう。

 

そういった同時代音楽や、あるいは成功してのちに発売された音楽も多少このプレイリストには収録されています。ジミー・クリフ(二曲)なんかもそうですし、アリ・ファルカ・トゥーレもそうですね。二曲収録の初期ボブ・ディランなどもポールの同時代人でしょう。あるいはボブ・マーリーであるとか、マーヴィン・ゲイの「ワッツ・ゴーイング・オン」もそうです。あっ、いま気がつきましたが、ヴェトナム戦争をテーマにした音楽がわりと収録されていますね。このへんは同時代的にポール・サイモンと問題意識を共有していたということですね。それはポールの音楽からもわかります。

 

ぼくの大好きな『グレイスランド』『ザ・リズム・オヴ・ザ・セインツ』につながったであろうような音楽もすこし入っているのにもニンマリ。ポール・サイモンとの関係がよくわからない(けど、個人的には聴くのが楽しい)モダン・ジャズも収録されているのだってやや目立ちます。マイルズ・デイヴィスの『カインド・オヴ・ブルー』版「ソー・ワット」と、それからジョン・コルトレインの『至上の愛』なんかアルバムまるごとぜんぶ入っているという。それでプレイリストは締めくくられます。

 

(written 2020.8.8)

 

2020/09/22

マイルズはさほどギターリストを重用しなかったのかもしれません

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(9 min read)

 

萩原健太さんが9月16日付のブログ記事のなかでお書きになった以下の文章:

ーーー
ジョン・マクラフリンやソニー・シャーロック、レジー・ルーカスらギタリストを多用しながら独自のエレクトリック・ジャズ・サウンドで新時代を切り拓こうとしていた大親分マイルス・デイヴィスに対し、ハンコックのほうは、弟子なりの意地か、あえてギター抜きという別ベクトルで自分なりのエレクトリック・ジャズ・ファンク・フォーマットを模索しているのかもしれないなぁ、と。まだ大学生になりたてだった未熟者リスナーなりに興味深く受け止めたものだ。
ーーー
https://kenta45rpm.com/2020/09/16/head-hunters-hybrid-herbie-hancock/

 


この一節にはやや誤解もふくまれているように感じますので、細かいことをうるさいぞ、大学生のころのことじゃないか、と思われそうですけれども、マイルズ・デイヴィス狂としては突っこまざるをえませんので、大目に見てご笑読ください。

 

それはマイルズという音楽家のことをじっくり観察すると、ギターリストは実はそんなに多用しなかったのではないか、1960年代末ごろからソリッド・ボディのエレキ・ギターの使用がジャズ界で一般化して以後も、むしろどっちかというと鍵盤奏者のほうを重用したひとだよね、ということです。

 

ひとつには、自分の使うギターリストにも、鍵盤奏者が出すようなコード使用やハーモニー構成、オーケストレイションをマイルズは要求したということで、ガッチリした分厚いオーケストラルなリリカル・サウンドに乗って吹きたいひとだったんですよね。このことは以前一度詳述しましたので、そちらをご一読ください↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-2a11.html

 

そして、なんたって実数が少ないです。1981年の復帰後であれば常時必ずバンドにギターリストがいたマイルズですが、1975年夏の一時引退まででみれば、このひとがバンドのレギュラーとして常時雇いにしたギターリストは、1973〜75年のレジー・ルーカスとピート・コージーと、このたった二名だけなんですよね。

 

ジョン・マクラフリンもよく使っていたじゃないかと言われそうですけれども、マクラフリンはそのつどそのつどスタジオ・セッションに呼んでいただけで、だから頻繁であるとはいえあくまでゲスト。バンド・メンバーではありませんでした。

 

マクラフリンが参加しているマイルズ・バンドのライヴって、臨時の飛び入りだった1970年12月19日のセラー・ドアしかなく(アルバム『ライヴ・イーヴル』になったもの)、バンド・メンバーじゃないから、ほかに一個もないんです。そのセラー・ドア・ライヴだって連続するほかの日には参加していないんですから。

 

健太さんはソニー・シャーロックの名前をあげておられますが、シャーロックは1970年2月18日のスタジオ・セッションに参加して「ウィリー・ネルスン」一曲の複数テイクを録音したのみ。たったこの一日だけなんですよ。アルバム『ジャック・ジョンスン』に一部インサートされています。

 

一回、あるいは二、三回、単発の実験的セッションで呼んだだけのギターリストならほかにもいて、1967年のジョー・ベック(マイルズのギターリスト初起用)、68年のジョージ・ベンスン(『マイルズ・イン・ザ・スカイ』に収録)とかそうですけど、まだまだマイルズがギターリストを本格起用する前の時代でした。

 

トニー・ウィリアムズの推薦でジョン・マクラフリンを1969年2月のスタジオ・セッションに呼び、それが結果的にアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969)になってからは、マイルズもギターリストを、というかマクラフリンを、どんどん呼ぶようになって、ライヴをやるツアー・バンドにではなくスタジオでのおおがかりなセッション(あの時代のマイルズのスタジオ録音は常にそうで、レギュラー・バンドで、っていうことはほとんどなし)では多くのばあいギターリストが、っていうかマクラフリンが、弾いているというような具合になりました。

 

それでもエレピやオルガン、シンセサイザーなどのキーボード奏者がどんなセッションにも、ばあいによってはニ、三名とか、必ずいて、むしろそのサウンドのほうが音楽の方向性を握っていることが多かったですよね。マイルズが自分の音楽を鍵盤よりもギター・サウンド中心に組み立てるようになったのは、スタジオ作でいえば1974年リリースの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』が初にして引退前ラスト。つまりこの二枚組だけ。

 

もちろんライヴ・アルバムならレジー・ルーカス+ピート・コージーのツイン・ギターで鍵盤なし(ボスのオルガンを除く)というものはたくさんあります。たくさんっていうか、『ダーク・メイガス』(1974年録音、77年発売)、『アガルタ』『パンゲア』(1975年録音、後者は76年発売)と、二枚組三つだけですけれども。あの時代はバンドに専門の鍵盤奏者がいませんでしたからね。

 

スタジオ作でなら、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』の前に、例外的に(っていうのはバンドに鍵盤奏者が常時いた時代だったから)1971年リリースの『ジャック・ジョンスン』だけがマクラフリン弾きまくり中心のブラック・ロックで、いちおうハービー・ハンコックも電気オルガンで参加はしていますが、このアルバムだけはギター・アルバムですね。『ゲット・アップ・ウィズ・イット』でもマイルズの弾くオルガンがたくさん聴こえるんで、それすらなく、ギターで組み立てた『ジャック・ジョンスン』はあくまで例外ですけれども、でも超カッコイイ!

 

ほかにも、鍵盤楽器多数参加の『オン・ザ・コーナー』(1972)で聴こえるデイヴ・クリーマーや、1974年のドミニク・ゴーモンなど、ギターリストを使ってはいるマイルズですが、個々のスタジオ・セッションで臨時的に起用しただけで、ギターリストを使って音楽の新しい方向性を切り拓こうとしたとは言えなさそうです。

 

それでも、音楽の方向性を左右したとか決定権を握っていたのでないにせよ、サウンド・カラーリングのスパイスとして、1969年以後のマイルズはギターリストを頻繁に使っていたことは間違いなく、それがあの時代のマイルズ・ミュージックの一種の特色でもあったわけですから、健太さんのおっしゃることには納得できる部分もあります。73〜75年のマイルズはギター・ミュージックでしたね。

 

本当は1970年ごろからジョン・マクラフリンをバンド・レギュラーとして使いたかったのかもしれませんが、マクラフリン側の事情で実現しなかっただけかもしれず(ライフタイムを結成したから?)、また同時期にカルロス・サンタナに声をかけておそれ多いと断られたりもしています。

 

(written 2020.9.20)

 

2020/09/21

野茂英雄というピッチャーそのものが最高にロックンロールだった

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(6 min read)

 

というセリフをこないだネットで見かけて、だいぶ前にも同じようなことを書きましたが、こういった言説にはもう心底ウンザリなんですね。ロック、ロックンロールとはなんなのか?音楽のことじゃないのか?ロックとは生きかたのことなんでしょうか?う〜ん…。民謡クルセイダーズのやる「会津磐梯山」について、「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで身上潰すんですよ!めっちゃRockですよ!!」っていうツイートも見かけましたよ。

 

こういったことが言われるのはロックだけだと思うんですね。破天荒な、型破りな、生きかたをして、それがジャズだった、シャアビだった、演歌だった、なんてだれも言わないですからね。破滅的だったり挑戦的だったりする生きかたがロックになるんだったら、チャーリー・パーカーこそ最高のロックでしょう。チャーリー・パーカーはロックンロールだったとか、言ってみたらどうなんでしょうか。

 

考えかたというかロックということばのとらえかたが根本的に違っているということなんですけど、ぼくにとってロックとは完璧100%音楽のジャンル名でしかありません。生きかたのことじゃないです。ふつうはみんなそう考えているんじゃないかと思っていたのに、最近は野茂英雄と「会津磐梯山」について立て続けに上記のような発言を見て、ちょっと気分が萎え気味というか、ひょっとしてぼくのほうが少数派だったりおかしかったりするのかと疑ったりしはじめました。

 

ロックとは音楽名なのか、それともはたしてロックとは(音楽とは関係ない部分での)生きかたのことなのか、もうわかりません。だってみんな(じゃないとは思うんだけど)が生きかた、イヤな言いかたをすれば生きざまがロックだったとか言うんですもんねえ。そのばあいのロック(な生きざま)とは、たぶんチャーリー・パーカーみたいなセックスとドラッグと酒とタバコにまみれたムチャクチャな人生のことなんでしょうね、たぶん。

 

でもって、ロックが生きかたのことを指すことばだとして、そういうイメージはいままでにみんなが見てきたロック・シンガーやギターリストの人生から類推して言っているんですよね、おそらく。でも、音楽としてのロックとはなんらの新冒険やアンチテーゼ、アンチ体制的、革新的なものじゃないんですよね。ロック・ミュージックはアメリカン・ポピュラー・ミュージックの王道、保守本道からそのまま流れ出たものなんですよね。

 

このことを詳細に論じはじめるとこりゃまたたいへんなことになってしまいますのできょうはやりませんが、ロックは(直接的には)黒人リズム&ブルーズや白人カントリー・ミュージックなど種々の要素が流入合体して誕生したものです。カントリーなんかアメリカ白人保守層の愛好する音楽だし、黒人リズム&ブルーズは、ルーツが1940年代のジャンプ・ミュージックで、ジャンプとは黒人スウィング・ジャズのことにほかならないんですからね。

 

スウィング・ジャズは、アメリカの大衆音楽の王道中の王道を歩んだ保守音楽なんですから。それが(関係はやや遠いとはいえ)ロックのルーツなんですからね。カウンターだアンチだということをもし言うのであれば、1920年代くらいまでのジャズだってカウンター・ミュージック、不良の音楽だったんですよ。徐々に世間に受け入れられ、1935年くらいからのビッグ・バンド・スウィング・ジャズは完璧にアメリカのお茶の間の健全な音楽になりましたけどね。

 

日本でも、かつてロックは、エレキ(・ギター)は、不良であると、そう言われたりみなされた時代がありましたよね。しかし時代を経て、いまやそんなことを言う中高年、親、教師もいなくなったではありませんか。日本のお茶の間でテレビの歌番組を家族で聴いていて、そこにどんだけのロック(要素)があるか。もはや生活に欠かせない音楽に、つまり主流の、すなわちある意味保守の、大人の、音楽になっているんですよね、ロックは。

 

そういうことじゃない、ロックとは若者の青春衝動みたいなものの象徴なんである、ということかもしれませんが、もしそれを言うのであれば、どんな音楽だって夢中になって必死で取り組んでいる人間にとっては爆発であり反骨であり青春衝動なんですよね。音楽活動というものじたいがそういったパワーを内在していることはたしかなことなんで、それがたまたま「ロック」ということばの衣をまとうことが多いというか、ロックだと言えばなんだかカッコよく思える、っていうことなんでしょうか。

 

そういった用語として「ロック」を持ってくる、それでカッコよく決めたと思うのは、昭和の発想じゃないかと、ぼくなんかはそう思うんですけどねえ。

 

(written 2020.8.7)

 

2020/09/20

モダンでポップなターキッシュ・フォークロア 〜 アイフェール・ヴァルダール

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(4 min read)

 

Ayfer Vardar / Sır

https://open.spotify.com/album/7DnEkOJ6yDv2u4ACzub3Zo?si=-SR3wT5yTxOODDQ8JZcsUA

 

アイフェール・ヴァルダールという読みでいいでしょうか、Ayfer Vardar。トルコの歌手です。そのアルバム『Sır』(2019)をエル・スールのホーム・ページで見て、それまでちっとも知らなかったひとですけど、歌手名とジャケットの雰囲気になんだかピンとくるものがあって、Spotify検索してみたらすんなり見つかったので、聴いてみました。

 

カラン・レーベルが出しているハルク(民謡)・アルバムということで、さすが内容はしっかりしていますね。『Sır』、かなりいいと思います。最大の特色は、だれがつくったともわからない民謡ばかりとりあげつつ、かなりモダンでポップなアレンジを施してあるところ。それは伴奏の楽器編成にも端的に表れています。

 

アクースティック・ギターやピアノなどが中心で、ドラム・セット+パーカッションの組み合わせがダイナミックなリズムを刻んだりする曲もあります。さらにストリング・アンサンブルが起用されていて、曲によってはかなりダイナミックなオーケストレイションを聴かせるものだってあり。エレクトロニクスもちょっぴり活用されているようです。

 

特にいちばん活躍しているのはスティール弦のアクースティック・ギターでしょうか。カランという会社はわりとこういうのが得意だという面があって、ハルクだけでなくオスマン古典歌謡なんかでも現代的な楽器編成とモダンなアレンジで楽しく聴きやすく仕上げることがありますよね。このアイフェール・ヴァルダールのアルバムでも、なにも知らずに聴いたら民謡が素材とは到底思えないポップな聴きやすさを実現しているなと思います。

 

ちょっとアメリカン・フォークみたいだったり、ものによってはポップ/ロック・ミュージックっぽい曲調にアレンジしてあったりなどして、それでもサズ(はアイフェール自身かも)やウードなど伝統楽器もそこそこ使われているんですけど、モダンな楽器&アレンジとのブレンド具合が絶妙で、これ、アレンジャーやプロデューサーがだれだったのか、とても知りたい気分です。正規の音楽教育を受けたアイフェール自身かもしれないんですけれども。

 

彼女の歌声そのものも、ちょっぴりモダンというか、ハルク向きというだけじゃなく現代的なポップスでも似合いそうな資質を持っているんじゃないかと聴こえます。パワフルに声を張ったりしながらも、落ち着いておだやかに揺れるような、それでいてメランコリックで、かつ澄んだ声ですよね。澄んでいながらややくぐもったような、陰なフィーリングもあります。哀感をともなった切ないフィーリングでフレーズをまわす歌いかたがなんともすばらしいですね。

 

ハルク・アルバムですけれども、モダンでポップなフォークロア。そう呼んでいいと思います。伝統ものは伝統的スタイルでやったほうが好きだと思われる向きにはイマイチかもしれませんが、この歌手の過去の作品には伝統スタイルでやったものがあったりしますから、要検索。

 

(written 2020.8.6)

 

2020/09/19

なぜ傑出しているのか 〜 岩佐美咲「糸」

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(9 min read)

 

来る10月21日に、わさみんこと岩佐美咲の「右手と左手のブルース」特別盤二種が発売されますが、タイプAにもBにも中島みゆき「糸」のカヴァーが収録されます。

 

「糸」といえば、わさみんは2017年に一度CD化していますよね。「鯖街道」特別記念盤(通常盤)に収録され、夏に発売されました。そのヴァージョンはいまや伝説ともなっている同年5月7日の新宿での弾き語りライヴで収録されたものです。

 

それ以前それ以後ともわさみんはいろんな機会で「糸」を歌ってきていて、ある意味得意レパートリーにしていると言ってもいいくらい。以下にリンクするわいるどさんのブログ記事にまとめられているので、ぜひご一読ください。

 

・特別盤のカップリング曲はどうなる?「糸」編
https://ameblo.jp/saku1125/entry-12625148671.html

 

CD収録されているので容易に聴くことのできる2017年5月の弾き語りヴァージョンの「糸」は、わさみん史上最高の一曲として、いまでも多くのファンの心をとらえ続け、泣かせ続けてきています。ぼくも非常に強い感銘を受け、以前一度記事にしたことがありました↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-99ed.html

 

熱心なわさ民(わさみんファン)のみなさんのあいだでも、この「糸」は評価が高くて、これ以上の「糸」は存在しない、カヴァーの多い曲だけどほかのどんな歌手のどんなヴァージョンとも比較にすらならない、わさみんひとりだけ<別の曲>を歌っているかのようだ、とまで言われています。

 

複数のわさ民さんからぼくも現場で直接、わさみんの「糸」はどうしてあんなに感動的なのでしょうか?と話しかけられたりすることがあったりなどします。今回、ふたたびCD発売されるということで(もちろん新録新ヴァージョンでしょう)、いまふたたび立ち止まってもう一回考えてみたいなと思い、きょう筆をとっている次第です。

 

参考になるのは、わいるどさんが上にリンクした記事のなかでご紹介くださっているわいるどさん作成のSpotifyプレイリスト『「糸」聴き比べ』です。これはほんとうに助かりました。感謝ですね〜。
https://open.spotify.com/playlist/4N2zAiMmHdvwFnDHDYwUJD?si=Zz1QoeMvS2OXmiPiMdY_gQ

 

中島みゆきのオリジナルやわさみんヴァージョンはSpotifyにないんですけど、一時間半以上にわたり、さまざまな歌手による「糸」のカヴァー・ヴァージョンが並べられています。これをぼくもじっくりと聴き、さらにYouTubeで見つかるほかのいくつかの「糸」も耳にしましたので、わさみんヴァージョンがなぜあんなにも傑出しているのか、思うところを記しておきますね。

 

結論からカンタンに言ってしまえば、わさみん2017年ヴァージョンの「糸」はある種の素人っぽさが功を奏しているんだと思います。ていねいなアレンジに凝ったり、(ふつうの意味でのいわゆる)うまい歌手がしっかり歌いまわしたりしないほうが、映える曲、伝わる曲だからということなんですね。

 

裏返せば、中島みゆきのこの「糸」、曲そのものがとても<強い>んですよね。引力というか聴き手をトリコにする魔力があまりにも強靭で、歌詞にしろメロディにしろ、そのままで世のどんなひとにだって感銘を与えうるパワフルな曲じゃないかと思えます。特にこの歌詞ですよ。

 

そんな強い曲、曲そのものがあまりにも魅力的で強靭すぎる曲は、アレンジの工夫や装飾的な歌いまわしなど意識的な歌唱を拒否してしまう部分があるだろうと思うんですね。そのままストレートに向けられるだけで泣いてしまいそうなくらいですから、カヴァーする歌手が解釈に工夫を凝らせば凝らすほど、曲そのものから遠ざかり、曲が本来持っている力を削いでしまいます。

 

わさみん2017年ライヴ・ヴァージョンの「糸」はアクースティック・ギター弾き語り。決してうまいとは言えないつたない感じの本人のギターではじまって、もう一名サポート・ギターリストがいますが、あくまで控えめ。アマチュアの域にあの時点ではあったといえるわさみんギターを引き立てる影に徹していますよね。オブリガートをつけるヴァイオリニストも同じ。

 

伴奏はたったこれだけ。サポート・ギターリストやヴァイオリニストのかたがたは熟達のプロでしょうけど、おぼつかないわさみんのギターよりも目立つことのないように、あくまで主役はわさみんなんだからということで、脇役から一歩も踏み出ていない伴奏です。

 

そんな演奏ができるということじたい、サポートのギターリストとヴァイオリニストのかたがたが徹底したプロである証拠なんですけれども、逆に言えば主役たるわさみんのギターとヴォーカルが、ストレートさが、それを引き出したという見方もできます。

 

歌いかただって、思い出してください、いつものわさみんスタイルを。歌の持つ本来のメロディを決してフェイクしたり崩して工夫したりすることはしません。そのままストレートに、スッと素直に歌いますよね。ナイーヴ、素直すぎるととらえる向きもおありでしょうが、2017年ヴァージョンの「糸」にかんしては、曲の持つ魅力、パワーをむきだしにしてそのまま伝えることに成功しているではありませんか。

 

ほかの<うまい>歌手たちによる「糸」は、曲そのものの魅力よりも、声や歌いまわしのパワーのほうが前に出てしまっているんですよね。アレンジで工夫しているものだと、聴いていてアレッ?とシラけてしまいますしね。名前は出しませんが演歌系の歌手なんかは(都はるみばりに)強くガナッたりしていて、曲が台無しになっています。

 

YouTubeにちょこちょこ上がっている、ホーム・ヴィデオ収録の、アマチュアのそこらへんのおっちゃんが結婚披露宴の余興で歌った素人くささ満点の「糸」のほうが、はるかにいい曲に聴こえるっていう、そんなおそろしい曲なんですよね、「糸」って。

 

ひとことにすれば、歌手の意識やうまさが前に出て目立ってしまってはいけない曲なんですね。それだと「糸」という曲のパワーが伝わりません。

 

曲がそもそも最初から持っている引力が強すぎる中島みゆきの「糸」という曲は、それをそのまま活かすように、伴奏アレンジでもヴォーカルでもなるべく工夫を施さず、そのままストレートにやったほうがいいんです。そのほうが「糸」という曲の繊細さが伝わりますね。

 

さて、10月21日に発売される新ヴァージョンであろうわさみんの「糸」は、どんな感じになっているんでしょうか。弾き語りではもうあれ以上のものはできえないというものを2017年に発売しましたから、今回は中島みゆきのオリジナル・ヴァージョンに則してストリングスなどオーケストラ伴奏もくわえたものになっているんでしょうか。そんな気がします。

 

いずれにしても、「糸」という曲とわさみんとは相性がかなりいいんだということは実証されていますから、瀟洒なオーケストラ伴奏がくわわっても、持ち味のストレート&ナイーヴ歌唱法で、もう一回ぼくらを感動させてくれる、あるいは神ヴァージョンとまで言われる2017年弾き語りの「糸」すら超えてくる可能性だってありますよね。

 

(※ Spotifyにはローカル・ストレージからファイルをインポートできますので、ぼくは自分のパソコンから中島みゆきのとわさみんのをSpotifyに入れて、わいるどさん作成の「糸」プレイリストに追加しています。完璧や。)

 

(written 2020.9.17)

 

2020/09/18

なごみのサンバ・アルバム 〜 ミンゴ・シルヴァ

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(3 min read)

 

Mingo Silva / Arte do Povo

https://open.spotify.com/album/3ZBp3DlqwAYYRoOPWg4YpG?si=7TCxYJCiRzGTKVUzWLbOgg

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-12

 

モアシール・ルス率いるサンバ・ド・トラバリャドールの歌い手、ミンゴ・シルヴァ(Mingo Silva)によるデビュー作を聴きました。『Arte do Povo』(2020)。デビューといっても50歳で、キャリアはすでに十分ですね。歌っている曲はたぶんすべてミンゴの自作だと思います。それをコクのある味わいの溌溂としたアンサンブルに乗せて余裕を持った歌いまわしでこなすミンゴ。文句なしのサンバ・アルバムですね。

 

収録曲は圧倒的に明るい陽のサンバが多く、哀影のあるサウダージは二曲か三曲しかありません。個人的にはどっちかというとサウダージに惹かれるタイプなんで、だからこのアルバムでもたとえば3曲目なんかが出た瞬間に、うんいいね!と思ってしまうんですけど、やや例外的な嗜好かもしれないですね。またその3曲目でもサビ部分は明るい調子にパッと移行します。

 

ミンゴの書く曲は聴きやすく親しみやすいメロディを持っていて、ポップなセンスもあります。歌手としてのみならずサンバのソングライターとして、もちろんいままでにキャリアを積んできたひとみたいですけど、なかなかいい曲を書きますよね。伴奏も歌も映えます。曲がいいというのはゲスト・シンガーがこのアルバムには複数いるんですけど、それを聴いてもわかりますね。

 

またどの曲でもミンゴの声はディープでありかつ甘さもあって、そんでもって曲の資質同様たいへんに聴きやすいというのが大きな特徴じゃないでしょうか。アレグリア(明るい陽)のサンバを歌うときの表情なんか、聴いていて思わずなごんでしまう、こっちも微笑みを浮かべてしまうような、そんなフィーリングがあるんですね。曲のよさと声のよさが一体になっているなと感じます。

 

ゲスト参加のなかでは7曲目のゼカ・パゴジーニョの存在感がきわだっているんじゃないでしょうか。特にここがこうというような大きな特徴や目立つ点はないけれど、なじみやすい極上のトラディショナルなサンバ・アルバムですね。

 

(written 2020.8.5)

 

2020/09/17

『夜のヒットスタジオ』時代の思い出

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(7 min read)

 

きのうピンク・レディーのことを書きましたが、このコンビもそうだし、山口百恵でも沢田研二でもだれでも、ぼくが10代のころに親しんでいた歌謡曲歌手のほとんど全員は、フジテレビ系の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』で見聴きして知っていたものでした。

 

ウィキペディアの記述によれば、『夜のヒットスタジオ』は1968年から1990年まで放送されていたそうですけど、ぼくが見ていたのは中高大学生時代のことですから、70年代中盤〜80年代初頭までのことです。毎週月曜夜10時。

 

歴代司会者でいえば、芳村真理&井上順時代のことしか記憶になくて、実際その期間こそぼくにとっての『夜のヒットスタジオ』時代でしたね。見はじめたのがいつごろどういうきっかけでだったかは忘れましたが、見なくなったのは実家を離れて上京して、テレビのない部屋に住みはじめたからです。ジャズ狂になっていたので、音楽の趣味が変わったからということもありますが。

 

『夜のヒットスタジオ』は生放送。そしていまの音楽番組ではありえないことですが、番組専属のオーケストラがありました。ぼくがこの番組に夢中だった時代はダン池田とニューブリードで、それにくわえストリングス・セクション(東京放送管弦楽団から)が参加していました。これがどの歌手の伴奏もぜんぶやったんです。番組専属の生バンドがいるっていうのは、あの時代はあたりまえだったんですよ。いまではNHKの『紅白歌合戦』だけですかね、そういうのは。

 

もっともある時期以後は『夜のヒットスタジオ』でも、いわゆるフォーク、ニューミュージック、ロック系の音楽家を出演させることも増え、そういうひとたちは当時テレビに出たがらなかったのですが、『夜のヒットスタジオ』には出るときもあって、そういうときは番組のオケじゃなくて、歌手のバンドがそのまま務めるということがありましたね。

 

ぼくの記憶にいちばん焼き付いているのは沢田研二のバックだった井上堯之バンドで、でもジュリーもしばらくのあいだは番組のダン池田とニューブリードで歌っていたような気がするんですが、いつごろからかなあ、井上堯之バンドを引き連れて出演するようになりましたね。あるいは最初から?

 

ジュリーは歌詞が飛びやすい(忘れやすい)歌手としてもよく憶えていて、『夜のヒットスタジオ』は生放送ですからね、歌詞が飛ぶとどうにもならないんですよねえ。ただ呆然として立ち尽くすジュリーが映っているのみなんです。じっと伴奏だけが流れるなか、脇から司会の井上順が歩み寄ってジュリーの背中をポンポンとリズムに合わせて叩いてみたり。いまなら放送事故ですよねえ。

 

生放送ということは、予定されていたのに放送時間に出演しそこねる、つまり間に合わないといったこともあったんです。この件でいちばんよく憶えているのはピンク・レディー。このコンビの絶頂期はそ〜りゃも〜う超多忙で、なんでも睡眠時間が毎日ほとんどないっていうような状態がずっと続いていたそうですからね。

 

だからスケジュールがびっしりで、出演依頼があまりにも舞い込み受けすぎてダブル・ブッキングに近いことも日常茶飯だったみたいです。そんなありえないほど忙しすぎるピンク・レディーだったから、『夜のヒットスタジオ』の放送時間に間に合わないっていうことがなんどかあったんです。

 

そんなときこの番組はそこにいる歌手のだれかにピンチ・ヒッターとして代役になってもらい、歌ってもらうということがあったんですね。どうです、こんなこと、いまでは絶対に考えられないですよねえ。見ている側のぼくらとしては、代役歌手がちょっと動揺しながら緊張感満点でピンク・レディーを歌ったりするのも、ちょっとした楽しみでしたよ。

 

代役が歌うといえばですね、『夜のヒットスタジオ』の幕開けには「オープニング・メドレー」というのがあってですね、司会者から最初に紹介された歌手が「他歌手の持ち歌」のワン・フレーズを歌い、次に「その歌われた歌の持ち主」にマイクを手渡しその歌手が「他歌手(その歌手の次に歌う歌手)の持ち歌」を歌うといったメドレーでした。

 

バトン・リレーのように他人の歌をワン・フレーズずつメドレー形式で歌っていき、最後はトリの歌手が「トリ前の歌手が歌った自分の歌」のサビを歌い、集まった出演者とともにフィニッシュとなるというもので、この番組オープニングがほんとうに楽しかったですね。

 

『夜のヒットスタジオ』は番組内でさまざまな(歌とは無関係な)企画もやっていて、記憶しているかぎりでは「歌謡ドラマ」とか「コンピューター恋人選び」とか「ラッキーテレフォンプレゼント」とか、いくつもあったように思いますが、そのへんは個人的にあまりちゃんと見ていなかったですね。

 

あくまで歌番組として、いろんな歌手の最新ヒット曲を、時代の流行歌を、聴けるのがぼくにとっての最大の魅力だったんです。やっぱり出演しない歌手も、一部の「アーティスト」系のひとたちのなかにいたんじゃないかと思いますが、かなりたくさんの、つまりヒット・チャートをにぎわせているような歌手はだいたいぜんぶ『夜のヒットスタジオ』で聴けたんじゃないかと思います。

 

そんなことが、当時はもちろんわかっていなかったし、その後はずっとそんな歌謡曲の世界を何十年間も否定するような気分が続いていたんですけど、いまとなっては岩佐美咲や原田知世なんかが好きになってみると、彼女たちがどんどんカヴァーする往年の歌謡ヒットをなにもかも憶えているというのが、10代のころのこんな『夜のヒットスタジオ』体験のおかげだったなと、いまではわかるようになりました。

 

(written 2020.9.15)

 

2020/09/16

思春期をピンク・レディーとともに過ごした

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(11 min read)

 

https://open.spotify.com/album/5Ng95KIiBpeNl4uBOK5Zju?si=J1y36LzVTDqMkjqS-EphLA

 

つい昨日(9/11)気づいたばかりなんですが、いつの間にかピンク・レディーが全曲ストリーミングで聴けるようになっていますねえ。いつから?ちょっと調べてみたら昨年の冬あたりに解禁になっていたようです。知らなかった…。大きく告知してくれたらよかったのに。

 

でもそれがなかった(気づかなかっただけ?)のは、もういまやピンク・レディーがどうこうっていうような時代じゃないんだということでしょうね。ぼくらの世代がちょうど中高生のころの最大のアイドルがピンク・レディーにほかならず、そう、沢田研二も山口百恵もキャンディーズもいたけれど、ぼくにとってはピンク・レディーでしたねえ。レコード売り上げ数からいっても断然No.1でしたし、露出度からいってもねえ。

 

だから思春期をピンク・レディーとともに過ごしたと言ってよく、ほ〜んとあのころ、テレビの歌謡番組にどんどん出まくっては歌い踊る二人の姿に夢中になっていたものでした。かわいくて、あのころのぼくにとってはちょっと年上のきれいなお姉さんたちで、セクシーさも感じていたから、思春期のある種の目覚めをミーちゃんとケイちゃんに見出していたような気がします。

 

いまSpotifyで見ますと、ピンク・レディーは当時わりとアルバムもリリースしていたんですね。ライヴ・アルバムだって三つもあるみたい。このへんは山口百恵にしろだれにしろ、いまの現役アイドルでもたぶん同じなんですけど、どんどん発売されテレビの歌番組で披露されるシングルA面曲(表題曲)のことしか、ぼくも頭になかったですね。45回転のドーナツ盤は買っていましたが、アルバムがあると意識すらしたことなく。

 

逆に言えば、ピンク・レディーのシングルA面曲はぜんぶいまでも鮮明に憶えていますし、歌えます。踊りはもう忘れたかも。このコンビの活動期は(解散後の復活には興味なかったので除くと)「ペッパー警部」(1976/8)から「OH!」(1981/3)まで。でもその解散前近くのことはもうあまり記憶になくて、ぼくが夢中だったのは78年12月の「カメレオン・アーミー」まででしたね。

 

実際ピンク・レディーの人気もそのへんを境にガクンと落ちるようになり(「カメレオン・アーミー」が最後のオリコン・チャート1位でした)、世間ではアイドルが人気を保てるのは二年か三年だけと言われていますけど、このコンビも例外ではなかったということです。でも絶頂期の人気はそりゃ〜あもう!ものすごいものだったんですよ。ピンク・レディー現象とまで言われました。

 

個人的にはデビュー曲だった「ペッパー警部」が大きな衝撃で、当時ぼくは14歳。だから中学生でした。いきなりテレビの歌番組に見知らぬ女性二人組が登場し、曲題が「ペッパー警部」と画面にテロップで出たときは、なんじゃそりゃ?!と驚きました。警部もヘンだと思ったけど、ペッパーがなんのことやらわかりませんでしたからねえ。

 

いまであればペッパー警部→サージェント・ペパーと連想が働きますから(サージェントは軍曹だけど)、あぁビートルズなんだと、作詞の阿久悠は完璧その世代ですからね、ちょっとはわかるんですけど、当時はただただ不思議で。もっとびっくりしたのはテレビ画面で歌いながら踊るミーとケイのちょっと大胆な振り付けです。こんな格好していいのか?って子ども心に思ったもんです。

 

その数年前から山本リンダの「どうにもとまらない」とか「狙いうち」とかに釘付けだったわけでしたから、ピンク・レディーの「ペッパー警部」なんかどうってことないだろうと、いまではそう感じます。でも当時はですね、リンダのころぼくはまだ10歳くらいで、ただただおもしろいと思って真似していただけで、要するにまだ「目覚めて」いなかったんですよ。

 

ピンク・レディーがデビューしたときぼくは14歳になっていましたから、見聴きする側のこっちが思春期に入っていたから、だからテレビで見ているだけでちょっと恥ずかしいと、リンダのほうがもっといやらしく激しかったのにあのころはワケわかっていませんでしたからねえ。

 

そう、だから上でも触れましたが思春期のある種の目覚めをピンク・レディーに刺激されて、それでちょっと恥ずかしいでもテレビ画面から目を離すことができないっていう、そんなアンビヴァレンスのジュブナイルをぼくは過ごしました。ぼくにとっての思春期=ピンク・レディーを見聴きする体験でした。

 

第二弾シングル「S・O・S」(1976/11)、第三弾「カルメン ’77」(77/3)と、徐々にぼくのちょっとした恥ずかしさとともにあったある種の抵抗感も薄れ、ひたすら楽しくテレビの歌番組でピンク・レディーを見聴きするようになっていったんですね。

 

ところで「S・O・S」って、いま聴くと楽曲としてかなり完成度が高いっていうか、いい曲ですよねえ。ピンク・レディーのばあい、あくまでああいった振り付けあってこそ、踊りながら歌うのであってこそ、意味がある楽しさがあるという存在だったんで、レコードやCDや配信で曲だけ聴いてもなぁ…とずっと感じていましたが、今回Spotifyで聴きなおし、なかなかどうして楽しいぞとみなおしました。

 

阿久悠(作詞)&都倉俊一(作編曲)の曲づくりもどんどん深化していって、四枚目のシングル「渚のシンドバッド」(1977/6)のころにはだれも及ばない高いレベルの歌謡曲を産み出すことに成功していました。この曲はこのコンビが歌ったなかの最高傑作じゃないですか。ピンク・レディーに書いた阿久悠の詞はかなり不思議というか、「渚のシンドバッド」にしたって曲題そのものが妙でしょう、渚にシンドバッドがいるんですよ。

 

でもそのへんの歌詞の不可思議さ、すっとんきょうなミョウチクリンさ、必ずしも男女の恋愛をテーマにしたものではなかったりした新鮮な題材、「UFO」(1977/12)のように宇宙人に恋をする設定とか、「サウスポー」(78/3)のような<時代>を反映したタイムリーさ、などなど、だれも追いつけない世界を実現していました。「サウスポー」に出てくるバッターは王貞治のことであると全員がわかっていましたけれども、歌詞にしちゃっていいのかよとか、思っていましたよね。

 

そのあたりの、ちょっと、いや、かなりヘンな阿久悠の歌詞がちょうど思春期のぼくを強くくすぐり刺激したのは間違いありません。都倉俊一の書くメロディとアレンジにしたって、いま聴けば、あぁここはブギ・ウギ・ベースのロックンロールだ、これはディスコ・ポップスだなとか解析できますが、10代のころのぼくの耳にはひたすら新鮮でカッコいいサウンドだったんですから。

 

阿久と都倉の歌詞と曲に分割整理して語っていますけど、当時はもちろん両者合体で一体化した魅惑として、土居甫のつけた振り付けとあいまって、ちょっぴりエキゾティックで(見慣れないという意味で)ありかつ一種のキワモノ的な快感もあって、非常に強く当時の子どもたちにアピールしてきていたんですよ。そう、ピンク・レディー人気は子どもが支えていました。1978年のオリコン調査によれば、このコンビの支持層は3〜12歳が42.5%だったそうです。女性アイドルなのに女性ファンのほうが多かったのも特徴です。

 

とにかくレコードが売れに売れて(売れる=正義という世界)、「渚のシンドバッド」で初のミリオン・セラーを記録して以来100万枚突破が常態化し、テレビ番組に出まくってはあんな感じで踊り歌って、しかしピンク・レディーは健全で明るくポップな感じだったのでお茶の間にも違和感なく受け入れられて、当時このコンビを知らない日本人はいなかったのでは?と思うほどでしたねえ。

 

流行歌はあくまで<時代の>ものでしかないんで、過ぎてしまえば忘れられる運命。いまやピンク・レディーの一連のメガ・ヒット・ナンバーも懐メロとなってしまったかもしれません。大学生のころからぼくはジャズにハマるようになると同時に日本のヒット歌謡の世界からは遠ざかり、意識して蔑視してしまっていたような気がします。

 

長い時間が経過して、2017年の初春ごろからわさみんこと岩佐美咲のことが好きになり、するとわさみんは(ファン層がオジサン中心だからでしょうけど)コンサートで往年のヒット曲、つまりピンク・レディーなんかをよく歌うし、DVDにも収録されているんですね。ぼくの記憶しているかぎりでは、わさみんはいままでに二曲、2018年のソロ・コンサートで「UFO」と「ペッパー警部」を歌いました。これからもまた聴きたいな〜。

 

(written 2020.9.14)

 

2020/09/15

ブリュッセルの多様なグナーワ 〜 ジョラ

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(5 min read)

 

Jola - Hidden Gnawa Music in Brussels

https://open.spotify.com/album/28cFTIMyW0hovbkWDbQuN7?si=N0D7v1iiQ-yY-iF_Y1r6Cw

 

ベルギーのブリュッセルはヨーロッパにおけるグナーワの中心地になっているらしく、モロッコから現在40名ほどのグナーワ音楽家が移住しているんだそうです。ジョラ(Jola)は、そんなブリュッセルで活動するグナーワ・グループのひとつなんでしょうか、その2020年発売作『Jola - Hidden Gnawa Music in Brussels』を聴きました。なかなかディープでいいですよ。ブリュッセルのグナーワ集団を録音した世界初のアルバムだとのこと。

 

グナーワ・ミュージックというと、ゲンブリ(三弦のベース的なもの)、カルカベ(鉄製カスタネット)、手拍子、(男声)ヴォーカルのコール&レスポンス、で構成されるのが標準的なフォーマットだという考えがあると思うんですが、このアルバム『ヒッドゥン・グナーワ・ミュージック』では、たしかにそういったものが中心になっているとはいえ、必ずしもそれに沿っていないものだってたくさん収録されています。

 

モロッコのであれ、グナーワの多様な姿のうちぼくが知っているものはCDなどで聴いてきたごく一部なので、実際にはいろんなものがあるんだろうと想像はできますね。たとえばこのアルバム1曲目の楽器伴奏はゲンブリ一台のみ。それと手拍子とヴォーカルだけで構成されています。それがしかしけっこうコクと深みのある味わいで、なかなかいいんですね。

 

2曲目は、手拍子のエフェクトも入るとはいえ、ほぼゲンブリ一台の独奏です。ゲンブリ独奏というのはぼくはモロッコのグナーワで聴いたことがなかったんじゃないかと思いますね。このアルバムでもインタールード的な短い演奏で、アルバムのちょっとしたアクセントになっているだけですけれども。本場モロッコのグナーワにもゲンブリ独奏があるのかもしれません。

 

もっと変わり種は3曲目。これは太鼓アンサンブルだけの演奏なんですね。トゥバールという両面太鼓を使っているそうで、太鼓だけのアンサンブルがグナーワ・ミュージックのなかにあるとは、ぼくは無知にしてぜんぜん知らず、かなり意外な感じがしました。上でも触れましたが、実際にはグナーワのなかにもさまざまな演奏があるのかもしれないですね。きっとそうでしょう。

 

4曲目も、これはカルカベ・アンサンブルだけの伴奏に乗せてヴォーカリストが歌うといったもので、ホントこのアルバムにはいろんなスタイルのグナーワがあって、たぶん日本のぼくなど現場外の人間にはあまり知られていないというだけのことなんでしょうけどね。

 

またこれもちょっとめずらしいのかもと思ったのは10曲目。ここでは女声がメイン・ヴォーカルなんですね。ゲンブリ+カルカベ+手拍子といった伴奏編成は標準的ですが、女声がリードをとって男声コーラスがレスポンスするグナーワというのはぼくは聴いたことなかったです。この女声はちょっと西アフリカ〜トゥアレグ的なフィーリングを持っていますね。そんな発声です。

 

と、ここまでは、このアルバムで聴けるぼく個人はいままで知らなかったスタイルのグナーワ・ミュージックのことを書いてきましたが、これら以外はきわめてスタンダードなスタイルで演唱しているものばかりです。特にいいな、アルバムのクライマックスかなと思えるのは中盤6〜8曲目あたりですが、ディープさ、コクのあるエグ味などにおいてモロッコのルーツ・グナーワになんら劣るものではなく、決して外部向けに観光商品化したものでもないし、ナマの、現場の、そのままのグナーワの姿を、ブリュッセルにおいてとらえたものだと言えましょう。

 

(written 2020.8.4)

 

2020/09/14

スティーリー・ダン復活を告げたフェイゲン『カマキリアド』

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(5 min read)

 

Donald Fagen / Kamakiriad

https://open.spotify.com/album/3guIJLgNSvFppMVfs4ap8Z?si=U1SP90E6RZ2zIswSg-hn8Q

 

1993年にリリースされたドナルド・フェイゲンのソロ二作目『カマキリアド』。けっこう好きで、当時くりかえし聴いていましたが、このアルバムにはなかなか大きな意味がありました。フェイゲンのファースト・ソロ・アルバムである名盤『ザ・ナイトフライ』が1981年の作品。実に久々の復帰作だったということと、もう一点もっと大きなことは演奏とプロデュースでウォルター・ベッカーが参加しているということです。

 

いうまでもなくウォルター・ベッカーはフェイゲンの盟友にしてスティーリー・ダンの中核メンバー。そのベッカーが実にひさかたぶりに、スティーリー・ダン解散後はじめて、フェイゲンと組んだということで、ぼくらとしては『カマキリアド』CD でそのクレジットを見たときちょっと興奮したもんです。やや、これはひょっとしてスティーリー・ダン再始動の兆しじゃないのか?とかってですね。

 

はたして実際そうなりました。アルバム『カマキリアド』販売促進キャンペーンという意味もあって、フェイゲンとベッカーはスティーリー・ダンを再結成し、1993、94年と全米をライヴ・ツアーしてまわったんですね。 その様子はライヴ・アルバム『アライヴ・イン・アメリカ』で聴くことができます(Spotifyにもあり)。このツアーをきっかけにダンは本格再始動、スタジオ録音作などもリリースしライヴも活発になりました。

 

そんな一連のスティーリー・ダン再始動関連の動きの端緒になったのがフェイゲンの『カマキリアド』だったということで、そんな意味でもなかなか思い入れのあるアルバムなんですね。そしてそれ以上にぼくはこのアルバムの音楽が好き。なにが好きって、サウンドが乾いていて人工的な感触がするところですね。あんがいそういったものも好みに感じるときがあるんです。

 

でもこれはやや意外でもあります。かつてのスティーリー・ダン全盛期には、不確定要素の多いライヴをとりやめ、スタジオでの緻密な組み立てにこだわって作品を仕上げていたフェイゲンとベッカー。しかし1993年ともなれば演奏するミュージシャン個々の力量も上がっているし、なんといってもテクノロジーの進歩が著しく、フェイゲンの思い描くサウンドを具現化しやすくなっていました。

 

だから、かつてのような作業をくりかえす必要もなくなっていたわけで、人力での生演奏をそのまま重ねただけでもなかなかのクォリティを獲得できるようになっていました。実際『カマキリアド』の録音制作は、以前のような過剰とも思えるスタジオ密室作業が減っていたんじゃないかと思えるんですよね。より生のグルーヴをそのままパッケージングしたというに近いプロデュースだったんじゃないかと思えます。

 

それなのに、結果的にはこんな人工的でドライな感触の響きがするというのは、なかなか興味深いところです。なぜそんなことになるのかはぼくにはまったくわかりません。さて、このアルバム、出だしはまあまあの感じではじまりますが、いいなぁ〜!とほんとうに感じるのは4曲目の「スノウバウンド」からです。この曲は大好きですね。グルーヴがね、いいと思うんですよ。ベースもエレキ・ギターのサウンドもフェンダー・ローズもオルガンもみごとに情景を描写しているし、曲のメロディも、サウンド構成も、そしてリズムも好きですね。

 

そこからはほんとうにいい曲が続きます。4「スノウバウンド」が突出してすばらしいと聴こえるんですが、その後も5「トゥモロウズ・ガールズ」のベース・パターンやリズムのノリのカッコよさ、メロディのポップなキュートさなどみごとですし、6「フロリダ・ルーム」でのテナー・サックスの活かしかたや半音で動くメロもいい。ホーン・リフもかっこいいです。8「ティーハウス・オン・ザ・トラックス」のグルーヴも快感ですよ。終わるのが惜しいくらいです。

 

(written 2020.8.2)

 

2020/09/13

岩佐美咲の代表曲はどれか

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(7 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=WREA0--XQ1WooDmMOh8_dQ

 

わさみんこと岩佐美咲のために書かれたオリジナル楽曲は、いままでにぜんぶで九曲。すべてSpotifyで聴けますので、いままでご存知でないみなさんも上にリンクしたプレイリストでぜひちょっと耳を傾けていただきたくお願いします。お金はかかりません。

 

それで、これら九つのわさみん楽曲のなかで、現時点でどれがいちばんいいとか代表曲だとかいう話は、わさ民さんと呼ばれる美咲ファンのあいだでも話題になることがあるんですが、みなさんやはりそれぞれ違った思い入れがあって、トークに花が咲くんです。

 

ぼく個人としては、「初酒」(2015)を強く推薦したいですね。これはほんとうに聴き手を励ます人生の応援歌で、苦しいときつらいときに聴くと大きな救いになる曲なんですよね。いまのぼくにとっていちばん聴いて楽しい気分になれる、気分が<なおる>のは「初酒」なんです。

 

デビュー曲の「無人駅」(2012)がやっぱりいまでもいい、忘れられないっていうファンのかたがたが大勢いらっしゃることも知っていますし、二作目の「もしも私が空に住んでいたら」(2013)が名曲である、泣けるというのもそのとおりであります。

 

大ヒットしたという意味では、三作目の「鞆の浦慕情」(2014)が最高でした。なんたってオリコンの総合チャート1位獲得でしたからね。演歌・歌謡チャートだけじゃありませんよ、総合(週間シングルチャート)で1位を獲ったんですからね。

 

そのころぼくはまだわさみんのことを、その存在すらも知らず、だから「鞆の浦慕情」のときのファンのみなさんの応援ぶり、歌のご当地広島県福山市の熱の入れようなど、当時をふりかえるファンのみなさんの文章や発言などでかいま見ておりますね。

 

また、わさみんにはど演歌というかハードな激烈濃厚演歌よりも、やや軽めの歌謡曲テイストの曲のほうが似合っているんじゃないかという気もして、その意味では「恋の終わり三軒茶屋」(2019)「右手と左手のブルース」(2020)もかなりいいですね。近年の歌ということで、歌手も成長しているのがわかりますし。

 

演歌というとコブシをまわしたりヴィブラートだったり、泣き節だったりシナづくりだったりっていう、旧来的な古いステレオタイプにいまだとらわれているリスナーが多いんじゃないかと思いますが、そのイメージでいっても、わさみんの演歌楽曲のなかでは「佐渡の鬼太鼓」(2018)はイマイチっていう感じになってしまうかもしれません。

 

しかしそれにしては、やはり演歌調である「鯖街道」(2017)なんかはそうとういいですよね。「初酒」「鯖街道」の二曲はいわゆるズンドコ調のリズムなんで、正直な話、ぼくは最初なかなかなじめませんでした。長年苦手にしてきたリズムでしたからね。

 

ところがそれが一変したのは、やはり2018年暮れ〜2019年にあんだけたくさん通ったわさみん歌唱イベントのおかげなんですね。リズムの調子がいい、乗りやすいということで、「初酒」か「鯖街道」をイベントのオープニングに持ってくることが多いんです。

 

それで日々通うわさみん歌唱イベントでくりかえし聴いた結果、もちろんイベント現場での雰囲気や楽しさ、イントロに乗ってわさみんが姿を現した幕開けの瞬間の爆発的なうれしさとかもあいまって、これら二曲のことがすっかり大好きになったというわけです。

 

そうなって以後、もう自宅の部屋のなかで聴いていても「初酒」「鯖街道」が来ると、イントロを聴いただけで気分がウキウキ、ワクワクするようになりましたからね。特に「初酒」ですね。最初に書きましたが、歌詞もいいんですよ。リズムとか調子とか、ナイロン弦ギターとスティール弦ギターとのからみあいのオブリガートも絶品です。

 

いまとなっては、メンタル的につらく苦しい状態のときの個人的必須曲としてわさみんの「初酒」が抜群に効き目のある精神安定剤になっていますからねえ。もうぼくの人生に欠かせないとても大切な一曲になりました。

 

「初酒」と「もし空」は、2018年ライヴ・ヴァージョンが昨2019年リリースのCDアルバム『美咲めぐり〜第2章〜』に収録されているのもポイント高しです。二つとも初期楽曲だけに、近年のわさみんの成長を反映した近年ライヴ・ヴァージョンを発売してほしいというのは、ファンの願望でありました。

 

そのライヴ・ヴァージョンの「もし空」も最高ですが、きょうは特に大好きな「初酒」に話をしぼります。『美咲めぐり〜第2章〜』ヴァージョンの「初酒」はですね、伴奏はカラオケだから同じなんですけど、わさみんの声の艶とかハリとか伸びが格段に増していて、魅力が五倍増しくらいになっていますよね。

 

歌いまわしのフレイジングだって細やかな神経が行き届き、緩急自在、歌詞の意味をひとつひとつ大切に扱いながら、それを聴き手に届けようとする歌手側のていねいで強い思いがそのままニュアンスとなって活きているんですね。フレーズ末尾末尾の声のサステインも、オリジナル・ヴァージョンでは聴けないすばらしいノビとツヤやかさをみせています。

 

「初酒」という曲の持つ、特に歌詞の持つ、しっとりした優しさ、ひとに対する思いやりなんかが、調子のいいリズムに乗った声のなかにしっかり出ていて、『美咲めぐり〜第2章〜』ヴァージョンのこれは本当にすばらしいできばえです。これを聴けば、どんなときだって元気を出して生きていける、前を向いて進んでいけるっていう気分になれるから、だからぼくは大好きなんです。

 

(written 2020.9.3)

 

2020/09/12

ジャズ・メッセンジャーズ『ジャスト・クーリン』がお蔵入りしていたのは

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(6 min read)

 

Art Blakey & the Jazz Messengers / Just Coolin’

https://open.spotify.com/album/7EgjzSVwj5Y8L897m3UiUK?si=WYsJayGeRDGa3AzxL1d3BQ

 

2020年の7月にはじめてこの世に出たアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの未発表作品『ジャスト・クーリン』。1959年3月録音です。ブルー・ノート公式はリリース数ヶ月前から出すぞ出すぞと告知し続けていて、収録曲を小出しにちょっとづつ聴けるようにしていたりなど宣伝に努め、ぼくらファンの期待を高めてきていました。だからちょっとこう、いざフル・アルバムがリリースされて聴く際にやや気負ってしまったというか、聴いてもこんなもんか〜、っていう気持ちになってしまったのも事実ですね。

 

それでも冷静に内容を聴けばなかなか上質のハード・バップ作品には違いないと言えますね。この『ジャスト・クーリン』は、ちょうど1958年黄金期のジャズ・メッセンジャーズのメンバーにして音楽監督だったテナー・サックスのベニー・ゴルスンが抜けたあとのセッションで、ゴルスンの後釜の音楽監督にはのちに新進のウェイン・ショーターが座ったんですけど、ちょうどそれまでのあいだの端境期だったので、臨時にバンドの初代メンバーだったハンク・モブリーを参加させています。

 

だから『ジャスト・クーリン』はリー・モーガン、ハンク・モブリー、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリット、アート・ブレイキーという布陣で行われたセッション。1959年でこのメンツというと、ぼくはどうしてもライヴ・アルバム『アット・ザ・ジャズ・コーナー・オヴ・ザ・ワールド』(1959)を思い出してしまいます。そして、このライヴ・アルバム制作と『ジャスト・クーリン』がお蔵入りしたのには関係があったと思うんですよね。

 

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ニュー・ヨークはバードランドでのライヴ収録である『アット・ザ・ジャズ・コーナー・オヴ・ザ・ワールド』は1959年4月の録音。スタジオで『ジャスト・クーリン』を完成させたのがその一ヶ月前で、時期的に近接。さらにメンバーは同じ。そしてレパートリーも『ジャスト・クーリン』のセッションで完成した曲が四つ、バードランド・ライヴでも演奏されているということで、ブルー・ノートのアルフレッド・ライオンとしては、リリースするのはどっちかでいいだろうと、ならばイキのいいライヴのほうを出したい、となったのではないかというのがぼくの推測なんですね。

 

そんなわけで、なかなかクォリティの高い『ジャスト・クーリン』がそのままお蔵入りしてしまったのはちょっと残念でしたが、これがリリースされるというブルー・ノート公式アナウンスを読んで、個人的にいちばんワクワクしたのは「ヒプシピー・ブルーズ」があるということでした。このハンク・モブリー作の曲、大ぁ〜い好きなんですよねえ。

 

もちろん大学生のころから『アット・ザ・ジャズ・コーナー・オヴ・ザ・ワールド』一枚目の1曲目で聴いて惚れちゃっていたわけなんですが、そう、惚れちゃったという表現がピッタリ似合うくらいこの12小節ブルーズの、特にテーマ・メロディの動きのことが、そりゃあもう大好きなんですよね。なんてチャーミングなのだろうと。そして都会の夜によく似合うムーディさ。これがもうたまりません。だからそれが『ジャスト・クーリン』でも幕開けだと知って、ほんとうにうれしかったですね。

 

はたしてスタジオ録音で聴く「ヒプシピー・ブルーズ」は、ちょっと分が悪いっていうか、長年ライヴ・ヴァージョンを聴きすぎてきていたせいで、なんというか、やや物足りない感じがするのは否めません。特にですね、バードランド・ライヴではまずカウントがあってからスネアぼん!が入り、そのままリー・モーガンが一人で出て、5小節目からモブリーが参加しての二管ハーモニーになるその瞬間にグッときていたんですよね。スタジオ・ヴァージョンでは最初から二管のハモリなんで、う〜ん、イマイチ。
https://open.spotify.com/album/6n8t2kQCO0kUzelAz6xXKK?si=BI5VFgDjR1ucgyargapp-w

 

でも旋律が魅力的なのは変わりありませんし、各人のソロだって充実していますから(モブリーはいろんな有名曲を引用しています)、今後はこっちが標準になっていくのかもしれないですね。2曲目以後も、スタンダードの「クローズ・ユア・アイズ」以下、オリジナルはモブリーの書いた曲が多いようですが(音楽監督もモブリー?)、黄金のハード・バップ・フォーマットそのまんまで、古くさいっていえばそうなんですけど、不滅のジャズ・スタイルですよね。

 

こういった音楽は、ジャズ・ファンなら聴けばいつでも落ち着くことのできるものなんですよね。ゴスペル・ベースのファンキーさは薄く、常套的なハード・バップ・アルバムだなと思います。

 

(written 2020.8.3)

 

2020/09/11

いまどきとは思えない古典的ハード・ロック 〜 ラーキン・ポー

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(3 min read)

 

Larkin Poe / Self Made Man

https://open.spotify.com/album/4jwVtyG5s22UpGqKOZishP?si=P4MvgqxQQWyeJAq1E65yiA

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/06/16/self-made-man-larkin-poe/

 

いまどきめずらしい古典的なブルーズ・ベースのハード・ロック・バンドでしょうね、ラーキン・ポー(Larkin Poe)。通算五作目らしいアルバム『セルフ・メイド・マン』(2020)を聴きました。ラーキン・ポーは二人姉妹バンドで、その遠い祖先がかの作家エドガー・アラン・ポーにつながっているとのこと。ラーキン・ポーというバンド名も二人の曾々々祖父の名前だそうです。

 

1曲目の出だしからしてもう笑っちゃうというか、まるで1960年代末のレッド・ツェッペリンかオールマン・ブラザーズ・バンドかっていうサウンドで、このバンドの音楽志向がよくわかります。二人組なので、ベースやドラムスなどはサポート・メンバーがいるのか、自分たちでの多重録音か、どっちかでしょうね。姉妹の姉メーガンはラップ・スティール・ギター担当ということで、けっこう粘っこくブルージーなプレイで聴かせます。ロバート・ランドルフっぽくもあり。

 

妹レベッカは通常のエレキ・ギターですが、それもゴリゴリのオールド・ファッションドなハード・ロック・スタイル。リード・ヴォーカルをどっちがとっているのかはぼくにはわかりませんが、それも鋭く野太い声で感心しますね。アルバム収録曲はどれもハードなブルーズ・ロック。オリジナル曲ばかりのようですが、6曲目の「ガッド・ムーヴズ・オン・ザ・ウォーター」だけはカヴァー。ブラインド・ウィリー・ジョンスンもやったトラディショナルですね。9曲目「デインジャー・エンジェル」の土台だけがめずらしくアクースティック・サウンド。

 

エッジの尖ったハードなエレキ・ギター(&ラップ・スティール)で構成されるハード・ロック・リフを基調に演奏を展開し、そこにゴリゴリのヴォーカルが乗るという、いかにもな古き良きブルーズ・ハード・ロックをやるラーキン・ポー。そこに2020年ならではの現代性みたいなものがちょっとでも混じり込んでいるのか、ぼくにはちょっとわかりません。

 

でもオールド・ファンの頬をゆるませる音楽には違いなく、ツェッペリンあたりのファンだったらニンマリしそうな作品に仕上がっていますよ。タイラー・ブライアントがゲスト参加の4曲目「バック・ダウン・サウス」では深い南部音楽愛を表明していたりします。

 

(written 2020.8.1)

 

2020/09/10

スカンジナビアン・UK・アメリカーナ 〜 ハナ・ワイト

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(3 min read)

 

Hannah White / Hannah White and The Nordic Connections

https://open.spotify.com/album/6U1jTfjhtQdpZi3dEHHezr?si=y5UZr5VpQQKTbikXFdbIug

 

萩原健太さんにご紹介いただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/06/10/hannah-white-the-nordic-connections/

 

イギリスのシンガー・ソングライターらしいハナ・ワイト(Hannah White)。ノルウェイ在住の四人といっしょに組んだバンドのデビュー・アルバム『ハナ・ワイト・アンド・ザ・ノーディック・コネクションズ』(2020)を聴きました。昨年バンドとしての初シングルはリリースしていたようなんですが、アルバムとしては初作品です。これがちょっぴり気になる内容なんですよね。

 

音楽としては米カントリー・ミュージックというかアメリカーナというか、そういったものだと言っていいと思いますが、UKと北欧目線で再構築されたような、そんな清新さがあって、聴いていて気持ちがいいんですね。純真というか無垢というか素直。ナイーヴでストレートなフィーリングが聴きとれます。端的にいえばアメリカ南部臭から来るエグ味がまったくしないカントリーっていう感じですかね。

 

だからそのへん、アーシーな感じがまったくせず、さっぱりときれいにアク抜きされたカントリー・ミュージックに聴こえ、聴くひとによってはかなり物足りない浄水の味わいに思えるんじゃないでしょうか。バンドもギター、オルガン、ペダル・スティール、ベース、ドラムスという標準的な編成で、実にさっぱりあっさりとした演奏をくりひろげ、ハナの清心ヴォーカルの脇役にまわっています。

 

こういったのがスカンジナビアン・UK・アメリカーナっていうんでしょうか、でもそうなるともはやどこの国のどんな音楽だかわからなくなりますよね。録音は、聴いた感じ、これ、ハナの歌もふくめバンド全員の一発合同演奏だったんじゃないですか。そういう意味でのグルーヴはそこかしこに感じられます。アッパーなビート・チューンも、4「シティ・ビーツ」(ボ・ディドリー・ビート )、5「ガタ・ワーク・ハーダー」(ロカビリーふう)と二曲あり。なかなか聴かせます。

 

歌われているテーマは米カントリー・ミュージックの常套に沿ったものが多いですけど、もちろん感触はやはりアク抜き系で。土臭さをまるで感じさせないスライド・ギターやハモンド・オルガンもうまい具合にフィットしていているし、まさにこういう個性ということなんでしょうね。なかなかめずらしい、得がたいタイプじゃないでしょうか。ちょっと気になりますよね。

 

(written 2020.7.30)

 

2020/09/09

不変のバカラック・マジック 〜 EP『ブルー・アンブレラ』

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(5 min read)

 

Burt Bacharach & Daniel Tashian / Blue Umbrella

 

1. Bells of St. Augustine
https://www.youtube.com/watch?v=UyRvMeC89Oo


2. Whistling in the Dark
https://www.youtube.com/watch?v=N_jYXJw05R8


3. Blue Umbrella
https://www.youtube.com/watch?v=BMYjErRdbvA


4. Midnight Watch
https://www.youtube.com/watch?v=RfYKh7P-cZ0


5. We Go Way Back
https://www.youtube.com/watch?v=NBCJG0zEGkw

 

さてさて、以前、どうしてSpotifyで聴けないのか、YouTubeでもバラバラに存在しているだけでアルバム体裁で聴けないじゃないかなどと文句を言ったバート・バカラック&ダニエル・タシアンのEPアルバム『ブルー・アンブレラ』(2020)。グチ言っているだけじゃしょうがないですからね。あのときの文章の終わりのほうに書いたような方法で、自分のiTunes(っていうかアプリの名前はいまや “Music” だけど)でアルバムとして聴けるようにしました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-986a35.html

 

だからざっとした感想を書いておきます。全五曲、基本的にバカラックが曲を書き、タシアンが歌詞を、といったおおまかな役割分担はあったみたいです。アレンジもバカラックがやっているとのクレジットがありますが、タシアンだってケイシー・マスグレイヴズのプロデュースでグラミーをもらっているくらいですから、今回のこのコラボでもトータルなサウンドの方向性を決めるのに貢献している部分があるかもしれません。

 

セッションはどうやら昨2019年のうちに完了していたという情報があるので、それが確かだとすれば、コロナ時代のオンラインでのリモート・ワークで、といったわけではなかったんでしょう。ナッシュヴィルで行われたというセッションの参加ミュージシャンやアレンジャー、エンジニアなどのクレジットは、以下のタシアンの投稿にしっかり書かれてあるのでご参照ください。↓
https://www.instagram.com/p/CDUA9xmBhxz/

 

ナッシュヴィルでセッションをやったことといい、現地のミュージシャンばかり起用していたり、発売もビッグ・イエロー・ドッグ・ミュージックからというようなこと、など諸々総合的に勘案すると、どうもタシアン主導のプロジェクトだったんじゃないかと思えるフシもありますが、中身の音楽を聴けば、これはもう完璧なるバート・バカラック・ワールド。

 

まず第一弾の先行公開曲だった「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」がアルバムでもトップに来ていますが、これが本当にいかにもなバカラック的官能。「ルック・オヴ・ラヴ」とか、エルヴィス・コステロとやった「イン・ザ・ダーケスト・プレイス」とか、ああいった路線ですね。ぼくはこういうメロディとコード進行、サウンドにもう本当にメロメロで、聴けばとろけてしまうような恍惚の気分です。

 

今回のEPでは、そのほか2曲目「ウィスリング・イン・ザ・ダーク」、4曲目「ミッドナイト・ウォッチ」(これが第二弾先行公開曲だった)が同様の路線。個人的にはこういったやや暗めの、というかセクシーさ、淫靡さをかんじさせるメロディとコード展開こそバカラックがどんなソングライターよりもすぐれているところだと思っていて、聴けば本当に快感です。言ってみれば昼下がりの情事。

 

しかしバカラックの世界全体をよく見わたし、1960〜70年代に発表された名曲の数々をじっくりふりかえってみると、そういった官能ワールドはむしろ少数派というか例外ですらあって、今回のEPなら3曲目の「ブルー・アンブレラ」みたいな、ふわりとしたやわらかい陽光のもとでの明るさを感じさせる曲のほうが圧倒的にバカラックの書くものには多いです。だから曲「ブルー・アンブレラ」みたいなものにこそバカラックらしさを感じるべきかもしれません。

 

いずれの路線にせよ、2020年(といっても曲づくりと録音は2019年内に終わっていたらしいですが)になって90歳を超えても、往年の、ヒット・メイカーだったころの、バカラックのあのペンの冴えはいまだまったく不変。一度確立した黄金の世界をそのまま維持し磨きをかけ続けているだけという見方もできましょうが、聴けば感動できるこれだけの曲をいまだ書けるというのは驚異的でしょう。レベルを維持し、まったくブレないバカラック。

 

EPアルバム・ラストの「ウィ・ゴー・ウェイ・バック」だけは、クロマティック・ハーモニカ以外たぶんバカラックとタシアンだけの完全デュオ演唱。この曲のメロディ展開にもバカラックらしさ、そのマジックが横溢。ピアノのタッチだっていまだしっかりしているし、不変・永遠のソングライターだ、稀代の天才だという感を強くしますね。

 

(written 2020.8.31)

 

2020/09/08

リー・モーガンのレコード・ジャケットはカッコいい

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(4 min read)

 

リー・モーガンのアルバム・ジャケットを適当に四つ選んで並べてみましたが、ほかにもたくさんあって、このジャズ・トランペッターのアルバムのジャケット・デザインってなんだかカッコいいのが多いと思いませんか。ただそれだけのことなんですけど、ヒップっていうかクールっていうか、リー・モーガンのやる音楽の中身とぴったり一致して本当にカッコいいですよね。

 

きょうはこれ以上なにも言うことがないんですけど、リーの音楽のほうはふつうのハード・バップから、「ザ・サイドワインダー」に代表されるジャズ・ロック調のファンキー・ナンバー、あるいはバラードまでさまざま。そういった中身をよく表しているジャケット・デザインじゃないでしょうか。

 

個人的にいちばん好きなリーのアルバム・ジャケットは『キャンディ』(1958)と『ザ・ランプローラー』(1965)、特に後者です。いまCDクレジットが確認できない状態ですからジャケット・デザイナーがわからないんですけど、写真はたぶんフランシス・ウルフでしょうかね。でもタイポグラフィはリード・マイルズですよね。だから『ザ・ランプローラー』のジャケットはリード・マイルズのデザインかもしれません。っていうかリード・マイルズがブルー・ノート・レーベルのメイン・デザイナーでしたでしょうか。

 

リー・モーガンにかぎったことじゃないんですけれども、1950年代と60年代のジャズのアルバム・ジャケットにおいて、ブルー・ノートがトップ・ランナーであったことは疑う余地がありません。ブルー・ノートはあらゆる面で最高のレコードをつくろうと献身的な努力を惜しまず、魅力的なジャケット写真と、それに付随する裏ジャケットのライナー・ノーツに至るまで、パッケージにおいても決して音楽の質に引けをとることはありませんでした。

 

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エリック・ドルフィー『アウト・トゥ・ランチ』(中身は好みじゃないけど、ジャケットは最高)、ジョー・ヘンダスン『イン・ン・アウト』、ジャッキー・マクリーン『イッツ・タイム!』、ラリー・ヤング『イントゥ・サムシン』、フレディ・ハバード『ハブ・トーンズ』などなど、瞬時に目を惹き、知らない作品であってもレコード・ショップ店頭で見かけたら初邂逅で思わず見入ってしまい、そのままレジに持っていきそうな、そんな魅力的なカヴァー・ジャケットがブルー・ノートには本当に多かったですよね(いまも?)。

 

そんななかでも、特にリー・モーガンの1950〜60年代のレコードは、ジャケット・デザインの秀逸さと、すぐれたデザインのアルバムばかりだという粒揃いの点で、群を抜いていたと思うんですね。実を言いますと、リーのアルバム・ジャケットでいちばん好きな(中身も好き)『ザ・ランプローラー』は、知らないでジャケットだけ見て一目惚れしちゃって、それで聴いてみたというものだったんですからね。

 

(written 2020.7.29)

 

2020/09/07

「誰もが手にとったジャケットを、それこそ穴が空くほど、透視でもするような勢いで見つめていたものだ」

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(6 min read)

 

という、どなただったかネットでの発言を以前見かけましたが、まさしくこのとおりですよね。いまの若い世代の音楽リスナーのみなさんには理解しがたい感覚かもしれませんが、むかしはレコード・ショップ店頭でこのレコードを買おうかどうしようかと迷ったときの判断材料は、ジャケット・カヴァーしかなかったんですからね。

 

いまはサブスクのストリーミングが主流で、あるいはYouTubeでもいいですけど、気になったらちょこっと聴いてみることができますから。でもってストリーミングで聴くわけですから「買う」ということすらもないわけですよね。ぼくもほぼ完全にそういう接しかたになっています。サブスク・サービスがここまでのものになる前はCDなりを買っていたわけですけど、都会の大手ショップだと試聴機が置いてありますよね。

 

もちろんこちらが気になるCDがぜんぶ試聴機に入っているわけじゃありませんが、それでもかなり試し聴きできますよね。いまでも路面店のCDショップへ通っては試聴機で聴いてみて買うかどうかの判断をしているというリスナーのみなさんがまだまだ大勢いらっしゃるはずと思います。

 

お店によっては、たとえば渋谷エル・スールなんかだと、気になるCDなりレコードなり「どんな感じですか?」と原田店主に聞くと、その場でかけてくれるっていうような、そんな親切なお店もあったりします。でもたぶん例外的ですよね。個人商店のアット・ホームな経営だからできることだと思います。

 

そのむかし、いまから40年ほども前のアナログ・レコード(とカセットテープ)しかなかった時代でも、そうやって申し出ればかけてくれる、ちょっと聴かせてくれるというレコード・ショップがなかったわけじゃありません。ぼくの住んでいた松山市内にもそんなお店がちょっとはありました。

 

それでもそんなことは断然例外的なことに違いなく、レコードは音を聴くためのものなのに、肝心のその中身の音がどんなんだかまったくわからないまま買わなくちゃいけないっていうケースがほとんどでしたよね。そんな商品、音楽だけでしょう。聴けないわけですから、見える部分で判断するしか、つまりジャケット・デザインや裏ジャケに書かれてある曲目やパーソネルなど、そんな情報だけで判断するしかなかったんですよね。

 

だから、レコード・ショップ店頭で、そりゃあもう透視でもせんばかりの勢いでジーっとジャケットを凝視すること何分間か、なにかにとりつかれたように、穴があかんばかりの勢いで見つめていたものでした。だってね、それしか判断材料がないんですから。必然的にジャケット買いの習慣が身につくわけです。

 

それにですね、チャーミングな、カッコいい、おしゃれな、ジャケットというのは、それじたいなかなかそそられるものがあって。むかしのレコード・ジャケットは30センチ四方というサイズですから、デザイン商品としての訴求力も大きかったんです。ショップでたまたま偶然発見した魅力的な(まったくだれだかも知らない)レコード・ジャケットのとりこになって、しばらくずっと眺め、そのままレジに持っていくなんてこともよくありました。

 

文字情報もまだ少なかった時代でした。情報が現在のようにあふれかえるようになったのは、間違いなくインターネットの普及以後で、それまでは紙媒体しかなかったわけですから、音楽雑誌や別冊名盤特集とか、ディスク・ガイド本とか案内書とか、そういったものを熟読して、よし!このひとがここまで言うんならこれを買ってみよう!と決断したり、なんてことも多かったですよね。でも個人的な趣味の差がありますから、当たり外れはやっぱりあります。

 

上で書きましたように、大手CDショップの試聴機システムだとかサブスク聴きだとかが一般的になって以後の若い世代のみなさんにはなかなかわかっていただけないメンタルだったかもなと思ったりもしますが、でもいまのサブスク時代にだってジャケット・カヴァーが魅力的に見えるかどうかは大きな意味を持っているに違いなく、スマホやパソコンの小さな画面ででも、やはりジャケットにピンとくる(or その逆)ということはよくありますからね。

 

やっぱりジャケット・カヴァーというのはいちばん表面にポン!と出ている第一印象、<顔>ですから、その印象がくつがえされることも多いとはいえ、やはり聴くか聴かないかの判断を左右する大きな材料であることは、いまでも同じなんでしょう。ショップ店頭でジッと穴があくほど凝視したりすることはなくなったにせよ。

 

(written 2020.7.23)

 

2020/09/06

まっすぐなレトロ・ソウル愛 〜 ジェラルド・マクレンドン

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(3 min read)

 

Gerald McClendon / Can't Nobody Stop Me Now

https://open.spotify.com/album/1bgJNvpaqndDM4Skq9A6WU?si=xwDF8aWOSVyNkfIaMdl5sA

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/06/17/cant-nobody-stop-me-now-gerald-mcclendon/

 

ジェラルド・マクレンドン(Gerald McClendon)って知ってます?だれなんでしょうホント?新人?紹介してくださっている健太さんのブログにもくわしいことはなにもわからないと書いてあるし、ぼくなんかが知るわけありません。ですが、このアルバム『キャント・ノーバディ・ストップ・ミー・ナウ』(2020)のジャケット・カヴァーを一瞥しただけで、どんな歌手か、中身が想像できちゃいますよね。

 

そう、見た瞬間ちょっと笑っちゃったほどのヴィンテージ・ソウル・ミュージック一直線なこのコテコテ・ジャケ。中身もその期待をまったく裏切らないグッド・オールド・ソウルで満たされているんですね。もうこの、いまどきの2020年のジャケとは到底思えないこれを眺めているだけでおなかいっぱいになりそうじゃないですか。

 

健太さんのブログによれば、地元シカゴでふだんは往年のヒット・ソウル・ナンバーなんかをどんどん歌いまくっているらしいジェラルド・マクレンドン。今年のこの新作はツイスト・ターナーことスティーヴ・パタースンのプロデュースで、収録曲も彼がぜんぶ書いているオリジナルなんだとのこと。オリジナルといってもこんな感じですからぁ、どれもこれも往年の、そう、1960〜70年代のヴィンテージ・ソウルを完璧に模した曲づくりになっています。

 

それをジェラルドがホットに歌っているわけですが、とにかくまっすぐすぎるレトロ・ソウル愛がヴォーカルのはしばしに滲み出ているのを聴きとることができて、ぼくなんかは思わずニンマリ。はい、そうなんです、ソウル/R&Bでもやっぱりこういうのが個人的にはグッと来るんですよね。ジェラルドは本当に古いソウル・ナンバーが大好きなんだなというのがひしひしと伝わってきますよね。

 

ベン・E・キングやマーヴィン・ゲイ、タイロン・デイヴィス、ボビー・ウーマック、ボビー・“ブルー”・ブランド、ウィルスン・ピケット、オーティス・レディングら偉大な先達への限りない敬愛の念をこめた仕上がり。ああいったあたりのソウル・ミュージック愛好家にはもってこいの新人(?)登場です。

 

(written 2020.7.18)

 

2020/09/05

バカラックの新作EPが(日本では)Spotifyでまったく聴けないのはなぜなのか?

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/album/0S04vzLE8EPrLosoHPcEzM?si=hhnskarWTjmvvfbdY0YqRg

 

アルバム・リンクを貼りはしましたけどね、このバート・バカラック&ダニエル・タシアンのコラボによる新作EPアルバム『ブルー・アンブレラ』、Spotifyで一曲たりとも聴けないんです。曲がぜんぶグレー・アウトしているでしょ。これ、なんで?エリア制限がかかっているのか(あなたの国では再生できませんと言われるから)、日本では全滅状態。フィジカル買うほかはYouTubeでしか聴けないんですって。なんてこった。

 

貧乏ゆえにフィジカル買えなくたって、YouTubeで聴けるならそれでいいじゃないかと言われそうですけど、YouTubeにある『ブルー・アンブレラ』はアルバム・フォーマットみたいに曲が連続していないんですね。五曲がバラバラ別個に存在しているだけなんで、だからそのままでは聴きにくいんですよ。

 

ってことはEPアルバムとして聴きたいんならCD買ってねという意味で、しかもそれだって現在アマゾンで品切れ状態ですからね。ネットでは満足に聴くこともできないなんて、いまどきありえない商売のしかたじゃないでしょうか。先行シングル二曲を聴いてかなり期待が大きかっただけにですね、ガッカリ感も強いです。

 

Apple MusicにもないしiTunes Storeでのダウンロードもできないしなあ。しかもですよ、先行シングルの二曲「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」「ミッドナイト・ウォッチ」は、それまでは聴けたんです、日本のSpotifyでも。EPアルバムが発売されたのは7月31日ですけれど、その時点までは二曲とも聴けました。ぼくは第一弾「ベルズ・オヴ・セント・オーガスティン」をその先行公開時に聴いておおいに感動し、記事にしたんですから。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ddcceb.html

 

ところが7/31にEPが発売されてしばらく経って、それら先行公開されていた二曲も聴けなくなってしまいました。もとからちっとも聴けないほかの三曲とあわせ、アルバム全曲がグレー・アウトしちゃったんですね。せめてそれまで聴けた先行の二曲は残しておいてくれてもよかったと思うのに、どうして消しちゃったんですかね。

 

不審に感じて、ネットを検索していたら、このニューEPを宣伝しているダニエル・タシアンのInstagram投稿が見つかったので、素直に疑問と要望をコメントしてみました。そうしたらダニエルは、ぼくにもわからない、ちょっと調べてみましょう、と返事してくれたのが三週間くらい前のこと。

 

待っていれば、そのうちストリーミングでも公開されるんでしょうか?フィジカル発売から数ヶ月、あるいは数年、数十年待たされるっていうのは配信の世界ではよくあることです。でも待つのは長くてもせいぜい一年程度にしておいてくださいよ。あんまり待つんならぼくの健康寿命のほうがあぶないですからね。

 

とはいえ、方法がないわけじゃありません。あんまりおおやけには推奨できないやりかただと思うんですけど、とあるアプリを使えばYouTubeからサウンド・データだけをローカル・ストレージにダウンロードできるんですよ。ぼくがふだんからときどき使うMac用アプリで、設定しておけばダウンロード完了後そのまま自動的にiTunesに入ります。

 

バカラック&タシアンの『ブルー・アンブレラ』五曲も、YouTubeではバラバラに存在していても、一個一個そうやってダウンロードしてはiTunesに入れて、最終的に手動で整理してアルバム体裁でプレイリストを作成すればいいんですからね。

 

ちょっとメンドクサイけど、Spotifyなどで解禁になるまでのあいだ、それでしのいでおくしかないんでしょうね。はぁ〜、早くエリア制限を解除して、日本でもSpotifyで聴けるようにしてくれ〜。

 

(written 2020.8.26)

 

2020/09/04

貧乏人の音楽好きにとって

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(4 min read)

 

生活が7/20を境に激変してしまったぼくですが、おかげでCDを買うというようなことは、以前から激減していたとはいえ、もはや今後はほぼ皆無になったと言っていいでしょう。お金がなくなったんですよね。貧乏人になりました。わさみんこと岩佐美咲ちゃんのイベントなどにもいっさい行けなくなりました。来年四月までは月8万円でやらなくちゃいけないんですからね。それ以後も10万円程度の生活です。

 

それでも音楽を聴くことだけはやめられません。衣食住の次に大切なのが音楽ですからね。いままで買って持っているCD(からインポートしたファイルでも)を聴けばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、やっぱり新しいリリース作品、過去作でも知らなかったもの、などを聴きたいわけですよ。だれかが話題にしていて気になって、やっぱり聴いてみたいと思えるものはめっちゃあります。

 

そんなとき、ぼくは真っ先にSpotifyで検索します。あればそのまま聴く、なければいまはあきらめるしかないんですね。Spotifyを無制限に楽しめるためにかかる費用は月額わずか980円。たったこれだけ。980円さえ払えばどれだけ聴こうがそれ以上一円もかかりません。これが貧乏人の音楽愛好家にとってどんだけ助かることか。

 

ひと月980円でひと月に何枚CDが買えますか?ダウンロードできますか?アルバムにしておよそ一枚も不可能でしょう。ところがSpotify(だけじゃなくほかのストリーミング・サービスもほぼ同じみたいですが)なら980円だけで何百枚聴こうとタダなんですからね。

 

アルバム一枚最低でも1000円程度はするというフィジカルやダウンロードの世界をあきらめて、たぶんぼくはその世界にはもういない、いられなくなったので、980円で無制限に聴き放題というストリーミングの世界の住人になりました。一ヶ月に980円なら貧乏人にだって払えます。それでもって高音質で、いくら大量にでも好き放題聴けるんですから。

 

CDを買う、ダウンロードする、というみなさんはやはりそれなりにちょっとはお金があるんでしょう。いやいや、こっちも裕福じゃないんだと言われそうですけど、一枚も買うことなどかなわなくなったぼくから言わせればそこそこ余裕があると言えます。いまのぼくには「買う」という行為が、日々の食料品以外はなにかよっぽど特別な機会じゃないかぎり、不可能になったんですから。

 

引越しもして、家のなかにCDでも本でも増やせない状態にもおかれていますから、物理的にも音楽フィジカル商品を買うことはできません。パソコンやスマホによるストリーミングで音楽を楽しむというのが、現在のぼくに残された唯一の音楽享受の選択肢なんですね。現在のような生活状況におかれることになるとは、ちょっと前まで予想もしていませんでしたが、図らずも数年前からSpotify中心の音楽ライフに移行していて、ある意味ラッキーだったのかもしれません。

 

(written 2020.7.24)

 

2020/09/03

さわやかに一体化した声とギター 〜 メリー・ムルーア&オラシオ・ブルゴス

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(4 min read)

 

Mery Murua y Horacio Burgos / Roble 10 Años

https://open.spotify.com/album/358kTYUCrGTRWRT9gYz99K?si=Q8c5KuK-TxOLPXnNHV2Dsg

 

ジャケ聴きです。これはワイン・ボトルのラベルですよね。アルコール類をいっさい受け付けない体質の下戸なぼくですけど、こういったワイン・ボトルの写真を、実物でも、見るだけなら好きです。で、どんな音楽かな?と興味がわいて、ちょっと聴いてみたんですね。

 

主役のメリー・ムルーアはコルドバ(アルゼンチン)の歌手。伴奏をつとめてきたギターリスト、オラシオ・ブルゴスとのタッグが10周年を迎えたということで、それを記念して、ワインの10年ものみたいな感じのジャケット・デザインとアルバム題でリリースされたのが、この『Roble 10 Años』(2017)なんでしょうね。

 

メリー・ムルーアとオラシオ・ブルゴスのコンビ10周年記念アルバムということだからなのか関係ないのか、今回のこの『Roble 10 Años』、全編ギターとヴォーカルの完全デュオで構成されています。ほかの楽器などはいっさいなしの、ふたりだけ。いままでもそれに近いサウンドのアルバムを出してきていたようですが、今回は徹底しています。

 

メリーもオラシオも、アルゼンチンのいわゆるフォルクローレの音楽家とされているらしく、といってもその世界のことをなにひとつ知らないぼくは、アルバム『Roble 10 Años』を聴いても音楽ジャンルのことなどピンときませんし、収録曲も一個も知りません。でも、このサウンドと歌のこのまろやかな清涼感がとても気に入ったんですね。

 

クールな感触もあって、ちょっとキューバやメキシコのフィーリンを思わせる音楽だなと感じます。むろんフィーリンとはぜんぜん違うわけですけど、ちょうどホセ・アントニオ・メンデスがギター弾き語りで自分のレパートリーを歌っている、ああいった世界と共通する感触を、このメリーとオラシオのデュオ・アルバムにも感じます。

 

それをあえて言語化すれば、「洗練」ということになるんじゃないでしょうか。特にオラシオのギター・ワークに強いそれを感じるんですけど、メリーのヴォーカルだってすんなり素直に、こねくらず、スーッとストレートに発声していますから、一種のフィーリンっぽいソフィスティケイションをぼくが感じるのも当然かなと思います。

 

しかもこの二名のギター&ヴォーカルのデュオ、上で示唆しましたように、まるでひとりでの弾き語りであるかのように聴こえます。二名で役割分担しているにもかかわらず、一体化していて、たぶん10年いっしょに活動しているというキャリアのなせるわざなのか、こ〜りゃすばらしいですね。メリーはすっと歌っているだけかもしれませんが、オラシオの伴奏がうまいんでしょうね。そんなところもポイント高しです。

 

もう九月に入りましたが、こちら愛媛県松山市ではまだまだ真夏の猛暑が続いていて、予報では今夜〜明朝の最低気温がなんと30度となっています。こんなの、熱帯夜じゃなくて、なんと呼んだらいいのか?そんな日でもこの『Roble 10 Años』を聴けば、ちょっとしたさわやか感を味わえて、本当に心地いいですね。

 

(written 2020.9.2)

 

2020/09/02

衰えたなりに聴けるエレーニ・ヴィターリの2020年作

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(3 min read)

 

Eleni Vitali / Peras' Apo Do I Eleni?

https://open.spotify.com/album/3sydYro0xad8Z1NzJ5Vcpr?si=FhZD71-OQiacPKkbQ8JKoQ

 

ギリシアの歌手、エレーニ・ヴィターリ66歳。声に衰え著しく引退を発表したハリス・アレクシウのわずか四歳年下ですが、エレーニのほうはそれなりにある程度は喉を維持しているとしてもいいんじゃないでしょうか。2020年新作『Peras' Apo Do I Eleni?』を聴いて、そう感じました。っていうか個人的にはハリのなくなった年寄りの声というのがわりと好きという妙な趣味もありまして。

 

そう、だからエレーニの声もだいぶ衰えてはいます。2020年作でも低音部から一気に高音部へと駆け上がるような伸びやかさはすでに失われていて、声の張りというか艶みたいなものも弱くなっていますよね。しかしですね、この作品みたいなハードボイルドなレンベーティカ系音楽だと、あんがいこういった枯れた渋めの声質が似合って聴こえるといった面があるんじゃないかと、個人的にはそう思うんですね。

 

レンベーティカ系作品といいましても、モダン・ライカふうのものも混じっているというか交互に出てくるような感じで、ライカ、あるいはちょっとロックっぽいフィーリングに聴こえるものだってあります。モダン・ライカふうの曲だといまのエレーニの声ではちょっと弱いかなと思わざるをえない面もありますね。たとえば1、3、5、7、9曲目なんかはそうかもしれません。

 

エレーニの声や歌唱は、それら以外のレンベーティカ系歌謡でもまったく同じなんですけど、曲想や伴奏次第で聴こえかたが変わるもんだなあと実感します。偶数曲のレンベーティカ(からライカへ、という流れがエレーニの本領でしょうが)系のトラディショナルな感じの曲と伴奏であれば、これくらいの声でもまだまだ聴かせる、というかむしろ渋みが曲に似合っているんじゃないかとすらぼくは感じますね。

 

年齢とともに衰えて張りと艶が弱くなって、ややひなびたような感じになった声質が、レンベーティカみたいな港の酒場の無頼者の音楽にはあんがいフィットするような面があるんじゃないでしょうか。暗く哀しくつらい音楽に聴こえてしまいますが、そういうものを求める心情のときがリスナーにだってありますから。

 

(written 2020.7.17)

 

2020/09/01

多彩なゲスト参加で攻めるディオンの新作ブルーズ・アルバム

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(3 min read)

 

Dion / Blues with Friends

https://open.spotify.com/album/70StIKUEqkP9b5irez4XZD?si=vmLBcH0CRzSi_9zO9_-aVA

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2020/06/08/blues-with-friends-dion/

 

80歳にして驚異的に声が衰えないディオン。今2020年の新作『ブルーズ・ウィズ・フレンズ』は、アルバム題どおり友人ミュージシャンたちを一曲ごとに替えながら迎えて行ったブルーズ・セッションズ。といっても必ずしもブルーズとはいえないものもふくまれていますが、大半がなんらかの意味でブルーズ・チューンと言えるもので占められているとしていいでしょう。

 

一曲ごとに替わるゲストがこりゃまた豪華で、ジョー・ボナマッサをはじめとして、ブライアン・セッツァー、ジェフ・ベック、ジョン・ハモンド、ヴァン・モリスン、サニー・ランドレス、ポール・サイモン、ブルース・スプリングスティーン、ローリー・ブロックなどなど、そうそうたる顔ぶれなんですよね。多くのばあいギターリストが招かれていますが、ハーモニカやヴォーカルのゲストもいます。

 

ディオンだからこそできたこんな贅沢な企画、アルバムの中身もその期待に反しない充実の内容になっているんですね。いちばんの聴きものはやはりディオンのヴォーカル。最初に書きましたが、ホント80歳でどうしてこんなに声が若いんだろう?と不思議に思っちゃいます。ゲストもベテランばかりですが、ハツラツとしていて、互いに刺激を受けあいながらセッションを進めていった様子が目に見えるようです。

 

1曲目の直球ストレート・ブルーズ「ブルーズ・カミン・オン」から絶好調ですが、ちょっぴりラテンなブルーズ・ロックの2曲目「キッキン・チャイルド」、ブライアン・セッツァーのギターが炸裂する3曲目「アップタウン・ナンバー 7」と快演が続きます。ヴァン・モリスンを迎えた6曲目「アイ・ガット・ナシン」も沁みますね。

 

それ以上に感心したのはジェフ・ベックがギターを弾く4曲目「キャント・スタート・オーヴァー・アゲン」です。ソウル・バラードだといっていいと思いますが、切々とつづるディオンの歌も最高だし、ジェフのギターがこりゃまたまろやかでコクがあって、最高の聴きものなんです。1960年代から活動しているクラシック・ロック系のギターリストのなかでは個人的にいちばん好きですね。この音色を聴いてほしいです。

 

ローリー・ブロックが参加してアクースティックなスライド・ギターを弾くデルタ・ブルーズふうの12曲目「トールド・ユー・ワンス・イン・オーガスト」もなかなかですし、さらにポール・サイモンが参加しているサム・クック・トリービュート・ソングの10曲目「ソング・フォー・サム・クック(ヒア・イン・アメリカ)」は2020年というこの時代に呼応した内容で、示唆深いものがあります。

 

(written 2020.7.15)

 

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