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2020/09/17

『夜のヒットスタジオ』時代の思い出

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(7 min read)

 

きのうピンク・レディーのことを書きましたが、このコンビもそうだし、山口百恵でも沢田研二でもだれでも、ぼくが10代のころに親しんでいた歌謡曲歌手のほとんど全員は、フジテレビ系の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』で見聴きして知っていたものでした。

 

ウィキペディアの記述によれば、『夜のヒットスタジオ』は1968年から1990年まで放送されていたそうですけど、ぼくが見ていたのは中高大学生時代のことですから、70年代中盤〜80年代初頭までのことです。毎週月曜夜10時。

 

歴代司会者でいえば、芳村真理&井上順時代のことしか記憶になくて、実際その期間こそぼくにとっての『夜のヒットスタジオ』時代でしたね。見はじめたのがいつごろどういうきっかけでだったかは忘れましたが、見なくなったのは実家を離れて上京して、テレビのない部屋に住みはじめたからです。ジャズ狂になっていたので、音楽の趣味が変わったからということもありますが。

 

『夜のヒットスタジオ』は生放送。そしていまの音楽番組ではありえないことですが、番組専属のオーケストラがありました。ぼくがこの番組に夢中だった時代はダン池田とニューブリードで、それにくわえストリングス・セクション(東京放送管弦楽団から)が参加していました。これがどの歌手の伴奏もぜんぶやったんです。番組専属の生バンドがいるっていうのは、あの時代はあたりまえだったんですよ。いまではNHKの『紅白歌合戦』だけですかね、そういうのは。

 

もっともある時期以後は『夜のヒットスタジオ』でも、いわゆるフォーク、ニューミュージック、ロック系の音楽家を出演させることも増え、そういうひとたちは当時テレビに出たがらなかったのですが、『夜のヒットスタジオ』には出るときもあって、そういうときは番組のオケじゃなくて、歌手のバンドがそのまま務めるということがありましたね。

 

ぼくの記憶にいちばん焼き付いているのは沢田研二のバックだった井上堯之バンドで、でもジュリーもしばらくのあいだは番組のダン池田とニューブリードで歌っていたような気がするんですが、いつごろからかなあ、井上堯之バンドを引き連れて出演するようになりましたね。あるいは最初から?

 

ジュリーは歌詞が飛びやすい(忘れやすい)歌手としてもよく憶えていて、『夜のヒットスタジオ』は生放送ですからね、歌詞が飛ぶとどうにもならないんですよねえ。ただ呆然として立ち尽くすジュリーが映っているのみなんです。じっと伴奏だけが流れるなか、脇から司会の井上順が歩み寄ってジュリーの背中をポンポンとリズムに合わせて叩いてみたり。いまなら放送事故ですよねえ。

 

生放送ということは、予定されていたのに放送時間に出演しそこねる、つまり間に合わないといったこともあったんです。この件でいちばんよく憶えているのはピンク・レディー。このコンビの絶頂期はそ〜りゃも〜う超多忙で、なんでも睡眠時間が毎日ほとんどないっていうような状態がずっと続いていたそうですからね。

 

だからスケジュールがびっしりで、出演依頼があまりにも舞い込み受けすぎてダブル・ブッキングに近いことも日常茶飯だったみたいです。そんなありえないほど忙しすぎるピンク・レディーだったから、『夜のヒットスタジオ』の放送時間に間に合わないっていうことがなんどかあったんです。

 

そんなときこの番組はそこにいる歌手のだれかにピンチ・ヒッターとして代役になってもらい、歌ってもらうということがあったんですね。どうです、こんなこと、いまでは絶対に考えられないですよねえ。見ている側のぼくらとしては、代役歌手がちょっと動揺しながら緊張感満点でピンク・レディーを歌ったりするのも、ちょっとした楽しみでしたよ。

 

代役が歌うといえばですね、『夜のヒットスタジオ』の幕開けには「オープニング・メドレー」というのがあってですね、司会者から最初に紹介された歌手が「他歌手の持ち歌」のワン・フレーズを歌い、次に「その歌われた歌の持ち主」にマイクを手渡しその歌手が「他歌手(その歌手の次に歌う歌手)の持ち歌」を歌うといったメドレーでした。

 

バトン・リレーのように他人の歌をワン・フレーズずつメドレー形式で歌っていき、最後はトリの歌手が「トリ前の歌手が歌った自分の歌」のサビを歌い、集まった出演者とともにフィニッシュとなるというもので、この番組オープニングがほんとうに楽しかったですね。

 

『夜のヒットスタジオ』は番組内でさまざまな(歌とは無関係な)企画もやっていて、記憶しているかぎりでは「歌謡ドラマ」とか「コンピューター恋人選び」とか「ラッキーテレフォンプレゼント」とか、いくつもあったように思いますが、そのへんは個人的にあまりちゃんと見ていなかったですね。

 

あくまで歌番組として、いろんな歌手の最新ヒット曲を、時代の流行歌を、聴けるのがぼくにとっての最大の魅力だったんです。やっぱり出演しない歌手も、一部の「アーティスト」系のひとたちのなかにいたんじゃないかと思いますが、かなりたくさんの、つまりヒット・チャートをにぎわせているような歌手はだいたいぜんぶ『夜のヒットスタジオ』で聴けたんじゃないかと思います。

 

そんなことが、当時はもちろんわかっていなかったし、その後はずっとそんな歌謡曲の世界を何十年間も否定するような気分が続いていたんですけど、いまとなっては岩佐美咲や原田知世なんかが好きになってみると、彼女たちがどんどんカヴァーする往年の歌謡ヒットをなにもかも憶えているというのが、10代のころのこんな『夜のヒットスタジオ』体験のおかげだったなと、いまではわかるようになりました。

 

(written 2020.9.15)

 

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