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2020年10月

2020/10/31

ライヴに行くのが怖かったぼく 〜 パニック障害のこと

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(9 min read)

 

長年パニック障害を患っていました。2020年のいまではすっかり寛解しているように思いますが、28歳(1990年)で発症して、50歳過ぎごろにこれはもうだいじょうぶだろうと自分で思えるようになるまで、長年。

 

ちょうど東京都立大学英文学研究室の助手をやっていた三年目の春のことでした。朝の通勤の満員の井の頭線のなかで突然心臓がバクバクなりはじめ、鼓動と呼吸が荒くなり、動悸がして冷や汗をかいて、立っていたんですけど苦しくなって、走行中の車内でその場にしゃがみこんでしまいました。これはもう死ぬんじゃないかと震えました。

 

その日はなんとか(当時まだ八雲にあったから東横線沿線だった)都立大の研究室まで行き、仕事中はなにもなく、帰りの電車のなかでは平気だったんですけど、仕事を終えた帰りは気がラクですからね。朝の出勤時ですよ、まずいのは。頻繁に発作が出るようになり、満足に電車に乗れなくなりました。

 

ぼくのパニック発作は神経性過敏大腸症候群をともなっていて、おなかがカラッポ状態でも神経性で腸が動き便意をおぼえ(脳と腸がダイレクトにつながっていることを知ったのは20年くらいあと)、トイレに行きたくなる、特に朝の満員電車で発車時に扉が閉まったとたんに便意をおぼえはじめ、ドキドキ動悸がして脈拍が早くなり汗をかき、苦しくなるというものでした。

 

最初は扉の閉まった満員電車だけだったんですが、次第に似たような閉鎖空間とか、しばらく自由にトイレに行けないような拘束状態におかれると、やはり発作が出るようになり、出るんじゃないかという予期不安もあって、だから行動がかなり制限されるようになりました。苦しいので発作が出ないようにしたいという気持ちから、みずからすすんで行動や場所を選ぶようになりました。

 

もちろん心療内科に通うようになって投薬治療もはじまったんですけれども、なかなか症状がちゃんとおさまるっていうようなことはかなわなかったんですね。電車も朝の満員状態がダメだから、次第に仕事のシフトを後ろにずらしてもらうようになったり、1991年に國學院大學に就職してからは午後と夜の講義ばかりにしてもらって。

 

閉鎖空間にジッといるといけないんで、映画館もダメ、そしてあんなに好きだった音楽ライヴも、閉じ込められた空間内という現場ですわって動かない動けないという状態がなかなかまずいので、足が遠のくようになったんです。途中でトイレに行けないんだと思っただけで、もう発作が近いんですから。

 

このパニック障害&神経性過敏大腸のことを、発症したことのないみなさんに実感し納得してもらえるように説明することはなかなかむずかしいように思います。だから周囲からは、特に國學院大學の職場のみんなからは、「サボり病だろう」みたいに思われたり言われたりすることも多くて、つらい思いをしましたね。

 

といっても、音楽のライヴ・コンサートなんかの際は、音楽パフォーマンスの最中楽しい気分にひたっていますので、パニック発作のことはだいぶ忘れていますし、実際発作も(あまり)起きませんでした。そう、発作が不安でも、なんだかんだで行っていた音楽ライヴはあったんですね。

 

特に、いまはもうなくなったパークタワー・ブルース・フェスティバルは、毎年定期的に通っていた唯一のライヴ・コンサート。これは1995年にパソコン通信をはじめた際、同じ音楽会議室のネット仲間のなかに東京ガスに勤務するリアル友人を持つかたがいて、優先チケットが入手できるよというので、それで行きはじめたものでした。フェスティヴァルじたいはその数年前から開始されていたようです。フェスが消滅するまで毎年通いました。毎年12月開催でしたかね。

 

マイルズ・デイヴィスが1991年に亡くなって、その後ほとんど現場でのライヴ・コンサートに行かなくなっていたぼくにとっては、95年(33歳)にパソコンを買ってネットをはじめたことが、やはりたいへん大きなきっかけになっていたわけなんです。

 

だれそれのライヴがいついつどこそこであるぞ、なんていう情報もどんどん入るようになったのはネットをはじめたからであって、それでユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタのブルーノート東京公演を知り、行ったんですからね。いっしょに行って並んで観てくれる友人も、やはりネットにいました。感想を投稿しあったりも。

 

それでも、音楽ライヴ現場でときたまパニック発作が起きることもあり、だからぼくにとってはどんな場所でも着いたらまずトイレがどこにあるかを確認しておく、すぐ行けるようにしておくことが絶対なる必須事項でした。ブルーノート東京しかり新宿のパークタワー・ホールしかりです。

 

パークタワー・ブルース・フェスティバルのパフォーマンスの最中に突然パニック発作が起きて(なぜそうなるのかは自分でも説明できない)トイレに行きたくなって、席を立ってトイレに駆け込むことは、ときたまありました。ブルーノート東京ではワン・ステージが一時間未満でしたから、まだちょっと安心していました。

 

2011年に東京を離れ愛媛に戻ってきたころには(その数年前から)具合はよくなっていたように記憶しています。2017年にわさみんこと岩佐美咲と、原田知世を好きになるきっかけがあって、その後わさみんの歌唱イベントに通ったり、わさみんや知世ちゃんのコンサートに行ったり、そんなことがきっかけで音楽ライヴの楽しさを思い出し、ほかの音楽家のコンサートにもときどき行くようになったり、それらのために公共交通機関に乗ったりなど、そんなことになっているいまのぼくにとって、パニック障害と神経性過敏大腸のことはもうすっかり過去のことになっているように思います。

 

飛行機だってダメだったし(トイレがあるのにね、でも海外旅行に行くため乗ってはいた)、バスもダメ、電車なんかでも各駅停車じゃないとダメで、扉が閉まってしばらく開かない急行などには絶対に乗れなかったけど、もうそんなことなくなりました。現場に到着してのトイレ確認もいまやしなくなっていますけど、でもいつも警戒したりする気分がちょっとだけ残っています。長期間患っていましたから、習い性になってしまいました。この手の病気は再発の可能性が消えないですからね。寛解であって全快じゃないんで。

 

(いまのところ)最後にパニック発作を経験したのは2000年に渋谷の映画館で『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を観たとき。その後最初にアレッこれ平気じゃないか?と気づいたのは2015年に大阪でアラトゥルカ・レコーズ(トルコ)のライヴ・コンサートを観たときです。

 

ところで、ぼくのASD(アスペルガー症候群)、アロマンティック資質、パニック障害、発音障害(どもり)、これら四つはつながっているんじゃないかと思えるんですけれども、これらをトータルでみてもらえるところってないんでしょうか?

 

(written 2020.9.2)

2020/10/30

ジャズ記事がブルー・ノートものばかりになってしまう

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(5 min read)

 

https://twitter.com/bluenoterecords


https://www.instagram.com/bluenoterecords/

 

のは、ある意味当然というか、しょうがないことですよねえ。なぜかって、いまのぼくがなにを聴こうかと音楽の題材をさがすのはもっぱらネットで、であって、いろんなひとのブログとかホーム・ページとかTwitterとかInstagramとか。するとジャズ関係でいちばん活発に発信しているのがブルー・ノート・レコーズ公式ですから。特にSNSですよね、いまや最大の情報源は。

 

ほかにどんなレコード会社が公式にジャズのことをどんどんSNSで発信していますか?アトランティックが、プレスティジが、リヴァーサイドが、うんアトランティックはジャズ専門レーベルじゃないですけど、かつてはあんだけあったジャス・レーベル、2020年になっていまだ活発にやっている、それも時代にあわせてインターネットで、SNSで活発に、っていうブランドはブルー・ノートだけくらいなんですからね。

 

あ、いや、ジャズ系レーベルではECMもかなり活発にSNSを使ってどんどん発信していますけど、なにしろレーベル・カラー、音楽性が好みじゃないもんでねえ、こればっかりはどうしようもないです。ブルー・ノート、ECM、ほかにありますか、メイジャーなインディ・ジャズ・レーベル(ってヘンな言いかた)でSNSをフル活用している会社が?

 

もちろん自分でもっとアンテナをひろげればいろんなジャズ情報がネットで得られるのかもしれませんけれども、ブルー・ノートのばあい、特に情報を拾いに行くと意識しなくても、ただなんとなくTwitterやInstagramのタイムラインをざ〜っとぼんやりながめているだけで新リリース情報が流れてきます。これはたいへんに意味のある大きなことなんですよ。

 

過去の遺産の再発掘ばかりじゃなく、新作もブルー・ノートはどんどん出していますから、ヴァイブラフォンの新人ジョエル・ロスだって、それからたとえばちょっと前、南アフリカのピアニストであるンドゥドゥーゾ・マカティーニの2020年作のことだって、今年のアルテミスだって、知ったのは、ブルー・ノートからのリリースだったからなんですもん。複数のSNSでなんども宣伝していました。

 

現実にはこのブログで(ジャズ関係では)ブルー・ノート作品のことしか書いていないわけじゃありませんが、でも圧倒的に数が多くなってきているのは間違いありません。やっぱりねえ、SNSでどんどん情報を発信するのは2010年代以後においてはほんとうに重要なことですよ。

 

ブログとかホーム・ページなどは、ただジッとしていて、ブラブラしていて、そのままで情報が入ってくるわけじゃありません。その気になって見にいかないといけないものでしょう。同じネットといってもSNSはここがぜんぜん違うんですね。

 

TwitterやInstagramだとヒマなときになんとなくぶらついているだけで、ただそれだけで、ブルー・ノート公式が、こんなプレイリストを作ったぞ、こんな新作、リイシューが出る(出た)ぞ、このアルバムがいいぞ、と流してくれるんで、なにもしなくても情報が入ってきます。

 

それで、オオッと思ってやおらSpotifyで検索してみるとか、もうぼくはそんなジャズ聴取生活ですよ。もちろんディスクユニオンやタワーレコードのTwitterアカウントがジャズ新作、リイシュー作のリリース情報を流してくれるんで、それもありがたく頂戴していて、やっぱりそのままSpotifyで検索するんですね。

 

ブルー・ノートのばあい、会社設立は1939年ですけど、メインのカタログはやはり1950年代のハード・バップ以後ですよね。そこからずっと来て2020年まで、しかもぼくの大の好みである野太いブラック・ジャズを中心に録音・リリースし続けてきています。

 

ブルー・ノート公式SNSアカウントが情報を流してくれるプレイリストなんかで(テーマ別に)過去の遺産を聴いていても、こんなに知らないものがまだまだたくさんあるんだなあと実感しますし、新しい気づきもあって、実に刺激的。

 

それをふだんの音楽生活にフィードバックして、ジャズや音楽の見方が変化したり更新されたりすることも多し。ほんともう、ブルー・ノート公式SNSアカウント様さまですよ。

 

そんなことで、ぼくもかつては第二次大戦前の古典ジャズのことをたくさん書いてきましたが、もういまやブログでもモダン・ジャズ中心、それもブルー・ノートもの中心の人間にすっかり変貌しました。

 

(written 2020.8.27)

2020/10/29

ファンキーになりたてのボビー・ハッチャースン 〜『サン・フランシスコ』

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(5 min read)

 

Bobby Hutcherson - San Francisco

https://open.spotify.com/album/4iWJYzYbD0S6e3I8Xzr7LR?si=I0kXZnkDR8OQIU5WNCru-g

 

きのうに引き続きブルー・ノート公式プレイリスト『ブルー・グルーヴ』で発見したカッコいいものシリーズ、二日目のきょうはヴァイブラフォン奏者ボビー・ハッチャースンのアルバム『サン・フランシスコ』(1970年録音71年発売)です。これもグルーヴィでいいんですよねえ。

 

でもきのう書いたブルー・ミッチェルの『バントゥー・ヴィレッジ』ほどのジャズ・ファンク傾倒ぶりではなくて、従来的なメインストリーム・ジャズもかなり残してはいるこの『サン・フランシスコ』、アルバムの全六曲はおおまかに三種類にわけられます。クラブ受けしそうでDJに重宝されそうなグルーヴ・チューン(1、4)、ラテン・ジャズ(3、6)、新主流派ジャズ(2、5)ですね。

 

それにしても、それらのなかに「サン・フランシスコ」というタイトルの曲があるわけじゃないし、どうしてこのアルバム題なんでしょうか。アメリカ西海岸という意味ではボビー・ハッチャースンはまさにそこの人間ですけど、出身も当時住んでいたのもロス・アンジェルスなんですよね。あるいは1970年前後、若者文化の中心地だったという象徴的な意味合いのことばとしてサン・フランシスコを選んだんでしょうか。

 

ところでこのアルバム、ピアノとエレピでジョー・サンプルが参加していますけど、かなり重要な役割を担っているように思えます。クルセイダーズ結成直前といった時期で、このアルバムのために曲も二つ書き、お聴きになればわかるように鍵盤楽器でバンド・サウンドの軸になっていますよね。たぶんこれ、アレンジとか全体の方向性もかなりジョーが指示したんじゃないかといった特徴が聴きとれるように思います。

 

また、このアルバムはハロルド・ランドとの双頭リーダー作としてもいいくらいなんですが、ハロルドはテナー・サックスだけでなくフルートやオーボエも吹き、曲も一個提供しています。ぼくのなかでハロルドはマックス・ローチ&クリフォード・ブラウン・クインテットのサックス奏者という印象が長年強かったので、ときおりこうしたジャズ・ファンク・セッションに顔を出しているのが、二、三年前までは意外でした。

 

さて1曲目「ゴーイン・ダウン・サウス」。ジョーの曲ですが、これがグルーヴィでカッコいいですよねえ。ボビーがマリンバを叩くこの曲でファンキーなフェンダー・ベースを弾くのはジョン・ウィリアムズ。彼のベース・ラインは、同じくグルーヴ・チューンである4曲目「アム」でも目立っていて、演奏のノリをかなり支配しています。特に「アム」のベース・ラインなんか、格好のサンプリング・ネタになっていそうですよ。

 

それはそうとその「アム」、冒頭からぐちゅぐちゅと、エフェクターをかませたエレキ・ギターだとしか思えないサウンドがずっと聴こえるんですが、ギターリストが参加しているという情報はないので(それにしては酷似)、たぶんこれはジョー・サンプルのエレピなんでしょうね。その音を歪ませてあるんでしょう。気持ちいいですよねえ。

 

これら「ゴーイン・ダウン・サウス」「アム」の二曲がこのアルバムでは突出してすばらしく、実際、プレイリスト『ブルー・グルーヴ』に二つとも選ばれています。後年の、1990年代以後の、レア・グルーヴ・ムーヴメントで再評価されDJたちに使われるようになったのも、これら二曲でしょう。それにしてもクラブDJって、いったいどんだけのレコードを聴いているんでしょうねえ。

 

アルバムではこれら以外のものはわりとストレートめなジャズ・ナンバーかなと思えるんですが、それでも、ラテンな3曲目「ジャズ」と6「ア・ナイト・イン・バルセロナ」(「チュニジアの夜」のもじり?ハロルド・ランド作)はかなりおもしろく、ラテン・ジャズ好きなら血が踊ります。そういうのに向いているミッキー・ローカーのドラミングもみごとで、各人のソロもいいです。特にジョー・サンプルのピアノが聴きものですね。

 

(written 2020.8.30)

2020/10/28

ブルー・ミッチェルのジャズ・ファンク時代 〜『バントゥー・ヴィレッジ』

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(5 min read)

 

Blue Mitchell / Bantu Village

https://open.spotify.com/album/48XaLARTQEZLOjgZUL7xbg?si=ssXd6_s7RZi9UktggAnEUw

 

きのう書いたブルー・ノート公式プレイリスト『ブルー・グルーヴ』で、それまで知らなかったカッコいいファンキー・チューンがいくつも見つかりました。ぜんぶとりあげているとキリがないので、二、三個にしぼって、もとのアルバムまでたぐって聴いてみましたので、感想を記しておきます。

 

きょうはトランペット奏者ブルー・ミッチェルの『バントゥー・ヴィレッジ』(1969)。このアルバム題、そして曲題にもなっているわけですけど、そこからアフリカ志向なんじゃないかと想像すると、アテが外れます。特にどこといってアフロ要素は見当たりません。でもカッコいいジャズ・ファンクですよ。ブルー・ミッチェルがこれだけのアルバムを残していたなんてねえ。

 

そもそもぼくのなかでのブルー・ミッチェルはハード・バッパーで、ホレス・シルヴァーのクインテットとか、そのほか自己名義作でもそうでですし、ブルー・ノートに録音されたいろんなハード・バッパーのアルバムでセッション・トランペッターとして演奏しているのを聴いてきて、あまり上手くないそこそこのひとだなあという印象しか持っていませんでした。

 

2018年ごろからですよ、ブルー・ノート公式が編纂・公開する各種Spotifyプレイリストでブルー・ミッチェルのやるファンキー・チューンをちょこちょこ聴いてみて、エッ?と感じたというのが最初の正直な気持ち。このジャズ・トランペッター、こんなファンキー・チューンを演奏していたのか?!と、認識をあらたにし、長年の軽視を反省していたところでした。

 

そこへもってきて、きのうのプレイリスト『ブルー・グルーヴ』1曲目にブルー・ミッチェルの演奏する「ブルー・ダシキ」が来ていて、あまりのカッコよさにもうKO状態、ひもをたぐってアルバム『バントゥー・ヴィレッジ』にたどりついたんですね。いやあ、ほんと、ファンキーでクールなアルバムです。

 

『バントゥー・ヴィレッジ』ではモンク・ヒギンズがアレンジャーをやっていて、曲もほとんどすべて(ディー・アーヴィンと共作で)書いています。モンク・ヒギンズはピアノや鍵盤楽器を弾き、このアルバムの音楽のキー・パースンになっているんですね。管楽器がやや多めの人数参加、リズムはエレキ・ギター、エレベ、ドラムス、コンガ。これでグルーヴィな演奏をくりひろげています。

 

どの曲もエレクトリファイされていて、リズムは16ビート。完璧なジャズ・ファンクのノリ。このアルバムが録音・発売された1969年当時は多くのジャズ・ミュージシャンがジャンルの境界をまたいでいたころで、ロック、ファンク、ソウルなどとジャズとの合体を試みて、成果もあげていた時期でした。アメリカでは若者を中心とするヒッピー文化がメイン・カルチャーの下層から噴出し、世界を変えつつあった時代でしたね。

 

1950年代から活動するブルー・ミッチェルも、もともとは保守的なハード・バッパーだったかもしれないですけれども、1960年代末ごろからの時代の、音楽の、変化を感じとって、ファンキーでグルーヴィな方向性へと舵を切っていたということだったんでしょう。その際のパートナーがモンク・ヒギンズだったと。

 

『バントゥー・ヴィレッジ』はそんな時代の典型的なジャズ・ファンク・アルバムの一つで、どの収録曲もエッジが効いていてファンキー。1969年のレコードですから、さぞやのちのレア・グルーヴ界でもてはやされただろうと思います。実際、サンプリング・ネタとして使われることも多いようですよ。ラスト7曲目の「ブッシュ・ガール」(こういう曲題のつけかたは感心しないけど)だけはきれいなソウル・バラードです。

 

(written 2020.8.29)

2020/10/27

groove is the thing 〜『ブルー・グルーヴ』

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https://open.spotify.com/playlist/1IRLsH3eiRAiMjvVv9BH8g?si=tXFVf6T6Rd6e3fPwK4tphQ

 

ブルー・ノート公式がたくさんのSpotifyプレイリストを作成・公開してくれていて、たいへん楽しいんだということは、もはやくりかえす必要がないでしょう。そのなかでも今年数ヶ月前に聴けるようになったプレイリスト『ブルー・グルーヴ』(上掲リンク)は傑作ですね。以前このブログでなんども記事にした2018年の『ブルー・ノート・ブーガルー』(↓)と並ぶ楽しさじゃないでしょうか。
https://open.spotify.com/playlist/1OAOMYbP4EDgKstUio9FdD?si=Trj8iY26TsOVMLvKYu0g9g

 

『ブルー・グルーヴ』は1960年代中期から現代に至るまでのブルー・ノートのファンキー・チューンを集めたもので、だからつまり8、16ビートの効いたジャズ・ロック、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクとか、そんなグルーヴィなものばかり、しかも10時間以上。その長さゆえ、実はいまだ全貌は聴けていませんが、その必要もなし。きょうはこのへん、あしたはまたべつなところと、適宜ピック・アップしながらブラブラ流して楽しんでいればOKなのが配信プレイリストですからね。

 

よく知っているものもありますが、なじみが薄かったりいままで知らなかったりした曲ばかりで、ぼくってなんて無知なんだろうとイヤになっちゃいますけど、言い換えればブルー・ノートは実にいろんなファンキー・ミュージックを録音したんだなと感心します。ストレートなジャズのなかにだってこんだけあるんだという、だからやっぱりジャズは4ビートだとかにこだわりすぎると楽しさが減りますね。

 

つまりはぼくのばあい、4ビートのメインストリームなストレート・ジャズも大好きだけど、それ以上に主にブラック・ミュージシャンのやるブーガルー・ジャズっていうか、ファンキーでグルーヴィなソウル・ジャズ、ラテン・ジャズ、ジャズ・ファンクなどが本当に好きで好きでたまらないっていう、そういう嗜好の持ち主なんでしょうね。快感に大きな差がありますからね。

 

プレイリスト『ブルー・グルーヴ』を流していても、その強靭なグルーヴ感にやられちゃいますけど、実に多様な曲が並んでいるこのプレイリストを貫く軸になっているのが、ずばり “groove is the thing” ということですね。そういったジャズ・チューンが主に1960年代中期ごろから登場しはじめたというのは意味深いことです。ファンキーでグルーヴィなソウル・ジャズの台頭は、ちょうど公民権運動やブラック・アメリカンの意識の高揚と軌を一にしていたんだなとわかりますよね。

 

ホレス・シルヴァー、ルー・ドナルドスン、ドナルド・バード、グラント・グリーン、リー・モーガン、ハンク・モブリー、スタンリー・タレンタインといった1950年代から活動してきて、60年代にファンキー化して花開いたようなジャズ・ミュージシャンたち。ブルー・ミッッチェルのように50年代は典型的ハード・バッパーだったのが70年代にはジャズ・ファンクをやったようなひとたち。

 

また、ラリー・ヤング、ジャック・マクダフ、ドクター・ロニー・スミス、ボビー・ハッチャースン、ルーベン・ウィルスン、ジーン・ハリス、ハービー・ハンコックらのように1960〜70年代に一斉に噴出した新世代のグルーヴ資質を持つニュー・タイプのジャズ・ミュージシャンたち。

 

さらには、ロバート・グラスパー、カサンドラ・ウィルスン、ソウライヴ、メデスキ、マーティン&ウッド、エズラ・コレクティヴなどなど、1990年代〜21世紀型の新世代ジャズ・ミュージシャンたちだって、このプレイリスト『ブルー・グルーヴ』には収録されています。つまりおおよそ60〜70年間にわたるという、長いタイム・スパンを見わたしたものなんですね。

 

驚くのは、そんな長期間にわたる、世代も異なるさまざまなタイプの音楽家による多様なジャズ・チューンを一堂に会したプレイリストであるにもかかわらず、フォーカスというか中心軸がまったくブレていない、一個の明確で明快なグルーヴ・タイプで貫かれているということですよ。ブルー・ノート・レーベルがひたすら追求してきたグルーヴィなブラック・ジャズとは、やはり時代を超える普遍性とパワーを持ち続けているものなんでしょうね。

 

(written 2020.8.27)

2020/10/26

2020年のコンテンポラリー・ジャズとも響き合うパット・マシーニー『ザ・ウェイ・アップ』

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(7 min read)

 

Pat Metheny Group / The Way Up

https://open.spotify.com/album/4QhHJZxGczkO6gRKLyQKB6?si=Nqon-HABSy2pceoHp8RSJA

 

パット・マシーニー・グループの最終作『ザ・ウェイ・アップ』(2005)。これ、ジャケットが数種類あるみたいで、当時CD買って持っているものをネットで画像検索して拾ってきて上に貼りつけておきました。このアルバムのことを書こうと思い立ったのは、もちろんきのうからの流れでPMGの作品を総ざらいしていて、発売当初はこんなシリアスな大作主義なんかと退屈に感じて敬遠していた『ザ・ウェイ・アップ』が、かなり楽しくみごとな充実作だと気づいたからです。

 

『ザ・ウェイ・アップ』を録音したPMGのメンツは前作『スピーキング・オヴ・ナウ』とほぼ同じで、違うのは新たにクロマティック・ハーモニカでグレゴワール・マレが参加していることくらい。でも音楽性はぜんぜん異なっていますよね。どうしてだか2005年の時点で、もっと10年くらい先の、いまの新世代ジャズを先取りしたような作品になっているので驚くじゃないですか。

 

だから2005年当時ぼくがこの作品を理解できなかったのはある意味当然です。耳がヘボいのを棚上げするとしても、やはり時代の先を行っていたからじゃないかという気がいまではするんですね。あともう一点、このアルバムは、当時21世紀に入って数年が経過して、ちょうどiPodが流行っていたころ、音楽を一曲単位で扱って、つまりスキップしたりシャッフルしながら聴いたりっていう、そんな風潮にパットが異を唱えたものでもありました。

 

だから、それまで数分単位の曲をどんどん並べていたのをやめて、(CDだと)1曲目はオープニングで5分程度ですけど、それに続いては三つしかトラックがなく、それらはいわゆる「曲」(song)ではなく、一つ20分以上もあるのを並べてトータル68分間で「一個の」音楽作品なのである、としてリスナーに提示したんですね。Spotifyにあるのだと、1トラック目でオープニングとパート1が合体していますから、この志向がさらに進んでいますよね。

 

そんなの聴きにくいよ、と思われるでしょう。2005年当時のぼくもよく聴かず同様に感じて、それもあって放棄しちゃってたんですね。でも大作主義にみえて、実は長尺なそれぞれのトラックも、短い5〜7分ほどのパッセージというかセクションに分割されていて、それの連なりで組み立てられており、セクションとセクションのあいだに一瞬の空白が置かれていますので、よく観察すれば実は聴くのラクチンなんです。

 

そんなわけで実質的には数分の曲がどんどん並んでいるのを続けて聴くという従来的なアルバムとたいして変わらないPMGの『ザ・ウェイ・アップ』、やっぱり曲をスキップされたりシャッフルされたりするのに抵抗しただけだったんでしょうね。今回それがよくわかって、印象がグンとアップしました。

 

さて、音楽的にはこのアルバム、2010年代以後的なコンテンポラリー・ジャズ作品と考えていいと思います。それまでPMGの作品を彩っていたブラジルはミナスの音楽とかワールド・ミュージック志向はほぼ消化され、ストレートな、しかも現代の新世代なメインストリーム・ジャズになっています。クオン・ヴーとリシャール・ボナがいちおうヴォイスでクレジットされてはいるものの、アルバムを通し聴こえる時間はあまりなし。インストルメンタルな、しかも作曲よりも即興演奏を中心に組み立てられています。

 

バンドのインプロヴィゼイションの中心となって牽引しているのは、あきらかに(パットのほかには)ドラムスのアントニオ・サンチェスですね。この細分化された、しかもめっちゃ躍動的なビートを、繊細かつ大胆に叩きこなしていますよね。それはアルバム全体をとおしてそうなんですが、アントニオのこのドラミング、ジャズ・スタイルでありながら、アフロ/ラテンなリズム感を吸収し咀嚼して現代化しているっていう、そんなフィーリングですよね。

 

ぼくはちょっとルデーリ(ブラジル)のドラマー、ダニエル・ジ・パウラを連想したんですが、そういえばドラムスだけじゃなくバンドの音楽全体が、このPMGの作品、ルデーリの三作に近似しているようにも聴こえます。アンサンブルとソロとの比重というかバランスも、ルデーリなど現代ジャズに類似しているし、クオン・ヴーがトランペットを吹いている時間はなおさら。こっちのほうではギターリスト大活躍ですから、そこは違うんですけれども。

 

ギターリストといえば、この『ザ・ウェイ・アップ』でのパットのギター・ワークは冴えていますよね。曲、というかトラック、アルバム全体の見取り図のなかできっちり風景を描くことに成功しているし、そうでありながらしかも弾きまくり系の技巧をも細かく駆使しています。そうかと思うと、パート2から登場するクロマティック・ハーモニカがなにげに効いていたりもします。

 

それぞれのパート(Spotifyのでは全3パート)のなかでも、音像風景や曲想、曲調はどんどん変化していきますが、アルバム・トータルできれいな心象をつむぎだすことに成功しているし、拡大鏡をかざして細かい部分を聴いていけば、パットのギターはじめバンドの各人が繊細で超絶的な技巧を凝らしているのがわかるし、アンサンブル/ソロのバランスやそれと一体化したリズムのフィーリングは2020年のジャズ新作として出しても通用するだけの先進性、同時代性を兼ね備えているしで、いやあ、なかなかすごい傑作アルバムです。

 

(written 2020.8.26)

2020/10/25

パット・マシーニー・グループの変遷

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(10 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/64jY1LvfkZUNY949eXBSzX?si=WwwVQHFGQCOu5hdY_qQFUg

 

きのう書いたレオ・リベイロでやはりパット・マシーニー・グループのことを思い出し、聴きなおしたくなってひっくりかえして聴いていました。ぼくが好きなパット・マシーニー・グループは1980年代後半あたりのそれで、あくまで『スティル・ライフ』から『レター・フロム・ホーム』を経て『ウィ・リヴ・ヒア』のあたり。その前後は実はそうでもないんですけれども、今回ぜんぶひっくるめてもう一回聴いてみて、感じたことを記しておきたいと思います。

 

まずパット・マシーニー・グループの作品をリリース年順に列記しておきましょう。自分の整理のために。ライヴ・アルバムとコンピレイションは外しました。また1985年の『ファルコン&ザ・スノウマン』は映画のサウンドトラックということでディスコグラフィから外されることも多いんですけど、きょうは並べておきました。

 

1. Pat Metheny Group (1978) ECM
2. American Garage (79) ECM
3. Offramp (82) ECM
4. First Circle (84) ECM
5. Falcon & the Snowman (85) EMI
6. Still Life (Talking) (87) Geffen
7. Letter From Home (89) Geffen
8. We Live Here (95) Geffen
9. Quartet (96) Geffen
10. Imaginary Day (97) Warner
11. Speaking Of Now (2002) Warner
12. The Way Up (2005) Nonesuch

 

ぜんぶで12作。少ないような多いような。発売レーベル名も記しておいたのは、音楽性の変遷と個人的嗜好を考える際大切になってくるからで、このことはあとで述べます。さて、これら12作を音楽傾向とその変遷で考えると、おおよそ三つの時期に分けることができるんじゃないかと思うんですね。

 

・初期 『オフランプ』まで
・中期『ファースト・サークル』から『ウィ・リヴ・ヒア』まで
・後期『カルテット』以後

 

個人的な履歴をちょっと思い出しておくと、パット・マシーニーというギターリストのことは、ジョニ・ミッチェルのライヴ・アルバム『シャドウズ・アンド・ライト』(1979)に参加していますから、1970年代末から知ってはいたんですが(ジャズ・ファンもみんな買ったアルバム)、パット自身のソロ・アルバムやパット・マシーニー・グループのアルバムふくめ、パット名義のものをはじめて聴いたのはかなり遅くて、なんと1995年のPMG『ウィ・リヴ・ヒア』からでした。

 

これにもう強い感銘を受けたんですね。一般的評価は必ずしも高くないアルバムかもしれないですけど、な〜んてカッコいい音楽なんだと、特にアルバム冒頭の三曲がすんばらしいと、ぼくはもう感激しきりで。これを買ってみようと思ったのにはきっかけがあります。当時まだ一般的だったFM雑誌を毎号買っていたんですが(『FMファン』だったかな?忘れました、何種類かありましたよね)、当時のFM雑誌は総合音楽誌みたいな役割も担っていたわけなんです。

 

毎号新作紹介のディスク・レヴューみたいなのも掲載されていてまあまあ充実していました。それで1995年のある号でどなたかがPMGの『ウィ・リヴ・ヒア』をとりあげてくれていたんです。ページでそのジャケット写真を見て惹かれちゃったのと、レビュー内容にも興味を持ったのとで、CDショップでさがしてみたわけなんですね。

 

『ウィ・リヴ・ヒア』は、ドラム・ループなんかも使ってあったりして(プログラマー名もクレジットされている)PMGとしては異色作だったのかもしれないんですが、いま考えたらその前からのPMGのブラジルはミナス路線(『スティル・ライフ』『レター・フロム・ホーム』)と、1990年代半ば当時の最新音楽潮流とがある意味合体し、以前からのジャズ路線だってあるという、ちょっとした意欲作でした。これでPMGとパットに惚れちゃったぼくは、その後ソロのでもグループのでも、どんどんCDを買うようになったのです。

 

PMGの作品でいえば、ですから『スティル・ライフ』『レター・フロム・ホーム』あたりの路線がほんとうに大好きで、特に一番好きなのはあのヴォーカルですね、歌詞のないスキャットみたいなもんなんですけど、いろんな文章で「無国籍ヴォーカル」と書いてあるやつです。でも決して無国籍というわけじゃなくてブラジルのミナス音楽にひじょうに強い影響を受けたヴォーカル・スタイルなんですね。主に歌っているペドロ・アスナールはアルゼンチン出身ですけれども。

 

いま、PMGの全作品をじっくり聴きかえし考えてみても、この『スティル・ライフ』『レター・フロム・ホーム』はも〜う超絶的な大傑作なんだとしか思えず、どう考えてもこの二作がこのバンドの頂点でした。ジャズ、ロック、ポップス、アフリカ、ラテン、ブラジル(特にミナス音楽)そのほかワールド系などが渾然一体となってシンフォニックに溶け合い壮大に展開していくさまを聴いていると、いまでも鳥肌が立つ思いです。

 

そんな路線のハシリが1984年の『ファースト・サークル』で、ペドロ・アスナールがはじめて参加したアルバムでした。でもまだシンフォニックなワールド・ミュージック路線をフル展開してはいませんね。そこにはおそらく当時まだ所属していたECMのマンフレート・アイヒャーとの齟齬があったんじゃないかというのがぼくの想像です。それまでのすべてのPMGの作品はアイヒャーがプロデュースしていますからね。パットがグループで展開したい音楽にプロデューサーのアイヒャーがやや待ったをかけた折衷的な作品が『ファースト・サークル』だったかもしれないような気がします。

 

はたして、パットはそれを最後に、音楽制作の自由を求めてECMを去り、サウンドトラック盤『ファルコン&ザ・スノウマン』を経て、自分で音楽制作プロダクションを立ち上げ、配給をゲフィンに任せることになったのです。その結果が『スティル・ライフ』『レター・フロム・ホーム』『ウィ・リヴ・ヒア』となって結実しました。その直前の『ファルコン&ザ・スノウマン』にはデイヴィッド・ボウイが歌う「ディス・イズ・ナット・アメリカ」も収録されていて、個人的にはなかなか好きな一枚。

 

そんなわけで、ECM時代のPMGがどうしてもイマイチに思えてしまうんですが、なかでは『アメリカン・ガレージ』がいちばん好きですね。やっぱりアルバム終盤のタイトル曲と「ジ・エピック」、特に後者のダイナミックでシンフォニックな展開はのちの傑作群を予告させる内容で、聴きごたえありますね。

 

『ウィ・リヴ・ヒア』のあとからを後期PMGと呼びたいですが、四人だけでやった『カルテット』、実験的な『イマジナリー・デイ』を経て、心機一転、メンバーをかなりチェインジして新生パット・マシーニー・グループとして出発したのが2002年の『スピーキング・オヴ・ナウ』です。これと次の『ザ・ウェイ・アップ』(2005)と二作しか残さずグループは自然消滅、ライル・メイズが亡くなったいまとなっては再起動もありえないというのがちょっぴり残念な気もします。

 

そのへんのPMGでは、『スピーキング・オヴ・ナウ』はなんだか『ファースト・サークル』のころの音楽に戻ってしまったような感じで、イマイチに感じますが、次の『ザ・ウェイ・アップ』はかなりいいですよね。個人的には傑作と呼んでもいいんじゃないかと思うほど。ただしそうとわかるようになったのはついきのうのことで、2005年にCD買ったときはシリアスな大作主義になじめず、二回くらい聴いてそのまま放置していましたけどね。

 

『ザ・ウェイ・アップ』は、ミナスとかブラジルとかアフロ/ラテンなワールド・ミュージック路線を(直截的には)抜いた上でのジャズ・アルバムなんですよね。それもストレート・アヘッドなメインストリーム・ジャズ作品なんで、ジャズ・グループとしてのこのバンドの演奏実力を見せつけた(たぶん一発即興録音だったと思う)充実作じゃないですか。この路線のままこのメンツでもう一つ二つ作品を聴きたかったという気持ちもあったりします。

 

(written 2020.8.25)

2020/10/24

まるでパット・マシーニー・グループ 〜 レオ・リベイロ

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(3 min read)

 

Leo Ribeiro / Paisagem

https://open.spotify.com/album/43kfmtTM7S2oDJe6cqZJsP?si=-OBMGWXwRIeLc4OXwLjmrw

 

bunboni さんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-10

 

レオ・リベイロ(Leo Ribeiro)の2019年作『Paisagem』。ブラジルはミナスのギターリスト&シンガー・ソングライターなんですが、このアルバム、聴いて笑っちゃいましたねえ。もう完璧に1980年代のパット・マシーニー・グループそのまんま。音楽のつくりがそうなんですよね。違いは?といえば、パットと違ってレオは自分で歌っているというところくらいでしょうか。

 

といってもパットのああいった音楽(『スティル・ライフ』や『レター・フロム・ホーム』など)がもとはといえばブラジルはミナスの音楽から非常に強い影響を受けて成り立っていますので、ミナスのレオからしたらべつに猿真似をやったわけじゃないのかもしれません。パットと盟友ライル・メイズに捧げた曲もあるので、もちろん意識はしているんでしょうけどね。

 

もうホント、(最近の新世代)ミナス音楽のことが嫌いなくせに1980年代パット・マシーニー・グループの大ファンで大ファンで、もうたまらなく大好きで、聴いているだけで、いや、想像しただけで感極まってしまうほどのファンであるぼく。だからレオのこの『Paisagem』も本当にお気に入りなんですよ。あのへんのパット・マシーニー・グループがお好きなみなさんであれば、間違いなく全員ハマると思います。

 

この空気感、サウンド・メイク、リズム・フィール、ヴォーカルの活用法、それからレオはパットほどにはギター・ソロを弾かず、ヴォーカルとトータルなサウンド・メイクにほぼ徹していると思うんですけど、たまにちょろっと出るギター・ソロとかもパット、というかトニーニョ・オルタ・マナー。二番煎じというより、これがミナス・ジャズというものなんだろうなという気がしますね。

 

アルバムでは終盤クラシック・ギターの技巧を披露するソロ演奏曲が並んでいるのがレオならではというところでしょう。なんでも音楽学校で正式にクラシック・ギターを学んだそう。11、12曲目がエチュード(練習曲)ですが、11曲目のほうはややフラメンコ・ギターっぽい雰囲気です。10、13曲目もソロ・クラシック・ギター・ピースですから、アルバム終盤に計四曲もあるというわけで、ある意味それも聴かせたいというプロデュース意図があるんでしょうね。

 

プロデュース意図というのは、なんでもこのアルバムはインディーな自主制作盤だそう。30年以上のキャリアを持ち、これだけのハイ・クォリティな音楽をつくりあげるだけの実力の持ち主でも、なかなか正式なフル・アルバム発売のチャンスには恵まれないものなのかもしれないですね。厳しい世界です。

 

(written 2020.8.23)

2020/10/23

最近、書くときにぼくが注意していること

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(2 min read)

 

・才媛、才女、〜〜嬢、〜〜女史、女流〜〜、女版〜〜だとかいった表現を使わない。褒めているつもりの実は差別だから。

 

・歌手や音楽家の性別をなるべく書かない、すくなくとも強調しない。女性歌手、女性ヴォーカルということはみなさん言っても、男性歌手ということはあまり言われないでしょう。

 

・彼、彼女、などの代名詞を可能な範囲で避ける。

 

・その他、鮮明にジェンダー・バイナリーな表現を極力用いないよう心がける。「息子」「娘」も基本使わない。

 

・年齢にもなるべく言及しない(でもこれは守れないことも多い、特に年配者)。

 

・美人歌手だとか、言わない。逆に容姿はどうでもいいだとかも、言わない。

 

・音楽と関係ない意味合いでルックスの話題を出したり、画一的な美しさばかり言ってそこに当てはまらない人をどうこう言わない。

 

・やぐっちゃん(矢口真里さん)が「夫ちゃん」と呼んでいるのがぼくは好きで、「主人」とか「旦那」とかじゃないのがいいよね。

 

・男性の立場からなら、女性配偶者のことを「奥さん」「奥方」「家人」「家内」「嫁さん」「嫁」とか言うのも好きじゃないですね、ぼくは。

 

・これら配偶者をどう呼ぶかは、最近じゃなくて30年以上前から気になっていることです。

 

・外国語からの翻訳の際、女性の発言でも「〜〜なの」「〜〜だわ」などといった女口調を不必要に使わない。男性のばあいも、原文にそのニュアンスがないのに「〜〜だぜ」みたいなオレさま口調で訳さない。

 

・女性専用スペース、女性専用車両、レディース ・デイとか、ああいったものは、「女のため」というよりは「男のせい」だと思います。

 

・ジャズ・マン、ブルーズ・マン、セッション・マン、サイド・マンとぼくは言わなくなった。

 

・家事が好きで得意だからといって、「料理男子」とか「女子力」高いねとかって言わないでほしい。

 

・男らしさ、女らしさ、ってなんだろう?これはこどものころから強い違和感を持ってきたことです。

 

・ぼくもアライです。

 

(written May 〜 August 2020)

2020/10/22

1950年代のレイ・ブライアントはおだやかだった

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(6 min read)

 

The Ray Bryant Trio / Ray Bryant Trio

https://open.spotify.com/album/6Tzji1A705579YT9chT8uq?si=7cUHkruLRTihk2iRUaojqA

 

ジャズ・ピアニスト、レイ・ブライアントの1957年プレスティジ盤アルバム『レイ・ブライアント・トリオ』のことを、どうしてだかこないだちょっと思い出し、実にひさびさに聴きかえしたりしていました。大学生のころは一番好きなレイのアルバムで、四年生のとき(だから1983年か)松山のジャズ喫茶でもソロ・ピアノ・ライヴをやったんですよ。そのときこの『レイ・ブライアント・トリオ』LP盤を持参して、ジャケットにサインをもらったという思い出もあります。

 

それでこの1957年『レイ・ブライアント・トリオ』はむかしからずっと聴き続けている愛聴盤ですし、もうこのブログですでに話題にしたはずだと思って検索しても出てこないんですね。ちょこちょこっと部分的に言及しているだけで。だからきょうここにはじめてこのアルバムのことをしっかり書き残しておこうと思い立ちました。いやあ、いいアルバムなんですよね。サインしてもらおうとご本人に見せたら(こんな古いものをと)ちょっとビックリしていましたねえ。

 

1983年に体験した松山の小さなジャズ喫茶でのレイのソロ・ピアノ・ライヴは、エイヴリー・パリッシュの「アフター・アワーズ」などブルーズ・ナンバーを中心とするもので、やはり『アローン・アット・モントルー』の路線でしたけど、レイがあんな感じになったのは1970年代からじゃないですか。1950年代あたりは、まだ落ち着いた静かでリリカルなプレイが特色のピアニストだったように思います。

 

そんなところ、この『レイ・ブライアント・トリオ』でもよく発揮されていますよね。たとえばその後のレイの代名詞となったソロ演奏とブルーズという二点で考えてみても、このプレスティジ盤にはソロで2曲目の「エンジェル・アイズ」、ブルーズでは3曲目の「ブルーズ・チェインジズ」があるわけですけど、もうまったく1970年代以後とは雰囲気が違いますよね。

 

マット・デニスの「エンジェル・アイズ」でのレイはとことんリリカルに、といってもこの曲はロマンティックな恋愛がテーマじゃなくて残酷な失恋を扱ったものなんですけど、レイはきれいにきれいにメロディをつづっています。静かで落ち着いた抒情的な雰囲気。右手と左手のバランスがいいのもこのピアニストの特徴です。それでもってこの暗い曲を残酷すぎないように、もともとメロディは美しい曲ですから、それを活かすようにていねいに弾いていますよね。

 

こういったリリカルさ、決してゴリゴリやらない、ちょっと線の細いやわらかいムード、というのが1950年代のレイ最大の特色で、このアルバムの代名詞になった1曲目「ゴールデン・イアリングズ」なんかがその結晶ともいえる傑作です。このレイのヴァージョンがこの曲の代表的名演となりましたし、この曲をとりあげたことじたい、この当時のレイのリリカルな志向性をよく反映したものだと言えましょう。

 

3曲目の自作「ブルーズ・チェインジズ」。1955年のマイルズ ・デイヴィス&ミルト・ジャクスンとのセッションでも演奏された曲ですけど(『マイルズ・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』)、定型12小節ブルーズでありながら、ブルージーさ、ファンキーさがまったくない、ムーディなバラードのような曲想を持つ一曲ですよね。

 

ここで聴けるトリオ・ヴァージョンでも、まず無伴奏ソロから出て、リズム・セクションが入ってきても、最後までレイはとことんリリカル。だからちょっと聴き、ブルーズ・ナンバーであることに気がつかないほどです。1970年代以後のソロ・ピアノ演奏ではあんなふうにブルーズを弾いたのに…、と思うと、まるで別人のようですよね。

 

LPではA面ラストだった4曲目「スプリッティン」だけがハードにスウィングするグルーヴ・ナンバーで、レイもどんどん弾きまくりますけど、決してファンキーになったりはしません。5曲目以後アルバムを最後まで聴いても、こういったハード・グルーヴァーはこの一曲だけで、モダン・ジャズ・アルバムとしてはややめずらしい部類に入るのかも。おだやかな曲ばかりで。

 

そう、おだやかさ。これこそが1950年代の、『レイ・ブライアント・トリオ』の、最大の特色で、決して激しく攻めない、エモーショナルにもファンキーにもならないっていうのが、5曲目以後でもよくわかると思います。B面でいちばんの聴きものはトップに来ていたモダン・ジャズ・カルテットの「ジャンゴ」でしょうね。一定の枠から決してはみ出ないMJQの曲は、この当時のレイの資質によく合致していたと言えます。

 

その後の三つも知られた曲ばかりですが、リリカルでおだやかにはみ出ないで弾く、というレイのこの当時の持ち味を存分に発揮した演奏。曲じたいの魅力と演奏の質では、A面よりやや落ちるかもなというのが個人的な感想です。

 

(written 2020.8.21)

 

2020/10/21

2020年にしてプリテンダーズ初体験

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(4 min read)

 

Pretenders / Hate For Sale

https://open.spotify.com/album/1A88QI9i0LT4ClZgoQIl0t?si=1f_ptIjfSnel-1eOI3YLcQ

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/07/17/hate-for-sale-pretenders/

 

2020年新作の『ヘイト・フォー・セール』、プリテンダーズとしてはひさびさのアルバムになるそうですけど、プリテンダーズに特にどうという興味も抱いてこなかったぼくで、でも健太さんのご紹介と、どうしてだかなんとなく気になる部分があってSpotifyで聴いてみたんですね。クリッシー・ハインドだけはいままで気にしてきましたが、たぶんプリテンダーズのアルバムを聴くのは今回がはじめてになるんじゃないかと思います。だからきょうの文章はどうか笑って読み飛ばしてください。

 

アルバム題にもなっている1曲目の「ヘイト・フォー・セール」というタイトルは、コール・ポーター作の大スタンダード「ラヴ・フォー・セール」のもじりのような気がしますが、音楽的にはまったくなんの関係もないですね。プリテンダーズのこっちのほうはストレートな完璧ロックンロールで、爽快にぶっ飛ばすみたいな、いかにもな曲調。これは気持ちいいですね。

 

ちょっぴりラテン香味が効いているようにも聴こえる2曲目「ザ・バズ」を経て、3曲目の「ライティング・マン」はレゲエ、というかこれはダブですね。プリテンダーズってダブもやるんだというのは、ぼくは今回このバンド初体験ですから、なんとも言えません。ただ英国のバンドですからね、ジャマイカ音楽への親近感はわりとあるだろうなと。ダブになっているこの3曲目はかなり聴けますよね。

 

その後、4、5、6、7、8曲目と、ロッカバラードなども交えながらやはりストレートに王道ロック路線を進んでいるなと思うアルバム『ヘイト・フォー・セール』、こういったハードでスピーディなストレート・ロックは個人的に好みなので、すんなり楽しく聴けます。8曲目の「ジャンキー・ウォーク」もストレート・ロック、でありながらリズムにちょっとのおもしろみを感じたりもするのは、ぼくのラテン好き感じすぎ資質ゆえ?

 

ラテンといえばですね、続く9曲目「ディドゥント・ワント・トゥ・ディス・ロンリー」は鮮明なボ・ディドリー・ビートを使ってあります。つまりキューバ音楽でいう3・2クラーベのリズム・パターン。健太さんはジャングル・ビートということばをお使いですが、ロック・ミュージック界隈ではたしかにそう呼ぶことも多いみたい。リズム&ブルーズやロックやジャズなどの米英音楽で聴けるばあいのこのビート・スタイルは(カリブから来た)ニュー・オーリンズ由来じゃないですかね。

 

3・2クラーベ、あるいはひっくり返して休符から入る2・3クラーベとかの(アフリカン〜)カリブ/ラテンなリズム・パターンが、もうだ〜い好きなぼくなんで、プリテンダーズのこの新作『ヘイト・フォー・セール』でもこの9曲目がいちばんのお気に入り。それとダブな3曲目、幕開けでKOされる1曲目と、これら三つですかね。ラスト10曲目はしんみりしたバラードで締めくくり。これもいいです。

 

(written 2020.8.20)

 

2020/10/20

レコードやCDの貸し借り、ダビングなどもいまはむかし

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(6 min read)

 

になったなあと個人的には思うんですね。すべてはデジタル技術とインターネットの普及のおかげです。物体でやりとりしなくたって電子ファイルの送受信で用が足りるでしょうからね。ばあいによってはファイルの送受信すら必要なくて、音楽のストリーミング・サービスみたいにあっちのサーヴァーにあるものをそのまま流してこっちのディヴァイスで聴くだけっていうような世界が一般的になりつつある、というか、もうすでになっているんじゃないですか。

 

このへん、一部のみなさん(ってぼくもちょっとそうなんですけど)はまだまだ抵抗があるところかもしれないですね。レコードとかCDとかのフィジカルじゃないと音楽を「入手」したという気にならないという向きが大勢いらっしゃるかもと思うんですけど、そもそも(物体ではなく)「音楽を入手する」ってどういうことなんだ?それはあなたのものになるものなのか、物体じゃなく音楽が、とか根源的な疑問を抱くこともあります。

 

それはともかく、ネット配信ではいまだ聴けない、解禁されていないものはCDとかで聴くしかないわけですけど、問題はその貸し借りですよね。上で掲げた写真のように大手レンタル・ショップなんかでもそこを狙って商売していたりしますけど、借りたとして、それで聴くというよりもパソコンにリッピングしてファイルで聴くみたいなことのほうが多いんじゃないかという気がします。返却したあとそれをCD-Rに焼くとしても、それはパソコン内のデジタル・ファイルだったものですから。

 

さらにもう一段、他人にすすめたいというときでも、焼いたCD-Rを渡すとか送るとかいうよりも、電子ファイルになっているものをメールかSNSのメッセージなんかに添付して送信するとか、ファイル共有サイトにアップロードしておいてダウンロードしてもらうとか流してもらうとか、そういった方法のほうが一般的になってきているのは間違いありません。

 

そもそも(CDを発売するような)プロの音楽家同士だって、いまやコロナ禍でスタジオに集結していっしょに音を出すというのを遠慮しなくちゃいけないという状況ですから、まずだれかがつくって録音した音源ファイルを電子的に送信して、それを聴いてもらって仲間がリモートでそれに音を足すなどして送り返すとか、いまや音楽の新作だってそんな方法でプロデュースされるようになっていると思うんですね。

 

で、最後までその方法で一度も物体化なんかはせず(楽器演奏は物体操作だけど)、完成したものをマーケットに流通させる最終段階になって、はじめてCDを作るということになっているだけなのかもしれません。近年、アラブのロターナなんかもそうですけど、そもそも物体化すらもしない、したくない、コストがかさむだけで買う人間も減っているんだし、デジタル・ダウンロードかストリーミングで十分という考えのレコード会社、音楽家だって増えているなとみえています。

 

音楽のフィジカル・マーケットは、たぶん日本が世界で最大かつ唯一に近いガラパゴス島に違いなく、もはや世界の主流からは取り残されつつあるなと実感することしきり。ストリーミングとかダウンロードでちゃんと聴けるのに、フィジカル化されていないと話題にすらしないとか、なんだかちょっとう〜〜ん…、とぼくは感じておりますね。

 

そりゃ30〜40年くらい前のむかしはですね、友人同士で「このレコードいいんだぜ、ちょっと聴かせたい」と思ったら、自宅に来てもらうか持っていくか、貸すか、カセットテープなどにダビングして渡すとか、それ以外に方法がなかったし、CD時代になっても事情は似たようなもので、やはり来てもらうか行くか物体でしかやりとりできませんでした。ほかに手段がなかったんですからね。貸し借り、(テープやMD、CD-Rなどへの)ダビングなどさかんでしたよね。

 

でも時代は変わったんです。いつまでも数十年前の方法に固執して、それじゃなくちゃダメなんだ、音楽を聴いたということにならないんだとか、そういうふうに考える必要もなくなったように思うんですけどね。テクノロジーの進展で、新しい時代には新しいやりかたができてきて一般化しますから、なんでも。それで便利になっていくんであって、その反面失われるものだってあるでしょうけれどもね。

 

(written 2020.8.24)

 

2020/10/19

オーガニックなラヴ・ソング 〜 原田知世

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(8 min read)

 

原田知世 / 恋愛小説3〜You & Me

https://open.spotify.com/album/1EZy3C9uNNtucsPLo1lP63?si=6pw7r8qETOqHBrCM3-IKsg

 

原田知世の新作アルバム『恋愛小説3〜You & Me』が2020年10月14日に出ました。昨年も『Candle Lights』があったんですけれども、それはベスト盤みたいなもので、新曲もふくまれていたとはいえ、あくまで企画ものみたいな感じでした。

 

だから知世の新作としては2018年の『ルール・ブルー』以来ということになりますね。『恋愛小説3』というアルバム題でおわかりのように、いままでに二作出ているラヴ・ソング・カヴァー集の三作目。

 

一作目『恋愛小説』(2015)が洋楽ポップスのカヴァー集、二作目『恋愛小説2〜若葉のころ』(2016)が日本の歌謡曲のカヴァー集だったわけですが、今作『恋愛小説3』も日本のポップスばかりとりあげて、そして『2』との違いは曲の年代ですね。

 

『2』が山口百恵とか太田裕美とかの1970年代の歌謡曲ヒットをカヴァーしていたのに対し、今年の『恋愛小説3』ではもっとあたらしい、1980〜90年代の日本のポップ・ソングを中心に歌っています。知世の世代だったということでしょうか。

 

さらに今作『3』ではゲスト歌手が四名迎えられているのも大きな特色です。大貫妙子、小山田圭吾、細野晴臣、土岐麻子。細野さん以外は、個人的に実はイマイチなじみの薄い歌手たちなんですよね。

 

曲も、『恋愛小説2』収録のものはぜんぶよく知っているおなじみのものばかりだったのに対し、今回の『3』では、実を言うと知らなかった曲ばかり。だから、体内にしみついている曲を伊藤ゴロー(プロデュース)&知世がどう料理するか?という楽しみかたはできませんでした。

 

そんなわけで、自分のために、『恋愛小説3』の収録曲のオリジナル歌手たちを、以下に一覧にしておきます。

 

1)A面で恋をして(ナイアガラ・トライアングル)
2)ベジタブル (大貫妙子)デュオ with 大貫妙子
3)小麦色のマーメイド(松田聖子)
4)二人の果て(坂本龍一)デュオ with 小山田圭吾
5)新しいシャツ(大貫妙子)
6)A Doodlin’ Song(ジャッキー・クーパー)デュオ with 細野晴臣
7)花咲く旅路(原由子)
8)ping-pong(原田知世)デュオ with 土岐麻子
9)ユー・メイ・ドリーム(シーナ&ザ・ロケッツ)
10)あなたから遠くへ(金延幸子)

 

1曲目の「A面で恋をして」からしてかなりいいですよねえ。伊藤ゴローがつくったサウンドも極上だけど、知世の声がイキイキとしていて、曲が生き返っています。伊藤ゴローはもうずっと知世のプロデュースを続けてきていますけど、今作でもその腕前が光っています。ゴローの世界を最もよく表現できる歌手が知世だということなのかもしれません。

 

それは知世との仕事じゃないゴローのふだんの音楽活動からしてもなんとなく想像できることです。ゴロー・ファンがどれだけこういったアルバムを聴くのか?買ったり聴いたりする中心はやっぱりあくまで知世ファンだろうという気もしますが、こういった日本のポップスを素材に活かされるゴロー・サウンドの清新さはなかなかのものです。

 

知世の声もいいし、さわやかですっきりしていて、まわりくどいところがまったくありません。凝っているのはゴロー・アレンジのほうで、知世はそれに乗っかってすーっとすんなり歌っているなという印象です。2曲目「ベジタブル」もいいけど、もっといいと思うのが(今回ぼくが唯一知っていた曲の)3「小麦色のマーメイド」ですね。ストリングスの活用がみごとな伴奏に乗って、知世がつづることばがじんわりと心に沁みます。

 

ところで、今回ゲスト歌手が四名、女性二名、男性二名といるわけですけど、特に女性歌手二名、大貫妙子と土岐麻子はほとんど目立っていませんよね。男性ゲスト歌手のほうは、やっぱり声に男女差があるということもあって、参加しているというのがよくわかりますが、女性二名のほうは、うっかりしていると知世一人で歌っているように思ってしまうほど。やっぱりあくまで主役をきわだたせる役目に徹したということでしょうね。一体化しているというか。

 

5曲目「新しいシャツ」の伴奏はアクースティック・ピアノ一台だけ。これは実にいい歌ですよねえ。伴奏がこういった感じだからこそ、知世の声のチャーミングさがきわだちます。これはある意味今回のアルバムのハイライトかもしれません。はじめて聴いた大貫妙子の曲ですけど、いい曲ですよねえ。それがわかるっていうことは、伴奏と歌がすばらしいっていうことです。

 

7曲目「花咲く旅路」は原由子が歌った沖縄音階ソング。原はこういうのをつくって(といってもこれは桑田佳祐の作詞作曲だけど)歌うのが得意ですよね。サザンオールスターズ内でもときどき歌っています。知世も、鈴木慶一プロデュース時代からこの手の曲は歌うことがあり、慣れたもんです。実にいいですね。オーガニックなサウンドの質感もすばらしい。

 

そう、オーガニック・サウンドというのは、今回の新作アルバム『恋愛小説3』で一つの大きな聴きものになっているなと感じます。混じりものなしのコットン100%のシャツをまとっているかのような肌触りの心地よさ、それがオーガニックっていうことなんですけど、伊藤ゴローのサウンド・メイクって前からそうなんですよね。またそんなオーガニックな音の質感に、知世の声質が実によく似合っているなと感じます。知世ってそんな歌手じゃないですか。

 

そして、今作でぼくがいちばん大好きになったのが9曲目「ユー・メイ・ドリーム」。シーナ&ロケッツがやったポップなロック・ソングですけど、曲そのものがいいですよね。ちょっとビートルズが書きそうな曲でしょ、特にリフレインの大サビ部分(「それが私の素敵な夢〜〜」ではじまる部分)でビートルズっぽさが炸裂しています。

 

ゴローはしかしエレキ・ギターやシンセサイザーを使わず、あくまでアクースティックなサウンド・メイクに徹しているのが耳を惹きます。曲がいいので、それをとことん活かすように素直に歌った知世のナチュラル&ナイーヴ・ヴォーカルもすばらしいし、これ、この「ユー・メイ・ドリーム」はほんとうに楽しいなあ。

 

(written 2020.10.18)

 

2020/10/18

まるで宝石 〜 ルーマーのバカラック集が美しすぎる

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(6 min read)

 

Rumer / This Girl’s in Love: A Bacharach & David Songbook

https://open.spotify.com/album/6GCJb3dvt1ioLYCIZNYNYR?si=_eBelmJ9TwmJrKxGvamtvg

 

きのう最新作のことを書いたルーマーには今回はじめて出会ったわけですが、Spotifyで聴けるものをひととおりぜんぶ聴いてみて、いちばんのお気に入りになったのが2016年の『ディス・ガールズ・イン・ラヴ:ア・バカラック&デイヴィッド・ソングブック』。あまりのたおやかな美しさに、もうはっきり言ってトロケちゃったと言ってもいいくらい。

 

ルーマーがイギリスを離れアメリカに定住するようになったのが2015年のことらしいんですけど、ちょうどそのころロブ・シラクバリと結婚しています。ディオンヌ・ワーウィックやバート・バカラックとの仕事で知られているマルチ楽器奏者/アレンジャー/プロデューサーですね。それ以前からバカラック本人もルーマーに注目して声もかけていたそうで、そんないきさつがあって2016年にバカラック&ハル・デイヴィッド曲集をつくることになったのでしょう。

 

だからアルバム『ディス・ガールズ・イン・ラヴ』のプロデュースとアレンジは当然のように全編ロブ・シラクバリが担当。ディオンヌが歌ったレパートリーが多く、そのほかあまり知られていない曲もふくまれていたりするのは、ロブの仕掛けなんでしょうね。しかもバカラック・バンドで仕事をしていただけあって、このルーマーのアルバムでもバカラックによるオリジナル・アレンジを尊重したできあがりになっているあたりも意義深いところです。

 

一聴、バカラック本人がアレンジのペンをとったのかと聴き間違えそうなほどで、しかもルーマーの持つ声質と歌いかたがバカラック・ソングにまさにぴったり。曲の資質と歌手の資質がこれほどまでに合致している音楽ってなかなかないなと思うんですけど、そこに聴き手としてのぼくの趣味までフィットしていますから、『ディス・ガールズ・イン・ラヴ』はそんな例外的な、まれな奇跡のような宝石だと思えます。

 

しかもアレンジされたサウンドも歌手の声もほんとうに美しいでしょう。全編、派手にもりあがるということもなく、ただひたすら世界を淡々と描いているだけなんですけど、それでここまで感動的に仕上がるというのは、まずはやっぱり曲そのもののよさでしょうね。ロブ・シラクバリはバカラックのパートナーだったわけですから、さすがその曲群を知り尽くしているなという印象です。そういうリズムやバンド、オーケストレイション、プロデュースじゃないですか。

 

歌手のルーマーも、この独特の落ち着いたしっとりめのヴォーカルが曲によく似合っています。2016年になって、バカラック・ソングはその最好適なパフォーマー・コンビを得たのだと、そう言えるような気がこのアルバムを聴いているとしてきます。どの曲もオリジナルよりいいし、ロブのアレンジも秀逸で、バカラックの書いた曲をどこまでも第一に考えているな、その曲のもともと持っているよさを引きださんとしているなというのがよくわかります。ルーマーのヴォーカルだってそうです。曲のよさを最大限にまで発揮するようなていねいで美しい歌いかたをしています。声そのものがやわらかくて美しいんですね、ルーマーは。

 

オリジナル・ヴァージョン以後、数多くのバカラック・ソングはたくさんの歌手たちを魅了してきて、だからバカラック・ソングブックのアルバムは多いんですけれど、このルーマーの2016年作『ディス・ガールズ・イン・ラヴ』を聴いたら、これこそ最高、No.1で、これを超えている作品はないなと、そう実感するようになりました。

 

アルバムのどの曲を聴いてもため息が出ますが、なかでも特に2「バランス・オヴ・ネイチャー」、4「アー・ユー・ゼア」、5「クロース・トゥ・ユー」、6「ユール・ネヴァー・ゲット・トゥ・ヘヴン」、8「ア・ハウス・イズ・ナット・ア・ホーム」、9「ウォーク・オン・バイ」、13「ワット・ザ・ワールド・ニード・ナウ・イズ・ラヴ」あたりは、まさにもう珠玉の宝石と言う以外ないですね。美しすぎる。

 

また、12曲目「ディス・ガールズ・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」の冒頭部では、作者のバカラックみずから参加してピアノとヴォーカルを聴かせてくれているのもうれしいボーナスですね。ロブ・シラクバリのアレンジとプロデュース・ワークも的確にツボだけをしっかり押さえていくという、これ以外のサウンドはないと思える極上のもので、歌手ルーマーの細やかに神経の行き届いたソフトなヴォーカルとあいまって、バカラック・ソング史上最高の一作になったと断言します。

 

(written 2020. 10.10)

 

2020/10/17

ネオ・オーガニックなアメリカン・タペストリー 〜 ルーマー

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(3 min read)

 

Rumer / Nashville Tears: The Songs of Hugh Prestwood

https://open.spotify.com/album/14rdSyKf6e1XzE157DlHyo?si=-Bc01GeiT0erRGL_jlb-aA

 

萩原健太さんに教えていただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/09/07/nashville-tears-rumer/

 

パキスタン生まれのイギリス人歌手ルーマー(サラ・ジョイス)。いまはアメリカに住んで活動しているみたいで、シンガー・ソングライターだったんですけど、ジョージア州メイコンに定住して、結婚して母になってからは、ちょっと活動が停滞気味だったみたい。

 

といっても今年の新作『ナッシュヴィル ・ティアーズ:ザ・ソングズ・オヴ・ヒュー・プレストウッド』(2020)がなかなかいいし、その前作であるバート・バカラック集『ディス・ガールズ・イン・ラヴ』が2016年の作品でそれは最高だし、イギリス時代ほどではないにせよ、そこそこ充実したアルバムをリリースしています。

 

そう、ここ二作のルーマーは特定のソングライター集みたいなアルバムを出しているんですね。自身がシンガー・ソングライターのルーマーにして、決して自分には書けないであろうような曲を知ったり、それに挑んだりして、世界がひろがるといった経験もしているのかも。

 

今年の新作が『ナッシュヴィル ・ティアーズ』と題されているのは、録音・制作がナッシュヴィルで行われたからでしょう。アルバムのなかにそういう曲はありませんからね。とりあげられているソングライターのヒュー・プレストウッドというひとについてはぼくはなんにも知らず。今回が初邂逅ですが、ルーマーのこのしっとり落ち着いた声で聴くと、ほんとうにいい曲を書くんだなあと実感しますね。

 

ルーマーのこともはじめて聴いたんですけど、こんないい歌手にいままで出会えていなかったということに後悔を感じるほど。声もいいし、歌いかたもみごと。曲がいいのと歌手の声が美しいのと、ジャケットもきれいだし、『ナッシュヴィル ・ティアーズ』はアルバムとして完成度の高い作品なんだなと納得できますね。

 

ナッシュヴィル発ということで、カントリー色が濃いのかというとそんなこともなく、もっとポップな感じがします。現地のミュージシャンたちを起用したんだろうと思いますが、基本アクースティックなリズム・セクションに、エレキ・ギターがちょこっとだけ入る(+ストリング・アンサンブル)っていう、そんなサウンドですね。この手のネオ・オーガニック・ポップみたいな音の質感は、アメリカン・ポップスでここのところ流行しているもので、ぼくも聴き慣れています。

 

ちょっぴりカレン・カーペンターを思い出させるルーマーの美しい声と、アメリカのタペリトリーみたいなヒュー・プレストウッドのソングブックがあいまって、えもいわれぬ居心地のよさを感じさせてくれる、心休まるアルバムじゃないですかね。

 

(written 2020.10.9)

 

2020/10/16

奄美島唄の輪廻転生 〜 里アンナ×佐々木俊之

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(4 min read)

 

里アンナ×佐々木俊之 / Message II - Reincarnation -

https://open.spotify.com/album/4gPjfmbVGV36bOql9vBMjP?si=ZBe0O9MLSvm1c77pzW2YSA

 

里アンナは奄美大島の島唄を歌う歌手。三味線や竪琴もやります。そんな里がドラマー、佐々木俊之と組んでリリースしたコラボ二作目『Message II - Reincarnation - 』(2020)にたまたまたどりつく機会がありました。いやあ、これはなかなかすごい音楽ですよ。

 

奄美島唄の里アンナは2005年の「愛・地球博」で山本寛斎プロデュースのイベント出演後にデビュー。スペインのフラメンコ集団と共演したりもしていて、多彩な活動を世界で続けてきているみたいです。ドラマーの佐々木俊之のほうは2014年結成した自身のバンド Nautilus でドイツの音楽レーベルからも作品を発表するなど、やはり海外でも活躍。

 

この両者、それまでたがいに接点はなかったと思うんですが、共演で2016年、フランスのコルシカ島で開催された歌のフェスティバル、パリ公演を成功させたあたりがコラボの出発点だったみたいです。デュオ一作目の『Message』が2018年のリリース。ぼくは今年の二作目が初邂逅だったわけですけど、一作目からしてすでにぶっとんでいます。

 

さて、もうすっかり愛聴作になっている里+佐々木の『Message II - Reincarnation - 』ですが、聴いていてなにが楽しいって、ぼくにとっては佐々木のドラミングなんですね。ジャズ、R&B、ヒップ・ホップを自在に横断するスタイルで、里の島唄&三味線 or 竪琴に、基本的には寄り添いながら、ときに挑発したりもして、自由にビートを刻んでいますよね。佐々木のおかげで奄美島唄が新しい衣をまとって新鮮に聴こえてくるっていう、そういったアルバムじゃないですか。

 

里のヴォーカル+三味線(or 竪琴)にくわわるのが佐々木のドラムスだけっていう、そんなシンプルな編成ながら、織りなすサウンド・テクスチャーは多彩でカラフル。ぼくにはそれが佐々木のドラミングのおかげであると聴こえるんですね。奄美の島唄には地元の太鼓が加わることが通常らしいんですが、そこに西洋ふうのドラム・セットをあえて用いたことで、ポリ・レイヤーな音楽ができあがっているなと感じます。

 

アルバムのなかで特にお気に入りは、たとえば2曲目「綾蝶」とか7「ワイド節」とか。佐々木がとても細かいビートを刻んでグルーヴを生み出していますが、そこに里の三味線&ヴォーカルが大きくうねるように乗って、そのポリリズミックな多層性ゆえに奄美島唄に現代性を持たせ蘇らせることに成功していますよね。

 

ポリリズムというかポリ・グルーヴとでも言ったらいいのか、この里+佐々木のコンビによる音楽、とにかく理屈は抜きにしても、とにかく聴いて快感で、ずっといつまでも聴いていたい、このサウンドのうねりに身を任せていればひたすら気持ちいいっていう、そんな音楽で、だからくりかえしなんども聴いちゃうんですよね。

 

一作目『Message』もすごいので、そっちもぜひ聴いてみてください。
https://open.spotify.com/album/62vP417C42qzMMYzyYXClC?si=dUCICPFYRPmK4kcfPZtzHg

 

(written 2020.10.7)

 

2020/10/15

愛しの「オー・プリヴァーヴ」〜 チャーリー・パーカー『スウェディッシュ・シュナップス』

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(6 min read)

 

Charlie Parker / Swedish Schnapps

https://open.spotify.com/album/1mQ11XRLltORPc1bAJv9tt?si=WxG2yMWxSdykHr70oub6Ag

 

今2020年はチャーリー・パーカー生誕100周年にあたるそうです。1920年生まれだったんですねえ。パーカーみたいな大物でも生没年月日をほとんど憶えない人間なんで、ついこないだ言及しているかたのツイートを見るまで気づいていませんでした。

 

それで100周年ということで、パーカー関連のフィジカル商品がいくつかリイシューされているようです。といってもパーカーですからね、いままでもくりかえし発売されてきたものばかりで、どうってことありませんが、せっかくのワン・センチュリー、ぼくもなにか聴きなおして感想を書いておこうと思い立ち、選んだのがヴァーヴ盤『スウェディッシュ・シュナップス』(1958)。

 

どうして『スウェディッシュ・シュナップス』か?というと、これ、ほかの何枚かとあわせ、ボーナス・トラックもつけて、今年の100周年記念でCDリイシューされたそうですよ。その情報だけいただいて、ぼくはCD買えない人間になったので、オリジナル・アルバムのままのSpotifyので聴きなおしました。

 

それで、『スウェディッシュ・シュナップス』、1958年といってもですね、それはヴァーヴがLPフォーマットにまとめてリイシューした年であって、すべて最初はSP盤で発売されたものです。中身はA面が1949年、B面が51年の録音セッション。上掲リンク先のSpotifyアルバムでいえば、8曲目の「オー・プリヴァーヴ」からがB面です。

 

その「オー・プリヴァーヴ」、楽曲形式としてはただの12小節定型ブルーズなんですけども、大学生のころに初めてこのレコードを買って針をおろしたころから、もう大好きで大好きで、溺愛してきた一曲なんですよね。パーカーの書いたテーマ・メロディがですね、あまりにもチャーミング!

 

たぶんパーカーの曲のなかで個人的にいちばん好きなのがこの「オー・プリヴァーヴ」ですね。後続の多くのジャズ演奏家たちも魅力的だとの感想を持つのか、実にカヴァーの多い曲であって、あ、いや、もちろんパーカーの曲はいろんなのがどんどんカヴァーされてきましたが、ぼくにとってどのカヴァー・ヴァージョンでも聴けば胸がワクワクするのが「オー・プリヴァーヴ」のメロディであるというだけのことかもしれません。

 

そんなに溺愛する「オー・プリヴァーヴ」があるせいで、そのおかげで、アルバム『スウェディッシュ・シュナップス』全体が愛聴盤となってしまいました。B面の1951年セッションはトランペットがマイルズ・デイヴィスであるのもぼく的には愛好ポイントです。A面はレッド・ロドニー。

 

「オー・プリヴァーヴ」だけでなく、実にブルーズ・ナンバーが多いアルバムでもありますね。もちろん以前からパーカーはブルーズをたくさんやるんですけど(カンザス・シティ育ち、ジェイ・マクシャン楽団出身ですしね)、このアルバムで聴けるブルーズはあまりブルージーじゃないっていうのがひとつの特色かも。

 

パーカー自身のアルト・サックス演奏は、サヴォイやダイアルに録音していた1940年代中期と比べたらヴァーヴ時代は腕前が落ちたというのが一般的評価かもしれませんが、なかなかどうして聴けるんじゃないでしょうか。ほかにはヴァーヴらしい特色が出たアルバムもあるかもしれませんが、『スウェディッシュ・シュナップス』は全盛期同様のビ・バップ・セッションの寄せ集めですからね。

 

もう一点。バックのサイド・メンバーたちのビ・バップ理解や演奏技巧が、1940年代中期と比較すれば大きく向上しているせいで、『スウェディッシュ・シュナップス』は聴きやすい、スムースだ、全体的にクォリティが高いように思えるというのがメリットですね。

 

パーカー自身の演奏内容が全盛期よりやや落ちて、とんがっていたのがちょっとカドが取れて丸くなったのとあわせ、サイド・メンバーの力量向上もあいまって、アルバム全体としてはなかなかみごとな一枚となっているようにぼくには思えます。

 

パーカー自身だって、たとえば12曲目の「K.C. ブルーズ」なんかで聴かせるうま味はまったく変わっていないし、なにがヴァーヴ時代は衰えただ?!とかって、むかしからぼくは思っておりますね。『スウェディッシュ・シュナップス』は特にそうです。

 

ヴァーヴのパーカーにはほかにもラテン集やウィズ・ストリングスものなど、楽しい愛好作品があるんで、それらもできうれば今年のうちに書けたらなあと。それらはすでにいままでの過去記事で言及してきているんで、書かないかもしれませんけど。

 

(written 2020.9.7)

 

2020/10/14

岩佐美咲 at「3人の歌仲間」コンサート 2020.10.12

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(8 min read)

 

きのう10月12日、東京は王子の北とぴあで「3人の歌仲間」コンサートが開催されました。出演者は岩佐美咲、はやぶさ、辰巳ゆうとの三組。これがわさみんこと岩佐美咲ほか全員(が長良グループ所属)にとって、ほんとうに久々の客入れした会場でのコンサートになりました。

 

現場ではソーシャル・ディスタンスに配慮して観客数が制限されましたが、その分、ネット配信が行われました。アーカイヴで13日深夜まで楽しめます。そういうハイブリッド・コンサートになっていましたので、田舎の貧乏人であるぼくもくりかえしこのコンサートを味わうことができました。ちょこっとその感想を、わさみん中心に、書いておきたいなと思います。

 

昨2019年の、同じ三組による「3人の歌仲間」コンサートは現地で生体験したんですが、今年の最大のヴァージョン・アップは、生演奏によるバック・バンドにキーボード・シンセサイザー奏者が加わったことですね。昨年はギター、ピアノ、ベース、ドラムスの四人でしたから、演歌・歌謡曲の伴奏としてはやや物足りないというかスカスカだなという印象もあったのです。

 

そこにキーボード・シンセが加わったということで、たった一人それが参加するだけで、こうもサウンドが分厚く充実したものになるのかと、ちょっとビックリするくらいでしたよねえ。アレンジを担当した義野裕明の仕事ぶりもすばらしく、オーケストラルなサウンドになっていましたので、三組とも歌いやすそうでしたね。

 

さて、わさみんが歌ったのは以下:

 

・大阪ラプソディー(全員)
・鯖街道
・恋の終わり三軒茶屋
・紅蓮華
・右手と左手のブルース
・津軽の花(全員)
・お祭りマンボ(全員)
・上を向いて歩こう(全員)

 

わさみんの歌の調子は、はっきり書いちゃいますがイマイチな部分もあったのではないでしょうか。客前で歌うのが約八ヶ月ぶりということで、そのあいだのブランクが響いているのかなといった印象を持ちました。

 

自身の過去の持ち歌(「鯖街道」「恋の終わり三軒茶屋」)ではソツなくこなしていましたが、新曲「右手と左手のブルース」ではそれでも音程が若干あいまいになったり声のハリが足りなかったりする箇所も散見し、う〜ん…と感じてしまいました。この歌は客前で披露するのがはじめてでしたからねえ。

 

「大阪ラプソディー」もCD収録しているし、各地で昨年までどんどん歌ってきているものだということで、わさみんは慣れている様子。無難に歌いこなしていましたね。問題はきのう初めて歌ったカヴァー・ソングでした。今回のコンサートはネットのアーカイヴでなんども聴けますから、きのうのわさみんの歌の調子がクッキリわかってしまいます。

 

特に同じ事務所の後輩である辰巳ゆうとの歌唱が充実していましたので、比較してしまいますよねえ。ゆうとのことは長良グループも力を入れてバック・アップしていて、コロナ禍で各種リアル・イベントが実施できないなりにがんばって活動してきていました。ゆうとの歌の調子はかなりよかったですよね。カヴァーである「私鉄沿線」(野口五郎)なんかでもほんとうに伸びやかでした。

 

それに比べて、同じ事務所でわさみんは飼い殺し?というわけじゃないでしょうが、どんどん歌うという機会を与えられないまま約八ヶ月が経過してしまいましたので、そのブランクのせいでしょう、いざ、きのうああやって会場でのコンサートで歌うとなって、緊張もしただろうし、喉の調子、体調も万全ではなかったように聴こえました。

 

また、コンサート中盤でDAMチャンネル演歌の四代目MCである中澤卓也が登場し(毎年その年のMCが登場する仕様)最新曲を披露したんですけど、これが!ほんとうにすんばらしかった!さすが複数回のハイブリッド・コンサートをこなすなどコロナ禍でも活動を怠っていない卓也だけのことはありました。「北のたずね人」、聴き惚れましたね。声につやつやした色気がありましたよねえ。

 

それなのに、わさみんのほうはといえば…、とどうしても比較してしまいますので、ちょっとこれは…、となってしまうのはだれしも否定できなかったのではないかと思います。後輩の辰巳ゆうとにもすっかり追い抜かれてしまい(というかゆうとも昨年生で聴きましたが、一年での急成長ぶりに驚きました)、わさみんもこのままではイカン!との思いを強くしましたね。

 

きのうのわさみんイマイチ感をもっとも感じたのは、全員で歌った「お祭りマンボ」(美空ひばり)でした。歌いこなすのがむずかしい歌で、短い小節間にかなりたくさんのことばをぎゅうぎゅうに詰め込んであって、それを速射砲のように細かく正確にくりだす技術の高さが求められます。

 

きのうの「お祭りマンボ」でわさみんが歌ったパートは、どうも舌足らずというか口がまわっていないというか、もちろんひばりのうまさと比較することは不可能ですけど、調子がよければもっとやれたはずではないか?との思いが強いです。わさみんだけでなく、辰巳ゆうともはやぶさも歌えていませんでしたけどね。

 

きのうの「3人の歌仲間」は、客入れしてのコンサートとしては実にひさびさであったわけで、だから楽しめるものではありました。生演奏バンドによる臨場感のある伴奏もあいまって大きな喜びであっただけに、わさみんもこのままではいけないぞとの思いもいっそう強くしましたね。

 

きのう訃報を聞いた作曲家、筒美京平のことば:

 

「最高で月に45曲くらい書きました。レストランははやっていないとダメ。材料が落ちる。職業作曲家も同じ。注文が来れば来るほど、いい仕事ができる」

 

歌手もそうじゃないでしょうか。現在ふだんどおりの活動ができないのはみんな同じ。ですけれど、それなりにできることをやっていくしかないと思います。きのうの「3人の歌仲間」コンサートでのわさみんの歌はそんなに悪かったわけじゃありません。十分立派だったんですけど、好調時からはちょっとだけ遠かったかなという印象を抱きました。辰巳ゆうとと(ゲストの)中澤卓也がすばらしかったので比較すれば…、という話です。

 

今後ちょっとづつ客入れしてのリアル・コンサートやイベント、テレビ収録なども増えていくとは思いますが、まだまだ昨年並みの水準に戻りません。引き続きオンラインでの歌唱イベント系、配信ライヴ系、またSHOWROOMでのカラオケ配信など、どんどん続けていってほしいと思います。そうやってわさみんの喉や体調を維持していく必要があるなあと、そう感じた10月12日の「3人の歌仲間」コンサートでした。

 

(written 2020.10.13)

 

2020/10/13

トランシーなエレクトロ・パーカッション・ミュージック 〜 ニイロキシカ

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(3 min read)

 

Nihiloxica / Kaloli

https://open.spotify.com/album/60zIn86oH8QkyU2ry5z8hc?si=3rUggBntQ2eUW7iiNFBSbQ

 

ニイロキシカと読むみたいです、Nihiloxica。ウガンダのグループということで、しかも今回の新作『Kaloli』(2020)は、マーク・ホランダーが設立したレコード・レーベル、クラムド・ディスクスからのリリース。クラムドはコノノNo.1を手がけたところですね。新作というか、これがフル・アルバムとしてはデビューなのかもしれないんですが、ぼくはまだなにも知りません。

 

ただただSpotifyでこれを発見し、ジャケットに惹かれ、聴いてみて一発KOされちゃったんです。なんといってもこの『カロリ』は分厚く野太すぎるパーカッション・ミュージックですね。ビートこそがすべて。そこにデジタルなエレクトロニクスを用いたテクノ・サウンドも混ぜ込まれていますが、それはあくまで遠景。

 

このリズムはなんでもウガンダの伝統的なものらしく、ウガンダ中南部の「ブガンダン」と呼ばれるものみたい。それがパーカッション・ミュージックなわけですが、しかしこのニイロキシカの新作を聴いて、ウガンダ伝統のリズムがどこまで元来の姿かたちを保っているかとかどこまでモダナイズされているかみたいなことは、いまのぼくにはまったくわかりません。

 

ただただ、聴けばひたすら快感なだけで、それでずっとくりかえしアルバムをリピートしているだけなんですね。いやあ、マジ気持ちええ!基本的にはこのアルバムで聴けるこのバンド(ユニット?)、ドラマーふくむ複数の打楽器奏者+デジタル・シンセサイザー担当だ思うんですが、もちろんパーカッショニストこそがキモで、それが<すべて>と言っても過言じゃないでしょう。もちろん打楽器サウンドにもある程度のデジタル加工が施されてはいるみたいですけど。

 

ゴシックなパーカッション・サウンドと、遠景でエフェクト的にサウンドをつけくわえるエレクトロニクスと、両者あいまってアルバム全体のサウンドはダークで不気味で不穏。しかしあまりにも強烈にダンサブルで、トータル51分間をとおし似たようなビート感がずっと続くのに、飽きず、快感が持続します。

 

2020年の現代のクラブ・シーンなんかでも間違いなく歓迎されるであろうコンテンポラリーなビート ・ミュージックにも聴こえ、いやあ、こりゃあ傑作じゃないですかね。

 

(written 2020.9.16)

 

2020/10/12

ジャジーなターラブ・アンサンブルの魅惑 〜 シティ・ムハラム

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(5 min read)

 

Siti Muharam / Siti of Unguja: Romance Revolution on Zanzibar

https://open.spotify.com/album/3PFSo4rIUsm5YPOzxUSYe2?si=h2JP-heHS0ahQ7VxCu759w

 

bunboniさんにご紹介いただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-07-30

 

アフリカ大陸の東、インド洋のザンジバルにターラブという音楽があります。その伝説的歌手シティ・ビンティ・サアド(1880年ごろ〜1950年)のことは、名前しか聞いてきませんでした。今回、そのひ孫にあたるというシティ・ムハラム(Siti Muharam)のフル・アルバム『Siti of Unguja (Romance Revolution on Zanzibar)』(2020)を聴き、そのあまりに魅惑的なサウンドのトリコになっちゃいました。

 

このアルバム、実は主役歌手のヴォーカルだけじゃなく楽器演奏にもかなり大きな比重が置かれていて、ぼくがまずなんといっても降参しちゃったのはそのアンサンブルの魅力、というか魅惑ですね。特に低音。実際、ヴォーカル抜きのインストルメンタル・ナンバーも数曲あります。

 

楽器編成は、聴いた感じたぶん、パーカッション(複数)、コントラバス、ウード(複数?か多重録音?)、バス・クラリネット、若干のエレクトロニクス、と、あとちょっとなにかという感じでしょうか。パーカッションやウードなどは北アフリカ系というか、ザンジバルのターラブはエジプト渡来のアラブ音楽の影響があるので、そのあたりがルーツかなと思います。

 

でもコントラバスやバス・クラリネット、エレクトロニクスは西洋音楽やジャズの楽器ですよね。シティのこのアルバムは(やはりザンジバルの)ムハンマド・イサ・マトナが音楽監督をやっているそうで、ヨーロッパ系、ジャズ系の楽器やミュージシャンなどと共演しながらターラブをモダナイズしてきたマトナのキャリアがここでも活きているのでしょう。

 

幕開けの1曲目もインストルメンタルですが、これを聴いただけでターラブとかのことをなにも知らなくたって、なんてチャーミングなインストルメンタル・ミュージックだろうと感じるひとが多いんじゃないかと思うんですね。ヴォーカルは2曲目から入りますが、たぶんミックスの具合なのか、そんなに大きく前面にポンと主役の声をフィーチャーしすぎず、あくまでアンサンブルのなかの一員として並行して活かすというようになっているのが印象的です。

 

こんなアンサンブルやミックスにしたのには、むろんシティ本人の意向もあったでしょうが、ムハンマド・イサ・マトナがかなり方向性を握っていたのではないかという気がするんですね。マトナは以前2018年のマトナズ・アフダル・グループのアルバムでもジャズとターラブの合体インストルメンタル・ミュージックを試みて成功していましたが、あのアルバムで聴ける一部の曲と、今回のシティの『Siti of Unguja』の楽器アンサンブルはソックリなんですね。

 

ターラブという音楽のことをぼくはほとんど知りませんが、シティ・ムハラムのこの『Siti of Unguja』で聴けるジャジーな少人数編成のターラブ・アンサンブルは、コントラバスとバス・クラリネットという二本の低音楽器で生み出す独自のおどろおどろしいサウンド・テクスチャー、主にウードが表現するアラブ古典由来の独自の音階、そしてヴォーカル・コーラスと主役シティのリード・ヴォーカルまでもそこに混ぜ込まれて、えもいわれぬ独自の世界をみせてくれているなと思います。

 

そう、今回のこの新作ではシティのヴォーカルまでもあくまでアンサンブルの一員となって溶け込んでいて、歌手の歌がどうこうっていうより、それも込みでのバンドのサウンド・カラー、アンサンブルのテクスチャーなどを聴かせようという、そんな作品になっているんじゃないかというのがぼくの正直な感想ですね。だからスワヒリ語がぜんぜんわからず、ターラブのことも曽祖母シティ・ビンティ・サアドのことだって知らなくても、楽しめるんでしょう。

 

実際、ザンジバルの音楽とかターラブといってもなにも知らない日本人音楽リスナーがほとんどだと思うんですけど、ジャズ・ファン、たとえばマイルズ・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』(1969)のあんなサウンドになじみがある向きであれば、今回のシティ・ムハラム『Siti of Unguja』はわりとすんなり入っていける聴きやすい音楽じゃないかという気がしますね。

 

(written 2020.9.13)

 

2020/10/11

なんてチャーミングなんだ、リンダ・ルイス

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(6 min read)

 

Linda Lewis / Lark

https://open.spotify.com/album/3MNTrnzSNGfjV69eZx8PKS?si=epwFecqGQaicv4rQgF9O5w

 

いままでにぼくが聴いてきたどんな音楽にも似ていないリンダ・ルイスのアルバム『ラーク』(1972)。なんでも日本では翌73年に中村とうようさんが絶賛したそうで、たぶんそれもあって日本では知られているんですよね。フリー・ソウル・ムーヴメントで90年代に再発見されるということもあったそう。ぼくはといえば、なにを隠そう、ついこないだちょっとしたきっかけがあるまで、まぁ〜ったく名前すらも知らないままで来ていました。Spotifyでふと聴いてみて、アルバム1曲目の「Spring Song」で一目(一聴)惚れ。

 

なんてかわいくてチャーミングな声なんでしょうか。ノリも極上のグルーヴ。リンダ・ルイスの『ラーク』は名盤とされていて、ずっと続く日本での人気を反映してネットで検索すれば日本語の記事もたくさん見つかるので、くわしいことをぼくが記しておく必要はないはず。英国の黒人シンガー・ソングライターで、音楽的に分類するのはちょっとむずかしそう。世間ではソウル・シンガーにくくられていますけど、聴いた感じ、もっとこう、フォーキーっていうかポップっていうか、ジョニ・ミッチェルとかキャロル・キングとかローラ・ニーロなんかに近い感触があるなと思います。

 

アルバム『ラーク』では伴奏楽器が必要最小限なのも好印象で、リンダのチャーミングなヴォーカルをきわだたせる結果になっていますよね。1曲目「スプリング・ソング」でも自身の弾くアクースティック・ギターのほかには打楽器(コンガ)だけ。それが実にいい雰囲気なんですよね。リンダは声もいいけど、ギターもうまいですね。これをソウルと呼ぶのか、あるいはフォーキー・ソウルなのか、とにかくジャンルはどうでもいいから、このヴォーカルとミニマム・サウンドのチャーミングな魅力にやられてしまいます。

 

2曲目「リーチ・フォー・ザ・トゥルース」は後半パッとリズムと曲調が変化して、ゴスペルふうにもりあがっていくのも楽しいですね。アルバム全体で、もうなんといっても歌手のこのかわいらしい声の魅力のトリコになってしまうんですが、曲はいろんなタイプのものが収録されていて、ソングライターとしてもなかなかの存在だったとわかります。

 

フォーク・ロック・バラードみたいな4曲目「フィーリング・フィーリング」はじっくり聴かせる雰囲気で、途中からエレキ・ギターやドラムスも入ってきますけど、あくまでサウンドの軸はリンダの弾くアクースティック・ギターのカッティング。それと、アルバム全体でコンガの音色がいい味を添えているというのも大きなポイントでしょう。1972年ですから米英ポピュラー・ミュージックにおけるコンガの活用は一般的でしたけど。

 

アルバム題になっている6曲目の「ラーク」は、アクースティック・ギターではなくピアノ伴奏で歌われる、この作品のサウンド・テイストからしたらやや異色な一曲。これ(と10「ビーン・マイ・ベスト」)がいちばんローラ・ニーロっぽい雰囲気をただよわせていますが、あまりグルーヴィな曲じゃないので、個人的にはイマイチかも。バック・コーラスはリンダの多重録音っぽい声質で、ピアノ以外にはフィンガー・スナップだけというサウンド・メイクはおもしろいアイデアですね。

 

こういったものよりも、個人的には7曲目「オールド・スモーキー」のシティ・ポップっぽい軽妙な雰囲気とか、8曲目「グラッドリー・ギヴ・ユー・マイ・ハンド」と11「ウォーターベイビー」のファンキーな強いグルーヴが大のお気に入り。特に「ウォーターベイビー」ですね、本当にノレるソウル・ナンバーで、マジですんごくいいですね。エレキ・ギター・カッティング、エレピ、ベース、コンガ(ドラムスも控えめに聴こえるけれど、なんといってもコンガがいい)でつくるサウンド・テクスチャーもファンキーです。うん、こりゃあいいなあ。

 

続くアルバム・ラストの12「リトル・インディアンズ」だけはどうやらライヴ収録みたいで、リンダはギロを刻みながら歌い、伴奏はそれとコンガだけ。そのせいなのかワールド・ミュージック的と言われることもあるみたいですけど、それは感じないですね。でも主役のかわいい声(&ギター・カッティング)とコンガをはじめとする打楽器とで形成するこのアルバムのサウンド・カラー志向を象徴しているような一曲で、楽しいです。歌が終わり拍手が消えかかったころにひばりの鳴き声が重ねられているのも一興です。

 

(written 2020.8.19)

 

2020/10/10

リアン・ラ・ハヴァスの極上ムード

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(3 min read)

 

Lianne La Havas / Lianne La Havas

https://open.spotify.com/album/6JwtB0zzNYy4qANDrJtrJy?si=fPXyQgpvSrCmLBzvKV0ViQ

 

アルバムを聴き終える瞬間、なんともなくすっとお別れできるものと、後ろ髪を引かれる思いにかられるものとがあって、それはこっちのメンタル状態にもよるんですけど、後者だと思わずもう一回と、すぐそのままリピート再生しちゃったりします。リアン・ラ・ハヴァスの新作『リアン・ラ・ハヴァス』(2020)も後者。最初に聴いたときなかなかすんなり終われなかったアルバムなんです。

 

リアンはプリンスやスティーヴィ・ワンダーが称賛したということで、しかしぼくはついこないだまでその存在を知らず。この歌手との初邂逅になった2020年の新作『リアン・ラ・ハヴァス』はもう三作目になる、英国はロンドンの歌手だそうです。ギターを弾きながら歌うシンガー・ソングライターで、しかし音楽性としてはネオ・ソウル、オーガニック・ソウルの範疇内にあるとしていいでしょうね。

 

三作目にして自身の名を冠したセルフ・タイトルド・アルバムにしたということは、出来にそれだけ自信があったということなんでしょうか、よくわかりませんが、極上のサウンド・テクスチャーをみせているなというのは間違いないです。それからリアンは声がいいですよね。このちょっとくぐもったようなスモーキーな声、これがエモーショナルに聴こえ、フォーキーなネオ・ソウル的質感の音楽を表現するのにもってこいじゃないでしょうか。

 

アルバムのなかでは1曲目とラスト12曲目が同じ曲「ビタースウィート」(のヴァージョン違い)ですけど、これがもうなんともいえずすばらしいですね。キーボードとドラムスのユニゾンでダン、ダン、ダンと入ってくるあたりですでに引き込まれてしまいますが、リアンのヴォーカルが出たらもっといいです。ゆったりじっくりと情感をちょっとづつもりあげていくように、しかし淡々と、ときに声を強く張りながら、つづっていくリアンのヴォーカルには大きな共感をおぼえます。

 

アルバム収録曲は、実はそんなたくさんパターンがあるわけじゃなくて、基本、「ビタースウィート」の路線というか、似たようなソング・ライティングとサウンド・メイクなんですけど、雰囲気一発というか、たぶん夜に、なんとなくバックグラウンドで鳴らしていれば、一貫したムードをつくりあげてくれるアルバムで、一目惚れしちゃったジャケットのモノ・トーンのムードとあいまって、これ以上ないいい心地にひたれます。

 

それがあまりにも心地よかったから、最初に聴いたときアルバムが終わってもお別れできなかったんですよね。アルバム『リアン・ラ・ハヴァス』、推薦できます。

 

(written 2020.8.18)

 

2020/10/09

バカラック+タシアンの『ブルー・アンブレラ』が日本でのみCD化されるらしい

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(5 min read)

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/2c43d4cc0fcfcbd1ff81f2f8ac5ff13a3554103c

 

10月頭ごろのネット上のニュースによれば、バート・バカラック&ダニエル・タシアンのコラボEP『ブルー・アンブレラ』が、10月28日、日本でだけ、CDでリリースされるそうです。くわしくは上掲リンク先をごらんください。しかしこれ、エ〜ッ!?と思う疑問点がいくつがあるので、きょうはちょっとそれを記しておきたいと思います。

 

このコラボEPのことは、いままでに二度、このブログでも記事にしましたし、そのうち一度はそこそこのレヴューを書いたつもりです。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e29185.html

 

以下、10/28CD発売とのニュースに接しての疑問点。

 

(1)まず、バカラックの『ブルー・アンブレラ』は7月31日にリリース済みだったわけで、貧乏ゆえフィジカルに縁のなくなったぼくはハナから探す気もなかったんですけど、そのときCDがリリースされたわけじゃなかったのですね。意外です。アマゾンなどでは「品切れ」との表記になっていましたからね。

 

(2)ってことは7月31日にリリースされたというのはデジタル・フォーマットでだけだったということです。な〜んだ。でも日本ではストリーミングで聴けないし、ダウンロード販売もしておらず、どうもエリア制限がかかっているみたいなんですね。

 

(3)バカラック&タシアンの本国アメリカなどではSpotifyやApple Musicなどでも聴けるんでしょう、きっと。日本でも不可視なわけじゃありません。クリックすると「あなたの国では再生できません」と言われるだけですから。でもなんでエリア制限?どうして日本は外されているの?

 

(4)それが10月末ごろにCDが発売されるとのことで、そのことはいいと思うんですけど、それ以前にフィジカル発売云々もさることながら、どうしてもっと早くに日本でも配信で聴けるようにしてくれと動かなかったのか?このことははなはだ疑問ですね。

 

(5)いまや音楽フィジカルの時代は終わっていますからねえ。まずなんといってもストリーミング・サービスで解禁することを第一に考えないといけない時代に、バカラックの『ブルー・アンブレラ』のデジタル配信、日本だけ外されていたというわけですから、そこがどうしてだったのか?もっと早く配信で聴けるようにして動いてほしかったぞとの思いが強いです。

 

(6)もちろん(日本だけでの)CD発売と同時に、日本でもストリーミングとダウンロードが開始されるとのことですから、それは歓迎です。7月31日の本発売から遅れること約三ヶ月、やはりもっと早くに聴きたかった、もうぜんぶYouTubeからダウンロードしちゃったよ、ということなんですけれども、それでもSpotifyなどでカンタンに聴けるようになるのはうれしいことです。

 

(7)バカラックの『ブルー・アンブレラ』、本国アメリカなどではCD化されていないとのことで、今回、日本でだけそれが発売されるとのニュースには、ぼくとしては複雑な、といいますか、はっきり言ってネガティヴな印象も抱いてしまいます。

 

といいますのは、いまや音楽聴取の世界でCDが生き残っているのはほぼ日本だけ。つまり完全にガラパゴス化しちゃっているのであって、そこをなんでも関係者の強い要望でCD化とあいなったというわけですから、そんなガラパゴス状態から脱出しよう、世界標準に近づいていこうという気なんかもないんだとはっきりしたということですからね。

 

いったい日本の音楽ファン&音楽関係者など業界は、いつまでそんな孤立状態を続けていくつもりなんでしょうか。もちろん(全世界的に最初から出すなら)レコードやCDなどのフィジカルも準備すればいいと思いますよ。でも今回のバカラックのケースでは日本でだけ実現というところに危うさを感じます。なんだかワガママ言ってゴネて日本でだけCD発売が実現したみたいなイメージを抱いちゃいますからね。本国ではフィジカル化されていないわけですから。

 

日本=いつまでもCDにこだわる音楽ガラパゴス国家、とのイメージが、これで今回バカラック&タシアン・サイドにも植え付けられたことでしょうねえ。

 

なんにせよ、2000円もするバカラックの『ブルー・アンブレラ』CDを買うつもりなんて、ぼくには毛頭ありません。ただただ、その発売と同時にストリーミングでも解禁されるというのを心待ちにしているだけです。ようやく日本でもSpotifyでも聴けるようになるというわけで、ともあれ一安心ではあります。

 

(written 2020.10.4)

 

2020/10/08

2020年最新作で聴くウィリー・ネルスンの老境

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(4 min read)

 

Willie Nelson / First Rose of Spring

https://open.spotify.com/album/5WVhM9o7WmTU8n4JgGYHdC?si=IRxX7my5Q-uKamAVGkq9lA

 

ウィリー・ネルスンってもう何歳でしたっけ、80は越えてますよね、90近いんじゃありませんでした?そんな彼の2020年新作『ファースト・ローズ・オヴ・スプリング』はずいぶん沁みてくる内容で、しかも(残酷な)老境が実に淡くつづられていて、これはひとつの立派な世界だとうならざるをえませんでした。

 

もちろんウィリー本来の領域であるカントリー・ミュージックのアルバムなんですが、全体的に落ち着いていて、しっとりじっくりと歌い込むさまは実に味わい深く、仲間たちに囲まれたバンドのサウンドも心地いいものなんですね。決して派手さはなく、気をてらったりもせず、バンドもウィリーもひたすら曲をストレートにこなす、それも素直にそのまま演奏し歌うという、これは老境に達した歌手だからこそなせるわざじゃないでしょうか。

 

それでもウィリーらしさは1曲目から全開で、しかも声に張りと艶があるのには驚きますね。このひと、もう90歳近いはずなんですけどねえ。ふだんからぼくは、音楽の内容とパフォーマーの年齢とはなんの関係もないんだと言い続けているし、心からそう信じていますが、それでも身体的衰えはいやおうなくどんな歌手をも襲うもの。声の調子が落ちてしまうのはやむをえないことです。

 

それなのに、この新作『ファースト・ローズ・オヴ・スプリング』で聴けるウィリーの声といったらどうでしょう、1970年代あたりから変わっていないんじゃないかと言ってしまいたいくらいですよね。歌われている曲をじっくり聴き込むと、やはり老境というか黄昏どきの心情をつづったものが多いんですけど、なかなかどうして、声のほうは枯れていません。

 

ぼくが今回特に気に入った5曲目「ジャスト・バミン・アラウンド」の楽しげな調子なんか、聴いていて本当に気分が浮き立ちます。この曲のこの明るい調子は、実を言うとこの最新作のなかでは例外的で、そのほかの曲はややダウナーなフィーリングの歌詞と曲調を持つものが多いです。それでもしかし決して死の香りを漂わせたりはしていないところがウィリーならではですね。

 

アルバム・ラストに収録された「イエスタデイ・ウェン・アイ・ワズ・ヤング」。「Hier Encore」と副題が記されているように、これはシャルル・アズナヴールが書き歌ったシャンソン・ナンバーで、それに英語詞がついたものです。ウィリーの歌うこれが、もう泣けちゃうんですよね。曲調もこんな感じですけど、歌詞がほんとうにヤバイ。

 

若かったころはああだった(人生は甘かった)けど、いまは歳をとってこうなった(舌先に苦い涙の味がする、過去の代価を払うときが来た)という、いまのウィリーにこんな歌詞をこんなふうにつづられてしまうと、まだまだ若いぼくなんかはピンと来ないいっぽうで、う〜んとうならざるをえない恐怖すらおぼえる心情におちいって、激しく動揺してしまいます。こんな曲を新作アルバムのラストに持ってくるなんてねえ。ちょっとイケマセン。

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(written 2020.8.17)

 

2020/10/07

アラブ古典をやるイエメン人歌手 〜 シラン

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SHIRAN / Glsah Sanaanea with Shiran

https://open.spotify.com/album/59Oo9p9bOICmbD5XM42ZSG?si=m_y0HHuYQkC4oUtx9VmjSg

 

シラン(Shiran)ってだれ?そんなひと、知らん?なんでもイエメン出身で、現在はイスラエルのテル・アヴィヴで活動する歌手だそうです、ぼくもこないだまでちっとも知らんかったのでした。出会いは、たしかTwitterでなにかのアカウントが(たぶんディスクユニオン)このシランの2020年新作『Glsah Sanaanea with Shiran』が入荷したと言っていたからで、ツイートに載っていたジャケットの魅力に一発でやられちゃったんですね。二作目だそうです。

 

それで、イエメン(出身)歌手の音楽ってまったく聴いたことがないし、興味がわいて、Spotifyで聴いてみました。すると、これはアラブ音楽ですね。それも、聴いた感じ(エジプトあたりの)アラブ古典歌謡の色彩が濃いんですけど、読みかじる情報によればシランはイエメンの伝統曲をモダナイズしているんだとのこと。ということはこのアルバムで聴ける曲はすべてイエメンのトラッドなんでしょうか。イエメンの音楽をなにも知りませんので、そのへんはなんとも。

 

でもモダナイズしているとの(ディスクユニオンの)情報にはかなり首を傾げざるをえず。これはどう聴いてもアラブ古典歌謡の音ですからね。そんな音楽をやってイスラエルのテル・アヴィヴで活動しているというのはべつにめずらしいことじゃないっていうか、現在ではイスラエル人でもアラブ音楽をやったりしていて、同国にはいろんな音楽があるんで、アラブ vs イスラエルという二項対立発想で考えないほうがいいと思います。

 

シランのこのアルバムでは、そう、くわしい使用楽器とパーソネルがわからないけれども耳判断では、カーヌーン、ウード、カマラ(かなにかの笛)、パーカッション、ヴァイオリン or チェロ(かなにかそれ系の弦楽器)、そしてヴォーカル・コーラス、といった編成じゃないでしょうか。たぶん間違いないと思います。だからやっぱりますます(モダン・ミュージックじゃなく)アラブ古典だろうとの判断になりますね。

 

そんな古典的な編成の伴奏で、いかにもなアラブ・クラシカル・サウンドに乗り、シランが歌っているわけですが、シランのヴォーカルは(いい意味で)ややしょっぱい味がするというか、独特の色香を漂わせていて、しかしあっさり風味。ちょっと線が細いかもな?と思ってしまうような声質ですが、ヴォーカルの節まわしはアラブ古典のそれを身につけていますよね。そこは好感の持てるところです。

 

ぼく的に、なぜかアラブ音楽の、特に古典の、そのサウンドが聴こえてきただけで気分がいいというかなごめるというタチなんで、ヴォーカルがそこそこ聴ければ、もうその伴奏サウンドだけ聴いていても楽しいんですね。アラブ古典でなくともシャアビ(アルジェリア)みたいなアラブ・アンダルースな大衆音楽も好きで、ぼくにとっての入り口はオルケルトル・ナシオナル・ドゥ・バルベス(ONB)やグナーワ・ディフュジオンみたいなミクスチュア・バンドだったんですけど、そこからどんどん進んで、いまではトラディショナルなサウンドのほうがすっかりお気に入りとなりました。

 

まったく未知の歌手だったシランでしたけど、イエメンの曲を使いつつ(なんでしょ?)のわりとストレートなアラブ古典音楽にぼくには聴こえ、カーヌーンやウードなどの伴奏に乗ってあっさりと軽くコブシをまわしていくあたり、ジャケットの雰囲気もいいし、なんどもくりかえし愛聴するアルバムになっています。アルバム・ラスト8曲目はウード一台だけの伴奏で淡々とシランが歌います。これもみごと。

 

(written 2020.8.16)

 

2020/10/06

メイシオ・パーカーの新作はニュー・オーリンズ・ファンクかな

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(4 min read)

 

Maceo Parker / Soul Food: Cooking with Maceo

https://open.spotify.com/album/1nI2mxpnTcJsPjFh4ORf5E?si=tv7KAbsXTP2Vektwb3TBSA

 

Astralさんのブログで知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2020-06-26

 

ぼくがいままで聴いてきたメイシオ・パーカーは、ジェイムズ・ブラウン、Pファンク勢、プリンスと、これら三者のバンドでサックスを吹いているものだけでしたから、メイシオ自身のソロ・リーダー・アルバムというのは今回はじめてだったんですね。『ソウル・フード:クッキン・ウィズ・メイシオ』(2020)。そうしたらかなり楽しいし、しかも歌だってうまいので、ちょっとビックリしました。

 

メイシオってこんなに歌えるんですね。ちっとも知りませんでした。新作『ソウル・フード』にはニュー・オーリンズやそこ出身 or ゆかりのあるミュージシャンが複数参加しているし、録音もニュー・オーリンズのスタジオで行われ、しかもとりあげられている曲にニュー・オーリンズ関係のものが多いということで、ある意味ニュー・オーリンズ・ファンクがテーマになっているとみることもできますね。

 

メイシオの過去作の再演もありますが、やはりミーターズ「ジャスト・キスト・マイ・ベイビー」、リー・ドーシー「イエス・ウィ・キャン・キャン」(アラン・トゥーサン)、デイヴィッド・ファットヘッド・ニューマン「ハード・タイムズ」、アリーサ・フランクリン「ロック・ステディ」、ドクター・ジョン「ライト・プレイス・ロング・タイム」、プリンス「アザー・サイド・オヴ・ザ・ピロウ」が聴きどころということに、ぼく的にはなります。

 

どの曲にもカリビアン/ラテンとも聴こえるシンコペイションがリズムに効いていて、いかにもニュー・オーリンズ・ミュージックだなと思えるだけのものがありますよね。メイシオのヴォーカルにも心なしかニュー・オーリンズ・テイストを感じたりもして。サックスのほうはずっとおなじみの聴き慣れた味をそのまま発揮しています。アレンジャーがだれだったのか知りたいんですけど、伴奏のホーン・アンサンブルなんかもファンキーで最高ですね。

 

個人的にグッと来るのはやはり聴きなじみの強い曲で(ぼくは知っている曲やスタンダードのヴァージョンを聴くのが大好き)、たとえば5「ハード・タイムズ」でもあのフレーズをメイシオがサックスで奏ではじめただけでニンマリしますし、大名曲「ライト・プレイス・ロング・タイム」なんか、みんな知っているあのシンセサイザー・フレーズがはじまってホーン・リフ、リズムと順に入ってきたら、もう快感。プリンスの「アザー・サイド・オヴ・ザ・ピロウ」も個人的には好きな曲ですが、一般的な知名度は高くないかも。

 

メイシオの歌もサックスも快調だし、ニュー・オーリンズ音楽ふうに跳ねるリズムとファンキーなアンサンブルが最高に心地いい一枚です。

 

(written 2020.8.14)

 

2020/10/05

新世代ロンドン・ジャズの注目バンド 〜 シード・アンサンブル

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(3 min read)

 

SEED Ensemble / Driftglass

https://open.spotify.com/album/7ir6qHQhzKXlL6Uk6xD4f8?si=dDtZv1LIQA6S9QVP3ueKYg

 

今年夏前の一時期、新進ジャズを聴くみなさんのあいだでけっこう話題になっていたので(日本盤が出たから?)知ったシード・アンサンブル(SEED Ensemble)のアルバム『ドリフトグラス』(2019)。ぼくのばあい、タイムリーに書いてすぐアップすべきと判断したもの以外は、時間を置いて寝かせてから(メモがたまっていて順番があるからだけど)もう一回聴きなおして書くという習慣があるので、いま八月になってようやくとりあげていますし、そしてブログに上がるのはさらに一ヶ月以上先である(これもストックがあるから、現在48個)という。

 

ともかくシード・アンサンブルは、アルト・サックス奏者キャシー・キノシ率いるロンドンのジャズ・バンド。聴いた感じ大編成ホーン・アンサンブルが最大の特色で、トランペット、トランペット、トロンボーン、チューバ、アルト・サックス、テナー・サックス(兼フルート)という六管編成。これにくわえ、ギターをふくむリズム・セクションということですね。デビュー作『ドリフトグラス』ではキーボードやヴォーカルでゲストがいます。

 

チューバが参加しているのが耳を惹きますが、それがなんとあの注目株テオン・クロスなんですね。実際、アンサンブルにソロにとこのアルバムでも大活躍。並のホーン・アンサンブル・バンドじゃないなというのを実感させてくれますね。作編曲はたぶんリーダーのキャシー・キノシが譜面を書いているんでしょう、それもみごとで耳をそばだててしまいます。

 

たとえば1曲目でも、アルバム・ラストの8曲目でも、やはりど迫力の六管ホーン・アンサンブルに圧倒される思いで、ほかの曲でも随所にホーンズが活かされていますね。トランペットやサックスのソロ内容も聴けますし、いやあ、こりゃいいなあ。いや、ソロよりも個人的にはホーン・アンサンブル内容がみごとだなと思ってずっと聴いていますね。アンサンブルで聴かせる現代ジャズらしいところです。

 

そして、実はそれ以上にぼくが気に入っているのはドラマーであるパトリック・ボイルの叩きかたです。ビートを細分化して手数メッチャ多く、機関銃のようにどんどん速射していくドラミングと、それで生み出すグルーヴは本当に快感。たとえば2曲目「アフロノート」なんかではドラムスが、ビートが、主役じゃないですかね。ぼくにはそう聴こえます。すごくカッコいいですよねえ。そのほか6曲目「スターゲイズ #2 」、7「ミラーズ」、8「インタープラネタリー・マイグレイション」なんかでもすごいドラミング。

 

(written 2020.8.13)

 

2020/10/04

脱力系ジャジー・フレンチー 〜 トマ・デュトロン

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(6 min read)

 

Thomas Dutronc / Frenchy

https://open.spotify.com/album/33aacw53MZVyxjzjqxcs9o?si=a9lAVgPLSQeIyGOZ3CsZzQ

 

萩原健太さんにご紹介いただきました。
https://kenta45rpm.com/2020/06/24/frenchy-thomas-dutronc/

 

トマ・デュトロン(Thomas Dutronc)。母がフランソワーズ・アルディで父がジャック・デュトロンという歌手&ギターリストなんだそうですが、知りませんでした。はや数枚アルバムを出しているみたいです。今2020年作『フレンチー』(Frenchy)ではじめて聴いてみたら、これがなかなか楽しいのでリピートしています。

 

フランス人のトマがふだんどこを拠点に音楽活動をしているのかわからないんですけど、『フレンチー』はアルバム題どおりフランスの曲にフォーカスをあてて選曲した一枚。しかしその扱いはというと、フランスふうというよりアメリカのレトロ・ジャズな解釈で料理しているのがなんともいえずぼく好み。ゲストも一曲ごとに違えてどんどん招いてやっていて、なかにはオッ!とびっくりするような斬新な組み合わせもあります。よく知られたスタンダードを多くやっているのがぼく好みですね。

 

斬新といっても、このアルバムは基本脱力系の音楽なんでアレなんですけれども、まず1曲目「セ・シ・ボン」なんていう大スタンダードを持ってくるあたり、なにを考えているんだろうと思いきや、ゲストがなんとイギー・ポップ(!)とダイアナ・クラール。音楽的にはコントラバスのウォーキング・ベース中心のジャジーな解釈ですが、その2/4拍子に乗ってイギーがあの低音で「せ、し、ぼん!」って歌うなんてねえ、だれが想像できたでしょうか。これだけで笑えて、全身の力が抜けていきますよ。イギー、トマ、ダイアナの三つ巴で、しかも明るく、軽妙にこなしていますよね。

 

2曲目もスタンダード中のスタンダード「ラ・ヴィ・アン・ローズ」ですが、ここでのゲストも超意外。なんと Z.Z.トップのビリー・ギボンズが乱入しています。ブルーズ・ロックなフレーズをファズの効いたエレキ・ギターで混ぜ込んであって、こんな「バラ色の人生」なんて聴いたことないです。ある意味オソロシイ。どの曲でもそうですが、トマのヴォーカルはちょっとチェット・ベイカーに似たムードですね。

 

ゲストはいないもののストレートにスウィング・ジャズな解釈を聴かせる3曲目「プリュ・ジュ・タンブラス」(ブロッサム・ディアリー・ヴァージョンがおなじみかも)は軽妙でウキウキします。ここでのギターはトマ本人かな。この3曲目は1940年代のナット・キング・コール・トリオにちょっと似た仕上がり。アルバム全体ではトマはギターをあまりたくさん弾いていないみたいですけれども。

 

5曲目は日本でもザ・ピーナッツが歌ったシドニー・ベシェの「可愛い花」(Petite Fleur)。これをエキゾ風味満点でトマは聴かせます。ラテン・フレイヴァーを効かせたリズム・アレンジもいい感じですし、アコーディオンも雰囲気ありますね。ギター・ソロはやはりトマ本人でしょう。ここではフランス語でしか歌っていませんが、アルバム全編ではトマは英語/フランス語ちゃんぽんでやっています。

 

おなじく日本でも人気のある6曲目「男と女」はステイシー・ケントとのデュオ歌唱で雰囲気たっぷりに。7曲目「ラ・メール」でも英語/フランス語まぜこぜで。これと8曲目「ゲット・ラッキー」(ダフト・パンク)は軽快なスウィング・ジャズ・ナンバーに仕上がっていますよね。トマのギター・ソロも聴かせます。なかなかの腕前ですよ。

 

アルバムのちょっとしたハイライトはそのあとに来る二曲のジャンゴ・ラインハルト・ナンバーでしょうか。9「マイナー・スウィング」、10曲目は英語題で「オール・フォー・ユー」となっていますが、これは「ヌアージュ」にトニー・ベネットが英語詞をつけたもの。前者ではトマもヴォーカル抜きでギター・プレイに専心しています。ステファン・グラッペリ役をエレピがやり、なんとウクレレ・ソロまで続いて出るというおもしろさ。後者のほうではアンニュイに歌っているだけですね。

 

11曲目の「イフ・ユー・ゴー・アウェイ」はジャック・ブレルの「ヌ・ム・キ・ト・パ」(行かないで)。トマもゲストのヘイリー・ラインハートもフランス語と英語ちゃんぽんで。続く12「枯葉」にゲストはいませんが、やはりトマが二国語まぜこぜで歌います。チェット・ベイカーみたいな脱力系ヴォーカルがこういった切な系の曲にはちょっと似合っていて、なかなか悪くない雰囲気をかもしだしています。

 

13「マイ・ウェイ」は、英語曲として(たぶんフランク・シナトラ・ヴァージョンで)あまりにも有名になりすぎてしまいましたが、もともとはフランスの曲「コム・ダビチュード」。そういえば何年か前にいまのところの最新作でフェイルーズ(レバノン)も歌っていましたね。大きく歌い上げてしまいがちな曲ですが、そこは脱力系ヴォーカリストのトマのことですから。こんなふわっと感じになっていて、こういうのもなかなかおもしろいですね。英語詞部分はおなじみのそのまま(ポール・アンカ作)です。

 

(written 2020.8.12)

 

2020/10/03

わさみん運営はもっとしっかりしてほしい

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@wasaminnn
@nagaragroup
@TOKUMA_ENKA

 

(7 min read)

 

と、おだやかな感じのタイトルをつけましたが、内心はこんなもんじゃないです。はらわた煮えくりかえっているというに近いですね。わさみんこと岩佐美咲についての長良グループと徳間ジャパンのスタッフさんたちはいったいなにを考えているのか!?と思っちゃいますよね。ぼく以外にも憤慨を表明しているファンが複数名いますよね。言わないだけで、不満を抱くファンが水面下には大勢いるはず。

 

思えばコロナ禍でじゅうぶんなふだんどおりの活動ができなくなって半年以上。客入れしての対面イベントやコンサートはできないんだから、ネットで同種のものをやるしかないでしょうというのは三月からぼくもずっと言い続けているにもかかわらず、みんながうるさく言ってようやく実現したのが8月14日の配信ライヴだけ。ほんとうにこの一個だけですよね。まさかこれで終わり?

 

ほかの歌手のみなさん(のスタッフさん)は複数回のライヴ配信をやり、CDを売るネット・サイン会もどんどんやっていますが、わさみん陣営はまったく音無しの構え。売る気がないんでしょうか?わさみんが歌手として活動を続けていけなくなってもかまわないんだとの考えをお持ちなんでしょうか?なにもしなかったらそのまま尻すぼみになって存在も消えちゃうだけだと思うんですけどね。

 

ひとつにはわさみんはAKB48出身の元アイドル演歌歌手なので、その時代からの熱心なファン(いわゆるオタク)がたくさんついていて、そのひとたちはなにがあっても決してわさみんから離れない、なにがあってもなにもなくても、CDや物販などを買わなくなる、応援しなくなるなんてことはないんだと、必ずみんな買うと、長良&徳間サイドからは甘く見られている、はっきりいって舐められている、ということもあると思います。

 

たしかにぼくもふくめ熱心なファンはいつもわさみんの歌を聴いていて、わさみんのことを忘れるだとか離れるだとかいうことはありえないけれど、運営サイドがそれにあぐらをかいてのんびりしているようじゃダメじゃないですか。わささみんもプロ歌手だから喉や腹筋が衰えないようにコロナ禍でも日々訓練を怠っていないとは思いますが(そうしなかったらそもそも歌手は声すら出なくなる)、ヴァーチャルでもファンに向けて人前で歌う機会がないままでは、歌手としての現場感(勘)が損なわれてしまいます。

 

しかもですよ、今年の新曲「右手と左手のブルース」特別盤の発売が、もう目の前なんです(10月21日)。三週間を切っていますよ。ところがこれに向けてもなんの動きも見られないんですね。新しいCDを発売するとなれば、前々から準備をしてPRに努め、ネット予約イベントをやったり配信ライヴで新曲やカップリング曲を歌ったりして(させて)宣伝しなくちゃダメじゃないですか。ところが長良&徳間はいっさいなにもしていないんですね、現時点では。兆候すらありません。

 

こんなことでいいのでしょうか?こんなことで特別盤が売れるとでも考えているのでしょうか?どうせ買うのはわさみんオタクのみんなだけで、そのひとらはなにも販促活動なんかしなくたって黙っていても買うんだからと思っている?もしそうだとしたらファンのことを舐めすぎじゃないですか。

 

正直言ってわさみん運営にかんする長良と徳間に対する不平不満を並べ立てていたらキリがないほど、ぼくらは鬱憤がたまりにたまっているんですよね。昨年秋ごろからわさみん陣営の仕事ぶりが停滞するようになりましたが、今年二月末ごろからのコロナ・ショックで、そのていたらくぶりがあまりにもひどくなりました。こんなことじゃ熱心なファンにもあきれられますよ。ほんとうに長良と徳間のわさみん陣営はなにもしないんだから。

 

こんなことじゃダメです!以下に要望点をまとめました。

 

(1)SHOWROOMさえやらせときゃいいだろうという甘い考えを捨て、毎週末に開催されていた歌唱イベントに相当するような、ネット歌唱配信を定期的にやってほしい。一ヶ月に一回のペースで一回約30分程度でもいいです。その際のチケットはCD売り上げを充てるようにしてほしい。

 

(2)それと並行して(どっちかだけじゃなくて並行して)週一のSHOWROOMでカラオケ配信するのを復活させてほしい。わさみんは歌手なんですよ、歌手に歌わせようとしない事務所ってなんやねん!

 

(3)三ヶ月に一回か半年に一回程度は、一時間半程度のコンサート相当のものを有料ネット配信ライヴでやってほしい。それをやるからといって前後のSHOWROOMのカラオケを禁止しないでほしい。歌手に歌を禁止する長良グループの担当者は正気の沙汰とは思えません。

 

(4)特別盤発売が迫っていますので、その売り上げにつながるようなネット・イベント(たとえば予約サイン会とか)を、それも一回や二回じゃなく、どんどん開催してほしい。実際、わさみん以外の歌手のみなさんはそうしているのに、どうしてわさみんサイドだけ動きがないの??

 

(5)物販を長良本舗でちゃんとしてほしい。氷川きよしさんと水森かおりさんはもう特製マスクと2021年カレンダーを売りはじめていますよ。わさみん陣営も遅れをとってはなりません。

 

とにかく、なにしろわさみんは歌手なんですから、それを前面に押し出さないといけませんよね。歌手は歌ってこそナンボ。歌わない、歌わせないなんて、本来ありえないことです。そのありえないことが実現してしまっているというのが現状ですからね。おかしいぞ、長良&徳間!ちゃんと仕事しろ!できないなら人員を交代させてほしいぞ!!

 

そのほか、わさみん陣営のおかしいところをあげていくとキリがありませんので、きょうはこのへんにしといたろ〜。

 

(written 2020.10.2)

 

@wasaminnn
@nagaragroup
@TOKUMA_ENKA

 

2020/10/02

定額制ストリーミング配信で好きな音楽だけ聴くようになるかどうかは、ひとそれぞれ

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(7 min read)

 

小田嶋隆さんの以下のツイート群(2020年9月20日)に触発されて書きました。スレッドでご覧ください。
https://twitter.com/tako_ashi/status/1307689258455453696

 

こういったことは、小田嶋さんだけでなく、おそらく多くのかたがおっしゃっているんだろうと思えるんですけれども、ことに影響力の大きな小田嶋さんの発信だけに、ちょっとこれは心配です。現にもうかなり拡散されていますしね。

 

だからここでぼくなりの気持ちと実情を記しておきたいと思いキーボードを叩いています。反証は一個あれば十分なので、ぼくは小田嶋さんのおっしゃるようなSpotifyの使いかたになっていないということですから、もうそれでOKかもしれません。

 

これで終わりにしたんじゃあつまんないので。

 

小田嶋さんのおっしゃるには、Spotifyであらゆる音源にアクセスできることで、聴く音楽の幅が広がったのかというとこれが案外逆で、気に入った曲だけをピックアップする聴き方になってしまう、ということで、「定額で好きなだけ聴ける」ということになると、「むずかしいけど我慢して聴く」「せっかく買ったんだから隅々まで聴かないと損」みたいことはしなくなる。安易に聴きやすい音楽だけを流すことになる 〜〜 んだそうです。それが小田嶋さん流Spotifyの使いかたなんだそうですよ。

 

あくまで個人の感想でしょうから、そうじゃない人間もたくさんいることは小田嶋さんもおわかりなんだと思います。すくなくともぼくは、Spotifyのなかだけをブラブラしていてもそうだし、そのほかネットでいろいろと情報をひろって、こんな新作が出たぞとか、こんなリイシューがあった、古いアルバムだけどこれはすばらしい音楽だとか、いろんなひとの発言を常時かなり強く意識してピック・アップするようにしています。

 

それでちょっとでも気になったらすぐにSpotifyで検索するように習慣づけているんですね。だから、そのなかには好きなのかどうなのかわからない、っていうかそもそも自分の知らない音楽だからまだその判断ができない音楽もたくさんあって、そういうものをどんどんすすんで聴いているんですね。だから、小田嶋さんのおっしゃるようなことには、すくなくともぼくは(たぶん大勢も)なっていないんです。

 

裏返して言えば、Spotifyアプリをながめているだけだと、たしかに自分がいままでに聴いたもの、ヘヴィ・ローテイション、好きなもの、とか、そんなタブがどんどん並んでいるしで、そういうのだけふだん見ていてそういうのから選んで聴くのだと、たしかに小田嶋さんのおっしゃるように、よく知っている好みの曲ばかりくりかえし聴くということになりがちかもしれません。

 

ぼくは毎日更新の音楽ブログをやっているし、だからアンテナをひろげてさまざまな音楽情報に積極的に触れるように自分からかなり意識してしむけておかないと、早晩行きづまってしまうのがわかっていて、だから未知の情報、未知の音楽をどんどん求めてネットを徘徊していて、そうやって得られる雑多な情報から逐次ピック・アップして、次はSpotifyでなにを聴くか?を判断しているんですね。

 

そのために(以前から書いていることだけど)ぼくはメモを欠かしません。「次にSpotifyでなにを聴くか」というメモ項目があって、そこにずらりと100個か200個かそれ以上か、音楽家名やアルバム名、いままで聴いたことのないものばかり、ネットでゲットした情報を列記しているんですね。そのメモは毎日書き加えられて更新されるし、それをいつもながめていて、それがSpotifyでなにを聴くか?の判断の土台になっているんですね。

 

たぶん、定額制ストリーミング配信がここまで普及する前は、だれしもが街の(or ネットの)レコード店、CDショップに足を運び、そこであらたな発見があったり、未知との遭遇があったりして、財布からお金を出して興味を持ったものを買えば身銭を切った責任上、すぐには好きになれなくてもくりかえし聴く、というような音楽ライフを送っていたんじゃないでしょうか。現在58歳のぼくも同じでした。

 

情報は、ショップだけでなくむかしから紙媒体の雑誌・書籍、さらに友人・知人などからも得られるし、そんなこんなで、くりかえし聴いてみるまで好きになるかどうかわからないアルバムをいくばくかのお金を出して買い、自宅に帰ってプレイヤーに載せる、それもなんども、という生活を送っていたと思います。

 

そんな、言ってみればある種の「冒険心」、未知のものに飛び込んでいく「勇気」、なんどもくりかえし聴くという一種の「忍耐」みたいなものを、Spotify聴きでも失わないでいればいいだけのことなんですよね。変わらずどんどんいろんなものに、いままで知らなかった音楽に、聴いてみて好きだ、あるいはちょっと聴いても好きかどうかわからないけど判断を保留しておいてなんども聴くとか、そういったものに出会えるんで、すくなくともぼくの音楽ライフは、Spotifyユーザーになる前とちっとも変わっていない、ばかりかもっと守備範囲が拡大したという実感があります。なんでも聴けるから。

 

ぼくの全Spotifyタイムのたぶん六〜七割は、聴いたことのない初邂逅の音楽に費やしています。そのなかには、これはちょっと…、と感じるアルバムも多いですが、即断しないように心がけておりますね。辛抱強くなんどもくりかえし聴くように、言ってみれば「好きになるまで」なんどもなんども聴く、ということをSpotifyで実行している毎日なんですね。

 

そうやってブログ記事に仕上がったものが無数にありますよ。

 

(written 2020.9.28)

 

2020/10/01

プリンス1987年大晦日のペイズリー・パーク・コンサート

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(12 min read)

 

Prince - Sign O The Times (Super Deluxe Edition) disc 9 DVD

https://www.youtube.com/watch?v=v_aAug_PpUM&t=4s

 

2020年9月25日にリリースされたプリンス『サイン・オ・ザ・タイムズ』スーパー・デラックス・エディションの九枚目DVDは、1987年12月31日、ミネソタはミネアポリスにあるプリンスの本拠地ペイズリー・パークで行なわれたベネフィット・コンサートをフル収録したものです。同年の『サイン・オ・ザ・タイムズ』発売記念ワールド・ツアーの最終日。

 

それがYouTubeで完全無料フル公開されていますので(上掲リンク)、フィジカル買わない人間でも問題なく楽しむことができるんですね。いやあ、ありがたいありがたい。と思うと同時に、いまやこれからはこういったリリース形態がスタンダードになってほしいという時代感覚もあります。音楽フィジカルの時代は終わっているんですから。

 

この1987年大晦日コンサート最大の話題は、やはりなんといってもジャズ・レジェンド、マイルズ ・デイヴィスとのステージでの唯一の共演がふくまれている、それが観られるということでしょう。たぶん熱望したのはマイルズ側で、前年にワーナーに移籍してレーベル・メイトになっていたマイルズは、音楽的にプリンスに接近していましたし、現実の交流も望んでいました。

 

ステージでも共演したかったはずで、日頃からマイルズ はプリンスのコンサートに参加する機会をうかがっていたのかもしれないですね。そこへもってきて1987年大晦日に規模の大きなベネフィット・コンサートをやるとなって、じゃあというんで、プリンス側もマイルズにちょっとやらないかと持ちかけたのではないでしょうか。

 

公式YouTube音源の説明文にはセット・リストが添えられていて、その左に書いてある時刻をクリックすればその曲へジャンプしますので、1:43:51 の「マイルズ・デイヴィス・ジャム」をご覧ください。曲はアンコールだった「イッツ・ゴナ・ビー・ア・ビューティフル・ナイト」です。

 

パープルの衣装(!)を着たマイルズは、しばらくたむろしてからおもむろにオープン・ホーンで吹きはじめます。バック・バンドに演奏させておいてその上で適当にパラパラっと遊ぶようにフレーズをつむぐというのはこの時期あたりから自分のバンドでもマイルズはやっていたことです。

 

マイルズが吹いているあいだはプリンスも完全に主役を譲っている感じ。ステージ上をぶらぶらしているだけで、バンドに指示する以外とくになにもしていないですね。四分ほどマイルズが吹き、ツー・ショットにおさまって、ステージ上手(向かって右)にマイルズが消えていく際に「Mr. Miles Davis!」との声で見送ります。

 

さてさて、この日のライヴ全体は1987年の『サイン・オ・ザ・タイムズ』ツアーの最終日でしたが、きのう書いた同年六月のユトレヒト・ライヴと基本的な流れは同じです。この二枚組新作からの曲を中心に、しかしこの大晦日は特別に長尺のイベントだったということで、そうじゃない古い曲もわりとたくさんやっています。

 

出だしはやはり「サイン・オ・ザ・タイムズ」(ボスのギターがブルージーで快感!)「プレイ・イン・ザ・サンシャイン」「リトル・レッド・コルヴェット」と続き、その後「エロティック・シティ」とか「ドゥー・ミー・ベイビー」とかやっているのはこの日の特別メニューでしょうね。

 

このあたりの中盤に「アドア」がありますが、この曲、ほんとうに美メロなバラードですよねえ。スタジオ・アルバム『サイン・オ・ザ・タイムズ』で聴いてうっとりしていましたが、こうやってライヴでやると美しさがいっそう際立っているような気がします。会場の観客も酔ったのでは。

 

「レッツ・プリテンド・ウィア・マリード」「デリリアス」「ジャック・U・オフ」なんかは古い曲で、しかしそれらも1987年のコンテンポラリーな様相に変貌しているのがおもしろいところ。おなじみの曲はメロディをきれいにぜんぶは歌わず、バンドの演奏に乗せて観客に要求しているのはペイズリー・パークでのライヴならでは。

 

またシーラ・Eが生演奏ドラムスを叩いていますけど、曲によってはそれと同時にコンピューター・プログラミングによるデジタル・ビートをも並行して鳴らしていて、その混合がえもいわれぬ肌触りで、実に快感なんですね。「サイン・オ・ザ・タイムズ」「ホット・シング」「イフ・アイ・ワズ・ユア・ガールフレンド」なんかリズムだけ聴いていて気持ちよさに身を委ねられます。

 

「レッツ・ゴー・クレイジー」「ウェン・ダヴズ・クライ」「パープル・レイン」という三曲連続の『パープル・レイン』セクションはユトレヒト・ライヴにもありました。大きな違いは、曲「パープル・レイン」の大半が「オールド・ラング・サイン」(スコットランド民謡、「蛍の光」として日本でも有名)になっていることです。

 

バンドはまず「パープル・レイン」のコード進行とリズムで演奏をはじめるんですけど、それに乗せてプリンスは延々と「オールド・ラング・サイン」をギターで弾いていますよね。後半でちょろっと歌ってもいます。

 

日本の「蛍の光」はお別れの歌ですけど、アメリカでの「オールド・ラング・サイン」は新年や誕生日などのお祝いで歌われることが多く、この日のこのコンサートは大晦日の深夜でしたから、日付を越えて新年になったという記念として「オールド・ラング・サイン」をやっているのでしょう。その前のほうの曲のときに、途中すでにプリンスは「ハッピー・ニュー・イヤー!」と叫んでいます。

 

いちおうその最後に「パープル・レイン」も歌い、それふうなギター・ソロも弾きます。そのまま「1999」へとなだれこみ。この日のこのヴァージョンはかなりカッコイイし、タイトにキマッていますよねえ。特に決め手はビートとホーン・リフかな。そして次の「U・ガット・ザ・ルック」でコンサート本編は終わりとなります。

 

アルバム『サイン・オ・ザ・タイムズ』での「U・ガット・ザ・ルック」はポップなロック・ソングでしたが、この日のコンサートでは、サイド・ギターリストのカッティングのおかげもあってすっかりファンク・チューンに変貌しているのも楽しいですね。シーナ・イーストン・パートはキャットが歌っています。キャットは同時にティンバレスも演奏。

 

「U・ガット・ザ・ルック」が終わると、ボスの「サンキュー、グッドナイト!」の声で全員がいったんはステージからはけますが、すぐにふたたびビートが入ってきてアンコールの「イッツ・ゴナ・ビー・ア・ビューティフル・ナイト」に突入。プリンスはギターを持っていません。

 

ドラムスの席をプリンスとシーラ・Eが交換し、シーラが前に出てのラップ・パート。ふたたび戻ってボスが前へ。そのままホーン・ソロやリフなどジャム・パートになって、上のほうで書いたマイルズ参加のセクションに移行していきます。

 

マイルズ・ジャムのパートが終了すると、「イッツ・ゴナ・ビューティフル・ナイト」のまま一瞬「ハウスクエイク」になったと思ったら、次いでアリーサ・フランクリンの「チェイン・オヴ・フールズ」(ドン・コヴェイ)になると同時にジェイムズ・ブラウンの「コールド・スウェット」のホーン・リフが出たり。このへんは要するにライヴならではのフリー・ジャムみたいな感じなんですよね。

 

エリック・リーズの長尺サックス・ソロがあり、演奏が止まったり再開したりしたあと、パッとキーをチェインジして別のジャム・パートがくっつきはじめている気がしますが、そこからは完璧JBマナーのライヴ・ファンク・メドレーみたいな雰囲気です。「マザー・ポップコーン」も出ますしね。ふたたびエリックのジャズ・ファンクなサックス・ソロ。

 

ボスが「サンキュー、グッドナイト」となんども言うけれど終わらず。そのたびに、あるいは「キック・サム・アス!」と叫ぶたびに、キーとリズムをどんどん変えてはジャムが続いています。デューク・エリントンの「A列車で行こう」がちらっと出て、やはりジャムは連続。

 

このあたり、音だけ聴いているとピンとこない部分もありますが、視覚的にかなりショウ・アップされていて、だから映像も見ながらだと楽しさが増しますね。プリンスはどんどんアド・リブで歌ったり(ウィルスン・ピケット「ダンス天国」の例のリフも出てくる)声で指示を出したり。ギターは持っていませんが、ちょろっと壇上のグランド・ピアノ(登場の機会はここだけのはず)を弾いたりはします。

 

バンドはずっとジャムを続けていて、一定の演奏が延々と連続していますが、結局この、マイルズが退場してからのジャム・パートは20分以上も続いて、現場にいれば楽しかったかもですが、ヴィデオで見ているとイマイチ冗長な感じもあります。「コンフュージョン!」(ぐちゃぐちゃ!)とのボスの掛け声でリズムとホーンズがなだれのように入り乱れ、コンサートは本当に終了します。

 

(written 2020.9.27)

 

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