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2020/10/31

ライヴに行くのが怖かったぼく 〜 パニック障害のこと

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(9 min read)

 

長年パニック障害を患っていました。2020年のいまではすっかり寛解しているように思いますが、28歳(1990年)で発症して、50歳過ぎごろにこれはもうだいじょうぶだろうと自分で思えるようになるまで、長年。

 

ちょうど東京都立大学英文学研究室の助手をやっていた三年目の春のことでした。朝の通勤の満員の井の頭線のなかで突然心臓がバクバクなりはじめ、鼓動と呼吸が荒くなり、動悸がして冷や汗をかいて、立っていたんですけど苦しくなって、走行中の車内でその場にしゃがみこんでしまいました。これはもう死ぬんじゃないかと震えました。

 

その日はなんとか(当時まだ八雲にあったから東横線沿線だった)都立大の研究室まで行き、仕事中はなにもなく、帰りの電車のなかでは平気だったんですけど、仕事を終えた帰りは気がラクですからね。朝の出勤時ですよ、まずいのは。頻繁に発作が出るようになり、満足に電車に乗れなくなりました。

 

ぼくのパニック発作は神経性過敏大腸症候群をともなっていて、おなかがカラッポ状態でも神経性で腸が動き便意をおぼえ(脳と腸がダイレクトにつながっていることを知ったのは20年くらいあと)、トイレに行きたくなる、特に朝の満員電車で発車時に扉が閉まったとたんに便意をおぼえはじめ、ドキドキ動悸がして脈拍が早くなり汗をかき、苦しくなるというものでした。

 

最初は扉の閉まった満員電車だけだったんですが、次第に似たような閉鎖空間とか、しばらく自由にトイレに行けないような拘束状態におかれると、やはり発作が出るようになり、出るんじゃないかという予期不安もあって、だから行動がかなり制限されるようになりました。苦しいので発作が出ないようにしたいという気持ちから、みずからすすんで行動や場所を選ぶようになりました。

 

もちろん心療内科に通うようになって投薬治療もはじまったんですけれども、なかなか症状がちゃんとおさまるっていうようなことはかなわなかったんですね。電車も朝の満員状態がダメだから、次第に仕事のシフトを後ろにずらしてもらうようになったり、1991年に國學院大學に就職してからは午後と夜の講義ばかりにしてもらって。

 

閉鎖空間にジッといるといけないんで、映画館もダメ、そしてあんなに好きだった音楽ライヴも、閉じ込められた空間内という現場ですわって動かない動けないという状態がなかなかまずいので、足が遠のくようになったんです。途中でトイレに行けないんだと思っただけで、もう発作が近いんですから。

 

このパニック障害&神経性過敏大腸のことを、発症したことのないみなさんに実感し納得してもらえるように説明することはなかなかむずかしいように思います。だから周囲からは、特に國學院大學の職場のみんなからは、「サボり病だろう」みたいに思われたり言われたりすることも多くて、つらい思いをしましたね。

 

といっても、音楽のライヴ・コンサートなんかの際は、音楽パフォーマンスの最中楽しい気分にひたっていますので、パニック発作のことはだいぶ忘れていますし、実際発作も(あまり)起きませんでした。そう、発作が不安でも、なんだかんだで行っていた音楽ライヴはあったんですね。

 

特に、いまはもうなくなったパークタワー・ブルース・フェスティバルは、毎年定期的に通っていた唯一のライヴ・コンサート。これは1995年にパソコン通信をはじめた際、同じ音楽会議室のネット仲間のなかに東京ガスに勤務するリアル友人を持つかたがいて、優先チケットが入手できるよというので、それで行きはじめたものでした。フェスティヴァルじたいはその数年前から開始されていたようです。フェスが消滅するまで毎年通いました。毎年12月開催でしたかね。

 

マイルズ・デイヴィスが1991年に亡くなって、その後ほとんど現場でのライヴ・コンサートに行かなくなっていたぼくにとっては、95年(33歳)にパソコンを買ってネットをはじめたことが、やはりたいへん大きなきっかけになっていたわけなんです。

 

だれそれのライヴがいついつどこそこであるぞ、なんていう情報もどんどん入るようになったのはネットをはじめたからであって、それでユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタのブルーノート東京公演を知り、行ったんですからね。いっしょに行って並んで観てくれる友人も、やはりネットにいました。感想を投稿しあったりも。

 

それでも、音楽ライヴ現場でときたまパニック発作が起きることもあり、だからぼくにとってはどんな場所でも着いたらまずトイレがどこにあるかを確認しておく、すぐ行けるようにしておくことが絶対なる必須事項でした。ブルーノート東京しかり新宿のパークタワー・ホールしかりです。

 

パークタワー・ブルース・フェスティバルのパフォーマンスの最中に突然パニック発作が起きて(なぜそうなるのかは自分でも説明できない)トイレに行きたくなって、席を立ってトイレに駆け込むことは、ときたまありました。ブルーノート東京ではワン・ステージが一時間未満でしたから、まだちょっと安心していました。

 

2011年に東京を離れ愛媛に戻ってきたころには(その数年前から)具合はよくなっていたように記憶しています。2017年にわさみんこと岩佐美咲と、原田知世を好きになるきっかけがあって、その後わさみんの歌唱イベントに通ったり、わさみんや知世ちゃんのコンサートに行ったり、そんなことがきっかけで音楽ライヴの楽しさを思い出し、ほかの音楽家のコンサートにもときどき行くようになったり、それらのために公共交通機関に乗ったりなど、そんなことになっているいまのぼくにとって、パニック障害と神経性過敏大腸のことはもうすっかり過去のことになっているように思います。

 

飛行機だってダメだったし(トイレがあるのにね、でも海外旅行に行くため乗ってはいた)、バスもダメ、電車なんかでも各駅停車じゃないとダメで、扉が閉まってしばらく開かない急行などには絶対に乗れなかったけど、もうそんなことなくなりました。現場に到着してのトイレ確認もいまやしなくなっていますけど、でもいつも警戒したりする気分がちょっとだけ残っています。長期間患っていましたから、習い性になってしまいました。この手の病気は再発の可能性が消えないですからね。寛解であって全快じゃないんで。

 

(いまのところ)最後にパニック発作を経験したのは2000年に渋谷の映画館で『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を観たとき。その後最初にアレッこれ平気じゃないか?と気づいたのは2015年に大阪でアラトゥルカ・レコーズ(トルコ)のライヴ・コンサートを観たときです。

 

ところで、ぼくのASD(アスペルガー症候群)、アロマンティック資質、パニック障害、発音障害(どもり)、これら四つはつながっているんじゃないかと思えるんですけれども、これらをトータルでみてもらえるところってないんでしょうか?

 

(written 2020.9.2)

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