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2021年2月

2021/02/28

21世紀的日本民謡はこっちだ 〜 坂田明

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(3 min read)

 

坂田明 / Fisherman’s.com

https://open.spotify.com/album/54xWKhuZjQdqGf3N2Awmik?si=Je5HZFtqSOOJTGggWUfWBw

 

1「貝殻節」https://www.youtube.com/watch?v=SoG9dAmn84U
2「音戸の舟唄」https://www.youtube.com/watch?v=p0qQr4dYqCM
3「斉太郎節」https://www.youtube.com/watch?v=naqrHFcov4k
4「別れの一本杉」https://www.youtube.com/watch?v=Atg9ha_chFI

 

ジャズ・サックス奏者、坂田明のアルバム『Fisherman’s.com』(2001)についても、以前一度記事にしたことがあります。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-efcc.html

 

この文章、いまでもそれなりにアクセスがあるんですが、というのは日本民謡は近年ちょっとふたたび話題でしょう、たぶん民謡クルセイダーズのおかげで。ぼくの上掲記事へのアクセスがそれと関係あるのかはわからないですけど、坂田明のことをまたもう一回書いてみようと思うにいたりました。

 

音楽的なことは上でリンクを貼った過去記事をお読みいただければすべて書いてあります。きょうあらためて言いたいことは、この坂田明の『Fisherman’s.com』こそ、21世紀的なアップデートされた日本民謡の解釈としてスーパーだということです。これが2001年リリースの作品だったなんて、ちょっと信じられないですよねえ。

 

日本民謡をラテンに解釈した民謡クルセイダーズはもちろん楽しいんですが、その20年近くも前に、こんなヒップ・ホップ以後的なビート感で表現された日本民謡再解釈があったわけなんです。ぼく以外だれひとりとしてこのアルバムを話題にしていませんけどね。

 

坂田明、ピート・コージー、ビル・ラズウェル、ハミッド・ドレイクの組み合わせで、三曲の日本民謡(いずれも海や漁業を題材にしたもの)と一曲の演歌をとりあげて、ヒップ・ホップ以後的な新世代ジャズ・ビートな解釈をほどこして、ここにまったく新たな21世紀的日本民謡の姿が現出しているわけでありますね。

 

ぼくの知っている範囲では、ここまでコンテンポラリーで(2020年代的意味でも)、斬新でカッコイイ日本民謡というのは、この坂田明の『Fisherman’s.com』の前にも後にも出たことがありません。唯一無二の奇跡、異形のようなアルバムなんですよね。

 

ヒップ・ホップな細分化されたビート感を持ちつつ、全体としてはヘヴィなダーク・ファンクのようでもあり、ダウナーでブルーな色彩感は、まさにいまの時代のサウンドでもありますよね。音楽全体の方向性を決めたのはおそらくビル・ラズウェルじゃないかと思いますが、トラディショナルな日本民謡をとりあげて、ここまでコンテンポラリーな音楽に仕立て上げ世に問うた坂田明のチャレンジ精神には降参です。

 

ホント、ちょっと聴いてみてほしい、こんなにもカッコイイ日本民謡はほかにはまったく存在しないですって。特に民謡クルセイダーズがカッコいいと思っているファンのみなさんにはぜひ届いてほしいなと思っています。日本民謡の現代的再解釈というなら、だれも追いつけない世界がここにはあります。

 

(written 2020.12.23)

2021/02/27

Spotifyで生田恵子を聴こう

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(5 min read)

 

生田恵子 / 東京バイヨン娘

https://open.spotify.com/album/0rO6V19kHI5arQKubcPjsC?si=YMwPnf4xRQmF67hFSXVSxA

 

生田恵子についてはずっと前一度記事にしたことがありました。1950年代に活躍した日本の歌手です。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-41a8.html

 

きょう話題にするのも同じアルバム『東京バイヨン娘』(1999)ですが、今回どうしてまたもう一回書こうと思ったかというと、生田のこのアルバム、なんとそのままそっくりSpotifyにあるのを発見したからなんですね。すばらしい!いつ入ったんだろう?

 

音楽的なことは上でリンクを貼った2016年の文章につけくわえることなどないので、ぜひご参照いただきたいと思います。1950年代初頭の日本で、これだけリズミカルに歯切れよくブラジル/ラテン調を歌いこなせた歌手はほぼいなかったのではないでしょうか。

 

東京バイヨン娘というくらいで、バイヨン(ブラジル音楽)をとりいれた歌謡曲をやったのが生田ですが、このアルバムでは、なかでもすばらしいのが冒頭三曲。1951年のブラジル録音で、現地ブラジルのバンドを起用して、バイヨンの第一人者ルイス・ゴンザーガ監修のもと、ゴンザーガの曲も歌い、実にみごとな成果をあげておりますね。

 

なお、Spotifyアプリでは冒頭三曲の伴奏者名を「リオ・デ・ジャネイロ・ビクター管弦楽団」と記していますが、これはちょっとどうでしょう?CD付属の解説文によれば、これら三曲の伴奏はレジオナール・ド・カニョートというショーロ・バンドで、聴いた感じでも少人数編成のコンボに間違いありませんよね。

 

ともあれ、1曲目「バイヨン踊り」の猛烈なグルーヴ感なんか、いくらブラジル現地での録音とはいえ、1951年にここまで歌いこなせた生田の驚異的なリズム感のよさには驚愕のひとことです。バンドの演奏もみごととしかいいようがありません。セッションが終わってルイス・ゴンザーガが生田のことを誉めたというのも納得ですよねえ。ほんとうに唖然とするしかないグルーヴィな演奏とヴォーカルです。

 

ちょっと興味深いのはこの曲「バイヨン踊り」は、4曲目にも同じものが収録されていること。これは日本に帰国して1952年に日本のバンド(ビクターの専属オーケストラ)を起用しての再演。1曲目のブラジル録音との大きな差は隠すまでもないでしょう。ノリのシャープさがまったく違います。歌詞も大きく書き換えていますよね。

 

この後ずっと日本で録音した生田は、アルバム『東京バイヨン娘』を聴きすすんでもおわかりのように、ブラジル/ラテンっぽい感じの歌謡曲をどんどん歌いました。それで、2020年になってぼくがハタと気づいたのは、以前書いた民謡クルセイダーズ、日本民謡をラテンに解釈して演奏している21世紀の日本のバンドですが、1950年代の生田の歌の数々は、もうすでに民謡クルセイダーズの世界を先取りしているじゃないかということです。

 

『東京バイヨン娘』のなかには日本民謡を題材にしたものも数曲あって、そうじゃない歌謡曲もふくめ、どれもこれも完璧なるラテン調。バイヨンでデビューした生田ですが、その後はアフロ・キューバンな路線のほうが多かったでしょうね。アフロ・キューバンはタンゴとならび日本で最も古くから親しまれているおなじみのラテン音楽ですからね。

 

たとえば、6曲目「リオから来た女」、15「ちゃっきりマンボ」、16「東京八木節マンボ」、20「会津磐梯サンバ」などなど、2010年代後半以後の民謡クルセイダーズの世界がほぼ完璧にできあがっているじゃないですか。しかも生田のそれらは1950年代の録音だったんですからねえ。民謡クルセイダーズの世界が新しくもなんともないっていうひとつのレッキとした証拠です。

 

べつに民謡クルセイダーズを評価しないとか言いたいわけじゃなく、むしろ逆です。ぼくは民謡クルセイダーズのことが大好きで、楽しくてよく聴きます。でも彼らの音楽が斬新だとか、いままでにない試みだとか、そんなふうに受け止める必要はないんじゃないかと思うんですね。むしろ民謡クルセイダーズの楽しさは、古くからラテン・ミュージックと合体してきた日本歌謡の世界のその伝統に則っているからこそなんじゃないかと、こう考える次第でありますよ。

 

そんなことを、つい最近Spotifyにあることを発見しうれしくなって聴きなおした生田恵子『東京バイヨン娘』でも再確認しました。

 

(written 2020.12.19)

2021/02/26

コテコテなジミー・フォレストもちょっと 〜『アウト・オヴ・ザ・フォレスト』

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(4 min read)

 

Jimmy Forrest / Out of the Forrest

https://open.spotify.com/album/21UGs6y4l7ybBQfOGDNdqJ?si=l8lYs4oYSsCXaekUOowNbw

 

きのう書いたジミー・フォレストの、ステレオタイプにぐいぐい迫るコテコテ系ブロウ・テナーも聴いておきたいぞと思い、もう一作、Spotifyで検索し『アウト・オヴ・ザ・フォレスト』(1961)を聴きました。ピアノ・トリオをしたがえてやっているワン・ホーン・カルテットもの。

 

リズム&ブルーズ寄りの音楽なんですが、これはプレスティジ・レーベルからの発売で、そう、プレスティジはジャズばかりじゃなくけっこうリズム&ブルーズ(寄りのジャズ)もリリースしましたよね。きのう書いた『ブラック・フォレスト』がブルーズ・レーベル、デルマークからの発売でしたし、このへんはなかなか興味深いところです。

 

『アウト・オヴ・ザ・フォレスト』のリズム・セクションには、ピアノでジョー・ザヴィヌルが参加しているという点も目をひきます。1961年ですから、もっとのちのキャノンボール・アダリー・コンボ時代のあのファンキーなスタイルにはなっていないんですが、それでもぼくは大のザヴィヌル・ファンですからね、参加しているというだけでこのアルバムを聴いてみたいと思うほど。

 

1曲目「ボロ・ブルーズ」からして、もうあれです、かの「ナイト・トレイン」路線そのままの、こってりブロウ。ブルージーでファンキーで、もうたまりません。これは完璧に1940年代のジャンプ系ホンク・テナーですね。あれこれ考えず、とにかくちょっと聴いてみて!クサくてとてもたえられないと感じる向きもおありじゃないかと思うほどですよね。

 

2曲目以後もアルバム・ラストまで同様の路線が続くんですが、楽しいのはスタンダード・ナンバーをやってもこのアルバムでのジミー・フォレストはコテコテ系に料理しつくしてしまっていること。たとえば2「アイ・クライド・フォー・ユー」はビリー・ホリデイも歌ったかわいらしいポップ・チューンだったのに、なんですかこの吹きっぷりは。ホンキーにやりまくるブルージーさがたまりません。演奏後半ではイリノイ・ジャケーばりに同一フレーズをなんども反復してぐわぐわっともりあげる下世話さ。

 

スタンダードといえば6曲目「イエスタデイズ」(これもビリーが歌ったなあ)もひどいですよ。朗々と吹き上げるジミー・フォレストのホンク・テナーで、曲そのものがまるで別のものに変貌しちゃっています。音色もジャンプ系テナーのあの硬く丸いもので、ラヴ・バラードっていうよりストリップ・ショーのBGMみたい。うなりをあげながらグォグォと攻めるあたりのテナーの迫力にけおされそうです。

 

小唄ものですらこんな調子なんですから、ブルーズ・ナンバーなんかもうエンジン全開でこれでもかとノリノリ下世話に攻めまくるジミー・フォレスト。こういったダーティなブロウ・テナーがもとから本領のひとではありますが、それにしてもこのプレスティジ録音ではいったいどうしちゃったんでしょうかねえ。会社側の制作意図というか企画で、こういう路線でやってくれという指示が出ていたのかもと感じますよね。

 

曲単位というんじゃなくアルバム一作まるごとぜんぶホンク・テナーでコテコテに塗りつぶしているという意味では、ブラック・ミュージックっていうか、ジャンプ・ブルーズ、リズム&ブルーズなどのファンには大歓迎されそうなアルバムなのでした。もちろんぼくは大好き。

 

(written 2020.12.18)

2021/02/25

ジミー・フォレストの「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」が美しすぎる 〜『ブラック・フォレスト』

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(4 min read)

 

Jimmy Forrest / Black Forrest

https://open.spotify.com/album/3rMXxJjACerVQmrNNBB4jN?si=uoDh6fP1TdWsRW3G0n1HXg

 

テナー・サックス奏者ジミー・フォレストは、いわゆるタフ・テナーっていうかジャズとリズム&ブルーズの両方に足を入れているハード・ブロワーの系列に入るひとりでしょうね。こないだなぜだか思い出して、聴きなおしたいと思いSpotifyで検索して出てきた『ブラック・フォレスト』の話をちょこっとしておきます。ジミーはマイルズ・デイヴィスとの共演だって録音が残っていてCDでもサブスクでも聴けるんですよ。

 

さて、アルバム『ブラック・フォレスト』は1959年の録音であるにもかかわらず、デルマーク・レーベルからリリースされたのは72年になってから。中身は充実しているので、これはちょっと意外なことですよねえ。どうして当時発売しなかったのでしょうか。

 

1952年には「ナイト・トレイン」でR&Bチャートの一位を獲得しているくらいのジミー・フォレストで、だからコテコテ系のイメージがありますし、デルマークもシカゴ・ブルーズの名門レーベルでありますが、『ブラック・フォレスト』はストレートで穏当なジャズ作品で、みんなにとって聴きやすいでしょう。

 

サックス+ギター+ピアノ・トリオというバンド編成でやっているわけですが、そのうちギターのグラント・グリーンにとってはこの『ブラック・フォレスト』になった1959年12月録音が初レコーディングでした。ほかの三人だってまだ若手と言えた時期です。

 

ジミー・フォレスト自作のスウィンギーなブロウ系ジャンプ・ナンバー(ぜんぶ定型ブルーズ)とスタンダード・バラードとの二種類で構成されているアルバムですが、個人的にはプリティなバラードのほうが印象に残ります。三曲、「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」「ワッツ・ニュー」。もう一曲、「バット・ビューティフル」がありますがこれはグラント・グリーンをフィーチャーしたギター・ショウケースで、ジミーはおやすみ。

 

ジミー・フォレストがきれいにきれいに吹く三曲のスタンダード・バラードはいずれもすばらしいですが、特にグッとくるのは「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」(マスター・テイクのほう)です。ここでのジミーのこのテナーのサウンド、音色、フレイジングなどなど、どこをとっても文句のつけられない美しさで、まさしく絶品のひとこと。同じ楽器ならベン・ウェブスターをも超えるかと思うほどですが、音色のシャープな硬質さからいえばコールマン・ホーキンスを思わせるものがありますね。

 

硬くて太くて丸いテナー・サウンドで朗々とフレーズを重ねていくさまはほんとうに感動的で、「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」という曲はこのジミー・フォレストの演奏が最高のヴァージョンになったのでは?と思わせるほどのできばえです。歌詞の意味をかみしめながら吹いているような、そう、インストルメンタル演奏だけど<歌>が聴こえてくる、しんみりした気持ちになれる演奏です。なにより美しい。

 

「ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド」「ワッツ・ニュー」もみごとですが、「ジーズ・フーリッシュ・シングズ」があまりにもすばらしすぎるためかすんでしまっているほどですね。会社側としてもたぶん同様の見解なんでしょう、CDリイシューの際に別テイクを付加したわけですからね。テナーのサウンドそのものに説得力がありますし、ジミー・フォレストによる畢竟のバラード名演と言えましょう。

 

(written 2020.12.17)

2021/02/24

最近アルバムが短くなった 〜 ストリーミング時代の変化

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(7 min read)

 

いつごろからだったかぼくも気がついています、最近、音楽新作アルバムの時間尺が短くなってきていることに。いちばん最初にこのことを文章にしたのは、2019年1月8日付のイマルハンにかんする記事。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-33b2.html

 

このなかで、2018年暮れのマライア・キャリーの最新作あたりから「新作が短くなった」という感想を持つようになったと書いてありますね。そのマライアの『コーション』は約38分間でした。そのほか近年は多くが似たり寄ったりで、30分台という長さのアルバムもかなり増えてきていますよね。

 

オリジナル新作では、っていうことであって、コンピレイションなどはこのかぎりじゃないんですけど、ここ数年で音楽新作アルバムがすっかり短くなった、もちろん長いものだってあるけれど、多くが30〜45分程度になった、というのは間違いないことじゃないかと思います。

 

この事実は、ちょっと前までCDメディアにどっぷりつかって音楽ライフを何十年間も送ってきたぼくのような世代にとっては、最初ちょっとエッ?!と驚くようなことでした。だってCD全盛期は70分越えもあたりまえでしたもん。オリジナル新作でも、ですよ。音楽家の多くがそんな長尺の新作をリリースしていたでしょう。

 

短くなった、30〜40分台が多くなった原因は、間違いなくストリーミング聴きが主流になったからであって、アナログ・リリースを前提として、ということじゃないようにぼくには思えます。たしかにアナログ復権といいますか、音楽フィジカル 商品はCDだけじゃなくてレコードも、ばあいによってはレコードしかリリースしないという現状になってきてはいますが、そのことは近年のアルバムの短尺化とかならずしも関係ないような。

 

やっぱりサブスクが主流になったので、それでサイズが短くなったということだろうと思うんですね。ひとつにはネットで流すだけなので、フィジカル・メディアにある物理的容量の制約がなくなったということがあると思います。アナログだと片面約20分前後、CDだと一枚最大で79分程度という、そういった枠、考えかたがストリーミングにはないわけです。

 

だからいくらでも長くできるというのもある面での真実で、実際プレイリストなんかは7時間とか12時間とか、そういったものも頻繁に目にしますよね。いっぽうでオリジナル新作だと、尺にこだわる必要がなくなったことでかえって、音楽家や制作サイドが言いたいことを言い切ったら余計なものは付属させなくていい、短くてOKと、そう考えるようになったかもしれません。

 

レコードやCDといった物理メディアには物体じたいに絶対価格があるし、CD新作をたとえば25分とかで終わらせるというのは、余った時間がちょっともったいない、それを2000円なりで売るのはちょっとどうか?みたいな発想があったんじゃないでしょうか。レコードだってたとえば片面10分では商売にならないでしょう、最低でも15分くらいは収録しないと。

 

そんなことで、物理メディア時代には、間に合わせというか埋め合わせの、すなわち時間調節のための(本来だったら入れなくてもいいような)トラックが収録されていたように思います。世間でいう捨て曲、捨てトラックみたいなことがですね、ありました。その意味でも寸分も隙のないアルバムが絶賛されたりもしたわけです。

 

ネットで流すサブスクのストリーミング・サービスでは、もはやそんな物理的な考えをしなくてよくなりました。入れ物がなくなったわけですからね、もうこれで充分と音楽家が考えれば短尺でも一個の新作としてそのままリリースしていいわけです。19分でも24分でも「物語」があってしっかりしたトータル・アルバムというものが出てくるようになりましたよね。

 

このことは、人間の集中力が持続する限界時間とも連動しています。若くて元気なかたでも(CDサイズの)70分越えとかをずっと真剣に対峙するように集中してひとつづきで聴き込むというのはなかなかむずかしいんじゃないでしょうか。CDは、たとえば古いSP盤時代の一曲三分とかのものを寄せ集めてたくさん詰め込むには向いているんですけど、79分はポピュラー音楽新作には大きすぎる容器なんですよね。

 

また、物理メディアをとっかえるのは面倒だけど、ストリーミングだと、ちょっと聴いたらパッと(テレビのリモコンでチャンネルをザッピングするように)別のものをクリック or タップして移動しちゃうなんてこともカンタンです。70分以上も同じ一個のアルバムを集中して聴き続けるなんて不可能ですから、途中で替えたくなっちゃうんですね。

 

ストリーミング・サービスを運営している会社は、そんなデータも蓄積して音楽家サイドに提供しているらしく、音楽家、レコード会社側としても再生してもらえなくちゃ意味がない、お金にもならないわけですから、その結果、最後まで聴き続けてもらえる長さにまでアルバムをサイズ・ダウンしているんじゃないかという事情もあるでしょうね。

 

フィジカル・メディアが廃れサブスク聴きが標準になって以後の音楽の変化って、ほかにもたとえばイントロが短くなったとか、曲じたいも短いとか、テンポが速くなったとか、いろいろあると思いますが、また機会をあらためて考えてみたいと思います。

 

ぼくがこういったことをふだんさほど強く意識しないのは、流行ものや最新ヒットよりも、過去の名作を中心に聴いているからでしょう。

 

(written 2020.11.24)

2021/02/23

スタンダードをパーソナライズしない歌手 〜 ナンシー・ウィルスン

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(5 min read)

 

Nancy Wilson / The Great American Songbook

https://open.spotify.com/album/51TpP3EhivrdvCps2l5rgr?si=obeu7OnmQwOFGEJTIeTfxA

 

ナンシー・ウィルスンの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』(2005)はもちろんオリジナル・アルバムじゃなくコンピレイションで、アルバム題どおりナンシーがスタンダードを歌ったものばかりいろんなアルバムからピック・アップして編纂されたものです。

 

スタンダードといいましてもナンシーのこのアルバムにはデューク・エリントンやビリー・ストレイホーンの書いたジャズ・オリジナルなどもふくまれているんですけど、つまりはみんながやっていて聴き手もよく知っている有名曲っていうことですね。寄せ集めですから、伴奏は曲によってさまざま。ビッグ・バンドだったりストリングスが参加していたり、はたまた少人数のジャズ・コンボだったり。

 

この『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』を聴いていてぼくがいちばん強く感心するのはナンシーのヴォーカルの素直さです。ストレートでナチュラルっていうか、原曲のメロディをほぼまったく崩さず、そのまますっと歌っているでしょう、そういうところがたいへん印象深いんですね。ナンシーらしいすばらしさだなって思います。

 

このアルバムにはビリー・ホリデイが1935年に歌って有名にした「ワット・ア・リトル・ムーンライト・キャン・ドゥ」が収録されています。ビリーにしろだれにしろ一般的にジャズ歌手は曲を “パーソナライズ” することが多いだろうと思うんですね。ちょこっと、あるいは大胆にフェイクしたり、発声や歌唱法の工夫で、その歌手にしかできないワン・アンド・オンリーな歌にしようと腐心します。

 

かつてはぼくもそれがすばらしい、それこそがタダシイやりかただ、だれがやってもそう変わらない無個性な表現なんて価値ないよ、って信じて疑っていませんでした。この考えが大きく変わった、というか正直言って間違いだったなと気づきはじめたのは、鄧麗君(テレサ・テン)、由紀さおり、パティ・ペイジなどのポップ歌手をどんどん聴くようになってからです。

 

そして決定的な転回点は2017年に岩佐美咲に出会ったこと。これらテレサやさおりやパティや美咲は、歌に自分の個性を込めないです。その歌手にしかできないというような「色」を出さないっていうか、与えられた歌の魅力をそのまますっと素直にリスナーに伝達するようにナイーヴ&ストレートに歌っていますよね。

 

ポピュラー・ミュージックの歌手としてどっちがすぐれているかとかいうような話ではありません。ぼくにとって、近年どっちのタイプの歌手が身に沁みるように感動するようになったかということです。ナチュラル&ストレートなヴォーカル表現法をとる歌手のその歌の魅力を知ってしまうと、その真の意味での表現力を知ってしまうと、おおかたの個性の強い歌手はトゥー・マッチに感じるようになってしまいます。

 

といいましても、もちろんビリー・ホリデイやヒバ・タワジや都はるみなんか、いま聴いてもすばらしいなと心から感動しますので、きょうのぼくのこの話はまぁあれなんですけれども、ナンシー・ウィルスンの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』もまた、テレサや美咲などの系統においてみるときに、その真の価値が理解できるものじゃないかなって、そう思います。

 

スタンダードなど有名な曲の数々は、ただでさえそのメロディはもとから美しいもの、すばらしく魅力的なものです。そういった曲は、メロディをフェイクしたりさまざまな工夫をしたりせず、このアルバムのナンシーみたいにそのまま、原曲そのまま、ストレートにすっと歌ったほうがいい、そうに違いない、と最近のぼくは心の底から信じるようになっています。

 

ナンシーのこの『ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック』、この曲はどんな感じだったっけな?と確認したかったりするばあいにもいいし、トータルで二時間近い再生時間なのでぜんぶしっかり向きあって聴くというんじゃなく、あっちこっちと好きな曲をピック・アップして楽しむのに格好のものでしょうね。マジになって眉間にシワ寄せてじっくり聴き込むとかいうものじゃありません。

 

(written 2020.12.16)

2021/02/22

わさみんZoomトーク・イベント 2021.2.20

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(写真は岩佐美咲公式ブログより)

 

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またまたやってまいりました、わさみんこと岩佐美咲オンライン・グリーティング。2021年2月20日開催。テレビ電話アプリZoomを使って、数分間わさみんと一対一で親しくおしゃべりできるという、ファンにとっては願ってもないうれしく楽しい企画の第四回。購入額によって一回四分か九分。ぼくは15:15〜からの九分ぶんを買いました。

 

本来だったらこの第四回は1月23日に予定されていたものでした。当選通知のメールも届いていたんですけど、わさみんがいきなり1/15に新型コロナウィルスに感染したことが発覚し完全自宅休養に入りましたので、延期されていたものなんですよね。

 

ところでZoomって、アプリの仕様なのかぼくの回線の調子か、しゃべった音声が届くのに0.7〜1秒くらいタイム・ラグがありませんか。ぼくのばあいはあるんです。それで、だからわさみんがしゃべる画像が見えてもちょっぴり遅れて聞こえたり、ぼくの声も遅れてわさみんに届いて、それに反応した返事が、だから合計2秒くらい遅れるので、ちょっともどかしいですよね。

 

前回11月のわさみんZoomトーク・イベントのときは午前中11時からの回だったので、わさみんは超低空飛行。その後知った話によれば、AKB48握手会時代からわさみんは午前中が苦手だそう。ロー・モードに入ったきりで、午後しばらく経ってからエンジンがかかってくるタイプなんですと。だから今回は15時台の回を買いました。

 

したがって午後の今回はわさみんもにこやかな笑顔で明るくて好調でした(午前中のトークだった11月のときはえらい不機嫌というか無愛想に見えた)。ぼくもうれしかった。2ショットを撮り、みんなに言われていると思うけどと断ってコロナ休養のことをねぎらい、あとはフリー・トーク。今回の秘密兵器はクレイジー・ソルト。それを手許に用意しておきました。それでお料理トークに花を咲かせようという魂胆です。

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クレイジー・ソルトは2/18のわさみんブログで、最近使っていますと紹介があったもので、ぼくはといえばもう四、五年も前からずっと愛用している調味料なので、これはいい話題だ、チャンスだ、ぼくは料理好きだしわさみんも料理が得意ということで、格好のテーマだなと思えました。

 

案の定、料理トークに花が咲きました。どんなものつくってんの?と聞かれたから(わさみんがつくる料理はよくブログに上がる)、「イタリア料理が多いよ、パスタ、リゾット、アクアパッツァとか、そのほか」って答えると、「わたし、アクアパッツァはつくったことない」って言うので、カンタンに説明。タイ、スズキ、イサキなどの白身魚を使いますよね(イサキはわさみん知らなかったかも)。

 

クレイジー・ソルトは洋風料理味付けの必需品なので、イタリア料理でもなんでもよく合うし、お魚もちろんお肉にもお野菜にもスープにもいいし、なんでもいけるので、茹で卵だけでなくどんどんなんにでも使ってみて!と言っておきました。ほ〜んとクレイジー・ソルトを使うだけで美味しさ150%アップですからね〜。

 

そのほか、メガネ・ケースもわさみん仕様のものを長良本舗で買って使っているのでそれを見せると、「わたしはこれ!」と言ってわさみんも自分で使っている牛さんのケースを見せてくれました。ぼくは老眼鏡だけど、わさみんは目が悪いわけじゃなく伊達メガネだそうです。

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(岩佐美咲公式Twitterより)

 

そんなこんなであっというまに九分が過ぎてしまいましたが、きょうわさみんの顔を見て一対一でおしゃべりできるというだけで、もう午前中から気分ウキウキ・ワクワク。おしゃべりが終わって翌日になってもずっと楽しい気分が持続しています。一日24時間のうちたったの九分だけなのに、前後ず〜っと気分いいんですからねえ。

 

やっぱり大満足です。

 

(written 2021.2.21)

2021/02/21

ジャズ・ボッサとジャズ・ロックの60年代 〜 ボビー・ハッチャースン

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(5 min read)

 

Bobby Hutcherson / Oblique

https://open.spotify.com/album/7pTAH0ua0JF7uYvT613Pc4?si=9WzVnsfTQLyPaYnpJ1s45A

 

ボビー・ハッチャースンの『オブリーク』は1967年7月21日のワン・セッションで収録を終えていたにもかかわらず、ブルー・ノートから発売されたのは80年になってから。こういうの、多いですね、この会社。上に出したのはそのときのオリジナル・ジャケットじゃないですが、いまやこっちで流通しているでしょう。

 

このアルバムもボスのヴァイブラフォン以下、ハービー・ハンコックのピアノ、アルバート・スティンソンのベース、ジョー・チェインバーズのドラムスという編成。音楽的にはポスト・バップ(新主流派)と言っていいんでしょう。

 

注目したいのはジャズ・ボッサ・ナンバーが数曲あること。1「ティル・ゼン」と4「サトル・ネプチューン」は鮮明で、2「マイ・ジョイ」(いずれもボビー作)もちょっぴりそうかも。1967年の録音ですから、ボサ・ノーヴァのリズムを応用したジャズはアメリカ合衆国でも一般的だったはず。

 

ヴァイブラフォンの乾いて硬質でクールな音色もこれらジャズ・ボッサ・ナンバーによく似合っていて、なかなかいいムードだなと思うんですが、このアルバムでぼくが最も興味があるのは3曲目「シーム・フロム・”ブロウ・アップ”」との関係です。ハービーが書いたこの3曲目は8ビートのジャズ・ロック・ナンバーなんですよね。

 

一つのアルバムのなかにジャズ・ボッサとジャズ・ロックが混在していて、しかも通して聴いた感じなんの違和感もなくスムースに溶けあって流れてくるんですよね。なかなか興味深いっていうか、1960年代のアメリカのジャズ界ならではだなって思います。ジャズ・ボッサとジャズ・ロックの流行ってほぼだいたい同じころでしたし。

 

ジャズ・ボッサは簡単にいえばジャズ・ミュージシャンがやるインストルメンタルなボサ・ノーヴァのことだと定義していいんじゃないかと思うんですけど、アメリカ合衆国のジャズ界におけるボサ・ノーヴァ・ブームって、いつごろからだったんでしょうね。かの『ゲッツ/ジルベルト』が1964年にリリースされていますから、そのちょっと前から?あっ、ゲッツがチャーリー・バードとやった『ジャズ・サンバ』が62年ですか、じゃあこのあたりからでしょう。

 

おもしろいのはアメリカのジャズ界におけるジャズ・ロック・ムーヴメントもちょうど同じころにはじまったという事実です。ハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」が1962年、リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」が63年で、その直後あたりからジャズ・ロック・チューンがどんどん出はじめるようになりました。

 

つまり1960年代アメリカン・ジャズにおけるジャズ・ボッサ・クレイズとジャズ・ロック・クレイズは完璧に同時期だったわけですよね。音楽的にだって関係ないわけじゃないっていうか、メインストリームな4/4拍子の保守的なジャズ・ビートに飽きたミュージシャンやファンが、時代の先端音楽とのちょっとしたフュージョンを求めるようになっていたんだろうと思うんですね。

 

ボビー・ハッチャースンの『オブリーク』は1967年の録音ですから、そんなムーヴメントもすでに完全に定着していたころで、60年代のボサ・ノーヴァやロックとの接合をきっかけにジャズも新時代の音楽に生まれ変わろうとしはじめていた、そんな時代のさきっちょにあったアルバムじゃないでしょうか。いかにもシックスティーズを感じさせる作品ですね。アルバム・タイトルになった5曲目(ジョー・チェインバーズ作)はストレート・ジャズで、これはこれで立派な演奏です。

 

このアルバムの録音の翌年、翌々年ごろから、ジャズ界は電気楽器の大胆な活用に踏み出して、新たな表現領域を獲得していくことになったのです。

 

(written 2020.12.15)

2021/02/20

1970年代ポップスの香り 〜 ルーマー

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(3 min read)

 

Rumer / Boys Don't Cry

https://open.spotify.com/album/6EmEDT7e9GjozWV2hlg1UC?si=SqlJAA_gRuiWj74AZdDyIA

 

2020年に知って、もうすっかりトリコの歌手ルーマー(イギリス/アメリカ)。近作二つのことは去年書きましたが、その前のものもホントどれもこれも好きで、いい歌手ですよねえ。おだやかで美しい声。まるで往時のカレン・カーペンターを思い出します。

 

そのルーマーの二作目にあたる2012年作『ボーイズ・ドント・クライ』もほんとうに好きなんですが、これは1970年代の、しかも男性ソングライターの書いた曲ばかりをとりあげたアルバムです。これはまだイギリス在住時代に製作されたものですね。

 

1曲目のジミー・ウェブ・ナンバーからしてすでにそうとういいですが、その後もアクースティック楽器を中心とするナチュラルでオーガニックな音像に乗って、ルーマーがしっとりとつづります。その歌には、これらの曲がルーマーの自作なんじゃないかと錯覚させる説得力があるんですよね。

 

つまり「1970年代女性シンガー・ソングライター」というジャンルみたいなものがもしあるとするならば、あたかもルーマーもその一人であるかのような、そんな幻覚を抱かせるにじゅうぶんな声と歌いかただなあって思うんです。そう、ぼくがルーマーに強く惹かれるのはそれも一因かもって気がします。かつての(イギリス人だけど)アメリカン・ミュージックのあの独特の香りを放つのがうまいなあって。

 

アルバムでぼくが特に好きなのは、やっぱりちょっぴりブラック・ミュージックっぽい感じの曲。だから5曲目「ソウルズヴィル」(アイザック・ヘイズ)とか7「サラ・スマイル」(ホール&オーツ)とかですね。ことに「サラ・スマイル」はいいですね。ちょっと哀愁を帯びたこの曲の持ち味をルーマーはフルに表現できています。なおかつ、ちょっぴりソウルフル。いやあ、たまりません。

 

去年記事にした2016年のバート・バカラック集(宝石だった)にしろ、最新作2020年の『ナッシュヴィル・ティアーズ』にしろ、ルーマーはああいった1970年代のポップ・ソングを、時代の空気感を完璧に再現しながら、なおかつ21世紀的なニュー・オーガニック・ポップの色彩感も表現しつつ、なめらかでおだやかにそっとやさしく歌いこなす才に長けた、たぐいまれな歌手だなとの感を強くしますね。

 

(written 2020.12.14)

2021/02/19

美咲はときどき神になる 〜「糸」

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(5 min read)

 

2021年2月15日にBS日テレ『歌謡プレミアム』で放送された、岩佐美咲の「糸」があまりにもすばらしすぎました。最後のほうをちょっとカットした、番組用の短縮ヴァージョンでしたけどね。

 

(美咲サイドからのお知らせが皆無だったので)ぼくはこの放送を見逃したんですけど、YouTubeにアップされていると教えてくださったファンのかたのおかげで、聴くことができました。公式のものじゃないからその動画リンクを貼らないほうがいいと思うので、ご興味おありのかたはさがしてみてください。カンタンに見つかります。

 

美咲はいままでわりと頻繁に「糸」(中島みゆき)を歌ってきていて、いわば得意レパートリーの一つにしているわけですが、CD化されているのは二つ。2017年5月のライヴ収録によるギター弾き語りヴァージョンと、2020年秋発売のスタジオ収録オーケストラ伴奏ヴァージョン。

 

どっちがいいだなんて、議論の余地がありませんね。そりゃあもう断然2017年の弾き語りヴァージョンが神なわけですよ。CD化されたのでだれでも聴けますが、現場でそのライヴ・コンサートを体験したファンのみなさんのあいだでは、伝説の「糸」とまで言われていたものです。

 

ですから、2020年10月発売の「右手と左手のブルース」特別盤にカップリングであらたに録音しなおして収録するとなったときには、ちょっと心配したもんです。あの伝説の2017年ヴァージョンがあるのに、わざわざ録音しなおすだなんて、暴挙じゃないのか、超えるのは不可能じゃないかと。

 

はたして心配したとおりのできあがりになってしまっていたことは、ファンのみなさんならご存知のとおり。ところが2月15日放送の「歌謡プレミアム」ヴァージョンでは、伴奏がカラオケなんで2020年スタジオ・ヴァージョンと同じながら、美咲の歌が超絶的にすばらしかったですよねえ。伴奏のオケ音量が控えめなのも功を奏したでしょう。

 

いつごろ収録したものか1ミリも情報がありませんが、美咲は1/15〜2/7まで新型コロナウィルス感染で完全に休養していたので、たぶんその前でしょうねえ。2/15放送の「糸」では、美咲本来の持ち味である、リキまずストレート&ナイーヴに、素直にすっと歌うというスタイルがフル発揮されていて、これこれ、これだよ!これが美咲の「糸」だよ!と、快哉を叫ぶ最高のできばえでした。

 

2017年ヴァージョンを超えたとまでは言えないように個人的には思いますが(それほどあれは神かがっていた)、それでもスタジオ収録のカラオケ伴奏で歌った2020年以後では、2021年2月15日放送ヴァージョンが間違いなくベストな「糸」に仕上がったと断言できます。

 

思うに、やっぱりスタジオよりも一回性のライヴ収録のほうが、神が降りることがあるのかもしれないですね。「スタジオではなにも起きない、絶対にな」(by マイルズ・デイヴィス)とのことばもありますが、美咲もスタジオ収録だといろいろと考えすぎてしまうっていうか、結果どうしても歌に力が入ってしまうのかもしれません。

 

美咲はなにも考えないナチュラルな自然体歌唱法でこそ歌の持ち味を最大限に発揮できるっていうそういう魅力の歌手なんで、だから無観客の番組収録であれ一回性のライヴのほうがいい歌が生まれやすいんでしょう。歌そのもの、アレンジ、歌手のコンディションなど条件がそろえば、それでたまに神になることがあるっていう。

 

2021年2月15日放送の「糸」は、まさしくそんな神回だったんじゃないかと納得できる歌唱でした。

 

美咲の今後の歌手活動においては、スタジオ収録にあっても、いかにライヴ現場に臨むのと同じ心境でいけるか?っていうのが課題になってくるかもしれませんね。まだまだ成長の余地を大きく残している歌手ですから、それができるようになったら、と思うと、末恐ろしいです。

 

(written 2021.2.18)

2021/02/18

マルシオ・アラッキの新作がなかなか悪くない

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(3 min read)

 

Márcio Hallack / Desse Modo

https://open.spotify.com/album/1GQ8t2nwIZmRS27kdlljl3?si=VhYc2NDhQIeRM_djFfdbkQ

 

ブラジルのジャズ・ピアニスト、マルシオ・アラッキ(Márcio Hallack)の新作『Desse Modo』(2020)の印象がいいので、自分としてもちょっと意外に感じているところなんですけども、だいたいこれジャケットがいいので、それでちょっと聴いてみようかなと思ったんですよね。

 

マルシオのこの新作は一曲ごとに参加ミュージシャンを代えてどんどんいろんなタイプの曲を並べていますから、アルバム全体ではやや印象がぼやけてしまうかもしれないんですが、一曲づつ抜き出して聴けばレベルの高い完成された演奏ばかりです。曲は基本マルシオのオリジナルですが、1曲目はロー&マルシオ・ボルジェス、7曲目はミルトン・ナシメント&マルシオ・ボルジェスの書いたものですね。

 

ピアノ・トリオものもいいんですが、2曲目以後ホーン奏者がくわわってからのほうがもっと好きですね。ブラジリアン・ジャズと言えるだけのブラジル色はなく or 薄く、アメリカ合衆国のジャズとさほど違わない内容かなと思います。ちょっぴりハード・バップを、特に作曲面ではセロニアス・モンクを、連想させるメロディだったりするのもいいですね。

 

変拍子を使ってある、ややちょっとショーロふうな3曲目でオッ!と思っていると、4、5曲目はビッグ・ホーン・アンサンブルがフィーチャーされていて、これ、けっこう好みです。いまふうのラージ・アンサンブルと言えるかどうかはわかりませんが、それっぽい感じです。どっちもアンサンブルはマルシオが譜面書いているんでしょうね。ソロはマルシオのピアノだけ。5曲目のリズムはややボッサ・テイスト。

 

これら二曲が個人的にはこのアルバムのクライマックスですが、これもちょっぴりショーロ・バラードふうな6曲目を経て終盤に来ると、8「Samba do Brecker」、10「Brecker No Rio」と、いずれもテナー・サックスが大きくフィーチャーされているこれら二曲は、曲題からするにひょっとしてマイケル・ブレッカーへのトリビュートみたいなことなんでしょうか。ブレッカーはもう亡くなっているので、だれがこのテナーを吹いているのかはわかりませんが、マルシオもベテランなのでブレッカーとの共演歴くらいはあったんでしょう。

 

それらブレッカー・トリビュート(?)の二曲はどっちもストレート・ジャズですが、それでもちょっぴりボッサっぽいリズムを使ってあったりしますから、それなりにブラジリアン・カラーはあります。これらは二曲ともワン・ホーン・カルテットでの演奏で、マルシオのピアノ・プレイも冴えていますし、10曲目ではテナーも熱くブロウします。

 

(written 2020.12.10)

2021/02/17

「フェラ・クティって知ってる?」

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(3 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DXajE2Hhh3n7i?si=A-tJcV3VSsKeH82EOvthRg

 

新興の音声SNSであるClubhouseをときどきやっていますが、きょう、とあるルームのおしゃべりをなんの気なしに聞いていてビックリすることがありました。参加人物の一人から飛び出した「フェラ・クティって知ってる?」とのことば。ご存知なかったみたいなんですよね。

 

これが音楽とかにさほど興味のない一般のみなさんの口から出たことばであれば、なんとも思いません。しかし発言主はクイーンやUKロックの熱心な、熱心すぎるほどのファンで、ロック・ミュージックなどにかなり造詣が深いとふだんから見受けられる人物なんですよね。

 

そのときは「ロックの殿堂2021」の投票が進行中という話題だったんですけど、現在その殿堂入り候補者のなかでトップにいるのがフェラ・クティらしく、それで発言主もフェラの名を知ったらしいんですよね。「わたし、知らなかったわよ、みんな、フェラ・クティって知ってるの?」

 

フェラ・クティの名ってそんなに知られていないのかなあ。スーパー・スターとまでは言えないものの、(音楽好きにとっては)そこそこの有名人だと思っている、すくなくともボブ・マーリー並の知名度はあるはずだっていう、ぼくのふだんからの認識は間違っていたということですよねえ。

 

アフロビートっていうことばだって、音楽ファンならみんな知っていると思っていたぼくは大きな勘違いをしていたということになります。ジャズ、ロック、レゲエ、ヒップ・ホップほどの知名度はまだないということなんでしょうね。

 

でも、もしフェラがロックの殿堂2021で選ばれて殿堂入りすれば、一般的な知名度は一気にアップすることになるんでしょう。それはもちろん歓迎ですよね。フェラがノミネートされたのは、たぶんブラック・ライヴズ・マター的な流れもあってのことなんでしょう。

 

くだんの発言主も、ただたんにフェラ・クティって知らないけど、だれ?と思っただけでなく、ちゃんと調べてみたそうで、しかもYouTubeとかでけっこう聴いてみたと言っていました。それで「カッコイイのよ〜、みんなも聴いてみて」と、そのルームにいた参加者たちに推薦していました。

 

アフロビートということばにもたどりついていたし、息子たちが受け継いでやっているみたい、ということも調査済みだった様子。フェラが「ロックの殿堂」っていうのにはちょっと違和感もありますが、そこはそれ、フェラがより広く知られるようになり、アフロビート人気がいっそう高まれば、いいんじゃないですかね。フェラや息子たちだけじゃなく、アフロビート・バンドはたくさんありますし、魅力的な音楽ですからね。

 

(written 2021.2.15)

2021/02/16

ムード重視雰囲気一発 〜 メロディ・ガルドー

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(4 min read)

 

Melody Gardot / Sunset In The Blue

https://open.spotify.com/album/62BGIK3e3p3erTEJkaHjfq?si=DZmFG-8vRMiEnj_ltLgl_w

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2020/10/27/sunset-in-the-blue-melody-gardot/

 

メロディー・ガルドー五年ぶりのスタジオ・アルバム『サンセット・イン・ザ・ブルー』(2020)は、ラリー・クラインのプロデュースのもと、リズム・セクションにくわえるにヴィンス・メンドーサのアレンジしたオーケストラ演奏といった内容。

 

とりあげている曲はジャズ歌手がよくやるスタンダードと今回のためのオリジナルがまざっていて、ジャジーなスタンダード・ナンバーのほうがぼくみたいな嗜好の持ち主にはグッとくるところなんですけれども、オリジナル・ナンバーでみせる軽いクロスオーヴァー風味もなかなかのものです。

 

今回のこの新作では、音楽的に軽いジャズ・ボッサ・テイストを効かせているというのがちょっとしたテーマになっていて、そこはかとなくただよう感じではありますが、全編を貫く一種のテーマみたいになっています。そんなところも好みです。

 

1曲目はなんでもないバラードですけど、2曲目「セ・マニフィーク」からボッサ風味が効きはじめます。いいですねえこれ。しかも管弦のオーケストラ伴奏がこれまた絶妙。繊細で瀟洒。(アルバム全編で)管楽器の高音域アンサンブル・アレンジにはちょっとギル・エヴァンズのペンを想わせるところもあります。

 

この「セ・マニフィーク」には男性歌手がゲスト参加してデュオで歌っているんですが、それがなんとファドのアントニオ・ザンブージョなんですね。どういう縁でしょうか。アントニオといえば、以前書いた新世代ファド歌手サラ・コレイアのアルバムにゲスト参加していたのも印象に残っています。このガルドーの「セ・マニフィーク」ではアントニオも軽いフィーリングでふわっと歌っていますよね。

 

3曲目「ゼアズ・ウェア・ヒー・リヴズ・イン・ミー」も軽いボッサ・リズムがいい感じ。アルバムではこの後もこんな感じの曲が多く並んでいます。ガルドーは基本ジャズ・ルーツの歌手でしょうし、ジャズ&ボッサが好みだっていうような、日本にも確実にかなりな数存在するそんなライト・テイストな音楽リスナー向けにはもってこいのアルバムじゃないでしょうかね。

 

そんななか、ちょっとしたアクセントになっているのが7曲目「ウン・ベイジョ」と8「ニンゲン、ニンゲン」。特に8曲目のほうですね、このちょっとサンバっぽい快活な強めのビート感で走るこの感じ、ふわっとしたこのアルバムのなかではやや異質ですけど、ぼくの嗜好からすればストライクどまんなかです。やっぱりジャジーではあるんですけどね。音量は小さめだけどパーカッション群も活躍しています。

 

終盤は「ムーン・リヴァー」「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」という二大スタンダードで締めくくり。やっぱりアクがないっていうか、悪く言えば手ごたえのまったくない歌と演奏ですけど、こういう音楽は雰囲気一発、なんとなくのムードにひたるっていうのが楽しみかたですよ。

 

(written 2020.12.9)

2021/02/15

香港フィーリン 〜 崔萍「重逢」

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崔萍 / 群星會25崔萍

https://open.spotify.com/album/3ff95xRwifnKuS7kpR1qrS?si=IKnPqvxCS7mxhvxWfUo1Wg

 

ハルビン生まれの香港歌手、崔萍(ツイ・ピン)。こないだエル・スールのホーム・ページをぶらぶらしていてたいへん気になる一節を見つけました。それは崔萍の「重逢」は極東フィーリンの最重要曲の一つであるとの指摘です。

 

フィーリンにはひとかたならぬ思いがありますからね、ぼくは。そんな、最重要曲の一つだなんて言われたら聴かないわけにはいかないですよ。あわててSpotify検索したら、崔萍の「重逢」、ありました。コンピレイションでしょうけど『群星會25崔萍』というアルバムにちゃんと収録されていたんです。

 

それで聴きました、崔萍の「重逢」と、アルバム『群星會25崔萍』を。これ、Spotifyでは1945と表示されていますが、こりゃなんの年でしょうかね、崔萍は1960年にシングル・デビューしているわけで、だから45年がなんの意味なのかちょっとわからないです。

 

ともかく崔萍は1960年にレコード・デビューしたのち、64年にアルバム・デビュー、その後七年間で10枚のアルバムをリリースするも、72年に引退してしまったそうです。Spotifyでも聴ける『群星會25崔萍』がいつごろの録音を収録したものか不明ですが、60年代ではありそうです。

 

で、問題の「重逢」。たしかにフィーリンっぽいですよね。リズムがボレーロ・スタイルの8ビートで、しかもストレートに感情を込めすぎず一歩引いてクールにやるアレンジとヴォーカル・スタイルはまさにフィーリン。キューバ(やメキシコ)におけるフィーリンは、たぶん1950年代が流行期だったでしょうから、崔萍が「重逢」を録音した、何年かわからないけど60年代には香港にも渡ってきていたでしょう。

 

こういった、過剰な感情表現をせず抑制を効かせ淡々とやる、ナイーヴで素直な表現スタイル、ひとことにすればクールなやりかたが最近大好きなぼくですから、それは北米合衆国のジャズでも日本の演歌でもそうで、香港でも崔萍が「重逢」を歌っていたことがわかって、ほんとうにうれしい気分です。

 

ふりかえってアルバム『群星會25崔萍』全体をみわたせば、そんなクールに抑制の効いたフィーリンっぽい味はそこかしこに感じられます。やっぱり中国歌謡だなと思える要素がいちばん濃厚ですけど、そんなときでも崔萍はエモーショナルにならず一歩引いて落ち着いたヴォーカルを心がけているのがわかります。8ビートのボレーロ・スタイルのリズムを持ったフィーリンっぽい曲だって複数見つけることができましたよ。

 

そのほか、まだロック・ミュージックに侵襲されていなかったのか、全体でみて中国系旋律のなかにジャジーだったりラテン・ジャズ的ポップ・フィーリングでのサウンド・アレンジを施しているものが多く、なかにはまったく中国系じゃないストレートなスウィング系ジャズ・ソングもあったりします。

 

さらに、三連のダダダ・リズムが効いた6/8拍子のものも二曲あって、まるで米ルイジアナ・スワンプ・ポップに聴こえたりするのも楽しいところですね。アマリア・ロドリゲスやヒバ・タワジみたいに濃厚なエモーションを表出してグリグリやるスタイルの歌手だっていまだ好きですけど、いっぽうでこういった崔萍みたいな、あるいはカエターノ・ヴェローゾとか近年の坂本冬美とか、ほんとうにいいなあ〜ってしみじみ感じ入ります。

 

(written 2020.11.25)

2021/02/14

スマート・スピーカーだけ、それ一台で音楽を聴いています

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https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-87f9.html

 

ここ数年で人気になったスマート・スピーカー。オーディオ・メーカー各社だけでなく、AppleやGoogleやアマゾンといったIT企業もなかなか魅力的なものを発売していますよね、っていうかそっちがそもそも本来なのでしょう。

 

従来型のハイ・ファイ・オーディオ・スピーカーと、近年人気のスマート・スピーカーとの違いはいくつもあると思いますので、後者の特徴と思うものを何点か列挙しておきます。

 

・マイク内蔵、ネットにつながって対話型の音声操作ができるAIアシスタント搭載


・だからスマホすら介さず、スマート・スピーカーのみでストリーミング音楽を再生したり、各種操作ができる


・パソコンかタブレットかスマホ、特にスマホをディヴァイスとして操作することができる


・ケーブル接続はなし、WiFiかBluetoothでつなぐ


・必ずしも音楽再生だけを目的とするわけではない


・音楽だけでなく、ニュースを聞いたり


・調べものをしたり、メモをとったり


・家電操作もできる


・音楽再生でも、基本、一台で完結するので、二台でステレオ再生みたいな概念がそもそもない


・音楽再生ではApple MusicやSpotifyなどストリーミング・サービスの利用を大前提に設計されている

 

ぼくはスピーカーで音楽しか聴かないのでストリーミング音楽を流すという目的だけで使っているんですが、2020年7月20日に引っ越して以来の実家の住環境ではそれまで使っていたオーディオ装置を設置することが不可能であるため、現在、MacかiPhone+スマート・スピーカー一台のみという組み合わせでずっと音楽を聴いているんです。

 

だから音質重視でBoseのスマート・スピーカー(上掲写真)、Sound Link Revolve+。写真だと大きさが分かりにくいかもしれませんが、22.2×15.1×15cm。910g。スマート・スピーカーとしてはやや大ぶりなほうかもしれません。これ一個だけでもうずっと音楽を聴いているんですよ。

 

一台だけ、ということは二台でステレオ再生なんてことは考えられていないわけで(二台買って設定すればそれも可)、そこはぼくもちょっと不満ですけど、住環境上、いまはどうしようもないんです。それにですね、スマート・スピーカーって、従来型のオーディオ・スピーカーとは音場感のひろがりかた、聴こえかたがずいぶん違います。

 

無指向性というか全方向性というか、一台でまるでステレオ感のある音楽再生ができているように聴こえますし、これ、バラして中身がどうなっているのか調べてみたい欲求にかられます。スピーカーは一台だけなのに、どうしてこんなにブワッと音場がひろがるのか、ちょっと不思議です。くっきり左右に音が分離していた古い時代のステレオ録音だと、だから聴こえが違うんですけど、そもそもあんなものはねえ、現代録音では消えたでしょう。

 

ステレオ再生じゃない云々は、音楽現場、コンサート会場などでどう音楽を聴いているかということを踏まえれば、べつになんの不満でもありません。コンサート・ホールで左右に音が飛んだりひろがったりしないでしょう、ホール全体で「一個の」音場が存在するだけで、その音をぼくらは客席で聴いているわけです。スマート・スピーカーでの音楽再生とはつまりそういうことです。

 

ぼくの使っているBoseのSound Link Revolve+だと、音質的にも問題なし。たったこれだけのサイズなのに、かなりしっかりしたアンプ+大きなオーディオ・スピーカーで鳴らしているのに遜色ないハイ・クオリティなサウンドなんですよね。このへんは、近年テクノロジーが進化しているということなんでしょう。重低音にしたって満足できすぎるほど、ベース・ドラムやベースの音がおなかやおしりにズシンと来るように響きます。
https://www.amazon.co.jp//dp/B06Y3YLKP9/

 

価格的には四万円近いものでしたから、スマート・スピーカーとしてはかなり高価な部類だったと思います。おかげでなのか関係ないのか、音楽キチガイのぼくにとっては不足ない音質で鳴らしてくれます。今後もう一回引っ越して住環境が改善する予定があるので、そうしたらそれまで使っていたオーディオ装置をちゃんと設置しようと思っているんですが、そうなってもこのスマート・スピーカー一台での音楽生活を続けるかもしれないですね。

 

時代は変わってきています。科学技術はどんどん進歩しているから、オーディオというか音楽再生にかんする機器の考えかたも変化してきているように思うんですよね。ぼくの使っていたJBLのサイズの大きなスピーカーやアンプと比較すれば、見た目だけだとかなり「チャチ」に思える各種のスマート・スピーカー。でも見た目やサイズだけで決して判断できないテクノロジーの進歩がここには詰まっています。

 

あのバカでかいサイズのスピーカー(というかウーファーか)の世界というか時代はなんだったんだ?という思いにかられますね。

 

(written 2020.12.21)

2021/02/13

チック・コリアが死んじゃった

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(6 min read)

 

ジャズ・ピアニストのチック・コリアが2021年2月9日亡くなりました。79歳。ガンだったそうです。日本時間の12日早朝、チックの公式Facebookで発表されました。
https://www.facebook.com/chickcorea/posts/10158422599898924

 

ぼくが第一報に接したのは12日の朝七時ごろ起きてiPhoneの通知を見たときに出ていた一通のメールによってです。「Chick Corea RIP」と件名だけあって、驚いて、本文を開けてもソースが書いていなかったから、このときは半信半疑だったんですね。

 

その後Twitterを開いてタイムラインを読んでいくうち、大勢のミュージシャンたちがチックの死を悼むツイートをしていたし、公式Facebook投稿のリンクを貼るひともいたし、信頼できるジャーナリズムやレコード・レーベルの公式アカウントなんかもどんどん言っていましたから、信じられなかったけど本当のことなんだと知りました。

 

きょうはすべてのことがふっとんでしまいましたねえ。

 

ぼくのような世代のジャズ・ファンにとってチックが死ぬということは、たぶんちょうど一世代上のみなさんにとってビートルズのメンバーが死ぬというのと同じくらいの強いショックなわけなんですよ。

 

大勢のジャズ・ファンにとってのチックは、たぶんリターン・トゥ・フォーエヴァー(1972〜)やそれ以後の活動で認知されているんじゃないかと思います。裏RTFみたいだったスタン・ゲッツの『キャプテン・マーヴェル』(1974)も実質チックのリーダー・アルバムで、傑作として忘れがたく刻まれています。「ラ・フィエスタ」はこっちのほうがすごいでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=cFuPGlCVhL0

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また、ECMにゲイリー・バートンとのデュオで残した一連のアルバムもたいへん強く印象に残るもので、なかでも特に1979年のライヴ・アルバムである『イン・コンサート、チューリッヒ、オクトーバー、28、1979』は名曲名演揃いの超傑作でしたよねえ。いまだによく聴きます。チックの生涯ベスト・ライヴでしょう。
https://open.spotify.com/album/0582GB8L2dLxZfXTTlLLIq?si=V_VO0T-TSBybwoLjCTvsRQ

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1991年に来日してのマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルで、ゴンサロ・ルバルカバとのピアノ・デュオでやった「スペイン」も大名演で、忘れがたいものでした。ぼくはこれ、現場で聴いたんですよねえ。
https://www.youtube.com/watch?v=WYQgUP7qqc8

 

個人的な愛聴作は1968年の『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』で、なかでも1曲目の「ステップス ー ワット・ワズ」と2曲目の、なんとこれがブルーズの「マトリックス」なんかは、もうなんかい聴いたかわかりません。オリジナルはブルー・ノートじゃなくソリッド・ステートというレーベルからのアルバムでした。
https://open.spotify.com/album/7wKVcBB5SgqVX3Cj3LPllE?si=CzSVqy0TSD20otBGxiDYtQ

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しかしマイルズ・デイヴィス狂であるぼくにとってのチックとは、1968〜70年にマイルズ・バンドのレギュラー・メンバーとして、過激にガンガンとフェンダー・ローズを叩きまくる人物とのイメージが強いんですね。リターン・トゥ・フォーエヴァーやそれ以後の、整って美しく情緒的な鍵盤タッチを知っていると、まるで別人としか思えないとんがってひずんだ、先鋭的で抽象的な演奏を、チックはマイルズ・バンドで聴かせてくれていました。

 

チックがマイルズ・バンドで残したスタジオ・アルバムは三つしかありません。『キリマンジャロの娘』(1968)の一部、『イン・ア・サイレント・ウェイ』(69)、『ビッチズ・ブルー』(70)。『オン・ザ・コーナー』(72)でもクレジットされていますが、いるのかいないのかわからない程度かも。

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しかしマイルズ・バンドでのチックの本領発揮は、ライヴでの姿にありました。特に通称ロスト・クインテットと言われる1969年バンド(マイルズ、ウェイン・ショーター、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネット)のライヴでの過激でフリー・ジャズな表現はすさまじいものがあって、それを牽引していたのがチックのフェンダー・ローズだったんですね。

 

ロスト・クインテットの1969年ライヴはほとんど公式リリースされていなくて、ぼくもだいぶブートレグのお世話になりましたけど、コロンビア/レガシーはほんとなにしてるの?という気持ちがいまだ強いです。Spotifyでさがしてもマトモなのはこれくらいしかないので、それを紹介します。
https://open.spotify.com/album/4cGwXL4TKQ64RDlNTDeVCy?si=hXMVydWsT2i4f7_FWDpNfw

 

チックがマイルズ・バンドで活躍した1968〜70年というと、マイルズの音楽が最もラディカルに、最も大きく、変貌した時期。激動の新時代のニュー・ミュージックに取り組み成果をあげるボスにとって、チックはいちばん信頼できるパートナーであったわけで、『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』といった時代を代表する名作でも、大所帯メンバーの軸になってキューを出していたのはチックだったんです。

 

いつまで経ってもマイルズ・バンド時代のイメージを持ち続けているぼくは、チックのいい聴き手じゃなかったかもしれません。でもあのころの、特に1969年の、ああいった一連のフェンダー・ローズ演奏は、時代を超えたひじょうに強い磁力をいまでも発揮し続けているに違いありません。マイルズがメンターでしたけど、チックがマイルズ・ミュージックにもたらしたものもまた大きかったのです。チックがいなかったら、世紀の名作『ビッチズ・ブルー』も誕生しなかったのですから。

 

(written 2021.2.12)

2021/02/12

アラビアン・レア・グルーヴ 〜 ハビービ・ファンクの007番が楽しい

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(4 min read)

 

v.a. / Habibi Funk: An Eclectic Selection of Music from the Arab World(Habibi Funk 007)

https://open.spotify.com/album/1B3W5u06uIB7Elyk70pt9R?si=NyIfYGuFSiaWnO5KlgDmTg

 

ハビービ・ファンク(Habibi Funk)とはヤニス・シュトゥルツというひとが主宰するドイツはベルリンのリイシュー専門レーベル。bunboniさんのafter youきっかけで知りましたが、いままでに14作、ぜんぶ「Habibi Funk」というタイトルに数字番号を打ってリリースされていて、サブスクでかなり聴けます。Bandcampにページあり。

 

ハビービ・ファンクが復刻するのは中近東〜北アフリカといったアラブ世界の音楽、それもアラブ古典とかそれベースのミクスチャ音楽とかじゃなくて、欧米のジャズ、ロック、ソウル、ファンクなどに影響を受けたポップス〜レア・グルーヴばかりなんですね。1970年代ものが中心みたい。

 

それでSpotifyでざっとひととおり聴いてみて、いちばんぼくの印象に残ったのが007番の『An Eclectic Selection of Music from the Arab World』(2017)というわけですよ。フィジカル買えばそこそこデータがついてくるのかもしれませんが、ぼくはSpotifyで聴いて、それでオッ!と思っただけなんですね。でもホント魅惑的。

 

1曲目、いきなりのブルーズ楽曲ですが、ロックっぽいですかね。アメリカなんかにはたくさんあるポップ化したブルーズですが、ここではアラビア語で歌われているというだけでなんともいえないフィーリングを感じます。ちょっとヘタウマなバンドの演奏ぶりもなかなか楽しくおもしろく聴こえたりして。

 

こういうの、いままでアラブ圏音楽のコンピレイションで聴けなかったものでしょう。2曲目もポップで楽しいし(ヴォーカルの味がいい)、3曲目はなんとビートが効いてポップな「エリーゼのために」(ベートーヴェン)。アラブふうかどうかわかりませんが、実際にアラブ世界でも欧米音楽の侵襲があって以後は、こういう折衷音楽がたくさんつくられたんだろうなと思います。

 

もうこんな3曲目までですっかり心をつかまれてしまいますが、4曲目以後もソウルやポップス、ロックに影響を受けたもの、レバノンのAOR、フレンチ・カリビアンのダンス音楽ズーク、さらにはアフリカの島国カーボ・ヴェルデの海洋系音楽コラデイラ、エレピがきらめくメロウなジャズ・ファンク、ブレイクの入ったアラビアン・レア・グルーヴ、ストレートなボサ・ノーヴァまで、驚くほどに多種多様。

 

ハビービ・ファンクの “ファンク” っていうのは、たぶんアメリカのジェイムズ・ブラウンやスライ・ストーンみたいなああいったいわゆるファンク・ミュージックのことというよりも、もっとひろく、欧米ポップ音楽(にルーツがあるもの)のことを指しているんじゃないかという気がしますね。

 

中近東や北アフリカにだって、そういった欧米由来のアラブ・ポップ・ミュージックがたくさんあるに違いなく、いままで1970年代のそういったものはぼくたちにほとんど紹介されずにきたのかもしれません。ドイツのハビービ・ファンク・レーベルは、主催者の現地旅行体験をもとに、アラブ世界にも欧米由来のポップスがたくさんあったことを実感し、それを復刻することに情熱を費やしているんですね。

 

しかもそれぞれのトラックはすべて本人またはその家族からライセンスを正式に受けた上でリイシューするというちゃんとした姿勢を示していて、そこにも好感が持てます。まだまだ解明の進んでいないアラビアン・レア・グルーヴ、その入り口にはもってこいの好コンピレイションかもしれません。

 

(written 2020.11.23)

2021/02/11

ヴァイブがソウル・ジャズの熱を冷やす 〜 ビッグ・ジョン・パットン

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(5 min read)

 

Big John Patton / Let ‘Em Roll

https://open.spotify.com/album/6GikhGod1ea9wJLMdX7Fk7?si=taRXmIy4QTmmwUMz4mBI6A

 

きのう書いたルー・ドナルドスンのアルバム『ザ・ナチュラル・ソウル』では、参加しているオルガン奏者ビッグ・ジョン・パットンが主役級の大活躍だったわけですが、ビッグ・ジョン名義のリーダー作品も聴いておきたいぞと思って選んだアルバムが『レット・エム・ロール』(1965年録音66年発売)。

 

メンバー編成は、ビッグ・ジョンのオルガンのほか、ボビー・ハッチャースンのヴァイブラフォン、グラント・グリーンのギター、オーティス・フィンチのドラムス。つまり、標準的なオルガン・トリオにヴァイブが客演しているといった感じです。このボビー・ハッチャースンの参加がアルバムのサウンドの色彩感を決めるのにかなり貢献しているなと思うんですね。

 

ヴァイブのクールで涼やかな音色が、ソウル・ジャズの、ともすれば暑苦しくむさくるしいフィーリングに涼感を与えているし、そのおかげでアルバム『レット・エム・ロール』が聴きやすい好作にしあがっているように感じられます。とはいえもともとこんな感じの音楽ですからね、やっぱりゴリゴリ攻めるファンキーさ、汗くささ満開ではあるんですが、それでもちょっとはね、ヴァイブがね。

 

1曲目「レット・エム・ロール」はビッグ・ジョンのオリジナルであるファンキー・ブルーズ。8ビートのソウル・ジャズ調ですね。こういうのはビッグ・ジョンもギターで参加のグラント・グリーンも得意中の得意なので、これでもかと下世話に攻めているのが、なかなかの快感でしょう。こういったブラック・ジャズがもうほんとうに大好きなんですよ。

 

ビッグ・ジョンのオルガン・スタイルは、やはりファンキー&ソウルフル路線一直線で、たぶんブルー・ノートに1960年代に録音したジャズ・オルガニストのなかで最もむさくるしい味を持っていた人物なんじゃないかと思いますが、そんなところ、この曲「レット・エム・ロール」でも全開です。こういった味、ひとによっては敬遠したいと思うところかもしれませんね。ぼくは大歓迎です。

 

2曲目「ラトーナ」はなぜかのラテン調(ちょっとブラジルのボサ・ノーヴァふうかも?)。これもビッグ・ジョンのオリジナルなんですが、こういったラテン・スタイルはファンキーなソウル・ジャズと相性がいいように思いますから、演奏のできもいいです。ボビー・ハッチャースンのクールなヴァイブも、こういったラテン・タッチな曲でもよく光る、っていうかむかしからラテン・ミュージックとヴァイブは相性いいですよね。

 

「ラトーナ」は、演奏時間もこのアルバム中いちばん長く、ヴァイブ、ギター、オルガンと濃密なソロもたっぷり。ひとりでラテン・リズムを担うドラムスのオーティス・フィンチも大活躍で、聴きごたえありますね。ギターもソロ時間以外はリズム表現に寄与しています。ところでこの曲、クインシー・ジョーンズの「ソウル・ボサ・ノーヴァ」に雰囲気がちょっと似ていると思いませんか?

 

ビッグ・ジョン。3曲目は、これ、2曲目がちょっとボサ・ノーヴァ・タッチだった流れなのか、「いそしぎ」(ザ・シャドウ・オヴ・ユア・スマイル)が来ています。クールな曲だから、これはちょっとビッグ・ジョンにしては意外な選曲かも。でも四人は難なくこなしています。そんなむさくるしさも出ていないし、こういった演奏もできるんですね。やっぱりヴァイブがいいです。

 

4曲目「ザ・ターナラウンド」はハンク・モブリー作のジャズ・ロック・ナンバー、5曲目「ジェイキー」がふたたびビッグ・ジョンのオリジナル・ブルーズということで、これらは得意中の得意でしょう。ラスト6曲目「ワン・ステップ・アヘッド」もビッグ・ジョンのオリジナルですが、どうしてだか三拍子。でもやっぱりソウルフルです。

 

(written 2020.11.16)

2021/02/10

オルガンの目立つルー・ドナルドスン『ザ・ナチュラル・ソウル』

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(4 min read)

 

Lou Donaldson / The Natural Soul

https://open.spotify.com/album/4L5BnNOFyRefwj2BO0uoTY?si=mmP92NRgQWqS6El5DR0eSw

 

きのう書いた『ドロッピン・サイエンス』にも収録されているルー・ドナルドスン。特に1960年代以後ものにはファンキーでグルーヴィなものが多いですからね、納得です。それで、またちょっと一個聴いておこうと思って選んだのが1962年録音63年発売の『ザ・ナチュラル・ソウル』。

 

ジャケットを一瞥しただけで、あぁ、このアルバムはファンキーでソウルフルなジャズなんだろうなと想像できますよね。編成はボスのアルト・サックスのほか、トランペット、ギター、オルガン、ドラムスで、つまりスタンダードな二管にオルガン・トリオが伴奏をつけるといったぐあいです。

 

注目すべきはこれが初レコーディングだったオルガンのビッグ・ジョン・パットン。大好きなファンキー・オルガニストなんですけど、このアルバム『ザ・ナチュラル・ソウル』のソウルフルなサウンドは、ビッグ・ジョンの貢献によるところが大きいです。グラント・グリーンもいつものアーシーなプレイでもりあげていますね。

 

ビッグ・ジョンはこれが初レコーディングだったというにしては実力フル発揮の演奏ぶりで、緊張とかしないひとだったんですかね。ぼくの聴くところ、このアルバムでもっとも目立っているのがオルガンで、ある意味主役。ギターとオルガンを聴くべき作品なんじゃないかという気がするほどです。実際、ルーはさほど吹きまくっていないですよね。サイド・メンバー、特にリズム・セクションにかなり任せている感じで。

 

「ラヴ・ウォークト・イン」「ザッツ・オール」「ピープル・ウィル・セイ・ウィア・イン・ラヴ」(最後のはボーナス・トラック)みたいなスタンダードもありますが、それ以外は基本ボスか参加メンバーのオリジナル。しかもどれもぜんぶブルーズ楽曲であるっていう、これだっていかにも1960年代ファンキー・ジャズらしいところですね。

 

それらブルーズでは、リズムが8ビート・シャッフルになっているものが多く、これもゴスペル・ベースのアーシーなファンキー・ジャズらしいところです。1曲目の「ファンキー・ママ」なんか曲題だけでじゅうぶん魅力的だと思うくらいですけど、演奏の中身もぼくら好みのブルージー&ファンキーさ。これのリズムはマーチ調ですね。

 

「ファンキー・ママ」ではまずオルガン・リフから入ってテーマ・メロディをギターが演奏し、ホーン二管はその伴奏役に徹するという、まるでリズム&ブルーズ楽曲みたいなつくりになっているのも楽しいところです。ソロ・リレーもギターから出ますしね。その後トランペット(トミー・タレンタイン、ルーと組むのはめずらしい)、アルト・サックスと出ますけど、ずっとそのあいだサウンド・カラーリングを担っているのはビッグ・ジョンのオルガンです。ソロだってオルガンがけっこう聴かせますよね。

 

2曲目以後もビッグ・ジョンのオルガン・サウンドがアルバムのテイストを支配していて、これ、ほんとうに初レコーディングだったの?と疑いたくなるほどの主役級の活躍ぶり。スタンダード曲ですらそうで、このアルバムはビッグ・ジョン(とグラント・グリーン)に耳を傾けるべき作品かもしれないですね。その意味でもファンキー・マナーです。

 

(written 2020.11.15)

2021/02/09

ブルー・ノートのヒップ・ホップ・サンプル集 〜『ドロッピン・サイエンス』

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(4 min read)

 

v.a. / Droppin’ Science

https://open.spotify.com/album/5AMazalQCvybGjp306N87X?si=G_NgjexUQwOWIQ1GEJ0cnA

 

この『ドロッピン・サイエンス』(2008)っていうアルバムはいったいなんでしょうか。こないだSpotify徘徊で偶然に発見したんですけど、「Greatest Samples from the Blue Note Lab」と副題がありますので、ヒップ・ホップのサンプリング・ソースに着眼し、現在のクラブ・ジャズ・クラシックスな要素も入れた、ブルー・ノート・ジャズのコンピレイション、サンプラーということなんでしょうかね、たぶん。

 

といってもぼくはヒップ・ホップのことをなにも知りませんから、この『ドロッピン・サイエンス』を聴いても、だれのどれにサンプリングされているのだとかいったことはわからないんですね。ただたんにグルーヴィでダンサブルなファンキー・ジャズ・コンピレイションとして愛聴しています。

 

実際、ブルー・ノート・ジャズ、特に1960〜70年代のファンキーなやつはサンプリング・ネタの宝庫で、レーベル側としてもこんだけサンプリングされていますよ、という格好の元ネタ集としてコンピレイションでもリリースしてみれば、ヒップ・ホップ以後の世代の音楽ファンが往時のブルー・ノートのレコードを買ってくれるきっかけになるかもしれないと考えたんでしょう。

 

書きましたように、ぼくは日常的にはさほどヒップ・ホップを聴きませんから、アルバム『ドロッピン・サイエンス』に収録されている曲のどの部分がサンプルとしてだれのどれに抽出されループされているかみたいなことはわからないんですね。ひょっとして『ドロッピン・サイエンス』のレコードかCDといったフィジカルを買えば、そのへんの情報も書いてあるのかもしれないですけど。

 

でもちょこちょこと調べてみたら、ビースティ・ボーイズ、ア・トライブ・コールド・クエスト、Dr.ドレー、デ・ラ・ソウルといったトップ・ミュージシャンたちがブルー・ノートの楽曲をサンプリングしているらしく、う〜ん、そうなのか、ちょっとそんなヒップ・ホップ・ミュージックを聴いてみたいけど、どれを聴けばいいのかわかんないしなあ、どなたかおくわしいかた、コメント欄で教えてください。

 

ともかく、『ドロッピン・サイエンス』はヒップ・ホップを通過してジャズに興味を持つひとにとっては、聴きやすい入門的コンピレイションに違いありません。ヒップ・ホップはむかしのレコードからクールなビートや印象的なメロディを抽出しそれをループさせて新しいグルーヴをつくりだしますが、そういったサンプリングというヒップ・ホップが生み出した特有の手法によって、かえって過去の音源に注目が集まることもあるわけです。

 

実際『ドロッピン・サイエンス』は、これがヒップ・ホップ用のサンプル集であるという側面を抜きにして、これだけを聴いていてたいへん楽しいものですし、グルーヴィなジャズ楽曲が集められているし、サンプリングされるだけあってそれじたいカッコよく決まっているフレーズが散見され、ほんとうに気持ちいいですよね。

 

1990年代以後のDJたち御用達といった側面だけじゃなく、というかそうだったからこそ、もとの音楽じたいが聴いて楽しく、ダンサブルなグルーヴィさを持っているものばかりということですよね。ヒップ・ホップに無頓着な人間だって、グルーヴィでファンキーなジャズが好きならば、『ドロッピン・サイエンス』を聴いて、あっ、ここカッコイイぞ!と思える瞬間が続出です。

 

(written 2020.11.14)

2021/02/08

イージー・リスニング・ソウル・ジャズ 〜 ボビ・ハンフリー

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(4 min read)

 

Bobbi Humphrey / Flute-In

https://open.spotify.com/album/27HrSgcAA1yFB63vy9cvlt?si=6m5sSgs4RbG7GRHZtUxhkA

 

ジャズ・フルート奏者、ボビ・ハンフリーのブルー・ノートからのデビュー・アルバム『フルート・イン』(1971)。以前、ブルー・ノート公式TwitterやInstagramがボビのそのころのアルバムをさかんにアピールしていたことがあって、ちょっと気になっていました。過去の名盤シリーズってこと?『ブラックス・アンド・ブルーズ』のことだけだったかなあ?

 

わかりませんが、とにかくぼくもチラチラSpotifyで聴きなおしたりしているうちに、なかでも『フルート・イン』がいちばん聴きやすいし、デビュー作ながらなかなかいい内容なんじゃないかと思えてきました。よく知っている有名曲をたくさんやっているのもポイント高しですね。

 

そう、聴きやすいっていうのがこのアルバムの最大の特色かもしれませんよね。特にレコードでいうA面(5「スパニッシュ・ハーレム」まで)。A面はそれこそ名の知れた有名スタンダード曲ばかりで、ビル・ウィザーズの「エイント・ノー・サンシャイン」、キャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」、リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」、ジェリー・リーバーの「スパニッシュ・ハーレム」など。

 

アレンジがたぶんウェイド・マーカスで、ファンキーというかジャズ・ファンク、いやソウル・ジャズかなここでは、そんなサウンドになっています。しかもハードでシリアスな雰囲気じゃなくて、ポップでイージー・リスニングな路線になっているのがなかなか楽しいんじゃないかと思うんですよね。

 

「ザ・サイドワインダー」だけはジャズ・オリジナルということで、トランペットとフルートのソロなんかもあるんですけど(ボビを見出したリー・モーガン自身が参加している)、それでもフィーリングは軽いですよね。ライト・タッチのソウル・ジャズっていう感じ。聴きやすい。A&Mからのアルバムだとしても違和感なしです。

 

そんなところ、「エイント・ノー・サンシャイン」や「イッツ・トゥー・レイト」みたいなポップ・チューンだといっそうきわだっています。アド・リブ・ソロがほんのちょっとしかなくて、っていうかこれはほぼソロなしで、ボビがフルートで淡々とシンプルにメロディを美しく吹くだけ。だから演奏時間も短いでしょ。

 

もうほとんどジャズ・アルバムですらない感触で、この『フルート・イン』A面のこのイージー・リスニング・ソウル・ジャズなテイストは、それでもなかなか得がたい心地よさがあるなと思うんですね。フルートというさわやかで軽やかな音色の楽器であることも、この特色に大いに貢献しています。

 

B面(6「ドント・ナック・マイ・ファンク」から)は様子が変わります。ハードなジャズ・ブロウも交えてのセッションで、ウェイド・マーカスのアレンジも活きていますが、それ以上に個人のソロだってなかなか聴かせる内容です。

 

三曲通しぜんぶで吹いているビリー・ハーパーのテナー・サックス・ソロなんか、いつものシリアスな調子で、やっぱりこのひとは真摯だなあって感心しますよね。三曲ともかなりいいテナー・ソロ内容です。メンバーのなかでいちばんいいソロじゃないですか。

 

最後の二曲にはここでもやはりリー・モーガンが参加しているんですが、リーのソロもボビのフルート・ソロもいいし、特に八分以上もやっている7「ジャーニー・トゥ・モロッコ」など、なかなかグッと来る内容です。かなりハードでジャジーでもあって、軽くポップなイージー・リスニングなA面とはこりゃまたぜんぜん違いますね。

 

だからA面とB面の差が激しいアルバムでもあったのでした。

 

(written 2020.11.11)

2021/02/07

レイ・ブライアント、1958年のソロ・ピアノ・ブルーズ

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(5 min read)

 

Ray Bryant / Alone with the Blues

https://open.spotify.com/album/3fHQAPxnrNko88ayUtxbfz?si=ZL7ctKC_Try4GWUlhMG6ow

 

ジャズ・ピアニスト、レイ・ブライアントが、ソロ・ピアノ演奏で、しかもブルーズをメインにやって、脚光を浴びるようになったのは、あくまでオスカー・ピータースンの代役で出演した1972年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァル(『アローン・アット・モントルー』)以後だと思うんですけれども、1950年代から独奏でブルーズをやっているというものがありました。

 

ぼくが無知だから知らなかっただけですけど、アルバム『アローン・ウィズ・ザ・ブルーズ』(1958年録音59年発売)。レーベルはニュー・ジャズ。なつかしいですね。ニュー・ジャズのカタログはいまファンタジーがリリースしているみたいです。これ、ソロ・ピアノによるブルーズ集なんですよね。

 

このアルバムは、以前一度くわしく書いたプレスティジの『レイ・ブライアント・トリオ』の次作にあたるんですね。いやあ、どうしてこないだまで気づいていなかったんだろうかなあ。こないだふらっと、レイのことでSpotifyをブラブラしていて偶然発見しました。ジャケットの雰囲気は暗くて陰鬱でパッとせず、それだけはいただけないですけどね。

 

でも中身は上質です。『アローン・ウィズ・ザ・ブルーズ』に収録の全七曲のうち、「ブルーズ」という名前が正副題についているものが四曲。それらはストレートな12小節3コードのオーセンティックなピアノ・ブルーズです。そのほか、ビリー・ホリデイやチャーリー・パーカーで有名な「ラヴァー・マン」もやっていたりしますけど、それ以外の二曲「ロッキン・チェア」と「ストッキング・フィート」もブルージーで、っていうかそれらも実質ほぼブルーズ演奏と呼んでいいでしょう。

 

いっさい伴奏者なしで、レイひとりのピアノ独奏でやっているわけですけど、このひとのキャリアではたぶんこのアルバムを録音した1958年がソロ演奏の最初だったんじゃないでしょうか。これ以前に見当たりませんからね。いったいだれの発案でレイにソロ演奏をやらせてみようとなったんでしょうか。もちろんピアノという楽器は、そもそもはソロで弾くのがあたりまえのものでしたけどね、古典ジャズ界では。

 

それを伴奏のリズム・セクションをつけてトリオでやるのを標準にしたのは1940年代のナット・キング・コールで、その後楽器編成をちょこっと変えてモダン・ジャズ時代になってからバド・パウエルが(+ベース&ドラムスの)ピアノ・トリオのフォーマットを一般化しました。それ以後のことは言う必要がありませんね。

 

レイもモダン・ジャズ・ピアニストのひとりですけど、資質的に古典的なジャズ・ピアノ・スタイルもあわせもっている人物で、右手と左手をバランスよく使ってオーケストラルな演奏のできるピアニストなんですね。だから、このアルバム『アローン・ウィズ・ザ・ブルーズ』のプロデューサー、エズモンド・エドワーズもそこに目をつけたのかもしれないです。

 

それで、ソロ・ピアノでやらせるんならブルーズ中心でやったらどうか?みたいなアイデアになったんでしょうかね。はたして、結果は立派なできばえです。1972年の『アローン・アット・モントルー』みたいな派手さはないものの、レイ本来の持ち味であるかわいくてチャーミングなリリカルさと、ブルーズ表現のブルージーさがちょうどいい具合にブレンドされ、聴きやすいソロ・ピアノ・ブルーズになっていますよね。

 

どんなふうに弾くにしろ、ソロでブルーズをやるにせよ、いつもの常道から決して外れないレイの中庸な持ち味がここでも発揮されています。『アローン・アット・モントルー』の世界のひながたはすでにここにある、と言うことができるでしょう。もちろんあんなにぐいぐい押しまくる迫力はまだないんですけど、こっちはこっちで落ち着いていて、ふだん聴きにはちょうどいい味なんじゃないかと思えます。

 

(written 2020.11.10)

2021/02/06

なぜ『レイラ』が好きなのか 〜 デレク・アンド・ザ・ドミノス

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(8 min read)

 

Derek and the Dominos / Layla and Other Assorted Love Songs

https://open.spotify.com/album/5iIWnMgvSM8uEBwXKsPcXM?si=KlmBK2JSRKSVXPTD3xq1uw

 

エリック・クラプトンの全作品中いちばん好きだし最高傑作だとも思うデレク・アンド・ザ・ドミノスのアルバム『レイラ・アンド・アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』(1970)。なぜかこないだちょっと思い出すことがありました。2020年は50周年でしたし。聴きかえしての現在の感想をちょっと記しておきましょう。

 

アルバム『レイラ』でいちばん好きなのは、そこはかとなくただよい香る米南部感。鮮明とまではいかないけれど、それとなくふわっとスワンピーなフィーリングがあるでしょ、そこがお気に入りなんですよね。

 

その原因はもちろんサザン・ロック・ギターリストのヒーローであるドゥエイン・オールマンのゲスト参加もありましょうが、むしろそれ以上にこのリズム・セクションのおかげですよね。ディレイニー&ボニー・アンド・フレンズのリズムだった鍵盤のボビー・ウィットロック、ベースのカール・レイドル、ドラムスのジム・ゴードン。

 

この三人こそデレク・アンド・ザ・ドミノスの中核ですよね。ディレイニー&ボニー・アンド・フレンズの軸だったわけですから、もちろんLAスワンプ人脈というわけで、エリック・クラプトンの求めていた楽曲重視志向、米南部サウンド志向を実現させる最大のファクターとなりました。

 

その結果としてなんとなく香ってくる米南部風味こそ、ぼくにとってのこのアルバム最大の魅力で、いまでも聴けば感心するのはそこですね。ブルーズなどブラック・ミュージックを土台とするアメリカーナで、しかしかならずしもダウン&ダーティな感じではないスワンピーさっていう、そんなところがぼくにとってのアルバム『レイラ』です。

 

リラクシングなムード、というのもこのアルバムでは重要で、クラプトン自身、それを強く求めていたんだなというのが聴くとひしひしと伝わってきますよね。しのぎを削るようなハードな楽器インプロ・バトルを中心とするスーパー・バンドに嫌気がさして、こういったLAスワンプ〜アメリカーナ志向へと踏み出したんですから。

 

だから楽曲重視という面がとても大切で、聴き手のぼくも全体的によく練れ構成されて整っている音楽を好むという人間ですので、アルバム『レイラ』でもやっぱりイマイチに感じるトラックもあります。「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」とかですね。実は「リトル・ウィング」も大げさなファンファーレが(LAスワンプとは反対の態度の)虚飾に聴こえて、あまり好きじゃありません。

 

そう、ギター・インプロよりも楽曲志向、虚飾を配した素直でナチュラルなアレンジと音楽構築、寄らば斬るぞといわんばかりの緊張感よりもイージーでリラクシングでアット・ホームなムード、といったあたりがこのアルバム『レイラ』で、いま聴いても最も好きな部分。

 

クラプトンは、ザ・バンドなどをはじめ一連のあのころのルーツ・ロック(アメリカーナ)・ムーヴメントに触れ、そういう方向にみずからの音楽性の舵を切ったと思うんですよね。ジャズ・ファンであるぼくはクリームやブラインド・フェイスも好きだったんですけど、デレク・アンド・ザ・ドミノスのこの心地よさにはすっかりはまってしまいました。そう、心地いいし、疲れないんですよね。

 

この『レイラ』のテーマは、ご存知のように親友の妻に横恋慕して実らぬ恋に身を焦がし焼けてしまう激情、っていうことなんですけど、そういったラヴ・ソングの数々をやりながらも、アルバム全体の音楽的なムードは、そういったパッショネイトさよりも、むしろもっと日常的な安楽気分、楽しく音楽を仲間でやっているというリラックス・グルーヴのほうがまさっているんじゃないでしょうか。

 

破天荒な型破りよりも、きっちり整ったウェル・アレンジドな音楽が好きなんだと自覚できるようになった最近では、やっぱりこういった『レイラ』みたいな、テーマは焼けるような恋情や失望かもしれないけど音楽的果実としてはおだやかで静かでリラクシングな雰囲気が、もうほんとうに大好きですね。

 

イージーなリラクシング・ムード、ウェル・アレンジドな楽曲志向、アメリカーナ的ルーツ・ロックへの眼差しという特徴は、アルバム1曲目の「アイ・ルックト・アウェイ」を聴くだけで納得できるはず。これですよ、これ、ぼくが音楽に求めているものは。まさに1970年のサウンドですよね。一枚目A面の四曲はこのムードで満たされています。聴くと心が落ち着きますよね。

 

そんな雰囲気がアルバム全体を支配していますが、出だしの1曲目に「アイ・ルックト・アウェイ」を持ってきたのはたいへんよく納得できます。象徴的に特徴がよく表れていますし、それくらいアルバム・オープナーというのは大切なんですよね。全体の方向性を左右する力がありますから。一枚目B面にはあまり好きじゃないただのジャム・セッションである「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」がありますが、ほかはやはり似た傾向が続きます。

 

(LPでいう)二枚目A面に来て、やはり1曲目の「テル・ザ・トゥルース」が「アイ・ルックト・アウェイ」と同じ路線。続く二曲はややハードですが、クラプトンとドゥエインがギターでからみあいながらヴォーカルとともに進行するパートなんかにはゾクゾクするような快感がありますよね。一聴ギター・インプロ重視か?とみえて、実はそうではありません。曲として立つことに最大限の配慮がなされているわけです。

 

最終の二枚目B面。言いましたようにイントロやアウトロなどで使われているファンファーレふうのギター・フレーズがどうしても好きになれないし不出来だとも思う「リトル・ウィング」(ジミ・ヘンドリクス)のことはおいといて、2曲目「イッツ・トゥー・レイト」(チャック・ウィリス)はリズム&ブルーズで楽曲重視な一曲。「レイラ」も一見ハードなように思えて、実はこのリズム、スワンピーに跳ねリラクシングですよね。ピアノ・インタールードが入っての後半では、それがより顕著です。

 

続くアルバム・ラストの「ソーン・トゥリー・イン・ザ・ガーデン」は最高のコーダです。ひょっとしたらアルバム中、「アイ・ルックト・アウェイ」とこのエンディングがいちばん好きかもしれません。

 

(written 2020.11.8)

2021/02/05

Spotifyに過去の名作のオリジナル・アルバムがないのは問題だ

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(4 min read)

 

こないだマーヴィン・ゲイの『ワッツ・ゴーイング・オン』を聴きかえしたくなってSpotifyで検索したんですよ。すると三種類出てきたんですけど、1971年のオリジナル・レコードどおりのものが一個もないんです。三つとも拡大版で、それしかないっていう。

 

こういうのってどうなんでしょうね。マーヴィンの『ワッツ・ゴーイング・オン』だけじゃなくてマイルズ・デイヴィスの『カインド・オヴ・ブルー』『ビッチズ・ブルー』なんかもそうで、ほかにも枚挙にいとまがないんですけど、デラックス・エディションみたいなのしかなかったり、おしりにちょこっとボーナス・トラックがくっついていたりとか、ホ〜ントそんなのばっか。

 

もちろんオリジナル・アルバムどおりのものだって多いんですけど、過去の名作の、そう、ぼくの世代はそれがどんなかたちだったのか、曲数や曲目を承知していますから、Spotifyにある付加版でもどこまでがオリジナル分かわかります。でも、これから音楽の世界に分け入ろうとする若い世代にとってはどうなんでしょうか、ちょっと迷ったり、これはこういうもんなんだと受け止め疑わなかったりするのかも。わかりませんけど。

 

もちろん過去の名作についてはネット上にたくさんの情報があって、オリジナル・アルバムがどんなだったか、ちょこっと検索すればすぐわかります。ぼくも知らない過去作が多いので、やっぱりネットで調べてみるケースはしばしば。ネット検索を厭わない人間であればそれでOKなんですけど、みんなイチイチ調べたりしないかもしれませんよね。SpotifyだったらSpotifyにあるものをそのまま受け入れているかも、って思うんですね。

 

理想型としては、デラックス・エディションみたいな拡大版や、ちょこっとボーナス・トラックがくっついたものの横に、オリジナル・アルバムどおりのものも並べておいてほしい、それがもとのかたちですよとわかるように表示してほしい、という気持ちがSpotifyに対してあります。じゃないと、いちいちネットで調べないひとも多いと思いますからね。

 

それに検索してここまでがオリジナル・アルバム分だとわかっても、そこで再生をストップするのもちょっとむずかしいっていうか、停止ボタンを押すのがややメンドくさいんですよね、ストリーミングで聴いているひとならわかると思いますけど。しっかり聴きたいばあいのぼくだってそうなんだから、ただなんとなく流しているだけのケースやリスナーだったら再生が終了するまでそのまま聴くと思いますね。

 

オリジナル・アルバムは、全体の構成や流れ、どうはじまってどう終わるかみたいなことまでしっかり考え抜かれて曲が並べられているので、拡大版やボーナス・トラック追加でそれが崩れちゃうのはちょっとイカンなあという思いがぼくは前から強いんですよね。トータル・アルバム志向ってことですけど、最初からアルバム体裁でこの世に発表された音楽作品は、それを尊重すべきじゃないですか。いくら曲単位で聴くストリーミング全盛時代とはいえ。

 

近年のCDリイシューなんかでも、きょうここまで書いたことと同様のことが言えます。こういった大切なことを平気で崩しておいて知らん顔しているレコード会社や配信サービスには強い疑問を感じざるをえません。最近音楽に興味を持ちはじめてオリジナル・アルバムの体裁を知らない若いファンが戸惑ったり、なんの疑問も抱かずに配信サービスにあるそれを聴いているんじゃないかと思うとですねえ。老婆心でしょうか。

 

(written 2020.10.26)

〜〜〜
※(2021年2月4日追記)
 今年、マーヴィンの『ワッツ・ゴーイング・オン』の50周年記念版がリリースされ、Spotifyに出るものも入れ替わったようで、その際にオリジナル・アルバムそのままのかたちのアルバムも入りました。

 

2021/02/04

マイルズのオーケストラ・サウンド志向

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(7 min read)

 

ギターか?鍵盤楽器か?みたいな話題で、ちょっと前にマイルズ・デイヴィスの音楽構築手法というか特にオーケストレイションについて考えなおす機会がありましたので、ちょっと記しておきたいなと思います。きっかけはこの過去記事です↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-295119.html

 

これを書いたときには具体的に指摘しなかったんですけど、結論から言えばマイルズはいつでも分厚いオーケストラル・サウンドを好んだと言えるのではないでしょうか。デビューがチャーリー・パーカーのコンボでだったマイルズですが、独立してはじめて持ったリーダー・セッション機会が、かの九重奏団でしたからねえ。

 

そのときからずっと1980年代までギル・エヴァンズとの深い音楽関係が続くわけですけど、マイルズのキャリア全体を見わたすと、キーになった重要な時期が三回あったと思います。1949年の九重奏団、1959年の『カインド・オヴ・ブルー』期、1968〜70年のエレクトリック・ジャズ・ファンク期。

 

いずれの三回ともギルが密接にかかわって、サウンド構築に重要なアドヴァイスをしています。1949年のときは言うまでもないでしょう。1958〜59年ごろにもマイルズとギルは密接な関係があって、実際『ポーギー・アンド・ベス』みたいな共演作を残していますし、『カインド・オヴ・ブルー』のセッションにもギルはアレンジャーとして(影ながら)協力したというのが、いまではあきらかになっています。

 

おもしろいのは1958〜59年期のマイルズ ・コンボはホーン三管編成だったということですね。1981年復帰後もマイルズはよくこの時代のことをふりかえっていて、とにかくあのキャノンボール+コルトレイン同時在籍時代のバンドのサウンドはすごかったと周囲やインタヴューワーに語っています。サックスを二本にして、ホーン陣の分厚いサウンドがほしかったのだと、それが結果成功したのだ、すくなくともボス自身はおおいに気に入っていたのだ、と言えましょう。

 

考えてみれば、マイルズのコロンビア移籍第一作はギルのアレンジ・指揮によるオーケストラとの共演作『マイルズ・アヘッド』(1957)でした。その後、『ポーギー・アンド・ベス』(58)『スケッチズ・オヴ・スペイン』(60)とアルバムを残しますが、そもそものメイジャー・キャリアがギルとの共演で、オーケストラ・サウンドの実現で、スタートしていたわけですよ。

 

マイルズのばあい、コンボでもそんなギルが実現したみたいなオーケストレイション、ハーモニーを出したかったんだと思えるフシがあり、ホーン三管編成のバンドにしたこともそうですし、ちょうど同じころピアノでビル・エヴァンズを起用したことも、ギルの書くアレンジ譜面みたいなハーモナイゼイションをビルが実現できるからだったとみることができます。

 

その後1960年代の第二次レギュラー・クインテットでは分厚い和音構築からやや遠ざかっていた時期もありましたが(『マイルズ・スマイルズ』『ソーサラー』『ネフェルティティ』)、ちょうどマイルズがベティ・デイヴィスと接近し、ロックやファンク、ソウル・ミュージックなどとのフュージョンを試みるようになったあたりから、今度は鍵盤奏者を二名、三名と同時起用してスタジオ・セッションに臨むようになっていきます。

 

具体的には1968年暮れごろ〜1970年いっぱいまでなんですけど、この約二年間強にわたり、スタジオ・セッションでは「常に」ゲスト参加の鍵盤奏者がいて、バンド・レギュラーだったチック・コリアにくわえ、ジョー・ザヴィヌル、ハービー・ハンコック、ラリー・ヤング、キース・ジャレットを随時起用、ばあいによっては三名にするということも多く、全員にフェンダー・ローズやオルガンを「同時に」弾かせ、本当に分厚いオーケストレイションを実現していましたよね。

 

興味深いのは、そんな鍵盤奏者二名、三名同時期用の重厚で重層的なハーモニーを求めていた時期は、ちょうどサウンドのエレクトリック化とリズムのロック、ファンク化と軌を一にしていた時期だったということです。すなわちマイルズが時代の最先端を走りニュー・ミュージックを追求・実現していた時期にも、やはり背後ではオーケストラルなサウンドを求めていたということなんですね。

 

『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969年2月録音)、『ビッチズ・ブルー』(69年8月録音)を、ちょっといま一度、聴きかえしていただきたいと思います。

 

そして、あまり語るひとがいませんが、1968年2月〜1970年にかけては、表沙汰にならずともギルがマイルズに再接近していた時期なんですよね。ギルは曲も提供していますし、大所帯のスタジオ・セッションで、あるいはレギュラー・コンボでも、アレンジ面でのアドヴァイスをしています。サウンドとリズムのエレクトリック・ファンク、ロック化という面でもマイルズとギルは歩調をあわせていました。

 

いつの時代でも常に、どんな音楽をやるときにでも、バンド・サウンドをオーケストラのように響かせたいという志向の強かったマイルズ。そんなオーケストラル・サウンド志向のルーツは、自身のクラシック音楽好きにもあるでしょうし(ドビュッシー、ラフマニノフ、ハチャトゥリアン、ストラヴィンスキーなどの管弦楽をよく聴いていて、自身の音楽にも反映させようとした)、それとつながるかたちでのギルとの深い交流にも大きな要因があったんでしょうね。

 

(written 2020.11.5)

2021/02/03

LPの登場に歓喜したデューク 〜『マスターピーシズ』

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(7 min read)

 

Duke Ellington / Masterpieces

https://open.spotify.com/album/4knin4mUVXdOknjQ3DtVvt?si=rgts8MJxTrG7i7kEpzov_A
(オリジナル・アルバムは4曲目まで)

 

デューク・エリントン楽団のコロンビア盤『マスターピーシズ』と『ハイ・ファイ・エリントン ・アップタウン』の二作。前者が1950年録音51年発売、続く後者が51&52年録音52年発売で、この二枚は12インチLP最初期のアルバムなんですよね。

 

1950年ごろというとLPフォーマットが出はじめたばかり(48年登場)。片面、ということは一曲で最長20分程度のひと続きの演奏が途切れなく収録できるようになったということで、デュークのような音楽家にはもってこいだったと思うんですよね。LPメディア登場を知ったときのデュークの喜んだ顔が目に見えるようですよ。

 

デュークがLPに歓喜して飛びついたのは想像に難くありません。片面三分程度しか収録できないSP時代からデュークは長尺演奏志向で、レコードではしかたなく三分前後に曲をまとめるにしても、ライヴ・コンサートなどでは必ずしもその限りではなかったのですから。

 

いわばヨーロッパのクラシック音楽の発想ということですけど、レコードでも短尺の枠に縛られず自由に楽想を展開していけることは、デュークのようなコンポーザーにとってはありがたいことだったはず。だから12インチLPとして最も初期のレコーディングを実行したというわけです。

 

その結果が『マスターピーシズ』『ハイ・ファイ・エリントン ・アップタウン』となったわけですが、特に『マスターピーシズ』ですね、ご覧のようにジャケット表右にわざわざ「ノーカットのコンサート・アレンジメントで」と特記してあるくらいで、それまでSPレコードで発売されていたデューク自身の過去の名曲から三つを選び(+1)、自由な長さで、望むがままに展開したものが収録されています。

 

1「ムード・インディゴ」、2「ソフィスティケイティッド・レイディ」、4「ソリチュード」の三曲は名コンポジションとして戦前のSP時代から親しまれていたもの。いずれも瀟洒なバラード調で、デュークとしてもビリー・ストレイホーンとしても存分にフル・コンサート・アレンジの腕前をふるうことができたんじゃないかと思います。それぞれ15分、11分、8分もありますからね。

 

問題はその結果のできあがりがおもしろく聴こえるかどうかということです。正直にぼくの感想を言いますと、ちょっと退屈、冗長なのではないかと思うんですね。三曲ともSP時代に曲づくりされてレコードになっていたものですが、それがいわば完成されていた、SP用の、三分程度の、その長さで完結するようにはじめからコンポーズされていたものだったわけで。

 

『マスターピーシズ』収録ヴァージョンでは、そんなエキスをいわば水で薄めて伸ばしたもののようにぼくには聴こえてしまいます。ノーカットのコンサート・アレンジメントで、ということは、以前からライヴでは同様の演奏をやっていたということかもしれませんが、う〜ん、ちょっとねえ、退屈に感じてしまいます。こんなに長くやらなくてもよかったのではないかとの思いが強いんです。

 

想像するに、『マスターピーシズ』はデュークにとっての初LPで、上で書きましたように長尺収録可能メディアの登場に歓喜したこの音楽家が、いわば意気揚々と、うれしすぎて思わず勢いこんで、LP用に長い演奏をレコードにできるんだな、じゃあ!っていうんで、意気込み先行でやってしまったアルバムだったんじゃないかと、そう思うわけです。

 

曲づくりとはさまざまな制約下でこそ実るもの。クラシック音楽みたいにハナからレコード録音技術なんか存在しない時代に、生演奏ライヴで披露されることだけを前提に作曲された(から長さに制約がない)世界とは、ジャズは違っているんです。(SP)レコードの登場とともにジャンルそのものが生まれ出で、発展した音楽なんです。レコードとジャズは切り離せないものなんですよ。

 

SPレコードの約三分間という物理的制約があってこそ、1940年代までのデュークの曲は生きるものでした。三分で言いたいこと、表現したいことを尽くせるように、デュークも苦心して、その結果があんな宝石の数々に結実したわけです。それを10分以上にわたるコンサート・アレンジにしてみたって、しょせんは引き伸ばしただけのものに聴こえてしまいます。

 

デュークがLPメディア向けに本当にすぐれた曲を書きオーケストラで演奏するようになったのは、もうちょっとあとになって、最初から一曲20分程度という前提で曲づくりするようになってからです。SP用に書かれた曲のロング・ヴァージョンじゃなくて、LP用の曲づくりをはじめてからは、10分以上の演奏時間がある曲でも冗長に感じなくなりましたよね。

 

おもしろいのは、そうやってLPレコード用に曲を書き演奏・録音・発売されたもののなかには、実はそんなに長い曲が少ないということです。結局は数分で一曲が終わることが多いですし、長い組曲形式のものは短いセグメントに分割され、それが連続しているだけなんです。『マスターピーシズ』みたいに<一曲>がとぎれなくダラダラと15分もあったりするものは見当たらないんですよね。

 

ひとことでまとめれば、キャリア初期からアーティスト志向の強かったデュークは、LPメディアの登場がうれしくてたまらなかった、飛び上がって喜んだ、よ〜し!っていうんで、挑んだのが『マスターピーシズ』などだったと、そういうことじゃなかったでしょうか。

 

(written 2020.11.4)

2021/02/02

初期デューク・エリントンのブラック・ミュージック志向 〜 ジャングル・サウンドとはなにか

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(6 min read)

 

Duke Ellington and His Orchestra / Early Ellington (1927-1934)

https://open.spotify.com/album/7JCXqt12TxcDy3Y8iUk7jl?si=TURF2u4bRPKfvV9eI6QTpg

 

Spotifyにあるんですねえ、デューク・エリントン楽団の初期ヴィクター録音集(CDなら一枚もの)の『アーリー・エリントン(1927-1934)』。CDは1989年発売でした。もちろんこれでぜんぶではありません。名曲・名演だけをピック・アップしたセレクションですが、特別なファン、マニア以外にはこれで十分でしょう。

 

CDでもSpotifyのでも、第二次大戦前のエリントン楽団ヴィクター録音は、この初期録音集と、1940年過ぎ音源集の(CDなら三枚組の)『ザ・ブラントン・ウェブスター・バンド』と、この二つがあればほぼすべてわかるということで、デュークのことを知りたいというファンには大推薦ですよ。

 

きょうは『アーリー・エリントン(1927-1934)』の話をします。『ザ・ブラントン・ウェブスター・バンド』時代のことはくわしく書いたことがあるのに、この初期ヴィクター録音のことはまだ書いていなかったみたいですからね。『ザ・ブラントン・ウェブスター・バンド』関係の記事はこちら↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/19401942-95e7.html

 

さて、『アーリー・エリントン(1927-1934)』に収録されているそれぞれの曲の録音年月、パーソネルなど、データ面での詳細はDiscogsが載せてくれているので、そちらをご参照くださいね。
https://www.discogs.com/Duke-Ellington-And-His-Orchestra-Early-Ellington-1927-1934/release/3528836

 

この初期エリントン楽団の特徴をひとことで言えば、ブルージーであるということになるでしょうか。1939年に楽団に加入し大黒柱となったビリー・ストレイホーンがまだいないということで、デュークひとりで作編曲をこなしています。だから、どこまでがデュークでどこからがストレイホーンかわからないといったあの世界はまだありません。デュークひとりで曲を書けばこうなる、という格好のサンプルでしょう。

 

実際、定型12小節ブルーズの楽曲やその変型も多く、曲調もサウンド・カラーもブルージーです。ブルージーというのを言い換えれば濁りみアンサンブルということでもあるんですが、たとえば1曲目の代表曲「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」を聴いてみてください。このホーン・アンサンブルのグロウル・サウンドこそデューク・カラー。プランジャー・ミュートをつけたトランペットが吹くこういったジャングル・サウンドは、デューク楽団のトレードマークでした。

 

ブラス(金管)のグロウルに象徴されるブルージーなジャングル・サウンドというのは2曲目以後も多くの曲で聴かれます。デュークの楽団がニュー・ヨークはハーレムのコットン・クラブに出演するようになったのは1927年の12月から(キング・オリヴァー楽団と入れ替わり)。そのころから、同クラブでのショウのスタイルにあわせたようなジャングル・サウンドが確立されるようになり、ずっと続きました。

 

コットン・クラブ出演が終了してもデュークはジャングル・サウンドをやめず、むしろその独自カラーを強化するようなアンサンブルを書いていましたよね。「ブラック・アンド・タン・ファンタシー」「イースト・セント・ルイス・トゥードゥル・オー」「ザ・ムーチ」「コットン・クラブ・ストンプ」「エコーズ・オヴ・ザ・ジャングル」といった、このアルバムでも聴ける一連の楽曲は、この初期エリントンの代名詞だったと言えましょう。

 

セクシーさ、色気が強く出ていて、必ずすも後年のような芸術色中心ではないあたりも初期エリントンの特徴です。このアルバムだとたとえば3曲目「クリオール・ラヴ・コール」、4「ザ・ブルーズ・アイ・ラヴ・トゥ・シング」などでも鮮明です。アデレイド・ホールのヴォーカルが聴けるからというだけじゃなく、このリード・セクション、特にクラリネットのアンサンブル・サウンドにデューク・アレンジならではのセクシーさが聴けるなと思うんです。

 

リズムというかビート感が独特なのもこの初期エリントン楽団の特徴です。ドラマーであるソニー・グリーアのスタイルと、それからこの時期はフレッド・ガイがギターじゃなくバンジョーを主に弾いているせいもあってか、えもいわれぬ粘り気、ぬた〜っとした一種のもたったビート感が聴けるでしょう。好みが分かれるところだと思うんですけど、(後年の)リズム&ブルーズ、ファンク・ミュージックなどとも共通するフィーリングじゃないかなと思うんですね。

 

ぼくの考えるデュークのジャングル・サウンドとは、そういったビート感もあわせた意味でのもので、プランジャー・ミュートをつけたブラス・アンサンブルのグロウル・サウンドだけのことじゃないんですね。アンサンブルの濁りみとビートの粘り気、この二つがあいまってこそ、デュークにとってのブラック・ミュージックがあったんだと、ぼくはそう考えています。

 

「ムード・インディゴ」「ソリチュード」といった、このアルバムでも聴けるやや印象派ふうのバラード調スロー・ナンバーも、こういったデュークのブラック・ミュージック志向を踏まえた上で聴けば、また違ったとらえかたができるのではないでしょうか。

 

(written 2020.11.3)

2021/02/01

参加する楽しみをおぼえたぼく 〜 ライヴ・アルバムを聴くときに

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(7 min read)

 

https://open.spotify.com/album/0csi6eQolki4PIS60tBCW5?si=u0bQBxs0RUavvNr9168ZLw

 

このリンクはダニー・ハサウェイの『ライヴ』(1972)ですが、たとえばこれの4曲目「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」。フェンダー・ローズ・ピアノを弾きながらダニーが歌っていますが、1コーラス目でサビのリフレインに来たら、一斉に観客が大合唱をはじめるでしょう、それでダニーはそれに任せて自分は歌うのをやめています。

 

実を言うとですね、長年ぼくはこういうのがキライでした。素人の観客の楽しみの大合唱なんか聴いてどうすんだ?と。マイクが立てられているわけでもないから声がオフ気味だし、現場ではいいかもしれないが、レコードやCDや配信だとどうにもちょっとねえ…、って思っていました。

 

ライヴ・アルバムだとこういうことはわりとよくあって、だれでもいいけどたとえばプリンスなんかでも有名曲、そうだなあ「パープル・レイン」「ラズベリー・ベレー」「リトル・レッド・コルベット」とか、その手の大ヒットして観客みんなが知っているものだと、その有名フレーズが出てくるサビのリフレインを客席の合唱に任せて、ステージの歌手本人は歌っていないんですよね。

 

そのほかライヴ・アルバムだと実によくあることで、だから上でも触れましたがその場にいる観客や歌手本人などにはいいでしょうけど、録音したものを、無関係のぼくら一般人にそのまま聴かせられてもなぁって、ずっと思っていました。キライでしたねえ。ぼくはプロ歌手がちゃんと歌うのを聴きたいんだからねっ、ってそう思っていました。

 

ところがですよ、ちょっと思い出してこないだダニーの『ライヴ』を聴きかえしたんですよ。「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」のサビのリフレインの、ダニーは歌わない観客の大合唱パートになると、どうしてだかなんだかほっこりした気分になって、これもいいなあ〜って、心からそう感じたんですね。

 

それで、あれっ?と思って同様のパートがあるライヴ・アルバムをいくつか聴いてみたら、やっぱりキライだと感じないんですね。むしろあたたかい気分になるっていうか、これがライヴの楽しみだよねえ、お客さんもみんな楽しんでいるんだなあ、ステージの歌手だっていい気分かも、録音されたものをSpotifyで聴いているぼくだって悪くない気分で楽しいひとときを過ごせるなあって、そんなことになっているんですね。

 

いったいいつからぼくはこうなったのでしょう?いつごろどうして変わったの?

 

自分のこの変貌の原因をちょっとさぐってみたんですけど、どうやら2018年暮れ〜2019年とあんだけたくさん通ったわさみんこと岩佐美咲ちゃんのライヴ・イベント生体験のおかげなんですよね。わさみん生イベントも参加型っていうか、サビで客席大合唱ということにはなりませんが(そういう曲のつくりになっていない)、ステージと客席が一体となって、声もどんどん飛ぶしぼくも飛ばすし、みんなでいっしょにもりあがろうっていう、そういうやりかたなんですよね。

 

それで、ぼくのなかでライヴに対する考えかた、接しかたが変化したということじゃないかと思います。わさみんイベントやコンサートに通うようになるまでにぼくが人生で体験してきたライヴといえばだいたいがジャズ系のそれで、だから客席からの拍手だって曲が終わってからのことで、曲や歌が進行中に客席がにぎやかだなんてことは皆無だったんです。

 

これはどうやら日本での事情らしい、アメリカなんかだとまた違うらしいっていうのは、40年ほど前にマイルズ・デイヴィスが「日本の客席が静かなのはブラック・ピープルがいないためだろうと思います」と、1975年来日時のインタヴュー(『アガルタ』付属ブックレット)で語っていたので、そうなのかと思ってはいました。

 

でも客席参加型っていうのが歌のないジャズ・ライヴで実現しにくいっていうのは、多少の差はあっても、たぶん世界共通じゃないでしょうか。歌がないと、客席はいっしょに口ずさめないですからね。そんなライヴにばかり、しかもただでさえ観客がおとなしい日本で開催されるものに、ぼくは何十年間も行っていたんですからねえ。

 

アイドル、歌謡曲、演歌、それからロックやソウルやファンクとか、その手の音楽(はどれもみな同じようなものだと最近ぼくは思いはじめていますが)だと、歌のサビのリフレイン部分でいっしょに歌えるパートがあることも多いんですよね。ビートルズの「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」のことを思い出してみてください。

 

実際このひとはライヴ・アルバムをたくさん出しているポール・マッカートニーの作品なんかを聴いていても、そういった曲の、みんなでいっしょに歌えるパートで、実際ポール自身も歌うことを客席にうながしているし、それはプリンスだってそうだし、みんなそうやっていて、ライヴってそういうもんなんですよね。

 

わさみん生イベント体験で変貌した、歌のライヴにはどんどん参加するものなんだと皮膚感覚で痛感し、それが楽しいんだと心から理解したぼくは、だからその後最近は、録音された過去のライヴ名作なんかを聴いていても、そんなパートに来れば自然と気分が乗ってあたたかいフィーリングに満たされていくのを感じるようになりました。オフ・マイクだから客席の合唱は聴こえにくいけど脳内で自然補正されて、自分も参加しているような気分になるんです。そうなったんです、最近。

 

あんなにキライだったのにねえ。

 

(written 2020.9.30)

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