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2021/02/04

マイルズのオーケストラ・サウンド志向

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(7 min read)

 

ギターか?鍵盤楽器か?みたいな話題で、ちょっと前にマイルズ・デイヴィスの音楽構築手法というか特にオーケストレイションについて考えなおす機会がありましたので、ちょっと記しておきたいなと思います。きっかけはこの過去記事です↓
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-295119.html

 

これを書いたときには具体的に指摘しなかったんですけど、結論から言えばマイルズはいつでも分厚いオーケストラル・サウンドを好んだと言えるのではないでしょうか。デビューがチャーリー・パーカーのコンボでだったマイルズですが、独立してはじめて持ったリーダー・セッション機会が、かの九重奏団でしたからねえ。

 

そのときからずっと1980年代までギル・エヴァンズとの深い音楽関係が続くわけですけど、マイルズのキャリア全体を見わたすと、キーになった重要な時期が三回あったと思います。1949年の九重奏団、1959年の『カインド・オヴ・ブルー』期、1968〜70年のエレクトリック・ジャズ・ファンク期。

 

いずれの三回ともギルが密接にかかわって、サウンド構築に重要なアドヴァイスをしています。1949年のときは言うまでもないでしょう。1958〜59年ごろにもマイルズとギルは密接な関係があって、実際『ポーギー・アンド・ベス』みたいな共演作を残していますし、『カインド・オヴ・ブルー』のセッションにもギルはアレンジャーとして(影ながら)協力したというのが、いまではあきらかになっています。

 

おもしろいのは1958〜59年期のマイルズ ・コンボはホーン三管編成だったということですね。1981年復帰後もマイルズはよくこの時代のことをふりかえっていて、とにかくあのキャノンボール+コルトレイン同時在籍時代のバンドのサウンドはすごかったと周囲やインタヴューワーに語っています。サックスを二本にして、ホーン陣の分厚いサウンドがほしかったのだと、それが結果成功したのだ、すくなくともボス自身はおおいに気に入っていたのだ、と言えましょう。

 

考えてみれば、マイルズのコロンビア移籍第一作はギルのアレンジ・指揮によるオーケストラとの共演作『マイルズ・アヘッド』(1957)でした。その後、『ポーギー・アンド・ベス』(58)『スケッチズ・オヴ・スペイン』(60)とアルバムを残しますが、そもそものメイジャー・キャリアがギルとの共演で、オーケストラ・サウンドの実現で、スタートしていたわけですよ。

 

マイルズのばあい、コンボでもそんなギルが実現したみたいなオーケストレイション、ハーモニーを出したかったんだと思えるフシがあり、ホーン三管編成のバンドにしたこともそうですし、ちょうど同じころピアノでビル・エヴァンズを起用したことも、ギルの書くアレンジ譜面みたいなハーモナイゼイションをビルが実現できるからだったとみることができます。

 

その後1960年代の第二次レギュラー・クインテットでは分厚い和音構築からやや遠ざかっていた時期もありましたが(『マイルズ・スマイルズ』『ソーサラー』『ネフェルティティ』)、ちょうどマイルズがベティ・デイヴィスと接近し、ロックやファンク、ソウル・ミュージックなどとのフュージョンを試みるようになったあたりから、今度は鍵盤奏者を二名、三名と同時起用してスタジオ・セッションに臨むようになっていきます。

 

具体的には1968年暮れごろ〜1970年いっぱいまでなんですけど、この約二年間強にわたり、スタジオ・セッションでは「常に」ゲスト参加の鍵盤奏者がいて、バンド・レギュラーだったチック・コリアにくわえ、ジョー・ザヴィヌル、ハービー・ハンコック、ラリー・ヤング、キース・ジャレットを随時起用、ばあいによっては三名にするということも多く、全員にフェンダー・ローズやオルガンを「同時に」弾かせ、本当に分厚いオーケストレイションを実現していましたよね。

 

興味深いのは、そんな鍵盤奏者二名、三名同時期用の重厚で重層的なハーモニーを求めていた時期は、ちょうどサウンドのエレクトリック化とリズムのロック、ファンク化と軌を一にしていた時期だったということです。すなわちマイルズが時代の最先端を走りニュー・ミュージックを追求・実現していた時期にも、やはり背後ではオーケストラルなサウンドを求めていたということなんですね。

 

『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969年2月録音)、『ビッチズ・ブルー』(69年8月録音)を、ちょっといま一度、聴きかえしていただきたいと思います。

 

そして、あまり語るひとがいませんが、1968年2月〜1970年にかけては、表沙汰にならずともギルがマイルズに再接近していた時期なんですよね。ギルは曲も提供していますし、大所帯のスタジオ・セッションで、あるいはレギュラー・コンボでも、アレンジ面でのアドヴァイスをしています。サウンドとリズムのエレクトリック・ファンク、ロック化という面でもマイルズとギルは歩調をあわせていました。

 

いつの時代でも常に、どんな音楽をやるときにでも、バンド・サウンドをオーケストラのように響かせたいという志向の強かったマイルズ。そんなオーケストラル・サウンド志向のルーツは、自身のクラシック音楽好きにもあるでしょうし(ドビュッシー、ラフマニノフ、ハチャトゥリアン、ストラヴィンスキーなどの管弦楽をよく聴いていて、自身の音楽にも反映させようとした)、それとつながるかたちでのギルとの深い交流にも大きな要因があったんでしょうね。

 

(written 2020.11.5)

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