« 初期デューク・エリントンのブラック・ミュージック志向 〜 ジャングル・サウンドとはなにか | トップページ | マイルズのオーケストラ・サウンド志向 »

2021/02/03

LPの登場に歓喜したデューク 〜『マスターピーシズ』

7153a1pxs8l_sl1500_

(7 min read)

 

Duke Ellington / Masterpieces

https://open.spotify.com/album/4knin4mUVXdOknjQ3DtVvt?si=rgts8MJxTrG7i7kEpzov_A
(オリジナル・アルバムは4曲目まで)

 

デューク・エリントン楽団のコロンビア盤『マスターピーシズ』と『ハイ・ファイ・エリントン ・アップタウン』の二作。前者が1950年録音51年発売、続く後者が51&52年録音52年発売で、この二枚は12インチLP最初期のアルバムなんですよね。

 

1950年ごろというとLPフォーマットが出はじめたばかり(48年登場)。片面、ということは一曲で最長20分程度のひと続きの演奏が途切れなく収録できるようになったということで、デュークのような音楽家にはもってこいだったと思うんですよね。LPメディア登場を知ったときのデュークの喜んだ顔が目に見えるようですよ。

 

デュークがLPに歓喜して飛びついたのは想像に難くありません。片面三分程度しか収録できないSP時代からデュークは長尺演奏志向で、レコードではしかたなく三分前後に曲をまとめるにしても、ライヴ・コンサートなどでは必ずしもその限りではなかったのですから。

 

いわばヨーロッパのクラシック音楽の発想ということですけど、レコードでも短尺の枠に縛られず自由に楽想を展開していけることは、デュークのようなコンポーザーにとってはありがたいことだったはず。だから12インチLPとして最も初期のレコーディングを実行したというわけです。

 

その結果が『マスターピーシズ』『ハイ・ファイ・エリントン ・アップタウン』となったわけですが、特に『マスターピーシズ』ですね、ご覧のようにジャケット表右にわざわざ「ノーカットのコンサート・アレンジメントで」と特記してあるくらいで、それまでSPレコードで発売されていたデューク自身の過去の名曲から三つを選び(+1)、自由な長さで、望むがままに展開したものが収録されています。

 

1「ムード・インディゴ」、2「ソフィスティケイティッド・レイディ」、4「ソリチュード」の三曲は名コンポジションとして戦前のSP時代から親しまれていたもの。いずれも瀟洒なバラード調で、デュークとしてもビリー・ストレイホーンとしても存分にフル・コンサート・アレンジの腕前をふるうことができたんじゃないかと思います。それぞれ15分、11分、8分もありますからね。

 

問題はその結果のできあがりがおもしろく聴こえるかどうかということです。正直にぼくの感想を言いますと、ちょっと退屈、冗長なのではないかと思うんですね。三曲ともSP時代に曲づくりされてレコードになっていたものですが、それがいわば完成されていた、SP用の、三分程度の、その長さで完結するようにはじめからコンポーズされていたものだったわけで。

 

『マスターピーシズ』収録ヴァージョンでは、そんなエキスをいわば水で薄めて伸ばしたもののようにぼくには聴こえてしまいます。ノーカットのコンサート・アレンジメントで、ということは、以前からライヴでは同様の演奏をやっていたということかもしれませんが、う〜ん、ちょっとねえ、退屈に感じてしまいます。こんなに長くやらなくてもよかったのではないかとの思いが強いんです。

 

想像するに、『マスターピーシズ』はデュークにとっての初LPで、上で書きましたように長尺収録可能メディアの登場に歓喜したこの音楽家が、いわば意気揚々と、うれしすぎて思わず勢いこんで、LP用に長い演奏をレコードにできるんだな、じゃあ!っていうんで、意気込み先行でやってしまったアルバムだったんじゃないかと、そう思うわけです。

 

曲づくりとはさまざまな制約下でこそ実るもの。クラシック音楽みたいにハナからレコード録音技術なんか存在しない時代に、生演奏ライヴで披露されることだけを前提に作曲された(から長さに制約がない)世界とは、ジャズは違っているんです。(SP)レコードの登場とともにジャンルそのものが生まれ出で、発展した音楽なんです。レコードとジャズは切り離せないものなんですよ。

 

SPレコードの約三分間という物理的制約があってこそ、1940年代までのデュークの曲は生きるものでした。三分で言いたいこと、表現したいことを尽くせるように、デュークも苦心して、その結果があんな宝石の数々に結実したわけです。それを10分以上にわたるコンサート・アレンジにしてみたって、しょせんは引き伸ばしただけのものに聴こえてしまいます。

 

デュークがLPメディア向けに本当にすぐれた曲を書きオーケストラで演奏するようになったのは、もうちょっとあとになって、最初から一曲20分程度という前提で曲づくりするようになってからです。SP用に書かれた曲のロング・ヴァージョンじゃなくて、LP用の曲づくりをはじめてからは、10分以上の演奏時間がある曲でも冗長に感じなくなりましたよね。

 

おもしろいのは、そうやってLPレコード用に曲を書き演奏・録音・発売されたもののなかには、実はそんなに長い曲が少ないということです。結局は数分で一曲が終わることが多いですし、長い組曲形式のものは短いセグメントに分割され、それが連続しているだけなんです。『マスターピーシズ』みたいに<一曲>がとぎれなくダラダラと15分もあったりするものは見当たらないんですよね。

 

ひとことでまとめれば、キャリア初期からアーティスト志向の強かったデュークは、LPメディアの登場がうれしくてたまらなかった、飛び上がって喜んだ、よ〜し!っていうんで、挑んだのが『マスターピーシズ』などだったと、そういうことじゃなかったでしょうか。

 

(written 2020.11.4)

« 初期デューク・エリントンのブラック・ミュージック志向 〜 ジャングル・サウンドとはなにか | トップページ | マイルズのオーケストラ・サウンド志向 »

オーディオ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 初期デューク・エリントンのブラック・ミュージック志向 〜 ジャングル・サウンドとはなにか | トップページ | マイルズのオーケストラ・サウンド志向 »

フォト
2022年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ