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2021年3月

2021/03/31

カセットでどんどんコンピをつくっていたあのころ

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(9 min read)

 

プライヴェイト・コンピレイションをフィジカルでいちばんどんどんつくっていたのは、部屋のなかの風景を憶えているから間違いありませんが、1988〜94年あたりです。もちろん当時はカセットテープでつくるんですけど、95年に新築のマンションを買って引っ越すとき、たぶん50本以上ありました。引っ越してなぜかやめちゃいましたけど。

 

記憶ではコンピ・カセットをつくったいちばん最初は、高校二年生のときにとなりの高知県に住む同級の女性ペンパル(死語)に贈るため、レッド・ツェッペリンのベストをつくったことでした。あのとき、ラジカセをステレオ・スピーカーの前に置いて、空中で音を拾ったんですよ。笑い話ですが、それしかやりかたがわかりませんでした。

 

高三からジャズにハマりだしどんどんレコードを買ってはカセットにダビングする(のはステレオ・セットのない自室で聴きたいがため、今度はもちろんケーブルでつないで)という毎日が到来しましたが、言うまでもなくカセットの片面収録可能時間のほうがレコードの片面よりも長いものを使わないといけないわけです。

 

するとですね、ばあいによってはテープがすこし or かなり余ってしまうことになって、そのテープの残り空き時間がもったいないかもと感じたはじめたぼくは、レコード片面をダビングし終わったおしりにちょこっとほかのレコードからの一曲、二曲を入れて埋め合わせをするようになりました。

 

思えばこれがアルバム志向ではない曲単位志向であるぼくの音楽趣味のはじまりだったかもしれません。1980年前後。だんだんと、こっちのアルバムのこの曲の次に続けてあっちのアルバムのこの曲が流れてきたらおもしろいかもしれないなとか、そんな流れを考えはじめるようになったんでしょう、いつのまにかそんなことを行動に移すようになりました。

 

ラジオ番組の影響もあります。アルバム片面か 一枚ぜんぶを通してかけるFM番組もあるにはありましたがかなり例外的なことで、ほとんどの音楽番組は曲単位でとりまぜていろんなのがどんどん流れるわけです。個人的にはDJのおしゃべりはジャマだと思っていて、音楽だけどんどん流せ!と思っていましたが、そういう番組は少なかったです。

 

でも少しだけあるにはあって、特に大学院に進学してから聴きはじめたFM東京毎週土曜深夜27時からの一時間番組『FMトランスミッション・バリケード』がほんとうにおもしろくって。あの番組はしゃべりがまったくなかったんですね。

 

最初に番組名だけ言うといきなり音楽が鳴りはじめそのまま30分。そこでスポンサー名だけひとこと言ってCMなしでまた30分ノン・ストップ。最後にその日の選曲者と曲名・音楽家名を言うだけ。

 

ファンク、ロック、ニュー・ウェイヴ、ジャズ、レゲエ、ヒップ・ホップ、ブラジル、サルサ、アフリカ、ラテンなど、縦横無尽で斬新な選曲で流れていました。ノン・ストップ・ミックスで。

 

キング・サニー・アデを知った(衝撃だった、背筋に電流が走った)番組だったのでいまだに忘れられないんですが、その『FMトランスミッション・バリケード』を片面60分カセットに録音して、楽しかった回は翌日以後もくりかえし聴くようになりました。そのテープがたまっていったんですけど、これがぼくのマイ・コンピ・カセット、つまりミックス・カセットですね、作成習慣の直接のきっかけだったかもしれません。

 

あのころはまだ持っているレコードやCDの数もさほど多くなくて、だからだいたい把握していましたよねえ、そんなことでこっちのこの曲に続けてあっちのあの曲を、とか、コンピレイション作成的な、DJっぽい発想が浮かびやすかったんじゃないかと思いますが、どんどんやりはじめたその最初のころのことはもう忘れてしまいました。

 

外観をきれいに仕上げることにこだわるタイプなので、コンビニとかで買ったカセット付属の紙は使わずに、別売りの、色のついたきれいな、そう、当時はカセットで音楽を聴く習慣の全盛期でしたから、アルバム名や曲名を書くカラフルな紙がたくさん売ってあったんですよ、それを買って使っていました。文字は最初タイプライター、その後ワープロ機で印刷していました。手書きは(ヘタなので)イヤでした。

 

問題は選曲ですよねえ。思いつくまま並べても、カセット片面の時間の長さ、はいろいろでしたけど最長でも60分ですからその範囲内におさまるように計算しないといけません。メモ用紙みたいなのに曲名と一曲ごとの時間を書き出して、それで手動で計算するんですよね。長すぎてはみ出しちゃダメだけど、短すぎてもおもしろくないっていう。

 

いちおう流れというか、ジャズの次にロックが来てその次にアフリカが来てファンクになっても違和感ないように、聴いて楽しいように、曲とその流れを考慮しなくちゃいけません。それをああでもないこうでもないとあれこれ選んだり並び替えたりしている時間が、そりゃあもう楽しかったんです。いまならさしづめ、SpotifyやApple Musicでプレイリストをつくる楽しみに相当しますよね。それをぼくは1988年ごろからやっていたんです。

 

どんどんつくってどんどんカセットがたまり、毎日のようにそれを自分で聴いては楽しんでいました。ほんとうに至福の時間だったんですけど、1995年に引っ越す際にレコード・プレイヤーを処分しちゃったんですよね。もうこれからはCDの時代だ、なんでもぜんぶCDになるんだと思って。

 

それもあってか、引っ越してからマイ・コンピ・カセットを作成しなくなりました。再開するのはパソコンのiTunesアプリが登場して、CDからどんどんインポートするようになってから。iTunesだとプレイリスト作成が実にカンタンなんですよねえ、あまりにもカンタンすぎて、アホみたいにあっけないほどで、CD-Rに焼くことができるようになってからは、ふたたびコンピレイションを、今度はCD-Rで作成するようになりました。

 

CDだと約79分。カセット(やレコード)みたいにA面B面っていうのがなくなったから、その分構成を考える必要がなくなってラクにはなったんですけど、同時に楽しみもちょっと減ってしまったかもしれません。中村とうようさんもそんなふうに言っていたことがあったかと思います。

 

個人的にはもはやCD-Rに焼くこともしなくなりました。パソコンからそのまま(無線で)アンプに接続するようになってからは、ストレージ内のファイルをちゃんとしたオーディオ装置で聴くことができるようになりましたので、CDに焼かなくてよくなったからです。

 

さらに2021年現在ではもっぱらSpotifyしか使ってなくて、100%近くSpotifyでしか音楽を聴かなくなりましたけど、Spotifyもプレイリストをつくるのはやっぱり実にイージー&カジュアルなんですよね。

 

だからどんどん、ほぼ毎日のようにSpotifyでプレイリストを作成するようになって、現在ぼくの自作Spotifyプレイリストはたぶん300個以上あるんじゃないですか。コンピレイションというかミックス、プレイリストをつくる、それを聴く、というのはほんとうに楽しいんですよね。そんなことをぼくは1988年ごろからずっとやっています。

 

(written 2021.1.19)

2021/03/30

快感度数の高いジャズ・ボッサ 〜 ジョアン・ドナート

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(3 min read)

 

João Donato / Muito À Vontade

https://open.spotify.com/album/5FGaurz20J0ue1AQPjx0JA?si=qAC6zYm1SSaQNIfRm_t9DA

 

ジャズ・ボッサ史上No. 1ピアニスト、ジョアン・ドナート(ブラジル)。最近アナログ・リイシューされたらしいアルバム『Muito À Vontade』のオリジナル・リリースは1963年でしたっけ。Spotifyのでは1962となっていますけど、63年じゃないかなあ。

 

それで、ジョアン・ドナートの1960年代ジャズ・ボッサ・アルバムは、去年『A Bossa Muito Moderna』のことを書きましたが、あのときは姉妹作品みたいなこれら二枚が 2in1 でCDリイシューされたんでした。今回ヴァイナル・リイシューになったのは『Muito À Vontade』のほうだけなんですかね。

 

いずれにせよ編成はジョアンのピアノ・トリオ+パーカッション。四人で趣味のいいサロンふうっていうか室内楽なジャズ・ボッサを演奏しているんですが、これがもう快適そのもの。極上のムードなんですね。決して激しかったりしないし、かといってふわっとしたバラードみたいなのでもなくて、すべてが中庸テンポのおだやかなジャズ・ボッサ。

 

なんの歯ごたえもないよ、とみる向きもおありでしょうが、部屋のなかで流しながらくつろぐにはこれ以上ない好適な音楽なんですよ。ブラジルにはこの手のリラクシング・ミュージックがわりとあるなと前から思っていますが、選択肢が豊富なのはさすが世界一の音楽大国です。

 

ジョアンのピアノのうまさもきわだっているし、歯切れよい正確な鍵盤タッチで、あくまで曲のムードをこわさないように雰囲気重視で演奏していますよね。リズム・セクションは脇役ですけど、ドラマーなんかもハイ・ハットとスネアを中心に地味なリズム・キープ役に徹し、ボンゴのアマウリ・ロドリゲスもいい味を添えています。

 

なかにはちょっとハード気味っていうかリズムにエキゾティックな味があるかも?と思える曲も混じっていたりして。たとえば6曲目なんかはリズム重視ですし、ジョアンも強めに鍵盤を叩いていますよね。ラスト12曲目もなんだか出だしのピアノ・フレーズからして異色です。ちょっぴりアフロ・キューバンっていうかカリビアンかも。

 

ともあれ、こんなにも気持ちいい音楽、なかなかないんですよね。

 

(written 2021.1.18)

2021/03/29

ラテン・ベースのロンドン・クラブ・ジャズ 〜 マット・ビアンコ

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(3 min read)

 

Matt Bianco & New Cool Collective / High Anxiety

https://open.spotify.com/album/7nCHMzb1xR8yNcLCrQMHMt?si=BGUCykJcSByLFXCQbt3_wA

 

現在はマーク・ライリーひとりの個人ユニットであるマット・ビアンコ。オランダのクラブ・ジャズ・コンボ、ニュー・クール・コレクティヴと組んでの、これは三作目かな、『ハイ・アングザエティ』(2020)を聴きました。なかなかクールでいいですよ。

 

新作のために2020年の頭ごろ、両者はアムステルダムで合流してリハーサルを開始。しかしその途上で新型コロナ禍によるロックダウンとなってしまい、以降はアムステルダムとロンドンでネットを介してのリモート・ワークを進めたそう。オンラインであれこれやりとりしながらレコーディングが行なわれたようで、とはいえ、いっしょにワールド・ツアーまでやった仲、コンビネーションはばっちりで、完成したアンサンブルはなかなかにアクースティカルかつ躍動的です。

 

アルバム『ハイ・アングザエティ』は、基本クラブ・ジャズながら、ロンドンらしいカリブ風味にもあふれているといった感じでしょうか。マークは全曲で歌もやっています。演奏はニュー・クール・クレクティヴが中心なのかな。ジャズといっても楽器インプロ・ソロみたいな部分はあまりなく、グループとしての全体のグルーヴで聴かせる現代ロンドン・クラブ・ジャズという趣きです。

 

マット・ビアンコらしいラテン、ジャズ、R&Bなどの要素をほどよいバランスで共存させた世界観を、ホーン・セクションを大きくフィーチャーしたアナログなジャズ・コンボ・サウンドに乗せて聴かせるという以前からの基本路線を引き継ぎつつ、さらにレゲエ〜スカ調、あるいはクンビア調のアプローチを強めた感じで、カッコいいです。

 

そう、アルバムのだいたいどの曲も中南米のリズム・ニュアンスが聴きとれるというのが今回最大の特色で、そんな調子をベースにしつつロンドン・クラブ・ジャズ仕立てになっているといった音楽だなと思います。ニュー・クール・コレクティヴの演奏にはコンピューターやシンセサイザーを使ったような痕跡はなし。あくまで人力アナログ演奏でしょう。

 

(written 2021.1.17)

2021/03/28

ティファナ・ブラスみたいなのが好き 〜 フラット・ファイヴ

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(3 min read)

 

The Flat Five / Another World

https://open.spotify.com/album/0BurHAIF0ARWbgWBaBQJUm?si=V4RaX2x3RXGe1Su_UkGg8w

 

萩原健太さんに教えてもらいました。
https://kenta45rpm.com/2020/11/26/another-world-the-flat-five/

 

フラット・ファイヴはシカゴ本拠の五人組ハーモニー・ヴォーカル・グループ。二作目にあたるという2020年の『アナザー・ワールド』を聴きました。なかなか楽しいんですよね。五人はヴォーカルだけじゃなくそれぞれ楽器も担当していて、歌に演奏にと、自分たちでこなしているみたいですね。

 

1曲目はなんだかちょっとチープな感じのサウンドに乗せて、でも立派で楽しいヴォーカル・コーラスが聴かれます。曲もみずから書いているみたい。その後も、サンシャイン・ポップふうあり、小粋にスウィングするジャズっぽい小唄あり、ポップ・カントリー系あり。ときにママス&パパスのようでもあり、ジャッキー&ロイのようでもあり、アニタ・カー・シンガーズのようでもあり、スターランド・ヴォーカル・バンドのようでもあり、中期ビーチ・ボーイズのようでもあり、それこそNRBQのようでもあり。

 

特にジャジーなヴォーカル・グループのことをぼくは連想するんですが、なかでも今回特筆すべきなのは7曲目「バタフライズ・ドント・バイト」と11曲目「オーヴァー・アンド・アウト」です。これら二つはティファナ・ブラス・サウンド+サンドパイバーズみたいな初期A&Mっぽい感じなんですよね。個人的におおいなるお気に入りです。7曲目がことにティファナ・ブラスっぽい。

 

バンジョー・サウンドがいい感じに響く10曲目も好きだけど、アルバム・ラストの11曲目「オーヴァー・アンド・アウト」。これがもうほんとうに大好き。これはリズムとホーンズ、特にトランペットがキューバ音楽ふうのラテン風味、ソンっぽいところをを濃厚にかもしだしているんですよね。ちょっとメキシコふうでもあって、やっぱりティファナ・ブラスだなと思わないでもないですが、こっちはもっとカリブ寄りですね。いやあ、気持ちいい。

 

ばっちり歌えるメンバーがそろっているものの、全員でこれみよがしにぶわ〜っとオープン・ハーモニーをキメるとかそういう方向性ではなく、リード・ヴォーカルに対してとても巧みなハーモニー・ラインをさりげなく一本くわえて、なんともふくよかな味わいを演出しつつ、これまた緻密なヴォイシングをほどこしたウーアー系ハーモニーを背後に配する、みたいな感じの、ハイセンスなヴォーカル・アレンジ力に脱帽です。

 

(written 2021.1.16)

2021/03/27

インティミットなブルーズ・ロック・カヴァー集 〜 ラーキン・ポー

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(6 min read)

 

Larkin Poe / Kindred Spirits

https://open.spotify.com/album/31HGWFxU5AgjAoMZH1t5ft?si=ztA8r5SsSkCA9FNvtZ8KEQ

 

レベッカ(ギター、リード・ヴォーカル)とミーガン(リード・ギター、コーラス)のローヴェル姉妹がツー・トップを担う時代遅れのブルーズ・ロック・バンド、ラーキン・ポー。以前、2020年のアルバム『セルフ・メイド・マン』のことを書きました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-379f0f.html

 

ここから半年も経たないうちに早くも新作がリリースされていました。やはり2020年作の『キンドレッド・スピリッツ』。これ、配信(ストリーミング/ダウンロード)でなら世界で自由に聴けますけど、フィジカルは基本ショップで扱っておらず、公式サイトのみでの販売みたいです。
https://shop.larkinpoe.com/collections/music/products/larkin-poe-kindred-spirits-cd

 

そういえば、最近CDとかでもストアやショップでの流通に乗せず、みずからサイトで直販したりBandcampなどのプラットフォームを利用したりというパターンが増えてきていると思いませんか。ネットが普及したからこそですけど、これも時代の流れですよねえ。

 

昨年暮れにエル・スールの原田さんともしゃべったことなんですが、レコード・ショップ、CDショップはもはや役目を終えつつあるのかも。音楽は配信で聴いたり、フィジカルだって音楽家みずからサイトで直販するし、情報は公式サイトやSNSで本人から入手できるし、なんだったら当の歌手や音楽家自身ともSNSで交流できちゃうっていう。

 

ともあれ、ラーキン・ポーの最新作『キンドレッド・スピリッツ』はカヴァー集で、どうして前作のように自分たちで曲を書かなかったかというと、2020年以後のコロナ禍でこのバンドもYouTubeとかで多彩なカヴァー曲を着実なペースで公開し続けていたんですけど、だからたぶんそれがきっかけですよね。アルバムにして発表してみたらどうか?となったんでしょう。

 

収録曲とそのオリジナルを以下に一覧にしてみました。

 

1)ヘルハウンド・オン・マイ・トレイル(ロバート・ジョンスン、1937)
2)フライ・アウェイ(レニー・クラヴィッツ、1998)
3)ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド(ニール・ヤング、1989)
4)ユアー・ザ・デヴル・イン・ディスガイズ(エルヴィス・プレスリー、1963)
5)イン・ジ・エア・トゥナイト(フィル・コリンズ、1981)
6)ナイツ・イン・ワイト・サテン(ムーディ・ブルース、1967)
7)フー・ドゥ・ユー・ラヴ(ボ・ディドリー、1956)
8)テイク・ワット・ユー・ウォント(ポスト・マローン feat. オジー・オズボーン&トラヴィス・スコット、2019)
9)ランブリン・マン(オールマン・ブラザーズ・バンド、1973)
10)ベル・ボトム・ブルーズ(デレク&ザ・ドミノス、1970)
11)クロコダイル・ロック(エルトン・ジョン、1972)

 

二人とも30歳前後っていうラーキン・ポーの世代からしたら、だいたいどれもリアルタイムでは知らなかったはずのもの。ポスト・マローンの8曲目は2019年だからもちろん聴いていたでしょうけど、あとはかろうじて1998年のレニー・クラヴィッツだけくらいじゃないですか。

 

ストレート・カヴァーもあれば大きく換骨奪胎しているものもあり、さまざまですが、一貫しているのは古典ロックへの敬意の念がしっかり刻印されているということですね。いかにもラーキン・ポーらしいところで、前作だってクラシカルなブルーズ・ロックのスタイルそのまんまだっわけですが、今作ではそんなクラシックスの数々をカヴァーして、この二名の音楽志向をストレートに表明しています。

 

例外もあるものの、どの曲もバンド形式ではなく、ベースもドラムスも入らない姉妹二人だけでの演奏。レベッカがアクースティック・ギター、ミーガンがラップ・スティール・ギターっていう、たったそれだけ+ヴォーカルで構成されている、シンプルなサウンドで、コロナ禍ゆえに、かえってそれでこの二人のブルーズ・ルーツ志向が鮮明になっていますから、結果的にはオーケーですよね。

 

そんなシンプルな、二人だけでの演唱が、よそいきじゃないアット・ホームな親近感に満ちた部屋着のままのブルーズ・ロックをかもしだしてくれているのがうれしいところ。もちろんYouTubeでどんどん公開している日常的なセッションの模様そのままにアルバムにしたからってことです。飾らない地味でシブくインティミットな感触が、クラシック・ロックの本質的一面をみせてくれています。特に今回はミーガンのブルージーなスティール・ギターが味わい深くていいですね。

 

後追いで聴きまくり掘り下げたんだなあってことがよく伝わってくる内容で、2020年代にこうした1960〜70年代中心のクラシック・ロック・ナンバーをそのまま再現するというのがいまさらなのかどうかわかりませんが、ぼくら初老おじさんファンの嗜好にそのままピッタリ合っているこのラーキン・ポーのカヴァー集、素直に歓迎です。

 

(written 2021.1.15)

2021/03/26

辛口ジャイヴ・ミュージシャンだった初期ナット・キング・コール

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(6 min read)

 

Nat King Cole / Hittin’ The Ramp: The Early Years (1936-1943)

https://open.spotify.com/album/6VtPGw5XqQvG5ALmCAYzFB?si=zoYSk3rkTD6Fa5ZE4jPj-w

 

ナット・キング・コールの初期録音集『ヒティン・ザ・ランプ:ジ・アーリー・イヤーズ(1936-1943)』。CDは2019年暮れに出ていたようですから、そのとき話題にするひとがいたかもしれません。サブスクで聴けるようになったのは翌2020年になってから(レゾナンス・レコーズのはいつもそう)。それでぼくみたいな貧乏ゆえの非フィジカル派もようやく楽しめるようになりました。

 

ナット・キング・コール・トリオの初期、1936年から1943年まで、キャピトル・レコーズに移籍してスター街道を爆進することになるその前の音源を総まくりしたものなんですけど、2019年はナットの生誕100周年でしたから、それを記念して企画・リリースされたものでしょうね。

 

キャピトルに移籍して以後のナットのことは、もはやいまさら説明する必要などだれにとってもないっていう、そんな大活躍ぶりだったわけですけど、それ以前のナットの音源集大成ということで、CDだと七枚組になるこの『ヒティン・ザ・ランプ』は決定版ですね。レゾナンス・レコーズによる徹底したリサーチぶりで、細部までもらさず<すべて>を収録してあります。

 

この、キャピトル以前の初期ナット・キング・コール全集、トータルで六時間以上もありますからまとめてぜんぶ一度に聴くというのはむずかしく、あちこち拾い聴きしているだけですけど、それでも全体を貫くこの時期のこの音楽家の持ち味みたいなものはクッキリ伝わってきます。

 

ひとことにすれば洗練されたクールなジャイヴ風味ということで、それは、キャピトル以後、特に偉大なポップ・シンガーとなった1950年代以後のナットからは失われてしまったものなんですね。キャピトル以前の初期ナットはこんなにも辛口で、シブくて、おしゃれで、ユーモラスだったわけです。

 

活動期が1936年からですけど、ジャズ界はちょうどそのころビッグ・バンド全盛期。もちろんジャイヴ・ミュージックをやる少人数コンボもあるにはありましたが、キャブ・キャロウェイほか、やはりジャイヴをやっていてもビッグ・バンドで、というのが主流でした。

 

1930年代後半のナットはちょうどそんな時代の常識の逆を行ったわけで、もちろんピアニストとしての腕前を存分に活かせるようにトリオでやったということですよね。このピアノ・トリオという形式だって、モダン・ジャズ時代以後現代までだれひとり疑いすらもしないあたりまえなフォーマットですけど、「いちばん最初」はナット・キング・コール・トリオだったんですからねえ。すなわち発明者。

 

当時のピアノ・トリオはドラマーの入らないピアノ+ギター+ベースの編成。ナットのやったこれがあまりにもチャーミングだというんで真似されるようになって、さらにビ・バップ以後はギターじゃなくドラムスが入ってのトリオ形態が一般的になり、現代まで継承されています。でも、ピアノ・トリオをジャズ史上はじめてやったのはナットだったんですよ。

 

また、このころのナットのトリオ(withヴォーカル)は、かなりアレンジされているのもわかりますよね。ジャイヴ・ミュージックとして楽しく聴かせるため、そのユーモア効果を最大限に発揮するため、演奏や歌の細部に至るまで細かく整備されています。決してインプロイヴィゼイション一発ではなかったんですね。そんなウェル・アレンジド・ミュージックだったというのもこのトリオの大きな特色で、好みなところです。

 

また歌もさることながら演奏にかなり比重が置かれているというのもこの時代のナット・キング・コール・トリオの聴きどころ。もちろんナットのヴォーカルは最初余技ではじめただけのもので、もともと専業ジャズ・ピアニストとして出発したから、というのもあります。録音を聴けば、演奏内容でクスッと笑わせる痛快なジャイヴ・テイストをかもしだしているのがわかりますよね。キャピトル移籍後だってはじめのうちはインストものもやっていましたが、その後ヴォーカルに専念するようになってしまいました。

 

もっと正確に言えば、演奏と歌のバランスがよいのがこの時期のナット・キング・コール・トリオで、徹底したアレンジで歌と演奏を不可分一体化させて、独自の洗練とユーモアで、ジャイヴ風味の強いジャズをやっていたというのが真相です。

 

豪華で瀟洒なオーケストラ伴奏で「モナ・リーサ」「枯葉」「トゥー・ヤング」「ネイチャー・ボーイ」「スターダスト」などを優雅に歌うポピュラー・シンガーとしてのナット・キング・コールしか知らなかったら、はっきり言ってひっくりかえるといいますか、はたして同じひとなのだろうか?と思ってしまうほどでしょうね。いままでナットの甘いポップ・ヴォーカルが苦手だなぁと思っていたみなさんにもオススメです。楽しいですよ。

 

(written 2021.1.13)

2021/03/25

レッタ・ンブールの2007年作で聴けるグルーヴ・チューンは最高だ

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(3 min read)

 

Letta Mbulu / Culani Nami

https://open.spotify.com/album/3cTVvGdL3o05ARoyPpDcgB?si=EXpFWxdVT8G20S1g7zV52w

 

bunboniさんに教えてもらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-11-21

 

南アフリカの歌手レッタ・ンブール(Letta Mbulu)の2007年作『Culani Nami』がなかなかいいですよねえ。もう出だし1曲目をきいただけで好きになってしまいました。このグルーヴですよ、心地いいのはですね。クワイトなのは2007年という時代を反映してのことでしょう。

 

ほんとうにこの1曲目のことが好きで好きで(もう一個大好きなのはラスト・ナンバー)たまらないんですが、やっぱりこういったアップ・ビートの効いた音楽がぼくは大好きなんですよね。気分いいし、楽しいし、アガるし、もうミディアム/スローよりも断然好き。

 

これら1曲目と10曲目の気持ちよさがすべてで、それだけで愛聴しているとしても過言ではないレッタのこのアルバム、そのあいだにはさまっているものもなかなか出来がいいです。ていねいにサウンド・メイクされているし、レッタのヴォーカルも落ち着いて語りかけるような調子で。

 

ビートは生演奏のものと打ち込みのものがまじっているみたいだし、ホーン・セクションなんかもシンセサイザー?と思わせるときもあります。でもこれはレッタがどうこうっていうよりも、アルバム全体でプロデュースの勝利でしょうね、ここまで聴かせるトラックをつくるっていうのはですね。

 

4曲目のリズムの感じ、テンポ設定もいいし(ここらへんは生演奏ビートでしょう)、バック・コーラスもしっかり重ねられていますね。ちょっとカリビアンな雰囲気もグッド。6曲目はコンピューター・サウンドが伝統リズムをいい感じにモダンなグルーヴに変化させた、なかなかの聴きもの。

 

続く7曲目(英語題で歌詞も英語)は、個人的にはイマイチな感触も残りますけど、アメリカン・ソウル・ミュージックのファンにも聴いてもらえそう。ほんのかすかにゴスペルっぽいような。そしてその後ニ曲を経てのアルバム・ラスト10曲目。これがも〜うほんとうにすんばらしい。

 

快調なビートの効いたグルーヴ・ナンバーで、南アフリカからブラジルを臨んだような一曲。リズム・トラックもホーン陣もハンド・クラップもコーラスの感じも、なにもかもが最高で、こ〜りゃいいなあ。後半でブレイクが入ってくるところでのコンガ・ソロもみごと。なんども言うけど、このラスト10曲目はサイコーです!

 

サウンドやトラック・メイクは現代的でも、レッタの歌いかたはベテランになったというだけある、年輪を重ねた深みとコクを感じさせるもので、歌い込むというよりしゃべりかけているような、そんなヴォーカル・スタイルもいい感じですね。

 

(written 2021.1.12)

2021/03/24

バラフォン演奏もかなりいいジャズ・ヴァイブラフォンの肉体派 〜 シモン・ムイエ

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(4 min read)

 

Simon Moullier / Spirit Song

https://open.spotify.com/album/3L3WspORJXJflfPcpbiUL7?si=9bEEIMTbQ2iJejenxJy9Jw

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-12-01

 

(ジャズ・)ヴァイブラフォンの若手って、どうもなんだかニュー・ヨークはブルックリンに集結しているんじゃないかと思うんですけど、違うでしょうか。きのう書いたパトリシア・ブレナンも(メキシコ人だけど)ブルックリン在住。若手最大のスター、ジョエル・ロスだってブルックリンにいますよ。

 

ステフォン・ハリスは現在西海岸ベースだけどNY出身で、以前bunboniさんが紹介していた台湾出身のユハン・スーだって、ブルックリンじゃないかもだけどNYCに拠点を置いていますからねえ。

 

そして、きょう書きたいジャズ・ヴァイブラフォンの新人シモン・ムイエ(Simon Moullier)も、フランス人ながら現在はブルックリンに住みそこを拠点に活動しているんですよ。ニュー・エイジ(・ジャズ)・ヴァイブラフォンとブルックリン、こりゃなんかあるよなあ。

 

ってなことで、シモン・ムイエのデビュー・アルバム『スピリット・ソング』(2020)も、これまたなかなかの充実作です。きのう書いたパトリシア・ブレナンみたいな前衛的でアブストラクトでアンビエントなところなど微塵もなく、明快にガンガン叩く、いわば肉体派ですね。

 

アルバムのメンバー編成も、自身のヴァイブ+サックス+ピアノ+ベース+ドラムスで、勢いに乗ってグイグイ押す、わかりやすいジャズをやっていますよね。サウンドの響きで工夫するようなところはなく、シングル・トーンで豊かなパッセージをどんどん叩きだすといったあたりに特徴があるひとです。

 

きのう書いたパトリシア・ブレナン(には惚れ込んでいます)が実験性・前衛性を旨とするソロ即興演奏家だったのに比べ、シモン・ムイエはバンド編成でジャズ王道をまっすぐ進むメインストリーマー。大勢のみなさんにとってはシモンのほうがグンととっつきやすく感じられるでしょう。たしかに明快なヴァイブ奏者です。

 

サウンド構築もパトリシアとシモンとでは正反対で、パトリシアがまるでシンセサイザーみたいな演奏法をとっていたのに対し、シモンはヴァイブの打楽器奏法から外れることがありません。両手のマレットでがんがんパッセージを叩いていくといったやりかたのひとですよね。フレイジングにも曖昧なところがなく、ノリやすくわかりやすい音楽です。

 

シモンのそんな打楽器奏法は、アルバムに二曲あるバラフォン演奏でも生きていて、アフリカ音楽的というか、バラフォンをちゃんとパーカッションとして扱っているあたりも、なかなかグッとくるところです。特にアルバム・ラスト9曲目の「Bala」はシモンによるバラフォン多重演奏なんですけど、ある意味この作品のハイライトですね。音色といいフレイジングといい音の重ねかたといい、バラフォンという楽器の特性を存分に発揮した演奏ぶりです。

 

公式ホーム・ページにバラフォン・ソロ多重演奏のヴィデオが載っているので、ぜひ観てほしいです。ヴァイブ演奏もいくつかあって、あわせればシモンの演奏家としての特徴がよくわかります。
https://www.simonmoullier.com/videos

 

(written 2021.3.13)

2021/03/23

パトリシア・ブレナン『Maquishti』がとても心地いい

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(3 min read)

 

Patricia Brennan / Maquishti

https://open.spotify.com/album/52xnMW8ir7yfyuVzUSpeTZ?si=vnCQlyI9SmG85EGUZourxg

 

一聴惚れです。

 

新人パトリシア・ブレナン。メキシコ出身で現在はニュー・ヨークのブルックリンを拠点に活動するヴァイブラフォン/マリンバ奏者ですが、そのデビュー作『Maquishti』(2021)に引き込まれてしまっているんですよね。傑作だと思います。

 

このアルバムはパトリシアの完全独奏。参加しているのはパトリシアひとりだけ。ソロ・ヴァイブラフォン(三曲だけマリンバ)演奏で組み立てているインプロヴィゼイション・ミュージックなんですよね。といっても、折々にギター・エフェクターを使ったりエレクトロニクスによるサウンド処理も聴けますけどね。

 

基本、ジャズというよりフリー・インプロヴィゼイション・ミュージックといったほうが近いのかなと感じるパトリシアの『Maquishti』。前衛フリー・インプロというとかなり苦手とする分野なのですが、このアルバムだけは不思議と聴きやすく心地よい感触で、聴いていてイージー&スムースに気持ちが静かに落ち着いていく、吸い込まれるような音楽だなといった感想です。

 

『Maquishti』におけるパトリシアは、フレイジングで組み立てていくやりかたじゃなくて、サウンドの響き重視といいますか、これはたぶんアンビエント・ミュージックふうな音構築をしているんだなと思います。ヴァイブのフレーズは、できるだけ贅肉をそぎ落とし、必要最小限の音数だけを叩いて、その残響音もひっくるめた上でのサウンド・トータルで聴かせていますよね。

 

ヴァイブの音色って、もちろんもとから硬質なんですけど、パトリシアの奏でる音は不思議とやわらかい暖かみをまとっているように感じられ、フレイジングだけなら、たとえばエリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』で演奏するボビー・ハッチャースンみたいだなと思うものの、できあがったサウンドの響きはまったく異なっています。

 

緊張を強いられる音楽じゃなくて、パトリシアの『Maquishti』は聴いていて安楽気分でくつろぐことができるもので(ぼくはね)、スムースに音楽が流れるので、トータルで一時間近いフリー・インプロがあっというまに終わってしまいます。「聴き通とおすのに体力が必要」との評も見かけたんですけど、そんなことないですよ、正反対の印象です。

 

夜遅くなってから、部屋の照明をちょっと落として、これからベッドへと向かう入眠準備といった時間帯に、これ以上ないリラクシングなムードを演出してくれるパトリシアのヴァイブ独奏『Maquishti』、なかなか得がたい快楽音楽に出会えて、ほんとうに幸運だったなと思います。

 

心地いい、気持ちいい、不思議にデリケートで、やわらかく聴きやすい、まるで香りのいい空気につつまれているかのような音楽に思えます。ヴァイブの音しか入ってないのに、なぜか豊穣な響きがします。

 

今年の年間ベスト一位はいまのところこれでしょう。

 

(written 2021.3.12)

2021/03/22

ジャズから離脱してMPBバンドになったルデーリ 〜『Baden Inédito』

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(3 min read)

 

Ludere / Baden Inédito

https://open.spotify.com/album/2g0pBqHtZkQM7Ty1bs0z52?si=nfHge7YlRh65DM_33Tggzw

 

ブラジルの新世代ジャズ・バンド、ルデーリ(Ludere)。ライヴ・アルバムをはさんで通算四作目の新作『Baden Inédito』が昨2020年秋にリリースされましたよね。ぼくはなかなか好意的に聴きました。でもかなり変貌したというのは事実です。

 

いままで三作でのルデーリはブラジル色皆無のコンテンポラリー・ジャズ・バンドとして活躍してきたわけですけど、この四作目『Baden Inédito』ではかなり大胆にブラジル色、そう、MPB色かな、それを打ち出してきましたね。アルバム題が示唆するように、この新作はバンドのピアニスト、フィリップの父でギターリスト、バーデン・パウエルの、それも未発表曲ばかりをとりあげたものです。

 

もう1曲目からして、いままでのルデーリではありえないポップさ。サン・パウロの歌手ヴァネッサ・モレーノをフィーチャーした、きわめて聴きやすくストレートなポップなナンバーですからね。いままでのルデーリにこだわりを持つファンからは、一種の「裏切り」みたいなものとしてとらえられそうですけれども。

 

ポップで明快で聴きやすい感じになるのは悪いことじゃないし、音楽的に上質なのはあきらかな、このルデーリの新作、それでもビートを細分化して割りながら叩いていくっていうダニエルのドラミングはそこそこ堪能できますし、グルーヴィでしょう。アルバム全体がジャズっていうよりフュージョンっぽい感じになっていますけど、ぼくはフュージョン好きですからね。

 

またアルバムの4曲目と、これまたヴォーカリストを起用した7曲目は、二作目&三作目にあった「アフロ・タンバ」のリズム・パターンで、快感。リム・ショットもまじえながら細かく叩いていくダニエルのスタイルがほんとうにキマっています。こういったちょっとしたアフロ・ブラジル的な(ボサ・ノーヴァっぽくもある)ビートの感じがぼくは大好き。このリズム・パターンを使った曲はほかにもあって、今回の新作での一つの大きな特色になっていますね。

 

ジャズっていうよりMPBバンドになったとも言える今作でのルデーリ、それでもアルバム・ラストの9曲目はガブリエル・グロッシ(ハーモニカ)をむかえての高速ショーロ。ここではコンテンポラリー・インスト・バンドとしてのルデーリが本領を発揮していて、以前からのファンにも歓迎されそうです。

 

(written 2021.1.11)

2021/03/21

ファンク演歌だったり民謡演歌だったり 〜 杜このみの歌が実にいいよ

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(6 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/1UN9KVf5PNuOCVdMjY2SMa?si=004MzBzJTUuPn6OVy7iIRw

 

北海道生まれ、民謡界出身の演歌歌手、杜このみ。大相撲の高安と結婚し妊娠中ということで(注:2021年2月17日に無事出産)、歌手活動をいまちょっと休んでいますが、このみは民謡界出身にしてはありえないほどストレート&ナイーヴでポップな歌いかたをする歌手なんですよね。

 

シングル・コレクションの1と2がSpotifyにありますので(2は昨年暮れに発売になったばかり)、それをまとめたプレイリストを上のリンクで貼っておきました。ぜひちょっと聴いてみてください。ぼくはこのみのことが好みなんです。

 

なかでもこりゃすごいとビックリ仰天するのが第一集収録の「初恋えんか節」。2014年の「のぞみ酒」のカップリングだったものですけど、どう聴いても「初恋えんか節」のほうがカッコイイです。この強靭でファンキーなビート、まさにファンク演歌と呼ぶべき壮絶なものじゃないですかね。

 

リズム・セクションが表現する曲のビート感がすごいなと思うんですけど、特にエレベとか超絶グルーヴィですよねえ。ブレイクの入りかたも絶妙。こんな演歌、聴いたことないですよ。曲は聖川湧、アレンジが丸山雅仁。このみのヴォーカルもハキハキと歯切れよくノリよく伸びやかですよね。いやあ、この「初恋えんか節」、こんな曲があったなんてねえ、ビックリですよねえ。二度言いますけど、これはファンク演歌です。

 

もともとこのみはデビュー曲が「三味線わたり鳥」で、ここからしてすでにロック/ファンク調の演歌路線だったんですよね。明るくポップでリズミカルな曲調と歌いかたで、このみにしかできない世界をつくりあげているなと思います。B面だった「江差初しぐれ」のチャーミングなバラード系もみごとです。

 

それにしてはその後、かな〜り旧来的な演歌楽曲も与えられていますけどね。シングル・コレクションの第一集だと12曲目の「尾道街道」、15「萩の雨」、第二集だと4曲目「おさらば故郷さん」、8「めぐり雨」など、製作陣はどうしてここまで超古くさ〜い演歌を若手新世代歌手のこのみに歌わせるのか?といぶかしむほどですよ。それらはちょっと救いようがないなぁと思っちゃいます。

 

シングル・コレクション、第一集には必殺キラー・チューンの「初恋えんか節」があったわけですが、第二集のほうには第一集にない二つの大きな特色があります。「秋田長持歌」「津軽じょんから節」「江差追分」と三曲の民謡を収録していること、ポップ・ソングのカヴァーも「真赤な太陽」「時の流れに身をまかせ」「夢一夜」と三曲あること。

 

民謡は演歌デビュー前のこのみの本来領域で、子ども時分から成人まで全国大会でなんかいも優勝を果たしています。12歳で江差追分全国大会少年の部で当時史上最年少優勝。その五年後には優秀歌手選抜一般決勝大会北海道民謡の部で優勝、江差追分の部でも優勝しています。

 

22歳では秋田長持唄全国大会で優勝、津軽五大民謡全国大会津軽よされ節の部でも優勝などを成し遂げ、アメリカやブラジル、ヨーロッパにも出かけていって民謡のコンサートを開催しているくらいなんですね。三味線の腕前も一級品で、シングル・コレクション第二集収録の「津軽じょんから節」での演奏はこのみ自身でしょう。

 

かなりおもしろいなと思えるのは、第二集の13曲目「江差初しぐれ(江差追分入り)」です。「江差初しぐれ」は2013年のデビュー・シングルのB面だった名バラードですけど、第二集収録のこっちは2018年の新録音。1コーラス歌ったら、伴奏が尺八一本になり、すっと民謡「江差追分」へと移行。一節歌い終えるとふたたび伴奏が入ってきて「江差初しぐれ」に戻るという趣向です。

 

これをこのみのヴォーカル・スタイルに注目して聴いてほしいんです。「江差初しぐれ」部分ではポップでスムース&ナチュラルな自然体歌唱法、いかにも新世代演歌歌手だという歌いかたなんですけど、「江差追分」部分では民謡歌手らしいしっかりしたコブシをまわしヴィブラートを強く効かせていますよね。このみはちゃんと歌い分けているんです。しかもこの2パートの連続も難なくこなすっていう、これはなかなかの力量ですよ。

 

「真赤な太陽」(美空ひばり)「夢一夜」(南こうせつ)「時の流れに身をまかせ」(テレサ・テン)も抜群にいいし、こういうのを聴くとやはり2010年代以後的な新世代演歌歌手だなと実感しますよね。上で述べた古臭ふんぷんたる旧来的な楽曲とのギャップがかなり大きく思えてしまいますが、さあ、出産後落ち着いたらたぶんこのみも復帰してくれると思いますから、どんな路線の歌を聴かせてくれるか、楽しみですね。

 

(written 2021.1.10)

2021/03/20

中澤卓也の声が甘くて美しくて、とろけちゃう

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(6 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/66Lf4IinQbEhMFaOzBfsV4?si=9cPsQjpfRPmDkJE2Z65hAA

 

演歌第七世代の旗手、中澤卓也の歌をはじめて聴いたのは、2019年8月7日のこと。東京北区王子は北とぴあでのDAMチャンネル演歌のMC交代式イベント。二代目MC岩佐美咲から三代目MC瀬口侑希へとバトンが受け継がれるその番組公開収録でゲストがたくさん呼ばれて歌うわけですが、そのなかに卓也がいました。

 

もちろん美咲が主役だから出かけていったわけで、ずっと美咲を見ていましたけど、次々と登場して歌うゲスト歌手のみなさんの歌も堪能しましたよね。名前と顔と歌を知っていた歌手はほとんどいなかったはず。

 

そんななかで登場した中澤卓也の甘い歌声にはじめて触れ、ぼくはすっかり魅せられてしまったんです。ステージ上手から姿が見えた瞬間、号砲のように一斉に飛びまくる女声のド迫力の声援にもかなりビックリしましたけどね。歌のフレーズのあいまにも「た!く!やっ!」という壮絶な合いの手の声が飛び、そりゃ〜あもう、すさまじいものがありました。

 

それはともかく卓也の声。2019年のその日、二曲歌ったと思いますが、某サイトで確認すると「青いダイアモンド」と「茜色の恋」だった模様。耳にしっかり残るまろやかなスウィート・ヴォイスで、ちょっとファンになっちゃいましたね。

 

真に降参したのは翌2020年は10月12日の『三人の歌仲間』コンサートのときです。オンライン配信されたこの日のコンサート、やはりゲストで中澤卓也が登場し、最新楽曲「北のたずね人」を披露しましたが、もう、声が甘いというかまろやかっていうか、一年前にも同じ現場(王子の北とぴあ)で二曲聴いたけど、なんという成長か!と、完全にハートを射抜かれてしまった思いでした。

 

そこから卓也の歌をどんどん聴くようになり、聴けば聴くほどいい声だ、これは天性の才能だ、と確信するようになりました。ファンのあいだでは「ミラクル・ヴォイス」と呼ばれ賞賛されているものだそうですよ。いやあ、ほんとうにすばらしい歌声なんです。Spotifyリンクをいちばん上で貼っておきましたので、ご存知ないかたもちょっと聴いてみてください。

 

Spotifyで聴ける範囲でなら、いままでに卓也が発売した歌のなかでいちばんいいのは私見では「北のたずね人」じゃないかと思っています。2020年の新曲だったもの。このふわりと丸く、余裕綽々で声を出しているみたいな軽い調子だけど、声に甘さと色気と深みを自然とただよわせることのできる才は、天賦のものじゃないかと思いますよねえ。まさにスウィート・ヴォイス。

 

しかし天賦の才といっても、卓也だって最初からこれほどの歌いかたができたわけではありません。デビュー・シングル「青いダイアモンド」(2017)から順に聴いていけば、卓也もすこしづつ成長していったんだなということがよくわかります。そしてデビューして二年の2019年ごろからは、すっかり成熟した落ち着きのあるみごとな歌いっぷりを聴かせるようになったわけです。

 

ところで、そのデビュー曲「青いダイアモンド」。これ、曲としては完璧でしょう。いままでに卓也に与えられたオリジナル楽曲のなかでの最高傑作に違いありません。特にサビ部分でのビートの効かせかたとリズム・パターンが絶妙で、そのノリがほんとうに心地よく感じます。ぼくはこれを2019年8月にナマで聴いたもんだから、それで、なんてすばらしい歌手なんだとビックリしちゃったわけですよ。ステージ上での余裕たっぷりの態度も小憎らしいほどカッコよくて。

 

このほか、同種の、ちょっとラテンな、軽いビートの効いた曲が卓也にはとてもよく似合います。リズムやサウンドは細かいリズムをちゃかちゃかと刻みながら、卓也がその上でゆったりと大きく乗りながら余裕しゃくしゃくの甘い声で歌いこなしていくさまは、聴いていて本当に快感。「青いダイアモンド」のほか、「冬の蝶」「愛する君へ」、そしてなんたって「北のたずね人」、それから「江ノ島セニョリータ」「青山レイニーナイト」。

 

これらのうち、「青山レイニーナイト」は2021年1月に発売になったばかりの、卓也の最新シングル「約束」のカップリングで聴ける曲です。最新曲「約束」はバラードということで、そっち方向で今年は勝負するということみたいですね。もう一曲カップリングで聴ける「泣かせたいひと」はなぜかのシャンソン調。三拍子でアコーディオンも入ります。

 

中澤卓也は岩佐美咲と同じ1995年生まれの26歳。歌手としてのキャリアは美咲のほうが五年長いですが、同世代ですし、同じようにノン・コブシ、ノン・ヴィブラートで、すっと素直にナチュラル&ストレート・スタイルで歌うという演歌新世代の若手旗手二名です。二人でこれからの演歌界の星になっていってほしいですね。

 

今年や昨年のライヴ・ステージの模様や毎週金曜日に公開している「歌ごころ」シリーズなど、いろいろと公式YouTubeチャンネルにアップされていますので、そっちもチェックしてみてください。
https://www.youtube.com/channel/UC81EX2rADDDUgZXtcovxebg

 

(written 2021.1.9)

2021/03/19

グルーヴィ!〜 グラント・グリーン『ライヴ・アット・クラブ・モザンビーク』

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(4 min read)

 

Grant Green / Live at Club Mozambique

https://open.spotify.com/album/64dvEpxnoFX2KTQOfXvPqY?si=CG2edwzkTHmpnIGxibpBDg

 

1970年ごろからのグラント・グリーンはご存知のとおりソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクをやっていました。そこからきょうもまた一つ『ライヴ・アット・クラブ・モザンビーク』のことを書いておきたいと思います。1971年録音で、世に出たのががなぜか2006年でした。

 

2006年リリースですからね、あれですけど、もし録音当時にレコード発売されていれば、90年代のレア・グルーヴ・ムーヴメントでさぞやもてはやされただろうっていう、そんな音楽です、『ライヴ・アット・クラブ・モザンビーク』。ド直球のファンキー・グルーヴィ・ジャズ満載。いやあ、気持ちよくてたまりません。

 

編成はオルガン・トリオ+2サックス。サックス二名はいずれもぼくは聞き慣れない名前で、しかも両者ともテナー・サックス(一人はソプラノも吹く)なので、聴いての判別はできません。サックス・ソロ内容なんかもかなりいい部分があるから知りたいなと思わないでもないですが。

 

それでもやっぱり聴きどころはグラント・グリーンのファンキーなギター・プレイとリズムのノリですね。カッチョイイのひとこと。1950年代からやっているにもかかわらずこういった16ビート・ファンクにここまでピタリと乗せてくるギターリストって、なかなかすごいですよね。もともとソウルフルなブラック・ミュージック気質の音楽家ではありましたけどね。

 

1曲目「ジャン・ジャン」なんかでも、テーマ合奏が終わってグラントのギター・ソロになるや、シングル・トーン反復でぐいぐい攻めるこのノリ!これがたまりません。音色はハコものジャズ・ギターのそれですけど、それが音楽性にぴったり合致しているように聴こえますよね。サックス、オルガン(ロニー・フォスター)のソロもよし。ドラムスのイドリス・ムハンマドもカッコいいです。

 

3曲目「ボトム・オヴ・ザ・バレル」も同タイプのグルーヴ・チューン。出だし(とエンディング)がこんなじんわりした感じだからつまんないな〜と思って聴いていると、約一分経過したら突然オルガン・トリオが激しくグルーヴィに刻みはじめます。そこからは快感の嵐。一曲のあいだじゅうずっと同一フレーズのリフを低音部で反復するオルガンも最高でしょう。

 

4曲目がなぜかバート・バカラックの「ウォーク・オン・バイ」ですけど、しかしここでもグラントの弾きかたはなかなかチャーミングですよ。プリティな持ち味のこの曲をいい感じに仕上げています。これはしかしアルバム全体でみればちょっとした箸休め的な一曲ですね。ぼくはメロディが大好きな曲だから楽しめますけど。

 

5曲目「モア・トゥデイ・ザン・イエスタデイ」はやはりふたたびのグルーヴ・チューン。テーマ演奏部では途中なぜか4/4ビートのパートがありますけど、ソロ・パートに入ってからはひたすら16ビートのファンキー・グルーヴが持続します。ここではイドリスのドラミングもかなり聴かせますね。テナー・ソロもカッコいい。

 

二曲飛ばして8曲目「アイ・アム・サムバディ」も快調。ここではグラントのギターもいいですがそれよりもロニー・フォスターのオルガンがソロで大活躍。曲中盤から後半にかけて、長尺ソロでぐいぐいもりあげます。これもいいなぁ。アルバム全体でグルーヴ・チューンが満載で、現場で聴いたら最高に気持ちよかっただろうな〜って思えるライヴ・アルバムです。

 

(written 20201.1.6)

2021/03/18

トルコ伝統色も濃いモダン・ポップス 〜 マラル

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(3 min read)

 

Maral / Gülüm

https://open.spotify.com/album/3S0sZ3jL3qRU4eaCObtRvd?si=rcTQC3UqSXuQiDIHSInKdQ

 

トルコの歌手、マラル(Maral)の2020年作『Gülüm』。ジャケットから判断するとモダン・ポップスをやっているのかなという印象ですが、中身を聴くと伝統色もけっこう濃いですね。ハルクやアラベスクなどトルコ伝統歌謡をベースにしたモダン・ポップスといった趣きでしょうか。

 

全体的に哀感が強く、そのへんはいかにもターキッシュ・ポップスだなといった印象ですが、なかには強いビートの効いた曲もあります。たとえば2曲目がそう。これもじゃあ現代的なポップスなのかというと伝統色も濃厚に感じられたりもして、そのあたりの塩梅といいますか、加減がなかなか絶妙ですね。

 

ぼくがこのアルバムを見つけて聴いてみて、うんなかなかいいんじゃない、ちょっと文章にしておこうかなと思ったのも、そういったモダン・ポップスのなかに伝統がしっかり活きているといった音楽のありようが気に入ったからで、あわせて歌手の声の美しさと、この二つですかね。

 

楽器もコンピューターを使った打ち込みビートとサウンドをメインとしながらも、生演奏の楽器だってかなり混ぜ込まれていて、だれがサウンド・メイクというかプロデュースをやったのか知りませんが、なかなか腕前のいい人物なんだろうなと推測できます。哀感を込めてゆったりとただようような曲調のものでは、楽器使いもアクースティックな伝統色が強いですかね。ビートの効いたポップス調だと打ち込み系メインで。

 

歌手マラルの声にも特徴があって、美声なんですけど、憂いを帯びたこの独特の声質がなかなかチャーミング。大きな、しかし派手すぎない軽いコブシをしっかりとまわし、強いハリのある発声で伸びやかに歌うさまには、堂々とした風格みたいなものすら感じますね。どれくらいのキャリアの持ち主かわかりませんが、余裕のあるヴォーカルです。

 

情報によればCDだと写真集のようなフル・カラーのブックレットが付属しているらしく、マラルはヴィジュアル面でもアピールできうるモデルのようなポジションのひとなんでしょうか。

 

(written 2021.1.5)

2021/03/17

吃音のあるぼくは、だから「キツオン」ということばが言えない

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(7 min read)

 

https://www.youtube.com/watch?v=ltMNq09fubM

 

ぼくたち吃音者(ぼくはどもりと言ってきたけど)たちにとって、今年はちょっと勇気づけられるできごとがありました。そう、新しいアメリカ合衆国大統領に、吃音者のジョー・バイデンが就任したことです。ジョーはもう克服したとのことで、いまは症状がほとんど出ないみたいですけど。

 

歌手・音楽家のなかにも吃音者はけっこういて、ちょっと思いつくだけでもたとえばエルヴィス・プレスリー、ジョン・リー・フッカー、B. B. キング、スキャットマン・ジョン、カーリー・サイモン、ノエル・ギャラガー、ビル・ウィザーズ、などなど。日本の芸能者のなかにもたくさんいます。

 

書き文字と写真でやるこういったブログとかSNSとかで、吃音当事者がその症状や苦しみ、悩みを説明するのはなかなかむずかしいし、子どものころ症状が強くても成長するにつれだんだんと出なくなっていくというケースもあり、また場面によって出たり出なかったりもするので、吃音のない健常なみなさんにはわかっていただきにくいものだなあという実感がぼくにもあります。

 

21世紀の現在は吃音に対する一般社会の理解もだいぶ進んできているように思うんで、説明すれば(しなくても)不審がられたりすることも少なくなったんですが、1962年生まれのぼくが子どもだったころは、吃音者であることでそりゃあもう壮絶ないじめに遭いました。特にいちばん強く症状が出ていてしかも集団社会に入ったばかりという小学生のころがひどかった。

 

特に朝の集団登校のときですね、学校まで歩いて行くあいだ上級生のみんなにからかわれて笑われて、うしろからランドセルをバン!と上下に揺さぶられたり、ほんとうにイヤでした。つらかった。教室に入るとクラスメイトばかりだからそうでもなかったんですけど、そんなこともあってぼくは学校嫌い(正確には集団登校嫌い)になって、朝、行きたくないと思うようになりました。

 

不登校にはならなかったけど、放課後はだれとも遊ばず(だって吃音で笑われてイヤな思いをするから)一目散に自宅へ帰り部屋にこもって本ばかり読むような、そんな小学生になりました。おかげで本好き、読書好きになり、学校の勉強もよくやったのでテストの成績はよくて。

 

それが高じて、とうとう大学で研究する学者になりましたけど、大学に勤務する学者って、教師でもあるわけです。教壇に立って学生の前でしゃべらないといけない仕事なわけでして、あぁ、なんという皮肉でしょう、みんなとしゃべりたくない吃音者だから本の虫になったのに、その挙げ句の果てに人前でしゃべる職業に就いてしまうとは。

 

でも、ほかの吃音者のみなさんの話を聞いていると、多くのかたが人前に出るのは遠慮してしまう、対面の人間関係には引っ込み思案である、なるべく出ないようにしている、とおっしゃるんですけど、強い吃音持ちであったにもかかわらず、ぼくにはそれがなく、成長してからはわりと社交的な性格っていうか、どんどん人前に出ていって先頭に立ってしゃべりまくるというタイプになりました。どもりながらね。

 

どもりだけど、ぼくはいわゆるおしゃべりなんですよ。

 

吃音の症状は連発、難発、伸発の三つがティピカルで、症状がいちばんひどかった小学生のころのぼくは連発が多かったです。でも最近は連発がほぼ消えて、主に難発が出るようになっていますね。しゃべりはじめの文頭の音が出にくいことがあるんです。格段出にくい音というのがいくつかあって、ぼくのばあいはカ行、タ行がかなりむずかしいです。

 

だから「キツオン」ということばが文頭にあるとなかなか言えないわけです。「どもり」という表現が差別的だというので(その感覚は当事者であるぼくにはない)、吃音というのがおおやけの場では使われるようになったのに、配慮して言い換えができた結果、その言い換えた用語をその症状ゆえに発音できないっていう、これまたなんとも皮肉な話です。ア行とかマ行とかなら言いやすいんだけどなぁ。

 

タ行も出にくいっていうことは、ぼくは「戸嶋」っていう自分の名前も、難発でなかなか言えないんですよね。これは社会生活を営む上でかなりな困難となってしまいます。対面ではじめての相手になかなか自分の名前が言えないと困るし不思議に思われるし、電話なんかだと必ず最初に名前を言うでしょう、それができにくいんですから。すっと出ることもあるんですよ。

 

すっと出ることもあるといっても、吃音者(全人口の約0.8%程度らしい)じゃない健常なみなさんはそんなこと考えてみたことすらもないであろう、スムースに音が出ないなんてこともないだろうし、それで困難を感じて悩んだり落ち込んだり、しないであろう、想像したことすらもないはずだ、と思うと、ぼくら吃音者はどういう星のもとに生まれついたのかと、ため息が出ますね。

 

でもジョー・バイデン大統領とか、それからこのかたは直接対面で話を聞いたことのある愛媛県出身の作家、大江健三郎さんとか、しゃべりが仕事の落語家のなかにも吃音者はたくさんいるし、そうやって社会で活躍されているかたがたの姿を見てぼくも勇気づけられ、どんどん出ていこう、率先してしゃべりかけよう、話しかけようという気持ちになれるので、やっぱり社会的ロール・モデルの果たす役割は大きいですね。

 

むろん、そうでなくとも、(上で書きましたように)大人になってからのぼくはどんどん人前に出ていって目立ちたがる、遠慮せずどんどんしゃべるっていう性格の人間になったもんで、吃音を笑われたり(することはだいぶ減ったけど)不審がられたりしても気にしないで自分を出していくといったタイプ。吃音で音声会話に困難を感じたり誤解されることは、いまでもやっぱり多いけど、それでも(ふだんは)それをあまりハンデに感じないで生きておりますね。

 

(written 2021.3.14)

2021/03/16

ソウル II ソウルはぜんぶお茶の水で買った

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(6 min read)

 

Soul II Soul / Volume IV - The Classic Singles 88-93

https://open.spotify.com/album/2HlGkaUw3DrvuGV69bNVsF?si=CLQ_JrVFTNSow6PN-wc9Rw

 

これも思い出話。

 

一時期夢中だったソウル II ソウル。このユニットの思い出というか、CD買って聴いたということだけですけどその思い出は、ぼくのばあい、お茶の水の街とともにあります。CDはぜんぶお茶の水のディスクユニオンで買ったんですよね。

 

1988年の4月に都立大学英文学研究室の助手になって給料がもらえるようになりましたが、と同時に他大学へ非常勤で英語を教えに行くようになりました。そのなかに明治大学の駿河台キャンパスがあったんです。商学部の夜間部へ毎週金曜日の夜に行っていました。

 

金曜日は、ぼくのシフトだと都立大のレギュラー勤務がお休みで、午後から高幡不動の中央大学に非常勤で行っていました。そこで2コマやって夕方前くらいに終わって、すぐ京王線に乗ってそのまま直通の都営新宿線で神保町まで。そこで降りてから夜の明大の授業まで時間があったんです。

 

駿河台の山の上ホテルのカフェでコーヒーを飲む時間まで、まず淡路町の藪蕎麦とか神保町のカレー・ショップ(だいたいボンディかマンダラ)とかで夕食をとり、そのままお茶の水まで歩いて行って楽器屋さん街へ。時間をつぶすのにはもってこいです。ギターや鍵盤楽器などをずっと触っていました。CDショップにも当然入っていました。お茶の水は音楽の街みたいな面がありますね。

 

お茶の水のディスクユニオンは明大通り沿いにあったと思います(といっても、お茶の水のディスクユニオンって三軒くらいあったはず、いまぼくが言っているのはJR御茶ノ水駅にいちばん近い店)。いまも同じ場所にあるかどうかわからないですけど、そこへ入っていろいろCDを物色していて、そう、マイルズ・デイヴィス(の特にブートレグ)関係なんかもけっこう買いましたが、そうしたなかに「キープ・オン・ムーヴィン」が出たばかりのソウル II ソウルもあったんです。

 

ソウル II ソウルが二枚目のシングル「キープ・オン・ムーヴィン」をリリースしたのは1989年。でもそのシングルは買いませんでした。それが収録されたファースト・アルバムが同年にリリースされたのをお茶の水のディスクユニオンで買ったんですよね。『クラブ・クラシックス Vol. 1』のタイトルじゃなく、アルバム題も『キープ・オン・ムーヴィン』になっていましたから、アメリカ盤でした。

 

ぼくは京王線沿線住人でしたからその意味では新宿に親近感があるし、メインの職場は東急東横線ですから渋谷がターミナル。だからもちろん新宿や渋谷のCDショップにも頻繁に通っていたんですけど、お茶の水のディスクユニオンもよく入りびたっていたんです、金曜日の夜だけですけどね。

 

ソウル II ソウルのことは、そのお茶の水のディスクユニオンで発見したというか、たぶんショップ内でかかっていたか、あるいはCDジャケットを見て魅力的と思ったかなんかで買ったんだったろうと思います。もう30年以上も前のことなんで、くわしいことは忘れてしまいました。

 

とにかく買って帰ったソウル II ソウルの『キープ・オン・ムーヴィン』の特に1曲目のタイトル曲が最高にカッコよくて、一発で好きになってしまったわけですけど、だから毎週金曜日にお茶の水へ行くと、ディスクユニオンで似たような音楽がないか、さがしたりするようになりました。1980年代末〜90年代初頭ごろの話ですからソウル II ソウルやグラウンド・ビートは最新流行でしたよね。

 

明大夜間部の勤務前、あるいはばあいによっては授業と授業のあいだの休み時間に(それほど場所は近接していた)ディスクユニオンに行っていたわけで、ヒマ時間をつぶすといえば音楽しかないわけですからねえ。その後、セカンド、サード、とソウル II ソウルのアルバムはどれもお茶の水ディスクユニオンで買いました。

 

もちろん買ってもそのまま聴けるわけじゃなく、授業が終わって自宅へ帰るまで待たなくちゃいけないわけです。明大駿河台キャンパスの夜間は終わるのがこりゃまた遅くて、夜間部なのになぜか3コマ目まであって(多くの大学は2コマ)、ぜんぶ終わると22時を過ぎちゃっているので、そこからつつじヶ丘の自宅へ帰りつくのは23時前後になってしまいます。

 

だから10年ほどやるとちょっとしんどくなってきて、お世話してくださったかたに相談して、明大前駅(京王線、井の頭線)の昼間部に移してもらいました。それをやはり同じく毎週金曜日午後にやっていたわけで、だから中央大のほうは辞めることにしました。

 

そのころにはぼくのソウル II ソウル熱は冷めていたといいますか、1993年リリースの(四作目にあたる)ベスト盤『Volume IV - The Classic Singles 88-93』まではよかったと思いましたけど、その次95年の『Volume V - Believe』がつまんなくて、それでもうすっかり興味をなくしてしまいました。実際、このユニットもさらに一枚リリースして90年代末ごろには解散というか消滅したようです。

 

(written 2021.1.4)

2021/03/15

なつかしのゴールデン・ハーフ

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(7 min read)

 

ゴールデン・ハーフ / ゴールデン・ハーフでーす

https://open.spotify.com/album/2abISbaH225XbrZiUTXctE?si=vKgH-fqcRp-7IqWOYj_Mog

 

日本のガール・ヴォーカル・グループ、ゴールデン・ハーフ、…ってみなさん憶えているでしょうか?知っているよというのは間違いなく還暦付近以上の世代でしょうね。だから、きょうのこの文章、(レトロ趣味のかたを除く)それ以下の世代のみなさんには「なんのこっちゃ?!」と思われそうですが、中高年のただの思い出話としてご笑読ください。

 

ゴールデン・ハーフはデビュー時五人組、すぐ四人になった、全員がハーフ(という設定だったけど)の女性アイドル・グループ。ウィキペディアを見てみると、1970年にデビューしたとき、メンバーは全員ハイ・ティーンくらいの年齢だったようです。74年解散。

 

1970年のデビュー・レコードが「黄色いサクランボ」で、70年代初頭当時リアルタイムでテレビ番組に出演するのを見ていたぼくはな〜んもわかっておりませんでしたが、これは1959年にスリー・キャッツが歌った同曲のカヴァー。スリー・キャッツについては以前書きましたね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-550f.html

 

1970年というとぼくは八歳だったわけですが、そのころテレビ番組にゴールデン・ハーフが出演して「黄色いサクランボ」を歌っていたのをいまでも鮮明に憶えております。当時は彼女らのためのオリジナル楽曲だと思っていたはず。っていうか、八歳ですからね、オリジナルとかカヴァーとかそんな概念すらまだ持っていなかったはず。

 

ただ、テレビに出てくるのをおもしろく楽しく見ていただけなんです。好きでしたねえ、ゴールデン・ハーフ。「黄色いサクランボ」はもちろんセクシー・ソングなわけですが、スケベさ全開だったスリー・キャッツのオリジナルに比べ、ゴールデン・ハーフのヴァージョンはテンポを上げムードも明るくして、子どもにもわかりやすい快調な感じのポップ・ナンバーに仕立て上げてありますよね。お色気はそんな濃厚じゃありません。

 

レコードを出してテレビ番組で歌ったゴールデン・ハーフのレパートリーはぜんぶカヴァー(洋楽のが多かった)なんですけど、「黄色いサクランボ」だけでなくどれもこれも、オリジナルの持つ雰囲気は弱めてあるっていうか、淫靡な感じを消し、濃厚なムードやフィーリングを中和して、ティーン・アイドル・グループとしてお茶の間に受け入れられやすいように健全でポップにしてありました。

 

そんなことも、いま聴きなおして考えるからわかることであって、小学生当時のぼくにはちっともワケわかっていなかったことです。子どもの目には十分セクシーな悩殺系に見えたかもしれませんしね。いや、セクシーとかそんな感覚をまだあまり理解できない年齢だったはず。レコードは一枚も買いませんでした、ただテレビ番組で見ていただけで。

 

テレビ番組で見聴きするゴールデン・ハーフの歌には振り付けがあって、それもちょっぴりセクシー、と思っていたかもですけどいま考えたらキュートなかわいい系の雰囲気のもので、直後に(再)登場する山本リンダみたいなラテン系の激しいアクションではなかったはずです。ゴールデン・ハーフの振り付けはちょっとした手の動きをメインとする愛嬌のあるものだったんですよね。

 

ちょっぴりセクシーさを感じていた、といってもぼくは当時小学生ですからね、なんにもわかっていなくて、なんだか楽しい、おもしろい、かわいい、とか、そんな受け止めかたをしていたんじゃないかと思いますが、それでも年上のお姉さんたち(じゅうぶん大人に見えた)がなんだか意味深な歌を意味ありげに歌っているぞ、というなんとなくの雰囲気はそれとなく感じとっていたかもしれません。

 

それが小学生なりにおもしろく感じるちょっとしたお色気っていうことで、ぼくも当時ティーネイジャー程度にでもなっていればまた感じかたが違ったかもと思いますが、まだ思春期前の子どもですからね、なんとなくのセックスの香りみたいなものはまったくわかっていませんでした。ただかわいくて楽しいと思っていただけで。

 

10代の、それもハーフの女性たちでグループを結成させ、カヴァー・ソングばかりを、書き換えた日本語詞でもって歌わせて、ポップでちょっとしたセクシーさを売りにしつつお茶の間に届けて、人気を博し、レコードも売れる、テレビや映画の露出も増える、なんていうのは、完全に彼女たちを操っていたレコード会社のプロデューサーというかディレクターがいたわけです。

 

ゴールデン・ハーフのばあいは、東芝の草野浩二ディレクターが担当でした。草野は洋楽分野が専門で、だから洋楽のカヴァー曲ばかり(が中心)、彼女たちにやらせたんですね。1970年デビューですから、主に60年代のアメリカン・ポップス、オールディーズの数々を持ってきて、新しい歌詞をつけて歌わせました。草野はザ・ドリフターズも担当していましたよね。

 

1970年のデビュー・シングル「黄色いサクランボ」から74年の「ゴールデン・ハーフのメロンの気持」まで、シングル10枚、アルバム3枚を出してゴールデン・ハーフは解散。アイドルはだいたいこれくらいの活動期間だったケースが多いですね。大人の男性の着せたセクシー路線をまとい、かわいく笑いながら振りつきで歌ってテレビ番組で消費されていくっていう、そんなおなじみのガール・アイドルのパターンの一つだったかもしれません。

 

小学生のころからテレビの歌番組が好きでよく見ていたぼくはといえば、ゴールデン・ハーフの直後あたりの1972年に(再)登場したハード・アクション路線の山本リンダに夢中になり、それも下火になったころにはちょうど沢田研二とか山口百恵が出てくるようになって、そっちに興味が移っていきました。その数年後にピンク・レディーがデビュー。

 

(written 2021.1.3)

2021/03/14

トルコ色皆無なラテン・ジャズ・ヴォーカル 〜 ベルギュザール・コレル

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(3 min read)

 

Bergüzar Korel / Aykut Gürel Presents Bergüzar Korel 2

https://open.spotify.com/album/0dJIAMjCXjnCgoTmSChOyt?si=dYJeYvyiSBmKTMuYq6XpZA

 

ベルギュザール・コレルという読みでいいんでしょうか、Bergüzar Korel、トルコの歌手です。ふだんは俳優として活動しているそうで、この『Aykut Gürel Presents Berguzar Korel 2』(2020)が歌手としての二作目。ソングライター/プロデューサー/ベーシストのアイクト・ギュレル率いるジャズ・コンボが伴奏を担当しています。

 

音楽的にはジャズ・ヴォーカル作品、ジャジー・ポップスなヴォーカル作品と言っていいと思いますが、実はラテン色も濃厚です。1曲目は4ビートのストレート・ジャズで、伴奏も歌もそうですが、2曲目からいきなりラテン・タッチが出てきますね。それもかなり鮮明ですよね。このリズム、これですよ。

 

もちろんメインストリームなジャズのなかにもこの手のラテン・タッチはどんどん混じりこんでいるものですから、ことさらラテンを強調する必要はないのかもしれません。やっぱりジャズ・ヴォーカル作品として味わっていればいいのかもしれないですね。それにしても、ホント、この手のラテン・タッチ、世界のどんな音楽のなかにも多いですよねえ。

 

3曲目のバラード・タッチは、しかもなんとボレーロふう。甘美な雰囲気で、いいですねえ、これ。これもそうだし、アルバム全編でトルコふうなところはないというか、トルコ人歌手と伴奏陣がやっているということはまったくわからないですね。トルコ色は皆無じゃないですか。それにしてもこのムード満点の3曲目のジャズ・ボレーロはいい。

 

ラテン・ジャズな雰囲気はその後もずっと続いていて、ビートの効いた強い調子のものでもゆったりしたバラードでも、メインストリーム・ジャズのなかに不可欠な要素としてずっと入り込んでいるラテン・タッチをたっぷり味わうことができます。バック・バンドの演奏もこなれていて、熟練のプロ集団という印象ですね。特にドラマーがぼくは好き。コンボはドラムス、ベース、ピアノ、ギターといった編成ですかね。曲によりサックスも参加。

 

都会の夜のムード満点のジャズ・ヴォーカル作品で、もちろんラテン・タッチばかりでもなくストレートな4ビート・ナンバーもあり、熟練のジャズ・コンボの演奏に乗せてベルギュザール・コレルが軽くムーディに歌っているという、そんな作品ですかね。ラテン好き、感じすぎなぼくだからそこが気になりますけど、多くのリスナーのみなさんにとってはストレートなジャズ・アルバムとして楽しめるものだと思います。

 

(written 2021.1.2)

2021/03/13

ジュリアーナ・コルテスについて書こうと思っていたのだけど

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Juliana Cortes / Juliana Cortes 3

https://open.spotify.com/album/2P9GKThr0dIvAmcfBTxrRI?si=b9RXvx8yS-Oc_jwk0AYs5g

 

ジュリアーナ・コルテス。ブラジル南部の都市クリチーバのシンガーらしいです。新作アルバム『3』(2020)っていうのは三作目ということでしょうけど、はじめて聴いた歌手です。ジャケットがなかなかいいし、ちょっと聴いてみた第一印象がよくて、ちょっと書いてみようというメモに残っていました。

 

それで順番が来たのでもう一回聴きなおしているんですが、そんなに印象がよかったというのがなんのことだったのか、いまとなっては思い出せないんですね。ウソだったとしか思えないっていう、う〜ん、なにかどこかがいいと思ったはずなんですけど、文章もファースト・インプレッションのその勢いに乗せて書いておかないとダメなときがありますね。

 

ジュリアーナのこの声とか歌いかたはあまり好みじゃないものだから、たぶんサウンド構築とか、そのへんが気に入ったんだと思うんですよね。1曲目なんかでも、これ、デジタルな打楽器音を中心に、生のパーカッションも使ってあるのか、このリズム、それがなかなかいいなぁって(ちょっぴりラテン・プレイボーイズみたいだし)、いま聴いてもそれは感じます。ジュリアーナといっしょに歌っている男声がペドロ・ルイスってことですか。

 

アルバム全体でみても、このサウンドのつくりかた、リズムとか音の色彩感とか、そういったあたりにちょっとした好感をいだきます。アルバムのプロデュースは、ポルト・アレグレを代表するシンガー・ソングライターでヴィトール・ハミルを父に持つイアン・ハミルだとのこと。イアンがこうしたサウンド・メイクの主導権を握っていたんでしょう。アイアート・モレイラが参加してもいたり。

 

かなり実験的というか前衛的というか、そんな音楽かもしれないんですけど、でもちょっと聴いた感じとっつきにくさみたいなものはなく、わりと聴きやすいので、でもやっぱりいま聴きなおすとあんまり好みの音楽じゃないなぁ〜って、それが正直なところです。もっとグッといい感触を持っていたんですけど、ホント書くタイミングを逃しちゃいましたね。

 

(written 2021.1.1)

2021/03/12

リーワード諸島出身のブルーズ・ロック・バンド 〜 デルグレス

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(3 min read)

 

Delgrès / Mo Jodi

https://open.spotify.com/album/0pLRNDoA8lE0ScXiLnHOaP?si=YxbidjJ8SSKIGRoX0n6yOQ

 

デルグレス(Delgrès)はカリブ海のリーワード諸島にあるグアドロープで結成されたトリオ・バンド。ギター、ドラムス、スーザフォンというちょっとめずらしい編成なんですね。いまはフランスで活動しているのかなあ、ちょっとわかりませんが、最新作『Mo Jodi』(2018)を聴きました。

 

デルグレスというバンド名は、19世紀初頭にリーワード諸島で奴隷制に立ち向かった英雄ルイ・デルグレスのスピリットを強く受け継いでいるというあかしらしいんですが、音楽的に、というか歌詞内容を気にしないで聴くぼくからしたら、サウンド面でそこはあまり気にならないですね。アルバム『モ・ジョディ』でも社会派な歌詞を持つものがあるみたいですけどね。

 

サウンド面でいえば、デルグレスは完璧なるブルーズ・ロック・バンドと言ってよく、スーザフォンがベースの代わりをしているのが風変わりというか、なぜ管ベースを使おうと思ったのかわかりませんが(音を聴くとその必然性はないような)、本質的にクリームやジミ・ヘンドリクスなんかがトリオ編成でやっていた音楽と同じことを、いままたやっているんだなとわかります。

 

しかし1960年代ロックにあったあんなサイケデリックにとんがった感じはデルグレスにはなく、もっとグッと聴きやすくスムースというのが特徴じゃないかと思いますね。アルバム『モ・ジョディ』を聴いていても、気持ちいいのでそのまま聴いていていつのまにか終わっているという、そんな感じ。スーザフォンの演奏するベース・ラインは、ミキシングのせいか、あまり目立たず音量も低いのであまりわからないです。

 

やっぱりリーダー格であるギター&ヴォーカルであるパスカル・ダナエの書いた曲を全面的に押し出しているなという印象で、ギター・プレイにさほどの特徴がなくとも、ヴォーカルのほうはちょっと味があるというかクセのある声質で、印象に残ります。ピーター・ゲイブリエルやユッスー・ンドゥールなどと共演を重ねてきたそうですよ。

 

ガレージ・ロックにも通じるような泥臭くてささくれ立ったムードもあって、ブラック・キーズあたりのファンのかただったらおもしろく聴けるバンドかもしれないです。カリブ海リーワード諸島で結成されたということですけど、カリビアンな音楽趣向を期待するとアテが外れるかもしれません。

 

(written 2020.12.31)

2021/03/11

ジャケットから文字が消えた

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(7min read)

 

以前Astralさんも書かれていたことですが、最近音楽アルバムのジャケットに文字が書かれていないケースが増えてきていますよね。歌手や音楽家名、アルバム名など、いっさいなにも書いていない、絵(写真)だけ、というジャケット・デザインが増えています。

 

もちろんこれはレコードやCDなどフィジカルじゃなくサブスク(ストリーミング)やダウンロードといった配信で音楽を楽しむのが一般的になったからです。配信サービスのアプリだと、音楽家・歌手名、アルバム名などは、ジャケット画像の横などに別途表示されますから、カヴァー・デザインの一部にふくめる理由がなくなったわけです。

 

上に画像を載せたのはいずれも2020年のリリース作品で、どれもジャケットに文字がありませんが、右上のイマニュエル・ウィルキンス『オメガ』はブルー・ノートのロゴだけ載せるという、そこはやっぱり譲れないところなんでしょうか。たしかにレーベル情報は配信で見つけにくいし、それにブランドですからね。

 

ジャケットにいっさい文字がないといえば、ぼくの好きな原田知世のアルバムなんかだと、実はもっと前からそうなんです。

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左上の『music & me』ではじめてそうなりましたが、2007年の作品ですから、まだフィジカルしかなかったころです。その時点ですでにこうなっていたわけですね。その後はふたたび文字を載せたりもくりかえしながら、最近の知世のアルバムはほぼだいたい文字なし、知世の名もアルバム題もなにも書かないっていうのがあたりまえになりました。

 

こういうのは配信だから云々というよりも歌手の知名度が高いから書く必要もないっていうことかもしれません。文字が入らない絵画的ジャケット・デザイン重視の方向性といったこともあるでしょう。マイルズ・デイヴィスなんかは1970年ごろだったか、自分のレコードに “Miles Davis” と書くなと発言したこともあって、それは(ジャズという)先入見なしでたくさんのひとに買ってほしいからというのが理由だったみたいです。

 

さかのぼると、ビートルズ1965年の『ラバー・ソウル』。これ、ジャケットのどこにも “The Beatles” の文字がありません。歌手・音楽家の名前を書かないというたぐいのレコード・ジャケット史上第一号だったんじゃないでしょうか。四人の顔が出ているから、65年時点で間違うひともいないということだったのかもしれませんね。

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ジャケットに文字を書かないっていうデザインはこれが最初だったかも?と思い出すのが、1970年11月リリースだったデレク・アンド・ザ・ドミノス(エリック・クラプトン)の『レイラ』。ジャケット・カヴァーにバンド名もアルバム名も書かれていませんね。小さく左下に黒字で見えるのは画家のサインでしょうか。文字はそれしかないっていう。

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ちょっとあと、1970年の12月リリースだったジョン・レノンのファースト・ソロ・アルバム『プラスティック・オノ・バンド』(ジョンの魂、1970)も文字なしジャケ。これはどうしてだったのか、たしかに70年のジョン・レノンの知名度はありすぎるほどでしたけど。こっちはほんとうにいっさいなんの文字もなしです。おなじとき同じデザインでヨーコ・オノの『プラスティック・オノ・バンド』(ヨーコの心)LPもリリースされています。表ジャケはまったく同一。裏はそれぞれジョンとヨーコの幼少時代の顔写真で、区別できますけど。

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また、レッド・ツェッペリン1971年リリースの四作目、これだってどこにもバンド名もアルバム名もありませんよね。これのばあいは、表裏ともジャケットにないばかりでなく、ダブル・ジャケットを開けても内袋にもレコード・レーベル面にもどこにもそれが書かれていない、つまりいっさいの名前が存在しない作品なわけで、当時からその後のテキスト・マスコミを戸惑わせることとなりました。ぼくらファンだっていまだにどう呼んだらいいかわからない。ぼくはいつも「四作目」と言っていますけど。

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皮肉なのは、このレッド・ツェッペリンの四作目は、Spotifyなどのサービスだとむりやり “Led Zeppelin IV” と記載されてあることです。名前のないアルバムとして、バンド名すらなしで、世に出したのに、それが音楽家側の意向だったのに、配信サービスだとなんらかの名前を書かないわけにいかないっていう。配信サービスが普及したことでジャケットに文字がないデザインが増えたのに、その横にはなにか文字を書かざるをえないっていう、このジレンマ。う〜〜ん。

 

レッド・ツェッペリンはその後もアート・ワークで遊ぶことが多く、またアルバム題はあってもそれをジャケットに書かない、バンド名もなし、っていうカヴァー・デザインが多かったですよね。『聖なる館』しかり『プレゼンス』しかり『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』しかりです。日本盤だと帯に書いてしまうんでちょっとあれですけど(こういうのもぼくが帯嫌いな理由の一つ)。

 

音楽マスコミを戸惑わせることでは、このひともかなりなものだったんじゃないかというのがプリンス。このひとのばあいも配信サービスだと音楽家名も “Prince” でアルバム題もなにか文字が書かれてありますけど、実は記号だったことがありましたよねえ。1992年の、あ、Spotifyだとカッコ入りの [Love Symbol] になっています。あの時期、名前がずっとあの例の記号でした。いつ “Prince” に戻したんだっけ?

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1994年リリースの『ブラック・アルバム』、Spotifyにありませんけど、これなんか、いちおうの通称として “The Black Album” と言われていますが、CDでシールドをはがすといっさい文字なし、プリンス名もアルバム名もなしの、ただの真っ黒な紙しかなかったんですもんねえ。ところで、これ、どうしてSpotifyにないんでしょう?

 

(written 2020.12.13)

2021/03/10

拡散するエルメートの遺伝子 〜 マリアーナ・ズヴァルギ

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(4 min read)

 

Mariana Zwarg Sexteto Universal / Nascentes

https://open.spotify.com/album/0iaY8KI1991oqrOA6Ddn9I?si=cmY9jwuRQsCjHSqPJA3wAA

 

たいへんキレイなジャケットですね。それだけで聴いてみたくなる、ブラジルのフルート奏者マリアーナ・ズヴァルギ(Mariana Zwarg)のアルバム『Nascentes』(2020)。デビュー・リーダー作ですかね。マリアーナはイチベレの子だそうで、そっちのほうはベーシストにしてエルメート・パスコアールのブレイン。マリアーナもそうかどうかわかりませんが、かなり密接な関係があるそうです。

 

なんでも、そもそもこのアルバム『Nascentes』は、エルメートきっかけで誕生したみたいですからね。2016年にスペインの音楽フェスティヴァルに招かれ、そこでエルメート・パスコアールに捧げるショウのディレクションを任されたのがマリアーナだそう。

 

それでマリアーナは多国籍編成の七人バンド(ブラジル人二名、フィンランド、オランダ、ドイツ、フランス人が一名づつ)を結成。それでセッションを重ね音楽の完成度を上げていったのが、このアルバムの完成につながったそうですから。Sexteto Universalという名称だってエルメートを意識したものでしょう。

 

それにですね、このアルバム『Nascentes』では、三曲でエルメート本人がゲスト参加。父イチベレも二曲参加していますけど、そんなわけで、このマリアーナのデビュー・ソロ・アルバム、エルメートの遺伝子を濃厚に継承・展開したような音楽だと言っていいと思います。

 

エルメート参加曲は、まず2曲目がそうですけど、ここでのエルメートのヴォーカルはぼくが苦手とするタイプのもので、ガラガラ、ブルブルって、なんなのこれ。エルメートはいろんなアルバムでこれをよくやりますけど、う〜ん、どこがいいんだろう?でもマリアーナの書いた曲はキレイですし、全体としてはバンドの演奏もいい。

 

そう、曲がいいし演奏も充実しているなというのがこのマリアーナの初リーダー作で言えることで、このへんはエルメートのDNAをイチベレ同様継承しているんだなと実感することができますね。エルメート自身のパフォーマンスはいただけないばあいがときどきあっても、音楽的アイデアや曲はいいんだ、それをサウンド化する実力がないだけで、と以前bunboniさんもおっしゃっていました。

 

イチベレの2018年作『Intuitivo』がまさにそんな音楽で傑作でしたけど、マリアーナのこの『Nascentes』も同じ。エルメートの抱く音楽的アイデアをみごとに具現化してみせたアルバムと言えるでしょう。書く曲やアンサンブルは、たいへん難度の高いものでありながら気負いがなく、音楽の喜びと躍動感に満ちあふれれているのがよくわかります。自身のフルート演奏だってみごと。スキャット・ヴォーカルはまあまあですけど。

 

こんなふうになってくると、エルメート・パスコアールという音楽家っていったいなんなのか、どういう存在なのか、考えなおさざるをえないかもしれませんよね。1970年にマイルズ・デイヴィスと共演したもの(『ライヴ・イーヴル』など)を聴いて以来ずっとぼくはエルメートが苦手で、遠ざけてきたんですけど、ズヴァルギ親子のようなアイデアを具現化できる高い能力の持ち主にかかるとこんなに楽しい音楽になるわけですからね。

 

(written 2020.12.30)

2021/03/09

メアリー・ルー・ウィリアムズのファンキー・ライヴ

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(3 min read)

 

Mary Lou Williams / Live at the Cookery

https://open.spotify.com/album/2jAY2R5L9Q4cFTIOLjRssC?si=kBMZMrPRSqaQkiZ7GgXEXA

 

1960年代以後のメアリー・ルー・ウィリアムズは黒人教会音楽に傾倒していたわけで、それであんなファンキーなピアノを弾くようになったんだと思いますが、アルバム単位で、そんな感じのメアリー・ルーのピアノ演奏を、できればライヴかなにかで、じっくり味わえるものはないのかとSpotifyでさがして、これはどう?と思って聴いてみたのが『ライヴ・アット・ザ・クッカリー』(1990)。

 

クッカリーというのはニュー・ヨークにある場所らしく、このライヴは1975年のものみたいです。ベース(ブライアン・トーフ)とのデュオ演奏なんですけど、聴いた感じこれだったらドラマーが入ってトリオでやったほうが音楽性が伝わりやすいし、グルーヴも出たのになと思いますが、でもこれはこれで悪くないですね。

 

ファンキーなブルーズ・チューンが多いという印象で、まずなんたって冒頭1曲目のタイトルなんか「プレイズ・ザ・ロード」ですもんねえ。モロそのまんまのゴスペル・ミュージックじゃないですか。ブロック・コード中心にがんがん弾くメアリー・ルーのピアノ・プレイはアーシーそのもの。こういうのが教会音楽に傾倒していたという立派な証拠のひとつですね。

 

そのほか続けて2曲目がスロー・ブルーズな「ブルーズ・フォー・ピーター」、4曲目は完璧なブギ・ウギの「ロール・’エム」、曲題に反しあまりブギっぽくない7「ワルツ・ブギ」、10曲目ではなんとマイルズ・デイヴィスの「オール・ブルーズ」までやっているんですよね。ラスト12曲目もブルーズ・ナンバー。ぐいぐいファンキーに盛り上げるピアノ・スタイルがたまりません。

 

意外におもしろいなと思えるのはいくつもやっているスタンダード・バラードです。3曲目「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」、6「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」なんかではただキレイに弾いているだけですが、9「ザ・マン・アイ・ラヴ」後半での熱の帯びかたはどうでしょう、これ、完璧なるファンキー・ゴスペル解釈じゃないでしょうか。演奏テンポも上げ、ブロック・コードでがんがん弾くまくるさまが爽快です。

 

バラードじゃないけどやはりスタンダード・ナンバーの11曲目「マック・ザ・ナイフ」もやはり同様に高揚する演奏。これらと、もとからブルーズである曲もあわせ、メアリー・ルーのこの時期のスタイルがよくわかるもので、ぼくみたいなファンキー・ジャズ大好き人間にはなかなかこたえられないライヴ・アルバムですよ。全体的にはほどほどな印象ですけどね。

 

(written 2020.12.29)

2021/03/08

ピンク・レディーが文化庁長官になるようなもんなんだぜ 〜 都倉俊一

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(2 min read)

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210305/k10012898671000.html

 

おととい3月5日午前中に流れてきたニュース。2021年4月1日の新年度から、新しい文化庁長官として、コンポーザーの都倉俊一が就任することが決まったという、ぼくら’70s歌謡曲ファンにはビックリ仰天の話題がありました。

 

都倉俊一、そう、あの都倉俊一ですよ。アクション路線の山本リンダやピンク・レディーのシングル曲のほぼすべてを(阿久悠とのコンビで)書いた、あの都倉俊一が文化庁長官になるんですよ。

 

ちょっとうれしいというか、でも文化庁長官ってどれくらいの仕事をするものなんだろう?ってことをまったく知りませんけれども、政府・お役所関係はやっぱりいままでクラシック音楽偏重だったんじゃないですか。

 

そこにですよ、あの「どうにもとまらない」「狙いうち」「じんじんさせて」「キリキリ舞い」「ぎらぎら燃えて」の都倉俊一が、「ペッパー警部」「S・O・S」「渚のシンドバッド」「UFO」「サウスポー」の都倉俊一が、就任するんですよ。これがニュースじゃなくてなにがニュースだというのでしょう。

 

文化庁長官に、いままで都倉みたいなポピュラー音楽界の人間が就いたことなど、まったくないはずです。都倉が最初の一例となるんですよ。

 

往年の都倉がどれくらいのヒット曲を書いたか、公式ホーム・ページに「楽曲一覧」が掲載されていますので、ぜひご覧ください。1970年代に日本で大ヒットしたあの曲もこの曲も、どれもこれも、ぜ〜んぶ都倉の作曲なんですよ。
https://www.s-tokura.com/

 

だからあの時代にテレビの歌番組でヒット・ポップスを聴いていた人間にとって、「都倉俊一」という文字は忘れようたって絶対に死ぬまで一生忘れられないっていう、そんな、つまりぼくらの思春期を形成した大恩人であるわけです。

 

政府・お役所関係の仕事が、これでちょっとはポピュラー音楽、ポピュラー文化方面に光を当ててくれるようになるかは、やっぱりわからないんですけど、それでもあのリンダの、あのピンク・レディーの、都倉俊一が文化庁長官になってしまうんだっていうことに、ある種の快哉を叫びたい人間はたくさんいるはずですよ。

 

都倉さん、じんじんさせて!

 

(written 2021.3.7)

2021/03/07

ソナ・ジョバーテのコラ演奏はほんとうに美しい

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(4 min read)

 

Sona Jobarteh / Fasiya

https://open.spotify.com/album/7h7MgG54nO4RvaPj01CEX6?si=s1JVvHybS7OcCK6atBg9VA

 

ガンビア系ロンドナーのソナ・ジョバーテ。いまでも唯一のアルバム『ファシヤ』(2011)についてはすでに二回書いてきているんですけど、まだまだ言い足りていない気がします。それになによりぼくはこのアルバムの音楽がほんとうに大好き。だからいつも聴いているし、折に触れてしゃべりたくなるっていう。いちおうソナについて書いた過去記事のリンクを書いておきます。

 

(1)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/post-bed0.html
(2)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-afbba5.html

 

三回目ということで、もういい加減にしろ、と言われそうですけど、ホ〜ント大好きなんですから〜。アルバム『ファシヤ』でぼくがなかでも気に入っているのはドラマーの叩きかたとソナのコラ演奏です。なかんずくソナのコラですけど、これはもう完璧にヴァーチュオーゾと言っていい腕前ですよね。西アフリカにおけるコラ演奏は男性が担うもので、女性には禁止されていたんだそうです。

 

ソナは、だから自身の公式サイトでも書いてありますけど、西アフリカ(出身)における史上初の女性コラ奏者ということになるんだそうですよ。弾き手が男性でも女性でも、ぼくはコラという楽器のキレイな音色がほんとうに大好き。世界にある弦楽器のなかでも、音色の澄んだ美しさという点ではNo. 1なのじゃないでしょうか。

 

そんなコラをソナは縦横無尽に弾きこなしていますよね。ソナのばあい、コラ演奏がソング・ライティングのなかで最初からの必須不可欠要素として熟慮されているっていう、そんな曲を書いているなと思えるのも重要なポイント。コラで演奏する、コラでないとこれらの曲が成立しないっていう、そんな、曲づくりとコラ演奏の不可分一体化がここまで美しい曲を生み出しているのだなとわかります。

 

弦楽器だけに(といってもコラは全弦開放で弾きますが)、速く細かいパッセージを正確に繰り出すには高度な技巧が必要となりますが、アルバムで聴くソナのコラ演奏はこの点でも圧倒的。アップ・テンポの曲、たとえば1曲目「ヤラビ」、5「ファタフィナ」、7「バナイヤ」などでならそれがよくわかります。特に「バナイヤ」の間奏コラ・ソロにじっくり耳を傾けてほしいですね。すんばらしいコラ演奏ですよ。

 

ソナの弾くコラという楽器の音色の美しさや魅力、といった点では、ほかにもたとえば8曲目「ガイナーコ」、9「スマ」のイントロなんか、よく伝わりますね。ソナのばあい、そのコラ演奏があまりにもすばらしく、同様に自身で弾きこなすギターなどと同列に並べ、同様に弾きこなしているのがわかります。西洋楽器であるギターと西アフリカの楽器であるコラとがなんの違いもなく曲成立の過程で活用されている、それがソナの音楽です。

 

アルバムをとおしほとんどの曲でドラムスを叩いているウェズリー・ジョゼフ(Westley Joseph)のドラミングも特筆すべきです。特にスネアのフィル・インでたたみかけてグルーヴを編み出すあたりの快感はなんど聴いても最高。ソング・ライティング、コラ演奏、ドラマーを中心とするバンドのグルーヴ、がこのアルバムでは目立つ美点でしょうかね。

 

(written 2020.12.28)

2021/03/06

グルーヴ一発 〜 ルー・ドナルドスンの1970年ライヴ

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(4 min read)

 

Lou Donaldson / The Scorpion: Live at the Cadillac Club, 1970

https://open.spotify.com/album/3HasO1sFeokWOziJINsmAx?si=oqv7XeOJRCWB8p_rOfyyiQ

 

ルー・ドナルドスンのアルバム『ザ・スコーピオン:ライヴ・アット・ザ・キャディラック・クラブ、1970』。1970年録音なれど、発売は1995年っていう、ホント、なんか、こういうの多いですね、ブルー・ノートさん。

 

それはいいんですけど、このアルバム、Spotifyにあるのだとグレー・アウトしていて聴けない曲があるのは大問題ですよ。しかもそれがアルバムの目玉である1曲目「ザ・スコーピオン」と3「アリゲイター・ブーガルー」だっていうんですから、あぁ、なんてこった!

 

この二曲、特に愛好おくあたわざる「アリゲイター・ブーガルー」のライヴ・テイクが聴けるっていうのがこのアルバム最大のウリなのに、それでぼくもみつけたっていうのに、それを聴けなくするって、ブルー・ノートさん、こりゃあいったいどういう了見です?ケシカラン!

 

しょうがないので、どうしても聴きたかったぼくはiTunes Storeからダウンロードしましたよ。ふだん音楽アルバムのダウンロードはしないのに(ひと月八万円でやらなくちゃいけないっていう貧乏人だからお金のかかることはなるべく避けたい)。やっぱりストリーミングとダウンロード、違いますよね。

 

ともあれ、聴いてみたらやっぱり1曲目「ザ・スコーピオン」(レオ・スペンサー)と3「アリゲイター・ブーガルー」(ルー)が突出してすばらしいです。どっちもほぼ同じタイプの曲で、8ビートのジャズ・ロック調。ファンキーなソウル・ジャズっていうかブーガルー・ジャズですよね。リズム・パターンもテンポも同じような感じです。

 

キモになっているのは、あきらかにドラムスのイドリス・ムハンマド(レオ・モリス)。このハタハタっていう8ビート・ブーガルーのドラミングがたまらなく心地いいですよね。オルガンでレオ・スペンサーが参加しているため、ベーシストはいません。でもあんまりフット・ペダルを使っていないですよねえ。聴こえないです。代わりにっていうかイドリスのベース・ドラムが大活躍。

 

それからギターでメルヴィン・スパークスが参加しているのも個人的にはポイント高いです。大好きなんですよね。1960年代後半〜70年代のブルー・ノート作品、特にオルガンが入っているファンキー・ジャズ、ソウル・ジャズでメルヴィンはよく弾きました。好きなアルバムが多いですし、ファンキー&ソウルフルな脇役セッション・ギターリストとしてならグラント・グリーンより好きかも。

 

1曲目と3曲目の二つのソウル・ジャズ・ナンバーでは、ルー、フレッド・バラード(トランペット)のソロはあんがい控えめです。時間もそんな長くないし、内容的にもチャチャっと終わらせているといった感じ。代わってギターのメルヴィンとオルガンのレオがかなり弾いてます。それに、ソロ内容云々よりも曲のグルーヴを聴くものでしょう。

 

3曲目「アリゲイター・ブーガルー」では、ルー、フレッド、メルヴィンと三人のソロが終わってもまだ曲時間トータルの半分にもならないので、後半はどうなっているんだろう?と思ったら、そのうちの半分がなんとイドリスのドラムス・ソロなんですよね。なかなかめずらしいでしょう、イドリスのドラムス・ソロなんて。

 

それも曲のリズム、グルーヴを聴かせようっていうボスの意図がわかって、やっぱりなぁ、こういった「アリゲイター・ブーガルー」みたいなものはグルーヴ命、グルーヴ一発でノセようっていう、そういったジャズなんで、インプロ・ソロの内容が〜云々みたいな旧来的なリスナーにはつまんないかも。ノリがよくてダンサブルだし、ぼくは大好きです。

 

(written 2020.12.27)

2021/03/05

コロナとエンタメ

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(9 min read)

 

きょう3月3日にネット徘徊で出会ったボルボ(自動車メイカー)のニュース。2030年までにガソリン車販売を全廃して、100%電気自動車に転換する方針だそう。これだけなら、世界の多くの自動車メイカーが環境配慮で同様の方針を打ち出しつつあるので、どうってことありません。
https://www.nytimes.com/2021/03/02/business/volvo-electric-cars.html?smid=tw-share

 

ぼくの目を引いたのは、この記事終盤に書いてあった、電気自動車は100%オンライン販売でやることにするとのボルボの方針です。ディーラーなどでの対面販売はもうやめちゃうということですよね。理由はさまざまに考えられますが、全世界的なCOVID-19パンデミックも大きな一因になったでしょう。

 

新型コロナウィルスの大流行が、対人・対面での経済活動に壊滅的な打撃を与えてしまったことは、自動車販売だけでなく、どんな世界についても言えること。食事をしたりコーヒーを飲んだりするのは対面でないとやりにくいっていうか、Uber Eatsを使ったりする方法もありますが、それでもやっぱりその場所へ出かけていって、というのが一般的でしょう。

 

クリニックや病院なんかもそこへ行っての対面でないとダメかな、やっぱり。そのほか、いくつかそういうのがありますが、それ以外は可能な範囲でオンラインでの購入ややりとりですませるというのが一般化しつつあるでしょう。

 

音楽エンターテイメントの世界でも同じ。レコードやCDといったフィジカルは買わなきゃゲットできないものですが、それだってネット通販が主だった手段になりつつあるはず。路面店での取引がどれくらい減少しているか、データがないですけど、確実にダウンしているのは間違いないのでは。

 

日本でもタワーレコードやディスクユニオンといった大手だけでなく、たとえばエル・スールみたいな小規模個人店なんかでも開店時間を短くして、取引の中心は通販でやるという方向にシフトしていますからね。エル・スールはコロナ前から通販が用意されていましたから、それを拡大するだけで済みましたけど、いままでその手段を持っていなかったお店はたいへんですよねえ。

 

いずれにせよ、人間と人間とのリアルな対面接触、物体への接触をなるべく避けるべしというのが鉄則になってしまいました。お店へはもうあまり出かけられませんし、出かけるべきでもありません。そしてコロナ流行が終息しても、コロナ前の販売手段へ100%回帰できるかわからないっていうか、たぶん戻らないでしょうねえ。戻らないほうがいいんじゃないか、戻るべきでないというか、オンライン販売のほうがスタンダード化するだろうという気がします。

 

こういったことは、楽曲歌唱披露後の対面での握手・おしゃべり・写真撮影をエサにして現場でCDを買わせるという、従来的な演歌・歌謡曲・(AKB系)アイドルの世界にも大きな打撃を与えています。特にAKB系アイドルの世界ですかね、演歌系とはいえぼくの応援する岩佐美咲もその一端にいるわけですけど、もうリアル・イベントはいっさい開催できなくなって、景色が一変しました。

 

だからいきおいネットでそれに代わることをやるしかなくなっているわけですが、ネット歌唱配信やネット・サイン会などを開催してのオンラインCD販売に積極的な事務所・レコード会社所属の歌手であれば、従前に比較してほぼ遜色ない満足感をファンも得られている可能性があります(それでも対面でのリアル接触とは雲泥の差ですけど)。演歌第七世代の旗手、中澤卓也などはそうですね。

 

いっぽう、ネットでの活動、特に歌を披露する配信ライヴにめちゃめちゃ消極的な会社もあって、おそらくネットの世界は違法ダウンロード/アップロードなどが横行しやすいので、というのが理由でしょうけど、そんなこと言ったって、このままコロナ流行が終息するまでなにもやらず、じっと我慢させたままでいるつもりなのかと、それにはまだまだ時間がかかるというのにと、ファンとしては憤慨してしまうようなケースもあります。

 

岩佐美咲が所属する長良プロダクションも、そんなダメ事務所の一つ。

 

それでも美咲はもうアイドル・グループのAKB48は卒業していて、演歌歌手一本で活動している(というタテマエ)のでまだあれですけど、現役アイドルなんかはそうとうな苦境におちいっているはずです。アイドル応援の世界はどこまでも現場主義で、対面接触こそ命ですから。それがいっさいなくなって、生死の境をさまよっているアイドルやオタクもいるでしょう。業界じたいが存亡の危機かも。

 

でも、これからはアイドルや演歌歌手応援の世界も、ネット中心に移行しなくちゃ生き残れないというのは間違いないことです。オンライン・サイン会などをどんどん開催して通販でCDを売る、ネット歌唱配信イベントを定期的に開催する、本格的なコンサートもオンライン or ハイブリッドでやる、中澤卓也みたいに週イチでYouTube一曲配信をやる、というぐあいにならないといけません。

 

それにコロナ時代にあっては、そもそもCD(やレコードやカセットテープ)を売るという物体販売主義からも脱せざるをえなくなるでしょう。こっちはすでにもうそうなっているというか、一つの統計データによれば、2020年の音楽販売総売り上げ高の八割以上がストリーミングによるものだそうですから。

 

個人的な感覚とお断りしておきますが、もはやダウンロード購入すら時代遅れの音楽入手法という気がしていますが、それでも100%オンラインで済ませられ物体接触がありませんから、いまのコロナ時代にふさわしい手段ではあるんでしょう。些少の定額で聴き放題というストリーミング・サービスなら、貧困層が大拡大した現在の日本でも、よりいっそう現状に即した音楽体験が享受できるでしょう。

 

コロナ時代のほんの数年前にストリーミング・サービスが一般化していたのは、ほんとうに奇遇ですよねえ。

 

アイドル歌謡、演歌などの世界も、特に演歌界ですかね、ファン層が高年齢化していますからインターネットが不得手で、対面の路面店でCDを買うというみなさんがまだまだ多いと思いますし、それが悪いとはぼくも思いませんが、でも今後はCDすら買わず売らず、ダウンロードやストリーミング、特にストリーミング販売へとどんどん移行してほしいという希望があります。なんたってコロナ時代に感染の危険性がありませんからね。

 

そうなれば、コロナ前まであんなにどんどん開催されていた握手会やおしゃべり会などなど諸々のイベントも、オンライン開催へとほぼ全面的に移行するしかありません。オタク業界でいう接触廚にはツライ時代の到来で、ぼくも美咲にかんしてはそんな部分がありましたので気分的にダウン気味ですけど、時代は変わったんです。

 

もう、コロナ前のような世界には戻りませんよ。

 

(written 2021.3.3)

2021/03/04

ラウンジ・ジャズなバカラック 〜 カル・ジェイダー

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(3 min read)

 

Cal Tjader / Sounds Out Burt Bacharach

https://open.spotify.com/album/1RkvwWtOyrUhxsxmx95LJz?si=No10Arz6Rkqe6HHMXuyt9A

 

いつだったかだいぶ前にSpotifyをぶらぶらしていて偶然見つけたカル・ジェイダーのバカラック曲集『サウンズ・アウト・バート・バカラック』(1968)。バカラックをとりあげるというのは、ラテン・ジャズ・ヴァイビストのカル・ジェイダーにしてはちょっとめずらしい企画ものじゃないでしょうか。

 

カル・ジェイダー好き、ヴァイブラフォン好きにして、大のバカラック・ファンなぼくですから、もちろん飛びついて聴いたんですけど、1968年というと、バカラックは新人ではないけれどまだキャリアの中期まっただなかといったあたりだったんじゃないかと思います。

 

たんにぼくが無知なだけだと思いますが、カルのこの『サウンズ・アウト・バート・バカラック』収録の全九曲のうち、半分くらいは知らない曲でしたからねえ。それでも聴けば聴いたで、あっ、やっぱりバカラックらしいなと感じることができるのはいかにも一流コンポーザーのあかしです。メロディの動きかた、コードの使いかたや流れに独特のものがあるんですよね。

 

知っている曲、なかでも好きな、たとえば7曲目「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」、8「ウォーク・オン・バイ」なんか、特に「ウォーク・オン・バイ」かな、好きでたまらないこういうおなじみの曲だと、そのメロディをカルがヴァイブで弾くというだけで心地よさにひたっていられます。う〜ん、やっぱりいいメロディだ、バカラック、好きだなあ。

 

このアルバムでのカルは、なんらのラテン・ジャズ色も出さず、ただ淡々とひたすらきれいにバカラック・メロディを奏でているだけで、アド・リブ・ソロすらあまりなく、メロを演奏するときのフェイクすらほとんどないくらい。バカラック・ソングみたいな美しいメロディは、やっぱりストレートにそのままやるのがいちばんですよね。

 

そんでもって、ラウンジ・ジャズふうっていうか、リラクシングなムードで心地よくくつろげる、そんな音楽ですね、このアルバム。聴き込むようなものじゃありません、ただ部屋のなかで、カフェで、BGMとして流していればそれでOK。ジャジーなインスルメンタルで展開したバカラック・カヴァー集としては、なかなかの好作品じゃないかと思います。

 

(written 2020.12.26)

2021/03/03

伝統色とモダン・ポップスの融合 〜 ロジダ

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Rojda / Siyam

https://open.spotify.com/album/3zH05rpATy02ndwMuU7Mv0?si=gbSdKw2ES067Pn6C6U9pOg

 

エル・スールのHPで、あるときトップ10内に載っていたので見つけた歌手、ロジダ(Rojda)。トルコのクルド人歌手だそうです。その2018年作『Siyam』がちょっと聴かせる内容ですよね。エル・スールでは人気ないのか、売り切れないまま下のほうに消えちゃいました。2020年最新作もSpotifyで聴けますけど、18年作のほうが好みです。

 

トルコの音楽はいままでもちょっとだけ聴いてきたつもりですが、クルド人の音楽となると100%無知でして、だからロジダのこのアルバムもなんとなくジャケットの雰囲気に惹かれて聴いてみただけだから、なにも中身のあることは言えないと思います。

 

アルバム『Siyam』、哀感をこめてしっとり聴かせるようなバラード調の歌がメインかなと思いますが、なかにはちょっと強めのビートの効いたダンス・トラックも数曲あったりして、そういうのだと聴きやすいなと感じます。ダンス・トラックでもメロディを形成する音階が悲哀感のあるものですけど、ビートが効いていれば楽しいですよね。

 

そのビートは主にコンピューターでつくったデジタル・サウンド。生のパーカッションかなと思える音も混じっていますけどね。あとやっぱりギターとか鍵盤楽器、管楽器とかは生の演奏者がいるはず。ロジダ本人はスムースに軽く歌いこなしていて、そんなにリキんでいないのは好印象です。曲にはトルコ・ポップスでいうアラベスクっぽい雰囲気もあります。

 

ロジダのほかの作品もあたってみると、このひとはどっちかというと伝統楽器を中心に使って民謡系の歌をしっとりこなすというのが本領の歌手みたいで、『Siyam』みたいにデジタル・ビートをメインに据えたダンス・トラックもけっこうあるというのは異色みたいです。

 

『Siyam』だと、しっとり系の歌でもバックのサウンドにやわらかいコンピューター・サウンドが漂っているし、そういうプロデュース意図があったんでしょうね。ふだんの伝統色よりも現代的なポップス・サウンド中心に作品をつくりあげようとしたのがわかります。それでもけっこうハルクっぽいというか、しっとり哀調のバラードっぽいのもかなりありますけれども。伝統色とモダン・ポップスの折衷音楽と言っていいでしょうか。

 

コンピューター・サウンドがそうともわからない感じで、人工的なデジタルくささがほぼまったくせず、アクースティック楽器とまったく違和感なく溶け合っている、というのはいまや全世界の音楽であたりまえになっています。ぼくなんか旧世代人間だから、そういう時代になったんだなあと実感しますね。

 

(written 2020.12.25)

2021/03/02

ヴァイブの音色を浴びる快感 〜 ジョエル・ロスの二作目

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(3 min read)

 

Joel Ross / Who Are You?

https://open.spotify.com/album/4xq8VBZYwExP31yuSidyZg?si=h_Nw9iJtR4ymo9uzy1B7ig

 

2019年のファーストに続き2020年も出ました、ジャズ・ヴァイブラフォンの若手最高峰ジョエル・ロスの新作アルバム『フー・アー・ユー?』(2020)。デビューして二年続けてここまで充実した作品を立て続けにリリースするとは、ジョエルはいま勢いに乗っているんでしょうね。

 

メンバーはベーシストを除き一作目と同じ。くわえて曲によってはハーピストが参加しています(ほとんど目立たないけど)。ってことで、2020年12月来ぼくも夢中のアルト・サックス奏者、イマニュエル・ウィルキンスもいますよねえ。でも正直いうと、ジョエルの作品で聴けるイマニュエルはややおとなしいなぁと思わないでもなく。

 

それはやはりジョエルがアンサンブル志向、コンポジション志向だからですね。自身やメンバーのソロにおけるパッショネイトで偶発的なインプロ展開よりも、音楽全体のスムースさ、なめらかで美しい流れを重視して完成度を上げていくというのがジョエルの姿勢ですよね。

 

『フー・アー・ユー?』ではそれでもインプロ・ソロでオォッ!と思わせる瞬間も時折あります。アルバムでいちばんのクライマックスだと思う5曲目「アフター・ザ・レイン」(ジョン・コルトレイン)、6「ヴァーサ」(アンブローズ・アキンムシーレ)、7「マーシュランド」がそうです。この三曲はメドレーになっていて、切れ目なく流れてきますが、編集ではなく演奏時からそうだったかも。

 

特に注目すべきは6「ヴァーサ」です。アルト・サックスのイマニュエルもヴァイブのジョエルも、まるでなにかに取り憑かれたかのように情熱的で激しいソロを展開。なにかの壁をぶち破らんとするかのような、そんなパッション、高い熱量を感じますね。コンポジションの枠から二名ともフリーキーに飛び出していて、かなり聴きごたえのあるソロになっています。

 

7曲目でも、6曲目同様ドラムスのジェレミー・ダットンの猛プッシュに乗って、ジョエルとイマニュエルがソロを交換しながら熱いインプロ応酬を展開していて、かなりなものです。っていうか、こういったハミ出た熱いソロ・インプロの展開も、そもそものコンポジション段階から織り込み済みのものだったかもしれませんが。

 

いずれにしてもヴァイブラフォンは音色に最大の特徴がある楽器。その美しいサウンドをこれでもかと途切れなく怒涛のシャワーのように浴びることのできるジョエルの音楽は、それだけでも聴いていて心地よく、音楽の快感、聴くよろこびをもたらしてくれるものです。全体的にはあくまでなめらかでスムースで美しく、たまにフリーク・アウトしてソロでスリリングな展開をみせるというこのクインテットは、まさしく現代NYジャズの最も充実した側面を代表しているでしょう。

 

(written 2020.12.24)

2021/03/01

ロー・ファイでチルしよう 〜 ブルーワークス Vol.1

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(3 min read)

 

Bluewerks Vol.1: Up Down Left Right

https://open.spotify.com/album/3rF38iEMLEfEGQcS1Bb2Y5?si=A_mNpmh7QxWlrCCHU1Nduw

 

ロー・ファイ(Lo-Fi)という音楽があります。いままでに二回、このブログでもとりあげてきましたけど、そこではロー・ファイ・ヒップ・ホップという呼びかたをしていました。この名称が短縮されて、いまやロー・ファイと言うばあいも増えているようですね。流行しはじめてまだ三、四年の新潮流です。

 

ロー・ファイは、(ヒップ・ホップ系の)ダウンテンポなエレクトロニック・ビートとアンビエントふうのジャジーなサウンドを合体させた音楽。音質をやや粗めのロー・ファイな感じに処理していることとあわせ、チルな(リラックスできる、くつろげる、の意)フィーリングを出しているものです。

 

ロー・ファイはYouTubeやSpotifyなど配信サービスでもっぱら流通しているものなんで、いまだフィジカル商品にこだわる向きには永遠に届かない音楽。いろんなビートメイカーやサービスがロー・ファイ・ミュージックをつくって流していますよね。

 

そんななか、昨日2/27に公開されたばかりの『ブルーワークス Vol.1:アップ・ダウン・レフト・ライト』(2021)はちょっと画期的で、いまだ一般的な知名度は低いロー・ファイ・シーンの起爆剤となりうるかもしれません。なぜならこれはジャズ名門レーベルのブルー・ノートがリリースしたものだからです。

 

正確にはブルー・ノートと、エレクトロニクス・ミュージックのアストラルワークス(Astralwerks)とのコラボEPで、両者のSNSで2月26日に同時に、明日リリースするぞと告知されていました。ぼくはブルー・ノートの公式InstagramとTwitterを欠かさずフォローしているんで、知ったわけです。

 

『ブルーワークス Vol.1』、音楽的にはいままでにいくつもあるロー・ファイとそう変わるところはなく、カフェで、自室で、のんびりくつろぎながら、あるいは勉強とかしながらのBGMとして、ちょうどいい感じのチルな雰囲気をつくってくれるものです。音量はやや控えめに。正対してじっくり聴き込むようなものじゃなく、あくまで背景におくものです。

 

と言いましても今回のこのEPはたったの8トラック、17分しかないんで、ゆったり気分をリラックスさせるための時間としては短すぎるんですけど、あくまでこれはとっかかりの入り口、試験薬でしょう。シリーズものになるとのことなので、Vol.1をまずリリースして、その評判をみて今後の展開を決めるということじゃないでしょうか。

 

いずれにせよ、ジャズ関連では知らぬ者のない名門ブルー・ノートが、ロー・ファイのコンピレイションをリリースした、この新領域に踏み込んだという意義はたいへんに大きくて、今後の『ブルーワークス』続編におおいに期待したいところです。

 

(written 2021.2.28)

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