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2021年6月

2021/06/30

遅い音楽

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(9 min read)

 

ファスト映画というものがちょっとした話題、問題になっているそう。

 

映画館で上映されている、あるいは配信されている、映画作品の、その本編ニ時間ならニ時間あるところ、その内容をほんの10分程度に編集して、権利者に無断でYouTubeに投稿するチャンネルが急増しているんですって。

 

数日前のニュースによれば、全国初の逮捕者まで出たというこのファスト映画。映画を10分程度にまとめる際、映像や静止画を無断で使用し、字幕やナレーションをつけながらストーリーを明かしてしまうといったことで、著作権法を侵害するということになります。

 

こうしたファスト映画YouTubeチャンネル、昨春以後のコロナ禍で急増しているんだそうですよ。なかなかの再生回数を記録しているものもあるらしく、多額の広告料収入を得ているはずですね。

 

見るひとが多数いるからということでしょうが、こうしたファスト映画チャンネル流行の背景には、「とりあえず手っ取り早く」内容を知りたいという一般視聴者みんなの志向があるんじゃないかと思えます。映画館などで二時間ほどもじっと拘束されるのが耐えられないということでしょうか。

 

なるべく短時間で手っ取り早く、なるべく手間と時間をかけず、なるべくたくさんの映画の内容を「とりあえず知っておく」ことが一種の教養というか、現代人に必須のたしなみであるみたいな発想があるんでしょうかねえ。ファスト映画チャンネルを利用しているひとだって、それで映画作品を観たということにならないのはわかっているはず。

 

こういった、なんというか手間や時間を極力省いて効率的に対象を手っ取り早くちゃちゃっと知りたいというムーヴメントは、音楽の世界にもあるような気がしています。

 

ファスト音楽みたいなものはまだ話題になっていないと思いますが、でもぼくが気がついていないだけで、たとえば一人の歌手の必聴曲を集めて、1コーラス単位くらいでどんどん切ってつなぎ、編集したという音源が共有サイトに上がっていたりするかも。

 

また、一時間強程度の長さのアルバムを10分程度に編集して「こんな感じですよ〜」と紹介するものがYouTubeなんかにアップロードされていてもおかしくない気がします。映画よりも音だけの音楽アルバムなんかのほうが、そういった短縮編集作業はやりやすいんじゃないかと思いますからね。

 

そこまでのことじゃなくても、サブスクなんかだと飛ばし聴きがきわめて容易ですからね、だから現実的にイントロとファースト・コーラスだけ聴いて、「あ、こういう感じなのね」と合点して、どんどん次へとスキップしていく、なんていう聴きかたをしているファンもたくさんいるんじゃないか、いや、間違いなくいるはずでしょう。

 

ちょっと話がズレるかもですが、たとえばぼくも熱心な音楽リスナーで、なかでもマイルズ・デイヴィス・マニアだというわけで、ときたま「生涯の必聴アルバム10選を教えてくれ」「マイルズはとりあえずどれとどれを聴けばいいんだ、オススメを教えてほしい」みたいな質問が、ブログのコメントやTwitterのリプで寄せられることがあります。

 

生涯のベストテンを選ぶのはかなりむずかしいので答えていませんが、しかし「〜〜の10」とか「ベスト9」みたいなセレクションはぼくもよく書くし、マイルズ関係だってなにかのテーマでくくってのベスト選みたいなのはよくつくります。ブログで書いていますし連動するSpotifyプレイリストも。便利に使ってもらってOKなんですけれども。

 

しかしそんなときに忘れてほしくないのは、マイルズの「〜〜セレクション」みたいなものを書いたりSpotifyプレイリストをつくったりする、ちゃちゃっと簡便につくれる、というそのバックグラウンドには、40年以上にわたりじっくりとマイルズのすべてと向き合い聴き込んできたスロー・リスニングの歴史があるんだっていうことです。

 

その蓄積があるからこそ、思いついたときにぱぱっとマイルズのベスト・セレクションがつくれるのであって、ファスト・ミュージック的な接しかたをしていては、そんなことはとうていムリなわけですよ。ある程度年齢というか経験が必要なことですけどね。

 

「名盤100選」とか「カンタン〜〜入門」とか「〜〜ガイドブック」みたいなものは、紙でもWebでも世にあふれかえっていて、この手のディスク・ガイド、名盤案内みたいなものは、べつに最近流行するようになったというわけでもなく、ぼくが本気の音楽ファンになった40年以上前からたくさんありました(そのころは紙のものだけ)。

 

音楽書だけでなく、小説でも哲学書でも「〜〜入門」「〜〜案内」みたいなものがたくさんあって、売れていた(いる)ようですから、やはりこうした<手っ取り早く内容をかいつまんで知りたいんだけど>っていう需要はずっと前から世間にたくさんあるということでしょうね。

 

そうしたものは、かつては(上でも暗示しましたように)経験を積み重ねた熟練のプロが書くもので、長年にわたりその世界にじっくりゆっくりと取り組んできた膨大な知識と経験を活かしてこそ、カンタン入門みたいなものが書けるというのが一般的だったと思うんですね。

 

近年はコンピューター技術の発達と普及で、それが一般人でもできるようになったというわけで、だからたくさんのファスト映画チャンネルができて人気もあったり、(こっちはあるかどうかわからないけど)ファスト音楽みたいなものをアップロードするひとも出現しているということでしょう。

 

だけど、ぼくはこんな時代に、あえてそんな「ファスト〜〜」が流行する風潮に対抗するように、「遅い音楽」というものを提唱したいですね。

 

遅い音楽とは、一時間強なら一時間強、二時間なら二時間といった音楽アルバム全体をしっかりじっくり聴き込むこと。あるいはもっと膨大な時間をかけてその音楽家や地域、ジャンルの作品をトータルで、いわば全的に、聴いていき、そんな経験のなかから得られるものを大切にしていったほうがいいと、こういうことです。

 

もちろんこれは個人的にそうやって長いあいだ音楽を聴いてきたから、それで得られたものが大きいから、という経験にもとづいての発言で、Spotifyばかり活用するようになった現在でも同じようにそうやって音楽に接しているからなんで、還暦近い旧世代の妄言だよと笑われればそれはそれでしょうがないなとは思っていますけどね。

 

サブスクで音楽を聴くことが世間の主流になったいま、ちょちょっとつまみ食い的に聴くというか、ちょっと聴いてはどんどんスキップし、1コーラス単位で飛ばし聴きして、そうでなくとも一曲単位で聴くというのがあたりまえになっていますけど、あえてそれに、Spotify愛用者でありながら、逆行するような発言を、きょうぼくはしているわけです。

 

マイルズについては、そこそこみなさんから信頼をいただいているんじゃないかという自負もちょっとだけならありますが、「マイルズのバラード・ベスト10」みたいな記事とプレイリストが、どうして苦労せずにできちゃうのかといったあたりを自省してみると、どうしてもゆっくりじっくりマイルズに向き合ってきたからだという結論にならざるをえないわけですからね。

 

遅い音楽、これでないと得られないものが間違いなくあるなというのが、たしかな実感です。

 

(written 2021.6.29)

2021/06/29

音楽系貧乏わさ民

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(5 min read)

 

こどもがいないぼくは現在59歳。もしかりに30歳のときにこどもができていたと仮定したら、その子は現在29歳ということになります。30代の子がいても不思議ではない世代ですよね。

 

比較するに、わさみんこと岩佐美咲は現在26歳なんで、つまり自分にひょっとしたらいたかもしれない子よりも年下なんで、だから恋愛対象的に愛するというか、いわゆる「ガチ恋系」的な推しかたにはなりえない気がしますねえ。

 

もちろんこの世には30歳年下、40歳年下と結婚したりするひともいて、それだってなんらおかしなことでもないんで、だから現実世界で59歳のぼくが26歳のわさみんに恋愛感情を抱くことがあったとしても不思議ではないのかも。でもぼくはあくまで音楽系わさ民(わさみんファンのこと)であって、ガチ恋系的な気分はゼロです。

 

「ガチ恋系」とは、推しであるアイドル(じゃないと思うけど、もう、わさみんは、AKB48を卒業して歌手一本でやっているんだし)のことを、ひとりの本気な恋愛対象として見て、そのように推していくオタクのことで、ぼくらの業界ではよく知られたターム。

 

アイドル・オタクの世界じゃなくたって、好きになった歌手や音楽家(や芸能人や作家など, etc)にある種の恋愛感情のようなものが湧くということは、そんなにめずらしいことじゃないんでしょう。息づかいの細かな一個一個にまで惚れ惚れするようにため息をつく気分でうっとり聴き入ってしまうなんて、そんなことだってありえると思います。

 

歌手や音楽家の推しかたは、だからひとそれぞれで、現実に真剣交際を迫ってトラブルを起こしたり(なんていう例がちらほらある)することがなければ、ただ楽しんでいるだけであれば、ガチ恋系でも、ぼくみたいな音楽系でも、なんでもいいんじゃないでしょうか。

 

それでも常識的なというか大勢の一般的な感覚として、自分の(仮想でも)こどもより年下の相手に、「結婚してくれ」みたいなマジの恋愛感情はなかなか湧きにくい、性愛対象にもならないというわけで、ぼくはそう。だからわさみんのことは、いたかもしれない自分のこども(より年下だけど)の成長を見守る親のような気分で眺めています。

 

といってもぼくは歌だけ、歌手としてのわさみんに興味があるだけなんで、歌手以外の芸能活動とかにはあんまり惹かれないわけですけど、愛媛にいながらにして歌手としてのわさみんを推すというのはなかなかたいへんだなあと思うこともあります。

 

CDとか(コンサートを収録した)DVDとかは、どこで買おうと全国一律価格ですからね、だから平気なんですけど、ふだんそれで聴いたりして楽しんでいても、やっぱりときどきは生のわさみんに会いたいわけですよ。その味を、「現場」の楽しさを、知ってしまいましたからねぇ。

 

コンサートなんかもですね、わさみんはたった年に一回だけ、それも東京でしかソロ・コンサートをやりませんけど、演歌歌手って多くが全国の地方都市をまわってコンサートをやっています。外国人大物歌手の来日コンサートじゃないんだから東京でしかやらないとかって、わさみん関係者はいったいどうなっているのだろう?といぶかしむことだってあるんです。

 

歌唱イベントはわさみんも全国をまわっていますけど、演歌歌手としてはごく当然の姿であって、だからもっと全国くまなく小さな地方都市をまわらないといけませんよねえ。コンサートにしろ歌唱イベントにしろ、コロナ禍以後なかなか開催がむずかしいということもあるし、ぼくも深刻な金欠病というわけで、現状はじっと我慢ですけどね。

 

それでも関西方面や中四国地方にまで来てくれれば、年に一回か二回くらいであれば、なんとかなけなしのお金をはたいて参加することが可能性0%じゃありません。コンサートだって東京でやってもいいけど、大阪あたりでも一回やってほしい。そうすれば行くのはまだ比較的容易です。

 

そんなこんなで、とにかくわさみんの歌が聴きたい、ぼくのわさみん推しは100%音楽系としてのそれだから、わさみんの歌手活動を応援したい、味わいたい、その一心でずっとやってきたし、今後もやっていくと思います。あんまりお金を使わないファンでありオタクで申し訳ないですけど、どうかよろしくお願いしますね。

 

(written 2021.6.28)

2021/06/28

ブルーな老人たち

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(7 min read)

 

ジョニ・ミッチェルとかヴァン・ダイク・パークスらは、まるで音楽業界、レコード会社が崩落してしまったかのようなことを言うんですけど、なくなったのはCD売り上げであって、音楽じゃないです。

 

音楽はいつの時代も、それこそ人類の誕生から2021年の現在にいたるまで、ずっとひとびとの生活に欠かせないものとして身近に存在し、愛し続けられてきているもの。それが消えてなくなるなんてことは未来永劫ありえません。人類は音楽生物。人生は音楽。

 

しかし音楽はレコードやCDと同義ではないんです。このことは人類音楽史をちょっとふりかえってみてもわかるはず。録音技術が確立したのなんてほんの19世紀末のことにすぎず、それまでの何千何百年もの長いあいだにわたり、人類は生演唱音楽とともに生きてきたじゃないですか。せいぜい楽譜。

 

それがこのたった100数十年間、わずかそんな短い期間、レコード(CD)が身近にあって、それを聴くことが音楽を楽しむということとほぼ同じ意味だった時代を人類が生きてきたからといって、音楽がそれとイコールになったりはしないわけですよ。

 

それに、CDが売れなくなったいまだって、録音再生音楽はまったく健在です。聴く手段がネット配信(ストリーミング)でということにはなりましたけど、それだってスタジオなりライヴ会場なりで録音したものを流し再生しているだけですから、19世紀末以来のレコード録音・再生技術の歴史は、もちろん生きている、ちっとも廃れてなんかいないわけです。

 

それをなんですか、老人たちはまるでもう音楽業界が消えてなくなってしまったかのような悲嘆に暮れていますけどね、たんにインターネットで音楽を聴くように時代が移り変わったというのについてこれていないだけでしょうが。

 

要はパソコン、スマホ、インターネットなどの技術を使えない老人のタワゴトにすぎないわけです。

 

話をCDに限定すると、レコードからCDへの移行はだいたい1980年代末〜90年代頭ごろで、ネットで曲をダウンロードしたりするようになったのは2000年代はじめごろ。ストリーミング・サービスの出現は2015/16年ごろで、だからCDメディアの全盛期はそのあいだ、すなわち1990〜2010年ごろの約20年間だったということになります。

 

それは、ここ日本では、たとえば華原朋美や浜崎あゆみがミリオン・セラー、ダブル・ミリオンを連発していた時代と重なります。華原でいえば小室哲哉プロデュース時代が1995〜98年。90年代いっぱいはバカみたいにCDが売れていましたよねえ。

 

浜崎あゆみが華原のちょとあと、1998年デビューで、2000年代初頭まではやはりCDがトイレット・ペーパー並みに売れていました。浜崎のレコード大賞三連覇が2001〜03年で、だからそこが全盛期でした。しかし両者とも、その後のネット配信時代に対応できず、CDが売れない時代になっていくと同時に歌手としての持続力も失われてしまったかのようになっていますよねえ。

 

こうしたCDからネット配信へという時代の変化には、演歌勢もついていけてなくて、歌手や所属会社も長年レコードやCDを売るという習慣にどっぷりつかって生きてきたし、新時代のスター演歌歌手、たとえば2000年デビューの氷川きよしですら、その歌はほとんどストリーミングでは聴けません。今年六月に発売されたばかりの新作アルバム『南風吹けば』しかり。CD買えってか?

 

演歌歌手といえば、ぼくの応援している岩佐美咲ですけど、美咲は1995年生まれ。だから「CDが売れる」という時代の記憶なんかまったくない世代のはず。父母や祖父母の語る思い出話で聞いているだけでしょう。美咲20歳で2015年ですからね。ちょうどApple Musicがサービスを開始したのが15年ですよ。

 

2012年デビューの美咲にしたって、ストリーミングで聴けるのは全九曲のシングル表題曲だけなんで、このへんはいかにも時代の変化についてこれていない演歌界らしいありさまだなあと感じざるをえません。とにかく美咲はそういう時代に生きて活動している歌手なんで、ともちゃんやあゆみたいにわさみんのCDがバカ売れする、なんていう時代は絶対に来ません。

 

これからは、たとえば米津玄師とか藤井風みたいにストリーミング時代に対応できる歌手、音楽家が生き残っていく時代になっていくんだなあと、つくづく心の底から痛感しています。もちろんCDがなくなったりはしないです。レコードだっていまだ消えていないどころかもりかえしているんですから。でもみんなが使う音楽再生の中心手段では、もはやなくなった。

 

それを理解できていない老人が、つまりジョニ・ミッチェル(77)とかヴァン・ダイク・パークス(78)みたいなひとたち。もうそんな世代の嘆き発言を真に受けることはないです。ぼくらまだ還暦前の若い世代はいつまでもCDやフィジカルにこだわらなくても、ネットやパソコン、スマホが使えるんだから、それで音楽を聴くのがいまや世の趨勢なんだから、それでやればいいんです。

 

音楽がこの世から失われるなんてことはありませんから。CDはもう売れないでしょうけど、業界は健在です。

 

(written 2021.6.27)

2021/06/27

マイルズ最晩年の91年ヴィエンヌ・ライヴ、発売さる

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(7 min read)

 

Miles Davis / Merci Miles!: Live at Vienne

https://open.spotify.com/album/5uwhFU11cMl7DNciA7j1Gx?si=BqGPircERsGufYib2dDU_g&dl_branch=1

 

2021年6月25日にリリースされたばかり、マイルズ・デイヴィスの未発表ライヴ音源『メルシ・マイルズ!:ライヴ・アット・ヴィエンヌ』(2021)。アヤシげなものではなく、ライノ/ワーナーからの公式リリース品で、死の約二ヶ月前、1991年7月1日、フランスで収録されたライヴ・アルバムです。

 

もちろんレコードやCDでも発売されますが、日本は世界で最も日付が変わるのが早い地域の一つ。いちはやく6月25日になったというわけで、マイルズ公式や世界中が「明日リリース」とか言っているあいだにこうしてサブスク解禁になったわけです。

 

このライヴ、開催地のヴィエンヌ(Vienne)はフランス南西部の小さな田舎町というかコミューンで、ここで1991年7月前半の13日間にわたり開催された<ジャズ・ア・ヴィエンヌ91>フェスティヴァルの幕開けを飾ったのがマイルズ・デイヴィス・バンドでした。

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演奏はマイルズ以下、ケニー・ギャレット(サックス、フルート)、デロン・ジョンスン(キーボード)、フォーリー(リード・ベース)、リチャード・パタースン(ベース)、リッキー・ウェルマン(ドラムス)という生涯ラスト・バンド。

 

1991年夏のマイルズは主に欧州でライヴ・ツアーを組んでいて、ほんの数ヶ月後にこの世を去る人間とは思えない精力的な活動を見せていたんですね。ワーナーはそんなマイルズ・ライヴのほとんどぜんぶを公式収録したと聞いていますが、いまだ日の目を見ているのはほんの一部で氷山の一角。

 

どうしてどば〜っとまとめて公式リリースしないのでしょうかねえ。今回7月1日のヴィエンヌ・ライヴが出たわけですけど、こうやって数年おきにちょこちょこ小出しにするだけで、こういうワーナーの姿勢はちょっと理解に苦しみます。大手はこんなもんかもしれませんけれども。そういえばワーナーはプリンスとのあいだでもトラブルを抱えていましたよねえ。

 

そう、プリンスとマイルズ。1986年以後は同じワーナーのレーベル・メイトで、相互に、あ、いや、主にプリンス→マイルズ方向で、音楽的影響を受けていました。音楽だけでなく、ライヴ・ステージングやファッションなどの面でもマイルズはおおいにプリンスにインスパイアされていたのでした。

 

プリンスからマイルズへの音楽的影響は、今回発売のヴィエンヌ・ライヴでも最大の焦点です。公式には今回初お目見えのプリンス・ナンバーが二曲ふくまれていますから。4曲目「ペネトレイション」、7「ジェイルベイト」。

 

それらは1988年(となっているが?)にプリンスがマイルズに提供した曲で、しばらく経ってからライヴでもマイルズはやるようになったので、それが聴けるブートレグならいくつかありました。公式には今回が初リリースというわけで、おそらくスタジオ録音もあるだろうにとは思います(お蔵入りのまま)。

 

今回公式にはじめて聴けるようになったそれらプリンス→マイルズの二曲。「ペネトレイション」はかなりジャジーで都会的な夜のムードの一曲。マイルズが演奏するにはピッタリの曲調ですね。二管でテーマ・アンサンブルを演奏するのはめずらしく+キーボード・シンセの分厚いサウンドでゴージャスに飾っています。デロン、ケニーとソロが続きますが、あいまあいまにはさまるキメのアンサンブル・フレーズが印象的です。マイルズのソロはなし。

 

「ジェイルベイト」のほうは、プリンスが書いて提供したというにしてはめずらしいただのストレート・ブルーズで、それもかなりブルージーでダウンホームなフィーリング。マイルズはこういうの得意ですし、1981年復帰後はずっとブルーズをやっていたというわけで、手慣れた演奏ですね。ここではマイルズもソロを吹きますが、やはりデロンの鍵盤がファンキーでいいですね。ケニーのソロもあり。

 

そう、デロンとケニーの二名は、このヴィエンヌ・ライヴ全体をとおし大活躍していて、特にケニーのパッショネイトなアルト・サックス・ソロは最大の聴きものですね。1曲目「ハンニバル」でも2「ヒューマン・ネイチャー」でも情熱ほとばしる演奏ぶりで感心します。晩年のマイルズ・ライヴにおけるスターの一人でした。

 

晩年のマイルズ・ライヴにおけるスターといえば、リード・ベース(音はギター)のフォーリーの存在感が、このヴィエンヌ・ライヴではほぼ皆無、ゼロに等しいわけですが、これはどうしてなんでしょうかねえ。たしかに弾いていますけど、音量も微弱だし、う〜ん、会場の音響のせいかエンジニアリングかなあ、いるのかいないのかわからない程度ですよねえ。ちょっと不思議です。

 

その代わりにというかキーボード・シンセサイザー奏者のデロン・ジョンスン(本来はオルガニスト)が、特にバッキングではこのバンドのキモを握っているのが、聴いているとよくわかります。最晩年のラスト・バンドでは鍵盤楽器メインのサウンド構成に回帰したみたいな面もあったかもしれないと思うことがあります。

 

さらに、このラスト・バンドにはパーカッション奏者がいません。マイルズのレギュラー・バンドにパーカッショニストがいないというのは1969年ロスト・クインテット以後初の事態。70年にアイアート・モレイラを雇って以後、ただの一度も、欠かさなかったんですからねえ。

 

このへんも、最晩年のマイルズの変化というか、リズムよりもメロディやサウンド・カラーリングを重視する志向に変化したということだったかもしれません。もっとも、ドラマーのリッキー・ウェルマンが一人でポリリズミックに叩いて大健闘ですけどもね。

 

(written 2021.6.26)

2021/06/26

ビートルズの公式プレイリスト(的アルバム)、最近サブスクで増殖中

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/7JqbDJM1V7SsjASKmWbW9Y?si=7FOruPaFSqaAcFHGrgTY5A

 

昨2020年12月にビートルズの『メディテイション・ミックス』というものの話を書きました。かたちとしては公式のアルバムなんですけど、テーマに沿って既発音源を選んで並べただけですから、プレイリストみたいなものですね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-a49221.html

 

このときぼくは『メディテイション・ミックス』しか見つけていなかったんですけど、2021年になってしばらくして、この手のビートルズ公式プレイリスト的アルバムがけっこうたくさんどんどんリリースされているぞという事実に気がつきました。

 

こりゃいったいなんだろうなあ、それぞれ一定のテーマに則して既発曲がほんの十数分程度並べられたものが、2021年3月6日時点でなんと12個もリリースされているではありませんか。

 

以下、Spotifyでさがしてひろってみて、それらをリリース順にして列挙してみました。カッコ内の数字はリリース年月日。

 

・For Kids - Morning, Afternoon & Night (2020.11.13)
・Got To Get You Into My Life (2020.11.27)
・Study Songs Vol.1 (2020.12.1)
・Meditation Mix (2020.12.4)
・Study Songs Vol.2 (2020.12.18)
・At Home With The Beatles (2020.12.25)
・We Can Work It Out (2021.1.8)
・For Kids - Animals (2021.2.19)
・New Year’s Workout (2021.1.22)
・For Kids - Coulours (2021.1.29)
・All About The Girl (2021.2.5)
・Love Me Do (2021.2.12)

 

なんと昨年11月からリリースされはじめていたんですねえ。ぜんぜん気がついていませんでした。ビートルズの公式SNSも宣伝しなかったように思うんですけど(流してくれていたら気づいたはずだから)、いや、ぼくがウッカリしていただけかもしれません。

 

既発曲をテーマによってチョイスして並べただけのものばかりだからぼくらだってつくれそう…、と思うと、二つだけそうじゃないのがあります。『スタディ・ソングズ』のVol.1と2。これらに収録されているのは既発曲のインストルメンタル・ヴァージョンなんですよね。勉強の際のBGMに、ということでヴォーカルを抜いたんでしょうね。

 

ヴォーカルだけ抜く、というのはマルチ・トラックのテープが残っていないとできないんで、だから当然ビートルズでも中後期のものから選曲されています。いちばん早い時期のが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』からの曲。このアルバムって1967年録音だけど、8トラックだったのかな?

 

そのへんからは、たぶんですけど、楽器演奏のバック・トラックだけ先に完成させておいて、その後に歌を重ねるという手法で録音していっただろうと思いますから、もとのインストルメンタル・トラックがオフィシャルに残っていますよね。それを蔵出ししたんでしょう。公式レコード会社でないとできないことで、ぼくらファンには真似できません。

 

それら勉強の際のBGMということで、ジャマにならないようインストルメンタルでリリースされた『スタディ・ソングズ』の1と2は、ヴォーカルだけ抜いた、いわば<マイナス・ワン>だから、すなわちカラオケとして使うこともできます。ちょっとやってみたらどれもキーがいまのぼくには合わないので歌いにくかったですが、みなさんなら歌えるかもしれませんよ。それも楽しい使いかたですね。

 

それら以外のアルバムほんとうにおなじみの既発曲を一定のテーマのもと集めただけのプレイリスト的なものですから、どうってことないような気もします。昨2020年11月から、特に前触れもなく突然リリースされはじめた背景にはなにがあったんでしょうねえ。

 

どのアルバムも十数分程度と短いですので、はっきり言ってあっというまに終わってしまうものばかりですけど、それでもなかにはかなり楽しめるものもあったりして、テーマを決めてビートルズの曲を並び替えてみると、また違ったおもしろさがあるんだなという、あたらしい発見にもなりました。

 

ちょこっとハンパな時間が空いたときのヒマつぶしなんかにも好適かもしれません。

 

(written 2021.3.6)

2021/06/25

ビート・ミュージックでポリ・レイヤーしたセロニアス・モンク 〜 マスト

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(4 min read)

 

MAST / Thelonious Sphere Monk

https://open.spotify.com/album/2tmpO9M8FVKynTLN60Jnsb?si=TavsOdJoQq-kPS5JXeaY7A

 

米ロス・アンジェルスでジャズとビート・ミュージックの接合に取り組むティム・コンリー(Tim Conley)。そのソロ・プロジェクトであるマスト(MAST)がセロニアス・モンクの再解釈に挑戦した2018年の『Thelonious Sphere Monk』は、発売当時から聴いていたにもかかわらず、書くのがいまごろになってしまいました。まあまあかなと感じて、そのまま忘れちゃっていたかもしれません。

 

きっかけがあって思い出し聴きなおしたら、こりゃかなりおもしろいアルバムだぞと気がついたわけですね。セロニアス・モンクは2017年に生誕100周年を迎えており、マストのこのアルバムもそれを記念して企画されたものに違いありません。当時、2017/18年ごろ、モンクのソングブックに挑戦するミュージシャンがほかにもいたような気がします。

 

それにしてもマストみたいにビート・ミュージックでモンクを再解釈するという試みはほかで聴いたことありませんよね。ただのイントロである1トラック目を経て、アルバム2トラック目の「エヴィデンス」で、もうオォッ!と思わせます。エレクトロニクス・ビートが躍動する上に、おなじみのモンクの書いたあのテーマが乗っかるわけです。その後各人のソロもあり。

 

ソロはどの曲にもあるんですけど、しかしどうもこのアルバムはジャジーな意味でのインプロ・ソロの内容を聴かせるものじゃないかもと思います。ジャズというよりあくまでビート・ミュージックとモンクのコンポジションを合体させたところにおもしろみがあるんで、そうでもないジャズ演奏ナンバーとかは個人的にイマイチ。ブリアン・マーセラが弾く4「アスク・ミー・ナウ」とかですね。

 

このアルバム、ビートとモンクの書いたテーマ・メロは融け合っているわけじゃありません。同時並行で流れるポリ・レイヤー構造になっているわけで。そこが楽しい、心地いいと感じるところなんですよね。溶け合っていないけど、重なって流れてくるその音の多層性に快感があります。2「エヴィデンス」から途切れなくメドレーみたいに流れてくる3「ベムシャ・スウィング」もそう。

 

ところで、このアルバム、ビート・ミュージックで再解釈したナンバーが続くときは、その曲間がない、メドレーみたいに途切れなく流れてくると思うんですけどね。5「ウェル・ユー・ニードゥント」から6「エピストロフィー」もそう。その「エピストロフィー」は、このアルバムでいちばんのクライマックスかもしれませんね。管楽器ビッグ・バンドがテーマを演奏し、それをビート・ミュージックと接合してあるっていう、そのビートだってポリリズミックだし、その上モンクの書いたテーマや各人のソロはまた違うリズムで演奏してあって、それらがぜんぶ同時平行でレイヤーされているんですよ。

 

アルバム最終盤の15「トゥリンクル・ティンクル」はエレクトロなビートと生演奏ドラムスを混ぜ合わせてあって、その上にサンプルが散りばめられているというつくり。そこから途切れなく続く16「ミステリオーソ」も途中からビート・ミュージック的再解釈が登場します。ここでもそのエレクトロ・ビートと曲のテーマ演奏とは別々のリズムで溶け合わず重ねられていますね。

 

(written 2021.3.9)

2021/06/24

マンハッタンズとリッツ・カールトン大阪の思い出 March 2019

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(10 min read)

 

The Manhattans / The Legacy Continues

https://open.spotify.com/album/31Xw4aEvRIpaY9hoenpsdh?si=U0aIgeTPRPyYTGQjuDjl5w

 

ベテラン・ヴォーカル・コーラス・グループのザ・マンハッタンズ・フィーチャリング・ジェラルド・オールストン(「アルストン」になっていることが多いけど、オールストンでしょう)。その2021年新作『ザ・レガシー・コンティニューズ』が二月にリリースされたようですよね。

 

中身はそんな特別どうってことないというか、ベテランらしく堅実に仕上げているなという印象で、なかには往年の代表曲「シャイニング・スター」「キス・アンド・セイ・グッドバイ」のライヴ・ヴァージョンなんかもふくまれていて、オールド・ファンならニヤリとするところ。

 

この新作リリースをきっかけに、きょうは、アルバムの中身に踏み込むのではなく、このマンハッタンズのライヴを大阪まで聴きに行った2019年2月末〜3月頭の、あのときの思い出話をしたいなぁって思うんですね。なかなかに忘れられない贅沢で楽しい体験だったもんでして。

 

ビルボードライブ大阪でマンハッタンズ(フィーチャリング・ジェラルド・オールストン)のライヴが行われたのは、2019年3月1日。ぼくはこれの第二部に無料招待されました。

 

bmr(ブラック・ミュージック・リビュー)のTwitterアカウントが、このツイートをRTするだけで応募したことになります、というのを流していて、当選するなどとはつゆ思わずうっかりRTしちゃったぼくは、後日当選を告げるDMが来て、ちょっとビックリし、戸惑いました。

 

東京のでも大阪のでもビルボードライブに行ったことがないし、大阪は2015年にアラトゥルカ・レコーズの来日コンサートを聴きにいって以来ごぶさた。その前というと、なんとマイルズ・デイヴィスを聴きにいった1983年っきりだったっていう、そんな大阪音痴ぶりだったんですからねえ。

 

せっかくのご厚意、無料招待なんだから行けばいいだろうとは思うものの、ライヴは無料でも大阪までの往復の交通費と宿泊費は自分で負担しないとといけないし(あぁ大阪人であったなら…)、マンハッタンズにこれといった強い思い入れもなく。行かなくても自腹は痛まないわけですから。

 

どうしようっかなぁ〜と思い、Twitterで親しくさせていただいているソウル・ミュージック・ファン二名に相談し、「戸嶋さん、それ、行かない手はないですよ!」と強く押されて、決心しました。

 

大阪音痴で、街のことがさっぱりわかんないからなぁ、行きかただって、2015年のときは愛媛から飛行機で行ったけどおおげさだったから今回はJRで行きたい、でもJRで行ったことがないからどうやって行けばいいのか、など諸々、ネット検索が解決してくれました。まず松山から岡山までは特急で乗り換えなしの一本、岡山で新幹線に乗り換え新大阪まで。それで片道計約四時間。

 

ホテルは梅田のザ・リッツ・カールトン大阪を取りました。最高級のラグジュアリー・ホテルじゃないか!なんという贅沢者だ!?と思われそうですけど、知らなかったんですよ。あのときのぼくは要するになんにも考えておらず、「梅田 ホテル」で検索していちばん上に表示されたところを予約しただけなんです。ビルボードライブ大阪が梅田にあるということで、歩いていけるホテルがいいなぁ〜と思って。

 

値段も見ずに予約したザ・リッツ・カールトンが最高級ラグジュアリー・ホテルだということだって、到着して部屋に入ってはじめて知ったんですからねえ。それでもいちばんランクの低いシングル・ルームにしたんですよ。内装が豪華でエレガントでクラシカルだったので、一瞬エッ?と思いましたけど。

 

部屋の照明も明るくなくて、パソコンやスマホを使うのにちょっとなぁと感じたんですが、これ以上は明るくならないそうで。もう満点の雰囲気でしたよ、ペルシア絨毯が敷き詰めてあって、贅沢すぎるムードで、洗面台もトイレもバス・ルームも豪華で。

 

マンハッタンズのライヴは3/1のそれも第二部で21:30開演でしたので、当日愛媛を出発したのでじゅうぶん間に合ったはずですが、そのときは前乗りして前日の2/28の夜に大阪に着きました。せっかく行くんだから、3/1は夜のライヴまでの時間、ゆっくり市内で遊ぼうと思ってですね、前乗りしたんです。

 

2/28はホテルにチェック・インし、夕食を食べて、お風呂に入って、そのまま寝ただけだったんですけど、マンハッタンズのライヴがある翌3/1は、大阪在住の音楽友人、岡崎 凛さんと待ち合わせ、昼食をいっしょに食べ、そのままカフェに移動して夕方までずっと音楽談義に花を咲かせました。楽しかったなぁ。岡崎さんとはふだんTwitterでの音楽話で仲良くしている間柄です。

 

夕方に一度ザ・リッツ・カールトンに戻ってきたんですが、マンハッタンズのライヴが21:30からなので、その前に夕食をとっておこうと思い、調べたあげくメンドくさくなったぼくは、ホテルのなかにあるレストランに行くことにしました。イタリアンやフレンチ、中華、日本食など数種類あるなかから迷って、食べたことのない種類のものをと思い、鉄板焼の花筐というお店に入ってみました。

 

そうしたら、メニューに値段が書いてないんですね。ちょっと尋ねてみたけど、今回は予算に余裕があるからということで食べたいものをオーダーすることにして、まず黒アワビの大きなやつのステーキ。目の前の鉄板で調理してくれます。

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野菜があって、その次に最高級神戸牛A-5ランクのステーキを。

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その後、ガーリック・ライスになって、最後はコーヒーを飲んで終わり。

 

入ったのが18:00ごろと時間が早かったせいか店内の客はぼくひとりでした。満腹になったのでしばらく休んでから出て、会計の場所で六万円超という金額を言われたときはちょっとあせりました(後にも先にもぼくが一食分で支払った最高金額)。

 

チェック・アウトの際にいっしょに払うから部屋にツケておいてほしいと頼んで、そのままお店を出ました。ホテル内のレストランは高いんだといいますよねえ、金額もスーパーだったけど、味もスーペリアでしたよ。

 

部屋に戻ってしばらく時間をつぶしたのち(やっぱり21:30開演は日本では遅すぎるだろう)、夕方に場所を確認しておいたビルボードライブ大阪へ。ホテルから歩いていって五分もかからない程度でした。あとから知ったことですが、ザ・リッツ・カールトン大阪はビルボードライブ大阪にいちばん近い宿泊施設みたいですね。

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夕食はすませてあったので、下戸のぼくはビルボードライブ大阪でワン・ドリンクにコーラを注文。無料招待なので座席は自分で指定できず、決められていた二階席にすわりました。場内は着飾ったひとたちでほぼ満員でした。

 

マンハッタンズのライヴ・ステージは21:30ぴったりに開演して、23:00前ごろまでやりました。代表曲「シャイニング・スター」「キス・アンド・セイ・グッドバイ」も歌ったはずです。アンコールが甘茶アレンジの「ジョージア・オン・マイ・マインド」で、これも堪能。

 

いやあ、このときの旅行ではほんとうにお金使いましたねえ。ふんだんにお金を使って贅沢をすると、つらい気分やストレスが消えてしまいメンタルが改善するというのも体験しました。たったのニ泊で15万円以上使いました。

 

大阪へは、同じ2019年にその後も岩佐美咲を聴きに、六月頭と十月中旬に行きましたが、さすがに常識的な値段&ランクの一般的なビジネス・ホテルを心斎橋に取るようになりました。

 

(written 2021.3.4)

2021/06/23

マーデ・クティのデビュー作は、現代ロンドン・ジャズ

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(5 min read)

 

Femi Kuti / Stop The Hate

https://open.spotify.com/album/5ZJLYgPBDEJkhbaVnq81w3?si=mw87jeHQSD6-Caa0FpaGGg&dl_branch=1

 

Made Kuti / For (e) ward

https://open.spotify.com/album/0XVTcJibAWaDJHRrb99N7l?si=_sca-phPTUyqkAhyBfpf-A&dl_branch=1

 

今年二月ごろだったかな、フェミ・クティと、その子マーデ・クティのアルバムが二枚組で発売されましたよね。ニ枚組で、というのはあくまでフィジカルでは、という話であって、サブスクではバラバラ。だからどっちかを聴きたくなければ自由にできるし、セットで聴きたいひと向けに『レガシー+』(2021)もあるし、というわけで、いいですよね、サブスク。

 

個人的にはフェミに対してあまり否定的感想を持っていないので、今回フェミのほうの『ストップ・ザ・ヘイト』(上の写真で赤いほう)も、マーデのデビュー作とあわせて聴きました。『レガシー+』で聴いたり、バラで聴いたりなど、さまざま。

 

で、以前この記事で、さもフェミに対して否定的意見をぼくも持っているかのようなコメントがついてしまいまして、それはそれでOKなんですけど、でもぼくの記事の書きかたがよくなかったんだろうなあと、ちょっと反省しています。誤解を生んだということで。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-0754.html

 

不肖の息子、だらしない兄で悪いのか?というのは、ぼく自身そうだからなんで、だからフェミに対する共感のつもりだったんですけどね。そう、音楽的にもぼくはフェミに対しネガティヴな感想を持っていないどころか、わりと好きですね。

 

アフロビートとしてはヴォーカルが弱いというのはたしかにそうかもしれないけれど、そこはあんまり聴いていなくて、バンドのサウンド、ノリが好きなんですよね。今年の『ストップ・ザ・ヘイト』でも、アフロビートとジャズ・ファンクとの境目がわからないようなサウンドは健在。ポリティカルだったり社会派な歌詞、メッセージ性は意識していなくて、サウンドやリズムが楽しいなと感じているだけ。

 

つまり、ジャズ・ミュージックを聴くときと同じアティテュードでフェミの音楽も聴いているんですけど、そうすると、その子マーデのデビュー作『For (e) ward』(前進&序文)は、その路線でよりよく楽しめるような気がするから不思議です。

 

なんというか、マーデのアルバムのほうは、もはやアフロビートということを言う必要もないと思うんですよね。祖父フェラの音楽や姿勢を継承云々といったことをこの音楽に聴きとることはかなりムリヤリな気がして、それよりも、現代ロンドンのジャズなどブラック・ミュージック・シーンの文脈に置いてみたとき、作品のよさがよりよく理解できるんじゃないでしょうか。

 

だから、マーデのアルバムのほうはもはやアフロビートじゃない。フェラのそのDNAを伝える音楽でもなく、2020年代的新世代ブラック・ミュージックとして聴いたほうがいいかと。全員集合の合同肉体生演奏こそ命のアフロビートなのに、マーデはこの作品、ぜんぶの楽器とヴォーカルをたったひとりで多重録音したんだそうですからね。

 

むしろ現代ロンドンのブラック・ジャズの文脈で聴くときに価値を発揮するようにぼくには思えるマーデのデビュー作。祖父が偉大で、それを継いだ父も有名人というわけでですけど、ぼくら聴き手までもそのくびきに囚われている必要などないんじゃないですか。伝統芸能みたいに世襲で伝えていくものじゃないんだし、そんな目でマーデを見ちゃいけません。

 

去年の秋に『ブルー・ノート・リ:イマジンド』というコンピレイション・アルバムが出ましたが、現代の若手UKジャズ〜R&Bの音楽家たちが一堂に会し、往年のブルー・ノート・クラシックスに新しい解釈を施して再演するというもの。ジョルジャ・スミス、ジョーダン・ラカイ、ヌバイヤ・ガルシア、ヤスミン・レイシー、シャバカ・ハッチングズなど参加していました。
https://open.spotify.com/album/5afRcZQsR5aBGltG3kIM34?si=wlfrUxHSQrydnqHIvzytSQ&dl_branch=1

 

マーデ・クティのデビュー作『For (e) ward』は、そんな流れのなかにある音楽だとぼくには聴こえます。そして、だからこそ、アフロビートというよりジャズ・ファンクであるフェミの最新作とセットでリリースした意味も、みえてきそうですよ。

 

(written 2021.6.21)

2021/06/22

いまごろビー・ジーズに(再)入門する 〜 バリー・ギブ『グリーンフィールズ』

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(4 min read)

 

Barry Gibb / Greenfields: The Gibb Brothers’ Songbook (Vol.1)

https://open.spotify.com/album/3IFJ7ZGMjHErGmW9NAOdkp?si=tkXhmoHaRDmtKt1Uhm2twg

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2021/01/12/greenfields-the-gibb-brothers-songbook-vol-1/

 

ほんとうにすばらしくきれいなジャケットですよねぇ。ビー・ジーズのギブ三兄弟のなかで唯一現在でも存命のバリー・ギブが、かつて兄弟名義で書き歌った名曲の数々を、一曲ごとにさまざまなゲストを迎えて歌いなおした、ちょっとしたベスト盤的な新録音のソングブック、それが『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol.1』(2021)であります。

 

ぼくにとってのビー・ジーズは、といえばですね、実を言うと「ステイン・アライヴ」や「ナイト・フィーヴァー」でイメージが決まってしまっていたバンド。ディスコ路線。1977/78年のヒット曲で、ちょうどぼくが高校生だったときに学校や街中でこれでもか!とどんどん流れていましたから、耳にしなかった若者は当時いなかったはず。内心、ケッ!とか思っていました。

 

しかしビー・ジーズ本来の、というか、そういうのとはちょっと違うポップ・カントリー路線のほうに彼らの芳醇な持ち味があったのは間違いないことだったなと、2021年になってみればぼくにもわかります。

 

だから、バリー・ギブが大好きで日頃愛聴しているというポップ・カントリー系の歌手たちを一曲ごとデュエット・パートナーに迎えつつ、ナッシュヴィルの名門、RCAスタジオAで、兄弟名義で書いた往年の自作曲の中から12曲をセレクトしてリメイクした企画のこの『グリーンフィールズ』は、ぼくみたいにかなり遅れてきたビー・ジーズ(再)入門者にはちょうどいいんですよね。

 

演奏は、ドラムス、ベース、ギター、ピアノ、オルガンなどリズム・セクションにくわえ、ストリングスが参加するといった様子。手練れの面々がこなしているその演奏のまろやかな味わいも格別ですが、さらにもっとグッとくるのは一曲ごとにそれぞれ異なったメンツが参加している歌手のみんなのヴォーカル・パフォーマンス、そして、なんといってもバリーの、年輪を経ていっそう濃くなったカントリー系のコブシまわしです。

 

1曲目からいい感じですが、ぼくが個人的に特にグッと来るのは4曲目。アリスン・クラウスを迎えてやっている「トゥー・マッチ・ヘヴン」です。アリスンの声がも〜う!なんて美しいのか!とため息が出ます。曲のフィーリングにぴったりで、これ以上ないすばらしくのびやかなヴォーカル・パフォーマンスですねえ。

 

3曲目、ブランディ・カーライルといっしょに歌っている「ラン・トゥ・ミー」も名曲ですよねえ。リトル・ビッグ・タウン&トミー・エマニュエルが参加の8曲目「ハウ・ディープ・イズ・ユア・ラヴ」だけはず〜っと前から知っていた曲のように聴こえますが、調べてみたらこれ、映画『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』で使われたものみたいです。どおりで既視感があるわけです、高校生のころからぼくだって耳にしていたんでしょうね、このおなじみのリフレイン。

 

シェリル・クロウが参加している9曲目「ハウ・キャン・ユー・メンド・ア・ブロークン・ハート」なんかもほんとうに沁みる内容で、最高ですよねえ。沁みるのは歌詞が、ですけど、それをうまく伝えるバリーとシェリルの歌いかた、バンドのしっとり落ち着いた演奏ぶりで、歌が引き立つんですよね。

 

どんなすばらしい再演でも、結局はビー・ジーズのギブ三兄弟のハーモニーこそ最高なんだということを再確認してしまう結果になる、と健太さんはお書きですけれども、このバンドにリアルタイムでの思い入れが皆無な(世代なのにねえ)ぼくなんかにとっては、この『グリーンフィールズ』こそ至高の音楽と思えます。Vol.2もあるんでしょうか。

 

(written 2021.3.8)

2021/06/21

ブギ・ウギからロックンロールへ 〜 拓郎の「ホームラン・ブギ」が楽しい

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(4 min read)

 

吉田拓郎 / ホームラン・ブギ 2003

https://www.youtube.com/watch?v=TceKLvDyXE4

 

上に掲げたこのジャケットではなにも伝わらないですけど、しょうがないですね、吉田拓郎の曲「ホームラン・ブギ 2003」。もちろん服部良一が書いて笠置シヅ子が歌った「ホームラン・ブギ」(1947)のカヴァーです。これが超楽しい!いちおう笠置のオリジナルもご紹介しておきましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=qKZIHm9Ifmo

 

拓郎の「ホームラン・ブギ 2003」を知ったのはまったくの偶然で、あのころまだテレビのプロ野球中継をときたま観ていたんですけど、その番組冒頭でテーマ・ソングのようにして流れてきて、その瞬間に「なんてカッコいい曲なんだ!楽しい!」とシビレちゃったんですよね。

 

いまネットで調べてみたら、フジテレビ2004年のプロ野球中継テーマ・ソングだったんだとわかりました。むかしと違って21世紀ともなれば地上波でのプロ野球中継なんてガクンと放送量が減ったので、ましてやフジはあまりやらなかったように思いますから、だからあのテーマ・ソングを聴けるチャンスも少なくて、たまの偶然の再会を尊ぶ以外なかったんです。

 

だいたいそのプロ野球中継の冒頭で流れるときに、だれのなんという曲かテロップが出なかったように思いますから、参考にしてCDなりを買いに行くこともできず、だからフジのプロ野球中継があることをひたすら乞い願うしかなく、そのぶんますます聴けるチャンスは貴重に思えましたねえ。

 

いちばん上で紹介したYouTube音源は、拓郎の「ホームラン・ブギ 2003」スタジオ録音ヴァージョンではなく、ライヴ収録なんですけど、もう断然こっちのほうが楽しいんですよね。ニ本のエレキ・ギターが大活躍していて、まさしくチャック・ベリー・スタイルのロックンロールが爆発していますからね。

 

そう、拓郎の「ホームラン・ブギ 2003」はストレートなロックンロールなんですよね。もう笑っちゃうほど真っ正直なチャック・ベリー・スタイルのコピー。いっぽう笠置のオリジナルはジャジーなブギ・ウギでした。1947年ですからね、まだロック・ミュージックは存在しなかった時期です。

 

ブギ・ウギがロック(ロックンロール)のベースにあるんだということは、いまさらぼくがくりかえす必要もないことでしょう。チャック・ベリーの曲づくりやギターの弾きかたを聴けば、それがブギ・ウギのパターンをそのまま移植したものであるのは明白。直接的にはチャックはアイドルだったルイ・ジョーダンから学んだわけで、ルイはジャンプ・ミュージック(ブギ・ウギ・ベースの黒人スウィング・ジャズ)のヒット・メイカーでした。

 

拓郎はこのことを服部良一&笠置の「ホームラン・ブギ」に、無意識裡にかもしれないけど、応用して、ジャジーなスウィング・スタイルのブギ・ソングだったのをロック・チューンに変貌させたのでしょうね。その手腕があまりにもあざやかで、こんなにもカッコいいヴァージョンに仕上がっていることに快哉を叫びたい気分です。

 

前からなんどもくりかえしていますが、ジャズとロックのあいだに境目なんかないんだっていう、ひとつの立派な証拠でもありますね。

 

(written 2021.3.4)

2021/06/20

『ゲット・バック』は、ビートルズ流ルーツ・ロック志向だったのか

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(10 min read)

 

https://www.instagram.com/p/CQOPCtTLOkA/

 

ビートルズ公式が(日本時間の)2021年6月17日深夜に発表したところによりますと、かの『ゲット・バック』ドキュメンタリー映画(ピーター・ジャクスン監督)が、今年11月25、26、27日の三日連続、それぞれニ時間の連続シリーズとして、ディズニー+で配信放映されます。

 

なかなか大きなニュースですよね。

 

ビートルズ1969年1月のゲット・バック・セッションを知らないロック好きはおそらくいないと思いますから、紹介の必要もないでしょう。それにぼくなんかが知っていることといえば、一般のファンが知っているごくあたりまえのことだけですから、特になにかを語るなんてこともできません。翌年リリースされたアルバム『レット・イット・ビー』との関係しかり。

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「ゲット・バック」ということばには、いくえにも多層的に意味が重ねられていたと思います。最大のものは、おそらくこのバンドの結成当初の姿に戻りたいということだったかと。1967、68年ごろともなれば、四人のメンバーがスタジオで顔をあわせて同時に音を出す機会も減っていましたから。スタジオ録音技術の発達あればこそ、だったんですけれども。

 

だから、最初のころのように四人でもう一度集合して、そこにキーボードのビリー・プレストンだけをくわえ、多重録音なしの同時生演奏セッションでどこまでの音楽ができるか?というチャレンジというか原点回帰だったという、そういう意味で「ゲット・バック」ということばを使ったのでしょう。ストレートなロックンロール回帰ということで。

 

余談ですが、ビートルズとローリング・ストーンズという1960年代の二大UKロック・バンドと正式共演した音源記録が残っている外部鍵盤奏者は、ビリー・プレストンのほかにもう一名だけいます。それがニッキー・ホプキンス。ビートルズとは、シングル「レヴォルーション」で共演していますよね。

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「ゲット・バック」。しかしぼくがこのことばに読みとりたいもう一つの大きな意味は、ロック・ミュージックの原点、それが依って立つところに戻りたいという、いわばルーツ・ロック志向が、この当時のビートルズにもあったのではないか?ということです。

 

ルーツ・ロック志向は、1968〜71年ごろの米英ロック・ミュージック・シーンで一大ムーヴメントとなっていたものですよね。

 

ルーツ・ロック、別の言いかたをすればスワンプ・ロックでもいいんですが、1968年ごろから、それまでのけばけばしく飾り立てたサイケデリック・カルチャーにとって代わって、ブルーズやゴスペルやリズム&ブルーズ、フォーク、カントリーなど、ロック・ミュージックのルーツを見つめなおし再構築する動きが顕著になりました。

 

そうしたルーツに立ち返るようにして、地味だけど滋味深い真摯な音楽を目指そうという動きが、主にボブ・ディランやザ・バンド周辺、そしてオクラホマ州タルサにルーツを持つLAスワンプ勢を中心に、もりあがりをみせていたじゃないですか。

 

UKロック界隈でもこの動きに敏感に反応していた勢力があって、エリック・クラプトン、デイヴ・メイスン、ローリング・ストーンズ、そしてだれあろうビートルズのジョージ・ハリスンが、ルーツ・ロック、スワンプ・ロック寄りの動きをはっきりとみせ、作品にも結実させるようになっていきました。

 

ジョージ以外のビートルズの三人だって、こうした動きと無関係ではなかったはずです。すくなくとも強く意識はしたでしょう。もちろんUK勢のルーツ・ロック志向が鮮明になるのは、1969年12月初旬のディレイニー&ボニーの英国ツアー以後で、ジョージの『オール・シングズ・マスト・パス』も70年5月以後の録音ですけれどね。

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だから、69年1月のセッションだった『ゲット・バック』ではまだまだそこまではっきりしたサウンドにはなっていませんが、同時代の対抗馬的存在だったローリング・ストーンズは、米南部のカントリーやフォーク・ブルーズ色の濃いアルバム『ベガーズ・バンケット』を68年の12月に発表していますし、やはりルーツ・ロック色の鮮明な次作『レット・イット・ブリード』の録音も同時期にはじまっていました。

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ストーンズのばあいは、ディレイニー&ボニーらの関係とはちょっと違った視点から米南部的ルーツ・ミュージックを探求していたわけですが、その際のキー・パースンは、やはりボブ・ディランだったと思うんですよね。そして、ビートルズにとってもバンド活動初期のころ、自作自演の道しるべとなっていたのがディランでした。

 

ディラン(とのちのザ・バンド)が本格的にルーツ・ミュージック探求に取り組んだ端緒は、あの1967年の『ザ・ベースメント・テープス』セッションから。壮大なるルーツ探求プロジェクトでした。その後の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』(67)、『ナッシュヴィル・スカイライン』(69)と、同系統の音楽でした。

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ビートルズにとってもメンターだったディランのこうした動きは、四人もとうぜん強く意識していたはずですし、当時は未発売だったとはいえ『ザ・ベースメント・テープス』の音源は耳にしていたに違いありません。

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21世紀ふうな言いかたをすれば、アメリカーナ・プロジェクトだったディランの『ザ・ベースメント・テープス』セッションは、1968年ごろ以後からしばらく、ロック界各方面に非常に強い影響を与えたものですが、ビートルズも例外ではなかったと思うんですよね。

 

『ザ・ベースメント・テープス』セッションから直接的に産み落とされたようなザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』が発売されたのが、1968年の7月。ここでアメリカにおけるルーツ・ロック的な動きはだれの目にもあきらかなものとして表面化したのだとみることができましょう。

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ビートルズのゲット・バック・セッションは69年の1月。この時点で彼らがルーツ・ミュージック的なムーヴメントを意識し、サウンドとして表現するにじゅうぶんな材料はすでに整っていたわけです。

 

実際、サウンドを、そう、現時点で聴けるのは断片ですけど、『レット・イット・ビー』『アンソロジー 3』『レット・イット・ビー…ネイキッド』でゲット・バック・セッションの音の痕跡をたどってみても、きょうここまで書いてきたようなことが、ある程度は、ちょっとだったら、実感できるんじゃないでしょうか。

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67/68年ごろのビートルズ・サウンドとはあきらかに違うもの、全員集合の一発録りというバンドの原点に立ち返りながら、同時にロック・ミュージックのルーツもふりかえって再構築していくさまがみてとれるように、ぼくは思いますね。

 

フル・アルバムとしてはいまだ公式に未発表のままの『ゲット・バック』ですけれども、音楽面ではそんな方向を向きつつあった、ボブ・ディランらを媒介にしながら、同時代のほかの米英ミュージシャンたちの動きを強く意識して、ビートルズなりのルーツ・ロック志向を表明していた、そんなセッションだった、という推測は成り立つでしょう。

 

もちろんこんなことは、上で書きましたようにいままでに公式発売されている断片を聴いて、同時代の周辺の動きも勘案しながら、勝手に論を立ててみただけのことです。

 

ですから、ちゃんとしたことは、今年11月に三日連続で配信される『ゲット・バック』の正式版をじっくり聴いてみないとわからないことです。おおいに期待したいところですね。そして、映像作品としてだけでなく、音楽をピック・アップして、アルバム『ゲット・バック』として、CDやサブスクなどで正式リリースしてほしいと、強く強くお願いしておきます。

 

(written 2021.6.19)

2021/06/19

面食い事情 〜 美ジャケ好き

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(4 min read)

 

そう、面食いなんですね、ぼくは、音楽にかんして。といっても美人やイケメンがいいという意味ではなく(それでもいいけど)、美ジャケっていうやつが好き。ジャケットを一目見て、な〜んてきれいなデザインなんだと惚れちゃって、それで聴いてみるということが実に多い人間なんです。

 

上に四つタイルして掲げた画像は、いずれも今2021年に入ってから出会った美ジャケ。どれもきれいでしょう。これらはぜんぶジャケットを一瞥しただけで好きになってしまって、つまり一目惚れで、中身を聴く前から好きになってしまい、それで聴いてみたら中身もよかったというものです。

 

もちろんものによってはですね、ジャケットがきれいだからと聴いてみたら音楽にはガッカリしたというばあいだってありますし、その逆につまらないジャケだな、聴く気にならないなと感じても、ちょっと覗いてみたら中身はサイコーだったというものだってあります。

 

だから一概に言えないっていうか、音楽ですからね、「聴いてみるまでわからない」というのがいつでも真実ではありますが、それでもある程度はですね、いや、かなりな程度までか、音楽アルバムやシングルなどでも「顔」ともいえるジャケットの印象が支配するという面があるでしょう。

 

「顔」ということばを使いましたが、歌手や音楽家の顔というか容姿でそのひとの音楽の価値を判断しちゃならん、それはルッキズムで、ダメな態度だ、と前から強調しているにしては、ぼくはわりとジャケットの見た目の印象に左右されやすい人間なのかもしれません。そんなことじゃいけないよねえ、と自分を戒めたりすることもあるんですけど。

 

それでもレコードやCDとかだと(ネットのでも)ショップなどで買うわけでしょう、いくらかのお金を出して。だからそのために買うか買わないかの判断をしないといけなかったでしょう、フィジカル時代は。だからジャケットも大きな判断材料だったんですよ。

 

しかしいまやサブスク時代。些少の定額で聴き放題ですから、どんなもんか?とちょっと試し聴いてみることが実にイージー&カジュアルになりました。このおかげで、ジャケットの印象いかんにかかわらずとりあえずちょっと聴いてみようと思えることが増えましたから、いいことですよねえ。これもサブスクのメリットの一つでしょう。もちろんパソコンやスマホの画面でジャケットを見て惚れるということもいまだやはり多いです。

 

それで惚れちゃったジャケット・デザイン、美しいなと感じたデザインの音楽アルバムは、実を言うと聴くためではなく部屋のインテリアとして飾るためにフィジカルを買って持っておきたいなと思うことがまれにあります。このばあい、装飾が目的ですからCDよりもレコードでほしいかもということです。なんだったら盤なしのジャケットだけでもオーケー。

 

実際、このために最近レコードで買ったアルバムもちょっとだけならありますし、CDでも以前から眺める用にだけ買ったものがあります。上で四つタイルした画像のアルバムでも、パトリシア・ブレナンの『Maquishti』とかアヴィシャイ・コーエンの『Two Roses』なんかは、中身も傑作だったけどジャケットもみごとに美しいと惚れちゃって、まだフィジカルは買っていませんけど、たぶん今年中にレコードを(CDじゃなく)買うかもしれません。部屋に飾るために。

 

聴くんだったらサブスクで、部屋のインテリアにするための物体として所有するんだったらレコードで、っていう二本立ては、だからいまアナログ・レコードがふたたび人気であるようにみえる一因なのかもしれませんね。

 

(written 2021.5.6)

2021/06/18

単数のthey

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(6 min read)

 

もちろんみなさんとっくにご存知でしょう、ジェンダー・フリーな単数のthey。英語辞書で有名なアメリカのミリアム・ウェブスター社がこれを「今年の単語」に認定したのは2019年のこと。そのころにはもうすっかり定着したものだったとみることができますね。

 

ウェブスター英語辞書の最新版では、この単数のtheyは

 

「自分の性別をノンバイナリーと認識している単一の人物」
(used to refer to a single person whose gender identity is nonbinary)

 

と定義されています。

 

ノン・バイナリー、すなわち男性/女性の二分的発想になじまない性自認であればだれでも使うことのできるこのthey。また、たとえば自分は明確に女性(男性)だけれども、男女二元論にもとづかない生きかたをしている、だから私の代名詞はtheyだ、と言うこともできると思います。

 

ぼく個人がこの単数のtheyを知ったのは2017年ごろでしたか、もっと最近か、イングランドのシンガー・ソングライター、サム・スミスが「自分を表す代名詞は they だ」と発言したことによるものだったように記憶しています。

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ちょうどそのあたりから、特にSNS、なかでもInstagramで、自分の代名詞はthey/themであると表明する人物が増えてきて、定着したんじゃないかという気がするんですね。そこから数年で権威ある英語辞書の定義にも載るようになったということで。

 

新用法ではあるんですが、しかし「単数のthey」じたいは実はかなり古くから存在したものです。複数のtheyが登場して約100年後の14世紀には出現例が確認されているものなんですね。先行詞が鮮明でなかったり、あるいは出生時性別判断前の人間を指すときに使ったり、また性別がはっきりしない、特定できない状況などで使われてきました。

 

有名なところではウィリアム・シェイクスピアやルイス・キャロル、ジェイン・オースティンも作品中でこの単数のtheyを使っている文例がありますが、近年は男女平等を推し進めるという観点から、すべての三人称代名詞をhe or sheなどと書くのが煩雑であるというところでtheyひとことで代用する動きも出てきていました。

 

おそらく、この男女平等を意識した性別不問の単数のtheyの用法からさらに一歩進んだものとして、主に21世紀に入ってからLGBTQ、つまり性的マイノリティへの配慮と権利運動のひろがりにより、男性でも女性でもないという性自認を持つ個別のひとについて使われる三人称単数形の代名詞theyがひろまったものと思われます。

 

日本でも履歴書から性別欄をなくそうという動きがひろがっていて、実際、各社の履歴書フォーマットから消えつつあるようで。それはLGBTQへの配慮ということもあるし、また女性とわかっただけで就職で不利な扱いを受けたりなどの性差別をなくそうという意味もあります。

 

he / sheという男女二分法で自分を表すことに心地の悪さを感じてきたLGBTQのひとびとの主張からひろがって、一種の流行語のようになったこの単数のthey。Instagramなどでさまざまなひとたちの投稿を見ていると枚挙にいとまがないというほど個人的には頻繁に目にするようになりました。

 

ウェブスター英語辞典では、一つの文例として

 

This is my friend, Jay. I met them at work.

 

というのを載せています。him(彼)やher(彼女)ではなくthemという男女共通の代名詞theyの目的格を使って話を続けるという方法です。

 

こういう言いかたであれば、自分を男性でも女性でもないと認識しているジェイさんにとっては、性別を勝手に決めつけられることなくジェンダー・ニュートラルなかたちで自分を紹介してもらえますし、その紹介を聞いたかたは、ジェイさんはノン・バイナリーなのだなと察することができるわけです。

 

こうした単数のtheyに続く動詞は、従来どおりare、haveなど複数形を用いるというのが現在のところの一般的な用法です。代名詞は単数なんですけれども動詞は複数形。ここはひょっとしたら将来is、hasなど単数形の動詞があてはめられるようになっていく可能性があるかもしれません。

 

ぼくは学校の英語教師でしたが、このノン・バイナリーな単数のtheyを教室で教えるといった場面に遭遇したことはありませんでした。どんな英語教師も将来的に教科書などに載るようにもなってくれば必然的に教えることになるでしょうけれども、まだ先の話かなあという気がします。

 

ただ、いまは特に学校などで用いるようなたぐいの(典型的な)教材でなくとも、生きた英語に接する機会は、それこそぼくがきょうInstagramなどSNSとくりかえしていますように、いくらでも生活のなかにあふれていますから、学習者がノン・バイナリーな単数のtheyに触れて、自分も使ってみたいと思う可能性はじゅうぶんにあると思います。

 

そのとき、こうした英語の新常識を知らない学校の教師や職場の上司が、生徒や部下が書いた「単数形のthey」を使った英文を間違いとして減点したり書き直してしまったりするようなケースが起こるのではないかという危惧もありますね。

 

今後、英語の学力試験などでこうした「単数形のthey」をどのように取り扱うのか、正解/不正解の明確なスタンダードを決めて周知を図る必要があるのかもしれません。もちろんことばですから、現実に使われている用法について正/誤の判断など無意味ですけれども、教育にたずさわってきた人間としてはどうしても気になるところ。

 

ただ、言えることはですね、すでにお気づきとは思いますが、最近のぼくはふだんの記事で「彼」「彼女」といった代名詞を極力避けるようになっています。当該の歌手や音楽家の性別に関係なくそうしているんです。っていうか性別なんてわからないし、そもそも女性的/男性的な外見でも、ヴォーカリストの声が女声的/男声的であっても、そのひとのジェンダー・アイデンティティ(性自認)がどうなのか、知らないわけですからね。

 

(written 2021.6.15)

2021/06/17

マオリのアバネーラ 〜 タミ・ニールスン

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(5 min read)

 

Tami Neilson / CHICKABOOM! Deluxe

https://open.spotify.com/album/53hH23tLuN4ggfQ3g7O3fY?si=kzDqYQwhTZKhgMHnNrZ07Q

 

以前一度書いたタミ・ニールスンの『チカブーン!』(2020)。カナダ出身で現在はニュー・ジーランドに住み活動している歌手の最新作です。タミはド迫力ダイナマイト・シンガーっていうか姐御肌なのがキャラで、音楽的にはちょっとレトロなロカビリー、カントリー・ロック色が濃いと思います。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-d955d4.html

 

そんなタミの『チカブーン!』、今年、内容をちょっぴり拡充したデラックス・エディション『チカブーン!デラックス』(2021)が出ましたのでご紹介しましょう。1〜10曲目まではオリジナルの『チカブーン!』をそのまま再録。あらたにくわわったのは11〜15曲目の五曲です。

 

それら五曲は、クラウデッド・ハウスのニール・フィンが所有するラウンドヘッド・スタジオにおいて、タミのレギュラー・バンドの面々にあわせ、12人編成のビッグ・ボス・オーケストラも参加して、一発録りのスタジオ・ライヴ形式で収録したもの。

 

そもそもタミの『チカブーン!』はCOVID-19パンデミックが本格拡大する直前の昨年二月の発売だったもので、この新作リリースにともなってニュー・ジーランド国内はもちろん世界各地をライヴ・ツアーしてまわる計画があったんだそう。

 

もちろんそれはできなくなってしまったので、代わりにというか、スタジオ・ライヴ形式で、たった五曲とはいえ収録したものをデラックス版のおしりにくっつけて、それで『チカブーン!デラックス』として再リリースしたと、このようないきさつなんですね。

 

新規収録の五曲はいずれもタミの過去のレパートリーからとられたもの。音楽的な路線も、ほぼ『チカブーン!』のそれに沿ったそのままで、オールド・ロカビリー・ポップみたいな感じ。オーケストラが参加しているせいでサウンドがゴージャスになっていること以外、特筆すべき点もないように思えるかもしれません。

 

ところが一曲だけ、オッ!と目を(耳を)惹くものがあるんですよ。今回のデラックス版の白眉に違いないもので、それは12曲目の「ロイマタ(クライ・マイセルフ・トゥ・スリープ)」。トロイ・キンギがゲスト参加しタミとデュオで歌っていますが、これはマオリ・ソングなんですよね。トロイはニュー・ジーランドの先住民マオリの歌手です。

 

「ロイマタ」は、2019年にニュー・ジーランドでリリースされた『ワイアタ / アンセムズ』というコンピレイションからのピック・アップ。曲を書いたのははタミ自身です。マオリの言語や文化を見つめなおそうという「マオリ語週間」というのがあって、それを祝してニュー・ジーランドのスター歌手たちが集結、一曲ずつマオリ語で歌ったものを収録したアルバムだったもので、タミの「ロイマタ」はその末尾を飾っていました(Spotifyで聴けます)。
https://www.waiataanthems.co.nz

 

今回の『チカブーン!デラックス』にある12曲目「ロイマタ」は、それを歌いなおしたものなんですね。トロイがマオリ語パートを担当していますよね。曲想もおもしろく、マオリらしいのかどうなのかマオリの音楽を知りませんのでなんとも言えませんが、タミの本来領域であるレトロ・ロカビリーとはまったく異なる、ポリネシアン・ムード満載です。ちょっぴりハワイアンっぽくもありますよね。

 

しかもこのリズムを聴いてほしいんです。完璧に「ラ・パローマ」のパターンじゃないですか。すなわちアバネーラ(ハバネラ)のシンコペイション。アバネーラはもともとキューバの音楽で、それを現地滞在時代にスペイン人作曲家のセバスティアン・イラディエールが聴き憶えて、持ち帰り「ラ・パローマ」という曲に結実させ、ジョルジュ・ビゼーの高名なオペラ『カルメン』でもそのパターンが使われたことで、全世界に拡散したものです。

 

カナダ出身でニュー・ジーランドにわたり活躍しているタミ・ニールスンが、現地の先住民のことばであるマオリ語をフィーチャーし、音楽的にもマオリやニュー・ジーランドの伝統文化へのリスペクトを示した曲を書き歌ったこの「ロイマタ」で、こんなキューバのアバネーラ・リズムが脈々と息づいているのを聴くのは、なんとも新鮮でうれしい気分です。

 

(written 2021.6.9)

2021/06/16

パウロ・フローレスのセンバ・ビートが戻ってきた 〜『In Dependência』

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(4 min read)

 

Paulo Flores / In Dependência

https://open.spotify.com/album/52CD0NEh9KfaGGIQRv478y?si=uo2ges_0R36hqc1UApii8Q&dl_branch=1

 

リリースはAstralさんのブログで知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-04-30

 

シリアスな社会派の歌詞は、そのまま深刻な音楽に仕立てあげちゃダメ。快活なメロディやサウンド、浮き立つような陽のリズムでもって表現しないと値打ちがないというもの。マーヴィン・ゲイの『ワッツ・ゴーイング・オン』にしたってそうだったじゃないですか。

 

その意味ではプロジージョとの共作プロジェクト、エスペランサ名義で昨年暮れに発売されたパウロ・フローレス(アンゴラ)の前作は失敗作でした。全編が沈鬱なムードで貫かれていて、あれじゃあね、ぼくは一回聴いてそれも途中で放り出しました。聴き続けることなどとても不可能に思えました。

 

しかしここにパウロは起死回生のふたたびの傑作を届けてくれたのです。新作『In Dependência』(2021)。「独立」とのタイトルですが、アンゴラ独立46周年という微妙なタイミングでこのタイトルを持ってきたあたりにパウロならではの複雑な心境を読みとることができますね。

 

そういったこともふくめ、社会的にどういった意味合いを帯びた作品なのか?といったことはbunboniさんがぜんぶきれいに書いちゃったので、みなさんそちらをご参照ください。実を言うと、この記事を待っていたのです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-06-11

 

音楽的には、未来を見据えたような明るく快活な曲調の<陽>のセンバが目立つのが、個人的にこのアルバムのポイントが高くなるところ。といっても旧ポルトガル圏独特の哀感(サウダージ)がしっかり込められているんですが、前作みたいにグルーミーさ一色で塗りこめられているのではないところが、音楽作品としては好ましく、評価が高くなるところです。

 

センバ・ビートの音楽的力強さが前面に出ているというのが、今回の新作『In Dependência』でぼくが抱いた最大の印象。それは1曲目「Heróis da Foto」からしてわかりますよね。曲調というかメロディ・ラインは独特の哀感ただようものなんですけど、ビートの効いたリズムがなんといってもチャーミングです。

 

その後、2曲目「Bem-Vindo」などのゆったり系は個人的にイマイチなんですが、3曲目「Semba Original」でふたたびビートが戻ってきていい気分。そしてアルバム中特にオッ!と思ったのは5曲目「Jeito Alegre de Chorar」。これこれ、これですよ、これこそパウロ・フローレスのセンバです。本領発揮。多幸感に満ちたムードで、どんな内容の曲かは知りませんが、このビートの効いた快活さ、陽のセンバが胸にグッときます。

 

同様に6曲目「Amanhã (11 de Novembro)」も最高。力強いセンバ・ビートの躍動感が空気を震わせているといった雰囲気で、なんともいえず心地いいですね、音楽的には。5曲目同様、ストリングスの使いかたもパウロならではのマナー。こういう音楽こそ、ぼくがパウロに求めているものなんですよね。

 

アルバム・ラスト10曲目「Roda Despendida de Semba」は、今作の集大成的な白眉の一曲。サウダージあふるるメロディ・ラインや曲調を、この強力なノリの効いたセンバ・ビートにくるんで届けてくれるっていうのが、なんともいえずうれしくて、これだよこれ、こういったセンバをやるときのパウロ以上の音楽家が、いまアフリカにいるのか?と思っちゃうほどです。

 

(written 2021.6.14)

2021/06/15

ファヤ・テスのオールド・ルンバ路線シリーズは、宝の山なのか

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(2 min read)

 

Faya Tess / Au Temps des Classiques, Vol. 4

https://open.spotify.com/album/6XOfXl8mgF7jxcx9KB48yg?si=VpKwOVhrRkyqVRZ84FXCPw

 

きのう書いたコンゴのファヤ・テスは、『Au Temps des Classiques』シリーズをずっと何作もリリースし続けてきているのがライフ・ワークらしいので、そこからもなにか一個だけでもとりあげて、やっぱりちょこっとだけ書いておこうと思い、なんとなくこれはどうかなぁと感じた Vol. 4 (2016)を聴きました。

 

そうしたら、これ、とてもすばらしいじゃないですか。きのう書いた2020年最新作『Sublime Faya』よりも断然いいと感じます。これもオールド・ルンバ・コンゴレーズ路線で、やはりプロデュースはニボマでしょうね。しかし、ホントどうしてこんなに聴きやすくまろやかでコクのある音楽ができあがるのか。

 

1、2曲目はそうでもない感じなんですが、3曲目あたりでグンとよくなって、ルンバ・コンゴレーズならではの洗練されたなめらかな音楽が展開されます。個人的にグッときたのはその次、4曲目から。ちょっと陰なというか暗めの曲調なんですけど、それとあわせてのこのミドル・テンポでのノリがたまらなく心地いいんです。いやあ、すばらしい。

 

ちょっぴりダークだけど落ち着いた雰囲気が完璧にぼく好みなその4曲目があまりにも美しく聴こえてしまいますが、その後はこんな曲調はなく、ルンバ・コンゴレーズの王道を行く楽しく明るいダンス・ナンバーが並んでいます。4曲目でいったんこのアルバムにずぶずぶにハマってしまったので、その後はなにを聴いても楽しい。カリブ音楽テイストもみごとですね。

 

王道ルンバらしいエレキ・ギターも、リズム・セクションも、ホーン・セクションも、なにもかもグルーヴィに聴こえ、これ、ぼくはファヤのこのAu Temps des Classiquesシリーズはこれ一個しか聴いていないんですけど、九つもあってこんなのばかり聴けるのなら、まさしく宝の山だとしか思えないですね。

 

(written 2021.3.3)

2021/06/14

なめらかでまろやかなルンバ・コンゴレーズ 〜 ファヤ・テス

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(2 min read)

 

Faya Tess / Sublime Faya

https://open.spotify.com/album/4zcK7FRAlwChSR0BWeSvdY?si=ZzyTDOpoS1KmouSYD2SLgg

 

コンゴの歌手ファヤ・テス、2020年の新作『Sublime Faya』がなんとなく気になって、わりとよく聴いているんで、ちょこっとだけ感想を書いておきましょうね。このアルバムも、往年のルンバ・コンゴレーズのサウンドをそのまま再現したものです。

 

ファヤはタブー・レイ・ロシュローのアフリサやフランコといったコンゴ音楽のビッグ・ネームとも関わってきた存在で、例の『Au Temps des Classics』シリーズをずっと何作もリリースし続けてきていますよね。

 

それらと同様に、『Sublime Faya』もベテラン・ギタリストのニボマがプロデュースを担当。またアフリサで活躍したカエン・マドカもギター・ソロで参加していますし、ほとんどの作曲を担当しているのは、ニボマの最新作『Kanta Nyboma』でもコラボしているシピ・ウマンデ。

 

というわけでファヤのこれも往年のルンバ・コンゴレーズそのまんまの味わいで、そのへんが好きなファンならかなり楽しめるはず。個人的には(フランコっぽいような)エレキ・ギター弾きがもっとどんどん前面に出てくれたほうが好みですけど、ファヤのこれではホーン陣が中心になってサウンドの色彩感を担っていると思います。

 

ファヤのヴォーカルもベテランらしい芳醇でふくよかな味わいで、肩に力が入らない自然体での歌がルンバ・コンゴレーズのまろやかさをいっそうきわだたせています。伴奏といい歌といい、どこといって変わるところのない音楽ですけど、こういったなめらかでまろやかなルンバ・コンゴレーズをSpotifyでいつでも楽しめるのはうれしいことなんです。

 

(written 2021.3.2)

2021/06/13

配信全盛時代にコンセプト・アルバムはどうなるか

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(5 min read)

 

こないだ2021年5月21日は、マーヴィン・ゲイの『ワッツ・ゴーイング・オン』発売からきっちり50年目の日付だったらしく(みんなそこまでよく憶えているよなあ)、それでさまざまな絶賛のことばが飛び交っていましたねえ。

 

なかでも個人的に印象に残ったのは、『ワッツ・ゴーイング・オン』が黒人音楽史上初のコンセプト・アルバム、トータル・アルバムだったんじゃないかという意見です。そう、そういう見方ができますよね。

 

そういったことばのなかには、やはりコンセプト・アルバムっていうとビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)をもってそのはじまりとみなすというのが一般的ですが、との表現もありました。

 

こういった考えかたって、しかしジャズ・アルバムが視野に入っていないよなあと思うんですね。マーヴィン・ゲイよりもビートルズよりもだいぶ前、1959年にマイルズ・デイヴィスが『カインド・オヴ・ブルー』をリリースしているじゃないですか。あれは完璧なるトータル・アルバムですからね。

 

決して録音済みの音源の寄せ集めじゃない、一個の強力な音楽的なコンセプトが最初にあって、そのもとに曲が書かれ、それに沿って演奏されたものを、作品として整ったかたちにみえるようにしっかり考え抜かれて並べ構築されたワーク・オヴ・アート 〜 こういった考えに沿うならば、マイルズの『カインド・オヴ・ブルー』こそ、全ポピュラー・ミュージック界史上初のトータル・アルバムです。

 

そしてもっと前からその先駆けがなかったわけではありません。なんとこの世で初のLPレコード作品だったデューク・エリントンの『マスターピーシズ』(1951)からして、すでにトータル・アルバム化しているという見方ができますからね。レコード史上初のLP作品だったものですよ。

 

デュークの『マスターピーシズ』は、長時間収録が可能となったLPメディアの出現に歓喜したデュークが、過去の自分の代表曲をとりあげ長尺の再アレンジを施して再演したものを並べるという、一個の強固なコンセプトが前もってありました。これに沿って曲が選ばれ、演奏・収録されたんですからね。

 

音楽的コンセプトとしてはちょっと弱いというか、たんに新メディア用に、ということで旧来の曲を再アレンジして演奏をくりひろげただけではありますけれども、アルバム収録曲が既発の録音済み音源の集合体でないこと、作編曲前にしっかりした(アルバムをトータルでまとめる)コンセプトを音楽家が持っていたこと、それに沿ってどの曲もアレンジ・演奏されたことなど、コンセプト・アルバムの要件はしっかり備えているんですよね。

 

考えてみれば、約35〜45分間というLPレコードは、最初からそういったコンセプト・アルバム、トータル・アルバムに向いているメディアとして登場したのだという考えかたもできるんじゃないでしょうか。もちろんポップスの世界ではたんに既発のヒット曲を並べただけっていうアルバムだって多く、大半のリズム&ブルーズ、ロック、ソウルなどのレコードなんかは最初そうでしたが、もとよりトータル・ワーク志向の強いジャズ・ミュージシャンにとってはちょうどいいフォーマットだったのでしょう。

 

これがCDとなるとですね、79分というのはちょっと長すぎるっていうか、一個のトータル・コンセプトで全体を貫き通し細部までていねいに構成するという集中力が、創り手も聴き手も持続しにくいといった面があるように思えます。作曲されたクラシック音楽の大作にはいいんでしょうけど、ポピュラー界ではちょっとねえ。

 

ストリーミング全盛の配信時代となったいま、このような世界がどう変容していくか、まだまだこれからだという感じですけど、全体的なアルバムの(CD時代と比較しての)短尺化、曲で聴きアルバム体裁は無視するといった志向、プレイリストで聴くといった新しい傾向の出現など、相変わらずコンセプト・アルバム、トータル・アルバムがどんどんリリースはされるものの、「アルバム」といった概念がやや崩壊しつつあるかもしれないように、ぼくにはみえています。

 

(written 2021.5.23)

2021/06/12

Apple Musicがロスレス配信をはじめました

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(5 min read)

 

6月8日から音楽サブスク・サービスのApple Musicはロスレス配信と空間オーディオ(Spatial Audio)を開始しました。Amazon Musicもやはり高音質配信をやっているみたいで、Spotify派のぼくとしてはやや悔しい気分。

 

といってもSpotifyも「今年後半」(としか発表されていない)から高音質配信をはじめるということで、だから音楽ストリーミングはネクスト・フェーズに入りつつあるということなんでしょう。

 

個人的にはアプリのUI外観と使い勝手でSpotifyを愛用してきたわけで、しかし実を言いますと昨年七月まではApple Musicも同時契約していました。未知の音楽でこれは聴きたいと思ったものを、まずSpotifyでさがすけどなかったばあいApple Musicで検索してみるといった使いかたで。

 

貧乏になったので、使用頻度の低いApple Musicはいったん解約していたんですが、そうはいっても月額たったの980円ですからね、ですので今回のリリースをきっかけにApple Musicも再契約してみました。もともとぼくはApple機器の熱烈なファン・ユーザーでもありますから。

 

Apple Musicが開始した空間オーディオとロスレス配信。このうちどっちかというとAppleとしては空間オーディオをアピールしたいんじゃないかとみえています。この名前だけじゃどんなものかピンと来ませんが、要するにマルチ・チャンネルのサラウンド再生っていうか、劇場や映画館など現場で聴いているような360度の臨場感のある音楽体験ということみたいです。

 

それを左右2チャンネルで実現するわけですからもちろんヴァーチャルな技術なわけですが、しかしこの空間オーディオ、最大の問題はApple社製の高級イヤフォン(AirPods Pro)か高級ヘッドフォン(AirPods Max)でじゃないと、現状、実現できないということです。高価なんですよねえ、後者なんか七万円近い価格で。いまのぼくには到底ムリです。

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つまりはそれら高価なイヤフォンやヘッドフォンを売りたいだけなんじゃないかと勘繰ってしまったりもするわけで、だから空間オーディオのほうは事実上の追加投資が必要なわけですから、ちょっと選択肢から外れます。そういうわけで、ぼくにとって魅力だったのはロスレス配信のほうです。こっちはアプリの設定変更だけのことですから。

 

もともとAppleのロスレス技術は、iTunesへCDをインポートする際に以前から用いられてきたもので、ぼくもずっと使っていました。CDのオーディオ・コーデックは44.1KHz/16bitですが、Appleのロスレス技術はそれを上回る48KHZ/24bitでの転送が可能。CDのサウンドをインポートする際はそれより高音質になるということはありえませんが、音楽ロスレス配信ならばマスター音源の質を損なわずにそのままCD以上のサウンドで楽しむことができますね。

 

「ロスがない」、すなわち音楽制作現場で歌手や演奏家が出し耳で聴いているそのサウンドをまったく損なうことなくそのまま自室のオーディオ機器で再生することができるようになったわけです、Apple Musicであれば。これは朗報ですよねえ。はっきりいってSpotify派のぼくもApple Musicメインに乗り換えようか?とちょっぴり考えないでもないほどです。

 

もちろんロスレス配信もですね、再生環境によっては実現できないというか若干の音質ロスが発生するばあいもあります。たとえば現状ぼくはBluetooth接続の機器でMacでもiPhoneでも音楽を聴いていますが、Bluetoothの規格上どうしても若干音質は犠牲になってしまいます。

 

有線でつなぐか、無線だったなら(ずっとぼくも使ってきた)AirPlayで接続すればApple Musicのロスレス音質をそのまま楽しめるということで、また引っ越してその環境が復活する日を待ち望みたいと思います。

 

それからもう一点、注意しておかないといけないかなと思うのは、空間オーディオとロスレス配信は同時実現はできないという点です。上で書きましたように空間オーディオはAirPods ProかAirPods Maxじゃないと体験できませんが、これらはBluetooth技術でディヴァイスにつながるものなので、ロスレス転送はできません。

 

この事実はちょっとあれですよねえ、空間オーディオの体験をロスレスの高音質で実現できたら最高なんじゃないかと思うので、今後のAppleのアップデートを待ちたいと思います。

 

(written 2021.6.11)

2021/06/11

ウィントン・マルサリス『ブラック・コーズ』にまつわる思い出

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(8 min read)

 

Wynton Marsalis / Black Codes (From the Underground)

https://open.spotify.com/album/3yjPy557Rtupp0nxIJ7uZt?si=nLgu4kSVSPaVl97BGwGqVg

 

ウィントン・マルサリスの1985年作『ブラック・コーズ(フロム・ジ・アンダーグラウンド)』。発売された当初、輸入盤ショップで即レコードを買って聴いて、こりゃあすごい!大傑作だ!とぼくは大騒ぎして、周囲のジャズ・リスナーのみんなにも言い回っていました。

 

そう、いまでも鮮明に憶えていますが、あの部屋、博士課程一年目だったあの当時住んでいた東久留米のあの寮の一室で、このレコードを聴きまくっていたのを。もう完璧に夢中で、現代の『カインド・オヴ・ブルー』だ、とまで周囲には言いまくって、そりゃあ興奮して大騒ぎしていたんですよね。

 

ある時期以後そんな気分もすっかり霧散してしまい、そもそもウィントン・マルサリスというジャズ・ミュージシャンそのものについて否定的というか、あんまりおもしろくないひとかもなあという考えを持つようになったんですけどね。だから、発売当時あんなに絶賛した『ブラック・コーズ』のことも、ふりかえらないようになっていました。

 

でもなぜだかこないだちょっと『ブラック・コーズ』のことを思い出すきっかけがあって、20年ぶりくらいに、今度はSpotifyで聴きなおしたんですね。そうしたら、やっぱり大傑作とまでは思わないものの、それでもなかなかにすぐれたアルバムじゃないかという気分がちょっぴりよみがえってきました。

 

このアルバム、1981年のデビュー以来続いていたウィントンのレギュラー・バンド最終作になったものです。ウィントン+ブランフォード・マルサリス(サックス)+ケニー・カークランド(ピアノ)+ジェフ・テイン・ワッツ(ドラムス)。ベースはこのころだけチャーネット・モフェット(かのチャールズ・モフェットの子)。

 

なぜこのバンドの最終作になったかというと、1985年にブランフォードとケニーが抜けてスティングのツアー・バンドに加入したからです。アルバムの録音にも参加していました。それにしてもあのスティングのバンドはすごいメンツでしたよねえ。ベースにダリル・ジョーンズ(マイルズ・デイヴィス)、ドラムスにオマー・ハキム(ウェザー・リポート)。ロック・スターの経済力を思い知りました。

 

ともあれ、解散する前のウィントンのこのバンドにはちょっとした思い出があって、1985年の『ブラック・コーズ』発表後だったかそのすこし前か、同じ五人で来日公演をやったんですよね。そのとき練馬でもライヴをやったので、ぼくはそれを聴きにいきました。当時は西武池袋線沿線に住んでいたので、練馬まで来るんなら行きやすいじゃないかと思って。

 

練馬文化センター(だったはず)のそのホールで開演時間が来て場内が暗くなっても客席はガラガラで、あれってどうしてだったんだろう、ウィントンってそんなに人気ないんだっけ?と不思議に感じたのを憶えています。曲紹介などなしで(いちおうウィントンがリーダー然とふるまっていた)、淡々と次々に演奏していました。

 

憶えているのは、チャーネットのコントラバスの弦の一本が調子悪くなって、ペグ(糸巻き)で巻いても巻いてもだら〜んとゆるんじゃうので(切れた?)、それで修繕のため一回ソデに引っ込んで、バンドの演奏が中断したことです。戻ってくるまでということでウィントンが(苦手そうだった)おしゃべりでつないでいましたが、なかなかチャーネットが復帰しないので、一曲、ベースなしのピアノ伴奏だけでできるバラード調の曲をやりました。

 

Marsalisがマルサリスでもマーサリスでもなく、sa にアクセントがあってその前の Mar は短く弱いので、カナ書きすればマサーリスに近くなるというのを知ったのも、あの日、ウィントンがバンド・メンバー紹介をやったとき自分の名前も発音したからでした。でもなんとなくマサーリスとは書きにくいですよねえ。マルサリスのままでぼくもやっていますけど。

 

演奏はたいへん充実していて、客席がガラガラなことなどまったく関係ないみごとな演奏を聴かせていました。最前列でぼくは聴いたので、ウィントンのトランペットのじかの生音がしっかり聴こえてきたのも収穫でした。きれいでブリリアントな丸いサウンドでしたよ。PAに負けずに聴こえるっていうのは、音量が大きいんでしょうね。

 

そんなこんなの思い出もまとわりついているウィントンのスタジオ・アルバム『ブラック・コーズ』ですが、いま聴きかえすと、ケニーのピアノ演奏ぶりとジェフのドラミングが特に印象に残ります。あと、ウィントンのコンポジションですね、充実しているのは。ウネウネと複雑に入り組んだテーマ・ライン、その背後のリズム・アレンジ、ソロとソロのあいだにはさまるリフとか、とてもよく練られているものですよね。

 

特にアップ・テンポで熱を帯びる曲はバンド全体の熱量が高くて、思わず引き込まれる演奏力だなと感じます。3曲目「デルフィーヨズ・ディレンマ」(デルフィーヨはウィントンの弟の名)、それからなんといっても実質アルバム・ラストと言いたい6曲目「チェインバーズ・オヴ・テイン」が情熱的。曲題どおりジェフ・テイン・ワッツのドラミングの爆発ぶりに耳を奪われます。

 

実質アルバム・ラスト、とわざわざ書いたのは、このあともう一曲、アルバム・コーダみたいにしてワン・トラック、「ブルーズ」がくっついているからです。なんでこんなのがあるのか、当時もいまもちょっと不思議です。曲題どおりなんの変哲もない12小節定型ブルーズ演奏で、バンドはおやすみ、チャーネットのベースだけを伴奏にただウィントンがストレート・ブルーズを吹くというもの。ホント、これ、なんだろう?

 

なお、アルバム題になっている「ブラック・コード」とは、アルバム発売当時ぼくはなにも知りませんでしたが、南北戦争後のアメリカ旧南部連合諸州で制定されていた黒人規制法のこと。黒人を元主人のもとでの労働に縛りつけ、移動や職業選択の自由を奪い、投票権を与えず、法廷での証言や財産の所有権に厳しい制限を課し、また白人との結婚を厳しく禁じるもの。

 

こんな合法的人種差別が撤廃されるのは、1964年の公民権法成立によってようやくだったのです。

 

(written 2021.2.27)

2021/06/10

アフロ・ポップ色強めのカーボ・ヴェルデ・ダンス・ミュージック 〜 エリーダ・アルメイダ

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(2 min read)

 

Elida Almeida / Gerasonobu

https://open.spotify.com/album/5AeJlWLUvmRWkYsxqK5MTd?si=6pBpidonQHS390NdAr1pkQ

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-12-23

 

カーボ・ヴェルデの歌手エリーダ・アルメイダ(Elida Almeida)の2020年作『Gerasonobu』では、カーボ・ヴェルデらしい抒情性を感じさせる曲もいいんですけど、やっぱり快活なダンス・チューンがチャーミングに聴こえます、個人的には。

 

たとえば幕開け1曲目がいきなりタカンバ。フナナー同様、カーボ・ヴェルデのアフロ系ダンス・ミュージックですね。bunboniさんによればこの曲はタカンバにしてはテンポを抑えてあるということなんですけど、ぼくにはこれくらいの深いノリがちょうど心地いいです。曲としてきわだつように工夫されているなといった印象で。

 

カーボ・ヴェルデ色のあまり濃くないアフロ系のダンス・ポップが、このアルバムならぼく好みで、たとえば3曲目、5曲目(カルロス・サンタナっぽいハード・ロック系ギターはだれだろう?)、ちょっとテンポ遅めだけど6曲目もいいですね。7曲目にはカーボ・ヴェルデ色があるなと思いますが、それでもこのダンス・グルーヴが楽しい。

 

そしてなんといってもこのアルバムの個人的クライマックスは9曲目の「Yaya」です。このテンポ、ビート感、リズムのノリなど、どこをとってもみごとなプロデュースで、エリーダの声も気持ちいいし、スネアのリム・ショットも快感。この曲にもカーボ・ヴェルデ色はありますね。

 

ラスト13曲目でのコンテンポラリー・アフロ・ポップっぽいエレクトロ・ダンス・ミュージックもいい感じだし、このエリーダのアルバム、カーボ・ヴェルデ色のうっすら出たダンス・ミュージックと、現代的なアフロ・ポップっぽいモダン・サウンドが半々に溶け合って、ちょうど具合いいバランスのとれた聴きやすい作品に仕上がっています。

 

(written 2021.2.26)

2021/06/09

女優?俳優?

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(5 min read)

 

以前、AKB48出身の秋元才加がこんなツイートをしていました。「女優」っていう表記よりも、自分のばあいは「俳優」と言ってほしいと。
https://twitter.com/akimotooo726/status/1379258403541774341

 

この秋元の発言にぼくは100%共感します。そう、いまやそういう時代ですよね。男性/女性の区分にあまり意味がないフィールドでは、それをあえて分けなくても、女性ということをことさら強調しなくても、いいんじゃないか、むしろ言わないほうがいいんじゃないかっていう気がします。

 

もちろん俳優業だけでなく、歌手や音楽家の世界でも、そのほかどんな業種でも、「女性〜〜」「女〜〜」「女流〜〜」という表現に強い違和感を感じるようになっているここ数年のぼく。男性なのにね。でもホント、特に意味のない場面で性別を、特に女性ということを、前面に押し出すのは、性差別的だと思うんですよね。

 

そういえば、保母という表現はいまや消えて保育士になったし、看護婦とも言わなくなって看護師、スチュワーデスと言わずにキャビン・アテンダント。これらは従来女性だけが担当する仕事だったところに男性も増えてきたということで、ジェンダー・ニュートラルなことばを使うようになった例ですね。

 

そのへんのジェンダー的なことを、なるべくフラットに考えてフラットにとらえたいっていうか、そもそも女/男の二分発想も時代に合わなくなってきていると思いますし、それに音楽やお芝居など芸能の世界では、そのへんクロス、トランスしているひとも多く、性別分けなんか無意味ですよね。

 

社会における女性は、いままで男性から特別な目で見られることも多かったと思います。俳優とか歌手とかの専門職でも、一般事務職などでも、仕事をこなせるかどうかで判断されるべきなのに、なぜか女性だとその事実を前面に押し出して、特定の役割を押し付けたりすることがあったんじゃないでしょうか。いまでもかなり多くの場面でそれが残っていると思います。

 

本質的に性差が重要になってくるのって、実はたぶんスポーツ競技くらいじゃないかと思いますし、それ以外では女性的、男性的ということをことさら言わずに済むような社会が来るといいなあって、心からぼくも思っていますね。社会が女性に一定の固定的・差別的役割を強制したり(家庭とか家事とか)しない日が来てほしいです。

 

男女をなるべくフラットに、ニュートラルに、平等に考えたいということです。そこに支配/被支配関係や主従関係はないので、たとえば最近は育児専門雑誌などでも「主人」「旦那」という表現をしなくなっているようですが、これらは夫のほうが上であり支配者であるという(無意識裡にであれ)発想にもとづくものだったわけですからね。

 

女性結婚相手を「嫁」と呼ぶこともそうだし、東ちづるも最近「お嫁さんにしたい女性芸能人」と言われてきたことにずっと違和感を抱いてきたと発言していますし、対等な関係を損なうような表現はなるべく避けたいと。東は夫婦間ではその合意ができていたそうですが、社会やマスコミがいまだそれを強要するのに違和感があるんでしょう。

 

東京ディズニーランドや航空運輸各社も「Ladies and Gentlemen」の呼びかけはもうやめたそうで、「Hello Everyone」にしているとのこと。性差を強調したくないし、性的マイノリティの尊厳を守ろうという動きも鮮明になってきていることですし、こういうのは表に出てきている部分では歓迎すべき動きだと思います。

 

社会一般のみんなのあいだでは、なかなかそう急に意識が変わるもんじゃありませんが、各企業や有名芸能人などオピニオン・リーダー的な役割を持つひとたちが率先してこういう言動を取っていけば、徐々にですね、保守的な日本社会も変化していくのではないかと、ぼくはひそかに期待しています。

 

目立つ、発言する女性を(女性だからという理由だけで)攻撃する男性はまだまだ多く、きょういちばん上で引用した「女優ではなく俳優と呼んで」という秋元才加の四月のツイートにも、ずいぶんネガティヴでアグレッシヴなリプライがついたようで、まだまだ状況が改善するのに時間がかかるかなと思えるフシもありますけどね。

 

でもちょっとづつちょっとづつ、社会は変わりつつあります。

 

(written 2021.6.8)

2021/06/08

リー・モーガン『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』完全版が出ます

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(3 min read)

 

https://www.instagram.com/p/CPvlsH-Bek-/

 

リー・モーガンの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』。現行のものはCDだと三枚組で、Spotifyにあるのもそれですが、ブルー・ノート公式によれば、来る7月30日に完全版がリリースされることになりました。『ザ・コンプリート・ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』。CD八枚組。LPなら12枚で、写真にあるのはそれですね。おそらくサブスクにも乗るでしょうから、ぼくはそれで聴くことにします。

 

リーの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』は、もともと1971年にレコード二枚組で発売されたもの。96年にCD三枚組という規模に拡充・リイシューされたもので、現在はそのリイシュー・エディションが標準になっています。トータル約三時間。これがCDで八枚組ともなれば三倍近いわけですよねえ。

 

それだけの未発表音源がずっと眠ったままだったわけです。1970年、カリフォルニアはハーモサ・ビーチにあるライトハウスに、7月10日から12日にかけて三晩連続出演したリー・モーガン・クインテット(ベニー・モウピン、ハロルド・メイバーン、ジミー・メリット、ミッキー・ローカー)の演奏をとらえたもの。

 

その三日間すべてトータルで12セットのライヴ音源がフル・リイシューされることになったわけで、めでたいことこの上なしですね。この当時のリーの音楽は、やや従来的なハード・バップに軸足を残しながらも、同時に新時代のファンキーなジャズ・ロックへと向かいつつあった時期。その貴重な証言となることは間違いありません。

 

さらに、これは1970年のライヴ収録だったからなのかどうなのか、リーの『ライヴ・アット・ザ・ライトハウス』は音質がショボいことがかなりの難点でした。音量もなんだか小さいし、こりゃいったいなんなんだと長年思いながら聴き続けてきたわけです。音楽の中身そのものは上質ですから。

 

そんなわけで、七月末リリースのコンプリート・エディションでは音質面での向上も期待したいところ。今回、キャピトル・スタジオでオリジナルの1/2インチの4トラック・テープからミックスしなおしているとのこと。そこからCD用、LP用とそれぞれリマスタリングされているみたいですからね。

 

Spotifyなど配信に乗るのがどっちのサウンドなのかわかりませんが、いずれにしてもいままでのものよりは音質面での改善が望めるだろうと思いますから、心待ちにしています。いまいちクリアでないサウンドでいままで聴いていたリーのニュー・ミュージックがくっきり音質でよみがえれば、これ以上の喜びはありません。

 

(written 2021.6.6)

2021/06/07

チューチョ・バルデスのラテン・ジャズ・ピアノ 〜『ニュー・コンセプションズ』

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(5 min read)

 

Chucho Valdés - New Conceptions

https://open.spotify.com/album/4lWVDzxHpWQbyUSrR5AyiH?si=tFNlzeaTSYe5n87XctgbWQ

 

イラケレで知られるキューバのピアニスト、チューチョ・バルデスのソロ・アルバム『ニュー・コンセプションズ』(2003)を聴く機会がありました。知らない作品だったんですけど、あるときブルー・ノートの公式Instagramが紹介してくれていたので興味を持ったんです。

 

そうしたら、これが!完璧ぼく好みのラテン・ジャズ・ピアノが展開されているではあ〜りませんか!バンドは基本、ピアノ・トリオ+パーカッションという編成で、ちょこちょこ曲によってサックスやフルートやチェロ奏者が参加しますが添えもの。あくまでピアノ中心の音楽です。

 

+パーカッションも派手で音も大きく目立ちますが、そこはラテン・ミュージックですからね。1曲目、いきなりエルネスト・レクオーナの「ラ・コンパルサ」で幕開けした瞬間から完璧なるマイ・フェイヴァリット・ミュージックが展開されています。チューチョがピアノのブロック・コードでがんがん叩く様子も快感だし、左手で弾くベース・リフがクセになりますね。

 

2曲目が一見ラテンとはなんの関係もなさそうなポップ・スタンダード「ユー・ドント・ノウ・ワット・ラヴ・イズ」で意外ですが、ここでのチューチョの解釈はこれまた完璧ラテン・ピアノ。リズム形態はいちおう8ビート・ボレーロのそれなんですけど、クールに淡々とやるんじゃなく、もっとパッショネイトに弾きまくるという、その意味でのラテンらしさを感じますね。ここでも低音部左手のベース・リフが魅力的。いやあ、ビリー・ホリデイも歌ったこのポップ・ソングがこんなに変貌するなんてねえ、みごとです。

 

3曲目、チューチョの自作曲「ロス・ギロス」でだけヴォーカルが入りますが、これはだれが担当しているのかわからないです。それもリード・ヴォーカルとコーラス隊とのコール&レスポンスみたいになっているんですけど。あわせ、歌が出る前の中盤ではなぜかデイヴ・ブルーベックの「トルコふうブルー・ロンド」がアフロ・キューバンにアレンジされ挿入されています。

 

アルバムのクライマックスは、間違いなく5曲目の「ソーラー」。マイルズ・デイヴィスが書いて演奏し、いまではスタンダード化しているジャズ・チューンですね。ここでのリズムのにぎやかさといったらアルバム中No.1でしょうね。派手なラテン・リズムでぐいぐい攻め、チューチョも華麗に弾きまくっているかと思いきや、中盤ではパッとリズムが止まりピアノ独奏になって、フランス印象派ふうにチェインジ。アート・テイタムっぽいソロ・ピアノ超絶技巧も聴けます。

 

しばらくそれが続くと、ふたたび後半はリズムが入りにぎやかになって、今度はドラムス&パーカッションが主役の打楽器アンサンブルを聴かせるようになります。コンガ・ソロもあり。これがあの「ソーラー」かと思うとビックリですが、キューバ人ならではの独自展開なんでしょうね。最後にやっぱりテーマをテナー・サックスが吹きますが、リズムの嵐はおさまらず。こんな「ソーラー」、ほかにないでしょう。

 

そしてアルバム・ラストの「オメナーヘ・ア・エリントン」は曲題どおりデューク・エリントン・トリビュートなメドレー。チャチャチャにアレンジされた「サテン・ドール」で幕開けし、続いてボレーロ・スタイルの「イン・ア・センティメンタル・ムード」。ラスト3曲目のアフロ・キューバン・リズムが爆発する「キャラヴァン」終盤では、ピアノもベースも止んで打楽器アンサンブルだけになり(このパートにはバンド全員が打楽器で参加していそう)、そのままアルバムは終了。

 

(written 2021.2.25)

2021/06/06

音楽は “ナマの刺身”?〜 都倉俊一の時代錯誤

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(4 min read)

 

2021年4月1日付で文化庁長官に就任した音楽家の都倉俊一。三月初旬にこの起用が発表されたときにはちょっとビックリし、なんたってあの山本リンダやピンク・レディーのヒット・ナンバーをてがけたコンポーザーですからね、旧弊なお役所体質にポピュラー界の新風を吹き込んでくれるんじゃないかと、期待の記事を書いたりしたもんです。ぼくはピンク・レディーとかで育った世代だったんですからね。

 

しかし就任から約一ヶ月、期待は若干の失望へと変わりつつあります。音楽ファンにとって特にこれは問題だなと思ったのが4月30日付でネットに上がったこの記事。ニッポン放送News Onlineのもので、「ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム」となっています。

 

・文化庁長官・都倉俊一氏の示唆に富む発言
https://news.1242.com/article/287504

 

この記事のなかで、都倉は明確にコンピュターを使った音楽を否定しています。「いつの時代も流行歌は時代を反映していると思う」と発言しているにもかかわらず、です。

 

文化庁の役割は、多様な形態の文化芸能を振興することでしょう。その長官が40年以上前のポピュラー音楽という特定分野での経験と価値観を、いまの時代状況と照会・更新せず披瀝することに、強い違和感をおぼえます。

 

都倉いわく「デジタルエイジになって、子どもたちは“ナマの刺身”を食べたことがない。みんな冷凍だ」と。ナマの刺身とは、都倉によれば生演奏・生歌唱による音楽だということになるんだそう。コンピューターで製作した音楽は冷凍ものに喩えられています。

 

たしかに都倉がメガ・ヒット曲を連発していた1970年代には、まだデジタル技術を応用したりエレクトロニクスを駆使した音楽づくりはされていなかったでしょう。曲を書くという行為は、ピアノでも(ギターでも)弾きながらイチから頭のなかでメロディを考えていき、それを譜面かなにかに記していく作業で、完成したのものを生演奏のフル・オーケストラで具現化する、といった方式だったと思います。

 

そういったやりかたで時代を築き、日本歌謡史に大きな名を残す偉大な作曲家となった都倉には、だからそれゆえの誇りがあるはず。みずからヒット曲を連発してきたその方法論にこだわりだってあると思います。がしかし、いつまでもそこに固執して2020年代的な価値観を無視したままなのは、いまの時代の文化庁長官にふさわしくない見識でしょう。

 

これが全盛期を過ぎたただのいち老作曲家の妄言だとか、おじいちゃんの回顧的言説だとかだったならだれも相手にしないだろうと思うんです。ですが、いまの都倉は文化庁長官という役職にありますからね。これだけコンピューターを用いた音楽づくりがさかんな現代におおやけの仕事をする、税金の分配を考える立場にある以上、認識を時代にあわせて刷新していかなくちゃいけないんじゃないですか。

 

「コンピュータを通してでは絶対に心は伝わらない」と上記記事で都倉は断言していますが、いまどきこれだけ血肉の通った肉体派のエレクトロ・サウンドが生み出されているんです。都倉は耳にしたことすらないんでしょうか?レコーディング・スタジオにだって導入されているし、DAW(デジタル・オーディオ・ワークステイション)ソフトだって駆使されているというのに。

 

(written 2021.5.4)

2021/06/05

「アレサ」の呪縛 〜 カタカナ談義(3)

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(10 min read)

 

(1)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/2018-1396.html
(2)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/02/post-75e411.html

 

https://open.spotify.com/album/4TQbW6o4shRbOrRuA1qmXt?si=G3phpa3DQROna9Nyggf68A

 

バラカンイズムだの発音警察だのと言われて、一部ではひどい揶揄の対象にまでなっているカタカナ書きの際の表音主義。しかしですね、音を汲んでその上でそれを文字表記しなければならない外国語のカナ表記は、やはりなるべく原音に近い書きかたがいいはずだと、ぼくも信じています。

 

もちろんこれはあまりやりすぎてもどうか?ということではありますけどね。ピーター・バラカンさんがあれこれ言われるのは、やはり度が過ぎているからですよ。ポリシーというか主義、考えかたは間違っていないのに、まるで警察官がパトカーで街中を走りまわっては軽微な交通違反に鬼の首でも取ったみたいにキップを切りまくるがごとく、バラカンさんはやりまくりですからね、あれじゃあね。

 

もう一個、バラカンさんは指摘する際、常に、正しい表記はこうです、みたいな言いかたをするのも嫌われる原因でしょう。「正しい」ということばを使ってしまうと、あたかも自分が絶対正義で、あんたがたは間違いだという、なんだか我が物顔で通りを歩いている王様かっ!っていうような感触を抱いてしまいますから。正義の使者みたいっていうか。

 

それでもバラカンさんの言っている内容それじたいはきわめて妥当です。アリーサ・フランクリンが「アレサ」なのはやっぱりぼくも許せないし、同様にドゥエイン(デュエイン)・オールマンが「デュアン」のままなのもなんとかしてほしい。ディレイニー・ブラムレット(デラニー)も同様で、その他無数。

 

ぼくのばあいはマイルズ・デイヴィス表記を採用していて、世間のみなさんのマイルスとちょっと違いますが、でもこれくらいならちょっとした誤差の範囲内みたいなもんで(ブルーズ/ブルースと同じ)、さほど違和感も強くないっていうか、マイルスのままでもべつにいいかなって思わないでもないです。音と違うからちょっぴりイヤだけど。

 

SNSなどを徘徊していると、なかなか直さないひとのほうが圧倒的多数で、アリーサやドゥエインやディレイニーやマイルズなんていう表記はほぼ見かけません。最大の原因は検索関連だと思います。Google検索みたいにあいまいなものをそのまま「これですか?」みたいに結果表示してくれませんからね。Google検索だとアリーサで検索してもアレサもアリサもぜんぶひっくるめてヒットしますけど、SNSの検索だとそうはいきません。

 

それなのに検索ってホント大切なんです。自分の発信が(検索されて)大勢に届いてほしいと思ったり、さがしている目的の内容にたどりつくために適切なキーワードを入れないといけないし、だから表記が揺れていると思ったようになりませんから。いきおい多数派の表記で書いたりサーチすることになって。

 

こういうのって文字表記体系が異なる言語間での移植の際にだけ、しかし必ず、発生する問題ですから、一種の呪縛だと思うんです。アメリカ人英語話者のAretha FranklinはフランスでもイタリアでもスペインでもArethaのままだけど(書くときはね)、日本語のカナで書くばあいは音を汲まないといけないっていう。宿命みたいなもんです。

 

そんな移植のまず最初のとっかかりはレコードやCDなどの商品発売の際にジャケットや帯や解説文に書いてある表記でしょう。だからまずはレコード会社がちゃんとしなくてはなりませんでした。レコード会社が「アレサ」と書いたから雑誌やラジオや新聞など(音楽)マスコミもそれにならってしまったし、評論家やライターなども合わせたというわけで、そんなテキストが流通して一般のファンのあいだでもそれが定着してしまいました。

 

それでひろまってしまったらもはやだれも直さないっていう、SNS時代になってもアレサのままで。バラカンさんや一部有志などが奮闘しても、かえって揶揄されるばかりで、間違ったことはしていないのに、タダシイことを言っているのに、どうしてこっちのほうがそんな言われかたしなくちゃいけないんだよぉ?!と感じることしきり。

 

だから、たどると元凶はレコード会社ですよ。レコード会社が、いまはCDか、それを発売する際に、各外国語の原音に通じた人物にしっかり確認するなどしてちゃんとした表記をしなくてはなりません。ぼくら無力な一般人がどんだけSNSやブログなどでがんばって「こうだ」と主張しても、影響力はきわめて微弱です。バラカンさんのような有名人ですらむなしい奮闘をしているというに近いんですからねえ。

 

もちろんレコード会社もあまりに妙チクリンなウソ表記は再発の際に改めることがありますけどね。ぼくが鮮明に憶えているのは、マイルズ・デイヴィス(ソニーの表記はマイルス・デイビス)1971年のアルバム『Live-Evil』を、ずっと前ぼくが最初にレコードを買った1980年ごろは『ライブ・エビル』と表記していた件。

 

LiveがライブなのはいいとしてEvilがエビルなのはあまりにもひどすぎる、涙が出てくるほどだというんで、非難轟々、ある時期のCD再発からソニーも『ライヴ・イヴル』に変更、ほんとうはイーヴルなんだけど、それでもまずまず許容範囲かなと思える程度にまで現在はなんとか着地しています。

 

はっきりしているのは、広告料をもらっているせいでレコード会社への忖度がひどい各種音楽雑誌も、ソニーのこの変更にともなって、それまで『ライブ・エビル』だったのをソニー採用の『ライヴ・イヴル』表記に一斉に修正したという事実です。ライターさんたちも合わせることになり、一般世間でも、いまやだれも『ライブ・エビル』とは書いていません。

 

こんなもんですよ。

 

とはいえ、ぼくも執筆した1998年の『レコード・コレクターズ』誌のマイルズ・デイヴィス特集ではちゃんと『ビッチズ・ブルー』表記で統一し同誌ではその後もそれを貫いているにもかかわらず、大勢のプロ音楽ライターや一般ファンはいまだにソニー採用の『ビッチェズ・ブリュー』でやっていますけどね。聞いているか、村井康司。

 

だからさ、問題はレコード会社がどう書くか、それだけ。それこそが「すべて」。そこが直せばほかもぜんぶ忖度して追随するとわかっています。

 

音楽雑誌などメディア、マスコミなどは、上でも書いたようにレコード会社に逆らえない事情がありますし、ライターさんたちもそこに書いて生計を立てている以上、ものが強く言えません(バラカンさんのスタンスはだから特殊)。それでそのまま公式表記が是正されなかったら、一般世間でアリーサ、ドゥエイン、ディレイニー、『ビッチズ・ブルー』などになるわけないじゃないですか。

 

ホント情けないなとは思いますけどね。日本生まれの日本語母語話者でただひとり、この問題に正面から向き合ったライターが生前の中村とうようさんでした。1998年の『レコード・コレクターズ』誌(寺田正典編集長時代)が『ビッチズ・ブルー』表記を業界ではじめて採用したのは、まさしくとうようさんの創刊した雑誌だけあるという心意気だったんでしょう。

 

いまや、どこにもそんな気概を持つ編集者、プロ・ライターはみられなくなりました。バラカンさんは英国出身の英語母語話者だから、っていうんで、それでみんな特別視しているだけですからね。もう何十年もやってきて皮膚感覚で血肉に染みついた表記慣習をいまさら直せますかって〜の!という意見も目にしますが、それはたんなる情緒論にすぎません。

 

レコード会社には、自分たちが忖度される立場であること、自分たちがちゃんとしないと日本中が右へならえしてしまう存在であることを、もっと強く自覚してほしいと思います。

 

過ちては改むるに憚ること勿れ。

 

(written 2021.4.23)

2021/06/04

バリー・ハリス・プレイズ・タッド・ダムロン

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(3 min read)

 

Barry Harris / Barry Harris Plays Tadd Dameron

https://open.spotify.com/album/0SFVDLxUOaDJAZD1gLENBW?si=kCv174mwQ4KZQgDoc8XD9Q

 

大学生のとき個人的に愛聴していたアルバムのひとつに、バリー・ハリスの『バリー・ハリス・プレイズ・タッド・ダムロン』(1975)があります。独特の渋いジャケット・デザインが気に入ってレコード・ショップで買って帰ったんですけど、これ、ザナドゥ(Xanadu)という会社の作品ですよね。なつかしい〜。

 

タイトルどおり、タッド・ダムロン(ダメロン)の曲ばかり、バリー・ハリスがピアノ・トリオで演奏したもの。バリー・ハリスにさほどの思い入れはないというか興味は薄かったんですけど、コンポーザーとしてのタッド・ダムロンのファンだったんで、たぶんそれで買ったレコードだったんでしょう。

 

曲よし、演奏よし、ジャケットよしで、文句なしのジャズ・アルバムなんですけど、唯一難点があるとすればこのコントラバスの録音ですよね。1975年だからやむなしとはいえ、あの時代特有のピック・アップをボディ直付けにして弦の振動だけ直接拾っちゃうっていう、ペラペラ・サウンド。これだけはアカン。

 

でも不思議なことにこのアルバムだとそんなベース音すらもいい雰囲気になっているというか、似合っているというか、悪くないな〜って思えるので、なんでしょうね、これは。バリー・ハリスのピアノの音もゴツゴツとブサイクな音色で、まるでアルフレッド・ライオンが退くまでのブルー・ノートのピアノ録音そっくりでイタダケないんですが、ペラペラのベース音といい、う〜ん、どう言ったらいいのか、タッド・ダムロンの曲の調子に合っているような気がします...、というのは惚れたひいき目ですかね。

 

やっぱり曲がいいんんですよね。たとえば1曲目「ホット・ハウス」みたいな有名曲でもこのテーマ・メロディの展開、ライン構成がさすがはタッド・ダムロンだけあるっていうすばらしさ。有名曲だと4「レイディバード」、8「アワ・ディライト」なんかもそうですけど、メロディ・ラインの動きに、パッと聴いてすぐ、あっこれはダムロンの曲だぞとわかる特徴、アイデンディティ、言い換えれば個性があります。

 

それを味わいたいがためにぼくは毎回このアルバムを聴いているんであって、だから演奏者はバリー・ハリスじゃなくてよかったのかも。でもダムロンのアルバム以外で、八曲まとめてダムロンの曲を聴けるジャズ・アルバムって、ほかにありましたっけ?ホーン・アレンジなどにも才能をみせたコンポーザー/アレンジャーだったんで、できればトランペット+サックスの二管編成とかで聴いてみたかったような気もしますよね。ベニー・ゴルスンあたりがつくってくれたらよかったのになぁ。

 

(written 2021.2.24)

2021/06/03

コロナ時代だからこそのラテン・ミュージック 〜 ダグ・ビーヴァーズ

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(3 min read)

 

Doug Beavers / Sol

https://open.spotify.com/album/35ptrFmioIlGF3sLvCWsnE?si=nGax9zwiSjOqNfad5VZGBA

 

現在のニュー・ヨークにおけるラテン・ミュージック界の重要人物ダグ・ビーヴァーズ。その2020年新作『Sol』がなかなか楽しい。ダグはそもそもエディ・パルミエリのラ・ペルフェクタの主要トロンボーン奏者として名を挙げた存在で、いまはスパニッシュ・ハーレム・オーケストラを取り仕切っていますよね。

 

最新作『ソル』にもスパニッシュ・ハーレム・オーケストラの面々はじめ、ニュー・ヨークのラテン・ジャズ/サルサ界の人材が大挙集結、派手でにぎやかな仕上がりになっています。COVID-19パンデミックによる大自粛のさなかにレコーディングが実施されたとは到底信じがたいほどの明るい作品なんですよね。

 

アルバム『ソル』最大の特徴は、パーカッション・サウンドの強化・前景化にあると思います。もちろんラテン・ミュージックなんだから当然なんですけど、それにしても聴いていて目立ちますよねえ。思うに、これはたぶんミックスの際にパーカッション群の音量を持ち上げて目立つようにしたでしょう、じゃないとフロントで歌う歌手や楽器ソロ、ホーン・アンサンブルより大きく聴こえるなんて、ありえないです。曲によって違うみたいですが、だいたい約三名ほどのパーカッショニストが参加している模様。

 

つまり、リズムの強調、ラテン・ミュージックのその最大の魅力を拡大したということで、これがダグの狙いだったんでしょうね。ヴォーカル中心の歌ものはサルサとして、楽器演奏中心の曲はラテン・ジャズとして、みごとに完成されています。バラードふうのゆったりしたテンポのものが二曲ありますが、それらはどっちもボレーロふうで、それもみごとですね。

 

ラテン・ミュージックの特色でもある家族的団結主義、それを分断と不安の時代に取り戻そうとした作品であるともいえる音楽性で、トランプ前大統領とコロナの暗い時代にあって、コミュニティを再構築し、分裂を橋渡しし、優しさと思いやりを中心とした価値観に戻ることを目指しつくった音楽、それは図らずもラテン・ミュージックのある種の「人間熱」みたいなものを強調するできあがりになっているなと感じます。

 

(written 2021.2.23)

2021/06/02

お気に入りジャネット・エヴラの新作が出ました

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(7 min read)

 

Janet Evra & Ptah Williams / New Friends Old Favorites: Live from the Sheldon

https://open.spotify.com/album/1VKDGewVGbkqNxtWtf0vWU?si=eGuc07ZDSaSvOG-ysqwqCQ

 

おととしbunboniさんのブログで知って以来すっかりお気に入りの歌手となっているジャネット・エヴラ。その2018年作『アスク・ハー・トゥ・ダンス』以来の新作が出ました。『ニュー・フレンズ・オールド・フェイヴァリッツ:ライヴ・フロム・ザ・シェルドン』(2021)。

 

だからちょっと書いておこうと思うんですが、なんかいか聴いて、なんというか、ちょっとねえ、あんまりおもしろいアルバムじゃないかもなあと感じています。ただのストレートなスタンダード・ジャズ・ヴォーカル作品になっていて、特にどこといって印象に残らない歌いっぷり。う〜ん…。

 

でも大のお気に入りの歌手になっているジャネットなので、惚れた弱み、とまではいかないんですけど、ちょっと軽く書いておいてもいいかなと思いなおし、キーボードを叩いています。上質な音楽には違いないし、なんでもないジャズ・ヴォーカルがお好きなかたがたには格好の推薦作でしょう。

 

今回のこの新作は、ジャネットとプター(プタハ)・ウィリアムズとの共作名義になっています。プターはPtahで、これはエジプトの古代神の名前だからたしかにプタハなんですけど、英語読みならプターじゃないのかなあ。ターかもしれません。本人や周囲がどう呼んでいるのか、知りたいところ。

 

そんなプター・ウィリアムズは米ミズーリ州セント・ルイスのローカル・ジャズ・シーンではなかなか知名度と評価のあるジャズ・ピアニストらしく、英国出身のジャネットも渡米後はセント・ルイスを拠点にしているというわけで、共演が実現したのでしょう。

 

アルバム題にある「ニュー・フレンズ」とは、だからプター・ウィリアムズとそのバンドという意味ですかね。「オールド・フェイヴァリッツ」は古いスタンダード、名曲選ということで、それでこんな内容になっているわけですね。全曲スタンダードばかりとりあげていて、今作のための新曲オリジナルはありません。

 

それから「ライヴ・フロム・ザ・シェルドン」との副題がありますが、シェルドンとはセント・ルイスにある有名なコンサート・ホールの名前ですね。そこでライヴ収録されたというわけでしょう。たしかにトラックによってはかすかに観客のものらしき拍手の音が混じっていたりします。ほんとうにかすかにだけど。

 

それにしては音楽のサウンドにライヴ感がまったくと言っていいほどありませんが、練り込まれリハーサルも綿密に積んだからそう聴こえるだけなのかもしれません。ライヴ収録だったならもうちょっとそれっぽい雰囲気を出したほうがよかったのでは?という気がしますけれども。これじゃあスタジオ・セッションと変わらない感触ですね。

 

書きましたように、スタンダードの数々を、それも特にどうといった工夫も凝った解釈もなしに淡々とやっているだけなんで、だからどうってことないアルバムではあるんですが、それでも特にプターのピアノはかなりうまくて聴けるし、バンドも熟練の味わいでこなれています。ジャネットはやはりベースを弾きながら歌っているはず。

 

肝心のジャネットの歌いぶりは、なんというか、こう〜、前作では滑舌と歯切れのよい明瞭な発音が大きな特色だったのに、それが今作では消えちゃっていて、きわめてフツーのジャズ・ヴォーカリストになってしまっているのがねえ、かなり残念なような。もっとハキハキ歌えるひとだったんだけどなぁ、オリジナル曲とカヴァーの違いかなぁ、どうなんでしょう?

 

とりあげられている曲のほとんどは多くのジャズ歌手がよくやるものばかりですが、なかに二曲だけ、ちょっとオッ!と思えるものが混じっているのが目を引きます。どっちも有名スタンダードになってはいますが、3曲目の「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ」(キャロル・キング)と5曲目の「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」(レイ・チャールズ)。

 

もちろんジャネットは女性歌手だから、後者のほうは「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ヒム・ソー」になっていますけどね。ストレート・ジャズに解釈してやるレイもなかなかです。もっといいのが、シレルズ・ヴァージョンがオリジナルのキャロル・キング「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ」。ジャネットらは完璧なボサ・ノーヴァ・アレンジをほどこしているんですよね。

 

ふりかえってみれば前作でのジャネットは、オリジナル曲にほのかなブラジリアン・テイストがただよっているのも美点でしたからね。今作でのこの「ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ」で、それをちょっと思い出したような感じです。バンドのノリもグッド。

 

やや意外だったのは「アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ」として英語圏で知られスタンダードになっている6曲目「Que Reste-T’il」を、オリジナルのフランス語のヴァースから歌い、リフレインになっても最後までフランス語のままでカヴァーしていること。英語圏の歌手はほとんど英語詞で歌う曲ですからねえ。これもちょっぴりかすかにボッサ・テイストが効いています。

 

正直言ってしまって、2018年の前作『アスク・ハー・トゥ・ダンス』のあの清涼感には遠く及ばない凡作としか思えないこの『ニュー・フレンズ・オールド・フェイヴァリッツ』ですけれども、これでまたジャネットのファンができて、前作を聴くひとが増えたらいいなあ〜っていう気持ちはあります。なんたって前作はあんないい作品だったのに、ほとんど再生されていないんですよ。

 

(written 2021.5.30)

2021/06/01

マイルズを深掘りする(4)〜 カムバック以後篇

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(6 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/7tlHNwzrI09d6HemIGS1PF?si=52adc8feafcf4085

 

いやあ、この四日間、ひさしぶりにマイルズをたくさん聴きかえしましたねえ。

 

マイルズ・デイヴィスの知られざる好演をご紹介するシリーズ最終日のきょうは、1981年カムバック以後のセレクションです。91年に亡くなっていますので10年間。トータル録音数が75年以前に比べると少なく、さらに未発表スタジオ音源も(ライヴもだけど)まだあまり発掘・リリースされていません。

 

あれが録音されているはずだだとか、これがまだ未発売だとか、ウワサみたいなものだけたくさんあって、実証的にはまだまだ解明途上。三曲あるというプリンスとの共演音源だって、まだ一曲しか正式発売されていないんだしねえ。

 

そんなわけで当時、あるいは死後、公式発売されている既発アルバムなどから選んでいくことになりましたので、きのうまでと比較してイマイチおもしろみに欠けるかもしれないです。そもそもカムバック後のマイルズはあんまり…みたいな言説には同意しませんが。

 

以下、リリース年順に並べましたが、カッコ内記載の録音年月日は推測です。この時期のマイルズ音源のデータ研究はいまだ進んでおらず、正確な日付までは判明しないことがほとんどです。

 

1. Fat Time (1981/3)

 カムバック・アルバムだった『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』は、当時もいまも評価が低いですね。1曲目のこれはテーマとかモチーフがなく、並べられた数個のスケールだけ用意され、それを順に使って各人がソロをとり、スパニッシュ・スケール部分でだけリズムも変化するという、いわば現代版「フラメンコ・スケッチズ」。ファット・タイムとのあだ名どおりギターのマイク・スターンのショウケース。ぼくは大好き。

 

2. Ursula (81/1)

 聖ウルスラのことだけど英語読みなら「アーシュラ」。スタジオ・セッションで偶発的に誕生した4/4拍子のストレート・ジャズ・ナンバーで、完全一発即興のおもしろさを実感できるものですね。これぞ “フリー”。バリー・フィナティー(ギター)が入ってくる瞬間の緊張緩和感がなかなかのものです。

 

3. Star On Cicely (82/8/11)

 シスリーとは当時の結婚相手だったシスリー・タイスンのこと。これもなんだかスパニッシュふうで、マイルズがメロディを吹きつつ、対位的にギター(スターン)とエレベ(マーカス・ミラー)がからむというアレンジ(ギル・エヴァンズ)がなかなか魅力的じゃないでしょうか。くりかえされる合奏テーマや、ソロの一部は、87年ごろから頻繁に演奏された「リンクル」へと姿を変えました。その意味でも重要な一曲。

 

4. Katia (85/1/10)
5. You’re Under Arrest (84/12/26)

 このへんからマイルズはバカにされるようになり、マジメなジャズ・クリティシズムからは相手にされなくなりました。ファンクな「カティーア」でのハードなギターは、ゲスト参加だったジョン・マクラフリン。「ユア・アンダー・アレスト」はジョン・スコフィールドの書いたジャズ・ナンバーで、ずばり難曲。ヘビのようなうねうね変態ラインがたまらない。だれひとり話題にすらしないけど、カッコいいんじゃない?

 

6. Tomaas (86/3)
7. Full Nelson (ibid)

 ワーナー移籍第一作『ツツ』からはタイトル曲やスパニッシュな「ポーシア」などが有名と思いますが、このへんもぼくは好きですね。どちらもその後のライヴで頻演されましたが、オリジナル・スタジオ録音には一種独特のムードがあって、再現はできません。「フル・ネルスン」ではマイルズの声をサンプリングして随時挿入し、グルーヴを産んでいますね。

 

8. Jilli (89)

 『アマンドラ』のなかでは、この曲だけジョン・ビガムが主導権を握って製作されたものだからちょっと浮いていて、だから再生回数もかなり少ないですが、アルバムのテーマともいえるアフロ・カリビアンなサウンドやリズムはアルバム中これだってなかなかのもの。ゴー・ゴー・ビートを叩くリッキー・ウェルマンが生演奏ドラムスで参加しているのがポイント高し。

 

9. High Speed Chase (91/7)
10. Fantasy (ibid)

 死後リリースだった『ドゥー・バップ』は、DJでラッパーのイージー・モー・ビーのプロデュースしたヒップ・ホップ・ジャズのアルバム。1992年の発売で、翌年にUs3なんかの話題が沸騰したので、先鞭をつけたものだったかも。トランペット演奏は、85年のラバーランド・セッションから多く流用されています。

 

11. Rubberband of Life (Amerigo Gazaway Remix) (85 / 2018)

 一連の『ラバーバンド』リリース・プロジェクトから誕生した曲のなかではこれがいちばんカッコいいと思うのに、知名度はゼロ。なぜなら配信オンリーの『ラバーバンド EP』(2018)でしか聴けないからですね。最小限にまで音数を減らしたスカスカの空間を刻むギター・カッティングも心地いい。最初と最後のしゃべりは、マイルズ出演の映画『ディンゴ』からのサンプリングです。

 

(written 2021.5.29)

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