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2021年7月

2021/07/31

クールでおだやかな抑制と泥くさいダンス・ビート 〜 ナンシー・アジュラム

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(3 min read)

 

Nancy Ajram / Nancy 10

https://open.spotify.com/album/3uqaoNAn5imRyAztEcb6Bb?si=yNTx5y8eQEOWk0H9JG_BGg&dl_branch=1

 

みんな大好き、っていうほどのことはないのか、一部で?熱狂的に支持されるレバノンの歌手ナンシー・アジュラム。7月10日に今2021年の新作が出ました。やはり『ナンシー 10』というタイトルで、これはここ数作の路線をそのまま継承。中身はややダブケ寄りのダンス・ビートですかね。

 

とにかくブルーを基調にしたジャケット・デザインがステキで、それを眺めているだけで心地いい気分にひたれますが、爽快感のあるそんなカヴァーとは裏腹に、音楽はやや泥くさく、ダブケというかアラブ現地の土着ダンス・ビートを基調にした曲が多いように思えます。

 

それとゆったりしたバラード調の曲とが交互に入り混じり並んでいるといった構成ですかね。ダンス・ナンバーもバラード系も曲としての完成度は高く、トラックもじっくりていねいによくつくりこまれているといった印象。だれがプロデュースやアレンジをやっているのか、名前を見てもぼくにはたぶんわからないだろうと思いますが、さすがの仕事ぶりです。

 

ナンシーは歌手としていまちょうどいちばんいい時期にあるんじゃないかと思える充実のヴォーカル・パフォーマンスで、アラブ圏独特の揺れるメリスマを、それでもかなり抑えて控えめに披露しながら、歌に独特の濃厚な情緒を込めていくのがすばらしいですね。曲の様子というか持ち味をうまく読んでいるなと思うんです。

 

濃厚な情緒といっても、この『ナンシー 10』ではわりとあっさりめというか、上でも言いましたがやや控えめに、強く激しい表現スタイルはとっておらず、いまの世界のポピュラー音楽界で主流となってきているエモーションを抑えたクールでおだやかなヴォーカル表現に徹している印象があります。

 

おかげでなんど聴いても胸焼けしないし、くりかえしなんどでも聴けるアルバムに仕上がっているのは好感度大ですね。ナンシーのそんなおだやかでクールなヴォーカル・パフォーマンスというのが、このアルバム最大の特色で、だからこのさわやかジャケットの印象とそこは合致します。

 

そのへんの洗練と泥くさいダブケ・ビートとの絶妙なバランスが、このアルバム『ナンシー 10』のキモかもしれませんね。飽きずになんどでも聴ける好作です。

 

(written 2021.7.30)

2021/07/30

ヒップ・ホップは1984年にハービーに教わった

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(4 min read)

 

Herbie Hancock / Sound System

https://open.spotify.com/album/00GMga21QXevpiQwReoYhV?si=VFc2gla9RG6OkiDoJyysGg

 

本当は1983年の「ロッキット」(『フューチャー・ショック』)だったと言いたいところなんですが、実はあのアルバム、当時は買わなかったんですよねえ。どうしてだったのか、まったく憶えていないです。新しいもの好きなのにねえ。

 

で、次作の同路線でやはりハービー・ハンコックがビル・ラズウェルと組んでいる1984年の『サウンド・システム』が、ぼくにとってのヒップ・ホップ入門になりました。といってもあのころ「ヒップ・ホップ」ということばすら知りませんでしたけども(そもそも日本に入ってきていたのか?)。

 

とにかくこんなサウンド、というかビート感ですね、いままで聴いたことないぞ!なんだこれは!ニュー・ミュージックだ!と興奮したのは事実で、どんなふうに音をつくっているかみたいなことまでは当時考えたこともありませんでした。

 

こういったハービー(+ビル・ラズウェル)がぼくのヒップ・ホップ初体験だったわけですから、ラップのことはハナから頭になくて、だからラップもヒップ・ホップ・ミュージックの一部分なんであるというのは、ちょっぴりあとになってから知ったことです。

 

それよりもスクラッチですね。スクラッチじたいはもうちょっと前に聴いたことがあったかもしれませんが、こんなにカッコいいものだとは思っていませんでした。まさしくハービー+ラズウェルのこのへんの音楽でスクラッチのカッコよさを知り、あぁいいなぁ〜って心から感じ入ったんですよね。

 

あと、この『サウンド・システム』ではバラフォンとかコラとかカリンバといった生演奏のアクースティックなアフリカ楽器がどんどん使われているのも当時のぼくにはかなり印象的で。ビートはコンピューター打ち込みでつくった自動演奏のメカニックなものなのに、こんなふうにアフリカ楽器が混じると最高におもしろいじゃん!と、そこはいまでも感動しますね。

 

オリジナル・レコードでラストだった6曲目の「サウンド・システム」には電気トランペットで近藤等則が参加しているのも、個人的にポイント大。まるでマイルズ・デイヴィス・サウンドそのまんまですけど、1984年ならまだ現役だったマイルズは、しかしもうすでに電気トランペットをやめていましたからね。フレイジングなんかはここでの近藤も100%(70年代)マイルズのスタイルです。

 

ハービーがキーボード・シンセサイザーで弾くフレーズは、いま聴くと時代を感じてしまうもので、いやぁ古っ!って思うんですが、でも84年当時はなんてカッコいいんだとぼくは震えていました。ビート、というかトラック・メイクも、このアルバムのそれはヒップ・ホップとしてはいまや時代遅れですけど、当時のことをいまだよく憶えている身としては、それでもけっこう聴けます。

 

でもホント、当時これが「ヒップ・ホップ」というものだという認識なんかはゼロで、だってことばすらまだ知らなかった(日本に入ってきていなかった?)んですからねえ。意識的にヒップ・ホップだということをわかった上で聴くようになったのは、たぶんこの約10年後ごろに大爆発した Us3 のシングル「カンタループ(フリップ・ファンタジア)」(1992)からでした。これもハービーの曲をサンプリングしたものだったのは奇遇です。

 

そのちょっと前に「キープ・オン・ムーヴィン」(89)でソウル II ソウルにハマっていましたけど、うん、そのへんからですね、ぼくが自覚的にヒップ・ホップだとわかった上でこういったビートを気に入って聴くようになったのは。1980年代末か90年代初頭あたりから。1993年にグールーの『ジャズマタズ』あたりで個人的にブームを迎えます。

 

(written 2021.3.26)

2021/07/29

マイケル・ブレッカー大活躍 〜 ハービー・ハンコックらの『ディレクションズ・イン・ミュージック』

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(4 min read)

 

Herbie Hancock, Michael Brecker, Roy Hargrove / Directions in Music: Live at Massey Hall

https://open.spotify.com/album/5ZAgaqdu1Gh7GR23qZSIWU?si=wm0isPHvSAmigTa6m2ttsg

 

ハービー・ハンコックらのライヴ・アルバム『ディレクションズ・イン・ミュージック:ライヴ・アット・マッシー・ホール』(2001年録音02年発売)。いちおうハービー、マイケル・ブレッカー、ロイ・ハーグローヴと三人連名の作品ですけど、どう考えてもリーダーシップをとっていたのはハービーでしょう。

 

このアルバム、長年ずっと無視してきたんですけど、でも部屋のなかでCDジャケットの見憶えがありますからね、発売当時買ってちょこっと聴いたのは間違いありません。そのときの印象があまりよくなかったせいでずっと放りっぱなしになっていただけで。

 

2002年当時興味を持ったのは、もちろんマイルズ・デイヴィスとジョン・コルトレインのレパートリーをたくさんやっている、いわば一種のトリビュート・アルバムみたいなものだからです。実際、副題に “Celebrating Miles Davis & John Coltrane” とありますしね。

 

ベースはジョン・パティトゥッチ、ドラムスはブライアン・ブレイドが務めているこのライヴ・アルバム、いくつかの意味でマイルズ・デイヴィス1964年のNYフィルハーモニック・ホール公演(『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』『”フォー”・アンド・モア』)を意識したものなんじゃないかという気がします。

 

といってもなんとなくそう感じるだけで、確たる根拠みたいなものはかなり薄いんですけれども、ハービーを中心にしたリズム・セクションにトランペットとテナー・サックスという二管編成。ロイをマイルズに見立て、トレインは1960年に独立していますけどブレッカーがその役目で、もしトレインが卒業せずそのままマイルズ・バンドにいたならばどうなった?というようなライヴ・アルバムじゃないでしょうか。

 

そのマイケル・ブレッカーが『ディレクションズ・イン・ミュージック』の主役だろうというのが、今回聴きなおしてみてのぼくの印象です。以前から書いていますが、ぼくは長年ブレッカーのサックスをあまり買っていなかったんで、でも最近印象が変わりつつあります。かなりいい、特にテナーはいい、偉大なサックス奏者だったんじゃないかと思うようになりました。

 

『ディレクションズ・イン・ミュージック』では、特にトレイン関連の曲でブレッカーの爆発ぶりが目立ちます。3曲目「ソー・ワット/インプレッションズ」、5「ナイーマ」、6「トランジション」など。特に「インプレッションズ」での大活躍には目を見張りますね。ロイもがんばっていますけど、こりゃ主役はブレッカーでしょう。激情的で熱いテナー・ソロに感動します。

 

また「ナイーマ」は終始アド・リブ・ソロで進行し、あのテーマ・メロディは断片すらも出てこないという内容。しかもこれ、無伴奏サックス独奏なんですよねえ。いやあ、すごい。こんなすばらしいテナー・サックス奏者だったなんてねえ、マイケル・ブレッカー、見なおしました、というかはじめて好きになりました。無伴奏サックス独奏をここまで聴かせられる奏者なんて、そうはいません。

 

「D トレイン」もそうだし、このライヴ・アルバム、リーダーがハービーだったとはいえ、できあがったものの主役は完全にブレッカーであるということです。仮想1960年代中期トレイン+マイルズ・コンボのライヴみたいな設定で激走するブレッカーの大活躍ぶりに降参しました。

 

(written 2021.3.24)

2021/07/28

音楽くらい好きなように聴かせてくれ

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(5 min read)

 

ちょっと前、四月ごろかな、自宅で映画作品を(Netflixなどの配信で)見る際、早送りで再生する、そういった方法でしか見ない、といったひとたちの存在がちょっと話題になりました(そのニュース・ソースのURLも書いてあったんですけど、いま見たらリンク先の記事が消えています)。

 

Twitter上でも、けしからん、作品に対する冒涜である、などの声が噴出していて、ネガティヴな意見が主流だったわけですが、しかし自宅において自分の趣味で見るときくらいは好きなように見ればいいんじゃないのかというのがぼくの率直な感想です。

 

他人から(特にその筋のクロウトさんたちから)ああしろ、こうしろ、こういうふうじゃないとダメだ、などと指図されるいわれはないよなあ、と思うんですよね。それは映画だけじゃなく音楽愛好の趣味世界でもそうです。

 

音楽はさすがに倍速で聴くとかできませんけれども(サブスクのアプリにその機能がない、CDプレイヤーは早送り再生できるけど)、ぼくなんかもときどき曲をスキップすることがあります。CDプレイヤーにディスク入れて聴くときはあちこち飛びにくくても、サブスクならパソコンやスマホのアプリでポチっとするだけですからね。

 

こうしたことをもってして、音楽も堪能するものじゃなく消費するものになった、サブスクはそんな動きを加速させるとして、否定的な言辞を述べるかたがTwitter上なんかにもかなりいます。ケッ、ほっといてくれよとぼくなんかは思いますね。音楽をどう聴こうが自由じゃないか、どうしてクロウト気取りの人間にあれこれ言われなくちゃならんのだと、ヘドが出ます。

 

パソコンやスマホのアプリで聴くサブスクの普及後、音楽に対する接しかたはあきらかに変わったなと思います。というのは周囲をみて情報を得て言っているだけで、ぼく自身はたんに金欠病でCD買えなくなったからサブスクを代替手段にしているだけで、特になにも変わっていませんけれども、世間的には、特に若い世代で、聴きかたが変化したというのは間違いないはず。

 

しかし趣味ですからね。それを仕事にしているのならある程度の「規範」みたいなものが求められるのかもしれませんが、自分の楽しみで聴くだけなんだからどうやろうとそのひとの自由じゃないか、勝手にやればいい、他人が口出しするようなことじゃないはずだと、そう信じて疑っていません。

 

音楽文化の破壊・崩壊だ、とまで言うかたがたもなかにはいて、本当ですかねえ?といぶかしく思います。接しかたが変わっても、音楽がすたれてきているわけでもなくて、むしろサブスク普及後、業界の総売上高は上がっています。う〜ん、あれですね、レコードからCDへとメディアが移行した時代にも「CDなんかで音楽を聴くなんて冒涜だ、文化の破壊だ」と声高に叫ぶかたがたがかなりの数いらっしゃいました。

 

いま、またふたたび、今度はそれが物体で聴くのからサブスクで聴くという方法に移行しているだけの話であって、もちろんCDを(レコードを)買って聴くという習慣をそのまま維持しているひとはそれでいいと思いますよ。そのことにサブスク派が文句をつけることはありません。

 

だからフィジカル派もサブスク派の聴きかたに「そんなのケシカラン」「なんかちょっと…」みたいな言いかたをしないでほしいんですよね。自分に関係ないんなら黙っていればいいじゃないかと思います。

 

テレビのリモコンでチャンネルをどんどんザッピングするように、サブスク・アプリでどんどん曲をスキップしてあっちこっちと飛ぶ、これを聴いていたかと思うとつまらなければすぐ別のものをクリック(タップ)する、アルバムを通して聴かず途中でやめる、曲単位で再生する、などなどサブスクでの聴きかたは、それじたいが音楽文化の破壊だとか冒涜だとかいった話じゃないはずです。

 

どうか、ほっといてくれ。

 

(written 2021.4.5)

2021/07/27

過小評価されているマイルズのアルバム 9

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(6 min read)

 

しばらく前、「マイルズを深掘りする」シリーズを書きました。うん、いままであまり評価されず人気もなく、聴かれてこなかったマイルズ・デイヴィスの音楽をご紹介するというものでした。

 

その副産物的に頭に浮かんだのできょう書いておこうと思ったのが、過小評価されているマイルズのアルバムを九つ選んでみようという企画。キャリアの長い音楽家でリリースされたアルバム数も多いので、そのなかには過小評価なものがわりとあるんですよ。

 

過小評価と言いましても、もちろん世間一般的にはとか玄人の音楽評論家筋、音楽ジャーナリズム界隈では、ということであって、熱烈なマイルズ狂はどこかしら聴きどころを見つけるもの。

 

実際けっこう聴ける内容じゃないか、どうしてこれが過小評価されているんだ?と首を傾げるようなものだってけっこうあるんで、ですから機会を見つけてそういうものをまとめて書いておくのは意味のあることだと判断しました。

 

ベスト・テンじゃなく九作にしたのは、もちろん上掲画像のように正方形にタイルしたかったからっていう、ただそれだけです。

 

以下、カッコ内に記すアルバム・リリース年順に並べました。

 

・The Musings of Miles (1955)

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 ベースがオスカー・ペティフォードだけど、それ以外はファースト・レギュラー・クインテットと同じカルテット編成。すでにマイルズの音楽は完成されています。特にレッド・ガーランドのピアノがチャーミングで、このバンドにおける彼の役割の大きさを思い知りますね。名作ではないけれど、もうちょっと評価されていいはず。
https://open.spotify.com/album/7fRwdr4MvqlJhhhssTKutU?si=ZC_tJO9KTBm0SLBVdTFhcQ

 

・Miles Davis and Milt Jackson Quintet / Sextet (56)

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 なにかというとこればかり挙げている気もしますが、隠れた名作、hidden gemです。ブルーズ・ナンバーを中心にやっているこのアルバム、ハード・バップのおいしさを凝縮したような好内容。ヴァイブラフォンのミルト・ジャクスンとピアノのレイ・ブライアントのうまあじにはうなります。いままでだれも言ってこなかったけど、傑作でしょう。なぜ聴かれない?
https://open.spotify.com/album/6QV1iyREyud3AGQZxf8Yt7?si=kveWv59SRVaIi484deFjfw

 

・Seven Steps to Heaven (63)

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 キモは三曲のロス・アンジェルス録音。ベースのロン・カーターだけを引き連れ、ほかはLAのセッション・ミュージシャンたちを起用してオールド・スタンダード・バラードを展開しているのが聴きものだと思うんですよね。切なく哀しく淡々と吹くマイルズは本領発揮だし、ヴィクター・フェルドマンのピアノも好演だとぼくは思いますね。
https://open.spotify.com/album/5ufqOq0QvMNnlexELRazNO?si=TV7R2JoKSkOxyOZA9mCmjA

 

・Miles Smiles (67)

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 ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズを率いたセカンド・クインテットの諸作のなかではちょっと地味な立ち位置のこのアルバム、中身はどうしてなかなか傑作です。トニーを中心とする変形ラテンな8ビート(+4ビート)のポリリズムが楽しい。
https://open.spotify.com/album/7buEUXT132AA4FPswvh9tV?si=aQ9EsPC2RE2D26UsbjWgxg


 
・Filles de Kilimanjaro (69)

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 このへんから新時代のニュー・ミュージックに本格的に取り組むようになったマイルズの、最初の傑作。いまだに評価が低く聴かれないのは謎です。ジェイムズ・ブラウンの「コールド・スウェット」のリズム・パターンを下敷きにした「フルロン・ブルン」、ジミ・ヘンドリクスの「ウィンド・クライズ・メアリー」のコード進行を使った「マドモワゼル・メイブリー」など、シビレます。アフリカ音楽への接近も顕著。
https://open.spotify.com/album/7pFyY6SvB0XlUKp8srk8Az?si=WC7oXOtJS2O8rK1nJwtEYg

 

・Live-Evil (71)

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 実は電化マイルズでいちばんすごいとの声もあるくらいな二枚組。スタジオ小品はとばして、1-1、4、2-2、3のライヴ・サイドを聴いてほしい。1970年12月のライヴで、バンドも最高にグルーヴしています。エレピのキース・ジャレットとエレベのマイケル・ヘンダスンが壮絶。
https://open.spotify.com/album/4eK5DQxLCshZCUk6D5a8Q1?si=N83oEuK4ThGUp95vSTJ0Ow

 

・Black Beauty (73)

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 録音時期は『ライヴ・イーヴル』より前の70年4月、フィルモア・ウェストでのライヴ。1969年のロスト・クインテットとさほどバンド・メンバーも変わっていないのにこの変貌ぶりは、ロックの殿堂フィルモアという場所がもたらしたものでしょう。タイトにグルーヴするバンドと、フェンダー・ローズにエフェクターをかませてダーティ&ナスティに弾きまくるチック・コリアがたまらない。
https://open.spotify.com/album/3qFhhUSLJxUKrRIbmcDo11?si=qfGFzR9zT3OW1Jk4ItfCCw

 

・The Man With The Horn (81)

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 当時もいまも評価の低いこのカムバック・アルバムですが、いま虚心坦懐に聴きかえすとけっこうおもしろいアルバムなんじゃないかと思えます。しかもかなりジャジーです。マーカス・ミラーとアル・フォスターの奮闘ぶりも目立ちます。いいバンドだったなぁ。
https://open.spotify.com/album/1fRSDRiFk922cV3bgFCdtz?si=ioIUXkdITKSMI_Pa6pMuZw

 

・Doo-Bop (92)

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 イージー・モー・ビーのプロデュースした、死後リリースのヒップ・ホップ・ジャズ・アルバム。傑作じゃないかとぼくは思っているんですけどね。ジャズ・フィールドからクロスしたかたちでのこういったヒップ・ホップ系の音楽というのが当時まだほとんどなかったせいか、低評価なのが残念。マイルズのトランペット・サウンドは、むかしとなにも変わらぬ水銀のよう。
https://open.spotify.com/album/28IDISyL4r5E5PXP0aQMnl?si=8r-LHRU2T0yK4qzevoPXSw

 

(written 2021.6.2)

2021/07/26

きわだつ坂本昌之の仕事 〜 徳永英明『VOCALIST』シリーズ

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(8 min read)

 

https://open.spotify.com/playlist/2xVegNiu3RVSvD6fi3RISN?si=91506d8c5605461d

 

きのうの宮本浩次 『ROMANCE』の記事で徳永英明の『VOCALIST』シリーズに言及したらやっぱり我慢できなくなって(いつものパターン)、Spotifyでぜんぶ聴いちゃいました。で、今回聴きなおし調べなおして、あらためて知ったこともあるので、ちょっと書いておきたいなと思います。実際、とってもいい音楽なんですよねえ。

 

徳永の『VOCALIST』シリーズ、最初からシリーズ化するつもりはなかったかもしれません。一作目の『VOCALIST』が2005年に出ていますが、これがえらく評判がよかったそうで売れたみたいで、続編に次ぐ続編とやってきて、『2』が2006年、『3』が2007年の発売。

 

これらのトリロジーで製作側としては完結させたいということだったみたいですが、その後も『4』(2010)、『VOCALIST VINTAGE(5)』(2012)、『6』(2015)と発売されているのは、やっぱりあまりにも高評価だから、売れるから、ということなんでしょう。いまのところ六作目で終わっているみたいですが、完全に徳永のライフ・ワークになりましたね。

 

念のため書いておきますが、徳永のこの『VOCALIST』シリーズは、女性歌手が歌った曲ばかりをカヴァーしたものなんですよね。男性が女性の歌を、歌詞変更なしでそのままやるっていうのは日本歌謡の世界ではあたりまえのことで、なんら特別なことではありません。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c90d.html

 

と言いましてもですね、このことは指摘されていないと思うんですが、じっくり聴くと徳永のこのシリーズには男歌もすこしだけ含まれています。男歌とは、女性歌手が男性の気持ちを男性の立場に立って男言葉で歌ったもの。『1』にある「ハナミズキ」(一青窈)や『2』の「雪の華」(中島美嘉)は男歌。その他数曲あったはず。

 

このへんは厳密に限定せず、初演が女性歌手だったもの、という大きなくくりで選曲していったのかもしれないですね。男性歌手である徳永が、女性が初演だったとはいえ男歌をやれば、ひねりのないストレート・カヴァーになるだけだよなあとは思いますけれど。

 

さて、この『VOCALIST』シリーズを今回聴きなおし、いちばん感心したのは伴奏のアレンジ・ワークです。これがなんと坂本昌之の仕事なんですよね。坂本はシリーズのトータル・アレンジャーとして一貫して起用されています。坂本冬美の『ENKA』シリーズでぼくはすっかり坂本アレンジの魔力に骨抜きにされていましたからねえ。

 

しかしぜんぶで六作ある徳永のこのシリーズ全編でアレンジャーを任されるとは、高評価ですよねえ。シリーズ最初のころのアルバムが評価も高く売れたから、ということでしょうけど。坂本冬美の『ENKA』シリーズで感心したのは、演歌特有の強く激しいエモーションを消し、グッと抑制を効かせたクールなサウンド構築でした。

 

そういった坂本アレンジの特徴は、徳永のこのシリーズでも活きているんですよね。っていうか時期的には徳永の『VOCALIST』シリーズのほうが先で、売れましたから、それでアレンジャーの坂本が注目され、同様の趣向で、ということで冬美のシリーズに起用されたんでしょう。

 

徳永のこのシリーズでも顕著な坂本昌之のアレンジの最大の特色は、さしづめ<オーガニック>ということで、アクースティック中心のリズム・セクション(ドラムス、ベース、ギター、ピアノ)の落ち着いたアダルトなサウンド構築を軸に据え、その上にふわりと軽いストリングスを控えめに乗せる、といったものです。エモーショナルなエレキ・ギターや派手なホーン群が活躍することはありません。

 

アレンジャーの坂本がシリーズ・トータルでそんな一貫したオーガニック・サウンドのアレンジを施しているおかげで、さまざまなタイプの曲がとりあげられていても、全六作を通して聴ける共通のムードがあるんですね。なお、坂本はピアニストなので、聴こえるピアノは坂本自身の演奏だと思います。それがまたいいんですよねえ。しっとり落ち着いたクールな演奏で。

 

『1』の「涙そうそう」(森山良子)でのピアノ・サウンドとか、「ダンスはうまく踊れない」(石川セリ)のほんのり軽いラテン香味なども絶妙ですし、やはり坂本のピアノがいい「卒業写真」(荒井由実)の出来も抜群です。

 

『2』だと「雪の華」(中島美嘉)、チェロが絶品な「あの日に帰りたい」(荒井由実)、ピアノ中心のサウンドでじっくり聴かせる「未来予想図 II」(DREAMS COME TRUE)など、すばらしいとしかいいようがないアレンジですよねえ。

 

『3』の「恋に落ちて -Fall in Love-」(小林明子)など、まずピアノ伴奏だけで徳永が歌いはじめる瞬間にグッとくるし、「PRIDE」(今井美樹)イントロの軽いエレキ・ギター・コード・ワークも絶妙。

 

「たそがれマイ・ラブ」(大橋純子)なんか、魔法が働いているとしか思えない絶妙なアレンジ。シリーズ・トータルでみても坂本アレンジのすばらしさを実感する最高の一曲です。木管アンサンブルのふわりとした音色が背後にただようこのムード!その瞬間に鳥肌が立つ思いです(特に2コーラス目)。

 

『4』の「時の流れに身をまかせ」(テレサ・テン)や「First Love」(宇多田ヒカル)などでの、地味だけど染み入る色彩感の出しかたには降参するしかないし、アクースティック・ギター一本の伴奏にした「セーラー服と機関銃」(「夢の途中」、薬師丸ひろ子))では、曲メロの美しさをいっそう引き立てることに成功しています。

 

『6』の「寒い夜だから・・・」なんか、これtrfの曲ですよ。典型的な小室哲哉サウンドで、小室最大のヒット曲の一つだったものなんですけど、なんですかここでの坂本アレンジによるしっとりサウンドは。小室の曲がこんなふうに変貌するなんてねえ。このシリーズ最大の驚きです。同時に小室の書いたメロディが最高にチャーミングだったんだなと思い知る結果にもなりました。小室の曲は『3』で「CAN YOU CELEBRATE?」(安室奈美恵)もとりあげられています。

 

そう、坂本昌之アレンジは、曲そのもののよさを引き出すものであるところに大きな特徴があって、メロディの美しさ・楽しさと歌詞の意味をじっくり聴かせる結果になっているのが美点なんですよねえ。決してアレンジ・サウンドで主張しないんです。どこまでも<曲>主体なんです。

 

坂本冬美の『ENKA』シリーズですっかり坂本昌之のアレンジ手腕には惚れちゃっていましたが、アレンジャーとしての出世作となったものであろう徳永英明のこの『VOCALIST』シリーズでもその実力のほどを強く実感しました。まさしく天才アレンジャー。

 

(written 2021.3.27)

2021/07/25

宮本浩次の女歌 〜『ROMANCE』

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(5 min read)

 

宮本浩次 / ROMANCE

https://open.spotify.com/album/2HZ7xh3U4lVXnI6sYrxhZa?si=nCqJH-P9QW6_0EN860B4QA

 

エレファントカシマシの宮本浩次が昨年リリースしたカヴァー・アルバム『ROMANCE』(2020)がちょっと話題ですよね。それきっかけでテレビの歌番組出演も増え、アルバムも売れているみたいだし、評価も高いようです。気になってぼくもちょっと聴いてみました。

 

このアルバムは女性歌手のレパートリーばかりをカヴァーしたというところに最大の特色があるもので、しかもちょっと古めの歌謡曲が多いというのも目立ちます。宇多田ヒカルの「First Love」が1999年というのがいちばん新しいくらいで。

 

ユニバーサルが開設しているアルバム公式サイトには「宮本が愛したおんな唄」とのことばが大きな文字で掲載されていて、つまりエレカシでデビューする前の、少年時代の宮本がよく聴いていた歌謡曲、それも女性の歌ばかり、というので構成されたという部分にやっぱりフォーカスすべきアルバムなのでしょう。

 

定評のある日本人男性歌手による女性の歌謡曲カヴァー集というと、徳永英明の『VOCALIST』シリーズなど有名ですが、あれはもう第六集くらいまでリリースされているんでしたっけ、徳永のライフ・ワークになりましたね。ぜんぶSpotifyにあるようなので、機会があればまた聴きかえしてみましょう。

 

日本の歌の世界では、そうやって男性歌手が女性の歌をそのまま(歌詞の性別変更なしで)やったり、女性歌手が男性の歌をやったりするのは、むかしからあたりまえのことで、ぼくは以前それを「男歌・女歌」として二回、このブログでもフォーカスし記事にしてきました。
(1)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-c90d.html
(2)https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-301c16.html

 

だからちょっとハードでワイルドなイメージもある宮本浩次が女性の歌を、歌詞内容の変更もなしで女性の立場に立ったままで、カヴァー集をつくるのも、なんらビックリするようなことではありません。歌や芸能の世界では、性別を軽々と超えるというのが日常茶飯事で、演者が歌の世界のその役割に立って表現するのは当然のことです。歌舞伎や宝塚のことを考えてみてください。

 

ところが音楽リスナーもふくめ一般社会ではなかなかこういった考えが浸透していないらしく、男が女の歌を歌うなんて、とか(その逆とか)、ちょっとものめずらしいんじゃないという興味本位で話題にしたり、なんていうケースがまだまだ目立ちますよね。昨2020年の宮本『ROMANCE』に対する注目にも、それに似た態度を感じてしまうばあいもあります。

 

もっとストレートに、というか素直に、男性歌手が女歌を歌うことは日本の歌謡界ではあたりまえのことなんである、日常である、という認識をどんどんひろめていきたいなと、常日頃からぼくは考えておりますね。(歌の)性別をクロスする、それは歌の世界における演技・役割にすぎないんですから。

 

そういった視点に立てば、宮本浩次の『ROMANCE』もストレートな女歌集で、小林武史のプロデュースとアレンジも宮本のヴォーカルも、もとの歌の持つ魅力を存分に活かさんとして配慮されているのがよくわかり、好印象です。サウンドがややハードかなと思わないでもないですが、これくらいが宮本の資質に似合っています。

 

なかでも感心したのは4「化粧」(中島みゆき)、5「ロマンス」(岩崎宏美)、7「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、8「喝采」(ちあきなおみ)あたり。これらでは宮本が歌詞の意味をじっくりかみしめるようにていねいに歌い込んでいて、歌そのものの持つパワーが胸に迫ります。特に「化粧」がほんとうにいい。ちょっと泣きそうになっちゃいましたもんね。曲そのものがいいからなんですけど。

 

ラスト12曲目「Fisrt Love」(宇多田ヒカル)は、これ、たぶん宮本ひとりでのギター弾き語りでしょうね。サウンド面での化粧をほどこさず、剥き身のヴォーカルをあらわにすることによって、歌手としての宮本の実力や魅力もよく伝わってくる内容で、これをアルバムの締めくくりに持ってくることで『ROMANCE』はいっそうの輝きを得たのだと言えましょう。

 

(written 2021.3.23)

2021/07/24

エロスとタナトス 〜 池田エライザ「Woman”Wの悲劇”より」

Jacket

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池田エライザ / Woman”Wの悲劇”より

https://open.spotify.com/album/1BWZgsZgtH3elB6vZYpMNP?si=16SaxeNNQTGxvMO1rySK3w&dl_branch=1

 

七月中旬にリリースされた松本隆作詞活動50周年トリビュート『風街に連れてって!』(2021)。これにとんでもないものが収録されています。それは5曲目、池田エライザの歌う「Woman”Wの悲劇”より」。

 

このアルバム『風街に連れてって!』は、文字どおり松本隆トリビュートな内容で、松本が歌詞を書いたいままでの代表曲のなかから、いずれも知名度の高い有名曲ばかり11曲を選び出し現代の歌手たちに歌いなおさせたという内容。

 

全体的になかなか聴けるアルバムなのですが、それでも5曲目の池田エライザ「Woman”Wの悲劇”より」が流れてきた瞬間、ぼくはたいへん大きな衝撃を受けました。これは死と官能の香りが強くただよう、危険なヴァージョンです。こんな歌、聴いたことないですよ。

 

池田エライザのことはちょっと説明しておいたほうがいいのでしょうか。母がフィリピン人とスペイン人のミックス、父が日本人で、フィリピン生まれ、福岡育ちの、モデル、俳優、映画監督。たまに歌も歌ってきたみたいですね。ギターも弾きます。現在25歳。

 

しかしこんなふうに歌える存在に成長していたとは、はっきり言ってビックリ。大衝撃ですよ。「Woman”Wの悲劇”より」、ピアノとシンセサイザーのイントロに続き、エライザの声が流れてきた瞬間、背筋が凍りそうになりました。この声!なんですかこの声は。退廃感も強くただようこの声だけで聴き手をトリコにしてしまいます。

 

幽玄な雰囲気の伴奏も退廃ムードを高めていますが、このエライザのヴォーカルには死と官能の香りが非常に強くただよっています。こんな歌は、狙って、考えて、歌えるものじゃないですよね。エライザのこの持って生まれた声質そのものに宿る運命的なものを強く感じます。

 

それと「Woman”Wの悲劇”より」という曲の持つ魅力とが高次元で合体してしまったという、そういうヴァージョンですよ、これは。松本隆の書いた歌詞は、受けとりようによっては心中をも想起させる危険なもので、そこに呉田軽穂(松任谷由実)の手になる浮遊感のあるメロディとコード展開、それを歌うエライザのこの声が重なって、これ以上ない「Woman”Wの悲劇”より」になってしまっています。

 

「Woman”Wの悲劇”より」史上、最高傑作に仕上がったことは間違いありません。いまにもこの世から消えてしまいそうなはかなさをとても強く感じさせるこのエライザの声、それがまるで魔力のようにぼくをひきつけてやみません。おそろしい。これは死への誘惑ですから。

 

(written 2021.7.23)

2021/07/23

むしろシティ・スタイルが得意だったジョニー・シャインズ 〜 1973年ライヴ

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(4 min read)

 

Johnny Shines / The Blues Came Falling Down - Live 1973

https://open.spotify.com/album/4aVLvKdhca2kw3RfuEPhoo?si=cxJLcsXAQamM6w7T19GJVg

 

ブルーズ歌手/ギターリストのジョニー・シャインズ。2019年にリリースされたらしいライヴ・アルバム『ザ・ブルーズ・ケイム・フォーリング・ダウン - ライヴ 1973』がなかなかよかったので、ちょっと書いておきます。このアルバム、ネットで調べようとしても、くわしい情報が見つからないですねえ。

 

ジョニー・シャインズはロバート・ジョンスンゆかりの音楽家で、ジョンスン直系のスタイルを持つということで有名だったわけですが、ウリはあくまでデルタ・スタイルでした。しかしですね、いままでもくりかえし書いてきたのでくどいですがジョンスンの録音で聴けるデルタ・スタイルは、実はかなり少ないんです。

 

ジョンスンはたしかにミシシッピ・デルタ出身の音楽家ではありますが、アメリカ各地を旅して都会派のブルーズ・スタイルをも身につけた人物。世代からしても、リロイ・カーなどのシティ・ブルーズや、また特にブギ・ウギのパターンを演奏することに本領があったギターリストです。

 

もっと言えば、デルタ・スタイルとブギ・ウギほかシティ・スタイルの両方を共存させ、どっちも起用にこなしたのがロバート・ジョンスン。そして、ジョニー・シャインズは、といえば、実は同様にやはりどっちもうまくやれたというのが本当のところなんですよね。

 

シャインズというとデルタ・スタイルだ、というのは固定観念というか、そればかり求められたせいでその役割に自身が徹していただけにすぎません。特に1960年代のフォーク・ブルーズ・リバイバル以後はそれ一本槍だったとしてもいいくらいイメージが固定化されていました。

 

しかしシャインズは実はブギ・ウギなどのシティ・スタイルもこなせる、むしろそちらが本領の音楽家だった、というのがこのライヴ・アルバム『ザ・ブルーズ・ケイム・フォーリング・ダウン』を聴くとよくわかります。デルタ・カントリー・スタイルのものだってありますが、ロバート・ジョンスン直系のシティ・スタイルをもっとたくさん披露しているでしょう。

 

たとえば、いきなりの出だし1曲目「ビッグ・ボーイ・ブギ」がブギ・ウギだし、その後も「カインド・ハーティッド・ウーマン」「スウィート・ホーム・シカゴ」というジョンスンのレパートリーのなかでも最も典型的なシティ・ブルーズをやっているじゃないですか。ギターでブギ・ウギのパターンを弾きながら。

 

そうかと思うと、11曲目、これもジョンスンの曲だった「ゼア・レッド・ホット」だってやっていますよ。これはデルタ・ブルーズでもシティ・ブルーズでもない、ジャジーなラグライムなんですよね。

 

こう見てくると、全編自分ひとりのギター弾き語りのみでやるこのライヴ、シャインズのヴァーサタイルさといいますか、やはり多彩で自在なスタイルの持ち主だった師匠ロバート・ジョンスンからそれらをぜんぶそっくりそのまま引き継いだんだなということがよくわかりますね。

 

シャインズ=デルタ・スタイル100%、っていう紋切り型はそろそろ消えてほしいなと思います。

 

(written 2021.3.28)

2021/07/22

堂々たるバラード歌唱とR&Bテイストが最高 〜 マライア・キャリー『バタフライ』

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(3 min read)

 

Mariah Carey / Butterfly

https://open.spotify.com/album/7aDBFWp72Pz4NZEtVBANi9?si=ZkJPVnYDSd-GOsNQLkB0Dw

 

きのうマライア・キャリーの写真を使って本文でも言及したら、ちょっと聴きなおしたくなってちょこっとSpotifyであさっていました。特に1997年の『バタフライ』。これ、CD買って聴いた発売当時はそんな強い印象なかったんですけど、今回聴いてみたらかなりいいですねえ。傑作でしょう。

 

日本語版ウィキペディアの情報によれば、このアルバムは多くのラッパーを起用してR&B、ヒップ・ホップ系に大きくシフトしたものらしく、なかでも1曲目の「ハニー」が当時の音楽界に衝撃を走らせ、マライアによるこの曲の発表によってポップスなどからR&Bやヒップ・ホップなどがアメリカでは全盛期を迎えることになった、ということなんだそうです。

 

たしかに「ハニー」のサウンドやトラック・メイクは、ポップ・フィールドにいる歌手のものとしては当時大胆だったかもしれません。サンプリングも使いながらループでつくったビート、ラップやスクラッチも挿入されているし、ブラック・ミュージックの手法を活用した一曲だったといえましょう。

 

アルバム『バタフライ』は、こんな傾向のコンテンポラリーR&B仕様なサウンドと、以前からのお得意路線だった歌い上げ系バラードとの二本立てで構成されていると言っていいでしょうね。「ハニー」に続く2「バタフライ」も3「マイ・オール」も6「フォース・オヴ・ジュライ」もしっとりバラード。でもビート・メイクだけはいかにも同時代的です。

 

4「ザ・ルーフ(バック・イン・タイム)」、6「ブレイクダウン」、7「ベイビードール」が、やはりデジタルなビート・メイクが目立つコンテンポラリーR&B調で、マライアのヴォーカルも、全盛期だった1990年代初期に比べやや落ち着いてきているというか、低くたなびくささやき系みたいなフィーリングに移行しつつあるのが特徴ですね。

 

しかしこのアルバムの白眉は、堂々たる歌い上げでもって聴き手をパワーでねじふせるような9曲目「ウェンネヴァー・ユー・コール」。こういったバラードにおけるゴスペル・スタイルな歌唱力は、もちろんデビュー期からのマライア最大の長所であったわけですが、ここでもまったく不変です。まさに力業というべきか、うむを言わさぬ説得力がヴォーカル・トーンやフレイジングにありますよね。今回ぼくはこの一曲だけで降参してしまいました。

 

アルバムではその後、プリンスのカヴァー(『パープル・レイン』1984)である11曲目「ザ・ビューティフル・ワンズ」もすばらしい。プリンス・オリジナルはまだコンテンポラリーR&Bが姿かたちを整えていなかった時代に発表された曲ですが、ここでのマライアは完璧なるR&Bマナーでのサウンドやビート・メイク、ヴォーカル・スタイルで、新しい一曲に生まれ変わらせています。

 

(written 2021.5.19)

2021/07/21

メンドくさいけど、リズム&ブルーズとR&Bは違うのだ

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(9 min read)

 

以前、音声SNSのClubhouseでおしゃべりしていて、けっこうな音楽好きでも誤認しているケースがあるとわかりましたので、いまさらですけど書いておきます。影響力ゼロのぼくがいくら力説したところで知れていますが。

 

それは1947年にジェリー・ウェクスラー(のちのアトランティック・レコーズ経営者)の創案で使われるようになった音楽ジャンル用語「リズム・アンド・ブルーズ」と、1990年代以後にふたたび起用されるようになった「R&B」とは、別の音楽だということです。区別したほうがいいと思います。

 

もちろん、もとは同じことばなので、それを1990年代にもう一回新規に使ってしまったビルボードほか業界に混乱の責任があるわけで、もうちょっと違う、それまで使われたことのないジャンル用語を編み出すべきだったのではないかとの疑念を、ぼくは消すことができません。

 

最初は、それまでずっと「レイス」(race)という用語しかなかったブラック・ミュージック・マーケットに、それではあまりにも人種差別的で時代にも合わないっていうんで、上記のとおり1947年に「リズム・アンド・ブルーズ」との名称が提案され、ビルボードなどもこれを採用することとなり、業界に拡散しました。

 

だから、主に1950年代のああいった、ヒット・チャートに入ってくるようなブラック・ポップスのことを指すことばだったわけです。上でレイ・チャールズとルース・ブラウンの写真を出しましたが、そう、つまりあのへんの歌手たちが発売する曲がリズム・アンド・ブルーズだったのです。ぼくのなかではルイ・ジョーダンやダイナ・ワシントンなんかを入れてもいいのかもという考えがあります。

 

個人的にはその後主に1960年代以後勃興するようになった新形式というか新感覚のブラック・ポップスには「ソウル」の呼称を使いたく、リズム&ブルーズとは区別したい気分があります。根本的・本質的には同じものであるけれど、もっとゴスペル要素を強めた高揚感のあるブラック・ポップスがソウル。公民権運動の時代と共振する要素があったことも重要です。

 

リズム&ブルーズからソウルへの移行がいつごろなのか?は正確に判断できません。あらゆるソウル歌手の源泉とみなされるサム・クックがゴスペル界を離れソロで世俗音楽界に転向したのが1957年。アリーサ・フランクリンのアトランティック移籍が1966年ですから、だいたい50年代末〜60年代半ばといったあたりでしょうか。

 

しかし、ソウルの時代になって以後も、ビルボードなどチャートや業界はやはりリズム&ブルーズの名称を使い続けました。おかげでいまでも「R&Bチャート何位、ポップ・チャート何位」といった当時の実績が紹介されたりするわけです。そう、「R&B」と省略することも多かったのが、現在21世紀に混乱を引き起こしている原因の一つです。

 

その後1980年代になって、チャートや業界が採用する時代のヒット・ブラック・ポップスの名称は、一回「ブラック・コンテンポラリー」になりました。たしかに質もちょっと変わったかなと思える部分があり、これはこれで内実に沿った名称変更だったように思います。ジャズ・フュージョンやAORなどの要素も大胆に取りいれたスムースでマイルドなサウンドになり、都会的洗練を特徴とするようになりましたからね。

 

ルーサー・ヴァンドロス、ボビー・ブラウン、メリサ・モーガン、初期ウィットニー・ヒューストンあたりも、この略称「ブラコン」に分類していいんじゃないでしょうか。決して強くシャウトしたりしないのも特色でしたね。

 

1990年代に入り、またちょっとブラック・ヒット・ポップスの傾向が変化したような部分があり、もちろん音楽はちょっとづつ変わるものだから、何年ごろから?なんて厳密な線引きは不可能ですが、1980年代に勃興した、コンピューターを用いてのヒップ・ホップやサンプリングなどの手法を取りいれループなども多用するようになったので、ビート感覚やサウンド・メイクが新しくなりましたよね。

 

具体的にぼくが憶えているのは、マライア・キャリーの代表的傑作『エモーションズ』。これのリリースが1991年でしたが、サウンドやビート・センスがあきらかに変わったなと当時からリアルタイムで思えましたからね。

 

やっぱり最大の特徴はヒップ・ホップ由来のビート・ループを用いたトラック・メイクとエレクトロニクスの活用ですよね。このことで音楽性が刷新されたような印象があって、もちろんマライアだけじゃなく、同じく1990年代以後に登場したブラック・ポップ・シンガーたちの音楽全般に当てはまることだったんです。

 

こういった、1990年代におけるいま一度のブラック・ヒット・ポップスの変容を受けて、ビルボードなど業界も、その名称を改める必要性を感じるようになり、しかしそれで採用したのが「R&B」だったんですね。そう、なんと1950年代に使われたのと同じ名称をもう一回採用してしまったんです。これでは混乱するのも必至で、罪深いことでした。

 

なぜ、どうして、1950〜70年代の用語だったR&B(リズム&ブルーズ)を、90年代以後の新傾向歌ものブラック・ポップ・ミュージックを指すことばとしてもう一度使うことにしたのか、当時のビルボードの担当者の内心を推し量ることなどできませんが、一般のリスナー、ファンのあいだでは、「R&B」とだけ言った際、どのへんの歌手のことを念頭に置いているかがたいへんわかりにくいという現象が発生することとなりました。

 

区別するために、1990年代以後のものは「コンテンポラリーR&B」とわざわざ言うこともあり、ホ〜ントまぎらわしいったらありゃしない。レイ・チャールズもアリーサ・フランクリンもジェイムズ・ブラウンもスティーヴィ・ワンダーも、エラ・メイもウィークエンドもジョン・レジェンドもメアリー・J・ブライジもアリシア・キーズも、み〜んな「R&B」なんですよねえ。なんだよもう。

 

個人的には、ブログなどで書く際やはり区別したいとの気持ちから、1950年代のものは「リズム&ブルーズ」と言い決してR&Bとは略さず、90年代以後のものをコンテンポラリーR&Bとか今様R&B、あるいはたんに「R&B」と呼び分けています。がしかしもとが同じことばなので詮ないことですよ。

 

コンテンポラリーR&Bのもうひとつの特色は、特にアメリカ黒人とかぎったことじゃなく、人種や国籍を超えてひろく一般に使うことができるようになったことばだということにもあります。情報の伝達速度や拡散力が1990年代以後大幅に上がったので、黒人コミュニティー内に限定される音楽という意味合いは失ったと思いますね。

 

音楽制作の方法論も世界で一般的に共有されるようになったわけですからね。だから、マドンナやジャスティン・ティンバーレイクもR&B歌手と言われることがあるし、日本でも久保田利伸やMISIA、安室奈美恵、宇多田ヒカル、藤井風など、特に「和製」とか「日本人」とかの枕詞をつけずにR&B歌手と言われたりもしますよね。

 

(written 2021.5.18)

2021/07/20

岩佐美咲のアンプラグド・アルバムをつくってほしい

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きのう、氷川きよしMTVアンプラグド出演のことを書きましたが、そこからの連想です。同じ長良プロダクション所属の同じ演歌歌手である後輩、われらが岩佐美咲。美咲のアンプラグド・アルバムも聴いてみたいと思いませんか。

 

それでちょっとよりみちというか、きのうも強調したかったことをきょうまたふたたび書いておきますが、美咲のオリジナル持ち歌全九曲をしっかり聴けば、それが完璧エレクトリック&エレクトロニック・サウンドに満ち満ちていることを実感できると思います。演歌ってそういうもんですよね。
https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=bd7c6b8f5f5d443f

 

ストリングスやホーン・セクションに相当する分厚いオーケストラル・サウンドはキーボード・シンセサイザーで出しているし、ドラムスだって打ち込み(コンピューター・ビート)、ギンギンにファズの効いたハード・ロックっぽいエレキ・ギター・サウンドだって随所で大活躍していますよね(「無人駅」「鞆の浦慕情」「ごめんね東京」)。演歌は日本の伝統歌謡であるという説なんか、まったくのマヤカシです。

 

そんな美咲のエレクトリック&エレクトロニック演歌を、もしこれ、オール・アクースティックでやったらどうなるか?っていう興味がぼくにはあります。美咲はまだMTVアンプラグドから声がかかるような存在ではありませんが、でもちょっとおもしろそうな企画だなと思うんです。

 

だからMTVじゃなくて、長良プロや徳間ジャパンがみずから企画を立てて、美咲のアクースティック・アルバムを制作してみたらどうか?と思うんですよね。で、ファンならみんな知っていますが、いままでに美咲も(CDやDVDに収録されない)ライヴでならアクースティックなものをくりかえし開催してきています。

 

そもそも発端は2016年のファースト・ソロ・コンサートで二曲のアクースティック・ギター弾き語りを披露したのがきっかけだったはず。美咲自身はちょっと恥ずかしかったみたいですが、あんがい評価が高かったのでということか翌2017年の5月には、新宿で、コンサート全編まるごとアクースティック・ギター弾き語りでやるというものを開催しました。

 

そのときは、いまでも伝説になっているあの「糸」が誕生したわけですが、そんなことで、こういうアクギ弾き語りサウンドは美咲の資質に合致しているというのが定評となり、ソロ・コンサートでも弾き語りコーナーが常設されたし、全編弾き語りのコンサートも毎年定期開催されるようになりました。

 

そういったなかからちょっとだけならCDにも収録されていますが、しかしざっと上げると「涙そうそう」「なごり雪」(この二曲はスタジオ収録)、「糸」「木綿のハンカチーフ」(2017年5月ライヴから)と、たったこれだけ。だから実はちょっとしか発売されていないですよねえ。あんなに定期開催しているというわりには相当少ないです。

 

これはちょっとねえ、あまりにもったいないんじゃないかという気がするんですよね。美咲の歌手としての資質にギター弾き語りのアクースティック・アレンジがぴったり合致しているというのに。フル・エレクトリック&エレクトロニックなオーケストラル・サウンドよりも、むしろ少人数のアンプラグド伴奏で実力、真価を発揮する歌手だというのに。

 

そういうわけですから、ぜひ、美咲のフル・アクースティック・アルバムがそろそろ一枚ほしいな、聴いてみたいなと、ぼくは切望します。特にですね、「涙そうそう」とか「糸」みたいな、いかにもアンプラグドが似合いそう〜っていう曲ではなく、いままでに美咲がフル・エレキ・サウンドで歌ったもの、特に九曲の持ち歌を、少人数バンドのアクースティック・アレンジで聴いてみたい!

 

美咲自身のアクースティック・ギターにくわえ、ギター、サックス、ピアノ、ベース、ドラムス、といった程度のアンプラグド編成で、たとえば「無人駅」が、「鞆の浦慕情」が、「初酒」が、「鯖街道」が、はたしていったいどんなふうに変貌するか?おおいに興味がありますよねえ。

 

その際、同じアレンジをそのままアクースティック・バンドに移植してもサマになりませんから、気鋭のアレンジャーに依頼して大胆につくりかえる必要がありますけどね。美咲のヴォーカルもそれにあわせて変えないと。

 

ライヴでもスタジオ収録(は一発同時録りがいいと思う)でも、そういったアクースティック・セットで、いままでにそういうふうにやったことのない持ち歌を、美咲が歌ったらどうなるか?きっとチャーミングな音楽に仕上がること間違いなしとぼくは信じていますけどね。

 

どうです?長良さん&徳間さん、ちょっとやってみませんか?

 

(written 2021.7.12)

2021/07/19

演歌とアンプラグド 〜 氷川きよし

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https://otokaze.jp/news/23138

 

氷川きよしがMTVアンプラグドに出演する(もう収録した?)そうで。しばらく前にちょっとした話題になっていて、一部ではもりあがりをみせていました。きよしについてもMTVアンプラグドについても説明の必要などありませんが、組み合わせが斬新ですよね。

 

斬新だと思えるのは、きよしだから云々っていうんじゃなく、一般に演歌勢とMTVアンプラグド企画の合体が、いままでになかったんじゃないかと思えるからです。そう、1970年代あたりからの演歌はエレクトリック&エレクトロニックですよね、たいていのばあい。演歌ファンは意識したことないでしょうが。

 

実を言うとここがちょっと誤解されてきているんじゃないかという気がして、だからきょうこの件で筆をとろうと思ったんですが、演歌は日本の(生演奏)伝統歌謡、古典なんかじゃぜんぜんないのですよ。そうじゃなく、演歌も日本のモダン・ポップスの一種なんです。だから、電気・電子楽器を使うのはあたりまえ。

 

一般にポピュラー音楽の世界で電気楽器が頻用されるようになったのは、おそらくロック・ミュージックの出現とともに、であったでしょう。だから1950年代あたりからかな、特にギターが電化アンプリファイドされることが頻繁になりました。

 

同時期にアメリカのリズム&ブルーズやポップスの世界でも楽器のプラグド・インが進んだと思いますが、それまでのオール・アクースティック(生演奏楽器)では出せない音色とサウンドの音楽が実現できるというわけで、スタイル的に新しい音楽には新しい楽器を使いたいといったニーズもあったかと思います。

 

ほどなくしてベースも(フェンダー・ベース型の)エレキ・ベースとなり、電気ピアノ、電気オルガンなど、ロック/ポップス界を中心に電化アンプリファイド・サウンドの一般化が進みました。

 

そこから波及して、世界のほぼどんな音楽ジャンルでも電気楽器が普及・一般化したので、まるで電気照明のない家屋がありえないのと同じくらいに、というほど音楽界では電気楽器が当然のものとなり、ある世代以後の音楽リスナーで耳にしたことのない人間は皆無と言えるほどになりました。

 

日本の流行歌(演歌、歌謡曲、J-POP)の世界でも、もちろん御多分に洩れずエレクトリック・サウンドがある時期以後きわめてとうぜんで、それを疑うことなんて頭の片隅にも浮かびすらもしないといった状態で、それは演歌も例外ではないのです。むしろ、どっちかというと演歌は積極的に電気・電子楽器をとりいれてきたジャンルですよね。

 

1990年代以後のMTVアンプラグド企画番組のヒットは、こうした一般常識を逆手にとったもので、特にロック・シンガー、ロック・ミュージシャン界隈かな、エレクトリック・サウンドがあまりにも日常的すぎるところにもってきて、あえてオール・アクースティックでやったらどうなるか?という発想をぶつけたものでした。

 

MTVアンプラグドは、エレキ・サウンドが一般的な主にロック・ミュージシャンたちをどんどん出演させ、アクースティック・セットで演唱させることで、その歌手や音楽家のそれまでにない斬新な側面をみせてきた名物企画。アメリカなどでは1990年代が中心だったと思います。

 

氷川きよしは2000年デビューですし、積極的にロック/ポップス界ともクロス・オーヴァーしている歌手なので、そんなきよしがMTVアンプラグドに出演してフル・アクースティック・サウンドでどんな歌を聴かせてくれるのか、いまから楽しみに思います。

 

演歌歌手でも、氷川きよしやもっと若い世代はフル・エレクトリック(&エレクトロニック)・サウンドがあたりまえで、ふだんからずっとそれでやってきているので、あたらめてアクースティック・セットに挑むとどうなるか?という興味は非常に強いです。

 

ボン・ジョヴィ、ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、ロッド・スチュワートらロック・ミュージシャンたちがみごとな成果を残してきたMTVアンプラグド。これに挑む演歌歌手は氷川きよしが初でしょうから、さて、どんな歌を聴かせてくれるのか?バンドはどんなサウンドで、どんな演奏でサポートするのか?おおいに楽しみですね。

 

話題をさらった「ボヘミアン・ラプソディ」(クイーン)のカヴァーも、今回アクースティック・ヴァージョンを披露するそうですよ。

 

8月21日(土)18時より。

 

(written 2021.7.11)

2021/07/18

『レイラ』再訪 〜 テデスキ・トラックス・バンド

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Tedeschi Trucks Band featuring Trey Anastasio / Layla Revisited (Live at Lockin’)

https://open.spotify.com/album/6O5gWyGfpV47SgllhnoaK2?si=n3-InMEwSFeuv8Bd-k0kmA&dl_branch=1

 

デレク&ザ・ドミノズの『レイラ・アンド・アザー・アソーティッド・ラヴ・ソングズ』から昨年はぴったり50年というタイミング、スーザン・テデスキ&デレク・トラックス夫妻が牽引するテデスキ・トラックス・バンドが、2021年7月16日、『レイラ・リヴィジティッド(ライヴ・アット・ロッキン)』というライヴ・アルバムをリリースしました。

 

デレク&ザ・ドミノズ(エリック・クラプトン)1970年の大名作『レイラ』の全曲をそっくりそのまま再現カヴァーするというライヴ企画をまるごとパッケージングしたもので、このアルバム、数ヶ月前から予告され、数曲がYouTubeで先行公開されてもいたので、期待値がおおいに高まっていました。

 

それは2019年8月24日、米ヴァージニア州アーリントンで開催されたロッキン・フェスティヴァルでのライヴ録音。ゲストとしてギター&ヴォーカルでトレイ・アナスタシオ(フィッシュ)を迎え、さらにバンドに頻演しているドイル・ブラムホール IIもギターで参加しています。

 

このライヴ・コンサートで『レイラ』のフル再現をやるということはまったく事前告知されていなかったらしく、現場の観客にとっても世界にとっても大きな衝撃でした。アルバムを聴くと、事前にかなり綿密にアレンジされ用意周到にリハーサルも積んでいたことがわかる内容で、それでいきなりのサプライズ・プレゼントをぶつけるなんて、ねえ。

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1970年オリジナルの『レイラ』はリズム・セクション+クラプトン+ドゥエイン・オールマンの五人でやっていたものですが、今回のテデスキ・トラックス・バンド+ゲストは、ギターが(スーザンふくめ)四人、ベース、キーボード、ツイン・ドラムス、三管ホーンズ、コーラス隊三人という、ロック・バンドとしてはやや大きめな編成。ヴォーカルはリードがスーザンで、ところどころトレイが歌っています(じゃない声も聴こえますが)。

 

さて、こういう企画を21世紀に実現するにあたっては、いまやテデスキ・トラックス・バンドしかいないな、こいつらだけだ、というのがたしかなところ。なんたって、オリジナルの『レイラ』LPが発売された1970年11月9日はスーザンの誕生日ピッタリ。パートナーのデレクはといえば両親が大の『レイラ』ファンで、あまりにも好きすぎて、生まれてきた子にそのまんまデレクと命名してしまったんですからね。

 

そんなデレクはギターリストとして、もちろんドゥエインの継承者的意味合いで、オールマン・ブラザーズ・バンドで大活躍。エリック・クラプトンとも共演を重ね、2010年にテデスキ・トラックス・バンドを結成し、いまにいたるっていう。だから『レイラ』の全曲再現カヴァー・アルバムなんて、このペアにとっては宿命みたいなもん、やるべくしてとうとうやった大仕事という感じでしょう。

 

全体的に曲のアレンジはオリジナルの『レイラ』に忠実に沿いながら、そこは大編成なりの工夫をくわえています。ホーン隊は基本ギター・リフをふくらませていることが多く、ときに重厚に、ときにぐっとタイトに、新鮮なグルーヴを提供してみたり、また豊かなコーラスでメロディ・ラインをよりふくよかによみがえらせたりなど。

 

オリジナル『レイラ』は、アメリカ南部ふうなLAスワンプ風味がそこはかとなく、いや、そこそこ鮮明に、ただよっていたのがぼくにとっては最大の魅力でしたが、そんなスワンプ・ロック/サザン・ロック・サウンドは、今回の『レイラ・リヴィジティッド』ではやや後退しています。

 

もっと現代的なロック・サウンドに仕上がっているわけで、くっさぁ〜い南部テイストは時代じゃないっていうことなんでしょうね。といっても曲がぜんぶそのまま使われていますから、そこはそれなりにオリジナルの雰囲気をそれとなくかもしだしてはいますが、それをテデスキ・トラックス・バンドならではの現代風味で料理してあると聴こえます。

 

そして、やはりロックの華はギター。ずらり勢揃いした腕ききリード・ギタリストたちが組んずほぐれつ、主に三人がかりで挑むギター・ソロ・バトルがたまりません。ごきげんにスリリング。どこをだれが弾いているのか、映像がないとよくわからない箇所もあるものの、だいたいは音色やフレイジングで区別できるので。熱いギター・ジャムのおかげもあってオリジナル・ヴァージョンの倍くらいの長尺になっている曲も複数あり。

 

個人的趣味としては、ジャム・バンド的なソロ展開はできたらもっと抑えてもらって、なるたけコンパクトに、もともとの曲とアレンジのよさを活かすようにしてくれていたなら、もっといいアルバムに仕上がったんじゃないかと思わないでもないですが、1990年代的な傾向を通過したロック・ミュージックとしてはこうなるんでしょうね。

 

ギター・ソロ(・バトル)ということでいえば、やはりなんといってもデレクのスライドのあまりのうまさには舌を巻きます。オリジナルのドゥエインを強く意識したのは間違いなく、しかもそれを超えていく正確無比な凄腕をみせつけているのには脱帽。各曲とも随所で聴けますが、特に圧巻は表題曲「レイラ」。ピアノ・インタールードがあってのペース・チェインジした後半部はまさに独壇場。世界をリードするスライド・スキルです。
https://www.youtube.com/watch?v=gCL4o6i5934

 

現場での実際のコンサートは、この「レイラ」でおしまい。アルバムでそのあとに添えられているラストの「ソーン・トゥリー・イン・ザ・ガーデン」は、後日、スーザンとデレクのデュオでスタジオ収録して追加したものです。オリジナルからしてコーダ的な役目のクロージング・ナンバーでしたから、このアイデアは正解ですね。

 

もちろん、このテデスキ・トラックス・バンドの『レイラ・リヴィジティッド』、1970年オリジナルの『レイラ』にとって代わったり、対等なものとして、超えるものとして扱ったり、そんなことは不可能。『レイラ』は『レイラ』、テデスキ・トラックス・バンドのこれはオマージュであって、聴けば聴くほどオリジナルの偉大さを思い知るわけですけどね。

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それでも、クラシック・ロックの伝道師たる面目躍如、バンドの実力をフル発揮した21世紀ロックの傑作に仕上がったと言っていい今回の『レイラ・リヴィジティッド』、ダウンロードやストリーミングなら、このひと続きの一回のコンサートをそのままノン・ストップで楽しめますが、CDだと二枚組、LPだと三枚。

 

また、テデスキ・トラックス・バンドの公式YouTubeチャンネルで数曲の映像もオフィシャル公開されているということで、間違いなくこのコンサートは映像でもフル収録したでしょう。発売してほしい。DVDと、それからネット配信で。有料配信でもOKですよ、お金を払う価値のあるコンサート映像だと思いますから。

 

(written 2021.7.17)

2021/07/17

ケニー・バレルって最高にブルージーだ 〜『ミッドナイト・ブルー』

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(4 min read)

 

Kenny Burrell / Midnight Blue

https://open.spotify.com/album/0hMuKAciHKinu4L3R4Ojjl?si=alE0HGbQS-6hj92gDJXGnA
(オリジナル・アルバムは7曲目まで)

 

1960年代末にジョン・マクラフリンが登場するあたりより前のジャズ・ギターのことはあまり好きじゃなく、もちろんジャンゴ・ラインハルト(がジャズかどうかはともかく)、チャーリー・クリスチャン、ウェス・モンゴメリー、グラント・グリーンなど一部例外はあるものの、それら以外は正直言ってケッと思ってきたというのが事実。主にブルーズ、ロック、ファンク系のギターリストと比較して、ということです。

 

だからケニー・バレルもそんなに聴いてこなかったんですけど、こないだどうしてだかふと気が向いてSpotifyで代表作『ミッドナイト・ブルー』(1963)を聴きかえしてみました。そうしたらめっちゃよくて最高なので、あれっ、こんなにいいんだっけ?とちょっと不思議に思ったというか不明を恥じたといいますか。

 

いやホント、ケニーの『ミッドナイト・ブルー』はいいです。なにがいいって、これは完璧にブルーズがテーマになったアルバムだからですね。オリジナル収録の全七曲はすべてブルーズ楽曲、と言いたいところですが、3「ソウル・ラメント」、6「ジー・ベイビー、エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」だけは定型じゃありません。

 

がしかしそれらだって実質的なコード・ワークや演奏フィーリングはブルーズと呼んでさしつかえなく、だからほぼブルーズ一本槍のアルバムなんだと言えますね。楽曲形式がブルーズばかりなだけでなく、ケニーのギター演奏のスタイルが、もうどこからどう聴いてもブルージーさ満点で。そう、ぼくいままでケニー・バレルをほとんど聴いてこなかったから、いまさらながらにビックリしているんですよね(←アホ)。

 

いちおう曲によってはスタンリー・タレンタインのテナー・サックスが入ったりもするものの、基本ほぼだいたいケニー+リズム・セクションだけでの演奏で、特徴はレイ・バレットがコンガで参加しているところでしょうか。1「チトリンズ・コン・カルネ」や4「ミッドナイト・ブルー」なんかでほんのり香るラテン・テイストが心地いいですね。

 

100%のブルージーさで満たされているような2曲目「ミュール」ではケニーとスタンリー二名とも泥くささをこれでもかと発揮していて快感ですし、ブルーズ楽曲ではないものの3「ソウル・ラメント」でも独奏のケニーはブルージーに弾いています。ブルージーさという意味ではオリジナル・アルバム・ラストの7「サタデイ・ナイト・ブルーズ」も最高のレイド・バック・ブルーズで、これだよこれ、こういう音楽を聴きたいんだよねと膝を打つ内容に快哉を叫びます。

 

小唄系の6「ジー・ベイビー、エイント・アイ・グッド・トゥ・ユー」も、もとからブルーズ・ナンバーと言っていいフィーリングの曲ですし、コード進行もそう。だからジャズとブルーズの両方に足を突っ込んでいるようなミュージシャンやシンガーたちにとりあげられてきたレパートリーですね。モダン・ジャズ時代における演奏は珍しいのでは?

 

(written 2021.3.22)

2021/07/16

アラブ+北アフリカ+バルカンを土台にしたワールド・ジャズ・フュージョン 〜 JISR

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(2 min read)

 

JISR / Too Far Away

https://open.spotify.com/album/7q6xMpd0pphASXqRL2Ph4y?si=WzUD2JleQeeJHzDCrBGXRQ

 

歌手にして打楽器奏者、そしてゲンブリ奏者でもあるDr. モーシン・ラムダン(Dr. Mohcine Ramdan)率いるミュンヘンのバンドJISR。まったく知らなかったバンドですけど、たまたま出会った最新作『トゥー・ファー・アウェイ』(2020)がちょっとおもしろいです。

 

こんなジャケットですけど、中身の音楽は泥くさいエスニックなもので、言ってみればアラブのウードとマカーム、グナーワのゲンブリとポリリズム、ワールド・スピリチュアル・ジャズ、アフロ・クラウト、バルカンのホーン・アンサンブルとビートなどのごった混ぜ。

 

バンド編成は、書き写すのがメンドくさいのでBandcampのページからそのままコピペしますと:

Mohcine Ramdan / daf, gembri, voice
Roman Bunka / oud, guitar
Gergely Lukács / trumpet, cornet
Luis Borda / guitar
Marja Burchard / piano, fender rhoads
Niko Schabel / saxophones, clarinets
Wolfi Schlick / flute, saxophones, sousaphone
Matthias Gmelin / drums
Vladislav Cojocaru / accordion
Ehab Abou Fakher / viola
Severin Rauch / drums
Ayman Mabrouk / tabla, daf, percussion
Dine Doneff / double bass

 

こんな大編成のわりには、聴こえてくる音はすっきり整理されているなといった印象があります。どの曲も上記メンバーが全員参加しているわけではなく、ピック・アップされた数人を中心に演奏が展開されるので、それで少人数バンドだという感想になります。

 

それでもゲンブリとウード、それからパーカッションだけはアルバムを通し一貫して不変に使われている楽器。じゃあアラブ〜北アフリカ系の音楽を軸に据えているのかと思いきや、その風味があんまり強くないので不思議です。もっとこう、ジャジーですよね。そして、バルカンふうなサウンドがわりと前面に出ているんじゃないかと思います。ホーンズもそこそこ使われていますし。音階はアラブ音楽のものですけどね。

 

だから、アラブ〜北アフリカ音楽、+バルカンを土台にしたワールド・フュージョン、とでも言えばいいのかなあ。歌もちょこちょこ入りますけどそんな魅力的ではなく、あくまでつまりインストルメンタル・ミュージックとしてうまく聴かせるようにつくられているんじゃないでしょうか。

 

(written 2021.3.17)

2021/07/15

明快なパワー・ポップ 〜 マシュー・スウィート

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(2 min read)

 

Matthew Sweet / Catspaw

https://open.spotify.com/album/12TuSIXqbiNtEKZZyS1jKH?si=tbbXMKIgRhG5AO6wBNDu-g

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/01/22/catspaw-matthew-sweet/

 

アメリカ人ロック/ポップ歌手のマシュー・スウィート。ソロ・ミュージシャンとしてはもう14作目だか15作目かだかになるらしいベテランですが、新作『Catspaw』(2021)は、わりと好みの音楽ですね。

 

今作は、曲づくりと歌だけでなく、プロデュースと(ドラムスを除く)演奏もぜんぶマシューが自分ひとりでこなしたそうで、そのへんはやっぱりCOVID-19パンデミック下だから、ということかと思ったら、プロジェクトはもっと前から進行していたそうです。

 

個人的には後期ビートルズに通じるようなパワー・ポップ・サウンドなのが気に入っていて、そう、『ワイト・アルバム』で聴けるエレキ・ギター・ナンバーとか、あのへんの雰囲気を強くかもしだしているのがいいなと思うんですよね。マシューの今作にはアクースティック・ナンバーは一曲もないんで、そこはちょっと違いますけどね。

 

マシューが自分で弾いているギター・リフの感じ、リード・ギターのフレイジング、オブリガートの入れかた、そしてなんといっても歌のメロディ・ラインが好みで、後期ビートルズっぽいんですよね。けっこう痛快でもあるし、聴きやすく明快なポップ・サウンドで。

 

猫好きでもある身としては、このアルバム題とジャケット・デザインも気になるところですが、アルバムの音楽を聴いてもそこを理解できるヒントはなかったような気がします。マシューがたんに猫好きというだけかもしれません。

 

(written 2021.3.14)

2021/07/14

くりかえし聴きたくなるさわやかサルサ 〜 リトル・ジョニー・リベーロ

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(2 min read)

 

Little Johnny Rivero / Golpe Duro

https://open.spotify.com/album/1fVsuOBEkifWiTDhSbxhor?si=9yCKxoHuR46bRiwk4_Qy0g

 

プエルト・リカン・サルサの名門ソノーラ・ポンセ―ニャで活躍し、近年はエディ・パルミエリ楽団に在籍する打楽器奏者、コンゲーロ、リトル・ジョニー・リベーロ。その新作リーダー・アルバム『Golpe Duro』(2020)は、アンソニー・アルモンテのヴォーカルをフィーチャーしたもの。評判いいみたいですよね。

 

アンソニー・アルモンテはこれが初レコーディングだそうで、まだ新人なのかな、よく知りませんが、でもなかなかの実力者だとわかります。ちょっと調べてみたら、若手ながらジョニー・パチェーコ、デイブ・バレンティンといったひとたちを支える目下売り出し中といった存在だそう。本作でも勢いのある喉を聴かせています。

 

そんで、サルサってだいたい重心が低い音楽じゃないかとぼくは常々感じるんですけれども、リトル・ジョニーの今作は軽やかな南洋カリブ風味が一種の持ち味とも言えます。とか言うと総スカンをくらうか、カリビアン・ミュージックなんだからあたりまえだろうと鼻で笑われるか、どっちかだろうとは思います。

 

でも一般的なサルサ・ミュージックで特徴的な、跳ねるというよりひきずるようなリズムの粘り、重さ、などよりも、今作ではやや軽快な味が目立っているなという印象があるんですよね。特に、だれが弾いているのかトレスのこのサウンドに、重さ・粘り気よりも軽やかさを感じます。リトル・ジョニーのコンガもそれに一役買っているかな。

 

リズムのノリだけでなく、ホーン・アレンジなんかでもそんな軽妙さがまさっているようにぼくには聴こえ、サルサ・ミュージックとしてはなかなか得がたいさわやか風味をかもしだしているなと、ぼくには感じられますね。

 

サルサってそんな続けてどんどん聴く気になれないっていうか、一つ聴いたら次は軽い音楽を、となることが多いにもかかわらず、リトル・ジョニーの今作はもう一回とリピートしたくなるっていう、そんないい音楽です。

 

(written 2021.3.20)

2021/07/13

ジャズ・ブルーズが好き 〜 ルー・ドナルドスン

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(3 min read)

 

Lou Donaldson / Here 'Tis

https://open.spotify.com/album/61kiUiMqTdcy6UvIueHfZL?si=B4Dy61ajRzqpZgBBhfzf6g

 

またしてもルー・ドナルドスンの話題でごめんちゃい。きょうは『ヒア・ティズ』(1961)。タイトルは “Here It Is” のこと。61年作ですから、まだ8、16ビートのファンキーなソウル・ジャズ路線に転向する前ですけど、それでも本作ではピアノじゃなくオルガンを使い、そこそこソウルフルなんです。

 

メンバーはルーのアルトのほか、ベイビー・フェイス・ウィレット(オルガン)、グラント・グリーン(ギター)、デイヴ・ベイリー(ドラムス)というシンプルな編成。ガーシュウィンとパーカーが一曲づつで、あとはルーの自作です。

 

聴きものはなんといってもルー自作のスロー・ブルーズ二曲、2「ヒア・ティズ」と5「ウォーク・ウィズ・ミー」、特に前者です。これがソウルフルでブルージーでかなりいいんですよね。ベイビー・フェイス・ウィレットのオルガンも大活躍。こういう曲調のものとなればやっぱりオルガンが似合いますよねえ。「ヒア・ティズ」という曲題からしてゴスペル・ライクです(ボビー・ティモンズふう?)。

 

グラント・グリーンもアーシーなギターリストとしての本領発揮、とまではまだいかない時期ですけど、それでもそこそこファンキーに弾いています。そしてやっぱりなんといってもルーのアルトのうまあじですね。ビ・バップ時代から活躍しているサックス奏者なんですけど、もう完全に1960年代のファンキー・ムードを醸成していますよね。

 

そう、やっぱりこういった音楽は1950年代末〜60年代いっぱいにかけて、特にブルー・ノート・レーベルを舞台に、大きく展開された路線だなと思うんですね。もはやいま2020年代にどれだけ時代のレレヴァンスがあるかわかりませんが、過去の名作・名演を楽しむ、それが気持ちいい、好きだ、というフィーリングがあれば、それでじゅうぶんじゃないでしょうか。

 

こういった(ゴスペル・ベースの)ファンキーでソウルフルなジャズ・ブルーズ・インストルメンタルのことは近年看過されがちになりつつあるような気がするんですけど、好きなものは好き、とハッキリ明言していきたいと思います。時代がどう変わろうと、評論家たち、マニアがなにを言おうと、ぼくらファンは愛し続けていきますよ。

 

(written 2021.3.21)

2021/07/12

配偶者をどう呼ぶか

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(8 min read)

 

2021年7月現在、日本では同性婚が法的にまだ認められていないため、結婚というと男女間に限定されてしまうわけですが、夫なり妻なりを(第三者に紹介するときや言及するときなど)どう呼ぶか?というのはむかしから話題になってきたことですし、近年はジェンダー問題への意識の高まりを受けて、また違った角度からとりあげられることも多いです。

 

ぼくも以前結婚していたことがあって、その時代、パートナーはぼくのことを第三者に紹介するとき「同居人」と言っていました。知り合いでも初対面の相手にでも、どんな場面でもどんな相手にでも、例外なく。それが1990〜2010年代の話で、ぼくもそれを違和感なく受け止めていました。

 

ぼくのほうは「妻」と言えるときはそう言っていたのですが、言えないときというのは、ぼくは吃音者ですから、「ツマ」の「ツ」が難発で出ないことがときどきあって、その際はとっさの言い換え(吃音界隈で「回避行動」という)で、不本意ながら別の発音しやすい用語を使うこともありました。でも、気持ち的には常に「妻」と言いたかったのです。

 

でも、いまやその時代にさかのぼって当時の話をする際には、もはや「妻」ではなく「パートナー」と言うようになっていますけれど。

 

もちろん夫婦間でおたがいをどう呼ぶか?というのは、それぞれの関係に応じて好きにすればいいことで他人が口をはさむことではありません。夫婦間だけでならばね。でもその場に第三者がいたり、紹介したり、言及したりなどするケースとなれば、自分たちのあいだではこう呼んでいるから、という理屈だけでは通らないのではないでしょうか。

 

そういったケースでは、近年「主人」「旦那」、また「家人」「家内」「女房」などといった呼称が徐々に使われなくなってきているんじゃないかという実感があります。ほかの家族や夫婦としゃべったりする機会が激減していている単身者のぼくでもそうなんです。他人の妻を「奥さん」「奥さま」、他人の夫を「ご主人さん」「旦那さん」ということも減ったと思います。

 

ちょっとことばの種類がズレるんですが「嫁」。西日本人、特に関西人はよく使いますよね。これはしかしことばの意味としては配偶者の親(しゅうと、しゅうとめ)が息子の配偶者を呼ぶときのタームですから、夫自身が妻を「嫁」とか「嫁さん」とか紹介するのは間違っています。習慣的に定着している文化圏もあるとはいえ。

 

さらに「嫁」ということばには、結婚したら女性は男性配偶者の家に入るものだという旧民法の発想が残っています。実際、第二次大戦後に新しい民法が制定されるまで、結婚は嫁入りでした。イエにしばられる 〜 もはやまっぴらゴメンな発想なので、この意味でも「嫁」ということばは聞きたくないですね。「入籍」も同様に大嫌いなことば。

 

現行民法下では、婚姻届を提出して受理されると、夫婦ふたりだけの新しい戸籍がつくられる、それで新しい独立した一個の世帯になるわけで、したがって結婚とは、夫婦とは、男女が平等の立場で二人で結びついて新生活をはじめるということなんですから、嫁とか入籍とかっていうタームは歴史的用語としては残っていくでしょうが、現在進行形では聞きたくありません。

 

そう、男女間の関係や認識の変化というか、主従関係、支配/被支配関係じゃないのだ、夫婦は、という認識がひろまりつつあって、法律的には日本国憲法と戦後民法でそれがすでに確立していたわけですけど、現実の日本社会における変化は、この21世紀になってようやく、といった感じで訪れつつある、男女は、夫婦は、対等・平等なのであるから、呼称もそれにあわせていきたいという動きが大きなものになってきているんでしょうね。

 

特に女性からの声として、「『旦那』という呼び方が好きではない」「『ご主人』という呼び方にはかなり抵抗がある、『旦那さま』も無理」など、「主人」「旦那」という言葉への違和感が強く表明されるようになってきているし、「現代にそぐわない」「主従関係があるわけじゃないのに」といった考えがその根底にあるように見受けられます。

 

結婚したら、妻は夫の言うことに従うべきだ、夫のために尽くすのが妻のツトメである、外に出てもいけない、働きに出るなんて論外である…なんていう時代が戦後も長く続きましたし、家のなかにしばりつけられて不自由でつらく苦しく歯痒い思いを、女性は長年味わってきたというその歴史が、いまになって噴出している、長年の怨念がいまになって表面化している、という気もします。

 

ちょっと時代遅れのことばになりますが、熟年離婚なんていうことがよく言われたりするのも、同じ流れでしょう。家庭で耐え忍びに耐え忍んできた妻としても、その長年の蓄積が、夫の定年退職あたりをきっかけに一気に爆発する、といったことがあったと思います。

 

考えてみれば、戦後だけでなくもっとずっと前から、結婚生活において妻の側だけがずっと忍耐を強いられてきていたわけですからね。

 

21世紀になって、男性配偶者を旦那とも主人とも呼びたくないという妻の気持ちがムーヴメントのように表面化しているのは、だからぼくなんかにはとってもよく理解できることです。男女の性役割についての見方も確実に変わってきているでしょう。

 

ですので、男性配偶者の側だけがいつまでも家人だの家内だの嫁だのという表現を使い続けるのにも、個人的には非常に大きな抵抗を感じます。もっと理念と現実にそくした、対等な、ニュートラルな、タームを使うようにすればいいのにな、と思っちゃうんですよね。

 

ぼくが他人の配偶者のことを(その当事者がその場にいるにしろいないにしろ)どう呼ぶか?というと、最近は「パートナーさん」ですね。「配偶者さん」でもいいんですけどこれはちょっと法律用語くささがある。SNSを中心に「夫さん」「妻さん」も拡大しつつありますが、以前から言っていますようにジェンダーを明確化する用語をふだんから極力使いたくない気持ちがあるので。

 

お連れ合い、お連れさん、みたいな表現でもいいですね。そういえば(法律的には日本でまだ認められていないけど)同性婚当事者のばあい、パートナーのことを双方とも「ツレ」と呼ぶことが多いように見受けられます。これもジェンダーを表面化させず、さらに力関係に上下差を感じさせない、いい表現ですね。

 

現実的にぼくがまたもう一回結婚するなんてことはありえないのですが、他人の夫婦(異性婚カップルであれ同性婚カップルであれ)の相方のことをどういうふうに呼ぶか?という問題は、自分のジェンダー意識、夫婦観、男女観、ひいては社会意識が問われる重要局面であると思っていますからね。

 

(written 2021.7.10)

2021/07/11

ヒル・カントリー・ブルーズの流行とはなんだったのか

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v.a. / Hill Country Blues

https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DX5e4G40ZHZd6?si=dc4b757174c74cee

 

故R. L. バーンサイドがカヴァーを飾っているこの「ヒル・カントリー・ブルーズ」Spotifyプレイリスト、六月末ごろに突如出現したものです。七月にはRLの孫にしてバンド・メンバーでもあったセドリック・バーンサイドが新作アルバムを出したばかりで、めでたいですね。

 

といっても、ミシシッピ北部のヒル・カントリー・ブルーズが、いまふたたび注目されるようになっているなんてこともないでしょうけど、いまやブルーズ・エヴァーグリーンのひとつであるとも言えるというわけだから、それでSpotify公式がプレイリストを編んだんでしょう。

 

ぼくがこれを知ったのはファット・ポッサム・レコーズの公式Twitterアカウントが紹介していたから。そう、ファット・ポッサム、1990年代から21世紀初頭、北部ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズはぜんぶこのレーベルから発売されるのをCDで買って聴いていたんでした。

 

ファット・ポッサムはミシシッピ州の田舎町オックスフォードの会社で、1992年設立。それで、この地のカントリー・ブルーズが注目されるようになったのは、そのことと、それから同年、音楽評論家のロバート・パーマーがドキュメンタリー映画『ディープ・ブルーズ』を製作したことが大きなきっかけでしたよね。

 

映画『ディープ・ブルーズ』には、R. L. バーンサイドやジュニア・キンブロウといったファット・ポッサムを代表するヒル・カントリー・ブルーズ・ミュージシャンたちが出演していたので、それでアメリカでも初めてこの地のドロドロしたエグ味のあるワン・グルーヴ・ブルーズに触れたというファンが多かったはず。

 

そういえばロバート・パーマーは最初ファット・ポッサムでのアルバム・プロデュースにもかかわっていたのでしたよねえ。CDパッケージ裏に名前のクレジットがよくみつかっていました。ぼくはそんなCDを渋谷警察署裏時代のサムズ(レコード・ショップ)で、自分で見つけたり、どんどん買うので顔を憶えられ、ある時期以後はお店のかたから「こんなの出ましたよ」と推薦されたりで、ファット・ポッサム・リリースのヒル・カントリー・ブルーズの新作CDを、そりゃあもう山ほど買っていました。『ディープ・ブルーズ』VHSもサムズで買いました。

 

1995年になると個人的にパソコン通信をはじめて音楽系会議室に入りびたるようになり、どんどん次から次へとそうしたアルバムをすすめまくるもんだから、部屋のみんなから「ファット・ポッサムの伝道師」などとからかわれるようになったりも。いまとなっては笑い話ですが、当時は真剣にこれが新時代の新感覚ブルーズだ、ニュー・ミュージックだと信じて熱中していたんですからね。

 

しかし考えてみたら、1990年代にファット・ポッサムからリリースされたヒル・カントリー・ブルーズを、あの当時の新時代新感覚ブルーズと呼んだばあい、そこには大きなアンビヴァレンスが混じり込むように思います。というのも、ああいったヒル・カントリー・ブルーズは、現地コミュニティ内でむかしから連綿と続いてきているブルーズ伝統をそのまま維持しているだけにすぎないんですよね。新しい音楽なんかじゃない。

 

ああいったブルーズは地域のなかでのみ楽しまれてきていたもので、マーケットに色目を使うことも、ブラック・ミュージックのトレンドに神経をとがらせることもなく、気になる曲がラジオから流れればそれを取りあげるといった程度で、ヒル・カントリーの内部で発酵を続けていたブルーズだったんですよ。それこそ数十年間にもわたり。

 

つまり、ファット・ポッサムが録音したのは、時代の流れとはまったく別のところにあるブルーズだったんですけれども、CD発売され世間で知られるようになるや、バーンサイドをはじめ一躍世界で人気が出て、時代の寵児ともてはやされた…はおおげさにしろ、来日公演までやったんですからね、コミュニティ外に大拡散したというのは事実です。

 

ここにアンビヴァレンスがあります。自分たちはミシシッピ北部の田舎町の内部だけでただずっと演奏活動を続けていただけ、土地のむかしのままのブルーズの姿を維持していただけなのに、それが、たしかに新録であるとはいえ、CDになるや時代のヒットとなって、売れまくるようになり、あたかも最新傾向の、新感覚の、ニュー・ブルーズであるぞよと持てはやされたわけですからね。伝統民俗音楽とはみなされなかった。

 

この相反する事実の意味をじっくり考えなおしてみると、やはり1990年代的な最新時代感覚に、むかしながらのヒル・カントリー・ブルーズがぴったりフィットしたからこそだった、という結論にいたらざるをえません。

 

特にビート・メイク・センス。ファット・ポッサムが発売するヒル・カントリー・ブルーズは、だいたいどれもコード変化に乏しくて、多くがワン・コードの持続、そして決まった短いワン・フレーズを延々反復しながらダンサブルにやっています。あたかも催眠的というかヒプノティックなワン・グルーヴ・フィールがそこにはあるんですよね。

 

こうした音楽構築の手法は、ヒル・カントリー・ブルーズの連中は伝統的に身につけただけのものですが、ちょうど1990年代に爆発したヒップ・ホップのビート・メイクと瓜ふたつです。クラブ・ミュージック世代の感性にまさにピタッとくるもので、ヒップ・ホップのトラック・メイカーが印象的なワン・フレーズをサンプリングして定型化しループさせ、それでグルーヴを産んで踊らせる、そういったやりかたそのまんまじゃないですか。

 

だから、ヒップ・ホップの大流行があった1990年代、そのちょうど同じ時代にファット・ポッサムのヒル・カントリー・ブルーズもやはりもてはやされたのは、「同じ感覚」を表現していたからにほかならないんだなあと、あの当時からうっすらわかっていたかもしれませんが、いまになってふりかえると間違いなかったなとぼくみたいなぼんやりした人間でも理解できます。

 

そんなわけで、時代と共振したヒル・カントリー・ブルーズのミュージシャンたちと共演するヒップ・ホップ・ミュージシャンやクラブDJたちも続々出現し、共作アルバムも制作されていたし、シンプルなフレーズをノイジーかつラウドに響かせるギターは、ガレージ・ロックのミュージシャンたちとも高い親和を見せたので、たとえばジョン・スペンサー・ブルーズ・エクスプロージョンがバーンサイドとの共演作をつくったり、イギー・ポップがジュニア・キンブロウとツアーを行なったりしました。

 

2020年代にどれだけ訴求力があるかわからないヒル・カントリー・ブルーズ、いまでは細々と命脈を保っているというにすぎないように日本からは見えていますが、それはワールド・マーケットの前面に出てくる部分でそうであるだけで、ミシシッピ北部の黒人コミュニティ内部では、今夜もまたジューク・ジョイントでワン・グルーヴの渦に乗りながら、お客さんたちが踊っているんじゃないでしょうか。決して死んだ音楽なんかじゃないはずです。

 

1990年代のファット・ポッサムは、そうした産地直送のナマのブルーズをぼくたち日本のブラック・ミュージック・ファンにも届けてくれていたんです。

 

(written 2021.7.9)

2021/07/10

1970年のブルース・イグロアとアリゲイター・レコーズ50年

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(5 min read)

 

v.a. / Alligator Records: 50 Years of Genuine Houserockin’ Music

https://open.spotify.com/album/30aecilbP86mA0dVdWcFp0?si=6DxcmvWpSlaDV8pl_XqUrA&dl_branch=1

 

一人の若者の情熱がシーンを変えることがある。

 

1970年のブルース・イグロア(Bruce Iglauer)もそうでした。ブルーズ好きだったブルースはシカゴの老舗ブルーズ・レーベルのデルマークに勤務する23歳でしたが、あるときサウス・サイドで聴いたハウンド・ドッグ・テイラーにノック・アウトされ一目惚れ。

 

レコーディングさせてほしいと上層部にかけあうも、あえなく却下。ほんじゃあ、っていうんでブルースは独立し、自分で会社を立ち上げたわけですよ。ハウンド・ドッグ・テイラーのレコードを出すために。それがアリゲイター・レコーズのはじまりで、1971年のこと。

 

そこからはじまったアリゲイターの歴史も、今年でちょうど50年というわけで、その半世紀を記念するアンソロジーが出ました。『Alligator Records: 50 Years of Genuine Houserockin’ Music』(2021)。アリゲイターは周年記念アンソロジーを節目ごとに出してきているんで、またか…と思われそうですけれど、こういうのはお祝いですから。

 

1971年にはじまったアリゲイターの歴史。ハウンド・ドッグ・テイラーをきっかけに、ココ・テイラー、ビッグ・ウォルター・ホートン、キャリー・ベル、フェントン・ロビンスン、サン・シールズ、アルバート・コリンズ、ロニー・ブルックスなどなど、いまでは錚々たる、と思える顔ぶれがここからレコードを出してきました。

 

70年代以後のブルーズ・シーンはアリゲイター抜きには語れないほど重要な一大ブルーズ・レーベルに成長したわけですが、その後の80、90年代、そして21世紀と、たぶんあまりブルーズ・ミュージックそのものはたいして姿を変えず、感覚的にあたらしくはなるものの、根本は同じままず〜っと続いてきているのを、アリゲイターは録音・発売し続けてきました。

 

そんな歴史が、CDなら三枚になるこのアンソロジーにはたっぷりつまっています。ぼく自身も以前から大好きなブルーズ・ミュージシャン、そうでもないひと、今回このアンソロジーではじめて知ったひと、種々とりまぜながら、シカゴのモダン・ブルーズとはどういうものかをこれでもかと聴かせてくれるのがうれしいですね。

 

個人的には、いままでも好きだったロニー・ブルックスの「コールド・ロンリー・ナイツ」が、これ、CD1-13曲目に入っていますけど、このヴァージョン、いままで聴いたことないですよ。さがしてみたけど、どれも違う。このアンソロジーでしか聴けないレア・ヴァージョンじゃないですかね。それがも〜う、ギターもヴォーカルもキレキレで、これ、ライヴだけどいつごろの収録なんでしょうかねえ。完璧にノック・アウトされました。

 

アリゲイターは、ロイ・ブキャナン、ロニー・マック、ジョニー・ウィンター、エルヴィン・ビショップら白人ブルーズ・ミュージシャンたちをも迎え入れつつ、ある時期以後はすっかり名門ブルーズ・レーベルとなりました。

 

クリストーン・キングフィッシュ・イングラムとか、ニック・モス・ウィズ・デニス・グルーエンリングとか、トロンゾ・キャノンとか、セルウィン・バーチウッドとか、シェミキア・コープランドとか、リル・エド&ザ・ブルース・インペリアルズとか、さらにはマーシャ・ボール、リック・エストリン、トミー・カストロ、そしてビリー・ブランチらなどなど、2021年でも確実に歩みを進めているアリゲイターの、そんな歴史がぎゅっと詰まったアンソロジーで、思い出がよみがえったり新鮮な発見があったりで、うれしいですね。

 

もはやすっかり名門ブルーズ・レーベルといった顔になったアリゲイター・レコーズですが、今回のアンソロジー・タイトルにも使われていることばどおり、もとはといえばブルース・イグロアがハウンド・ドッグ・テイラー&ザ・ハウスロッカーズに衝撃を受け、なんとしてもこのひとのレコードを出さなくては!と強く思ったところからはじまった会社。

 

最初はブルースの自宅アパートの一室をオフィス代わりにして出発したんですからね。初心忘るるべからず。いつの時代でも、「これをなんとかしたい!」と熱く思う若い情熱、勤める会社に反対されて引き下がらず、じゃあ自分でやるから!と行動に移すその向こうみずな情熱が、世界を動かし、シーンをつくってきたんです。

 

(written 2021.7.1)

2021/07/09

70年代ふうなヴィンテージ・ソウル・テイスト 〜 キャット・イートン

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(4 min read)

 

Kat Eaton / Talk To Me

https://open.spotify.com/album/3nfrPgx99B0MlNnqI1QDaG?si=_6N9_qVaQy2ezQmOAfUqGg&dl_branch=1

 

萩原健太さんの紹介で知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/07/05/talk-to-me-kat-eaton/

 

ウェールズはカーディフ生まれロンドン在住のシンガー・ソングライター、キャット・イートンのデビュー・アルバム『トーク・トゥ・ミー』(2021)がかなりいい。完璧1970年代ふうのレトロ・ソウル風味満載で、思わず頬がゆるみます。

 

全曲、パートナーのニック・アトキンスンがプロデュースしていて、曲も共作、ギターもニックによるものみたいです。こういった往年のソウル・ミュージック志向は、キャットというよりニックの持ち味なのかもしれません。

 

いずれにしても、いい感じにヴィンテージでアナログなレトロ・ポップ・ソウル・サウンド。キャットはいままで数年間にわたりシングルやEPをちょこちょこリリースし続けていて、今回のアルバムにも再録されているものがありますが録りなおしているものもあるみたい。

 

アルバムでは、それまでよりも1970年代ブルー・アイド・ソウルっぽい音をまっすぐめがけたコアなアプローチを聞かせている感触もあって、好感触ですね。なんたって、オープニングの1曲目「バリケード」。これはシングルで先行リリースされていたそのままですが、出だしいきなりこれがもう、ホーン陣をフィーチャーした完璧なソウル・ポップで、降参しました。

 

特にグッとくるのが、ほかの曲でもそうなんですが、ギター・カッティングの魅力。これはニックが弾いているそうで、そ〜れが、もうどこまでもレトロなソウル・ギターなんですよねえ。チャラ〜ンと控えめにオブリガートで入るフレーズも心憎いばかりだし、リフを演奏してもいい感じ。

 

2曲目の「チェッキング・イン」もギターが決まっていますし、3「ニード・ア・ウェイ・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」なんかでもギターがリフにオブリにと大活躍。曲もぼくのフィーリングにピタッときますが、このギター・サウンド、トータル・プロデュースがあまりにもみごとですよね。

 

だからフロントで歌うキャットのヴォーカルの魅力というより、音楽家としてのニック・アトキンスンの志向がぼく好みなんだということかもしれません。もちろん、シンプルでオーガニックなサウンドのなかにあっても、キラリと光るメロディを書けて歌えるキャットの魅力があるから、ということなんですけどね。

 

(白人)ソウル・ミュージックとかブラック・ミュージックといっても、21世紀的なあたらしい流れというか、時代の潮流というか、ネオ・ソウルだとかR&B、ヒップ・ホップ・ソウルとか、そのへんの動きとはかすりもしないレトロ趣味な音楽なんですけれども、いっぽうにこうした回顧的な動きをただそれだけで楽しめるという趣味の持ち主もけっこういるわけですから、それでいいじゃないですか。

 

(written 2021.7.8)

2021/07/08

自分の世界をみつけたアントニオ・ザンブージョ 〜『声とギター』

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(3 min read)

 

Antonio Zambujo / Voz E Violão

https://open.spotify.com/album/0MLMjoAgCLerOLw3nxPe9M?si=4TKmfpVVR8-KEQXFlM_q-A&dl_branch=1

 

もとからファド歌手でもないようなつぶやきヴォーカルのアントニオ・ザンブージョ(ポルトガル)ですからぁ、声とギターだけでジョアン・ジルベルトを意識したような作品をつくるのは自然な流れというか時間の問題ではありました。

 

そう、このアントニオの九作目にあたる新アルバム『Voz E Violão』(2021)は、ジョアンを意識したアルバム題どおり、基本、声とギターだけの弾き語り作品なんですよね。そ〜れが、かなりいい!ぼくはおおいに気に入りましたね。特に冒頭三曲あたりでのあっさりさっぱりしたテイストは、なかなかほかの歌手では得がたい味だと思います。

 

1曲目なんかでも、このさわやかなメロディの動きをこうしてみずからの弾くギター伴奏だけでさらりと歌ってみせるアントニオの妙技に、なんとも感心します。1曲目はちょっと涼感すらあるこのさわやかさっぱり風味、どんなジャンルの歌手でもなかなかここまで味わい深く歌えるものじゃないですよ。

 

そういう心地よさが3曲目あたりまで続くんですけど、軽みっていうかあっさりテイストは、近年世界のヴォーカル界で主流になってきているんじゃないかとぼくにはみえていて、アントニオのこうした歌いかたもそんな時代の潮流にうまく乗っているなと思えます。日本の演歌界なんかでも「こんなのは演歌じゃねえ!」と言われたりする若手歌手が大勢いたりしますが、時代の変化に旧体質な聴き手がついてこれていないだけ。

 

ボサ・ノーヴァ、フィーリン的なふわっとした軽快な、クールで感情の抑制の効いたヴォーカル表現が、世界で主流となってきているいま、ポルトガルでアントニオがこういう歌いかたをして、こうしたジョアン・ジルベルト的なアルバムをリリースすることだって、必然的な帰結だと思えます。

 

フィーリンといえば、このアルバムには8曲目にキューバのフランク・ドミンゲスの「Tu Me Acostumbtaste」があるわけですが、これなんか、ホントにアントニオの資質にぴったり合致していて、最高ですよね。このやわらかいソフトでクールなヴォーカル、これこそこの歌手の持ち味で、それを活かせるレパートリーを歌ったなと実感できます。

 

MPB的というか、カエターノ・ヴェローゾの10曲目「Como 2 E 2」なんかもピッタリ似合っているし、またたぶん一部のみなさんはウゲ〜と感じるかもしれない7「モナ・リーサ」もぼくには心地いい。

 

ナット・キング・コールのヴァージョンが好きだから、っていうのもありますが、それ以上にここでのアントニオの解釈は決して甘くない、フィーリングのコントロールの効いたさっぱりテイストで仕上げてあって、アルバム中前後と違和感なく聴こえ、全体の統一感を乱していないからですね。

 

(written 2021.7.7)

2021/07/07

やはり古典復興?〜 マリア・マルダー&チューバ・スキニー

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(4 min read)

 

Maria Muldaur, Tuba Skinny / Let’s Get Happy Together

https://open.spotify.com/album/5cmtkqiyePMgXLUr2CMDVK?si=35JoQKpCQbGHYevdkfjf0Q&dl_branch=1

 

2018年のアルバムがスケベさ全開で最高だったマリア・マルダーですが、2021年の最新作『レッツ・ゲット・ハッピー・トゥゲザー』では、エッチさはないものの、音楽的には完璧同一路線。ヴィンテージなオールド・ニュー・オーリンズ・ジャズのテイストなんですよね。

 

今作でマリアはチューバ・スキニーと共演。チューバ・スキニーはニュー・オーリンズに拠点を置き、同地の1920年代ふうなヴィンテージ・ジャズを演奏している2009年結成の若手バンド。マリア・マルダーとの今共演では、コルネット、クラリネット、トロンボーン、チューバ、バンジョー、ギター、ウォッシュボードという編成でやっているみたいですね。

 

マリア・マルダー自身1960年代のジム・クウェスキン・ジャグ・バンドなどで熱心に追求していたグッド・オールド・ミュージックを、21世紀にイキイキとやっているこのチューバ・スキニーを知ったのは、ウッドストックの行きつけの洋服屋さんのBGMでかかっていたというほんの軽い偶然だったみたいですけど、興奮してみずから共演を申し出たそうですよ。

 

それで誕生したのがアルバム『レッツ・ゲット・ハッピー・トゥゲザー』というわけ。このアルバム・タイトル曲はリル・ハーディン・アームストロングの曲ですよね。そのほか、このアルバムに収録されているのはどれも1920〜40年代の過去の古いジャズ・ナンバーばかり。デューク・エリントンの「デルタ・バウンド」やビリー・ホリデイが歌った「ヒー・エイント・ガット・リズム」などは知名度があるんじゃないでしょうか。

 

それがまるで2021年に生まれたばかりの曲のようにナマナマしく響くんだから、マリアの情熱もさることながら、今回はチューバ・スキニーの技量に驚くばかりです。収録曲はどれもオリジナルか有名なヴァージョンで演奏されていたアレンジメントをほぼそのまま採用し、それでもたんなる過去の再現に終わらせていないといったあたりにこのバンドの本領がありそうです。

 

音楽的には2020年代的な新しさなんかどこにもないわけですけど、こういったグッド・オールド・ミュージック、古典ジャズは近年ちょっぴり復興しつつあるというか、ブームとまでは言えないまでも、21世紀に入ったあたりから、とりあげて演奏するバンドが増えつつあるんじゃないかとぼくにはみえています。

 

スクィーレル・ナット・ジッパーズ、ジャネット・クライン(は最近どうしているの?)、ダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズなど、かなりみごとな成果を聴かせる音楽家もどんどん出てきているし、こりゃちょっと注目すべき動きかもしれないですね。それよりなにより40年前から(SP時代の)ヴィンテージ・ジャズを愛好してきたぼくにはうれしいことこの上なく。

 

ジャズ、っていうか音楽って、いや文化全般そんなもんかな、おもしろくて、新しい傾向というか時代の新潮流がブームみたいになると、必ず同時並行的に過去のものがリヴァイヴァルするという動きを見せてきました。1940年代のビ・バップ勃興・全盛期にもニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルがあったじゃないですか。

 

いままた、2010年代以後かな、やはりジャズは新しい時代の波に洗われるようになっていますけど、それとちょうどときを同じくして、こういったグッド・オールド・ミュージックがふたたび復興してきているようにみえるのは、歴史の必然かもしれませんよね。

 

チューバ・スキニーもまたそういった動きに乗ったバンドのひとつで、ちょうどそれに1960年代以来のマリア・マルダーの志向がぴったり合致したということだと思います。なにより、聴けば文句なしに楽しいし、踊れるし。ほんとうに楽しそうな共演コンサートの模様がYouTubeに上がっていたのでご紹介しておきます↓

https://www.youtube.com/watch?v=Bm0yUQf5Gms

 

(written 2021.7.6)

2021/07/06

コクのある声とデリケートなサウンド・メイク 〜 ミリ・ロボ『Caldera Preta』

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(3 min read)

 

Mirri Lobo / Caldera Preta

https://open.spotify.com/album/4zCbK5C2zviUoEmYrttPyu?si=stNz1z6BTsG4ovUw5cTRag

 

『Salgadim』(2019)でミリ・ロボのバラードにとろけたついでに、紹介してくださったbunboniさんは聴いていないという2010年の『Caldera Preta』、Spotifyにあったので、ちょっと聴いてみました。

 

そうしたらこっちもすばらしいじゃないですか。 『Salgadim』では(特にバラード系で)完璧ノック・アウトされちゃたぼくですけど、その世界がすでにできあがっています。バラードだけでなくそのほかもふくめ、この『Caldera Preta』もたいへんすばらしいアルバムですよね。

 

『Salgadim』では消えちゃっている、『Caldera Preta』ならではの音楽的特徴というと、冒頭三曲で聴ける西アフリカ風味です。バラフォンを使ったりコラを使ったり(どっちもサンプリングかもだけど)して、曲調もなんだかマンデ・ポップっぽいニュアンスをかすかに持たせたりしつつ、それをカーボ・ヴェルデ・ポップのなかに隠し味としてうまく流し込んでいます。

 

そのおかげでミリ・ロボのこの音楽に幅が出てきているんですね。ミリというよりサウンド・プロデューサーの功績でしょうけど、だれがやったんでしょうかねえ。アコーディオンが聴こえるのはカーボ・ヴェルデ音楽ではあたりまえですが、西アフリカっぽい曲のテイストのなかにアコが混じることで、えもいわれぬ香味をかもしだしています。

 

4曲目以後は、完璧『Salgadim』の予告編ともいうべき官能の世界。色と艶、コクのあるまろやかな味わいなど、ミリ・ロボのヴォーカルだってすでに100%円熟しているし、言うことなしですね。アルバム・タイトル曲の4「Caldera Preta」は、これまた必殺のセクシー・バラード。ギターのサウンドだけに乗ってしっとりとつづりはじめるミリ・ロボのヴォーカルに身がよじれます。

 

こういうのは『Salgadim』にあった「Mas Un Amor」と完璧同一路線ですから、あるいはこの2010年作もキム・アルヴェスの仕事なのかもしれません。出だし1コーラス目のAメロはギター伴奏だけで歌い、サビから伴奏が控えめに入ってきてグンと雰囲気を昂めるあたりの演出も、同じやりかたですけどなかなかニクイですね。

 

もちろんフナナーやコラデイラ系のビートの効いた曲群もすばらしく、ていねいにつくりこまれたサウンドの上で余裕を持ちながら軽く歌っているかのようなミリ・ロボのこの、年輪を重ねたがゆえに出せているのであろうコクのあるまろやかな味わいに降参してしまいます。デリケートなサウンド・メイクも絶品。

 

(written 2021.3.19)

2021/07/05

バラードにとろける 〜 ミリ・ロボに抱かれたい

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(3 min read)

 

Mirri Lobo / Salgadim

https://open.spotify.com/album/6Iv5cxjY7aFKzkYf8Rh0Kb?si=a2Y5JZ-dR7GLOHUzv0us9Q

 

bunboniさんに教えていただきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-01-24

 

カーボ・ヴェルデの歌手ミリ・ロボ。ひさびさのリリース作品であるらしい『Salgadim』(2019)にとろけてしまいました。特にバラード系。あまりにも甘く、セクシーで、そして美しい。四曲ほどありますが、どれも甘美で、サウンド・プロダクションもみごとなら、ミリ・ロボの声がもうなんといってもすばらしすぎる。

 

特に3曲目の「Mas Un Amor」なんかもう、うんこれはbunboniさんも指摘されていますけど、あまりにもとろけるできばえで、もうなんといったらいいか、ミリ・ロボに抱かれたい、と思えるほどのスウィートさです。文字どおり悶絶。

 

しかもこの「Mas Un Amor」は、一種のラテン・ボレーロですよね。いやもちろんモルナなんですけど、このチャカチャカっていう8ビート・リズムの刻み、パーカッションの使いかた、ミュート・トランペットの入りかた、全体的な曲調などなど、たまらないセンティミエント。ラテン・ボレーロのデリケートさ満点のセクシーな甘美さがきわだっています。う〜ん、も〜う、たまらん!

 

しかも歌っているミリ・ロボの声がですね、こりゃまた艶があって甘いんですよ。年輪と経験を重ねていっそう円熟したということでしょうけど、まろやかでコクのある丸い味わいが声そのものに宿っていて、3「Mas Un Amor」はギター・イントロに続きミリが歌いだした瞬間のそのワン・フレーズ「♩じゃなしぇ〜、まじゅあも〜♪」だけでカラダが溶けていきそうですよ。まるで敏感な部分にそっと優しくキスされているかのような気分。完璧だ。ミリ、抱いて!

 

そのほか三曲ほどあるどのバラードも、悶絶必至。モルナであり、重ねてラテン・ボレーロを香らせながら、聴き手の心を溶かしてしまいます。いやあ、こんな歌手がいたんだなあ。いままでミリ・ロボの存在を知らずにきましたけど、こんな甘美な声でこんなそっとデリケートに触れられるように歌える男性歌手がカーボ・ヴェルデにいたんですねえ。

 

バラード系ばかりくりかえし聴いてしまいますが、こんな声でこんなふうにバラードをスウィート&セクシーに歌われたら、全員がやられてしまいますって。こんなふうに口説かれたい、抱かれたい、抱かれながらささやかれたい、と思えるミリ・ロボのバラード・ヴォーカルなのでした。声や息づかいの細かなひとつひとつにまで色気を感じてしまいます。あぁ…。

 

(written 2021.3.18)

2021/07/04

1970年のオリジナルよりずっといいぞ 〜 デイヴ・メイスン『アローン・トゥゲザー・アゲン』

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(5 min read)

 

Dave Mason / Alone Together Again

https://open.spotify.com/album/28miGPL8xfMX9lvNq7dTen?si=dKbmsTqwSXeEZas3UJ_F9w

 

UKロッカー、デイヴ・メイスン1970年の名作『アローン・トゥゲザー』。このブログでも以前とりあげて書いたファースト・ソロだったわけですが、なんとびっくり昨年本人がこれをそっくりそのまま再録音した新作『アローン・トゥゲザー・アゲン』(2020)というものを出してくれました。

 

1970年オリジナルのジャケットはこれ↓

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曲目も曲順もすべてピッタリ同一にしたもので(曲題はちょっぴりいじっているものもあり)、ちょうど半世紀、50年後の<再現>というわけです。公式サイトに書かれてあるメイスン自身のことばによれば、第一作というものはその音楽家を物語っているものであるが、自分もそう、いまだに『アローン・トゥゲザー』を愛しているし、そこから多大なインスピレイションをやはり得ていると。

 

それから、ユニヴァーサルの倉庫火災でオリジナル・テープが消失してしまったことは本人にとっても大きな悲しみだったようです。昨年初春来のコロナ禍も過去の自己を見つめるいい機会だったかもしれません。それらさまざまな理由で『アローン・トゥゲザー』にもういっぺんとりくんでみようとなったんでしょうね。

 

1970年のオリジナルはUKスワンプ・ロックの名作だったわけで(しかし個人的にはあまりそれを強く感じませんが)すけれども、個人的印象からしたら今回の『アゲン』のほうがずっと好きですね。大幅にヴァージョン・アップしたように思え、名作とされる70年のオリジナルを超えた秀作に仕上がったんじゃないでしょうか。

 

メリハリがかなりしっかり効くようになっているし、サウンドの輪郭が鮮明になっています。収録の八曲、すべて70年にやったのと同じものですが、演奏者も違えばアレンジも新しくなっているということで、特にドラムスとエレキ・ギターのサウンドが大幅に更新されていますよねえ。キラキラしているし、それに引っ張られて高齢のはずのメイスンのヴォーカルだって若々しく響きます。女性コーラスもいい感じだなあ。

 

70年のオリジナルはちょっと曖昧模糊としているっていうか、モコモコした印象のサウンドだったと記憶しているんですけど、それはあの時代のスワンプ・ロック全般に共通する特色でした。フィル・スペクター流ウォール・オヴ・サウンドの影響もまだ強かった時期で、ヴェールにつつまれているかのようなボワ〜っとした音像もあの時代のロック・サウンドでしたよね。

 

今回の『アゲン』ではそういった霧が晴れて視界鮮明になったなと、クリア・サウンドになってずいぶん聴きやすくなったなと、そう思うんです。音がクッキリしているというか、もちろん録音テクノロジーの進歩といったことも理由の一つでしょうけど、やりなおした結果、音響面だけでなく音楽的にも整理され、グンと印象がアップしているんじゃないですか。

 

かなり違った音楽に変貌した曲もあります。特に5曲目「ワールド・イン・チェインジズ」とラスト8曲目「ルック・アット・ミー・ルック・アット・ユー」。今回はどっちもレゲエ/ダブふうな処理がはっきり聴きとれるのが新鮮です。オリジナルは70年ですからロック界にまだレゲエが流入していなかった時期。大胆にアレンジを変えましたよね。

 

特に8曲目「ルック・アット・ミー・ルック・アット・ユー」では、全9分間の約半分までは通常のロック・ナンバーで、中盤でちょっと演奏がテンポ・ダウンして止まりかけたあたりからパッと風景が変貌、突如レゲエ・リズムに変化してダブふうな音像処理が入ります。ブルーズ・ロックふうでサイケデリックな長尺ギター・ソロも活躍し、かなり聴かせます。

 

(written 2021.4.10)

2021/07/03

定番サンプリング・ネタの宝庫 〜 ルー・ドナルドスン『ホット・ドッグ』

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(4 min read)

 

Lou Donaldson / Hot Dog

https://open.spotify.com/album/4aULzS9CvDJnoX7gz5hCTv?si=gYaZdLsJT06riVI5fioG7g

 

なにかというとルー・ドナルドスンのファンキーなソウル・ジャズ路線のアルバムの話ばかりしている気がしないでもないですが、すみません、きょうもそれです。1969年の『ホット・ドッグ』。もちろんブルー・ノートから発売されたアルバムで、1990年代にはレア・グルーヴ界隈でもてはやされたそうです。

 

ルー+エド・ウィリアムズ(トランペット)のホーンズに、チャールズ・アーランド(オルガン)、メルヴィン・スパークス(ギター)、レオ・モリス(ドラムス)のリズム・セクション。ルーはいちおうヴァリトーン(Varitone)の電化サックスを吹いていることになっていますが、聴いた感じそれはわからないですね。

 

いきなりジョニー・テイラーのヒット曲「フーズ・メイキング・ラヴ」のカヴァーで幕開け。う〜ん、ファンキー。こういうジャズが大好きな向きにはたまらない一曲でしょう。これと、アルバム・ラストの5曲目アイズリー・ブラザーズのカヴァー「イッツ・ユア・シング」は、ヒップ・ホップDJにとっては定番らしく、サンプリングされまくっているみたい。だぁ〜って、グルーヴィですもんねえ。

 

ところで、1「フーズ・メイキング・ラヴ」ではルーはサックスを吹かずヴォーカルだけ。演奏はオルガン・トリオに任せてあって、トランペットも入らず。グルーヴだけでノセようっていう意図がよくわかりますよね。アルバムのその後の曲ではジャジーな展開もみせますが、基本、グルーヴ一本でのノリ命でやっているのというのは一貫しています。

 

2曲目以後、目立つのはメルヴィン・スパークスのギターとレオ・モリスのドラミング、特にメルヴィンですね。カァ〜ッコイイですよねえ。シングル・トーンで細かいフレーズをファンキー&グルーヴィに弾きまくるさまにはほんとうに感心します。以前も書いたけど、大好きなギターリストなんですよね。グラント・グリーンと同系統ですが、グラント以上、と思える瞬間があります。

 

3曲目「ボニー」(トミー・タレンタイン)だけがアルバムで唯一のバラードで、しかもメロウ。バラードでメロウ&スウィートになっていくというのもソウル・マナーじゃないでしょうか。1969年の録音だけど、ジャズ界でもそんな傾向があったんですね。このメロウ・バラードではルーが雰囲気満点にアルトを吹いています。

 

4曲目のアルバム・タイトル曲「ホット・ドッグ」。ルー自作のソウル・ジャズ・ナンバーですが、テーマ・メロディにちょっとひょうきんな味わいもかぎとれるあたりだって楽しいですね。ソロまわしになると、管楽器二人のソロよりも、やはりギターとオルガンのほうが聴かせるグルーヴィな内容なのが目立ちます。演奏時間が長いので、たっぷり味わえるのもいいですね。

 

アルバム・ラスト5曲目の「イッツ・ユア・ソング」は、上で書きましたようにアイズリー・ブラザーズのカヴァー。そのグルーヴィさを残しつつ、ややレイジーな雰囲気になっているあたりがまた違ったグルーヴを産んでいます。ここでもテーマを演奏するのはホーン陣ではなくオルガン。いちおうオブリガート・リフを吹いてはいますけどね。そのままオルガン・ソロになります。メルヴィンのギターがやっぱりいいですね。

 

(written 2021.3.11)

2021/07/02

オールディーズへの眼差し 〜 パール・チャールズ

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(3 min read)

 

Pearl Charles / Magic Mirror

https://open.spotify.com/album/2SCEZjr0rIXfh4EfDmkpqI?si=S1OBwlPdTq2u_jBVw9QQpQ

 

萩原健太さんにご紹介いただきました。
https://kenta45rpm.com/2021/01/19/magic-mirror-pearl-charles/

 

パール・チャールズは米ロス・アンジェルスのシンガー・ソングライター。カントリー・ポップとかコズミック・カントリー界の人物といままで評されてきたみたいですけど、新作『マジック・ミラー』(2021)はちょっと違いますよね。

 

それは1曲目を聴いただけでもわかります。いきなりもろABBAっぽいディスコ調ですから。この曲は完璧なるレトロ・ディスコ・ムード炸裂で、これ、どうしたんでしょうねえ。でもこういったのはアルバム中これだけで、ほかにディスコっぽいものはありません。でもカントリー色だって大幅に後退していて、もっとこう、ちょっとソウルフルな味がにじみ出るマイルドなポップ・チューンがずらり。

 

パール自身が書いている曲のメロディ・ラインがかなりヴィンテージ風味というか、1960年代後半〜70年代前半あたりの、AMソフト・ロックっぽい感触を強く匂わせているあたりに、ぼくみたいなオールド・ポップス・ファンは惹かれるところなんですね。

 

そのへん、実はディスコ・ナンバーである1曲目でもにじみ出ていて、特にサビの、半音階で動くラインなんかは完璧ヴィンテージ・ポップス調で、ニヤリとします。なんだかどこかで聴いたことあるぞっていう既視感を強くただよわせながら、オジサンの心をつかんでしまいます。こんなひとだっけなあ、パール・チャールズって。

 

7曲目「オール・ザ・ウェイ」なんかも、完璧オールディーズ路線炸裂。なんですか、このAメロの動きかたは。若手シンガー・ソングライターが2021年に発表した新曲だとは到底思えないレトロさ加減じゃないですか。言い換えれば古くさい。この7曲目はそれだけじゃなくて、全体的に中高年にはグッとくるタイプの曲です。

 

9「スウィート・サンシャイン・ワイン」だってそうだし(曲題がそもそもねえ)、アルバム全体にオールディーズへのしっかりした眼差しがあって、それでもやっぱりスライド・ギターが聴こえるカントリーっぽい曲もあるんですけど、新しくリリースされるポップ・ミュージックが自分にはシックリこなくなったなぁ〜とお嘆きの中高年音楽リスナーにはピッタリですよ。

 

こういったヴィンテージ風味というかレトロ・ポップス・テイストが2020年代のひとつの流れなのか、それとも健太さん自身がそういった年齢と趣味だから見つけてくるのがうまいだけなのかは、ぼくにはわかりません。

 

(written 2021.3.10)

2021/07/01

ぼくをつくった九枚

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(6 min read)

 

・山本リンダ / どうにもとまらない (1972)
・Led Zeppelin / Physical Graffiti (1975)
・Billy Joel / 52nd Street (1978)
・The Modern Jazz Quartet / Django (1956)
・Louis Armstrong / Satchmo 1925-1927 (1980)
・James Brown / Live At The Apollo Vol. II (1968)
・King Sunny Ade / Synchro System (1983)
・Salif Keita / Soro (1987)
・Caetano Veloso / Fina Estampa (1994)

(出会った順に並べました、カッコ内の数字はリリース年)

 

あちこちの音楽系ブログとかサイトとか見ていると、ときどき「自分を構成する10枚」みたいな記事が載っていることがあります。ちょっとおもしろいんじゃないかとぼくも真似してみることにしました。

 

自分を形成した、構成する、血肉になった、ということですから、音楽好きになったきっかけとか初期に嗜好を決定づけた作品たちということです。そういう観点から、うん、ぜんぶは思い出せていないと思いますが、だいたいこんなもんでしょう。

 

画像を上のように正方形にタイルしたかったので、10枚ではなく9枚。といっても二枚組が複数ありますので枚数で言うのはちょっとあれですけど。

 

・山本リンダ「どうにもとまらない」(1972)

 ハジレコ。10歳でしたのでセクシー系云々はわからず。それより激しいラテン・ダンス・ビートの楽しさをこれで憶え、その後生涯にわたるアフロ・キューバン好きっていう趣味を幼少時に決定づけました。ラテン・ミュージックが世界中に波及していることを知ったのはこのだいぶあとですが、小学生のころからそのことを無意識裡にカラダで憶えたのです。
https://open.spotify.com/track/41MccGiifvAeNrZ9CAgzcB?si=d38ba76221964ac1

 

・レッド・ツェッペリン『フィジカル・グラフィティ』(1975)

 狂熱のリンダ体験のあとしばらく歌謡曲や演歌の世界をテレビの歌番組で味わっていたぼくが、高校生になってはじめてレコード・ショップで買った洋楽がこれ。ブルーズ好きになったのは完全にツェッペリンのおかげです。アラブな「カシミール」などワールド・ミュージック志向もあって、案外のちのちまで影響をおよぼしていたかも。
https://open.spotify.com/album/1lZahjeu4AhPkg9JARZr5F?si=uRoKPfacTMy9XlMu6AWJpw

 

・ビリー・ジョエル『ニューヨーク52番街』(1978)

 都会的でおしゃれに洗練されたシティ・ポップ好きはこのころから。時代はちょうどフュージョン全盛期で、この作品もそんな色彩が濃いです。まだジャズにハマる前でしたから、フレディ・ハバードもマイク・マイニエリもこれで初めて知りました。ジャズ好きの血を地下で養ったアルバムでしたね。
https://open.spotify.com/album/1HmCO8VK98AU6EXPOjGYyI?si=EE0e41HZTEqms-hsLHCZ7w

 

・モダン・ジャズ・カルテット『ジャンゴ』(1956)

 聴いていたのは1曲目のタイトル曲だけですが、植草甚一さんの手引きでこれに出会わなかったらジャズ・ファンになることもなかったはずで、ジャズ・ファンにならなかったら音楽狂いになることもなく、現在までまったく違った人生を歩んでいたはず。まさしくぼくを決めた一曲。
https://open.spotify.com/album/6f7NUwHcqKOtROS8JippAp?si=rnIfFlvIT3-dTN7xW4iYVg&dl_branch=1

 

・ルイ・アームストロング『サッチモ 1925-1927』(1980)

 CDにはなっていない、調べてみたら80年リリースだったレコード。もっと前に発売されていたように思い込んでいました。戦前のSP時代のヴィンテージ・ジャズ(やブルーズ)好きっていう趣味を形成したもので、そりゃあもうこれでもかと聴きに聴き込んだものです。特にB面の「ワイルド・マン・ブルーズ」「ポテト・ヘッド・ブルーズ」あたりなんて至高の宝石に思えましたよ。孤独だったけど。
https://open.spotify.com/playlist/1tjvR2nS8x09B5AfiYNPlg?si=4d0edb60c1364b40

 

・ジェイムズ・ブラウン『ライヴ・アット・ジ・アポロ Vol. II』(1968)

 このライヴが行われた当時がジェイムズ・ブラウンの全盛期だったでしょう。現在に至るブラック・ファンク愛好、グルーヴ重視型志向はここから。一枚目B面の「ゼア・ワズ・ア・タイム」〜「コールド・スウェット」あたりのメドレーは、鳥肌が立つ思いで聴いたもんです。
https://open.spotify.com/album/3jbnkGDaYChChu5Cs8LEvD?si=JgkYBTG8QkiEisqnOTiuJw

 

・キング・サニー・アデ『シンクロ・システム』(1983)

 上京したばかり23歳のとき深夜の一室で聴いていたFM番組から流れてきた謎のグルーヴ。背筋に電流が走りました。それがサニー・アデの「シンクロ・フィーリングズ 〜イラコ」。おそらく人生で初めて聴いたアフリカン・ポリリズム。ワールド・ミュージック人生がその瞬間はじまりました。MJQ「ジャンゴ」にならぶ人生二大衝撃。
https://www.youtube.com/watch?v=X4MPOo0bwf4

 

・サリフ・ケイタ『ソロ』(1987)

 ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンなどもふくめ強靭な咆哮系ヴォーカルをこれで代表させておきます。と同時に柔軟でしなやかな躯体の躍動も想像させるバネの効いた音楽で、このころから数年間のサリフやユッスー・ンドゥールらは、世界と日本におけるブームを牽引していましたよねえ。
https://open.spotify.com/album/62DPGNE8CtgV8OKT8BUzZG?si=qeXTtgGsQCGRszdtvX9bQw

 

・カエターノ・ヴェローゾ『粋な男』(1994)

 根っからのラテン・ミュージック好きっていう傾向をこのフィーリン・アルバムで。そしてブラジル人。どんな分野でも、感情の抑制が効いたソフトでクールでおだやかな表現を最近好むようになっているのは、意外とこのあたりが早い出発点だったのかもしれません。
https://open.spotify.com/album/6fBP4q8gYKo4LU9V6zVT3i?si=zcnptkCDTuinWTXp0SScjA

 

(written 2021.4.9)

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