ヒル・カントリー・ブルーズの流行とはなんだったのか
(9 min read)
v.a. / Hill Country Blues
https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DX5e4G40ZHZd6?si=dc4b757174c74cee
故R. L. バーンサイドがカヴァーを飾っているこの「ヒル・カントリー・ブルーズ」Spotifyプレイリスト、六月末ごろに突如出現したものです。七月にはRLの孫にしてバンド・メンバーでもあったセドリック・バーンサイドが新作アルバムを出したばかりで、めでたいですね。
といっても、ミシシッピ北部のヒル・カントリー・ブルーズが、いまふたたび注目されるようになっているなんてこともないでしょうけど、いまやブルーズ・エヴァーグリーンのひとつであるとも言えるというわけだから、それでSpotify公式がプレイリストを編んだんでしょう。
ぼくがこれを知ったのはファット・ポッサム・レコーズの公式Twitterアカウントが紹介していたから。そう、ファット・ポッサム、1990年代から21世紀初頭、北部ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズはぜんぶこのレーベルから発売されるのをCDで買って聴いていたんでした。
ファット・ポッサムはミシシッピ州の田舎町オックスフォードの会社で、1992年設立。それで、この地のカントリー・ブルーズが注目されるようになったのは、そのことと、それから同年、音楽評論家のロバート・パーマーがドキュメンタリー映画『ディープ・ブルーズ』を製作したことが大きなきっかけでしたよね。
映画『ディープ・ブルーズ』には、R. L. バーンサイドやジュニア・キンブロウといったファット・ポッサムを代表するヒル・カントリー・ブルーズ・ミュージシャンたちが出演していたので、それでアメリカでも初めてこの地のドロドロしたエグ味のあるワン・グルーヴ・ブルーズに触れたというファンが多かったはず。
そういえばロバート・パーマーは最初ファット・ポッサムでのアルバム・プロデュースにもかかわっていたのでしたよねえ。CDパッケージ裏に名前のクレジットがよくみつかっていました。ぼくはそんなCDを渋谷警察署裏時代のサムズ(レコード・ショップ)で、自分で見つけたり、どんどん買うので顔を憶えられ、ある時期以後はお店のかたから「こんなの出ましたよ」と推薦されたりで、ファット・ポッサム・リリースのヒル・カントリー・ブルーズの新作CDを、そりゃあもう山ほど買っていました。『ディープ・ブルーズ』VHSもサムズで買いました。
1995年になると個人的にパソコン通信をはじめて音楽系会議室に入りびたるようになり、どんどん次から次へとそうしたアルバムをすすめまくるもんだから、部屋のみんなから「ファット・ポッサムの伝道師」などとからかわれるようになったりも。いまとなっては笑い話ですが、当時は真剣にこれが新時代の新感覚ブルーズだ、ニュー・ミュージックだと信じて熱中していたんですからね。
しかし考えてみたら、1990年代にファット・ポッサムからリリースされたヒル・カントリー・ブルーズを、あの当時の新時代新感覚ブルーズと呼んだばあい、そこには大きなアンビヴァレンスが混じり込むように思います。というのも、ああいったヒル・カントリー・ブルーズは、現地コミュニティ内でむかしから連綿と続いてきているブルーズ伝統をそのまま維持しているだけにすぎないんですよね。新しい音楽なんかじゃない。
ああいったブルーズは地域のなかでのみ楽しまれてきていたもので、マーケットに色目を使うことも、ブラック・ミュージックのトレンドに神経をとがらせることもなく、気になる曲がラジオから流れればそれを取りあげるといった程度で、ヒル・カントリーの内部で発酵を続けていたブルーズだったんですよ。それこそ数十年間にもわたり。
つまり、ファット・ポッサムが録音したのは、時代の流れとはまったく別のところにあるブルーズだったんですけれども、CD発売され世間で知られるようになるや、バーンサイドをはじめ一躍世界で人気が出て、時代の寵児ともてはやされた…はおおげさにしろ、来日公演までやったんですからね、コミュニティ外に大拡散したというのは事実です。
ここにアンビヴァレンスがあります。自分たちはミシシッピ北部の田舎町の内部だけでただずっと演奏活動を続けていただけ、土地のむかしのままのブルーズの姿を維持していただけなのに、それが、たしかに新録であるとはいえ、CDになるや時代のヒットとなって、売れまくるようになり、あたかも最新傾向の、新感覚の、ニュー・ブルーズであるぞよと持てはやされたわけですからね。伝統民俗音楽とはみなされなかった。
この相反する事実の意味をじっくり考えなおしてみると、やはり1990年代的な最新時代感覚に、むかしながらのヒル・カントリー・ブルーズがぴったりフィットしたからこそだった、という結論にいたらざるをえません。
特にビート・メイク・センス。ファット・ポッサムが発売するヒル・カントリー・ブルーズは、だいたいどれもコード変化に乏しくて、多くがワン・コードの持続、そして決まった短いワン・フレーズを延々反復しながらダンサブルにやっています。あたかも催眠的というかヒプノティックなワン・グルーヴ・フィールがそこにはあるんですよね。
こうした音楽構築の手法は、ヒル・カントリー・ブルーズの連中は伝統的に身につけただけのものですが、ちょうど1990年代に爆発したヒップ・ホップのビート・メイクと瓜ふたつです。クラブ・ミュージック世代の感性にまさにピタッとくるもので、ヒップ・ホップのトラック・メイカーが印象的なワン・フレーズをサンプリングして定型化しループさせ、それでグルーヴを産んで踊らせる、そういったやりかたそのまんまじゃないですか。
だから、ヒップ・ホップの大流行があった1990年代、そのちょうど同じ時代にファット・ポッサムのヒル・カントリー・ブルーズもやはりもてはやされたのは、「同じ感覚」を表現していたからにほかならないんだなあと、あの当時からうっすらわかっていたかもしれませんが、いまになってふりかえると間違いなかったなとぼくみたいなぼんやりした人間でも理解できます。
そんなわけで、時代と共振したヒル・カントリー・ブルーズのミュージシャンたちと共演するヒップ・ホップ・ミュージシャンやクラブDJたちも続々出現し、共作アルバムも制作されていたし、シンプルなフレーズをノイジーかつラウドに響かせるギターは、ガレージ・ロックのミュージシャンたちとも高い親和を見せたので、たとえばジョン・スペンサー・ブルーズ・エクスプロージョンがバーンサイドとの共演作をつくったり、イギー・ポップがジュニア・キンブロウとツアーを行なったりしました。
2020年代にどれだけ訴求力があるかわからないヒル・カントリー・ブルーズ、いまでは細々と命脈を保っているというにすぎないように日本からは見えていますが、それはワールド・マーケットの前面に出てくる部分でそうであるだけで、ミシシッピ北部の黒人コミュニティ内部では、今夜もまたジューク・ジョイントでワン・グルーヴの渦に乗りながら、お客さんたちが踊っているんじゃないでしょうか。決して死んだ音楽なんかじゃないはずです。
1990年代のファット・ポッサムは、そうした産地直送のナマのブルーズをぼくたち日本のブラック・ミュージック・ファンにも届けてくれていたんです。
(written 2021.7.9)
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