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2021年8月

2021/08/31

マイルズのチック&キース同時起用時代

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(9 min read)

 

Miles Davis / Isle of Wight

https://open.spotify.com/album/7htBv9PDUO3dN6KrCLEyG5?si=2WpqvRTvRsu9va-SYYskGw&dl_branch=1

 

このSpotifyリンクは、マイルズ・デイヴィス・バンドが、1970年8月29日、イングランドのワイト島フェスティヴァルに出演した際のフル・パフォーマンス音源。現在ではこうやってサブスクで単独アルバムとして手軽に聴けるようになって、ありがたいかぎりです。

 

この『アイル・オヴ・ワイト』はですねえ、LPレコード時代はテオ・マセロが編集した短縮版「コール・イット・エニイシング」としてしかリリースされていなかったもので、もちろん編集済みであることはみんな知っていたんで、ノー・カット版を聴きたいと思えども叶わず、という状態が長年続いていました。

 

この世ではじめて『アイル・オヴ・ワイト』のフル・パフォーマンスが日の目を見たのは、CD音源としてではなく映像作品としてで、2004年リリースのDVD『マイルス・エレクトリック』の一部として収録されてだったという。前からくりかえしていますように、音楽が聴きにくいから映像はいらないぼくなんですけど、これはさすがに買いました。

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その後、CDでもその音源が収録されたものが出るようになって、といってもトータル約35分間ですからね、これだけだと短すぎるっていうんで、なにかほかのライヴ音源との 2in1 的抱き合わせというパターンばかり。サブスクだとこれだけ単独で聴けますけど、このへんはフィジカル・メディアに疑問を感じないでもありません。

 

ぼくの知るかぎり、マイルズのこの『アイル・オヴ・ワイト』だけを収録したという単独CDは一種しかありません。2009年リリースの『コンプリート・コロンビア・アルバム・コレクション』という71枚組だかのバカでかいボックス・セットに一枚それが入っていました。それだけ。そのためだけに買ったわけじゃありませんが。

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ところで、ワイト島フェス1970年8月29日のマイルズ・バンドは、記録に残っているかぎり、このバンドにおけるチック・コリアのラスト出演となったもの。ご存知のとおり、このときチックとキース・ジャレットのツイン鍵盤体制ですけれど、この後はキース一人になっていき、71年いっぱいまでそれが続きます。

 

チック・コリアがマイルズのもとに初参加したのは、1968年9月24日のスタジオ録音で「マドモワゼル・メイブリー」と「フルロン・ブルン」を録音したとき。しかしこの年はその前後マイルズ・バンドのライヴ記録がなく、チックがツアー・バンドのレギュラー・メンバーになったのがいつごろだったのか不明なんですね。

 

といいますのも、1968年9月にチックを起用して二曲を録音し(アルバム『キリマンジャロの娘』に収録されリアルタイム・リリースされた)たものの、すぐそのままマイルズのスタジオ・セッションはマルチ鍵盤奏者時代に突入するからです。

 

二ヶ月後の68年11月にはハービー・ハンコックとチックとの二名同時起用で録音していますし、同月数日後にはさらにジョー・ザヴィヌルをくわえてのトリプル体制となり、ちょっとづつメンツを交代させながら、こんな状態が70年暮れまで続きます(71年はスタジオ録音なし、ライヴだけ)。

 

ライヴ・ツアーは1969年はじめごろに再開されるようになったのが記録に残っていて、全米や欧州をまわり、そこからかなりの数のブートレグも発売されています。そこではもちろんすでに鍵盤のレギュラーはチックで、これがいわゆるロスト・クインテットとして知られるマイルズ69年バンドだったわけです。

 

スタジオではほとんどのばあいニ、三人の鍵盤奏者の同時起用を軸として、打楽器奏者なども拡充しながら常に大編成でセッションし結果を出していた1968年暮れ〜70年のマイルズですが、そのあいだ同時並行でやっていたライヴ・ツアーは少人数のレギュラー・バンドでやっていて、そのキモをチックが握っているという状態が続いていました。

 

ここにキース・ジャレットが参加し、ライヴをやるレギュラー・ツアー・バンドでもツイン鍵盤体制になったのがいつごろだったのか、やはり判然としないわけですが、記録が残っているかぎりでは、例の『マイルズ・アット・フィルモア』になった1970年6月17〜20日のフィルモア・イースト公演が最初。

 

スタジオ録音では同年5月19日の「ホンキー・トンク」(『ゲット・アップ・ウィズ・イット』収録)でキースを初起用していて、その後コンスタントにスタジオ・セッションに呼んで(チックやハービーらとの複数人体制で)起用していますから、そのときの好感触がマイルズにあって、レギュラー・バンドにどうか?と誘ったのかもしれません。違うかもしれません。なにもわかりません。客観的証拠がないんですから。

 

ともあれライヴをやるレギュラー・バンドでチックとキースのツイン鍵盤体制だったのは、記録でたどるかぎりでは1970年6月17日から同年8月29日まで。たったのニヶ月間ほどのことなんですね。しかしマイルズはこのチック&キースのツイン鍵盤サウンドをずいぶん気に入っていたみたいです。

 

後年、つまり1981年の復帰後は、過去をふりかえる昔話を隠さずどんどんするようになったマイルズですが(音楽的には75年の一時隠遁前からよく自己の過去音源を参照していて、下敷きにしてあたらしい音楽を産み出していた)、そんな回顧のなかでも、1958〜59年のジョン・コルトレイン&ジュリアン・キャノンボール・アダリー時代と、70年のこのツイン鍵盤時代のことは自慢していました。

 

以前からくりかえし書いていますが、マイルズ・デイヴィスという音楽家はオーケストラルな分厚いサウンド志向の強い人物で、だからギル・エヴァンズをあんなに重用したわけですし、サックス二本とか、鍵盤ニ台とか、ギター二本なんていう体制をレギュラー・バンドでもよく採用しました。

 

復帰後も、1983年のマイク・スターンとジョン・スコフィールドのツイン・ギター時代を経て、86〜90年にはロバート・アーヴィングとアダム・ホルツマンとか、そのほかメンツは折々変更されましたが同時二名のキーボード・シンセサイザー奏者をバンドで起用していました。

 

ライヴ・ツアーをやるレギュラー・バンドでツイン鍵盤(or ギター)体制をはじめて採用したのが、1970年夏のチック&キース時代であったということで、やはりおそらくスタジオ・セッションでオーケストラみたいに響く(のですごかったと1975年来日時のインタヴューでも語っていた、『アガルタ』ライナーノーツ収録)のをとても気に入って、ライヴでも再現したかったということだったんでしょうね。

 

そんなサウンドを、きょうはじめにご紹介した70年8月のワイト島フェスでのライヴ・パフォーマンスでも聴けますし、また6月のフィルモア4デイズ(はいまや完全版四枚組で発売されていてサブスクでも聴ける)なんかでもよくわかるんじゃないかと思います。

 

(written 2021.6.17)

2021/08/30

音楽家は音で勝負だ 〜 パトリシア・ブレナン

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(4 min read)

 

https://www.youtube.com/user/VibesBeyond

 

YouTubeでパトリシア・ブレナンのヴァイブラフォン(やマリンバ)演奏シーンを観ていると強く印象付けられることがあります。演奏内容は発売されているアルバム『Maquishti』録音の際のセッションそのままが多いんで新味はないですが、もっと違う部分、つまりパトリシアのルックスが印象に残るなということなんです。

 

きれいだとか美人だとかきらびやかだとかいう意味ではありません。まったくその逆で、パトリシアは外見をいっさい飾らない演奏家なんですよね。髪型もテキトーだし、フェイス・メイクなし、アクセサリー類はまったく着けず、服装だってシンプルな素っ気ないものです。

 

しかしそんな姿で奏でられるヴァイブラフォン・サウンドはこの上なく美しいんですよねえ。これはあれです、「音楽家は音で勝負だ」という透徹した姿勢の表れなんじゃないかとぼくは解釈していて、だからこそいっそうの好感を抱くんですよね。いさぎよいというか、ルッキズムを徹底排除したところに自身の音楽があるという覚悟でしょう。

 

性別問わず歌手や演奏家も、ライヴ・ステージなどで、あるいは動画撮影などする際も、ある程度はルックスを気にするもんじゃないでしょうか。顔のつくりじたいは変えようがないけどメイクでけっこう化けられるし、髪型や服装など気を遣って、それで見た目の印象がよくなるように配慮していると思います、ほぼ全員。

 

ところがパトリシアにはそういった部分がまったくなく。もちろんまだライヴ・ステージにナマで接したことはないんですけれども、YouTubeにもライヴ・シーンがちょっとだけ上がっているし、スタジオ・セッションの際の演奏シーンでも、こんだけまったく外見を飾らない演奏家って、かなりまれなのではないでしょうかねえ。

 

それゆえに、ちょっと人気が出にくいという面もあるかもしれません。ましてや女性ですしね。まだまだ世界ではルッキズムがある程度、いや、かなり、幅を利かせているというか、特に女性歌手、演奏家に対してはですね、かわいかったり美人がいいだとかきれいな衣装を着るべきだとか、さまざまに言われるじゃないですか。

 

しかしですね、真の勝負要素は演奏内容、音です。歌手なら声。それこそが音楽家の「命」ですよ、どんなサウンドを出せるかが。パトリシアはそこにこそ全力を傾注しているように、YouTube動画を観ていると感じるんです。音楽家として、徹底して音にだけ真摯に向き合おうっていう、そういう姿勢が鮮明に読みとれて、ぼくなんかは強い好印象を持ちますね。

 

もともとSpotifyで(CDやレコードはまだ買っていない)でできあがった音楽だけ聴いていたころから大ファンでしたけど、YouTubeで動画をいくつも観るようになってからは、こんな理由でもっとさらにファンになりました。音楽家はルックスじゃない、あくまで音で、音だけで、勝負するもんなんだという、そういうパトリシア・ブレナンの真面目な態度や信念が全開になっているように思えます。いいことですよねえ。

 

(written 2021.5.9)

2021/08/29

再生回数が少なくてもいい音楽はたくさんある 〜 ニーナ・ヴィルチ

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(3 min read)

 

Nina Wirtti / Joana de Tal

https://open.spotify.com/album/0Oivkm8f3O3YIIvPEJJr05?si=4FBcm_KhTiajNijwNuJeGw

 

ブラジル人歌手ニーナ・ヴィルチの『ジョアナ・ジ・タル』(2012)。もうホント大好きで、いまでもときどき聴くんですけど、それまでもずっと聴いていたころとの違いは、Spotifyアプリに再生回数が表示されるようになったこと(きのうも書いたけど今年四月から)。

 

するとですね、ニーナのこの『ジョアナ・ジ・タル』もかなり再生回数が少ないんですよ。各曲どれも1万回いってなくて、数千回程度。これ、2012年の作品で、Spotifyサービスが本格化したらすぐ入ったはずなのにねえ。

 

こんなにわかりやすくて、こんなに楽しくて、キュートでポップな音楽でも、その程度しか再生されないっていう、う〜ん、どうもやっぱりサンバ・ショーロってそれくらいしか聴くひといないのか…。ちょっと一回聴いてみればこの音楽のトリコになってしまうこと必定、と思うのはぼくだけ?

 

ブラジル音楽が一般的にさほどは聴かれないものなのか、ほかの例をあたっていないのでわかりませんが、でもついこないだ4月30日に解禁されたばかりのジョアン・ジルベルト『三月の水』をちょっと覗いてみたら、もうすでに数十万回も再生されている曲が多いじゃないですか。

 

これは知名度の差かなあ。ジョアンはボサ・ノーヴァの巨星で知らぬひとのない存在だけど、ニーナ・ヴィルチなんてねえ、知っているひとはかなり少ないんじゃないかと思いますから。音楽は圧倒的に楽しいんだけどなあ。どうして聴いてもらえないんだろうか。

 

Spotifyのデスクトップ・アプリが曲ごとの再生回数を表示するようになったのも良し悪しで、人気の指標になるから一定の判断ができるようにはなったとはいえるものの、一般のファンはそこまで考えませんからねえ、みんなが聴いているんならじゃあ自分もちょっと聴いてみようかな、くらいに軽く扱うひとが多いのかも。

 

すると、知名度があってどんどん聴かれる曲はますます聴かれ、人気のない音楽はそのまま低迷状態が続くっていう、そんなことになってしまうような気がします。再生回数が少ないけれど音楽的にはとてもいいんだよ、楽しい音楽なんだよって、もっと引っぱりあげるようなことをしないといけませんよね。ぼくもその一翼を担っているものと自覚して、どんどんオススメ、というかブログで書いていきたいと思います。

 

ただでさえ、世間一般的にはあまり聴かれない音楽ばかり掘っているのかもしれませんからね。お〜い、みんな、ここにグッド・ミュージックがあるぞ!と、ふだんから声を大にしているつもりですが、もっともっとどんどんやらないと。

 

(written 2021.5.9)

2021/08/28

パトリシア・ブレナン『Maquishti』の再生回数が少なすぎる

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(7 min read)

 

Patricia Brennan / Maquishti

https://open.spotify.com/album/52xnMW8ir7yfyuVzUSpeTZ?si=25Sngl5sT8uTKI_7JJ5Vyw

 

ヴァイブラフォン独奏によるパトリシア・ブレナンのデビュー作『Maquishti』がリリースされたのは2021年1月15日。ぼくが知ったのはそのちょっとあとになってCD入荷を告げるディスクユニオンのツイートがあった同月下旬ごろだったと思います。

 

で、Spotifyでさがしてみたらあったので聴いてみて、惚れ込んでしまい、そのままヘヴィ・ロテに。完全にトリコになってしまっているというか、(比喩じゃなく文字どおり)毎晩ベッドに入る前に必ず聴いています(した)。だから、もう100回以上は聴いたんじゃないですかね(記事執筆時点)。それほど心地いい。

 

これ、もちろんレコードもCDもあるんですけど、ぼくはSpotifyで聴いています。で、以前もなにかのときにちょろっと言いましたけど今年四月頭のデスクトップ用Spotifyアプリの大幅刷新で、各曲の再生回数が表示されるようになったんですね。それでパトリシアの『Maquishti』のことも見てみたら、っていうか必然的に目に入るわけですけど、これが発売後三ヶ月以上経過しているとは思えない少なさなんですよね。

 

曲ごとに集計されていますが、このアルバムでいちばん再生回数が多いのでも2曲目「Solar」の8万回(記事執筆時点)。少ないのになると万回に届いてなくて4千とか3千回程度しか再生されていません。こりゃ、いくらなんでも少なすぎじゃないのかなあ。そんなに聴くひといないのか、このアルバム。みんな、フィジカルで買ってんの?そうとも思えないけどねえ。

 

多くて8万回という再生回数がいかに少ないものなのか、それは人気のある有名音楽家の有名曲をみればわかります。ぼくがパッとすぐ思いつく範囲だと、たとえばビートルズとかプリンスとかマドンナとか。ちょっとSpotifyで覗いてみたら、たとえばビートルズの「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」あたりで3億回以上再生されているんです。

 

プリンスの「パープル・レイン」が約2億回。ローリング・ストーンズの「サティスファクション」が約4億回。デレク&ザ・ドミノズ(エリック・クラプトン)の「レイラ」が約2億回。レッド・ツェッペリンの「天国への階段」が約5億回。

 

このあたり、聴くひとはすでにほぼみんなCDなどのフィジカルで持っているだろうという音楽家のでもそれくらいのSpotify再生はあるもんなんです。サブスク・ネイティヴ世代ともなれば、たとえばビリー・アイリッシュの「バッド・ガイ」(2019)が17億回再生。

 

世間一般的に人気のないジャンルであろうジャズ分野だと、たとえば全ジャズ史上最人気アルバムとも言われるマイルズ・デイヴィスの『カインド・オヴ・ブルー』のうち、Spotifyで最も聴かれているのが3曲目の「ブルー・イン・グリーン」で1億回。アルバムのシグネチャー・ソングともいうべき1曲目の「ソー・ワット」が6千万回とあんがい少ないですけどね。

 

こんな具合ですから、いくら無名の新進音楽家のデビュー作で話題にもなっていないとはいえ、パトリシア・ブレナンの『Maquishti』はあまりにも聴かれなさすぎです。このアルバムに対する世間の関心はほんとうに低いんだな、まるで注目を集めていないし話題にもなっていない、どんなにいい音楽でも人気が出ないものは出ないんだということを痛感します。

 

そういった超マイナーな音楽家の、だれも話題にすらしていない、しかしすぐれた作品に、光を当て、耳目を集めるようにするのは、音楽マスコミ、音楽ジャーナリズムの仕事じゃないんですかね。その点でも日本語の音楽ライターたちはパトリシア・ブレナンにかんしサボっているとしか思えません。

 

たとえばGoogle検索で “Patricia Brenann” と入力してリターン・キーを押すと、相当数の英語記事が出ます。だから(主にたぶんアメリカの)英語ジャーナリズムはこのアルバムを高く評価して、それなりのレヴューをどんどんネット掲載しているんですよ。

 

ところがカタカナで「パトリシア・ブレナン」と入れて検索しても、ディスクユニオンなど通販サイト以外は、ぼくの書いた記事ともう一個、「サナコレ」っていうアマチュア音楽ブロガーのサイトしかヒットしないんですね。なんてこった!こんなことでいいのか!?

 

紙メディアのならすでにどなたか輸入盤で紹介しているかもしれないですが、おそらく期待できないでしょうねえ。つまりパトリシア・ブレナンのソロ・アルバム『Maquishti』、こんなにもすぐれた、こんなにも美しい音楽なのに、聴かれもしないければ(日本語圏では)まったく話題にもなっていないというわけで、なんとも嘆かわしい現状なんですね。

 

必ずしも人気が出るとはかぎらないところをぼくもどんどん掘っているのかもしれませんが、パトリシア同様に夢中になっているアヴィシャイ・コーエンの『Two Roses』だってSpotifyでみたら各曲とも数万回単位の再生しかなくて、それでもこっちはまだリリースされて一ヶ月も経過していませんからね(記事執筆時点)、こんなもんかもしれません。

 

もはやフィジカル売上よりも、サブスク・サービスでの再生回数による収益金分配が音楽産業の中心(総売上の八割以上)となったいま、それを上げるように音楽評論・ジャーナリズム業界も動かないといけないんじゃないですかね。パトリシア・ブレナンの『Maquishti』にかんしては、こんなにもすばらしい音楽なのに、そういった努力がまったく足りていません。

 

すばらしい音楽だ、ということを熱心に書くひとが、ぼく以外ほぼだれもいないんですから。

 

(written 2021.5.8)

2021/08/27

熱心なマイルズ・ファンというのは、どこにでもいるもんだ

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(5 min read)

 

Miles Davis - Complete Thursday Miles At Fillmore

https://www.youtube.com/watch?v=mPYjK7XVNUE&lc=Ugx0PkjGJBIR058SXMt4AaABAg.9Mc8gWCtPGZ9Mcp_jx2kiu

 

YouTubeにたくさんあげているマイルズ・デイヴィス関係のブートレグ音源。公式発売されていないものはこうやってみなさんとシェアするしかないのですが、たくさんコメントがついてにぎわっていて、うれしいかぎりです。

 

音楽の内容については、どんな感想を持とうと、どう感じようと、各人それぞれなのでどうとも思いません。音源にまつわる個人的な思い出話みたいなものを語ってくださるのも楽しく読んでいます。

 

しかし客観的事実関係にかんして、「これはこうだ!」と断定してあって、しかもそれが事実誤認なんじゃないかと思えるときは、やっぱり訂正しておいたほうがいいのかなと思うこともあるんですよね。

 

そういったことが以前からたまにあるんですが、こないだもですね、上でリンクした「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」にそんなコメントがつきました。これの10:00〜12:00は「ファラオズ・ダンス」であると断言する(英語の)かたが出現したのです。

 

いやいや、そんなことはないでしょうと。そこは1曲目「ディレクションズ」の終盤部で、バンドも例のリフというかベース・ヴァンプを反復しているし、それに乗ってボスもトランペットで「ディレクションズ」のテーマ・メロディを吹いているパートじゃないですか。

 

とコメントを返したら、いやいや、わたしは「ファラオズ・ダンス」が大好きで大好きで、もう何千回もくりかえし聴いている、だから一聴で速攻わかりましたよとおっしゃるんです。で、念のためと思い、『ビッチズ・ブルー』1曲目の「ファラオズ・ダンス」をじっくりと聴きなおしてみました。ぼくもこの曲、ファンですけどね。

 

そうしたら、やっぱり案の定みつかりませんよ。いったいどこが、「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」の10:00〜12:00のどこらへんが、「ファラオズ・ダンス」だというのでしょう?

 

そのかたは、時間があるときにどこがどうそうなのか、一度聴きかえして具体的に指摘してあげるっていうんで、じゃあお願いします、ぼくはわからなかったから、とコメントを返してから、もうずっとまったく音沙汰なし。そんなに忙しいかたなのでしょうか。やっぱり間違っていたと気がついてケツまくったのでは?という可能性もありますよね。

 

「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」の音源は上でリンクしておきましたので、この話に興味がおありのみなさんはちょっと覗いてみてください。1970年7月の水曜日から土曜日、四日連続でフィルモア・イーストにマイルズ・バンドが出演した際の木曜日分ノー・カット・フル音源です。

 

念のため、「ファラオズ・ダンス」はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=05leipH58jM

 

そして、「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」の1曲目になっている曲「ディレクションズ」(ジョー・ザヴィヌル作)のマイルズによるオリジナル・スタジオ録音↓
https://www.youtube.com/watch?v=GOGX6XF6bpg

 

なお、「ディレクションズ」には明快なテーマ演奏が冒頭にありますが、「ファラオズ・ダンス」にはそれがありません。冒頭からずっとインプロヴィゼイションで曲が進行し、そのなかに各人のソロもちりばめられています。唯一、16:38〜から演奏終了にかけて、マイルズが(ノリを変えながら)八回反復する同一メロディというかモチーフがあるのですが、それが「テーマ」だといえばそうかもしれません。

 

でもそれだって、「コンプリート・サーズデイ・マイルズ・アット・フィルモア」には一瞬たりとも、一片も、出てこないのです。

 

(written 2021.5.6)

2021/08/26

きょうはずっとストーンズばかり聴いている

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Charlie Watts (June 2, 1941 – August 24, 2021)

 

https://open.spotify.com/playlist/6adxCMc4HuaZj21ymUXK9d?si=60868f3b2a024d8c

 

The followings are my most favourite Chrlies Watts 5.

 

Sympathy For The Devil (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=GgnClrx8N2k

 

Honky Tonk Women (69)
https://www.youtube.com/watch?v=hqqkGxZ1_8I

 

Bitch (71)
https://www.youtube.com/watch?v=a4g8PxsG_j4

 

Just My Imagination (78)
https://www.youtube.com/watch?v=_FDlZPOLn0M

 

Dance (Pt. 1) (80)
https://www.youtube.com/watch?v=_g2jDc5jrIc

 

(2021.8.25)

2021/08/25

淡色系レバノン歌謡 〜 アビール・ネフメ

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(3 min read)

 

Abeer Nehme / Byeb’a Nas

https://open.spotify.com/album/75Kg82i925AgtrYJTqJyJU?si=NRrqAH4aQZuJXVpBUTJfyA&dl_branch=1

 

レバノン人歌手、アビール・ネフメ。以前bunboniさんが紹介していましたね。そこでとりあげられていたのは2018年作でしたが、Spotifyで見ると最新作『Byeb’a Nas』(2021)が聴けます。

 

こ〜れがまた、いいんですよねえ。アビールは1980年生まれですし、そこそこ活動してきていてアルバムもわりとありますから、若手という感じじゃないですね。中堅どころといったあたりでしょうか。同じレバノン歌謡では、数歳年下にヒバ・タワジがいますが、絢爛豪華で派手なヒバとは対照的な、地味で淡く歌う歌手です。

 

そういうのがアビールのばあいは好結果に結びついていますよね。あたたかみのある中音域がベースになっている堅実なアビールの歌唱法は、近年世界で主流になってきているスタイルの一環と言えましょう。曲のよさ、アレンジの秀逸さをそのまま活かせる歌唱法ということで、実際、この2021年作はかなり聴きごたえのあるいい曲が揃っています。

 

曲はアビール自身で書いているものもあるし、ウサマ・ラハバーニの曲なんかも混じっている模様。ぜんぶ新曲なんですかね。だれがプロデュースやオーケストレイションをやっているのかわかりませんが、ウサマだとしたらヒバのときとの大きな違いに驚きます。このアビールの作品では、リズム+ストリングスによるどこまでも控えめなサウンドですからね。

 

そういったあたり、後輩の有名人ヒバ・タワジよりも大先輩のフェイルーズを想わせるサウンドと歌いかたで、正調レバノン歌謡の新世代としておおいに期待できる存在じゃないでしょうか。西洋的なサウンドやオーケストレイションでくるまれたアラブ的な哀愁に満ちたメロディが心に沁みますし、それをストレートに聴き手に伝えるアビールの歌がみごとです。

 

その決して気どらない、技巧をみせびらかさない、淡くストレートかつ素直に、さわやかさすらただよわせながら、歌ってみせるアビールのやりかたで、こういった曲の数々がフルに活きるというもんです。レバノン歌謡とはどういうものか、じっくり&しっとり味わうことのできる好アルバムで、ぼくはもうすっかりヘヴィ・ロテ状態。

 

ラスト8曲目だけは、ちょっと西洋的っていうかアメリカン・ポップスを思わせる軽い曲調で、ちょっとディズニーっぽいフィーリングもあるチャーミングな曲。アラブふうな哀愁感はありませんが、それまでとの雰囲気の変化がとてもいい感じに聴こえます。

 

(written 2021.8.24)

2021/08/24

アナザー・サイド・オヴ・ジョン・コルトレイン

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(7 min read)

 

John Coltrane / Another Side of John Coltrane

https://open.spotify.com/album/5A4BHYbEff8raBUrt4CCE0?si=AOleD8-ETyKblVoqiirMWA&dl_branch=1

 

1. Tenor Madness (Sonny Rollins / Tenor Madness 1956)
2. ‘Round Midnight (Miles Davis and The Modern Jazz Giants 1956)
3. Oleo (Miles Davis / Relaxin’ 1956)
4. Airegin (Miles Davis / Cookin’ 1956)
5. Soultrane (Tadd Dameron / Mating Call 1956)
6. C.T.A. (Art Taylor / Taylor’s Wailers 1956)
7. Monk’s Mood (Thelonious Monk / Thelonious Himself 1957)
8. Epistrophy (Thelonious Monk with John Coltrane 1957)
9. Trinkle, Tinkle (Thelonious Monk with John Coltrane 1957)
10. Billie’s Bounce (Red Garland / Dig It! 1957)
11. Someday My Prince Will Come (Miles Davis 1961)
(数字は録音年)

 

8月20日にリリースされた『アナザー・サイド・オヴ・ジョン・コルトレイン』(2021)。独立して自分のバンドを持って活動するようになる前の、サイド・メンバー時代の音源に焦点を当てたコンピレイションで、コンコード傘下レーベル(プレスティジ、リヴァーサイドなど)音源を中心に、大手コロンビアのものも一個だけ収録されています。

 

となれば、あるいはそうでなくともそもそも、マイルズ・デイヴィス関係とセロニアス・モンク関係の音源が多くなるのは必然。実際全11曲中マイルズものが4曲、モンクものが3曲ということで、この二種類が大半を占めているのはいうまでもありません。

 

この1956〜61年までのコルトレインの成長に耳を傾けるように味わうというのがこのコンピレイションの聴きかたでしょうし、実際、成長めざましいものがあります。逆にアトランティック、インパルス時代の演奏でふだんなじんでいるファンのみなさんには新鮮に響くかも。

 

まずは1956年、ソニー・ロリンズと共演した「テナー・マッドネス」で幕開け。モダン・ジャズ・テナー・サックス界の二大巨人のスタイルの違いを比較できる絶好の機会とみる向きもあるようですが、トレインのほうがまだまだ未熟で、到底ロリンズとは比べものにならないなというのがぼくの正直な感想です。

 

この共演時、すでにトレインはマイルズ・バンドの一員でした(55年から)。それだってもともとマイルズはロリンズに入ってもらいたかったのに断られたのでやむなくトレインになっただけで、イモくさい、ドンくさいトレインの吹奏ぶりを存分に味わうことができますね。まろやかによく歌うロリンズとは好対照です。

 

ロリンズのことは、ある意味このコンピレイション前半部の隠しテーマみたいになっていて、マイルズ音源パートでも「オレオ」「エアジン」となぜかロリンズの曲が続きます。同じテナー・サックス奏者の書いた曲だからなのか、それともリーダーの統率ぶりがみごとだったのか、それらではトレインもそこそこ聴けるソロを吹いているのが印象的。

 

また、さらにもう一曲「ラウンド・ミッドナイト」が収録されているのはモンクの曲ということで、このアルバム後半のモンク音源パートの予兆のようになっているのも興味深いところ。やっぱりトレインが立派になったのはマイルズがいっときバンドを解散したのでモンクのところに参加していた57年からですよね。

 

実際7曲目からの三曲連続のモンク音源で聴けるトレインは、それ以前とはあきらかに違います。音色もシャープで硬質になっているし、なんといってもフレイジングが変わりました。それまでのモッサリした吹きかたを一掃、いわゆるシーツ・オヴ・サウンズと呼ばれる高速で音をびっちり敷き詰めていくスタイルが完成に近づいています。

 

コードや楽理、音楽全般の理解なんかもモンクからずいぶんと教わったはずで、やはり57年こそトレインにとってのターニング・ポイントだったかもしれません。特に9曲目「トリンクル・ティンクル」での目覚ましい吹きっぷりなんか、すばらしいじゃないですか。

 

さらにこのコンピレイションでいちばんビックリしたのは、個人的にいままで聴いたことのなかったレッド・ガーランド『ディグ・イット!』からの「ビリーズ・バウンス」です。57年の録音みたいですけど、ここでのトレインは、これ、どうしたんですか?ここまで吹きまくれるとは。まるで59年ごろ以後のスタイルがすでに完成しているじゃないですか。これホントに57年?驚愕の超絶吹奏ぶりです。

 

ここまで来ればですね、もはやなにも言うことはない、ぼくらみんなが知っているあのトレインがここにいるということで、サイド・メンバーとしてマイルズやモンクのもとで修行し、みずから研鑽を重ねた結果、こんな高みに到達してしまったわけです。55年のマイルズがここまで見抜いていたとしたら名伯楽でしたが、どうでしょうか。

 

ラスト11曲目「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」は61年3月のセッションということで、もうすでにトレインは独立し自分のバンドで活動していた時期のゲスト参加です。これと、さらに同じアルバムに収録されている「テオ」が、サイド・メンバーとしてのトレイン生涯ラスト演奏になったので、このコンピレイションに選ばれたのでしょうね。

 

「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」では、当時のマイルズ・バンド・レギュラーだったハンク・モブリーもソロを吹いていて、トレインとの大きな差を聴くことができます。モブリーは決して悪いわけじゃないんですよ、ハード・バップ・テナーとしては標準的といったあたりですが、トレインがあまりにもかっ飛びすぎているだけで。モブリーには残酷ですけど。

 

最後に。マイルズ・バンドでのトレインのサイドでのかっ飛びぶりを聴くならば、脱退直前、60年初春のヨーロッパ・ツアー音源もぜひ聴き逃さないでいただきたいと思います。2018年に『ザ・ファイナル・ツアー』というボックスになってレガシーから公式発売されました。トレインの狂気がたっぷり詰め込まれています。
https://open.spotify.com/album/3p6XK8PERkujtV6MRu7QH3?si=s0oz_ac8TGmP0EaEv3e8-Q&dl_branch=1

Daviscoltranefinaltour

(written 2021.8.23)

2021/08/23

岩佐美咲「アキラ」を聴いた 〜 ヨーロー堂歌唱配信 2021.8.21

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(6 min read)

 

2021年8月21日16:00から約30分間、わさみんこと岩佐美咲の浅草ヨーロー堂歌唱配信がありました。今回は10月発売予定の新曲「アキラ」を歌うというのが目玉で、もちろんそれを目当てにぼくもこの配信を聴いたわけです。

 

四曲の全体的な印象としては、ずいぶん歌がヘタになったなあと思います。音程もややふらついているし、なんといっても発声があいまいで雑。もっとていねいに歌う歌手だったと思うんですが。ノビやハリなど声もイマイチ出ていません。

 

理由は間違いなく歌い込み不足。コロナ禍で現場がほぼゼロになってしまいまして、事務所がそれを補うだけの歌唱配信もやらないせいで、歌う機会は激減。これじゃあね、どんな才能のある歌手でも衰えます。

 

美咲の歌はこんなもんじゃない、もっとしっかり歌える歌手だっていうのは、2018年暮れ〜2019年いっぱい、それこそ無数の歌唱イベントやコンサートなどに出向き、コンピューター補正の入らないナマの美咲を山ほど聴いてきた身なので、よくわかっているつもりです。いまの美咲は本来の姿じゃありません。

 

それでも同じヨーロー堂配信では、前回五月の配信のときよりはよくなっていました。六月以後、明治座、新歌舞伎座、ディナー・ショー、コンサートなど、現場の客前で歌う機会が以前よりはありましたので、とりもどせた部分もあったかと思います。

 

ムダなおしゃべりが減ったかもなというのも改善された点ですね。このこと、わさみんはコンサートなんかでもしゃべりすぎ、もっと減らして歌に集中すべきと、わいるどさんのブログのコメントで書いたことがありますが、ひょっとして本人やスタッフの耳に届いたんでしょうか。

 

おしゃべりを減らしたならば、そのぶんもっと歌に割けるはずだと思うんですが、曲数なんかは従来どおり四曲のまま。もっとしゃべりを減らして五曲にするとか、1曲目からフル・コーラスで歌うとか、やりようはいくらでもあるんじゃないかと思います。

 

ともあれ、今回は新曲「アキラ」、これですよ。4曲目にしっかり歌われました。フル・コーラス。若干の不安定さをみせていた3曲目までとはまるで別人のようなしっかりした歌いぶりで、発売予定の新曲だけにリキが入っているんだなと実感することができました。4曲目だったことも幸いしたと思います。

 

「アキラ」、8月13日のコンサートでも歌われたようで、しかし金欠によりそれには行けていないぼくだから、多くの美咲ファンにとって二回目であるところ、ぼくはこれが初回でした。まだ発売もされていないしMVも公開されていないというわけで、きょうの一回しか聴けていませんので、どんな曲なのかについてはまだなんとも言いようがありません。

 

はっきりしているのは、「アキラ」は函館が舞台になっているということ、「恋の終わり三軒茶屋」(2019)「右手と左手のブルース」(2020)に続く歌謡曲路線第三弾であるということ。この傾向でしばらくやるんですかね。地方都市が舞台になっているのはいわゆるご当地ソングの一環とも言え、その意味では「鞆の浦慕情」「鯖街道」の路線に連なるものともみることだってできます。

 

函館で恋したアキラという名前の相手のことが、離れても忘れられないという未練ソングで、「ねぇアキラ、ねぇアキラ」とくりかえすリフレインがとても印象的なセンティミエント。歌い込んでいけば(といっても発売が10月だけど)、「初酒」「鯖街道」のような代表曲になるであろうようないい曲でしたよねえ。

 

くわしいことは10月6日に発売になったらくりかえし聴いて書くとして、運営スタッフには、現場なり配信なりでどんどん歌わせていってほしいなと切望しておきます。「アキラ」、曲はいいだけにですね、美咲自身どんどん歌い込んでいって完成度を上げていくことができれば、立派な内容を聴かせることができるようになると思います。

 

さて、前半で言いましたように、美咲の歌唱力はあきらかに落ちました。コロナ禍前のように毎週定期的にどんどん客前で歌うという機会が失われたのが理由ですが、回復のためにスタッフはやることがあるはず。現場でも配信でも、もっと歌唱機会を増やさねばなりません。

 

以前わいるどさんも言っていましたが、長良プロのよくないところは現場があるときはまったく配信しないし、配信ばかりのときはまったく現場がなくなるところ。両者同時並行で歌唱機会を2019年までのように従前どおりキープしていかないと(どうもやる気がないみたいだけど…)、水準をキープできないどころか落ちる一方です。

 

岩佐美咲、ポテンシャルは高い歌手だけに、生かすも殺すもスタッフの運営いかんにかかっています。よろしくお願いしますね。

 

(written 2021.8.21)

2021/08/22

こぶしの終焉

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(7 min read)

 

Aretha Franklin / Aretha

https://open.spotify.com/album/0RemO3TlI1NdaeWqdE4E9H?si=-RqdRCODRPOh9WKFuGG2ZA&dl_branch=1

 

今年七月末ごろ、ライノからCDなら四枚組になるアリーサ・フランクリンの新しいベスト・アルバムが出ましたよね。その名もずばり『アリーサ』とだけ、シンプルなのも魅力で、至高のディーヴァここにあり!といった雰囲気で、いい感じ。

 

『アリーサ』はこの歌手にとって初のレーベルの枠を超えたキャリア・スパンニングなアンソロジーで、その意味でも重要です。なかにはアリスタ時代のものとか、いまだにCD&配信リイシューすらされていない廃盤音源もふくまれていたりしますから。

 

聴けばもちろん文句なしに感動しますし、すばらしい、偉大な存在であったことはだれだって微塵も疑わないわけですけれども、しかしいま2021年になってこうしたヴォーカルを聴くのは、ちょっとヘンな気分がしないでもないというのがぼくの正直なフィーリングです。もはやこういったぐりぐりメリスマをまわしまくる時代は終わっているのではないかと思うわけです。

 

朗々と強く声を伸ばし張り上げシャウトしたりしながら、細かく、あるいは大きくこぶしをまわし、ヴィブラートをきかせる歌唱法。そういうのこそすばらしい、真の偉大な歌手のありようだ、と評価された時代がずっと長く続きました。ポピュラー音楽における20世紀はほぼそうだったと言っていいかもしれません。

 

オペラ的歌唱法と言っていいわけですが、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン(パキスタン)、サリフ・ケイタ(マリ)、アマリア・ロドリゲス(ポルトガル)などなど、みんなそうじゃないですか。アメリカン・ブラック・ミュージックの世界においては、ゴスペル由来の発声をするアリーサ・フランクリンは、こんな歌唱法の代表格だったんじゃないですか。

 

もちろん曲によってはアリーサも軽くふんわりすーっと歌っているものもあって、『アリーサ』にもいくつか収録されていますが、あくまでメインは劇場的な歌唱法でした。そういうのって電気マイクロフォンの存在をある意味無視した手法だと思うんですよね。生声で観客に届くようにっていう強い発声。だから19世紀的でオペラティックだと言えます。

 

そういうやりかた、声の出しかた、歌唱法は、それじたいすばらしいということは決して否定などできませんが、しかしいまや21世紀には時代遅れになってしまっているというのも間違いないんじゃないかというのがぼくの正直な気持ちです。

 

ビックス・バイダーベックとかレスター・ヤングとかマイルズ・デイヴィスとか、ジャズにおけるノン・ヴィブラートなストレート&ナイーヴ発音法のことは、また分けて考えないといけないような気がしますが、でも決して無関係ではないです。時代の要請というか、歌手の発声においてもそういったものが主流になる時代に、特に2010年代以後、なっているということです。

 

ぼく自身はこういったことを、主に日本の演歌の世界を聴き込むうちに発見しました。演歌といえば劇場性・非日常性の極地みたいな世界で、強く声を出しヴィブラートをきかせグリグリこぶしをまわしまくる、というイメージが長年支配的でしたし、実際そういう歌手がほとんどでした。

 

そこへもってきて、2017年に岩佐美咲に出会い、そのいっさいの装飾や虚飾を排した日常的な歌唱法に触れるにつれ、徐々にその魅力に目覚めていくようになったのです。すると、なんだかここ十年くらいかな、演歌界でも非劇場的な歌唱法をとる若手歌手が急増していることに気が付いたんですよね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-2bfb3c.html

 

エモーションの抑制というひとことに尽きるのですが、旧世代で旧タイプの歌手とされてきていたような坂本冬美ですら、そうした日常的な歌唱法へと完全に移行しているし、もちろん若手には最有望格の中澤卓也をはじめとして、ノンこぶしな歌手は大勢いるしで、もうぼくのなかですっかり認識があらたまったわけです。

 

考えてみれば、台湾出身、日本でも活躍した鄧麗君(テレサ・テン)なんかもそんなストレート歌唱法をとっていたし、以前から世界の歌の世界で一翼を担っていたことは間違いありません。それが近年、ここ十年くらいかな、ぐっと世界で主流になってきているということです。

 

現在活躍中の世界の若手歌手のなかで、従来的な劇場的歌唱法をとる代表は、レバノンのヒバ・タワジかもしれません。しかし同じレバノン国内でも、同世代でアビール・ネフメのように淡い歌いかたをする歌手も出てきているし、以前から活躍していたナンシー・アジュラムでも最新作では淡色歌唱法へと移行しています。

 

レバノン人じゃないけれど、今年デビューした歌手のなかではぼくのぞっこんであるレイヴェイ(アメリカ在住の中国系アイスランド人)なんかもストレート&ナイーヴ歌唱法で、もはや時代は完全に塗り変わったなあという感を強くします。

 

あっさりしていて、濃厚トンコツ・ラーメンをお求めの向きにはなんとも物足りないでしょうが、トンコツ・ラーメンのお店がなくなってしまったわけじゃなく健在です。現にこうして『アリーサ』のようなアンソロジーが編まれ、いまでもみんなに聴かれ愛されているじゃないですか。

 

『アリーサ』の末尾に収録されているのは、アリーサ生前のラスト・パフォーマンスとされている、没する三年前、2015年のケネディー・センター・オナーズでのライヴで、「ア・ナチュラル・ウーマン」↓
https://www.youtube.com/watch?v=qz2efshhuq4

 

圧巻のひとことですね。すばらしい。歌手人生で劇場性を徹底してつきつめた堂々たるヴォーカルで、文句のつけようもありません。

 

(written 2021.8.21)

2021/08/21

プリンス・エステートは『ラヴセクシー』のトラック切れたのを出しなおしてほしい

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(5 min read)

 

Prince / Lovesexy

https://open.spotify.com/album/49YqSdLkadJY5RADpR3LsZ?si=Xkl_pdKxTHmTo42dI-f9GA

 

1 Eye No
2 Alphabet St.
3 Glam Slam
4 Anna Stesia
5 Dance On
6 Lovesexy
7 When 2 R in Love
8 I Wish U Heaven
9 Positivity

 

プリンスの、大傑作だとぼくは思っている『ラヴセクシー』(1988)。そういう評価をされず一般的な人気も低いのは、殿下ナルシシズム全開のジャケット・デザインが気持ち悪いといったことだけでなく、やはり全九曲のトラックが切れていないせいに違いありません。

 

ジャケットが問題だっていうのはですね、聴くときに見なければいいんですから、音と違って、だから実はさほど問題じゃないんですよ。路面店でレジに持っていくのは恥ずかしかったかもですが、発売当時と違って現代はネット通販もあります。

 

でも音楽作品なんだから音のほうは無視できませんよねえ。みなさんご存知のとおり『ラヴセクシー』の全九曲、トラックが切れていなくて、ずるずるつながって一個なんですよねえ。これじゃあ聴きにくくってしょうがないってぇ〜の。

 

デューク・エリントンにしろマイルズ・デイヴィスにしろ、突出した音楽家はたまにこういったたぐいの主張をくりひろげることがありますけれどもね、『ラヴセクシー』でのプリンスも、1988年ということでCDメディア出現当初という時期、ぽんぽんトラックをスキップして飛ばし聴きするのが容易になったというのに抵抗したかったんでしょう。

 

自分の作品は、アルバムで一個の音楽作品なんである、トータルで通してじっくり味わってほしい、という希望からこのような1トラック仕様にしたのでしょうけど、その結果、そもそもハナから聴かれすらもしないという結果とあいなってしまいました。あたりまえだと思います。

 

なぜなら、ひとことで言ってアルバムの全貌がつかみにくい。曲がわかんないんですもん。だって45分間以上も「一曲」じゃあ聴きにくいことこの上ないんですもんねえ。最初からそのつもりで作曲・構成された作品ならOKでしょうけど、『ラヴセクシー』はそうじゃない、通常の数分単位で録音された九曲を並べただけ。

 

一曲一曲の姿がわからなかったら、結局そのアルバムが全体でどんなものかも把握しにくいっていう、立派な証拠となってしまっていますよね。みんなが『ラヴセクシー』にはイライラしてきていて、いまやサブスクで聴く時代になりましたけど、Spotifyでみてもやはり1トラックっていう、これはもはや無意味なんじゃないの。

 

Spotifyアプリだとどんどんスキップできるし、でも1トラックで曲がないから、そもそもチラ見してやめちゃうんじゃないですかね。その証拠に総再生回数がプリンスの作品にしてはかなり少ないです。

 

ぼく個人はですね、数年前、自分で『ラヴセクシー』のトラックを切りました。そうしないと聴きにくいですからね。CDからパソコンにインポートして、その(iTunes)ファイルをオーディオ・エディタ(Audacityを愛用)で書き出して、各トラックを手作業で切り分けたんですよ。

 

切り分けた九つのファイルをふたたびiTunesに読み込ませ、一個のプレイリストにして、無事みごとトラックの切れた『ラヴセクシー』の完成。このアルバム、トラックの切れ目は聴けばわかりやすいんで、切り分け作業はメンドくさいだけで、カンタンでした。それをCD-Rに焼いて、プリンス好きの友人にあげたりもしました。

 

もちろんプリンス・エステートやワーナー側が、九つそれぞれのトラック別々に所持していることはわかっています。各種公式ベスト盤などには「アルファベット・ストリート」など一曲単位で収録されていたりするんですからね。

 

だから、公式がその気になれば、トラックの切れた『ラヴセクシー』を発売することは容易であるはず、フィジカル&配信で。わりと大勢がそれを望んでいると思うのに、どうしてやらないんでしょうか。故人の1988年当時の意思だったから?それを尊重したい?いやいや、遺族や関係者はもっとファンの利便を考えてくれてもいいと思いますよ。当時も今も不評でしょう。

 

(written 2021.4.27)

2021/08/20

去りゆく夏の寂寥感のような郷愁 〜 エルヴィオ

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(3 min read)

 

Hélvio / Baia dos Amores

https://open.spotify.com/album/767NKCajPOFWC2ckPOrWjm?si=-LQzKem3QDWz3z6Yanwjwg

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-03

 

(きょうの記事題は、上記リンク先の記事内でリンクされているbunboniさんの過去記事からサンプリングしました)

 

アンゴラの歌手でしょうかね、モダン・センバを歌うエルヴィオの新作『Baia dos Amores』(2018)を聴きました。ぼくは上の記事で教わったので初耳のシンガーです。ところでそのbunboniさんの記事題、「ビター・スウィート・サンバ」(ハーブ・アルパート)のもじりで、ノルべきかと一瞬悩みました(笑)。

 

それはそうと、このエルヴィオ、Spotifyで見るとアルバム題も『Hélvio』になっていますけどね、ジャケット画像中央に青い文字が見えるでしょ、わかりにくいですけど、それを拡大してじっくり眺めると「Baia dos Amores」とあります。これがアルバム・タイトルじゃないんですか。こういったところ、Spotifyはけっこういい加減ですよねえ。

 

ともあれエルヴィオの『Baia dos Amores』では、アフリカン・サウダージともいうべきやるせない哀感がたまらないんですよね。過去作がSpotifyにないもんで、これだけ聴いて判断するしかないんですが、そういった切なさを特色のソング・ライティングをするひとなんでしょうか。

 

ブラジル音楽のサウダージやそれ由来のメロウネスにはめっきり弱いぼくなので、エルヴィオのこのアルバムでもそれがたっぷり聴けていうことなし。センバなリズムもいいですが、それは実はあまり強く表面に出ていないような気がします。それがモダン・センバということでしょうけど。

 

もっとこう、(アンゴラ・ローカルというより)ワールド・ワイドにアピールできうるようなポップなセンティミエントを表現できる歌手なんじゃないかとの感を強くしますね。ビート・メイクやサウンド・メイクも現代的で、ときおりヒップ・ホップ感覚のあるトラックもあり。ロックっぽいエレキ・ギターの刻みも快感ですね。

 

とはいえ、こういった音楽が(フィジカルでは)なかなかアンゴラ国外で世界流通しているという話も聞かず、もったいないことです。もちろんSpotifyなどでは聴けるので、その意味では世界に出ていると言えるんですけど、それで見つけるひとも滅多にいないということで、なんとも。

 

アルバム・ラストの曲後半に収録されている隠しトラックで、ドゥー・ワップふうのヴォーカル・コーラスをやっているのは、いったいなんでしょうかねえ。

 

(written 2021.4.26)

2021/08/19

「〜〜のロバート・ジョンスン」

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(7 min read)

 

https://open.spotify.com/album/0MG8ODOjmgu62MpgeS9dRF?si=Hz1qIrJWROCUa-8_1KXUhg

 

という言いかたをしたばあい、その世界のパイオニア、始祖、第一人者、というみなされかたをしていることもたまにあるように感じますが、これはブルーズ史におけるロバート・ジョンスンの意味を取り違えているんだろうと思わざるをえません。

 

だから、いままでも強調してきたことではあるんですけど、いま一度あらためてこのことを書いておきます。同じことばかりのくりかえしで、前からいつもずっとお読みのみなさんはうんざりでしょうけど、世間でのロバート・ジョンスン像は、どうもいまだに誤解されたままの部分がありますので。

 

それは端的に言って、ロバート・ジョンスンをデルタ・カントリー・ブルーズ界の人物とみなすのは間違いだということで、もっといえばブルーズ・ミュージックの世界における古典的先駆者と考えるのも妥当じゃないぞということです。

 

ロバート・ジョンスンはデルタ・ブルーズ、カントリー・ブルーズの世界の人間ではないし、古い人間でもないということです。でもブルーズ史上最も有名で名前が知れ渡っている人物のひとりであろうということは疑いえません。だからこそ「〜〜界のロバート・ジョンスン」と比喩に使われたりするわけですからね。

 

そう、ロバート・ジョンスンは最有名人。そのわりには(イメージばかりが先行して)残した音楽をしっかりちゃんと聴いている人間がなかなか少ないのかもという気がします。CDなら二枚組になるその全録音をじっくり味わえば、「音楽的には」彼は決して謎の人物でもない、音楽性なら全貌が判明している存在だということも理解できるはずです。

 

ロバート・ジョンスンの録音を聴きますと、そこにデルタ・カントリー・スタイルの曲がかなり少ないという事実に気がつくはず。マスター・テイクだけにするとぜんぶで29曲となる彼の全録音のうち、デルタ・カントリー・スタイルだと言えるのはたったの五曲しかないんですよ。いいですか、29のうちたったの5、ですよ。

 

具体的には(録音順に)「テラプレイン・ブルーズ」「ウォーキン・ブルーズ」「プリーチン・ブルーズ」「イフ・アイ・ハッド・ポゼッション・オーヴァー・ジャジメント・デイ」「トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルーズ」と、たったこれだけしかデルタ・ブルーズはないんですよね。

 

この事実だけをもってしてもロバート・ジョンスンがデルタ・ブルーズの人間ではないことがはっきりするはず。たしかにミシシッピ・デルタ地域の出身で、典型的なデルタ・ブルーズの人間である先輩サン・ハウスを師としましたが、デルタを出てアメリカ全土を放浪していた時期に、さまざまなブルーズのスタイルを身につけたのです。

 

ロバート・ジョンスンが全国放浪で身につけた(デルタ・スタイルではない)その時代の新しいコンテンポラリー・ブルーズとはいったいなんだったのか?端的に言えばそれはブギ・ウギです。主にピアノで演奏されていたブギ・ウギのずんちゃ・ずんちゃというあのパターン、それをそのままギターの低音弦反復に移植したんですよね。

 

そんな曲なら彼の全録音のなかにたくさんあります。ちょっと数えてみたら14曲。かの有名な「スウィート・ホーム・シカゴ」も「ダスト・マイ・ブルーム」も「ランブリング・オン・マイ・マインド」も、ローリング・ストーンズの秀逸なカヴァーを産んだ「ストップ・ブレイキン・ダウン・ブルーズ」も「ラヴ・イン・ヴェイン・ブルーズ」も、ぜ〜んぶブギ・ウギのパターンなんですよ。
https://open.spotify.com/playlist/7xBNvs0xAc1b7Mn2S1FZzZ?si=9de35eb8e414486e

 

もうひとつ、ロバート・ジョンスンはリロイ・カーに代表されるような洗練されたシティ・ブルーズも吸収しました。ロバートがブルーズに目覚めたのは、リロイ・カーの1928年のレコード「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」でだったんですし、もとからそんな志向を持ってブルーズ・ギターリスト/シンガーを目指した人物だったんです。

 

同時代のあらゆるコンテンポラリー・ブルーズをギター一台での弾き語りでやった、結合させたという点では画期的だったと言えますし、だからこそ後世のブルーズ・ミュージシャンやロック・ミュージシャンたちが下敷き、模範にしやすかったと言えます。ロバート・ジョンスンを神格化したのは、どんどんカヴァーした1960年代活動開始の白人UKブルーズ・ロッカーたちだったでしょうが、彼らのせいでなにか特別な存在のように思われているだけです。

 

現在のようにロバート・ジョンスンがブルーズ史上の最有名人になったのだってUKブルーズ・ロッカーたちがさんざんひろめたからであって、それ以外に理由はありません。最初のLPレコード『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』が発売されたのが1961年。そこからですよね。しかもアルバム題が「デルタ・ブルーズ歌手の王様」となっていたのがいけなかった。誤解のもとでした。

 

音楽的にロバート・ジョンスンが発明した・開発したといえるブルーズのスタイルはなにもなく、先達たちの演奏をレコードで、あるいは現場で生で、聴き、それらを吸収し、自分ひとりで展開したのがロバート・ジョンスンという人物の実像です。クロスロード伝説などアホみたいな言い伝えもありますが、自分で研鑽を重ねて腕を磨いていったに違いないのです。楽器の上達にそれ以外の方法はありませんから。

 

録音時期だって1936年と37年の二回のセッションがすべてで、これは第二次大戦前のブルーズ・ミュージシャンとしてはかなり新しい時期に入ります。そこで録音され、レコードやCDや配信でリリースされている音源は、「漏れなくすべて」現在のわれわれも聴くことができるのであって、謎とか伝説なんかじゃありませんよ。

 

(written 2021.4.24)

2021/08/18

ハート・メルティングなレイヴェイの新曲にぞっこん

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(3 min read)

 

Laufey / Let You Break My Heart Again

https://open.spotify.com/album/2yKcJB2QkNyogIyDY96pu4?si=rKR7BlKfShqkuwUYqBHmRQ&dl_branch=1

 

以前五月にとりあげたレイヴェイ。レイキャビク出身の中国系アイスランド人で、現在は米ボストンのバークリー音楽大学に在籍中のジャズ系シンガー・ソングライターです。ほんとうにすばらしい声なんですよねえ。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-42cbf3.html

 

そんなレイヴェイの新曲が8月13日に出ました。「レット・ユー・ブレイク・マイ・ハート・アゲン」。やはり自作曲ながら、今作はフィルハーモニア・オーケストラとの共演になっていて、瀟洒に攻めるレイヴェイに、もはや心がとろけてしまいそう。

 

YouTubeでもこの曲はオフィシャルに聴けるんで、そちらのほうがいいというかたがたにはぜひそちらでお聴きいただきたいと思います。そっちには各種クレジット関係もしっかり記載されているのでいいかも。
https://www.youtube.com/watch?v=NLphEFOyoqM

 

とにかくですね、このレイヴェイの書いた曲とヴォーカルと、それからたおやかな管弦楽のサウンドが、もうこりゃたまらん!ほど美しいじゃないですか。こんなにもきれいな曲、それも2021年の新曲としては、ほかにないんじゃないですか。すくなくともぼくが出会ったなかでは今年No.1に美しい曲です。

 

しかし曲題でもわかりますし歌詞をしっかり聴けば、これはロスト・ラヴの歌なんですよね。つらく苦しく哀しい内容の歌で、それをこんなにもやわらかくしなやかなメロディでつづることのできるレイヴェイのソングライティング能力には感嘆の声しか出ませんね。

 

ギターやチェロも弾きながら歌うヴォーカルも、この歌手ならではの独自の仄暗さというか落ち着きがあって、歌の内容やメロディの美しさをきわだたせています。+イアイン・ファリントンがアレンジしたフィルハーモニア・オーケストラのおだやかで美しい響きも、まるでちょっとガーシュウィンの作品を想わせるできばえで、みごと。

 

レイヴェイは、まるでちょうど100年くらい前ごろのティン・パン・アリーの歌の世界を2021年によみがえらせてくれているかのようですよ。ああいった大作曲家たちの書いたラヴ・ソングの数々と比べても遜色ない、現代においては比類なきシンガー・ソングライターだと言えます。

 

(written 2021.8.17)

2021/08/17

ジャズのレトロ・トレンドはどういうわけなの? 〜 スピークイージー・ストリーツ

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(5 min read)

 

Speakeasy Streets / Back Alley Beats

https://open.spotify.com/album/4HTGVlq6usARRoTaNHOqAh?si=1S9yB0SnSZ-v8WVdlI83CA

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2021/01/20/back-alley-beats-speakeasy-streets/

 

ニュー・ヨークのブルックリンを拠点に、フランス、チリ、イスラエル、南アフリカ、そしてアメリカという多国籍メンバーが集まって結成したバンドらしいスピークイージー・ストリーツ。そのデビュー・アルバムですかね、『バック・アリー・ビーツ』(2021)は、往年のジプシー・スウィングを基調としながらも、そこにヒップ・ホップ感覚のビート・メイクとパンクなラップをまぶしたっていうような内容。

 

ということでバンド自身はその音楽を、ジプシー・スウィング+ヒップ・ホップの合体で「ジプ・ホップ」と独自に名付けているのだとか。とはいえですね、ぼくが聴いたところ、どちらの風味もさほど強くなく。だってジャンゴ・ラインハルトらフランス・ホット・クラブ五重奏団はストリング・バンドだったけど、スピークイージー・ストリーツは管楽器主体で、印象がまったく違います。

 

ヒップ・ホップなビート感覚だって、あまりないんじゃないですか。このバンドは1930年代後半〜40年代のジャズ・ビッグ・バンドをそのまま踏襲し、そこにちょこっとラップ(はヒップ・ホップの重要エレメントではあるけれど)をまぶしたっていう、そういったものじゃないかと個人的には感じますね。

 

ビートの感覚だって往年のフィーリングそのままっていう感じで、そこにラップが乗っているのは新鮮かもしれないですけど(1930年代にはジャズにラップをくっつける発想はなかった)、音楽そのものはレトロ一色な感じがします。バルカン・ビート風味もちょっと感じますかね。

 

でもそのレトロなフィーリングがなかなかいいんじゃないかなと思うんですよね。スクィーレル・ナット・ジッパーズほか、ディキシー/スウィング時代のヴィンテージ・ジャズを現代に再現するレトロ・バンドやミュージシャンのことがぼくは大好きですからね。ジャネット・クラインとかダヴィーナ&ザ・ヴァガボンズとかもですね。

 

そういうたぐいのミュージシャンたちをぐるっと見まわしてみると、どうも21世紀に入ったあたりからなのか、もっと前、1990年代のネオ・アクースティック/スウィング・リバイバルあたりからなのか、レトロ・ムーヴメントがしっかりしたかたちとしてトレンドとなってシーンにどっかりと存在してきているようにみえるんですよね。

 

こういったミュージシャンたちのそんなレトロ・ムーヴメントをどうとらえたらいいのか、楽しんでいるだけなんであまりつきつめて考えてみたことがないんですけれども、一度死んだかもしれないと言われていた(のは事実誤認だと思うけど)ジャズが、近年新しいかたちになってよみがえってきているようなことや、あるいはSNS時代になってそれを舞台にブルー・ノート・レーベルを中心にかつての古典作が復興してふたたび聴かれるようになったり、そんなことになっている21世紀の風景と決して無関係じゃないだろうなあという気がしています。

 

だからじゃあなんなの?レトロ・ムーヴメント、1930年代あたりのスウィング・ジャズとかもっと前からのスタイルもふくめ往年のヴィンテージ・サウンドを現代に再演しているミュージシャンたちの活動が活発になっているのはどうして?どういう時空の歪みかた?と問われても、いまのところぼくは答えを持っていません。

 

ただたんに、聴いたら楽しいなぁ〜って感じて好きなだけなんで。

 

※ きょうとりあげたこのバンドの名前になっている speak easy とは、かつてアメリカの禁酒法時代(1920~33)に存在した、秘密酒場のことです。

 

(written 2021.4.25)

2021/08/16

アダルト・オリエンティッドってなるべく言いたくなかったけれど

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(6 min read)

 

1962年生まれだから来年還暦のぼく。近年は歳取ってきて人生経験も経て人間的にほんのちょっとだけなら成長した(ような気がするけど?)せいなのか関係ないのか、おだやかでソフトでまろやかに円熟した音楽もかなり好きになってきました。「も」と書いているのは、ザラザラしたハードでサイケでとんがった音楽もまだまだ好きだからです。

 

感情の激しい露出や起伏を抑制したおやだかな音楽、たとえば鄧麗君とか、いわゆるAORとか、坂本昌之がアレンジしたときの坂本冬美とか徳永英明とか、伊藤ゴローがてがける原田知世とか、『エラ&ルイ』シリーズとか、いやぁもう大好きでたまんないんですが、そういったあたりなんかは20代のころにもし出会っていてもよさがわからなかったかもしれないですよね。

 

きのうも渡辺貞夫さんの『Outra Vez』のことを書きまして、ホ〜ントいい音楽だなって心から感銘を受けているし、アンガーム(エジプト)の2019年なんかも数えきれないほどくりかえし聴いていたし、どうも頻繁に聴く音楽の傾向がやや変わってきたかもなと思わないでもありません。

 

しかし、こうした事実をもってして「大人の」音楽志向になったとか「アダルト・オリエンティッド」だとか、そういうことはあんまり言いたくないというか、そのようなタームを極力使いたくないなというのが本音なんですね。

 

といいますのは、ずっと前にも書いたことですが、音楽に子どもとか大人とかいったことばや考えかたをあてはめるのは著しく的外れじゃないのかというのがぼくの思想だからです。大人の音楽、アダルト・オリエンティッドなんちゃら、みたいな言いかたをするメンタリティの根底には、「どうせガキどもにはわかんねえだろうな」という年齢差別、(逆)エイジズムとか、そういった偏見が横たわっているように感じます。

 

若者、若年層、子どもたちを一個のちゃんとした人格として、このばあいは音楽リスナー人格ということですけど、それをしっかり認めようとしない親世代社会の傲慢な発想だということで、ぼくはそういったものが大嫌い。

 

いつだって若者こそ時代時代のカッコいい音楽を真っ先に見つけ出しフォーカスして、世の潮流にしてきたわけですし、音楽とか芸能文化活動なんてものは本質的に青春の情熱のほとばしりみたいな側面もあって、そこを見失ったり誤解したりすると音楽のポイントをつかまえそこねるだろうなと強く思っています。

 

つかまえそこねはじめた(音楽精神的)老年層が、「アダルト・オリエンティッドなんちゃら」みたいな表現をしているんじゃないかという疑念が拭いきれないわけです。そんな、思考が硬直した(音楽精神的)老年の仲間入りをしたくない。

 

だから、大人の音楽とかアダルトなんちゃらっていう表現を、ずっと、かなり意識的に、避けてきました。

 

けれども、ここ数年、そう2018年ごろからかな、静かでおだやかで、感情をぐっとセーヴした、抑制された均衡美を好むようになってきていて、それはあきらかな一傾向としてぼくのなかにしっかり芽生え腰を据えつつあるんですよね。もう疑いえない確かな嗜好となっているように思います。

 

そして、感情の抑制の効いたおだやかでまろやかな音楽をひとくくりにして、ジャンルとして、一定の短いことばで言い当てようとしたばあいには、ほかに適切なタームが思い浮かばないんですよ。ぼくのなかにあるこの嗜好を言い表したいと思うことがしばしばあるのに、これという用語がないんです、アダルト・オリエンティッド〜〜を避けるとですね。

 

結局のところ、そういった音楽傾向には「大人の音楽」「アダルト〜〜」「アダルト・オリエンティッド〜〜」と言うのが最もふさわしく、いちばん手っ取り早いというのが事実。上で書きましたように逆エイジズムだと感じてイヤなんですけど、ほかに適切な用語がないわけですから困ってしまいます。

 

そういうわけで、ここのところ(気に入らないながらも)ぼくも使うようになりはじめていますね>アダルト〜〜。

 

いい音楽に年齢や世代は関係ないというのは間違いない普遍的真実。ヤング〜〜とかアダルト〜〜という表現はやっぱり気に入らないというか、音楽の本質からはかけ離れているだろうと思います。そこをしっかり踏まえた上で、あくまで勘違いしないように気をつけながら、アダルト〜〜っていうタームを、ときたま使うときは使っていこうかと。

 

(written 2021.4.22)

2021/08/15

渡辺貞夫、円熟の老境が美しい 〜『Outra Vez』

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(4 min read)

 

渡辺貞夫 / Outra Vez

https://open.spotify.com/album/30xTCpNszJCG8WvMNcKCqM?si=qXtxcklCQ6SiydebkEPrFw

 

なんとも美しい、ため息が出ちゃうような、そんなジャケットですよねえ。見とれちゃうな〜、渡辺貞夫さんの『Outra Vez』(2013)。これもブラジル録音で、現地ブラジルのミュージシャンたちを起用して製作されたものです。

 

近年の貞夫さんのブラジル録音といいますと、以前、2015年の『Naturally』というアルバムのことを書きましたが、かなりのお気に入りになっているんですよね。その前作もブラジル録音で、同様にしっとりアダルトで落ち着いたムードの作品と知り、ジャケットを見てみてあまりの美しさに驚いちゃったというわけです。

 

中身の音楽も、個人的には『Naturally』のまろやかに円熟した完成にはおよばないと思うものの(あっちにはジャキス・モレレンバウムが参加しているから?)、『Outra Vez』もなかなかすばらしいです。これもやはりブラジリアン・フュージョンというべきような内容で、編成は貞夫さんのアルト・サックスに、ギター、ピアノ、ベース、ドラムス、パーカッション。二曲だけヴォーカリストも参加しています。

 

やはりオール・アクースティックなナチュラル&オーガニック路線で、近年こういったサウンドが世界の音楽で主流の一つになってきていますよね。音楽そのものは貞夫さんもずっとやってきたアフロ・ブラジリアンなジャズ・フュージョンで変わるところはないんですけれども、かつては電気・電子楽器もたくさん使っていました。それらをいっさい用いないようになっているんですね。いい意味で枯れた円熟のサウンドと言えましょう。

 

アルバムは快調なジャズ・サンバっぽい曲で幕開け。バンドも貞夫さんも決して熱くはならず、ほどほどのちょうどよいフィーリングのノリを聴かせているのがいかにもといったムード。それはアルバム全編について言えることで、中庸感覚といいますか、使いたくないタームですがアダルト・オリエンティッドな音楽をくりひろげているでしょう。

 

特にグッとくるのはサウダージ満点の哀切バラード系。3曲目は「レクイエム・フォー・ラヴ」と、なんだか意味深な曲題ですが、失恋がテーマなのかもしれません。これも貞夫さんの自作曲です。雰囲気満点に吹くアルト・サックス演奏に涙が出そうな思いです。軽いボサ・ノーヴァ・ビートもそれに一役買っていますね。

 

やはり同様の哀切バラードである6曲目「カーボ・ヴェルデ・アモール」も同じフィーリングで、情緒をかきたてます。ところで3曲目とか6曲目みたいな、こういった貞夫さんのサウダージ・バラードって、そのルーツをたどると1981年の名曲「コール・ミー」(『オレンジ・エクスプレス』)に行き着くような気がします。86年のトッキーニョとの共演ヴァージョンをご紹介します。最高ですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=u-vZeP0tW2s

 

アルバム『Outra Vez』にはいっぽう快活なサンバ・ビートを持つにぎやかな演奏もあり。5曲目「ボン・ジーア 80」と8「ナタカ・マジ」。特に後者はやや派手めですね。バンドの演奏や打楽器群も活躍して演奏をもりあげますが、そんなばあいでも貞夫さんのアルト演奏はハメを外さず落ち着いているというのは円熟のなせる技でしょう。

 

ラスト10曲目のタイトルが「ソリチュード」になっているので、ひょっとしてデューク・エリントンのあれか?と一瞬思えどもそんなわけはなく、これも貞夫さん自作の渋いバラードです。ここではギターとベースだけの伴奏で、しっとりと孤独の老境をつづるアルト・サックスの音色が美しく、胸に沁みますね。

 

(written 2021.4.21)

2021/08/14

唯一無二のモダン・ヴィンテージ・ソウル 〜 メイヤー・ホーソーン

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(2 min read)

 

Mayer Hawthorne / Rare Changes

https://open.spotify.com/album/1U0PE21EKYzvLsf7M4EfIX?si=Tf4C34AsSJ25Gk_Aci6i_g

 

現行ソウル・シーンの最高峰とまで言われるらしいメイヤー・ホーソーン。最新作『レア・チェインジズ』(2020)がリリースされていますね。ぼくがこれを知ったのは2021年に入ってからのことでした。メイヤーはジェイク・ワンとのユニット、タキシードでも顔役として活躍する人物です。

 

このアルバムは2019年から20年にかけてデジタル・リリースしてきたシングル曲八つに、もう一個「イントロ」を付加したというもので、21年になってCDでも発売されたので一部で話題になっていて、ぼくもそれでようやく気がついたというわけです。だから全曲初耳ですね。

 

そんな『レア・チェインジズ』でも、モダン・ヴィンテージ・ソウルとでもいうようなメイヤーの持ち味はまったく変わらず。クラシック・ソウルを基調に、AOR、ディスコなどさまざまなエッセンスをちりばめたヴィンテージ・サウンド。スムースで軽やかなビート、特筆すべき唯一無二のメロディ・センスで、スウィートな歌声とともに現行シーン最高のモダン・ヴィンテージ・ソウルを聴かせてくれています。

 

オリジナル新作というわけじゃないし、アルバム全体でもわずか26分間という尺ですけれども、それでもなかなか楽しめる好作品に仕上がっているんじゃないですかね。こういったヴィンテージ・ソウルのファンはまだまだたくさんいると思いますし、21世紀でもヒップ・ホップ系のR&Bだけじゃないぞというあたりを見せつけてくれる実力作で、ぼくは気に入ってときどき聴いています。

 

(written 2021.4.20)

2021/08/13

今朝の夢 〜 スライド・ギター弾き語り

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(4 min read)

 

今朝の夢のなかに森山良子と松任谷由実が出てきました。ぼくの部屋のなかで二人はくつろいでいて、三人でなかよく話をしていたんですが、二人ともなんだか妙なヘッドフォンをしていました。

 

そのヘッドフォンは有線ケーブル付きのものだったんですが、その先っぽをテレビ画面にマグネットみたいなものでペタッとくっつけるようになっいて、それで音を拾うという仕組みだったみたいです(ヘンなの)。

 

テレビではひたすらなにかの音楽ライヴをやっていて、二人ともそれを見ながら、ぼくも交えて三人でおしゃべりしていたんですが、つまりそのヘッドフォンをつけて番組を聴いていても外部のしゃべり声などはしっかり聴こえるみたいでした。

 

その部屋は自宅のはずなのに大学の一教室であって、窓から外を見るとちょうど学園祭の準備の真っ最中だった様子。それでぼくはちょっとそれに出演するとかなんとかそんなことになって、アクースティック・ギターで弾き語りをやることにして、部屋のなかで弾きはじめました。

 

やったのはブルーズで、しかもスライド・プレイで弾いていました。それも長めのスライド・バーみたいなものじゃなく金属製の短い指輪か塊みたいなもので懸命に弦の上をすべらせていたのです。

 

不思議なことに指輪のようなものでスライドしていたにもかかわらず、二、三本の複数弦を同時スライドで弾いていて、それも大きくビョ〜ンビョ〜ンと低音部から高音部へと行ったり来たりしていたんですね。

 

勢いをつけて、ガシャガシャとリズムに乗って、スライド・プレイはかなり雑で乱暴にやっていました。森山良子とユーミンの二人はそれに合わせて歌っていたみたいです。といってもぼくが弾いていたのはブラインド・ウィリー・ジョンスンみたいなブルーズ(っていうかあれはゴスペルですけど)だったんですけどね。

 

でもなかなかいい感じだったので、気分がちょっとよくなった特にユーミンのほうが部屋の窓から外にいる学生に大声でしゃべりかけ、実は坂本龍一なんかも参加するんですよ、どうですか!私たちを学園祭に出演させませんか?!と言っていました。

 

すると、一人の男性学生が部屋に入ってきて、ダルブッカみたいな打楽器でぼくのスライド・ギター・プレイに合わせて叩きはじめました。ぼくも調子に乗ってそのまま演奏し、強い打楽器ビートに刺激され、ますます勢いづいてスライドで表現するリズムもガシャガシャ、ギュイン・ギュインと鮮明になりました。

 

かと思うと、一曲、やはりブラインド・ウィリー・ジョンスンのレパートリーから「ダーク・ワズ・ザ・ナイト、コールド・ワズ・ザ・グラウンド」を、これはソロ演奏でぼくはやりました。っていうかぼくがやったのはライ・クーダー・ヴァージョンのコピーです。

 

といっても1970年『ライ・クーダー』のやつじゃなく、1985年の映画サントラ『パリ、テキサス』で再演されたヴァージョンをそっくりそのままぼくはコピーしたのです。これを演奏したときは、弦を一本スライドさせるものなので、まさに指輪スライドが役に立ったと思います。

 

(written 2021.4.19)

2021/08/12

マイルズ、91年7月のパリ同窓会ライヴ、発売されるみたい

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(4 min read)

 

https://www.loudersound.com/news/legendary-miles-davis-1991-paris-concert-to-be-released

 

約一週間ほど前の『Louder』によりますと、マイルズ・デイヴィスが1991年7月10日にパリでやった盛大な同窓会ライヴが、『ザ・ロスト・コンサート』というタイトルで、2021年9月29日にスリーピー・ナイト・レコーズから発売されるみたいです。

 

ライノ/ワーナーからのリリースじゃないところが、なんだかアヤシイな〜って思ってしまうのですが(ブートレグ?そうじゃない?)、この91年7月の同窓会ライヴは、当時からマイルズ・ファンのあいだで大きな話題となってきていたもの。

 

なんたっていつも前向き、未来を見て、過去を決して振り返らなかった(ということになっているけれど)マイルズが、死の約二ヶ月前にパリでやったそのライヴは、ジャッキー・マクリーン、デイヴ・ホランド、アル・フォスター、ウェイン・ショーター、スティーヴ・グロスマン、チック・コリア、ハービー・ハンコック、ジョー・ザヴィヌル、ジョン・マクラフリンなど、過去の豪華な共演者たちを一堂に呼び寄せてセッションしたもの。

 

演奏曲目だって、「イン・ア・サイレント・ウェイ」「カティーア」みたいな曲ばかりではなく、なんと「ディグ」だの「フットプリンツ」だの「オール・ブルーズ」だのまでやっているんですからねえ。あのマイルズがですよ。当時ジャズ・メディアで大きな話題になっていたし、ワーナーが公式録音したということも聞いていました。

 

しかし公式発売はいまだなし。ブートレグCDでなら、以前からリリースされていて、それはしかもワーナー公式から流出しただろうことが間違いないような高音質。『ブラック・デヴィル』という二枚組で、ぼくも90年代末か21世紀はじめごろにお茶の水のディスクユニオンで見つけ買いました。

 

その『ブラック・デヴィル』の収録曲は以下のとおり。

 

Disc 1
1. Perfect Way
2. New Blues
3. Human Nature
4. All Blues
5. In A Silent Way
6. Katia

Disc 2
1. Out of the Blue / Dig
2. Watermelon Man
3. Penetration
4. Wrinkle
5. Footprints
6. Jean Pierre

 

いちばん上でリンクした『Louder』の記事によれば、今回発売されるものもまったく同一内容。だからこれが1991年7月10日当日のセット・リストそのままだったんでしょうね。最初の三曲だけマイルス・バンドでの演奏で、4曲目から同窓会セッション・ライヴ。

 

ブートCDでずっと聴いてきたコンサートなので、今回正式?発売されるとなってもべつにどうといった感慨もないんですが、それでもこれでまた多くのファンの耳に届くことなるかもしれませんからね。サブスクにも入るんじゃないでしょうか。

 

『ドゥー・バップ』みたいな作品も一部録音済みの1991年7月になって、「アウト・オヴ・ザ・ブルー」「ディグ」だの「オール・ブルーズ」だの「フットプリンツ」だのを、それも過去のバンド・メンバーを迎えて演奏するマイルズの気持ちはどんなものだったか?と思いますが、自身の強気の発言とは裏腹に、実は音楽的に過去をよく振り返っていた人物。

 

晩年になってこだわりも消え、昔話もよくするようになっていたマイルズです。1991年というとモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで、クインシー・ジョーンズの指揮下、ギル・エヴァンズがアレンジを書いた過去のオーケストラ作品を再演するという企画だってやりましたしね。

 

いっぽうでこのパリ同窓会ライヴには、現代的ファンク・チューン化した「ウォーターメロン・マン」もあったり、またこれでしか聴けないプリンス提供曲「ペネトレイション」もやっていたりと、なかなかに興味深い内容ではあります。

 

(written 2021.8.9)

2021/08/11

貧乏人の音楽道楽はサブスクで

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(4 min read)

 

同じようなことをなんども書いていますが。

 

一枚60分のCD換算で、毎日10〜15枚相当の音楽を聴いているんですが、いちおう一日10枚と考えたばあい、ひと月でのべ300枚聴いている計算になります。

 

もちろんそのなかには同じアルバムをなんどもくりかえしているものだってたくさんふくまれていますけど、計算がメンドくさいので毎月300枚聴いているとしましょう。

 

CD一枚が2000円としたら、300枚で総計60万円。これだけ毎月毎月CDを買っているという換算になるわけですけど、同じものを反復再生するのを省いても20〜30万円分相当は買っていることになるんじゃないでしょうか。

 

毎月コンスタントに20万〜30万円をCD代に割くことのできる人間が、はたしてこの世にどれだけいるというのでしょう。

 

ひと月20〜30万円相当の音楽を聴いているといっても、いうまでもなくぼくはCDで買っているわけじゃありません。同じだけの量をサブスクのSpotifyで聴いているということです。サブスクなら、かかる金額は毎月たったの980円。980円だけ払えば、ひと月何千時間聴こうがタダなんです。

 

Spotifyをはじめる前、ぼくがCD買うのに使っていた金額は月に4、5万円程度でした。だから枚数にすれば20枚ちょっとくらいかな。それを考えたら、毎月100枚以上相当を聴けている現在は、Spotifyによってぼくの音楽道楽ぶりにいっそう拍車がかかったのだと言えましょう。

 

ですからね、たくさんどんどん大量の音楽を聴きまくりたいという人間にとっては、もちろんそれをぜんぶレコードなりCDなりで買える経済力があればそれでいいでしょうけど、毎月数十万円になりますからね、なかなかむずかしいでしょう、だからサブスク以外の選択肢は存在しません。

 

毎月数十万円もCD買うのと同じだけのものを、サブスクならひと月980円ですからね、比較にすらなりませんよ。世界が変わります。もちろん世の多くの音楽ファンは、どんな熱心なひとだって、毎日毎日10数時間も音楽に熱中していたりはしないものなのかもしれませんけれど。

 

朝起きてから深夜寝るまでずっと聴きっぱなしというような、ほかにいっさいなにもせず音楽だけ一日中聴いて生きているなんていうような、しかも音楽関係のプロとかじゃない趣味でやっているだけでそんなに聴いているという人間は、そうはいないのかもしれませんね。

 

でもぼくの人生はぼくのもの。ひと月10万円程度で生活しなくちゃならないっていう程度の貧乏になったのも、それで自室で音楽ばかり聴きまくるようになったのも、ぼくの勝手な事情なんですから、Spotifyでどんどん聴いたってだれにも文句を言われる筋合いはありません。

 

ひるがえれば、もちろんCDやレコードでどんどん買っている、フィジカルから離れられないっていうひとびとも自由なんで、ぼくらサブスク派がどうこう言うことはありません。ですがしかし一枚一枚買うっていうのはおのずと経済的限度っていうものがどうしてもつきまといますね。

 

現在のぼくの財力だと、がんばっても月にCD一枚、二枚買えるかどうかという程度なんで、それなのに音楽は無限に聴きまくりたいと。そうなれば、ひと月980円で聴き放題のサブスク・サービスを使うのは当然じゃありませんか。

 

貧乏人の音楽熱狂者には、サブスク以外の選択肢はありませんよ。

 

(written 2021.8.7)

2021/08/10

ジャクスン・ブラウン『フォー・エヴリマン』では、デイヴィッド・リンドリーのスライドがいいね

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(6 min read)

 

Jackson Browne / For Everyman

https://open.spotify.com/album/12X80pgkHSjMDgAAS0HBdr?si=uwQcwnWOTfS2XX2CTgDaRA

 

いままでの音楽リスナー人生でなぜだか縁がなかったジャクスン・ブラウン。好みじゃないとかなんだとかっていうんじゃなく、ほんとうに聴いてみるチャンスがなかっただけなんですよね。かじり読む情報によれば、たしかにぼくのストライク・ゾーンからはやや外れているみたいだという判断もありました。

 

そういった自分では決してレコードやCDを買わないであろうものも、ちょこっと気軽に聴いてみることができるっていうのがサブスクの大きなメリットですね。試し聴きした結果、これはいいぞ!好きだ、と思える結果に転じることがよくあるし、たいへんなめっけものじゃないですか。結果、音楽趣味がひろがります。

 

そう、どうしてだかちょこっと聴いてみようという気になったジャクスン・ブラウンのアルバム『フォー・エヴリマン』(1973)も好印象でしたよ。こんないいミュージシャンだったなんてねえ、もっと早くに聴いておけばよかったな〜。

 

でも、まったくの初耳というわけじゃなかったというのが正直なところ。実はこのアルバムから(イーグルズもやった)一曲「テイク・イット・イージー」だけ、なにかの日本編集のカントリー・ロック・コンピレイションに入っていたんですね。たしか萩原健太さんがかかわっていたんじゃなかったかと記憶しているCD。

 

1990年代だったと思いますが、それでその一曲だけ聴いてはいて、なかなかカッコいいなと感じていたんで、そのへんが今回それを収録しているオリジナル・アルバムを聴いてみようと思った数十年前の遠因だったのかも。

 

それくらい気になっていた「テイク・イット・イージー」が、アルバム『フォー・エヴリマン』でも1曲目。カッコいいかっ飛ばすロックンロール、ローリングなカントリー・ロックということですけど、爽快で快感ですよね。これこれ、こういったビートが効いていてスライド・ギターがぎゅわ〜んと入るような音楽はほんとうに好みなんですよ。

 

これがレコード時代はA面トップ。今回アルバムではじめて聴いてみてビックリしたのがB面トップだったらしい6曲目の「レッド・ネック・フレンド」。な〜んてカッチョエエんだ!「テイク・イット・イージー」とまったく同様のローリング・カントリー・ロックですが、こっちのほうがもっとかっ飛ばしているじゃん、なにこれ、こんなカッコイイ曲ってあるの!?

 

ビートも効いているし、なんたってデイヴィッド・リンドリーのエレキ・スライド・ギターがキレッキレ!こんなの聴いたことないですよ。イントロ〜歌のオブリ〜間奏〜アウトロと大活躍で、いやあ、すばらしい。ピアノも目立ってノリノリでロックンロールしていますけど、エルトン・ジョンらしいです。いやあ、「レッド・ネック・フレンド」、これこそぼくにとってのこのアルバムの白眉です。カッチョエエ〜〜!

 

こういった1970年代前半のカントリー・ロックとされるものは、ほぼ同時期のブルーズ・ロック系のものに比べたらやっぱりぼくの守備範囲は狭いというのが事実。曲によって好みの差が大きいんですよね。

 

ブルーズ・ロック系のものだとだいたいアルバム一枚丸ごと楽しめるけど、カントリー・ロックは好きじゃないものも混じっているという印象がいままではあって、それはやはり西海岸で活動してジャクスン・ブラウンとも縁が深い同時期のリンダ・ロンシュタットやイーグルズなんかでもそうでした。

 

実際、ジャクスンのこの『フォー・エヴリマン』でも、1曲目の「テイク・イット・イージー」や6「レッド・ネック・フレンド」はめっちゃ楽しいなと感じるのに、2曲目以後イマイチ感が残るような気がします。でも、ぼくも歳とってちょっとはカドが取れてきたというか、許容範囲がひろがったということか、まずまず楽しめるので。それに2曲目以後も、たとえばほぼ同時期のロス・アンジェルス時代のビリー・ジョエルに通じるフィーリングもあるなと感じます。

 

ジャクスン・ブラウンのソングライティングがいいっていうことなんでしょうね。特に5曲目の「ジーズ・デイズ」。これ、Spotifyのデスクトップ・アプリで再生回数を見ると、このアルバムのなかではぶっちぎり断然トップなので、一般的にはこれこそが代表曲とされているものなんでしょう。

 

実際、5「ジーズ・デイズ」はたいへんいい曲です。これを録音するだいぶ前、1960年代にすでにジャクスンは書いていたものらしく、ほかの歌手にとりあげられたりもして、彼の名刺代わりみたいな有名曲だったものらしいですね。これもぼくの大好きなビリー・ジョエルっぽい。

 

「ジーズ・デイズ」でもエレキ・スライド・ギターが大活躍ですが、やはりデイヴィッド・リンドリーのようです。絶品じゃないですか。ある意味ジャクスン・ブラウンのヴォーカルの部分よりもスライド・ギターこそが歌っている、物語を語っているなという印象です。

 

(written 2021.4.19)

2021/08/09

LA発近作二つがなかなかいい 〜 ジャクスン・ブラウン&ロス・ロボス

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(6 min read)

 

Jackson Browne / Downhill From Everywhere

https://open.spotify.com/album/0aN2WQEv8kxv49tNolsP0Q?si=4Muyt4cTRHmNJllGCcKvJw&dl_branch=1

 

Los Lobos / Native Sons

https://open.spotify.com/album/2AH53pDM2S1jAggLLAueAM?si=fz42fn7TR5KjD9NV3QHVqA&dl_branch=1

 

どっちも七月にリリースされた二作、ジャクスン・ブラウンの『ダウンヒル・フロム・エヴリウェア』(2021/7/23)とロス・ロボスの『ネイティヴ・サンズ』(2021/7/30)。リリース時期が近接していたということと、二者ともロス・アンジェルスの音楽家であるということで、なんだか共通するものを感じてしまいます。

 

リリース時期が近かったというのはもちろんたんなる偶然でしょうけど、どっちもLAの音楽家であることには意味があると思うんですよね。それに二作ともかなり充実していて、かなり評判もいいみたいですよね。両者ともLA発ということで、まとめて一つの記事のなかに並べてみようと思いました。

 

ジャクスン・ブラウンの『ダウンヒル・フロム・エヴリウェア』。なかなかにシリアスな作品で、歌詞をじっくり聴き込むとポリティカルな色彩感が強いアルバムなんだなとわかります。近年のジャクスンがこうした姿勢を示していることは周知のとおりで、今作でも政治や環境問題など歌っています。

 

がしかし、そこは英語が母語じゃないぼくのこと。歌詞の中身だけを抜き出して音楽を聴かないというポリシーも徹底していますから、やはりリズムやサウンドなどに耳が行きます。すると、おだやかであたたかいメロディとしなやかなバンド・サウンドがすばらしいなと思うんですね。

 

特に、エモーショナルになりすぎない適度な感情表現というか、おだやかさが目立つなと思うんですね。ジャクスンらしいところなんですが、70歳を超えてまろやかさにいっそう円熟がかかってきたということかもしれません。

 

そうはいっても、歌詞はもちろんなかなかシャープで辛辣ですけど、そんな歌詞をこういった丸みのあるサウンドでくるんであるのが音楽の勝利だと思うんですよね。+ところどころラテンというかスパニッシュなアプローチが聴けるのは、いかにもLA発らしいところ。ヒスパニックの街ですからね。

 

たとえばスペイン語で歌われる7曲目「ザ・ドリーマー」は、ロス・ロボスのデイヴィッド・イダルゴとの共作。音楽的にもテックス・メックス風味炸裂で、かなり楽しいですよね。でもこれ、歌詞はめっちゃ政治的なんですよ。日本語しかわからないぼくがぼ〜っと聴いていると、ただの愉快な音楽だと思ってしまいます。

 

でもそれでいいんじゃないかっていうのが本音でもありますね。文学作品を読んでいるんじゃないんですからね、音楽を聴いているんですから。それにしても、ロス・アンジェルス出身の音楽家だとはいえ、ここまでスパニッシュというかラテン風味を打ち出したジャクスン・ブラウンはめずらしいのでは?

 

いっぽうロス・ロボスの『ネイティヴ・サンズ』にはそんな歌詞面でのシリアスさ、ポリティカルな姿勢はありません。こっちはタイトル曲を除き全曲カヴァーによるアルバム。しかもどれもLAにゆかりのある音楽家や曲をカヴァーしているっていう、一種のLAトリビュートみたいな作品なんです。

 

肩肘張らないナチュラルなムードが気持ちいいロス・ロボスの『ネイティヴ・サンズ』、1曲目からスムースな音像が全開。アルバムでカヴァーしているのは、ジー・ミッドナイターズ、バッファロー・スプリングフィールド、ラロ・ゲレロ、そしてジャクスン・ブラウン、さらにパーシー・メイフィールド、ウィリー・ボボ、ビーチ・ボーイズ、ウォー、ブラスターズなどなど。

 

いずれもLAに縁のある音楽家ばかりで、たぶんロス・ロボスのメンバーがイーストLAで青春時代を過ごしていたころ聴いて親しんでいたであろう曲たちなんでしょうねえ。だから、連中なりの郷愁だったり、土地への敬愛とかオマージュとか、でも、ここぞの局面では真っ向から自我を主張するみたいな、なんとも理想的なカヴァー・アルバムに仕上がっていますよ。

 

チカーノ・ロックあり、ブラウン・アイド・ソウルあり、フォーク・ロックあり、ルンバあり、ボレロあり、ローレル・キャニオンものあり、ジャンプ・ブルースあり、ラテン・ジャズあり、ラテン・ロックあり、パンクあり、エレキ・インストありで、こうした雑多なごった煮がLAならでは。ロス・ロボスはそれらを丸ごとぜんぶ飲み込んで消化して、自分たちの音楽として表現しています。

 

(written 2021.8.8)

2021/08/08

まるで60年代ブルー・ノートみたいなジャケットだけど 〜 デルヴォン・ラマー

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(3 min read)

 

Delvon Lamarr Organ Trio / I Told You So

https://open.spotify.com/album/4z1iO0enp7c919GrpOnttF?si=qsgclnGTRcaCllZ_2vtGRg

 

このジャケットを見てください、どう見ても1960年代のブルー・ノートのアルバムとしか思えないですよね。完璧にそんな雰囲気をかもしだしているこれは、ところが2021年の新作なんですねえ。オルガン奏者デルヴォン・ラマーの『アイ・トールド・ユー・ソー』。

 

こんなレトロなジャケット・デザインで、さらにこれもオルガン・トリオ(オルガン、ギター、ドラムス)というクラシカルなフォーマットですけど、でも中身は?というと、必ずしもブルー・ノートのヴィンテージ・ジャズふうではないんですね。もっとリズム&ブルーズ寄りっていうか、ブッカー・T&MGズとかミーターズとか、あのへんを連想させる音楽をやっています。

 

だからあえてジャズ界隈でさがせば、ソウライヴとかメデスキ、マーティン&ウッドとか、オルガン・トリオっぽいものだとそういうものに近いっていうか、現代的で、実際そのへんを参照している音楽性の持ち主じゃないかなと思いますね、デルヴォン・ラマー・オルガン・トリオ。

 

そんでもって、最も現代的だなと思うのはドラマーの叩きかた。あきらかにヒップ・ホップ以後的なビート感覚をあわせもっていて、21世紀のバンドだけあるっていうところ。実を言うと、ソリッド・ボディのエレキを使うギターリストの弾きかたにもそれは感じられ、ハモンドB-3を弾くデルヴォンの演奏スタイルにも先進性がみてとれます。

 

オルガンのフット・ペダルで弾くベース・ラインだってクラシカルじゃなく先端的だし、こんなヴィンテージなカヴァー・デザインにしたのはどうしてだったんだろう?と疑問に思うほどなんですよね。もちろん古典的なオルガン・トリオのフォーマットでやっているからそれなりにヴィンテージ風味はあるんですけど、そのへんの中庸具合が聴き心地いい音楽ですね。

 

オルガン・ファンク、オルガン・ソウル・ジャズの最先端、とまでは言えないにしても、先端性とヴィンテージ風味のよみがえらせかたがちょうどよく溶け合って聴きやすく、聴きやすく受け入れやすい音楽じゃないかと思います。

 

なお、アルバム7曲目の「ケアレス・ウィスパー」はワム!の例のヒット曲のカヴァーですね。ちょっと意外です。

 

(written 2021.4.8)

2021/08/07

もしもジェフ・ベックがトルコ人だったら 〜 トルガ・シャンル

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Tolga Şanlı / Vouves

https://open.spotify.com/album/22XeOyftddQmu3JqjrhLFe?si=xJJCyy6AQHil36qX4qIwQw

 

Música Terraことlessthanpandaさんの紹介で知りました。
https://musica-terra.com/2020/08/17/tolga-sanli-vouves/

 

トルコの若手ジャズ・ギターリスト、トルガ・シャンル(Tolga Şanlı)はイスタンブル生まれで、米バークリー音楽大学での学習歴もあります。その二作目にあたる最新アルバム『Vouves』(2020)で、ちょっと惚れちゃいました。

 

ジャズといってもトルガはソリッド・ボディのエレキ・ギター奏者。+エフェクターを効かせていますから、聴感上はロック、インストルメンタル・ロック、あるいはジャズ・ロックのサウンドに聴こえます。実際、ジェフ・ベックあたりからの影響もかなり強そうですよね。

 

言ってみれば「もしジェフ・ベックがトルコ人だったなら?」を地でいったようなこのアルバム、『ブロウ・バイ・ブロウ』とか『ワイアード』とか、あのへんの音楽にたっぷりトルコ風味をまぶしたような音楽だ、とでも言えば伝わりやすいでしょうか。

 

トルコ要素をこのアルバムで代表しているのがバグラマー奏者の参加。それ以外はギター、キーボード、ベース、ドラムスと標準的なジャズ・ロック・バンドなんですが、バグラマー(サズ)のサウンドがとても目立っていますよね。そのおかげでかなりエキゾティックなムードがかもしだされています。

 

なんたって1曲目「7」ではいきなりバグラマーの音からはじまって、その後バンドが入ってきてからは変拍子大胆活用の現代ジャズとなりますが、もうこのイントロだけで、オッ、この音楽はなにか違うぞ!と感じさせるものがあります。バグラマーはその後の2曲目以後も随時活用されています。

 

しかしバグラマーを抜きにすればトルガのギター・プレイといいバンドの演奏といい、やはり典型的な現代ジャズと言ってよく、世代と国籍を超えた普遍的な音楽をやっているなという印象です。クォリティの高い現代的なジャズ・ロック・サウンドで、1970年代的なサウンドとコンテンポラリーなコンポジションがうまく溶け合うさまは、ぼくのような世代にはまさに快感。

 

カンタンにいえば、プログレ+ジャズ+トルコ+ジェフ・ベック、みたいな音楽だと言っていいでしょうね。

 

(written 2021.4.1)

2021/08/06

ほのかに香るように歌う 〜 中澤卓也

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中澤卓也 / 繋ぐ Vol.3~カバー・ソングスⅢ Elements~

https://open.spotify.com/album/3GZexDXb0IX4EFxdu40Htq?si=aAH9n5MYSkG4a-uh0Frb5Q&dl_branch=1

 

近い将来の日本の歌謡界を背負って立つ存在になることはもはや間違いない中澤卓也。2017年のデビュー以来ぐんぐんと急成長を遂げ、ヴォーカルに色艶を増してきています。

 

そんな卓也の新作アルバム『繋ぐ Vol.3~カバー・ソングスⅢ Elements~』が8月4日にリリースされました。三作目のカヴァー・アルバムで、おおいに期待している大好きな卓也だけに、ぼくはCD買うつもりでいたんですが、なんと意外や意外、即日Spotifyなどサブスクで聴けるようになりました!えらいぞ日本クラウン!

 

七曲、トータル約33分間は、演歌歌謡曲系のアルバムとしてはやや短いように思えるかもしれませんね。一曲四分程度ですから、10曲ほどは収録してもよかったんじゃないかと思わないでもないですが、でも33分間というこのサイズが、2020年代的な時代の要請を受け入れている感じがして、個人的には好感を持っています。

 

卓也の『繋ぐ Vol.3』、もうすっかりヘヴィ・ロテ状態なわけですが、今回も往年の歌謡曲、ヒット・ソングの数々をカヴァー。あまり知られていないものもふくまれているように思いますので、いちおう初演歌手とその年を一覧にしてみました。

 

琥珀色の日々(野口五郎、1984)
さらば友よ(森進一、1974)
駅(中森明菜、1986)
無縁坂(グレープ、1975)
異邦人(久保田早紀、1979)
シルエット・ロマンス(大橋純子、1981)
心の瞳(坂本九、1985)

 

「琥珀色の日々」「心の瞳」あたりは知名度が低いかもしれませんが、それ以外はわりとよく聴かれている有名曲じゃないでしょうか。それで、以前も言ったことですがカヴァーのキモは、初演歌手にない独自カラーをアレンジや歌唱で出せるかどうか?というところ。

 

その点、卓也は発声や歌いまわしに独自の個性がありますよね。声に甘さと優しさを兼ね備えながらも、決して主張しすぎず、すれ違いざまにほんのりほのかにふわっとだけ香る、みたいなヴォーカルがぼくは大のお気に入り。

 

エモーションの表出を抑制したソフトでクールでおだやかな歌唱法は、いつも言っていますが、最近の世界の歌の世界で主流となってきているもの。そんな表現スタイルをとる日本歌手のなかで、卓也は若手の代表格と言えるんじゃないでしょうか。

 

すーっと軽く乗せるようにふわりと歌う卓也には、ずっしりとした重厚感や濃厚さはないんですが、こういうのこそいまの時代のヴォーカル・スタイルですからね。べったりとした重たさやまとわりつく湿度がなく、あくまでドライで、クールでソフトで軽いっていう、卓也のそんなヴォーカル・スタイルこそ、2020年代的な歌唱法として称賛すべきものです。

 

今回『繋ぐ Vol.3』では、中盤に少人数編成のアクースティック・アレンジ・ヴァージョンが収録されているのも特筆すべきです。「駅」「無縁坂」「異邦人」の三曲で、全七曲中三つですから、目玉セクションと言えるかもしれません。

 

それらでは、ピアノ、アクースティック・ギター、パーカッションの三人だけでアンプラグド伴奏していて、しかもライヴ感を大切にするため、卓也の歌もふくめ全員での一発同時収録だったそう。たしかにそれでしか得られないグルーヴが息づいているのを聴きとることができます。

 

こういうのは、昨春のコロナ禍突入後、すぐに卓也が公式YouTubeチャンネルで開始して現在も続行中の「歌ごころ」企画がベースになっているんだろうと思います。「歌ごころ」は、カヴァーばかり、毎週金曜日に一曲づつとりあげて、ピアノ+ギター(+パーカッション)だけの伴奏で卓也が歌うというもの。
https://www.youtube.com/channel/UC81EX2rADDDUgZXtcovxebg

 

毎週一曲公開されていてもう一年半以上になるので、トータルで現在80曲以上にもなる「歌ごころ」ですが、この企画をずっと続けていくなかで、少人数のアクースティック伴奏でカヴァーを歌うということにたしかな手ごたえを感じるようになったのではないでしょうか。実際、今回のアルバム『繋ぐ Vol.3』収録曲のうち、半分程度は「歌ごころ」ですでに歌っていたものです。

 

アルバム中盤にあるそうしたアンプラグド・コーナーの前後も、リズム・セクションを中心に控えめなストリングスやホーンズ、エレキ・ギターなどが彩りを軽く添える程度で、軽めのアレンジです。

 

中澤卓也というこのたぐいまれな才能をサポートするのにこれ以上ないという伴奏で、軽くほのかに甘さや色香がふんわりとただようという卓也の特徴が活かされた好アルバムですよ、『繋ぐ Vol.3』。「無縁坂」「シルエット・ロマンス」などはこれ以上ないヴァージョンに仕上がったのではないでしょうか。

 

(written 2021.8.5)

2021/08/05

配信時代のシングルにカップリング曲はいらない

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応援しているわさみんこと岩佐美咲、今年も新曲が発売されることになりました。タイトルは「アキラ」で、10月6日発売予定。上で掲げた写真がそのための宣材写真です。

 

このお知らせが7月28日に出たとき、一部のファンから、たぶんずっと前から抱いてきた思いでしょうけど、美咲のシングルにはどうして表題曲しかオリジナル新曲が収録されないの?という疑問というか不満の声があがりました。

 

実を言いますと、ぼくも美咲を知った2017年初春からずっと同じように感じてきているんですよね。美咲のすべてのシングルは表題曲しか新曲が収録されず、それ以外はそもそも用意すらされず、カップリング曲はどれもこれもぜんぶカヴァー。

 

たぶんこんなのは美咲だけじゃないですか。ほかのどんな歌手でも、ニュー・シングルを発売するとなれば、表題曲以外にもう一曲、二曲、用意されたオリジナル新曲が収録されるもの。そうじゃない歌手がいるとは思えません。

 

美咲は歌手活動にあまり力を入れてもらえていないのかな?と疑問に思う次第です。でもこれ、よく考えたらニュー・シングルを出す際にカップリング曲が必要だというのは、フィジカル時代の発想なんですよね。はっきりいえばアナログ・レコード時代の名残。

 

むかし新曲発売のシングルは45回転のドーナツ盤でしたから。その前にSP時代がありましたけど、やはり同じ一曲単位。送り手側が売り出したい新曲をA面に収録するわけですけど、もう片面になにも入れずツルツルのままにしておく、というわけにはいきませんからね。

 

といってもSP時代の初期にはそういうこともあったみたいなのですが、片面ツルツル時代は例外で、通常は新曲発売のついでに、放っておくわけにはいかないもう片面に一曲、ついでみたいに収録したんです。

 

これがシングル曲のカップリング習慣のはじまり。だから、アナログ・レコード時代にはA面とB面で一曲づつだったので、カップリング曲は一曲だけ。それがあたりまえでした。

 

CD時代になって、シングルもCDで発売されるようになると、表裏がなくなってこの二曲ワン・セットという拘束が消えましたから、だからシングルCDのカップリングも数曲入っているということが増えました。そうなると「2」を意味するカップリングという用語を使うのも本来はおかしいわけですけどね。

 

ともあれ、CDシングルには三曲とか四曲入っていることが多くなっているのですが、いまや2021年ともなればCDですらなく、サブスクやダウンロードなどネット配信で新曲をリリースする歌手や会社も増えているのはご存知のとおり。

 

するとですね、たとえばSpotifyなどサブスクで新曲をリリースするのであれば、もはや曲数にこだわる必要がまったくないわけですよ。出すのは新曲一個だけでいいんです。

 

実際そうやって一曲だけサブスクでリリースするケースは増えていて、ぼくの知るかぎりソナ・ジョバーテ(ガンビア/イギリス)もエズギ・キュケル(トルコ)もそうしています。サブスクで、ダウンロードもあるかもですけど、新曲一個だけ、次々リリースしています。

 

これがレコードとかCDとかだと一曲だけというわけにいかないと思うんですよね。パッケージ・フォーマットのない配信だからこそ一曲だけでリリースできるわけです。ホントこういうのこそ、いまの時代の、2020年代の、シングル・リリースの望ましいありようでしょうねえ。

 

さて、来る10月に発売される岩佐美咲のニュー・シングル「アキラ」。もちろんCDで出ます。しょうがないっていうか、演歌とか歌謡曲とかの世界はまだまだ旧弊なので、フィジカル・パッケージにこだわる気持ちはわかります。それで、発表されているカップリング曲はやっぱりカヴァーばかりで、こんなもんなんでしょうかねえ。

 

美咲のばあい、昨2020年7月1日にいままでの全シングル表題曲九曲がサブスクに入りました。今回の「アキラ」もきっと入るんじゃないでしょうか。それらはもちろん一曲単位で存在しているんで、やっぱりこういうのは配信ならではっていうことですよね。

 

(written 2021.8.4)

2021/08/04

没後半世紀目に考える、サッチモとジャズ・エンターテイメント

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Louis Armstrong / Hello, Dolly!

https://open.spotify.com/album/213k6pbTGOHxlMpz5lb7zC?si=IN9Nq9NdRwGATyCHo4mH7w&dl_branch=1

 

以前、サッチモことルイ・アームストロングの1970年作『ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・フレンズ』をとりあげて、ほめたことがあります。五年前ですか。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-f933.html

 

アメリカ公民権運動のアンセム「ウィ・シャル・オーヴァーカム」やジョン・レノンの「ギヴ・ピース・ア・チャンス」なども歌っている、1970年という時代に即応したポップ・アルバムで、ぼくは大好きなんですよね。サッチモ事実上の生前ラスト・アルバムです。

 

しかしながらこのへんの、特に第二次世界大戦後ポップ・アイコン化して以後のサッチモの音楽は、いわゆるジャズ・ファンにはほとんど聴かれていないというのが現実。それどころか、かなり毛嫌いされている、あるいは見向きすらされていないんじゃないですか。

 

この事実にぼくは大いなる不満があります。ジャズのジャズたるゆえんというか、ジャズとはなにか?芸術音楽なのか?大衆芸能か?みたいな部分で、大勢のジャズ・ファンとは意見が違うんですよね。

 

いままでもくりかえしてきたことですけどもう一度言明すると、ぼくはジャズを芸術音楽だと思ったことは一度もありません。ロックやリズム&ブルーズやポップスや、歌謡曲や演歌やアイドル・ポップスと同じ大衆娯楽芸能だと信じて疑っていないわけなんです。もちろん芸術だと思うかたに異を唱えたいわけじゃありません。各人が自由にとらえればいいと思います。

 

しかし、ことサッチモみたいな人物というか音楽家をトータルで理解するためには、この、ジャズは芸能か?芸術か?みたいな視座から一度完全に脱却しないといけないわけなんです。そのような二分法を超えたところにこの20世紀アメリカ音楽最大のイコンは立っているんですから。

 

油井正一さんの著書で読んだところによれば、かつてジャズ評論家の粟村政昭さんは、戦後の大衆芸人みたいなサッチモをボロカスにけなしたことがあるそうです。粟村さんは決してアンチ・サッチモなんかじゃなくて、そのジャズ・ミュージシャンとしての偉大さをとても高く評価しているひとでしたけど、大衆向けにポップ化したサッチモのことは受けいられなかったのでしょう。

 

ぼくに言わせれば、この粟村さんのような態度こそ、サッチモのことをまったく理解していないものなんじゃないかと思うんです。みなさんが高く評価する1920年代後半のオーケー録音、ホット・ファイヴとかホット・セヴンとかの全録音をちゃんとトータルで聴いているの?といぶかしんでしまうんですよね。

 

だってね、たとえば1925〜27年のサッチモのオーケー録音のなかには、秀作だけのセレクションにしたとしても楽しいポップ・ヴォーカル・ナンバーがいくつもあるじゃないですか。「ビッグ・ファット・マ・アンド・スキニー・パ」「ビッグ・バター・アンド・エッグ・マン」「SOL・ブルーズ」「ホッター・ザン・ザット」などなど。

 

それらと、たとえば「ワイルド・マン・ブルーズ」「ポテト・ヘッド・ブルーズ」「ウェアリー・ブルーズ」などのインストルメンタルなジャズ・ナンバーのあいだには、なんらの差もないんですよ。サッチモ本人は区別せず同じように演唱していたんです。当時のジャズはアメリカン・ポップ・ミュージックの王道ど真ん中を歩んでいたんですからね。

 

サッチモによるジャズ・アートの最高峰と衆目の一致する「ウェスト・エンド・ブルーズ」を録音した1928年にだって、「ア・マンデイ・デイト」「セイント・ジェイムズ・インファーマリー」「タイト・ライク・ディス」みたいなおもしろおかしく愉快で猥雑なポップ・ナンバーがありますよ。

 

第二次大戦後のサッチモは、このポップ方面を強化しただけのことであって、それはすなわちジャズといえど時代に則し時流を読んで、最新のポップ・ミュージックとしてひとびとを楽しませるエンターテイメント性を決して失ってはならないとの強い信念があったからです。

 

1920年代には20年代の、60年には60年代の、その時代の聴衆に受けるヒット・ナンバーを送り出したかった、この一心でずっとやってきたのがサッチモで、その姿勢は1923年にキング・オリヴァーのバンドに参加してデビューして以後71年に亡くなるまで微塵も揺るがなかったのです。

 

つまり結局ずっと同じことを生涯やり続けたのがサッチモで、その根本には音楽家の使命は大衆を楽しませるということ、これのみだ、ただひたすらこれだけをやり続けようとの強いポリシーがあったのです。だから、ジャズだポップスだ、アートだ芸能だなどの区別をし、一方だけを評価しないなんていうのは、サッチモという音楽家の本質を見誤っているんですよね。

 

あえて言えば、ジャズもエンターテイメント。この一点を徹底的に追求したサッチモのばあい、そのエンターテイメント性が突き抜けて、その結果ある種の芸術的表現性に到達しているばあいもあった、と表現するのが実情に則しているのではないかとぼくは思います。

 

きょう一番上でリンクした1964年のアルバム『ハロー・ドリー!』の1曲目に収録されている曲「ハロー・ドリー!」(サッチモは「ダリー」と歌っている)は、サッチモの生涯最大のヒット曲。

 

ビートルズのアメリカ上陸の嵐が吹き荒れていた時代、「抱きしめたい」(I Want To Hold Your Hand)や「シー・ラヴズ・ユー」がチャートを席巻し世間を熱狂させていたあの時代に、サッチモのこの「ハロー・ドリー!」は堂々それを奪ってみせ、ビルボード・ホット100の一位を獲得したんですよ。

 

アメリカ歌手のチャート一位最年長記録なんですよね。なんともすばらしいことじゃないですか。これぞジャズ、これぞエンターテイメントです。

 

(written 2021.8.3)

2021/08/03

デアンジェロ・シルヴァの一作目がカッコよすぎる

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Deangelo Silva / Down River

https://open.spotify.com/album/4l6XCsm7oVO33Qdabrlb7o?si=zdAHzKd6Qe2zZUSBx-BdWw

 

以前、ブラジルのジャズ・ピアニスト・鍵盤奏者、デアンジェロ・シルヴァの最新作『ハングアウト』(2021)について書きましたが、ちょっと興味がわいたので過去作も聴いてみました。2017年の『ダウン・リヴァー』。これ、かなり飛び抜けた内容ですよねえ。リリース当時bunboniさんがブログ記事にしていたみたいです。

 

ぼくはといえば、ちょっと前にはじめて聴いたとき、もうはっきり言ってひっくり返ったというくらいで、もうほんとうに超絶カッコいいんですが、特に1曲目「Bahia」のカッコよさといったら悶絶ものですよ。出だしはそうでもないんですが、中盤からデアンジェロがキメのフレーズをピアノで反復しはじめ、ドラムスとベースがそれに合わせていくあたりから、もう快感の嵐。こんなにもカッコいい音楽って、そんなにはないよねえ。

 

そのまま1曲目は最後までキメまくりで、もうこれを聴いただけでトリコになっちゃいます。なお、このアルバム、ギター、トランペット、サックスも参加していますが、編成は曲によって違っていて、1曲目は管楽器抜きでのカルテットによる演奏。ホントちょっと聴いてみてください、びしばしキメるそのあまりのカッコよさにぶっ飛びますって。ドラマー(アンドレ・リモーン・ケイロス)の叩きっぷりも特筆すべきもの。

 

いやほんとうにこの1曲目の中盤でピアノが反復フレーズを演奏しドラマーがハードに叩きはじめたあたりから、聴き手のこっちの気持ちが極まってしまうんですが、実際Spotifyでの再生回数(がきょう3/31から出るようになった)もこれがアルバム中群を抜いています。やっぱりなぁ、こんなにカッコいいジャズ、なかなかないもんねえ。

 

2曲目以後ちょっと落ち着きますが、3曲目「Aquelas Coisas Todas」はホーンズも活躍する、ちょっとアフロ・キューバン・テイストなリズムを持つ曲。これもみごとです。デアンジェロの音楽はビートが効いている曲のほうが映えるんですかね。それにコンポジションが抜きん出ているというか、特にリズム・セクションが演奏するキメのリフなんかはしょんべんチビりそうなほどカッコいいですよね。

 

4曲目「Sâo Paulo」でも、序盤でピアノの低音とベースが地を這うようなリフを演奏しているその刹那にギターが駆け抜けたら、それで背筋がキュッとなりそうな快感が走りますし、その後もギター(フェリピ・ヴィラス・ボアス)が躍動しながらリズムと連動していくそのさまにはほんとうに目を見張ります。どこまでがコンポジションでどこからがインプロヴィゼイションなのか判然としないのも、現代ジャズらしい特徴ですね。

 

(written 2021.3.31)

2021/08/02

ニュー・オーリンズ音楽入門にもってこいのアルバム

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(4 min read)

 

v.a / Our New Orleans (Expanded Edition)

https://open.spotify.com/album/4sVRgVyVsDVWFmtEgNwaF5?si=nxEJKQRdQyWqPgnsKgcpnw

 

2021年になっていまごろようやく見つけた『アワ・ニュー・オーリンズ』(2005)というアルバム。「ア・ベネフィット・アルバム」と付記されているのでもわかるように、ニュー・オーリンズに特に甚大な被害をもたらした2005年のハリケーン・カトリーナからの復旧に向けて製作されたもの。

 

いま2021年となってはハリケーン被害とそこからの復旧に取り組むニュー・オーリンズの音楽家たちの心意気、みたいな意味は薄れ、シンプルに音楽作品としてだけ楽しめるかどうかということだけにフォーカスするわけですけど、当時このアルバムを知らなかったぼくの心にも響いてくる内容なんですよね。

 

ところで今年になってようやくこのアルバムを見つけたというのには理由があるようで、なんでも昨2020年に『アワ・ニュー・オーリンズ』はエクスパンディド・エディションで再発されたみたいなんですよね。LP二枚組になり、ボーナス・トラックみたいに五曲が追加されています。オリジナル・アルバムはランディ・ニューマンの16曲目で終わっていたみたいです。

 

といってもそのオリジナル・アルバムは聴いていませんし、Spotifyにもそれはないんで、比較することはできません。それでですね、この『アワ・ニュー・オーリンズ』は、現地(出身)の音楽家を大挙起用して、現地ゆかりの曲をどんどんやっているというそういった作品なんですが、それであるがゆえニュー・オーリンズ・ミュージックのエッセンスをぎゅっと詰め込んだような内容なんですよね。

 

ポインター・シスターズの「イエス・ウィ・キャン・キャン」をアラン・トゥーサンがやるのではじまりますが、トゥーサンはアルバム後半でもピアノ独奏でプロフェッサー・ロングヘアの「ティピティーナ」を、それも短調にアレンジして、演奏しています。でも物悲しい曲調のものって、アルバム全体でもこれだけなんじゃないですかね。

 

そう、悲惨なハリケーン被害に沈む心、悲嘆に暮れるひとびと、といった側面はこのアルバム全体からは聴きとれず、どこまでも前向きに、肯定的に強く生き抜こうというニュー・オーリンズの街のパワフルさがきわだつ内容になっているのは特筆すべきです。

 

ドクター・ジョン、ダヴェル・クロウフォード、バックウィート・ザディコ、ドクター・マイケル・ワイト、ウォーデル・ケザーグが二曲づつやっていますよね。その他、アーマ・トーマス、エディ・ボ、ワイルド・マグノリアス、ダーティ・ダズン・ブラス・バンド、プリザヴェイション・ホール・ジャズ・バンドなどなど、ニュー・オーリンズを代表する音楽家たちが勢揃い。

 

とりあげられている曲では、「ドゥ・ユー・ノウ・ワット・イット・ミーンズ・トゥ・ミス・ニュー・オーリンズ」が三回も出てくるのが目立ちます。プリザヴェイション・ホール・ジャズ・バンドのヴァージョンでは(だれだろう?)バンジョーの弾き語りで。ダヴェル・クロウフォードのはしっとりと歌う郷愁歌。ウォーデル・ケザーグのものはドナルド・ハリスンのサックスをフィーチャーしたインストルメンタルで、弦楽が美しい。

 

どの曲も、どの音楽家の演唱も、ニュー・オーリンズ・ミュージックならではの力と美と楽しさに満ち満ちていて、しかもアメリカ最大のミュージック・シティともいえるこの土地の音楽の歴史と多様性を一堂に会したようなアルバムだから、ニュー・オーリンズ音楽入門編としてもいいですよね。聴き慣れているファンは、うんうんと納得しながらくつろいで楽しめるし、なかなかの好作品と思います。

 

(written 2021.3.30)

2021/08/01

ワン・ホーン・バラードが逸品なカーティス・フラー『ジ・オープナー』

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Curtis Fuller / The Opener

https://open.spotify.com/album/3eva44waMaCOJMWbbarsuH?si=pZtIN8KvSeK0X5JvjEIMXw

 

ハード・バップのジャズ・トロンボーニスト、カーティス・フラー。諸作あるうち、特に個人的な印象に残っているのが1957年の『ジ・オープナー』。

 

まずジャケット・デザインに惹かれてレコードを買いましたが、なんといっても1曲目のバラード「ア・ラヴリー・ウェイ・トゥ・スペンド・アン・イヴニング」をワン・ホーン編成で淡々と吹くカーティスに感銘を受けたんですよね。

 

地味なんですけど、このチャーミングなバラードのその雰囲気をそのまま活かすようにそっとやさしく、じっくりとつづるカーティスのトロンボーン演奏は、実に味わい深いものです。大学生のころはじめて聴いたとき、なんてすばらしいトロンボーンだろうと感動しましたね。

 

1957年の演奏ですから、カーティスはまだデビューして間もないというころ。でもここでのバラード吹奏は文句のつけようがない完璧さじゃないですか。ボビー・ティモンズ以下リズム・セクションも堅実。この曲ではテナー・サックスでアルバムに参加しているハンク・モブリーはお休みです。

 

このカーティスの演奏を聴いていると、オーディオの前にすわっているこっちがまさにほんとうにステキな夜を過ごしているような気分になれて、つまりこれは原曲の持つその雰囲気を100%活かせているみごとな演奏だから、ということですよね。

 

こんなのがA面トップだったもんだから、もうそれだけでアルバム全体のイメージが決定づけられてしまったような感じですが、実際にはなんの変哲もないハード・バップ・セッションで、ことさら秀作というわけでもありません。1曲目が突出しているだけで。

 

そうそう、CDや配信では4曲目の「ヒアズ・トゥ・マイ・レイディ」、これもチャーミングなバラードをカーティスが淡々と演奏する内容ですけど、これが当時B面トップだったんです。つまりこの『ジ・オープナー』というアルバム、レコードのAB面それぞれトップにワン・ホーン・バラードを持ってくることで全体の統一感を出そうとしたもの。

 

そのB面1曲目だった「ヒアズ・トゥ・マイ・レイディ」も逸品で、ムードは完璧にA-1の「ステキな夜の過ごしかた」と同じ。ほかの収録曲にこれといってきわだつ美点もないので、アルバム全体ではやや点数が下がってしまいますが、なかなか忘れられない印象を残す作品ではあります。それほどA-1、B-1は魅力的。37分間のアルバム一個につき二曲あれば、充分じゃないですかね。

 

(written 2021.3.29)

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