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2021年9月

2021/09/30

「会いに行ける」から「時間を共有する」へ 〜 転換点に立つアイドル・ビジネス

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(7 min read)

 

コロナ禍はあらゆる舞台芸能・芸術やイベント、コンサートなどの様相を一変させました。

 

いまは開催そのものがむずかしいだけでなく、出演者とファンとの交流も以前のようにはできなくなりましたし、「会いに行ける」を掲げるアイドルたちにとって、その制約はいっそう大きなものとなったと言えます。

 

わさみんこと岩佐美咲関係もそうなんですけど、元アイドル業界だって、2020年初春以来のコロナ時代になって、すっかり様変わりしてしまったような印象がありますね。特にAKB系とか坂道系とかの秋元康プロデュース界隈はそう。

 

それらは2005年のAKB48発足以来「会いに行ける」ということを最大の看板コンセプトにしていて、もともと歌手とか音楽家とかの芸のひとは、ぼくら一般人は近寄ることもできない、会っておしゃべりすることなんかもってのほかという、異能・異界の人間であるという、そんな常識をくつがえして一世を風靡したわけです。

 

卑近な日常性がモットーというか、有り体にいえば握手券つきCDさえ買えば、握手会とか各種イベント、コンサートの後とかに、一対一で近寄って手を握り目を見つめながらちょっとのあいだおしゃべりできるという、オタク界隈でいうところの<接触>でもってファンを惹きつけてきた商法があったわけです。それでもってCDも売ってきました。

 

そんなこんなが、コロナ禍でいっさい消し飛んでしまいました。オンライン・イベントに移行したわけです。実際にリアルで間近に顔を見て握手しながらおしゃべりする代わりに、ネット画面越しにそれをやるようになりました。いまはどんな(元)アイドルもそうやって営業しているんじゃないでしょうか。

 

これがですね、「さびしい」「むなしい」「会いたい」といったたぐいの声をかなり多く生むようになっているんですが、そうはいってもこの状況ですからね、なかなかリアル対面イベントなどはあと二年程度実施できないんじゃないでしょうか。すべてがオンラインで、画面越しで、ということに現状なっています。

 

そして、地方在住者であるとか、あるいは経済的弱者であるとか、そのダブル・バインドだとかで、現場イベントになかなか参加できなかったファン(オタク界隈でいうところの「在宅」系)にとっては、オンラインなら容易に参加できやすいという状況をつくりだすことになっているので、これは一概につらいとだけとは言えないのですよ。

 

わさみん関係だって、ネットでどんどんおしゃべり会だの歌唱イベント系だのサイン会だの、開催するようになっていますが、それら、もともとコロナ時代以前はその現場に駆けつけないと見ることすらかなわなかったものです。

 

わさみん関係のそういったイベントはだいたい東京とか首都圏でしか開催されませんから、そのエリアに住んでいるファンにはよかったでしょうが、ぼくら地方民はいつもいつも悔しい思いをしていたんです。

 

それでもぼくも金銭的に余裕のあった2019年には首都圏開催のわさみん歌唱イベントなどに、わざわざ飛行機に乗ってホテルもとって、なんども参加していたわけですけれども、貧困にあえぐいまとなってはそんなことも不可能になってしまいました。

 

潤沢な資金がないと、ファンはわさみんの現場開催イベント、コンサートなどに参加できない 〜〜 これは厳然たる事実でした(首都圏民を除く)。地方民にとってはお金がすべてだったんです。あるいは家族がいるとか子どもがまだ小さいとかで、地方から駆けつけられないファンだっているんじゃないでしょうか。

 

そんな地理的 or / and 経済的束縛にがんじがらめになっているファンにとっては、些少額のチケット購入で、あるいは無料で、参加できるオンライン・イベントの開催は、実はとってもうれしいことなんですよね。インターネットを利用したものであれば、全国どこに住んでいてもパソコンやスマホさえあれば参加できて、わさみんに(画面越しにとはいえ)会っておしゃべりすることができます。歌も聴けます。

 

元アイドル界にいたタレントのなかではわさみんのことしかぼくは知りませんが、秋元康系アイドルの世界では、たぶん全員が似たような事情を、コロナ時代以後、かかえているだろうと容易に推測できますね。

 

そう、コロナ禍はキツいことなんですけど、現場リアル参加型からオンライン参加型への移行をうながしたことで、かえって(それまであきらめていた)地方在住のファンにとっては、実際に楽しめる、顔を見られる、おしゃべりもできる、生歌が聴ける、というチャンスが生まれたということで、実はコロナ禍が僥倖だったという面だってあるのです。

 

上で書きましたように、現行の日本の(元)アイドル産業は秋元康が2005年にはじめてすっかりそのビジネス・スタイルを定着させたものですけれど、コロナ時代以後は「会いに行ける」から「時間を共有する」という手法へ変化したと思います。いま、この業界は大きな転換点に立っているのです。

 

というわけですから、今後とも、コロナ禍が収束してのちも、100%従来モデルに戻ってしまわずに、引き続きオンラインでのお話し会やライヴ配信の充実もお願いしたいと思います。ぼくみたいに地方在住&貧乏というダブル・バインドな人間にとっては、それしかないんですから。それで応援していきますから。

 

(written 2021.9.25)

2021/09/29

フェイゲン&スティーリー・ダン in ライヴ新作二種

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(7 min read)

 

Donald Fagen / The Nightfly Live
https://open.spotify.com/album/5C5qAs32rM9PXL6MNuxTDp?si=EVMKtQXRQwaXGSjzF2pTSg&dl_branch=1

 

Steely Dan / Northeast Corridor: Steely Dan Live!
https://open.spotify.com/album/50nlMmLmdig3A8Otqja9re?si=PdIdzJnYRHu_mQ-P5lFJxw&dl_branch=1

 

2021年9月24日に同時リリースされたどっちもライヴ・アルバム、ドナルド・フェイゲン『ザ・ナイトフライ・ライヴ』とスティーリー・ダン『ノースイースト・コリドー:スティーリー・ダン・ライヴ!』。これが楽しい。

 

この二作、音楽家の名義を違えてはあるものの、一卵性双生児みたいなもの。スティーリー・ダンだって2017年のウォルター・ベッカー死去後はフェイゲンのソロ・プロジェクトと化しているんですし、なによりサウンドを聴けばですね、「同じ」ものを二つに分けただけとわかります。

 

それに今回のこれら二作、どうやらバンド・メンバーも同じみたいなんですよね。Spotifyでぼくは聴いているだけですけど、ネットで情報をさがしてみると、ジョン・ヘリントン(ギター)、コナー・ケネディ(ギター)、フレディ・ワシントン(ベース)、キース・カーロック(ドラムス)、ジム・ベアード(キーボード)らにホーン・セクション+女声コーラス、そしてフェイゲン本人。

 

要するに、フロントを務めるフェイゲン一人がメンバーを集め、その同一バンドで、演奏曲目だけ変えた二種のライヴをそれぞれ収録したということ。オリジナルの曲順で全曲再現されているフェイゲンの『ザ・ナイトフライ』(1982)は、もとから完璧にスティーリー・ダンの延長線上にあったものでしたしね。

 

実際、近年のアメリカン・ツアーでは同じライヴ・バンドで日替わりメニューを演奏していたそうで、きょうはスティーリー・ダンのこれ、あしたはフェイゲンのソロ・ナンバーを、とかやっていたみたいですから、今回リリースされた二作も実質同じようなものです。

 

個人的により思い入れが強くより頻繁に聴いてきたのは、スティーリー・ダンよりもフェイゲンのソロ『ザ・ナイトフライ』のほうですけれど、どちらもライヴでの生演奏再現などは到底不可能と、あのころみんな思っていましたよねえ。

 

1976年の『ザ・ロイヤル・スキャム』から、スティーリー・ダンは演奏バンドというよりもフェイゲンとベッカーの二人だけユニットになり、ライヴ活動をやめ、多種の腕利きセッション・ミュージシャンを起用しての100%スタジオ密室作業にこだわって作品をつくりあげるようになりましたから。

 

風向きが変わったのは、以前も書きましたがフェイゲン1993年のソロ『カマキリアド』から。そして95年にリリースされたスティーリー・ダン驚愕のライヴ・アルバム『アライヴ・イン・アメリカ』でぼくらは度肝を抜かれたわけです。93/94年のアメリカン・ツアーから収録したものでしたが、ダンのあの世界が、生演奏不可能とだれもが信じていたあの音楽が、完璧にライヴ再現されていましたから。

 

時代が進んでミュージシャンの演奏技量が格段に向上したこと。そしてコンサート・テクノロジーの著しい進展。この二つでもってスティーリー・ダン後期のああいった曲群もみごとにライヴ再現できるようになり、以後、ダン名義、フェイゲンのソロ名義と、現在までライヴをふくめ活動を続けているわけです。

 

いつもフロントで歌うのがフェイゲンなわけですけれど、本人はヴォーカルにあまり自信がないようなことを以前は言っていました。そりゃあリズム&ブルーズ/ソウル系のパンチの効いた濃い歌をたくさん聴いてきていて、それを滋養にしてみずからをつくりあげてきた音楽家ですからね。

 

でも1995年のスティーリー・ダン名義『アライヴ・イン・アメリカ』のころからは、ライヴでやれるようになったことがうれしかったのか、フェイゲンの声が以前より野太くしっかり充実するようになっていると聴こえます。バンドのサウンド構築はもとよりお手のものですから、全体的に強化されたと言えるんじゃないですかね。

 

そんな部分、今回のライヴ・アルバム二作では、よりはっきり実感できるようになっているのが歓迎です。フェイゲンのヴォーカルが向上しているだけでなく、バンドの演奏にも新鮮味を感じる部分があって、すばらしいですね。特にドラマーのキース・カーロックのスネアとハイ・ハット・ワーク。はきはきとキレがよくシャープで、快感です。

 

音楽的にはスティーリー・ダンであれフェイゲンのソロであれ、1970〜80年代となんら本質的な違いなどなく、ライヴ・アルバムとしても95年の『アライヴ・イン・アメリカ』と特に変わりませんが、バンドの演奏はいっそうの切れ味を増し、ジャジーで都会的なリズム&ブルーズ系のAORの魅力を満開にふりまいたライヴ作品ですね。

 

完璧すぎて、レコードやCDなどで聴いているのと変わらないじゃん、という気分にすらなったりしますけども、バンドの一体感はツギハギだらけだったスタジオ作品とは比較にならないすばらしさだし、細かいところの詰めが新たに編みなおされていたり、グルーヴがより研ぎ澄まされていたり、新鮮なフレーズがさりげなく盛り込まれていたりします。

 

そんなそこはかとなき変化というかアップデートをサウンドの細部に感じることができるのも、これら二作のポイントです。完璧主義者のフェイゲン、それをライヴ・ステージにおいて生で実現できるようになったことがうれしくてたまらないといった表情を聴きとることができて、それがヴォーカルの充実にもつながっているんじゃないでしょうか。

 

(written 2021.9.28)

2021/09/28

77年根室ライヴのジャジーな熱さ 〜 渡辺貞夫

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(4 min read)

 

渡辺貞夫 / ライヴ・イン 根室 1977

https://open.spotify.com/album/7HVbgGKFtvN81pwYGjcGls?si=daeMPlvgRUKN-pRp-VUp_Q

 

渡辺貞夫さんのポップ・フュージョン期突入直後あたりになる1977年10月8日に根室でやったライヴ・コンサートの模様が、アルバム『ライヴ・イン 根室 1977』となってリリースされたのは2016年のこと。名演発掘と、当時ちょっと話題になりましたね。

 

この根室ライヴ、演奏しているクインテットの面々は、貞夫さん(アルト・サックス、ソプラニーノ)のほか、福村博(トロンボーン)、本田竹広(ピアノ等)、岡田勉(ベース)、守新治(ドラムス)と、オール日本人編成。

 

このへんはどうなんですかね、すでに同年春には『マイ・ディア・ライフ』を録音し発売もされていて、それはリー・リトナー、デイヴ・グルーシン、チャック・レイニーらアメリカのフュージョン・ミュージシャンたちで編成されたアルバムだったんですけれど、1977年当時の貞夫さんはまだライヴではそこまでじゃなかったということでしょうか。

 

演奏レパートリーもですね、全七曲のうち『マイ・ディア・ライフ』に収録されたオリジナル・フュージョン・ナンバーが四つ、残り三つはストレート・ジャズの有名曲(「チェルシー・ブリッジ」「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「リズマニング」)なんですよね。

 

いろんな意味で中間的というか折衷的だったかもしれないこの1977年根室ライヴ、しかし演奏はどれも熱いです。特色としては、フュージョン・ナンバーでもジャズ的なインプロ・ソロのスリルに満ち満ちているということがあげられると思います。それは1曲目の「マサイ・トーク」を聴くだけでもわかります。

 

思い出すのは、この根室ライヴの三年前1974年に、東京は郵便貯金ホールで行われたライヴを収録した傑作ライヴ・アルバム『ムバリ・アフリカ』のことです。あれも鍵盤が本田でしたけど、メンバーがほとばしるような情熱をぶつける、そんなあふれんばかりのインプロ・ソロが次々と展開するので、(二度目の)CDリイシューで2017年にひさびさに聴いたぼくは感動をあらたにしたもんです。

 

77年根室ライヴもあれに通じる熱さを感じるんですよね。すでに『マイ・ディア・ライフ』を発表していたとはいえ、ライヴでの貞夫さんはまだジャズ・マナーな演奏手法を維持していて、っていうかずっとあとのポップ・フュージョン路線がすっかり定着してからでもライヴでの貞夫さんやメンバーはそうでした。

 

スタジオ作品では新基軸を打ち出すものの、そんな曲も演奏しながらライヴでは熱い(ある意味ジャジーな)インプロ合戦をくりひろげる 〜 それが1977年当時もその後もずっと変わらない貞夫さんの姿勢だったんだと思います。この根室のときは全員日本人ミュージシャンですけど、のちにアメリカ人フュージョン系ミュージシャンをツアーでもフル起用するようになってからだってこれは変わらないことでしたから。

 

1980年代にコンサート現場で、またはそれを録音したものを流すラジオ番組で、これでもかというほど体験した貞夫フュージョンのライヴでの姿、真価を、この77年根室ライヴでも追体験し、思い出すような心地になりました。ライヴにおける貞夫さんにとっては、ジャズもフュージョンも「一つ」だったのかもしれません。

 

(written 2021.5.14)

2021/09/27

歴史に洗われた洗練 〜 アラトゥルカ・レコーズの新作

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Alaturka Records / Seyir

https://open.spotify.com/album/0xfjkDwLeOo1waTCY9UhUR?si=ReE0URLTSB2mY1lROFqBHw&dl_branch=1

 

カラン配給、オスマン古典歌謡を21世紀に復興しているレーベル、アラトゥルカ・レコーズ(トルコ)の三作目にあたる新作『Seyir』(2021)は、今年六月にデジタル・リリースされたもの。そのときさっそく聴いてツイートしましたが、どこからも反応は皆無。

 

そこから約三ヶ月が経ってCDがエル・スールに入荷したということで、いまごろようやくちょっとブログにメモしておこうという気になりました。

 

今回は、歌い手のヴァラエティに富んでいた前二作と大きく異なり、単独の歌手一人をフィーチャーした内容。それがアイリン・センギュン・タシュチュ(Aylin Șengün Taşçi)。トルコ古典声楽界ではややベテラン寄りの中堅どころでしょうかね。

 

オスマン古典歌謡、大のお気に入りなんですが、21世紀に、現代演奏とはいえ古典をそのまま復興させただけの音楽のどこがそんなにいいのか?いまの時代に訴求力があるのか?みたいなことは、まったく考えたこともありません。ただ、聴けば気持ちいい、それだけです。

 

今回もアラトゥルカ・レコーズを主宰するウール・ウシュクが音楽監督を務めウードとチェロを弾いています。そのほかネイ、カーヌーン、ケマンチェ、レバブ、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ダルブッカ、デフなど、オーソドックスな編成である模様。

 

それでもって、アイリン・センギュン・タシュチュのヴォーカルをフィーチャーし、20世紀初頭ごろのオスマン古典歌謡(トルコ共和国の成立は1924年)のSP音源を模範として再興しているわけです。3、10、13曲目には男声ヴォーカルも参加。

 

古典そのままといっても、しかし聴いているとなんだか新鮮な気持ちになってくることもたしかで、たぶんこういった音楽は時代の流れに関係なく、いつでも変わらぬ味わいを持ち魅力を放っている、決して古くも(新しくも)ならない、っていうことかもしれません。流行ポップ音楽じゃありませんからね。

 

しかもいまごろの晩夏〜初秋ごろにピッタリ似合う雰囲気を持っていて、日が暮れてからの夜、この音楽が鈴虫の鳴き声と混じったりなんかすると、も〜う最高なんですよ。優雅であり深みもありながら、みずみずしさを失わないアイリンの歌声も、この季節にまったくふさわしいものです。

 

オスマン古典歌謡はなんでも500年の歴史があるそうで、そんな長い時代の経過に洗われて洗練を重ねてきたコクのある味わいは、21世紀になっても不変であるということでしょうね。アラトゥルカ・レコーズがあるおかげで、現代の好音質でそれを聴くことができて、幸せのひとことです。

 

(written 2021.9.26)

2021/09/26

伝統ファドのなかにある新鮮味 〜 アルディーナ・ドゥアルテ

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Aldina Duarte / Roubados

https://open.spotify.com/album/6t2ySgjZyTnlWvM76VHjKr?si=NwEK3QzZQeWIWux2-1VVGw

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-17

 

ポルトガルのファド歌手アルディーナ・ドゥアルテの最新作『Roubados』(2019)は、完璧なる古典ファドの味わいで、重厚な感じ。ファド歌手も新感覚の新世代がどんどん出てきていて、個人的には好感をいだいていますが、(やや歳上とはいえ)こういった伝統派もいいですね。

 

『Roubados』は、錚々たる古典ファド歌手たちのレパートリーのカヴァー集ということで、こんな企画に挑もうというのもアルディーナらしいところなんでしょうね。ギターとギターラ(ポルトガル・ギター)だけっていう、それもやはりファド伝統の伴奏を貫いていて、歌いかたも重厚そのもの。

 

こういった伝統派のファドなら、べつにアルディーナを聴かなくてもすぐれた先輩がたくさんいるわけですが、それでも現役世代らしい一種の軽みのようなものを、ぼくはですね、随所に感じることができて、そんなところが旧世代にはなかった新味かなと思ったりします。

 

伴奏でも、このアルバムだと特にギターラの金属弦のキラキラした響きには一種の明るさがあって、地中海的な陽光の日差しとでもいいますか、キラメキ、軽快さをぼくは感じるんですけどね。もとからそんな音色の楽器ではありますが、ファドで使われるのが定番となって以来ちょっと違うイメージでとらえられてきたように思います。

 

アルディーナのヴォーカルも、曲によってはほんのちょっとの明るさ、軽快さを感じる瞬間もあって、伝統派というか従来的なファドのステレオタイプなイメージとして抱かれがちな暗さ、重さばかりではないところに好感を持ちます。ファドという音楽は聴く季節やタイミング、こちらの体調を選ぶところがありますが、アルディーナのこの作品だとそんな懸念も無縁です。

 

そういった新解釈や現代風味もまじえながら、それでも「孤独を歌にする」といったような古典ファドの張りつめた緊張感や味わいはしっかり健在。つらくさびしいときなどに聴くとおおいになぐさめられます。アルバム・ラストの一曲にだけアントニオ・ザンブージョがゲスト参加しています。

 

(written 2021.6.5)

2021/09/25

Instagramはパソコンでもできるんですよ

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https://www.instagram.com

 

といっても投稿だけはスマホやタブレットのアプリを使わないと(基本)できませんが、それ以外だったらパソコンのWebブラウザでもInstagramはできます。見たりいいねやコメントしたりメッセージのやりとりをしたりなど、ほぼ不自由ありません。

 

このへん、声を大にして言いたい、というのはスマホかタブレットをお持ちでない一部中高年のみなさんのなかには、Instagramはスマホやタブレットじゃないとできないんでしょ、と誤解して遠慮している向きが少なからずいるように見受けられるからです。

 

そもそもスマホくらい安いんだから持ったらどうか、人生の利便性もグッと上がるんだしねえとか思いますけれど、みなさんそれぞれ事情や思想があるでしょうから、あんまり言えないですよね。

 

便利だとか云々以上にぼくが気になっているのは、音楽関係のことでも情報収集でいまやインスタが主な手段になってきているからということです。若手歌手や音楽家はみんなインスタの公式アカウントを持っていて、どんどん発信しています。

 

レイヴェイや、きのう書いたナサニエル・クロスにしてもそうだけど、そもそもインスタでしか重要情報をリリースしないという音楽家も増えてきていて、それを見逃すとほかにゲットする手段もないわけです。

 

作品についてはですね、レコードなりCDなりを買えばパーソネルやレコーディング・データの記載もあるでしょうけど、サブスクで聴いている人間はそのへんネットで調べるしかないんですからね。

 

若手音楽家だけじゃなく、ブルー・ノートのような老舗レーベル、マイルズ・デイヴィスなど故人大物音楽家のエステートなども公式Instagramアカウントを活用してどんどん新規情報を流しています。こういう例はもう枚挙にいとまがないんですよね。

 

そりゃあTwitter、Instagram、Facebookの三大ソーシャル・メディアのなかで、いちばんイキがいいのがインスタなんですし、だからそうでなくともそもそも太古から時代の流れに敏感なミュージシャンたちがインスタを主な場所とするのはとうぜんです。

 

そんなInstagramに、ただスマホを持っていないからというだけの理由で知らん顔しているようでは、いまどきの音楽新情報を取り逃がしてしまうことも多いんじゃないかと思わないでもないです。でも、スマホを持っていなくても、パソコンで(見るだけなら)不自由なくインスタはできるんですから、どうかご安心を。さぁ、アクセスを。
https://www.instagram.com

 

いやいや、投稿できなくちゃおもしろくないよ、というかたはスマホかタブレットを買ってください。

 

(written 2021.9.24)

2021/09/24

最先鋭のブリティッシュ・カリビアン・ジャズ 〜 ナサニエル・クロス

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Nathaniel Cross / The Description Is Not The Described

https://open.spotify.com/album/6pwCh7X6DU4Kv8qaizQykc?si=HITJjPlvR8-d6vUt3OpsTg&dl_branch=1

 

Astralさんに教えてもらいました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-09-08

 

南ロンドン人で、チューバ奏者テオン・クロスの兄弟であるジャズ・トロンボーン奏者、ナサニエル・クロスのデビュー・ソロ・アルバム『ザ・ディスクリプション・イズ・ノット・ザ・ディスクライブド』(2021)がかなり楽しいです。

 

まるで多様な文化が共存する南ロンドンをそのまま映し出したかのような作品で、ナサニエル自身、セントルシア人の母とジャマイカ人の父とのあいだに生まれたカリビアン・ブリティッシュ。このアルバムの音楽にもそんな出自が色濃く反映されているように感じます。

 

基調になっているのはUKらしいブロークン・ビーツで、いかにもカリブ文化が息づいているロンドン・ジャズだと言えるところ。このリズム、ビート感を聴いてほしいんですよね。スムースに流れるようでいて、どこかイビツなつっかかり、よれも感じるポリリズム。イキイキと躍動するロンドン・ジャズの現代性がここにあるのがわかるでしょう。

 

それにホーン陣のサウンドが分厚いのもぼく好み。といってもトロンボーン、トランペット、サックスの三管で、それでもって演奏するテーマやアレンジ(ナサニエル自身)が心地いいです。インプロ・ソロもたっぷりあるんですけど、アレンジメント好きのぼくにはみずみずしい三管アンサンブル・パートが大のお気に入り。

 

1曲目「グッドバイ・フォー・ナウ」なんか、もう最高じゃないですか。ブラジリアン・フュージョンの香りすらただよっている一曲ですが、基本的にはブリティッシュ・カリビアン・ジャズだと言っていいビート感だと思います。リズム担当はドラマー+複数のパーカショニストかな。

 

そのへん、ナサニエルの公式Instagramにパーソネル記載があったので書いておくと、トランペット、トロンボーン、テナー・サックス、キーボード、ギター、ベース、ドラムス、コンガ、ジェンベ、ガンガン(Ganganはヨルバのトーキング・ドラム)だそう。ところで、近年はこうした公式情報をInstagramでリリースする音楽家が増えていますね。
https://www.instagram.com/p/CQifXTJrgPJ/

 

打楽器編成からも、音を聴いた感触からも、カリブ経由の西アフリカ音楽がこのビート感のルーツになっているんだろうことは容易に察せられます。西アフリカ〜カリブから現代ロンドンへ、という旅を経た上でのコンテンポラリーなUKクラブ・ジャズの最先鋭のかたちがここにはありますね。

 

(written 2021.9.23)

2021/09/23

禁酒法時代とコロナ時代を二重映しにして 〜 シエラ・フェレル

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Sierra Ferrell / Long Time Coming

https://open.spotify.com/album/5ZI0k3IynnC5C9QKMmY7cB?si=0INHFsJ8R2SsuVkg07SBYA&dl_branch=1

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/08/30/long-time-coming-sierra-ferrell/

 

ウェスト・ヴァージニア生まれ、アメリカ国内をひろく放浪しているらしい(いまはナッシュヴィルに定着しているんだっけ?)シンガー・ソングライター、シエラ・フェレルのデビュー・アルバム『ロング・タイム・カミング』(2021)がなかなかいいです。

 

このアルバム発売にこぎつけるまでの経緯みたいなことは上の健太さんのブログ記事にくわしいので、ぜひご一読ください。公式サイトもあります。カンタンに言うと、インディー活動していたところをアメリカーナ系YouTubeチャンネルで紹介されてバズったということみたいです。

 

ということで、アルバムの音楽性としてもやっぱりアメリカーナというかカントリーやブルーグラスなどを基調とするルーツ系。

 

ですけれど、そう一筋縄ではいかないところがシエラの持ち味。タンゴその他ラテン・アメリカ音楽のリズムがあったり、ジプシー・スウィングっぽさが聴けたり、バルカンっぽい東欧、あるいは中東音楽っぽさもまぶされているのがぼく好み。

 

なんでもシエラは、ブルーグラスも、カントリーも、ブルーズも、ジャズも、ジプシー・スウィングも、タンゴも、さらにはテクノも、ゴス・メタルも、なんでもかんでも大好きという嗜好の持ち主だそうで、そんなところがアルバムにもそこはかとなく反映されています。

 

無国籍で豊かなルーツ系の素養を持つごた混ぜシエラの音楽性は、1曲目「ザ・シー」から鮮明。カントリーがルーツになっているだろうという曲想ですけれど、ジャジーでもあって、ジャンゴ・ラインハルトら1930年代のフランス・ホット・クラブ五重奏団的な雰囲気も濃厚にあります。

 

どこのどんな音楽要素がどれだけの割合で混合しているみたいなことを察知させないのがシエラらしいところですかね。1曲目「ザ・シー」だって、上に書いたものだけでなく、ちょっぴり東欧的、一滴のラテン・ミュージックっぽさだって感じますもん。

 

2曲目以後、全体的にはやはりカントリー・ベースのアメリカーナ系の音楽が展開されているなとは思いますが、数曲ある三拍子ナンバー(どうもお得意みたい)はヨーロッパ大陸ふうでもあるし、かつての古き良き時代のアメリカン・ポップスを想起させたりもします。ジミー・ロジャーズを想わせる典型的なカントリー・ナンバーだっていくつもありますけどね。

 

7曲目「ファー・アウェイ・アクロス・ザ・シー」は、ブラス楽器をフィーチャーしつつバルカン音楽っぽさを存分にふりまいていて、ちょっとあれです、デビューしたころのベイルート(ザック・コンドン)の『グラーグ・オーケスター』みたいですよ。

 

8曲目「ワイド・ヤ・ドゥ・イット」はちょっとタンゴっぽいけどそうでもないような意味不明ラテン・ミュージックのリズムに、色香ただようヴァイオリンとアコーディオンがからんでいるっていう。

 

シエラの音楽はレトロな眼差しと同時にコンテンポラリーな肌触りもきっちりあるのがおもしろいところですね。禁酒法時代と新型コロナ・ウイルス禍の時代とがぐにゃっとワープしながら二重映しになったような、そんな音楽で、若いころ旅芸人一座に出会い刺激されて自分も放浪の音楽生活を送っていただけあるっていう雰囲気がサウンドにも反映されているのが唯一無二です。

 

(written 2021.9.17)

2021/09/22

2021年に甦ったヒル・カントリー・ブルーズ 〜 ブラック・キーズ

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(5 min read)

 

The Black Keys / Delta Kream

https://open.spotify.com/album/682pJqnx8hcrCfSjvyNBki?si=SY904XTaTOCbnkGWDtKyUg&dl_branch=1

 

ハード・ロック、ブルーズ・ロックで思い出しました、今年五月のリリース以来お気に入りになっていたのにもかかわらず、なぜだかいままで書かずにいたブラック・キーズの新作『デルタ・クリーム』(2021)。実はほんとうに大好きなので、この際ちょこっとメモしておきましょう。

 

『デルタ・クリーム』は、2002年のデビュー当時からブラック・キーズが影響を隠してこなかった北ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズへの全面的なオマージュ・アルバム。全11曲、すべてヒル・カントリー・ブルーズ・スタンダードのカヴァーで、オリジナルは一曲もなし。ジュニア・キンブロウとかR. L. バーンサイドのレパートリーだったものが中心です。

 

いままでもヒル・カントリー・ブルーズ愛を表明してきたとはいえ、ここまで全面的なトリビュートをブラック・キーズがやったのははじめて。それがぼくにはたいそう気持ちよくて、しかもゲスト・ミュージシャンを迎えスタジオでのライヴ・セッション一発録りだったこともわかる音響で、そんなナマナマしさだって大好き。リハーサルなし、たった二日間で録音完了したそう。

 

ゲスト・ミュージシャンというのがこれまた目を(耳を)引くもので、なかでもR. L. バーンサイドのバンドで活躍したギターのケニー・ブラウンと、ジュニア・キンブロウのベーシストだったエリック・ディートンの二名。直系のエッセンスを注入したかったということでしょうか。

 

ケニーとエリック両名は、実際『デルタ・クリーム』で大活躍。特にケニーのギュンギュンっていうスライド・ギターですね、聴けば瞬時にケニーとわかる独自のスタイルを持っていますから。

 

一度聴いたらヤミツキになるケニーのスライド・サウンド、1990年代のバーンサイドの諸作やライヴでたっぷり味わいましたから、『デルタ・クリーム』を聴いているとまるでタイム・スリップしたかのような感覚におそわれ、快感です。

 

バーンサイドやキンブロウらと共演を重ね、バーンサイドからは「白い息子」とまで呼ばれたケニーは、全盛期ヒル・カントリー・ブルーズの中核を担っていた存在。ケニーの全面参加で、ブラック・キーズが一気にディープ・サウスの深奥のブルーズ・グルーヴを獲得しているような感じです。

 

ナマの(rawな)、つまりちょっとロー・ファイでザラついたガレージな音の質感を活かしたできあがりなのは、いかにもブラック・キーズらしいとも言えるし、もともとヒル・カントリー・ブルーズの諸作だってそうでした。コミュニティ内部の、現場の、空気感をそのまま真空パックしたようで、いいですねえ。

 

アルバムは、ジュニア・キンブロウ・ヴァージョンを下敷きにしたジョン・リー・フッカーの「クロウリング・キングスネイク」でどす黒くはじまり、そのどす黒さを保ったまま最後まで進みます。3曲目「プア・ボーイ・ア・ロング・ウェイ・フロム・ホーム」(ケニーが冴えている)でのこのノリとかビート感なんか、迫力あります。

 

ブラック・キーズのダン・オーバックも、ヒル・カントリー・ブルーズならではっていうギターで短くシンプルな同一フレーズを延々と反復することによってヒプノティックな快感グルーヴを産むという例の手法を、どの曲でも活用していて、5曲目「ゴーイング・ダウン・サウス」でもそうですね。

 

バーンサイドが生き返ったのかと思うような6曲目「コール・ブラック・マティ」や10「メロウ・ピーチズ」、ロー・ダウンでヘヴィ&ダーティなグルーヴを聴かせるジュニア・キンブロウの7「ドゥー・ザ・ロンプ」と8「サッド・デイズ、ロンリー・ナイツ」など、ほんとうに全盛期90年代のヒル・カントリー・ブルーズが2021年に甦ったのかと錯覚するような内容。

 

ただひたすら気持ちいいです。

 

(written 2021.9.21)

2021/09/21

ブルーズ・ロックをいろどる管弦アンサンブル 〜 ラーキン・ポー&ヌ・デコ・アンサンブル

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(5 min read)

 

Larkin Poe, Nu Deco Ensemble / Paint The Roses (Live In Concert)

https://open.spotify.com/album/2rIe2vSV47OAhOBLNtCWmu?si=p8oV-hugRI-CZlxe8mSNdw&dl_branch=1

 

こちらもぼくのお気に入り、レベッカ&ミーガンのローヴェル姉妹をツー・トップとする時代遅れのブルーズ・ロック・バンド、ラーキン・ポー。やはり新作ライヴ・アルバムの『ペイント・ザ・ロージズ(ライヴ・イン・コンサート)』(2021)が出ました。昨年もスタジオ録音で二作出しているし、なんだかコロナ禍に入ってかえって活動が活発化しているような。

 

ともあれ、これもルーマーの新作ライヴ・アルバム同様9月17日にリリースされたもので、なんだかこの日はリリース・ラッシュだったというか、ジャズ・ドラマー、ネイト・スミスのニュー・アルバムも出ましたよね。それもおもしろかったし。

 

七曲29分しかありませんが、ラーキン・ポーの新作ライヴは、なんとヌ・デコ・アンサンブルという管弦の室内楽オーケストラとの共演。昨年12月にマイアミで行われたコラボ・コンサートを収録したもので、その映像は全曲YouTubeで観られます。

 

ヌ・デコ・アンサンブルのほうにぼくはなじみがないわけですが、なんでもマイアミを拠点とする2015年発足のオーケストラで、しかもジャンル・クロシングなというか、自身の表現を使うとハイブリッドで「折衷的な」音楽活動を続けているそう。いままでにワイクリフ・ジョン、P. J. モートン、メイシー・グレイ、ジェイコブ・コリア、ベン・フォールズなどなど多数と共演してきているみたい。

 

ヌ・デコ・アンサンブルは2020〜21年のコロナ・シーズンに、感染対策に配慮してソーシャル・ディスタンスをとったストリーミング・コンサートのシリーズを実施していて、やはりジャンル混交的なプログラムだったそうですから、ラーキン・ポーとの初共演は(クラシック・ロック勢とのコラボも多く経験している)ヌ・デコ側からもちかけたんじゃないかと思います。

 

演奏曲目はいずれもラーキン・ポー・サイドのもので、過去作でやっていた曲ばかり。オリジナル・アルバムとしては最新作にあたる昨年初夏の『セルフ・メイド・マン』からのレパートリーが中心です。一曲、「マッド・アズ・ア・ハッター」だけは、自作の新曲じゃないかと思います。

 

ヌ・デコ・アンサンブルのオーケストラ・サウンドはさほど大きくは目立たず控えめで、どこまでもラーキン・ポーのローヴェル姉妹のギターと歌をフィーチャーしているといった内容。こういうのがヌ・デコの共演スタイルなのかもしれませんが、ミキシングでも配慮しているように聴こえます。

 

考えてみれば、ハード・ロックとクラシカルな管弦のオーケストラル・サウンドとの相性は、レッド・ツェッペリンなどを思い出してみてもわかるように、むかしからいいです。ツェッペリンでいえば『フィジカル・グラフィティ』とか、あのへんのビッグ・サウンドを想起させるものが、このラーキン・ポーの新作にはあります。

 

それをメロトロン(古っ)とかシンセサイザーとかじゃなくて、生演奏のアクースティック・オーケストラで実現したというところに、このアルバムの眼目があるのでしょう。ローヴェル姉妹のコアなクラシック・ロック愛がいっそうきわだって聴こえますし、カラフルでふくよかなサウンドになって、聴きごたえありますし楽しいです。

 

曲そのものはですね、以前からラーキン・ポーのアルバムでなじんでいたものがそんなに違っているとか変貌しているというわけではなく、どこまでもそのままライヴ披露したという背後にオーケストラがくわわってふくらませているだけといった感じですかね。

 

ヌ・デコ・アンサンブルにはレッド・ツェッペリンの曲を自分たちだけでオーケストラ再現するプログラムもあるそうで、こういったスコアは得意なのかもしれないですね。クラシック・ロックとシンフォニック・サウンドは似合うし、ハードだけど元来は単色で均一なラーキン・ポーの音楽にゴシックな多彩感を与えていて、おもしろいと思います。

 

(written 2021.9.20)

2021/09/20

ルーマーの新作ライヴ・アルバムがとてもいい

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(5 min read)

 

Rumer / Live from Lafayette

https://open.spotify.com/album/09vVEtZkovVtpaINULggur?si=-vWI7yx9TKqqq7W_RgkI8A&dl_branch=1

 

お気に入り、ルーマーが新作を出しました。『ライヴ・フロム・ラファイエット』(2021)。タイトルどおりキャリア初となるライヴ・アルバムで、ロンドンのヴェニュー、ラファイエットで昨年10月16日に行われたコンサートを収録したもの。

 

コロナ禍でちょうどロンドンが二回目のロックダウンに入っていた最中に行われたストリーミング・コンサートだったので、現場に観客は入れていなかったと思いますし、事実そういうサウンドですね。でも配信で大勢が視聴したんだそう。

 

伴奏は、ルーマー自身の曲中での紹介によれば、ピアノ、ギター、ギター&マンドリン&ドブロ&ヴァイオリン、ベース、ドラムスという編成。このうちバンド・リーダーにしてピアノを弾くのが私生活でもパートナーのロブ・シラクバリです。

 

このライヴが行われた昨2020年というと、スタジオ録音による最新作『ナッシュヴィル・ティアーズ』が八月に出ていますので、そこからの曲が多く歌われています。+ルーマー自身の過去のレパートリーからもとりまぜて、しっとりとつづるルーマーのやさしい歌声が沁みますね。

 

ルーマーの美点はなんといってもアダルトなおだやかさ、そしてナチュラルでイノセントなトーンが声にあること。自分で書いた曲や他作の名曲を、そんなソフト・ヴォイスでどこまでもやわらかく歌うそのトーンに、ぼくは降参しているのです。使いたくないことばですけど “アダルト・オリエンティッド” という表現がいま最も似合う現役歌手、それがルーマーで、だからこそ最高のお気に入りになっているんですよね。

 

そんなところ、このライヴ・アルバムでも本領発揮されていて、観客がいるいないにおそらく関係なく、決して強く激しく盛り上がったり興奮したりしない、この静かでしなやかなヴォーカル表現をつらぬくことができるルーマーの資質は、疑いえない立派なものです。

 

『ナッシュヴィル・ティアーズ』でとりあげていたヒュー・プレストウッドの曲が多いですし、そもそもカントリーとかアメリカーナの文脈で語られることも多い歌手なんですが、個人的にはポップでもあるなと思うのと、若干のソウルフルなフィーリングもたたえていて、それが歌に独自の色彩感をもたらしているのも美点ですね。

 

このライヴ・アルバムでも、前半はヒューの曲を中心にカントリー・バラードっぽいものをオーガニックな伴奏に乗せてしっとりと歌っていて、たとえば5曲目「ブリスルコーン・パイン」なんかでの発音の美しさには息を呑むほど。毎コーラス終わりで「ブリスルコーン・パイン」と歌うときのこの切なさ、絶妙なトーンというか声遣いにはためいきが出ます。

 

アルバム後半に来て、かつての自作レパートリーである7「アリーサ」や、また近作ですけどやはり自曲の9「プレイ・ユア・ギター」などで聴かせる、しっかりしたブラック・ミュージック・フィーリング、色彩感はみごと。リズムへのノリのよさも抜群だし(「プレイ・ユア・ギター」終わりでは思わず声が出ている)、ルーマーの才能をしっかり見せつけていますよね。ギャラン・ホジスンの弾くエレキ・ギター・ソロも輝いています。

 

ヒットするきっかけになったファースト・シングル「スロー」も披露していたり、また2012年の『ボーイズ・ドント・クライ』で歌っていたホール&オーツ作のソウル・ナンバー「サラ・スマイル」も再演。ここではメンバー紹介ソングみたいな感じですが。

 

しっかりした声でありながら、どんなときでもどんな曲でも、決してソフトなおだやかさを失わなず、エモーションを抑制しているルーマー。デビューして11年ほどなのですが、もはや間違いないポジションを歌の世界に確立しつつあるということを、キャリア俯瞰的な選曲で挑んだこのライヴ・アルバムでも証明しました。

 

(written 2021.9.19)

2021/09/19

『ブラック・アメリカ、ディランを歌う』をSpotifyで

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(4 min read)

 

v.a. / How Many Roads - Black America Sings Bob Dylan

https://open.spotify.com/playlist/5eubDGb0UcgMOmN5k7TGVt?si=3d67d89597044225

 

英エイス・レコーズが2010年にリリースしたCDアルバム『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』。アメリカ黒人歌手たちが白人ソングライターであるボブ・ディランの曲をカヴァーしたものばかり集めたコンピレイションでした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-ada1.html

 

エイスはこの手の「ブラック・アメリカが歌う」シリーズをいくつもリリースしていて、二集あるビートルズ・ソングブックなんかも楽しかったですが、どれもこれもCDしかないんですよね、あたりまえですけど。サブスクにあるわけないんで、それでもぼくもCDでぜんぶ買いましたから、Musicアプリ(旧名iTunes)に入っていて、聴こうと思えばいつだって聴けました。

 

それをSpotifyで聴きたいな〜って思うぼくの考えが間違っているかもしれませんけど、この手のエイスのコンピレイション、収録されている一曲一曲はそのための新録じゃなく、既存の音源を使ってあるだけなんですから、さがして拾っていけばSpotifyでプレイリストができあがるはずと思い、やってみたのがいちばん上のリンクです。ボブ・ディラン曲集だけ。

 

ふだんSpotifyばかりで音楽を聴いているから、アプリを切り替えるのがメンドくさいっていうのと(なんというモノグサ)、もう一個重要な理由はサブスクにあればみんなでシェアできるじゃないですか。これはほんとうに大きい。『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』をSpotifyを使うみんなで聴けたら、シェアできたら、最高です。

 

というわけで決意して、一曲一曲さがして拾っていってプレイリストをつくったわけですが、問題はCDに収録されているもののうちSpotifyでどうしても見つからないっていうものがわりとあったことです。う〜ん、もちろんさまざまな理由で配信に乗らない、乗せられないものがあるんだということは承知していますけど、残念至極でありました。

 

もとのCDアルバム『ハウ・メニー・ローズ:ブラック・アメリカ・シングズ・ボブ・ディラン』が全20曲なのに対し、ぼくがSpotifyでつくったプレイリストは全14曲。しかもそのなかには、あるにはあるけどグレイ・アウトしていていまは聴けないっていうものだって二曲ありますから、結局トータルで12曲しかないっていう。約半分じゃないか。あぁ。

 

こんな具合ですから、プレイリスト作成中からなんども気持ちが折れそうになりました。こんなに聴けないんじゃ意味ないよなあ、やめちゃおうかって思いそうになんどもなったんですけど、それでもゼロよりはずいぶんマシなはずと気持ちを取りなおして作業を続行。はっきり言ってこの結果にはおおいに不満です。

 

あれがない、これもない、みたいな結果になってしまっているでしょうけど、それでもこういうコンピがあるんだっていうアピールにでもなれば。それでディランの曲の偉大さを実感し、それを黒人歌手たちもどんどんカヴァーしているんだという事実を知ることさえできれば、当初の目的は達成されたものと考えるしかありません。

 

ボブ・ディランの曲が好きなアメリカン・ブラック・ミュージック愛好家のみなさんの日常の楽しみの一助となれば幸いです。

 

(written 2021.5.31)

2021/09/18

リビングルームでくつろいでいるような 〜 ケイト・テイラー

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(3 min read)

 

Kate Taylor / Why Wait!

https://open.spotify.com/album/4ghsj9ArrTMKssU0uIiHmA?si=1_6kuHv1Sq6xQsoSFKz-YA&dl_branch=1

 

萩原健太さんの紹介で知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/08/16/why-wait-kate-taylor/

 

ケイト・テイラーは、かのジェイムズ・テイラーの妹だということで、しかも1971年にデビューしているようですから、もうベテランですよねえ。ちっとも知らなかった…。この一家、JTしか聴いてこなかったなぁ。

 

新作『ワイ・ウェイト!』(2021)でぼくははじめてこのケイトの歌に触れたわけです。デビューからちょうど50周年、クラウド・ファウンディングで資金集めして製作されたものだそうですよ。

 

ケイトのばあい、このニュー・アルバムもカヴァー中心。自身の書いた新曲はアルバムの全14曲中ニ曲だけなんですよね。個人的にはこの塩梅がケイト入門にちょうどよかったです。曲がおなじみのものだと、歌手の特徴や持ち味、音楽性がわかりやすいですからね。

 

いきなりビートルズの「グッド・デイ・サンシャイン」で幕開け。曲がもともといいし、それをケイトはチャーミングかつていねいに、そしてさっぱりした感じで歌いこなしています。ちょっぴりのカントリー色もあるのがこの歌手のテイストなんでしょうね。

 

カントリーといえばですね、続く2曲目「ワイ・ウェイト!」もそうだし7曲目「アイ・ガット・ア・メッセージ」というこれらニ曲だけあるケイトの自作曲はカントリー・ゴスペル楽曲です。だから、そういうのがこの歌手の特色なんでしょう。

 

そういったところ、カヴァー・ソングの数々でも存分に発揮されていて、それ+若干のジャジーなフィーリングでアット・ホームにくつろいでいるような心地を味わえるのが、このアルバムの良点でしょう。決してよそゆきじゃないっていうか、虚勢みたいなものをまったく感じないのもケイトの歌のポイントです。

 

4曲目、タジ・マハールの「シー・コート・ザ・ケイティ」(例によってヒーにしているけど)なんかで聴ける若干のラテンふうなリズムもいい味ですし、6曲目、兄ジェイムズの「アイ・ウィル・フォロー」での素朴な味わいも極上。

 

9曲目「ザ・グローリー・オヴ・ラヴ」はスタンダード・ナンバーで、ここでケイトとデュエットしている男声歌手はだれなんでしょうか。これもほっこり和めるリビング・ルームのロッキン・チェアでゆっくりしているような感触で、いいですよねえ。

 

そして10曲目、リトル・フィートの「ロング・ディスタンス・ラヴ」。これが個人的にはこのアルバムでいちばんのお気に入り。そもそも大好きな曲だし、フィートにあった西海岸カントリー・ロックなフィーリングをケイトはうまくポップに消化して、しっとりと味わい深く歌うのが沁みます。

 

(written 2021.9.7)

2021/09/17

超カッコいい最新J-POPリリース二曲 〜 Xavier、原田知世

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(3 min read)

 

Xavier / Call In Sick
https://open.spotify.com/album/26Jddr1sQf7Z179CGiRhxO?si=S2v8Oya2QIeMYgWxmKYtxA&dl_branch=1

 

原田知世 / 朝日のあたる道(Single Version)
https://open.spotify.com/album/2Cs6uFb7NT1OVzjf5XIint?si=FigsuzTdRjOwR5e_vB5GbQ&dl_branch=1

 

いずれも2021年9月15日にリリースされた二曲、Xavierの「Call In Sick」と原田知世の「朝日のあたる道」がめっちゃいいので、ちょこっと軽くメモしておきましょう。アルバムとかはまだないみたい。

 

クール&ザ・ギャングみたいで最高にカッコいいXavierの「Call In Sick」は、80sファンクみたいなダンス・チューン。+ラップですね。ラップ担当はchelmicoっていう二人組ラップ・ユニット。

 

Xavierはこれがデビューの日本のコラボ・プロジェクト。ギターリスト&プロデューサーの石井マサユキ、サウンド・エンジニアのZAK、そして大野由美子の三人が中心人物のようです。曲は石井の書いたもので、ゲストでベースに鈴木正人、ドラムスに沼澤尚。

 

chelmicoのリリックは語呂だけでできていて、メッセージ性なんかはまぁ〜ったくないのが気持ちいい。グルーヴとサウンド、ノリ一発で聴かせる一曲で、そのコアを石井の弾く乾いたギター・カッティングが担っています。カッコいいなあ、もう。

 

Xavierの「Call In Sick」は、本日Pヴァインから7インチでもリリースされたもので、もう片面は羊文学の塩塚モエカをフィーチャーした「球体」。個人的には「Call In Sick」のグルーヴにやられちゃいました。

 

同日リリース、原田知世の「朝日のあたる道」のほうは、今月末発売予定のOriginal Love(田島貴男)30周年を記念するオフィシャル・カヴァー・アルバム『WWW』からの先行配信シングル。知世をずっと手がけている伊藤ゴローのプロデュースで、きらびやかに躍動する現代的なアンサンブルがさわやかで印象的ですね。

 

曲がいいっていうのがここまでみごとな仕上がりになっている最大の原因かもしれませんが、生演奏リズム・セクション&ホーン陣によるサウンドがやはりグルーヴィでなんといってもすばらしい。そして、知世のソフトだけど芯のある声がいい。ぼくのぞっこんな、やはりゴロー+知世による「September」(『恋愛小説2』、竹内まりや)に似たノリで、快感。

 

(2021.9.15)

2021/09/16

ジョージ・ウェインがいなければ、こんにちのフェスの隆盛はなかった

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(4 min read)

 

https://www.nytimes.com/2021/09/13/arts/music/george-wein-dead.html?smid=tw-share

 

日本時間の2021年9月14日早朝、フェスティヴァル・プロモーター、ジョージ・ウェインの訃報が流れました。95歳とのことで、やるべき仕事をきっちりぜんぶやって天寿をまっとうしたと言える人生だったんじゃないでしょうか。

 

ジョージ・ウェインが音楽界で成し遂げたものの大きさは、ちょっとひとことで語り尽くせないものがあります。一般にはニューポート・ジャズ・フェスティヴァルとニューポート・フォーク・フェスティヴァル、特に前者の創設者として名が知られているでしょう。

 

ジョージ・ウェインがニューポート・ジャズ・フェスティヴァルを開始したのは1954年。それまでポピュラー・ミュージックの世界にこんな大規模ライヴ・イヴェントは存在しなかったのです。ジャズにとっても、ナイトクラブとコンサート・ホールが主な活動現場でしたし、しかも音楽家単独の出演というものばかりでした。

 

そこにジョージ・ウェインは大勢を集合させるフェスティヴァル形式の音楽ライヴ・イヴェントを企画し、それを毎夏実施することにしたわけで、ニューポート・ジャズ・フェスはその後最も歴史の長い最も有名なジャズ・フェスとして、歴史に名を残すことになりました。

 

このことの功績は、こんにちに至るまで類似のジャズ・フェスを無数に生んだということだけにとどまりません。たんにジャズ界にとどまらず、ひろく音楽ライヴ興行の世界一般に夏フェス形式を定着させたというところに、ジョージ・ウェインの真の偉大さがあります。

 

かのウッドストック・フェスティヴァルだってそうだし、ただいま日本でも公開され話題を呼んでいる最中の映画『サマー・オヴ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』になった、同じ1969年のハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルだって、ジョージ・ウェインの遺伝子です。

 

アルバム『ザイール 74:ジ・アフリカン・アーティスツ』になった、1974年にザイール(現コンゴ)はキンシャサで開催された音楽フェスティヴァル、ザイール 74だって、この手のものを開催するという発想そのものがジョージ・ウェイン的だったのです。

 

いま21世紀の日本でだって、今年は開催された例のフジ・ロック・フェスティヴァルもそうなら、新型コロナ感染対策を無視して強行され非難轟々の、愛知県で行われたヒップ・ホップ・フェスだって、夏開催の音楽フェスという意味ではジョージ・ウェインの孫みたいなもんです。

 

音楽ジャンルを問わず、世界のどこと言わず、時代を超えて、ジョージ・ウェインの編み出したフェス形式の音楽ライヴ興行は、もうぼくたちの体液にまでなっていると言えるくらいこの世界の隅々にまですっかり浸透しています。

 

日本人音楽ファン、いや世界で、フェスのない音楽体験はもはやありえない、フェス抜きに音楽ライフを語ることが不可能なくらいにまでなっている、そんな文化のありようのルーツは、なにもかもジョージ・ウェインが1954年にはじめたニューポート・ジャズ・フェスにあるんですよ。

 

ぼくの応援している岩佐美咲だって、単独のコンサートやライヴ・イヴェントだけではなく、大勢の演歌歌謡曲歌手が集合したジョイント形式のコンサートに出演することも多く、そんなところにまでジョージ・ウェインの遺伝子は伝承されていると言えるんですよね。

 

(written 2021.9.15)

2021/09/15

オルジナリウスの新作はボサ・ノーヴァ曲集

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(3 min read)

 

Ordinarius / Bossa 20

https://open.spotify.com/album/7CDwkQGoU0qxw2hlOL5dJt?si=JPOu5OC1TJ-o48SaxQYE_Q&dl_branch=1

 

今年二月にオルジナリウスの新作が出ていたようです。『Bossa 20』(2021)。七人編成(うち一人はパーカッション専念)によるブラジルのコーラス・グループで、2008年結成。アルバム・デビューは2012年。

 

オルジナリウスについては、以前2018年に一度記事にしたことがありますし、
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-3810.html

 

民音主催で翌19年暮れに来日公演をやった際は松山にも来ましたので、ぼくも行きましてレポートを書きました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-2cb470.html

 

このライヴ・レポの最後のほうにも書いてありますが、まもなく次のアルバムを出すべく準備中とステージで言っていたんですよね。なかなかリリースされないのでどうなっているんだろう?と首を長くしていた待望の次作がとうとう出たということでしょう。

 

そんな新作『ボッサ 20』は、なんとボサ・ノーヴァ・スタンダード集。全12曲、なかでも特に有名なのは、マルコス・ヴァーリの2曲目「Samba de Verão」、ルイス・ボンファの4「Manhã de Carnaval」、アントニオ・カルロス・ジョビンの8「Wave」と「The Girl From Ipanema(イパネマの娘)」、ジョアン・ドナートの9「A Rã」あたりでしょう。

 

そのへん、だれが書いた曲かみたいなことは、以下のディストリビューター・サイトに全曲の情報がまとめられていますので、気になるかたは目を通してみてください。
https://tratore.com.br/um_cd.php?id=28077

 

「ウェイヴ」とか「イパネマの娘」といったジョビン・ナンバーは、2019年12月の松山公演でも歌われました。そのころから次作に収録したいという気持ちがあったのかもしれませんし、あるいはライヴで手ごたえがあったのでアルバム収録しようと思ったという可能性もあります。

 

新作でもオルジナリウスの持ち味は一作目、二作目とまったく変わらず。ハーモニーの構成は実は複雑で、9thや13thといったテンションを多用し、半音でぶつかる多声の美しさをたたえながら、聴いた感じまったく難解な感じがせず、逆にとても明快で聴きやすいポップな音楽を展開しているところに、このグループの真の凄みがあります。

 

名曲ばかりなので、原曲やほかのカヴァーとのアレンジの聴き比べをしても楽しいし、ブラジル音楽にいままで縁遠かったかたがたであれば、お気に入りの曲を見つける入門編としてもオススメできる内容になっていると思います。

 

とにかく(音楽的には高度でも)むずかしいことをいっさい感じさせないオルジナリウスのヴォーカル・コーラス、そのままイージーに楽しんでいくのがこのグループへの接しかたでしょうね。新作では明快さにいっそう磨きがかかったように聴こえますよ。

 

(written 2021.9.14)

2021/09/14

オリエンタルとかエキゾティックとか

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(6 min read)

 

っていうことばを、音楽関連でも、今後は使わないようにします。差別的ニュアンスをともなっているように感じるからです。

 

「オリエンタル」にかんしては(ぼくもアジア人だからたぶん当事者意識があるせいで)ずっと前から違和感が強く、いままで一度も使ったことがありません(と思ってブログ検索したら、実はちょっとある…)。

 

ところが「エキゾティック」のほうはこのブログで乱用してきました。そしてorientalと違ってexoticはアメリカ合衆国の連邦公式文書で(2016年以後)禁止されていることばというわけじゃありません。

 

しかし考えてみると、エキゾティックという表現をしたくなるメンタリティの根底には、(音楽的に)自分にあまりなじみがないもの、異なもの、外的な要素を雑にくくって、それをちょっとおもしろがって興味本位でとりあげているということがあったんじゃないかと自分でも思うんです。

 

さらに、エキゾティックという表現で音楽面でのどんな要素を指摘しているのか、実はよくわかりません。日本生まれで日本に住んでいる日本人であるぼくにとっての「異質」「外的」なもの、というだけのことですから、日本の音楽や西洋クラシック音楽やアメリカ合衆国産のポピュラー音楽「じゃないもの」というだけのことでしかありません。

 

中南米のラテン・ミュージック要素(そこにはスペイン由来の旋律とアフリカ由来のリズムがあるわけですけど)もエキゾティックなら、アラブ圏やトルコの音楽だってエキゾティック、アラブ・アンダルースな旋律作法だってそうだし、さらにトルコやアラブの音楽で聴けるキューバン・リズムは二重の意味でエキゾティックだとか、はっきり言ってもうワケわかりませんよね。

 

つまりエキゾティックという表現で、なにか実体のある具体的な意味のある音楽性にはなんら言及していないのです。言っているのは、たんにぼくにとってなんだかちょっと異国情緒がしておもしろ〜いというだけの雑駁な感情でしかありません。

 

それは、むかしの日本人が西洋白人を見ても東南アジア系でもアラブ系でもアフリカ系でも「ガイジン」と言って、黄色東アジア人である自分とはなんかちょっと違う、異な感じがする、というだけでおもしろがって、興味本位ではやしたてたり避けたりする、そんな行為と本質的に差がありません。

 

つまりエキゾティックとは、ホモソーシャルな音楽文化ネットワークのなかにいる自分とはなんだか違う、異なもの、外なもの、を差別するステレオタイプでしかなかったのです。

 

アメリカ合衆国にいるアジア系を「オリエンタル」と呼ぶのは、自分がちょっと優位に立っているかのような視点から排除意識を持つ差別表現であるという点で、当時の大統領バラク・オバーマがこのことばの公的使用を法的に禁止しましたが、ぼくも「エキゾティック」について同様の認識を持たなくてはなりません。

 

へへ〜い、これ、ちょっとヘンだぜ!おもしろいね!っていうフィーリングの表現でしかなかったエキゾティック(とかオリエンタル)。現実の事物というか音楽を知らず妄想の産物でしかない世界、非西洋な音楽要素、違和感や非日常感に対していだく快感 〜〜 それは端的に言って誤解と偏見。それをぼくはまき散らしていたわけです。

 

今後は、ちょっとヘンに感じておもしろいと思う音楽要素を、「エキゾティック」と雑にまとめてテキトーに放り出すんじゃなくて、もっと実体に即して、わかる範囲で具体的・個別的に指摘するように心がけたいと思います。

 

「エキゾティック」ということばは植民地主義的なコンテクストをふくんでいるし、このことばを使うことは外国人排斥や人種差別を強化しかねないということで、『ワシントン・ポスト』紙は2021年7月、食材をエキゾティックと表現するのをやめようという記事をフード部門のスタッフ・ライターが掲載しました。

 

日本人女性がチャイナ・ドレスやアオザイを着ているのをふだんよりセクシーだと思ったり、ばあいによっては和服を着ているのすらこんにちでは非日常的だというのでなんとなく妙というか異に感じて興味本位でジロジロ見つめたりする、そんなメンタリティこそ、エドワード・サイードが指摘した意味での「オリエンタリズム」であり、差別的エキゾティシズムの発露にほかならないと思います。

 

ですから音楽の世界でも、アジア的だったりラテン・アメリカ的だったりアフリカ的だったりする要素をエキゾティックとくくることは、もうやめます。デューク・エリントンの「キャラヴァン」やディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」を、ぼくら日本人リスナーでも異国ふうに感じてなんだかおもしろく思うっていうのは、本土の人間が沖縄の旋律に対してエキゾティシズムを感じるのと同じ、抑圧構造に立脚した差別意識なのですから。

 

音楽について「辺境」ということばが使われるのは1990年代からずっとほんとうに大嫌いなのですが、辺境音楽などという表現を遠慮なくするひとたちと同じ愚を、ぼくもエキゾティックということばを頻用することで犯してしまっていたことになりますからね。

 

(written 2021.9.13)

2021/09/13

批判禁止同盟?

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(5 min read)

 

悪口とか誹謗中傷っていうのじゃない、前向きの建設的な批判って、あると思うんですよ。ポジティヴな要望とか提案とかですね。でもそういったたぐいのものもふくめて、「批判」をいっさい封じようとするのが(元)アイドル応援の世界です。

 

どんな活動をしようとも、ありようを全肯定っていうか、そういうの、ぼくはもう違和感しかないです。わさみんこと岩佐美咲関連のことでこれを強烈に感じますね。あんまり言うとまた敵を増やしてしまうのですが、まったくなにも注文をつけない、ただすばらしいステキ可愛いと言うだけのファンのほうが多すぎる。

 

2020年初春からのコロナ時代になって、美咲関連で長良グループや徳間ジャパンが仕事をしていないのは明白だと思うんですけどね。コロナ前みたいに現場でのイベントやキャンペーンなど開催できないんですから、いつまでもそれじゃないとできないよと思っていると、ほんとうにダメです。

 

現場開催のキャンペーンやコンサートやライヴに相当するものをインターネット上で開催しないと曲を売っていけないし、歌手じゃないでしょうが。ところが長良と徳間の美咲担当スタッフはそれをまったくといっていいほどやっていません。そればかりか、ネットチェキサイン会だのネット飲み会だのヴァーチャル・デート企画だのオンライン・グリーティングだのばかりやるんですよね。

 

この際だからはっきり言わせてもらいますが、そういうのにほいほい飛びつくファンもファンです。なにを開催したらダメで、どういうのが歓迎されるのか、運営スタッフに知らしめないといけないのに、どんなものでもどんどんチケット買っては喜んで、「かわいい〜」とかしか言わないもんだから、運営スタッフも味を占めてしまっています。お手軽集金システム。美咲オタクはいいカモですよ。

 

そんでもって、歌唱配信関係は、たま〜に忘れたころに申し訳程度にちょこっとやるだけ。

 

これじゃあ「歌手」岩佐美咲が成長していくことはできません。ぼくが惚れたのはアイドル・タレントじゃありません、歌手としての美咲のことを好きになって、応援しようと思うようになったんですからね。それなのに、運営のこのていたらくといったら、もう。

 

ひとつにはAKB48出身という(一見強みだったのが)のがかえってわざわいしているように、いまでは見えます。もちろんAKBブランドがあるからこそここまで美咲はやってこれたし、とっくに卒業したいまでもそのシルシがあるから商売できているという面もあると思います。メディアに出るときは、いまでも必ず「AKB48出身」との枕詞で紹介されますからね(それも良し悪し)。

 

これがかえって歌手活動に専念させない運営スタッフの態度、特に長良側の姿勢を招いているんじゃないかとぼくには見えていますね。だってね、AKB時代からついている熱心なファンがたくさんいて、批判禁止でやってきて、かわいいかわいいとずっとほめていくばかりで、どんなものでもイベントがあればお金を出しているんですからね。

 

歌わせなくても食べていけるだろう、歌わせなくても事務所も潤う、ということであれば、そりゃ歌唱配信イベント、ストリーミング・コンサートなんてね、照明・音響・映像設備も必要だし、念入りに準備しないといけないけど、その割には実入りが少ないですから、消極的になるのも道理です。

 

AKB時代からのアイドル活動で、卒業して五年になるいまでも美咲はずっとやってきているというのが現状ですよね。コロナ禍でそれが鮮明になりました。歌手業一本ではやっていないのです。これがですね、アイドル時代なんかない、そもそも最初から歌手でやっているみなさんが、コロナ時代にどんな営業活動を展開しているか、ちょっと見渡してみれば、美咲界隈の異常さが理解できます。

 

結局、美咲は「歌手」じゃないのでしょう。すくなくとも歌手業で食べていっているとは言えないし、歌手活動をさせてもらえなくてもファンだっていっさい文句を言わず批判もせずできています。

 

もっと歌の活動をやってほしい、みたいなことを言うと、一部のファンからはすぐに「クレーマー」扱いされてしまうし、なんなんですかこれ。岩佐美咲って、いったい何者なんですか。

 

ぼくは歌が好きなんですよ。

 

(written 2021.9.12)

2021/09/12

岩佐美咲の脱フィジカル

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(7 min read)

 

去る8月13日に東京は中野で開催された岩佐美咲10周年コンサートは、DVDやBlu-rayなどの円盤化はされないとのことで。配信リリースだけっていう。この発表が公式ブログであったとき、ちょっと意外な感じがしました。いままでぜんぶ円盤化されてきていましたからね。

 

これはちょっとした予告、予兆じゃないかとぼくは解釈しているんです。

 

今後は美咲のコンサートは円盤物体を発売しない方向に進むんじゃないか、今回のこれはその第一弾ということじゃないかということです。そして、将来的にはひょっとしたら楽曲のCD販売もやめて、全面的に配信リリースだけにしていくということかもしれませんよね。

 

美咲がCDもDVDも発売しない、配信(ダウンロード、ストリーミング)だけでやるっていう日が来るかもしれないなんて、現時点ではだれも予想していないし、いままでの歩みからしたらありえないことのように思えるかもしれませんよねえ。ファンの一部からは悲鳴があがるかも。

 

でも、これからはそういう時代ですよ。いまや全世界的にみて音楽業界の総売り上げの八割がサブスクリプション型サービス(Spotify、Apple Musicなどストリーミング)の収入によるものなんですからね。この傾向は今後どんどん進みこそすれ、ふたたびフィジカル販売がもりかえしてくるというようなことはありえません。

 

演歌・歌謡曲の世界は、この点でもやや時代遅れになりつつあって、サブスク対応が著しく遅れている歌手や事務所、レコード会社もあります(氷川きよし、水森かおりなど)。それに演歌界はファン層が高齢化していて、インターネットが苦手であると堂々と宣言しては物体購入に走るというかたがたもいます。

 

さらに、CDやDVDなどのフィジカルは、握手会や特典会などのチケット代わりとして使われてきたという面もあります。現場でCDを一枚買えば、それで握手一回分ということになるっていう、この手の接触ビジネスは、しかしもはや終わりつつあるのではないでしょうか。特にコロナ禍でイベントじたい実施できないということになって、このビジネス・モデルの終焉はいっそうあぶりだされています。

 

コロナ時代にあぶりだされている終焉しつつあるビジネス・モデルとは、握手券商法だけじゃなく、そもそもCDやDVDなどのフィジカル販売に寄りかかる姿勢というのもふくまれているように、ぼくには見えているんですよね。

 

もちろん、コロナ禍が収束すれば(といっても何年後?)美咲のリアル歌唱イベント、キャンペーンのたぐいも再開できるでしょうし、そうなれば現場でいくらかのお金を払って握手権、2ショット写真撮影権を買うという手法が復活するでしょう。しかしそのとき、それはもはやCD販売ではなくなっている可能性があると思います。

 

もうそういう時代なんです。CDを買って聴くという時代は終わっています。サブスクで聴く、これがもうみんなの音楽聴取手段になっています。そんなこと、もうみんなもわかっているんでしょ?

 

もちろん美咲サイドがCD販売をやめて、全面的にサブスク・モデルに移行するためには、いままでCDで発売してきた全楽曲をサブスクに乗せないといけません。現状、シングル表題曲の九つしかありませんから、これではお話になりません。シングルのカップリング曲もアルバム曲も入れないと。

 

美咲がサブスク・モデルに移行することにはメリットも多いです。たとえばムリして新曲のカップリング曲を選ばなくてよくなります。以前も書きましたが、シングル曲にカップリング曲を入れるっていうのはA面B面があった45回転ドーナツ盤時代の名残にすぎませんから。サブスクだと、みんながすでにそうしているように、新曲一個だけリリースすればOK。

 

各種イベントやコンサートなど現場に曲を持ちはこぶことも容易になります。いままでファンは、CDをまずパソコンにインポートして、それ経由でスマホや携帯音楽プレイヤーに入れていたと思うんです。そんなメンドくさい手間が消えます。サブスクに楽曲があれば、いつでもどこででもどんなディヴァイスでもアクセスできますから。

 

それはそうと、昨2020年7月1日にサブスク解禁になった美咲のシングル表題曲は、どれくらい再生されているのでしょう?ちょっとSpotifyだけ覗いてみたら、やはり最新楽曲の「右手と左手のブルース」が1万8千回でトップ。これは理解しやすいことです。

 

「無人駅」「もしも私が空に住んでいたら」「ごめんね東京」が約9千回、「鞆の浦慕情」8千回、それ以外は3〜5千回といった程度の再生回数です。だいたい予想どおりというか、「ごめんね東京」の健闘にはやや驚きましたが、それ以外はCDでも評価の高い楽曲が数多く聴かれているようです。

 

10月6日発売予定の美咲の新曲「アキラ」も当然サブスクに乗るはずですから、どこまで再生回数が伸びるか、楽しみにしたいと思っています。

 

いずれにせよ、AKB48という握手券付きCD販売で一斉を風靡した世界出身で、しかも別の意味でCDに寄りかかっている演歌界にデビューした岩佐美咲のような歌手ですらも、今後はフィジカル頼みをやめて、配信リリースを中心にやっていかないと、早めにそのビジネス・スタイル移行をやらないと、時代に取り残されてしまうことは明白です。

 

ファンも、そんな時代についていかないと。

 

(written 2021.9.11)

2021/09/11

全体的にニュー・オーリンズっぽいのが好き 〜 A.J. クロウチのカヴァー集

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(4 min read)

 

A. J. Croce / By Request

https://open.spotify.com/album/0k8E7ZlAkRsIb4jZuqPbol?si=5cy0oNyeQpmjNv-a4N1N_A

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2021/02/10/by-request-aj-croce/

 

もはやジム・クロウチの子という枕詞も不要なんじゃないかと思えるA. J. クロウチ。そのAJの新作『バイ・リクエスト』(2021)は、このタイトルからもちょっぴり察せられるとおりのカヴァー・アルバムで、ギター、ベース、ドラムスのレギュラー・バンドを引き連れてのスタジオ一発録りでベーシック・トラックをライヴ録音したそう。

 

かなりこなれたパフォーマンスを堪能できるし、AJの真っ向からのルーツ表明作としても興味深い内容。ぼくがなんといっても好きなのは、アルバム全編にわたりニュー・オーリンズ音楽の風味がまぶされているところ。AJ自身の弾くピアノだってまるでドクター・ジョンみたいに聴こえるっていう、そんな部分です。

 

1曲目「ナシング・フロム・ナシング」(ビリー・プレストン)からして、すでにそんなテイストが濃いめに出ていると思いますね。冒頭のホーン・アンサンブルだってちょっぴりニュー・オーリンズふうですよ。パッとリズムが出た瞬間に転がるピアノ。歌が出てからはほぼストレート・カヴァーに近い雰囲気ではありますが、こりゃいいですね。

 

3曲目「ハヴ・ユー・シーン・マイ・ベイビー」(ランディ・ニューマン)はブギ・ウギ・ミュージックふうに換骨奪胎してあって、こりゃまたぼく好み。ランディ・ニューマンはAJの音楽に強い影響を与えた存在だと言えますが、このAJヴァージョンのリズム、ホーン・リフが奏でるビート感など、なかなかみごとですよねえ。ピアノ・スタイルはやっぱりちょっとニュー・オーリンズふう。

 

ファッツ・ドミノ的三連ダダダで弾く4曲目「ナシング・キャン・チェインジ・ディス・ラヴ」(サム・クック)はまったく斬新な解釈でキメています。完璧なるファッツ・スタイルのニュー・オーリンズ・ポップになっていて、サム・クックのあの曲がこうなるなんてねえ、楽しいったらありゃしない。

 

笑っちゃったのは7曲目の「ステイ・ウィズ・ミー」(フェイシズ)。そのまんまのストレート・カヴァーというかもろコピーなんですよね。まるで高校生アマチュア・バンドがフェイシズを真似して思い切り楽しんでいるとか、そんな雰囲気で、これはこれでなごめます。AJのヴォーカルがちょっとロッド・スチュワートっぽいような。

 

8曲目「ブリックヤード・ブルーズ」はアラン・トゥーサンがプロデュースしたフランキー・ミラーのヴァージョンがオリジナルだし、アラン自身もやっているというわけで、ここでのAJヴァージョンがニュー・オーリンズ・ポップっぽく仕上がるのも道理です。やっぱりピアノがこれまたちょっぴりドクター・ジョンふうですよね。

 

やはり大胆にニュー・オーリンズふうにリアレンジされた10曲目「セイル・オン・セイラー」(ビーチ・ボーイズ)も換骨奪胎系で、ブルージーに仕上がっていて好みですし、11「キャント・ノーバディ・ラヴ・ユー」(ソロモン・バーク)も、いい感じの南部ふうな三連ポップ・ビートが効いていて。きょう書かなかった曲にはあまり南部ふうなスワンピーさがないんですけど、全体的に滋味深くできあがった佳作でしょう。

 

(written 2021.5.24)

2021/09/10

音楽における、新しいとか、古いとか

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(8 min read)

 

Chuck Berry / Toronto Rock ’N’ Roll Revival 1969

https://open.spotify.com/album/73nLDkfjI8BrtGYroJ2m6x?si=FSOPYiLeRD2Brf31SV8NqA&dl_branch=1

 

きのうもジャズの古いスタイルを否定することはないじゃないかということを書きましたが、ホント、音楽における、新しいとか、古いとか。そこんとこにやけにこだわるひと、いますね。けっこういる。

 

ざっくりいって、音楽に新しいも古いもねーだろ、という立場です、ぼくは。これが科学技術とか工業製品とかだったら新しさに価値があるのを理解できますが。家電なんかだって故障しちゃうし、年数の経ったものはメーカーに部品の在庫もなくなって修理すらできなくなってしまいますからね。

 

だから常に更新していかないといけないっていうか、一定年数で(オシャカになった)古いものは廃棄するか引きとってもらって新製品を買うっていうサイクルをくりかえしていくことになりますよね。

 

でも、音楽、でしょ。古いものが聴けなくなるわけでもない。亡くなってしまうとその歌手やミュージシャンのライヴに触れることはそこで終わりになってしまいますけど、レコードやCDや配信に刻まれた音は消滅しません。ずっとずっと聴き続けられます。

 

そういうもんですから、音楽って。だから結局は聴くひとが楽しいかどうか、美しい、カッコいいと感じるかどうか、感動できるかどうか、だけが問題であって、そこに音楽のスタイルの古い/新しいは関係ないでしょって思うわけです。1955年生まれの音楽に突如激しい新鮮な感動をおぼえたりするってこと、あるでしょう?

 

古い、ということが、なんというかある種ネガティヴな価値であるように信じ込んでいるひともたくさんいるみたいで、趣味として音楽を聴いているだけの(ぼくもふくめて)一般のリスナーは好きにしたらいいとは思いますけどね。それに、新しいほうがいいっていう考えは、実はぼくも理解できないことじゃないです。

 

というのは、ものごとが微妙に「古く」なったなと感じさせる瞬間というかタイム・スパンみたいなものがあるような気がします。個人的感覚というか経験からすると、10年、15年の経過あたりがちょっと鬼門かなあという感じですかね。

 

音楽だけじゃないけれど、30年、40年、50年と経ってしまえばですね、もうなんでもぜんぶいっしょというか、10年程度の違いは吸収されます。10歳と25歳ってとんでもなく違うけれど、65歳と80歳って、あんまり変わらないっていうか、本人たちはともかく若者からみれば同じじゃないですか。

 

人間でも音楽でも、成長発展期の変化は大きく感じるけど、完成されたらもうねえ、ちょっとくらい時間が経っても同じっていうか。

 

だから、音楽の世界で新しいとか古いとかっていうことにやけにこだわるひとっていうのは、まだ音楽を聴きはじめて10年程度なのか、あるいはものごとを常に10年、15年くらいの短いスパンでのみ考えているのかなあとかって思いますよ。

 

ロック・ミュージックにとっても、1950〜60年代はちょうど誕生&成長発展期だったから、ちょっとの時間の経過による変化がとてつもなく大きなものに思えたかもしれません。上でSpotifyリンクを貼ったチャック・ベリーはロックを産んだ人間のひとりとされていて、50年代にデビューして活躍したわけです。

 

エルヴィス・プレスリーの登場と大爆発も1950年代半ばで、そこでロックというものが世間に認知されましたけど、60年代に入ってビートルズがビッグ・バン的大活躍をするようになって、それで大きく時代が変わったような感じがありました。エルヴィスはもう「過去のひと」みたいな扱いで。

 

このへん、リアルタイムで経験してきている湯川れい子さんが常日頃からくりかえしているように、日本における洋楽ロック文化の浸透はビートルズからはじまったので、そこが出発点で、それ以前があたかも「無」であったかのような認識で、エルヴィスなんていうと完璧にバカにされる、という時代が続きましたよねえ。

 

1950年代半ばのエルヴィス登場と同時代かそのちょっと前ごろから、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、ボ・ディドリー、ジーン・ヴィンセントなどなど、黒人白人とりまぜてのロック創成期があったわけですけれど、60年代前半のビートルズ爆発でそれらがいったん御破算になっちゃったわけです。

 

デビュー期にはそれらをたくさんカヴァーしていたビートルズなのにねえ。

 

ビートルズのレコード・デビューは1962年ですけど、世界的にブレイクしたのが64年で、オリジナル曲の「抱きしめたい」とか「シー・ラヴズ・ユー」とかそのへん。『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』でシーンを揺るがしたのが67年。

 

そしてウッドストック・フェスティヴァルが1969年でしたが、ニュー・ロック、アート・ロックと呼ばれた新世代ロックが大人気を博していたそのころにふりかえるロックンロール黎明期というのは、だからほんの15年くらい前のことでしかないのに、なんだかやけに古い感じがしたのかも。まるで太古の化石時代であるかのような扱いだったんじゃないでしょうか。

 

というわけで、その1969年の9月13日、カナダのトロント大学構内のヴァーシティ・スタジアムで行なわれた野外音楽フェスティヴァルに、チャック・ベリーをはじめとするロック黎明期のスターたちが大挙出演した際のコンサート・タイトルが「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル1969」っていう。

 

ほんの15年程度しか経っていない、1969年からしてもついきのうのことのようなロック黎明期なのに、その時代のミュージシャンたちもまだ若く現役なのに、すでに「リヴァイヴァル」扱いっていう、なんでしょうかねこれ。チャック・ベリーだってまだ42歳だったんですよ。

 

そんなことも、もっと時代がくだってロック・ミュージックが成熟し、ロックのばあい成熟は「死」と呼ばれたりするという、ぼくらから見たらきわめて不可思議な現象もありますが、いろんな新スタイルもひととおり出尽くしたおそらく1990年代あたりからは、すべてがフラットになり、黎明期ロック・スターも正当に評価されるようになったので、よかったなぁと思います。

 

上でも書いたけど、それらをいったん葬った(かのように勝手に誤解されただけですが)1960年代のビートルズやローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンだって、みんなチャック・ベリーやエルヴィスのヒット・ナンバーをどんどんカヴァーしていたんですけどね。

 

(written 2021.9.9)

2021/09/09

ジャズの廃仏毀釈?

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(6 min read)

 

Michael Dease / Give It All You Got

https://open.spotify.com/album/04EmPprPjfaeleHecmo21h?si=75QRtEuAQP61EKijeQipUQ&dl_branch=1

 

萩原健太さんのブログで教えてもらいました。
https://kenta45rpm.com/2021/04/06/give-it-all-you-got-michael-dease/

 

この記事冒頭で健太さんが書いていること、ぼくも全面的に共感できて、ほんとうにこのとおりだよねえと心から膝を打つ内容なんですよね。

 

というのはジャズの新しい傾向、ニュー・チャプターっていうんですか、その手のもの、たとえばロバート・グラスパーだとかカマシ・ワシントンだとか、もちろんワクワクしますし、すばらしいと思うんですけれども。

 

しかし(健太さんが強調されているように)そういった新しいジャズのそのよさを強調したいがためになのか、古いスタイル、過去のものを全否定するようなひともいたりして、ファンばかりか専門家のなかにもいて、それはちょっとどうなんだろう?と。

 

新しいものが入ってきたら、過去の古いものを捨てて、いわば伝統と断絶するようにして、次へ進む、という傾向は、うん、日本には廃仏毀釈という歴史がありますからね、そういう民族なのかもしれませんよねえ。残念です。

 

西洋のルネサンスがそうであったように、時代の新潮流がゼロから生み出されるわけもなく、それは常に伝統の再解釈、読みなおしであるわけです。ルネサンスで新しい文化がどんどん生まれましたけど、ことばの意味どおりこれは古代ギリシア、ラテンの古典復興というのがきっかけだったんですからね。

 

ポピュラー音楽、ことにジャズの世界は時代の進展とともに新しいスタイルが生み出され次へ次へと進んでいくという歴史をたどってきたと思いますが、そして新しいもの、自分たちが生きている時代のスポットライトを浴びている新鮮なものは無条件にワクワクしますが、それで過去のものが消え去るわけじゃないんですよ。

 

個人的には「積み重ね」「累積」だと思っていて、新しいスタイルのジャズが誕生したら、歴史のなかにまた一枚ピースが加わるっていうことだろうと。過去を否定するのではなく、いままでに生まれたさまざまなスタイル(ニュー・オーリンズ、ディキシー、スウィング、ビ・バップ、ハード・バップ、モード、フリー、フュージョン、ワールド、アシッド、クラブなどなど)が同時に存在していて、どれも廃れることなく生き続けているんだっていう、そういうことじゃないかなあ。

 

だから時代が進めば積み重ねのピースが増えて、ぼくらリスナーにはどれを聴くかの選択肢が増えて、好みに応じて自由に選べて、喜ばしいねと、ぼくはそんなふうに受けとめているわけなんです。革新的なジャズは過去を否定するものなんかじゃないです。

 

「時代遅れ」ということになった、いわば季節外れの洋服みたいにクローゼットのなかにしまわれたようなジャズのスタイルだって、消えてなくなったわけじゃなく、それを取り出していまの時代の自分たちの音楽として演奏するミュージシャンはやっぱりいるわけですから。伝統的なスタイルのジャズだって、今後もイキイキと生き続けていってほしいと、ぼくは心から願っています。その一方で新しいジャズも楽しいしおもしろい。

 

もちろん2020年代のコンテンポラリーなジャズは文句なしにカッコいいとぼくも思うし、それを好きなみんながそれを言うのは自由だどころか、どんどん言えばいい。ぼくもこのブログでふだん言うことは多いです。でも、だからといってその新しい価値観を強調したいがための踏み台として古いジャズを否定することはないんじゃないですか。併存していけばいいんであって。

 

きょういちばん上で紹介したマイケル・ディーズというトロンボーン奏者もまた古い時代のというか、1950年代後半〜60年代前半に一世を風靡したようなファンキーなハード・バップを演奏するミュージシャン。『Give It All You Got』はその2021年新作なんですよ。

 

今年の新作といったって、もちろん2021年的な要素、同時代への訴求性みたいなものを求めてはいけません。ここにあるのはある種蒸留されたみたいに典型的なハード・バップですからね。ホーン三本+オルガン+ドラムス+パーカッションで演奏する、あの時代のいかにもなジャズ・ミュージック。

 

マイケル・ディーズは2014年以後ポジ・トーン・レーベルから作品を発表し続けていて、『Give It All You Got』は八作目。今作はジム・アルフレッドスンのオルガンを中心に据えたあたりにサウンド・メイクのキモがあります。そのことで、いかにもなファンキー・ジャズの雰囲気を演出していますよね。

 

そう、ちょうどフレディ・ハバード+カーティス・フラー+ウェイン・ショーターの三管編成だった時代のアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズあたりを彷彿させる音楽で、ブレイキーは使わなかったオルガンのサウンドをフィーチャーしたことで、いっそうあの時代のブルー・ノートらしさみたいなものが出ているかなあと思います。

 

ときどきこういうのが新作として出るっていうのが、本場アメリカのジャズ・シーンの懐の深さ、豊穣さであるわけです。

 

(written 2021.9.8)

2021/09/08

プリンスの初期カタログをリマスターしてほしい

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(5 min read)

 

プリンスのアルバムの音質が発売当初からちゃんとなったのはいつごろからだったか、ていねいに順にたどってみないといまちょっとわかりませんが、たぶん1990年代に入ったあたりからですかね、マトモな音質になりました。

 

だからそれ以前の1970〜80年代に発表されたアルバムは、どれも音質がショボかったんですよ。あの時代としてもちょっとありえないと思えるほどのペラペラさ加減で、あれはどうしてだったんだろうなあ、どれもほぼひとりでのスタジオ密室作業で多重録音をくりかえしたせい?素人にはわかりません。

 

それでも『1999』(1982)『パープル・レイン』(84)『サイン・オ・ザ・タイムズ』(87)の三つの傑作だけは、それぞれ2019、2017、2020年にリマスター盤が出ました。いずれも著しい音質向上で、やっと安心していい音で聴けるようになりました。

 

ってことはそれ以外のプリンスの初期カタログは、レコードだったのがCDになったり配信に乗ったりしたものの、オリジナルのままの変わらぬヘボ音質で、いままでずっと来ているんですよねえ。こりゃちょっと問題ですよ。音量もなんだか小さいしねえ。クリアじゃなくてこもっているというかモコモコで、楽器とヴォーカルの分離も鮮明じゃないし。そういうロー・ファイ志向の音楽家じゃなかったんですからね、プリンスは。

 

個人的にプリンスをリアルタイムで聴くようになったのは1984年の『パープル・レイン』からですが(それもロック好きの下の弟が買ってきたレコードで)、それ以前だと『1999』はリマスターされましたけど、その前の『ダーティ・マインド』(1980)も『コントロヴァーシー』(81)もペラいダメ音質。

 

『パープル・レイン』で大ブレイクしたんだからそれ以後のものはちゃんとすればよかったと思うのに、次作の『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』(1985)も、その次の『パレード』(86)も、いまだに音質的にはダメダメです。音楽は最高ですけども。特に『アラウンド〜』がヘボすぎる。

 

1987年の『サイン・オ・ザ・タイムズ』が、音質的なことをいえばいちばんのダメ・アルバムだった(最高な音楽性と比較しての話)んですけど、これは昨2020年ちゃんとリマスターされて立派なサウンドに立て直されましたので、いまでは大安心。Spotifyは圧縮音源なんですけど、それでも違いが鮮明にわかりますからね。

 

しかしその次の発売だった1988年の『ラヴセクシー』はやっぱりリマスターされずに音がもっこりモコモコのままじゃないですか(それでもこのころになるとちょっぴりマシになりつつあるような?)。その後数作を経て1994年の『カム』あたりで、ようやく当時からちゃんとしたといえる音質になったような気がします。

 

問題は、ここまで書いてきたどのアルバムも、音楽内容的には最高だということですよ。なかでも『1999』のへんから『パープル・レイン』を経て『ラヴセクシー』に至るまでの数年間は、この音楽家の創造力が生涯でピークにあった時期で、どんどん湧き出て止まらなかったんですからねえ。

 

それなのに、その時期に発売されたアルバムが、リマスターされた一部を除きいまだに音質的にはチープでショボいまんまっていうのがもう残念で悔しくてたまりません。それら傑作群を、ちゃんとした音で聴きた〜い!って思うのはごく自然な気持ちだと思います。

 

だから、プリンス・エステートと、この時期の音源の発売権を持つワーナーには、ぜひこの問題に取り組んでほしいなと強くお願いしたいです。どうか、デビューから1980年代いっぱいくらいまでのプリンスのアルバムをリマスターしてリリースしなおしてほしい。

 

リマスター盤発売の際にボーナス・ディスクがついたデラックス・エディションみたいになるかどうかは、どっちでもいいです。肝心なのはオリジナル・アルバムの音質で、それさえちゃんとしていただければそれだけでOK。音楽的には最高なんだから、それに見合ったしっかりした音に仕上げてほしいんです。

 

どうかお願いします>プリンス・エステート&ワーナー。

 

(written 2021.5.22)

2021/09/07

アレグリア・サンバ・ソウルの大傑作 〜 ヴァルミール・ボルジェス

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(3 min read)

 

Walmir Borges / Isso É Coisa de Baile

https://open.spotify.com/album/52h3GsDzbOdzZX1o75Ss1r?si=PrDKt-lCT22dtV2IcFkGPg&dl_branch=1

 

ヴァルミール・ボルジェス(ブラジル)の新作『Isso É Coisa de Baile』(2021)がとてもいい!傑出しているじゃないですか。ぼくはちょっとビックリ。なんて楽しい音楽なのでしょう。

 

リリースされたのが8月31日とついこないだ、フィジカルはまだないみたいだから、日本語で話題にしているひともほぼいないですけど、ぼくは完璧に降参しました。こんなに楽しいサンバ・ソウルならいくらでも聴いていたい。35分で終わってしまうのがもったいないくらいでねえ。

 

1曲目から楽しいですが、ライヴ収録というわけじゃないと思う拍手の音から入る2曲目から、もう陽のアレグリア・ミュージックが全開。この打楽器リズム、アクースティック・ギターのカッティング(ヴァルミール自身でしょう)でつくる跳ねる空間、そしてなんといっても歌メロが美しくて、コーラスもそれをもりたてます。

 

2曲目は終盤ガラッとパターン・チェインジしますが(スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「スタンド!」を想起)、落ち着いたビート感の3曲目だって最高の楽しさ。余裕のある大きなメロディ・ラインとヴァルミールのヴォーカルがほんとうにすばらしい。ここでもコーラス・セクションがいいですね(全曲そうですが)。

 

この新作におけるヴァルミールの音楽にはそんなに多様なパターンや曲想があるわけじゃなく、どれも似たようなつくりなのですが、たったの35分間ですからね、アレグリア・ムードで最初から最後まで一気に駆け抜けるようなな爽快感すらあります。9曲目のメロディの動きにはやや陰影というか哀感もありますけどね。

 

どれも曲がいいし、メロディがきわだって歌いやすく明快で、しかもビートが楽しく快活。さらにヴァルミールのヴォーカルは滑舌がよくて、歯切れのいいディクションが心地いいんですよね。それは曲のビート感やノリのよさと一体化したものであるように思えます。

 

それでいて、勢いに任せて走るんではなく、細かい部分まで綿密によく考えて練り込んでつくり込まれたていねいな音楽であることも伝わってきます。しかも不自然な加工臭は皆無で、きわめて自然体で、ノビノビやっているオーガニック&ナチュラルな姿勢が音に出ているのがすばらしい。

 

とにかく聴いていて心地よく、楽しい、ノレる 〜 これに尽きるヴァルミールのこの新作。気分はすっかりウキウキです。今2021年のブラジルものでは断然 No.1 でしょう。ブラジルに限定しなくても、こんな傑作、滅多にない!

 

(written 2021.9.6)

2021/09/06

イエロージャケッツとWDRビッグ・バンドの共演作が痛快 〜『ジャケッツ XL』

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(4 min read)

 

Yellowjackets + WDR Big Band / Jackets XL

https://open.spotify.com/album/3OeeKfK9hNDe57rF9FVI7u?si=O70gk8FBQMOjO1AWpskffg&dl_branch=1

 

イエロージャケッツといえばフュージョン・バンドのイメージしかないでしょう。その手の音楽にアレルギーのある向きのなかには蛇蝎のごとく嫌うひともいるくらいステレオタイプな西海岸フュージョンの代表的存在。

 

ぼくはといえば、ただでさえフュージョン好きなところへもってきて、ファンだった渡辺貞夫さんが1980年代前半のツアーのためにイエロージャケッツをバンド丸ごと起用したことがあって、そのライヴに接し、腕利きの達者なミュージシャンたちだとの印象を強くし、好きになりました。ロベン・フォード(ギター)がいた初期のころの話です。ほんとねえ、フュージョン嫌いって、なんなん?

 

ところが、そんなイエロージャケッツの最新作『ジャケッツ XL』(2020)は、なんとドイツはケルンのWDRビッグ・バンドと全面共演した、アクースティックかつ重量感のあるストレート・ジャズ・アルバムなんですよ。これはビックリですよねえ。

 

1981年デビューのイエロージャケッツ、現在のメンバーはラッセル・フェランテ(鍵盤)、ウィリアム・ケネディ(ドラムス)、デイン・アンダースン(ベース)、ボブ・ミンツァー(サックスなど)の四人編成。ジャズ界隈では最古参バンドということになっちゃいました。

 

このうち、ボブ・ミンツァーが2016年来WDRビッグ・バンドの首任指揮者をも務めているということで、きっとその縁で共演が実現することになったに違いないでしょう。書き下ろしの新曲も二つだけあれど、大半はイエロージャケッツの過去のレパートリーの焼き直しで、しかもそれがまったく新たな容貌をみせているのが楽しいです。やはり全曲でミンツァーが指揮した模様。

 

なんたって1曲目の「ダウンタウン」を聴くだけで、イエロージャケッツがWDRビッグ・バンドとの共演でどんな地点にまで達しているか、よく理解できようというもの。ラッセル・フェランテの書いた1990年代の代表曲でしたが、ここではヴィンス・メンドーサのアレンジによって、ドライヴィングな完璧なるビッグ・バンド・ジャズ・ナンバーへと変貌しています。

 

2曲目以後も、主にフェランテがシンセサイザーを華やかに操る場面も頻繁に聴かれるものの、サウンド・マナーはフュージョンではなく完璧なるアクースティック・ジャズのそれ。音のダイナミズムをWDRビッグ・バンドが与えていて、ここまで躍動感と柔軟性のあるストレート・ジャズ演奏をイエロージャケッツがこなせるとは、大きな感動ですよ。

 

アド・リブ・ソロの腕前にはデビュー当初から定評のあったバンドでしたが、90年代にミンツァーが参加したあたりから洗練されたハーモニーとアレンジ・ワークが加味され、バンドとして成熟してオリジナリティを確立していたイエロージャケッツではありました。

 

今回はそれを大きくふくらませるビッグ・バンド・サウンドとのアクースティックな共演で、このバンドの持っていたポテンシャルが最大限にまで発揮・高められたという印象が強いですね。ビッグ・バンド用のアレンジも冴えていますが、もともとの曲だってここまで化ける可能性を秘めていたということで、ファンだったぼくも認識をあらたにしました。

 

軽薄フュージョンなんかじゃない、立派なストレート・ジャズ作品。はっきりいって降参です。アルバム題どおり、スケールの大きな良作にしあがりました。

 

(written 2021.9.5)

2021/09/05

なんと!これがぼくのザディコ初体験 〜 コーリー・レデット

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(3 min read)

 

Corey Ledet / Corey Ledet Zydeco

https://open.spotify.com/album/2KGZkQv4xbbP5bdeYrWMW8?si=5svMrzqkRNu3tgsL_hF-lw

 

bunboniさんに教えてもらいました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-07

 

意外に思われるかもですが、なんとなんと!いまのいままでザディコという音楽をまぁ〜ったく聴いたことがなかったぼく。おかしいですよねえ。でも事実です。べつに食わず嫌いしていたとかいうのでもなく、なんとなく手が伸びなかっただけで、そのまま数十年も放置したままでした。愛読している小出斉さんの『ブルース・ガイドブック』にも章があるくらいなのにねえ。

 

bunboniさんの上記記事を読み、じゃあこれがいい機会かもしれないから、ちょっくらどんなもんかな?とコーリー・レデットの『コーリー・レデット・ザディコ』(2021)を聴いてみたら、これが楽しいのなんのって!もうすっかり降参しちゃいました。こんなことなら、ザディコ、もっと早く聴いておけばよかった。なんか人生だいぶ損しちゃったなあ。

 

ともあれコーリー・レデットの『コーリー・レデット・ザディコ』、ほんとうにザディコ入門者にもわかりやすく楽しめる一作で、こりゃあいいですねえ。必要最小限のシンプルな編成で、なんでもルーツ還りしたらしいザディコ本来の姿が聴けるんだそうで、そうか、こういうのがザディコなんですね。

 

アルバムで、なかでも特にお気に入りとなったのが4曲目の「ペル・モ」と6「フリップ・フロップ・アンド・フライ」。どっちもカヴァーで、しかもブルーズ楽曲ですよね。それで気に入ったのかなあ。「ペル・モ」ではザクザク刻むアコーディオンの歯切れよい感触が快感ですし、「フリップ・フロップ・アンド・フライ」では圧倒的な疾走感にノック・アウトされるカッコよさ。

 

このコーリー・レデットという人物が何者なのか、bunboniさんの記事で読める内容以上のことは知りませんが、音楽一家で、曽祖父も祖父も音楽家だった模様。家族にも伝わるルイジアナの伝統を継承して、それを後世に伝えていこうという姿勢で制作されたのが今回の新作アルバムだそうで、まさにザディコの楽しさを、それまでちっとも触れてこなかったぼくにもわかりやすく聴かせてくれていることは間違いありません。

 

(written 2021.5.17)

2021/09/04

まるでディアンジェロとシュギー・オーティスを足したような 〜 オリヴィエ・セント・ルイス

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(2 min read)

 

Olivier St. Louis / Matters of the Heartless

https://open.spotify.com/album/3knxVn7TBbdYRmbOEAM91R?si=lPUzRKa0SVGtkoMkmaMVWA

 

オリヴィエ・セント・ルイス、という読みでいいんですかね、Olivier St. Louis 。母親がハイチ人、父親がカメルーン人で、米国ワシントンDCで生まれたものの、育ったのは大半イギリスで、いまはベルリン在住なんだそう。

 

検索すればある程度は日本語情報も出るので、ちょっとは注目されているみたいなオリヴィエの最新EP『Matters of the Heartless』(2021)がなかなか心地よく、わりとよく聴いています。ぼくはこれではじめてオリヴィエと出会いました。

 

音楽的にはコンテンポラリーR&Bといっていいでしょうね。オリヴィエはヴォーカルだけでなく楽器もマルチにこなすみたいで、このEPでも聴こえるサウンドはたぶんオリヴィエひとりでつくったものかもしれません。ビート・メイクなんかはたぶんこれ打ち込みですよね。

 

1990年代ふうなサンプリング・ヒップ・ホップの感覚もあるかと思えば、往年のソウル、ファンク・ミュージックなどのエッセンスも垣間見えたり、またけっこうブルージーなサウンドも聴けるので、と思って調べると、オリヴィエ自宅のCDやテープのコレクションにはブルーズもたくさんあるんだそう。

 

ブリティッシュ・ロックなフィーリングだってちょっぴり感じるこの最新作、曲のメロディ・ラインに独特の陰影というかちょっとくぐもったようなフレイジングがあって、そんなところもぼくはおおいに気に入っています。甘くてスモーキーな歌声も好感度大。クラシカルなフィーリングと最新のオルタナティヴ・ソウルが絶妙にブレンドされている佳作です。

 

(written 2021.5.16)

2021/09/03

都会の夜に 〜 チェンチェン・ルーの現代R&Bジャズ

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(5 min read)

 

Chien Chien Lu / The Path

https://open.spotify.com/album/0fo6PcE438y9Ob8cDVF75m?si=cA-0DIkzTcirj0UfKI2jBg&dl_branch=1

 

チェンチェン・ルーは台湾人若手ジャズ・ヴァイブラフォン奏者。現在は米ニュー・ヨークのブルックリンを拠点にしているみたい。またしてもブルックリンですよ。以前も書いたけど、新世代ジャズ・ヴァイビストってブルックリンに集結しているんじゃないの〜?なにかあるよなあ。

 

ともかくチェンチェン・ルー。オフィシャル・サイトによれば、台湾の台北国立芸術大学で作曲やパーカッションを学んだのち2015年アメリカに留学、フィラデルフィア芸術大学ジャズ科でヴァイブラフォンを専攻したというキャリアの持ち主。

 

ぼくがこのヴァイビストを見つけたのはついこないだ八月上旬のことで、デビュー・アルバム『The Path』(2020)のPヴァイン盤CD入荷をディスクユニオンがツイートしていたからです。去年の作品ですが、日本ではまだほとんど知られていないんじゃないですか。Bandcampのページには配信リリースしか載っていないんで、フィジカルは日本盤しかないのかも。

 

しっかしこの『The Path』がホント最高なんですよねえ。現代ジャズとソウル/レア・グルーヴ/R&Bテイストとの幸福な結婚ともいうべきような内容で、グルーヴィなサウンドがなんともテイスティ。現代ジャズとブラック・ミュージックの交差する地点にしっかり存在する傑作と言えます。

 

特に1曲目ロイ・エアーズの「ウィ・リヴ・イン・ブルックリン・ベイビー」や続く2「インヴィテイション」、3「ブラインド・フェイス」と、冒頭三曲でのうねるグルーヴはみごと。チェンチェンのアレンジ/作曲能力もヴァイブ演奏能力もきわだっているし、それにリズム・セクションの表現するビート感が現代的で、しかも野太く、黒い。

 

もうこれら三曲だけでもノック・アウトされちゃいますが、全体の雰囲気に都会の夜のムードが横溢しているのも気持ちいいところですね。洗練されたニュー・ヨーク・ジャズといった感じで、ヴァイブやマリンバの硬質な音色がそんなフィーリングをいっそう高めています。

 

5曲目「ブロッサム・イン・ア・ストーミー・ナイト」は、台湾民謡「雨夜花」を現代的なソウル・ジャズへとアダプトしたもので、ここでのアレンジや演奏にもほんとうに感心します。チェンチェンの出自たる台湾的要素を感じさせるのはここだけかも。でも冒頭で聴こえる歌のサンプリングだけで、あとは都会のジャズなんですよ。

 

アルバム中いちばんのお気に入りとなっているのは6曲目の「ブルー・イン・グリーン」。もちろんマイルズ・デイヴィスの『カインド・オヴ・ブルー』からの一曲ですが、こんなにも雰囲気満点でメロウなR&Bジャズに変貌するなんて、もうタメイキしか出ませんね。最高のムード。都会の夜の甘美なムード満点です。

 

このチェンチェン・ヴァージョンの「ブルー・イン・グリーン」はほんとうに最高の現代R&Bジャズで、あまたあるこの曲のカヴァーのなかでも特に傑出したワン・アンド・オンリーなできばえ。ぼくはもう完全にこれに降参しています。聴き惚れちゃうな〜。溶けてしまいそう。

 

アルバム後半、8曲目「ジ・イマジナリー・エニミー」も9「ティアーズ・アンド・ラヴ」も、チェンチェンの作曲能力の高さがきわだってみごとだし、ブラック・ミュージックふうにメロウなフィーリングをたたえたサウンドが現代的で、ループ感をともなったビート・メイクともどもコンテンポラリー・ジャズのありかをしっかり示しています。

 

最終盤のアルバム・タイトル曲「ザ・パス」もチェンチェンの自作曲。幽玄な感じの演奏だなと思っているとそれはプレリュードに過ぎず、2分すぎから雰囲気が変わって、ノリのいいビートも効きはじめ、俄然現代ジャズの容貌をあらわにします。チェンチェンがマリンバで表現するソロは、いまの時代のニュー・ヨークで生きるフィーリングをたっぷり聴かせてくれていますね。

 

アルバム・ラストはスパイク・リー監督の映画から「モ・ベター・ブルーズ」。チェンチェンのR&Bグルーヴへのパッションを感じさせるつくりになっていて、これも言うことなしですね。

 

傑作でしょう。年末のベスト10では上位に入ること間違いなしです。

 

(written 2021.9.2)

2021/09/02

セヴンティーズ・ソウルまっしぐら 〜 ドゥラン・ジョーンズ&ジ・インディケイションズ

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(2 min read)

 

Durand Jones & The Indications / Private Space

https://open.spotify.com/album/4ogV05oprfriua7n9icbvN?si=g5t-OjnbQAyFIABcD33swg&dl_branch=1

 

萩原健太さんに教えてもらいました。
https://kenta45rpm.com/2021/08/02/private-space-durand-jones/

 

ドゥラン・ジョーンズ&ジ・インディケイションズについては、以前ぼくもちょこっとだけ触れたことがありますね。完璧に1970年代黄金時代ふうのレトロ・ソウルをやる連中で、甘茶的にスウィートなのがとてもいいんですよね。

 

そんなドゥラン・ジョーンズの最新アルバム『プライヴェイト・スペース』(2021)もまたそんな路線まっしぐら。いったいいま何年だ?と一瞬頭が混乱しそうになるほどのヴィンテージ・ソウル志向ぶりで、ぼくはいい気分。

 

特に1曲目「ラヴ・ウィル・ワーク・イット・アウト」がもう最高じゃないですか。これが冒頭にあるおかげで、それだけで、このアルバムの印象が決まってしまうくらいのミディアムなスウィート・ソウルぶり。これはいい!しかも聴こえるヴァイブラフォンはジョエル・ロスの演奏なんですって。どういう縁かなあ。控えめに入るストリングスもいいよねえ。

 

もうこれ一曲だけでおなかいっぱいというくらいこの1曲目が大好きなんですが、実際、ドゥラン・ジョーンズらは、アース・ウィンド&ファイアっぽさに寄りつつ、70年代なかばのブルー・ノートとかCTIふうというか、ディスコ的なサウンド・メイクも聴かせつつ、そのへんの時代感に白羽の矢を立てて、マニアックなソウル・ミュージック愛を炸裂させています。

 

でもこのアルバムのグルーヴには、確実にいまの時代っぽいループ感もただよっていたりして、そういった加減というか案配もなかなかうまいぐあいにやっていますよねえ。いい曲揃いですし、フルートとか、ハープとか、ちょっとチープな女声コーラスとか、ここぞのところでここぞの要素を散りばめているのもニクイところです。

 

いまの時代のR&Bにイマイチなじめない部分もあったりする身としては、こうしたソウル・ミュージックはホッと安心できて、いいんです。こういったあたりにソウル・ミュージックの未来があるだとか領域拡張だとか、そういうことは考えませんけどね。

 

(written 2021.9.1)

2021/09/01

なんでもないサンバ・アルバムだけど 〜 ヌーノ・バストス

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(2 min read)

 

Nuno Bastos / Coração Em Desalinho - Os Sambas de Ratinho

https://open.spotify.com/album/1YX0gMhwpsN2od4rAHQTO7?si=VYtU1dCHTdmmA5TXvxGydA

 

ヌーノ・バストスはポルトガル生まれながら、サンバに恋して一途に追求、いまはブラジルに住んでいるんじゃないかと思いますが、現地のサンバ・コミュニティからも一目置かれる存在にまでなっているそう。

 

そんなヌーノの新作アルバム『Coração Em Desalinho - Os Sambas de Ratinho』(2020)は、やはり同様にポルトガル生まれながらサンバ作曲家としてブラジルで活躍したラチーニョのソングブックとなっています。

 

ヌーノのこともラチーニョの曲も初体験なぼくにはなんとも言えないところではあるんですが、このアルバム、なかなか楽しく仕上がっているんですよね。中身は王道のエスコーラ系ストレート・サンバで満たされていると言っていいと思います。気をてらったり特に工夫したりといった感じのない、なんでもないサンバ・ミュージックですけど、楽しいですよ。

 

一つには曲がいいっていうことがあるでしょう。ラチーニョ初体験ではありますが、いいサンバ・ソングライターだとわかります。このアルバムではアレグリア系の明るいサンバと、サウダージ系の短調サンバがとりまぜられていて、ヌーノはどちらも違和感なくこなしています。

 

とりたててなんの変哲もないあたりまえのサンバ・アルバム。ですけれど、ちょっとありきたりじゃない新味サンバにオオッ!と思ういっぽうで、こうした王道サンバ・アルバムはなんどでもくりかえし聴けて、緊張しないし、聴くたびにほっと安心できるし、結局のところこういうのが愛聴作となるんですよねえ。

 

(written 2021.5.13)

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