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2021/09/14

オリエンタルとかエキゾティックとか

20200411193920

(6 min read)

 

っていうことばを、音楽関連でも、今後は使わないようにします。差別的ニュアンスをともなっているように感じるからです。

 

「オリエンタル」にかんしては(ぼくもアジア人だからたぶん当事者意識があるせいで)ずっと前から違和感が強く、いままで一度も使ったことがありません(と思ってブログ検索したら、実はちょっとある…)。

 

ところが「エキゾティック」のほうはこのブログで乱用してきました。そしてorientalと違ってexoticはアメリカ合衆国の連邦公式文書で(2016年以後)禁止されていることばというわけじゃありません。

 

しかし考えてみると、エキゾティックという表現をしたくなるメンタリティの根底には、(音楽的に)自分にあまりなじみがないもの、異なもの、外的な要素を雑にくくって、それをちょっとおもしろがって興味本位でとりあげているということがあったんじゃないかと自分でも思うんです。

 

さらに、エキゾティックという表現で音楽面でのどんな要素を指摘しているのか、実はよくわかりません。日本生まれで日本に住んでいる日本人であるぼくにとっての「異質」「外的」なもの、というだけのことですから、日本の音楽や西洋クラシック音楽やアメリカ合衆国産のポピュラー音楽「じゃないもの」というだけのことでしかありません。

 

中南米のラテン・ミュージック要素(そこにはスペイン由来の旋律とアフリカ由来のリズムがあるわけですけど)もエキゾティックなら、アラブ圏やトルコの音楽だってエキゾティック、アラブ・アンダルースな旋律作法だってそうだし、さらにトルコやアラブの音楽で聴けるキューバン・リズムは二重の意味でエキゾティックだとか、はっきり言ってもうワケわかりませんよね。

 

つまりエキゾティックという表現で、なにか実体のある具体的な意味のある音楽性にはなんら言及していないのです。言っているのは、たんにぼくにとってなんだかちょっと異国情緒がしておもしろ〜いというだけの雑駁な感情でしかありません。

 

それは、むかしの日本人が西洋白人を見ても東南アジア系でもアラブ系でもアフリカ系でも「ガイジン」と言って、黄色東アジア人である自分とはなんかちょっと違う、異な感じがする、というだけでおもしろがって、興味本位ではやしたてたり避けたりする、そんな行為と本質的に差がありません。

 

つまりエキゾティックとは、ホモソーシャルな音楽文化ネットワークのなかにいる自分とはなんだか違う、異なもの、外なもの、を差別するステレオタイプでしかなかったのです。

 

アメリカ合衆国にいるアジア系を「オリエンタル」と呼ぶのは、自分がちょっと優位に立っているかのような視点から排除意識を持つ差別表現であるという点で、当時の大統領バラク・オバーマがこのことばの公的使用を法的に禁止しましたが、ぼくも「エキゾティック」について同様の認識を持たなくてはなりません。

 

へへ〜い、これ、ちょっとヘンだぜ!おもしろいね!っていうフィーリングの表現でしかなかったエキゾティック(とかオリエンタル)。現実の事物というか音楽を知らず妄想の産物でしかない世界、非西洋な音楽要素、違和感や非日常感に対していだく快感 〜〜 それは端的に言って誤解と偏見。それをぼくはまき散らしていたわけです。

 

今後は、ちょっとヘンに感じておもしろいと思う音楽要素を、「エキゾティック」と雑にまとめてテキトーに放り出すんじゃなくて、もっと実体に即して、わかる範囲で具体的・個別的に指摘するように心がけたいと思います。

 

「エキゾティック」ということばは植民地主義的なコンテクストをふくんでいるし、このことばを使うことは外国人排斥や人種差別を強化しかねないということで、『ワシントン・ポスト』紙は2021年7月、食材をエキゾティックと表現するのをやめようという記事をフード部門のスタッフ・ライターが掲載しました。

 

日本人女性がチャイナ・ドレスやアオザイを着ているのをふだんよりセクシーだと思ったり、ばあいによっては和服を着ているのすらこんにちでは非日常的だというのでなんとなく妙というか異に感じて興味本位でジロジロ見つめたりする、そんなメンタリティこそ、エドワード・サイードが指摘した意味での「オリエンタリズム」であり、差別的エキゾティシズムの発露にほかならないと思います。

 

ですから音楽の世界でも、アジア的だったりラテン・アメリカ的だったりアフリカ的だったりする要素をエキゾティックとくくることは、もうやめます。デューク・エリントンの「キャラヴァン」やディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」を、ぼくら日本人リスナーでも異国ふうに感じてなんだかおもしろく思うっていうのは、本土の人間が沖縄の旋律に対してエキゾティシズムを感じるのと同じ、抑圧構造に立脚した差別意識なのですから。

 

音楽について「辺境」ということばが使われるのは1990年代からずっとほんとうに大嫌いなのですが、辺境音楽などという表現を遠慮なくするひとたちと同じ愚を、ぼくもエキゾティックということばを頻用することで犯してしまっていたことになりますからね。

 

(written 2021.9.13)

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