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2021年10月

2021/10/31

Get the album on vinyl, CD, download or stream it

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(4 min read)

 

この英語は、ブルー・ノート・レコーズが新作アルバムをリリースした際の告知ソーシャル・メディア投稿で毎回必ず添えられているセリフ(最近は表現が変わったみたい)。アルバムを、レコードか、CDか、ダウンロードで入手するか、ストリーミングで聴いてねってことです。

 

そう、毎回必ずぜんぶに添えられていたセリフなんですが、レコード、CD、ダウンロード、ストリーミング、これら四種をすべての新作アルバムにブルー・ノートは用意してくれているんですよね。これこそ理想形じゃないでしょうか。

 

日本でも2017、18年ごろからかストリーミング(サブスク)で音楽を聴くことが一般化し、いまやすっかり定着していて、たぶん七割、八割以上のみなさんがそれでしか音楽に接していないと言ってもさしつかえないほどになりました。全世界的にみても、いまや最主流の音楽聴取手段ですよね。

 

でもそのいっぽうでいまだにフィジカルにこだわりを持つ向きもけっこういるし、CDだけじゃなく、レコード人気だってむしろかなり復活しつつあるような動きすらあります。ダウンロードして手元のパソコンなりスマホ内のストレージにそのファイルを置いておきたいという考えのファンだっているでしょう。

 

音楽への接しかたはだからひとそれぞれ、千差万別、十人十色(といってもおおまかにいって四種類だけど)なのであって、この聴きかたがいまや中心手段だから、大勢がそうしているからといって、それを他人に押しつけることなどできませんし、してはいけません。各人みんなが自分なりの方法でやればいいだけの話です。

 

だから、それらすべての方法を網羅、用意するブルー・ノートの姿勢はたいへんにすばらしいものだなと実感するわけですよ。これはですね、一部のレコード会社、レーベルが限定的な聴きかたしか用意しないこともあるという事実をふまえてのぼくの意見です。

 

たとえばベルギーのプラネット・イルンガ(Planet Ilunga)。コンゴ音楽を復刻している会社なのですが、ここはレコードしか出さないんですよね。CDを出さないばかりか、配信にも載せず。だから、レコード・プレイヤーを持っている人間しか相手にしていない商売です。はたしてこんなことでいいのでしょうか?

 

プラネット・イルンガがリリースする音楽は、中身はなかなかすばらしいものだというウワサを伝え聞いています。でもレコードを買ってもいまのぼくには聴く方法がないんですからね、もう一回レコード・プレイヤーを買わないかぎり。聴き手、購買者にハード面での追加投資を強いるような商売姿勢には大きな疑問を感じざるをえません。

 

配信にすら載せず、かたくなにレコードしか出さないっていうプラネット・イルンガみたいなのはかなりの例外だとは思います。多くの会社が数種類の方法を用意しているというのが現状ですからね。できればブルー・ノートみたいに、レコード、CD、ダウンロード、ストリーミング、とほぼすべての音楽聴取方法をもれなく用意してくれれば、これほどうれしいことはありません。

 

それであれば、聴き手はそれぞれの事情に応じて、自分が好きな方法で、音楽を買うなり聴くなりできるわけですからね。選択肢をすべてきっちり用意してほしい、どれで買うか(聴くか)はこちらに選ばせてほしい、それがぼくの強い願いです。

 

(後注)プラネット・イルンガの全作品は最近Bandcampで配信されるようになったみたいです。ダウンロードとストリーミングで聴けます。Astralさん、ありがとうございます。

 

(written 2021.7.18)

2021/10/30

まるで1920年代のサッチモのように 〜 エヴァン・アーンツェン

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(5 min read)

 

Evan Arntzen / Countermelody
https://open.spotify.com/album/5xRVPHi16q6TNxXgF1IBFO?si=_67Omxx1S9KTZYjs5SFLpw

 

Instagramの音楽フレンド、kznr_tkst(hifi_take_one)さんに教えてもらいました。
https://www.instagram.com/p/CPCe539sNZu/

 

エヴァン・アーンツェンという読みでいいんでしょうか、Evan Arntzen。カナダはヴァンクーヴァー出身、米ニュー・ヨーク・シティで活動しているジャズ・リード奏者(主にクラリネット)ですが、その最新作『カウンターメロディ』(2021)はニュー・オーリンズ・スタイルの古典ジャズで、なんとも痛快。ぼくなんかにはこれ以上ないという内容です。

 

エヴァンには公式サイトがあってくわしいバイオなんかも掲載されているので、気になったかたはぜひご一読ください。なんでも祖父からまずジャズを学び、ルイ・アームストロング、シドニー・べシェ、ジェリー・ロール・モートン、デューク・エリントンなどを聴いて成長したそうです。
https://www.evanarntzen.com

 

クレセント・シティの音楽に魅せられて、みずから追求して実現しているのがエヴァンというわけで、最新作『カウンターメロディ』でも、やはり1920年代ふうの古典的ニュー・オーリンズ・ジャズ志向が全開。現代の最新録音でこういった音楽を聴くのは、ちょっと妙な気分もします。

 

もう1曲目からして、まず曲だっておなじみ「マスクラット・ランブル」っていう時点でニヤけてしまいますが、もちろん演奏スタイルは1920年代のサッチモふう。ホット・ファイヴとかあのへんの音楽そのまんまですよね。ホーン編成はトランペット、トロンボーン、クラリネットの三管っていう、これも完璧ニュー・オーリンズ・ジャズ的。

 

2曲目以後も、スタンダード曲&自分の(バンド・メンバーふくめ)オリジナル曲とりまぜながら、ヴィンテージな音楽をそのまま展開しているエヴァンとそのバンド。2021年の最新作としてこういう音楽が世に出たっていうことが、もううれしくてうれしくて。演奏内容だってハイ・クォリティだし、もう言うことありませんね。

 

かと思うと、聴き進んでいくうち、オッ!と思わせる曲がいくつかあります。1〜9曲目までは100%ヴィンテージな1920年代ふうニュー・オーリンズ・ジャズ復興路線ですが、続く10曲目の「オルヴィタ」。これはちょっとジャズでもないようなカリブ/キューバ音楽なんですよね。

 

ジャズをふくめニュー・オーリンズの音楽にあるカリブ要素はいまさらくりかえす必要もないはず。エヴァンらはニュー・オーリンズ・ジャズを愛するあまり、カリブ音楽方面にまでしっかり視野を拡大しているということで、ホンモノなんだなとわかります。10「オルヴィタ」、曲は参加しているトロンボーン奏者の書いたもの。

 

かと思うと、11、12曲目がなぜかのハード・バップ、それもアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズを想起させるファンキー・ジャズで、ピアニストがまるでボビー・ティモンズばりに弾きまくるっていう、なんだこりゃ?なんでこんなのやってんの?

 

13曲目。タイトルが「Solitarity」になっていて、最初は「Solidarity」の誤植かなんかじゃないの?と思ったんですが、聴いてみて納得。ソリタリティっていう英単語は造語なんでしょうね。気高い孤高のプライドみたいなものを強く感じる演奏で、まさしくクラシカルなニュー・オーリンズ・ジャズのスタイルでありながら、21世紀の現代にも訴求性のある音楽になっています。エヴァンの自作曲。

 

個人的には、1〜9曲目の典型的1920年代ふうのヴィンテージ・ニュー・オーリンズ・ジャズをうれしく聴きながらも、同時にカリブへの視点を表現した10「オルヴィタ」や、13「ソリタリティ」でみせるエヴァンの誇り高さと自信に満ちた毅然とした態度にも感心しますね。

 

アルバム最終盤の14、15曲目は<ワックス・シリンダー・セッションズ>との副題のとおり、わざと音質を加工して古いSPレコードみたいに聴こえるようにロー・ファイにしてあるものですが、蝋管というほどの古めかしさじゃないよねえ。でも古いジャズがほんとうに好きなんだなあというエヴァンの気持ちは伝わってきます。

 

(written 2021.10.29)

2021/10/29

骨太でファンキーなビートルズ集 〜 マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス Jr.

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(6 min read)

 

Marilyn McCoo & Billy Davis Jr. / Blackbird: Lennon-McCartney Icons
https://open.spotify.com/album/3yWA8N5YKVQqhQQTPpQiLl?si=JElurxQuQYeaKDs_2xX83A

 

先日観た映画『サマー・オブ・ソウル』に登場していたマリリン・マックーとビリー・デイヴィス Jr.のベテラン歌手夫妻。現在の姿を見たのははじめてだったように思いますが、1969年ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルでのフィフス・ディメンションの演唱シーンで、メンバーだったこの夫妻のインタビューがモンタージュされていたのでした。

 

そんなマリリン・マックーとビリー・デイヴィス Jr夫妻が、今年新作アルバムをリリースしました。『ブラックバード:レノン・マッカートニー・アイコンズ』(2021)というカヴァー集。二人ともだいぶ高齢のはずですが、アルバムを聴くかぎり声に衰えがなく元気そうで、うれしくなりました。

 

『ブラックバード』は、レノン・マッカートニーと副題があるのでビートルズ・ソングブックなんだなと思いきや、たしかに大部分そうだけど、解散後のジョンとポールのソロ・ナンバーも一曲づつ歌われています。

 

そしてこの『ブラックバード』、出色のできばえなんですよね。ビートルズ・カヴァー集なんて、それこそ星の数ほどあるわけですが、ぼくがいままでに聴いてきた範囲のなかではこれがNo.1と言えるだけのすばらしい充実度、傑作だと確信します。

 

特にブラック・ミュージック・ファン、ファンキーなものが好物だという向きにはまたとないオススメ品。マリリンとビリーが在籍したフィフス・ディメンションといえば、1960年代末当時、黒人グループながら白人音楽をやっているという評判だったわけですが、今回のこの『ブラックバード』ではファンキーなアプローチが目立ちます。

 

特にいちばん心を打たれたのが8曲目の「ヘルプ!」。ビリーが一人で歌っていますが、もう最高のゴスペル・バラードに仕上がっているんですよね。こういった歌詞を持ちながらビートルズのオリジナルは急速テンポで飛ばす調子だったわけですが、バラードにアレンジするというのは、この曲にとってわかりやすい解釈ではあります。

 

黒人歌手による「ヘルプ!」へのこういったアプローチで思い出すのは、ティナ・ターナー1984年の復帰作『プライヴェイト・ダンサー』に収録されていたヴァージョン。今回のビリーのはそれを踏まえているのかもしれませんが、特筆すべき大きな違いがあります。

 

それは、ティナ・ヴァージョンの「ヘルプ!」が歌詞そのままの痛切感に満ちた内容だった(のは当時のティナが置かれていた状況を反映していたのかも)のに対し、今回のビリー・ヴァージョンは、ゴスペルらしく、救済を求めて叫びつつ、同時にみんなと連帯しながら、支え合いながら、前向きに強く人生を生きていこうというポジティヴさ、肯定感、強い決意のようなものがはっきりサウンドとヴォーカルに聴きとれること。

 

それゆえにこのビリー・ヴァージョンの「ヘルプ!」は、いまの時代にこそ必要なアンセムのようになっていると思うんですよね。昨年初夏来のBLM運動をも視野に入れながら、人種間の分断が取り沙汰される現代にいま一度共感と連帯を求めて立ち上がろうというパワーを、ここに感じることができます。

 

そういった社会的意味合いと同時に、ほんとうにプライヴェイトな感触もあって、マリリンとビリーというこの老夫婦間に流れる愛を再確認するようなフィーリングもたしかにあります。ことばをひとことひとこと丁寧につづりながら、年老いた二人の熟愛を歌い込んでいるような、そういう歌にもなっているんです。

 

そう考えれば、このアルバム『ブラックバード』全体が、この二人の愛のソングブックにもなっているのでした。そのような視点から慎重にどんな曲を選ぶか考え抜かれているし、マリリンとビリーがヴォーカルを分け合いながら、あたかもスタジオでたがいに見つめ合いながら歌い込んでいったかのような様子すら浮かぶようです。ラスト10曲目の「アンド・アイ・ラヴ・ハー」なんて、もう、ねえ。

 

年老い終末期に来て、あらためて肯定的に人生と人間と社会を見つめなおし、前向きに生きていこうというこの二人の強さみたいなものが、リズムやサウンドのファンキーさ、ブラックネスにも通じているような、そんな感じがします。

 

アルバム全体を貫くタイトでシャープな骨太ファンク・ビート、ソウルフルなブラック・サウンド、パワフルなヴォーカルを聴いていると、これがあのフィフス・ディメンションの二人の音楽なのか?!とちょっとビックリしますが、たしかにここにあるのは良質のブラック・アメリカン・ミュージックです。

 

(written 2021.10.28)

2021/10/28

トルコ風味の消えたジャジー・ポップスがいい 〜 カルスの新作EP

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(2 min read)

 

Karsu / Beste Zangers 2021

https://open.spotify.com/album/0qFVCrJsNtyBpCmriQ3QlN?si=lCGO-mTUQreBjay7ikFQew&dl_branch=1

 

きのう書いたトルコ系オランダ人歌手のカルス。ああ言っていたら、こないだ今年の新作が出たようです。四曲約15分というEPで、『Beste Zangers 2021』(2021)というタイトル。

 

今回は、きのう書いた2019年の前作『Karsu』と違い、トルコ風味はゼロ。全面的にジャジー・ポップスに専念した内容で、これですよ、これ、カルスはこういうもののほうが本来の持ち味を発揮できる歌手です。はたしてぼくの願いが通じたわけじゃありませんが、これは歓迎ですね。

 

出自がトルコ系で、しかも応援してくれているファンがトルコには大勢いるそうなので、そちら方向に配慮するというのは理解できるんですけども、自分の資質・持ち味を慎重に吟味検討して、こういったジャジー・ポップスを全面展開したEPを発表したのはいいことじゃないですか。

 

1曲目は軽いアクースティック・ギター・サウンドに導かれ、ふわりと歌いだすその導入部で、すでにいい雰囲気を出しています。演奏は生バンドでしょうね(っていうか、このEP、そもそもライヴ・アルバムか?)、オーガニックなサウンドで、それもカルスの持ち味にピッタリ。

 

2曲目は、なんだかちょっぴりガーシュウィンの「サマータイム」を思わせる曲で、しかもオペラっていうより、1920〜30年代あたりのレトロなジャズ・ソングふうっていう、なかなかムードのある一曲です。もりあがる箇所での声の張りかたにはややおおげさなところもありますが、従来的なジャズ・シンガー・スタイルでしょうね。

 

ちょっとヨーロッパ大陸っぽい感じの3曲目に続き、4曲目は軽いレゲエ調。前作にもレゲエ、ありましたね。カルスはレゲエ好きなのかもしれません。ここでは英語で歌っていて、バンドの演奏はレゲエ・ビートを使いながらもジャジーで、やはりカルスにはこういうのが似合います。

 

(written 2021.10.1)

2021/10/27

ちょっぴりトルコ風味なジャジー・ポップス 〜 カルス

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(3 min read)

 

Karsu / Karsu

https://open.spotify.com/album/4tKiQFQ4j6fzMdoriugGvv?si=wptcaoNGQKyEIOVZqy6oJQ&dl_branch=1

 

両親ともにトルコ出身、アムステルダム生まれ&在住のトルコ系オランダ人というカルス(・ドメンズ)は、ジャズ・ポップのシンガー・ソングライター兼ピアニスト。2019年の『Karsu』でぼくは出会いましたが、そこまでにすでに三作のアルバムをリリースし、オランダ国内だけでなくトルコでも話題になっているみたいです。

 

アルバム『Karsu』では、1曲目が完璧なるジャズ・ナンバー。カルスは英語で歌っています。そういうのはほかにも数曲ありますが、1曲目がいちばんストレートにジャジーですね。と思ったら、これはほんのプレリュードに過ぎず、たったニ分程度で終わってしまい。

 

2曲目がなぜかのレゲエ。そりゃもう鮮明なレゲエで、どこもジャジーでなくターキッシュな要素もゼロという。中南米のリズムを使った曲がアルバム中ほかにもありますね。このようなことは、ジャズだとかオランダ、トルコといったことにかぎった話ではなく、ラテン・リズムは全世界に拡散していますので、特筆することでもないかと。

 

3曲目以後も、英語で歌うジャジーな曲とトルコ語のポップス(かすかにサナートふう)が交互に出てくるといった様子。カルスがピアノの腕前を発揮するといった場面はほとんどなし。ほぼヴォーカルに専念していると言えます。

 

そのヴォーカルにはかなりジャジーな味があって、さらにそこはかとなくトルコのサナート風味も、かすかにですけど、ただよっているのが出自を思わせるこの歌手の独自の持ち味ですね。ときおり強く激しく声を張り上げたりする場面もありますが、多くはスモーキーに仄暗くたたずんでいるといったムードで。

 

情報によれば、なんでもこのカルスの2019年最新作は、両親の出身地で自身のルーツにして、歌手としての自分を応援してくれているトルコのファンのために、そこに向けて、制作・発売されたものなんだそうで、それにしてはトルコ音楽風味が薄いかもなと思いますが、トルコ語でたくさん歌っているのはそういうわけだったんですね。

 

そんなせいなのか、あるいはまだ才能開花途上にあるからということなのか、やや中途半端な印象を受けないでもないこのアルバム『Karsu』。個人的にはトルコをそんなに意識せずに、ジャジー・ポップスに専念してみたらどれくらいの音楽が仕上がるかちょっと興味が湧く、おもしろい歌手です。

 

(written 2021.6.24)

2021/10/26

とうとう姿を現した『ゲット・バック』〜 ビートルズ

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(6 min read)

 

The Beatles / Let It Be (Super Deluxe)
https://open.spotify.com/playlist/6eUXF3LWkarQOHkLYzQFiP?si=c6d7b384582f49e9

 

ちょっと前に発売されたビートルズの『レット・イット・ビー』50周年記念スーパー・デラックス(2021)。前も書きましたが、もはやこの手のクラシック・ロック系大型リイシュー・ボックスに興味はありません。でも今回の『レット・イット・ビー』スーパー・デラックスにだけはちょっと思うところがあります。

 

それはCDならディスク4に当たる部分。それはかの有名な未発表アルバム『ゲット・バック』なんですよね。1969年春に完成し、グリン・ジョンズによるミックス作業もマスタリングも終え、あとは発売を待つばかりという状態にまでこぎつけたにもかかわらず、直前でボツになった、かの『ゲット・バック』です。

 

ブートレグではいままでもすでに流通してきていたものらしいですが、公式にビートルズ・サイドから発売されたのは今回が初。だからそれをいまのぼくでも手軽に聴けたというのは、もうただそれだけで喜びなんですよね。

 

1969年1月のゲット・バック・セッションのことも、そこからグリン・ジョンズが完成させ、結果未発表になってしまった幻のアルバム『ゲット・バック』のことも、さらに翌70年にフィル・スペクターによる再構成が行われて公式発売された『レット・イット・ビー』に至るまでのプロセスや毀誉褒貶についても、非常によく知られていることなので、ここでぼくが記す必要はないです。

 

ただ、こないだからようやく正式に聴けるようになった『ゲット・バック』の、そのナマナマしいサウンドをひたすら楽しめばいいということだけですね。曲目構成をみると、今回公式発売された<1969 グリン・ジョンズ・ミックス>とは、69年5月ヴァージョンの『ゲット・バック』ですね。

 

今後はこれが『ゲット・バック』の正式版になっていくのだと思います。(スペクター版)『レット・イット・ビー』との関係は一筋縄ではいかないっていうか、ポール・マッカートニーなんかはああいったケバケバしいオーケストレイションの付加を強く批判しましたけど、スペクターの仕事はポップ・ミュージックとして完成品をつくることにあったので、あれはあれで正解だったと、ぼくは思います。

 

それでも、セッションが行われた1969年1月時点でのビートルズ四人(+ビリー・プレストン)のドキュメントとして、迫真性をもっていまのぼくらの胸を打つのは『ゲット・バック』のほうだと、やはり思います。

 

前年の『ホワイト・アルバム』制作のあたりから顕著になってきたメンバー間の軋轢やすれ違い、続くゲット・バック・セッションの崩壊とアルバム化の失敗、最後の最後にもうひとつと輝いた『アビイ・ロード』まで、その間のいちばん人間くさい生身の身体性や心理をつづったドキュメントとして、『ゲット・バック』以上のものはないです。

 

ゲット・バック、つまりバンド結成当時の、あのハンブルクやキャバーン・クラブでやっていたころのような、ああいったバンドのありようにもう一回だけでも戻ろうよというポールの発案で開始されたゲット・バック・セッションだったのですが、結局は戻れないまま終了してしまったことも、まるでナイフで肌を切るようにこちらにも音として伝わります。グルーミーな終焉感が強くただよっていますよね。

 

それでも、オーヴァー・ダビングいっさいなし、管弦のオーケストレイションもゼロで、四人(+1)だけでの一発録りライヴ・セッションで、1969年1月にもここまでできたんだという、ビートルズのバンドとしての演奏能力の高さも手にとるようにわかりますよ。

 

さらに今回はじめて『ゲット・バック』を聴いてみてちょっとビックリしたのは、曲と曲のあいだのポーズがほぼまったくないことです。1990年代ごろからのクラブ系音楽アルバムなんかで顕著になってきた、こうした間をおかずどんどん曲をつなげるというDJ的編集手法、1969年にグリン・ジョンズはすでにやっていたんですね。

 

もとのゲット・バック・セッションがどんなものだったか知っていると、これがグリン・ジョンズの巧みな編集作業によるものだったことはわかるはず。そしてこのように曲と曲をノン・ストップで続けるというのは、たぶん現場的「ライヴ感覚」を大切にしようとしたからだという、グリン・ジョンズの意図を感じます。

 

そんなこともあいまって、いっそう1969年1月時点でのビートルズのナマの姿を伝えることに成功しているなと思うアルバム『ゲット・バック』、もしこれが当時そのまま発売されていたら、どういう評判を呼んだでしょうか。セッションは失敗だったと言われながら、実際にアルバムをこうして聴いてみると音楽的な完成度はそこそこ高いので、けっこう好意的に迎えられたかもしれませんよね。

 

(written 2021.10.25)

2021/10/25

函館ハーバー・センティメント 〜 美咲の「アキラ」を聴く

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(4 min read)

 

岩佐美咲 / アキラ
https://open.spotify.com/album/4gRiAOa06QMsM0nZe0T4Z8?si=H6utJXilRTmtKTHOVA8fCg

 

去る10月6日にCD発売された岩佐美咲の新曲「アキラ」。ようやくSpotifyなどサブスクでも聴けるようになったのがつい四日前の同月20日。二週間もかかったのはやや問題ですが、まずはよかった。これでいつでもどこででも美咲の「アキラ」を聴けるようになりました。

 

それでくりかえしなんども聴いたので、ちょこっと短い簡単な感想をメモだけしておきましょうね。通常毎年春ごろには新曲を出してきた美咲、今年はなかなか出なかったので、今回はナシなのかとあきらめかけていた夏にアナウンスがありました。

 

「アキラ」の舞台は函館。半年暮らしたそこで恋をして、別れ、いまは同地を去って東京でひとり暮らしているものの、函館でのアキラとの恋が忘れられず未練をひきずり、ときどき同地を訪れているという女性が主人公です。

 

美咲の歌う曲って、こうした失恋・悲恋・苦恋ばかりなのにはなにか理由があるのかな?ということはずっと前にも書いたことがあります。こうした悲哀の心境をつづった歌詞が演歌系の楽曲ではよく映えるということなんでしょうね。美咲もすっかり歌い慣れているといったフィーリングを、「アキラ」を聴いていると感じとることができます。

 

曲はちょっと古い感じのステレオタイプな歌謡曲で、ここのところ「恋の終わり三軒茶屋」(2019)、「右手と左手のブルース」(20200)と、やや演歌から離れた歌謡曲系のメロディと楽想が続いています。美咲にはこうしたライト・ポップスのほうがド演歌より似合っているよなあとぼくは感じています。

 

「アキラ」はかなりシンプルな構造の楽曲ですが、聴いていていちばん痛感するのは美咲の声の落ち着きですね。アイドル界から卒業してもう五年、一部ではまだまだアイドル路線の延長線上じゃないかと見る向きもあるようですが、「アキラ」でのこの声を聴いていると、すでに大人の歌手に脱皮したなあと思いますよね。

 

聴き苦しいキンキンした若手女性アイドル的な発声は「アキラ」のどこにもないし、むしろしっとりとした陰影を感じさせる中低音域を中心にじっくり歌いこなしているという印象です。もちろん「アキラ」という楽曲がそういうメロディのつくりになっているから、というのはあるでしょうけど、落ち着いて淡々と歌える美咲の歌手としての成長を感じとることができますよ。

 

考えてみれば、「アキラ」のレコーディングは夏前の六月か七月ごろだったはずで、そのあたり、美咲もコロナ禍でなかなか苦しい思いをしていました。ひとまえで歌う機会などほぼゼロに等しくなってしまっていたせいで、喉や腹筋がやや衰えて、たまのネット配信歌唱イベントでも「あれっ?」と思う瞬間が多かったです。

 

そんな時期にレコーディングされた「アキラ」なのに、そんな様子がみじんもみえないのはさすがはプロの歌手だけあるという成長を示したものと言えましょう。もちろんスタジオ録音であるがゆえ、録音後の微調整をコンピューターでやっているでしょうけど、ここまでしっかりしたトーンで歌えているのは本人の実力です。

 

10月6日の発売前後から、「アキラ」はネット・イベントを中心にどんどん歌われています。メロディ構造のシンプルさがかえって歌詞の世界をよく表現している名曲とも言えるので、今後も歌い込んでいけば、歌唱表現にさらに落ち着きや深みを増し、ファンを惹きつけていき、新規ファンを増やすこともできるのではないでしょうか。

 

(written 2021.10.24)

2021/10/24

もうメール・データの移行なんてやらなくていい 〜 IMAPメールのすすめ

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(6 min read)

 

パソコン(やスマホ)を買い替えたときの最大の課題は、それまで使っていたデータの移行かもしれませんよね。こないだもWindows OSの走るPCを新しくしたというネット友人がいて、メール・データの移行に手間取って、結局あきらめたというようなツイートがありました。

 

それで、似たように困難な状況をいまでも経験し続けているかたはまだまだ多いのかもしれないと思いいたるようになり、だからちょっとでもトラブルを防ぐ一助になればと、いまこの文章を書いています。

 

実を言いますと、2011年に新型MacBook Proを買って以来、2014年、17年、21年と、合計四回のパソコン買い替えで、ぼくは一度もメール・データを移行したことがありません。

 

なぜならば、CDからインポートした音楽ファイルやダウンロードした動画などならともかく、メール・データなんて、もはや「移行」するものじゃないよなあというのがぼくの実感なんです。10年ほど前からクラウド型メールが主流になってきているからです。

 

パソコンやスマホを使うなら、TwitterかFacebookかInstagramのどれかは、いまやみなさんおやりでしょう。アカウント持っていますよね。それらはてもとのローカル・ストレージにテキストも写真も動画もありません。データはすべてサーバーにあって、端末を持つユーザーはそれにアクセスして見ているだけ。

 

だから、パソコンやスマホを買い替えても、それらソーシャル・メディアはユーザー名とパスワードを入れログインするだけで、ただそれだけで、それまでとまったく同じように使えますよね。「移行」なんて、だれも考えたことすらないでしょう。

 

いまやメールも同じなんです。ローカル・ストレージにダウンロードして読むPOP型は少数になってきていて(ほとんど使われてもいない?)、サーバーのクラウドにメール・データがあって、てもとの端末ではそれにアクセスしてメール・クライアントで表示するだけっていう、IMAPメールが主流です。

 

メール受信方式におけるPOPとIMAPの違いについては、検索すればくわしく解説してある記事がたくさん見つかりますから、ご存知ないかたはぜひご参照くださいね。たとえばこことか↓
https://fctv.mitene.jp/mail/which.html

 

マイクロソフト・サポートが解説している記事も見つかりました↓
https://support.microsoft.com/ja-jp/office/imap-と-pop-とは何ですか-ca2c5799-49f9-4079-aefe-ddca85d5b1c9

 

IMAPであれば、メール・データはクラウドにあってそれにアクセスするだけなので、パソコンなりを新しく買い替えても、IDとパスワードを入力しログインさえすれば、たったそれだけでOK、それまでのメールがぜんぶ出ます。データ移行なんてやらなくていいのです。

 

さらに、IMAPならクラウドのアカウントを持つだけなので、複数の端末からそれぞれ同じアカウントで同じサーバーにアクセスできて、どの端末でも同じメール・データを表示できます。いまやパソコン、タブレット、スマホなど、多数台持ちがあたりまえになってきていますから、どの端末でも同じメール一覧を確認できるというのは重宝しますよね。

 

IMAPなら、自宅ではパソコンで、出かけた先ではスマホで、新規メールの受信も、同じメールのちょこっと続きを読み、気になったメールへの返信も、ぜんぶいつでもどこででもできるんです。しかもどこでどれで受信しても全端末でデータが同期します。な〜んて便利なんでしょう。

 

ぼくはたまたまずっと熱心なAppleユーザーですので、Appleの提供するiCloudという無料のクラウド・サービスを使っていますが、これはむかしぼくが使いはじめたころ、まだ有料でした。当時「.Mac」(ドット・マック)という名前でしたが、2008年にMobileMeとなり、だれでも使える無料のiCloudになったのが2011年。

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てもとのメール・クライアントで確認すると、@mac.comのアカウントに来たメールは2008年のものが最古なので、たぶんそのちょっと前あたりからこのサービスを使いはじめたんだと思います。サービスがMobileMe、iCloudと名称変更しても、同じメール・アドレスで使い続けることができています。

 

iCloudはAppleユーザー向けに限定されたサービスではありません。WindowsユーザーでもAndroid端末でも問題なく使えます。その他クラウド・アクセス型のIMAPメール・サービスを提供しているところは各種あるので(マイクロソフトのものもある)、みなさんそれぞれお使いの機種やOSなど環境に応じてお試しくださいね。

 

また、Gmail(はぼくも使っている)などのWebメール・サービスをメインに使うという選択肢もあります。WebメールとIMAPは違うんですが、しかしこれもサーバー・アクセス型ですので、パソコン買い替えの際にメール・データ移行の必要がなく、やはり複数端末で同じメール一覧が見られます。

 

(written 2021.10.23)

2021/10/23

熟練のマロヤ・ビートに乗るアマチュアっぽい声が魅力 〜 クリスチーン・サレム

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(3 min read)

 

Christine Salem / Mersi

https://open.spotify.com/album/5g6zWWlwJNpIFCcFT8aJva?si=Hcl2I1LpS4ebHEFg92TdpQ&dl_branch=1

 

レユニオンのマロヤ歌手、クリスチーン・サレム。その最新作『メルシ』(2021)に触れる機会がありました。たぶんエル・スールのHPで見かけてちょっと気になったんでしょうね。ここ三年ほどそういう出会いがあると即Spotifyで検索する癖がすっかり身についていて、あればそのまま聴く、印象に残れば書く、というルーティンが定着しています。

 

クリスチーンは、もとはギター弾き語りで英語のブルーズなんかを街角で歌っていたらしいんですけれども、島のマロヤに出会って転向したみたいですよ。でも『メルシ』を聴いてもブルーズ歌手という痕跡はみじんもなく。根っからのマロヤ歌手に思えます。一曲、英語で歌うもの(9「Why War」)が収録されていますが、それだってどこもブルーズじゃないです。

 

だからもとからの全面的マロヤ歌手として扱っていいのでは。このアルバムでのクリスチーンは、ヴォーカルとギターだけでなく、カヤンブとハーモニカも演奏しているそう。そこかしこに聴こえるこのカヤンブのサウンドはクリスチーン自身ですか。ハーモニカは3曲目で大きくフィーチャーされています。

 

アルバム1曲目、いきなりア・カペラで歌い出したかと思うと(ハリのある堂々とした声)、突然ロックなエレキ・ギターが轟音で鳴り、そのままマロヤのリズムに突入してグルーヴしていくという、そんなつくりになっているわけですが、マロヤの、あの独特のハチロク・ビート(6/8拍子)は、ほとんどの曲を統べる一貫性となっています。

 

サウンド・メイクはだれかプロデューサーがいるんじゃないかと思いますが、マロヤの伝統リズムはそのままに、それを現代的な意匠でくるんだグルーヴが心地よく、かなりの腕前の音楽家だなと想像できますね。ホントだれなんだろう、この音をつくったのは?Spotifyで出るクレジットになにも書いてないんですよね。

 

多くの曲でジャジーなヴァイオリンがそこそこ目立っているというのもサウンド上の特色。パーカッション・アンサンブルの色彩感もさすがですね。主役クリスチーンの声は、上でも触れましたが堂々としたハリのある立派なもので、やや重たいかなと思わないでもないです。でも独特の憂いというか陰影があって、なかなか味ですね。

 

あまり手練れのプロっぽい感触がないというか、ややアマチュア的な素人くさいフィーリングもこの歌手の持ち味で、そこがかえって魅力につながっていて、悪くないですね。そういう発声なだけかもしれませんが、ちょっとした特徴でしょう。サウンド・メイクには熟練のつくり込んだ味わいがありますから、そのニ層が重なって、二つとない独自のマロヤ音楽に仕上がっていると思います。

 

(written 2021.6.23)

2021/10/22

元歌のよさを活かしたアース、ウィンド&ファイアのカヴァー集 〜『インタープリテイションズ』

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(3 min read)

 

v.a. / Interpretations: Celebrating the Music of Earth, Wind & Fire

https://open.spotify.com/album/5c96R9wpmvdBGfOzRRb5Qx?si=rKfmdf1cSTujxq7rAA7ZHQ&dl_branch=1

 

Astralさんに教わりました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-03-08

 

モーリス・ワイト自身がプロデュースしたらしいコンピレイション『インタープリテイションズ:セレブレイティング・ザ・ミュージック・オヴ・アース、ウィンド&ファイア』(2007)。さまざまなコンテンポラリー・シンガーたちが、文字どおりEW&Fの曲を再解釈したトリビュート・アルバムですね。

 

Spotifyデスクトップ・アプリで見ますと、このアルバムのなかで再生回数の多いのは断然3曲目の「セプテンバー」がトップで、ほかの曲の再生回数とは二桁も違います。やっているのはカーク・フランクリンですが、カークの人気じゃなくてたぶんこれは曲の人気なんでしょう。「セプテンバー」はEW&Fの曲のなかで最も有名ですから。

 

そして、なにを隠そう、ぼくがこのアルバムで知っていたのも「セプテンバー」だけだったんですよね。実はEW&Fの曲って、ほとんどちゃんと知らないままできました、というかそもそもこのバンドをあまり聴いたこともなく。特にこれといった理由もありませんが、なんとなくその気にならなくて。

 

Astralさんも似たようなことを書いていますが、あんがいこれが大方のブラック・ミュージック・ファンの実情なんじゃないかという気がします。べつに嫌いだとか敬遠しているとかいうんじゃなく、なんとなく、EW&Fのことは、意識はしても自分からどんどん積極的には聴いてこなかったというのが。

 

だから今回まとめて10曲も聴いたのは初体験です。しかもカヴァー・ヴァージョン。それにしてもしかしカッコいいですよねえ。特に1曲目のチャカ・カーンが歌う「シャイニング・スター」。もうこのオープニングだけでこのアルバムをぜんぶ聴こうという気になるほどです。

 

2007年のアルバムですけれど、特にコンテンポラリーR&Bとかヒップ・ホップ・ソウルに寄ったようなつくりにはなっていなくて、うん、ちょっとネオ・ソウル的な解釈でやっているものも混じっているかなとは思いますが、基本的には従来的なソウル・ミュージック・マナーに聴こえます。

 

曲そのものが新しくないわけですから、これはある程度納得できることです。それでも、ややフュージョン寄りの特色も帯びていたEW&Fの原曲のその色は抜けていて、もっと歌を中心にサウンド・メイクされているなと思います。

 

現代的なトラック・メイクに寄りすぎず、元歌のよさを最大限にまで活かすべくプロデュースされているなあという印象があって、そんなところ、好感触ですね。

 

(written 2021.6.22)

2021/10/21

ネオ・アクースティック・ソウルなエミリー・キング

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Emily King / Sides

https://open.spotify.com/album/3AQWr49jjrR1o7iuPxLgDc?si=vDETySuhSvSMN6DvT2TmsA&dl_branch=1

 

シンプルだけど力強いジャケットが目を引くエミリー・キングのアルバム『サイズ』(2020)。R&B系のアメリカ人シンガー・ソングライターで、2019年の『シーナリー』が成功して、注目されるようになった存在ですね。

 

2020年の『サイズ』でぼくははじめて知った歌手なわけですが、この最新作は自身の過去のアルバムからセレクトした曲を、完全アクースティック・サウンドでリメイクしたものみたいです。ヴォーカル以外には、ギター、ピアノ、ストリングス、パーカッションと、たったそれだけしか参加していないというシンプルなアンプラグド・サウンド。

 

ギターはたぶんエミリー自身じゃないかと思います。いままでもふだんから弾き語りを聴かせるフォーキー・ソウルのひとみたいですし。ネオ・オーガニックなテイストで、ナチュラルな音像がこのアルバムでも心地いいですね。高く評価された『シーナリー』のイメージからはガラリと変わっていますけど、この歌手はこういった資質が前からあったんじゃないかと思います。

 

実際、ニュー・ヨークのビターエンドなど数々の場所で弾き語りライヴを実施してきていたそう。『シーナリー』はセント・ヴィンセントとソランジュが出会ったような傑作と評されましたが、もとからアクースティックな志向はあった歌手ですよね。それを今回はフル発揮しているというわけです。

 

ソウル、ヒップ・ホップ、R&Bなど、ブラック・ミュージックの影響を強く受けたような音楽性をみせていると同時に、ジョニ・ミッチェルとかキャロル・キングなどにも通じるようなシンガー・ソングライター系の影響も濃く感じるエミリー・キング。きわめてシンプルなアクースティック編成で今回は聴かせているので、それがいっそう際立ちます。

 

(written 2021.6.20)

2021/10/20

おかゆの「星旅」が超絶カッコいい

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(4 min read)

 

おかゆ / 星旅
https://www.youtube.com/watch?v=gbC2fx1KiFA

 

おかゆっていう歌手がいます。2017年インディ・デビュー、19年ビクターからメイジャー・デビューした北海道札幌市出身の女性30歳。いちおう演歌のフィールドで活動していますが、本人の資質はもっとポップな歌謡系寄りなんじゃないかと思います。

 

そんなおかゆの2021年最新シングル「星旅」、こ〜れがもうあんまりにもカッコいいんでねえ、はっきり言って降参状態です。なんどか聴くうち、いまではもうすっかりゾッコンのぼく。鳥肌立ちそうなくらい超絶カッコいい。

 

六月にリリースされていたらしいんですが、ぼくが知ったのはわりと最近。こないだ『演歌NOW』っていうSpotify公式プレイリストの話をしたでしょう、そのなかにおかゆの「星旅」が入っていたんですよね。それで九月中旬ごろにはじめて聴いてシビレました。

 

もちろんおかゆは存在だけ前から知ってはいて、いうまでもなくわさみんこと岩佐美咲関連を追っかけていると演歌歌謡界の諸情報が必然的に目に入りますからね、いつしかおかゆの存在も、その個性的なステージ・ネームのせいもあって、気にするようになりました。

 

しっかしこんな「星旅」みたいなカッコいい歌を歌えるなんて〜。しかもこれ、おかゆ自身の作詞作曲なんですよ。演歌歌手でシンガー・ソングライターって、例がないわけじゃないけど、ちょっとめずらしいですよね。

 

「星旅」は、まずなんたってそのおかゆ自身が書いた曲そのものがいいです。ポップでキャッチーな曲調&メロディ・ラインに、特にサビのリフレインで目立つ印象的な歌詞。おやゆはギターも弾くんで、この聴こえるぱきぱきに乾いたエレキ・カッティングも本人じゃないかと思います。アレンジをだれがやっているのか知りたいですね。

 

ハードなアップ・ビートも効いていて、ロック・チューンのようでもありながら、一定のパターンを反復しながら16ビートを刻んでいくこのリズムはファンクのそれですよ。それでいて泥くさくなく、シティ・ポップな都会的洗練もしっかりあるっていう。

 

Aメロからサビに行く際に入るドラムス・ブレイクとかエレベ・スラップ・ブレイクとか、もうあんまりにもカッコよすぎてションベンちびりそう〜。こんな「星旅」みたいな曲を書き、ギターを弾き、歌いこなすおかゆを聴いていると、どこからどう切り取っても演歌歌手なんかじゃないように思えてしまいますね。

 

「星旅」が、おかゆ応援界隈や演歌フィールドの外で、発売以後どれだけ話題になっているのか、これが超絶カッコいいぞ〜と言っている音楽好きに出会ったことないんですが、それならここでぼくが声を大にして言いたい。おかゆの「星旅」は、2021年の日本の音楽業界が産んだ最高の一曲だと。

 

「星旅」ふくめ、いままでのおかゆの全シングルと全アルバムともSpotifyで聴けるので、もしご興味おありのかたはぜひちょっと聴いてみてほしいです。

 

とにかく、おかゆの「星旅」はヤバい!超カッコいい!この事実だけは間違いないです。

 

(written 2021.10.19)

2021/10/19

バラケ・シソコの新作では、ソナ・ジョバーテとサリフ・ケイタがいい

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(3 min read)

 

Ballaké Sissoko / Djourou

https://open.spotify.com/album/1wqZp9tG65T3FjKAPd5a5u?si=2_3q2iJrRSWkjScIAvwssA&dl_branch=1

 

それで、ソナ・ジョバーテ近年の姿を知るきっかけになったマリのコラ奏者バラケ・シソコの新作『Djourou』(2021)についても、正直言って気が乗らないんですけども、いちおうちょこっと短くメモだけしておきましょうかね。

 

バラケのコラ独奏も二曲あるものの、大半で多彩なゲストを迎えているというのが特徴のアルバムなので、以下にそれを整理しておきましょう。

 

1)Demba Kunda
2)Djourou(ソナ・ジョバーテ)
3)Jeu sur la Symphonie Fantastique(パトリック・メッシーナ、ヴァンサン・セガール)
4)Guelen(サリフ・ケイタ)
5)Kora(カミーユ)
6)Mande Tabolo
7)Frotter les Mains(オキシモ・プッチーノ)
8)Kadidja(ピエル・ファッチーニ)
9)Un Vêtement Pour La Lune(フェウル・シャテルトン)

 

全体的に内省的でスピリチュアルな内容かなと思います。個人的に印象に残ったのはやはりソナ・ジョバーテをコラとヴォーカルで招いた一曲とサリフ・ケイタが歌っている一曲です。特にソナのファンなので、ぼくは、だからその演奏と歌が聴けた、それも近況だったというのはうれしかったです。

 

サリフが歌っている4曲目も、バラケの落ち着いたコラ演奏はなんでもない感じですが、その上に乗るサリフの声がやはり最上級。いい具合に枯れてきて、淡々としているのがかえっていまの味で、いいですね。引退を表明済みのはずですが、たまにこうしていろんな音楽家のアルバムにゲスト参加するのは歓迎です。

 

パトリック・メッシーナはフランス国立管弦楽団首席クラリネット奏者+ヴァンサン・セガールはこれまでもたびたび共演を重ねてきたチェロ奏者。カミーユはフランスのポップ・スター、オキシモ・プッチーノも(マリ出身ながら)フランスの人気ラッパーです。

 

そのオキシモ・プッチーノが参加している7曲目では、ラップというよりポエトリー・リーディングに近いものが展開されていて、リリックの意味は聴いてもぼくにはわかりませんが、このバラケの音楽の内省感とあいまって、なんだかなかなかいい雰囲気だなと聴こえます。

 

ピエル・ファッチーニはロンドンのシンガー・ソングライター(でも英語では歌っていませんね)、フェウル・シャテルトンはフランスのバンドみたいです。このへんは、う〜ん、どうも音楽的必然性が感じられないし、おもしろみにも欠けるような気がします。

 

(written 2021.10.5)

2021/10/18

ソナ・ジョバーテの2015年ライヴをYouTubeで視聴しました

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(3 min read)

 

Sona Jobarteh & Band / Kora Music from West Africa
https://www.youtube.com/watch?v=Ig91Z0-rBfo

 

今年、コラ奏者バラケ・シソコの新作がリリースされましたが、個人的に印象に残ったのは一曲ソナ・ジョバーテがゲスト参加していたこと。その他多数ゲストを招いてのアルバムでしたね。

 

そのアルバムの出来はともかく、2021年のソナ・ジョバーテを聴けたというのがぼくはうれしくて。もう何年も消息を聞いていなかったからですね、元気で音楽活動を続けているのだろうか?と思ったりしていました。ぼくはソナの大ファンなんです。

 

それがきっかけでソナのことをちょっとネットで調べていて偶然発見したのが、上でリンクをご紹介したYouTube音源。ソナとそのバンドのライヴで、2015年のパフォーマンスみたいです。

 

説明文によれば、ドイツはヴァイマル(ワイマール)にあるフランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学の招待により、同地で開催されたライヴ・コンサートみたいです。ソナにとっていまでも唯一のアルバム『Fasiya』が2011年のリリースでしたから、その四年後ということです。

 

ソナはいままでちょくちょくライヴ活動はやってきているみたいなんですが、こうやって一時間以上のまとまった量が聴けるというのはこれだけかもしれません。演奏レパートリーはやはりアルバム『Fasiya』からのものが多いです。

 

バンドはソナのほか、ギター、ベース、パーカッションという総勢四人編成。

 

視聴していると、やはりコラ演奏のヴァーチュオーゾぶりが目につきます。ガンビア系ロンドナーのソナは、西アフリカ出身女性としては初のコラ奏者なんです。そんなコラ技巧のうまさが特に目立つコンサートだなと思いますね。バンドの三人もうまいです。

 

七曲で一時間以上におよんでいるのは、インプロヴィゼイションによる楽器アンサンブル・ソロの時間がたっぷりとられているから。西アフリカのグリオによるコラ・ミュージックも、現場ではこんな感じで即興的にどんどん長くなっていくものかもしれません。

 

四人のかもしだすグルーヴに身をまかせているとほんとうに心地いいし、あっというまに一時間が経ってしまいます。映像付きで体験できるというのも貴重で、ぼくら日本人が西アフリカ人のコラ演奏をじっくり見る機会はそう多くないと思うので、その意味でも貴重です。

 

(written 2021.10.4)

2021/10/17

ぼくは人生の落伍者 〜 1999年のあのできごと

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(8 min read)

 

もう20年以上も前のことですけど、それでもなかなかいままでは語る気になれなかった1999年のあのできごと。相手のあることでもあるし、その人生に深く踏み込むことになってしまうし、ということもありました。

 

しかし語らなかった最大の理由は、やはりぼく自身が(自分の傷をえぐることになるから)その気になれなかったということです。でもいま、年月が経過して、正直にあのときのこと、前後のことなど、書いておきたいと思うようになりました。いま、語っておくことが必要かもしれません。過去から抜け出し、一歩進むために。

 

1991年に結婚し、95年に新築マンションを購入して引っ越したんですが、99年の初春、パートナーに悪性リンパ腫、つまりガンが見つかりました。ある日、パートナーが「どうもこのへんにしこりがあるような感じなのが気になる」と言い出して、念のため病院で検査を受けることになり、それで発見されたのです。

 

行ったのは三鷹市の杏林大学病院。自転車で行ってもわずか10分程度というところに住んでいました。悪性リンパ腫が見つかって、パートナーは(表面上は)平静を装っていましたが、死の危機に直面するということになったわけですから、なんの自覚症状もなかったとはいえ、本心では大きなショックだったはずです。

 

しかしこんなことは、いまふりかえって考えるからそうだったんだろうとわかることであって、当時のぼくはなにひとつ理解できていませんでした。病気のことも、パートナーの気持ちも、なにひとつとして。知ろうともしなかったんです。だから、重大な病気にかかったパートナーに優しく接しなかったと思います。ぼくはそれまでとちっとも変わらない態度のままでした。

 

だから、それまでどおり、ときにはわがままで自分勝手にふるまったりすることもあったりして。パートナーは担当医師の意見で手術はせず、投薬治療と放射線照射だけでガンを消すということになったのですが、やはり投薬の期間は入院していました。終わると退院。それを数ヶ月間にわたりなんどもくりかえしていたのです。

 

そのあいだ、ぼくはなにもしなかったわけじゃありませんが、下着の替えを持参したりなどパートナーにこれとこれをお願いねと言われたことしかやらず、それでも入院時にはちょくちょく様子を見に行っていましたが、ほとんどパートナーへの気遣いを見せなかったと思います。実際、気遣う気持ちもなかったのでしょう。悪性リンパ腫なのに。

 

抗がん剤の投与でパートナーの髪は抜け落ち坊主になり、放射線照射でその部位の肌は真っ黒になってしまっていたというのに。

 

あぁ、そう、ぼくはそういう人間なんです。たとえ人生をともに歩んでいるパートナーに対してすら、その相手が死ぬかもしれない深刻な病気で入退院をくりかえしているというときですら、自分のことしか頭にない、他人のことはどうでもいい、関係ない、という人間なんですよ。

 

端的に言って「ひとでなし」、それがぼくです。

 

パートナーは1999年初春以後、入退院をくりかえしながらの治療を続け、それが最終的に終了した八月、ぼくのいる自宅へと戻ってきたその足でそのまま家を出て行ってしまったのでした。当然ですよね。

 

しかし、ぼくにはなぜかこれがたいへん大きなショックでした。そりゃあもう、人生最大の、2021年現在59年間の全人生をふりかえってみても、あのときのことは人生でいちばんツラく悲しいできごとだったと思います。あのとき玄関ドアを出ていくパートナーの後ろ姿は、いまでも忘れません。

 

この1999年8月のショックが、ぼくの人生をすっかり狂わせることとなったのです。メンタル的にやっていけなくなって、それまで通っていた心療内科では手に負えなくなったので、クリニックを変えました。あたらしい薬が出るようになって、さらに夜寝られなくなったので、眠剤も処方されるようになりました。

 

関連してさらに問題だったのは、仕事に行けなくなったことです。前からうつ気味だったぼくのその症状が深刻なものとなり、家から出ることもかなわなくなったんです。とにかくですね、うつがひどいと、顔も洗えない、歯も磨けない、髭も剃れないし、お風呂に入ることも、ごはんを食べることすら、しんどいんです。

 

だから、ただでさえ、健康なみなさんでさえ仕事には行きたくないと思ったりするものみたいですけど、うつ病が深刻になったぼくはどんどん欠勤するようになりました。大学の教師でしたから、研究室に電話をかけたり、ある時期以後はネットの手続きで、休講の連絡をしては、一日家で寝ている、寝ないまでも休んでいるという日が多くなりました。

 

あまりに休講が多いので、しばらくしてさすがに大学の同僚に見とがめられるようになり、くわしいことを書くのはメンドくさいし、いまでもつらいし、細部は忘れてしまったので省略しますが、約10年が経過して最終的に退職せざるをえないハメになりました。

 

もともと、こども時分から本を読んで研究して論文書いたりなどは大好きでどんどんやっていましたけど、大学へ出向いての授業や学内会議などには消極的な性分ではありました。それがうつ病の悪化でなにもできなくなってしまったんですから。

 

かたちとしては依願退職でしたから退職金をもらったんですけど、事実上はクビでした。そこからぼくの人生は転落の一途をたどるようになり、退職金を切りくずしながらニ年生活するも長続きせず、東京のマンションでは生活できなくなって、故郷の実家を頼って愛媛にもどってきたわけです。

 

おおもとをたどるとですね、大学退職で人生が一変したその原因は1999年8月のパートナーとの離別にあり、その原因はというと悪性リンパ腫という深刻な病気の際に相手を人間扱いしなかったからで、そんなヤツであるぼく自身にもとはといえば原因があります。そのもとのもとをたぐってみると、生まれつきの脳の障害なのですけれども。

 

どうしてそんな人間に生まれついてしまったのかは、自分ではわかりません。アスペルガー(自閉症スペクトラム障害)で他人との関係がとれないという、他人の気持ちがいっさいわからないという、これは生まれつきの脳の障害なんですが、そういうふうに生まれついてしまったからだとしか言いようがありません。

 

とにかく、ぼくは人生の落伍者なんです。そのことだけは間違いありません。

 

その原因もぼくにあり、生まれついての脳の障害だからどうしようもないことだとはいえ、もうちょっとやりようがなかったのかと後悔しきり。もしも、あのとき、1999年の初春、パートナーに悪性リンパ腫がみつからなかったら、いまでもぼくは東京で結婚生活を維持して大学教師を続けながら、楽しく生きていたかもしれません。いや、遅かれ早かれ同じ結果になっていたかもですが。

 

2011年3月末の年度終わりで愛媛に戻ってきてからもいろいろあるんですが、直近10年のことはまだ語る気になれません。

 

あ、そうそう、肝心なこと。離別したパートナーの悪性リンパ腫はその後現在にいたるまで再発も転移もしておらず、寛解しました。いまでもどこかで元気に暮らしているはずです。

 

(written 2021.6.30)

2021/10/16

マイルズ at 人見記念講堂 1988

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(13 min read)

 

マイルズ・デイヴィスを知ったのは1979年のことだったので、ちょうど一時引退中。ライヴに触れることができるようになったのは81年以後の来日でのことです(だからねえ、80年代マイルズには思い入れあるんですよ、村井康司さん、わかります?)。

 

そんななかでも特に1988年8月に三軒茶屋の昭和女子大人見記念講堂で聴いたコンサートは、最もすばらしかった、最もあざやかだったものとして、ぼくの記憶にクッキリ焼きついているんですね。いままでも一、二度している話ですが、あのときはマジで最高だったなあ。

 

ちょうど東京都立大学(当時は東横線沿線)英文学研究室の助手として働いていた時期。京王線のつつじヶ丘に住んでいましたから、まず下高井戸まで行き、そこから東急世田谷線で三軒茶屋まで。世田谷線にはあのときはじめて乗りました。三軒茶屋の街に行くのもはじめてで、だからちょっと早めに着き人見記念講堂の場所だけ確認しておいて、いったんカフェで休憩しました。

 

ほぼ定刻どおりにバンドのみんながステージ下手(向かって左)から出てきて、「イン・ア・サイレント・ウェイ」(ジョー・ザヴィヌル)を演奏しはじめたんですけど、肝心のボスはまだ姿を現しません。すぐにトランペットの音だけが聴こえてきて、次いで吹きながらソデから歩み出てきました。

 

人見記念講堂のそのときのステージは、ちょうど中央にボスの弾くキーボード・シンセサイザーのラック、その右手にアダム・ホルツマン、左にロバート・アーヴィング III(ともにキーボード・シンセ)。マイルズの真後ろの台にリッキー・ウェルマン(ドラムス)がいて、その左、ロバート・アーヴィングの左横にベニー・リートヴェルト(ベース)。アダムの前方にケニー・ギャレット(サックス)、そのすぐ右横にフォーリー(リード・ベース)。最上手前方にマリリン・マズール(パーカッション)。

 

亡くなってから知ったことですが、「イン・ア・サイレント・ウェイ」をライヴのオープニングに使っていたのは1988年だけ。マイルズはこの曲、ほんとうにとても好きだったんです。といっても88年のライヴではバンドがそのメロディを演奏するだけで、マイルズはその上を自由に舞っているという感じのフレーズを散らしていました。

 

あのときの鮮明なライヴ体験、忘れられないものですけど、追体験しようにも1988年のライヴ音源は死後もなかなか出なくて困っていました。例の大部な(20枚組だっけな)モントルー完全ボックスが発売されて、それに88年7月のライヴ分も収録されていましたから、三軒茶屋のひと月前のライヴということで、メンバーは同じ、たぶんセット・リストも似たような感じだったよねえということで、それを聴きながら思い出にふけります。

 

だからきょうの話も、その88年7月のモントルー・ライヴに沿って進めます。あの人見記念講堂ライヴでは、まだ知らなかったレパートリーも多かったというのが、あのとき客席で聴いていての率直な印象だったもの。ぼくなんか知らない曲を、特にライヴではじめて聴くときは五里霧中になってしまいますから、客席でどうしたもんか?と思っていました。

 

だって、オープニングの「イン・ア・サイレント・ウェイ」はほんの短いプレリュードにしか過ぎず、そのまま連続して「イントゥルーダー」になだれこみますが、これも当時知らない曲です。ほとんどの一般のマイルズ・ファンもそうだったはず。曲名だって、知ったのは『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』が発売された1996年のことです。死後五年目。

 

もっとも『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』にしたって、どっちかというとおなじみの曲を多く収録しているものですから、87〜90年当時のマイルズ・ライヴの定番レパートリーで88年三軒茶屋でも演奏された「ザ・セネット〜ミー&ユー」とかニール・ラーセンの「カーニヴァル・タイム」とか、88年だけのレパートリーだった「ヘヴィ・メタル」とかプリンスの「ムーヴィ・スター」とか、モントルー・ボックスがリリースされる2002年になるまで名前すらもわからなかった曲でした。

 

ところで、その「ヘヴィ・メタル」。「ヘヴィ・メタル・プレリュード」と「ヘヴィ・メタル」のメドレーになっているものですが、前者は曲というよりマリリンのパーカッション・ソロをフィーチャーした内容。本編の後者がフォーリーのメタリックなギター(と言ってしまおう、四弦のリード・ベースだけど)弾きまくりのハード・チューンで、こ〜れがもう超絶カッコよかった。

 

バンド、特にサックスとキーボードがキメのリフをくりかえすなか、それにフォーリーがからみつくように弾いているかと思うと、後半ではフォーリーひとりを大きくフィーチャーした、それこそヘヴィ・メタルなロック・ナンバー。ロックというよりファンクに近いのか、そんな一曲でしたねえ。88年8月の人見記念講堂で聴いたなかで、いまでもいちばん鮮明に憶えているのが「ヘヴィ・メタル」(という曲名も知らなかったわけだけど)です。クライマックスだったに違いありません。

 

プリンスの「ムーヴィ・スター」(プリンス・ヴァージョンは『クリスタル・ボール』収録)もよく憶えています。これも現場でなんだかわからなかった曲ですが、なにか軽〜い、ちょっとふざけたようなユーモラスな、おどけた調子のものを一曲やった、そのとき自動車のブレーキ音みたいなのがサウンド・エフェクト的に入っていたというのを客席で聴いて、なんじゃこりゃ?と思ったんでした。

 

それから、数曲でケニーやフォーリーがやたらと長尺のソロをとるなあという印象もあって(「ヒューマン・ネイチャー」のときのケニーのアルト・ソロなんか、あんまりにも長いんで、客席でうんざりだった)、いまふりかえったらそれはマイルズの衣装チェインジ・タイムだったんですよね。長いソロをとらせているあいだに自分はソデに引っ込んで衣替え。どうだ、カッコいいだろう?というドヤ顔で再登場するわけです。

 

ボスはひょっとしたらそのときトイレにも行ったかもしれません。しかしバンド・メンバーは、トイレ、どうしていたんでしょうかねえ。モントルーのでも88年のステージは2時間14分。そう、三軒茶屋でもそれくらいでした。しかもニ部構成じゃなくてノン・ストップなんですよ。客席のぼくだってオシッコ我慢できなくておおいに弱った憶えがあります。バンドのみんなはあからじめわかっていたことだから、ライヴ前に水分を摂りすぎないようにしていたのかなあ。

 

もちろん「ヒューマン・ネイチャー」「タイム・アフター・タイム」「ツツ」「ブルーズ」「パーフェクト・ウェイ」といったおなじみの曲もやりましたが、解釈があたらしくなっていたので、新鮮な気分で聴くことができました。特に復帰後のマイルズの代名詞になったシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」は、後半さわやかで軽快なアップ・ビートが効きはじめるという新アレンジで、88年だけじゃないですか、そういうのは。

 

一曲終わるとボスが(トランペットにくっつけているミニ・マイクに向かって)なにかしゃべるんですけど、聴きとれなくてですね、音から察するに「ケニー!」とか「フォーリー!」とか、その曲で目立って活躍したサイド・メンバーを紹介したんだと思いますが、マイルズってあんなしゃがれ声ですからね、かつてアル・フォスターも「なに言ってるかわからないんだけど、マイルズに聞き返せないだろう?」と苦笑していたことがありました。

 

この三軒茶屋のときじゃないけど、サイド・メンバーの名前が大きく書かれたプレートみたいなのを掲げてみせるということをやっていた年もあったようです。そういった写真や動画をちょこちょこ見かけます。この手のことは、1981年復帰後、特に86年のワーナー移籍後のマイルズの変化を示すものです。考えられないことですよねえ、以前のマイルズだったなら。

 

衣装もそうだけど、ライティングふくめ、ライヴ・ステージ全体がずいぶんとショウ・アップされるようになっていたなあというのも、88年三軒茶屋ライヴでの印象。これもワーナーに移籍してプリンスとレーベル・メイトになって以後の顕著な変化の一つでした。キマジメなジャズ・ファンやクリティックはそういうのバカにするかもしれませんし、実際バカにされていました。

 

七月のモントルー・ライヴでは、ラストが「トマース」になっていますが、八月の三軒茶屋でもアンコールで演奏されました。しかもやはり同じアルバム『ツツ』からの「ポーシア」とのメドレーで。アンコールなんかも、かつてのマイルズだったら絶対に応じなかったわけですけど、このときなんかニ回もやったんですよねえ。「ポーシア」はオーラスでした。

 

アンコールでも、マイルズはもちろんそれ用の衣装に着替えて出てきましたが、ニ回目なんかはブラック・ライトに映える蛍光衣装で出てきて、ステージを真っ暗にして、闇のなかでボスの衣装とトランペットだけが異様に光っているんですよねえ。その状態で「ポーシア」が演奏されました。

 

ぜんぶ終わって、ボスが去り、バンド・メンバーが去っても、キーボードの音を鳴らしっぱなしにしてあって、「ポーシア」で最後の最後に演奏されたサウンドが消えないままずっと残っていました。それが徐々に小さくなって消え入るころに客席が明るくなって、ぼくらも席を立つことができたのです。

 

(written 2021.6.18)

2021/10/15

いままでのところ今年のブルーズ新作ではいちばん 〜 セルウィン・バーチウッド

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(4 min read)

 

Selwyn Birchwood / Living In A Burning House

https://open.spotify.com/album/1eBYbklgOrUS8hYho7rPXj?si=cJcaspEQTwimO7YR0l--5A&dl_branch=1

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/02/02/living-in-a-burning-house-selwyn-birchwood/

 

アメリカのブルーズ・ミュージシャン、セルウィン・バーチウッド(ヴォーカル、ギター)。地道に活動を続けながら自主制作で二枚のCDをリリース。そしてメンフィスで毎年行われている「インターナショナル・ブルーズ・チャレンジ」のバンド部門で2013年に優勝し、それをきっかけに名門アリゲイター・レコーズからデビューを飾ったという人物です。

 

その新作『リヴィング・イン・ア・バーニング・ハウス』(2021)もアリゲイターからのリリースで、バディ・ガイやクリストーン・キングフィッシュ・イングラムらのアルバムも手がけるトム・ハムブリッジのプロデュース。バンドはセルウィン自身のカルテット(ドラムス、ベース、バリトン・サックス)が軸になっているみたいです。

 

こういった音楽は、2021年ともなればもはや時代遅れっていうか、現代性へのレレヴァンスなんかはないわけですけれども、楽しいものは楽しい、好きなものは好きっていう自分の音楽趣味を前面に押し出してふだんから聴き書いているんで、それでいいじゃないですか。グッド・オールド・ブルーズ、ぼくにはいまでも魅力的です。

 

セルウィン独自の持ち味は、バンドにバリトン・サックス奏者がいることでしょう。ブルーズ・バンドではあまりないと思うんですけれど、ずっと前からレギュラーで使い続けているそうです。自身はラップ・スティール・ギターを弾くこともありますから、それ+バリサク+ベース+ドラムス、ってなかなか聴かないサウンドですよね。

 

今回は通常の六弦エレキ・ギター+ラップ・スティールのオーヴァー・ダビングでダブル・リフをかましてみせていたり、そこにキレッキレ、ばっきばきのバリサクをからませたり、バリサクはソロを吹く曲もあるし、さらに曲によってはキーボード奏者も参加しているみたいで、ぐっとスリリングにグレード・アップ。あの手この手でソリッドかつファットにキメていて、なかなか痛快です。

 

ソニー・ローズの伝統を受け継ぎつつグッとラウドに、ハードにブギするラップ・スティール・ブルーズあり、六弦エレキ・ギターでちゃきちゃきファンキーにぶちかますブルーズ・ロックあり、泣きのルイジアナ・ソウルふうスロー・ブルーズあり、ダーティなスワンプ・ブギありで、今年のブルーズ新作では出色の出来です。

 

ハードでファンキーな曲もいいんですけれども、個人的にこのアルバムでいちばん胸に迫ってきたのは8曲目のバラード「ワン・モア・タイム」。上で泣きのルイジアナ・ソウルふうスロー・ブルーズと書いたやつです。曲もよくできているし、歌詞は切な系だけど、ハチロクのソウルフルなスロー・グルーヴがぼくには心地よく、セルウィンの声質と曲調がピッタリ合っているような気がします。間奏でバリサク・ソロが出てきた刹那、涙ちょちょ切れます。

 

(written 2021.6.16)

2021/10/14

『サマー・オブ・ソウル』はヒップ・ホップなBLM映画

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(5 min read)

 

https://www.youtube.com/watch?v=TOEBts50p3M&t=4s

 

八月末以来日本で全国順次公開中の映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放送されなかった時』を観てきました。こちら愛媛県では十月初旬になってようやく映画館にかかったんですが、全国的にはまだまだこれからっていうエリアもあるようです。個人的な感想を書いておきましょう。

 

ヒップ・ホップ・バンド、ザ・ルーツのドラマーにしてミュージシャンのアミール・クエストラヴ・トンプスンが監督した『サマー・オブ・ソウル』、いったいどういう映画なのか?ということについては、すでにネット上にもたくさんテキストがありますので、ぼくがここでくりかえす必要はありません。

 

かのウッドストック・フェスティヴァルが行われた同じ1969年夏に、米ニュー・ヨーク・シティの中心地で開催された黒人音楽の祭典ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルに素材をとった映画なんですが、テレビや映画での公開を目的として撮影もされたにもかかわらず、そのマテリアルはなんと50年近くも地下に眠ったままだったんだそうです。

 

その事実じたいが「Black Erasure」(黒人の文化を軽視・抹消すること)にほかなりませんが、この映画と監督クエストラヴのもくろみも、まさにそのブラック・イレイジャーに対する異議申し立てにあったと、作品を観てぼくは考えました。ブラック・イレイジャーとは、この映画に関連してクエストラヴ本人が使っていることばです。

 

この映画は、ブラック・ミュージシャンたちの1969年夏の一瞬の輝きをとらえただけでなく、ブラック・カルチャーが構造的に軽視され、ときには無視されてきた事実を思い起こさせるための作品だったんだと思います。その意味では昨年来のBLM運動と連動・共鳴して、きわめて2021年的。

 

さらに、たんに音楽映画として演唱シーンをたっぷりそのままは使わず、ステージでの演唱シーンに現在のインタヴューや証言などがたくさんモンタージュされているわけですが、膨大な量のコンサート・テープを託されたクエストラヴは、そのたった15%しか使っていません。そのことで、一部の黒人音楽ファンからは不完全燃焼だったとの感想もあがっているようです。

 

しかし、それはこの『サマー・オブ・ソウル』がどういう映画なのか、理解していない声だと言わざるをえません。ステージ演唱シーンに数々挿入される証言インタヴューなどの背後に、インサート前のハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルでの生演唱音楽が小さな音量でずっと続けて流れていたし、インタヴュー挿入後はそのまま演唱シーンに戻っていました。

 

音楽を止めて証言シーンに移行していたわけではないし、決して音楽と社会的証言に分断されていたわけじゃありません。さらに最も重要なことは、そうした数々の挿入にリズムがあったことです。音楽/証言/音楽というモンタージュがどこまでもリズミカルだったんです。各種証言などもふくめて一個の大きな「音楽」になっていました。

 

そうした編集がDJ的だったといいますか、ヒップ・ホップ的な切り貼り、ループ、換骨奪胎手法をフルに活かしたビート・センスがあったなあというのがぼくの正直な感想です。さすがはヒップ・ホップ・ミュージシャンのクエストラヴが監督をやったというだけあります。

 

ステージでの生演唱音楽をトラックにして、各種証言はその上に乗るラップ、リリックとして使ってあるとでもいいますか。

 

映画を監督してこのようになるっていうのは、そうしたビート感覚が皮膚感覚的にクエストラヴの肉体にしみこんでいるものだっていうことなんでしょう。このような意味において、『サマー・オブ・ソウル』は本質的な意味でのコンテンポラリーなブラック・ミュージック映画であると言えます。

 

ただひたすら1969年当時活躍中だったブラック・ミュージシャンたちのステージでの演唱をたっぷり味わいたいという目的をもってこの映画を観に行くと、ちょっと欲求不満が残るかもしれませんね。

 

1969年夏のハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルにおける演唱音楽は、それはそれとしてまた別途(ディスクでもサブスクでも)リリースしてほしいとぼくも思います。

 

個人的にはスライ&ザ・ファミリー・ストーン、メイヴィス・ステイプルズの助けを借りてのマヘイリア・ジャクスン、フィフス・ディメンション、モンゴ・サンタマリアやレイ・バレットなどラテン音楽パート、が特に印象に残りました。

 

(written 2021.10.13)

2021/10/13

ノーブルなアルト・ヴォイスにすっかり骨抜き 〜 ルーマー

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(4 min read)

 

Rumer / B Sides & Rarities

https://open.spotify.com/album/6a6Wd5EK9LsIznvikHvluV?si=yerdfbf-Trum9ec391_U1g&dl_branch=1

 

前からくりかえしていますが、もうすっかりトリコになってしまった歌手、ルーマー(イギリス/アメリカ)。なにを聴いてもすばらしいと思え、よくないもの、欠点なんかどこにもないように感じてしまうっていうのは、惚れちゃったんでしょうか。いままでに四作、このブログでも書いてきました。

 

きょうもまた一つ、『B-サイズ&レアリティーズ』(2015)の話をしたいと思います。こんなタイトルですから、それまでのルーマーのシングルB面曲とかレア・トラックなどを集めて聴きやすくしたっていうコンピレイションなんでしょう。アルバム未収録曲集ということかな。

 

しかしこれが!もうほんとうに美しい!ということば以外出てこないっていうできばえ。惚れ惚れしちゃいますねえ。ルーマーは、なんたってこの声がいいんです。しっとりと落ち着いたアダルトなノーブル・ヴォイス。それを聴いているだけでうっとりしちゃいます。

 

『B-サイズ&レアリティーズ』はこれもオリジナル曲のないカヴァー集。ルーマーにはカヴァーでいいからすぐれた楽曲をしっかり歌わせることのほうが似合っているのかもなというのがぼくの本音ですし、実際いままでそういったアルバムが多いと思いますし、成功に直結しやすいと思いますね。

 

ルーマーにはおなじみのバート・バカラックをはじめ、ポール・サイモン、ビーチ・ボーイズ、ビートルズなどがとりあげられていて、まさに「あの時代の」ポップスを歌わせたら現在右に出る現役歌手がいないのでは?と思うほどのデリケートでソフトな声で歌えるルーマーの本領発揮を聴けます。

 

1曲目の「アーサーズ・シーム」からそんなチャーム全開。おだやかでたおやかなオーケストラ伴奏に乗せて、ルーマーがやさしく歌います。声の質といい、軽くそっとささやくかのように、しかししっかりとしたノビのあるヴォーカルで世界をつづっていく様子を聴いていると、これ以上のポップ歌手はいないんじゃないかとすら思え、ため息が出ます。

 

2、3、4曲目、そしてその後とまったく同じ路線の音楽が続きますが、こういった美しい世界はどれだけ続けて聴いても飽きません。いつまでも、もうこのまま死ぬまで、ルーマーの声を聴いていたいと、ルーマーの歌を聴きながらいっそ死にたいと、そう信じることができるほど、ぼくはルーマーが好き。4「ハズブルック・ハイツ」なんか、オーケストレイションもヴォーカルも、もうたまらないじゃないですか。

 

ルーマーの世界には、決して激しさや感情の爆発などはありません。どこまでもおだやかにおだやかに、落ち着いたソフトな音楽が展開されているんですが、それを表現するために最高の声を持って生まれてきた、まれな天才歌手だなとの感を強くします。カヴァー曲だっていつもそんな彼女の資質に沿って選ばれていて、唯一無二のマイルドな世界をじっくりくつろぎながら味わうのは至福の時間です。

 

(written 2021.6.13)

2021/10/12

ギリシア以外ではありえない歌ごころ 〜 ヴァシリス・フローロス

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(2 min read)

 

Vassilis Floros / Stis Ohthes Tis Avgis

https://open.spotify.com/album/0oxvaaG875UhgnTm589VKy?si=d4n-YmNlTLCDAdSVhigJew&dl_branch=1

 

いいジャケットですよねえ。魅力的です。だから例によって美ジャケに弱いぼくはそれだけでちょっと聴いてみようと思ったギリシアの若手シンガー・ソングライター、ヴァシリス・フローロスのアルバム『Stis Ohthes Tis Avgis』。Spotifyでは2015となっていますが、エル・スールのHPでは2011との記載。

 

曲はどれもヴァシリスの書いたものなんですかね、歌はヴァシリスも歌いますが、ゲスト参加歌手のほうが目立ちます。特にいちばんたくさん参加しているヨルゴス・ダラーラス。次いでアナトーリ・マリヨーラ。そのほかディミトリス・ミスタキディス、ディミトリス・ゼルヴダキスもちょっとだけ参加。こういった歌手たちの歌を活かすようにアルバムはつくられているなといった印象です。

 

楽器編成はほぼオール・アクースティックで、ギター、バグラマー、ブズーキ、リラ、ベースといった弦アンサンブルにくわえ、簡単な打楽器(ドラム・セットのこともあり)が伴奏をつけるといった具合。たまにトランペットも入りますが、電気・電子楽器はたぶんまったくなしだと思います。

 

そんな地味で滋味深いアクースティックなサウンドで、音楽的にはですね、シンプルでトラディショナル、そしてアーティスティックなムードも漂うレベーティカ/ライカが並んでいるという、そんなアルバムですね。しっとりした、落ち着いた瞑想的なムード。夜、部屋の照明を落とし仄暗い雰囲気のなかで、やや小さめの音量で流すと、実にピッタリくるっていう、そんな音楽でしょうね。

 

傑作でもないし、特別どうってこともないアルバムではあるんですが、ジャケットのこのムードとあわせ、一種独特のクセになるうまみを持っているものだなあと思います。そして、間違いなくギリシアからしか生まれ出てこなかった音楽でもありますね。

 

(written 2021.6.12)

2021/10/11

交わした思いの深さ 〜 トニー・ベネット&レイディ・ガガ

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(5 min read)

 

Tony Bennett, Lady Gaga / Love For Sale

https://open.spotify.com/album/6hBQkPnq5u1BwZncSEDEgs?si=isxbMHl5QqCfpsP6BZHWwQ&dl_branch=1

 

アイヴォリー、えんじ、黒、白が配色されたジャケットのカラー・デザインが完璧に好みで、それを一瞥しただけで、あっ、これはとってもいいアルバムなんじゃないかと直感できたトニー・ベネットとレイディ・ガガのデュオによる新作『ラヴ・フォー・セール』(2021)。

 

聴いてみたら、実際中身もすばらしかったです。主役のひとりトニー・ベネットはなんともう95歳で、老齢によるアルツハイマー型認知症を患っていると今年はじめに公表もしています。そんなトニーがニュー・アルバムをリリースするっていうことだけで、ひとつの立派なドラマですけれど。

 

レイディ・ガガとのコラボは2014年の『チーク・トゥ・チーク』以来の二作目。前作もグレイト・アメリカン・ソングブック系でしたが、今回はコール・ポーター曲集。2018年から20年のあいだに慎重にレコーディングが行われたそうです。実を言うとコール・ポーターはティン・パン・アリーのなかでは最も好みのソングライターなんです。

 

『ラヴ・フォー・セール』、トニーが単独で歌うものが二曲(「ソー・イン・ラヴ」「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」)、ガガも二曲(「ドゥー・アイ・ラヴ・ユー」「レッツ・ドゥ・イット」)で、それ以外はすべてデュエット歌唱です。

 

「ナイト・アンド・デイ」とか「ラヴ・フォー・セール」とか「アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン」とか「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」とか、そのほか大好きなコール・ポーターの数々の名曲を、この二名のデュオと華麗でゴージャスな管弦楽伴奏で聴けるというだけで、もうすっかり充足感で満たされていきますね。

 

だれがオーケストラのアレンジをやっているのか、ネットでさがしまくってもどこにも情報がなく、だからあまり重視されていないことがらなんでしょうね。1950年代のフランク・シナトラやナット・キング・コールのキャピトル盤で聴けるのとまったく同じあの世界がここにもあります。

 

トニーのほうはもうそれですっかりおなじみなわけですけれども、しかし現況を考えたら切なく複雑なフィーリングが胸に去来したりするのも事実。おそらくこれが生涯ラスト・アルバムになるんじゃないかと思うと、いっそうです。ちょっと発声が雑になったかな?と思う瞬間がないでもないものの、あいかわらず余裕のかくしゃくたる貫禄を聴かせてくれています。

 

そんなトニーを、ガガがこれまた絶妙に支えていてグッド・ジョブ。たんなるサポート役ではない活躍をこの『ラヴ・フォー・セール』では披露しているのがすばらしいですね。実際、今回このアルバムを聴いていちばん驚いたのが、こういったジャジーなスタンダードを歌いこなすガガのヴォーカリストとしての成長でした。

 

声にみごとな色艶があるし、ノビもフレイジングもあざやか。くどくなく、ヴィブラートなしで原曲のよさを活かすようにすっとナチュラル&ストレートに歌いこなしているガガは、今回歌手としてひとまわり大きな実力を身につけた、存在感を増した、と言えるはず。

 

だからこそ、ガガはこんな状況のトニーのデュエット相手にふさわしかったわけですけどね。このアルバムでのデュオ歌唱には、二人のあいだに通う真のパートナーシップ、フレンドシップを聴きとることができます。トニーの長いキャリアのなかではほんの一瞬のことに過ぎないかもしれないけれど、晩年に交わした思いの深さはどれほどのものだったかと。

 

21世紀的新味とかアップデートなどはありえないし、音楽的に特にどうということもない作品なわけですけれども、こういった歌や音楽を楽しめる趣味を持てた自分に「ラッキーだったね」と言ってあげたい気分です。

 

(written 2021.10.10)

2021/10/10

Spotifyにはベスト・アルバムがあったりなかったり

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(4 min read)

 

Sly and the Family Stone / Greatest Hits

https://open.spotify.com/playlist/3Pz0tckrQmM6UZlgxj92Dc?si=8fc426b9575644de

 

スライ&ザ・ファミリー・ストーンの『グレイテスト・ヒッツ』(1970)はたしかにベスト・アルバムですけど、絶好調だったバンドの現役活動中にリリースされたもので、しかもファンクの金字塔的シングル曲「サンキュー」が収録された、当時唯一のアルバム。7インチ・シングルを買わないかぎり、長年これでしか聴けなかったんですからね。

 

そういうわけで、これはオリジナル・アルバムのようなものとしてディスコグラフィにも記載されてきましたし、なんどかのスライの全アルバム公式CDリイシューの際にも入りましたし、ファンも音楽関係者もオリジナル・アルバム相当のものとして扱ってきたんですけど、どうしてだかSpotifyには存在しません。こういった例はSpotifyに多いので、またか….といった感じですけど。

 

こうした事実上のオリジナル・アルバムは、その音楽家の全カタログをSpotifyに乗せるのであれば、当然入れるべきものです。それが入っていないというのはサブスク・サービスの問題かレコード会社(スライのばあいはエピック)側の扱いなのか、わかりませんけど、じゃあ「サンキュー」はどれで聴けばいいの?ってことになっちゃうでしょうが。

 

だから結局「サンキュー」は『ジ・エッセンシャル』というものでSpotifyでは聴くことになっているんですけど、これもベスト盤じゃないですか。いちおうこれがスライのベスト・アルバムとしてはオフィシャルな決定版ということでSpotifyに入っているんでしょうねえ。『グレイテスト・ヒッツ』で聴きたかったなあ。そうそう、ぼくは「サンキュー」のオリジナルである7インチは見たことないんですよ。

 

そんなわけで、自分でつくるしかないので、シコシコと一曲づつ拾っていって、『グレイテスト・ヒッツ』のプレイリストをつくりましたよ。そうすればですね、プレイリストだけどアルバムみたいなもんで、公式じゃないけどいちおうこれで聴けるという格好がついたようなもんです。それがいちばん上のリンク。

 

しかしこれほどの著名アルバムなんだから…と思ってSpotifyを検索してみたら、あるはあるは、も〜うそりゃあ無数に、と言いたいほどスライの『グレイテスト・ヒッツ』のプレイリストはあります。まったく同じ内容のものが。やっぱりねえ、みんなだれしもこのアルバムは聴きたいんですよ。だって1970年発売のオリジナル・アルバムみたいなもんなんですから。「サンキュー」がこれにしか入ってなかったんですから。

 

だいたいですね、スライみたいな音楽家のばあい、それまで1960年代にリリースしてきたアルバム(はちゃんとぜんぶSpotifyにある)だって、中身はその前に発売していたシングル曲がたくさん入った寄せ集めみたいなもんであって、いわばどれもベスト盤ですよ。そのへん、どう考えてんの〜?

 

どんな音楽家のばあいでも多いSpotifyでのこんな具合、でもたとえばやはり元はといえばただのシングル曲寄せ集めのベスト盤にすぎないマディ・ウォーターズの『ザ・ベスト・オヴ・マディ・ウォーターズ』は、公式アルバム形式でそのままちゃんとあるんだから、どうなってんの?

 

そのテイでいけば、と思ってさがした同じチェスのリトル・ウォルター『ザ・ベスト・オヴ・リトル・ウォルター』はないっていう。不思議です。マディのもウォルターのも同じシングル寄せ集めなんだけどなあ。どういうこっちゃ、Spotify?自分でつくればいいんだけどねっ。

 

(written 2021.6.3)

2021/10/09

格別のブラジリアン・インスト 〜 パウロ・グスマン

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(2 min read)

 

Paulo Gusmão / O Tempo Que Foi

https://open.spotify.com/album/260MNbuDH27Y0yKngPQJSh?si=GWgtOr4jShi_-z_PGrFYmA

 

パウロ・グスマンっていうこのブラジルの音楽家が何者なのか、ぼくはちっとも知らないんですけど、その2020年作『O Tempo Que Foi』は、たしかエル・スールのホーム・ページで最初に見かけたんですよね。それでジャケットがいいなあと思って、ちょっと聴いてみたわけです。コンポーザーのようですね。

 

アルバム『O Tempo Que Foi』は全編インストルメンタル・ミュージックで、まるでエンニオ・モリコーネの書いた映画音楽のサウンドトラックのよう。風景や情景が目に浮かぶおだやかなチェインバー・ミュージックで、なんというか、軽〜いBGMふうで、正対してじっくり聴き込むものじゃない感はありますが、上質な音楽には違いありません。

 

作編曲をパウロがやっているということなんでしょうけど、曲によってはトニーニョ・フェラグッチ(アコーディオン)やネイマール・ジアス(カイピーラ・ギター)も演奏に参加している模様。二名とも好みのミュージシャンですからね、どこで演奏しているのか耳を凝らしたんですけど、ちょっと判別できませんでした。

 

アントニオ・カルロス・ジョビン・マナーなボサ・ノーヴァ・ナンバーがあったかと思うと、アストール・ピアソーラふうのタンゴ曲もあり。全編にわたり優雅で抒情性にあふれた音楽で、聴き終わって特にどうという印象も残しませんが、聴いているあいだは心地いい時間をすごすことのできる物語性があります。

 

弦楽と木管のからむやわらかいアンサンブル・サウンドには独特の味があって、ちょっとクセになる個性を持った音楽です。

 

(written 2021.6.4)

2021/10/08

歌は曲につれ 〜 坂本冬美コンサート in 松山 2021

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(6 min read)

 

開演中のステージは撮れませんので、こんな写真しかありません。許してください〜。

 

2021年10月6日、松山市民会館で開催された坂本冬美コンサート2021に行ってきました。14:00からの回と18:00からの回ともに。ちょこっと感想を書いておきますね。この日の松山公演は、前日の高知公演に続くもので、2daysの四国シリーズだったようです。

 

冬美自身のステージでのおしゃべりによれば、松山公演で今年のコンサートがまだたったの四回目なんだそうで、かつては日々コンサートコンサートがあたりまえだったのに、コロナ禍とはなんとむごいものでしょうと。

 

それでも昼夜ニ公演とも冬美の声にはハリとツヤがあり、全盛期コロナ前の勢いをまったく失っていなかったのにには感心しました。この一年半、生歌唱機会が極端に激減したせいで、喉が衰えて引退表明を余儀なくされた高齢歌手とか、歌がだいぶヘタになった若手歌手とか、いますが、冬美は日々の節制と鍛錬を怠っていないのでしょうね。

 

伴奏陣の生演奏も立派。腕を維持する努力を続けていたでしょう。松山市民会館大ホールのステージでは、冬美のための中央階段脇左右にあったバンド・スタンド。下手(向かって左)にドラムス、ベース、ギター二名、ピアノのリズム・セクション、上手にサックス、トランペット二名、ヴァイオリン、キーボード二名が陣取っていました。

 

「祝い酒」「あばれ太鼓」「夜桜お七」「火の国の女」など、自身の持ち歌中でも特に代表的なレパートリーを中心にステージは構成されていました。中盤には(演歌コンサートでは定番の)カヴァー曲コーナーもあり。おなじみ「また君に恋してる」はもちろん、「白い蝶のサンバ」(森山加代子)や「喝采」(ちあきなおみ)も歌いました。

 

この二曲は、冬美自身過去に歌ったことがあるようです。きのう現場で聴いて、そのできばえのすばらしさにおおいに驚いて、昼夜間にカフェで調べていて初めて知ったのですが、2013年の『LOVE SONGS IV〜逢いたくて逢いたくて』に収録されています。

 

きのうの松山コンサートでの「白い蝶のサンバ」「喝采」ニ曲のアレンジは、その『LOVE SONGS IV〜逢いたくて逢いたくて』ヴァージョンのものをそのまま流用しているみたいでした。特に「白い蝶のサンバ」の変身ぶりにはビックリ。森山のオリジナルは明るくテンポのいい軽快な調子だったのが、冬美のはしっとり重厚なソウル・バラードになっていて、それをみごとに歌いこなす冬美のヴォーカルの実力にもうなりました。しかし、だれがアレンジャーなんだろうなあ。

 

こういった曲での冬美は、ストレート&ナイーヴな歌唱法で、演歌系のコブシやヴィブラートを決して使わず、あっさりさっぱりと声を出していました。またこれら二曲に続き男装に早変えしての世良公則「銃爪」もビックリでした。スタンド・マイクを抱えて出てきて、それをグルグルふりまわしながら歌いました。

 

かと思うと、その次、司会者のMCをはさんでの後半一曲目が二葉百合子の「岸壁の母」。この戦争の歌を、いまの時代に万巻の思いを込めたように切々と綴る冬美のヴォーカルは、かなりこってりした演歌系のティピカルな歌唱法を聴かせていたのが印象的でしたね。

 

つまり、この日の冬美はどんな曲を歌うかによってヴォーカル・スタイルを自在に変化させていたわけで、自分の歌いかたはこうなのだからこれでぜんぶいくのだと決めて貫くのではなく、どこまでも曲本位。曲に合わせ、曲につれて、声の出しかただって多彩に変化させられる、本物のプロのワザをみた気がしました。

 

もちろん、冬美はこういったことを、かなり意識してあえて選びとって実行しています。歌手の使命とは、自己の表現スタイルを貫き通し自我を聴き手に聴かせることではない、あくまで曲を伝えることこそがやるべきことだと思い定め、どう歌えばその曲がよりよくリスナーに伝わるかを考え抜いているのです。

 

近年のスタジオ録音によるアルバムやシングルでは強い発声をしなくなっている冬美。しかし昨日のステージでは、曲により、声を張り上げ強くガナリ節を披露する場面も随所にありました。曲に合わせたという面と、一回性のライヴ・ステージならではのアピールということもあったと思います。

 

なお、昼夜ニ回のコンサートとも、セット・リストは全曲完璧に同じでした。そればかりかしゃべりの細部にいたるまでほぼ同一で、事前に用意周到に練り込まれたショウだったんだなということがうかがえました。おそらく前日の高知公演も同一内容だったのでは。それでも、冬美の声もバンドの演奏も夜公演のほうが充実していたように感じました。

 

最後に。司会者によるおしゃべりは、バンド・メンバーの体型いじりをやったり、冬美相手には結婚していない話題をいじったりで、はっきりいってシラけちゃいました。いまどき完全なるハラスメントですよ。

 

(written 2021.10.7)

2021/10/07

ロビン・シックの新作では、ボッサやラテン系もいい

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(3 min read)

 

Robin Thicke / On Earth, And In Heaven

https://open.spotify.com/album/5xDfo5P0vSP0xIt6toSmGL?si=YMHS2EvCSOiN86May9Xjxg&dl_branch=1

 

萩原健太さんに教わりました。
https://kenta45rpm.com/2021/02/15/on-earth-and-in-heaven-robin-thicke/

 

アメリカ人シンガー・ソングライター、ロビン・シックの新作『On Earth, And In Heaven』(2021)がかなりいい。前作から七年ぶりとちょっとごぶさただったもので、かつてのブルー・アイド・ソウル風味は若干鳴りをひそめ、もっとジャジー、ファンク、ボサ・ノーヴァ、ラテンっぽい感じに仕上げた作品です。

 

オープニングを飾る「ラッキー・スター」から、いきなりいい塩梅のボッサ・ポップで、ぼく好み。ジャジーでもあるし、思わずほおがゆるみます。こういった軽快でソフトでなんでもない感じの、肩肘張っていないというか、押しつけがましくないクールなフィーリングは、もともとロビンの持ち味だったもので、うれしいですね。

 

2曲目「オラ」はスペイン語題ということでラテン・ミュージックっぽいのかと思うと、さにあらず。ソウル/ファンク色の濃い一曲ですね。特にこの特徴的なベース・ラインがいかにもファンキーで、しかもスティーヴィ・ワンダーの書きそうなラインそのまんま。しかもポップですよね。このベース・ラインを思いついたことだけでこの曲はイケたも同然です。

 

3曲目の「ローラ・ミア」は完璧サルサなラテン・ナンバー。こういうのが混じっているのが今作でのロビンの特色で、こんなのいままでありましたっけ?サルサ曲ではありますが、ロビンのヴォーカルのフィーリングはラテン系の強めのハリのあるそれではなく、もっとあっさり軽いのがらしいところ。でもリズムやホーン・リフなんかはばっちり決まっています。ラテンなフルートもいいですね。

 

その後はふたたびの軽いボッサ・ポップな6曲目「アウト・オヴ・マイ・マインド」などもはさみながら、ロビンの代名詞的なブルー・アイド・ソウル色も出しつつ進みます。10「フォーエヴァー・マイン」、11「ザッツ・ワット・ラヴ・キャン・ドゥ」なんかは必殺スウィート・ソウル系バラードですね。もちろんこういったのもグッド。

 

ちょっとドゥー・ワップふうなコーラスの入る7曲目「ビューティフル」も同系統だと言えましょう。こういうのが近年のロビンの得意路線としてやってきたものなんで、おなじみではありますが、あいかわらずいい味出していますね。でも今作ではアルバム前半のボッサ、ラテン系がとてもいいフィーリングなので、そっちに耳を持っていかれちゃいますけど。

 

(written 2021.6.10)

2021/10/06

新傾向と旧傾向が入り混じる令和時代のSpotify演歌プレイリスト

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(4 min read)

 

v.a. / Enka Now:令和時代の演歌

https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DXb0a9ybwpO6R?si=ec7b9bac47744e6d

 

九月中旬ごろだっけな、公開されたSpotiy公式プレイリスト『Enka Now:令和時代の演歌』。これ、しかし内容が日々変わりすぎだと思いますねえ。選曲・曲順ともに数日おきにコロコロ入れ替わり、これじゃあねえ、ゆっくり安心して楽しめませんよ>Spotify Japanさん。

 

ともあれ、このプレイリストはいまの時代の新演歌みたいなものを集めたものと考えていいんでしょうか。とはいえ、じっくり観察していると、要するに元号が令和になってからリリースされた曲ばかりを収録しているというだけのコンセプトみたいで、必ずしも演歌の新傾向みたいなものを追いかけているというわけでもなさそうです。

 

演歌の世界は、むかしもいまもあまり変わっていないんだなあというのを実感する面もある『演歌Now』プレイリスト、なかにはこんなにも旧弊なというか古くさ〜い、オールド・ファッションドな演歌もいまだ発売されているんですねえ。ぼくがこどものころ、つまり1960〜70年代にテレビの歌番組で聴いていたようなのと寸分違わない曲だって多いです。

 

しかし、なかにはですね、特に若手演歌歌手の曲や歌いかたのなかには新時代を感じるものもあり。こってり濃厚で劇的なヴォーカル・スタイルではなく、もっとあっさりさっぱりした、ストレート歌唱法をとっている歌手も大勢います。

 

どんな歌を与えられているか?にもだいぶ左右されるんだなと実感したりして。旧世代の演歌歌手でも、新しいタイプの曲をもらえばそれなりの歌をみせているし、新世代演歌歌手でも、古い感じのステレオタイプな曲をもらって古くさいヴォーカルを披露していたり。

 

それでも、数十年前の演歌全盛期に比較すれば、かなり傾向が変わってきているんだなということが、このプレイリストを聴けばわかります。松原健之らの「風のブーケ」とか、おかゆの「星旅」とか、石原詢子の「ただそばにいてくれて」とか、はやぶさ&辰巳ゆうとの「サンキュ!ピース」とか、こういったものはちょっと前まで演歌フィールドで聴けるとは思えなかったものです。特におかゆの「星旅」はいいね。

 

かんたんに言えば、新世代にとって、演歌/歌謡曲/J-POPの境界線なんか(もともとないものだけど)とっくに消し飛んでいるということで、いまの時代の斬新な内容の歌を与えられた新世代歌唱法の演歌歌手たちが、一定の傾向というかしっかりした存在感を発揮するようになっているなということです。

 

ぼくの応援している演歌第七世代の岩佐美咲も中澤卓也も収録されていないのはちょっと残念なんでけれども、それでもそういった若手世代の歌手たちの一定傾向をこのプレイリストで聴きとることができるでしょう。

 

そのいっぽうで、ここ三年ほどのあいだにリリースされたものとは到底思えない演歌もたくさんあって、徐々に刷新されつつはあるけれど、演歌界はいつまでも変わらぬ世界が支配するものなのかもなあとは思います。それはそれでいいんじゃないでしょうか。Spotifyで音楽を楽しむような世代がどれだけ旧弊演歌に共感するのかは不明ですが。

 

(written 2021.10.2)

2021/10/05

ストーンズはいったいいつになったら音源カタログを整理するのか

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(5 min read)

 

こないだ二、三日前(つまり五月末)に、ローリング・ストーンズ1968年のシングル曲「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が配信リイシューされました。リマスターされているということらしいんですけど、それまでとの違いは聴いてもわからなかったです。

 

それはいいんですけど、この曲、シングルでしかリリースされていなくて、バンドの代表曲だからもちろん各種ベスト・アルバムなんかには当然収録されていますけど、問題はB面曲もふくめストーンズがいままでにリリースしたシングル盤音源って、実は2021年現在でもいまだにまとめられていないんですよね。

 

これははっきり言って大問題でしょう。ストーンズほどの大物ミュージシャンにしてはありえないていたらくだと思います。ストーンズ関連のこの手の話題でぼくがいつも念頭に置くのは、ビートルズの『パスト・マスターズ』のこと。

 

ビートルズも1960年代の現役活動当時はシングル盤でしかリリースしていない曲というものがけっこうありました。バンド解散後の時代でも、それらは7インチをさがして買うか、そうじゃなかったら収録されているコンピレイション(みたいなものがいくつもあった)を買って聴くしか方法がなかったんです。

 

そんなコンピも種々雑多で、どれとどれを買えば全シングル音源が揃うのかわからず、アルバム曲はダブったりするし、だから正直言ってみんな混乱していたので、ビートルズ公式は1987/88年の全作品公式初CDリリースの際に、シングル音源を整理・集大成して、二枚の公式CDアルバムにしてリリースしたんですよね。

 

それが『パスト・マスターズ』vol.1とVol.2。この二枚と、公式アルバムと、それだけ買えばビートルズが発売した公式発売音源はすべて残さず揃い、重複もないっていう、実にスッキリしたかたちになって、ファンとしてはほんとうにありがたかったのです。

 

ストーンズはこの手の整理をいまだやっていないんですね。現役バンドだから、っていうのはあるでしょうけど、さすがにメンバーも老齢、新作リリースもなく、ツアーでバンド活動を維持しているという現状では、過去のレコード、CD音源を、そろそろキチンと整理しておいてほしいよなと思っているファンはぼくだけじゃないはず。

 

ストーンズがいままでにシングル盤でしかリリースしてこずアルバムに収録されていないものは、ベスト盤など各種コンピレイションで聴くしかなく、それらはしかしシングルB面曲などは収録されていないケースが多いです。だから、実を言うといまではほとんど聴くことすらできないB面曲というのがあるんですよね。

 

さらにストーンズ特有の問題として配給会社移籍の際に必ず公式ベスト盤が発売されてきましたが、それにしか収録されていないレア音源というのがいくつかあるんです。たとえば1981年の『サッキング・イン・ザ・セヴンティーズ』に「イフ・アイ・ワズ・ザ・ダンサー(ダンス、パート2)」というものが収録されていました。

 

この「イフ・アイ・ワズ・ザ・ダンサー(ダンス、パート2)」は、アルバム『エモーショナル・レスキュー』1曲目の「ダンス(パート1)」の別ヴァージョンみたいなものですが、内容がかなり違っていて、それまでリリースされていなかった未発表曲というべきもの。アフロ・レゲエなダブ・ミュージックで、ストーンズとして当時の最先端サウンドを表現したものです。

 

これはほんの一例で、こういう例がストーンズのばあいけっこうあるんです。いまだにシングルでしか聴けない曲、ベスト盤などにしか収録されていないレア曲、しかもそれらはリイシューもされていないから、現在問題なく聴けるという状態にはないんです。『レアリティーズ 1971 - 2003』はサブスクにもないしねえ。

 

こんなことでいいんでしょうか。ストーンズ公式はなるべく早く音源カタログを整理して、ビートルズ公式が『パスト・マスターズ』を発売したように、ストーンズのアルバム未収録のシングル曲、レア曲をまとめてアルバムにしてリリースし、サブスクにも乗せるべきじゃないでしょうか。

 

その際は、アルバム曲のシングル・ヴァージョンとかは割愛してもいいと思うんですよね。現状で散逸・混乱した状態のままになっていて、ストーンズ・マニアは自分の脳内ヴァーチャル棚に整理して置いてあるのかもしれないですけど、一般のファン向けには不親切なありさまが続いていると思いますよ。

 

(written 2021.6.1)

2021/10/04

下層庶民歌謡はジャジーな洗練サウンドで生き残れるか?〜 イヴァーナ

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(4 min read)

 

Ivana / Sashtata i ne savsem - 20 godini na stsenata

https://open.spotify.com/album/3txZ6MfRFW11GFI0NnacX3?si=gFwEJvsdT9CbmQ2j0BwuXg

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-19

 

ブルガリアのチャルガ歌手だそうですが、イヴァーナ。その2019年作『Sashtata i ne savsem』には従来的な泥くさいチャルガのイメージはなく、もっと都会的に洗練された印象の内容ですね。その意味ではぼく好み。

 

特に3曲目以後ですかね、その傾向が顕著になってくるのは。3曲目は曲題の横に「ジャズ・ヴァージョン」と副題があるとおり、4/4拍子のいかにもなジャズ・アレンジ。これはちょっとなんというか、どのへんにアピールしようとしているか、その意図があからさますぎる気がして、イヴァーナの強めの声とのバランスもよくなくて、個人的にはイマイチですけど、でも悪くないですよね。

 

4曲目、5曲目あたりが、このアルバムのなかではかなりオッ!と聴こえるものです。まるでシャーデーを思わせる都会的でスムースなサウンド・メイク。これがブルガリアのチャルガ歌手の曲なのか?!とびっくりしますよね。まるでフュージョンですし、だから個人的には好感度大。ジャジーですしね。

 

チャルガってブルガリアのポップ・フォークのことみたいですけど、とてもそのフィールドでやってきた歌手の作品とは思えない仕上がりで、bunboniさんも書いているように、世界の下層庶民歌謡は生き残りをかけてこういった洗練されたサウンドを目指すようになっているかもしれません。

 

そのことがいいのか悪いのか、聴きやすくなっているのはたしかですけど、大衆歌謡としての魅力はまたちょっと別なところにあったりするんじゃないかと思わないでもなかったり。ジャジーで都会的に洗練されたサウンドで生き延びられるかどうか。う〜〜ん…。かえってファンを失うのでは?という危惧もありますね。

 

このイヴァーナの最新2019年作でも、Spotifyでの再生回数をデスクトップ・アプリで確認すると、ジャジーなスムース・サウンドの曲よりも、従来的なチャルガ寄りの曲のほうが圧倒的に聴かれているんですよね(1、7曲目)。ジャズ・サウンドがせいぜい2、3千回程度の再生なのに対し、チャルガ・ナンバーは10万回を超えていたりしますから。

 

イヴァーナの過去作もSpotifyで聴けるものは聴いてみたんですけど、ぼくの耳には泥くさい庶民性をウリにした路線のほうが、より持ち味を発揮していてチャーミングに聴こえます。ジャズ・ファンだからといって、シャーデーみたいなサウンドがいいか?というと、すくなくともイヴァーナにかんしてはちょっと違う感想があるかもしれません。

 

日本の演歌なんかでも、今年元日の記事で特集しましたように、特に新世代のあいだでは激情的でないアッサリした薄味のスムースに洗練された歌いかたが主流になってきていて、旧来的な演歌唱法との差が大きくなりつつあるんですけど、それで演歌が生き残れるかどうかはもうしばらく観察してみないとなんとも言えないのかもしれません。

 

(written 2021.6.6)

2021/10/03

けっこうブルージーなパット・マシーニーの最新作『サイド・アイ NYC(V1.IV)』

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(4 min read)

 

Pat Metheny / Side-Eye NYC (V1.IV)

https://open.spotify.com/album/2pYj1LTMlFv0zvNZeY2A9y?si=ab5nSe8rSMq9aEhhR3c4Qg&dl_branch=1

 

こっちは最新作、こないだ出たばかりのパット・マシーニー『サイド・アイ NYC (V1.IV)』(2021)のほうは、従来のパットらしいジャズ・アルバムで、しかもなんだかパット・マシーニー・グループ的なフィーリングもあるように聴こえますよ。

 

パット近年のサイド・アイ・プロジェクトがどういうのものか?については、ネット上にたくさん情報があるので、ぼくがここで書いておく必要はないと思います。みなさん検索してみてください。

 

ともあれ『サイド・アイ NYC (V1.IV)』はライヴ・アルバムで(スタジオ収録トラックもある?)、サイド・メンバーはジェイムズ・フランシーズの鍵盤にマーカス・ギルモアのドラムス。

 

これって、あれですよ、1960年代に多かったオルガン・トリオ(ギター+オルガン+ドラムス)と同様の編成ですよねえ。パットはどうしていままたこういったおなじみのレトロなバンド構成を?と思うんですが、とはいえジェイムズ・フランシーズはピアノやシンセサイザーも弾いているし、音楽的には決してレトロな内容ってわけでもないのかも。

 

アルバムには新曲もあるものの、どちらかというとセルフ・カヴァーが中心なのはポイントかもしれません。しかも演奏はけっこうエモーショナルでブルージー。たとえば3曲目「タイムライン」、7「ターナラウンド」。これらも以前パットが過去作でやっていたものの再演です。

 

特にオーネット・コールマン作1959年のブルーズ楽曲「ターナラウンド」が今作ではぼくのいちばんのお気に入り。パット自身、以前からウェス・モンゴメリーの影響を隠せないところだったブルージーなフィーリングを存分に発揮しています。こういうの、好みなんですよ。このギターの音色とフレイジングを聴いてほしい。

 

3「タイムライン」もそうだし、5曲目「ロジャー」(新曲?)だってレイジーなブルーズ・フィーリング満点で弾きこなしているのがほんとうに気持ちよくて。これらの曲ではマーカス・ギルモアはなんでもないドラミングですけど、ジェイムズ・フランシーズがハモンド B-3似の音色を使っていて、雰囲気にピッタリですね。

 

上でも触れましたが、パットは前々からときおりこういったスタイルで弾くことがあって、得意ヴァリエイションの一つでしたが、今作ではそれが全開になっているんじゃないかという気がします。ジャズとブルーズの切断が叫ばれるこんにち、どうしてまたこういった演奏をくりひろげたんでしょうか。

 

そのほか2曲目「ベター・デイズ・アヘッド」(『レター・フロム・ホーム』)だとか4「ブライト・サイズ・ライフ」だとか、以前からのファンだったら感涙ものの選曲で、お得意のセンティメンタルなフィーリングを存分にふりまきながらアピールする姿はちょっとレトロかな?と思わないでもないものの、ぼくには心地いいです。

 

(written 2021.9.22)

2021/10/02

カフェBGMとしてのパット・マシーニー『ロード・トゥ・ザ・サン』

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(3 min read)

 

Pat Metheny / Road to the Sun

https://open.spotify.com/album/3kz1OhGNHI9oWNtP79UAZu?si=bQilF1MYQFWLcaDPOr4pVw&dl_branch=1

 

去年出たものだとずっと思っていたけれど、いま確認すると2021年のリリースになっているパット・マシーニーのアルバム『ロード・トゥ・ザ・サン』(2021)。ぼやぼやしていたら、もう次の最新作『サイド・アイ NYC』がこないだ出ちゃいましたね。

 

が、順番に、『ロード・トゥ・ザ・サン』のほうからメモしておきます。パットは(最後の一曲を除き)演奏にまったく参加しておらず、もっぱらコンポーザーとして曲を提供し、それをほかのギターリストに弾かせたというアルバムです。

 

しかもジャズ・コンポジションではなく、クラシック・ギターのための現代音楽作品と言えるでしょう。最初の4トラックが「Four Paths of Light」の四楽章で、これはアメリカのクラシック・ギタリスト、ジェイスン・ヴィオー(Jason Vieaux)によるソロ・ギター演奏。

 

続く5〜10トラック目が「Road to the Sun」の六つの楽章で、こちらもパットが高く評価するロス・アンジェルス・ギター・カルテットによる多重奏。そしてアルバム・ラストの「Arvo Pårt: Für Alina」だけがパット自身による42弦ギター演奏、といった構成です。

 

クラシック作品ということでぼくの得意分野ではないのですが、聴いていてとても気持ちいいことは事実です。じっくり対面して聴き込むにはやや軽いっていうか、そもそもクラシック音楽をそういうものとしてとらえていないぼくなので。

 

しかしBGMっていうか、カフェとか自宅でなにか作業したり読書したりしているときの背景に流すと、ほんとうにすばらしいフィーリングをつくってくれて、やっていることがはかどるっていう、そんな音楽だなあというのが最大の印象ですね。

 

これが間違いないっていうのは、事実ぼくはカフェや自室で確かめました。というか偶然の発見だったのですが、書き仕事や読書の際にたまたま流していて、ほんとうにジャマにならないし、かといって無音だとまずいという状況で、仕事の集中力を高めてくれたんですよね。

 

クラシックにかぎらず音楽は、それだけにじっくり向き合うように聴くのもいいし、はたまたBGM的にっていうか、なにかしながら流しっぱなしにするのもいい聴きかたで、それもまた楽しみであり、大きな効用のひとつだなあと思いますね。

 

日中だけでなく、深夜に部屋の照明を落として入眠準備をするときのBGMとしてもピッタリ似合いそうなパットのこの『ロード・トゥ・ザ・サン』。そういう聴きかたは音楽家の意向には沿っていないかもしれませんけどね。

 

(written 2021.9.18)

2021/10/01

「中東に赴任しているアメリカ軍人」からのメッセに要注意 〜 国際ロマンス詐欺のパターン

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(7 min read)

 

リクエストがあったので、個人的経験をもとに書いてみます。国際ロマンス詐欺について。なんだかまだまだ被害にあいかけるケースも多いそうですから、防止の一助になればと思います。

 

国際ロマンス詐欺とは、ある日、海外のステキな異性(という設定になっている)からメッセージが届き、なんとなくやりとりするうちにネット上で恋に落ちる、そんな映画のような出会いからはじまり、最終的にはこちらの好意を利用して金銭を奪われるという、そういうものです。

 

ぼくが二年ほど多数やりとりして知っている範囲での国際ロマンス詐欺の常套パターンを以下に箇条書きで整理してみます。

 

(1)舞台はInstagramのダイレクト・メッセージか、マッチング・アプリのメッセージ
(2)ある日突然、見知らぬ人物(通常の異性間恋愛が想定されているので、ぼくなら女性)からメッセージが届く。最初は軽い挨拶程度
(3)ぜんぶ英語。カタコトの日本語ということもあり
(4)軽い気持ちで返事をしてみると、それをきっかけにやりとりがはじまる
(5)徐々に自分が何者なのか語りはじめるが、全員が「例外なく」アメリカ人で、アメリカ軍で働いていて、しかも現在は中東地域(例外なし!)の基地に赴任している
(6)Instagramのアカウントを見にいっても、プロフィールにほとんどなにも書かれていないし、フィード投稿もたった数個程度
(7)だれをフォローしているか見てみると、アメリカ人というにしては妙に日本人男性ばかり多数フォローしているのも、こんなアカウントの特色
(8)それにときどき英語がいい加減なのも特徴。スペリング・ミスやコロケーションや文法がおかしかったりなど、おそらく英語ネイティヴじゃないだろうと推察できた
(9)しかし、もうすぐ任務が終了するので、そうしたら日本に行きたい、日本と日本人のことが大好きだ、と熱心に言う
(10)他愛のない会話をくりかえしていると、そのうち「あなたはハンサムだ、good guyだ」「好きだ」「愛している」などと言いはじめる
(11)ぼくのばあい、一人目には脈絡なくいきなり「Do you love me?」と言われ、めんくらった
(12)中東での任務が終わったら日本へ必ず行くから、いっしょに住みたいとまで言う、結婚など二人の将来設計を語りはじめる
(13)マジの恋愛感情をこちらが抱いているようなフリをしてメッセージ交換を続けていると、実は私はいま金銭的に困難な状況にあるなどと言いだす
(14)このへんで別のアプリに誘導されるケースもあり(全員ではない)。ここは100%安全ではないからと、Google Hangoutsへ来ないかと言われたことがある。持っていないというとさかんにインストールをすすめられる
(15)Google Hangoutsに移行しても、最初は変わらぬ調子で会話が続くが、好きだとか、あなたは私のこと好きなの?とか、言われる割合が増える
(16)こちらが真剣な恋愛感情を持つようになってきただろうころあいを見計らって金銭的な要求が来るけれど、そうなったらゲーム・オーヴァーなので、いつもヒマつぶししているだけのぼくは、そこでもうメッセージ交換をやめ、お引き取り願う
(17)終了。だから、ぼくは多数の国際ロマンス詐欺相手とのメッセージ交換をやったけど、いつもお遊びなので、金銭をだましとられるという被害には一度もあっていない

 

国際ロマンス詐欺の金銭要求には種々のパターンがあります。一度はiTunesカードを購入しろとの指示が来たこともあり。iTunesカードならそれじたいを送る必要はなく(住所がバレるので、そんな指示はしない)、裏面記載のIDコード番号だけわかれば使えるので、メッセージ・アプリでそれを教えるよう言うだけです。

 

リアルな真剣交際でも、金品要求に話が及んだ時点でいぶかしむ、警戒する、というのが通常だと思いますが、100%ネット上のメッセージ交換だけでやる国際ロマンス詐欺のばあいは、なぜだかやりとりに夢中になって、絵空事の恋にのぼせ、冷静な判断ができなくなっているケースがあるみたいですね。

 

一度も会ったことすらないのに「好きだ」「愛している」みたいなたぐいの話題になった段階で、おかしいと思わなくちゃいけません。ぼくは仕事も完全リタイアしたヒマ人なので、ヒマつぶしにメッセージ交換をしてテキトーに遊ぶだけの人間ですが、だれであれネット上だけでそんな色恋沙汰になることはないです。

 

不慣れなひとがこういった国際ロマンス詐欺にひっかからない最善の手段は、上記箇条書きの(4)の段階を超えないこと。最初は「Hi」とか「Hello」とか言ってくるだけですが、それに返事さえしなければ、なにも起こりません。このアカウントにその気があるか、そもそもアクティヴな実在アカウントか、さぐりを入れているだけなんですから。

 

興味本位でその段階を超えたとしても、中東地域(ぼくが経験したなかではイエメンとかイラクとかだった)のアメリカ軍基地に赴任しているアメリカ軍人と言ってきたら、もう100%国際ロマンス詐欺です。プロフィールもウソなら、性別も写真もウソです。

 

派生しての類似パターンがいくつもあるので、応用してください。ゲイがよく使う9monstersなどの性的少数者向けマッチング・アプリでも、そこだと同性の、やはり中東地域派遣アメリカ軍人という設定で、この手の詐欺メッセージがときどき来ます。

 

詐欺だろうと指摘すると、メッセージもアカウントもあわてて消しますが、そうでなくとも一定時間が経つとこの手のアカウントは消えます。そしてしばらく経つと別人になりすまして新アカウントをつくり、同様の手口を展開します。

 

(written 2021.9.30)

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