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2021年11月

2021/11/30

おっちゃんの使っている「国産」パソコンも外国製なんやで

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同じわさみん(岩佐美咲)ファンとしてときどきネットでやりとりしたり現場で会って仲良くしている岡山のおっちゃんがいるんですけど、59歳のぼくよりだいぶ歳上みたいで、見た目70越え?

 

そのおっちゃんの言うには「パソコンでもスマホでもなんでも俺は国産しか使わない、外国製なんて考えられへん」っていうことなんですね。iPhoneがどうたらってわさみんがよく言うからだと思います。この手のことは2014年に亡くなったぼくの父も言っていました、「なんでも国産がいちばんだ」と。

 

たしかに企画発案、部品から組み立て、営業、販売までトータル日本国内で完結しているという時代があったかもしれません(昭和?)。しかしいまではどんな商品でも、特に家電とかパソコン、スマホなどのデジタル・ウェアなら、国産/外国産の別を言う意味はなくなりました。

 

たとえば上で掲げた写真、いまぼくが使っているパソコンMacBook Airの底面にある刻印ですが、ごらんのとおりデザインはカリフォルニアのApple社だけど組み立ては中国で行われています。Apple製品はMacもiPhoneもiPadもいまやすべて中国製。でもAppleはアメリカの会社です。

 

デザインがアメリカで、アセンブリーが中国だけど、なかに使われている部品は台湾製だったり日本製だったり韓国製だったりシンガポール製だったり。つまりミックスで、要するに多国籍なんですよ。一国純粋なんて、どんな商品でも21世紀の現在ではありえません。

 

部品から組み立てからなにからなにまで日本でやっているというパソコンやスマホなんて、日本のメーカーでも、もうないんじゃないですか。かりにあったとしてもOSはマイクロソフト(アメリカ)のWindowsや、Androidが走るんでしょ。国産OSなんてパーソナル・ユースでは使われませんからね。

 

会社や工場で働いているひとたちもいろんな国から来ているというのが現状ですしね。ぼくは着るものをよくUNIQLOショップで買いますが、UNIQLOは日本の会社であるものの、タグを見ると「ベトナム製」になっていることが多いです。原材料は中国の新疆綿を使っていたりしますし。

 

以前もヴァイブラフォン奏者チェンチェン・ルー関連で言いましたが、レコードやCDといった音楽物体商品も「どこ国盤」ということにこだわるのが無意味になってきています。歌手や演奏家が国境をまたぐようになっているだけでなく、盤の原材料はここ、プレスはまた別な国、それを輸入してぜんぜん違う国で売るとかだから、音盤の国籍にこだわる意味は消えました。

 

アメリカのメイジャー・リーグで活躍する野球選手の大谷翔平は日本生まれの日本人で東アジア系黄色人種だけど、仕事はだからアメリカでしていて、アメリカに納税しているはず。テニス選手の大坂なおみは日本生まれの日本とハイチの混血で、肌は褐色のバイリンガル。大坂もまたアメリカを拠点にしていて、ある時期に国籍は日本を選択しました。

 

パソコンやスマホで言えば、いちおうAppleはアメリカの会社、東芝とかNECとか富士通とかシャープとかは日本の会社だというんで「アメリカ製」「日本製」と言ってはいますけど、上で書いたように実態は多国籍なんだから国別で分けるのはあんまり意味がないなと思います。

 

「俺は国産しか使わない」が信条の岡山のおっちゃんの使っているパソコンだって、どこのメーカーのものか知らないけど、中身の部品製造や組み立てはですね、おそらく、どこか外国でやっている可能性が高いと思いますよ。

 

演歌しか聴かない、演歌ひとすじらしいけど、そのおっちゃんは。演歌も純日本産音楽なんかじゃなくって、西洋クラシック音楽や米英ロックやラテン・ミュージックから大量に流入しているんですから。メイド・イン・ジャパンとか純国産、純血主義へのこだわりって、いったいなんなんでしょうね。

 

(written 2021.11.29)

2021/11/29

現代的ビート感で甦ったパーカー・クラシックス 〜 SWRビッグ・バンド

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The SWR Big Band / Bird Lives
https://open.spotify.com/album/3OQ9cYWP2yK3zaTUNXzD2f?si=LboRypUzS2uPeLjXy1nK4w

 

lessthanpandaさんのブログで知りました。
https://musica-terra.com/2021/11/13/swr-big-band-bird-lives/

 

シャープな高速4ビートに現代ジャズの可能性があると教えてくれたのは『ナイト・パッセージ』(1980)以後のウェザー・リポートというかジョー・ザヴィヌルでした。2021年になってそのことがまた一個結実したような作品が出ましたよ。

 

ドイツの名門、SWRビッグ・バンドの新作『Bird Lives』(2021)のこと。これはアルバム題どおりバードことチャーリー・パーカーへのトリビュートで、昨2020年のパーカー生誕100周年にあわせて企画されたものみたいです。

 

それでパーカーの自作&愛奏曲を集めて、現代的に再解釈し演奏したもの。ゲスト・ソロイストとしてスウェーデンのサックス奏者、マグヌス・リングレンが迎えられ、またアレンジをジョン・ビーズリーが担当しています。ビーズリーはマイルズ・デイヴィス・バンド在籍歴(1989)があるため、ぼくなんかには忘れられない鍵盤奏者。

 

1曲目の「チェロキー」と「ココ」のメドレーというか合体から快速調で飛ばすフィーリング。これですよ、これ、この4ビートの感覚が2021年においてコンテンポラリーだなと思うんですよね。同じ高速4ビートでも、ビ・バップの1940年代ものとはシャープさが違っていることに気づくはず。

 

それで、念のため、前にも一度くわしく書いたことをくりかえさなくてはなりません。「チェロキー」を下敷きにした「ココ」もそうですが、1940年代のビ・バップ・オリジナルに古いスタンダード曲のコード進行だけ借りてきて別なメロディを乗せるものが多かったのは、当時二度のレコーディング・ストライキがあったせいです。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/v--146c.html

 

一度目は1942年8月~44年11月、二度目は48年1月~12月、いずれも著作権料の値上げなどの理由でAFM(アメリカ音楽家連合会)が起したストライキで、このためその期間、ミュージシャンたちはAFMが管理している楽曲を使うことができませんでした。

 

コード進行だけなら著作権がないため、ジャズ・ミュージシャンならだれでも知っているスタンダード・ナンバーをセッションで演奏したい際、そのメロディはレコーディングできないのでコード進行だけそのまま使って、その上にアド・リブで別なメロディを乗せ、それをテーマにして、それを「新曲」としてあらたに版権登録したんです。もちろん、新しい時代には新しいメロディを、という音楽的な要請もあったでしょうけど。

 

今回のSWRビッグ・バンドの『Bird Lives』に収録されている曲でいえば、1「ココ」だけでなく、たとえば6曲目「ドナ・リー」(はマイルズ作だけど、版権登録をパーカーでやったのは会社のミス)も「インディアナ」のチェインジにもとづいているものですね。ビ・バップ・ナンバーには多いんです。レコーディング・ストライキのせい。

 

アルバムには現代的な高速4ビート解釈だけでなく、ちょっとメカニカルっていうかコンピューターを使った打ち込みっぽいデジタル・フィールなビート感を聴かせるものがけっこうあります(2、3、5、6)。もちろんSWRビッグ・バンドは人力生演奏ですが、でもたとえば6「ドナ・リー」なんかはこれ、冒頭からたぶんビート・ボックスを使ってありますよね。『暴動』でスライ・ストーンが使ったようなやつ。

 

だから「ドナ・リー」にかんしてだけはマシン・ビートだとも言えるんですが、パッとすぐに人力演奏ドラムスも入ってきて、合体します。この手のマシン+人力生ドラムスを並行共演させるというのも、ウェザー・リポートが『ドミノ・セオリー』(1984)や『スポーティン・ライフ』(85)で、オマー・ハキムを使って、最初に示した方法論です。

 

そこからだいぶ時間が経ちましたが、ヒップ・ホップなビート感覚も(打ち込みではなく)演奏で表現できるドラマーなどが出現するようになり、ジャズの4ビート・フィールが刷新されたようなイメージがあります。主に21世紀に入って以後あたりからかな。

 

そんな現代ビート感を、SWRビッグ・バンドも今回の『Bird Lives』でかなりはっきり示していて、そのおかげでパーカー・クラシックスがいまの時代のリスナーに違和感なく受け入れてもらえそうな感じに生まれ変わっているんじゃないかというのが、今作を聴いてのぼくの正直な感想です。

 

(written 2021.11.27)

2021/11/28

4ビートからヒップ・ホップへとシームレスに 〜 メラニー・チャールズ

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Melanie Charles / Y’all Don’t (Really) Care About Black Women
https://open.spotify.com/album/746qWwUCILB8ZILy6wkXFZ?si=1cNSWbMsRI6oYCYw1qaLhg

 

米NYCはブルックリンで生まれ育ったハイチ系黒人歌手&フルート奏者、メラニー・チャールズ。新作『Y’all Don’t (Really) Care About Black Women』(2021)がついこないだ出ましたが、これ、ぼくはどこでどうして知ったんだっけ?思い出せない…。

 

あ、そうそうそうだ、ジャズ・トランペッターのシオ・クローカー(Theo Croker)がInstagram投稿でこのアルバムのジャケットをシェアしていたんでした。ぼくはシオをフォローしていますからね。それでオッ、これはおもしろそうじゃない?と感じて、例によってパッとすぐSpotifyでさがして聴いてみたんでした。

 

すると、メラニーはどうやらジャズ歌手みたいですよね。それもジャズ100%っていうんじゃなく、ソウル/R&B/ヒップ・ホップともクロスするようなスタイルの持ち主。要は新世代シンガーということなんでしょう。

 

メラニーの今回の新作はリミックス集でもあって、題して「Verve Reimagined」シリーズ。その一環として制作・発売されたもの。上でリンクを貼ったアルバムのトラックリストを眺めてみてください、曲題の右に「Reimagined」と付記されている六曲がヴァーヴの従来音源を使ったリミックスで、メラニー自身が手がけています。

 

そうじゃない五曲が今作のためのいちからの新録ということで、ちょうど半々。しかし最初聴いたとき、あるいはいまでも、二種類が並列しているという感触はまったくありません。

 

このへんは、サンプリングとかループ、音響加工の活用、過去音源をリミックスして新録パートと混ぜるとかつなぐとか、その手の新時代の音楽制作手法がいまやあたりまえのものになってきていて、特にそうと銘打たないものにだって使われているからでしょうね。

 

実際、メラニーの今作でもリイマジンド・トラックはたんなる再用ではなく、メラニーが歌い演奏した追加新録パートがくっついているし、リイマジンドじゃない新録だって似たようなトラック・メイク手法がとられていることは聴けばわかります。

 

リイマジンド・トラックでとりあげられているのは、ダイナ・ワシントンの「パーディド」「ワット・ア・ディファランス(・ア・デイ・メイクス)」とか、サラ・ヴォーンの「ディトゥーア・アヘッド」とか、マリーナ・ショウの「ウーマン・オヴ・ザ・ゲトー」とか、ベティ・カーターの「ジャズ(エイント・ナシング・バット・ソウル)」とか、先人黒人女性歌手ばかり。

 

新録曲も、けっこう有名な、たとえば1曲目「ガッド・ブレス・ザ・チャイルド」(ビリー・ホリデイ)や、4「オール・アフリカ」(マックス・ローチ、アビイ・リンカーン)や、9「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」(キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン、マリーナ・ショウ)などのブラック・ソングで占められているんです。

 

ここに今作におけるメラニーの目論見があったことは容易に見てとれます。アルバム・タイトルやジャケット・デザイン(だけでぼくは聴いてみようと思った)でも端的に表現されているように、いまのこのコロナ禍時代に、アメリカで、黒人の、それも女性として生きるという意義を問いなおした、いわばBLMミュージック・アルバムとも言える内容なんです。

 

そんなテーマを表現するためにこそジャズ・ソウルなサウンドは活用されていて、時代の先鋭なヒップ・ホップ、コンテンポラリーR&B、ネオ・ソウルな音楽構築手法をジャズとクロスさせ、従来音源の4ビート・ナンバーも一部そのまま使いながらリミックスして、そこからシームレスで新感覚ビートに接合しています。

 

いまやあたりまえの手法になったこういう音のつくりかたですが、メラニーの今作では、ジャズの世界でいままで黒人女性が成し遂げてきたことの再評価にフォーカスしリスペクトを示すという、ブラック・コミュニティに強く根ざして発信しているというあたりに最大の特徴と聴きどころがあって、リミクサーとしてのメラニーの手腕にも注目が集まりそうですね。

 

(written 2021.11.26)

2021/11/27

「これじゃあ、配信とおんなじ」で悪かったね

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(6 min read)

 

Super Biton De Segou / Afro Jazz Folk Collection, Vol. 1
https://open.spotify.com/album/7vUghVGJ5aKAUOZR0S4VqS?si=LRIQskAfToGOpOBbPwA38g

 

たとえば、たまたま肌の色が濃い白人がいたとして、それを別の白人が「それじゃあ、まるで黒人とおんなじじゃないか」と発言して、それをとなりにいた黒人が耳にしたら、いったいどんな気分になるでしょうか。

 

録音音楽を聴くのでも、レコードだろうがCDだろうが配信(ダウンロード、ストリーミング)だろうが、各人それぞれ自分の好みや事情に応じて、どれでも好きな方法を選べばいいのであって、これじゃなくちゃ!みたいなことを言ったり、どれかの信奉者が別の方法を蔑んだり欠点をあげつらったりなどは、とてもよくないと感じ、ぼく個人はその種の発言をいっさいやめるようになりました、最近。

 

以前Twitterでまわってきた発言で、どなただったか、犬伏 功さん(音楽ライター)だったか、サブスクがこれだけ普及してみんなが使うようになり時代の流行であるからなのか、フィジカル派に対しあれこれ否定的なことを言うひとがいて、自分にも向けられることがあると、嘆いていたことがありました。

 

そのとき犬伏さんが言っていたのは、音楽を聴く方法は多様でいい、たくさんあればあるほどいいんで、どれか一つが消えてなくなったりすると自分は悲しくつらいのである、それが音楽愛好家の心情というものである、ということでしたね。

 

だから、サブスク派が、「CDなんか消えてなくなってもいいんだ」みたいなことを、それもフィジカル派に面と向かって聞こえるように、言ったりすることもある(らしいんですよ)のはきわめて不穏であると、犬伏さん(だったかどうか、忘れちゃったんだけど)は言っていました。

 

まったくそのとおりですよね。そして、逆も言えます。

 

CDをどんどん買ってそれで音楽を楽しんでいるファンが「サブスクなんか…」みたいな発言をしているのを、かなり頻繁にTwitterやnoteやブログなどその他随所で見かけて、ぼくはかなりがっかりし、深く傷ついた気持ちになってしまって、落ち込んだり腹を立てたりなどしているというのが現状です。

 

そんで、ぼくがふだん好きでどんどん聴いている音楽の種類でいうと、これまたフィジカル派がかなり多いんです。大半の良識的なかたがたはなにも言いませんよ。サブスクいいんじゃない、自分だってサブスク使っているよなどなど。あんなに熱心なフィジカルほしがり屋で実際買いまくっている(のがSNSに上がる)萩原健太さんですら、毎日のブログ記事はサブスクで聴いて書いているようですから。
https://kenta45rpm.com

 

そういう穏当なかたが大半ではありますが、なかにはたまに、サブスク否定発言をものする向きも一部に混じっているというのが事実。一部どころか、ぼくの好きな音楽界隈にはそこそこいるんです。サブスクなんて、あんなもの、ダメだ、と内心思うだけなら自由でしょうが、発言してしまうかたが。

 

たしかにねえ、サブスクにはテキストがちょっとしか付属しません。Spotifyだと最近は仕様変更があって「Show credits」をクリックすれば、一曲ごとに作詞作曲者、演者、プロデューサー名が出るようになり、トラックリストの曲名の下にも共演者、ゲスト参加者名が付記されたりしますが、それだけですもんね。

 

だから、せっかくレコードなりCDなりちゃんとしたテキスト情報を付与しやすい形態でリリースするのであれば、それが付いていないと意味ないじゃんとお怒りの気持ちはとてもとてもよく理解できるのです。

 

しかしそれならそれでそのことだけを指摘すればいいのであって、比較対象として「配信」ということばを持ち出さなくてもよかったかと。あたかもあんなダメなものといっしょなんて…みたいな否定フィーリング(があると受け取れる)の文章にしなくてもよかったんじゃなかったかと思います。

 

もっぱらサブスクで聴いている中高年にはそれぞれ事情と理由(ぼくのばあいは貧困)があるのであって、もちろん便利で簡単だからというのもみなさんにはあるかもですが、ぼくはお金がないからだけです。毎月10万円でなにもかもやりくりしなくちゃいけないんですから。

 

ですから、「サブスクなんか」とか「(CDなのに)これじゃあ、配信とおんなじ」だみたいな言いかたを目にすると、こっちの貧困を蔑視されているような気分になって、そりゃあいたたまれないんです。

 

そんなぼくだってついこないだ、例の大部な本といっしょにマラヴォワ『Masibol』CDをエル・スールで買って聴いているし(サブスクにないので)、フィジカル派のみなさんがサブスク使うこともあるんじゃないですか。共存していけばいいです。

 

なにも相互排他的に二者択一じゃなくていいんで、以前も言いましたがブルー・ノートがすべてを用意してくれているように、みんながそれぞれ自由に自分のやりかたで楽しめばいいんで、その選択肢が多いのはだれにとってもいいことだと思いますから、トランプみたいに分断と対立をあおらないでください。

 

(written 2021.11.26)

2021/11/26

演歌第七世代と岩佐美咲

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https://open.spotify.com/playlist/3OxWmOFVeufNKmqHV3BTdV?si=0712600a7ae848b1

 

こないだ「うたびと」っていう演歌歌謡曲系アカウントがコラムをネットに載せていました。題して「【演歌第7世代とは?】令和の演歌界をけん引する歌手の特徴と第1~第6世代の歴史」。
https://www.utabito.jp/news/9585/

 

たしかにいま演歌第七世代ということが言われていて、どうもお笑いの世界で新感覚の若手たちを第七世代と呼びはじめたのがルーツらしいんですけど、そこから演歌界にも派生して歌手の美良政次が使いはじめたのが演歌第七世代という表現。

 

明確な定義はないものの、デビューして五年程度未満で、世代的に20代〜30代前半の若手演歌歌手を指してひとくくりにしているものですね。上掲うたびとのコラムでは歌手の具体名を列挙してあって:

 

・中澤卓也
・新浜レオン
・真田ナオキ
・辰巳ゆうと
・青山新
・門松みゆき
・望月琉叶

 

というリストになっています。

 

ほかにもたくさんいますが、このへんの若手演歌歌手たちは、ぼくもふだんから知っていて聴いています。なぜなら2017年初春に岩佐美咲を知って好きになり、その流れで必然的に関連する情報をフォローしたり聴いたりするようになったからです。

 

キャリアや年齢だけでなく、こうした新世代演歌歌手たちには一定の共通項があります。現代に即したアプローチをしているということなんですが、ファンとの距離感が近く、TwitterとかInstagramで積極的に発信し、YouTubeなども活用しているんですよね。みんなそう。

 

インターネット、特にソーシャル・メディアの活用は、ちょっと前までの演歌歌手では考えられなかったことですし、実際2021年になっても旧世代歌手たちはアカウントすら持っていません。代わりに事務所スタッフが投稿しているだけ。

 

演歌第七世代の歌手たちは、スタッフではなく自分がソーシャル・メディアでふだんの日常をどんどん発信して、ファンとの距離を縮めているんですよね。仕事関係の投稿だって、いつどこでイベントやコンサートをやるといった大事なことも、そもそもTwitterなどでまず情報公開されたりします。

 

ソーシャル・メディアでのファンとの交流や距離感云々は歌手活動と関係ないじゃん、もっと歌の特徴を言わないと、という声もありますが、ささいな日常のことをやりとりしながら距離を縮め日常感覚を大切にしていくというところから、じゃあちょっと歌も聴いてみよう、CD買ってみよう、ツイートされていたイベントやコンサートへ出かけてみようということにつながったりもしていますので。

 

つまり歌手芸能活動のありかたの根本が、そもそも旧世代とは大きく異なってきている、新感覚を身につけた新世代ならではの姿がそこにあるということで、SNSでの交流・距離感やらみたいなことは、あんがい無視できないことですよ。歌の仕事に直結しているとも言えるんです。

 

もちろんこういったこと以上に大切なことは、歌唱表現上の新傾向、特色が演歌第七世代には聴かれることでしょうね。演歌のヴォーカル・スタイルにおけるニュー・トレンドについては、今年元日付の記事で特集したことがあります。それのくりかえしになってしまうのですけれども。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-2bfb3c.html

 

つまり、従来的な演歌で聴かれるような過剰で濃厚で劇的なヴォーカル表現をとらないということです。コブシもヴィブラートもなし、エモーションを抑制してさっぱりナチュラルな声の出しかたや歌いまわしをしていて、実を言いますとこの手の表現様式は、わさみんこと岩佐美咲がはじめたものだと言えるので、美咲こそがオリジネイターなんです。

 

そのへんのこと、演歌第七世代という表現がまだこんなに普及していなかった時期に、ぼくなりにまとめて新時代の新傾向歌唱法の特色を、上の記事で箇条書きで整理してありますので、ここであらためてくりかえしておきましょう。


~~~

1)(演歌のステレオタイプたる)おおげさで誇張された劇的な発声をしない

2)だから、泣き節、シナづくりといった旧態依然たるグリグリ演歌歌唱法は廃している

3)フレイジングも、持ってまわったようなわざとらしいタメ、コブシまわし、強く大きいヴィブラートを使わない

4)濃厚な激しい感情表現をしない、エモーションを殺す

5)力まない、揺らさない、ドスを利かせない

6)端的に言って「ヘンな」声を出さない

7)代わりに、ナチュラル&ストレートでスムースな、スーッとあっさりさっぱりした声の出しかたや歌いかたをする

8)発声も歌唱法も、ヴォーカル・スタイル全体がおだやかで、クールに抑制されている

9)それでも演歌歌手らしい強めのハリとノビのある声は維持している

10)このようなヴォーカル・スタイルで、旧来の演歌が表現していた非日常的な演劇性、物語性を除し、ぼくたちのリアルで素直な生活感覚に根ざしたストレート・フィーリングを具現化している
~~~

 

こうしたヴォーカル・スタイルを演歌界で最初にとりはじめた第一人者とも言える存在が、2012年デビューの岩佐美咲であるというのがぼくの考え。26歳ながら今年でデビュー10年目というキャリアの持ち主であるがゆえ、第七世代には入れてもらえない美咲ですが、歌唱スタイルは間違いなくその先駆者です。

 

 

美咲が「無人駅」でデビューした2012年というと、上で名前があげられているいわゆる演歌第七世代の歌手たちはまだだれも出現していなかったわけですけれど、しかしその「無人駅」を聴けば、演歌フィールドにありながらコブシなしヴィブラートなしのさっぱり薄味の新世代歌唱法をすでにしっかり実現し確立しているんですよね。

 

うたびとの記事で取り沙汰されているソーシャル・メディアでの本人による積極的な発信と交流、距離感なども、美咲はいち早くはじめていました。美咲がTwitterをどんどん活用しているからというんで、老年ファンでもアカウントをつくるようになったりしているんですからね。

 

まとめてみれば、キャリアの長さゆえなかなか第七世代とは認めてもらえない美咲ではありますが、若年世代であるということ、新感覚の歌唱法、積極的なソーシャル・メディアの活用など、どの点から見ても美咲こそ演歌の新時代をリードしてきたパイオニアだったと言えるんです。

 

だから、たまには演歌第七世代の先駆けとして評価する内容の記事が出てもいいんじゃないでしょうか。

 

(written 2021.11.25)

2021/11/25

現代ロンドン・ジャズの最先鋭 〜 ヌビヤン・ツイスト

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(4 min read)

 

Nubiyan Twist / Freedom Fables

https://open.spotify.com/album/3HDaoy8TYaaLfKPKSVcsOq?si=GMVcZRKKSuKCaQMktD7SxA&dl_branch=1

 

現代ロンドン・ アフロ・ジャズの最先鋭、ヌビヤン・ツイストの2021年新作『フリーダム・フェイブルズ』は、フィジカルが入荷してもしばらくのあいだサブスクで聴けるようにならず、待たされてちょっとイライラした期間があったというのも事実。

 

それでチェッ!とか思っているあいだに時が過ぎて、Spotifyで聴けるようになってもなんとなくダラダラ時間が経過しちゃっていて、とりあげて書くのがいまごろ(七月)になっちゃいました。やっぱりリリース時にパッとすぐ聴けるようにするっていうタイミングって大事ですよ。

 

ともあれ『フリーダム・フェイブルズ』、1曲目は威勢のいい掛け声ではじまるわりには特にどうってことはなく。カッコよくなるのは2曲目「Tittle Tattle」からです。これは疾走感満点の弾丸のようなアフロ・ジャズで、炸裂するアフロビートに重低音ベースとパワフルなヴォーカルが絡むブロークンビーツを聴かせています。

 

このアルバムは一曲ごとにゲスト・ヴォーカリストを迎えているのも特色で、2曲目でのゲストはCHERISE。知らないひとですが、アルバム中最も多い三曲で参加。続く3曲目「Ma Wonka」はフェラ・クティふうのアフロビート・ナンバーで、トニー・アレンが叩いたら似合いそう。ヌビヤン・ツイストは前作でトニーと共演していますから、その成果が出たということかもしれません。

 

4曲目はソウェト・キンチを迎えたしなやかなグルーヴが印象的なネオ・ソウル・フィールな「Buckle Up」。これもいいですね。ソウェトはサックスも吹きますが、ラップも披露しています。曲のビートにはヒップ・ホップ感覚もありますね。

 

5曲目「Keeper」がアルバム中ぼくのいちばんのお気に入り。なぜならこれはラテン・ミュージック、つまり中南米的なというかスパニッシュ・スケールを用いたナンバーだからですね。その意味ではややチック・コリアふうとも言えます。ヌビヤン・ツイストでチックを持ち出すのはぼくだけ?かもしれませんが、でもこのピアノなんかねえ。かなり(従来的な意味で)ジャジーな一曲です。ここでもヴォーカルはCHERISEだなあ。

 

西アフリカン・ジャズな6曲目を経て、7曲目「Flow」もまたCHERISEのヴォーカルをフィーチャーしたもの。ソウルフルなヴォーカルがしなやかにグルーヴする一曲で、この歌手、声がいいですねえ。はじめて聴きましたが、名前を憶えておきましょう。エゴ・エラ・メイをフィーチャーした8曲目は、注目されているようですが個人的にはイマイチ。

 

それよりアルバム・ラスト9曲目「Wipe Away Tears」の疾走するグルーヴが心地いいですね。なんたってビートがカッコいい。エレキ・ギター・オブリもホーン・アンサンブルもキマっているし、ニック・リチャーズのヴォーカルも最高。これ、アルバム中、5曲目の「Keeper」と並ぶ個人的お気に入りです。

 

(written 2021.7.13)

2021/11/24

宝石の声 〜 キャサリン・プリディ

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(3 min read)

 

Katherine Priddy / The Eternal Rocks Beneath
https://open.spotify.com/album/0HHABaGdHHS7aVI6NV4nG5?si=03gIcVXERfi7Wa3UTlwEGw

 

Astralさんの紹介で知りました。
https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-11-16

 

イングランドはバーミンガム出身のトラッド・フォーク歌手、キャサリン・プリディ。そのデビュー・アルバム『ジ・エターナル・ロックス・ビニース』(2021)は、今年六月にリリースされていたようです。

 

これがほんとうにすばらしい作品なんですよね。トラッド・フォークといってもスタイルがということであって、曲はどれもキャサリンのオリジナル。みずからギターを弾いて歌っているみたいですが、ポップ・フィールドのいわゆるシンガー・ソングライター系とはかなり違う感触があります。

 

曲だってもちろんいいんですが、ぼくがいちばん気に入ったのはなんといってもキャサリンのこの声質と発声です。澄み渡っていて清廉なんですよね。そうかといって、やはりUKトラッドっぽいやや陰なくぐもったフィーリングもあるっていう、この声がステキ。

 

キャサリンの公式サイト(重たい!)で紹介されているところによれば、リチャード・トンプスンは「今年聴いたなかでのベスト」と評しているそうで、このフィールドの音楽をふだんそんなにどんどんは聴かないぼくだって、『ジ・エターナル・ロックス・ビニース』がとてもスペシャルな一作だということはわかります。

 

バック・バンドはプロデューサーが用意したものらしく、シンプルな少人数編成のアクースティックなもの。若干のエレクトロニックな操作はあるようですが、あくまで目立たず、歌手のヴォーカルをきわだたせることに徹しているのが、この世界ではあたりまえとはいえ、好感触ですね。伴奏なしで歌だけでも自立しそうな、そんな存在感のある声で、湖水のように透明なのが気持ちいい。

 

淡々としているようで、しかしときおりドラマティックにもりあがったりもして、それが曲によってはほんとうにたまらない感情をかきたててくれるんですよね。5曲目「ユリディス」なんかがその一例で、とても静かでおだやかにふわっとただよっているのに、後半から強く声を張っていて、そうかと思うとエンディングではふたたび落ち着きます。

 

そのへんの緩急自在なヴォーカル・パフォーマンスもすでにしっかり身につけていて、ヴァラエティ豊かな自作の曲はUKトラッド・フォークの伝統マナーにしっかり沿っていながらも、現代感覚を兼ね備えています。それになんども言うようだけど、この歌手は生まれ持ったこの声ですよ、声のトーンだけで聴き手を惹きつけるチャームを持っているなと思います。

 

公式サイト以外にほぼテキスト情報がなく、そこにもくわしいバイオとか載せられていないのでどんな人物かわかりませんが、スコットランドとイングランドという違いはあれど、この世界では2018年のアイオナ・ファイフ以来の宝石じゃないでしょうか。

 

(written 2021.11.23)

2021/11/23

ビートルズのブルーズ 10

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(4 min read)

 

The Beatles / Blues 10
https://open.spotify.com/playlist/1wT60hxRcaaOE0ALHtFwUB?si=8e5f0b7f9a854979

 

同世代のローリング・ストーンズや、1960年代後半から活躍したUKロック・バンドなどと違い、ビートルズにブルーズ・バンドのイメージはないでしょう。アイドル・ポップに分類されることすらあった四人ですからね。

 

しかし1962〜69年のレコーディング・キャリアをじっくりたどると、ビートルズにもけっこうブルーズ・ナンバーがあるというのはたしかなこと。それをピック・アップして、さらに10曲にしぼって、プレイリストにしてみたのが、いちばん上のSpotifyリンクです。

 

かっちりした定型12小節3コードのブルーズ・ナンバーだけでなく、それのヴァリエイションみたいなものもある程度ふくめました。ブルーズって実はフォーマットじゃなくてフィーリングのことだろうとぼくは考えていますから。

 

初期はカヴァーも多かったビートルズですが、それはきょうのプレイリストから外して、オリジナル・ナンバーだけに限定しました。それで、最初の案では20曲近いセレクションになっていたんですが、ちょっとまとまりに欠けるしブルーズ定型からあまりに外れすぎるものがあると判断して、すっきり10曲だけということに。

 

ビートルズのブルーズはあまりブルーズっぽくないというか、いや、ブルーズ「らしさ」というのもよくわからないイメージですが、ブルージーだったりファンキーだったりする感触がないものも多いですよね。そこはいかにもこのバンドらしいところです。もちろん例外はあり。

 

例外とはまずなんたってデビュー・シングルの「ラヴ・ミー・ドゥー」がブルージーなブルーズですし、『レット・イット・ビー』に収録されている「フォー・ユー・ブルー」もけっこうくっさ〜いかんじです。後者はあえてそこを狙ったような意図があったんだなと聴けばわかります。

 

さらに『ホワイト・アルバム』の「ヤー・ブルーズ」がまさに完璧なブルーズ・ロック・ナンバーですが、これはパロディ。1968年の録音ということで、ちょうどイギリスにおけるブルーズ・ブームの真っ只中。UKブルーズ・ロック・バンドもどんどん出てきていた時期で、そんな流行をジョン・レノン流に皮肉った一曲なんです。テンポやリズム・パターンが曲のなかでなんどか変化するのもこの時期のジョンらしいところ。

 

ポール・マッカートニーの歌うブルーズでいえば、ぼくがいつも感心するのはシングル曲「アイム・ダウン」。ちょうどこのころ(1965年発売)ポールはリトル・リチャード・ナンバーをいくつかカヴァーしていましたし、だからそんなスタイルで一曲自分でも書いてみようとしたっていうのがよく出ているオリジナル・ブルーズです。曲調もヴォーカルもまさに爆発的で、大好き。

 

さらに『ホワイト・アルバム』に収録されている「ワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・オン・ザ・ロード?」。シンプルでロウな定型ブルーズで、歌詞なんか「道でやろうじゃないか」とただひたすら反復するだけ。でもぼくはこの曲がかなり好きなんですね。こういうのこそまさにブルーズらしさで、シンプルさ、生の感情をぶつけるフィーリング、そして露骨なセックスへの言及という面でもブルーズ・ミュージックの特色をよくとらえたものだなと思います。

 

(written 2021.7.4)

2021/11/22

ハード・バップからヒップ・ホップまでひとまたぎ 〜 マカヤ・マクレイヴン

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(4 min read)

 

Makaya McCraven / Deciphering the Message
https://open.spotify.com/album/3yrDdyKK5WdYFAHUNmradZ?si=ElrclIBFQEq4DZFjvHD4yQ

 

新世代ジャズ・ドラマーにしてプロデューサー、DJのマカヤ・マクレイヴン。ビート・サイエンティストと呼ばれるマカヤの最新作はブルー・ノート移籍第一作。『ディサイファリング・ザ・メッセージ』(2021)。

 

このアルバム題と、同レーベル1950〜60年代のアルバムに多かったアルファベットを大きくあしらったタイポグラフィ・デザインでジャケットを飾ってあることは、マカヤのこの新作の内容を端的に描写しているものです。

 

このアルバムは、マカヤがブルー・ノートの過去音源を使い、それを大胆にリミックスしているものだからですね。ベースになっているのはハンク・モブリー、ケニー・ドーハム、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ、ホレス・シルヴァー、クリフォード・ブラウン、デクスター・ゴードン、ケニー・バレルら、錚々たるハード・バップ名作の数々。

 

そのへん、参考までにと思い、マカヤが使っている全13曲のオリジナル・ソースをプレイリストにしておきましたので、聴き比べてみてください。いちおうブルー・ノート公式がアルバム発売時に同様のプレイリストを公開したんですけれども、一部あれっ?と思うところがあったので。
https://open.spotify.com/playlist/76wA5kL4E7bRBVNek3esHC?si=0f6e44b8d3bc4d9e

 

これとマカヤのリミックスを比較してみると、オリジナル音源に大いなるリスペクトを払い尊重し原型をかなり残しつつも、ビート・ループなども多用しながらつくりかえているのがわかります。しかも今回マカヤは生演奏バンドを起用して、あらたに演奏しなおしてもいるんですよね。

 

そのメンバーは、ジョエル・ロス(ヴァイブラフォン)、マーキス・ヒル(トランペット)、グレッグ・ウォード(アルト・サックス)、デショーン・ジョーンズ(テナー・サックス&フルート)、マズ・ゴールド(ギター)、ジェフ・パーカー(ギター)、ユニウス・ポール(べース)。

 

新感覚を表現できるこうした若手ミュージシャンたちを使いながら、マカヤみずからのビート・センスでもって、ハード・バップ・クラシックスの数々が生まれ変わっているのを体験することができますよね。重要なのはオリジナルではなく既存のハード・バップ・ナンバーを用いたということです。

 

このことにより、新世代の若いジャズ・ファンたちにハンク・モブリーとかデクスター・ゴードンとかホレス・シルヴァーとかアート・ブレイキーとかをみごとに紹介する機会になっているし、長年ジャズを聴いてきた中高年世代にはジェフ・パーカーとかグレッグ・ウォードみたいな21世紀の若手演奏家へのイントロダクションになっているのが大きなメリット。

 

ハード・バップ系のオールド・スクールなジャズ・サウンドを、新世代のヒップ・ホップ、コンテンポラリーR&B、ラウンジ系のビート感と合体させる試みは以前からあって、Us3やグールー、そしてマッドリブなどがやってきましたが、今回のマカヤのこの新作もそんな流れのなかにあるものだと言えるでしょうね。

 

(written 2021.11.21)

2021/11/21

トラック・メイクとビート感がいい、イロム・ヴィンス『Amewunga』

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(2 min read)

 

Elom 20ce / Amewuga
https://open.spotify.com/album/5H5V4CQ450rX6mdGgRk4o3?si=QuxAXoGcRni410xI1l049w&dl_branch=1

 

bunboniさんのブログで知りました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-13

 

いいジャケットですよね。それだけで聴きたくなる、トーゴ人ラッパー、イロム・ヴィンス(Elom 20ce)の新作アルバム『Amewuga』(2020)、なかなか聴ける内容です。前から言っていますように、ラップそのものはイマイチ好みじゃないぼくなんですが、バックのトラック・メイクやビート感は大好きなんです。

 

そう、この『Amewunga』でもイロムのラップはさほど聴いていなくて、もっぱら伴奏というかトラックを聴いているんです。すると、これ、たいへん心地いいですよね。アフリカ由来のサウンド、アフリカニズムがしっかりと刻印されたこのトラック・メイクが大の好みです。

 

曲ごとに工夫が凝らされているのも好感度大。親指ピアノをサンプリングして散りばめながら効果的に使ったり、コラとバラフォンを後景に置いて子どもと会話したり、フリーキーなサックス・ソロをフィーチャーしたりなどなど、随所に精巧なつくりが聴かれます。演説が挿入されているものもあり。

 

全体的にやや重たいムードが支配しているこのアルバム、しかしハイライトといえる13曲目「Agbe Fabi」でだけはパッと明るい陽光が差し込むかのよう。ビート感もヒップ・ホップ的ではなく、管楽器隊もフィーチャーされたこれは、トーゴリーズ・ファンクの往年の名シンガー、ロジャー・ダマウザンをフィーチャーしたダンス・バンド・ハイライフ。最高です。

 

(written 2021.7.24)

2021/11/20

ボビー・ティモンズ『ディス・ヒア・イズ』をちょこっと

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(4 min read)

 

Bobby Timmons / This Here Is Bobby Timmons

https://open.spotify.com/album/2kWl3HOLorETEmR8GBWrHX?si=NMwXT5zpSAe4DuR0Gth7xw&dl_branch=1

 

ビル・エヴァンズとかもいいんだけど、モダン・ジャズでぼくが好きなピアニストといえば、ウィントン・ケリー、ホレス・シルヴァー、ホレス・パーラン、そしてこのボビー・ティモンズといったあたり。ゴスペル・ルーツでぐいぐいアーシー&ファンキーにノリまくるブルーズを弾ける黒人ピアニストたち。

 

要するに洗練されていながらものクッサ〜イ路線が好きというわけなんですが、きょうもそんななかからまた一つ、ボビー・ティモンズ『ディス・ヒア・イズ・ボビー・ティモンズ』(1960)のことを軽く書いておきましょう。サム・ジョーンズ、ジミー・コブとのトリオ編成です。

 

ボビーのオリジナル曲が四つ、スタンダードや有名曲が五曲という構成で、やっぱり聴きものはオリジナル・ナンバーでみせるゴスペル・ルーツのアーシーな味わい。アルバム・ラストの「ジョイ・ライド」もボビーの曲ですが、これだけはなんでもないハード・バップ・ナンバー。

 

だからそれ以外の三曲、「ディス・ヒア」「モーニン」「ダット・デア」ですね。も〜う、ファンキー!これらのうち、おなじみ「モーニン」はこの二年前にみずから属するアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのために提供したもので、ホーンズ入りで演奏されるジャズ・メッセンジャーズのヴァージョンですっかりなじんでいますから、ピアノ・トリオで聴くとなんだか妙な気分です。

 

それにジャズ・メッセンジャーズ・ヴァージョンにおけるボビー自身のピアノ・ソロだけ抜き出したのと同じような内容なので、これは、なんというか、Spotify再生回数が多いですけど、実はどうってことないような気がするんですよね。

 

やっぱりアナログLP時代にそれぞれ両面のトップを飾っていたアーシー・ナンバー二曲「ディス・ヒア」と「ダット・デア」が最高。曲題も呼応しています。これら二曲はまったく同じ路線。黒人教会ゴスペルの感覚を下敷きにしたアーシー&ファンキーなもので、21世紀ともなればもはやちょっとどうか…というのは、好きなぼくでもやや同感。

 

敬遠したい気分のときもありますが、それでもこうしてたま〜に、聴いたら聴いたで、やっぱりノレる、気分がアガるというのはたしかなことなので。ソロ後半でがんがんブロック・コードを叩きこれでもかとあおるボビーのファンキー・フィーリングは、1940年代のジャンプ・ミュージック以来のジャズの伝統の一つなんですよね。

 

個人的には「ディス・ヒア」よりも「ダット・デア」のほうが好みです。

 

それから、このアルバムで案外いいなと思えるのは、伴奏なしのソロ・ピアノで弾く(パートもある)リリカル・バラードです。泥くさ〜いファンキー路線ばかりでなく、たとえば3曲目「ラッシュ・ライフ」(ビリー・ストレイホーン)や5「プレリュード・トゥ・ア・キス」(デューク・エリントン)、それから7「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」(リチャード・ロジャーズ)など、両手をバランスよくダイナミックに使いながらリリカルに美しく弾くあたり、ボビー・ティモンズというピアニストの実力の幅を垣間みる思いです。

 

(written 2021.7.3)

2021/11/19

ストーリーテラーとして深みを増したロッド・スチュワート

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(5 min read)

 

Rod Stewart / The Tears of Hercules
https://open.spotify.com/album/2sjLgnR7JeVPRayrFoYjHs?si=5yQz2FpvTCai0BRulEvecg

 

ベテラン、ロッド・スチュワートの新作が出ました。『ザ・ティアーズ・オヴ・ハーキュリーズ』(2021)。2000年に甲状腺ガンで喉の手術をして以後はたしかに声があまり出なくなって、それがなくたって加齢による衰え(76歳)と、ロックは成熟しない若者の音楽だという一種の固定観念がリスナーにあるせいか、最近では「ロッドはもう終わった」という声すら耳にします。

 

おいおい、存命で新作をリリースし続けている現役歌手をそんなカンタンに「終わった」ことにしないでくれよ、とちょっとフンガイしたりすることもあるぼくですが、今回のロッドの新作『ザ・ティアーズ・オヴ・ハーキュリーズ』は、やっぱりちょっとイマイチかな?と思ってしまう部分と、これはいい、沁みる!と感動した部分と、大きく二つに分かれると思いました。

 

実際、アルバムは前ノリのベタ打ちキック・ドラムによるビートの効いたアッパーな前半部と、オーガニックでしっとりアクースティックなバラード系の並ぶ後半部で二分割されている印象があって、ぼくが感心したのはもちろん後半部です。8曲目以後の五曲。

 

だから最初聴いたとき、EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)っぽい雰囲気すらただよう前半は、う〜ん、あ、いや、ロッドもがんばっているんだよなあと、なんとなく流していました。マーク・ボランに捧げたブギ・ナンバーや、もろフェイシズっぽいロックンロールもあって、だからディスコ〜EDM系がそのへんから連続しているんだと理解できたりして、その点ではおもしろくもありました。

 

古参のファンやクリティックからはおそらく否定的な声しか聞こえないであろうそんな前半部が終わり、俄然グッと引き込まれ心を打たれたのは、8曲目のアルバム・タイトル・チューン「ヘラクレスの涙」から。この曲はピアノ+ストリングスだけの落ち着いた伴奏に乗って、切ない心境をロッドが淡々とつづる内容なんですね。

 

このサウンド、ヴォーカルのおだやかさなど、およそ従来的なロック・ミュージック(のイコンでもあったわけですが、ロッドは)の姿からは遠いです。しかし考えてみれば、ロッドはソロ・キャリアの初期からUKトラッドの要素も濃く混じり込んだアクースティック・サウンドを体現していたじゃないですか。

 

たしかにずんずん来るエレキ・サウンドに乗せてハード・シャウトするようなパワーは失われたのかもしれませんが、ロッドはもともとそうじゃない面だって大きかった歌手。それを近年は大きく前景に打ち出して、しっとりサウンドで聴かせる大人の歌手へと成熟したのだと言えます。それを衰えと解釈するひともいるんでしょう。

 

「ヘラクレスの涙」に続く9曲目「ホールド・オン」。こ〜れが、ほんとうに、いいです。沁みる内容なんですよね。個人的にはアルバムのクライマックス。偏見、憎悪、差別、分断でいろどられる、いわば<トランプ以後>とも言える世のなかのありようを歌い、それに対して「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」とサム・クックの名前まで出して引用しながら、静かに、しかし熱く、祈るロッドの歌は、心を打つ真摯さに満ちています。伴奏はフル・アクースティック・サウンド。

 

三連ノリのオリジナル・ドゥー・ワップ・ナンバーである10曲目「プレシャス・メモリーズ」を経て、11曲目「ジーズ・アー・マイ・ピープル」はジョニー・キャッシュのカヴァー。がらりと姿を変え、ここでのロッドはスコットランドふうのバグ・パイプ集団をフィーチャーしながらトラッド色満載で塗りなおしているのが耳を惹きます。そこからドラマティックにロック・サウンドに展開するのがいかにもこの世代のUKロック歌手らしさですよね。

 

ラスト12曲目の「タッチライン」は、ロッドのおなじみサッカー愛を語った歌。ここでもアクースティック・ギターのみというきわめて静かで淡々としたおだやかなサウンドで、父から自分、そして子へという継承をしっとりと歌い込むロッド。老境に達したからこそ表現しうる歌がここにあると思います。

 

(written 2021.11.17)

2021/11/18

ソウルフルなサックスが印象的 〜 ネイト・スミス『キンフォーク2』

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(3 min read)

 

Nate Smith / Kinfolk 2: See The Birds
https://open.spotify.com/album/6zAtsNWsJZb7yutJ6u6Cjb?si=Ji3mhQ0xSyqCcKUfeR3K4A

 

ジャズ・ドラマー、ネイト・スミスの最新作『キンフォーク2:シー・ザ・バーズ』(2021)。9月17日リリースでしたが、もたもたしているうちにもういろんなレヴューも出揃って、愛読しているAstralブログもbunboniブログもとりあげたんで、ぼくは書かなくていいなと思い、愛聴すれど放ったらかしでした。

 

でもちょっと気を取りなおし、やっぱり個人的な感想だけ短め&簡単にメモしておこうという気になりました。ちゃんとした文章を読みたいというかたはぜひ以下をどうぞ↓
(Astralさん)https://astral-clave.blog.ss-blog.jp/2021-09-21
(bunboniさん)https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-10-31

 

個人的に強く印象に残ったのはバンドのサックス奏者、ジャリール・ショウ(Jaleel Shaw)です。初耳でしたが、パッショネイトで最高ですね。コカイがラップする2曲目の変拍子ファンク「スクエア・ウィール」後半でのもりあがりかたなんて、もう言うことなしのすばらしさ。

 

背後でのネイトのドラミングも手数が多くて、爆発的で、それもたまらなく大好き。アルバム中そういうのが数曲ありますが、実に細かく熱く叩き刻みながら、まさにコンテンポラリー・ジャズの新感覚ビートを体現しているなと思えて、快感です。いっぽうノリの深いドラミングを聴かせる曲もあります。

 

それで、2「スクエア・ウィール」の終わりから次の3曲目「バンド・ルーム・フリースタイル」の導入部へと一続きになっていますが、その部分のサックスを中心とするバンドの決め、ほんとうに気持ちいい。しかも、このアルバムで次に好きな8曲目「ランボー:ザ・ヴィジランティ」(ヴァーノン・リードをフィーチャー)の予告になっていますよね。同じ決めのパターンを使っていますから。

 

この8曲目もネイトの超速ドラミングが味わえます。そして、ヴァーノン・リードのギターもさることながら、ぼくはやはりジャリールのソウルフルなサックス・プレイに心地よさをおぼえています。フレーズを饒舌に吹きまくる部分もありながら、同時にビートの上に大きくゆったりも乗っていますよね。

 

ジャリールのソウルフルなサックスは、アルバム・ラスト、ブリタニー・ハワードが歌う「フライ(フォー・マイク)」でも味わえます。ゴスペルもほのかに香るブルージーなR&Bナンバーですが、テイスティーなブリタニーのヴォーカルに続きギター・ソロが出て、次いでジャリールのほんとうに短いサックス・ソロ。短すぎるんでソロとも言えないくらいですが、ソウルフルで味わい深いです。

 

~~~
Nate Smith / drums, keyboards, percussion
Brad Allen Williams / guitar
Fima Ephron / bass
Jaleel Shaw /saxophone
Jon Cowherd / piano, Rhodes, Hammond B-3 organ

Featuring:
Amma Whatt / vocals on “I Burn For You”
Brittany Howard / vocals on “Fly (for Mike)”
Joel Ross / vibraphone on “Altitude” and “See The Birds”
Kokayi / vocals on “Square Wheel” and “Band Room Freestyle”
Michael Mayo / vocals on “Square Wheel”, “Altitude” and “See The Birds”
Regina Carter / violin on “Collision”
Stokley / vocals on “Don’t Let Me Get Away”
Vernon Reid / guitar on “Rambo: The Vigilante”
~~~

 

(written 2021.11.14)

2021/11/17

『リスペクト』もまたBLM映画だった

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(5 min read)

 

https://open.spotify.com/album/1EzytFSc1iJY6DjHR6fUMm?si=69L6ZvPrRQaKqByoB2MOFQ
(リンクはサウンドトラック・アルバム)

 

アリーサ・フランクリンを描いた映画『リスペクト』を観てきましたので、手短に感想を記しておきます。それにしても二時間半はちょっと長大だったかも。しかも松山の映画館では、きのうぼくが観た回、たったの三人しか客がいませんでした。

 

『リスペクト』というタイトルからして、そして2018年に亡くなったアリーサの歌手人生がどんなふうだったかを知っていると、黒人で、しかも女性である自分のことを尊重してほしいという、一種のBLM的な映画なのかも?と想像していました。

 

はたしてその予想はぴったり当たりましたね。『リスペクト』、父C. L. フランクリン師に導かれていっしょにゴスペル・サーキットをまわり歌っていた幼少時代から、1960年代のコロンビア時代、67年アトランティックでのブレイク、そして72年のゴスペル・アルバム『アメイジング・グレイス』までをとりあつかっていますが、一貫して流れていたのは、あの時代黒人がどう尊厳を保って生きたか?というテーマです。

 

そういえば以前1969年ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルのドキュメンタリー『サマー・オブ・ソウル』も観ましたが、今年に入りこうした1960年代末ごろ前後の黒人音楽や黒人歌手をとりあげるブラック・ミュージック・ムーヴィーが続いているのも、昨年来のBLM運動の持続を反映してのことじゃないかと、ぼくは踏んでいるんです。

 

あの時代、つまり公民権運動が熱気だったあのころに生きたブラック・シンガーたちがどのように社会や人種差別(や女性差別)と向き合い、真摯に生きたか、ということは、2020年代の現代にまで連綿と連なっている、まさに<リスペクト>の問題なんだろうと思います。

 

ブルーズやゴスペルに強く立脚したあのころのブラック・ミュージックと、ヒップ・ホップ以後の現代ブラック・ミュージックは違うのだ、という意見もありますが、ぼくはそう思っていなくて、連続しているんじゃないかと感じています。それは『サマー・オブ・ソウル』を観たときにも感じましたが、『リスペクト』でも実感したことです。

 

アリーサ・フランクリンという一人の人間の真摯で気高い生きかたが胸を打つということはもちろんありますが、それ以上にあの時代、社会、人種問題、性差別問題など、2020年代の現在とあまりにも似通った共通のテーマがあの時代から流れていたということに気づくからです。

 

事実関係の検証や細かなことはすでにレヴューや記事、感想文がネットでもたくさん読めますので、気になったかたは検索してみてください。しかしぼくがこの映画『リスペクト』日本語字幕版を観て強くいだいた違和感のことは記しておかねばなりません。

 

字幕版だから音声は英語オリジナルのままが聴こえるのですが、劇中アリーサは幼少時代から終盤の72年まで、家族から愛称の「リー」で呼ばれていました。Arethaはアリーサだから愛称がリーになるわけです。そんな部分では字幕も「リー」と出ていました。

 

ところがレコード会社、スタジオやコンサートのスタッフなどから「Aretha」と呼びかけられるとき、字幕はやはり「アレサ」になっていたんですよね。次の瞬間父CLが出てきて「リー」と呼んだりしたので、字幕で追っている観客は整合性がとれず、音声とも食い違い、混乱するはず。

 

実際、「アリーサ」と呼ばれている場面でどうして字幕が「アレサ」なの?じゃあどうして愛称が「リー」になるの?と、理解できず、はてなマークが頭に浮かぶ観客が大勢いるんだという話を読んだことがあります。当然ですよねえ。

 

日本人は英語が苦手だとかなんとかいう問題じゃないです。これは歌手にかかわること、つまり音楽のことで、すなわち「音」をどう発するか、どう聴こえるか、という重大な問題です。音は聴けばわかります。アリーサとアレサでは違いすぎ。

 

日本語版映画字幕とかは日本のレコード会社方面やマスコミにも配慮しないといけないのでしょう、だからぼくら長年の日本人アリーサ・ファンは「アレサ」と字幕が出てしまう理由がわかりますし、あきれて苦笑するだけ。でもそうじゃない若い映画ファン、『リスペクト』ではじめてこの歌手を知ったひとたちなんかは、さっぱりワケがわからなかったそうですよ。

 

(written 2021.11.16)

2021/11/16

ぼくも生活保護をもらっていた

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(13 min read)

 

このまえ、生活保護の制度を知らなかったことにより(経済的に極度に困窮した)親子間の殺人事件が起きました。これは極端にしても、生活保護についての無知、無理解、偏見、差別によって、この福祉制度の利用を強くためらったあげくひどい貧困に悩み追い込まれる例ならほんとうにたくさんあります。

 

そんなニュースに接するたびに心が痛み、たいへんつらいので、生活保護の制度はだれでも申請できて、後ろめたいものなんかじゃない、国民が行使できる正当な制度、権利であるということを、自分の体験を書き記すことにより、再確認したいと思います。

 

そう、つまりこのぼくも生活保護をもらっていた時期があります。はじめて言うんですけれど、えっ?と感じるかたも大勢いらっしゃるかもしれません。恥ずかしいことで、隠さなくちゃいけない事実だ、それをおおっぴらに言うんなんて…と。

 

実際、受給当時、親や兄弟からは「絶対にひとに言うな」と強く止められていましたけど、おかしいですよねえ。正当な権利を行使しているだけなのに。公的社会福祉の考えが日本には根付いていないのだと思います。

 

ぼくが生活保護をもらっていたのは2012年初春から2017年初秋までの約六年半以上。東京で勤めていた大学をクビになり二年が経った2011年3月末で故郷の松山に戻ってきたところまでは以前お話しました。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/10/post-be8c33.html

 

松山の実家で暮らしながら、やっぱり働かなくちゃということで職を探したんですけれど、学校の英語教師しかやったことのないぼくの就ける仕事が見つかったのは二ヶ月後の大州でのこと。大州(おおず)とは松山からJRの特急で30分程度の町です。

 

それで六月頭に大洲に引っ越して、そこでまた一人暮らしをしながら中高一貫校の英語教師として仕事をはじめたんですけど、これも長続きしなくてですね。いきさつは省略しますが、半年だけ勤めた2011年11月いっぱいでやはりクビに。とことん仕事には向いていない人間だと思い知りました。

 

さて、ここから2021年現在まで無職生活が続いているわけですが、なんとかしないといけない、食べていかないと、というわけで、調べて、生活保護という制度があることを知りましたので、これをためらわずさっそく大洲市役所に申請することにしました。

 

この段階で、世間の多くのみなさんが躊躇したり迷ったりするというのがなぜなのか、困窮しても申請しない例が多いというニュースを見ますが、どうしてなのか?正直言って理解不可能です。

 

ぼくが生活保護を申請しようと思った2011年12月というと、ちょうど民主党(当時)政権だったのもラッキーに作用したかなという気がいまではします。全国ネットの地上波テレビ番組なんかでもこういう制度があるんだよというのを肯定的にとりあげたりするものがありましたから。

 

自民公明政権に戻って以後は、ご存知のとおり生活保護制度や受給者に対する風当たりはとても強くなり、世間一般の勤労者のみなさんが受給者を白い目で見たりするばかりでなく、そもそも行政側だってなるべく支給しないように支給しないようにと腐心しているフシすら見受けられますからね。支給額だってちょっぴり減らされました。

 

世のなかには自分でしっかり働くことができず、ほんとうに生活に困り果てている人間がかなり大勢いて、各々それぞれ理由、事情があります。それを政治が救わなかったらどうすんだ?と、強い憤りを感じたりしますが、ともあれ生活保護制度が自公政権下でも消滅したわけじゃありません。どんどん申請してほしいなと思います。政府や地方自治体にはもっと制度の周知に努めてほしいです。

 

これはあれです、働かずに100%税金で食べていくということに後ろめたさを感じないのか?みたいな批判の声を耳にしたりもしますけれど、じゃあ、あなた、病院やクリニックや処方箋薬局で三割しか支払っていないでしょうと。七割は税金でまかなっているじゃないですかと。

 

だから、そんな自己責任論みたいなことをふりかざすのであれば、健康保険も解約して、医療費を全額自費負担したらどうですか?それはイヤなんでしょ。公的健康保険制度を使うことにはだれひとりとして疑問を感じていないはず。老齢年金だってそうでしょう。

 

生活保護制度は、健康保険や年金と同じ、マトモな福祉制度の一つであるにすぎず、だから利用者がためらったり、みんなから白眼視されたりするものじゃないです。自分にお金がたっぷりあって、医療費全額自己負担でも年金なしでも困らないというひとは、それでいいじゃないですか。大多数のみんなはそれらの制度がないとやっていけないんで、困ったときの生活保護もその一環です。

 

そういうふうに社会福祉制度についてずっと考えてきた人間なので、2011年11月末で完全に職を失い、働いて収入を得ることはぼくにはムリだと観念した時点で、生活保護をためらわずに申請したという次第です。ひとりで。

 

大洲市役所に連絡して生活保護を申請したいと言うと、預金通帳と財布などを持ってまず窓口に来てほしいということで、行きました。しかし働いていた時分の預金がまだ少額残っていました。全財産が四万円程度になったらもう一回連絡し来てほしいということになり、時間の問題だったので翌2012年の二月に出直しました。持ち金ゼロになったらヤバいんで若干早めに相談したんですけどね。

 

それで申請がまずまずすんなり通ったわけですが、ほかに口座はないか、クレジット・カードは持っていないか、生命保険に入っていないか、クルマを持っていないか、貴金属類は、などなど、根掘り葉掘りほじくりかえされたのはちょっと不愉快でした。でも生活や財産状況を洗いざらい調べないと申請じたいができないということだったので。扶養照会もちょっとイヤでした。

 

支給が決まってお金をもらったのは申請が受理されてから数週間が経過してからです。ここはもうちょっと迅速に進めてほしかったという思いが当時はありました。だって、残金がきわめて乏しくなってからじゃないと申請できないのに(大洲市だけ?)受給決定までに時間がかかるようだと、お役所仕事だからやむをえないとはいえ、そのあいだどうやって食べていくんですかね?餓死してからでは遅いんですけど。

 

当時の大洲市の生活保護費は、単身者で一ヶ月八万八千円(大都市部だともっと高額のはず)。これに冬季は暖房費が加算されていましたが、それだけの金額で家賃も光熱費も食費も、要するになにもかもぜんぶまかなわなくてはなりません。医療費だけは、生活保護受給者のばあい市役所が全額支払い自己負担はゼロになるので(健康保険証はとりあげられる)助かりました。

 

一ヶ月八万八千円、それで生きていかなくちゃならないのはちょっとしんどいなと思ったか思わなかったか、自分のことですらあまり真剣に考え込まない性分ですから、なんとかなるさくらいの軽い気持ちでいて、実際、なんとかなりました。かなり切り詰めないとでしたけど、それでも(サブスク普及前だったので)エル・スールやアマゾンでCDとか買っていましたからどうやってやりくりしていたのか、ちょっと不思議ですよねえ。

 

そうこうするうち、2014年の夏に父が亡くなり、九月に遺産を手にすることになったのです。けっこう大きな額を父は遺していて、法定相続に則って配偶者である母が五割、残り五割をぼくら子三人が三分割で相続しました。

 

しかしこのとき、ぼく名義の銀行口座にその決定額が振り込まれはしたものの、ぼくは生活保護受給中の身であるということで、自由に使うことを許されませんでした。これは悔しかった。市役所がそうしたのではなく、母と弟がそれを決めたのです。必要なときは言えばその額を送るからガマンしろと。

 

しかし大きな額がぼく名義で存在しているという事実は変わりありませんので、ぼくはちょこちょこ連絡しては毎回一定額を振り込んでもらっていたのです。それがあまりにも連続するというので、管理人であった上の弟もとうとうイヤになり、もう通帳とカードと印鑑を渡すから自由にしろや、となったのが2018年晩夏のことです。

 

そしてその前2017年の初秋にぼくは市役所に連絡して生活保護をやめています。理由はただ一つ、母と弟たちからの強いリクエストがあったこと。一つには、2014年9月以来ぼくが毎月のようにちょこちょこ父の遺産相続分から振り込んでもらっているのは生活保護制度に違反しているわけで違法行為ですから、もし市役所にバレたらやばいとヒヤヒヤして夜も寝られないと言われました。

 

一族から犯罪者が出ると町で生きていけないのである、みたいなことを言われましたが、要するにそれは「世間体」ということでしょう。アホらしいことだなと心底思います。もしぼくが犯罪者となれば自分一人が責任を取ればいいのであって、親や兄弟は関係ないだろうと。

 

しかしシブシブこの「世間体」理論に従うことにしたのです。+世間体みたいなことは、上の弟から、身内に生活保護受給者がいると子どもが結婚する際の障害になるかもしれないということまで言われました。ぼくはこの手の発想がまったく理解できない人間なんですけど、だけど、ほんとうに甥や姪が困ったりするのならつらいかもなと感じたのは事実です。

 

そんなわけで生活保護をもらうのをやめ、その後は相続した父の遺産から毎月10万円を振り込んでいくというやりかたにしようと2017年秋になったわけですが、上で書きましたように2018年晩夏にとうとうシビレを切らした管理人の上の弟が遺産全額をぼくの自由にさせると決め、その後しばらくはそれで気ままに生活していました。

 

それも使い切ってから現在までのことは、生活保護の話となんの関係もありませんので、きょうはやめておきます。とにかく、当時住んでいた大洲市から毎月八万八千円の生活保護費をもらって生きていた時期(2012〜17)、ぼく自身はそんな不自由に感じることなく、世間からの強い風当たりにも直面もせず、ノンキにのんびり生きていました。毎月たったの九万円弱で貧乏でしたけれども、さほど(精神的には)困らなかった。自由でした。

 

大州での居所の家賃がいくらだったか?など、詳細は省略してあります。ともあれ、仕事ができなくなったとか、あるいは働いていても収入がごくわずかであったりなど、生活に困窮すればだれでも自由に申請できる生活保護の制度、どうか世間の目を気にすることなく(気にしないのはぼくが特殊?)利用してほしいなと思います。

 

日本国憲法で保障された正当な権利なんですから。後ろめたいことなんてぜんぜんありません。堂々としていればいいです。それこそ医者や薬局で七割は税金が払うのに抵抗がないのと同じくらい堂々と。七年近く受給者だったぼくはそう思います。

 

(written 2021.11.6)

2021/11/15

新作ブルーズ三題(3)〜 ベン・レヴィンのピアノ・ブルーズ

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(4 min read)

 

Ben Levin / Still Here
https://open.spotify.com/album/1N97uPCrk9tdP5tQD730pN?si=KJazz2w7SGafFaXOvfydng

 

キャリア七年目、米オハイオ州シンシナティを本拠とするブルーズ・ピアニスト、ベン・レヴィン。四作目のアルバム『スティル・ヒア』(2021)も、いままでどおり完璧に1950年代ふうのピアノ・ブルーズそのまんまなヴィンテージ・ミュージック。

 

ベンは22歳なんですけど、マニアックな音楽を愛好するギターリストの父親からの影響もあり、幼少時からプロフェッサー・ロングヘアとかパイントップ・パーキンスとかオーティス・スパンとかレイ・チャールズとか、そのへんのブルーズ・ピアノ・ミュージックで育ったらしいんです。

 

最初のきっかけとしては、例のレイ・チャールズを描いた伝記映画『レイ』(2004)を父親が観ているのをいっしょに観たのが六歳のときで、この映画にいたく感動したベン。さっそく地元シンシナティのブルーズ/ブギウギ・ピアノの名手、リッキー・ナイのもとで修行をはじめたそうですよ。15歳のころにはフル・タイムでクラブ・ギグをこなすようになったんだとか。

 

21世紀にもいろんな若者がいるなあと思いますが、最新アルバム『スティル・ヒア』でも、いまだにこういう音楽をやっているよっていうヴィンテージ・スタイルまっしぐら。しかもジャケットを見てください、なんと堂々と「モノフォニック」宣言までしちゃっているという、そのうえ開襟シャツ姿でっていう、なんだかレトロ愛もきわまっていますよねえ。

 

聴けばだれでもわかるタイムレスなブルーズ、ブギ・ウギ、ニュー・オーリンズ・リズム&ブルーズの世界が展開されていますが、ぼくの聴くところベンの音楽にはどうもプロフェッサー・ロングヘアの影響もかなり濃いというのが最大の聴きどころのような気がします。

 

自作の曲づくりからしてそうだし、ピアノも随所でフェスふうにころころ跳ねているし、カリブ〜ラテンな香味も強くただよっていたフェスのああいっった音楽がしっかりベンのスタイルには継承されているように思えます。+レイ・チャールズかな、最大の影響源は。アルバムには一曲だけキューバンというか、はっきり言ってマンボ・ブルーズみたいなのがあるのも明快にベンのルーツを物語っていますね。

 

バンド編成はベンのピアノ&ヴォーカルに、父エアロン(Aron)のギター、+ベース&ドラムスと必要最小限で、サックスすら入っていないという簡素さ加減。父エアロン(アーロン?)のギターも、子のベンが22歳なんだからまだ若いはずだけど、けっこうオールド・ファッションドなギターを弾いています。一曲だけ(8)それをフィーチャーしたインストルメンタルもあります。

 

こういった音楽をいまの時代に22歳がやっているなんて、オジサン臭いよとか、OKだけどそれならそれでまだ未熟で若すぎるとか、いろんなことを言われているだろうなと想像しますが、考えてみればブギ・ウギだってシカゴ・ブルーズ・ピアノだってフェスだって、かつてあの当時は若くて活きのいいピチピチの音楽だったわけですからね。

 

だから、2021年になってもこういった文化を継承して若々しくプレイしている若者がいるのを聴くのは、それはそれで楽しいもんです。ヴィンテージのワインやウィスキーをたったいま開栓したみたいで。

 

(written 2021.11.13)

2021/11/14

新作ブルーズ三題(2)〜 SRVみたいなスー・フォーリー

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(5 min read)

 

Sue Foley / Pinky’s Blues
https://open.spotify.com/album/7g9Y9WfxLZuswzgCy4Pwpq?si=SP8cXypMS2yvMcsFI0HkIg

 

萩原健太さんのブログで知りました。
https://kenta45rpm.com/2021/10/27/pinkys-blues-sue-foley/

 

“ピンキー”ことピンク・ペイズリーのテレキャスターがトレードマークのブルーズ・ミュージシャン、スー・フォーリー。カナダ出身ですが、早い時期に米テキサス州オースティンに拠点を移し活動していた(現在は加ヴァンクーヴァーに戻っている)みたいです。

 

そのデビューは1992年と、もう30年近くも前のことだったんですが、目立たない時期や沈黙があり、ひさびさのソロ・リーダー作『ジ・アイス・クイーン』が2018年に出て、これがメンフィスのブルーズ・ミュージック・アワーズでココ・テイラー賞を、カナダのトロント・メイプル・ブルーズ・アワーズでも最優秀ギター・プレイヤー賞をもらったのが本格復活でした。

 

その勢いのまま今年リリースした新作が『ピンキーズ・ブルーズ』(2021)というわけ。コロナ禍によるロックダウンが明けたころ、仲間と集まってたった三日で完成させたアルバムだそうですよ。しかも編成はスー自身のギター&ヴォーカルに、ベース、ドラムスというシンプルなブルーズ・トリオ(+二曲だけオルガンと、一曲だけリズム・ギター)。

 

まるでクリームかジミ・ヘンドリクスかといった趣きですが、実際アルバムの音楽もまんまそんな感じのストレート・ブルーズ。スティーヴィー・レイ・ヴォーンを想わせる香りも強くただよいます。

 

レイ・ヴォーンを強く想起させるというのは当然で、ずっとテキサスで活動していたのだって意識してのことでしょうし、また今作ではドラムスがクリス・レイトン(SRV&ダブル・トラブル)で、さらに一曲だけとはいえリズム・ギター担当はジミー・ヴォーン(SRVの兄)なんですからね。

 

アルバム1曲目のタイトル・チューンはギター・インスト。ここですでにエリック・クラプトン〜ジミヘン〜レイ・ヴォーン直系とも言えるスーのブルーズ・ギター愛が炸裂しています。ジミヘンの「レッド・ハウス」みたいでもあり、マイク・ブルームフィールドの「アルバーツ・シャッフル」(『スーパー・セッション』)のようでもあり。

 

ブルーズ・ギター・インストといえば、ラストの「オーキー・ドーキー・ストンプ」(ゲイトマウス・ブラウン)もそうですね。シャッフル・ビートに乗って、ここでも決めてみせるスー。決して技巧を見せつける感じではなく、曲と演奏全体のノリを大切にしているなというのが伝わってきて、実にいいですね。

 

これらにサンドイッチされるかたちでスーのヴォーカル&ギター・ナンバーが並んでいますが、このひとの声は、なんというか、やっている音楽にはやや似合わないようなキュートでかわいいロリ系のアイドル・ヴォイスなんで、そこは好みが分かれるところでしょうね。自身がオブリやソロで弾いているギター・サウンドとのギャップを楽しんでいます、ぼくは。

 

それらヴォーカル&ギター・ナンバーの数々も、1960年代後半〜70年代に花開いたギター系ブルーズ・ロックそのまんまで、聴いているとまるでタイム・スリップしたような感覚におそわれます。つまり、どこにも2021年的あたらしさとか、時代への訴求力なんかないんですけど、世のリスナーのなかにはブルーズ好きがまだまだ多いし、それにタイムレスですよね、こういった音楽って。

 

レイ・ヴォーン的なテキサス・ギター・ブルーズで埋め尽くされているなあと思いきや、9曲目の「シンク・イット・オーヴァー」(ジミー・ドンリー)だけは三連のルイジアナ・スワンプふう。ここではオルガンも入り、歌詞もふくめなんだか切ないフィーリングを表現するポップ・サウンドが、これまたなかなかいいです。

 

(written 2021.11.12)

2021/11/13

新作ブルーズ三題(1)〜 ザック・ハーモンのソフト&メロウ・ブルーズ

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(4 min read)

 

Zac Harmon / Long As I Got My Guitar
https://open.spotify.com/album/4E5UXK5oEOwlH9UIghU8B8?si=cO3Ro8OEQhGUJPlxpiT95Q

 

ブルーズ・ギターリスト&歌手のザック・ハーモン。一昨年のアルバム『ミシシッピ・バーベキュー』(2019)が出たときにとりあげて書きましたね。個人的にはこのときはじめてこのミュージシャンのことを知ったのでした。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-86f879.html

 

あれから二年、今2021年10月にザックは新作をリリースしてくれました。『ロング・アズ・アイ・ガット・マイ・ギター』(2021)。これまたなかなかの良作なんで、やっぱりちょこっと書いておくことにしましょうね。

 

こういうアルバム題ではありますが、中身はそんなブルーズ・ギター弾きまくり系でもなく、どっちかというと曲づくりをふくめてのトータル・サウンド志向だなっていうのは前作と変わりません。そのへんもやはり同様にプロデューサーをつとめているジミー・ゲインズの指揮下で案配されているんでしょう。

 

出だし1、2曲目と鉄壁のソウル・ブルーズ・グルーヴで、すっかり聴き手を自分の世界に引き込むザック。特に2曲目などマイナー・ブルーズの感触は、B.B.キングやロバート・クレイを想起させるものがあり、モダン・シカゴ・ブルーズっぽい感じでもあります。

 

アルバムには泣きのルイジアナ・スワンプ系があるのも前作と同じ。まず3曲目「クライング・シェイム」なんか、なんとアコーディオンまで入っていてケイジャンっぽくイナタくて、ほんとうに南部的。ザックはルイジアナじゃなくてミシシッピ州ジャクスンの出身ですけどね。

 

もう一曲のルイジアナ・ソングはアルバム・ラスト「アッシズ・トゥ・ザ・ウィンド」。これも3曲目同様三連のノリが効いていて、まるでファッツ・ドミノをモダン&ブルージーにしたみたいな雰囲気ですよ。ほんとこういうの得意なんでしょう。

 

ザックのばあい、こうしたイナタい三連のルイジアナ・ポップ・ブルーズをやっても、決してクッサ〜い感じにならず、どこまでもジャジーにさっぱり洗練されていて、だれにとっても聴きやすい仕上がりになっているっていう、これは本人の資質なのかプロデューサーの手腕なのかわかりませんが、ぼくなんかは大歓迎。

 

洗練されたジャジーな感じといえば、前作にもまるでフュージョン・ブルーズとでも呼べそうなオシャレなものがありましたが、今作にもあります。4、5曲目がそのパート。ブルーズでありながら泥くさくなく、都会的に小洒落ていて、メロウでさっぱり爽やかだっていう。自身で弾くギターの音色までそれに合わせてチューン・アップされていますから。

 

そういった部分もふくめて、上でも書きましたようにギター弾きまくり一発でトリコにするような、なんというかスティーヴィ・レイ・ヴォーンみたいなのではなく(といってもプロデューサーのジミー・ゲインズはレイ・ヴォーンも手がけましたが)、濃ゆいブルーズ・フィールをソフトに中和して、さっぱり味のトータル・サウンドでお届けしているっていう。

 

こうみてくると、前からくりかえしていますが、どうもここ10年くらいかな、世界のポピュラー・ミュージックが濃厚でむさ苦しいグリグリ系から、さわやかあっさり薄味系へと移行しているようで、日本の演歌界だってそうであるように、そんな傾向をブルーズ界のザックも巧みに反映しているんでしょう。

 

そんな時代なんですよねえ。

 

(written 2021.11.8)

2021/11/12

なんだか最近、ヴァイブラフォンがきてる

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(8 min read)

写真はチェンチェン・ルーのInstagramより

 

↑上の写真でチェンチェンが弾いているこの楽器、日本語のカタカナ表記で、あるいは口に出して発音するとき、みなさんどう呼んでいます?ぼくは「ヴァイブラフォン」以外の呼び名を使ったことが生涯一度もありません。

 

がしかし、ちまたには「ヴィブラフォン」「ビブラフォン」といった呼びかたがあふれかえっていますよね。日本語書きのなかにはもうそれしかないんじゃないかとすら思うほど。ヤマハの公式サイトなんかでも「ビブラフォン」表記しか存在しないんですよねえ。

 

ちょっと困ったもんだなあと思っていますけど、この1920年前後にアメリカ合衆国で生まれた現代楽器 Vibraphone、そのアメリカ英語での発音にしたがえば「ヴァイブラフォン」以外の表記はありえません。ヴィブラフォンなんて言っているアメリカ人奏者はいませんから。ウソだと思うなら調べてみて。

 

もっとも、これは楽器名ということで、音楽関係の用語には多いように(アメリカ原産でも)イタリアやドイツなどからまず名称が輸入され、そのことばでの発音が日本語のカナとしても定着したのだという可能性があるかもしれません。それならヴィブラフォンでもわかります。

 

さておき、楽器ヴァイブラフォン、どうもここ数年、特にジャズ界を中心に、隆盛をみせているんじゃないかという気がする、いや、気がするなんてもんじゃなく、間違いなくヴァイブの時代になってきているなという実感があります。

 

特に2018年ごろからかな、(ジャズ系)ヴァイブラフォン奏者のアルバムに充実作が多数目立つようになってきていて、すぐにパッと頭に浮かぶだけでも四、五個はすらすらと名前が出てきます。ちょっと列挙してみましょうか。

 

・ステフォン・ハリス『Sonic Creed』(2018)
・ユハン・スー『City Animals』(2018)
・ジョエル・ロス『KingMaker』(2019)
・チェンチェン・ルー『The Path』(2020)
・シモン・ムイエ『Spirit Song』(2020)
・パトリシア・ブレナン『Maquishti』(2021)

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これはもう確実に一つの流れになってきているとみるべきでしょう。ジャズ・ヴァイブラフォン隆盛の時代に入りつつあると思います。それが、いまどきのコンテンポラリー・ジャズのなかで輝いていると、そう考えることができます。

 

個人的なリスナー歴からひもとくと、そもそもぼくが17歳のとき電撃的にジャズに惚れ、マジのずぶずぶの音楽きちがいになった最初のきっかけはモダン・ジャズ・カルテットでしたから。『ジャンゴ』でミルト・ジャクスンのヴァイブがいいなと感じたのでした。

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ブルーズっていうかブラックなサウンドやフレイジング、グルーヴにはまったのもここがきっかけだったと思いますが、ぼくの音楽人生、最初からずっとヴァイブ好きで来たものだったと言うこともできますね。

 

その後は、一時期ボビー・ハッチャースンやゲイリー・バートンにはまったり、ロイ・エアーズがカッコいいなと思ったりしながら、ぼくの(ジャズ系)ヴァイブ好き音楽ライフは2021年までずっと続いてきているのでした。

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そんなヴァイブが近年はどんどん脚光を浴びるようになってきているということで、初代のライオネル・ハンプトン(はもともとドラマー)以来さほどの主役楽器という立場になったことのないこの楽器の演奏者が増え、聴き手の注目も集めて、シーンの中心におどりでるようになっているのはうれしいかぎり。

 

そんな現代ジャズ・ヴァイブ奏者のなかでの個人的イチ推しは、なんといってもチェンチェン・ルーとパトリシア・ブレナン。前者が台湾、後者がメキシコ出身で、現在は米NYCのブルックリンを拠点にしています。

 

ところで以前も一、二度言いましたが、最近のジャズ系ヴァイブ奏者がみんな(と言うのはおおげさだけど)ブルックリンを拠点にしていて、あたかもブルックリンが一大居城のようになっていると見えているのもたしかなことです。

 

もちろんこれには現実的な理由もあって、マンハッタンは家賃が高くなりすぎているので到底住めず、だからニュー・ヨークで活動したい若手演奏家たちがとなりのブルックリン地区に移動するようになっているということがあるでしょう。だから、これはヴァイブ奏者のあいだだけでの現象でもありません。

 

が、なにか新進の若手ジャズ・ヴァイビストたちがブルックリンに集結しているぞという面はやはりあって、なんというか「ブルックリン発」というのがニュー・エイジ・ジャズ・ヴァイブラフォンの傾向を示す一種のトレードマークのようになっているのかも?という感じですよね。

 

現代の若手(ジャズ系)ヴァイビストたちのなかでのぼくのイチ推しであるチェンチェン・ルーとパトリシア・ブレナン。音楽性なんかはまるで正反対で、チェンチェンは台湾人ながらブラックなR&Bグルーヴへの深い傾倒と愛着を聴かせるロイ・エアーズ系の演奏家。

 

いっぽうパトリシアの『Maquishti』のほうはヴァイブ独奏で、ちょっと前例がないスタイルというか、アヴァンギャルドかつアンビエントでサウンドの響きそのものを空気のようにただよわせながら、一個一個のヴァイブの音じたいがグルーヴをつくるとでもいったような感じ。でも不思議と心地よく、緊張感を強いることなく聴き手を引き込むチャームがあります。

 

ぼくが出会ったのは今年一月のパトリシアのほうが先で、昨年デジタル・リリースされていたチェンチェンの『The Path』は夏に知ってハマったんですけど、この二作品でもってぼくの長年のヴァイブ愛がとうとう結実・爆発したといった感じ。現代ジャズにおけるこの楽器の躍進も決定的になったと思います。

 

もちろんみなさんご存知のとおりジョエル・ロスなんかはすでに二つのリーダー作を出し、他のジャズ・ミュージシャンたちのあいだでも引っ張りだこ。客演した作品なら、ジャズ関係だけなく枚挙にいとまがないほどですよね。大ブレイク真っ只中だと言えます。

 

そのほか上で名前をあげたようなここ数年のジャズ・ヴァイブラフォン作品は、それぞれ音楽性や傾向が異なるものの、いずれも近年におけるこの楽器の注目度の高さを如実に反映した充実作・良作ばかりなんです。

 

(written 2021.11.11)

2021/11/11

ショーロ・クラリネット、真の名手の証 〜 パウロ・セルジオ・サントス

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(2 min read)

 

Paulo Sergio Santos / Peguei a Reta
https://open.spotify.com/album/6xWnCjCJupSh2AjCN0gRua?si=gn8VLLRvQ6SHknGKqld3zg

 

ブラジルのショーロ・クラリネット奏者、パウロ・セルジオ・サントス。今年の新作『Peguei a Reta』(2021)は、自身のクラリネット+ギター(カイオ・マルシオ)+ドラムス or パーカッション(ジエゴ・ザンガード)のみという、たった三人の編成。それなのに不足ないこのサウンドとグルーヴはどうでしょう。

 

演奏されている曲は、従来どおり新旧さまざまのショーロ・ナンバーで、アナクレット・ジ・メデイロス、エルネスト・ナザレー、ピシンギーニャ、ラダメス・ニャターリ、カシンビーニョ、アベル・フェレイラ、シヴーカなど。

 

テンポよく軽快にスウィングするものも、バラード調でしっとりした情緒を聴かせるものも、いずれもなめらかですべらか、(いい意味で)ひっかかるようなところがまったくなく、もうベテランといえるパウロのクラリネットもすっかり円熟し、具合よく枯れてきているように聴こえます。

 

音色もまろやかだし、よく聴けばたいへんな難技巧を駆使しているにもかかわらず、聴いた感じがとてもスムース。なんでもないようにさりげなくあっさり吹いてしまっているもんだから、あぁ気持ちいいなとそのまま耳を通りすぎてしまうのは、真の名手の証でしょう。

 

個人的に特に強く印象に残ったのは、ゆったりしたバラード調の二曲(4、7)。いずれもテンポ・ルバートで、パウロが実に切々とした哀感をつづる様子が胸に迫ります。こういった曲想では、クラリネットという楽器の湿って丸く柔らかな音色がとても似合いますね。もうほんとうに最高です。

 

後者7曲目なんか、伴奏なしでのパウロのクラリネット独奏なんですけど、たったひとりでここまで深い表現をみせるその吹奏ぶりに心から降参。こんなの聴いたことないです。まったく過不足ない独奏ぶりで、ショーロ・クラリネット現在最高峰の境地と言ってもさしつかえないでしょうね。

 

(written 2021.11.10)

2021/11/10

夕凪のようにおだやかに 〜 孙露

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(4 min read)

 

孙露 / 十大华语金曲
https://open.spotify.com/album/3lhzaYDoPziTrjRJRmS86p?si=B4e5MgB5Q56Vt4WCQ-0EdQ

 

2021年11月7日朝、突如としてエル・スールのサイトに出現した孙露の『十大华语金曲』(2017)。これがだれなのか?どんなアルバムなのか?(そのときは)いっさい説明がなかったのでわかりませんでしたが、なにか予感がして、Spotifyでさがして聴いてみたら、抜け殻に。それほど強い感動をおぼえたんです。

 

完璧なアダルト・オリエンティッド・ポップス。もう心は溶けちゃってメロメロ。ピアノ、ギター、ベース、ドラムスのアクースティックなリズム編成に、チェロなど若干の弦楽器、そして中国系の楽器(胡弓、古筝)も薄く混じった、とことんおだやかで静かなサウンドに乗せ、孙露がどこまでもソフトにソフトに、その中低域を中心としたややハスキーなアルト・ヴォイスでさっぱりと歌っています。いやあ、惚れちゃったぁ。

 

孙露(スン・ルー)は1986年中国遼寧省生まれの女性歌手。同省の沈阳音楽学院を卒業後、2006年にデビュー。だから今年でキャリア15年目ということになりますが、『十大华语金曲』はおそらくトータル七作目のアルバムにあたるんじゃないかと思います。

 

もとは2017年にリリースされていたものですが、エル・スールに入荷した2021年盤はDSDリマスターCD。DSDとはダイレクト・ストリーム・デジタルという手法による高音質化プロセスのことです。

 

聴いていると、凪状態の海をじっとながめているような気分になるこのアルバム、さざなみすら立たないおだやかさなんですが、こういったサウンドとヴォーカルでアルバム全体をまとめたプロデューサーの手腕も光りますね。だれなんだろう、調べても出てきませんが、名前くらい憶えておきたいもんです。

 

選曲もおそらくプロデューサーや制作側によるものでしょう。中国や香港、台湾、そして一部日本でも歌われ愛されてきた有名スタンダードなラヴ・ソングばかり、ていねいに選ばれています。「十大」との文字がありながら、13曲。それぞれの初演歌手がエル・スールのサイトに掲載されています。

 

それらを、ピアノを中心に据えたややジャジーでおだやかでまろやかなソフト・サウンドでくるみ、どこまでもオーガニック。ほんのちょっぴり、打ち込みのデジタル・ビートかな?と思えるものも聴こえますが、一部だけで、しかもかなり控えめ。あくまで生演奏で徹底されているところに特徴がありますね。

 

その上を孙露がたおやかにゆらめくといった歌いかた。つぶやくようにささやくように、とても抑制の効いた表現スタイルをとる孙露の、その低めの声でたなびくように、しかし軽く、そっと優しくていねいに置いていくようなヴォーカルは、まさしく大人の熟練の音楽ファンをもトリコにするチャームがありますね。

 

サウンドといいヴォーカルといい、決して感情表現があらわにならない淡々としたこの世界は、一聴やや物足りない地味さに思えるかもしれませんが、実のところ徹底的につくり込まれれたプロの編みもの。湖上をエレガントに泳ぐ白鳥のように、エモーションは内側にひめやかに込められています。

 

そんな音楽、強いビートが効いたハードでアグレッシヴでアシッドなサウンドに疲れた耳と心を、まるで仏陀のようにそっと手をかざし慰撫してくれているかのようじゃないですか。

 

夕凪の海辺をずっとながめていて飽きないように、孙露の『十大华语金曲』、なんどでもいつまでも聴いていたいと思わせる心地よさです。

 

(written 2021.11.9)

2021/11/09

インディ・サザン・ソウルの好作 〜 ビート・フリッパ

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(2 min read)

 

Beat Flippa / P.O.T.Y. (Producer of the Year)
https://open.spotify.com/album/7ooqiG0tvc79tpvW2MuZ0u?si=mzmsfLFUS_e2I7cfjCajUw&dl_branch=1

 

bunboniさんに教わりました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-03-17

 

ビート・フリッパはインディ・サザン・ソウルの名プロデューサーだとのこと。その手がけたヒット曲を集めたコンピレイション、ベスト・アルバムということなんでしょうか、『P.O.T.Y. (Producer of the Year)』(2020)を聴きました。

 

たしかに後半がとても充実していて、前半とはかなり様子が違っているわけですけど、Spotifyのデスクトップ・アプリで見てもディスクの表示がなくずるずる一個で(まれにこういうことがある)、ネットで検索しても情報がなく、どこからがディスク2かわかりません。だけど、たしかに後半がすばらしい。

 

インディ・サザン・ソウルにはまったく不案内なのでどの歌手も知りませんが、ぼくがグッと来たのは14曲目、サー・チャールズ・ジョーンズの「テル・ミー・イズ・イット・ラヴ」から。みごとな歌とサウンドですし、シビレちゃう。こ〜りゃいいなあ。

 

さらに15曲目、ティップ・ザ・シンガーの「マイ・ロッキン・チェア」。かなりブルージーというか、これはもうほぼブルーズ・ナンバーだとしてもいいくらいなんですが、こ〜れが!完璧なるぼく好み。このアルバムでの個人的ナンバー・ワンです。

 

ブルージー・サザン・ソウルといえば、19曲目、ファット・ダディとマジック・ワンの「99 プロブレムズ」も最高ですね。歌の後半でかけあうそのもりあげかたにはグッときます。そのほか(CDでいえばおそらく二枚目であろう)アルバム後半には、胸が熱くなるようなソウル・ナンバーが満載で、選りすぐりの逸品揃いです。

 

(written 2021.7.15)

2021/11/08

ベン・ハーパーのラップ・スティール独奏がちょっといい

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(3 min read)

 

Ben Harper / Winter Is For Lovers

https://open.spotify.com/album/2jRFS663e7VPtA64depQBV?si=Xb1gzJiyQcGi7CKCskI-Ww

 

アメリカ人ギターリスト、ベン・ハーパー。昨年秋、最新作『ウィンター・イズ・フォー・ラヴァーズ』(2020)が出たときに、それをちょっと意識したにもかかわらず、なんとなくもう一年が経ってしまいました。でも、思いなおしてちょっと書いておきましょうね。

 

この『ウィンター・イズ・フォー・ラヴァーズ』は、なんとベンのラップ・スティール・ギター独奏のみで全編構成されています。そんなのはキャリア初だとか。冬を思わせるタイトルとジャケット・デザインですが、レコーディングは昨年夏どまんなかの時期だったそう。

 

中身は夏も冬も関係ない音楽が展開されておりますね。ほとんどの収録曲に都市名や地名のタイトルが付いていますが、それもあとづけのものだったに違いなく意味はなし。おそらくすべてラップ・スティール一本でのテーマを決めない即興演奏を録音したものだと思います。

 

これがですね、なかなかリラックスできるいい音楽なんですよね。内省的で静かに落ち着いた感じで、ポップさなんかはぜんぜんありませんが、こうしたアクースティック・ギター独奏を聴く層には歓迎されそうです。全編を貫くひとつの統一的なムードもあります。

 

いまさらアメリカ本土におけるスティール・ギターの由来とか歴史とかを語っておく必要はないと思いますし、実際このアルバムを聴けば、クラシック、ハワイアン、スパニッシュ、カントリー、ジャズ、ブルーズなど、種々のギター・ミュージック・ルーツが、しかもそうとはわからないほど渾然とスープ状に溶け込んで一体化しているのを、ギター・ミュージック・ファンなら感じとることができるはず。

 

ベンがこうした室内楽的な独奏アルバムを制作しようと思った最大のきっかけは、もちろんコロナ自粛でしょう。昨年夏の録音ですし、みんながステイ・ホームで静かに過ごしていた時期。そんな自粛期にバンドで集まってセッションすることはむずかしいので、じゃあ独奏で、っていうことになったのでしょう。

 

できあがった音楽も、まだちょっとは続くのかもしれない自粛期間の、その自宅でのくつろぎのおともにちょうどいいムード。もうそろそろコロナ禍も先が見えつつあるのかもしれませんが、明けたら明けたで自室でのひとりの時間、コーヒーでも飲みながら、こうした音楽でまったり過ごすというのもいいかなって思います。

 

(written 2021.10.18)

2021/11/07

チェンチェン・ルー『ザ・パス』はなぜ話題にならないのか

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(7 min read)

 

Chien Chien Lu / The Path
https://open.spotify.com/album/0fo6PcE438y9Ob8cDVF75m?si=9W0ySU8iQfuUvdjpc8TIbg

 

2021年もあと二ヶ月弱となりましたが、今年のぼくのヘヴィ・ロテ最上位は、上半期がパトリシア・ブレナンの『Maquishti』で、下半期がチェンチェン・ルーの『The Path』。どっちも米国外からやってきてNYCはブルックリンで活動している若手ヴァイブラフォン奏者ですね。

 

この二作のどっちかが今年のベストテン一位なのはもう間違いありませんが、しかしどちらとも日本語ではほぼまったく話題になっていません。こんなにもすぐれた宝石だというのに、どういうこっちゃ、ホンマ?

 

Google検索してもTwitter検索しても(日本語だと)CDを売る通販ショップ以外にはぼくの書いた文章しか出てこないっていうありさま。こんなことでいいのか?とマジでフンガイしちゃいます。もちろん市井の一介素人ブロガーがどんだけ声を大にしてもなかなか…っていうことではありますけれどもね。

 

そういえば、以前bunboniさんがディーノ・ディサンティアーゴ(カーボ・ヴェルデ/ポルトガル)関連で、こんなに上質な音楽があるにもかかわらず、いくら声を上げ続けてもまったく話題にすらならないのには、正直徒労感があると言っていたことがありました。

 

ぼくのばあいも、パトリシアとチェンチェンの記事で得た反応といえば、Instagramフレンドのkznr_tkst(hifi_take_one)さんがとてもいいとご自身の投稿で言ってくれたのだけ。ほんとうにこれが唯一なんです。もちろん両記事ともそれなりにアクセスがあって人気ランキングにも入ったんで、読まれてはいるのでしょうけれども、ちょっとさびしいねえ。

 

パトリシア・ブレナンのほうは、まだそれでも話題にならないのを納得できる面もあります。ちょっとジャズでもないような、独奏インプロ・ミュージックですからね。一般には「前衛」とのことばでくくられるような音楽性ですから、敬遠されがちっていうのはさもありなん。

 

もともと前衛即興なんかはキライで来たぼくなのに、いったいなぜ、どうして、パトリシアの『Maquishti』にだけはゾッコンなのか?っていうのは自分でも謎ですけれどもね。

 

でもわからないのは昨年デジタル・リリースされていたチェンチェン・ルーの『ザ・パス』のほうですよ。こっちは明快でとっつきやすいコンボ編成でのグルーヴィ&メロウなブラック・ジャズど真ん中ですからねえ。だれが聴いても楽しくノレるもので、この手の音楽は日本でも人気のはず。

 

それなのにチェンチェンが話題にならないのは、想像するにフィジカルCDがなかったというのが最大の理由かもしれません。昨秋のアルバム・リリース時にはダウンロードとストリーミングだけでしたから。日本人はまだCDが出ないと話題にしないひとが多いです。

 

特に月刊誌など音楽ジャーナリズムはとりあげない、デジタル・リリースだけだとガン無視ですからねえ(時代遅れだと思う)。ジャズ・フィールドで活動している評論家やライターのみなさんのなかで、紙でもWebでも、仕事でもプライヴェイトでも、チェンチェンの『ザ・パス』を話題にしたひとがいますか?だれもいない。

 

それでも今年八月にPヴァインがこれのCDを発売しました。日本盤ということで、だから本国盤しか買わないよっていうような、うん、ぼくもずっとそうだったんで気持ちはとてもよくわかりますが、でも日本盤CDが出たんだから多少音楽ジャーナリズムなんかはとりあげてくれてもいいんじゃないのでしょうか。

 

それにですね、チェンチェンみたいな音楽家のばあいは「本国」盤の意味がもはやよくわからないっていうか、Pヴァインのはあきらかに本国盤じゃないにしても、そもそも本国盤という発想が無意味になっている音楽家だなと思いますよ。

 

本人は台湾人で大学を卒業してからアメリカにわたって、その後ずっと同国で活動していますけれども、アルバム『ザ・パス』はアメリカでCD発売されていません。しかし台湾盤があるんですよ。こないだネットで調べていて台湾語で書かれた通販サイトを見つけました。とはいえそれだって本国盤と言えるのか?本人はアメリカにいるんですけど。

 

結局、台湾(盤はあるんだけど)なのかアメリカなのか、どっちでCDが出たら本国盤と言えるのか、チェンチェンのばあいはわかんないでしょ。パトリシア・ブレナンだってメキシコ人ですしね(でもアメリカのレーベルからCDとLPを出した)。

 

つまりですね、そんなふうになってきているいまのこの時代に、どこの国の盤か?本国盤はどれか?なんてことにこだわるのは無意味だろうと思いますよ。実情にそぐわないでしょう。だから、チェンチェンのばあいPヴァイン盤はともあれ、台湾盤を買えばいいのかもしれません。

 

さらに、チェンチェンの『ザ・パス』は、オフィシャルCDが本人の公式サイトで売られています。本人の公式サイトでの販売なんだから、本家盤というならこれ以上のものはないんじゃないですか。
https://www.chienchienlu.com

 

下のほうへスクロールしていくと「BUY MY CD “THE PATH”」というのが出て、名前とか送付先とかの入力欄が出ます。英語でOK(サイト全体は台湾語とのバイリンガル)。

 

そうやって買えば、本家(本国)盤のチェンチェン『ザ・パス』CDが買えるんですから、CDがないと、とおっしゃるジャーナリズム関係以下大勢のみなさんも、それで買ってみて、ぜひとも聴いて、話題にしていただきたいなと、切に願います。

 

だぁ〜って、こんなにもグルーヴィでこんなにもカッコよくメロウな現代ブラック・ジャズって、ないんですから、チェンチェン・ルーの『ザ・パス』。

 

(written 2021.10.20)

2021/11/06

料理男子?

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(8 min read)

 

写真は自作です。

 

Instagramなどソーシャル・メディアへの投稿では前々から同じことをくりかえしていますが、料理するかしないかということと性別とはなんの関係もありません。

 

家庭では女性がやることが多く、お店のプロには男性が多いのも、家庭と職場それぞれにおける女性抑圧、女性差別というだけの話。女性でも男性でも同じ料理を同じようにつくれますし、そこに性差による能力の違い、適性なんてものはありません。

 

なのに、一般家庭人である男性のぼくがどんどん料理をつくってネットに上げていると(上手かどうかはともかく、とにかく好き)、めずらしいねと言われたり、妙な褒めかたをされたり、「料理男子」とレッテルを貼られたりするのは、不本意ですよ。

 

もちろん、おいしそうだと言われたり料理写真を褒められるのはうれしいことですけれど、「男性なのに」という前提つきなのが見え隠れすると、それはちょっとどうか?と思うわけです。

 

女性/男性に関係なく、家事の得手・不得手は個体差であって性差ではないというのがおおむかしからの持論なんですが、59歳の愛媛県人であるぼくの世代と地域からして、この考えはなかなか受け入れられないことが多かったです。間違いないなという信念を持って生きてきましたが、料理したりは女性の役割だっていうひとのほうが周囲では多数で、抵抗されてきました。

 

料理が決して女性の役割なんかじゃないことは、お店のプロ料理人に男性が圧倒的に多いことでもわかります。もちろんこれはキャリアの世界で女性が生きていきにくいっていうだけの女性差別でしかありませんが、男性も、しかもプロになれるだけの腕前を身につけることができるんですから、料理と性別は関係ないっていう歴然とした証拠です。

 

であれば、その気になれば一般家庭でも男性も女性も同じだけ料理をこなすことができるはず。それがいまだになかなか実現しないのは、一般家庭における家事は女性の役割であるという(そんでもって男性は外に働きに出るものだという)、古くからの固定観念にいまだ大勢がしばられているだけのことなんですよね。

 

思えば、ぼくは幼少時からこの手の固定観念とは無縁で来た、というかしばられることなく成長できたというのはまずまずラッキーでした。小学校に上がる前、幼稚園児のころの最親友が近所の同級の女子で、遊びといえばその女子と近くの砂場でままごとばかり。

 

プラスティック製のおもちゃの食器なんかを持ち込んで、砂をごはんに見立て、それをよそったりよそわれたりで遊ぶっていうのがぼくの幼稚園児のころの大きな楽しみだったんですからねえ。それが小学校に入っても低学年のころは続きました。空き地で走りまわったり草野球したり、自動車や鉄道の模型で遊んだり、ということのない男子でした。

 

ままごと遊びから発展して、自宅で母親がやるごはんづくりにも興味を持つようになるのは自然な流れだったように思います。自宅に隣接している青果食料品店で忙しそうに仕事に追われ家事に手がまわらない母を助けて、料理の準備をしたり洗いものをしたりするようになったのが中学生のころです。

 

そうそう、関係ない話ですが思い出しましたので。幼稚園児〜小学生低学年のころにままごと遊びをよくやって仲がよかったその同級の女子ですが、あるとき父に「もうあの子と遊んじゃいかん」と言われたことがあります。当時はどうしてなのか?なぜそんなことを言われるのか?1ミリも理解できなかったんですが、どうやらその女子は被差別部落出身だったようです。

 

ぼくは意味がわからず、わかってからはこのことで父に激しく抵抗・抗議するようになり。だいたいにおいて合理的で知性的なものの考えかたや発言をするタイプだった父なのに、こんな理不尽な部落差別を言うのかと思うと、ほんとうにガッカリし立腹もしました。

 

ぼくが大学生になってからも、父は「ああいった(被差別部落出身の)女性とは結婚しないでくれよ、それだったらまだ黒人のほうがマシだ」と、ぼくに面と向かって明言したことがあります。部落差別なだけでなく黒人差別でもあるし、そのとき表立ってはなにも言いませんでしたが、結婚相手を決めるときはこんな差別主義者の父になんか相談せずにおこうと内心固く決心しました。

 

関係ない話でした。料理と性別。とにかく家庭において男性は家事関係をなにもやらなくていい、それは女性の仕事であるから任せておけばいい、協力する必要もないっていう、なんというか封建的・差別的な考えは、しかしいまだに根強く社会の骨の髄まで染み込んでいて、なかなか抜くことのできないものなのかもしれません。

 

インスタント・ラーメン一個も満足につくれない男性というのがわりといるんだっていう、これは実を言うとぼくの上の弟がそうでした。その息子(ぼくの甥)に「男子厨房に入るべからず」などと言って育てようとしていたという話を知り、ぼくとはケンカになったこともありました。ぼくなんかずっと厨房に入りびたっている人生ですからねえ。

 

そして、これは女性(妻、母)の側もあえて甘受してきたことでもあります。それが女性の役割、本来の生きがいなのであると思い定め、ひたすら尽くすことで一種の自己実現を達成するというような生きかたをしてきた女性も多いように見受けられますからね。

 

もちろんどんな生きかたをしようとそのひとの自由なんで好きにすればいいことですが、なんらかの(社会や歴史や共同体が押しつける)固定観念にしばられて奴隷状態のようになり、むしろ積極的に奴隷であろうと、そこに生きるすべを見出しているというなら、ちょっと考えなおしたほうがいいのかもしれないと思うことだってありますよ。

 

もちろんたんにぼくはこども時分からの料理好き、家事好き人間だったので、そういう人生を送ってきて不自由がなかったというだけの話ではあります。だって、料理って楽しいもんね。AとBを混ぜてC分間加熱するとDができあがります、っていう、まるで理科の実験じゃないですか。理科実験好きだった男性はみんな料理向きだと思っちゃうんですけれども。

 

あ、ぼくはずっとひとりなんで、だれかおいしいと言って食べてくれるひとがいるからそのためにがんばって料理するということではありません。どこまでもひたすら自分のため、ひとりでつくってひとりで食べて、つくっている段階から楽しいし、おいしく食べ終わって満足っていう、そういう人間です。

 

そんなこんなに性別はまぁ〜ったくなんの関係もないんで、だから「料理男子」って言わないで。

 

「美容男子」っていう偏見もありますが、またの機会に。

 

(written 2021.10.22)

2021/11/05

生きる喜びを表現する躍動感 〜 ジョナサン・ブレイク

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(3 min read)

 

Johnathan Blake / Homeward Bound
https://open.spotify.com/album/567r4Wqu7u5g1G7Jj3qpBj?si=Xly7gihLTiy8_xjAoHFY1Q

 

これもジャケ惚れです。アメリカ人ジャズ・ドラマー、ジョナサン・ブレイクの最新作『ホームワード・バウンド』(2021)。つい数日前にリリースされたばかりで、CDは12月3日の発売予定だそうです。サブスクでは一足先に聴けるようになりました。

 

ブルー・ノートからの第一作で、会社は力を入れているというか、数ヶ月前からソーシャル・メディアで「出すぞ、出すぞ」とどんどん宣伝していて、ちょっとづつ聴けるようにしたりなど、ずいぶん期待値を高めていましたねえ。

 

そんな先行配信曲を耳にして、こりゃあいいぞ!と喜んでいたんで、アルバム・リリースが待ち遠しかったという次第。ぼく好みの大活躍中の二名、ジョエル・ロス(ヴァイブラフォン)とイマニュエル・ウィルキンス(アルト・サックス)が参加しているというのもうれしいところ。

 

ほかはダビ・ビレージェス(キューバ)のピアノ+デズロン・ダグラスのベースというクインテット編成。

 

1曲目のドラムス・ソロはプレリュードにすぎず。2曲目のアルバム・タイトル・ナンバーから本編ですが、そこからしてすでにジョエルとイマニュエルのなめらかだけど艶やかで熱情的なソロの応酬が聴きもの。

 

これにかぎらずジョナサンのコンポジションやリフ・アレンジはリズム・パターンの躍動感に特徴があって、インプロ・ソロ部分と一体化しながら全体を生きもののようにイキイキとうごめかせているのがいいですね。

 

音楽としては先鋭的な現代ジャズっていう感じでもなくて、むしろトラディショナルなモダン・ジャズの延長線上にあるものだなという印象ですが、みずみずしさにあふれているのがいいですね。特に(くどいようですが)ジョエルとイマニュエル二名の音色を聴いているだけで2021年の香りがします。

 

アルバムでは、特に2曲目「ホームワード・バウンド」、7「LLL」、8「ステッピン・アウト」の三つが個人的クライマックス。特にジョナサンがキューバン/ラテンな細分化されたビート感を表現する8曲目ですかね、ほんとうに気に入っています。

 

そこではイマニュエルのアルトもいつになくスピリチュアルでパッショネイトな趣きで、(楽器はちょっと違うけど)まるでジョン・コルトレインみたいだし、そのソロの背後でのジョナサンはじめバンドの躍動感は、まるでBLM運動以後のアメリカ黒人の意識のたかまりと生の喜びを表現しているかのようです。

 

(written 2021.11.4)

2021/11/04

ラテンのエロスとデリカシー 〜 ヤマンドゥ・コスタ&グート・ヴィルチ

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(4 min read)

 

Yamandu Costa, Guto Wirtti / Caballeros
https://open.spotify.com/album/3fqIysSKJMaqenPVtkO7Tn?si=5IuS7Xg6QbyOkxBvjtmYug

 

ヤマンドゥ・コスタ、それでようやくこないだ10月末ごろリリースだった最新作のほうについて書くことができます。こっちは同じブラジル人で旧友のベーシスト、グート・ヴィルチとのデュオ作で、『Caballeros』(2021)。

 

そうそう、以前も言いましたが、グートの弾くベースとはアップライト型のコントラバスじゃなくて(それもたまに使うみたいだけど)、横にして膝に乗せて弾くギター形状の四弦アクースティック・ベース。

 

+いつものとおりヤマンドゥの七弦ギターで、このデュオでやる音楽なら2014年の前作『Bailongo』が傑作だったわけですが、今回の新作もまったく劣らないすばらしい内容で、ぼくはたいへん気に入っています。

 

まずなんたって1トラック目。これだけでぼくはキュン死しましたね。二つのラテン名曲「ソラメンテ・ウナ・ベス」(アグスティン・ラーラ)と「キサス、キサス、キサス」(オズバルド・ファレス)のメドレーなんですが、最初そうとは気づかないくらい移行がスムース。

 

あまりにも美しく、これぞラテン音楽のエロスとデリカシーと言いたいくらいなエレガントな演奏ぶりで、心が完全に溶けちゃった。なんてひそやかでなんて繊細なんでしょう。そう、このアルバムはラテン・ミュージック集なんだとぼくはとらえています。

 

曲じたいにスペイン語圏ラテン・アメリカのものは1トラック目のメドレーしかなく、ほかはアリ・バローゾ(ブラジル)、トニー・ムレーナ(イタリア)、ヌリット・ハーシュ(イスラエル)などなど、クラシック界をふくむ世界中のコンポジションをとりあげ、それにヤマンドゥの自作をくわえたという構成。

 

ですが、ヤマンドゥとグートによる解釈と演奏ぶりは、どこからどう聴いてもラテン・ミュージックのそれですね。それを1トラック目のメドレーが出だしで象徴しているのだと言えましょう。そっと優しくデリケートなソフト・タッチで、まるでセックスのときの愛撫のように、音をつづっていくギターとベースのエレガンスにとろけてしまいそうですよ。

 

グートは2014年作に続き今回もほぼ脇役に徹していて、ヤマンドゥの七弦ギターのうまさがきわだつ内容となっていますが、それだってもはやすっかり円熟し、超絶技巧からこれみよがしなところが消え、優雅でラテンな楽想のなかでさらりと見せ場をつくるようになっているのがたいへんすばらしいですね。

 

曲そのものの持つメロディの繊細さや情緒や官能を、どこまでもおだやかに、それじたいをストレート&ナチュラルに、ギターで表現していくさまには、ほんとうにため息が出ます。音のヴォリューム、ピッキング・タッチの違いによる音色の繊細な使い分け、隠微なニュアンス付けなど、自在な表現を聴かせるヤマンドゥ、いま七弦ギターの世界でこのひとに並ぶ存在はいないのだなあと実感させてくれます。

 

そんな絶品のラテン・ミュージック集ですよ。

 

(written 2021.11.3)

2021/11/03

バンドネオンがノスタルジーをくすぐるトリオ・ショーロ 〜 ヤマンドゥ・コスタら

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(3 min read)

 

Yamandu Costa, Martin Sued, Luis Guerreiro / Caminantes
https://open.spotify.com/album/2LWPcI3k9L4LOA4jZUQ7Fx?si=-tUQbD4HTlip1XDjq3HgWw

 

ブラジルの七弦ギターリスト、ヤマンドゥ・コスタ。いまはポルトガルのリスボンに住んでいるんでしたっけ?コロナ禍でかえって活動が活発化しているなかのひとりで、こないだ今年二作目のアルバムがリリースされ、いつものんびりのぼくなんか、あせっちゃいます。

 

その10月末リリースだった今年二作目はベーシスト、グート・ヴィルチとのデュオでやるカヴァー集。2014年にもありましたね。今回もラテン名曲など、たいへんに充実していて感心しました。が、やはり順番どおりに、六月に出ていた一作目のほうから書いておくことにします。

 

その『Caminantes』(2021)は、ヤマンドゥ(ギター)+マルティン・スエー(バンドネオン、アルゼンチン)+ルイス・ゲレイロ(ギターラ、ポルトガル)というトリオ編成。ちょっと聴きなれない三重奏ですよね。演奏は基本的にショーロが土台になっているかなと思います。リスボン録音だったそう。

 

こうしたホーム・セッションも、コロナ時代だからこそちゃちゃっとできちゃうっていう面があって、だからアルバム・リリース・ラッシュになっているんでしょうね。それで、『Caminantes』ではヤマンドゥのギターのうまさもさることながら、マルティンのバンドネオンのサウンドが目立ちます。

 

これは楽器特性ということもあるのでしょう。電気増幅しないかぎり音量の小さいギターに比べたら、バンドネオンは空気でリードを振動させる仕組みだから、そのものが持っている音量が大きいですよね。ましてやこのアルバムではもう一名がギターラなので、いっそうバンドネオンが目立つということになると思います。

 

そのマルティンのバンドネオン、アルゼンチン人奏者ということでこの楽器だと、どうしてもタンゴを連想しますが、アルバムにはたしかにタンゴ調の曲や演奏もあるものの、ヤマンドゥの音楽性にあわせた淡々とした典雅なショーロ・スタイルをとっているのが好感触。ちょっとアコーディオンっぽい印象もありますね。

 

音楽的な主役も、やはりバンドネオンかなあという気が、ぼくはしています。ちょっとノスタルジックで、独特の情緒をくすぐるこの楽器の音色こそが、ふだんのヤマンドゥのショーロ・ミュージックにはない色彩感を与えていて、聴いているだけで快感ですね。

 

ショーロも古くからある音楽ですが、ここではバンドネオンが参加することによって、20世紀初頭っぽいラテン・アメリカン/ヨーロピアンな郷愁をくすぐる独特のフィーリングをかもしだすことに成功していて、クラシカルで優雅で、洗練されていながら野性味も失っていないこの音楽は、その時代その地域のことをなにも知らないぼくだってタイム・スリップしたような気持ちよさを味わえます。

 

(written 2021.11.2)

2021/11/02

古風でシンプルだけどメキシコへの深いリスペクトがきわだつ 〜 ナターリア・ラフォルカデのルーツ集四作目

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(5 min read)

 

Natalia Lafourcade / Un Canto por México, vol. II
https://open.spotify.com/album/0Ece1my4kjbR0frvMUzRT0?si=IjvhL2rhSbOLpxRiZ3uu9w

 

こちらも今年五月のリリースだったのに、書くのがずいぶん遅くなってしまいました、のんびりでごめんなさ〜い(って謝る対象がどこにもいないけど)。メキシコのナターリア・ラフォルカデがリリースしたメキシコ古謡集の最新作『Un Canto por México, vol. II』(2021)です。

 

ラテン・アメリカの曲をひろく扱った『ムサス』シリーズが二つに、今回はメキシコ・シリーズの二作目で、これで合計四作目のクラシカル路線。『ムサス』シリーズもメキシコの曲が中心でしたから、ナターリア自身、自国の音楽伝統に立ち帰ろうという姿勢なんでしょうね、2017年来。

 

なんだかライフワークのようになったなあと思うんですが、今作『Un Canto por México, vol. II』は集大成的な意味合いを帯びているような印象があります。それは過去に一度は自身で歌ったレパーリーの再演、セルフ・カヴァーが多いからなんですが、過去三作の伝統歌謡ルーツ探求シリーズをふりかえり、総括しようとしているのかもしれないですね。

 

このナターリアの『Un Canto por México, vol. II』、具体的にだれのどんな曲を歌っていて、どれがいつの再演かみたいなことなど諸々、エル・スールのサイトにとてもくわしく記載されていて、原田さん、ふだんあっさりなのに、どうしてここまで?と思うほどなんで、ぜひそちらをご一読くださいね。
http://elsurrecords.com/natalia-lafourcade-un-canto-por-mexico-vol-2/11/06/2021/

 

これがあれば、ほかに解説なんていりません。個人的に特に気に入っている部分についてだけカンタンにメモします。まず3トラック目のメドレー。特にその2曲目がフランク・ドミンゲス作のフィーリン「Tú Me Acostumbraste」で、これって今年アントニオ・ザンブージョ(ポルトガル)も歌っていましたけど、もう大好きな曲なんですよね。

 

だからそれをナターリアが歌ってくれたっていうのがうれしくて、といっても二回目ですけどね。一回目は『ムサス』Vol.1収録のオマーラ・ポルトゥオンドとのデュオでした。2017年のことで、そのヴァージョンと比較するに、今回のはナターリア一人で歌うその歌手としの成熟もわかりますし、ボレーロ・メドレーふうの一部であるがゆえ、この曲に入った瞬間のなんともいえないフィーリングがこたえられません。

 

やはりメドレーの5トラック目。チリ出身、現在メキシコで活躍するモン・ラファルテの自作二曲を、ラファルテ自身をゲストにナターリアと交互にランチェラ仕立てで歌っているのも実にいいですね。メキシカンというよりかラテンな哀愁が身に沁みる調子で、ナターリアがどうこうっていうより曲そのものがいいんですよね。

 

そう、なんだかアルバム全体を通してわかるのは、古風だけどシンプルなサウンドに乗せたナターリア自身の淡々とした歌い口で、原曲のよさをフルに活かそうとしているなあという姿勢が目立つこと。こういう地点というか持ち味まで到達するにいたったというナターリアの円熟がわかる内容で、そんなところぼくはおおいに気に入っています。

 

古いカンシオーンふうになっている7トラック目「Recuérdame」もすばらしいですし、カエターノ・ヴェローゾをゲストにむかえてデュオでやっている9トラック目「Soy Lo Prohibido」はランチェラ・アレンジ。カエターノはスペイン語で歌っていますが、このブラジル人の声は周囲をぜんぶ喰ってしまうチャームがありますね。

 

ラスト11トラック目「Para Qué Sufrir」もナターリアにとってセルフ・カヴァーですが、この曲はメキシコ古謡じゃなくてナターリアの自作ナンバーですね。ウルグアイのホルヘ・ドレクスレルとのデュオ。ギター一本だけの伴奏(どっちが弾いているの?)でインティミットなムードは、パンデミック下のステイ・ホーム状況にあって、これ以上ない音楽です。

 

(written 2021.11.1)

2021/11/01

ジャズとアフロビートとヒップ・ホップ 〜 トニー・アレン

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(3 min read)

 

Tony Allen / There Is No End
https://open.spotify.com/album/4BK64Duprygx9JNpXv9dmH?si=aDVj3tzNSKW7pYUW3RMjEg

 

ブルー・ノートから発売されたトニー・アレンの遺作『ゼア・イズ・ノー・エンド』(2021)は今年五月のリリースだったもの。ゆっくり楽しんでいるうちに書くのを忘れていて、夏を越え、もう深秋となってしまいました。が、やっぱりちょこっとメモしておきましょう。

 

どんなアルバムで、どういう経緯でどうやって制作され、一曲一曲だれが参加しているか、みたいなことについては、すでに多くのテキストがネット上にあるので、ぼくは個人的な印象だけをちょちょっと短く記せばいいかと思います。

 

『ゼア・イズ・ノー・エンド』、ヒップ・ホップ作品だと思うんですが、トニーのドラミングだけに耳を傾けていると、柔軟に、ジャズ〜ファンク/アフロビート〜ヒップ・ホップを縦断する自在でしなやかな叩きかたをしているなという印象があります。

 

ラップにあまり興味のない人間としては、どうしてもバックの演奏を聴くんですが、このアルバムはどうやらあらかじめドラムスとベースだけのベーシック・トラックから録音した(時点でトニーが亡くなった)らしいので、その意味でもいっそうこのドラミングのしなやかさに耳が行くというもの。

 

それで、トニーのスタイルってずっと前からこんなだと思うんですよね。ジャズをやっていたころから変わっていない。アフロビート・ドラマーの代表のようになっても同じで、この遺作でヒップ・ホップに挑戦しても特に変わらない叩きかたをしているように聴こえます。

 

だから、音楽としてチャレンジングということはあると思いますが、ドラミング・スタイルはもとからいろんな音楽、それこそ現代的な先鋭にも対応できる柔軟性を最初から身につけてきていたひとだよなあというのが率直な感想ですね。ヒップ・ホップをやっても、ジャズをやるときと同じ叩きかたで対応できている。

 

特にそれがよくわかるのが、アルバム8曲目の「One Inna Million」で、ここで聴ける独特のスネアとベース・ドラムスの細かなパターンを、たとえば2017年のアルバム『ア・トリビュート・トゥ・アート・ブレイキー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ』2曲目の「ナイト・イン・チュニジア」でのそれと比較してみてください。同じパターンを使っているのがわかるはず。
https://open.spotify.com/album/6Di99uGNb1ITzZVPigCpES?si=qU3FNwZHTqKNgkJmKNlqoA

 

つまりこういうのがトニーならではのスタイル、独自色で、どんな音楽をやるときでも一貫してこういう叩きかたをしているんですよね。それでジャズにもアフロビートにもヒップ・ホップにも対応できて、違和感がないっていう。驚きですよねえ。

 

だから、ある意味、おそるべき柔軟性、しなやかさです。そんなドラマー、ほかにいるとは思えませんから。

 

(written 2021.10.31)

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