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2022年2月

2022/02/28

ジェイムズ・ブラウンの2022年的再構築 〜 ストロ・エリオット

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(3 min read)

 

Stro Elliot, James Brown / Black and Loud: James Brown Reimagined
https://open.spotify.com/album/4ysy6umDtSHhJ84ebHElVu?si=POBRJH3kTmCNzvjTnscaZg

 

ヒップ・ホップ・グループ、ザ・ルーツの現行メンバーでマルチ楽器奏者、DJ、プロデューサー、ストロ・エリオットによるジェイムズ・ブラウンのリミックス・アルバム『ブラック・アンド・ラウド:ジェイムズ・ブラウン・リイマジンド』(2022)は、ここ数年のBLMムーヴメントと共振して誕生したんじゃないかと思えます。

 

JBくらいの大物になると「簡単に触っちゃダメ」「リミックスなんて必要ない」という声もたくさんあるでしょうが、ひるまず果敢に歴史と対話して連続性を証明してみせたストロ・エリオットの気概に敬意を表したいですね。

 

ストロはJBのヴォーカルだけ基本的にオリジナルをそのまま使いながら、伴奏の楽器群を大胆に入れ替えています。特にリズム・セクションはまるきり全面的に差し替えているというのに近く、聴いた印象ではビート感がまったく違って、現代的に更新されているなとわかります。

 

そのことでストロはJBがそもそも持っていた強力でヴァイオレントなナマの身体性をよりいっそうむきだしにして、さらにパワフルなフィーリングに仕立て上げているように聴こえますね。このばあいのパワーとはつまり2020年来のBLM運動でブラック・アメリカンたちが怒りと抗議の声をあげているそのパワーということです。

 

それを表現せんがためストロは新しいビートをJBミュージックに付与しているわけですが、考えてみればJBはもともとBLM的な考えかたを1960年代から強力に推進してきたアメリカ黒人音楽界のファースト・ランナーでした。当時は公民権運動のさなかでしたが、2020年代のBLMムーヴメントへとそれが連続している、意味は失われていないというのを痛感しますね。

 

いまの時代にJBがブラック・コミュニティで大きく再評価されるとすれば、まさにこの一点にかかわっているんじゃないかとぼくは思います。あの時代からアメリカ社会で黒人としてプライドを持って生き、音楽をつくり、歌い叫び、闘ってきたことが、音楽的にはヒップ・ホップの素地であり、社会的にはBLMの先駆であったと。

 

ジェイムズ・ブラウンの永続性と強固なポジティヴィティを2020年代にこれ以上パワフルに表現してくれた音楽は、いまのところありません。

 

(written 2022.2.26)

2022/02/27

わさみんカヴァーズをサブスクに

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(5 min read)

 

Spotifyなどサブスクで聴けるわさみんこと岩佐美咲は、全10曲のシングル表題曲(+1)だけ。これではあまりにもったいない、むしろカップリングのカヴァー曲やアルバム収録曲をこそサブスクで聴けるようにしてほしいという声はそこそこあります。

 

わさみんカヴァーズのなかには超絶名唱としてファンのあいだで語り継がれているものだってあるんですからね。おおまかに濃厚抒情演歌系とライト・ポップス系に大別できると思いますが、ヴァーサタイルな歌唱能力を持つ美咲はいずれも同じように歌い同じようにぼくらを感動させてきました。

 

濃厚抒情演歌系では、やはりなんといっても「風の盆恋歌」(「佐渡の鬼太鼓」特別盤C、2018)が絶品。石川さゆりが初演ですが、身を焦がすような切なく苦しい実らない恋情をつづったこれはわさみんの持ち味にピッタリですし、実際、2018年2月恵比寿でのコンサートで披露されたとき、ぼくをふくむその場にいたファンはみんな泣いたんです。

 

あまりにもすばらしかった、ぜひまた聴きたい、発売してほしいとの声が高まり、それを受けるようにスタジオで歌いなおしたものが同年八月にCDリリースされました。しかしこれもサブスクにはなし。どんなに絶品だと泣けど叫べど、ちょこっと試聴してもらうことなどかないません。CD買ってよ、と言うしかなく、いまどきもはやそんなのねえ。

 

「旅愁」(「佐渡の鬼太鼓 」特別盤A、2018)や「遣らずの雨」(「恋の終わり三軒茶屋 」特別盤B、2019)もすばらしいできばえ。もともと美咲はずっと前からこの手の演歌を歌うときに才能をみせてきた歌手で、ファースト・アルバム『リクエスト・カバーズ』(2013)からすでに「越冬つばめ」みたいな佳品がありました。

 

その後も『美咲めぐり ~第1章~』(2016)には「北の螢」「なみだの桟橋」があったし、同時期に発売された「石狩挽歌」(「鯖街道」通常盤、2017)もみごとな歌唱でした。しかしどれもこれもCD買うしか聴く方法がないんですからね。んも〜、徳間ジャパンのいけず!

 

ライト・ポップス系なら、たとえば「20歳のめぐり逢い」(「初酒」生産限定盤、2015)なんか、もう最高じゃないですか。そしてなんといっても「糸」!これ、これですよ、美咲史上最高傑作かもしれないとの声まであるこれこそ、サブスクで聴けるようにしてほしい第一位。2017年5月の弾き語りコンサートで披露され、録音されてそのまま同年の「鯖街道」(特別記念盤)に収録発売されました。

 

美咲のこのヴァージョンの「糸」は、同曲全歌手全カヴァー中でもNo.1といえるんですが、サブスクにない以上、ぼくらファンがどれほど絶賛しようとも美咲を知らない音楽リスナーが手軽にちょっと聴いてみることなどできません。

 

美咲のこの「糸」にかんしては、やや苦い思い出もあります。ブログでたびたびとりあげて称賛してきましたが、たまたまあるとき2021年にあるかたとおしゃべりしていて、ブログ更新のSNS通知でみかけたんだけど、どこで聴けますか?すごくいいんでしょ?えっ、CDしかない?う〜ん、それじゃあねえ、もういまどきCDじゃないとっていうのはちょっとねぇ、と言われ、結局そのまま退かれてしまいました。

 

せっかくちょっとだけでも興味を示してもらうチャンスが来たんだから、それを逃さず聴いてみてもらうことが肝心だと思うのに、みすみすあきらめるしかないなんて…。

 

そのかたはApple Musicの常用者だったんですけど、ホント、こういうことが間違いなく日常的に頻発していると思います。ちょこっと興味を示されることがあっても聴いてもらえない、聴かれなかったらどうにもなんないでしょ、音楽なんだから。どうか公式発売された美咲の全楽曲をサブスクに入れてほしい>徳間ジャパンさん!

 

「風の盆恋歌」とか「20歳のめぐり逢い」とか「糸」とか、ちょちょっと耳にしてもらうことさえできれば、美咲がどんだけすばらしい歌手なのか、わかっていただけて、ファン拡大に、つまり売り上げ増につながるのは間違いないと思うんですよ。

 

(written 2022.2.23)

2022/02/26

誇り高き孤独 〜 リアノン・ギドゥンズ「思ひで」

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(2 min read)

 

Silkroad Ensemble with Rhiannon Giddens / 思ひで
https://www.youtube.com/watch?v=O2N4diCfP5c&t=8s

 

能地祐子さんのツイートで知りました。
https://twitter.com/oreberry/status/1494665302269128705

 

音楽集団シルクロード・アンサンブルと二代目芸術監督リアノン・ギドゥンズが、鈴木常吉(セメントミキサーズ、つれれこ社中)の「思ひで」(『深夜食堂』オープニング曲)をカヴァーしました。昨2021年11月、マサチューセッツはケンブリッジでのライヴ・パフォーマンス。これが絶品です。

 

シルクロード・アンサンブルからコントラバスとハープだけを従えて、リアノンは常吉の日本語原詞のままカヴァーしています。常吉の「思ひで」だって、もとはといえばアイリッシュ・トラッド「プリティ・ガール・ミルキング・ハー・カウ」ですから、リアノン&シルクロード・アンサンブルがやるのにそんな意外性はありませんけど。

 

でも日本語詞のまま、それをアメリカでやるというのはなぜだったのか、考えてしまいます。いずれにせよリアノンらのヴァージョンは、孤独感、寂寥感が著しくきわだっていた常吉のオリジナルに比し、高らかに飛翔するというような誇りに満ちた美しさをまとっているのが最大の音楽的特徴。

 

それにより、常吉オリジナルの表現していた人間のかかえるソリチュードが美的に昇華されていくかのような心持ちがするっていう、そんなパフォーマンスじゃないでしょうか。ハープもベースも音の粒だちがきわめてよくて、録音状態がすばらしいせいでもあるんですが、リアノンが完璧な日本語で歌う孤高のプライドを実にクッキリとふちどりしています。

 

と同時に常吉の「思ひで」が、もとからワールド・ミュージック系の越境的なひろがりをはらむ普遍的な曲だったのだということにも気づかされ、あまたの日本語曲からこれをチョイスしたリアノンとシルクロード・アンサンブルの慧眼にも感心します。

 

(written 2022.2.25)

2022/02/25

ラテンなハード・バップのB級作品 〜 ベニー・グリーン

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(5 min read)

 

Bennie Green / Back on the Scene
https://open.spotify.com/album/19v2KYL9fSmB3nOBA0oTFf?si=V5lrrnulTZuY9c3MgKMjeQ&dl_branch=1

 

なんでもトロンボーンという楽器を「鈍くさい」といって嫌うひともいると知ったのは、2005/6年ごろ、mixiでのこと。ジャズ・コミュニティでおしゃべりしていてでした。世のなかホントいろんな嗜好があるもんです。

 

そんな嫌われもの?ジャズ・トロンボーン奏者のひとり、ベニー・グリーン(Bennie Green)が残したアルバムのなかでぼくが最も好きなのは、1958年の『バック・オン・ザ・シーン』。まずなんたってジャケットがいいです、渋いけど味があって。

 

それ以上に、アルバムの大半でラテン・リズム・フィールが横溢しているのが最高に好み。ハード・バップにだってよくあるパターンではありますが、ここまでラテン・テイストで一貫している作品というのも少なかったのでは。いや、ジャズのなかにラテンは抜きがたい要素としてありますけれども。

 

といってもですね、本作の全六曲中、最後の二曲でラテン・リズムはまったく聴けません。ごくありきたりのハード・バップです。ぼくが言っているのはその前の四曲ってことなんですね。

 

1曲目の「アイ・ラヴ・ユー」なんか、コール・ポーターの書いたなんでもないスタンダード・バラードなのに、出だしのこのリズムを聴いてください。ピアノ(ジョー・ナイト)とドラムス(ルイス・ヘイズ)が共同でラテン・リフを演奏しているでしょう、それがイントロで、サビを除くテーマ演奏部だってラテン風味。

 

こういうのがぼくは大好物なんです。この曲もソロ・パートになるとメインストリームな4/4拍子で演奏しているっていう一般的なハード・バップ・マナーですけどね。最終テーマ演奏部はやはりラテン・ビートを効かせてあって、イントロと同じラテン・リフをアウトロとして使い、そのままフェイド・アウト。

 

2曲目「メルバズ・ムード」なんか、もう完璧なるラテン官能バラード。この手の曲想にはトロンボーンという楽器の音色がよく似合います。作曲者のメルバ・リストンもジャズ・トロンボーン奏者ですよ。

 

ここでのベニーらによるヴァージョンは、アフロ・キューバン好きだったホレス・シルヴァーによる1958年当時のタッチを思い起こすよう。「セニョール・ブルーズ」とか、あの手のやつ。「メルバズ・ムード」も最高の一曲です。

 

3曲目がおなじみのスタンダード「ジャスト・フレンズ」で、これも1曲目同様テーマ演奏部でラテン・リズムにアレンジしてあるっていう(ソロ・パートはメインストリーマー)。このへんまでくれば、ラテン・リズムがベニーのこのアルバムを通底するムードなのかも?と気づきます。

 

4曲目「ユア・マイン・ユー」はとてもプリティでリリカルなバラード。ラテンの片鱗すらない感じで進みます。しかしその前半のベニーのトロンボーン・プレイがチャーミングできれいで、こういったバラードをつづるのにトロンボーンという楽器はまたとない絶好の楽器だと納得しますよね。

 

二番手で出る短いテナー・サックス・ソロ(チャーリー・ラウズ)も雰囲気をそのまま引き継ぎますが、すぐまたふたたびベニーのトロンボーンにチェインジして、そのまま最後まで。ベニーによるテンポ・ルバートのコーダ部になって、あぁ終わるんだ、と思った刹那、突如ピアノとドラムスがラテン・リフを演奏するんです。

 

ほんのちょっとのあいだのことですけれど、これがこの曲の演奏全体のいいアクセントになっているじゃないですか。コーダ部でこうやってラテン・フックを軽く効かせることで、バラード・ナンバーとしてのコクと深みが出ています。

 

特にどうってことない、この時期のブルー・ノート・レーベルにはたくさんあったありきたりのB級作品ではありますが、ふだんセロニアス・モンクのもとで演奏しているときよりもハツラツとしているように聴こえるチャーリー・ラウズもいいし、なかなかどうして見過ごせない一作ですよ。

 

(written 2021.10.11)

2022/02/24

人生の辛苦と充実 〜 坂本冬美『LOVE SONGS III』

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(2 min read)

 

坂本冬美 / 愛してる…LOVE SONGS III
https://open.spotify.com/album/6sl028rYpUdpP4KFte7ysu?si=ElrZhuYVRWS8stl0GMouPQ

 

きのう書いた坂本冬美2009〜15年の『Love Songs』シリーズ全六作。そのうち三作目の『愛してる…LOVE SONGS III』がかなりすぐれていて感動したにもかかわらずプレイリストに入れなかったのは、これだけ例外的に傾向が異なるアルバムだからです。

 

というのもこのシリーズはすべて古い歌謡曲スタンダードのカヴァーで構成されているのに対し、この三作目だけは全曲オリジナルなんですよね。どの曲も冬美のこのときのレコーディングのために新たに書き下ろされたもの。

 

そういうわけで『Love Songs』シリーズのなかでは異様なありようを示しているこの三作目、内容の傑出具合も異様です。カヴァー/オリジナルの別を言わなければ、シリーズ中最高傑作に違いありません。

 

曲そのものがどれもすばらしいですが、特にタンゴふうのアコーディオンまで入ったラテンな4曲目「愛に乾杯」、切々とした感情を実にたまらないフィーリングでつづる5「遠い波音」、6「いとしいひと」、このあたりなんかはもう泣そうになっちゃうくらい。「遠い波音」なんか、この歌詞いったいだれが書いたの?と思うほど切ないけど、村山由佳なんですね。

 

いずれもこのアルバムのために用意されたオリジナル・ソングですから、有名曲のカヴァーばかりっていうこのシリーズを通して聴いていたとき、最初あれっ?と感じたのも納得です。と同時に、この哀切感が濃厚にただようオーケストレイションとヴォーカルはタダモノじゃないぞと震えもしました。

 

そう、どの曲も当然初耳で、しかもたいへんすばらしいのでビックリしたんですよね。このアルバムでの冬美しか歌っていないので、世間的な知名度はゼロですが、すばらしいので、ぜひ一度耳を通してほしいと思います。

 

終盤10曲目「人時(ひととき)」と11「そしてまた会いましょう」には、この悲恋感に満ち満ちた作品をみごとに転換し締めくくるポジティヴ・フィーリングがあって、人生の辛苦と充実をみつめかみしめてきた人間にしか書けず歌えない強い説得力を放っています。

 

(written 2021.11.22)

2022/02/23

21世紀のアダルト・オリエンティッド歌謡曲 〜 坂本冬美『Love Songs』シリーズ

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(5 min read)

 

坂本冬美 / LOVE SONGS ベスト
https://open.spotify.com/playlist/0hn865M9Wc4eF1EcPwZKa9?si=96cae94be7684725

 

2021年10月初旬に観にいった坂本冬美のコンサートで最も感心したのは「白い蝶のサンバ」「喝采」という二曲のカヴァーでした。オリジナルから大きく姿を変え、しっとりおだやかで落ち着いたバラードになっていたんです。

 

そんな冬美ヴァージョンが初耳だったぼくはちょっとビックリし、感動もして、調べてみて、それら二曲がそのままのアレンジで冬美2013年のカヴァー・アルバム『Love Songs IV〜逢いたくて逢いたくて』に収録されていることを知りました。

 

そこから芋づる式にたぐってわかったんですが、冬美はこれをシリーズ化しています。2009年の『Love Songs 〜また君に恋してる〜』にはじまり、15年の『LOVE SONGS VI〜あなたしか見えない〜』まで、トータル六作。

 

いずれも遠い過去に歌われたラヴ・ソング系歌謡曲のカヴァー集(Vol. IIIを除く)で、演歌は一つもなし、歌謡曲やポップスだけがとりあげられています。それもけっこう古いものっていうか1970年代の曲が中心なんですね。『VI』は和訳洋楽オールディーズ集です。

 

シリーズ・トータルで全72曲5時間2分。じっくり聴いて、なかでも秀逸だと個人的に思えるものだけ23曲を抜き出してプレイリストにしておいたのがいちばん上のSpotifyリンク。かなりしぼったつもりですが、それでも一時間半を超えています。まずまずのセレクションができたんじゃないでしょうか。

 

むしろ冬美カヴァーでこそ知られるようになった「また君に恋してる」(ビリー・バンバン)とかもありますが、オリジナルから有名なスタンダード・ソングが多いです。「あの日にかえりたい」(荒井由美)、「安奈」(甲斐バンド)、「哀愁のカサブランカ」(郷ひろみ)、「オリビアを聴きながら」(杏里)、「精霊流し」(グレープ)などなど。

 

それら以外だって、みなさんどこかで聴きおぼえがあるだろうというものばかりで、あたかも日本歌謡史総まくりみたいな面だってある冬美のこの『Love Songs』シリーズ。特筆すべきはアレンジ/プロデュース・ワークと冬美のヴォーカル・スタイルです。

 

この手の古い歌謡曲やオールディーズばかりを選曲したということは、どうもCD購買層を50代以上〜還暦前後の世代と想定して、そこにフォーカスしたんだろうというプロデュース意図を感じますが、どの曲もアレンジをオリジナルとは大きく変えてあります。

 

アダルト・オリエンティッド歌謡曲とでもいうような、しっとり落ち着いたおだやかなリズムとサウンドを軸に、ジャジーなムード満点でふんわりとくるんでいるんですよね。調べてもアレンジャーがだれだったのか出てこないんですが(CD買えば書いてある?)、シリーズ・トータルを一人で手がけたのかもしれない?という統一感があります。

 

メイン・ターゲットを高年層にしぼったことで、曲のアレンジもそんなリスナー向けのおだやかな大人のサウンドでキメているということなんですが、冬美のヴォーカルにもそんなプロデュース意図が伝えられたに違いなく、本来領域である演歌を歌うときとはかなり様子が違います。

 

コブシもヴィブラートも派手な声の出しかたもすべて消し、ナチュラル&スムースな発声とストレートな歌唱法に冬美は徹しています。それが大成功していると思うんですよね。従来的な有名歌謡曲にあたらしい相貌を与えていると言えます。

 

選曲のよさと意外さ、ジャジーでおだやかでまろやかなアレンジ・ワークの徹底、抑制の効いたヴォーカル・スタイルのあざやかさ 〜〜 これら三位一体で、冬美の『Love Songs』シリーズはもはや過去のものだった古い歌謡曲・流行歌を21世紀にみごとに蘇らせていると言えるでしょう。

 

同じ冬美の『ENKA』シリーズ(2016〜18)や徳永英明の『VOCALIST』シリーズ(2005〜15)をてがけたアレンジャー坂本昌之の仕事に共通するスタイルを感じるんですが、どうも坂本ではないみたいで、だれがアレンジャーだったのか、ほんとうに知りたいです。

 

いずれにせよ、ここ10年くらいのポップスではこういったサウンドとヴォーカルがメイン・スタイルになってきているのは間違いありません。

 

(written 2021.11.20)

2022/02/22

ぼくにとってはこれが最高の「ハウ・ロング・ブルーズ」 〜 ダン・ピケット

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(4 min read)

 

Dan Pickett / Baby How Long
https://www.youtube.com/watch?v=TYLyQFeUWDg

 

知るひとぞ知るといった存在の米カントリー・ブルーズ・ミュージシャン、ダン・ピケット。第二次大戦後の1949年にフィラデルフィアのゴッサム・レーベルに録音した十数曲がすべてで、それ以外どんな人物だったのかもまったく謎。

 

ダン・ピケットについては、以前も一度書きましたね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-f412.html

 

フィラデルフィアの会社に録音したといっても長旅の結果であったに違いなく、残された音源を聴けばあきらかに南部のギター弾き語りカントリー・ブルーズ・ミュージシャンであったとわかります。ミシシッピ・デルタ・ブルーズの影響も濃いです。

 

ダン・ピケットが残した録音のうちぼくがこよなく愛するのが、どんなアルバムでも1曲目に来る「ベイビー・ハウ・ロング」。曲題だけでもわかりますが、かのリロイ・カー最大の代表曲「ハウ・ロング・ブルーズ」のカヴァーです。この曲のことがそもそも大好きですが、ダン・ピケットのヴァージョンはといえば、こ〜りゃもう至高のものとしかぼくには思えないわけです。

 

これが収録されたPヴァイン盤『ロンサム・スライド・ギター・ブルース』CD発売が1991年。90年代に山ほど出た古いブルーズ音源リイシューものの一環で、ぼくはこれを店頭で見かけるまでダン・ピケットなんて名前すら聞いたことありませんでした。

 

でも雰囲気のあるジャケットとアルバム題に惹かれたんですよね。それでなんとなくの直感みたいなものでレジへ持っていったと思います。自宅へ帰って聴いてみて、1曲目の「ベイビー・ハウ・ロング」に強い衝撃を受けました。こんなに魅力的な曲があるのか?こんなに沁みるブルーズ・ギター&シンガーがいるのか?と。

 

間違いありませんが、このとき1991年が、リロイ・カーのこの有名曲を知った最初でした。ひょっとしたらリロイ・カーの名前すらも知らなかったし、だからこの曲に星数ほどのカヴァー・ヴァージョンがあることなんてつゆ知らず。でもそれらを知ったいまでも、このダン・ピケットの「ベイビー・ハウ・ロング」こそ、ぼくにとっては最高のヴァージョンだと思えてなりません。

 

つまり、シティ・ブルーズの代表的名曲であるリロイ・カーの「ハウ・ロング・ブルーズ」に、南部カントリー・ブルーズとして出会ったのだということです、ぼくは最初。

 

ザクザクとギターで刻むビート感はまさしく南部カントリー・ブルーズのもので、それがあまりにもチャーミング。歌うがごときスライド・プレイもいいですよね。ダンはときおり歌のフレーズ末尾を一部歌い切らず、そのまますっとスライド・ギターに置き換えているパートもあります。

 

また、この塩辛いヴォーカルがいいんですよね。歌い出しの「ナウ、ベイビー・ハウ・ロング/ア〜、ツッ、ハウ・ロング」のパート、ここだけでもう降参です。特に2節目の音程を独自に装飾してマイナー調に歌うところ、胸をグッとつかまれてしまいます。

 

むずかしいことはなにもやっていない、ギター・ビートとスライドでの繊細な歌い、そしてこのヴォーカルと、たったそれだけでこれだけの小宇宙を創造してしまうあたりといい、素材は超有名ブルーズ・スタンダードだけどダン・ピケットにしかできないオリジナルみたいに仕上げているところといい、ぼくにとってこれ以上のカントリー・ブルーズはありません。

 

(written 2021.8.20)

2022/02/21

2022年2月19日の会話より

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(8 sec read)

 

Facebookメッセンジャーで。相手はプリンスが好きな美容室経営の友人スタイリスト。

 

(written 2022.2.19)

2022/02/20

心おだやかに 〜 比類なきルーマーの『ナッシュヴィル・ティアーズ』

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(3 min read)

 

Rumer / Nashville Tears
https://open.spotify.com/album/14rdSyKf6e1XzE157DlHyo?si=mFSijf_FRPW7ixQxZlyFXg

 

大好きルーマーの2020年作『ナッシュヴィル・ティアーズ』のことは、その年にすぐ聴いて感想を書きブログにも上げました。カレン・カーペンターとかノラ・ジョーンズとかのファンでしたら、ルーマーも一聴の価値ありですよ。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-4b7b3d.html

 

この『ナッシュヴィル・ティアーズ』を、近ごろまたふたたびどんどん聴きなおすようになっています。リリース当時いいねと思ってかなり聴きましたが、また違った意味でよりいっそう沁みるようになってきているんです。

 

きっかけは正月にレトロ・ポップスの記事とオーガニック・ミュージックの記事を書いたこと。そういう方向を自分で明確に意識するようになってみると、ルーマーは、もちろん前からそんな趣向がありはしたものの『ナッシュヴィル・ティアーズ』はこれまたいっそうそうじゃないかと強く感じるようになりました。

 

くわえて大きなことだったのは、3曲目「オクラホマ・ストレイ」が傷を負った野良猫と心を通いあわせる人間とのつらく悲しい出会いと別れのストーリーだと知ったこと。ある晩なんか聴きながら泣いちゃいました。ほんとうにハートブレイキングな一曲。

 

淡々と静かに弾かれるアクースティック・ギターだけの伴奏ではじまって、しばらくするとペダル・スティールとかフィドルとか(薄いドラムスとか)もからみはじめるんですけど、その上でやさしくそっとおいていくように、静かにことばをつづっていくルーマーのヴォーカルによって、悲痛がいっそう胸に迫ってきます。

 

続く4「ブリスルコーン・パイン」の切な系メロディも、この歌手の端正で美しい声で歌われてこそ沁みるし、15「ハーフ・ザ・ムーン」出だしのアクギ・カッティングとマンドリンのからみの美しさとか、16「ネヴァー・アライヴ」はピアノ一台だけの伴奏でたたずんでいるおだやかな様子とか。

 

アルバム全編とことん<オーガニック>ということにこだわったサウンド・メイクも、いまのこの2020年代にこれ以上のプロデュースとサウンド・メイクはないなぁと言い切りたいほどすばらしい絶品です。

 

電子楽器はいっさいなし、電気だってベースと(一部の)ギターだけで、それも控えめ。徹底的にアクースティックな人力生演奏で組み立てたのは、とりあげられているのがすべてヒュー・プレストウッドというポップ・カントリー系ソングライターのブックであるということも関係あるんでしょうし、ルーマーの資質も考慮に入れてのことでしょう。

 

仕上がりは決してカントリーっぽいサウンドにはならず、しっとりと湿っていてしかもやわらかくおだやかな情緒を感じさせるルーマーのこの比類なき美声こそ、人間味あふれるプレストウッドの世界を歌うにふさわしい最高のものだと実感します。

 

(written 2022.1.16)

2022/02/19

オギとハギ

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(3 min read)

 

荻原さんブログ → https://bunboni58.blog.ss-blog.jp
萩原さんブログ → https://kenta45rpm.com

 

音楽関係で、bunboniこと荻原和也さんと、萩原健太さんのそれぞれブログは個人的に最大の情報源なんですけど、お名前を書くときに、ぼくは漢字の「荻」(オギ)と「萩」(ハギ)という二つの字体を区別できない人間なんですね。

 

書くときだけじゃなく読むときだって、どっちの漢字が来てもあれっオギだっけ?ハギだっけ?ってわからなくなってしまうっていう。

 

ある種のビョ〜キかと思います。

 

この二つの漢字の違いを(デジタル・ディバイス普及前に)ちゃんと学ばないままこの歳まで来てしまったからなんでしょうねえ。よく似ていてまぎらわしいといえばそうじゃないかとは思うんですが、お名前の漢字表記を間違えるなんて、やっぱりやっちゃいけないことですから。

 

といってもMacのかな漢字変換システムに任せてあるんで、おぎわら/はぎわらでスペース・キーを打って出てきたのをそのまま使っているだけなんですが、その際にじっくり確認しなおさないのがよくないんですよねえ。パッと見、一瞬ではわかりにくいような感じですからなおさら。ゴメンナサイ。

 

オギワラさんに一度指摘されたばかりか、ハギワラさんにも、直の指摘じゃなかったんですけど一、二度ご自身のブログ記事中カナ書きで「ハギワラです、よろしく」みたいにおっしゃってあったのは、ひょっとしてそういう意味だったのかも?という気がして、心配で。間違えたこと、ありましたっけ?

 

実を言いますと、ぼくもよく名前の漢字表記を間違えられる人間で、「戸嶋」(としま)なんですけど、頻繁に「戸島さん」「豊島さん」と書かれます。以前はそのたびに修正していましたが、多くてキリがないし、ぼくを呼んでくれているには違いないと思うから、あまり言いにくくなって、最近は。読みだって「とじま」「こじま」と言われることがかなりあります。

 

書きでも読みでも名前を間違えられるとやっぱり気分よくないっていうのをだれより自分自身が長年経験し続けてきているというのに、荻原/萩原を間違えちゃいけませんよね。コツとしては、くさかんむりの下が「あき」なのがハギってことですか。オギはけものへん。まぁそれしか違わないわけですが。

 

実際問題、書くときはパソコンやスマホの変換機能に任せてあります。だからシステムの辞書が間違っていなければ出てくる文字は正しいはずと思いますが(じゃあなぜ以前は一度間違えた?)、テキスト・アプリに表示された漢字をしっかり確認しなおす習慣をつけることにします。

 

荻原さん、萩原さん、今後ともよろしくお願いします。

 

(written 2022.2.5)

2022/02/18

カムカム効果?のサッチモ人気

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(5 min read)

 

Best of Satchmo 1925-1933
https://open.spotify.com/playlist/0hnTD1H0miwSU55zDb2ovJ?si=b77e8aea8d9a4038

 

なんか、ブログのアクセス解析をみていると、最近サッチモことルイ・アームストロングについて書いた記事がどんどん読まれるようになっています。アメリカは南部ニュー・オーリンズ生まれの黒人ジャズ・トランペッター&シンガーで、1971年没。

 

それも第二次大戦後に録音したアルバムの話題じゃなくて、1920〜30年代のオーケー・レーベルに吹き込んだ古典的録音について書いたものに人気が集中していて、こりゃなんじゃろう?いくらレトロ・ブームだからって、なんかおかしいぞと。

 

理由がちっともわからずにただ不思議がっていたんですけど、ついこないだ、NHK朝の連続ドラマ『カムカムエブリバディ』のことを知りました。どうやらそれがサッチモ再注目の原因みたいです。

 

聞きかじった話じゃ、そのドラマのおかげでサッチモのベスト盤CDがジャズ・チャートを上昇してもいるそうです。こんなネット記事も見つけちゃいました↓
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022021400786&g=soc

 

へえ〜、これだったらね、すぐには気づくわけないですよ。なんたってぼくんちにはテレビジョン受像機がないんですから。音楽だけに全神経を集中したい、そういう人生になったと思ったから、2016年に処分してNHKの受信契約も解除しました。テレビ番組の話題を遠ざける日々ですからね。

 

そんなぼくでも、サッチモやその音楽が再注目され人気もあがっているとなれば気になってしかたがないので、ネットで朝ドラ『カムカムエブリバディ』のことをちょちょっと調べてみました。ジャズに関係したその番組内容はみなさんご存知のようなので、ここで記す必要はありません。サッチモは深津絵里の役どころ「るい」(!)の愛称みたい。

 

それで、2015年にはじめたようなブログで、こんだけサッチモの古い録音について書きまくってきた人間って、たぶんぼくだけじゃないかと思いますよ。それくらいサッチモの音楽がいまでも好きで好きでたまらない、時代の流行とか(テレビ・ドラマのおかげとかなにかで)ホットな話題だとか、いっさい関係なく愛聴し続けてきました。

 

ぼくが書いたサッチモ記事、いちばん最初はこれ↓

 

・サッチモの最高傑作は「ディア・オールド・サウスランド」だ
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-946f.html

 

実はこれが最もアクセス急増中で、カムカム以前にはまったくといっていいほど読まれていなかったんですけれども。1930年録音という古い一曲を話題にしたものですからね。でもホント美しく、感動的なので、ぜひちょっと聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=MPjQJ9lgG98

 

そのほか主だったと自分で思えアクセスも増えているものをちょっとだけご紹介すると…

 

・サッチモの古い録音を聴いてほしい
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-13e085.html

 

・サッチモ 1925~27
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/192527-bfc3.html

 

・サッチモ 1928
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/1928-f5ad.html

 

・サッチモ 1929 - 33
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/1929---33-d736.html

 

特に音楽内容には踏み込まず、ただただサッチモを聴きながら生前の写真を眺めているだけで気分がいい、微笑ましい、それくらい好きだっていうのが以下の記事↓

 

・サッチモの写真を見るのが好き
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-c658.html

 

これと関連しますが、サッチモの音楽に対する取り組みかたとはどういうものだったのか、ということをふりかえって考えて書いたのが以下↓。とりあげているアルバムは戦後録音のものですが、このひとの姿勢は1923年のデビューからずっと一貫していました。

 

・没後半世紀目に考える、サッチモとジャズ・エンターテイメント
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/08/post-958354.html

 

これら以外にもたくさんあるんで、お時間とお気持ちのあるかたは検索してみてください。

 

サッチモはジャズの全歴史上最もビッグな存在であり、史上最も強い音楽的影響を後続のミュージシャンたちにおよぼしました。トランペットやヴォーカルといった楽器にかぎらずです。ジャズという枠をも超えて敬愛を集めた存在で、20世紀以後のアメリカン・ミュージックでは最大のイコンなんですね。

 

なにぶん録音も音楽スタイルも古いため、いまではかえりみられることが少なくなり、音楽的にどう偉大だったのかということを熱く語るひともほとんどいなくなりました。でも伝え継いでいかなくちゃ。なんたって聴けば文句なしに楽しいんですから。

 

テレビ・ドラマ『カムカムエブリバディ』がそのきっかけをつくってくれたのであれば、そして2022年という時代にサッチモがふたたび注目され、ひょっとしてその古典的録音がまた聴かれるようになっているのであれば、これ以上のよろこびはありません。

 

(written 2022.2.17)

2022/02/17

バラディアーとしてのマイルズの真価 〜「I Fall in Love Too Easily」

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(4 min read)

 

Miles Davis / I Fall in Love Too Easily
https://open.spotify.com/track/32YZWXNhOd70F19BZSU73w?si=d0375e814d0d4496

 

同じ曲の話をなんどもしてごめんなさい、でも昨晩22時半すぎ、なにげなく流していたプレイリストでふと耳に入ってきたマイルズ・デイヴィスの「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イーズリー」で、思わず泣いちゃった。

 

マイルズ1963年のアルバム『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』の3曲目なんですけど、この作品はウィントン・ケリー、ジミー・コブらがいたレギュラー・バンドの解散後、次のニュー・バンドを結成するまでの端境期に録音されたものです。

 

正確には二種類のセッションで構成されていて、2、4、6曲目が新しく結成したばかりのニュー・クインテット(ジョージ・コールマン、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズ)による初録音。それ以外の三曲はその直前にロス・アンジェルスでセッション・ミュージシャンを起用して誕生しました。

 

ハービーらで構成されるニュー・クインテットは、その後1968年まで目覚ましい大活躍をすることとなり、マイルズの音楽生涯を通しても一つのピークだったといえるほどなので、だから63年の『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』はその最初の入口にあるものと捉えられることがほとんど。

 

ですが、ぼくの見方は違います。このアルバムの聴きどころは、ワン・ホーン編成によるLA録音のバラード三曲。ハーマン・ミュートでどこまでも切なくリリカルに吹くマイルズの持ち味が存分に発揮されていると思うんですよね。

 

音楽的なシャープさ、新時代を先取りする気概、溌剌としたバンドの躍動感などはまったくないそれら三曲こそ、だからゆえにかえって、バラード吹奏におけるマイルズのチャームを理解するのにもってこいですし、ほんとうに美しいとぼくは心から感動します。

 

これは40年以上前からずっといだき続けている実感なんですけど、低評価ぶりと、ニュー・クインテットによる若々しいみずみずしさが聴ける三曲との落差が大きいので、あまりおおっぴらに公言できないままのマイルズ・リスナー人生でした。

 

とはいえ過去にこのブログで一度だけ記事にしたことはありますけれど。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/la-15b3.html

 

なかでもA面ラストだった「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イーズリー」でのマイルズの切なさ極まる演奏ぶりは絶品。伴奏(ヴィクター・フェルドマン、ロン・カーター、フランク・バトラー)も肝所をおさえた職人芸で、ため息が出ます。

 

この曲はコロンビア時代の1945年にフランク・シナトラが歌ったのが初演で、シナトラ好きだったマイルズは、それが理由でとりあげたに違いありません。線の細い頼りなさげで女性的なハーマン・ミューティッド・トランペットのサウンドは、シナトラの味とはだいぶ違いますね。

 

マイルズの「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イーズリー」、四人でどこまでも淡々と静かにおだやかにこの切ないメロディをつづっているようでいて、しかしそれでもやや熱を帯びているかと思える瞬間もあり、内に秘めた爆出しそうな孤独と哀感を音楽的にきれいに蒸化していく様子に、バラディアーとしてのマイルズの真価を聴く思いです。

 

みずみずしい三曲に比べ、それらには表現が円熟しきった退廃すら感じられ、それも理由でぼくはずっと愛してきました。

 

(written 2022.2.16)

2022/02/16

アンゴラとブラジルをつなぐ打楽器ハーモニー 〜 ルシア・ジ・カルヴァーリョ

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(2 min read)

 

Lúcia de Carvalho / Pwanga
https://open.spotify.com/album/2xNQJC823l3SCJbVxL2Dt3?si=atTnWFrcQCy2rdpF50Bpng

 

ルシア・ジ・カルヴァーリョはアンゴラのルアンダ生まれ、フランスを拠点にずっと活動してきた歌手ですね。最新作『Pwanga』(2022)は音楽的にブラジリアンといっていい内容で、そもそもルシアが在籍していたフランスのグループ、ソン・ブラジルはその名のとおりブラジル音楽をやっていたそう。

 

新作にはシコ・セザール、ゼー・ルイス・ナシメント(バイーア出身のパーカッション奏者)、アナ・トレア(サンパウロのシンガー)いったブラジル勢も参加していて、+アンゴラ人ミュージシャンといった編成みたいです。

 

バイーア色が濃いかなと感じるんですが、派手な打楽器群の乱打を中心にビートの効いたアフリカン・ルーツな音楽をやっています。っていうかそもそもアフリカ人なわけですけど、ルシアはブラジルをいったん経由して、それを足がかりにアフリカを眺望するといった視点を持っているのが特徴。

 

そんな傾向は1曲目から爆発しています。2曲目はちょぴりアラブ音楽ふうな旋律とこぶしまわしが聴けて、こりゃなんじゃろう?と思いますけど、基底部のビート感はまぎれもなくアフロ・ブラジリアンです。

 

はじめて聴いたルシアのヴォーカルには溌剌としたはじける元気のよさがあります。それでもキャリアなりの落ち着きも感じられ、いまいちばんいい時期なのかもしれませんね。強い発声でパンチの効いたノビのある歌をくりだす歌手で、こぶしもまわっています。

 

ヨーロッパでマルチ・カルチュラルな仲間たちと活動を続けながらブラジル音楽をやって、そのなかにあるアフリカ要素をとりだし強調することで、自身のルーツをみつめディグし、アイデンティティを確立しているような音楽だと思えます。

 

(written 2022.2.13)

2022/02/15

ブラジリアン・ギターリスト+ラージ・アンサンブル 〜 ロメーロ・ルバンボ&ラファエル・ピコロット

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(2 min read)

 

Romero Lubambo & Rafael Piccolotto Chamber Orchestra / Live at Dizzy’s
https://open.spotify.com/album/20q3L5EuQaKVBcQbiujlfS?si=ZILxWZm7TsCujSHtTKqmTQ

 

リオ・デ・ジャネイロ出身、ブラジル人ジャズ・ギターリストのロメーロ・ルバンボが、同じくブラジル出身在NYの作編曲家ラファエル・ピコロットの編曲・指揮するラージ・アンサンブルと共演した北米ニュー・ヨーク・ライヴ『ライヴ・アット・ディジーズ』(2021)が、ちょっといい。

 

アクースティック・ギターリストが主人公であるとはいえ、そんな目立つようにソロなどたくさん弾いているという印象は薄く、むしろアンサンブル主体で演奏が進行します。どっちかというとラファエルの仕事を聴かせるというアルバムなんでしょうか。

 

それでもそこそこギター・ソロもありますけどね。サンバやボサ・ノーヴァ、特に後者のスタイルでアレンジされているものが多く、曲はオリジナル中心ですが、なかにはややびっくり「ルート 66」みたいなスタンダードもあったりして。それには女声ヴォーカリストが参加しています。やはりボッサ・ジャズといった趣きで、ロメーロのソロもあります。

 

上でも言いましたが、弾きまくりギターをフィーチャーしているというよりも、アンサンブルのなかのパーツの一個としてうまくはめ込んでいるプロデュースぶりで、その点、かつてのウェス・モンゴメリーを想起させる内容ですね。ドン・セベスキーやクラウス・オガーマンとやったやつ。

 

実際ラファエルのアレンジも迫力とスケールがありながらきめ細かくて、そのなかを縫うように走るロメーロ(やアコーディオンやサックスなど)のソロもスケールが大きく、聴いていてとても楽しいし心地いい。8「Paquito in Bremen」みたいな優雅なバラードで聴かせるやわらかくたおやかな味も絶品です。

 

(written 2022.2.7)

2022/02/14

コロナ時代だからこその加那 〜 平田まりな

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(3 min read)

 

平田まりな / 加那 〜 古典コンテンポラリー すべての愛しきに向けて〜
https://open.spotify.com/album/4Z4nFTdD4ydYsexei546AI?si=eH4VpByvReKsdNUHCjE7Dg

 

三線で弾き語る奄美の島唄者、平田まりなの新作アルバムが出ました。『加那 〜 古典コンテンポラリー すべての愛しきに向けて〜』(2022)。まりなについては、以前2019年のデビュー作をとりあげて書いたことがありましたね。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-eac552.html

 

そもそもまりなにはひめまりという二人組ユニットで出会ったんですが、ひめまりのほうはニュースを聞かなくなったので、活動休止中ということなんでしょうか。それでもまりな単独で二作目が出て順調に活動していて、うれしいです。↓写真はひめまり。

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音楽家ですからね、御多分に洩れずコロナ禍で苦労していることはふだんのソーシャル・メディア投稿からもうかがえて、今回の『加那』もCDを全国的に展開すべくの対人販促イベントなどほぼできず。それでも一作目『跡(アシアト)』とのコロナ時代らしい大きな違いはSpotifyなどサブスクで聴けるということです。

 

さらに、一人弾き語りだけで構成されていた前作に比し、今回は祖母の松山美枝子がお囃子でほぼ全曲に参加。そうじゃないラスト7曲目では従姉妹の西平せれながハンド・パンを演奏しているっていう、奄美島唄でハンド・パンが聴けるなんて、思っていなかったです。

 

そのハンド・パンが聴こえる7曲目「行きゅんにゃ加那」ですけど、まずはハンド・パンだけの伴奏に乗りまりなが歌いはじめます。ヴォーカル・スタイルは三線弾き語りのときとなにも変わらないとはいえ、こんな奄美島唄はまったく聴いたことないぞと思う斬新なサウンドスケープで、引き込まれます。途中から三線もくわわると、ますますいい香り。

 

これ以外の六曲は従来的な奄美民謡の趣きですが、今回すべての曲題末尾に「加那」ということばが付いています。アルバム題にもなっているわけですが、これは「愛しい人、好きな人」を意味する奄美語だそう。コロナ時代だからこそ自分の歌を届けたいというまりなの気持ちが伝わってきますよね。

 

松山美枝子が参加していることでサウンドにふくらみとひろがりが出ているし、まりな自身の三線と歌は以前と変わらないシャープさと丸み。いっそう強靭さを増したんじゃないかとも思えるトーンで、声の色には独特の憂いや哀感を保ちながらも、三線の音色はどこまでも鋭敏。

 

ファミリアーな親近感とか落ち着きも聴けるなと感じるのは、一族三名でつくりあげた音楽だということにくわえ、まりな自身の成長ということと、やっぱりこんな時代だからこそ歌で愛を届けたいという思いが結実したものでしょう。

 

(written 2022.2.12)

2022/02/13

そばに音楽があればいい

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(6 min read)

 

たとえばマイルズ・デイヴィス。1975年夏の一時引退前はもちろんのこと81年の復帰後もしばらくのあいだ、コンサート・ステージで自分の順番じゃないあいだはバンドの演奏が進行中でもソデにひっこんで休憩しちゃうひとでした。

 

たぶんタバコ吸ったりボ〜ッとして、べつなことしたり、あるいはスタッフとしゃべったりもしていたかもしれませんが、そんなあいだもステージでバンド・メンバーがくりひろげている演奏はボスとしてちゃんと聴いてチェックしていて、終演後に気になるメンバーを呼んであれこれ指導していたんです。

 

もちろん自分が演奏しているあいだとか、あるいはスタジオでのレコーディング・セッション中とか、よそ見しながらやっていたわけじゃなかったんでしょうけど、音楽は「音」で(聴力障害がなければ)耳で聴くものですから、だから聴いているあいだ耳だけ集中して、あとは目でなにを眺めていても、手で作業していても、べつにいいんじゃないでしょうか。

 

耳さえ研ぎ澄まされていればですね。毎朝7時前に起きて毎夜24時すぎに寝るまでずっと音楽が止まらず鳴りっぱなしというぼくのばあいだと、その間、ごはんつくって食事したりトイレとかお風呂とか洗濯とか掃除とか、日常生活があります、当然。

 

手が空いてゆったりすわっていてもやっぱりネットでソーシャル・メディアのタイムラインを眺めていたり投稿したり、テキスト・アプリでブログ記事を書いたり、とにかくなにかしていますが、なにをしていても音楽はノン・ストップで流れています。だから、集中して聴いている時間とBGM的になっている時間とがありますね。

 

しかしBGM的なというか流し聴きになっているあいだも、耳は聴こえてくる音楽に集中していて、むろん水を使ったり火を使ったりすれば音が出ますから、重なって背後の音楽のほうはやや聴こえにくくなります。そんなときでも、ふと耳に入ってきた音にハッとする瞬間というのがあって、それをきっかけにアイデアがわき、まとまった文章をしあげることにつながったりも。

 

音楽キチガイというか音楽中毒者は、片時も音楽がない状態は耐えられないっていう人間でしょうから。ちょうど麻薬中毒者がその血中濃度が下がってくるとガマンできなくなってくるように、音楽が鳴っていない時間というのが考えられないっていう、そういうもんじゃないかと思います。

 

すくなくともぼくはそう。自宅にいてなにかしている最中にアルバムとかプレイリストの再生が不意に終わって無音楽になったら、とたんに不安になったりイライラしてしまいます。どんなときでも常に聴こえていてほしいから、実際そうしています。

 

するとですね、ディスクだと再生がいったんは終了する限界時間というのがありますよね。レコードだと片面30分未満くらい、CDならギリギリ詰め込んで最大80分。そこで裏返したり取り替えたりという作業が来ますけど、それがすぐにできない、手が離せない状況というのが日常生活にはそこそこあります。

 

もちろんサブスクだって、リピート再生や終了後に続けて関連曲を流す設定にしていないなら(ふだんぼくはしない)、短めのアルバムなどはそこで終わるから、また別のものをクリックする必要があります。ってことは本質的にディスクで聴くのもサブスクで聴くのも同じではあるんですが、ディスクだとリピート再生設定なんかはできませんよね。長尺のプレイリストを流しっぱなしにしておくということも、できない。

 

サブスクで途切れなく音楽を耳に入れていて、だからもちろん流し聴きの時間もあるけれど、毎日数時間はパソコン画面でSpotifyアプリで表示されるジャケット+トラックリストをジッと凝視したまま微塵も動かず、集中して聴いている時間もあります。パソコンが立ち上がっているけれど、SNSもWebブラウジングもなにもしないで、サブスクで音楽だけに集中して聴き込んでいる時間というのがですね、あります。

 

ディスクだって、パッケージを裏返して眺めたり、ブックレットなどを取り出してテキストを読んだり写真を楽しんだりなどしながら聴いているわけでしょう。ぼくはそうでしたけど、たぶんみんな同じなはず。それがいいんだ(音しかないサブスクに対する)フィジカルの利点だって、いまやみんな言っていますからね。

 

だから裏返せば、音しかないぶん、サブスクのほうが音楽(オーディオ・データ)だけにじっくり正対して向きあうにはいいのかも?というのも日々痛感していることです。

 

サブスクだと演奏パーソネルや各種情報、クレジット関係が(一部しか)わからない、ストーリーを語ったテキストも美麗な写真類も付属しないというのは、間違いなく大きなデメリットですけどね。そこはなんとかならないんですか?> SpotifyさんやAppleさん。

 

(written 2022.2.3)

2022/02/12

台湾発、かすかにレトロな新世代R&B 〜 ジュリア・ウー

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(3 min read)

 

Julia Wu / 2622
https://open.spotify.com/album/4FsfJ4W3zxBFfkiBNUpdo6?si=NIWKUjxlTiWz4JnNlpe6vg

 

台湾的音楽のことをどんどん紹介している石井由紀子さんのnoteに出会ったきっかけは、ぼくがぞっこんのチェンチェン・ルー(魯千千、在NYCのブラック・ジャズ・ヴァイブラフォン奏者)について書いていたから。

 

それで石井さんをフォローするようになったんですが、昨年暮れごろ若手R&B歌手ジュリア・ウー(吳卓源)のことが紹介されてあったので、そのままアルバムをSpotifyでさがして聴き、うんこりゃいいねと納得しました。
https://note.com/yukiko928/n/nf10f819b15a1

 

中国は海南省生まれですが、すぐにオーストラリアへ家族で移住。米バークリー音楽大学を卒業し、2017年から台湾で活動しています。国籍はデビューのきっかけたるオーディションを受けたオーストラリアにあるみたい。日本人音楽家ともコラボ経験があるようですよ。

 

現時点での最新アルバム『2622』(2021)、ジャケットの感じはまるでロー・ファイ・ヒップ・ホップのそれですが、音楽的にはジュリアもまた新世代らしいエラ・メイとかH.E.R.などのオルタナティブR&Bの系列に連なる歌手に違いありません。

 

でも重く沈む感じはジュリアになく、ノリよく聴きやすいのが特徴で、さらにウィットニー・ヒューストンやマライア・キャリーといったクラシカルR&Bというか90年代フィールもかすかにあるのがぼく好み。特に『バタフライ』(97)あたりのマライアっぽいような。

 

アルバム『2622』は出だしからいいですが、特に好きだと感じるのは3曲目「paris」から。ミディアム・テンポのふわっとしたグルーヴがセクシーで、歌声もチャーミングだけど、なんたってトラック・メイクが最高ですよ。

 

そして4「better off without you」。これがぼく的には本アルバム中の白眉。台湾の人気ラッパー、瘦子E.SOとのコラボ・ナンバーで、パーティー・チューンふうなクラブ・ビート感が文句なしにカッコいい。90年代ふうのレトロなR&Bっぽいですが、確実に2021年のものといえる浮遊感もジュリアの発声にはあります。

 

感情の機微を表現するジュリアのデリケートなヴォーカル・マナーは、確実に21世紀的なソフィスティケイションに裏打ちされていて、たとえば8曲目「精神分裂」なんかを聴いても、新世代R&B歌手に違いないとわかるアンビエンスと重心の低さを持っているとわかります。

 

(written 2022.2.9)

2022/02/11

グナーワ&ジャズ・ハイブリッド 〜 メディ・ナスリ、オムリ・モール、カリム・ジアード

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(3 min read)

 

Omri Mor, Mehdi Nassouli, Karim Ziad / Assala
https://open.spotify.com/album/0naKDiFvjhAcy1IWy2QiyS?si=wH2C8uSsQpqqfsEo5vE9BQ

 

lessthanpandaさんのMúsica Terraで知りました。
https://musica-terra.com/2021/07/24/omri-mor-mehdi-nassouli-karim-ziad-assala/

 

モロッコ人ゲンブリ奏者メディ・ナスリが中心になっているこのトリオになにか特定のバンド名みたいなものはないみたいで、ただ三人の名前を列挙して「オムリ・モール、メディ・ナスリ、カリム・ジアード」と書かれてあるだけ。

 

メディがゲンブリ&ヴォーカル、オムリ(イスラエル)がピアノ、カリム(アルジェリア)がドラムスという編成です。常時編成バンドというより、随時集まるプロジェクトみたいなものなんでしょう。

 

このプロジェクトは2019年ごろからはじまっていたらしく、ライヴ活動などはやってきていたらしいのですが、昨年それが一つのアルバム『Assala』(2021)に結実しました。これが、グナーワ、ジャズ両方に興味のある人間にはおもしろい内容です。

 

どの曲も、基本、メディの弾くゲンブリのベース・ライン反復を中心に組み立てられていて、そこはグナーワらしいマナー。同じくメディの歌声もグナーワを強烈に感じさせる質と旋律なのですが、ピアノとドラムスが入ってくると、その上にジャジーなハーモニーとリズムの多彩さが乗るといった具合です。

 

ジャズ成分を代表しているといえるのがオムリの弾くピアノ。このひとはイスラエルでは名の知れたジャズ・ピアニストです。グナーワというとそもそも和声的にはシンプルで、そういう部分じゃなくヒプノティックなワン・グルーヴの反復こそが魅力の音楽なんですが、アルバム『Assala』ではそこにポリフォニックなハーモニーが加味されています。

 

オムリのジャズ・ピアノはさほど冒険したりはしないスタイルで、典雅で端正。クラシックも学んできたことがよくわかるのがフレーズのはしばしに出ていて、かといって曲によっては後半部メディの弾くアップ・ビートなゲンブリ反復に乗って、熱く高揚したりもするんです。

 

そうしたヒート・アップするパートでは、ちょっとジャズ・ミュージックでは聴いたことのないトランシーさを感じさせたりもして、しかしグナーワそのものでもないし、まさしくグナーワ&ジャズ・ハイブリッドだよなあ、唯一無二の音楽だと感じさせるものがあります。

 

グナーワ・ミュージックの原初的な特質を失わないで、そのままうまくジャズでリハーモナイズした音楽といえる、ちょっと注目していい作品じゃないでしょうか。

 

(written 2022.1.18)

2022/02/10

音楽趣味は「役に立つ」?

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(3 min read)

 

古文・漢文の学習が役に立つのか?ってことを言うひとがあるそうです。2022年の日本人が現代かな漢字まじり文を書くときに大いに役立つという実用面(特に作家、物書きなら)や日本語の成り立ちを理解できていないのはさておき、そもそも「役立つ」というモノサシでしかものごとの価値をはかれないなんて、貧弱な思想ですよねえ。

 

かりに役立つということだけに価値をおくとしたら、音楽趣味なんか一円にもなりませんから無価値です。意味のないことに日々情熱を費やしているわけで、なにをやっているのかわかりませんね。音楽なんかに興味のないみなさんからしたら、なにをそんな血道を上げているのか、さっぱり理解できないでしょう。

 

音楽を追求したり、あるいは21世紀の現代に古典ラテン語(古代ローマの公用語)を学んだりするのでも、もちろんそれぞれ個々人の好き勝手であって、だれかに負担や迷惑をかけないのであれば、放っておいてくれと言いたい。

 

ただひたすら楽しく、おもしろくてたまらないから熱中しているだけで、それじゃ悪いのかと。役に立つとか(つまりお金になるとか)いうことはまったく考えたこともないですし、そこに価値をおいていません。美しい音楽を聴けば楽しいし癒しになる、だから次々と聴くだけ。

 

より美しい音楽はないか、世のなかどこに自分の知らない音楽美があるかわからないぞと思うから、どんどんさがして聴きまくるのをやめられないんです。原動力はとにかく「楽しい」「なんかおもしろそう」ということ。これに尽きます。きれいな人や景色を見て、あっいいねこれ、と感じるのは多くのみなさんに理解してもらえるような気がしますけど、それと根っこは同じです。

 

むろんこの世には音楽なんか聴かない、むしろ積極的に嫌いであるというひともたくさんいます。そうしたみなさんに向けて「この曲はいいからぜひちょっと聴いてみて」ということはもちろんしませんよ。いや、音楽愛好家向けにだって、みんなそれぞれ好みが違うから、押し付けにならぬようやっぱりそこは慎重じゃないとね。

 

ですから、あくまで自分のなかで、個人的音楽美意識の範疇で、いいぞと思えるもの、フィットするものを追いかけて、見つければうれしくてどんどん聴き、っていう反復・連続でいままで約60年の人生を送ってきました。充実していたと思います。

 

すくなくともぼくにとっては、美しく楽しい音楽を聴くことで精神的に安寧し、ひいては肉体の健康にも寄与していることなんで、その意味ではそりゃあ「役に立って」いますよ。これを理解できない他人に「そんなもんなにになる?」とか、とやかく言われる筋合いは一片もありません。

 

(written 2022.1.26)

2022/02/09

冬の夕暮れどきに 〜 原田知世「いちょう並木のセレナーデ」

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(4 min read)

 

原田知世 / いちょう並木のセレナーデ
https://open.spotify.com/track/2pIjbgXMbJtaTvUAYo9dsi?si=a54e7427078247cd

 

原田知世2019年のアルバム『Candle Lights』9曲目に収録されている「いちょう並木のセレナーデ」がホントいい。この時期、真冬のちょうど日が暮れかかってきたような時間帯にでも聴くと、しんみり沁みてきて、心おだやかになります。

 

もちろん小沢健二のオリジナル(1994『LIFE』)ですが、でもオザケンで聴いてもあまりピンと来ないのに、知世カヴァーで聴くとこんなにもいいっていう、だからこれまたプロデュース&アレンジをやった伊藤ゴローの仕事がみごとだっていうことでしょう。

 

いい曲でも、だれが歌うか、どんなアレンジでやるか、によって生きたり死んだりすると思うんですよね。歌というものもまた、このひとっていう決定的表現者を得るということがあると思います。それではじめて生命を吹き込まれるんです。

 

知世&ゴロー・ヴァージョンの「いちょう並木のセレナーデ」、実は以前2016年の『恋愛小説2〜若葉のころ』の、それも初回限定盤だけの末尾に(ボーナス・トラックとして)収録されていました。それが初出で、ぼくはそれを買ったと思うんですが、Spotifyだとグレー・アウトしていて聴けなかったんですよね。

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一つの新曲と三曲のリミックスをふくむバラード再録集である2019年の『Candle Lights』に入ったことで、その収録曲としてようやくサブスクでも聴けるようになり、同時に『恋愛小説2〜若葉のころ』のほうのトラックリストでも解禁されました。どっちで聴いても同じもの。

 

知世の「いちょう並木のセレナーデ」はスティール弦アクースティック・ギター一台だけの伴奏で歌われています。弾いているのがだれなのか、やっぱり伊藤ゴローか、『恋愛小説2』も『Candle Lights』も買ったはずのCDがどこにあるのやら、平積みカオス山脈のなかにまぎれこんでいますから、確認できません(公式HPに載せておいてほしい>ユニバーサルさん)。

 

でもそのアクギ一台だけの伴奏で静かにおだやかにしんみりとていねいに歌う知世のヴォーカルは極上の味わい。特にどうという工夫や技巧もこらさないというか、そもそもそんなもん持っていない歌手なわけですけど、そんなアマチュアっぽさというか、ナイーヴで素直なスタイルで映える曲というのが、こないだ書いた「新しいシャツ」(大貫妙子)であり、「いちょう並木のセレナーデ」ですよ。

 

(たぶんゴロー自身が弾いているんであろう)ギター伴奏だけにしたというプロデュースが曲と歌手の持ち味を最大に活かすことにつながっていて、そういった曲をうまく見つけて拾ってくるのも絶妙ですが、知世の持つ生来のヴォーカル資質がなんともいえないうまあじを聴かせています。

 

二人の別れの光景をふんわり淡々とふりかえっている内容の歌で、決して激しく鋭いトーンや濃い味はここになく、背伸びしない等身大で身近な空気感、さっぱりしたおだやか薄味な淡色系音楽のすばらしさが心の空腹に沁みわたり満たされていく思いです。

 

(written 2022.2.8)

2022/02/08

ブルキナ・ファソ人のやるしなやかなマンデ・グルーヴ 〜 カディ・ジャラ

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(1 min read)

 

Kady Diarra / Burkina Hakili
https://open.spotify.com/album/4oIfYmKxHOKMpvWQfpBvJ7?si=HaNefj1yRImSk-gOJmYy8w

 

フランスで活動しているブルキナ・ファソ人歌手、カディ・ジャラの最新作『Burkina Hakili』(2021)がけっこういいですよね。カディはグリオの出身で、西アフリカのグリオ系ヴォーカルを聴き慣れている耳には、すぐそれとわかる声の持ち主です。

 

伴奏サウンドは、バラフォン、ンゴニ、ギター、パーカッションなどを中心に組み立てられていて、いかにも西アフリカ音楽といった趣き。しかもカディはブルキナ・ファソ人ながら、音楽的にはマンデ・ポップのひとです。それはアルバムを聴けば明瞭ですね。

 

アクースティックな楽器を中心に、適度に混ざるエレキ・ギターなども心地よく、粘性のあるグルーヴがしなやかで、その上で落ち着いたヴォーカルを聴かせるカディの歌いかたもしっかりしたキャリアを感じさせる落ち着きで、好印象。

 

曲の随所で決まるバンドの合奏リフというかキメが快感で、多彩なリズム感、コクのあるサウンド・アレンジのなかで躍動するカディの溌剌としたマンデ・グリオ声が最高です。西アフリカ・ポップスの王道に沿いながら、ロックのビートやサウンドも曲によってはとりいれて、特にラスト11曲目なんかはハード・チューンでしびれます。

 

(written 2022.1.17)

2022/02/07

現行デジタル・ラテン・ファンク最高峰 〜 シマファンク

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(3 min read)

 

Cimafunk / El Alimento
https://open.spotify.com/album/4CFpePqmtCoYlsFwejCwwI?si=FGAM7ZqsS42pyc1Ybs8sYg

 

若手ラテン・ファンク最高峰、キューバのシマファンク(エリック・イグレシアス・ロドリゲス)の新作『El Alimente』(2021)がずいぶんいいですよね。ジョージ・クリントンが参加しているオープニング・トラックなんか、まるでPファンクみたいですよ。

 

『El Alimento』は二作目にあたるもので、2017年のデビュー作『Terapia』収録の「Me Voy」が大ヒットしたことで一躍シーンの表舞台に躍り出たのがシマファンク。このステージ・ネームはキューバ西部の街の逃亡奴隷(シマロン)からとったものみたい。自身もそれが出自なんだそう。

 

公式サイトがあるんですが、生年ふくめバイオやキャリア紹介などはいっさい載っていません。ネットで見つかる散発的な諸情報をつきあわせると、どうも2014年ごろからラテン音楽界で活動してきた人物じゃないかと思います。
https://cimafunk.com

 

ともあれアルバム『El Alimente』。多くがコンピューターのフル活用でできているように聴こえます。ファンクもラテンも人力演奏による汗くささが特徴だったように思いますから、ベーシック・トラックのほとんどを打ち込みでやるシマファンクの姿勢はやや特異ですよね。

 

そんなエレクトロ・ミュージックでありながら、いかにもラテン・ファンクだというだけあるプ〜ンと漂ってきそうな体臭みたいなもの、汗くささが存分に発揮されているのもシマファンクらしさ。コンピューター打ち込みでここまで人間味あふれるサウンドをつくれるのには感心します。

 

ジェイムズ・ブラウンが最大の影響源に聴こえますが、キューバ音楽にもとからそなわっていた洗練とファンクネスを煮詰めて抽出したようにも思え、その点ちょっとベニー・モレーっぽくもありますね。1970年代サルサの痕跡も鮮明です。

 

必要最小限の演奏ミュージシャンしか起用していないのに、大所帯でやるゴージャス感に満ちていて、まるでラメきらきらみたいなこのけばけばしい派手さはどうですか。ごった煮のカオス感もあるし、Pファンクなどが実現していたあの世界に濃厚なラテン性をたっぷりぶち込んだシマファンクのこの『El Alimente』、お好きなみなさんにはこれ以上ない一作でしょう。

 

(written 2022.1.6)

2022/02/06

泣きのショーロ新作 〜 ダニーロ・ブリート

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(2 min read)

 

Danilo Brito, João Luiz / Esquina de São Paulo
https://open.spotify.com/album/5JadOZCR15rLNXMaMsBnkz?si=GcZmIgzkSDaGEoehGtUjWg

 

ブラジル出身、現在はアメリカ合衆国で活動するショーロ・バンドリン奏者、ダニーロ・ブリートの新作『Esquina de São Paulo』(2021)は、やはり同国に拠点をおくクラシック・ギターリスト、ジョアン・ルイースとのデュオ作。

 

ピシンギーニャ、ジャコー・ド・バンドリン、オルランド・シルヴェイラらの曲をとりあげつつ、自作も混ぜているダニーロ。端正で典雅なのもいいけれど、個人的にはしっとりした泣きの情緒を聴かせているものがもっと好きです。

 

たとえば2曲目のアルバム・タイトル・ナンバー。ダニーロの自作ですが、これこそショーロの真骨頂といえるサウダージをなんともいえないフィーリングで表現していて、それでいてしつこくなく、さわやかな優雅さもただよっているという、ホント、いいですねえ。

 

アルバムにはそうした泣きのエレガント・ショーロがけっこうありますよ。5、6、9曲目なんかはかなりはっきりしているし、4曲目だってちょっとそうかな。メロディをつづりながら、ごく微細な音のニュアンスの変化をピッキングでつけていくダニーロの技巧がさりげなく発揮されていて、感心します。

 

ギターのジョアン・ルイースはほぼ伴奏に徹していて、ダニーロが弾く歌心たっぷりのメロディにからむ対位ラインを効果的に奏でる役目。堅実に脇を固めていますね。全九曲のうち六曲がしっとり湿った情緒の泣きのショーロで、バンドリンの硬質な音色がかえっていっそう哀感をきわだたせているようで、すばらしい。

 

(written 2022.1.5)

2022/02/05

天才、坂本昌之アレンジの特徴

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(50 sec read)

 

マイ・フェイバリット坂本昌之Works
https://open.spotify.com/playlist/2c7q477YpSoGMKP69kE5W8?si=5af08e9387cf4cdb

 

・ひたすらおだやか
・淡く薄味
・シルクのような肌心地
・細かな部分まで神経の行きとどいたデリカシー
・必然最小数の音だけ、ムダのない痩身サウンド

・アクースティック生演奏のオーガニック・サウンド
・自身の弾くピアノが軸
・リズム・セクション中心で、管弦は控えめ
・ほんのりラテン・シンコペイションを軽く効かせ
・フルート・アンサンブルの多用
・その他木管を使い、ブラスはほぼなし
・エレベとコントラバスを適宜使い分け

・オリジナルよりカヴァーで生きる
・1960〜80年代のいわゆる昭和歌謡への眼差し

・原田知世をプロデュースするときの伊藤ゴローとの共通性

 

(written 2022.1.24)

2022/02/04

坂本昌之アレンジの極意を、由紀さおり「ウナ・セラ・ディ東京」に聴く

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(3 min read)

 

由紀さおり / ウナ・セラ・ディ東京
https://open.spotify.com/track/106BUcCOv3BXjLcvgps55I?si=52421b00850b46e3

 

日本歌謡界の至宝アレンジャー、坂本昌之の最高傑作は、いまのところ由紀さおり『VOICE II』(2015)2曲目の「ウナ・セラ・ディ東京」に違いありません(私見)。岩谷時子と宮川泰が書きザ・ピーナッツが1964年に歌ったのが初演。

 

坂本+さおりヴァージョンの「ウナ・セラ・ディ東京」は、ゆったりしたテンポのボレーロ・ビートに乗るオクターヴ奏法のギター・イントロではじまります。コントラバスによるオブリガートがややシンコペイトしているのが印象的。リズムは主にコンガ。うっすらドラムスとピアノ。

 

ギターとピアノのユニゾンによる短い無伴奏デュオ・インタールードに続きさおりのヴォーカル・パートにくると、ピアノを残しほかの楽器がさっとはけます。ピアノ独奏で八小節だけ静かに歌われると、今度はピアノとベースのユニゾン・リフが入りアンサンブルを導くという絶妙な出し入れ。

 

続く八小節のAメロを歌い終わり、軽い四連符を叩くリフに続いてサビに入ると、おそらくさおりの多重録音によるハモリ・ヴォーカルになっているのもみごとにきれい。その「あのひとはもう、わたしのことを、忘れたかしら、とてもさみしい」の終わりでパッと伴奏が全休止したその刹那、コンガ・ロール、続いてアンサンブルによるやや強め三連符バン、バン、バン。

 

サビでは全体的にハモリ・ヴォーカルですが、その終盤の伴奏が止む「とても〜、さみしい」部だけソロになっているのもデリケートな押し引きですね。続くコーラス・ラストの八小節でだけバック・コーラス(も多重録音と思われる)が仄かな色どりを添えています。

 

このあたりまでのシルク・タッチなサウンド・メイクとヴォーカルで、聴き手はもうすっかり溶けてしまいます。間奏のギター・ソロもイントロと同じくオクターヴ奏法でやわらかく。

 

やはり四連符リフに続きそのまま2コーラス目はサビから入り、1コーラス目と同じパターンをなぞり、ラスト八小節(ピアノ・オブリが洒落ている)最終部の「ウナ・セラ・ディ東京」を二回リピート。アウトロはやはりオクターヴ奏法ギター。

 

使われている楽器はピアノ、ギター、ベース、ドラムス、コンガ。これだけ。ストリングスもホーンズもなし。必要最小編成によるミニマム・サウンドのデリケートなかけひきで最大の効果を生む、坂本昌之マジックがここにあります。

 

(written 2022.1.24)

2022/02/03

ヘッドフォンもワイアレスで

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(5 min read)

 

上の写真はぼくが使うときに使っている音楽用ヘッドフォン。一人暮らしなので、集合住宅とはいえ99%はスピーカーで鳴らしていますが、自室でも(早朝や深夜帯など)ヘッドフォンで聴くことがあります。

 

外出時にカフェなどでゆっくりしながら音楽を聴く際はいうまでもなくヘッドフォンかイヤフォンを使うわけですが、最近はぼくもBluetooth接続のワイアレスものしか使わなくなりました。

 

ヘッドフォンやイヤフォン(スピーカーもそうだけど)は、近年のBluetooth技術普及後すっかりケーブルなしのワイアレスものが定着した感がありますよね。ここ数年ほどでしょうか。

 

(音楽のプロやオーディオ・マニアを除く)一般ユーザーのあいだでは、もはやヘッドフォン/イヤフォンといえばワイアレスしかありえない、という感じにまでなってきているような気がしますが、もちろんそれら本来はぜんぶワイアードなものでした。ケーブル長によって行動範囲におのずと制限ができてしまうので、装着して聴きながら部屋中動くということはできませんでしたよね。

 

もちろんいまでも音質面を考えたらワイアード・ヘッドフォンのほうがいいのです。けれど、すこしの音質向上なんかは関係ないやと思っているぼくは、メディアのタイプ、機器の種類によって音楽の受けとめや感動が変わるということはないなあと実感していますから。

 

そんなわけで自由に動きまわれるワイアレス・ヘッドフォンが好きなんですが、ぼくがワイアレス・ヘッドフォンをいちばん最初に使いはじめたのは1990年代後半のことでした。当時はBluetoothもAir Playもなく、無線で音を飛ばすのに赤外線通信を使っていました。

 

ストリーミング・サービスなんかはいうにおよばず、パソコンで使うiTunesアプリすらまだ登場していない時期ですから、音楽を聴くといえばCDをオーディオ装置で鳴らすしかありませんでしたが、アンプのAUX出力端子のところに接続する母機があったんですよ。それをアンプの上か横あたりに置き、そこから赤外線でデータを子機ヘッドフォンまで飛ばすわけです。

 

ヘッドフォン側はそれを受信して鳴らすという仕組み。これで生涯はじめて無線音楽再生を経験し、な〜んて便利なんだろう!と大きな感銘を受けた記憶がいまでも鮮明に残っています。1990年代後半ごろ。京王線調布駅前にあったパルコ内の楽器/オーディオ・ショップで見つけました。

 

スピーカー好きのぼくがどうしてヘッドフォンか?というと、当時は結婚していて同居人がいましたから。特に夜は隣室のパートナーのほうがぼくよりもずいぶん早く寝ますからそれ以後の夜間はヘッドフォンで聴きましたし、日中でもリクエストされることがありました。

 

音質云々よりもワイアレス音楽再生の快適さをこの赤外線ヘッドフォンですっかりおぼえてしまったぼくは、ずっとそれがオシャカになるまで使っていました。母機が必要なものだから、もちろん電車やカフェのなかなどではワイアードのイヤフォン+ポータブルMDプレイヤーで、と使い分けていました(iPod登場はもっとあとのこと)。

 

いまではそんな使い分けをする必要すらなく、自室だろうと電車だろうとカフェだろうと同じ一台のワイアレス(おそらくほぼすべてBluetooth接続)ヘッドフォン or イヤフォンを使っているというひとが多くなっているだろうと思いますね。

 

ぼくはこれでも古くさいところだってある人間で、自室では大きくて重いハイ・ファイ・スピーカーから空中に大音量を放出しないと納得できないのですが、イヤフォンやヘッドフォンのたぐいなら、もはやワイアレスのものしか使わなくなりました。ワイアードなやつのほうが高音質再生が可能とわかっていますけれどもね。

 

(written 2021.9.4)

2022/02/02

イマニュエル・ウィルキンスの暴発 〜『The 7th Hand』

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(4 min read)

 

Immanuel Wilkins / The 7th Hand
https://open.spotify.com/album/3OROcJURkOtf5sOitgchGD?si=bjCZpMLRQ7apb5BanGsnng

 

現代若手ジャズ・サックス No.1(私見)であるアルトのイマニュエル・ウィルキンス。二作目にあたる出たばかりのニュー・アルバム『ザ・セヴンス・ハンド』(2022)も、ミカ・トーマス(ピアノ)、ダリル・ジョンズ(ベース)、クウェク・サンブリー(ドラムス)という不動のメンバー。

 

+曲によってパーカッション・アンサンブルが入ったり(2)フルート奏者が参加したり(5、6)ですが、基本は四人編成のワーキング・バンドによってシンプルに演奏されています。なお、1+2曲目、そして5+6+7曲目が曲間のポーズなしでメドレー形式みたいに流れてきますが、編集でしょう。

 

人種問題をテーマにしていた前作『オメガ』に比べ、全体的にはややおとなしめな演奏ぶりかもと思えますが、イマニュエル以下バンド全員でぐいぐい迫るパッションを聴かせる曲もあり、そういうのはたいそう好みです。

 

2020年暮れに前作のレヴューを書いたとき、まるでオーネット・コールマンか1965年以後のジョン・コルトレインがアルトを吹いているみたいだと評したはず。時代背景としても公民権運動とBLMムーヴメントという通底項があって、それに突き動かされるようにブロウしている音楽だという印象を持ちました。

 

そういう部分はきっとイマニュエル・ウィルキンスという音楽家の本質なんだろうと思うんですよね。今作『ザ・セヴンス・ハンド』でも、たとえば1曲目「イマネイション」は思い切り発散しているような演奏ぶりだし、2曲目以後は落ち着いてきますが、終盤の6「ライトハウス」でふたたびハードに。

 

「ライトハウス」ではイマニュエルもいいけどそれ以上にバンドですね。特にクウェク・サンブリーの手数多く細分化されたドラミングは、まるでなにかに取り憑かれたような一心不乱な激しい叩きまくりっぷりで、これホントどうなってんの?あ、いや、イマニュエルもかなりパッショネイトなブロウぶりです。

 

そこから切れ目なく続くラストの「リフト」。26分以上とアルバムの大半を占めるこの曲こそ絶対的な白眉。こ〜れが!ビックリ仰天のアトーナルな全面フリー・コレクティヴ・インプロヴィゼイションなんです。途切れない一曲で26分の完全フリー・ブロウなんて、まるでシックスティーズの趣き。いまどきの音楽でこんなの、聴くことなかったですよねえ。

 

しかも「リフト」には用意されたテーマとかモチーフ、コンポジションやアレンジメントなどいっさいなく、全面的に出たとこ勝負のアトーナル・フリー・インプロで、イマニュエルもまるで坂田明みたいにフリーキー・トーンを乱発し過激に吹きまくり止まらないっていう、ほんとマジなにこれ、どうしたの?

 

整然としたウェル・アレンジドなものが多く、ソロ展開というよりアンサンブルで聴かせる現代ジャズにおいて、こんな一発勝負のフリーキーなフリー・インプロ・ブロウが、しかもカルテットの全員により26分も続くなんて、いまや相当めずらしいものであるはず。

 

ステディなビートもなくフリー・リズムで、ドラムスもベースも自由かつパルシヴに演奏しているし、ピアノのミカ・トーマスだって終始鍵盤をフリーキーに殴り続けているんですよね。

 

こうしたエモーションの暴発が、前作同様BLM的な怒りと抗議の姿勢に支えられたものかどうかはわかりませんが、イマニュエル・ウィルキンスの音楽や吹奏ぶりは、21世紀ジャズにあって比類なき突出ぶりに思えます。

 

(written 2022.2.1)

2022/02/01

サントラで音だけになっても高揚感は同じ 〜『サマー・オヴ・ソウル』

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(7 min read)

 

v.a. / Summer of Soul (…Or, When The Revolution Could Not Be Televised) Original Motion Picture Soundtrack
https://open.spotify.com/album/28BxxgJQdogo7eWYbwHH7w?si=h5F59DomT4mWEsI4WFVaaw

 

昨年日本でも公開された映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放送されなかった時)』は、ソースである1969年夏のハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルのコンサート・シーンに多数のインタヴュー風景(は2021年時点でのもの)をどんどんインサートしてありました。

 

そのため、あのフェスティヴァルに出演したブラック・ミュージシャンたちの音楽こそをそのままじっくり楽しみたかったという黒人音楽ファンにはやや不満が残るものだったというのも事実。映画公開時点ではサントラ・アルバムも出ませんでしたし。

 

今年一月になって、そのサウンドトラック・アルバムがようやくリリースされたわけです。タイトルは映画と同じ『サマー・オヴ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放送されなかった時):オリジナル・モーション・ピクチャー・サウンドトラック』(2022)。

 

以下、映画で流れた曲を登場順に一覧にしておきましたので、今回発売されたサントラ・アルバムのトラックリストとじっくり比較してみてください。映画本編はディズニー+で配信されています(ビートルズ『ゲット・バック』のついでに観て確認した)。

 

右に*印がついているのはサントラにないもの。アビー・リンカーンとマックス・ローチの「アフリカ」はデジタル・リリースだけでCDには未収録のようです。

 

1. Drum Solo / It’s Your Thing (Stevie Wonder) *
2. Uptown (The Chambers Brothers)
3. Why I Sing The Blues (B.B. King)
~~ Knock On Wood (Tony Lawrence and The Harlem Cultural Festival Band)
4. Chain Of Fools (Herbie Man ft. Roy Ayers) *
~~ Give A Damn (The Staple Singers)
5. Don’tcha Hear Me Callin’ To Ya (The 5th Dimension)
6. Aquarius / Let The Sunshine In (The 5th Dimension)
7. Oh Happy Day (Edwin Hawkins Singers ft. Dorothy Morrison)
8. Help Me Jesus (The Staple Singers) *
9. Heaven Is Mine (Prof. Herman Stevens & The Voice Of Faith) *
10. Wrapped, Tied & Tangled (Clara Walker & The Gospel Redeemers) *
11. Lord Search My Heart (Mahalia Jackson & Ben Branch) *
~~ Let Us Break Bread Together (Operation Breadbasket)
12. Precious Lord, Take My Hand (Mahalia Jackson & Mavis Staples)
13. My Girl (David Ruffin)
14. I Heard It Through The Grapevine (Gladys Knight & The Pips)
15. Sing A Simple Song (Sly & The Family Stone)
16. Everyday People (Sly & The Family Stone)
17. Watermelon Man (Mongo Santamaria)
18. Abidjan (Ray Barretto) *
~~ Afro Blue (Mongo Santamaria)
19. Together (Ray Barretto)
20. It’s Been A Change (The Staple Singers)
21. Shoo-Be-Doo-Be-Doo-Da-Day (Stevie Wonder) *
22. Ogun Ogun (Dinizulu & His African Dancers & Drummers) *
~~ Cloud Nine (Mongo Santamaria)
23. Hold On, I’m Coming (Herbie Mann & Sonny Sharrock)
24. It’s Time (Max Roach) *
25. Africa (Abbey Lincoln & Max Roach)
26. Helese Ledi Khanna (Hugh Masekela) *
27. Grazing In The Grass (Hugh Masekela) *
28. Backlash Blues (Nina Simone)
29. To Be Young, Gifted & Black (Nina Simone) *
30. Are You Ready (Nina Simone)
31. Higher (Sly & The Family Stone) *

 

さて、映画のほうの感想は昨年10月に映画館で観たとき書きましたが、いかにもヒップ・ホップ・ドラマーだけあるという監督クエストラヴのリズム感が全編で冴えていて、個人的にはとても好きでした。ステージでの演奏シーンにインタヴュー風景が挿入されるテンポにモンタージュ・ビートがあったというか、そこにヒップ・ホップなトラック・メイク感覚があふれていて、しかも現代のBLMテーマもくっきり描き出していたなと思えましたし。
https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2021/10/post-50a1e5.html

 

サントラ・アルバムで音楽だけになれば、1969年のものですから当然そういう要素は消えるわけで、2020年代的な意味ではイマイチおもしろくなくなったかも?という気がしないでもありません。それでもハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルでの音楽がどんなだったかはわかりやすくなりました。

 

サントラを聴き進み個人的に特に印象深いのは、まず3、4トラック目のフィフス・ディメンション。黒人グループがなぜか白人音楽をやっているなどと当時は言われたものでしたが、なかなかどうしてファンキーじゃないかと思えます。そもそも黒/白と音楽性を分ける必要があるのか?という根源的な疑問も湧いてきます。

 

ハーレムのどまんなかで大勢の黒人(ばかりな)聴衆の前で披露するブラック・ミュージック・フェスティヴァルなんだから、フィフス・ディメンション側もある程度意識したという面があったかもしれませんが、そもそもそんな白人音楽っぽくはなかったのだというのがぼくの正直な感想です。

 

7、ステイプル・シンガーズも興味深いですね。パップス・ステイプルズがギターで短い同一フレーズを延々反復するブルーズなわけですが、このヒプノティックなループ感覚はまるでノース・ミシシッピのヒル・カントリー・ブルーズみたいじゃないですか。

 

ジャズ聴きとしては12、ハービー・マンも気になります。特にソニー・シャーロック(ハービーのメンバー紹介では「サニー・シュラック」に聞こえる)のギターのアヴァンギャルドさにしびれるわけですが、実はそれもブルーズ伝統に沿ったものだったとよくわかります。

 

そしてなんといってもサントラのクライマックスはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの二曲とニーナ・シモンの二曲。映画のほうでもBLM的なテーマを表現するのに重要な役割を果たしていた二者ですが、サントラで音だけになっても高揚感は同じ。

 

黒白混淆の現代的共存を(69年当時は)目指していたスライに比べ、ニーナのほうはディープにアフリカン・ルーツを見つめる内容で、そんなニーナの「アー・ユー・レディ」みたいな音楽でアルバムがしめくくられるのには、やはり2020年代のブラック・テーマを打ち出したいクエストラヴの意図がしっかりみえます。

 

(written 2022.1.31)

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